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夢守

/夢守

Writer:&fervor

数日前 

 大きな街の中心部を少し離れると、やや古いビルの建ち並ぶ旧市街地が現れる。昔はここが中心部だったらしいのだが、今は新しい駅の周りにその役目を譲り渡している。
きらびやかな中心部とは違い、少し落ち着いた雰囲気のある町並み。シャッターを閉じたままの店やぼろぼろの窓、曇ったガラスを今も身につけた、低めのビルが目立つ。
要するに昭和の香り漂う寂れた街、という雰囲気なのだが、その通りの電柱に一つ、なにやら不思議な広告が貼ってあるものがある。
 「あなたの夢に関するお悩みを解決!」と、いかにもワープロソフトで作りましたといったタイトルで始まる胡散臭い広告。ほとんどの人は見向きもしないであろう。
しかしその青年はじっと広告を見つめて、手元のスマートフォンで写真をぱちり。決して通報するつもりがあるのではなく、彼は純粋に興味があった。

 ――俺の悩みも、ひょっとしたら解決してくれるんだろうか。

夢守 

現在 

「ふあー、仕事のない日は楽ちんだねー。天気いいんだし、このまま外にお散歩行っていい?」
 ふわふわと浮かぶ、ピンクと紫の丸い玉、ではなく。歴とした生き物で、ムシャーナという種族のポケモンである。椅子に乗っかったまま、くああ、とまた大きく欠伸をする。
「駄目に決まってるだろ。だいたいお前がやりたいって言ってた仕事じゃないか、それを手伝う僕の身にもなってくれよ、ったく」
 事務用机を挟んで反対側の椅子には、どうやらそのムシャーナのトレーナーらしき若者が。ゆったりとした来客者用のそれを揺らしながら、ぱきり、と煎餅を一囓り。
机が一つと椅子二つ、あとは空気清浄機とエアコンが静かに動いているだけで、他には大きな家具も見当たらない殺風景な部屋。本来ビル裏の物置部屋だったらしいのだが。
数ヶ月前から彼らはここを借りて、夢と対峙する仕事を始めている。依頼によってその内容は大きく異なり、悪夢に入り込んで大立ち回りをしたこともあるとかないとか。
「メドラ、やっぱり改めて思うんだけどさ、この仕事やめてまたバトルを始めた方が」
「えー、やだよ今更バトルなんて。もう十分戦ったつもりだし、何よりぼくは最初っからこれがやりたくてシープルについてきたんだよ?」
 ただ、人間である若者――シープルには当然そんな大立ち回りの大活躍を眺めることもできないし、悪夢を見ていた張本人も、夢を食べられてしまえばその時の記憶はなくなってしまう。
だからムシャーナであるメドラにしかその大仕事は認識できないし、普段のメドラの様子を見ているだけではそれが大仕事とは到底思えないのだ。
夢を見て、その中に入り込む……というと聞こえはいいが、実際相手の頭に張り付いて、まるでもぐもぐと咀嚼するようにして相手の夢と対峙する。
その見かけでは、シープルが「大仕事」と思えないのも無理はない。実際、メドラ自身が疲れ果てて、全身で息をしているところなど誰も見たことがないのだから。
「仕方ないな……でもこれじゃ流石に商売あがったりだ。もっと大々的に宣伝して、一日何件もこなしていかなくちゃお金が」
「でも、一日何件もやってたらぼくが疲れるからやだなー」
 仕事が来ない以上、こちらからそれを探しに行くしか手がない。かといって店を開けていちいち一軒一軒訪問するわけにもいかないので、やはり現実的な手段は宣伝だろう。
今のところチラシを数カ所に貼っただけで、それ以上は何もしていない。シープル自身はブログやツイッターといった広告手段を勧めているのだが、仕事をするのは自分ではない。
メドラを無理矢理働かせることができればいいのだが、残念ながらそうもいかない。狸寝入りは得意技、邪魔をすればサイコキネシスで吹き飛ばされる。
一度そんな経験をしているシープルは、メドラに対してあまり強く出たりはしない。というよりも出たら最悪の場合死に至る。そんな危険を感じるほどの出来事があったのだから。
「わかったよ。まあ幸い、バトルで稼いでたお金で暫くは大丈夫だろうけどさ……」
 はあ、と大きくため息をついてゆったりとした背もたれに大きくもたれかかる。朝から昼まで、こうしてずっと待ちっぱなしと言うのもなかなかに暇な物。
小さな窓も曇りガラスのせいで外は見えない。せいぜい昼か夜かを区別できる程度だ。たとえ見えたとしても隣のビルが見えるだけで別段面白くもないのだが。
ここ数日間は仕事もなく、夕方までただひたすらお茶菓子をむさぼりながら手元の端末でゲームをしたり、映画を見たりの生活だった。
 いい加減、一人ぐらいお客さんが来てくれたらな、と窓を見ると、ふっと黒い影が通り過ぎていくのが見えた。しかしどちらも互いに無関心のまま。
というのもこの路地裏、知っている人からするとなかなか便利な近道なのだ。人一人が通るのがやっとの狭い道だが、ここを通ると大回りせずとも裏の道へ出られる。
最初の頃は期待もしたものだが、期待するだけ無駄なのだ、と分かってからはあまり動じなくなってしまった。また外れか、とシープルが呟いたそのとき、ドアが動いた。
「あのー、夢の相談があってここに来たんですけど……あってます、よね?」
 囓られた煎餅を手に持ったまま、しばらくの間見つめ合うシープルと青年。そして大慌てで残りを口に押し込み、机の上に散らばった欠片を手で払う。
やってきた青年をさっきまで自分が座っていた椅子に座らせ、机の上のペットボトルと紙コップを引っ掴み、ペットボトルの蓋を外して中身を注ぐ。
「ふー……いらっしゃいませ。すいません、いろいろバタバタしてて」
「っていうか、油断してた、だよねー」
 机を挟んで反対側の椅子、そこからふわりと浮き上がってきたメドラ。やってきたこの青年も、メドラを見て少し驚いた様子を見せる。
「ああ、僕が相談を受けるんじゃないんです。僕はあくまで助手、このメドラ先生がどんな夢の悩み事も解決してくれますよ」
 営業スマイルをばっちり決めて、さわやかにメドラを紹介するシープル。口元には若干せんべいの欠片が残っているがそんなことは誰も教えてくれない。
全体的にふわふわしている目の前のポケモンと、態度ががらりと変わる一見さわやかな男。こんな組み合わせでは、青年が不安を感じるのも当たり前だ。
しかし今更出て行くのもなかなか気まずい。どうしようか、と迷った挙句、青年は再び椅子に座り直して目の前のお茶を口にした。あまり冷えてはいなかったが。
「えっと……夢の話をする前に、俺の昔話から。この話をしとかないと、夢の話が訳わかんなくなっちゃうんで」
 目の前のポケモンに対してどう接すればいいのか。一応相談をする「先生」な訳だけれども、敬語を使うのも何か変な感じがする。距離感をつかめないままに、青年は話を進めていく。

1ヶ月前 

「治せない、って……なんでだよ!」
 街の中心に位置するポケモンセンター。ここでは様々な病気にかかったポケモンの治療を行っている。だから当然、急に具合を崩した俺のフタチマル――オニヴィスも、あっという間に治ると思っていた。
俺が小さい頃から一緒に育ってきたパートナーで、さながら弟のような存在。いつかはダイケンキとして共にバトルに参加しよう、と誓っていた、のに。
ベッドが楽々通れる広い廊下、自動ドアを背にして目の前に立つジョーイさんは、少し申し訳なさそうな表情で、俺と目を合わせずに喋る。
「この病気は非常にまれな病気で、未だに治療法が見つかっていません。一度発症すると、今までの症例ではすべてのポケモンが数日以内に亡くなっています。残念ですが……」
「そんな、だって……そんな!」
 廊下を歩く人たちの注目を集めていることも気にせず、俺はさらにジョーイさんに詰め寄る。そんなことをしたところで事実が変わらないことぐらいは分かっていたが。
その時の俺は、とにかく酷く動揺していた。無理もない。いきなりあと数日でパートナーが死んでしまいます、なんて一体誰が信じられるだろうか。
しかし事実は事実のまま。決して覆ることの無い現実を突きつけられて、俺はその場で崩れ落ちてしまった。まるで壊れた人形のように、その場にへたり込んで泣いていた。
 そんな俺を連れて、母はオニヴィスのいる病室へと向かった。沢山の管が繋がれたその身体には、いつもの元気さが全く見られない。
静かに横たわるオニヴィスが、再び目を覚ますことを信じて。もう一度立ち上がることを信じて。俺はその手を握って、ひたすらに天に祈り続けた。
あれだけ元気だったあいつが、こんなところで死ぬはずが無い。俺たちは一緒に、いつか大会で優勝できるほどに強くなるって誓ったんだから。

 ――それでも、現実はあまりにも無慈悲だった。

現在 

 青年が語る重い話に、片や真剣に、片やぼんやりと耳を傾ける。メドラは今にも寝息を立てるのではないか、というほど動きが見られない。
普段からあまり目を開けることはないため、傍目には寝ているようにしか見えないが。それでも煙の有無で寝ているかどうかの判断はつく。
話し終わった青年はふう、と一息ついてから、一度シープルの顔を見て、そしてもう一度目の前のメドラに話しかける。寝ていないことは分かってもらえたようだ。
「それ自体はさ、俺ももう吹っ切ることにしたんだ。悲しんでいたってあいつが喜んでくれる訳じゃ無い。きっとあいつなら、俺の背中をぽん、と押してくれるだろうから」
 そう言って、青年は何かを押し戻すように紙コップのお茶を喉の奥に流し込む。今まで何も動きの無かったメドラが、その仕草を見て少し顔をしかめる。
「それじゃ、別にストレートに悪夢を見るってわけじゃないんだね」
 何か気にかかることがあったのだろうか、だんだんと声にも真剣さが増してきたメドラ。その様子にシープルもやや驚いた様子。もちろん青年は大いに戸惑っている。
ただ、真剣に聞いてもらえていることは青年にも伝わったみたいだ。間を置いて、さらに続きを語り始める青年は、どこか嬉しそうで、それでいて寂しそうな顔をしていた。
「ああ、別にそういうわけじゃ無いんだ。いや、あるいは悪夢なのかもしれないけど、な」

二週間前・夢の中 

 いつものベッド、いつもの部屋、いつもの時間に目を覚ました、つもりだった。いつもと同じように、彼が隣に寝ていたことだけが、唯一特別なことだった。
俺は夢を覚えている方じゃないし、まして夢の中で夢を認識できる様な、夢に強い人間でも無い。それでも不思議と、これが夢であることだけはすぐに分かった。
しかし夢とはいえとてもリアルで、さながら現実そのもののような間隔がする。毛布の手触りも、小鳥の囀りも、カーテンの隙間の日差しも、隣のオニヴィスの肌の感触も。
「なんだよ、俺の肌に何か着いてるか?」
「い、いや、そんな訳じゃ無いけど」
「ほら、早く起きないと予備校遅れるぞ、今日は終わった後バトルもできるんだろ、楽しみだよな!」
 彼にせかされて、俺はそそくさと予備校へ行く準備を始める。目の前で動いて、喋っているオニヴィスは、いつものオニヴィスそのもの。
夢だとはわかっている。それでも、こんな日常がずっと続けばいいのに、とそう思わずにはいられないほど、平凡で、普段通りで、幸せな朝の時間だった。
 いつも通りに服を着て、いつも通りに菓子パンにかぶりついて、いつも通りに歯を磨いて、いつも通りに教科書を詰めて、いつも通りに玄関に立つ。
その間もオニヴィスは俺に着いてきて、隣で一緒に菓子パンを食べたり、一緒に歯を磨いたり、忘れ物を差し出してくれたり。
やっぱり間違いなくあいつなんだ。元気にオニヴィスが動いているのを見て、俺はとても嬉しかった。どのフタチマルでもない、このフタチマル――オニヴィスがいることに。
 だけれども、俺の頭の中には悲しみもあった。だって、それはあくまでも夢の話。目の前の彼の現実も、俺はよく理解している。もしもそれをここで言ったら、どうなるんだろうか。
ただ、ここでオニヴィスに真実を伝えたら、この夢が、この世界が崩れてしまいそうな気がして。何度か言いかけたものの、やっぱり、と思い止まってしまって。
靴を履いて、玄関のドアを開ける。隣のオニヴィスをふと見ると、なぜだか少し悲しそうな表情をしている様な。

 ――そのとき、耳元に携帯のアラーム音が鳴り響いた。

現在 

「それから、毎日似たような夢を見るんだ。朝だったり昼だったり、平日だったり休日だったり。とにかく隣にはいつも通りあいつがいて、いつも通り幸せに生活する、そんな夢を」
 目を閉じて、その光景をまぶたの裏に映しながら喋る青年。相談初めの顔とは打って変わって、生き生きと楽しそうなその顔を、笑いもせずに見つめるメドラ。
シープルはそんなメドラをじっと見ながら、その隣で黙って立ち尽くしている。あまりいい顔をしない彼らを見て、青年は少し咳払いをした後、また寂しそうな顔を浮かべ出す。
「最初はこの夢を見てたら楽しかったんだけどな。夢が幸せ過ぎて、現実が嫌になっちゃってさ。予備校もここ暫く行く気がしないし、何やってても楽しくない」
「なるほど、それが相談の内容、ってわけですか」
 シープルはそう言って机の上のクリップボードを手に取り、紙にさらさらと話をまとめ始める。メドラはさっきから黙って全く喋ろうとしない。
青年は伏し目がちだった顔を上げ、メドラをただじっと見つめる。少し言い淀んだ様な様子を見せた後、ようやく口にした言葉。やや自嘲気味なトーンで、独りぼそっと呟くように。
「あの、無理な願いかもしれないけど、さ。俺を……この夢の中に、閉じ込めてくれないか?」
 その言葉に、シープルはぴたりとペンを止め、青年の顔を見る。驚くシープルに対して、青年の顔は至極本気で、強い気迫さえ感じるほど。
しかしメドラはにこりとも笑わず、寧ろ苛ついたような、どこか不機嫌な顔のまま。ふう、というため息はまるで「馬鹿馬鹿しい」とでも言わんばかり。
「幸せな夢、ねえ。僕は思うんだけどさ、それって全然幸せな夢じゃ無いよね。君自身はその所為で苦しんでる訳だし。そんな夢に君を置き去り、寝たきりだなんて、ぼくとしては引き受けかねるね」
 ふわふわとした声ではなかった。きっぱりとした強い口調で、青年に対して真っ向から反発する。青年は何か反論しようとして椅子から立ち上がりかけるが、その気持ちを押し殺して再び座る。
シープルでさえも見たことのないメドラの様子。聞いたこともないメドラの口調。何かが気に障ったのかもしれないが、その心当たりは青年にはもちろん、パートナーである彼にもなかった。
無言の部屋、俯く青年。このままではますます気まずい雰囲気になってしまう、とシープルが口を挟みかけたその時、思いついたかのように青年が顔を上げる。
「じゃあ、いっそ……夢なんて無くしてくれ」
 夢を無くす。メドラ――ムシャーナは夢を食べることが出来る。表層に夢として現れた夢を食べるだけではなく、もしその根源までをも食べ尽くそうとしたら、どうなるのか。
たぶん不可能な願いではないだろう、とシープルは思った。そして青年もきっとそう思って口にしたのだろう。しかし、メドラはその言葉に怒ったような様子を見せる。
「夢を無くす? 馬鹿言わないで、夢がどんなに大切な物か、君は分かって」
「知るか! もう嫌なんだよ、幸せなあの世界から叩き落とされるのが。だから、あんなもん無くなればいい、ああそうさ、無くなればいいんだよ!」
 メドラの言葉を遮って、青年は激昂し、机を叩いて立ち上がる。絞り出すような声で嫌だと口にし、涙を湛えて発した悲痛な叫び。シープルが彼を宥めようと手を伸ばした、その時だった。
「ふざけんなっ!! 無くなればいいなんて、そんなことないっ! ぼくはもう、あんなこと……っ」
 青年も、シープルも、何が起きたのか分からない、といった表情でその声が聞こえた方向へ目を遣る。そこにはふわふわと浮くピンク色の玉、ではなく。怒りに震えたメドラが居た。
普段からあまり鋭い感情を表に出す方ではないメドラが、ここまで怒ったのをシープルも見たことが無かった。驚いたままの二人をよそに、メドラは続ける。
「夢は心と向き合う場所でもあれば、心を整理する場所でもある。君は逃げてるだけだ、君の心から」
「逃げてる? 俺が、俺の……心、から?」
 幾分か落ち着きを取り戻した青年は、机を見つめたまま自分の行いを振り返る。逃げていたつもりなんてない。自分自身、悲しむだけ悲しんだつもりだし、乗り越えて生きていこうとも思っていた。
けれども実際、こうやって夢に見てしまうとその悲しさが、居ないという現実が重くのしかかってきてしまう。青年はそれが夢のせいであって、自分の所為ではない、と言い聞かせてきた。
「吹っ切ったつもりだかなんだか知らないけど、君はまだその仔のことを引きずっている。それが夢に出てるだけ」
 しかし、メドラにはもう分かっていた。心のどこかで、青年がそのフタチマルを求めていることを。心のどこかで、ずっと居ないという現実を悲しみ続けていることを。
かつて同じように夢に囚われて、自分が救いを差し出した結果、とんでもない結末を迎えたとある悲劇を、青年が繰り返そうとしていることを。
「そんなことない! 俺はもう、もう分かってるんだよ……オニヴィスがいないことぐらい!」
 青年は否定する。けれども薄々気づいていた。心では否定している、頭では理解している、それでも身体が付いてこない。隣に居る温もりを、本能が求め続けている。
必死に頭を振っても、どれだけ目や耳を塞いでも、忘れることの出来ない存在。思い出さないようにとどれだけ逃げても、現実はそれを許してくれない。
「分かってる、だけじゃ駄目なことも君は知っている。そうでしょ? そして、納得できずにもがいて、苦しんで、悲しんでいるだけ。現実から逃げようと必死だ」
 メドラはさらに言葉を続ける。青年はいよいよ逃げられなくなっていく。逃げて、逃げて、逃げ続けるうちに見えてくるのは、自分がずっと隠してきた本当の心。
いよいよ言い訳も出来なくなってようやく観念したのか、がたんと荒々しく椅子に座って、それでも自分を保とうと言葉を吐き出す青年。その口調はだんだん弱く、そして消え入るような泣き声に。
「俺は、ただ……ただ、忘れられないだけなんだよ! そうだよ、確かに引きずってる。だから、早く忘れようと頑張ってる、のに……あいつの思い出が、強すぎるんだよ……」
 とうとう泣き崩れる彼に、ふわりと浮いたメドラが近づく。机に突っ伏した彼の頭に、メドラの額の先がぶつかりそうなほどの距離で、今度はそっと、優しい声で語りかける。
「忘れちゃだめ。彼はまだ、君の中で生き続けている。君が忘れない限り、ずっと。だから悲しむんじゃなくて、一緒に歩いて行けばいいんだ」
 ぽふ、と頭の上に乗っかるメドラ。端から見るととても滑稽なその様子に、シープルは思わずクスリと笑ってしまう。相談の最後は大抵こうなるのだが、やはり何度見てもおかしな光景だ。
「一緒に……でも、どうやって? 思い出に縋ったままの俺じゃ、きっとまだそんなこと」
 もちろんそんな格好を気にするほどの気持ちの余裕は青年にはない。突っ伏した顔を上げる彼に対して、その頭の上からメドラは話しかける。
「そのためにぼくがいるんだよ? さあ、もう一度旅だってきなよ。今度こそ過去とはお別れしないとね。それで、これからもよろしくって、伝えるといいよ」

現在・夢の中 

 いつものベッドの中、俺は目覚めた。目覚めた、という表現が果たして正しいのかは分からないけれども、とにかく俺はまた夢の中に来たようだ。
隣にはやっぱりあの温もりがあって、俺が手を伸ばせばやっぱりそこにあるのはぷにっとした肌の感触。ふああ、と大きな欠伸をしながら起き上がるオニヴィス。
そんなオニヴィスを、ベッドの上で身体を起こしたままじっと見つめてみる。そこに居るのは紛れもなくあいつだ。だけど、あいつはもういない。
あのピンク玉に言われた様に、俺はあいつの思い出から逃げ続けていたんだ。でも心の奥で、身体のどこかで、俺はあいつの温もりを求め続けていた。
「ん、俺の顔、なんか付いてるか?」
 上体を起こしたままじっと動かない俺を不思議に思ったのか、隣で不思議そうに俺を見るオニヴィス。そのの頬をそっと撫でると、くすぐったそうにその手を払いのけられる。
言わなければ、きっとこれからもこいつと一緒に居られるはずだ。でも、それは本当の幸せじゃない。きっと、オニヴィスも俺にそんな風に居て欲しくはないはずだ。だから。
「あのさ、オニヴィス。やっぱり、俺、このままお前とは居られない」
 夢から覚める前、いつもこいつは悲しそうな顔をしていた。その意味が今なら分かる気がする。きっと、オニヴィスも俺がこの夢を見なくなることを望んでいたんだ。
俺の思い出が作り出したこいつは、俺の夢に抗うことなんて出来ないはず。それでもあの一瞬は、あの時見せた顔は、間違いなくあいつの思いを映したものだった。
俺の言葉に、はっと顔をこちらに向けてくるオニヴィス。晴れ晴れとしていて、どこか寂しそうで、けれども嬉しそうなその顔ごと、俺はオニヴィスを抱きしめた。
「……そっか、やっぱ気づいてたんだな。俺がもういないってこと」
「ああ。だから、こんなまやかしとはお別れだ。でも、お前は決して消えたりしない。俺がずっと覚えててやるから、大丈夫だ」
 両肩に手を乗せて身体を離し、じっとその目を見つめる。弟のような存在で、俺のいいパートナーだったオニヴィス。もうこうやって、はっきりと向き合って会うことはないだろう。
最後にその顔を、その姿をじっくりと脳裏に焼き付けておきたい。俺がこの先もずっと、絶対にオニヴィスのことを忘れない様に、細部までしっかりと。
「そうやって面と向かって言われると……へへ、なんだか気恥ずかしいな」
 照れ笑いするその額に、俺はこつんと拳を当てる。そしてただ黙って右手を差し出すと、オニヴィスもその意味を理解したのか同じく右手を差し出して手を握ってくる。
「それじゃ、これからもよろしくな。もし俺が立ち止まってたら、そのときは、俺の背中を押してくれ」
 これで本当にお別れになる。きっと、もうこうやってはっきりと夢に見ることもないんだろう。そう思うと急に寂しくなってきて、視界が潤んでくしゃくしゃになっていく。
でも、ここで悲しんでちゃ何の意味も無い。たとえ涙は零れていても、せめて笑顔で別れたい。何も永遠の別れじゃない、こいつは俺の中で、ずっと生きていてくれるんだから。
「ああ。俺が助けてやるから安心しろよな! ほら、これ、お守り。……これからも、がんばれよ!」
 差し出されたのはオニヴィス自慢のホタチ。それを俺が受け取ると、オニヴィスはもう一方のホタチを掲げてこつり、と俺の持つホタチとぶつけてきた。
俺とオニヴィスの繋がりの証。迷いなんてもう無かった。万が一また迷いが出てきたとしても、そのときは俺が断ち切ってやる。俺の……オニヴィスの、このホタチで。
それに、俺は独りじゃない。俺独りでは断ち切れない思いも、こいつが断ち切ってくれる。互いに天にホタチをかざして、見つめ合ったままにっと笑う。

 ――二つのホタチが、同時に鋭く空を切った。

現在 

「お帰りー。どうだった?」
 青年ががばっと顔を上げる。そして自分が戻ってきたことを確認して、ふう、と一つ大きな息を吐く。頭の上からすっと離れたメドラが、再び目の前までふわふわと浮かびながら戻ってきた。
いつものような咀嚼をしなかったことから、きっとメドラはただ青年に夢を見せただけなのだろう、とシープルは判断した。そういったことも一応メモに取っていくのが彼の仕事。
「ああ、もう、大丈夫だと思う。少なくとも、俺の中では、な」
 青年の目からこぼれる一筋の涙。けれども不思議と悲しそうな顔では無く、むしろ晴れ晴れとした表情を浮かべている。その様子に満足げなメドラとシープル。
シープルには夢の内容が一切分からなかったが、恐らく何らかの形で青年に気持ちの整理が付いたのだろうということだけは分かった。そしてメドラがその手伝いをしたことも。
「そうだ、これ、ぼくからの……いや、君の中に生きる彼からのプレゼント、かなー」
 メドラはどこからともなくサイコキネシスで一つの白い物体を運んできた。貝殻、のようなそれを見て、とても驚いた様子を見せる青年。貝殻とメドラを交互に見やる。
それは紛れもなく夢の中で手渡されたホタチで、確かにあのオニヴィスのホタチそのものだった。どうして、とでも言いたげな表情を浮かべる青年だったが、メドラは何も言わずそれを青年の目の前に置く。
「……俺、頑張るよ。俺とオニヴィスみたいな、悲しいことが起こらないように。それに少しでも貢献できるように、さ」
「そっかー、頑張ってねー。それじゃ、今度はここじゃないどこかで会えるの、楽しみにしてるよー」
 それなりに働いて眠くなったのか、メドラはそのまま椅子の上に着地すると、すーすーと寝息を立て始めた。額から夢の煙がもこもこと立ち上る。全く、とシープルは呆れ気味だ。
大体一仕事終えるといつも眠りについてしまう。あまり疲れた様子は見られないため、きっと仕事をしようと思えばまだいくつでも出来るのだろう。しかし起こせばかなり酷い目に遭ってしまう。
「それじゃあ失礼します。本当にありがとうございました!」
 立ち上がった青年の笑顔がくるりと振り返り、入ってきたドアががらりと開く。その背中を手を振って見送るシープル。笑顔のお客さんを見送るその瞬間は、彼にとって一番幸せな一時。
きっとこれから、青年も頑張って誰かに笑顔を与える仕事に就くのだろう。彼の口ぶりからすると、きっとポケモンと関わるような仕事をするに違いない。
いつかまた、成長した青年に会ってみたいな、とシープルは口にする。いつの間にか煙を止めたメドラが、また浮き上がってきてシープルの頭に乗っかってくる。
「そうだねー、でもその前に、今すぐもう一回会わないといけないんじゃないのー?」
 上を見上げるシープル。当然天井しか見えず、メドラは頭の上にしがみついたまま。そんなメドラを両手で掴んで引きはがし、目の前に持ってくる。
どういう意味だよ、と問いかけたところで、ようやくシープルは重要なことに気がついた。机に起きっぱなしのクリップボード、そこに挟まれた紙にはあまりにも空欄が目立ちすぎていて。
「ちょ、待って、おか、お金まだもらってないですよっ!」
 ドアを勢いよく開けて飛び出していくシープルと、その両手に抱かれたままのメドラ。部屋の中には先ほどメドラが寝ているときに発した夢の煙が充満している。夢を映し出す、その煙には。

 ――一匹のフタチマルが、一つのホタチを掲げて天にかざす姿が映っていた。

後書き 

まさかの半年近い期間を掛けてようやく仮面を外すことにしました(
コメントが非常に長い期間返せなくてものすごく申し訳ないです。本当にごめんなさい。
今現在かろうじて連載中の既往不咎は、図を按じて驥を索むの続編でありこの夢守の続編でもあったりします。
気づいた方が居らっしゃればすごいと思います。正直このお話影薄かったような気がげふんげふん。
ムシャーナは食べた夢を実体化させることが出来るそうです。そこから思いついたのがこのお話でした。
夢、という言葉にも二通りの取り方がありますが、どちらの夢も大切なものです。
シープルとメドラ達が追いかける夢にはもう少しいろんなお話が絡んだりしますがそれはまたいつか。

>続き、というか、メドラとシープルの仕事をもっと見てみたいと思いました。 (2013/04/05(金) 00:17)
ありがとうございます。またいつか続きが書けたら良いな、と思うんですがいつになるやら……がんばります。

>とても良かったです!なんか色々考えて思わず涙ぐんでしまいました (2013/04/06(土) 22:06)
夢って不思議ですよね。そんな夢の持つ不思議さの一部分がお見せできていたら幸いです。

結果は二票で九位でした。というと聞こえは良いですがアレですよね!(
まあ結果よりもお話が無事書けたと言うことで満足しておきたいと思います。
それではここまで読んでいただいてどうもありがとうございました。

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Last-modified: 2013-09-07 (土) 00:00:00
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