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天空の虹の神:2

/天空の虹の神:2

SOSIA.Ⅶ

天空の虹の神 

Written by March Hare


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◇キャラ紹介◇ 


真珠(しず):エンペルト
 孔雀たちの長兄的存在。泡を自在に操る能力を持つ。

(りん):ミミロップ
 美少年を目にすると見境なく口説きにかかる困り者。癒しのスペシャリスト。

紗織(さおり):ケンホロウ
 かまいたちを連発できる危ない鳥女。

開斗(かいと):ラッタ
 食いしん坊。一撃必殺の前歯が武器。

瑪瑙(めのう):オノノクス
 最年少当主。その能力は……


09 


「まさか今になって動き出すだなんて」
「我々三羽が力を注いでいる限り封印は万全ではなかったのか?」
「あの半島には力を与えた護神も置いていたのだがな……また、あの戦いを繰り返すというのか」

「ホウオウが……ファナスが帰ってきてくれれば……」
「元はと言えば奴が逃げたせいでもあるのだからな。それに無い物ねだりをしても仕方あるまい」
「いや……ファナスはおそらく今、あの港町に……ファナスの思念を感じてイザスタが目覚めたのではないのか?」

「ファナスがあの町に……? たしかに、八つ……いえ、九つ? 渦巻いているこの思念はこちら側の……でも、誰かの気まぐれではなくて?」
「我々の意思の()()を下界のポケモンが持つことはままあることだ。秩序を破壊しない限りにおいては我々の自由なのだから」
「実はシルルに面白い話を聞いてな」

「グリフィ、何か知っているの?」
「それならそうと早く言え」
「まだ推測の域を出ないのでな。だが、不死身の思念を持つはずのファナスがどうやって姿を消したか、だ。下界に受肉してどこかへ隠れるにしても、この千年以上もの間何故見つからなかったのか。シルルの調査によれば、ファナスの愛したファイアローが生きた地、陽州で九つの家系が今に至るまでそれぞれ神の力の欠片を継承し続けているという。私達にすら動かせない運命の悪戯か、イザスタやファナスの意志によるものか……今彼らは、封印の地に集結した。イザスタの封印が解けてしまったことと無関係だとは思えん。ファナスが自らの思念を九つに分け、今日まで下界のポケモンの中に宿っていたのだとしたら辻褄が合う」

「思念を分割するなんて突拍子もない……でも、下界のポケモンにも見られることね。心が抱えきれない苦痛を背負ったとき、破滅を防ぐために精神が分裂する」
「ファナスがそうなったと?」
「ニクスの言う通りだ。こちらの世界で思念体として存在する私達の心が分裂すれば、その数だけ別のポケモンが生まれることに近い。私はその末裔が彼らなのではないかと考えている。イザスタがファナスの思念に呼応して目覚めたとするなら、おそらくはファナスも……あるいは、彼らの力を借りればかの大戦よりは容易くイザスタを封印できるかもしれぬ」

「確かに推測ね……でも、どのみち私達でやるしかないのだから縋るだけの価値はあるわ」
「ふん。下界のポケモンに頼っていたのでは三神鳥の名も廃れるというもの。またあの時のように封印してやれば良い。今度は二度と出て来られないようにな」
「私達が三羽揃って降臨するなど、千年ぶりの大仕事だな。では下界で会おう、ニクス、カトル」

10 


 黒塔は外観から想像できるイメージ通りの内装だった。入り口から通された玉座の間まで、床も壁も黒い光沢のある石か金属かよくわからない材質でできていて、調度品の花瓶やシャンデリアも黒で統一されていた。シックを通り越して異空間じみた不気味さがある。
「というわけで御嬢様と婿殿、護衛の橄欖殿をお連れしました」
 ハイアットの発言力は確かに相当のものらしく、リカルディは戸惑う素振りすら見せなかった。
 日も暮れているのですぐに部屋に案内された。近い未来を見据えてフィオーナとシオンの部屋、それから護衛の橄欖や孔雀さんの部屋まですでに用意されていた。さすがに個室の中まで黒くはなくて安心した。
 そして翌日、せっかくの機会なので、フィオーナと共に黒塔内部を見て回ることにした。ケンティフォリア歓楽街やセーラリュートに関する業務はそれだけで複数の部署に分かれていたり、軍事産業が主だった名残か、兵器開発部署などフィオーナやシオンですら立ち入りを許されない場所もあった。そして何より驚いたのは、最上階付近にあるドーム状の展望台だった。展望台というより、見張り台と言った方が正しいか。
「これは……?」
 ドームの全周に、内部にカラフルな鉱石が散りばめられた大きな黒い筒が、外に突き出す形で多数設置されていた。鉱石はおそらく、倍化器(ブースター)に使われている色彩版石(プレート)だ。
「こちら側から技を打つと増幅されて外に発射される仕組み……言うなれば大型の倍化器(ブースター)ですな。我々は大砲と呼んでおります。持ち運びはできませんが、火力はなかなかのものですぞ」
 ちなみに案内役はハイアット自らが買って出てくれた。黒塔の全ての場所に立ち入りが許され、かつ一匹で説明できるほど理解している者は他にいないのだという。
 更に上階に上り、塔の最上部と思われる階に到達すると、見たこともないような大きな機械に、黒塔内部の映像が移るモニターが多数設置されていた。電気タイプのポケモンがせわしなく働いていて、電化製品のあまり普及していないランナベールではかなり珍しい光景だ。
「ここが黒塔の管理室ですな。ちなみに婿殿、ご存知ですかな? 体錠(レストレイナー)に使われる黒い鉄球の原材料となる鉱石を」
「はい……確か、黒魔晶とかいう」
 保安隊標準装備の拘束具、体錠。一年前の嫌な記憶が蘇る。後に聞くところによるとあの事件も、黒薔薇事件と同じ、陽州のロゼリアがあのオカマに宿らせた種によって引き起こされたようなものなのだという。陽州人というのはつくづく常識外れなポケモンだ。
「さすがはセーラリュートの元優等生。実は黒塔の建材としても使われておりましてな。先程のドームや一部の部屋を除き、管理室のスイッチ一つで建物内での技の使用を制限することが可能となっております。各区画毎に隔壁もありますからな。万が一不届者が侵入しても塔内で好き勝手はできぬということですな」
 ヴァンジェスティ恐るべし。あの屋敷とて電気の流れる堀と高い塀、ラティアスのセルアナと今では相当の守りの固さだが、ここに比べたらまるで十年遅れているみたいだ。住居としての快適さは比べるべくもないので、あまりここに住みたいとは思わないが。
「現在は黒魔晶の作用を無効化する倍化器(ブースター)の……おっと、ここから先は婿殿といえど話してはいけませんでしたぞ。私としたことがありえませんな」
「どこがありえないのよ。爺ったら信用した相手には口が軽いのだから」
「リカルディ様の耳には入らぬようお願いしますぞ」
 逆に言えばそれで国家機密が漏れたりしていないのは、このハイアットという男が簡単には(ポケモン)を信用しないということだ。その意味ではシオンが認められている証でもあって、少し嬉しくなった。
 黒魔晶の作用を無効化する倍化器(ブースター)、か。こちら側のポケモンがそれを持てば、塔内では一方的に力を振るえることになる。そうなるともはやこの塔の安全を脅かすことなど不可能に近くなるが、問題は裏切りだ。本当に信用できる相手にだけ持たせておき、他のポケモンにはその存在を悟られないようにする必要がある。兵器開発というのも一長一短で、行き過ぎるとかえってリスクが高まってしまうかもしれない。
 それにしても、黒一色の内壁を見たときには設計者のセンスを疑ったが、まとめて敵を無効化するためだなんて考えもしなかった。外観だけでなく内装まで――()()だけでなく?
「ちょっと待って、まさか黒塔って……」
「おっと。気づいてはいかんところに気づいてしまいましたな、婿殿」
 背筋が寒くなった。ランナベールの中心で他のどの建物よりも高く聳え立つこの黒塔そのものが――
「私も聞かされていないわ。なるほど、そういうこと……」
「いずれ御嬢様にはお聞かせねばなりませんがな。だが今はまだまだ試験段階、と言いますか、ようやく試験段階まで来たと言った方が正しいですかな」
 黒塔を建設したのは先代だと聞いている。ヴァンジェスティは二代かけて、とんでもないものを作ろうとしている。それが本当に完成してしまったら、コーネリアスも陽州の武家も怖くないではないか。国内の者でさえ、誰もヴァンジェスティに逆らえなくなる。
「ランナベールは今は小さな国です。ですが御嬢様、婿殿。私が死に、あなた方の時代が到来する頃には――」
 一国を背負うことの大きさも重さも、わかった気になっていただけだった。
 国を支配するということ。それは世界という戦場に立つということなのだと。

11 


「ありがとうございました! またお越しくださいませ!」
 喫茶店の姉弟に見送られ外へ出ると、空の色も、潮風の匂いも、何もかもが違っていた。
 こんなに晴れやかな気分になったのはいつ以来だろうか。一度落ち込んで、ラクートに活を入れられた次の日の朝。橄欖の傷が奇跡的に完治したときのこと。そういった不安からの解放とも少し違う。先の見えない長い長い坂道をようやく上りきったような心地がする。
「これからどうしよう? 孔雀と一子はここで暮らしていくんでしょ?」
「そうですね。フライングになっちゃいますけど、わたしは次の生き方が見つかっていますから」
「一国の王女が一目惚れするほどの美少年かぁ……あ、そうだ! せっかくだし会わせてよ? キミを信用しないわけじゃないけど、紫苑がどんなポケモンか自分で確かめておきたいからね」
「下心が見え見えだぞ、鈴。だが、私とて会ってこの目で確かめたいところではあるな」
「そうだね……俺も会ってみたいな」
「フン。私はもうどっちだっていいわよ」
 なんだかんだ言って、孔雀や一子を信頼しているからこそあの決断に至ったのだ。とはいえ、孔雀や一子の決心を変えさせるに至った両院当主の人となりを自分の目で確かめたいと思うのが(ポケモン)の心というものだろう。
「わたしも皆さんを信用していますから、それはもちろんと言いたいところなのですが――」
「ご苦労様でした、孔雀さん、一子さん」
 孔雀たち一行の前に立ちはだかったのは、十匹ばかりの屈強そうなポケモンだった。
 先頭に立つクチートはとても愛らしい容姿をしていたが。
「おや、キールさんではありませんか」
 いつでも戦闘態勢に入れるよう、今日はトレードマークの銀縁眼鏡はしていなかった。
「我々を尾けていたのはお前達だったというわけか」
 この国の軍は特に目印となる装飾品を身につけているわけでもないのに、統率の取れた様子から一目で軍隊だと判断したのはさすが真珠、というべきか。
「まずは非礼をお詫びいたします。私は本小隊の隊長を務めさせて頂いておりますキールと申します。貴方がたが我が国の安全を脅かす可能性はなくなったようですね」
「へえ。自由の国って聞いてたけど、色々と裏はありそうね」
「申し訳ありません。私達も国家の主に仕える身。詳しくは申し上げられませんが、先程のお話は少々――っ!?」
 キールが話の途中で跳び退った。
 しかしながら彼女の恐るべき瞬発力と跳躍力からは逃げられなかった。
「可愛い! 可愛すぎるよキミ。どうして逃げるのさ?」
「ななっ、ななななな、何ですか貴女は!」
 鈴は空中でキールを抱き留め、着地したときには慣れた手つきでキールをお姫様抱っこしていた。真珠が頭を抱えて唸り、瑪瑙が吹き出した。
「キール隊長っ!」
 傍らにいたウツボットがキールを救出すべく、蔓のムチを伸ばす。が、鈴はあろうことか片手で蔓を二本まとめてキャッチした。
「なっ!?」
「ちょっとちょっと、ボクはべつにこの子に危害を加えるつもりはないんだってば」
「下ろしなさい無礼者! このような屈辱ッ……許しませんよ!」
「わかったよ。急に抱きついたことは謝るからさあ。それより、仕事が終わったらボクと――ぎゃふぇっ」
 鈴がキールを地面に下ろしたのと同時に、隣でバシャン、と水音がしたかと思いきや、真珠が鈴の背中を蹴飛ばしていた。さすがの鈴もアクアジェットの速度には反応できず、無防備のまま直撃を受け、つんのめって地面に突っ込んだ。
「たまには空気を読め」
「……ふぁい」
 鈴は土を払いながらのっそりと起き上がる。いくつか擦り傷も負っているが、あれくらいならすぐに治ってしまうだろう。彼女の能力は、自らを犠牲にすることなく癒しの願いを使えるというものだ。厳密には、本来は癒しの願いにより他者に与える自らの生命力を、物質層の外から取り入れてしまえるのだとか。彼女はその能力を応用して、軽い自己再生のような使い方ができるようになったらしい。
「……コホン。それで、貴方がたはシオン君……いえ、我が国の第一王位継承者であるフィオーナ様の婚約者であるシオン様に謁見をお望みであるとのこと。先程は非礼をお詫びしたいと申し上げましたが、貴方がたを完全に信用するわけにはいかないのも事実。特に、貴女のような油断も隙もないポケモンはね」
 キールは鈴をビシッと指差して語気を強めた。冷静を装ってはいるが内心穏やかではなさそうだ。
「嫌われちゃったかな? ねえ孔雀、知り合いなら何とか言ってくれないかい?」
「そこでわたしに振るのはやめてください……」
 この場は双方に顔の通っている孔雀が取り仕切らなければならないのだが、どうしても鈴と一緒にいると調子が狂う。いつもは自分が他人を振り回す方で、振り回されることに慣れていないのだ。
「ええと、キールさん」
「良いでしょう。どのみち私が会うなと言ったところで、隠れて彼に接触するのは目に見えています。それならば私や孔雀さんの目の届くところで顔を合わせていただいた方が安全ですから」
「おや。思ったより話のわかる子じゃない」
「どういう意味です? 少なくとも欲望のままに生きる発情女には言われたくありませんね」
「隊長、つっかかるのはもう止しましょうや」
「そうだヨ! ワタシだってなーんにも考えずに生きてるし! アハハハ!」
 キールの傍らにいたウツボットとクロバットの二匹がキールを制す。さすがに部下に止められては面子が立たないと見たか、キールはそれ以上は何も言わなかった。普段の自分を振り返るに他人のことを言えた義理ではないが、鈴のあまりにフリーダムな立ち回りのお陰で一苦労だ。
「……明朝ご連絡します。今日のところはどこかに宿をとってもらうということで」
「ありがとうございます。あ、皆さんにはわたしがいい宿を紹介しますよー」
 これで陽州の皇家を巡る奇妙な運命と、救いのない争いは終わりを告げるだろう。彼らがシオンと会い、願わくば先祖代々そうであったように両院に再び忠誠を誓い、全ての確執が取り払われることを祈るばかりだ。シオンや橄欖は望まないかもしれないが、孔雀たちが結集すれば陽州を再び平定することも夢ではない。国に帰れるかもしれない。
 しかしながら、仇や国や愛など、孔雀達が身に宿した力の真実、その運命の前では浮世の瑣末事にすぎなかった。
 運命を操れるのは神様だけ。各国に散った羽の一枚一枚が再び集った港街。このベール半島で崇められている海の神ルギアと、陽州で崇められている天の神ホウオウは、対の神様であるとされる。ベール半島に伝わる神話では二羽は(つがい)であったと語られる一方で、陽州ではルギアの片思いの恋が実らなかったと伝わっている。いずれにしてもルギアはホウオウの下より遙か西方へと旅立ち、その後二羽が二度と会うことはなかったのだという。
 ――体が、跳ね上がった。
「きゃっ……!」
「またですか……!」
 突如として大きな揺れが襲ってきた。あの晩と同じか、それ以上の。
「大きいよ……! 建物から離れて! 紗織、孔雀! 騎士さん達を!」
「はい!」「言われなくてもわかってる!」
 地震大国である陽州の出身というだけあって、こちらの皆は自然の地震への対処は慣れていたが、キールの部隊が明らかに混乱していた。
 孔雀は壁際で蹲るウツボットを拾い上げ、空中へと避難した。
「あ、ありがとうございます」
「く……キャシー、貴女も皆のサポートを!」
「は、はいヨ! で、でもこんなの……ヒぁッ!?」
 突然、クロバットのキャシーがバランスを崩してふらついた。突風だ。地震だけなら空中にいれば影響を受けないが、海の方から一瞬、ものすごい風が吹きつけてきた。そして、胸の中心に突き刺さるような――恐怖心。
 今までいた喫茶店ウェルトジェレンクのガラスが割れて弾け飛んだ。エリオットとイレーネは身を低くしていて、ここからは聞こえないがマスターが何か叫んでいる。
 喫茶店の裏側には、断崖絶壁の海が見える。
 ――あれは、何?
 沖合に、大きな影が浮かんでいた。

12 


 揺れはあの夜よりも大きかった。今度はただの地震ではない。地震の影響を受けないはずの鳥ポケモンが強い風に煽られてバランスを崩している。黒塔はよほど頑丈なのか、シオンたちのいる黒塔の展望台は持ち堪えているが、周辺の建物の屋根が吹き飛んだのが見えた。そしてこの胸の奥に直接叩き込まれたような、ポケモンとしての本能に訴えかけてくる本能的な恐怖心。フィオーナも、橄欖も、ハイアットも。声を発することもできず、ただ蹲ることしかできない。突風を伴う地震なんて聞いたこともない。これではまるで、何かが爆発したみたいだ。
 でも、違う。この恐怖心は。弱者が強者に相対したときの絶望感。心得のある者なら、相手を見ただけで実力をある程度推し測ることはできる。その相手があまりに強大すぎて、見てもいないのに、押し潰されそうな恐怖心が襲ってきたのだ。何者かが、強大すぎる力を解放した。その余波がここまで届いている。
「海が……!」
 決して取り乱すことのないフィオーナが丸まって耳を塞ぎ、震えている。命がけで護ってくれた橄欖が、我を忘れて僕にしがみついている。ハイアットが座り込んだまま虚空を見つめている。
 そんな中で冷静でいられる自分が不思議だった。ここから小さく見えるヴァンジェスティの屋敷の背後に広がる大海原。さらにその向こうに。
 影が。何かが飛んでいる。ここからではどんな形をしているのかも、大きさもわからない。それなのに。
「……っ!?」
 ()()()()()
 視線を感じた。確信があった。彼女は、僕を見ていた。
 ――彼女? そうだ。僕は彼女を知っている。
 今度ははっきりと、僕を呼ぶ声が聞こえた。
【……ファナス】
 姿を変え形を変えても存在し続ける魂。母さんから僕に受け継がれた力。常人では耐えられないほどの恐怖心に、シオンだけが潰されずに立っていられる。それはきっと、あの存在と同等の力を、魂を持っているからだ。
「行かなきゃ……」
 偶然じゃない、そう悟った。
 両親が遥か遠く陽州から流れてきたことも。シオンがここランナベールで育ったことも。

         ◇

 二度目の地震がただの地震でないことはもはや明白だった。ほんの少しではあるが神々の力を身に宿したラティ族だから、感じることがある。海に現れた巨大な影がそれを起こしたのだと。そしてこの地震も突風も、あれがこの世に顕現した余波に過ぎない。
 セルアナは悟った。自分たちはこのために護神としての役割を与えられ、この地に存在していたのだと。
「クライ、聞こえる? そっちはどう?」
 ジルベールにいる弟に呼びかけた。テレパシーはラティ族の得意技で、同族間でなら遠方まで、声だけでなく映像までも送ることができる。
『姉ちゃん……! あの影、ランナベールの方だよね? 大丈夫?』
「どうにか無事だよ! 待って、映像を送るから」
 鳥の形をしてはいるが、羽ばたくことなく浮かんでいる影は、自分たちと同じ、エスパータイプのポケモンだ。なぜベール半島には護神が必要だったのか。セルアナはその理由を本能的に悟っていた。きっとクライも。
『あれって……海の神……ルギア……?』
「やっぱりそうだよね? ずっと昔に封印されたっていう……」
 恋に敗れて破壊神へと墜ちた女神。ランナベールでは信仰の対象になっているが、あれはもう崇められるような神ではない。なぜ今この時になって封印が解けたのか。理由はわからないが、今そこに存在しているという事実は消えはしない。
 ふと、ルギアへと水ポケモンの一団が近づいてゆくのに気づいた。あれはランナベールの海兵隊、南鶯騎士団か。
「だめ、危ない……!」
 破壊の女神は此の世に顕現した暴力的なまでの存在感と力を確かめるのに相応しい対象を眼前に捉えた。
 長い首を持ち上げたルギアの口腔に光が灯るのが見えた。彼らも気づいて散開するが、見てからでは遅い。
 耳を(つんざ)く風切り音がここまで聞こえてきた。放たれた真空波が海水ごと、海のポケモン達をゴミのように吹き飛ばしてゆく。飛行タイプのポケモンが操る暴風やドラゴンの竜巻も、ルギアのあの技の前ではそよ風に過ぎない。文字通り、爆風を作り出して直線上に撃ち出すエアロブラストは、破壊神ルギアを象徴する大技だ。
 一部隊をたった一撃で壊滅させてしまったルギアをそれ以上黙って見ていることはできなかった。あの暴力が街を蹂躙する前に。
『待って姉ちゃん、もう少しで着くから!』
「何言ってるの、見てわからない? これ以上あいつを放っておけるわけないよ!」
 一匹でも時間稼ぎくらいはできる。
 できなくたって、やるしかない。
 アタシはランナベールの護神なんだから。

         ◇

「行かなきゃ……」
 ただ一匹、絶対的な恐怖心に押しつぶされずに立っていたシオンは、何かに憑かれたように海の方を見つめていた。
 負けるわけにはいかない。わたしはシオンさまを守ると決めたのだから。彼の剣となり盾となることがわたしの望み。何を恐れるというのか。
「くっ……シオン、何処へ行くというの? あれはポケモンの手には負えないものよ……」
「不覚にもこのハイアット……七十年の生涯で初めて死を覚悟しましたぞ……婿殿、どうか今は御身を大事にしてくだされ」
 強者だからこそ本能的に感じる恐怖も大きい。ハイアットも橄欖も、どう足掻いても敵わない存在が現れたのだと察知している。フィオーナでさえも。
 それなのにシオンは何故平気でいられるのか。相手の強さがわからないほど愚かではないはずだ。
「僕が行かなきゃダメなんだ。彼女が僕を呼んでる……!」
 シオンは確信を持っている。止める間もなく走り出した。
「待ちなさいシオン! 橄欖、追って!」
「はい……! シオンさまはわたしが命に代えてもお護りします!」
 シオンを追って階段を駆け下りる。足音はどんどん下へと遠ざかってゆく。エーフィの足には追いつけない。
 それでも全力疾走で黒塔一階まで下り、廊下を突っ切って外に躍り出た。



 嵐の吹き荒れた後みたいに物が散乱した街。パニックになったポケモンが右往左往している。黒塔に押しかけて衛兵に止められている一団がある。
 この強大すぎる力の源。恐怖と破壊の主は、西の海上にいる。住宅街の向こうだ。
「シオンさま……!」
 何も考えなくていい。シオンさまが向かうところへどこまででもついていくのがわたしの使命。
 ただ走った。恐怖心なんて消えてしまえと、わが身を叱咤しながら。

         ◇

 この国の海軍が一撃で消し飛んだ。生き残ったポケモンたちも蜘蛛の子を散らすように逃げていく。何匹犠牲になっても良いのならば、総力戦を挑めばもしかすると勝てるかもしれない。だが、ポケモンは機械ではない。勝てるかどうか、自らの死に価値があるかどうかもわからないのに、命を賭して戦うだけの覚悟のある者など大勢いるはずもない。それに相手はたった一羽。一度に戦える匹数は限られている。
「ほんとバッカじゃないの。どうしてなんの義理もないこの国のためにあんなのと戦わなきゃいけないわけ?」
「武士たる者、眼前の悪事を見て見ぬ振りができるものか」
 泳ぎを得意とする真珠、翼を持つ紗織、サイコキネシスで空を飛べる孔雀の三匹が海上を走っていた。
「そんなコト言いながら紗織姉さんもついてきているではありませんか」
「私は真珠が行くって言うから……あんたやこの国のためなんかじゃないわ!」
 素直ではないが、紗織はこう見えて世話焼きなところがある。彼女とて本心ではあれを放ってはおけないはずだ。
「気を引き締めろ。我々とて軽々しい気持ちで伝説の海神と戦えば命はないぞ」
「はーい」
「言われなくてもわかってるわ」
 そのとき、真珠達のいた海岸からは離れた崖から飛び立つ影があった。流線形をした紅白のポケモンが、水を切りながら海面すれすれを一直線に飛んでゆく。散ってゆく海軍に興味を失ったルギアを挑発するみたいに。
「あれは……?」
「ラティアスのセルアナさんです! いくら彼女でも一匹ではっ……」
「急ぐぞ!」
 ルギアが再度首を(もた)げ、狙いをラティアスに定めた。
 その威力からは想像もできないほどに発動の早い技だ。放たれたエアロブラストが海水を巻き上げ、水柱と激しい波を起こす。当たれば間違いなく即死の真空波をくぐり抜け、ラティアスが突っ込んでゆく。
 ラティアスはルギアの周囲を旋回しつつ、次々と霧状の球体を撃ち込んだ。ミストボールの白い爆発に包まれてルギアが見えなくなる。ラティアスも霧に溶けて、姿を消した。
「むっ? これでは迂闊に近づけんな」
「いくら海神でも相手の姿が見えないんじゃお手上げでしょう。あいつに任せておけばいいんじゃないの?」
 紗織の楽観した通りであれば良かったのだが。
 そうは問屋が卸さなかった。
 ルギアは体を錐揉みさせながら空高く飛び上がり、霧を吹き飛ばした。その行動を読んでいたのか。透明になったラティアスの位置は更に上だ。隙をついて龍の息吹が浴びせられる。ミストボールはまるで効いていないようだがこれはどうか。やや怯んだようにも見える。
 ラティアスはさらに、急降下して体当たりをぶちかました。ルギアの巨体は派手に水飛沫を上げて海中へと叩き落とされた。
「あいつ、やるじゃない」
「シオンさまと橄欖ちゃんが二匹がかりでようやく勝てた相手ですしねー」
 伊達に護神を名乗ってはいないということか。
 ラティアスの体が透明ではなくなっている。海中を見下ろしたまま、畳んでいた両手を天に掲げた。
「そこのキミたち! アタシから離れて!」
 真珠達に気づいていたのか。あれは、ドラゴン族の切り札だ。力の大きい者が使えば周囲を巻き込んでしまうがゆえに使いづらいが、海上なら全力でぶっ放せる。真珠達は邪魔にしかならない。
「下がるぞ!」
 神話の海神の復活に加えて、ラティ族の流星群をこの目で見られるとは。やはり、先祖がホウオウからこの力を授かったというのは本当なのかもしれない。真珠達が今この場に集結していることは恐らく偶然ではないのだ。或いは偶然が神によって支配されているのだとしたら、正しく神のお導きというやつか。
「寝起きのところ悪いけど、本調子を取り戻す前に片をつけさせてもらうね!」
 ラティアスの体から煙のようなオレンジの光が吹き出して天に昇ってゆく。さすがのルギアもまともに食らったらひとたまりもない。
 が、今度はラティアスの体が青い光に包まれた。――いや。あれは捕らえられたと言うべきか。
「ぅあっ……!」
 まるで何事もなかったかのように、ルギアが飛び出してきた。目が青く光っている。サイコキネシスだ。ESPで織り上げた不可視の糸は、本来なら自らの体の一部を起点にして発生するが、海神にそんな常識は通用しなかった。蜘蛛の巣に引っかかったみたいに絡め取られたラティアスは、そのままふっ飛ばされた。
 ――真珠達のいる方へ。
「……紗織姉さん! 受け止めますよ!」
「言われなくても!」
 空中とはいえ高速で飛んでくるポケモンを衝撃を緩和しながら受け止めるのは容易ではないが、紗織と孔雀は完璧にやってのけた。
「セルアナさん! 大丈夫ですか?」
「なんて、威力……」
 ラティアスのセルアナは苦笑いしながら答え、紗織、そして着水点へ泳いできた真珠を順に見た。真珠達の瞳を覗きこむように。
「なるほどね。キミたちもアタシと同じ、神様から力を与えられたポケモンってわけ」
 セルアナには真珠達の異能の血の証が見えているらしい。八卦の一族とラティ族は近い存在だということか。
「ホウオウから授かった力だと伝えられているが、真偽の程は定かではない」
「力を授かった、か……アタシにはむしろ、キミたちそのものが――」
【其の方等も(わらわ)の邪魔立てをすると申すか? 小賢しい使い魔ども】
 響いてきたのは、威圧感に満ちた低い牝の声だった。
「まずい! 一旦退くぞ!」
 それがルギアの声だと認識する前に、身の危機を感じた。エアロブラストが放たれる。一瞬前まで真珠達のいた場所に炸裂した真空の刃と竜巻が渦潮を起こす。直撃していないのに、風圧だけでも半端な威力ではない。
 もう指示を飛ばしている余裕はなかった。陸へ向かって必死に逃げた。これでは何をしに海へ出てきたのかわからないが、撤退の判断は迅速にあるべきだ。こんなところで死ぬわけにはいかない。仲間を死なせるわけにはいかない。
【奴等の手先にしては臆病者だな。まあ良いわ。塵芥に興味はない。妾を目覚めさせたのはそなたであろう? ファナス】

13 


 ウェルトジェレンク近くの海岸まで辿り着くと、海上の巨大なポケモンの姿をはっきりと確認することができた。くすんだ白い体に手のような翼を持つ鳥ポケモンで、目の周りに紺の縁取りがある。
 ベール半島で信仰されている海の神、ルギアそのものの姿だった。
 絶壁になった海岸の縁には先客がいた。ざっと十匹以上。見知った顔も少なくない。
「キールさん! それに一子さんも!」
「シオン君……? なぜこの場所に?」
 キール率いる隠密部隊の主要兵員たち、一子、それに加えて見慣れないミミロップ、オノノクス、ラッタの三匹が一斉に振り向いた。
「わお。キミが姫女苑の跡継ぎ……!」
 ミミロップが振り返るなり目を輝かせて――視界から消えた。
「へ?」
 わけのわからないままに体が浮いて、暖かくてふわふわした毛皮に包み込まれていた。
 抱き上げられたのだと気づいたのは彼女の声を聞いてからだった。
「かぁわいい。どうしてこんなに可愛いの? ボクのために生まれてきてくれたとしか思えない!」
「ちょ、何なんですかいきなりっ……」
 誰なんだこのミミロップは。姫女恩? 母さんの名を口にしていて、一子やキールさんの隊と一緒にいるということは例の陽州のポケモンか。しかしそうだとすれば、シオンの命を狙っていたはずだ。理解できない。あるいは嫌がらせか。初対面の相手にはあまりに失礼な態度だし。
「キミと一緒に戦えるならあの海神気取りの変なオバさんなんて怖くないね――っとと!」
 突然、ミミロップがシオンを抱えたまま跳んだ。その恐ろしい瞬発力に驚く間もなく、今まで二匹がいた場所にオノノクスの爪が突き刺さっていた。
「こらこら瑪瑙、危ないじゃないか。いくらボクでもキミのドラゴンクローを受けたら死んでしまうよ」
「いい加減にしてよね! 三匹が戦いに行ってるってのに、あなたってひとは……!」
「やれやれ、ついに瑪瑙ちゃんがキレちまったよ」
「一子姉さんもそんなこと言ってないで手伝ってよっ!」
「生憎と私の技のほとんどは鈴に効果がないからねえ。まったく、孔雀より数段タチが悪いよ」
「わかってるじゃない一子。ボクとキミは仲良くする以外に道はないのさ。ああそうだ、お堅いキミのことだからこんな可愛い子と一緒に暮らしているというのに、何もしてないんだろう。どうだい、戦いが終わったらキミも一緒に」
「鈴姉さん」
 二度目にミミロップの言葉を遮ったのは、背後からの冷たい声だった。肩に抱かれているシオンには、現場に到着した彼女が驚き、怒りの炎を瞳に宿して近づいてくるのが見えていたのだが。
 ミミロップは横っ跳びに離れようとしたのだろう。しかし、橄欖がサイコキネシスを展開する方が早かった。ミミロップは空中で拘束され、シオンは解放された。
「か、橄欖かい……? 久しぶりだね、あはは……」
 ミミロップは空中で強制的に大の字に四肢を伸ばされ、磔にされている。
「っ……再会を懐かしむにしては少し手荒じゃないかい? 孔雀はもうちょっと友好的だっ――あだだだだだだ! 脚が折れるっ、千切れるっ!」
「必死にシオンさまを追いかけてきてみれば……あなたは昔から時と場所を考えずにそんなことばかり! おかげで姉さんまであんなポケモンになってしまいましたし! ここで会ったが百年目です……!」
「はぎゃあぁぁぅう……! い、いだい、いだいっで! わでゅがっだ、ボグがゎどぅがっだがら!」
 さすがは孔雀の扱いに慣れている橄欖である。話の流れからして、この鈴とかいうミミロップが今の孔雀さんの人格形成に大きく影響しているらしい。あまり関わりたくない相手だが、彼女が陽州の仲間の一匹となるとそうも言っていられない。
「肢の一本や二本折れたところで死にはしません……鈴姉さんならそれくらいすぐに治してしまえるでしょう?」
「ぎああぁぁっ……!」
「橄欖、もういいから離してあげて! 本当にこんなことしてる場合じゃないし!」
「……そうですね」
 橄欖はゴミを捨てるみたいに、後方へと鈴を放り投げた。
「ぎょぇっ」
 鈴は建物の壁に思いっきりぶつけられたが、大丈夫なのか。まあ、今は非常識極まりないポケモンの心配なんてしている余裕はない。
「橄欖! 久しぶり……ほんとにぜんぜん変わってないね!」
「瑪瑙くん……それに開斗兄さんも。お久しぶりです。でも、今は再会を懐かしんでいる暇はありません」
 彼らは全くシオンや橄欖に危害を加える素振りもない。どうやら孔雀と一子の交渉はうまくいったらしい。その直後にこれでは、喜んでもいられないが。
「キールさん、状況は?」
「あのポケモン……海の神ルギアが、これまでの地震と先ほどの嵐の原因だと思われます。突如現れたルギアに接近を試みた南鶯騎士団の一団が壊滅。現在、陽州武家の三匹が沖へ向かいましたが、勝ち目がなさそうならすぐに帰還するよう指示しておきました。彼らが私の指示に従う保証はありませんが――」

         ◇

 三匹にセルアナを加えた四匹が逃げ帰ってきたのはそのときだった。
「ダメです、バラバラに戦ったのではとても……っと、シオンさまではありませんか」
「孔雀さん! セルアナ……それと」
 腰に刀を差した孔雀さんは久しぶりに見た気がする。見慣れぬ二匹は陽州の仲間たちか。
「真珠だ。こっちのケンホロウは紗織という。お前が両院の当主、紫苑だな」
 真珠と名乗ったエンペルトは威厳に溢れていて、一目で皆のリーダー役を買っているのだとわかった。
「……はい。未熟者ですが僕がその当主です」
「ふん、こんな青二才のエーフィだとはね。私は二度と忠誠なんて誓わないから」
「えっと……?」
 和解が成立したとはいえ、やはり皆が納得したわけではないらしい。当然といえば当然だ。話をまとめてくれた孔雀と一子、それから真珠には感謝しなくちゃいけない。
「気にするな。今は同志で争っている場合ではない。とにかく一度引いて体勢を立て直す。どうやらあの破壊神は我らに用があるらしいからな。陸で迎え撃つぞ」
「待って! あいつを上陸させたら、街のポケモンたちが危ないよ! アタシの使命はあの海神から皆を護ることなんだから!」
 真珠の提案に異を唱えたのはセルアナだった。平気そうに振る舞ってはいるが、やけに口数が少ないと思ったら深手を負っているようだ。
「その傷では無駄死にするだけだ、護り神とやら。いずれにしても治療してから――鈴は何処へいった?」
「鈴姉ちゃんならあっちで橄欖にシメられてたよ」
「ははあ。おおかたシオンさまにちょっかいでも出したのでしょう。こんなときまで節操のないお方ですねー」
「あんたがそれを言うかい」
「キミたち! ほんとにあの海神の恐ろしさがわかってるのっ?」
「緊張感のない連中で悪いな。だが、ここは我々に従ってはくれないか」
 セルアナは沈黙で肯定の意を示し、鈴と橄欖もようやく駆けつけてきた。となれば、あとは安全に治療できる場所が必要だ。
 だが、それを待ってくれるような相手ではなかった。
其方(そなた)の気配……忘れ得ぬはずの……】
「嘘でしょ? 私達に興味ないなんて言って、追いかけてくる素振りなんてなかったのに」
 遥か海上にいたはずのルギアが、この一瞬の間に海岸に上陸していた。
【しかし……これはどうしたことじゃ……ファナス……】
 ルギアの視線は明らかにこちらを、シオンを見ている。黒塔で遥か海上のルギアと目が合った、あのとき同じ。
「ファナスってのは僕のこと?」
【そうじゃな……其方の気配は妾の愛するファナスそのもの……じゃが、転生した姿にしては……足りぬのじゃ】
 思い切って話しかけてみると、意外にも理性的だった。神だってポケモンには違いないのだ。もしかすると対話で解決するかもしれない。
「シオンさま!」「シオン君!」
 皆に制止されたが、ルギアに歩いて近づいてゆく。シオンに危害を加えるつもりは今のところないみたいだ。
「僕があなたの愛するひとの生まれ変わりなのかどうか、僕にはわからない。確かめたいことがあるなら、好きにして」
【良かろう……近う寄れ】
 ルギアは崖の縁にすとん、と降り立った。翼の力ではなくESPの力で飛んでいるのがわかる動作だった。
 間近で対峙してみると、思っていた以上にずっと大きい。体長はシオンの五、六倍をゆうに超えていて、対峙するだけで圧倒されそうだ。
 シオンが彼女の足元まで歩み寄ると、首がすぅっと下りてきた。
「っ……」
 ベール半島で信仰されている神様と見つめ合っている。いくらこの身に宿る魂がホウオウの由来だったとしても、こんな状況に平然としていられるほど度胸は据わっていなかった。思わず息を呑んで、身を引いてしまう。
【なるほどのう……妾を目覚めさせたのはやはり其の方等であったか】
 ルギアはしばらくシオンの瞳を覗き込んだあと、顔を上げて後ろで見守る面々、特に八卦の当主達を見回した。
【妾を封印せし神々共の仕業か? 或いはファナス、其方の意志か? 妾には二度と会えぬと申すか、ファナスよ!】
 あれ? やっぱり、怒ってる?
「シオン君! ルギアはもうまともな神様じゃないの! そいつは……ホウオウを失って狂ってしまった破壊神なんだから!」
 セルアナが真珠と孔雀さんに抑えられながら、今にも飛び出しそうな勢いで叫んだ。
【神鳥の使い魔風情が図に乗るでないわ。良かろう、妾を破壊神と呼ぶならば、望み通り其方の護る街を灰にしてやろうぞ!】
「待って! 待ってよ、女神様!」
 シオン以外の相手には理性の欠片も感じさせない。やはり破壊衝動に突き動かされているだけなのか。
【妾に指図するか、小童……!】
「シオンだよ、女神様。あなたの名前は?」
【ほう……】
 孔雀さんや一子さんだって争いを対話で解決したんだ。これくらいで諦めるわけにはいかない。
【下界のポケモンにしてはなかなかに麗しい形をしておるではないか。シオンよ。妾のことはイザスタと呼ぶが良い】
 破壊神にだって心があるんだ。何もかもぶち壊して一匹残ったって、満たされるはずないんだから。
「イザスタ様、だね」
 内心では怖くて仕方がなかったけれど、必死に隠して目一杯の笑顔を作った。
【ふむ。ファナスの代わりにはならぬが、最も大きな魂の欠片を持つ其方を妾の従者に迎え入れるのも面白い余興じゃ】
「そ、そう? それじゃもし僕がイザスタ様のものになるって言ったら――」
 自分の身を捧げるだけでこの国が助かるなら。数え切れないくらいの護りたいものを護れるなら。
「復讐とかやめてさ。海の女神様らしくどこかで静かに世界を見守るってのはどうかな?」
【……たわけた事を。ファナスの代わりにはならぬと申したであろう? 其方は妾の隣で全てを観測し、語り部となるのじゃ。千年前の神話の続きのな】
「やめないっていうの? 勘違いしないでよ。僕はこの国と、この世界と引き換えならあなたのものになってもいいって言ったんだよ」
【勘違いをしているのは其方じゃ、シオン。(わらわ)は其方の命を救う代わりに、夫として妾の側に置いてやると申しておる】
「僕は、自分の命なんて……」
 惜しくない、なんて。言えない。後ろで見ている橄欖がそれを許してくれない。
【決めるのは(わらわ)じゃ。其方に選択権などない】
「っ……話し合いに応じるつもりはないってこと?」
【其方の如き小さき者が話し合い、じゃと? 笑わせるでないわ】
 シオンの体突然浮き上がった。言うまでもなくルギアの仕業だ。本当にこのまま連れていくつもりなのか。
「誰が……ついていくものか……っ!」
「シオンさま!」
「待て橄欖、っておい孔雀、一子も!」
 誰かが飛び出してきた。ただシオンを持ち上げただけのサイコキネシスも、ルギアのESPが強力すぎるせいなのか、視界は青い光一色、音はキーンと響く高い耳鳴りに阻まれて何も聞こえない。
【目障りじゃ、塵芥共!】
 気がついたときシオンはルギアの背中の上から、孔雀、橄欖、一子の三匹がサイコショックに撃ち抜かれるのを見ていた。
「そんな……」
 孔雀だけがすんでのところで飛び上がってこれを躱し、こちらに向かってくる。
「ふっ……!」
 刀を抜き放ちざまに、一閃。サーナイトが居合斬りを繰り出すなんて予想外だし、何より孔雀の技量は天下一品だ。神様でも見えるわけがない。
 それなのに、刃が首に触れる直前で止められた。孔雀の体ごと、サイコキネシスの糸に絡め取られてしまったのだ。
【面白い玩具を作るものじゃな、彼の国のポケモン共は】
「そんな、孔雀さん……!」
「くっ……シオン、さま……!」
 孔雀はルギアに斬りつける姿勢のまま完全に動けなくなっている。シオンを拘束するのにサイコキネシスを使いながら、まだこんな力が出せるなんて。
【うぬの如きか弱き者が小細工を弄したところで妾に通じると思うたか】
「通じ、ないと……わかっていても……やらねばならぬときが……あるのです……!」
【そうまでして此奴を救いたいと申すか? シオンは妾の物となったのじゃ。妾の物を奪わんとする賊を捨て置くほど妾は甘くはないぞ】
「く……ぃ、あああぁあっ!」
 刀が地面に落ちて、金属音を立てる。孔雀は四肢を引っ張られ、体を大の字に開いて反り返った。衣の一部が千切れ飛んでいるし、明らかに肩の関節の可動域を超えている。
「やめて……! わかったよ、僕が欲しいなら、なんでもするから! だから……お願い」
【申したであろうが。決めるのは妾じゃとな】
 だめだ。交渉なんて通じない。理性があったとしても、彼女と同等の力を持たなければ話し合いの舞台にすら立てない。僕を力で従わせることができるイザスタにとって何のメリットもないのだから。
 わかっていても、懇願するしかない。こんなに簡単に拘束されてしまっている自分が情けない。目の前で大事なひとが壊されようとしているのに。
【しかとその目に刻んでおくが良い、シオンよ。妾がその気になればお前もすぐにこうなるのじゃ】
「わたしを……ぐ、利用しよう、などと……目……目を、閉じていて……っ、シオン、さま……!」
「孔雀さんっ! 誰か……助けてよ!」
 橄欖と一子に駆け寄っていた面々も、動けないのだ。わかっている。動けば今すぐにでも孔雀を殺して、迎え撃つだけの余力がイザスタにはある。それほど圧倒的だ。唯一イザスタを本気にさせられそうなセルアナもあの状態では。
 ――本気にさせる力。
 そう、僕はまだ本気の力を使っていない。使い方なんて知らない。意思を支配されるかもしれない。通じるかどうかもわからない。でも、イザスタが油断している今なら。
 ファナス。イザスタが何度も口にしたその名。僕達に力を、否、魂を分け与えてこの世から消えてしまった天空の虹の神、ホウオウ。
 母さんが僕とローレルを守ったみたいに。僕はどうなってもいい。
 今こそ力を貸して――!

14 


 どうしてこんなことに。シオンとの婚約を発表して、万事うまく回り始めていたのに。
「……やはり私も、シオンを連れ戻しに行くわ」
 黒塔内の自室で待機するよう指示され、ハイアットに部屋まで連れてこられた。
「それは儂が許しませんぞ御嬢様。橄欖殿を待ちなされ」
「父上の命令だから? そのようなもの知ったことですか! 第一、ここにいれば安全だなんて保証がどこにあると言うの?」
「それはそうですが……少なくとも、黒塔が破壊されることはあり得ませんからな」
「私一匹が助かったところで、シオンを失ったのでは生きている意味がないわ!」
「どうか落ち着いてくだされ。御嬢様まて危険に身を晒されては助かる者も助からなくなります。私兵全軍を以って対処するよう指示が出ております故、婿殿が連れ戻されるのも時間の問題かと」
「……だからといって、黙って待っているなんて」
「御嬢様まで飛び出されたら、そちらにも兵を割かなければならないということですじゃ。そも、儂は婿殿が飛び出してしまわれたのも遺憾……いや、止められなかった儂も情けないですがな」
 ハイアットの言う通りだった。自分が追いかけたところで何もできやしないし、迷惑をかけるばかりだ。自分が冷静さを欠いていることはわかっている。それでも、気持ちを抑えられなかった。
「……私が悪かったわ。ごめんね、爺」
「お謝りになることではございませんぞ。愛する人を想う気持ちがあればこそですからな。冷静でいられるのは儂のような冷たい人間(ポケモン)だけですじゃ」
 こうは言っても、ハイアットが情に薄い人間(ポケモン)でないことをフィオーナはよく知っている。大切な人を本当に助けたいなら、彼のようにクールに判断しなければならない。
 会話の間を、ノックの音が遮った。
「ハイアット様はこちらですか?」
 部下の報告だろうか。この非常時、ハイアットもフィオーナの説得に手を焼いている時間はないのだ。
 すでに迷惑を掛けているではないか。
「御嬢様との楽しみのひとときを邪魔するとはなっとらんですな」
 ハイアットはドアを開けるなり冗談を言ったが、顔はあまり笑っていなかった。
「はっ、申し訳ありません……ご報告はこちらでよろしいでしょうか?」
 ヒヒダルマの中年男性は、ハイアット直属の部下の一匹だ。名は確かマスカと言ったか。
「御嬢様に隠すことなどあるまいて」
「……はい。フィオーナお嬢様、構いませんか」
「構わないも何も、聞きたいくらいだわ。今街がどうなっているのか」
「では、フィオーナお嬢様の御前にて失礼ですが、ご報告させていただきます。先刻ランナベールを襲った地震と突風は、海の神ルギアの出現による余波であると推定されます。南鶯騎士団の一隊が壊滅したとの報告があり、護神ラティアスが交戦中であったとの目撃談もあります。また、陽州の者達との和解交渉を監視していた北皇騎士団第十三番隊との連絡が途絶えており、戦闘に巻き込まれた可能性があります。海岸付近では一部倒壊した建物もあり、死傷者多数と思われますが現在のところ詳細数は不明です」
 マスカが淡々と被害状況を告げるのを聞いていると、先の反乱の記憶が想起された。あのときはシオン、孔雀、橄欖のいない状況で屋敷を襲撃され、フィオーナ自身が危険に晒された。我が身だけを思えば今は遥かに安全な場所にいる。しかし胸に沈む不安の塊は、自らの危機よりもずっと冷たくて重い。
「……具合を損なわれていませんか、フィオーナ様」
「いいえ、平気よ」
「御嬢様をそこらの箱入り娘と一緒にされてはなりませんぞ、マスカ」
「爺の言う通りよ。私には気を遣わなくていいわ」
 立場が立場だけに動けないし、シオンや橄欖や孔雀のように力が強いわけでもない。だからこそ気は強く保たないと。戦場に立つ当人達は、もっとずっと危険で、大きな恐怖の中で気を張っているのだ。そんな彼が、彼女らが帰ってきたときに甘えさせてあげるくらい、心を大きく構えていたい。
「はっ。これは失礼いたしました。……して、ハイアット様。如何致しましょう?」
「ううむ。何が神の怒りを買ったのかのう。ルギアは破壊神とも、慈悲の女神であるとも聞きますが……現状では慈悲の心など持ち合わせてはおらんようですな。かといって正面から戦いを挑むのは愚策であろう」
 ルギアはベール半島では昔から信仰されている神様だ。半島から程近い海底神殿にルギアが封印されているという言い伝えがあった。ランナベールの市民がどの程度神を信仰しているかどうかはわからないが、ハイアットのように古くからランナベールに住んでいた者にとっては衝撃は大きいだろう。敬虔な信者ほど、ルギアを力ずくで制圧することは望まないはずだ。
「何かの折に孔雀に聞いたことがあるわ。天空の神ホウオウを信仰する陽州では、ルギアは破壊の女神として怖れられていると」
「……信じたくはありませぬが、現状を見ればそのようですな」
 きっとハイアットもわかってはいるのだ。何故ルギアが今現れたのか、何が怒りを買ったのか、原因を明らかにしたいけれども、今はそんな余裕はないのだと。とにかく街がこれ以上破壊される前に、ルギアを止めなくてはならない。
「各騎士団は鎮圧の命令を待っている模様です。特に北凰騎士団は今にも飛び出しそうなほど浮き足立っていると……」
「闇雲に刺激しては被害が大きくなる恐れがありますからな。とにかく、リカルディ様にも報せねばならん」
「私も行くわ」
「御嬢様には自室で待機されよとのご命令が」
「私とて伊達にジルベールに留学していないわ。ルギアに関する知識なら、役に立てるかもしれないでしょう?」
 待ち続けるだけなんて、もう沢山だ。僅かでもできることがあるのに何もしないなんて選択はあまりにも莫迦げている。
「そうですな。いつまでも子供扱いするのは返って御嬢様への非礼というもの。御知識ならば今や儂の臣下共では敵いませぬからな」
「ハイアット様の仰有る通りにございます。自分などの凡庸な頭では及びもつきません」
 ハイアットとマスカの言に謙遜の意が多分に含まれているにしても、ジルベールで学んだ歴史や神学、そして孔雀から得た陽州人の知識を併せ持っているのはフィオーナしかいない。
「ありがとう。お父様にも認めていただかなくてはね」
 今まで自由にさせてくれた父だから、そこのところは正直心配していなかった。第一、そんなことを心配している状況ではない。
「リカルディ様は会議室でお待ちとのことです」
「わかったわ。すぐに向かいましょう」
 ランナベールが危機に立たされたのはこれが二度目。一度目と違うのは、あの時は反政府勢力が政府や軍の関係者を襲ったのに対して今回危機に晒されているのは国民の全てだということ。無統治国家として誕生したランナベールといえど、国民あっての国家であることに代わりはない。国民を守ることに尽力せずして国家の存続はありえない。
 こんなわけのわからないままに、この国を滅ぼされてなるものですか。

         ◇

 会議室は相変わらず黒塗り一色の部屋で、窓はあるもののガラスは分厚く、またマジックミラーになっていて外から中を見ることはできない。
 そうまでして分厚い壁の内側に会議室を設けたのは先代の意向で、リカルディ様はあまり気に入っていないが、セルネーゼに言わせればこれでもまだ安心できないくらいだ。
「失礼致しますぞ」
 と、気を張らせていたところへ現れたハイアットの調子はいつも通りで、落ち着いていた。さすがに年季が違うといったところか。セルネーゼも彼を見習わなくてはならない。
「失礼しますわ、ランナベールご重鎮の方々」
「フィオーナ……? お前には待機を命じていたはずだが」
「お言葉ですがお父様。私をジルベールに留学させ、見識を広めさせたのはこのようなときの為ではなかったのですか。私だけが何もせず見ていることなどできませんわ」
「気持ちはわかるのだがね。お前はまだ学生の身。政治に関わるにはまだ早い」
「私が必要ないと感じたら無視して頂いても構いません。それとも、同席するだけでもご迷惑でしょうか」
 相変わらず押しの強いお嬢様だ。半端にプライドが高くて自分の欲求にすら従えないセルネーゼとは、似ているようで真逆の性質なのかもしれない。
「……今は一時を争う有事だ。少数精鋭で迅速に意思決定を行わねばならん。この意味がわかるな?」
 しかし、王としてのリカルディが私情を差し挟むはずがなかった。ここにいるのは、護衛のセルネーゼを除いては各分野に精通した重鎮ばかりだ。フィオーナはその年齢を思えば非常に優秀なポケモンであることは間違いないが、この場においては邪魔にしかならないとリカルディは告げている。
「……ですが」
「お前は皆にとってはランナベールの王女なのだ。気を遣うなと言われたところでそれができると思うか?」
 父であるリカルディを除いて。家臣たちがフィオーナを邪険になどできはしない。
「儂はそうは思いませんぞ、リカルディ様」
 そこへ口を挟んだのはハイアットだ。
「フィオーナ様が少々の非礼如きでお怒りになる方ではないことは皆存じておろう。ましてこの事態なら尚更ですじゃ。それに、今回の事態は神話の領域。我々に伝わる数々の逸話の真偽もわからぬ。これまで国家組織を運営してきた頭の硬い儂らだけでなく、フィオーナ様をはじめ多面的な知識が必要なのではありませんかな?」
 ハイアットは最後に、セルネーゼをちらりと見た。なるほど、ルギアの神話ならジルベールにも伝わっている。ジルベールに生まれ育ちランナベールに留学したセルネーゼと、その逆の経歴を持つフィオーナとではまた違う視点が持てる。どうやらセルネーゼも必要とされているらしい。
「ふむ……確かにな。私情を挟んでいたのは私の方かもしれぬ。良かろう、フィオーナよ。お前を末席に加え――む?」
 背を向けて外を見ていたリカルディが言葉を飲み込んだ。フィオーナやハイアットも目を丸くしている。
「何ですの?」
 セルネーゼが振り向くと、飛行ポケモンで混乱する空に、異彩を放つ三つの光が集まっていた。あれは。
「伝説の三神鳥……?」
 光ははっきりとした鳥の形を為しているが、いつの間に飛来したのかはわからない。まるで初めからそこに存在していたみたいに羽ばたいている。
 陽州からの侵入者の対応に追われていたら海の神が復活し、今度は三神鳥の出現ときた。一体このランナベールで何が起こっているというのか。セルネーゼには皆目見当もつかない。
「やはりな……どうやらこの国は、神々の戦いに巻き込まれたようですじゃ。我々の与り知らぬところで起こっている争いにな」
 ハイアットだけが落ち着いていた。エロジジイのくせに、こういうときだけは頼りになるのが腹立たしい。
 見守ることしかできないのか。否。失うわけにはいかないものがある。自分の命より大切なひとがいる。ならば私は、私たちは、守るべきもののために、戦うだけだ。
 たとえ相手が神様だろうと。

15 


 あの日を思い出した。天へ突き抜ける稲光の柱。豪風に小石が巻き上げられ、金色の光の靄が彼を包み込んでいる。
「皮肉なものだね……あれだけ恨んだ光に、今度はボクたちが助けられようとしているなんて」
「両院の力を恨むのは門違いだ、鈴。そう納得して紫苑を認めたのではないのか」
「……そうだったね」
 紫苑は悪者どころか、鈴の個人的な趣味を抜きにしても好感の持てる人物(ポケモン)だ。そんな彼を育てた姫女苑だってきっと。それでも割り切れない思いが自分の中にあることを、このときは自覚せざるを得なかった。
【ほう……あくまで歯向かうか、シオンよ】
 落雷で吹っ飛ばされたルギアはふたたび空へと舞い上がり、シオンは孔雀を庇いながらルギアを見上げている。
「貴女との交渉は無駄だってわかったから。もうこれ以上、僕の大切なひとたちに傷ついてほしくないんだ」
【浅き情よのう。その大切なひととやらは、其方を好いている者共であろう? 其方が誰かに依拠せねば存在できぬというだけの話。存在意義など妾が与えてやるというに】
 今のシオンから感じる波導は、目の前にいるルギアに匹敵している。先程までとはまるで別人だ。先祖代々蓄えてきた力を直接行使する両院の能力は、それだけ圧倒的だ。こんなのに復讐しようと考えていた自分たちが浅はかだと思い知らされるほどに。
 だというのにルギアは動揺する素振りも見せない。雷の直撃を受けても全く堪えていないのか。あるいは痛みもわからないくらいに狂ってしまっているのか。
「動けるひとは孔雀さんたちをお願い! あとは僕が何とかする」
「シオンさま……だめ……わたし、が……守りたいのは……」
 よろよろと立ち上がった橄欖がシオンに手を伸ばしたが、もはや歩く力はなく、彼には届かない。鈴はすぐに駆け寄って、再び倒れそうになる橄欖の体を支えた。
「悔しいけど、この場は紫苑に任せるしかない。皆、急いで!」
 言い終わるより早く、孔雀を真珠が、一子を瑪瑙が抱えて戻ってきた。孔雀と一子のダメージは深刻で、意識も失っている。一刻も早く治療しなくては間に合わなくなってしまう。
「自分の存在を確かめられる相手が誰でもいいわけじゃないってことくらいわかってるくせに。あなたの理屈はとっくに壊れてるよ」
 紫苑の周りに黒い靄が立ち込めて、いくつもの球体を形作ってゆく。単発でも致命傷になり得る高圧縮率のシャドーボールが、七つ、八つ……九つ。
「破壊神イザスタ。天空の虹の神ファナスに代わって、僕があなたを止める」
 撃ち出された九つの黒球の軌跡を見届けるより先に、真珠に促されて鈴はその場を去った。
 態勢を立て直すまでなんとか持ち堪えてくれと願いながら、もしかすると今の紫苑ならルギアを倒してしまえるかもしれないと。そんな希望さえ、抱いていた。
 
 空を見上げると、光を纏った大きな鳥ポケモンが三羽、羽ばたいていた。



SOSIA.Ⅷ 深海の影の女神 へつづく


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Last-modified: 2015-05-21 (木) 21:07:16
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