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岩の島

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岩の島 

作:COM


この儚くも美しき世界

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10:夢の跡地 


 大海原を渡る貨物船に気持ちのいい潮風が吹き抜ける。
 アカラ、ツチカ、ヤブキの三人は船旅を楽しみながら新たに加わったヤブキの身の上話を聞いたり、逆にアカラ達が自分達の今までの旅のことを話したりとしていたようだ。
 チャミはいつも通り船室内で虫の島での出来事を手帳にしたためつつ、物語としての脚色を加えるために夢想に耽っている。
 いつもならば途中でシルバが話し掛けに来るのだが、この日は虫の島の船員達にシルバが取り囲まれ、口々にお礼やどんな戦いを繰り広げたのかを聞きに来た人達で身動きが取れなくなっていた。
 シルバとしては自慢するような話でもなければ虫の島での戦いは事実上行っていないため、どうしたものか返答に困っていたが、あまりにも船員達が仕事をしなかったため船長の一喝で散ってくれたため難を逃れることができた。

「何をやってるんだ?」
「え? いや、ヤブキくんって柔らかそうだなって言ったら少しならもちもちしていいよって言われたから」
「むにゅう」

 ようやく自由に行動できるようになったシルバはひとまずアカラ達の様子を見に来たのだが、何故かヤブキがアカラの腕の中でもにもにと揉まれていたため、思わず声を掛けてしまった。
 微妙に伸びるほどグイグイと押されているようだがヤブキとしても満更ではないようで、目を瞑ったままそんな声を上げている。

「そしてツチカは何でそんな鋭い眼つきなんだ?」
「え? 私そんな顔してましたか?」
「ツチカももちもちしたいの?」
「いえ、なんというか……こう……。ヤブキさんを見てると背中の辺りを啄みたくなってしまうので……遠慮しておきます」
「ああ……そういう視線か」



 第十話 夢の跡地



 シルバが声を掛けるといつも通りの表情に戻っていたが、それまでのツチカは完全に獲物をロックオンした捕食者の顔だった。
 ヤブキは特に気にしていないようだったが、ツチカとしては触ろうものなら自分でも説明できない嗜虐心を抑えきれるか不安で仕方がないようだ。
 シルバの目線から見れば多少なりの不安はあるものの、ヤブキとアカラは特に気にしておらず、ツチカも三人の中ではかなり自制できる方なのでそのままにし、チャミの方へと向かう。

「調子はどうだ?」
「うん、正直虫の島での出来事は八割方が脚色になっちゃうけれどでも十分だと思うわ。良い出来よ」
「それは冒険譚としてか? それとも情報としてか?」
「両方。私の罪まであなたが被ってくれたんだもの。せめて作品の中でぐらいとびきりの英雄でいてもらわないと」
「とびきりの英雄は子供達にあんな心配そうな顔はさせない。いくらでも家を建て直せようと、どれほど強かろうと……所詮俺はそれしかできない」
「それができれば十分よ。万人を救えるようなポケモンはこの世にはいない。いたならそれはもうただの神様よ。あなたは出来ることで周りにいる人達を一人でも多く笑顔にしようとした。誰にもできない事を成そうとする。そういう人達のその雄姿を讃えて人は"英雄"と呼ぶのよ」
「子供達に笑いかける事すら出来なくてもか? 子供にとって必要なのは万人を救ってくれる英雄の背中ではなく、微笑みかけてくれる隣人だ」
「あら。子供達だけじゃないわよ? 私もあなたの心からの笑顔、是非とも見てみたいわ」
「感情を取り戻せたらいくらでも」

 チャミは話しながらも英雄譚を書き綴っていったが、シルバの笑顔についてはしっかりと顔を見て答える。
 その顔にはいつものチャミらしい可愛らしい笑顔が覗いており、それに合わせるようにしてシルバも冗談を交えつつ微笑んで見せる。
 しかしシルバにも分かっていた。
 チャミだけではなく、子供達の為にも必要なのはただの微笑みではなく、一緒に楽しみ笑い合うことができる心であるということを。
 だからこそ少しずつシルバは焦り始めていた。
 記憶と共に手に入れた感情の中には未だ笑顔を取り戻すための感情はなく、残り四つもある島のどれで笑うという感情が蘇るのかすら分かっていない。
 もしも笑うという感情が最後になってしまったのなら、いつかはアカラ達をこれまで以上に苦しめてしまう結果となるだろう。
 可能な限り早く、できる事ならこの島で笑うという感情を取り戻したいと遠くを見つめながら考えていた。
 そしてそれから数時間後、船は接岸の準備を始めたのだが、シルバもアカラ達もその島の姿に驚きを隠せなかった。

「ここ……港?」
「ええ。ここが岩の島の唯一の港。というより唯一の複数の種族がいる町」
「何もないな。恐ろしい程に」

 皆が口々にした通り、水平線の上に浮かぶその岩の島は名の通り港ですらその景色のほとんどが岩で構成されており、人工物らしきものがほとんどない。
 岩を削り出して作られた大きな建物がいくつかあり、船が接岸すると何名かのポケモンが出てきたものの、その数すら非常に少ない。
 港町には通りらしき整備された道すらなく、剥き身の街道の何処を見ても出回っているポケモンの姿は見当たらない。

「これじゃまるで……」
「廃墟だってんだろ? 間違っちゃいないぜ坊や」
「もう! 女の子だって言ってるのに!」

 アカラが言いかけた言葉に続けるように、積み荷を降ろし始めた船員が語った。
 なんでもこの船着き場は文字通り廃墟だったのだが、物資の供給とこの島で採れる良質な石材を搬出するため、なんとか倉庫と船着き場だけは再建したのだという。
 つまりこの港町で機能しているのはこの海辺にある岩を削り出した倉庫と、船を着けるために整備された港のみである。

「まさか……もう竜の島の人達に……」
「いいえ。この島がこんな風になったのは竜の島が攻撃を仕掛けるようになるずっと前からよ」

 ツチカが最悪の事態を想像してそう口を開いたが、どうやらその考えは外れているらしい。
 チャミもこの島にはあまり訪れる事がないらしいが、この島は既に十年以上前からこんな状態なのだという。
 何故そんなことになったのか、その答えは竜の島からの侵攻ではなく、内戦が原因だった。
 昔はそれこそ"機械の島"と呼ばれるほどこの島は栄えており、島のあちこちに沢山の自然と見たこともないような高い高い建物、そしてその間を駆け抜ける機械仕掛けの乗り物が沢山あったのだという。
 良質な鉱物と石材を大量に有していたこの島は、多くの技術者達の手によって沢山の文明機器を作り出し、それこそアカラ達からは想像もしないような高度で優雅な暮らしをしていたはずだ。
 故に生まれたのが内部紛争だった。
 富と栄華に囲まれたこの島では、様々な事に利権が絡み、華やかで煌びやかだった町の景色とは裏腹に貧富の差が激しく、生きていくことすらままならないような者達も多く存在した。
 物資に金銭、そういった物欲を貯めこみ、慈悲の心を失った富裕層と不平と不満を嘆き、普通の暮らしをする者すら恨むようになってしまった貧困層とでの対立が大きくなり、遂に内部紛争が勃発してしまった。
 富裕層が物量で圧勝するかと思われたが、命懸けで生きてきていた貧困層の雑草根性を見くびっており、あっという間に窮地に追い詰められてしまったらしく、富裕層は禁断の力と呼ばれていた物を使ってしまう。
 それは本来この島の護り神であったミュウツーの具現化。
 科学力の粋を集め、神をその手にしようとした富裕層と、その話を聞き密かに奪取作戦を決行しようとしていた貧困層。
 両者の戦いは結局その施設でも行われ、遂に神の怒りに触れた。
 生み出されたミュウツーは完全に暴走しており、島の全てを破壊し尽くして活動を停止。
 内戦とミュウツーの残した爪痕が原因で島民の殆どは死に絶えており、もう元に戻ることは絶望的となってしまう。

「それ以降、この島に住む人達は贅や文明を嫌い、何も無くなってしまった島と共に生きていくことを決めた者達だけになってしまったの。今では"機械の島"ではなく"戒めの島"なんて呼ばれているわ」
「なんだかそれって……とっても淋しいね」
「オレも見てみたかったな。そんな凄い町。きっと凄い道具が一杯あったんだろうな」

 チャミの言葉を聞いてアカラは悲しそうな表情を浮かべていたが、ヤブキは期待に満ち溢れた目で遠くを眺めていた。
 種族柄か単にヤブキの性格か、彼はシルバや他の道具等、作ることが出来る物への興味関心が凄い。
 ヤブキは虫の島を出るのは勿論初めてなので船に乗ったのも初めてだったが、航海というものよりも船への興奮の方が大きかった。

「ちょっとヤブキさん! チャミさんのお話を聞いてなかったんですか? その道具のせいでこの島はこんな風になってしまったんですよ!」
「えー、違うだろ。俺も話はちゃんと聞いてたけど、要するに皆で使うために作った道具で特定の人達だけが良い思いをしたくて独り占めしたってことだろ? そりゃあ平等じゃないんだから不満も起きるでしょ」
「そもそもそんな道具を作ってしまったから平等ではなくなってしまったんでしょう!?」

 ヤブキが不用意に自分の願望を語ったせいで、普段静かな口調のツチカがえらく怒った調子でヤブキに反論する。
 それを聞いてもヤブキは不思議そうな顔をしているせいで、ツチカが更にヒートアップしだしたため、シルバは二人の間に手を入れて口論を無理矢理止めた。

「落ち着けツチカ。確かにツチカの言う通り、そんな道具を作らなければそもそも争いの火種を生み出すことはなかったかもしれない」
「そうでしょう!? ほら! シルバさんだって……」
「だがツチカは家が無くても安心して暮らせるか? 今みたいに交易船が行き交ってなければ様々な食料や建材を交換することもできないし、それらの取り決めも決められない」
「そ、それとは話が違うじゃないですか!」
「いいや、大きくは違わない。家族という小さな共同体では食料を確保するのも安全な住処を確保するのも大変だ。だから村という大きな共同体を作り、家を作り、畑を作り、互いに足りない物を補い合うための交易が生まれ、公平さを保つための規則が生まれた。その全ては『みんなが幸せに、平等に暮らせるようになってほしい』と誰かが考え、物や規則を作り上げたからだ。それ自体に悪意はない。だが世の中、全員が正しくは使ってくれない。規則があればその規則を逆手に取る奴もいる。道具だって草を刈るための鎌一つでも悪意を持って使えば、誰かを殺すための武器になってしまう。大切なのは『生み出さない事』ではなく、どうやって『間違った使い方をさせない』ようにするか、だ」
「間違った使い方……ですか。ということはこの島の人達も」
「そう。折角高度な文明を手に入れ、種族の壁すらも取り払えるほどの文明を築き上げたのに、それを敢えて格差を生み出すように使った事が原因で公平さが失われた。そこで過ちを認め、手を取り合うことが出来たならば内紛にまで発展することもなかっただろうし、たとえ内戦になったとしても話し合おうという気概さえあれば、全てを滅ぼしてしまった人造の神の暴走なんてものも起きなかっただろう。まあ、全ては結果論だがな」
「……ヤブキさん。すみません。軽率にヤブキさんの考えを否定してしまって」
「え? オレはそんなに深く考えてないぞ? 単にどんな道具があったんだろうって思っただけだ」
「ならお前はもう少し我慢を覚えるべきだな」
「むにゅう」

 シルバの言葉を聞いて自分の極端な考え方を素直に謝ったツチカに対して、特に何も考えてなかったヤブキはあっけらかんと答える。
 興味や好奇心を持つのは実にいい事だが、その結果を考えていなければ、この島で起きた惨状を引き起こしかねない事をシルバはヤブキにもきつく言い聞かせる。
 ツチカはツチカで、ヤブキはヤブキできちんと反省し、言葉の意味を理解したことを確認するとシルバはチャミの方を向き、この島へ来た本題へと移った。

「チャミ、この島の祭事場は何処にあるんだ?」
「無いわ」
「無い? どういうことだ?」
「正確には昔はあったんでしょうね。この島では竜の軍勢が攻撃を仕掛けてくるようになる随分と前から内戦をして滅んでいるの。だから島民との交流はほぼ無し、島民に聞いても一切の文化的な生活を断っているらしいということしか分からないわ。何せ保管されてた文献まで全部瓦礫の下に埋まっちゃってるからね」
「チャミすら知らない、島民は恐らく覚えていないとなれば……ほぼ手詰まりだな。こんな何もない大地を隅から隅まで探すのはいくら何でも無謀だ」

 この島での護り神に会うための場所、つまり神に所縁のある祭事が催される場所をチャミに聞いたが、それすら島民は放棄しているためチャミも知り様がない。
 文字通りほぼ廃墟と化した町の向こうに広がる光景は、空と茶色の大地だけで草の一つも生えていない。
 こんな場所をシルバ一人ならまだしも子供達を連れて歩き回るわけにはいかないため、何かいい案はないかシルバは考え始める。

「ねえ、一つ気になったんだけれど、物資の搬入も行ってるし搬出も行ってるんだよね? てことはその人達に聞いてみればいいんじゃないの?」
「まあ普通はそう考えるわよね。でも残念ながら物資の輸送は全て地下資源の為に行われてると言っても過言ではないわ。勿論島民以外の村ならあるわよ」
「島民以外の村? ってどういうこと?」
「なるほど。島民は地下資源を利用することも放棄している。だから他の島から入植して生活している人達がいるということだ」
「あー、この島の人達じゃないんだ」
「そういうこと。所謂原住民はこの厳しい環境下で古代のポケモンのように生きているって話よ。だからこの島は入植者以外は他の島と違って岩タイプか地面タイプのポケモン以外は存在しないわ」
「え? いないの? 僕達の島だってドラゴンタイプの人とか草タイプの人もいるよ?」
「さっき言ってただろう? アカラ。この島のポケモン達は昔の生き方をしている。つまり、ポケモン同士も捕食者、被食者の関係だ。だから何もないこの島では普通の食料が必要になるポケモンは生きられない。草もないこの島では必然的に鉱石と水分だけで生きられるポケモンだけが生き残ってゆく。誰でも自由に生きられた島は、今では鉱石を食べられなければ誰も生きられない島になった。皮肉な自然淘汰だな」
「なんだか……聞けば聞くほどここは淋しい島なんだね」

 アカラの提案はこの状況を打破する起点になるかと思われたが、残念ながらそうはいかなかった。
 確かに島民がバラバラに生きており、本当に文化や文明を捨てているのなら、交易船を送る必要はない。
 何処かできちんと交流があるのだろうと考えてアカラは口にしたが、交流を持っているのはこの島に資源を取るためにやって来たポケモン達で、初めの内は島民に了解を得ようとしていたが姿はおろか気配すら感じられないため、仕方なく島民は既に全滅したものと考えて勝手に入植し、入植者は島の港から少し離れた所に資源を取るための小さな村を築き上げた。
 島民からの攻撃に念のため警戒して小さな村を一つ作っただけの為、この島で資源を取っているポケモン以外が住めるようには作られていない。
 そのためこの島には原住民も入植者たちも含め、誰も昔のようになるという希望を抱いていないせいか、瓦礫もそのままで村も他の村でよく見るような木造の小さな家がぽつぽつと並ぶ程度である。

「そういえば一つ気になったんだけれど、どうしてシルバは私も知らない情報を知ってるの?」
「知らない情報? そんなものあったか?」
「種族の壁すら取り払った文明だったなんて聞いたこともないし、実際どんな町だったのかを知っている人なんていないわ。なのにまるでシルバは自分で見てきたかのように話してるからちょっと気になったの」
「言われてみれば確かにそうだな。曖昧だが、何故か俺にはこの島の昔の景色の記憶がある。今俺達のいるここは確かメインストリートで、ここから真っすぐ向こうに行けばネオンシティに行けたはずだ」
「もしかして……シルバが思い出した記憶のおかげ?」
「かもな。だがお陰で希望が見えた。思い出しながら神に所縁のある場所を探そう」

 話をしている内にチャミがシルバの話していた内容に違和感を覚え、何故シルバがこの島の過去について詳しいのか聞いてみた。
 勿論シルバ自身もこの島に来たのは初めてであるため、シルバが聞き返した様に村や港の事については全く知らなかった。
 しかしシルバ自身も語っていた内容を、何故語ることが出来たのかふと思い返してみると、その景色らしいものが朧気に瞼の裏に移りこんだような気がした。
 右も左も天を衝くような高い建物が立ち並び、ホエルオーほどの大きさがありそうな大きな機械が空を駆け、夜でも星々が目の前にあるような眩しさとバクオングでも騒いでいそうな機械の出す音がひしめいていたような気がする。
 摩天楼と呼べるであろう建物が幾つもありながら、地上を空中を機械の塊がぶつからずに飛び交う。
 誰もが自由に空を飛び、地を駆け、そして沢山の笑顔も確かにあった。
 そんな光景をシルバはまるで思い出のように思い出し、今シルバ達の居る位置からその記憶の中の島の道を照らし合わせながら歩き始める。
 廃墟を抜け、風の吹き抜ける淋しい音だけが響く荒野を歩いてゆき、一際瓦礫の積み重なった"山"とも呼べる場所の前まで歩き着く。

「ここが俺の記憶の中にあった都……だった場所だな。今は見る影もないが」
「凄いですね……。多分ここにある沢山の岩は全部、元々は建物の一部だったんでしょうね」
「おっ! ツチカも分かるんだ。オレも前本で読んだけど、鉄の柱に粘土みたいな岩になる元をくっつけるんだっけ? そうすると簡単に奇麗な壁が作れるって書いてあった」
「あ、多分同じ本を読んでますね。モルタルでしたっけ? 土壁のより強固なもの、というイメージでしたが……見る限りそういう次元ではないみたいですね」

 崩れた瓦礫には時間が経ち、風化したコンクリートと鉄骨が剥き出しになった瓦礫が積み重なっており、それらを支えていたであろう太い鉄骨は幾つかはまだ折れ曲がりつつも高く聳え立っている。
 アカラやツチカの家は木製であり、ヤブキ達の住んでいたゆりかご園は繭と草でできていたため、石や鉄でできた建物だったものを見たのは初めての経験だ。
 崩れ去ってはいてもチャミの言う通り、既に十年以上もの歳月が経過し、風雨に晒されてもなおほぼそのままその場に残り続けるというのはツチカ達からすれば想像もつかない。

「お前ら何時まで瓦礫を見てるつもりだ。用があるのは瓦礫じゃなくて神の待つ場所だ」
「分かってるわ……でもちょっとだけ待ってもらえない? 過去に栄えた文明の跡を見れるなんてあんまりない経験だから」
「ああ、そうか。確かにそうかもな」

 チャミを含めて子供達は皆その瓦礫に興味津々だったが、シルバからすると『ただの瓦礫』は見慣れたものだ。
 しかしそこで何故シルバにとっては瓦礫やこの島の事などが見慣れたものであるという認識を持ったのかが気になり、シルバは少し自分の記憶を辿ってみる。
 今までは記憶を失っているという固定概念に囚われていたため、過去の記憶を思い出そうともしなかったが、今過去の事を思い出してみると取り戻した記憶が一部とは思えないほどシルバの記憶は随分と沢山思い出すことが出来る。
 しかしその記憶はどうもアカラから聞いていた『獣の島で護り神と呼ばれた存在』という記憶とは大分違い、色んな島を巡っている記憶そのものだった。
 その中の記憶の一つに獣の島で、アカラ達と楽しく暮らしながら島の外から攻め込んできたポケモンを追い返す記憶があり、あながち間違っているとも言えない。
 だがアカラの語っていた記憶以外にも虫の島で多くのポケモン達と一緒に演奏会を見る記憶や、鳥の島で今はやっていない筈の巫女が踊る奉納の舞を眺めている記憶、滅びる前と思われる岩の島をブラブラと散策する記憶、まだ行ったこともないはずの島で島民達と楽しく浜辺で海水浴をする記憶もある。
 思い出せる記憶は確かに昔の記憶ではあるが、その記憶の全てが明らかに今から数年前程度の記憶ではなく、既に覚えている者が年寄りしかいないような記憶ばかりなのに、それが全て鮮明に思い出すことが出来る。
 静かに思い出し続けている内に、シルバの記憶にはある共通点がある事に気が付いた。
 沢山のポケモン達の輪の中にいるが、決してシルバは誰にも話し掛けていないのである。
 当然回りのポケモン達もシルバへは話し掛けていないが、かと言ってお互いに楽しんでいないわけではないように思える。

「シルバ! ゴメンね。もう十分観察させてもらったから移動しましょ」
「……ああ」

 シルバは更に次の事を思い出そうとしたが、その前にチャミに声を掛けられたことで自分の記憶を思い出すことを止め、この島の昔の記憶を思い出すことに集中した。
 思い出すことのできたシルバの記憶達は、思い出したというにはあまりにも聞いていた話と違うため違和感を覚えたが、一先ず考えないようにした。
 皆を髪束の中へ乗せて瓦礫の山の上へシルバはひょいひょいと登っていき、そこの景色から当時の記憶と照らし合わせてゆく。
 何処もかしこもシルバの記憶の中とは似ても似つかないほど荒れ果て、何も残ってはいなかったが、辛うじて原型を留めているかなり劣化したアスファルトの道を頼りに位置関係を合わせる。

「この島では確か……祭事は行っていなかった。その代わり、神に所縁のある地は有料で公開されていて、誰でも好きな時にそこへ行けたはずだ」
「え!? 何それ! それってつまり会いたい時にいつでも神様に会えるってこと?」
「いや、この島の神であるミュウツーが降臨したとされる場所が公開されているだけで、そこには誰も居なかったと思う。要するに願掛けの為に皆が足を運んでいたんだ」

 瓦礫越しに当時の道を思い出しながら歩いてゆき、ミュウツーがいたであろう場所へ向かって進みながらシルバは話した。
 シルバは記憶の中でその施設へ行ったことが無かったため、実際どうなっているのかまでは詳しく把握できなかったが、町の人々の話を聞いていたシルバはそこからおおよその内容を把握していた。
 その施設はミュウツーが生み出されたという研究施設であり、当時の高名な科学者達はその施設で日夜機械や薬品の研究に明け暮れていた。
 その研究の様子は一般にも公開されており、その見学の後に配布される試供品目当てであったり、単純に最高の科学施設の設備を目の当たりにできるのが訪れるポケモンの楽しみだ。

「あれ? ということは願掛けじゃなくてただの工場見学だな。なら何故あいつは必勝祈願をしていたんだ?」
「シルバ。どうしたの?」
「いや、なんだか記憶に自信が無くなってきた」
「自信を持って! 今はシルバ以外にこの島を歩き回れる術を持つポケモンは居ないのよ!」
「そうは言ってもなぁ……。まあ駄目元だ。行ってみよう」

 どうやら思い出した記憶はあまり関係の無さそうな記憶であり、このままだと無駄足になりそうだ。
 だが情報通であるチャミが知らず、現地民の協力が得られない以上可能性レベルでもシルバが先導するのが一番である。
 そのまま思い出しながら瓦礫の並ぶ大通りを越えてゆき、記憶の中にあった研究施設と思われる場所まで辿り着く。
 当然その施設も既に崩壊しており、爆撃でも受けたかのように跡形も無く吹き飛んでいる。

『島の者ではないな……何者だ?』
「誰かいるのか? 何処から話しかけているんだ?」
「? シルバ。誰と話してるの?」
『質問をしているのは私だ。お前達は何者だ?』
「俺はシルバだ。島々を巡り、石板を集めて世界を巡っている旅人だ」

 研究施設跡地へと足を踏み入れるとシルバの頭の中へ直接声が響いてきた。
 シルバがその声に自分達の目的を話すと、瓦礫の裏からシルバと同じかそれ以上の長身を持つ白っぽいポケモンが姿を現した。

「お前が噂になっている旅人か。虫の島の知らせは私の耳にも届いたぞ」
「本当か? この島の人々は誰も知らない者だと思っていた」
「私がこの島へ余計な知識をもたらさないようにしているからだ。そのためには私は知る必要がある」
「ということは……あんたがこの島の護り神であるミュウツーということか」
「少し違うな。私は現在この島を治めているミュウツーのヴォイドだ。残念ながら君達の求める伝説のポケモンではない」

 シルバの前に現れたポケモンはミュウツーだった。
 非常にシルバ達を警戒していたようだがミュウツーは右手を差し出してシルバと握手を交わした後、この島について語りだした。
 この島は数年前にチャミ達が言っていた通り内戦が勃発し、そして滅んだ。
 その折、ここまで世界が壊滅的な被害を受けた理由は、実のところミュウツーではなく科学者達が新たに生み出した大昔のポケモンの改良種であるゲノセクトだった。
 ヴォイドが気が付いた時には既に遅く、制御しやすいようにと自我を持たせなかったゲノセクトは結果全てのポケモンを敵とみなし、無差別な破壊を行った。
 性能だけで言うならばゲノセクトはヴォイドをも凌ぐ力を持っており、三日三晩戦い抜いた末にようやくゲノセクトを無力化することに成功したらしい。

「皮肉なものだ。ミュウのコピーとして生み出された私はこの島の科学をより発展させるために快く受け入れられ、そして私も島の為に様々な研究に打ち込んだ。なのに最後は破壊するために作り出されたより強力なポケモンによって真っ先に科学者達が攻撃され、戦ってなんとか全滅は免れたものの、私と共に世界を良くしようと笑い合っていた仲間も、その利益の全てを独占しようとした愚か者も全ては滅んでしまった」
「ならばもう一度島を再建しようとは思わないのか?」
「少なくとも私はそう思うことが出来ない。こんな結末が訪れるであろうことは誰でも容易に考えることが出来たはずだ。だが科学者も、権力者も、一般人でさえも戦争を望み、自分の望む結果のために戦った。文明さえなければ、必要以上の知識さえなければこの島はこれからも平和なままだ」
「平和……か」

 ヴォイドの言葉を聞いてシルバは呟くように話し、後ろに広がる瓦礫の山や、眼前に広がる地平の果てまで何もない土地を見つめる。
 確かにヴォイドの言う通り、この島には争いは起きないだろう。
 だが島民は何処にいるのかすら分からないほど見当たらず、見渡す限り誰もが生きていける土地ではないその景色はとても平和とは程遠い悲しい世界だ。

「こんなの……平和じゃないよ」
「子供には難しいかもしれないが、この島は確かに生きているし、誰もが死に怯える必要の無い日常を送っている。流れ弾が飛んでくることもなければ、爆弾が道端に転がっていることもない。少なくとも幸福とは呼び難くても我々にとっては平和なのだ」
「でもこの島の皆は笑ってるの? 誰かと一緒に遊んだり、辛いことがあっても慰めてくれる人はいるの? 皆バラバラに生きてるんじゃあんまりだよ……」
「実はな、この島には村はないわけではない。島民以外に知られれば余計な情報が入ってくる可能性があったためひた隠しにしていただけだ。その村では皆力を合わせて助け合いながら生きている。本当は皆、幸せに満ちた生活を送っている」
「え? そうなの! じゃあなんでそんな風に言ったの!」
「すまないな。例え君達であっても村の本当の場所を知られたくなかった。余計な知識を引き込む引き金になりかねないのでね。だがその様子だとあまり心配する必要はなさそうだな」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。君達は我々の事を知っても語らんだろうし、君達が必要以上の知識を与えようとしないだろうと判断したまでだ」

 ヴォイドは軽く微笑むとシルバとアカラに言葉を返す。
 なんでもヴォイドとしては科学技術や機械技術のような高度な文明を引き込みたくないだけであり、単純な交流ならば構わないと考えていたそうだ。
 しかし、以前に別の者に話した時はその滅んでしまった機械文明に関する質問ばかりだったため、二度と同じ過ちを繰り返さないようにするために島の外部の者達との接触が起きないよう努めてきたのだという。

「機械文明は過ぎた力だ。その力で生み出された私が、世界が滅ぶ様を見た私が言っているのだ。この約束だけは破らないと約束してくれ」
「ごめんなさいヴォイドさん。ジャーナリストとして一つ聞かせて欲しいわ。何故、ここまでに島民以外と島に生きる人達で情報が違うの?」
「ジャーナリストか。正直に言った事は賞賛に値するが、私としてはあまり村には踏み込んでほしくない。質問に答えるとするならば、正に全ては隠蔽のためだ。島民には余計な知識を与えないようにするため。島民以外にはこの島の真実を知られないようにするためだ。口外しないと約束できるのであればお前も村へと連れて行こう」
「そこなのよ。私が引っ掛かっているのは。何故、村の場所を知られることがマズいの? 島を探索するようなポケモンなんて私達以外にも居たはず。そして多分その全てが私達と同じく、島々の時事的な情報には詳しくてもヴォイドさんの言うような技術というものには然程詳しくないわ。もしもヴォイドさんが言っているように私が技術を伝来しに来たと考えているのならば、あなたは何があっても私を村には入れさせないはずよ」
「……君は見た目以上に頭が切れるようだな。ならば『今から見る我々の村を見ても、決してその実情を外部に漏らさないでくれ』。こう言えば何故私があまり外部の者達に情報を漏らさないようにしているのか分かるだろう?」

 チャミのジャーナリストとしての勘とでも言うものだろうか。
 ヴォイドの言葉の端々にあった違和感や、何故かヴォイドの語る話とチャミ達のような外部の人間に伝わっている内容とで食い違いがあまりにも多いのかが気になり、チャミは問いかけたが、それを聞いてヴォイドは寧ろ嬉しそうな顔をしていた。
 シルバ達とヴォイドが出会った瓦礫地帯を抜け、何もない荒野を数分ほど歩き、ちょこちょこと岩が付きだしているだけの場所まで歩いてゆくとそこでヴォイドは足を止めた。
 その岩の中の一つをヴォイドが押すと、押した指の辺りが音も無く奇麗に正方形の形に凹む。
 それを押し込んだ岩の周囲を次々と押す度に同じように正方形に凹んでゆき、何度か触ると今度はシルバ達の居た後方の地面が轟音と共に大きく口を開けてゆく。

「ええ!? なにこれ!? 一体何が起きたの!?」
「これこそが"機械"の力だ。知る者でなければ辿り着く事すら許されない鉄壁の鍵と門を作り上げてくれる」
「……そりゃあ沢山の人がどれだけ探しても何も見つからないわけよ」

 驚きの表情を浮かべたまま、開いた大地の隙間に続く階段を下りてゆくヴォイドをアカラ達は見つめていたが、手招きをするヴォイドに付いてゆくようにシルバが階段を下り始め、他の皆も後を追いかけるようにして階段を下っていった。
 階段を下ってから少しすると、開いていた天井がまた音を立てて閉まってゆき、それと同時に左右の壁がまばゆい光を放つ。
 勿論それもただの照明装置だが、松明やランタンしか知らないチャミ達はその謎の光源にも驚きを見せるが、やはりシルバだけはそれらの全てに何故か見覚えがあり、全く気にも留めなかった。
 下り階段を進んでゆき、大きな扉の前に立ったヴォイドが扉横の小さな機械を操作すると、扉はひとりでに開いてその先にある村の様子を拝ませてくれる。
 そこは確かに地面から階段を下りていった先にある地下であるはずだが、上を見上げれば何故か空が見え、地かとは思えないほど広い広い空間の端の方にシルバ達が辿り着いたことが分かる。

「……どうなってるの?」
「地下なのに地上に出てきたような……何でしょう、混乱してきました」
「天井はサーモパネルとパノラマモニターで外の景色を疑似的に映し出している。この地下街は全体をチタン合金の柱が支えているから多少地震が来たぐらいではびくともしない。植物等も培養プラントがあり、そこで自給自足できるようになっている。ここは完全に外界と隔たれた夢の跡地だ」
「夢の……跡地……。確かに私達では想像もつかないような世界だったようね……」
「すげー!!」

 扉を出てすぐの所にある昇降機に乗り、見下ろしていた景色の端の方へと降りてゆく間にヴォイドが町について軽く説明してくれた。
 この地下都市は元々造られていた物ではなく、ヴォイドとゲノセクトとの戦いにより崩壊した都市のパーツを元にして作られた崩壊後の町である。
 この町が形成された場所は特に自然も大きな打撃を受け、大穴が開いていたことを利用してヴォイドがほぼ一人で加工、修復を行ってから設計したものとなる。
 というのもヴォイド以外の科学者はほぼ生き残っておらず、皮肉にも研究者でありながら研究対象として見られていたヴォイドは施設の奥深くで管理されていたこともあり、襲撃の被害を最も受けなかった。
 そのため、この町で生きるポケモン達は使われている技術の殆どに対して無知であり、ヴォイドがそれらの技術を自然の恩恵であったり、神の叡智であったりといった曖昧な表現を用いて浸透させたことにより、誰もあまり疑問を持たないようになっている。

「無論、個々の技術は全て過去の大災厄を巻き起こした時の都市と同じ技術が用いられている。だからこそ彼ら市民達には無知であってもらわなければならない。そして逆に知っている者は私に協力してもらえなければ、この平和は崩壊するだろう」
「なんで隠すんだ? それこそみんながきっちり使えるようにしてやればその壊れちゃった都市を超えた都市だって造れるだろ!」
「誰もがそれを望めばな。残念ながら得てして頭の良い者は余計なことまで考える。単純な知識欲や論理的思考に従って動くわけではなく、個人の利益や騙し合いが生じれば、この世界も容易に前の世界を辿ることとなる」
「だから! それだけ頭が良いならそうならないようにすればいいじゃん!」
「知恵と欲求は必ずしも対等ではない。純粋な発展を望む者がいれば、それと同じく純粋な利益を望む者もいる。これは謂わば性悪説だ。常識の枠を都合良く捉えた者達による改悪が始まり、それに異を唱える者が現れ、また世界は混沌とする。現にそうなり始めている」

 ヤブキの純粋な質問に対してヴォイドは半分諦めた表情で語ってゆく。
 この町が形成されてから数年、既にヴォイドが流布した地下世界の神話にも異を唱える者が現れ始め、外の世界を望む者が現れ始めた。
 それ自体に問題があるわけではないのだが、彼等が純粋な知識欲で外の世界へ出ていけば、待っているのはその機械技術に目が眩んだ欲に塗れた者達による洗礼である。
 それだけで済むならまだいいが、知恵のある悪に彼等が利用されれば、この地下世界の全てを彼等が掌握しかねない。
 だからこそヴォイドはこの世界と外の世界を完全に隔て、ヴォイドの望む"楽園"を作り上げようとしていた。
 しかし誰もがヴォイドの意思に従うわけではない。
 ヤブキのように、二度と同じ過ちを犯さないように手を取り合えばいいと望む者達も居るにはいたが、ヴォイドはその考えを否定し、異端者として扱われるように振る舞うことでしか彼等を止めることが出来なかった。

「だったら尚更隠す意味がないじゃない! このままじゃまた内乱が起きるわよ!」
「そんなことは私も分かっている。だが、これ以上の方法を私では思い付くことが出来ない。そこでシルバ、君を招き入れたという所だ」
「つまり、困った時の他人頼みか」
「身勝手だということは百も承知だ。だが聞く限り機械技術を知り、且つこの島の者達とは違った視点で見る事の出来る君でなければ解決策は得られないだろう」
「解決策ならさっきから出ているだろう?」
「いつだ? 君はあまり喋っていないように感じるが……」
「俺じゃない。ヤブキやチャミだ」

 ヴォイドがシルバ達を村まで連れて来た理由はチャミ達に何かを感じたからではなく、単にシルバの名声を聞いてのものだった。
 そのため始めから当てにしているのはシルバただ一人であり、他のチャミやアカラ達についてはおまけ程度にしか考えていなかっただろう。
 だからこそあっけらかんと言い放つシルバの言葉にヴォイドは、思わず怒りの表情を浮かべていた。

「馬鹿にしているのか! 君には私など足元にも及ばない力がある! その力ならばこの窮地を乗り越えるぐらい容易いだろう?」
「残念ながら俺は慈善事業の為に島々を巡っているわけではない。虫の島を救ったのも成り行きだし、言ってしまえば今ここであんた達を助けるメリットが俺にはない」
「所詮は貴様も個人の利の為に動くということか!」
「あんたもな。俺が救いたいのは世界であって、あんたの理想じゃない。頼るのは勝手だが俺を当てにするんじゃない」
「ちょ、ちょっとシルバ! そんな言い方しなくても……」
「私の理想などではない! この島の、ひいてはこの世界の全てのポケモンが望んでいる理想そのものではないか!? 何のために争う必要がある? 知識があれば争いなど起こす必要がない! 餓えることもない! 誰もが明日を夢見て眠ることが出来る世界に必要なのは幻想だ! 優しい嘘が必要なのだ!」
「今あんたが言ったじゃないか。『嘘を吐いている』と。正しいと思っていない事をしている奴に付いて行こうとする奴はいない。お前が何に縛られているかは知らんが、その妄信の為に他人を巻き込むな」

 シルバの言葉が言い切るのが早いか、シルバの身体は淡く青色に発光したかと思うとふわりと宙に浮き、四肢をピンと伸ばしきる。

「訂正しろ! 私は間違ってなどいない! これが幸せなのだ!」
「あんたのな……! 誰もが幸せなのかは直に村人に聞けばすぐにでも分かる事だ!」

 ヴォイドの放ったサイコキネシスによりシルバの身体は宙に拘束され、苦しそうな声を上げながらも声を荒げるヴォイドには決して屈しない。
 尚もヴォイドは放つサイコキネシスの力を強めているのか、ミシミシと体の軋む音さえも聞こえてくるほど念の力を込めてゆく。

「シルバ! ヴォイド! もうこんなことやめてよ!」
「アカラ……! 大丈夫だ。黙って見ていろ」

 見かねたアカラが二人の間に割り込んで言葉を投げかけたが、その言葉に応えたのは意外にもシルバだった。
 尚も念力を強めてゆくヴォイドに対してシルバは成す術も無く耐えるしかなかったが、それでもシルバは決して屈せずヴォイドの目を見つめ続ける。

「理屈じゃない……! 理解しろ! お前の理想は只の恐怖心だ!」

 シルバが言葉を放った途端、シルバを縛っていた念力がフッと消え、地面に落ちる寸前でまた淡く発光し、今度は優しくその体を浮かび上がらせてから地面へと下ろした。

「分かっている。全て理解している。だからこそ必要なのは前へと進む気持ちなのだ。すまないシルバ。手荒な真似までして君を試させてもらった」
「試したのか? 随分と本気に見えたが」
「私の本音でもある。幻想こそが救いだ。それ以上を私は思い付くことが出来ない。もう私では力不足なのだ。すまない。シルバ、そしてその仲間達よ。身勝手を承知で改めて頼みたい。この島の、この町の者達の行く末を照らしてほしい」

 ヴォイドの顔は先程までとは打って変わり、異様なまでの疲れを浮かべた表情で項垂れるように頭を下げた。
 それこそがヴォイドの本音であり、包み隠していないヴォイドの現状である。

11:生きるという事 


 ヴォイドのその表情と心の底からの依頼を聞き、シルバとしても断れなかったのか、結局ヴォイドの依頼を聞き入れることとなった。
 その後はヴォイドはすぐにシルバ達と別れ、『本来やらなければならないことがある』と言い残して先に町へと戻っていった。
 シルバとしてはただヴォイドを救う報酬として、神に縁のある場所を教えてもらえれば十分救う理由になったのだが、肝心のヴォイドすらその場所を知らないため、町の人々に頼る他ない。
 チャミの流したシルバの物語のおかげでスムーズにここまで来ることは出来たものの、逆にシルバの旅にとって不必要な島の問題を解決する必要が出来てしまったのはシルバとしては想定外だ。
 そのためシルバはやれやれといった感じで一つ短く息を吐き、首を横に振った。



 第十一話 生きるという事



 町へと続く道はほぼただの剥き出しの岩ばかりで、とてもではないがまともに歩けるような道ではない。
 恐らくは島民が昇降機を利用して外へ出ないようにすることが目的で、普段利用するのも恐らくヴォイドだけであるため、念力を用いて空を飛べる彼にとってはあまり関係の無い事だ。
 シルバはいつも通り皆を髪束の中へ入れて岩場を移動していたが、この岩場での移動はシルバにしては珍しくかなり慎重に行っていた。
 というのも岩が見た目以上に脆く、更に何処もかなり尖っているため、この土地に慣れていないシルバでは足場の見極めが難しいからだ。
 シルバもヴォイドのように空を飛べれば楽だが、残念ながら実体の無い念力を幻影の力で再現することは出来ない。
 そうして岩場に四苦八苦しながら進んでゆくこと数十分、ようやく町の端の方に辿り着いた。
 町の中は今まで歩いていた岩場や地上の荒れ地とは打って変わり、街道も非常に整備された奇麗な道となっている。
 それどころか街道の路面は舗装されており、道の両端には植物が、道の真ん中には道全体を照らせるような照明装置が等間隔に並んでいるという正に現代文明の街道そのものが広がっていた。
 とはいえそんな光景に見覚えがあるのはシルバだけであり、他の皆は目に映る光景の全てに目を奪われ、一歩進んでは止まるといった調子でしか進むことが出来ない。

「あんた達何やってんの? ここらじゃ見ない顔だけど、何処の区画から来たの?」

 きょろきょろと周囲を見回す集団というものは当然ながら目を引く。
 ふと気が付くとシルバの足元辺りからそんな声が聞こえ、シルバがそこへ視線を落とすと一人のダンゴロが不思議そうにシルバの方を見上げているように思えた。
 無機物にほど近いダンゴロには表情は無いはずなのだが、そのダンゴロの声と仕草を見ていれば何となくそんな気がする、程度には感情を読み取ることが出来る。

「区画って? 僕達、あんまりこの辺りの事について詳しくないんだ」
「おっ、兄ちゃんも初めて見るポケモンだ」
「違うよ! 僕はアカラ、女の子!」
「え~。じゃあなんで僕なのさ。そういう規則のある区画から来たの?」
「え~っと……。説明が難しいなぁ」

 アカラとそのダンゴロが話し始めたが、お互いにお互いの常識で話しているため全くもって会話が通じない。
 念のためシルバ達は外の事については喋らないようにしていたこともあり、アカラはそれを守っていたため言葉を選びながら話していると案外何も話すことが出来なくなってしまう。

「実はその辺りもあまり覚えていないんだ。君はこの区画の住人なのか?」
「ありゃ? 記憶喪失? だとすると大変だなー。俺はアインっていうんだ。自分の名前とかは覚えてるか?」
「シルバだ。それ以外はあんまり詳しくは覚えていない」
「おー。名前を覚えてるならじいちゃんに聞けば何か分かるかもな。付いて来てくれ」

 困っている様子のアカラを少し後ろに下げ、シルバがアインと名乗ったそのダンゴロの間に割って入り、話すことにした。
 シルバ自身、かなり記憶は戻っている方だったが、初めの頃の記憶がほとんどない頃を思い出しながら、久し振りに記憶喪失のポケモンの扱いを受けて街道を進んでゆく。
 とてとてと小さな足で歩いてゆくアインに合わせて歩いてゆくと、町と呼ばれるだけはありそこら中にポケモン達が出歩いている。
 一つだけ違うことがあるとすれば、その行き交うポケモン達の中に鎧を着込んだポケモンはおらず、明らかに外からの攻撃を受けた事がないことが窺えることぐらいだろうか。
 ポケモン達もアインのように岩タイプや鋼タイプの無機物のようなポケモンだけかと思えば、サンドやイシズマイのようなポケモンも多く見受けられる。
 そして誰もが楽しそうに話したり遊んだりしており、大人と思われるポケモン達はごく普通に仕事をしている様子で、とてもチャミが聞いていたような様子ではない。
 寧ろヴォイドの言っていた通り、竜の島のポケモン達に襲われる心配も無く、ただ平和に生きているその様子は幸せそのものだった。

「ねぇシルバ。ヴォイドさんはあんな風に言ってたけど、この町の人達は本当に今そんなに鬼気迫った状態なの?」
「実感は湧き難いかもしれないが、彼等にとってはこの景色、この情勢が普通だ。つまり、外で今何が起きているのかを知らない。そんな状態で外を知りたいという者が現れてみろ。一瞬でこの平和は崩壊するぞ」
「えー! じゃあ尚更この人達はそのままの方がいいじゃん!」
「ヴォイドが言った言葉の通りだな。だが同時にヴォイドが言っていた通り、限界を迎えた時が終わりだ。外に世界があると知れば必ず外を目指す者が現れる。そしてヴォイドの話していた感じからして、既に漏れた後だろう。もう隠すことは出来ない段階に近づいている」
「そ、それじゃあ……」
「真実は常に残酷だ。知らない者は自分の理想を真実だと思い描き行動し、そして何故真実が隠されていたのかを知り、絶望する。知識を奪うことは一つの安寧でもある。だがその安寧は虚偽で作られたものである以上、いつか誰かに暴かれる。その時、真実を直視できるような強い者が全員であるとは限らない……ということだ。だからこそヴォイドはあそこまで疲れ果てていたのだろう」

 アカラとシルバはそんな会話を周りに聞こえないように小声で話す。
 シルバは既にヴォイドの思いや考えを理解していたが、かと言って彼の望む答えを導き出せるような自信も無いため、敢えて口にしていなかった。
 アインの後をついてゆくこと数分、これまでにシルバ達が見てきた町や村の建物とは明らかに違う奇麗な長方形の建物の一つへと入ってゆく。
 石造りでも土壁でもないその見事な建物にチャミ達は思わず感嘆の声を漏らしていたが、あまり見とれていれば記憶喪失だと言っても怪しまれるため、すぐにアインの後に続いてエレベーターへと乗り込む。

「じーちゃんただいま! それとじーちゃんの力を貸してほしいんだ!」
「おやおやお帰り。儂の力なんぞたかが知れとるよ」

 アインに連れられて部屋の中へと入ってゆくと、そこにはアインとは相対的に巨体をのそのそと動かしながらアイン達を出迎えるギガイアスの姿があった。
 なんでもそのギガイアスはゲノセクトとヴォイドの戦いによる災害を生き延びた、数少ない実体験者だという。
 全員がギガイアスの待つ部屋へと通され、彼の前に横並びに座ると様々な話を聞かせてもらった。
 この島の昔のことであったり、彼等の住む第三区画のことであったり、指導者であるヴォイドのことであったり……。
 彼の知る限りのこの島は、緑も豊かな土地で、沢山の鉱石資源とそれらの有効な使い方を思い付く事の出来る科学者に恵まれた国だったのだという。
 初めは都市開発から行われ、どんなポケモンであっても不自由なく暮らすことのできる真の平等を目指して開発が進んでいった。
 多くのポケモンが住んでいた岩の島は自然とポケモン達の住む場所を切り分け、どちらも生きやすい世界を作るために高くより多くのポケモンが一か所に住むことが出来る高く複数の部屋で構成された塔のような家を作り上げた。
 そうして一つの場所に多くのポケモンが住むことで生まれた食糧問題などを解決するべく、彼も身を置いていた初の科学研究機関が生まれたのだという。

「というかさらっと言ってるけど、アインのおじいちゃんってお幾つなの?」
「さあ。めっちゃ長生きしてるってことしか知らない」

 話している内容が既に数十年近く前であったため、思わずチャミが質問したが、当の本人もあまりよく覚えていないぐらいは生きているらしい。
 話を戻すとその研究機関では、主に生物に関する研究が行われ、今でこそこの島では当たり前となっている科学による培養施設と栽培施設などの施設や技術を作り上げ、食糧問題の解決策を導き出したのだという。
 次に病気や怪我に対する対策を強くするため、薬剤の研究が進められてゆく中、並行して行われていたのが生物の教科培養実験だった。
 病気や怪我に対するアプローチとして試みていたのは薬品の性能向上だけではなく、そもそも怪我をしにくい、病気になりにくい身体を作るという方向からも行われていた。
 所謂遺伝子の改良、その一環として生まれたのがミュウツーであり、まだその当時のミュウツーはヴォイド本人ではなかった。
 最初に生み出されたミュウツーはその後の科学の発展のためにより多くの知識を与えられ、肉体が朽ちる前に次世代へそのミュウツーが得た知識を持ち越すことが出来るのかという研究を行ったらしく、その結果生まれたヴォイドは正しく研究の成功を意味していた。
 より優れた指導者として生まれたヴォイドは、更なる科学の発展のためにより多くの知識を与えられつつ、当時の科学研究の跳躍とも呼べる進歩を目指して研究主任を任されるほどの立場にあった。
 勿論他の科学者達自身も、次世代へ科学力や技術力を引き継ぎ続けていたのだが、ここで一つ大きな食い違いが生まれた。
 次の世代へ託す思想と、自身を永遠に繰り返し、研鑽するという思想だ。

「寿命の短いポケモンほど、自身が生き続けることに強いこだわりを見せた。長く生き過ぎている儂からすれば、一人のポケモンが生き続けた所でいずれは限界が訪れる事など目に見えていたのだがねぇ」

 ここで遺伝子研究は組織を二分するほどの激論を繰り広げることとなり、そして大災厄の引き金となる事件の切欠を生み出してしまうこととなる。
 それは遺伝子研究による情報の引継ぎを、"永遠の命"として町中に噂を広めるといった方法だった。
 その程度のことでは何も起きないと考えていたが、既に色濃く現れ始めていた貧富の差がこの噂に尾ひれを付けてしまった事が最大の原因だろう。
 その尾ひれは言うまでもなく、『富裕層だけが不老不死の技術を独占している』というものだった。
 勿論そんな都合の良い技術はない。
 あくまで知識を引き継ぐことが出来るだけであり、次の世代は次の世代でしかなく、個と言う観点から見ても別の人物である。
 だがそれを説明しても既に噂は一人歩きしており、とてもではないが話し合いでは解決しないようになり、遂には真の平等を目指した島は真っ二つに分かれた戦争を繰り広げ、全滅することとなった。
 何とか生き延びた少数のポケモンと、貧困層で生きていたこともあり、都会から離れた場所で生きていたポケモン達とが集まって、その崩壊した世界の地下にひっそりと新しい世界を作り出して暮らしだしたのが既に十年近く前の事となる。
 ヴォイドはその時から地下世界の指導者として君臨し、技術の隠蔽と知識の封印により、ある意味での理想郷を作り上げることに成功した。

「だが、どんな時代でも天才と呼ばれる者が生まれるように、科学者を志す者も生まれる。その者達がこの世界の違和感に気付き始めてしまった」
「あなたはその全てを知っていて、それで何も言わなかったのよね? それは何故なの?」
「儂もヴォイドと同じじゃ。ただあの悲劇を誰にも体験してもらいたくないだけ。技術を知り得なければ不平も不満も生まれぬ。変わらぬ明日が訪れるだけじゃよ」
「ならもう一つ質問。何故ヴォイドさんと同じ考えを持っていてそれを私達に話したの?」
「それは勿論、ヴォイドに頼まれたからだ。孫はそのことを知らんので君達を連れてきた事は本当に偶然だが、孫もどちらかと言えば真実を知りたがっている方……、つまり、儂ももうこの世界の終わりが訪れているのをひしひしと感じている。だからこそ次の世代に伝えなければならんと感じたまでだ」
「ヴォイドさんと知り合いって、俺のじーちゃんってそんなに凄い人だったんだ」

 チャミが質問したことへの返答ついでにそのギガイアスは言葉を続けて言ったが、聞いている限りヴォイドの知りうる科学者はアインの祖父以外では数人しかいないらしく、全員が同じ考えの元この地下世界を作り上げていったのだという。
 既にヴォイド以外は高齢の為にあまり話すことも外出することも無くなってはいたが、もし訪れたなら全てを教えてほしいと話していたのだという。
 つまりはヴォイドの変えたくないという想いと同じかそれ以上に、変わらなければならないとも本気で考えていたようだ。
 しかしこの地下世界は全てで六区画あり、それらの全てが同じような思想教育の元生きているため、大半の者が無知そのものである。
 故に今すぐにこの地下世界の封印を解き、何も無くなった地上で生きてゆくというのはあまりにも残酷であり、同時に生きて行く事さえままならないだろう。

「多くは語らなかったが、ヴォイドも儂と同じ考えなのだろう」
「同じ……とは?」
「自らの意思で動き、自らの知恵で世界を探り、自らの足で生きて欲しい……。遺伝子技術が完全に失われてしまった今、老人である我々も、年老いたとしても知識を引き継ぐことの出来ぬヴォイドも同じ危機感を感じているのじゃろう。指導者亡き後の世界の危うさを……」

 ヴォイドをよく知るであろうギガイアスはそう語り、静かに窓から外の景色を眺めた。
 そこに移る景色は確かにとても奇麗だが、そこに移る空が本当の空ではないと知っているからなのか、ギガイアスの表情は何処か寂しげに見える。

「ヴォイドも知っている。知識を奪う事の危うさを。そしてその危うさは今正に危機となった。ヴォイドももうこの島のこと以外を知らない。今頼れるのは君達、島の外からやって来た者達だけなのじゃよ」

 ギガイアスとの会話はその言葉を最後にし、伝えることは全て伝えたと言われて家を出ることとなった。
 この島が抱えていた問題はシルバ達が思っていたよりも重く、とてもではないがシルバ一人の力でどうこうできるような問題でもない。
 だからこそシルバは再び頭を抱えることとなる。

「スゲーだろ!?」
「スゲー!! お前達皆島の外から来たのか! スッゲー!!」

 勿論目の前の問題にもだったが、同時に何故か当然のようにシルバ達に付いて来ていたアインの方にも頭を悩ませていた。
 今でこそもうシルバの同行者がいることが当たり前のようになってしまっているが、本来はシルバは一人で旅をするつもりだった。
 そこから考えてみればこれほどの大所帯になること自体意外だったが、もっと意外なのはシルバとチャミ以外は全員が子供だということである。
 アカラやツチカは比較的落ち着きがある方なのであまり問題はないが、問題はこのいつの間にか付いて来ていたようなレベルで行動力はあるが落ち着きの無いヤブキとアインの二人だ。
 当然のように二人は意気投合しており、勝手に何処かへと歩き出そうとしていたため仕方なく二人とも捕まえて髪束の中へと押し込んだが、はっきり言って不安要素以外の何物でもない。

「アイン、ヤブキ。すまないがこの旅は遊びじゃないんだ。はしゃぎたいだけなら自分の家に帰った方がいい」
「んなわけねーじゃん! オレはシルバからものづくりを教えてもらうためについて行くって決めたんだからな! 勿論その代わりにオレの糸で色々な物作るぜ!」
「俺だってこの島以外の技術も知りたいんだ! 今の俺じゃものづくりなんて器用なことできないけど、絶対にじーちゃんを越えるような科学者になってみせるんだ!」
「息巻くのは構わんが連れて行ってほしいなら大人しくすることだ。それが守れないと流石に俺も敵から守りきれない」
「敵? 敵ってなんだ? なんか邪魔してくる奴等がいるのか?」
「ん? ああ、そういえばこっちの事情は話してなかったな。そうだな……それを聞いてから決めても遅くはないだろう」

 シルバとしてはやんちゃなヤブキとアインに諦めてもらうために、少し話を盛って脅し半分で話してみせた。
 しかし特に効果はないどころか、寧ろ二人に決心させてしまったようだ。
 大抵の場合物事は自分が思っているように上手くはいかないものだが、同時に自分の思ってもいない所で幸運が舞い降りることもある。

「つまりシルバ達はその昔神様がいたっぽい場所を探してるってことだよな? それって多分、この島なら『フォトンセルリアクター』って呼ばれてた場所の事じゃないかな?」
「心当たりがあるのか!?」
「うん。昔じーちゃんが話してたことがあるんだけど、エネルギー問題がまだ解決してなかった時、当時"大地の眠る炉"って呼ばれてた場所から大地のエネルギーを熱エネルギーや電気エネルギーに変換して借りてたんだって。エネルギー問題が解決するまではその場所で神様に感謝しつつエネルギーを変換して莫大なエネルギーを得てたから、いつしか『フォトンセルリアクター』って呼び変えるようになってて、戦争が起きる前までは必ず何かの恩恵を受ける時はそこに祈るように習慣が残ってたって言ってた」
「あの爺さん何でそんな重要な事を伝え忘れてるんだ!」
「最近全くその話をしなくなったから忘れちゃったんじゃないかなぁ」
「……まあいい、アインが覚えていてくれたおかげで糸口は見えた。つまりその"大地の眠る炉"に向かえばいいんだな」
「でもちょっと待ってよ! 名前が分かっただけで何処にあるのかも分からないのよ? どうやって探すのよ」
「そこについては心配するな。今回は俺がその場所を知ってる。名前さえ分かればそこまで辿り着くこともできるさ」

 アインが昔祖父から聞かされていたエネルギー問題の話を覚えていてくれたおかげで、思いがけない所で神の居るであろう場所の名前が分かった。
 まだこの島の地上が都市として発展していた時は、その場所は『フォトンセルリアクター』と呼ばれており、既に利用する者は居なくなりはしたものの場所自体は感謝の意味も込めて残っていた。
 それは同時にシルバの中にある滅びる前の岩の島の記憶から探ることが出来るため、楽にとはいかないが辿り着くことも可能だろう。
 ようやくこの島での目的地も分かり、まだ片付けねばならない問題は残しつつも第一目的である石板の欠片の入手を優先することにした。
 地下都市の出入り口から記憶を辿るために瓦礫の山まで戻り、そこから記憶を頼りに『フォトンセルリアクター』があった場所を目指す。
 剥がれた路面を乗り越え、崩れたビルを飛び越し、遮る物の無い陽射しと砂嵐のような風を受けながら歩いてゆくこと数時間。

「ここだ。記憶が間違っていないならここにその入り口を囲っていた建物があったはずだ」
「入り口を囲っていた建物? どういうこと?」
「『フォトンセルリアクター』はその建物自体の名前だ。記憶の中では既に利用されてはいなかったが元々は多くの電力を賄っていた施設だったらしい。大地の神からその力の源を分けてもらっていた際の祈祷の名残で、多くのポケモンがなにかしらの祈願でよくここを訪れていた。まあ大抵は賭博の願掛けだがな。で、そこで祀られていた御神体ともいえる代物が当時の"大地の眠る炉"からエネルギーを変換・抽出する装置であった『ガイアエキストラクター』。確か説明では地下数十メートルまで伸びているとか書かれていたと思う」
「なんだかもうよく分からないけど、要するに滅茶苦茶深いところまで下りないといけないってこと?」
「そうだな。付いてくるなら髪束の中に入っておいた方がいい」

 辿り着いた小さな瓦礫の山をどかしながら、シルバは記憶の中のその施設に関しての内容を語ってゆく。
 シルバの記憶の中にも既にそれが動いていた時の記憶は無かったが、シルバの記憶から見ても視線よりも高く、直径もシルバよりも幅のあるその『ガイアエキストラクター』はある意味壮観であり、何処かしら神秘性を感じるものでもある。
 一般人はその外景をガラス越しに眺める事しかできないが、使われなくなってから数年以上経っているはずのその装置は威圧感を放っていたことを覚えている。
 そして一枚ずつ持ちやすそうな瓦礫からどかしてゆき、地面が顕わになると、当時の大きさを物語るかのようなとにかく太い鋼鉄製の錆びたパイプが姿を現し、その横に地下へ降りるための階段があったであろう砂が堆積した一角も見つけた。
 ある程度の範囲を確保してから次にその砂を掻き出してゆくが、流石に数年分堆積した砂の量は凄まじく、手で掻いていたのでは何日あっても終わらないと思えるほどだ。

「ねえシルバ。ここだけならシルバのパワーで吹っ飛ばしちゃダメなの?」
「無茶言うな。鋼鉄を引っぺがした所で周囲の砂が流れてくるだけだし、結局は砂の下に降らなきゃならない以上掘り出すしかないんだよ」
「なら掘り出すための道具とか使ったら? 俺は使えないけどスコップとかあるじゃん」
「スコップ?」
「オレ知ってるよ! こんなの!」

 アカラの突拍子も無い思い付きに対してシルバが苦言を呈していると、以外にもアインとヤブキの二人が良い事を思い付いてくれた。
 砂を掻き出すのであればスコップは非常に使い勝手が良く、ヤブキが糸と葉っぱで作った模型を元にシルバが創造し、それを使って更に掘り進めて行く。
 最初こそ掻き出す程度で良かったが、多少深くなると砂というよりは土になり、スコップでなければ辛い硬さとなる。
 掘り進めてゆく内に土を外へ投げ出すようになったため、シルバ以外の皆は瓦礫が作り出している日陰で休憩することにしたが、土を掘り進めてから数時間、まだゴールは見えていないもののそれ以上は暗くて手元が見えないため、その日は久し振りにその穴の傍で野宿をすることとなった。
 だがそれはシルバがいなければの話。
 シルバの幻影を実体化させる能力があれば、全員が快適に過ごすことのできる小さな宿泊施設を生成することなど造作も無く、食料も十分に揃っているその野宿は到底野宿とは呼べないほど快適なものとなった。
 全員で食事を済ませ、奇麗に体まで洗ってから子供達は眠りに就き、シルバとチャミは二人今後の事について話し合った。

「で、結局のところどうするの?」
「何がだ?」
「とぼけなくても分かってるでしょ? 子供達の事。とてもじゃないけれどこれ以上増えればただ島を渡るだけでも一苦労よ?」
「だがついて行きたいと言った。それはアカラもツチカもヤブキもアインも……そして君だってそうだ」
「わ、私は本来はあなた達を利用するつもりだったから……」
「"本来は"と言っている時点でお前も分かっているだろう。皆この旅には色々な思いがある。諦めるまでは俺はただあいつらを守ってやりたいし、決めるのなら自分の意思で決めて欲しい」
「そんな無責任な……」
「無責任じゃないさ。子供は右も左も分からない。だからこそどんなことでも知りたいと思うし、何処まででも行けると思う。実際に何処まででもあいつらは付いて来れている。ならあいつらが道を間違わないように、度を越えた危険を冒さないようにしてやることが俺の責任で、危険が迫れば身を挺して護るのが俺の覚悟だ。……まあ、逆に言えば俺は未だあいつらを笑わせてやれているのか分からない。それができるのはやはりチャミ、お前だけなんだ」
「子供達は笑顔よ。でも子供達も私も思っているのは、自分達が笑顔でいたいということじゃないの。あなたに笑っていて欲しいの。今はまだできないかもしれない。でも、この旅を終えるまでの間には必ずそれができるようになっているはず。だからあなたが心の底から笑ってくれるのを見るのが今の私の目標で、それが見れたら……今度はみんなであなたの旅の終わりを見届けたい。多分、みんなそうやってあなたに惹かれて集まったのよ」
「なんだ、説教じゃないのか?」
「確認したかっただけ。あなたも子供達も少しずつ良くなっていってるって……」

 そう言ってチャミとシルバは微笑む。
 問答のように見せかけたただの思いの再確認は、決してシルバのためのものではなかった。
 チャミ自身、虫の島での一件を経てこの旅に賭ける想いが変わっていることを思い知っていたからだ。
 初めは命令の為に、今は恩返しのつもりでいたが、既にチャミの中にはシルバへの恋心が芽生えていた。
 子供達や世界の命運のような複雑な事情が無ければすぐにでも打ち明けたかったが、今チャミがそれを打ち明けてもただ迷惑になるだけだと彼女は判断していた。
 チャミにとってのシルバは恋心を抱く相手であっても、シルバにとってのチャミは良き旅の同行者でしかない。
 それに記憶も感情もまだ曖昧なシルバに対してチャミの心情を打ち明けるのは些か卑怯なようにも感じていた所もある。
 だからこそその会話を最後に二人も眠りに就いたが、チャミは心の中で誓った。
 『この旅を終えたら想いを伝えよう』と……。




 翌朝、朝食を済ませてからシルバは皆を残して一人"大地の眠る炉"への入り口に戻った。
 かなりの重労働であるこの作業は子供達では手伝うことは出来ないため、ただ一人黙々と作業を続ける。
 数年分の堆積を切り崩してゆくのは如何にシルバでも骨の折れる作業だったが、その日の昼にはようやく埋めていた土の終わりが見えた。
 大きな瓦礫が階段を塞ぐように落ちており、その上に砂が乗り、雨で固まった事でそれ以降はあまり深く堆積してはいないようだった、がそれでもシルバが掘っただけで十メートルには届きそうなほどの深い穴となっている。
 残りの大きな土の塊を全てスコップで外へ放り出し、最後にその塞いでいる瓦礫を取り除くことでようやくこの島の神の座す場所への道が開通した。
 開通の知らせをチャミ達に伝え、建てていた家を消滅させてから今度は全員シルバの髪束の中へと納まり、"大地の眠る炉"へと下ってゆく。
 十メートルを超えた辺りで既に周囲の視界は非常に悪かったが、折り返し式の階段が続くその道はほぼ一定の道となっているためあまり問題自体はない。
 そう思っていた次の瞬間、踏んだ先の段がバキンッと大きな音を上げて砕け、思わず足を踏み外しそうになった。

「腐食しているのか。まあ当たり前か」
「シルバ! 今凄い音がしたけど大丈夫なの?」
「ああ、とりあえず問題はない。だがこのまま視界が悪い中、いつ抜けるかも分からない階段を下りていくのは危険だな」

 手摺に掴まり、事無きを得たものの、髪の中からアカラの心配そうな声が聞こえてきた。
 視界は既にほぼ暗闇となっており、狭い空間であるため酸素も希薄となってきている。
 やはりかなりの危険を伴うため、一度引き返してチャミや子供達を地上に置いてこようかと引き返そうとした時に別の声が紙の中から聞こえてきた。

「ならライトを使えばいいんじゃないか? それに滅茶苦茶深いんだろ? 多分酸素ボンベも無いとキツイと思うぞ」
「ライトに酸素ボンベか。確かにその通りだな。ありがとうアイン」
「すみません。先程からさらっと言ってますが、そのライトとか酸素ボンベってどういう物なんですか?」

 アインの言葉で、シルバは全員分の酸素ボンベと頭に装着することのできるバンド式のライトを生成した。
 勿論ツチカがシルバやアインに聞いたように他の者達はその名称が何を指しているのかを知らない。
 しかし普段の生活で使っているアインと、記憶の中でそれを知っているシルバは納得したように言葉を交わす。
 どんな暗い場所や物によっては水中でも一定の光を灯すことが出来る照明装置と説明すると、以外にもツチカとヤブキが少々興奮気味にその言葉に食いついてきた。
 同様に酸素をボンベ内に蓄えておき、酸素の薄い場所や水中でも活動することが可能になる装置だと説明しても非常に興味を持ったようだ。
 しっかりとした明かりも手に入れ、心配事が無くなったこともあり、シルバ達は少しだけ楽しそうに雑談をしながら階段を下っていく。
 既に光すら届かないほどの暗闇の中、その恐怖を少しでも紛らわすために話していたが、皆が何故シルバの旅に同行したいと言っていたのかの真意を聞くことが出来た。
 アカラは最初こそシルバの補助役として旅に付いて来ていたが、今ではチャミと同じく単純にこの旅の行く末を見てみたいという気持ちが大きくなっていた。
 そもそも既にシルバから危うさが失われつつあるため、彼女の懸念はもう無いようなものだ。
 ツチカは前も今も変わらず、世界を巡るシルバに同行することで見聞を広めることが目的だと語る。
 今は同様に沢山世界を巡っているチャミにも憧れを抱いており、既にジャーナリストとしてのいろはを学ばせてもらっているらしい。
 ヤブキは相変わらずシルバにものづくりの極意を教えてほしくてたまらないらしい。
 種族柄というよりはヤブキの性格によるものが大きいが、彼の夢はいつかこの島での話として聞いた天まで聳え立つような建物を作り、ゆりかご園のみんなと一緒に暮らすことだと嬉しそうに語る。
 子供らしくもあり、そして彼の生い立ちや一緒に暮らした家族達を思うヤブキの優しさが垣間見える。
 アインはまだ出会って間もないが、元々祖父から時折聞かされていた研究や過去の機械都市の話、そしてそれが原因で起きた悲劇を聞いていたため、目指すのは今度こそ崩壊の無い平等な世界を作るための技術を取り戻したいとのことだった。
 その点では既にものづくりに興味のあるヤブキや、博識なツチカと共感しあうものがあるのか仲良くなりつつあった。
 既に皆旅の中で大なり小なり目的を見つけており、そのための機会としてシルバの旅を利用してくれるならそれはそれで嬉しく、思わず彼の頬も緩んだ。
 そうしている内に光も届かないはずの暗闇の底からかシルバの明かりとは違う、緩やかな速度で明滅を繰り返す明かりが見えてきた。

「ここか?」
「着いたの?」

 終点と思われる辺りは流れ込んだ土砂で埋まった階段や若干の崩落の跡はあるものの、かなり広い空間が広がっているらしくほぼ眼前だけを明るく照らしていた光は遠くの岩壁を輝かせている。
 土砂がシルバ達を支えられるだけしっかりしていることを確認してから空間の中央、光る物体へと進んでゆく。

『やあ、ここまで誰かがやって来たのは何時振りだろう』
「あんたがこの島の護り神か?」
『正確には違うよ。私は大地の監視者、この世界を散り散りに見守っている沢山の目のようなものだ。その本体がここにあるというだけ』

 何処からか響いてきた声はシルバの声に反応するように言葉を返し、そして暗かった周囲の岩壁がその明滅する明かりのように薄緑色に光り輝き始める。
 あちらこちらが輝いては消え、あっという間にその空間の全てを映し出すまでになっていた。

「改めてようこそ。地の底、私の元へ。シルバとその可愛らしい御一行の皆さん」

 明滅していた光は柔らかな光へと変わり、シルバ達に語り掛けてきた。
 その光は今までの伝説のポケモン達とは違い、非常に小さくヤブキと似た見た目をしているようにも感じる。

「あんたに一つ聞きたい。何故、お前達は俺の事を知っている? それと今の俺にあるこの知らない記憶達は一体何なんだ?」
「二つじゃないか。まあいいよ。一つ目は簡単。この旅を終えればその理由は分かる。裏を返せば今は言うことが出来ない。二つ目は心外だなぁ。どんな記憶なのかは知らないけど、間違いなく君の記憶のはずだよ? 自分の大切な記憶を『知らない』と一蹴するのは流石に記憶を失う前の自分に失礼だろう?」
「だが確かに俺は獣の島の指導者だったとアカラから聞いた。事実その記憶も思い出した。だがそうなるとこの岩の島の記憶や他の記憶が矛盾する。だから聞いているんだ」
「矛盾なんてしないよ。全部いっぺんに経験した、と考えるから訳が分からなくなる。ただ流れ流れて最後には獣の島で皆を率いていたというだけさ」
「……そうか」

 シルバはその光に対して質問をしたが、彼としては満足できる答えが返ってこなかったのかあまり納得したような表情はしていなかった。
 しかし質問への返答の仕方を聞く限りまともに返答する気が感じられなかったため、シルバはそこで質問することを止めた。
 というのももしもその光が言う通り、シルバの記憶の全てが本物であるのだとすればシルバは岩の島が崩壊する以前である十年以上前の記憶もあり、いつの記憶かも分からない記憶も辿るだけで数年分以上はある。
 大抵印象的ではない記憶を忘れたり、まだ失っているだけなのだと考えても既に三、四十年以上生きていなければいけない計算になるが、シルバの身体能力は非常に高く、間違いなくそれほどまでに高齢になっているとは思えない。
 記憶が戻ってきたこともあり、シルバは自分のその特異さにも気が付き始めていた。
 あまりにも周囲のポケモン達と違い過ぎる。
 島で見たゾロアークの中にシルバと同じ力を使える者はおらず、同様に風のように走るような身体能力を持つ者もいない。
 はっきりと答えてはくれない伝説のポケモン達に頼っても答えてもらえるとは思っていなかったが、案の定という感じで少しだけシルバは表情を曇らせた。

「まあとりあえず君がここへ来た目的は終えようか。石板とそれに封じられた記憶を受け取ってくれ」
「……ああ」

 軽い調子で光は話すが、シルバはその石板を目にして少しだけ胸が締め付けられるように痛むのを感じた。
 痛みの正体は理解できていないが、それは恐らく不安であることをシルバは何となく感じ取っていた。
 笑うことが出来る記憶であれば何の問題も無いが、未だシルバには怒りや悲しみ、憎しみといった記憶と感情が蘇っていない。

『もしも怒りだったら? 怒りに我を忘れない自信があるのか?』

 大切な感情の一つであるはずなのに、自我がしっかりと呼び戻され始めてからはその感情を手にすることが恐ろしくもなりつつあった。
 だが迷っている暇はない。
 来た以上、石板を手に入れないという選択肢は無く、いずれは全ての感情を取り戻す必要がある。
 覚悟を決めるように一つ深く息を吐き、宙でうっすらと光を放つ石板に触れた。



――もう見慣れた白く何処までも続くような空間を少し歩いては右へ、少し歩いては左へと踵を返してその場を往復する。
 別に何処かへ向かっているわけでもなく、何かの儀式でもなく、ただただ沸き上がる感情のエネルギーを発散させているだけだ。

「何故なのですか!? 貴方方ほどの優れた者はおりません! 何故そんな貴方方がこの程度の事で不安を抱く必要があるのです!?」
「そう怒るな。我々はお前の言う通り優れているのかもしれぬ。だが、全ての者がそうではない。だからこそ綻びを恐れるのだ……」
「だからただ待てと言うのですか? そんなことの為に対等であることを受け入れたわけではありません。弱いからこそ、補い合うからこそ素晴らしいのだと評したではありませんか!?」

 響くその自分の声は明らかに走っており、それほどの声量を持つ必要がないこともよく分かっている。
 だが口に出さずにはいられなかった。
 完璧ではない世界を愛したからこそ、私は導き、導かれる者になったのだ。と……。



 白んでいた視界とも記憶ともいえる景色が消え、元の薄緑色の光に包まれた空間が広がっていることを確認し、シルバは天井を見上げるしかなかった。
 覚悟はしていたものの、恐らく今回取り戻した記憶と感情は間違いなくシルバが予想していた最悪の結果だろう。
 これまでの傾向から記憶の蘇り方には法則がある事に気が付いていた。
 他者の為に身を捧げる覚悟をする記憶を手に入れ、アカラ達を気遣うようになり、途方も無い苦しみを受け入れることで胸の痛みを思い出し、日々という変わる事のない些細な出来事に安らぎを見出すことでシルバの張り詰めていた表情は解けた。
 ならば今回の記憶は間違いなく『怒り』のそれであり、今まではしなかった思い出したであろうその白い記憶以外の記憶を呼び覚ましてゆく。
 そうして思い出した記憶の中にあったのは、獣の島での戦いの記憶や岩の島の崩壊の日の記憶……。
 つまり全ての記憶は取り戻した感情に付随するのだということを否応無しに理解した。

「何故……よりにもよって……」
「全ての物事に意味はある。怒りは不要な感情などではないよ。戒めを伴わない優しさは只の放任、甘やかしさ」
「だが"これ"だけを受け取って何の意味がある!? 俺は只の戦うための道具か!? 敵を討ち滅ぼす化物か!? 違う! 俺は……俺は少なくともアカラ達を導く指導者でなければならないんだ!」
「そう思えるのなら乗り越えてみせるべきだ。偉大なる指導者はその背中を見せるだけでも他者に影響を与えられる。必要なのはそういう存在だ。私は監視者だ。協力者ではない。その程度で"鍵"を手に入れられなくなるのならば、向かう世界の果ては君の望まない終焉だよ」

 シルバは胸の痛みを押さえながら叫ぶように光に言い放った。
 沸き上がる感情は怒りではない事はその痛みが教えてくれるが、思った感情は未だ持っていない。
 その光が言う言葉の意味もシルバには理解できるが、今はただシルバにはその真意に辿り着ける自身が無かった。

「泣いても笑っても旅はまだ続く……。ああ、まだどちらもできないんだったね。だが君には泣き言を言う暇はない。どれほどの時間を掛けても構わないこの旅は、それであっても君が挫折することだけは許さない。覚悟を決めるんだ」

 その光が最後にそう話したかと思うと、空間の壁で明滅していた薄緑の輝きが全て眩く光り輝き、次に目を開けた時には太陽の光が降り注ぐ入り口付近の地上に戻っていた。
 夢のような出来事が次々と起きたが、今回はシルバ以外の全員もその光景を目の当たりにしていた。
 そしてシルバが膝から崩れるようにその場に座り込んだところも……。

「シルバ……」
「大丈夫よ! 私達がいる。あなたが不安になった時は私達を頼りなさい! 力は無くてもあなたが笑い返してくれるまで幾らでもあなたのために笑って……あげ……」

 アカラが不安そうな表情を浮かべてシルバを見つめる中、チャミは真っ先にシルバの元へと近寄り、そう言葉を投げかけてあげた。
 だがその言葉が最後まで言い切られることは無かった。

「待ってタぜ……! この瞬間をナ……!」

 誰かの声が聞こえ、シルバも我に返る。
 その声はシルバにも聞き覚えがあった。
 だがその声の主よりも、美しい緑の身体を赤で染めながら目の前で地に倒れ伏すチャミの姿の方がシルバには鮮烈に映った。

12:覚悟 


 胸元を抉り取られたのか、チャミは鮮血を流しながらただ力無くその場に横たわっていた。
 その様子を見てもシルバには一体何が起こったのか、瞬時に理解することが出来なかった。
 否、理解することを拒否していたのだろう。

「久シ振りだな……シルバ! そして……今日でサよならだ」
「レイド……レイドォォォオ!!」



 第十二話 覚悟



 そこに立っていたのは間違いなくレイドだった。
 だがその表情は何時かのアギトのように狂気に満ちた歪んだ笑顔を浮かべており、正気ではないのが一目で分かる。
 何故レイドがチャミを攻撃したのか、何故アギトと同じ狂気を見せているのか、何故一度は同じ目的の為に戦った者同士が再び敵として戦っているのか……。
 疑問は山ほど浮かび上がったが、その全ては怒りという炎で一瞬で燃え尽きた。
 立ち上がる勢いに乗せてシルバは爪を揃えた手刀を振り抜いたが、それをレイドは紙一重で躱して逆にシルバにもチャミの胸元を抉り取ったであろう鋭い爪の一撃を繰り出す。
 互いの一撃は寸前のところで躱したのか、初撃を振るった直後に間髪入れず、お互いに振り抜いた腕を反転させて相手の喉元めがけて振り抜いた。
 大きく体を反らすように躱し、大きく距離を空けて改めて二人は構え直すと、躱したはずの攻撃は風圧のみで切り裂いていたのか、互いの腕と首元を鮮血で滲ませた。

「凄い表情だなァシルバ。普段の俺なラ恐怖で竦み上がりソうだ……。だが今ハ違う! 恐怖どこロか今ならお前にすら勝テそうだと感じるホどだ!」
「殺す。そうでなければこの感情は収まらない。だから殺す。必ず。お前は」

 血走り正気を感じさせない瞳と怒りのあまりに感情が消え失せた瞳は睨み合い、一瞬シルバの姿が消えたかと思うと同時にレイドの姿も大きく崩れ、爪と爪とがぶつかっているとは思えないほど鋭い音を響かせる。
 速度だけならばシルバとレイドは完全に互角であり、レイドはシルバの本気の手刀を全て躱しながら同時に反撃の爪を差し込んでゆく。
 当たりはしなくともその規格外の戦闘はお互いの身体に少しずつダメージを刻み込んでゆき、そしてその傷から流れ出した血が振るう腕を伝って周囲の地面を少しずつ赤で染め上げる。
 しかしそんな戦闘も長くは続かず、レイドの方が先に息を切らし始めた。

「流石に……勝てそうダと感じるだけだ……な。元々ある差ガ埋まるわけではなイ……。そう考えるなら……確かニこいつはまだ実用的じゃあ……ないな」
「殺したのか? 実験のために。そんな下らないものの為に!」
「俺ノ目的は違う。例えあんたを裏切ろうと、俺にモ守らなきゃならないものがある。そのたメに試験薬の被験者、裏切り者の抹殺、そしテ石板の奪取……全部俺が引き受けた。タだそれだけだ」
「石板だけが狙いじゃないのか? もしアカラ達に触れでもしてみろ。塵にしてやる」
「残念ながらそレほど正気を失えちゃあいない……。俺だってドラゴとその家族を守りタいだけだ。だがもう生贄無しで許サれるレベルは越えちまったんだよ……。許せとは言わない。だがもう血ニ染める手は俺だけで十分だと言ってイるだけだ。お前の手はまだ誰かを守るタめに振るってくれ……。屑野郎からノ……最後の頼みだ」
「何故だ……。まだ他に方法が……!」
「遅すぎるんダよ! それじゃあもっト沢山の犠牲が出ちまう! 俺だってこんな結末は嫌さ! それでもコれ以上の選択は無いんだ……。分かったら石板を寄こセ……もうそろそろ目が霞んデきた……」
「……受け取れ」

 怒りとも後悔とも取れる表情を浮かべながら、シルバはたった今手に入れた石板をレイドに投げ渡した。
 レイドはその石板を受け取ると、すぐさま身を翻してよろよろと飛ぶための体勢を整える。
 既にレイドは体力の限界をとうの昔に越えていたため、まともな状態ならば飛ぶことも叶わなかっただろう。
 だが痛みや理性を抑える薬の効果で無理矢理身体を動かし、なんとかその場を飛び去って行った。
 その場に残されたのはシルバと子供達、そして既に事切れたチャミだけとなる。
 シルバは彼方へ小さくなってゆくレイドの姿を目を細めながら見ていたが、レイドの様子を見る限り、もう一度会えることはないだろうと悟り、自らの手を見つめた。
 返り血と自らの血で薄く汚れたその手を握りしめ、チャミの傍に近寄る。
 赤い海に沈むチャミの目は開いたまま、もう何も見えていない事を物語っている。
 シルバはその体を抱き上げ、そっとその大きく奇麗だった瞳の瞼を閉じ、ただ立ち尽くすしかなかった。
 今も尚ごうごうと音を立てて燃え上がるような怒りが身を焼いていたが、それ以上にアギトが死んだ時と同様の激しい痛みを胸に覚えていた。
 どれほど怒りを覚えようとも、どれほど苦しみに胸を痛めようとも、シルバの瞳からはたった一滴の雫すら溢れない。
 それがなによりシルバ自身の心を苦しめ、そしてこれからの事を考えると、自然と沸き上がっていた感情は全て静まってゆく。

「アカラ、ツチカ、ヤブキ、アイン。悪いが旅はここまでだ」

 レイドが遠く彼方に消えていった空を眺めたまま、シルバはそう告げた。
 苦しさから逃げるためでも怒りを誤魔化すためでもない。
 これ以上は、もう誰も犠牲にしたくなかった。

「嫌だ。僕は最後まで絶対について行く」
「俺ではもう、お前達を守ることは出来ない。チャミを守れなかったように、またお前達を狙われれば、その時こそ俺は……」
「覚悟なんて僕達はとうの昔に出来てるよ! 沢山の人達が死んでいった! だからこの旅を早く終わらせたい気持ちはここにいる皆一緒だよ! でも、今シルバを一人で行かせれば必ずシルバは無茶をする。もう、あんな簡単に人を殺せる人に……戻ってほしくないんだ」

 アカラの言葉は力強かった。
 だがシルバはそれを認めるわけにはいかない。
 もしもアカラ達がこの先もついてくれば、次に狙われるのは間違いなく子供達になる。
 子供達が狙われたのならば、今のシルバではもう歯止めが利かなくなるだろう。

「そのために私達自身が身を守る術を学びます。戦うことだけが全てではないです」
「逃げてどうする? お前達じゃ逃げ続けることは出来ない。いずれ捕まる」
「逃げるだけじゃないだろ! オレ達だって役に立てるんだ! 周りの人達と協力することぐらい訳ないぜ!」
「無理だ。それで守りきれるのならチャミはこうならなかった」
「出来ない理由を探すのは簡単だ。ってじいちゃんが言ってた。俺だって世界を救う旅が楽じゃない事なんて承知の上で行くって言ったんだ。言ったからには必ず役に立って見せるさ」

 続けるように他の子供達も自分なりの覚悟を口にしてゆく。
 どれほどシルバの言葉を聞いても子供達は誰一人として決意を揺らがせない。
 出来る事ならばシルバはもう誰一人として失いたくなかった。
 それはチャミだけではない。
 アギトを殺してしまってからずっと考えていたことだ。
 虫の島で多くの島民を巻き込み、チャミを殺され、そして恐らくレイドも生きていたとしてももう無事ではないだろう。
 敵だとは言いつつも、シルバにとっては殺されるべき存在はいないと考えていたからこそ、この結末を見たくはなかった。
 それならばいっそのこと、一人で旅を続けた方がもっと気が楽だろう。
 シルバ自身もその考えが苦しみからの逃避であることをよく理解していた。
 だがもう、シルバには痛み続ける胸に屈さぬほどの強い心は残っていない。
 心の支えだったチャミを失った事でシルバは心身共にもう立ち上がれなくなっていた。

「この旅の果てに俺の記憶が蘇る。そしてそれが俺の旅の目的で、この世界を救うための旅になる。そう信じて続けてきた。だが得られるのは後悔だけだ。どれだけ進んでも後悔だけが募ってゆく。とてもこの旅が世界を救うとは思えない。なんで俺は……旅をしないといけないんだ?」
「もう、誰もそんな思いをしなくていい世界を取り戻すために。そうでしょ? シルバ。死んでしまった人達が安心できるように、ただ恐怖に怯える日々を過ごしている人達のために、もう一度笑って暮らせる世界を皆で取り戻すためでしょ? 簡単な事だよ」

 シルバの心はもう完全に折れていた。
 消えかかっていた炎は受け入れきれない現実に今にも押し潰され、消えようとしていたはずだった。
 だが、アカラのその言葉は消えかけていた火を再び灯すには十分だった。
 シルバは思いがけない言葉が返ってきた事でアカラの方を見たが、そこにあったアカラの顔はとても子供の顔には見えない。
 覚悟を瞳に宿したその顔は、シルバよりも真っ直ぐで強い力を感じた。
 アカラだけではない。
 ツチカもヤブキも、そして恐らくアインも同じ表情をしていた。

「シルバは覚えてないかもしれないけれど、少し前までは本当にみんなが心の底から笑ってた。そんな世界をシルバが僕達に見せてくれてたんだ。お父さんもお母さんも死んじゃって、お爺ちゃんも死んじゃった時は本当に悲しくてどうしようもなかった。もう誰も助けてくれないんだって諦めてた。その時に僕に、諦めるなって言ってくれたのは、絶望の淵にいた僕や皆を救ってくれたのはシルバなんだよ! もう僕は二度と同じ思いをしたくないし、させたくない。それはシルバにだって思ってる事なんだ! 僕達を信じてよ!」

 アカラの言葉を聞き、心臓が一つ高鳴ったのを感じた。
 ずっと、ずっと苦しさや悲しさを我慢し続けていたであろう大粒の涙をボロボロと流しながら、アカラは強く言い放つ。
 守らなければならないと思っていた存在だったはずのアカラは、ずっとシルバを守ってくれていたのだ。
 アカラの明るさは、どれほど苦しい世界でも光を絶やさないための強さなのだと分かった時、ようやくシルバの胸を突き刺し続けていた痛みは消え去り、心を縛っていた鎖が消えたように感じた。

「強いんだな……お前達は俺が守らなくても、十分に……」

 そうアカラ達に告げるシルバの表情はとても軽くなっていた。
 自然と口角が上がり、柔らかな表情を浮かべることができた。

「分かった、お前達を信じる。お前達に危険が迫れば俺が必ず守る。だからこれからも、お前達も俺を守ってくれ」

 そう告げ、子供達を一人ずつ撫でてあげた。
 だが、シルバの腕の中で次第に熱を失ってゆくチャミを見て、皆ずっと堪えていたものが溢れ返った。
 チャミはもういない。
 風の音だけが響く荒れ地に、子供達の泣き声が悲しく消えてゆく。
 それに呼応するように胸を刺す痛みをシルバは優しく撫で、決意を奮い立たせた。
 もう多くは語らず、今一度立ち上がったシルバはチャミの亡骸を抱き抱え、その場を離れた。
 この島にある町を目指して再び歩いていたが、やはりすすり泣く声は止まない。
 我慢しろなどとは言えない事をシルバ自身がよく分かっている。
 もしも出来るのならば、シルバも泣きたかっただろう。
 だが、その感情は浮かばない。
 怒りと痛みが浮かび、本当に思い出したい感情が浮かばない事が本当に苦しかった。
 そうしてこの島に来た時とは対照的に、静かな一団は数時間掛けて港町まで戻ってきた。

「チャミ……ここに置いていくの?」
「出来る事なら彼女の生まれた島に返してやりたい。だが、立ち止まる暇はない。チャミは俺達を信じてついてきてくれた。なら、ここで眠りに就いても分かってくれるはずだ」

 一つ町外れに穴を掘り、シルバが生成した墓石と共に静かに土へ埋められた。
 その日はそのまま子供達を宿に泊め、シルバはそのまま少し墓石の前に座っていた。
 その明るさや優しさ、豊富な知識でシルバ達を助けてくれた彼女は本当にスパイには向いていなかったのだろう。
 シルバは彼女の事を静かに思い出し、それでも痛むことしか知らない胸をただ撫でるしかなかった。

「思っていたよりは随分と逞しかったようだな」

 いつ現れたのか、いつの間にかそこにいたカゲがシルバの後ろから声を掛けていた。

「そうでもない。子供達の言葉が無ければ俺は間違いなく立ち上がれなかっただろう」

 シルバは軽く後ろを振り返り、そこに独特の佇まいを見せるカゲの姿を確認するとまた前を向いてから話した。
 事実、シルバの心は完全に折れていた。
 感情を取り戻してゆく度に大勢の犠牲が伴い、その中にはアギトやチャミ、レイドのような親しくなった者も含まれている。
 不甲斐無さや無力感も強かったが、自分自身の感情が必要な物ほど手に入らず、いつまでももどかしい気持ちでいるせいもあっただろう。
 心を取り戻す度にどうにもできない感情がシルバを蝕み、いっそのこと感情など無ければ良かったと思わせるほどだった。

「だがお前は立ち上がった。この先も旅を続けるのか?」
「ああ。立ち止まるわけにはいかない。この世界やアカラ達、そして怯えながら生活する人達に……竜の島で無理矢理戦わされている人達、その全てが救われるのなら……すぐにでも終わらせる必要がある」
「早く終わらせる。それだけなら別に竜の島の奴等が終わらせても構わんな。そうだろう?」
「……そうはいかない。あいつらは手に入れるために多くの犠牲を厭わない。あいつらに任せればそれこそ世界が終わる」
「ならお前は犠牲を出していないというのか? 石板を探しているのはどちらも同じだ」
「出したさ、大勢な。だがそれでも俺はせめて誰も傷付いて欲しくはない。そう考えている」
「奴等もそうならどうする? ただ島民が拒否し続けるせいで何も進んでいないのだとすればどうする」
「その時は俺が止める。どちらもな」

 シルバがカゲの問答に答えると、カゲは一つフッと笑い、そのまま何処かへ歩き去る音が聞こえた。

「そう上手くいくかな? この島でもお前はまだ何一つ成し遂げてはいない。だが、例えお前が立ち止まったとしても何も問題はない。続きは竜の島の奴等がやってくれるだろう」

 そして空間に声だけが残されたかのように響き渡り、不穏な言葉を一つ残してその姿を消した。

「させないさ。必ず俺が成し遂げてみせる」

 そう夜の闇の中へシルバは呟くように告げた。
 シルバは今一度自分の手を見る。
 カゲの言った通り、石板は手に入りはしたものの、この島の現状は未だ何も変わっていない。
 ヴォイドにもどうにかしてほしいと頼まれている以上、このまま放りだして旅を強行するわけにはいかない。
 誰もを笑顔にするためには、必要なのはそういった苦しんでいる人達を見捨てない事。
 一先ずこの島での最大の目的は達成した以上、後は可能な限り早くもう一つの問題を解決することだ。
 今一度シルバは自分の掌を見つめた。
 そこにはもう血の跡は無く、代わりに子供達が拙い手つきで巻き付けてくれた包帯がしっかりと巻かれている。

『怒りもいつか必ず必要になる……。だからこそ今は俺がしっかりと制御しなければならないな』

 その包帯に込められた優しさを感じ取り、小さく手を握って自分自身について考えた。
 シルバを止めることができる強さを持つ者は元々いなかった。
 だが、それでもシルバが止まることができたのはチャミの存在も大きいが、それ以上にやはり子供達の存在だろう。
 これから先、尚更子供達の強さに頼ることになったとしても、シルバも負けるわけにはいかない。

「じゃあな、チャミ。見守っててくれ」

 シルバはそう告げると小さく微笑んでから子供達の待つ宿に戻った。




 翌日、泣き疲れていたこともあってか子供達は皆元気に朝を迎えていた。
 アカラやツチカは既にシルバとの旅に慣れていたこともあってすぐに起きたが、アインはまだ眠たそうだった。

「よーし! みんな朝ごはんだぞー! オレの所に並べー!」
「別にご飯ぐらいゆっくりでいいだろー」
「ダメだぞアイン! そんなんじゃ立派な大人になれないぞ!」
「そういえばヤブキさんは沢山の兄弟のお兄さんでしたね」

 ここで先導したのはヤブキだった。
 やんちゃで好奇心旺盛ではあるが、チャミが感心していた通りゆりかご園でも多くの弟妹を纏めていたお兄さんでもあったため、集団行動という点ではきちんとそのお兄さんぶりを発揮していた。
 ヤブキのお陰でアインもすぐに起き、全員で朝食を摂り、宿を出てから今日からの事についてシルバから全員に話した。

「分かっているとは思うが、まだこの島を離れるわけにはいかない。ヴォイドとの約束を果たさなければならないからな」
「もちろん! ……でも、どうやって解決するの? 今のままじゃないとこの島のポケモン達は危険な目に遭うのに、今のままではいられないなんてそれこそどうしようもないじゃん」
「一つ考えはある。だが……納得してもらえるかは難しい」
「でもあるんでしょ? だったら分かってもらえるよ!」

 シルバはヴォイドとの約束を果たすために港町から離れ、ヴォイド達の住む地下シェルターを目指して歩く道中、そんな会話をした。
 流石に記憶を失っているとはいえ、シルバも元々一つの島を纏め上げていた実力者である。
 百点満点とはいかなくとも、ヴォイドがシルバの考えた案に納得してくれれば問題は解決する。
 だが、解決するのにも長い時間を必要とするため、時間が許すのかが最大のネックとなっている。
 ヴォイドとこの島が抱えている問題は長い時間の積み重ねで生まれたものである以上、解決するにも長い時間が必要だが、それをヴォイドが辛抱強く耐えることができるかはまた話が別になる。
 なにより、今のヴォイドにはあまり精神的な余裕が無いのは一目瞭然だったからだ。
 事態はあまりよくない。
 だがそうとは知らず、子供達は各々が思うこの島が良くなる方法を話し合っていた。
 話し合いの内容は皆で旅行するだとか、他の島の人達に手伝ってもらうだとか、あまり現実的ではないいかにも子供の理想の話なのだが、あながち的を得ていないわけでもない。
 島民は外の世界の現状を知らない。
 旅行ではないが、どちらにしろ世界の現状を知るためのジャーナリストは必要になる。
 それは可能であればこの島の者が実際に見て回り、皆に伝えるのが最適だが、情報を手に入れるのにも時間が掛かる。
 かといって島民以外の者が島民に話して聞かせても信用しない者が現れるだろう。
 良くも悪くも閉鎖的な空間を共有していた島民達は、互いの事を信用するだろうが、島民以外となると途端に排他的になるだろう。
 閉鎖的な空間が生む仲間意識と疎外意識はなかなか切り離すのが難しい。
 特にこの島は今まで地下で高い科学力と共に生活していた。
 そのせいで便利だった生活を基準に物事を考えてしまうと、周囲の島々との交流の上では不便になる。
 また他の島も高い科学力を備えていた島があり、その島の技術が役立つと分かれば欲するだろう。
 現状岩の島の住人達にとって外の世界と触れ合うメリットが殆ど無いと言っても過言ではないため、尚更彼等は内向的になってしまう。
 これらの問題を全て解決する方法……。
 そんな都合の良い解決策など当然シルバにも思い付いていない。

「ヴォイド。一つ解決策を思い付いた」
「本当か!? どうすればいい!?」
「俺が思い付いた解決策のただ一つだ。相互理解。これしかないだろう」

 シルバはヴォイドにそう言い放った。
 シルバの思い付いた解決策。
 それはお互いに理解し合うというなんとも曖昧なものだった。

「シルバ……。私はこの島の未来を、この地下世界で生きる皆の将来を本気で考えているのだ! それを相互理解だと!? そんなもので解決するのならば……!!」
「解決する。というよりそれ以外の解決方法が無い。……ただし、これから先長い時間を掛けてこの島に住む者達全員に理解してもらい、その上で他の島の者達にも理解してもらわなければならない。隠し続けることもできない。かといって手に入れた技術を放棄することは誰にもできない。隠し続けた時間がそのまま、理解し合えるまでに必要な時間になる。俺から言えるのはそれだけだ」
「……やはりそうか」

 ヴォイドは今にも激昂しそうな雰囲気だったが、至って冷静に話したシルバの姿を見て諦めたように深い溜め息を吐いた。

「やはり、お前は最初からどうするべきか分かっていたんだな」
「分かっていたとも。だが、それをするにはもう遅すぎた。私ももう随分と歳を取った。いくら聡明な頭脳を与えられようとも、いくら頑丈な肉体を与えられようとも……いずれ終わりが来る。それが生き物であり、それが自然というものだ。だが、文明はそうはいかない。文明は人々が生み出した叡智の結晶であり歴史の積み重ねだ。例え私が残りの時間を使って知識を伝承しようとも、そこにある想いまでは継承できない。もしもこの先私が死に、誰かがまた科学を支えるようになった時、またあの悲劇が起きないのか……それだけが心配で仕方がないのだ」
「伝えられるよ!」

 ヴォイドの憂いに答えたのは、アカラだった。
 シルバもそういうつもりだったが、アカラが先に口を開いたこともアカラが剥き身の言葉を投げかけてくれることの方がシルバが言うよりも伝わりやすいと考え、シルバは口を噤んだ。

「ほう。少女よ、なぜそう言い切れる?」
「だって、シルバが僕達や皆に教えてくれたんだもん! シルバがいなかった間、みんなそれぞれ考えて自分なりに守ってたんだから!」
「獣の島の話か。だがそれだけでは……」
「鳥の島にシルバさんが来てくださって、島を守ってくれていたホムラ様達の考え方も少しずつ変わり始めてくれたと風の噂で聞きました」
「虫の島でオレがシルバに色々とアドバイスして島の皆を助けたんだぜ!」

 口々にこれまでのシルバの旅と、そのおかげで変わった事を子供達は話してゆく。
 獣の島はシルバが旅立った後、フレア達とテラ達はまだぎこちないものの協力して島を護っているらしい。
 同じように鳥の島も結果的にシルバに救われた事で鳥ポケモン達の驕りは少しずつ薄くなり始めているようだ。
 そして虫の島では最大の危機であったにも拘らず、シルバの活躍のお陰で最小限の被害で済んだこともあり、シルバの言葉を指針に今一度軍の防衛体制の見直しを進めているそうだ。
 全てが丸く収まったわけではないが、確かにいい方向へ向かって行こうとしていることは信じてもいいだろう。

「ヴォイドさん! 俺もただじーちゃんにシルバ達の事を紹介しただけだったんだ。でもさ、そしたらじーちゃんもシルバ達も、このままじゃいけない。何とかして良くしたいって言ってくれたんだよ!」
「アイン……君の祖父ということは、シドか……。そうだな、いつまでも幻想に縋っていては進むことは出来ない……。シルバ、改めて感謝と謝罪を」
「いいや、俺は何も言っていないししていない。お前が自分の苦悩を自らの意思で決し、子供達がその言葉に賛同してくれた。ただそれだけだ」
「そうだったな……私も君も、一人ではない、ということか……」

 ヴォイドは静かにそう呟くと、ようやく疲れ切った表情が和らぎ、ほんの少しだが笑顔を見せた。
 今一度ヴォイドとシルバは握手を交わし、もう暫くの間はこの島の問題に協力することを約束した。
 とはいえ、劇的に変わるわけではない。
 ヴォイドは全区画の島民達に彼等の住む世界の事実を伝え、これからの世界のために必要な知識を皆に伝え、多くの技術者と今後について協議し始めた。
 唐突な真実に困惑する者達にはシルバやアカラ達が説明し、ヴォイドの許可を得てからシェルターの外へと初めて足を踏み出した。
 多くの者がその景色を見てただただ息を呑んでいたが、彼等に世界の全てを理解してもらうにはまだ沢山の時間が必要だろう。
 旅に出たいと言い出す者も少なくはなかったが、チャミから色々と聞いていたツチカが旅に出るにしても色々と大変であることを教え、理解のある島民と共に話して聞かせていったようだ。
 シルバはその間に各区画の代表とも話をし、今後の区画毎の管理体制とヴォイドのサポートをしてほしい事を伝えた。
 そしてもう一つ。
 この島には定期便用の港ができている事、そして彼等が生活のために住んでいることも予め説明した。

「分かっているとは思うが、彼等は勝手に略奪しているわけではない。彼等には君達は既に滅んだと思われているし、事情を説明すればこれまで通りお互いに生きていけるはずだ」
「いや……それは別に構わないが、一体この何にもない土地の何処から何を持っていってるっていうんだ?」
「石材に金属の廃材。この島ではありふれていても他の島だとそうはいかない。どの島にもそれぞれの良さがあるという事さ。その内、この島から技術を伝播してやればいい」

 島民達が怒りを顕にするかとも考えたが、そもそも何もない広大な土地に価値があるとも考えていなかったためか、然程怒る事も無かった。
 そうして一ヶ月程が経った頃、ようやく地下シェルターの空を映していたモニターの電源が消え、代わりに本当の空からの光が地下世界へと降り注いだ。
 まだしばらくの間はこのまま地下で暮らす事となるが、技術の継承が済めば次第に地上へと進出してゆくだろう。
 そのため、まだ他の島にはこの島の実情を話さないことになった。
 まだ島民すら混乱が醒めていない状況で他の島との交渉などままならない。
 この島の問題は後は時間と人々の想いが解決してゆくものだ。

「ヴォイド。まだ色々と問題が起きるかもしれないが、一先ずこの島は大丈夫だろう。俺達はそろそろ旅に戻る」
「何から何まですまない。もっと早くにでも旅に戻るだろうと覚悟していたのだが、まさかある程度島が落ち着くまで待っていてくれたとはな」
「焦りは必ず失敗を招く。皮肉だが、怒りの感情を取り戻したことで寧ろ落ち着く事を覚えた。これ以上失敗は出来ない。尊い犠牲の元にようやく俺が学べた事だ」
「……チャミという女性の事だな。話では聞いていた。だが思い悩むな。私が犠牲を恐れたからこそ幻想に縋り、停滞する道を選んだ。先人からの教訓だ。恐れるな、歩む道に迷いが無ければ必ず道は開ける。君がこの島に今一度光を取り戻してくれたようにな……」
「分かっている。もう迷わない。だが、もう焦らない。石板をすぐにでも手に入れ、この旅を終わらせるべきだという俺の焦りがチャミの死を招いた。この島の事すら中途半端に投げ出すようじゃいずれまた間違う。だからこそもう焦らないと決めた」

 この島が落ち着きを取り戻し始めたと確信し、シルバはようやくヴォイドにこの島を離れることを告げた。
 ヴォイドとしては先を急ぐ身であったシルバはもっと早く去ると思っていたが、一ヶ月もの間子供達と共に島の行く先を見守ってくれていたことに素直に感謝した。
 だがシルバとしても落ち着いて目の前の問題を解決していたのは、子供達の言葉と、必要性を感じていなかった怒りの感情のおかげだった。
 怒りを覚えた事でシルバは逆に怒りを覚えないようにすることを学んだのだ。
 ただ一つ皮肉だったのは、チャミの死がシルバに激しい怒りを覚えさせてくれたことが切欠となった事だろう。
 シルバはヴォイドと島民達に別れを告げ、子供達と共に再び港町まで戻った。
 そして港町の外れにある、小さな墓にシルバは島民達からもらった花を供えた。
 シルバに続けるように子供達も一輪ずつ供え、殺風景だった墓はほんの少しだけ彩りを添えられたことで、よく笑うチャミの姿をシルバ達に思い出させてくれた。

「チャミ……今度こそお別れだ。必ず、この世界を救ってみせる」

 覚悟を新たにし、シルバはチャミの眠る墓にそう告げた。
 子供達はみな、瞳に涙を浮かべすすり泣く声が聞こえたが、それでも強く耐えていた。
 当然シルバの心が痛まなかったと言えば嘘になる。
 だが刺すような痛みよりも、先へと進むという強い決意が心を満たしていた。

「どうだい? 何にも無い島だったろ?」
「ああ、何もない島だった。今はまだ……な」

 船乗り達に話し掛けられた時、シルバはそう答えた。
 もしもこの先、岩の島へ来る者がいたならば隠し続けることは出来ないだろう。
 だがヴォイドはもう隠すつもりもない。
 いつか世界中の人と理解し合えるために、島民達と共に技術への理解を深めている。
 最後にシルバは遠く、この島に暮らす島民達の姿を思い浮かべ、そう遠くない未来に来るであろう邂逅の日が、笑顔であるように願いをヴォイドへ送った。

「シルバ……何から何まですまなかったな……。お前の旅の無事を祈る。そして……この旅の果てに我々不甲斐無い支配者に、君なりの答えを掲示してくれ……」

 同じようにヴォイドは開かれた天上の端からシルバ達の居るであろう島の端を眺めて、そう口にした。




 時を少し遡り、レイドの奇襲から数時間経った頃、レイドは手に入れた石板を片手に文字通り命懸けで竜の島を目指して飛んでいた。
 体中から血が滴り落ち、空から赤い雨を降らせながらも休むことなく飛び続け、島の端ギリギリの所に落ちた。
 激しい戦闘と薬の副作用で体力を既に限界以上に消耗しているレイドは見るからに苦しそうな息をして、空を仰ぐ。
 呼吸すらおぼつかず、視界は自然と歪み、異様に興奮した精神状態だけが無理矢理シルバの意識を保たせている危険な状態だった。

「お見事です、レイドさん。約束の品は確かに受け取りました。それにその様子ですとシルバと正面戦闘したようですね。なら後程届くであろう報告で、貴方がきちんと全てのお使いを完了させたか確認するとしましょう」

 暫くもしない内にベインが何処からか現れ、身体と共に投げ出されていた石板の破片を手に取りながらレイドにそう話し掛けた。

「や、やることはヤったぞ! 約束通り、中和薬を……!」

 そのまま去ろうと身を翻したベインの尻尾を掴み、レイドは朦朧とした意識のままそう話し掛けた。
 レイドはベインとの約束により、試験薬の被検体と裏切り者の抹殺、そして石板の入手を間違いなく同時にこなした。
 その報酬としてレイドはドラゴの罪をこれ以上問わないように依頼しただけだ。
 そこに中和薬を渡すという項目は無かったが、後からベインが追加で生きて帰れば中和薬も渡すと言い出したのだ。
 チャミを殺した上で石板を奪うなど、例え薬を使ってブーストをかけたとしても無事では済まされないどころか確実に死ぬと考えていたのだが、結果シルバが今のレイドを見て情けを駆けてくれたおかげで今も瀕死ではあるものの生きている。
 そして中和薬があればこのブーストされた状態が即座に解除され、元の状態に戻ることができると説明していた。
 生きては帰れないと覚悟してこの島を去っていたため、ドラゴに何も告げずにこの任務に就いていたのだが、生きて戻れたのであれば言葉でドラゴを安心させることができる。

「そんなことを言いましたねぇ。それではどうぞお受け取り下さい」

 掴まれていた自分の尻尾を振り払いながらベインはやれやれといった調子で話し、ゆっくりベインに手を伸ばした。
 そしてそのままレイドの喉を切り裂いた。

「……ッガ!? ベ……!」
「ブーストを解除するお薬、死ですよ。ゆっくりお休みなさい」

 喉を切り裂かれ、何かを言おうとしたレイドはそのまま少しの間手で宙を掻き、動かなくなった。
 赤い水溜りの中でレイドは目を見開いたまま、ベインの手によって殺された。
 ベインの言っていた中和薬など、端から無かったのだ。
 少しでもレイドが任務を完遂し、戻ってくるようにするために言ったただの出まかせだ。
 生きて帰ってこようと死んでいようと、石板さえ回収できていれば後は必ず殺すつもりだった。

「しかし……駄目ですね、これは。まだ全然理性が残っている。薬の完成は間に合いそうもありませんか……」

 ベインは手にした石板と逆の手に持っていた、今回レイドに投与した薬を見てそう言い放ち、薬を砕いて捨てた。
 当初の目的では竜の島の住民全員をブースト兵として徴用し、他の島全てを支配下に置く計画だったのだが、このブースト薬の調合が実際のところは難航していた。
 高度な科学力によって生成されていたその薬は彼等の技術力を遥かに超えており、とある人物にその研究が一任されていたのだが、当然その研究の恐ろしさに恐怖し、途中で自ら命を絶ったため、残されていた資料から作るしかなくなったのだ。
 勿論その技術者とは岩の島の元住人であり、偶々岩の島の内戦に巻き込まれていなかった者である。
 幸運にも内戦に巻き込まれずに済んだというのにも拘らず、よりにもよっていた場所が崩壊を目前とした竜の島だったこともあり、科学者はそこで命を絶つ事となったが、それが結果的に被害を最小限に抑えてくれたのかもしれない。
 不幸中の幸いではあるが、そのおかげで島民の中でも特に頭の良い者達は皆その科学室に収容されており、今度は誰も自殺できないように監視下に置かれている。
 だがいくら頭が良いとはいえど、竜の島の住人にとってその科学者が作っていた薬は完全に理解の範疇を越えているため、資料から憶測することすらままならない。
 彼等とて手を抜いているわけではないのだが、それほどまでにブースト薬は危険であり高度な代物だったため、既に岩の島で石板を手に入れ、残る島が魚の島、不帰の島、竜の島となった今、研究を諦める他なかった。
 何故ならば、岩の島から向かうことができる島は魚の島だけであり、不帰の島と竜の島には元々渡航制限が掛かっているからだ。
 その上で不帰の島には名前の通り、『行けば誰も帰ってはこない』という噂であり事実でもあることが共通認識としてあるため、向かうとしても恐らく最後になることが予想されるからだ。
 そうなれば残りは魚の島で石板を手に入れ、その後すぐに竜の島への特別な遠征艇を出されればそれで全てが終わる。
 竜の島の、牽いてはヒドウと竜の軍はそれまでに何としても残りの石板を手に入れ、シルバとの決戦を避ける必要性があった。

「困っているようだな、ベイン」
「またあなたですか、カゲ。薄気味悪いのでいきなり現れるのは止めていただきたい」

 如何にしてこの窮地を乗り切り、先に石板を集めきるか思案していたベインの元にカゲが現れた。
 しかしその現れたカゲに対してベインはあからさまに不満のある声で言葉を返す。

「今度は何の用ですか? 冷やかしなら間に合っていますよ。あなたの協力でブースト薬は不完全ながらも使用可能なレベルになったというのに、それ以上は発展させることができませんでしたからね。レイドのように一般人相手では理性が残るため抵抗されるのがオチです」
「そんなことはどうでもいい。朗報をくれてやろうと思ってな。不帰の島だが、既に石板は"魂の還る塔"の頂に出現しているようだ。シルバを待たずとも入手できる」
「ほう、それは随分と虫の良い話ですね。誰も行くことができない、帰ることができないために確実に最後に向かう事が分かりきっている島に石板が既にあるとは値千金の情報です。……それが本当の情報なら、ですがね」

 ベインはそう言って自虐を先に言ってみせたが、カゲは不帰の島の石板の情報を伝えてきた。
 しかしベインはその情報を信用していない。

「なんだ? 疑っているのか? 俺は確かに傍観者だ。どちらか片方だけに肩入れするつもりはないが、かといって協力しないわけでもない」
「手出しした時点で"傍観者"などではないですよ。それにどうして竜の軍の先行隊すら帰ってこなかった不帰の島の情報をあなたが手に入れているのですか? 行き方を知っているのなら是非とも教えていただきたいですよ」
「行き方なら簡単だ。死ねばいい」
「カゲ、いくらお前もヒドウ様のお気に入りと謂えど、あまりふざけているようならば今すぐ私がここであなたを殺しますよ?」

 カゲの言葉は確かにあまりにもふざけていた。
 しかしベインがカゲへ向けて恐ろしいほどの殺気を放ってみせたのには他に理由がある。

「嫉妬か、恐ろしい恐ろしい。ならこれ以上無駄口は叩くまい。ただ、不帰の島への行き方は本当だ。生きたままあの島へ行くから帰ってこれなくなる。信じる気になったら俺の名を呼べ。じゃあな」
「誰が呼ぶものですか。馬鹿馬鹿しい」

 カゲが現れるまで、ベインはただ一人ヒドウの右腕として活躍していた。
 参謀として暗殺者として、そして一兵士としてベインはヒドウにとってなくてはならない存在だった。
 だからこそいきなり現れ、何もかも自分の知り得ない情報を次々と提供して気に入られるカゲが気に喰わなかった。
 気に入られるためにならば略奪も殺害も厭わず、多くの命を奪ってきたベインの努力を嘲笑うようにふらりと現れてはただ二、三助言をして去ってゆくだけの正体不明の存在に自分が劣っているとは思われたくなかったのだ。
 それは勿論カゲにではない。
 ベインにとって崇拝し敬愛しているのはヒドウだけである。
 自分よりもヒドウに気に入られている存在がいる事がただ許せないだけだった。
 だからこそ怒りと嫉妬からベインは妙案を思い付いたのだろう。

『不帰の島の石板が死者にしか取れないのであれば……魚の島でシルバを殺してしまおう』と……。



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最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • はじめまして。とても面白いです!
    ところでアカラの種族は何でしょうか?
    ―― 2015-01-13 (火) 19:25:54
  • >>名無しさん

    コメント返信遅れました。
    申し訳ありません!アカラの種族名のことについて書いているつもりになっていました。
    ご指摘ありがとうございます。&楽しんでくれてありがとうございます!
    ――COM 2015-01-18 (日) 14:12:22
  • 長編過ぎて読んでて楽しかったです! --
  • >>ななしさん
    いやほんと恐ろしい程の長編ですよね…
    読んでくださりありがとうございます! -- COM
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Last-modified: 2020-01-05 (日) 23:13:59
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