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少女Aの冒険、ハートの章

/少女Aの冒険、ハートの章

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グロテスクな描写、様々な特殊性癖及び特殊プレイ媚薬、SM、後穴、♀×♀、触手を含みます。



◇第一章◇夢の中の城―Dream Castle― [#2fKQdLo] 


「ん……んんーっ……」
 窓辺から降り注ぐ爽やかで優しい朝日に照らされて、私は心地よい温もりを宿すお布団の中で目を覚ました。
 ――はず、だったんだけど。
「え……? あ、あれ?」
 ここ、どこなんだろう。これは、夢?
 まだ眠気の抜けないぼんやりとした頭で、私は周囲を見回した。目に映る景色は見慣れないもので、寝ぼけた頭が余計に混乱する。私は一旦目を閉じてから、大きく深呼吸して出来るだけ冷静になろうとした。そう、落ち着くのよ私。Be Cool。吸って吐いて。吸って吐いて。深呼吸を繰り返すうちに幾らか意識がはっきりしてきて、私は改めて周囲を観察する事にした。
 開いた目に最初に飛び込んでくるのは、高い天井に吊るされたそれはそれは豪奢なシャンデリア。灯る光は電球なんかじゃなくて本物の蝋燭で、何本どころじゃない、何十本もの柔らかい炎がゆらゆら踊ってる。金の腕木には複雑で精巧な装飾が施されていて、素人目にみても実に良くできた代物だった。
 そんなシャンデリアに照らされた、私がいる場所は広い煌びやかな部屋だった。いかにもお金持ちの主人がいますよって感じの。その証拠に、壁にはたくさんの絵画が掛けられている。森の泉に佇むミロカロスを神々しく描いた油絵や、赤い宝石が美しい王杓を持った気品あるミミロップの肖像画。水差しと数種類の木の実を描いた静物画。子供の落書きみたいな、だけど無駄に価値のありそうなごちゃごちゃした抽象画。それから床に近い所、台座のように出っ張った所には高級そうな壺やお皿なんかが飾られていた。――うん、この部屋の持ち主は大金持ちさんで確定ね。ついでに目立ちたがり屋と見た。
 足下に敷かれているのは深紅のさらさらした絨毯だ。肉球の裏で感じる滑らかな感触は、例えるならお風呂上がりに綺麗に乾かして、尚且つ丁寧にブラッシングしてもらった時のベストな状態の私の毛並み、って感じかしら。いや、私の方が毛足が長いから手触りの点では負けてないわね。……とにかく高級品なのは間違いない、私とご主人が暮らしていた家にはそんなお高い敷物なんてなかったから推測だけど。――あ、そういえばご主人は?
「あのー、ご主人。いるー?」
 しーんとした部屋だったから、ちょっと遠慮がちに呼びかけてみた。だけども返事はなし。声は壁に、絨毯に、空間に吸い込まれてしまって、後に残るのは最初の時よりもずっと濃い静寂。蝋燭の炎が瞬く微かな音がより一層静けさを際立たせる。
 こんな贅沢な、そうまるでお城みたいな所に来た覚えはないし、第一私の住む街にお城なんてない。あるとしたら高層ビルとかマンションとか、ポケモン同伴可の小さな遊園地くらい。やっぱり私は夢を見ているのかしら。それにしてはやたらリアルな夢だし、思考も感覚もはっきりしてるけど。なんだっけ、メイセキムとかいう奴なのかしらね。うん、きっとそうに違いないわ。合点のいった私は独り頷く。そして、これからの自分が取るべき行動を考えた。と言っても、結論なんかあっという間に出たのだけど。
 せっかくのメイセキムなら、もう少し探検してから目を覚まそう。もともと私はあまり深くは考え込まない質だし、それにこれは夢だもの。目一杯楽しんでから起きて、ご主人に話してあげようっと。じゃなきゃもったいないわ。よし、そうと決まれば、早速探検に出発。
 記念すべき夢探検の第一歩を踏み出すと、ちりん、優しく軽やかな音色が首元から零れ落ちた。自分では見えないけどすぐにわかる、これはご主人につけて貰った鈴の音だわ。昨日私の誕生日に、プレゼントとして貰ったお洒落で可愛い鈴付きカラー。こんな所まで再現するなんて、私の夢は良い仕事するのね。グッジョブ私!
 脇に立てかけられた銀のお皿を覗き込めば、一匹のエネコ、もちろん私がちょっぴり誇らしげに見つめ返してきた。首元で控え目に、だけどもしっかりと存在を主張するカラーのデザインも現実と同じ。色とりどりのビーズが鏤められた布製の黒いリングに、しっとり輝く金色の鈴。軽く首を振ってみれば、揺れに合わせてりんりんと透明な音が鳴った。うーん、自分で言うのも何だけど、すごく似合ってるなぁ。ご主人は本当良い物を選んでくれたわ。
 恐らく現実世界では、私の隣ですやすや寝息を立てているだろうご主人に感謝しつつ、部屋の出口へ向かう。最後に一回だけスタート地点の部屋を見回してから、半開きになった巨大な扉から外へ飛び出した。
「うわあ」
 扉の向こうは、やはりお城らしい雰囲気の長い廊下だった。……長いを通り越して長過ぎる。あまりに長過ぎて先が見えないほど。こんな廊下、夢じゃなきゃきっとお目にかかれないわね。天井にはさっき部屋で見たようなシャンデリアが、等間隔に並んで視界の果てまで廊下を照らしていた。
 廊下の壁は左右で違う。私から見て右側は、白い大理石と金のレリーフで構成された壁と支柱。左に目を向ければ、一般家庭にはまず置いてないサイズの大きな窓が、これまた等間隔にずらりと並んでいた。金属っぽい窓枠はシンプルだけど高級さを漂わせる造りになっていて、細いおかげで視界の邪魔をしない。窓から見える景色は夜、三日月と輝く星たちが織り成す素敵な夜空。都会に住む私が滅多に見る事のない、澄んだ満天の星空だった。流れ星とか見えないかしら。
 私はちょっとの間窓の外の綺麗な空に見入ってから、貴重なメイセキム体験を満喫するという当初の目的を思い出し、慌てて夜空から視線を引き剥がした。気を取り直して。
 さあ、私の進む先にどんな冒険が待ち受けているのか!? お楽しみは、これからよ!


♥♥♥♥


 なんて、元気良く出発してみたはいいものの。もう随分と廊下を歩き続けた気がする。だけど、目に映る風景はちっとも変わらなかった。相変わらず右側には装飾された壁が、左側には大きな窓が。初めの内こそ夢の中を探検しているという高揚感に満ちていたけど、誰にも会わず、どこにも辿り着かず、何にも起こらない時間にいい加減飽きてきた。たまに見つかる扉だって、押しても引いても動かないし。それになんて長い廊下なのかしら、これだけ歩いてまだ曲がり角一つないなんて。一息つくのも兼ねて、私は立ち止まる。前を見ても後ろを振り返ってみても、延々と続く長い長い廊下。スタート地点の部屋だってもう見えない。
 不意に漠然とした不安が込み上げてきて、私は身震いした。なんだろう、ちっぽけな存在の自分が、終わりのない世界に放り出されたような心細さ。やがて空間そのものに飲み込まれて、跡形もなく押し潰されてしまうんじゃないかっていう不安感。
「何か夢らしい事、起きないかなぁ……」
 重い空気を振り払うように、変わらない世界に愚痴をこぼしてみる。言葉に出してみた所で何かが変わるとは思っていなかったけど、やっぱり返ってきたのはしんとした空白だけだった。
 そろそろ目を覚ます頃合いなのかしら。これじゃ普通の支離滅裂な夢を見ていた方が面白かったわ、と多少がっかりして溜め息をついた時だった。私の耳が、ぴくりと反応したのは。
「?」
 何か音がする。それは私でもない風の音でもない。明らかに人かポケモンか動物か、とにかく生きているものがいる気配。微かな音だったけど現実同様、感度良好な私の聴覚はしっかりとその音を捉えていた。
 願いが通じた? やっと夢らしい展開が起こるのね! 憂鬱な気分は一転、私はうきうきと音と気配の元へ走って行った。だって、早く行かないと夢が終わってしまうかもしれないじゃない! ずっと一匹だったから心細くて、早く他の登場人物に会いたかったって理由の方が大きいけど。
 やがて行く手に初めて見る風景が現れた。赤く重厚な扉が僅かに開いていて、そこから光と音と、なんだかよくわからないにおいが漏れてきている。においつきの夢なんて初めてだわ、こんなリアルな夢、もう二度と見られないかもね。ここまで来ると、聞こえていた物音は誰かが発する声だとはっきりわかった。
「あはははは!」
 声は笑い声のようだ。とっても楽しそうに笑う、多分若い男の声。聞いてるこっちまで笑顔になれそうな、心の底から湧き上がってくるような笑い声。部屋の中で誰が何をしているのかしら。気になって私はそうっと部屋を覗いてみた。
「――!?」
 刹那、私の身体が金縛りにあったように動かなくなる。いや、正確には動けなくなった。私はこんな夢、望んでない……!
 部屋の中にいたのはポケモン、確か種族はアブソルとかいう奴。私もご主人も信じてないけど、世間一般では災いを呼ぶ凶兆だと言われてる。右のこめかみから切れ味良さそうな大鎌が突き出していて、ふさふさした純白の体毛に覆われているポケモンだ。本来なら、ね。
「ひゃは、あはははははは!」
 アブソルは楽しそうに笑いながら、頭の鎌を、鋭い前脚の爪を、何度も足下のナニかに振り下ろす。その度に甲高い笑い声にかき消されそうな、ぐちゃっという嫌な音が響き、真っ赤な液体が飛び散ってアブソルの体毛を染める。もうそのアブソルは白より紅の面積が遥かに多かった。一段と濃くなったよくわからないにおい、それは鉄のにおいによく似た血臭。前言撤回、もう今ならアブソルが災いの使者だって噂、信じちゃうわ。
 私はアブソルに気付かれないように、そっとそっと後ずさった。見つかったが最後、私もあいつの足下のナニかと同じ運命を辿るに違いない。いくら夢とはいえ、殺されるのはごめんだわ。っていうか夢ならそろそろ覚めてもいいはずなのに、いつまで続くのかしら。
 ちりん。
「!」
 うんと気をつけて後ずさったのに、うっかり鈴の音を響かせてしまった。しかもタイミングの悪い事に、あいつが息を吸った瞬間、つまり笑い声が途切れた瞬間に、だ。紅く染まった前脚を振り上げていたアブソルの動きがぴたりと止まり、私は心臓が止まりそうになった。
「……おっやぁ?」
 アブソルがゆっくりと、顔を上げてこちらを振り返る。血塗れの顔と目が合い、私はひゅっと息を飲んだ。アブソルはこてんと首を傾げて、がくがく震える私を見つめている。しっとり濡れた体毛は彼の身体に重く貼りつき、ぬらりと光る鎌からは紅い雫が滴り落ちる。永遠とも思える時間が続く中、その口元がにんまりと弧を描き、鋭い犬歯が覗いた。
「お前、もしかして」
「ひ、きゃぁぁぁぁ!!」
 逃げ、なきゃ。アブソルが最後まで言い終える前に私はまわれ右して走り出した。恐怖に崩れそうになる脚を叱咤して、少しでも奴から離れようと脚と身体を前へと運ぶ。それはもう無我夢中の全力疾走を開始した。逃げ切れる自信がないとか私の方が短足で歩幅が狭いだとか、そんな事はこの際気にしていられない。
「おい、待てよぉ!」
 見逃してくれないかしらという淡い期待は、アブソルの声と足音によって打ち砕かれた。振り返るまでもない、あのアブソルが追いかけてきたんだわ!
 お願い、早く目を覚まして私!
 私は祈りながら懸命に走った。短い四肢を精一杯動かして、身体と同じくらいの長い尻尾を引き連れて。捕まれば一貫の終わりだもの、においまで再現している超高性能なメイセキムが、痛みの感覚だけ手抜きしている保証はない。
「ひゃっは、何で逃げるんだよぉ!? ひゃははは!」
 何が楽しいのか、アブソルは笑いながら追いかけてくる。何でって、そんなの当たり前じゃない! 血塗れのキ××イじみた奴から逃げるのにいちいち理由を説明しなきゃならないの!? 説明してる暇があったら逃げるのに使うわよ馬鹿!
 恐怖を誤魔化す為に心の中で罵声を浴びせつつ、私はひた走る。奇妙な事に、最初見た時はまっすぐ伸びていたはずの廊下は不自然に折れ曲がり、シャンデリア五つ分毎に右、或いは左への曲がり角が現れる。だけどどうして道が変わってしまったのか、のんびり思案に耽っている時間なんてないわけで。私のすぐ後ろのシャンデリアが物凄い轟音とともに墜落して、ちらりと横目だけで振り返ってみる。私の背後では光る空気の刃が次々飛んできては、壁や窓ガラスや天井に当たり、色んな物が砕け、割れ、落下していた。どうもあのアブソルが手当たり次第にかまいたちを放っているみたい。この数分間でン千万円、下手すると億単位相当の価値のあるものが破壊されてるみたいだけど、あのアブソル、もしくはそのトレーナーはちゃんと弁償できるのかしら。小回りの利く私に有利に働いてくれるジグザグ廊下を最小限の動きで駆け抜け、私は逃げ続けた。
 だけど、この追いかけっこももうお終い、かも。確実に私の脚は力を失い、徐々に失速し始めている。ああこんな事ならもっと体を鍛えておくべきだったわ。夢の中だから後悔しても意味ないけど。……こんなにへとへとになったのに目が覚めないってどういう事よ、まさかこれ、現実……? ううん、そんな事あるわけない、あまりに何もかもが非現実的過ぎるもの。 
 私は力を振り絞って、次の曲がり角に向かってラストスパートをかけた。この角を曲がれば助かるとか、そんな確証は何処にもない。だけど、もしかしたら。どこか隠れられる場所があるかも、外に出られるかも、まともで強い勇者様みたいな人がいるかも――。
「にゃあっふ!」
 願いを込めて廊下の角を曲がった瞬間、ばふ、と思いっきり誰かにぶつかった。同時に首元の鈴も、じり、と鈍いくぐもった音をたてる。
「大丈夫?」
 尻餅をついた私の上から優しい声が降ってきた。声の降って来る高さからして人間ではない事がわかる。やった、もしかして勇者様登場!? このポケモンならきっと助けてくれる、根拠のない確信と共に私は尻尾で背後を指した。
「あ、ああああの、たた助けて下さい!」
 どもりながらもなんとか言葉を絞り出し、やっと私は声の主を見上げた。
 何よりもまず目に入ったのは、透き通るような深紅の瞳。まるで紅色の宝石でも嵌め込んでいるんじゃないかっていうぐらい、とても綺麗な紅だった。体は全てを包み込むような優しい夜色、良く晴れた夜の月の光みたいな輪っかが両前脚と両後脚、それから額と尻尾と両耳に浮かんでいる。整った顔立ちにすらりとした四肢の、私から見ればすっごい美形のポケモンさんだった。命の危険を感じているにも関わらずこんな事細かに観察しているのは、まだどこかでこれが夢だと願っているからかしら。とは言え緊急事態である事に変わりはなく、ゆっくり初めまして、なんて自己紹介している暇は勿論ない。
 超絶美形のポケモンさん、ブラッキーは私のすぐ後ろまで迫ってきたアブソルを見るや否や眉根を吊り上げて、大きく息を吸い込んだ。
「こんの馬鹿ブソルがぁぁぁぁ!!」
「ぐげっ!」
 ブラッキーは怒声を上げながら私を飛び越えると空中で前転。遠心力と落下の勢いを利用して、銀色に硬化された鋼属性の尻尾――アイアンテールを、突進してくるアブソルの眉間に容赦なく叩き込んだ。その衝撃でアブソルは反対方向へ弾き飛ばされて床に激突、更に床に血の跡を描きながらバウンドし、ごろごろごろと三回転してやっと止まった。
「……わーお」
 ブラッキーの身のこなしと、もう一つアブソルのあまりにも綺麗な吹っ飛び方に、私は思わず感嘆の声を上げた。
「痛ってぇ! 超痛ってぇ! 何すんだよ(クライ)!」
 前脚で額を抑えつつ、アブソルはひっくり返ったまま叫んだ。ほうほう、このブラッキーの名前はクライさんか。かっこいいポケモンは名前もかっこいいのね……。って、え、あれ? 何でキ××イアブソルがこのブラッキーの名前を知ってるの? まさか、知り合い、なの? でも、助けてくれた事実は変わらないわよね、うん。
「それはこっちの台詞だよ。やっと現れたアリスを追い回して、どういうつもりなんだ」
 綺麗に着地した闇さんは、厳しい顔でアブソルを睨みつける。言ってる事はよくわかんないけど、怒ってる姿でもかっこいいなぁ闇さんって。睫毛も長いし毛並みも綺麗だし、助けてもらった恩もあるせいか惚れちゃいそう。
「ちげーよ、アリスが逃げるから捕まえようとしただけだしー。ってゆーかマジ痛ってぇ、絶対頭割れてるわこれ」
 息を整えながら闇さんを眺めていたら、不満たらたらな声が反論してきた。はっと我に返って振り返れば、涙目のアブソルがまだ額を擦っていた。あれだけ派手にぶっ飛んだくらいだから、相当痛かったみたいね。ご愁傷様。
「知るか、自業自得だ。それよりさっさと身体洗ってこい。見苦しいよ」
「へいへい。じゃ、アリスをよろしく~」
 面倒臭そうに返事をしたアブソルはよっこらしょと立ち上がると、辺りに錆び臭いにおいをまき散らしながら曲がり角の向こうへと姿を消した。ふぅ、ひとまず命の危機は脱したみたいね。ところで今気付いたけど、二匹が言ってるアリスってもしかして私の事?
「アリス、大丈夫?」
 闇さんが心配そうに私の顔を覗き込む。ちょっと顔近いわよドキドキするじゃない! じゃなくて、やっぱりアリス=私で間違いないみたいね。
「助けてくれてありがとう。でも私の名前はアリスじゃないわ、魅甘(ミカン)よ」
 そう助けてくれたのには素直に、そしてとてつもなく感謝してるわ。でもこれだけは言わせてちょうだい。さっきからアリスアリスって、勝手に呼ばれてるみたいだけど違います! 私には魅甘っていう、ご主人がつけてくれた素敵な名前があるんだから。魅力的で可愛い女の子になってねって、ご主人に貰った大切な名前なのよ。
「いや、君は『アリス』で間違いないよ。伝説の通り『鈴持つ子猫』だし、第一『黒兎』の俺が見間違うはずないからね。それより、来てくれてありがとう『アリス』。ずっと待ってたよ」
 ……闇さんの言ってる事が半分も理解できないのは、私がお馬鹿なせいなのかしら。だって闇さんはとっても真剣な顔で、冗談やデタラメを言ってるようには到底見えなかったから。確かに私は鈴を付けているけども、黒兎とか待っていたって一体どういう事なの? そもそも伝説って? ああ、それに私、こんな美形の知り合いなんていないのに。それとも私が覚えていないだけで、過去に面識があったのかしら? 勿論「夢だから」という理由で、登場人物がどんな支離滅裂な発言をしようが一応は説明がつく。だけど、私は薄々感じてきている。これは夢じゃない、私が生活していたのとは全く違う異世界かもしれないって。まあ、そうだとしても疑問は尽きるどころか却って増えていく一方なんだけど。私はどうしてここにいるの? そもそもここは何なの? 元の世界ではどうなっているの、ちゃんと帰れるの?
「ごめんなさい、何言ってるかわかんない。もうちょっとわかりやすく説明してもらえる?」
 助かったという安堵から一転、洪水のように溢れてくる疑問と不安の数々。何もわからなくて、吐き気にも似た不快感が胸の中でぐるぐると渦巻いている。これが闇さん流の怪しい光なんじゃないかしら、ってぐらい混乱してきた私は正直に言った。闇さんとの会話を続ければ、とりあえずいくつかの疑問を解消できるはず。少なくとも闇さんはまともそうで、右も左もわからない私が頼れそうなのはこのブラッキーしかいないのだから。例えまともに見えるだけのただの電波さんだったとしても、さっきのアブソルよりは安全だわ。
「うーん、わかりやすく説明すると……君は魅甘っていったよね?」
「そう、それが私の名前。アリスなんかじゃないの!」
「じゃあ名前以外で、君は何?」
 あら、私は何者ですかって、これまた随分と哲学的な質問だこと。だけど私は私なのよね、当たり前すぎていざ尋ねられると戸惑ってしまう。魅甘以外で私を表現するとなると、ええと――私は言葉を探すために一拍置いて、答えた。
「エネコよ」
「それ以外は?」
「えっと……ノーマルタイプ! ……こねこポケモン! 女! それから」
 思いつく限り、自分が分類されるだろう名前を挙げていく。闇さんはうんうんと頷いた。
「ほら、『魅甘』以外にも幾つもの名に属しているでしょ? なら『アリス』に属していたって何もおかしくないじゃないか」
「そ……うなの?」
 なんとなくわかるような、わからないような。私は眉を(ひそ)めながらも、なんとか納得しようと努力してみる。
「そう。『アリス』に属する者は世界でただ一匹の『鈴持つ子猫』、君だけなんだ。そして『アリス』は悪しき支配者を倒して、この世界を平和に導く定めにある」
「はぁ」
 次々と展開される闇さんの説明に私は生返事を返した。つまり、私はこの世界では『アリス』という唯一無二の存在であり、悪い奴をやっつけて世界を平和にする役目がある、という事かしら。いきなりそんな事言われても、お伽話みたいで全然現実味がないわね。と思ったけど、現実味なんてずっと前からなくなってたんだった。
「あのぅ……」
 またしても足元が不安定な気分になった私は、闇さんに「ここは夢の中ですか?」と聞こうとして、止めた。もし夢なら登場人物に答えられるわけないんだし、夢じゃないってはっきり言われたら、じゃあ一体全体このおかしな世界は何なの、って事になるし。もう少し、頭が落ち着いてから改めて考えれば良いんだわ。夢か否かの代わりに、私は別の質問をする事にした。
「ええっと、闇さん」
「闇で良いよ」
「わかった、じゃあ闇、さっき黒兎って言ってたけど、何それ? ブラッキーでしょ?」
 ポケモン以外の生き物、動物に例えたって、兎よりも犬や狐に似ている気がするけど。黒い以外は的外れよね。
 私の質問に、闇はちょっと首を傾げて微笑んだ。そんな何気ない仕草もかっこいいなあちくしょう。不安になったりドキドキしたり、今日の私の胸中は山のお天気よりも変わりやすくて忙しない。
「君が――魅甘が『アリス』であるように、俺も『黒兎』という名に属している、ただそれだけ。因みに」
「オレは『スペードのジャック』な! で、オレ個人の名前は災牙(サイガ)! かっけー名前だろ、ひゃっはは!」
「うわわぎゃ!」
 突然背後からテンション高めの声がして、しかもそれは聞き覚えのある声で。私は驚きの余り奇妙な悲鳴を上げて跳び上がり、慌てて闇の後ろに隠れた。闇はちらりと私を振り返って説明した。
「……そういうわけで、災牙も伝説に属する者の一匹だよ。一応俺の仲間だから安心するといい」
「一応って何だよ一応って。ま、いいか、それよりそー怖がんなって。いくらオレでも『アリス』を切り刻んだりなんてしないからさ!」
 白さを取り戻したアブソル、災牙は、さっきまでの禍々しさが嘘のようにニッと笑った。黒っぽい地肌に白い歯が眩しい、懐っこい笑顔。こうやって見てみると、死神よりもどちらかと言えば天使に近い感じかしら。声までそっくりな別のアブソルかとも思ったけど、額の宝石のような部分に真新しいヒビが入っているのと、今しがた水浴びを終えたばかりと主張するように湿った毛並みを見ると、さっき血塗れで追いかけてきたキ××イアブソルと同一人物みたい。
「本当? さっき思いっきり追っかけてきたじゃない」
 私は災牙よりも強かった闇の後ろに隠れたまま、顔だけ出して反論した。いくら闇が敵じゃないと言ってくれても、母性本能を(くすぐ)る天使の笑みで話しかけてきても、アレな現場を目撃してしまった以上簡単には信用できないわ。
「それにあの時、いかにも『殺しが大好きです』って雰囲気だったわよ」
「は? オレ別に殺しが好きなわけじゃねーよ。血が好きなだけだしぃー」
「はい?」
 こいつ、今何と言った。言い訳にしては物騒過ぎる理由が聞こえた気がしたんだけど、私の耳がおかしくなったのかしら。
「だってゾクゾクしねぇ? 綺麗すぎるくらいに鮮やかな紅……つんとした鉄のにおい……そんなんでオレのこの白い毛が染まってくんだぜ!? はぁぁ堪んねぇよなー」
 あ、やっぱりヤバいのは私の耳じゃなく災牙の頭だったみたい。おまけになんか恍惚としだしてる。こんなのを天使と思った数秒前の私ってなんて馬鹿なんだろう。自分に目覚ましビンタをお見舞いしたいくらいだわ。
「飛沫くときの放物線とかー、流れる時の軌跡とかも芸術的で……痛ぇ!」
 自分の世界に入ったらしく目を閉じてくねくねし始めた災牙を、闇が体当たりして黙らせた。一応仲間と言った割に容赦ないわねぇ。軽く吹っ飛んだ災牙を闇は見下ろした。
「後で幾らでも聞いてやるから今は大人しくしてて。ほら、魅甘が引いてるじゃないか」
「あ、気にしないで。初対面の時点で既にドン引きしたから」
「酷ぇーな闇も『アリス』も。オレの硝子のハートが傷ついちゃったぜ、あーなんて可哀想なオレ」
 私と闇の言葉に、災牙はわざとらしく哀れっぽい声を出し前脚で顔を覆う。言葉とは裏腹に全然傷ついた風には見えないのだけど。闇もそんな災牙の扱いに慣れているのか、特に態度を変えたりはしなかった。
「はいはいわかったから。それより、俺達が待ち望んでいた『アリス』がやっと来てくれたんだから、まずは『アリス』である魅甘に現状と進むべき道を伝えるのが先だろう。君の呪いだって魅甘に協力してもらわなきゃ解けないしね」
「あーそうだった! なあ、『アリス』!」
 またしても闇は私を置き去りにした話を始めた。その話を聞いた災牙は、がばっと跳ね起きると、さっきまでの狂った(そしてふざけた)態度が嘘のように姿勢を正し真剣な顔になる。今私の目の前にいるのは死神でも天使でも、ましてやキ××イでもなく、ただ必死に訴えかけてくる一匹の青年だった。
「さっきはビビらせてごめんな? お願いがあるんだ。まずは俺の呪いを解くのに協力して欲しい、頼む」
 災牙はそう言うと、深く頭を下げた。

◇第二章◇雫の池―The Pool of Dews― 


「の、呪い?」
 日常生活ではバトルくらいでしか聞かない単語と、真摯な態度で頭を下げる災牙に気圧されて、私は細い目を瞬きさせつつ聞き返す。「ああ」と災牙は相槌を打った。
「闇から聞いたと思うけど、『チェシャー』に張られた結界のせいで外に出られなくて、要は幽閉されてんだよ、オレ。闇なら出られるけど、一回出たらいつ戻って来れるかわかんねーじゃん? だいたいどこに出るかもわかんねーし。だから『アリス』の力を借りないと、うた」
「待って待って、ストーップ! 話についていけないわ」
 私は急いで災牙の言葉を制した。闇に続き災牙の話がてんでわからない。頑張って理解しようとしたけど無理、頭から湯気が出そうだわ。知らない名詞に、出るとかわからないとか。でも首を捻ったのは私だけじゃなかったみたいで、災牙の鎌が光を反射してちかりと煌めいた。
「あれ? 『アリス』なのにわかんねーの? 闇、どういう事だよ?」
「役割を持つ者が、その意味を理解しているとは限らない。……ごめんね魅甘、順を追って説明しよう」
「そうしてくれる? まず、『チェシャー』って何?」
 話の流れからその『チェシャー』って奴が悪者っぽいけど、少しずつ噛み砕いて確認していかないと。誤解やあやふやな認識のままじゃ、話がどんどんわからなくなってしまう。申し訳ないけど災牙の呪いはひとまず置いといて、私は重要そうな単語から攻略していく事にした。
「さっき少し話したけど、『チェシャー』っていうのが全ての根源、悪しき独裁者だ。ある日突然現れて、反乱を起こし、世界を混沌へと叩き込んだ張本人さ」
「やっぱり? で、その『チェシャー』って人間? それともポケモン?」
「ニンゲンって何なんだよ? オレそんなポケモン知らねーぜ?」
「えっ」
「えっ」
 思わぬ場所で災牙がきょとんとした。おかしい、山奥に住んでいるポケモンですら人間の存在は知っているはずなのに、というか人間を知らないまま生きるなんて逆にとても難しい事なのに、人工の建物、お城に住んでいるポケモンが人間を知らないなんてあり得ない。だけど災牙からはふざけてる気配なんてこれっぽっちも感じられないし……ここから導き出される結論はひとつ、信じられないけどこの世界には人間が存在しないって事。いたとしてもずっと遠いところに住んでいて、こことは関わりを持たずに生活しているのね。だったらこのお城はポケモンが建てたのかしら。設計も全部? いや、今は建物の成り立ちをゆっくり考えている時じゃないわね。
「ごめん、何でもない。それで、独裁者は何のポケモンなの?」
「わからない」
「は?」
 闇は俯き気味になって首を振った。その隣で災牙が謡うように節をつけて言った。一節毎に硬質な尻尾が、メトロノームのように揺れて調子を取る。
ある者は翼を見たと言う。ある者は鋭い爪を見たと言う。
ある者は火を吹く姿を見たと言い、またある者は風を操る姿を見たと言う。
正体不明で神出鬼没、それが『チェシャー』
大いなる支配者、悪しき独裁者
「……で、合ってるっけ?」
「合ってるよ災牙。魅甘、これは『チェシャー』を表す詩のひとつ。この通り外見の情報は曖昧なんだ。奴はいつも遣いの者、それも毎回違う者を通して意思表示するからね。しかし存在している事は確かなんだ。これが『チェシャー』、『アリス』である君が倒すべき相手だよ」
 災牙を引き継いで話す闇の言葉に、私は考える。ふむ。翼、爪、火、風……と聞くと、真っ先に思い浮かぶのはドラゴンポケモンね。でも道行くドラゴンポケモン皆に「あなたは『チェシャー』ですか?」なんて聞くのはとても失礼で手間がかかるし、奇跡的に『チェシャー』本人に出会ったとしても素直に「はい」って言うわけがないか。それにドラゴンポケモン以外の可能性だって十分ある、なんせポケモンは色んな種類がいるもの。って、相手が正体不明じゃ倒しようがないじゃない。
「そんな正体不明の奴をどうやって倒すのよ」
「大丈夫。『アリス』は『鈴持つ子猫』であるからね」
 真っ暗な夜に灯りを見出した旅人のような微笑みで、闇は私の首元を指した。釣られて首元を見る、けど見えたのはクリーム色の自分の前脚だけだった。
「『アリス』の持つ鈴は真実を見抜き、正しき道へと導く。『チェシャー』がどんなに巧妙に隠れていても、『アリス』の鈴は敵が潜んでいる事を教えてくれる。道に迷っても、『アリス』の鈴は進むべき方向を照らしてくれる。要は君がいれば大丈夫だ。『アリス』はそういう存在なんだよ」
「ふーん」
 ……それって私じゃなくて鈴だけあれば良いんじゃないかしら。私付き鈴、私はおまけ? そもそもこれ、ご主人に誕生日プレゼントに貰ったただのカラーだからそんなご大層な能力があるとは思えないけど。でも、闇が言うならそうなのかも。さっきから不思議な現象や話が盛り沢山だから、この鈴にだって不思議パワーが備わっていても全然おかしくはない。……本当はこれがただの鈴だとわかって、この変テコな世界で闇達に見捨てられるのが怖いから、私は無理にでもご主人のプレゼントを信じ込んだ。あ、そうだ、鈴以前にもっと重大な問題があるじゃないの。
「見抜いたとしても、私そんなに強くないわよ? 倒せないわ」
 私はバトルに自信がない。というか、経験すらほとんどない有様だ。私もご主人もバトルにはあまり興味がなくて、戦いとは無縁ののほほんとした生活を送っていた。だいたい私含めたエネコ系統の種族は、好奇心こそ強けれど争いを好まない種族なのよ。だからそんな独裁者だとか、世界の支配者と呼ばれる相手を倒すなんて、無謀にもほどがある。
「大丈夫だって。その時はオレも戦うからさ! あー、ここでやぁーっとオレの呪いに繋がってきた!」
 災牙は大きく背中を反らして、嬉しそうに声を張り上げた。ああなるほどね。なんとか状況が飲み込めてきた私は確認の意味も込めて纏めてみる。
「『チェシャー』を倒すためにも、呪いを解いてこの城から出たいってわけね。そして、わからない道を進むのも、肝心の『チェシャー』を見つけるのにも私が必要、と」
「そ。奴を倒して、王位を奪還しなきゃなんねーの。今王族の血を引いてるのはオレしか残ってねーからな! っつー事でオレも『チェシャー』には用があるから、『アリス』を一匹で戦わせるようなマネはしねーよ。オレこう見えても戦いには自信あんだぜ、闇だって強ぇーしな! だから『アリス』はそこは心配しなくていいぜ」
「ありがとう。安心し……ん、王族?」
 さらっと口にされて危うく聞き流すところだったけど、災牙すごい事言わなかった? 王族の血? 本物の王子様なの、このアブソルが? 私は細い目を見開いて、頭のてっぺんから尻尾の先までまじまじと災牙を眺めた。
「『アリス』、オレ名乗ったじゃん、『スペードのジャック』だって。キングとクイーンの子供がジャック、つまりオレはれっきとした王位継承権を持ってんだぜ。って言っても分家の方だったんだけどな。ところで『血を引く』って良い響きの言葉だよなーオレ血大好き」
「黙ってなよ血液愛好者(ヘマトフィリア)
 闇が鬱陶しそうな顔で言い放つも、災牙はへらりと笑っただけだった。ヘマなんとかって聞き慣れない言葉だけど、血が好きな事を指してるのよねきっと。否定して欲しいもんだわ、由緒ある格式高き王家の血筋のポケモンが、そんな物騒な趣味でこの世界は大丈夫なのかしら。
「はあ。……だいたいの事情は理解してくれた? 改めてお願いするよ魅甘、俺も災牙も最大限協力するから、どうか『チェシャー』を倒して世界を平和に導くのに力を貸して欲しいんだ」
「それって、私が断ったら八方塞がりだったり?」
「……正直言うとその通り。ただ危険を伴うから無理強いはしたくないんだよ」
「ま、嫌ならオレらだけでなんとかするしかねーな。伝説だけが全てじゃねーだろーし……」
 私に向けられた、二組の赤い瞳には縋るような色が見えた。
 さあ、どうする私。
 闇の言う通り、断る事だってできる。確かにスタート地点の美術品の部屋を出た時には、どんな冒険が待ち受けているかわくわくしていた。でもそれはあくまでも、すぐ目覚める夢の中だと思っていたから。どうも夢じゃない、異世界だって言った方が納得できる空気の世界で、危険を冒してまで正体不明の敵を倒しに行く? そもそも私が本当に伝説とやらに出てくる『アリス』なのか、はっきりした証拠は何もないのよ。あるのは闇と災牙が断言しただけの、不確かな証明のみ。彼ら二匹の証言の根拠だってないに等しい。
 だけど、断ったとしても。その後私はどうすればいいの? たった一匹で、元の世界に戻る方法を探す? どうやってここに来たかもわからないのに。どの道危険を伴う外へと出ていかなければならないんじゃないかしら。その時、バトルが苦手な私は自分の身を守れるのかすら怪しいところ。
 色々考えてみた結果。私は自分が『アリス』だと信じる事にした。信じて、二匹の助けを借りて『チェシャー』とやらを倒そう。その中で元に戻る方法を模索していけば良いんだわ。『アリス』の名を振りかざして守って貰おうなんて考えはずるいのはわかっているけど、私だって自分にできる最大限の事はするつもりよ。
「協力するわ。それが私の役目なんでしょ? 頼りっぱなしになるかもだけど、私にできる事ならなんでもするわ」
「マジ!? やっぱな、オレ『アリス』を信じてたぜっ!」
「むふっ!?」
 ぱっと表情を綻ばせ、災牙が抱き着いてきた。首元の飾り毛に顔が埋まり、私は短くて届かない前脚の代わりに尻尾を使って災牙の背中をばしばし叩く。すぐに気付いた災牙が離れてくれたおかげで、私はあわやもふもふに溺れて窒息死という間抜けな最期を免れる事ができた。闇はというと解放された私の前脚に触れ、何度も頭を下げてきた。ここまでお礼を言われると申し訳ないわ。私はそんな聖人じゃないのに。
「ありがとう、魅甘! 本当に、ありがとう……。よし、そうと決まれば久々に出かける事になるな。色々準備しなきゃ。災牙、魅甘を城の出口まで案内して欲しい。そこで落ち合おう」
「おう。行ってらー」
 災牙に見送られ、闇は軽い身のこなしで廊下の向こうへと駆けていった。災牙も立ち上がり、前脚、後脚の順に突っ張らせて大きく伸びをする。私もそれに倣って身を震わせた。
「じゃあ、案内してくれる?」
「っと、その前に。『アリス』、腹減ってねー?」
「……あ、うん空いてるかも」
 災牙に言われて、そういえば自分が空腹だった事に気づく。当然と言えば当然かも、難しい話を聞いた後だし、その前だって長いこと歩き続けた上に、これ以上ないってくらいの全力疾走をした後だもの。目の前の誰かさんのせいでね。
「じゃあついて来いよ! なんか食わせてやっからさー、ひゃっは!」
 私が頷くと災牙は楽しそうに笑い、無駄に高いテンションで私について来るよう促した。闇はもう見えないし、取り残されるのも嫌なので私は急いで後を追う。
 相変わらず奇妙にジグザグ折れ曲がった廊下を逆走する私達。延々と続く一本道も不安になるけど、まったく先が見えない曲がり角だらけの廊下というのも落ち着かない。どうして真っ直ぐだった廊下がこんなに折れ曲がっているのか、災牙に聞けばわかるかしら。尋ねようとした時、災牙は開いたままだった扉の向こうへと入っていったので、私の疑問はお預けとなってしまった。
 思っていたより早く着いたけど、この部屋って私と災牙が衝撃的過ぎる出会いをした部屋、よね? もう血のにおいはしないけど、その……まだ血の発信源が転がっているんじゃないかしら。どうしよう、逃げ出すべき?
「おーい『アリス』、早く来いよ。大丈夫、『アリス』が想像してるようなもんはねーから!」
「本当でしょうね?」
 頭だけ出した災牙が呼びかける。不安は拭えないけどここで逡巡してても埒が明かない。よし、災牙を信じてやろうじゃないの。
「おや、今晩はエネコさん。ご機嫌麗わしゅう。……では災牙様、またお会いしましょう」
「おう、またなー!」
 意を決して部屋に入ると、災牙のものではない柔らかい声が出迎えた。部屋には先客がいた。細長くしなやかな体に、扇状の葉っぱを何枚も生やしたポケモン、ジャノビーだ。ジャノビーは恭しく頭を下げると、返答を待たずに私と同じく短い脚を動かして走っていく。そのまま火のついていない暖炉に飛び込み、煤が付くのも気にせずに煙突を上って姿を消した。
 慌ただしい出会いと別れを終え、私は周囲を見回す。災牙の言葉通り部屋は綺麗に片付いていた。見覚えのある室内、だけど赤い染みのひとつもない。じゃあ一体あの光景は何だったのかしら。
「本当に変なものはないみたいね。ところでさっきのジャノビーは誰、知り合い?」
「ああ、さっき斬ってた奴」
「ふーん……え!?」
 さっきって、やっぱりあれよね。災牙が血塗れでハイになってた時の、ひ、被害者!? いや、被害者があんなピンピンしてるわけがないわよね。
「無傷だったように見えたけど……」
「当たり前じゃん、殺されたんだから。死んだ者は生き返らない、殺された者は生き返る、常識だろ! まああいつ、殺されるのが好きなんだよ。で、オレは血が好き。利害が一致してるから時々遊んでるわけ。……あ、その辺に座って待ってな」
「どういう事よ!」
 わけがわからなくてつい怒鳴ってしまったけど、私は何も悪くないはずよ。災牙は後脚で立ち上がり、高級そうな棚を漁っている。
「そのまんまの意味だろ、って『アリス』はまだこっちの常識には詳しくないんだっけ。事故や寿命や病気で死んだらそのまま。ただし誰かに殺されてもそいつ本来の寿命が来るまで生き返り続ける事ができる。確か、なんだっけか、そうポケセン効果って言われる現象なんだぜ。ただ『アリス』と一部の例外だけは生き返らないらしい、不思議だよなー。オレは試した事ねーから生き返るかどうかわかんねーけど。だって死にっぱなしだったら嫌だろ? お、あったあった」
 とんでもない法則が存在するらしいこの世界に私が頭を抱えていたら、災牙が嬉しそうな声を上げた。口でお盆を咥えて、こちらに持ってくる。
「ほいストロベリータルト、マジ美味いぜ。『アリス』は先に食ってなよ。オレは飲み物用意してくるから!」
 災牙は満面の笑みを浮かべ、目の前にお盆を置く。真っ赤なジャムを見てさっきの血塗れ災牙が頭を過ぎり、若干げんなりした。だけど鼻を擽る甘いイチゴジャムの香りは本物で、勝手に口の中に溢れてきた唾をごくりと飲み込んだ。タイミングを見計らったかのようにお腹の虫がぐぅーっと鳴き声を上げる。はっとして顔を上げたけど、宣言通り災牙は飲み物を取りに棚の方に戻っていて、恥ずかしい音は聞かれずに済んだ。
 こうなればもう、目の前のストロベリータルトは宝石のようにキラキラ魅力的に見えて、嫌悪感がすうっと消えていく。私って結構幸せな脳みそを持っているわね。
「いただきますっ!」
 私はタルトに齧りついた。パイ生地に牙を突き立てるとさくっと軽い音がして、香ばしい風味がふわりと広がる。そして香りを裏切らない、いや、むしろ良い意味で裏切るイチゴジャムの甘くて濃厚な味に舌が蕩けてしまいそう。これ一個お幾らくらいするのかしら。災牙は王族らしいから、庶民が呆れるような値段でもぽんと出すんだろうなあ。でも桁が一つ二つ多いお金を出すだけの価値は確かにあると思うわ。これ美味しい。すごく美味しい。破産しても太ってもいいから毎日食べたいくらいね。まさに絶品と言う他ないタルトを堪能していると。
「……ん?」
 急に身体から力が抜けた。脚に力が入らなくて、私はゆっくりと伏せの体勢になる。おっかしいなぁ。疲れてる状態で甘いものを食べたから、気が抜けたのかしら。なんだかんだ言いつつ、趣味を除けば災牙も結構良い奴みたいだし、安心したのかも。色々と感覚が麻痺してしまったような気もするけど、気がするだけ、よ。
「お、効いてきたみたいだな」
 災牙が飲み物の入っているらしい瓶を咥えて歩いてきた。効いてきたって、何が?
「言い忘れてたけど、そのタルトには痺れ薬が入ってんだぜ! ひゃはは、気付かなかっただろー!?」
「はあ!? あ、あんたの仕業なの……!?」
「そうだけど?」
 せっかくこいつの事を見直しかけてたところなのに! やっぱり頭おかしいわこのひゃはは野郎! まさかこれって、あのジャノビーと同じ運命を……。色々な思いが瞬時に頭を駆け巡り、私は立ち上がって逃げようとした。だけど脚に全然力が入らなくて、姿勢すら変えられない。
「い、言っとくけど私、痛いの嫌いだからね! それに『アリス』は生き返らないんでしょ!」
 仰向けにひっくり返した私に馬乗りになってきた災牙を睨み、必死に叫んだ。なんとか身体を動かそうとするんだけど、イモムシみたいに緩慢な動きで身を捩る事しかできない。自分の身体じゃないみたい、言う事聞きなさい私の身体。
「勘違いすんなって。『アリス』の血が目的じゃないっての。……そりゃ、機会があったら浴びたいけどなー」
「ぎゃぁぁぁぁ!」
 無邪気な天使の笑みで物騒な台詞を言われ、全身総毛立つ。災牙はそんな私にお構いなく言葉を続けた。
「今日はこっち、な」
 そう言うと瓶の中身を飲み、顔を近づけてくる。
「んんー!?」
 一瞬何が起きたかわからなかった。目の前にはどアップの災牙の顔。唇に温かく柔らかい感触がして……って、こ、これってもしかしてキスって奴なの!? ちゅーしてるの私!? わーぎゃー! 馬鹿馬鹿、どうしてくれるのよこれふぁーすときすなのよこんにゃろー!
「んっく……!?」
 唇が柔らかいものでこじ開けられたと思ったら、生温い液体が流し込まれてきた。パニック状態の私は、考えるよりも先にその液体を飲み込んでしまった。何かしらこの味……カスタードみたいに甘くて、パイナップルのように酸っぱくて、ローストチキンのようにしょっぱくて、コーヒーのようにほろ苦い、とろりとした不思議な味が喉を伝い落ちる。
「ふ……ぁ」
 液体が無くなっても災牙は口を離してくれない。柔らかいもの、それは災牙の舌だと少し考えて理解したけど、その舌は口内をぐるりと舐めて、私の舌にも絡んできた。一生懸命侵入者を押し返そうとして、結果としてそれがキスに応える形になるだなんて、思い至った時にはもう遅かった。……頭がぼうっとなってきたのは変な液体を飲まされたのと、口を塞がれて酸欠気味になってるせいだと思いたい、悔しいから。いい加減苦しくなってきた頃、漸く災牙は口を離してくれた。
「……っは、『アリス』サイコー。キスだけでそんな顔すんだな」
「!? ば、馬鹿!」
 ああもうこいつ本当に頭おかしいわ、初対面の時に血塗れで高笑いしてたのを抜きにしてもおかしい。普通、出会って間もない女の子に痺れ薬を盛って襲ったりする?
「さっさとどいて……っ、く」
 と、身体が急に熱くなってきて私は小さく唸った。身体の奥がじんじんと疼いて――何かを求めている。何、を?
「媚薬の方もちゃんと効いてきたみたいだな! じゃあ早速」
「やめっ……あ、ひゃんっ!」
 ビ、ビヤクって、その、よろしくない気分にさせる薬よね、この馬鹿ブソルなんて事を! と憤慨している間に、災牙が私の大きな耳を甘噛みした。それだけでも背すじがぞわりと粟立って、びっくりするほど上擦った声が出てしまう。何、この感じ。知らない感覚が怖くて、でも熱を持った身体はもっと欲しい欲しいと騒ぎ出す。身体と心が正反対の反応を起こして戸惑ってしまう。
 私が抵抗できないのを良い事に、災牙の暴挙は止まらない。私を片方の前脚で抱え込むようにして固定し、今度は胸元を舐めてくる。毛繕いに似ているけど、目的はそんな平和的なものじゃなくて。
「んっ、やっ」
「気持ちいーか?」
「良くない!」
 びりっと電流が走ったような錯覚を覚え、口が勝手に開いてしまう。私の否定の言葉を受け流して、災牙は何度も何度もその場所を舐めてきた。
 意思に反して充血してしまったらしい胸の先端は、柔らかく熱い舌で擦られる度に深い痺れを全身に伝えてくる。ちゅうっと音を立てて吸われると、身体の奥底から快感のシグナルを引きずり出されるようで。薬のせいだから仕方ない、そう言い聞かせないと自分を保てなくなるくらい気持ち良かった。絶対言葉に出しては言わないけど。だって災牙が調子に乗るじゃない。
 私の胸元の毛がびしゃびしゃになった頃、災牙のもう片方の前脚が後脚の間に触れた。硬くひんやりとした爪の、その鮮烈な感触がぼやけ始めた思考の中に食い込んでくる。
「にゃっ!?」
「やっぱ感じてんじゃん、濡れてるぜ」
 大振りな爪の甲で溝をなぞられると、嫌でも聞こえてきた粘っこい水音。恥ずかしさに顔に熱が集中して、多分災牙の目には真っ赤になった私が映っているんじゃないかしら。
「か、感じて、ない、だかっらぁあっ! ん、くっ……」
「『アリス』って強情だな。そんなとこも可愛いー」
 災牙は面白がったように笑って私の頬を一舐めすると、爪の甲で溝を強く押し込んできた。少しずつ体内に侵入してきて、やがて私の秘部はその異物を受け入れてしまう。自分でも触れた事の無いような場所に、他人が触れている。経験した事のない状況に頭がパンクしそう、というか湯気くらいなら本当に出てるんじゃないかしら。
 気をつけてくれているのか、体内が引っかかれた感じはしないけど、そんな気遣いするくらいなら初めから襲わないでよ。文句を言いたいところだけど、口を開けば馬鹿みたいに甘ったるい喘ぎ声が出てしまうから何も言えなかった。硬質な爪が、柔らかい肉の間をこじ開けては擦り上げていく。初めて経験する感覚なのに、私の身体は素直に快楽と受け取ってしまう。信じられない。お腹の中を撫でられるのがこんなに気持ち良いなんて知らなかった。
 爪が出たり入ったりすると水音と快感が同時に湧き上がり、私は痺れた身体を突っ張らせてただ翻弄されるばかり。必死に声を押し殺す事だけ考えて、それ以外は白く塗り潰されていく。
「中がびくびくしてんな……イきそう? これでどーだ!」
「はにゃあっ!? あ、あぁぁっ……!」
 災牙は前後させる動きを速めて、またしても私の耳を食んだ。その途端雷に打たれたような刺激が、頭の先から尻尾の先まで駆け抜ける。自分の甲高い声が遠くで聞こえて、気持ち良い、それだけの中をぷかぷか漂っているような不思議な感覚に陥った。まるで私が私じゃないみたい。
「さて。舐めて欲しいけど……今の『アリス』には無理か。また今度やってくれよな? オレもう我慢できねーし」
「はぁ、はあ……なっ、なにを、舐めろって……?」
 戻ってきて最初に聞いたのは、私を追いやった災牙の声。反射的に聞き返す、けど答えは言われなくともわかってしまった。荒い息の災牙が身体をずらした時、白い毛皮とは対照的な赤黒いあれが見えてしまったのだ。あまりの衝撃に、私はポケモンだけれども、こんな攻撃体勢のポケットモンスターなんて初めて見たわ……なんて、頭の片隅が現実逃避を始める始末。とうとう犯されてしまうのね、私。ああ、初めてくらい、ちゃんと好きな相手に捧げたいのに。少なくとも、こんな半分無理矢理な形でなんて嫌なのに。だけど相変わらず身体は言う事を聞かず、それどころか喜んで体液を溢れさせる。
「いいよなー、『アリス』」
「ま、待ってってば!」
「無理。さあ、オレを満足させてくれよ、『アリス』」
 制止の声なんて聞きやしない、もう駄目だ。私が自分の純潔とさよならする覚悟を決めた時だった。
「何やってんだ馬鹿ブソル!!」
「ぎゃっ!」
 怒声と共に、紫紺のエネルギー渦巻く波動が飛んできて災牙にぶち当たった。私には掠り傷ひとつつけずに災牙だけに命中した辺り、かなり正確なコントロール能力を持っている事が覗える。発信源を見ると、部屋の入り口で、ポーチを提げた闇が怒りの形相で仁王立ちしていた。ああなんという救世主様。後光が差して見えるわ。
 一方もの凄い勢いの悪の波動を受けた災牙は、闇の反対側、部屋の端まで吹き飛ばされていた。牙で口の中でも切ってしまったのか、軽く咳き込むと前脚に血の染みがつく。それを見た災牙は
「あ……赤い血……」
 と呟いて、にんまりしたまま気絶した。血なら何でも好きなのかしら、ヘマなんとかめ。
「魅甘ごめん、こいつは後できつーく叱っとくから……目を離した俺が悪かった。大丈夫、じゃないよな。本当ごめん」
「ううん。危なかった、けど……あ、ありが、とう……」
 駆け寄ってきた闇はひたすら平謝りしてくる。闇は何も責任を感じなくていいのに、悪いのは油断した私、いやそもそも襲ってきた災牙なのよ。だから気にしないでと言おうとしたのに、媚薬のまわった身体は中断された事を怒っているみたいで。口は別の言葉を喋っていた。
「ねぇ、闇……身体が熱いの……助、けてぇ」
 こんな事お願いしても闇が困るだけだってわかってるんだけど。感じてなるもんか、という緊張の糸が途切れたせいか、どうしようもなく身体が熱を帯びているのを自覚してしまった。中途半端に火照らされた身体が疼いて苦しくて、頭がどうにかなっちゃいそう。自分で疼きを鎮めようにも、痺れ薬のせいで思うように動けない。
「魅甘、まさか、これ飲まされたのか……」
 闇は転がった瓶を見て両耳を垂らした。ラベルを読み、表情を険しくしている。
「性欲を発散させるか、時間経過で元に戻るから、暫く待てば……って、この状態じゃ辛いよな」
「うん……ごめんね、闇……して、くれる?」
「……わかった。でも、俺でいいの?」
「闇が、いい……その、闇が嫌じゃなかったら、最後まで……」
 これだけは薬のせいとかじゃなくて本音だった。まだ会ったばかりだけど闇は私のタイプだし、正直一目惚れだ。内面だって何度も助けてもらったせいで好感度は天井知らず。本当はちゃんとお付き合いして、愛し合って、その上で行為に及ぶべきなのはわかってるのよ。でも……。動かない前脚をどうにか伸ばして闇に触れると、う、と小さな呻き声がした。
「魅甘、それ反則……。じゃあ、相手させて貰うよ」
 どこかぼーっとした声音の闇は、私の下半身の辺りに伏せた。次の瞬間、ぬるりとした感触が秘部を覆った。
「ふぁっ、にゃぅ、んっあ……!」
 なめられてる。そう気づくのに少し時間が必要だった。
 闇の舌が私の中心を前後する度に、腰が勝手に跳ね上がって甘ったるい声が出てしまう。恥ずかしい、けど、どうしようもないくらい気持ちいい。気持ち良さだけじゃなく、じわりとした温かさで心が満たされていく。
 秘部では自分でもわかるくらい体液がとろとろ流れ続けて、闇の舌が中に入り込んでくるとそれは一層酷くなった。ぴちゃぴちゃと水を掬い上げて口へと運ぶ音は、紛れもなく私の股の間から響いてきて。柔らかいもので押し広げられる度に、優しくお腹の中を撫でられる度に、頭の中がどんどん蕩けていく。
 あられもない声で鳴きながらふと、私は尻尾が動かせるようになったのに気づいた。薬の効果が弱まってきたのかしら。お礼がしたくて、闇の後脚の間に尻尾の先を持っていった。
「ぅあっ!? み、魅甘!?」
「私からも、お返し……」
 手探り、もとい尾探り状態でたどたどしいだろうけど許してね。私は尻尾の先で、毛皮ではない、剥き出しになった肉をそうっと擦った。あんまり強くすると痛いかしら、ついてない私には加減がわからない。闇が痛がる様子がなくて一安心した私は、尻尾をそれに沿って前後させた。薬の抜けきっていない尻尾が許す限りの速さで、何も知らない私が思いつく限りの動きで、闇が気持ち良くなってくれるように。
「んんっ、あ……」
 私を舐めてくれる舌の動きが、ちょっと大雑把になった。闇の色っぽい声が吐息に交じって、尻尾の先に密集した毛がしっとり濡れていくのがわかる。男の子も気持ち良くなったら濡れるのねぇと関心しつつ、快楽が弱まったのを身体は残念がっていて。
「も、もっとぉ……」
 無意識にはしたない言葉を口走ってしまうと、秘部が不意に涼しくなった。理由は闇の顔が離れたから。もしかして、闇に呆れられちゃった? うう、はしたない女だって思われたら、いや実際やっている事も言っている事もはしたないんだけど! でもそれは無用な心配だったみたい。闇はぺろりと口元を舐めて、私の顔を覗き込んだ。
「もっとって、最後まで、って事?」
「……そう、デス」
 少しの間だけ、私達は赤く染まった顔を見合わせて笑った。それからお腹を合わせた形で闇が覆い被さってくる。すっかり準備が整ったらしい闇の、腫れたように熱を持って大きくなったものが当てられた。
 闇は身体を丸めて私と視線を合わせてくれる。虹彩が見えるほどすぐ近くにある潤んだ深紅の瞳。綺麗で、深くて、吸い込まれそうで、これ以上ないってくらい上がっていた心拍数がまた一段と速くなった。
「入れるよ、魅甘」
「うん」
 確認の後、ゆっくりと闇が腰を落としてきた。熱い質量を持ったものが、狭い場所に埋められては隙間を拡張していく。処女だったけど、薬のせいか噂に聞くほど痛くはなかった。そりゃあ少しは痛いわ、でも闇も気遣ってくれているし、疼いた身体がもっと大きな快感を求めるせいで痛みはどんどん隅へと押しやられていく。どうにか収まったのを確認して、ゆっくりと、闇が動き始めた。
「ひゃ、ぁ、ふぁあっ!」
 動きそのものは、押し進めて、奥をつついて、次に備えて引き抜いていく、爪や舌と同じ動き。だけど今までとは比べ物にならないくらいの快感が押し寄せてきて、私はもう言葉の意味を成さない、ただの鳴き声を上げる事しかできなくなった。体内をどこもかしこも闇の熱で擦られて、熱くて火傷してしまいそう。ほんの少し苦しくて、でもその苦しささえ興奮を高めてくれる材料だった。肉のぶつかり合う湿った音がして、視界がぶれて、全身を貫いていく快楽の波。
 私だけじゃなくて、闇も気持ち良くなってくれてたら嬉しいなあ。揺さぶられながらも漠然と、そんな事を考えて闇に掛けた前脚に力を込める。私と目が合うと、闇はますます身体を密着させてきた。
「はあ、あっ、魅甘……!」
 うわ言のように呟いて、闇がキスしてくれた。嬉しさが胸いっぱいに広がり、私も闇の口元を舐めて「好き」を伝えた。色々すっ飛ばしてぶっ飛んだ展開だったせいか、順番が逆になってしまったけど。私、初めてを闇に捧げられて良かった。
 密着したおかげで闇がより深く私の中に入ってくる。大きく引き抜かれては、勢いよく押し込まれて。お腹の中で闇の形がくっきりと感じられて、歓迎するかのように中が締まる。ごつりと奥を強く叩かれた時には、私はもう耐え切れなかった。
「闇、く、らっ……あ、にゃぁああっ!」
 私が、どこかに行ってしまいそう。白い光が弾けて、背骨を突き抜ける快楽の渦。下半身ががくがく震えて止まらないのに、針金でも通したように、尻尾がぴんと伸びたまま戻ってくれない。
「やばっ……ううっ、あ……!」
 ずるり、とそれが抜き取られて、私のお腹に熱い飛沫がかけられた、ように思う。ふわふわと意識が浮遊して、上手く思考が回らない。ただ心地よくて、なんだか幸せな気持ち。どさりと隣に伏せた闇の体温を感じながら、急に襲ってきた疲労感に誘われるまま私は目を閉じた。 

◇第三章◇黒兎の忠告―Advice from an Umbreon― 


「そろそろ行こうか、魅甘」
「うん」
 私は城の外へと足を踏み出した。爽やかな日差し、心地良いそよ風、踏みしめる石畳の硬い確かな感触。歩みに合わせて首元の鈴がちりんちりんと小さく軽やかな音を立てる。少し前を歩くのは、とっても頼りになる優しい闇。出発にはこれ以上ないってくらいの素敵な朝だ。私達は『チェシャー』以外で唯一災牙の呪いを解けるという『謡い帽子屋』を探しに、こうして旅立ったのだった。
「じゃーなっ、ぜってー『謡い帽子屋』を連れてきてくれよ『アリス』! それにお土産も期待してるぜぇ! ひゃーっはははははっ!」
 ありがたい見送りの言葉はへらへらしてて無駄にテンションが高くて、まるで緊張感と、それに罪悪感がない。文句の一つでも言ってやろうかしら、と私は首だけで振り返った。
 頭に大きなたんこぶをつけた災牙は後脚で立ち上がり、大きく開け放された正面扉の、何もない空間に前脚を預け寄りかかっていた。私と目が合うと、災牙は犬歯を見せて笑い片方の前脚をぶんぶん振る。
「言い忘れてたけど、なるべく早く帰って来いよな! でないとオレ、寂しくて死んじゃうぜ!?」
 そう言うと、災牙は芝居がかった仕草で両前脚で自分を抱きしめた。支えを失った身体は前面に倒れ――込む事なく、やはり何もない空間に押し付けられていた。どうやら私達が何の違和感もなく通り抜けた扉を、災牙は本当に越える事ができないらしい。いくらお城が広いとはいえ、闇以外の同居人はおらず(ジャノビーみたいに偶に来る友達? はいるらしいけど)、ずっと閉じ込められていると気が滅入るに違いない。その点に関しては災牙に同情するわ。
「わかった、あんたが死ぬ前に帰ってきてあげるわよ」
 本当に早く帰れるかはわからないけど、ひとまず私はそう言葉をかける。
「……死なないだろうけど、全身錆び色にはなってるだろうね」
 隣でぼそりと闇が呟いた言葉を、私は聞こえなかった事にした。


♥♥♥♥


 災牙に見送られた私達は、綺麗な……ううん、以前は綺麗だったと思われる荒れ放題の庭園を縫う道を辿る。植物達は、あるものは枯れ果て、あるものは好き勝手に伸びて柵からはみ出し、あるものは雑草に埋もれ、またあるものは何事もなかったかのように色鮮やかな花を咲かせていた。美しさを目的に改良された花達の、本来持っている生きる力をありありと感じられる光景だった。闇は野性味溢れる庭園を見回して切なげな笑みを零す。
「前よりも荒れちゃったな……。『チェシャー』の奴が反乱を起こして世界をめちゃめちゃにしてからこの有り様だ。『ハートの国王』夫妻が健在だった頃は、王国でも右に出るものはいないとされる立派な庭園だったんだけどね。魅甘にも見せてあげたかったよ、直線と曲線の幾何学模様で構成された緑の宝石箱で、手入れされた花達が競うように色と香りを振り撒くんだ」
 闇は恥ずかしさと寂しさと、それと懐かしさを混ぜたような顔で言った。深紅の瞳の向こうには、在りし日の美しい庭園が映っているのかしら。思い出のノイズにならないようにと、私は口を噤んだ。
 それから後は無言で、私達は静寂と時の流れの中に置き去りにされた庭園を歩き続けた。その間考え続けていたのは『アリス』という存在の事。やっぱり、私は『アリス』じゃないかもしれないって闇に打ち明けなきゃ。闇は私が『アリス』だと信じてくれて、世界が元通りになるのを夢見てる。だけどそれは勘違い、叶わない夢。傷口が広がらない内に謝らなきゃ。昨日の出来事だって、あれはきっと私が『アリス』だから優しく扱ってくれただけで。私が『アリス』でないと判明した途端、突き放されてしまうようなイメージが見えて身体の奥が冷えた。それが普通の反応のはず、悪いのは正直になれなかった私。頭ではわかっていても、いざその場面を想像すると怖くて辛くて、私は中々切り出せずにいた。闇に見捨てられたくない、使命感でもいいから一緒にいて欲しい。まさしく子猫のように私は闇に縋りたかった。清廉な花の香りが慰めてくれなければ、私は潰れていたかもしれない。
 葛藤しながらどれだけ歩いたかしら。やがて緑の向こうに、赤茶色の人工物が見え隠れし始めた。行く手にあるのは庭園の終わりを告げ、外界とお城を繋ぐ役割を担う門。元々はお城の顔、大層ご立派だったんでしょうけど、庭園と同じく手入れを放棄されて長いみたい。門は錆び付いた挙げ句に伸びた雑草の支柱代わりにされていた。その向こうは鬱蒼と生い茂った森が広がっている。随分辺鄙な所にあるのねぇ、このお城。
 門の前で闇は立ち止まり、私の顔を見た。その整った惚れ惚れするような顔は、幾らか緊張で引き締まっている。体毛もちょっぴり逆立ってるみたい。
「いよいよ出口だ……俺もここから先に出るのは久しぶりなんだ。ここを出れば、もう簡単には帰ってこれなくなるからね。万が一の事を考えて、同時に通り抜けよう。準備はいい、魅甘?」
「う、うん?」
「じゃ、行くよ。一、二の三っ」
 闇が何を警戒しているのかわからないけど、私は頷く。掛け声に合わせて、同時に門の向こうへ足を踏み出した。
 何も問題は起きない。
 そう思ったのは一瞬だけだった。
「あ、あれ?」
 目の前の風景が一秒前の記憶と噛み合わない。私達は森に出たはずだったのよ。どうして見覚えのない草原に立っているの?
「闇、私達って……え、えぇっ!?」
 振り返った私は驚愕の声を上げてしまった。この世界に来てからもう何回びっくりしたかわからないけど、その中でも断トツに頭が追いつかない現象よ、これ。
「お城、どこ行っちゃったの!?」
 さっきまで私達がいたお城が、跡形もなく消えているなんて!
 私達が立っているのは、本当に何もない見渡す限りの草原だった。少しでも遠くを見ようと後脚で立ち上がっても、ぽつりぽつりと存在する丈の高い草むら以外は障害物すらない。だだっ広い緑の海原の中に、ついさっき通り抜けた錆び錆びの蔦塗れの門だけが、不自然に忽然と突っ立っていた。
「言っただろ。簡単には帰れなくなるって」
 闇が私の隣に立ち、辺りを見回した。僅かに温度の低い風が吹いて草の海を渡り、潮騒のようにざわざわと寂しげな音を奏でる。空だけはさっきと変わらず、抜けるような青の中、まだ昇りきらない太陽が光と暖かさを落としていた。
「『チェシャー』が独裁者となってから、空間が不安定になったんだ。原因は不明だけどね。空間と空間を繋ぐ扉は全て曖昧になって、道は気まぐれに行先を変えてしまう」
「えっと……もしかして、お城の廊下がジグザグだったのもその影響なの?」
 私はふと、闇の説明に思い当たる節を感じた。眩暈がする程の一直線から、突然右に左にのジグザグ廊下になった理由。
「うん。城の中だけだから、廊下が歪んで間取りが変わる程度で済んでたけどね。外は本当に無法地帯さ。だから『アリス』である君が来るまで、俺達は災牙の呪いを解く事すらできなかったんだよ」
「あ、闇。その事、なんだけど……」
 お城への道が閉ざされてしまった。つまり、もう後戻りできないところまで来てしまった。このタイミングで言うにはきっと手遅れで、でも遅かれ早かれいつか必ずボロが出てしまうと思うの。私は深呼吸した。
「闇。あのね、私、その……私は本当は『アリス』じゃないかもしれないの」
「魅甘?」
 闇が私を真っ直ぐ見つめて、目をぱちぱちさせた。ここまで来たらもう言うしかない、全てを。嘘を貫き通せるほど器用じゃないって、自分が一番よくわかっているもの。私は腹を括る。
「私、闇達に守ってもらいたくて自分が『アリス』だと信じた。だけどやっぱり私はそんな英雄じゃない、ただのしがないエネコよ。『アリス』なんかじゃないの。だから、力になれない。闇や災牙を助けるなんて無理なのよ。……私、最低よね、今更。……黙ってたって、つまり騙しているのと同じ事よね。本当に、本当にごめんなさい」
 限りなく懺悔に近い私の言葉を、闇は何も言わずに聞いてくれた。おまけに怒るそぶりも見せず、至って平然と。
 むしろ声を荒げて、嘘つきめ、と糾弾してくれた方が良かったのに。穏やかな表情が、沈黙が私を非難するもののように思えていたたまれなかった。今すぐ逃げ出してしまいたい、でも何処へ? 逃げる宛だって私には用意されていない。
 もう闇の顔を見るのも申し訳なくなって、私は自分の爪先へ視線を落とした。見放され、ちゃうわよね。こんな罪悪感を抱くくらいなら、初めから「私は『アリス』なんかじゃない! 人違いよ!」ってはっきり言えば良かった。あわよくば守ってもらおうなんて自己中心的な誘惑に負けた結果がこれだ。正直に言えばまた展開は違っていたはずなのに。涙だけは必死で堪えて、私は地面にぐっと爪を突き立てた。もし泣いてしまったら、闇に益々迷惑をかけてしまう。
 俯いていた私の視界の上の方。すっと黒い前脚が差し出された。
「魅甘、顔上げてよ。別に俺は怒ってないし、魅甘」
 私が動けずにいると、もう一度闇は私の(・・)名前を呼んだ。そういえば災牙はずっと私を『アリス』って呼んでたのに、闇だけは私を本当の名前で呼んでくれていた……? 
「自分が何者かなんて、案外自分自身にはわからないものさ。増してや成し遂げられるよう運命づけられた役割なんて、その時になるまでわからない。確かに魅甘は、何の変哲もないただのエネコかもしれないし、俺がただのブラッキーだったらそう考えていた」
 顔を上げる。闇は不安を塗りたくってあるだろう私の顔を見て苦笑した。だけど、それは全然嫌味なものじゃない。それどころか「気にしないで」と表情だけでも語れるくらいで、不安定だった私の足元がすっと固まった気がした。
「だけど、俺も役割を与えられた『黒兎』だ。『黒兎』は『アリス』を守り、誘う者。『黒兎』としての俺の直感が君を正真正銘の『アリス』だと告げているんだ。だから大丈夫。気にする事はないよ。自分を信じられないなら、俺を信じて欲しいな」
「本当に、許してくれる? 闇を信じていいの? ……私の事、嫌いになってない?」
「もちろん。それに俺は『アリス』に関係なく、魅甘をその……好きになってるというか。初めて見た時から、可愛いなって思ってた」
「えっ」
 闇は今、何と言った? 昨夜のは私が薬で苦しんでいるから、優しい闇は助けてくれただけだと思っていたのだけど。だからあの時感じた愛情は、むしろ同情や正義感に近いものだと思っていたのだけど。そうでもなく、本当は気持ちが通じ合っていた?
「そ、そんなぽかんとした顔されると逆に恥ずかしいんだけど」
「だ、だだだだって闇がわわわ私を」
「おおお落ち着こう魅甘も俺も」
 昨夜の行為よりも、素面で面と向かって好きと伝え合うのがこんなに恥ずかしいなんて聞いてないわ。今までの頼れるしっかり者のイメージはどこへやら、落ち着こうと言った闇までも動揺する始末。私達は暫し、意味のない動きや発声を繰り返し、やっと落ち着いた時には声を上げて笑った。寂れた草原には不釣合いな朗らかな声だったと思うわ。心なしか世界が明るくなった気がした。
「さて、どっちに行けばいいのかしら? というか、『謡い帽子屋』ってどこにいるの?」
 ひとしきり笑い合った後、私は本来の目的に触れた。こんな大草原に、災牙の呪いを解けるすごいポケモンがいるなんて考えられないけど。そもそも種族もわからないポケモンをどうやって探し出すつもりでいるんだか。闇はうーんと首を捻った。
「帽子屋だから、帽子がたくさんあるところだろうね」
「まあそうよね」
「……ごめん。何言ってんだろ、俺」
 闇って何気に天然だったりするのかしら。さっきの慌てっぷりといい、大真面目にボケたところといい、格好良いだけじゃなく可愛いところもあるじゃないの。胸キュンポイントが少し溜まったわ。
「魅甘は? なんとなくこっちに進みたいとか、そういうの感じる?」
「えっと……じゃあ、こっちかな」
 私は自分から見て右の方に尻尾を向けて答えた。根拠も何もない、本当にただの直感だ。闇は頷いた。
「わかった。そっちに行こう」
「え、こんな適当でいいの?」
「適当でも『アリス』が選んだ方向に間違いはない。世界はそういう風に作られているんだ」
 もっとビビッとくる何かが必要だと思ったんだけど。私の軽い発言の通りに、闇は躊躇いなく草の中に飛び込んで進み始めた。これで大丈夫なのかなあと不安になりつつ、はぐれるのも怖いので後を追う。闇に続いて分け入ってわかった事は、この草むら、見た目よりも背が高いって事。私なら完全に埋れてしまうし、闇だって耳先が出るか出ないくらいは丈がある。門のあった部分だけが少し高くなっていたようで、私は本当に草の海を泳いでいる気持ちになった。
「魅甘、大丈夫? はぐれてない?」
「ありがと。大丈夫よ」
 背の高い闇が草を掻き分けてくれて、私はその後ろを引っ付いて歩いてるんだから、むしろ楽なくらいよ。振り返った闇は、私が雛鳥よろしくくっついているのを見て、安心したように口元に笑みを浮かべた。転ばないようにまた前を向いて、思い出したように語り出す。
「俺さ、前に一度だけ、災牙が封印された直後に門を通って出た事があったんだ。その時は真っ暗な洞窟に出たんだけど。なんとか城に戻ろうと彷徨って、漸く災牙と再会できたのは半年後だったよ」
「は、半年も!?」
「そう。何の変哲もない茂みを潜り抜けたら、いきなり城の庭に出たんだ。本当に偶然だったよ。災牙はああ見えて寂しがり屋でさ。俺達を見送る時にも言ってたけど……錆色のかぴかぴになってた」
「うわあ」
 酸化鉄色のアブソルが簡単に想像できてしまい、私は顔を顰めた。どうか、私が戻った時は白いアブソルでありますように!
 そんな必要だか不必要だかわからない情報を聞いたり、闇の事や私の事を話したりして歩いていく。よくよく考えてみれば私達、ちゃんとした自己紹介もしていなかったんじゃないかしら。『黒兎』として、『アリス』として、ではなくて本来の自分自身の事を。
 闇は元々女王陛下に仕える若き執事で、災牙とは同い年だそう。女王陛下と、何より災牙の強い希望で、王族である彼とは友達として接してきたらしい。だからあんなに遠慮なくぶっ飛ばしてたのね。でも王族って、皆が皆気を使い敬って接するから、気を張らずに話せて普通のやり取りができる友達ってとても貴重な存在よね。
「以前は、災牙は血液愛好者(ヘマトフィリア)じゃなかったよ。むしろ、ちょっと血を見るだけで卒倒するような奴だった。昔、ニョロトノの召使が毛繕いの時に、力加減を誤ってひっかき傷をこしらえてしまったんだけど。その小さな擦り傷から滲んだ血を見ただけで倒れて、角のへりが欠けた時もあったな」
「うっそ。信じられないわね」
「『チェシャー』の反乱によって世界の全てがめちゃめちゃになった時に、性格が変わってしまったからね。皆も、彼も、俺も」
 という事はつまり、この素敵な紳士ブラッキーも変質した結果という事になるのかしら。うう、それはちょっと嫌だなぁ。それじゃあ私が好きになったのは偽りの闇という事になってしまうわ。怖いけれども尋ねてみた。
「じゃあ闇は以前どんなだったの?」
「自分では変化に気づけないんだ。だけど表面の性格が変わっても心までは変わらないから、俺は世界が元通りになっても魅甘を大切にするよ」
「……ッ! ふ、不意打ちは卑怯よ……でも、ありがとう」
 こうさらりと言っちゃうくせに、全然気障ったらしい厭らしさがないのは才能だわ。全てが終わってからも、そんな闇と一緒にいられると良いのだけど。ふと過ぎった寂しさを、私は喉の奥で飲み込んだ。
 とにかく話ながら歩いていると、段々周りの草が高くなってきた。草というより、細い幹を持っているから低木ね。いつの間に入れ替わったのやら。闇の後ろにいても頬っぺたにビシバシ当たる枝を尻尾で払いのけて、遅れないように懸命に歩いた。
 と、急に鬱陶しい草がなくなって、陽射しと風がダイレクトに当たった。やっと草の海を抜けたんだ。私は自分の場所を把握しようと闇の横に飛び出して。
 息が、詰まった。
「どうしたんだ?」
 怪訝そうに闇が問い掛けてくる。私は口を何度かぱくぱくさせて、やっと声が口の動きに乗った。
「……ここ、私の家の前、だわ……」
 目の前に広がるのは、見慣れ過ぎて目を閉じてても歩けるような道。私の家のすぐ前だった。もしかして戻ってきた!? と気分が高揚したのは、ほんの一瞬だった。大急ぎで今出てきたばかりの草むら――生垣の向こうへ回り込んだ私は、まだ覚めない奇妙な異界にいるのだと嫌でも思い知らされる事になる。
「でも、家なんてないね……」
 本来は、ご主人のお母さんの趣味による花の溢れる庭に面した、こじんまりしたお洒落な家が建っている場所。
 そこは地面が剥き出しになった更地だった。家を取り壊した後というより、そもそも建物なんてなかったみたいね。ぽつぽつ雑草が生えているもの。この様子じゃ家が建つのは大分先になりそうね、少なくとも地鎮祭もまだだわ。
「魅甘!」
「ど、じたの、ぐらいぃ……」
 急に闇が私に身を寄せてぎゅうっと前脚で抱き込んできた。謎の行動の真意を尋ねようとしたけど、答えを聞くまでもなかった。
 私、泣いてた。
 昨日まで、確かに存在していたものが幻のように失せてしまって。大好きなご主人も、もしかしたら私が頭の中に造り出した幻覚なんじゃないかってくらい、今となってはあやふやな記憶に思えてきた。私は生まれ育った街の皮を被った奇妙な異世界に、たった一匹で立っていて。
 私が今まで泣かなかったのは、まだどこかで夢を見ていると信じていたから。そしてどうもここが異世界らしいと勘繰り始めた後も、この世界に慣れようと必死で、ついでに襲われたり闇とほにゃほにゃしたりして、泣いてる暇なんてなかったから。だけど帰る場所と信じて疑わなかったこの家が、跡形も無く消滅しているのを見た途端に、喪失感、虚無感、孤独感、そういったものがごちゃごちゃの綯い交ぜになって煮込まれて、沸騰したみたいにわっと押し寄せて、ぼろぼろと涙が止まらなくなった。
「ごめっ、ごめんね、ぐらい……すぐ、なっ、泣ぎやむ、がらっ……」
「いい、大丈夫、俺がいるから……まだ出会ったばかりの奴が言うのも生意気だけど、でも俺は魅甘が好きで、魅甘の味方でいるから。泣きたいだけ泣いていいんだ、魅甘」
 声とひげを震わせながら、涙腺よ鎮まれーと念じていたら、頭上から降りてきたのは闇の言葉。呟くように、言い聞かせるように、包むように、染み渡るように。締め付けられるように優しくて温かくて、さては闇、最初っから私の涙を止める気ないわね? 余計に泣けてきたじゃないの、この身も心もイケメンブラッキーめ。こんなんじゃ胸キュンポイントがあっという間に一億くらいいっちゃうわ。
「あり、がと、闇ぃぃ……」
 その夜のような懐の深さに甘えて、私は今は存分に泣かせて頂く事にした。


♥♥♥♥


「はー、なんだかすっきりしたわ」
「あはは、それは何より」
 思いっきり泣いて、私のしがない人生でもトップ3に入るくらい泣いたら、現金なものだけどすっと気分が晴れたわ。泣くのはストレス解消、雨の後は虹、涙は女の武器。うむ、皆よく言ったものだわ。胸元の毛がまだ湿っている闇の笑い声が、住宅街に響いた。
 今、私が歩いているのは見覚えのある道のり。私の住んでいた街とそっくりの住宅街だった。ただ一つ違うのは、人もポケモンもいない事。建物や道路はそのままなのに、生き物の気配が一切ない住宅街は不気味以外の何者でもなかった。静まり返った奇妙な日常を縫って、目指すのはとある場所。もしここが私の知っている街と同じ造りになっているのだとしたら、そして道がちゃんと目的地まで繋がっているのだとしたら。私には『謡い帽子屋』がいそうな場所に心当たりがあった。
 ちりん。
 突然首元の鈴が不自然な音を響かせ、私はババッと毛が逆立つくらいびっくりした。立ち止って闇を見上げると、その表情は険しい。
「闇、今のって……?」
「まずい。『チェシャー』の側にいる者が近くにいるんだ。魅甘、気をつけよう」
「本物の可能性は?」
「それは低い。本物ならもっと激しく鳴るはずだ。ただ危険な事に変わりはない」
 前に闇は『アリスの鈴』は(本物ならば)『チェシャー』を見抜く力があるって言っていたけど、『チェシャー』の息がかかった者にも反応を示すみたい。まさか私と鈴が本物だったなんて、と驚いたり安心してる余裕なんてなく、私はきょろきょろと辺りを見回した。感情を動かすのは後回し、今は警戒する時よ。どれくらい近くにいるかまではわからない。とにかく注意を怠らないようにしなくちゃ。道の角、電柱の陰、建物の中。敵が潜んでいそうなところがあり過ぎて、それを自覚した途端に身震いした。私が本物の『アリス』で良かった。どこに敵がいるかもどこに辿り着くかもわからない中で、半年間も彷徨った闇の精神力はどれほど強靭なのかしら。見回すついでに目に入ったのはカーブミラー。歪んだ鏡には、蒼白い光を放ち、ひとりでに揺れる首元の鈴が映っていた。
「闇、あっちに行きましょ」
 私は身を隠せそうな狭い道を見つけ、一足先にそちらへ向かおうと小走りになった。その時だった。
「魅甘、危ない!」
「にゃあっ!?」
 突然闇の叫びが聞こえたかと思うと、軽い息苦しさと共に両脚が宙に浮いた。びっくりした私は素っ頓狂な声を上げてしまう。頭のすぐ後ろの息遣い、首が何かに挟まれた感覚。闇が私を咥えて走っているのだ。私は急いで手足とそれから尻尾をお腹の辺りで丸めて、闇が脚を引っ掛けてしまわないようにする。
 闇は私の首根っこを咥えたまま道の端まで駆け抜けると、全身をバネにして跳躍、塀を中継にあっという間に私を民家の屋根まで運んだ。
 何故こんな事を、なんて聞く必要はなかった。さっきまで私達がいたところには、粉々に砕けたアスファルトの残骸があったからだ。剥き出しになった地面に刺さっていたのは、銀と朱色の縞模様の槍。その槍を引き抜き、突然の襲撃者は私達を見上げた。
「卑怯者、逃げる気か! 私と決闘しろぉぉぉ!」
 よく通る女性の声が住宅街に木霊した。銀の甲冑に身を包み、両腕が鋭い槍となったポケモンの姿がそこにある。外見、声、態度、どれをどう見てもあれはお友達になりましょう的な雰囲気じゃない。
「私は『城の騎士』、種族はシュバルゴ、名は死騎(シキ)! ……ええい煩いぞそこのエネコ、人の名乗りを邪魔するな!」
 ポケモンが自分の属する名前を口にする度に、りん、りんと勝手に鈴が鳴る。その死騎と名乗ったシュバルゴは、苛立った様子で槍状の両腕を振りかざした。私が自分の意志で鈴を鳴らして妨害したと思っているらしい。違うのよ、そう言い返そうとした時、闇が前脚を私の前に差し出した。話すな、って事かしら。
「魅甘、鈴の反応を見るにあいつは間違いなく『チェシャー』の仲間。だけど鈴の伝説は広くは知られていないはずなんだ。だからあいつは君が『アリス』だと気付いていない……後はわかるな?」
「そっか、ありがとう」
 私が『チェシャー』の敵だと知られるのはまずいわよね。私は自分の不用心さを恥じて口元を結んだ。これからもっと気をつけなくちゃ。
「貴様ら、指定方向外進行禁止の標識が読めぬのか! 道の規則を破る無法者は、この私、騎士の死騎がじきじきに裁きを下す!」
 死騎は槍を振り回して喚く。一方通行の標識って車にしか通用しないんじゃ、なんて言い訳は聞くはずないわね、あの様子じゃ。身体が重いせいかここまで登ってはこないけど、どうしよう。
 すっと闇が立ち上がり、ポーチを外して私の目の前に置いた。
「魅甘、俺が戦う。ここでじっとしていて」
「わ、わかったわ」
 闇は小声で言い残すと、屋根から飛び降りた。戦闘にはまるっきり役に立たない私は、大人しく闇の指示に従って身を縮こまらせた。
「何だ、エネコは来ねえ(・・・・・・・)のか? まあいい、一対一こそ誇り高き決闘者のあるべき姿よ。貴様、名は?」
 死騎はちらりと私を見たけど、すぐに眼前に着地した闇に向き直り身構えた。
「俺は『黒兎』、種族はブラッキー、名は闇。彼女は女中の『メアリー・アン』、種族エネコ、名はレモン。逆走してしまったのは謝るから、どうか穏便に済ませてくれないか?」
 闇は自分の名前と、予め決めておいた私の偽名を伝えた。闇が教えてくれたのだけど、この世界では自分の名前を偽る事ができないらしい。偽名を言おうとしても、口が勝手に本当の名前を言ってしまうのだとか。試しに私もレモンの名を言おうとしたけど、確かに口は勝手に本名を喋ってしまった。何度やっても結果は同じ。名前は歪み続ける世界で唯一不変のものだから、だから偽れないのだろうと闇は言っていた。ただ自分の名前でなければ偽れるので、闇は私の正体を隠すために偽の名前を答えたのだ。
「ほう、貴様が『黒兎』か。大方『アリス』を探しに出たのだろうが、全くの無駄。『チェシャー』様の支配は崩れぬ。……そうだ、せっかくの機会だ、貴様をここで始末してくれよう! 『黒兎』ほどの名を持つ者ならば一度死ねば終わるはず! そこのレモン、せいぜい悲壮に満ちた立ち見(・・・・・・)をしているがいいわ!」
 言うなり、死騎は両腕を地面と平行にして闇に飛びかかった。交互に突き出す事で連続攻撃を可能にする乱れ突きだ。当たれば串刺しになりそうな乱れ突きを闇はひらりひらりと避け続け、死騎が一息入れた隙を見て大きくジャンプ。前に伸びたままの死騎の槍を踏みつけ、一瞬胴体を狙うようなそぶりを見せてから頭を狙う騙し討ちを食らわせた。腕を引かれ前のめりになった状態からの顔面への騙し討ちはとっても痛そう。だけど死騎は素早い動きで闇を振り払う。すぐさま槍を構えて、追撃を避けた。闇も深追いせずにバック宙して距離を取る。少し、頓着状態。見ている私の方が冷や冷やしてしまう。
「ふぅん、甘いぞ『黒兎』! そんな攻撃で兜は飛ぶか(・・・・・)!」
 死騎は身構えたまませせら笑う。闇は何も言い返さない。ただ、深呼吸して呼吸を整えているように見えた。
「だんまりか、まあいい、次は当てる!」
 死騎は今度は突きではなく、腕を振るって切り裂く攻撃をしかける。突きよりも範囲の広い攻撃に闇は潜り抜けるようにしてかわして、怪しい光を放った。だけど死騎は兜を下げる事で直視を避け、間髪入れずにもう一方の槍を振り下ろす。闇はすぐに飛び退いたけど、黒い毛が舞い散ったのが見えた。闇、さっきよりも反射が遅かったんじゃ……。
「フハハ、貴様勝てると思っていたのか!? まさか!逆さま(・・・・・・・)になろうと有り得んわ!」
 その後も死騎の攻撃は続く。闇は攻撃をかわしながらシャドーボールや悪の波動を当ててはいるのだけど、十分なチャージをする暇を与えてくれない死騎の怒涛の攻撃に押されているように見えた。
 長い事お城から出られなかったから、体力が落ちているのかもしれない。ふと脳裏に過ぎった考えを否定できずに、私は焦燥感に見舞われた。ここでもし闇が負けてしまったら、この先どうなるの? 最悪な事に、私の心配は的中してしまった。
 闇の動きが段々と鈍くなってきたのだ。もう連続の突きをかわすのも精一杯、というか掠っている。いつ直撃してもおかしくない状態だった。私も加勢したいのだけど、戦えない私があんな激しいバトルに割って入って何ができるというのだろう。
「他者の世話を焼くしか能がない『黒兎』が、この私、騎士の死騎に勝つ気でいるなど片腹痛いわ!」
「はーっ、はーっ」
 死騎の嘲りにも、荒い呼吸で返すしかできない闇。その様子に勝利を確信したのか、死騎は一旦突きを止め、両腕を重ねた。
「お前の戦いは素晴らしかった! だがしかし! まるで全然! この私を倒すには程遠いわ! 死ね!」
 闇に向かって突進しながら、死騎は重ねた槍を突き出し振り抜いた。シザークロスだ!
「ぐあっ!」
 どうにか軌道を反らして串刺しになる自体は免れたものの、攻撃自体は避けられなかった。悪タイプに効果抜群のシザークロスを受けた闇は、ブロック塀に背中から叩きつけられてしまう。その衝撃に上に積まれただけのコンクリートの塊が、ぐらりと傾いて闇目がけて落ちた。
「闇!」
 私は咄嗟に覚えている唯一の遠距離技、スピードスターを撃つ。威力なんて笑っちゃうほどに低いへろへろの星屑の光線だけど、間一髪、崩れ落ちてくるブロック塀を弾き飛ばす事に成功した。でも闇は倒れたまま動かない。
 まさか、嘘だ。闇が、負けるなんて……。私が『アリス』じゃないかもと告げた時、家が無くなった時、そのどちらよりも深い深い暗黒が私の中で沸き立ち、手足の先まで痺れさせる。
「決闘に割って入るとは、礼儀知らずな女中めが! よろしい、貴様も始末してくれる!」
 死騎は私の参戦に気を損ねたみたいだった。恐ろしい形相で私を睨みつけると、私が避難している家へ体当たりをする。さっきのコンクリートブロックみたいに落ちそうになり、私は必死に屋根に爪を引っ掛けて踏ん張った。踏ん張りながら、不安と恐怖で頭の中がぐるぐるした。そんな、闇、闇……私を庇ったばっかりに……私、は……。
 気の迷いに力が抜ける。次に死騎が体当たりした時、耐え切れずに私は屋根の上から弾き落とされ、死騎の目の前に落下してしまった。身体を捻って足から着地してくれた本能に感謝、してるどころじゃない。甲冑の音が近づき、黒い影が落ちた。戦うの? 闇を倒したこの強敵と。初めからそんな選択肢はなくって、私は自分の無力を呪うしかなかった。ごめんなさい、何もかも。全身を貫く恐怖と絶望に呑まれ、私は何も考えられなくなる。
 やだ、痛いのは嫌、死ぬのはもっと嫌。怖い、怖い、助けて、やめて。
「や、やめ……」
「一度死ねば、少しは身の程を弁えるだろう! すぐ楽にしてやるわ!」
 死騎が槍を引き、照準を私の喉元に合わせた。
「させるかぁぁ!」
 絶体絶命の時、奇跡が起きた。聞き覚えのある声が吼えて、夜色の流星が死騎に飛びかかった。
「がはっ!」
 私は目を見張った。倒されたと思っていた闇が飛び出し、全身で死騎に突っ込んで行ったのだ。
 後は一瞬だった。唸りを上げて叩きつけられた尻尾が死騎の槍を叩き折り、前脚が兜を踏み砕く。闇は剥き出しになった頭部に咬みつくと、激しく首を振って……ごきりと嫌な音がした。
「さあ魅甘、今の内に突っ切ろう!」
「う、うん!」
 動かなくなった死騎を飛び越えて、私達は路地を駆け抜ける。生き返るのにどれだけ時間がかかるかわからないけど、急いで離れるに越した事はない。
「はあっ、闇っ……、大丈夫?」
「大丈夫だよ、心配かけたね」
 走りながらも尋ねると、闇は短く答えてから振り返り、追ってくる気配がない事、私の鈴が不自然な鳴り方をしていない事を確認してから速度を落とした。
「のろいを積んでいたのに死騎が気づかなかった事が幸運だったよ。最後に食らわせたのはしっぺ返し。相手より後に攻撃できた時に威力が跳ね上がる技さ」
 ちょっぴり自慢げに闇は解説してくれた。
 つまり、追い込まれたように見せ掛けて闇はチャンスを覗っていたのだ。そして余裕からくる隙を見せた死騎に一気に畳みかけた、とうわけね。流石闇。闇が倒されてしまったら、何もできない私は途方に暮れるところだった。格好良くて優しくて強いだなんて、貴方はどれだけ素敵な男性なのよもう!
 と、褒め千切りたかったんだけど、息がすっかり切れてしまった私は荒い息しか出せなかった。この体力の無さ、ポケモンとして致命的だわ。体力だけじゃない、戦えないってだけで闇の足枷になってしまうのを私は痛感していた。少しずつでも戦えるようにならなくちゃいけないんだわ。
「ごめんなさい、私、役に立たなくて」
「気にする事ないさ。戦うだけが『チェシャー』を倒す手段じゃない。むしろ戦いは俺に任せて。魅甘は魅甘にしかできない事をしてくれたら十分すぎるんだ」
「うう……闇……」
 だからなんでそんなに優しいのよ、なんて文句を言いたくなるくらいの闇の言葉。その言葉にどれだけ救われたかなんて教えてあげない、それが私の精一杯のプライドよ。
 走りから歩きに速度を落として、暫くすると広い広い大通りに出た。私の元いた世界と全く同じ造りの、エネコの私には向こう側が霞んで見えそうなくらい幅の広い道路。車道が何本も走っていて、信号だってきちんと作動しているのに、肝心の車が一台も通っていなかった。
「あそこよ、ポケモール!」
 その大通りの斜め向こう側に、どっしり構える巨大な建物があった。あれこそがこの街に最近できたばかりのポケモール系列のショッピングモール。ポケモン用、人間用の様々な専門店や、ポケモンセンター、映画館、イベントホールなんかも内蔵した大型ショッピングモールだ。中にはこの地方では初店舗となる有名スイーツのお店があって、私とご主人は必ず行こうと固く約束してたっけ。専門店がたくさんあるのだから、帽子専門の場所だってあるはずよ。そこにきっと、『謡い帽子屋』はいる。

少女Aの冒険、ダイヤの章


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Last-modified: 2015-11-21 (土) 23:45:20
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