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勿忘草2

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SOSIA.Ⅴ
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勿忘草2 

Written by March Hare

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◇キャラ紹介◇ 


○アスペル:マニューラ
 北凰騎士団の斬り込み隊長。裏の顔は情報屋。

○ヒルルカ:バクフーン
 シャロンの隊の副隊長。

一子(いちこ):ゲンガー
 陽州の武家、午内(ごだい)家の当主。巽丞姉妹とは元同志。

○二郎&三太:ゴルーグ&ムウマ
 一子の弟たち。

○デッドリー:ミルホッグ
 ハンターズギルド『カルミャプラム』オーナー。

○エリオット:リーフィア
 喫茶店ウェルトジェレンクの店員。

○イレーネ:ブースター
 娼館『蝶の舞う園』のNo.1。

○ラ・レーヌ:色バタフリー
 娼館『蝶の舞う園』の経営者。元貴族。

○テリーア:プクリン
 兵士要請学校セーラリュートの学生。

○サエザ:ゴチルゼル
 ケンティフォリア歓楽街の女王。娼館経営グループ『イーノッソ』会長。

etc.


08 


「最近客来ねーな……」
 静かな住宅街の立地は、安全と引き換えに(ポケモン)通りも少ない。わかっちゃいるのだが、黒薔薇事件のあたりから常連が増えはじめ、経営状況も少しは上向きになったというに。
 やる気のない店長のオバサンミルタンクの傍ら仕事に精を出す可憐なリーフィアのウェイトレスが売りの喫茶店は、元の静けさを取り戻してしまっていた。
「来ないなら来るように考えな。給料減らされたくないだろ?」
 煙草を吹かしながらカウンターに突っ伏しているオバサンは、宣伝する気もなければもちろん営業に出るつもりもないらしい。そして業績不振はそのままオレの給料に響く。このオバサンが命の恩人でなかったら誰がこんなところで働いてやるものか。
「へいへい。じゃ営業行ってくるからミルクくれ」
「あぁ?」
「あぁじゃねえよあんたミルタンクだろ! 外に宣伝に行くためには体力がいるんだよ」
「あたしのミルクが限定レアチーズケーキの原料だって事知ってんだろ。それをアンタにやれってかしかもタダで」
「客来ないからクリームチーズ余ってんじゃねえか。このままじゃどうせ廃棄だろ」
「……素直に甘えたいって言やいいものを。ほれ」
「ばっ、誰がオバサンの乳を直に吸うかっての!」
「あん? 今なんつった?」
 やべえ。口が滑った。
 このオバサン、オバサンのくせにオバサンと言われると機嫌を損ねるという一番面倒なタイプのオバサンなのだ。
「いや、空口って知ってるだろ空耳の親戚の」
「要するに口が滑ったって事かい。本音が飛び出したってか」
「それはそのぬわあぁっ」
 いきなりカウンターを跳び越えやがった!
「飲みたけりゃ好きなだけやるよ!」
 五十近いくせになんて身軽な――くそっ捕まった。
「ほれほれミルクが欲しいんだろ? で誰がオバサンだって?」
「くっ、ぶほっ、気持ち悪いからやめろ!」
 トモヨに押さえ付けられ、頭からミルクをぶっかけられた。もうムチャクチャだ。
 まともに口に入ってねえわ生温かいわで体力作りなんかには到底なりそうもないどころか体を洗わなきゃいけないしそれで出発は遅れるし、これでは余計に疲れるばかりだ。
 何たってオレがこんな目に。
 それもこれも突然客が来なくなった所為――。

         ◇

「あれ何やってんですかね?」
「ミルタンクがリーフィアを……? いや、よそ見するなっス! 我々の仕事はハンターの鎮圧っス!」
 住宅街の中に突然現れるガラス張りの喫茶店らしき建物。ふとその中を覗くと何やら怪しげなことが行われていた。
 ラウジ達は、九番隊、それに接近戦に強い五番隊の兵を加えた編成で、住宅街を根城とするハンターを追っていた。
「うーわ、ミルク塗れやんあのリーフィア。犯されてるみたいや」
「ヒルルカさんまで! 真面目にやって下さいっス! それでも五番隊の副隊長っスか!」
「何やあんたギャグの通じひんやっちゃなあ。ウチはいつでも真面目やっちゅうねん」
 このバクフーンの牝は六番隊隊長のアスペルと同じアザト出身で、名をヒルルカという。あのシャロンさんの元で副隊長を務めているとは思えないノリの軽さである。
「シャロンさんに報告するっスよー」
「やめや、そんなしょうもない……あんたかて気ぃ緩めんと集中しぃや。いつくるかわからんねんから」
「百も承知っス!」
 俺はシオン隊長の評判を下げるようなことだけはしないっスからね――。

         ◇

 前理事長の不祥事が発覚してからというもの、学内では様々な噂が飛び交うようになった。去年、生徒の数名が退学に追いやられたのも、前理事長が運営費を着服していたという事実を知ってしまったせいだと言われている。
「絶対あれだ今回のやつも放り出された理事長のヤローが腹いせにやらかしたに違いねえだろなあテリーアさんよ」
「違うと思うわ。財産からかなり差し押さえられたって聞くし……」
「全部没収すりゃ良かったのによぉ」
 今年二十歳を迎えるテリーアたちは、いろいろありながらも何とか進路が固まっていた。ドグロッグのグヴィードはヴァンジェスティ傘下企業に護衛として内定が決まり、マルマインのパツは私兵団、テリーアは保安隊に入ることになっている。あとは卒業試験を乗り越えるのみだ。
「でも、もし前理事長が反乱の首謀者ならリュートが狙われることもあり得るわね」
「莫迦野郎俺達がいかに訓練生だろーとハンターなんかに負けるかってんだ毎日死ぬほど訓練しまくってきたんだぜだいたいハンターなんか私兵団の入団試験すら受からない実力だろーが」
「違いねえや。攻めてきたらぶっ飛ばしてやろうぜアヒャヒャヒャヒャヒャ」
 食堂にグヴィードの気持ち悪い笑い声が響く。
 その笑い方はやめなさいとあれほど。
「いてっ」
 はたく攻撃。軽ーく、だけれどね。
「仕方ねえだろ、テンション上がったら笑っちまうんだって」
「そうじゃなくて笑い方の問題!」
「へいへい」
「反省する気あるの? 言ったでしょ、私の隣を歩く以上下品な振る舞いはやめてって。私のイメージまで壊れちゃうじゃない」
「細けえなあ。シオンはそんなこと気にしなかったのによぉ」
「なんでそこでまたシオンくんが出てくるのよ! いつもいつも……」
「元カノみたいなもんだしよ」
「前の彼女と比べるって何なのよ! だいたいシオンくんは男の子でしょ!」
「あーーーうるせえぞ二匹共てめえらちょっと付き合ってるからってこれ見よがしに痴話喧嘩しやがって鬱陶しい」
 パツに早口で割り込まれ、テリーアもグヴィードも口をつぐむしかなくなった。
 そう、紆余曲折あったのだけれど、真面目な学級委員長と名高いこの私プクリンのテリーアは、小等部の頃から学級の問題児だったグレッグル、今はドグロッグに進化したグヴィードと付き合うことになってしまっていたのだ。
「つかシオンっていや私兵団入ったんだよなしかしあの野郎いっぺんもリュートに顔見せねえし連絡も寄越さねえし今頃どこで何やってんだ」
 リュート史上最年少の風紀委員長、入学から卒業までの最速記録を持つエーフィ。おまけに牝が羨むほどの美貌でグヴィードをはじめ数々の性的倒錯者を生んだカリスマ的存在。テリーアのシオンに対する認識はそんなところだ。卒業後の進路はパツと同じく私兵団だった。
「ハンターと戦ってるんでしょ。私兵なんだから」
「お。パツって私兵団入ったらシオンに会えるんじゃね?」
「莫迦かグヴィードお前私兵団って四団あるんだぞまあ一個は海兵団だから東西北の三つだけどよそれでも確率三分の一だぜわかるかお前残りの三分の二は会えないっつーことだ二倍の確率でな」
「でも同じ職業ならどこかに接点があるかも……合同演習とか」
「アヒャ。シオンに会ったら連絡くれよぉパツ」
 はたく攻撃――を出しかけてやめる。別段食堂内に響くようなものではなかったし、パツは昔からグヴィードの下品な笑い声をよく知っているので今さら知られて困るようなことではない。
 誰も、こんなことでシオン君が死ぬなんて思っていないのが不思議だった。でもそれはその通りだろう。
 あのシオン君が簡単にこの街の塵と消えるなんてことあるはずがないもの。燦然と輝いてそこに立っている姿しか、私の目には浮かばない。

09 


「ハーイ、グラタンス・リレンザの皆さん。ご機嫌いかがですか?」

 何の前触れもなく、何の手順も踏まず、何の遠慮もせず、何の警戒心もなく。そのサーナイトは港市場の一角で張り込んでいた俺達の真上から降ってきた。
「おや。皆さん(ゾロア)につままれたような顔をしていらっしゃいますねー。私の顔をお忘れですか?」
「あァアーん? なんだテぃメェーえはゥよォオ!?」
 皆が呆気に取られる中、真っ先にセキイが突っ掛かった。
「はて。新言語でしょうか、独特の発音をされますねっ」
 などとくすくす笑うこの牝を忘れるはずなかった。ローレルたちは黒薔薇事件の容疑者として彼女を追い、戦いを挑んだ。ルードをノックアウトし、俺の耳をぶった斬ったやつだ。
「ォオ? おちょくってんのかァ?」
 ぐいぐいと歩み寄り顔を近づけていくセキイはどうやら本当に覚えていないらしいが。
 忘れもしないサーナイトの孔雀は、セキイがどれだけ近づこうとも莞爾(かんじ)として動かない。そのにこやかな顔のまま言った。
「ピアス引きちぎるわよ」
 セキイの顔から血の気が引いた。さしものセキイといえど、彼女の言いしれぬ恐ろしさを感じ取ったようだ。まあ、喧嘩を売って一撃のもとに沈められても良かったのだが。
「孔雀さん……だよね。覚えてるよ。ただ俺たちはグラタンでもリレンザでもなくグラティス・アレンザなんだけど」
「これは失礼をいたしました」
「まあセキイの非礼もあるし、お互い様ってことで。で、わざわざ俺たちを訪ねてきた用件は?」
 物言いたげなルードを制しつつ、代表としてローレルが話を聞く寸法に持っていった。セキイはフライングしたところで失格になるだけだが、ルードにフライングされると話が滞ってしまう。
「今日はシオンさまの使いでここに来たのです」
 おおかた、彼女の姿が見えた瞬間に想像した通りだった。
「お見受けしましたところ、あなたがたもこの反乱に加担していらっしゃるご様子で」
「兄ちゃんはなんて? 手を引けと?」
「いいえ。ただ、ローレルさまはローレルさまの大事なものを守るようにと、そのように仰有っておいでです。そして、決して身を捨てることのないようにと」
「そう。わかった」
 あの時、ルードに覚悟を問われた。できないなら自分とセキイだけでやると。
「兄ちゃんには、言われなくてもそのつもりだと伝えておいて」
 俺の大切なものは、今ここにあるのだから。天秤にかけたりしない。例え相手が兄ちゃんでも、俺は皆を守らなくちゃいけない。
「承知いたしました。もっとも……伝えられると良いのですが」
 刹那の土埃、風切り音、そして固いもの同士が激突する衝撃音。
「おお。神速の一撃ですねー」
「チッ……」
 持っていた箒の柄でルードの回し蹴りをがっちりと受け止めた孔雀は不敵に微笑んでいた。

         ◇

「これ以上の機会はねェ。あの時の借りは返す」
 兄ちゃんの使いだと言った。要するに孔雀は私兵団側のポケモンとして動いてるってことだ。今度こそ敵同士として再会したことになる。
「貴方の支払い能力では返せることなどありません。大人しく自己破産してくださいな」
 初撃の右回し蹴りから左ボディ、その勢いのまま回転してのバックブロー?足元を狙ったアイアンテールの流れるような打ち込みを、孔雀は全て捌いて見せた。
「るせえ! ランナベールには裁判所も法律もねェんだよ!」
 アイアンテールをジャンプで躱したところへ、甘いとばかりに跳び膝蹴り。しかし孔雀のそれはジャンプと見せかけた飛行だ――ルードは読んでいた。
「ひぇっ」
 それまで攻撃を捌きながら会話する余裕まで見せていた孔雀の表情が初めて真剣なものになった。ルードのスカイアッパーが彼女の丸い顎を捉えるところ下からでもはっきり見えた。一瞬制御を失った孔雀の体はルードと共に自由落下。明らかな隙。そもそも攻撃がヒットしたのが信じられなかった。前に会った時は無敵とさえ思った相手だ。ルードの両手から黒い波導の霧が溢れ出す。それが今、ルードに負ける……?
「たっぷりと礼をしてやるぜ!」
 俺が教えた技だ。ルードは孔雀に負けたのをきっかけに己を鍛え直し、あらゆる波導を操れるまでになった。
 サーナイトの弱点タイプ、悪の波導を纏ったルードのハンマーナックルが炸裂した。インパクトの瞬間、ド派手に爆散した黒い波導がその威力を物語る。孔雀の体は地面に叩きつけられ、更なるダメージを与えた。はずだ。
「ヒャッハァ! 兄貴のパゥアーを見たか!」
 セキイが賞賛する中、着地したルードは大の字に倒れる孔雀を冷静に見つめていた。
 数秒間の静寂。
「と見せかけててややーっ」
 手首だけ動かした孔雀の手先から炎弾が発射された。しっかり見切っていたルードは波導を纏った手刀で弾いたのだが――。
「そう簡単にはいかねェもんだな」
 孔雀がまるで何のダメージも負っていないみたいに跳び起きたところまでは悪い意味でも予想通り。
「腕を上げられましたね」
「――ッ」
 ルードが言葉を失った理由、その場にいた者全てがその心境を理解するだろう。
「ご褒美と言っては何ですが、少々わたしの本気を見せて差し上げます」
 笑っていなかった。貼りついたみたいに崩れなかった笑顔が、完全に剥がれ落ちていた。さらにはこの凄まじいまでの熱気。全身に炎を纏い、衣はバタバタと、髪は上昇気流に晒されたように揺らめいている。
「まさか……」
 キアラが目を見開いた。ローレルにも知識としてはあった。しかし、この目にしたのは初めてだった。いかなる後天的作用も受け付けない、生まれ持った才能が全てだと言われるその技を、実戦レベルで扱える者は稀だという。
「最悪だ」
 俺たちポケモンには、種族に応じて一つないし二つのタイプがある。様々な要素(エレメント)を召喚し"技"を行使する中でも、体のもつタイプと一致する要素(エレメント)とは結び付きやすく、技の作用も約五割増しとなる。ここまでは常識だが、ポケモンには第三のタイプが存在する。誰でも一つ、結び付きやすい要素(エレメント)というものを持っているのだ。こちらは種族とは無関係で、その強弱は非常に個人差が激しい。
「いきますよ――」
 孔雀が飛び出した。地を蹴ったところがフラッシュのように青く光った。とんでもない瞬発力だ。渦巻く炎を右手に集束させながらルードに肉迫、勢いのまま放った右ストレートは咄嗟に腕を上げたルードのガードを跳ね上げ、鋼の体を火柱が包み込んだ。
「兄貴……!」
「があああああぁッ!」
 気合いの一声、炎から飛び出したルードは、空中から龍の波導を放った。(レックウザ)の口ような形のレーザーが孔雀を捉えるも、カッ、と青い光の瞬く打ち払いが弾いてしまう。光の正体は念動力(サイコキネシス)を一点、一瞬に集中させたことによるものだ。
 ルードは反作用で距離を取って着地したが、そこを狩るように幾つかの小さな銀の煌めきが飛んだ。辛うじて首を捻ったが一本、ナイフのようなものが彼の肩に刺さっている。念動力(サイコキネシス)の青と体に纏う炎のオレンジが共演し、そのコントラストが美しい軌跡を描いた。白い衣をはためかせてルードに追い縋る孔雀の姿は、敵である俺たちまで惚れ惚れさせるくらい、神懸かっていた。
「なにあれなんでエスパータイプなのに火が使えるの?」
「リュートで習っただろう。忘れたのか」
 第三のタイプを開放する技。
「えーと……そうだ、目覚めるパワー!」
 体に親和する要素(エレメント)を直接操ってしまうこの技は、その親和性が強ければ――ではあるが、汎用性の高い驚異の能力となり得る。
「タイプは炎、威力は……」
 二度目の火柱が上がった。ルードは路地の奥の方へと押し込まれているにも関わらず、熱波がここまで押し寄せてきた。
 ルードがついに膝を折った。完全に形勢逆転である。
「ぐ……」
 喉元には刀の切っ先が突き付けられていた。
「助けに入らないのですか? グラフィック・アリゾナの皆さーん!」
 孔雀が首だけをこちらに向けた。取り巻いていた炎が消えると同時に、笑顔が戻っていた。
「敵の使いを殺すのは武士道に反するでしょ。ルードとの個人的因縁は二匹(ふたり)で解決してよね! あと俺たちはグラティス・アレンザだから!」
「武士道! 久方ぶりに聞きましたよその言葉! わかりました、では」
 孔雀は刀を引き、ルードの肩に手を置いた。
「武士道……陽州(ポケ)の血か。その手は何のつもりだ? 御託並べてねェでさっさと殺せ」
 孔雀の手から緑の光がぽうっと溢れ出し、ルードの体に流れ込んでゆく。
「それはできません。ルードさんはローレルさまにとって大切な方のようです。貴方を失えばローレルさまは悲しむでしょう。ローレルさまの悲しみはそれ即ちシオンさまの悲しみですから。それに、貴方は武士ではありません。生きたとて恥を晒すことがありましょうか?」
 孔雀が肩から手を離すと、ダメージを受けていたはずのルードが立ち上がった。
「……俺の誇り(プライド)をズタズタに引き裂いて踏んづけて焼いて埋めてその上でピョンピョン跳ねやがって」
 そう、あれは癒しの波導だ。孔雀はルードを打ち負かした挙げ句、その傷を回復させたのだ。ルードにしてみればこれ以上の屈辱はないだろう。
「ではわたしを回復していただけませんか。これで情けはお互い様です。波導使いのルカリオならお手の物でしょう?」

「……つくづく気にいらねェ奴」
 毒づきながらも、ルードは孔雀の肩に手を翳した。癒しの波導は他者を回復させることのできる技だが、自分で自分を治療することができない。そのためか、ルードは最近まで身につけてはいなかった。誰も口にしないが、仲間への思い入れが強くなったことの表れだというのは皆わかっている。
「ふっかーつ!」
「お前……本当にダメージあったのか? 回復なんていらねェんじゃねェのか」
「あれは痛かったですとも。あのスカイアッパーはお見事でした! 悪の波導への繋ぎがもう少し早ければ負けていたやも知れません。実は使い慣れない技だったのでしょう?」
「悪の波導が命中する瞬間の青い光……念動力(サイコキネシス)を上手く使って衝撃を軽減したに違いねェと思ったが、やっぱり無防備でただ食らったわけじゃねェんだな」
「空中受け身ですよー」
 なんかすごい。あの戦闘莫迦(バトルマニア)のルードと話が通じてる。
「そんなことは物理的にできねェ……いや、お前の念動力(サイコキネシス)はおかしいからな」
「はい。こんな風に」
「どぁうおおっ!」
 孔雀は突然ルードの背中に手を回したかと思うと、放物線を無視した軌道の跳躍(ローレルの見たところおそらく跳躍ではない)でローレル達のところまで戻ってきた。
「ふふふっ」
「油断も隙もねェ!」
「まあまあルード、抑えて抑えて」
「貴女、思ったより優しいのね」
「おれ感動した! すげー一騎打ちだったよ!」
「黙れメント。貴様の感動など一ディルの価値もない。褒めたたえられるべきは兄貴と孔雀だ」
「だーかーら褒めてんじゃん!」
 孔雀が最初からルードを殺す気がないことは知っていた。だから止めなかった。セキイ以外は孔雀に対する認識を改めたようだ。
「それではわたしはこれにてお暇させていただきます。願わくは、シオンさまと敵同士として対峙することのなきよう祈っておりますね」
 孔雀はふわりと浮き上がり、持っていた箒に跨がった。順番が逆な気もするが。
「そうなれば今度は俺達全員が相手だからね」
「はい。ルードさんだけでなく皆さん随分と腕を上げられたご様子ですしね。では」
 と、孔雀は一気に加速して、たちまち見えなくなった。
 見抜いていたのか。
 そう、俺たちは黒薔薇事件のあと、熱心に修行に取り組んでいたのだ。その分仕事が疎かになりがちで、今回の依頼を受けざるを得なくなった一因ではあるのだが。
「……もっと自信持っても良さそうだね」
 皆黙って頷いた。

10 


 まただ。また客足が途絶えてしまった。幸いというべきか、これ以上悪化のしようがない治安の中でやってきたお陰で、内乱が起ころうと略奪の被害などに遭うことはないのだが。
 というか、内乱が何だというのだ。ランナベールに住んでいるくせにどいつもこいつも臆病者め。
「ラサ。ビオラセアからはまだ何の連絡もないのか」
「それが店長、ビオラセアさんは行方不明だとか……」
「何だと。何故それを早く言わん」
「い、いえ、先程入った情報なのです!」
 メガニウムのラサは未だに俺を怖がっているらしい。俺は三年も前のことを引きずる牡ではないというに。
「ふむ……」
 娼館『蝶の舞う園』の経営状態は、この俺、ラ・レーヌ・ド・リークフリートの手腕と人事担当兼雑用のラサの働きでかなり良好と言える。自分で言うのも何だがここ三年の成長は目を見張るものがあり、ケンティフォリア歓楽街の三大娼館に追い縋る勢いだ。しかし今年に入り、二ヶ月前の黒薔薇事件、そして今回の内乱と客足の遠のく事件が続き、無視できない打撃を受けている。
「こんばんは」
 と、裏口のドアが開いた。出勤してきたのは蝶の舞う園の頂点に君臨し続けるブースター、シャポーだ。
「おお。残念ながら今日もお前の予約は全てキャンセルされたぞ」
「そう……ですか」
 シャポーはラ・レーヌと同じコーネリアス帝国の出で、本名をイレーネというらしい。ランナベールに流れ着いてすぐ、悪党共に手籠めにされそうな所を俺が助けた。と言えば聞こえはいいが、要するにこれは拾い物だと、買い取ったのだ。シャポーにとってはどうせ大して変わらぬ道だったかもしれないが、今の彼女を見るにこれで良かったのだと思う。
「非常にまずい状況だ。そこで出張サービスに力を入れることにした」
 歓楽街に来る危険を冒さずに済むのなら問題あるまい。超絶美人のシャポーを引き連れて歩けば宣伝効果も期待できる。多少歓楽街からはみ出しても……まあ、暗黙の了解というか、禁忌を破ることになるが。
「ビオラセアがいないのなら問題ないな」
「何がですか?」
「どうせならずっと西の住宅街まで行ってみるか」
「店長、それは……!」
 ラサが反対の声を上げるが、そんなことは知らん。
「ビオラセアにさえ知られなければ良いのだ。知られたとて、この有事に何の対策も講じることなく行方を眩ましたんだ。それくらい目をつぶってもらわねば困る」
 住宅街はランナベール建国前の伝統的な石造りの家が立ち並んでおり、先住民やランナベールの中でも比較的大人しいポケモンが住んでいるという。
「よし。早速明日の夕方から始めるぞ。ラサ、娼婦と護衛兵に連絡しておけ。明朝までは通常営業だ。俺は店長室でプランを練る」
「は、はい」
 俺は知らなかった。運命ってやつがどこでどう廻っているのか。いや、知りたくても知りようがないのだから、どうあってもこれは俺の選択だ。

         ◇

 BARマルパイムラック。一見普通の酒場だが、ここの店主のミルホッグ、デッドリーはその筋では名の知れた(おとこ)だ。
 アスペルはこの酒場の常連であり、デッドリーがいる時はカウンター越しによく世間話に花を咲かせている。グラティス・アレンザのキアラはここの店員で――と言っても任務中は休んでいるが――彼女から、マルパイムラックの地下にギルドがあること、デッドリーがそのオーナーであることを聞いた。
「おおアスペル。久しぶりだな」
「いつものやつで頼むわ」
「はいよ」
 アスペルはデッドリーの裏事情を知っているが、デッドリーはアスペルの正体を知らない。また、デッドリーはアスペルが情報を握っている事を知らない。知れればキアラに疑いがかかると思い、本人に伝えたことはなかったのだ。
「最近どや? 内乱や何や()うてめちゃくちゃやし、客減ってんちゃう?」
「まあ……そうだな。そういうお前もここしばらく顔を見せないもんだから巻き込まれてくたばったのかと思ってた」
「ハハ、俺はそう簡単に死なへんて」
 どうやって情報を聞き出すか。アスペルには考えがあった。ハンターズギルドという組織に信念や倫理はない。動かすものは金、そしてそれに繋がる、ギルドの名を上げること。
「ところでな、マスター。ジブンの()の方の仕事は潤っとるんか?」
 デッドリーのシェイカーを振る手が止まった。必殺ミルホッグ眼が見開かれて、アスペルを凝視している。
「……どこでそれを」
「旨い話があるんや。店終わったらちょっとええか」
「いや。今すぐに来てもらおう」
 デッドリーは無言でカウンターの中へアスペルを入れた。恐らく、この()へ連れていくつもりなのだろう。
「さいか」
 一匹で敵陣の真ん中に踏み込むも同じだ。立ち回り方を間違えば殺される。斬り込み隊長の異名を持つアスペルと言えど、ハンターの巣窟で袋だたきにされては太刀打ちできない。
 大丈夫や。握ってる情報ではこっち大幅有利には違いあらへん。情報を制する者が戦いを制す、その言葉通りにやり遂げてみせたる。

         ◇

 孔雀と遭遇した後、哨戒中の私兵三名とと戦った。といっても、敵はこちらの不意打ちに対処できず一方的な展開となり、一名を倒し二名は敗走。結果としては大勝利に終わった。
 倒した私兵の身に付けていたエンブレムを奪い、報告と今後の作戦を話し合うためカルミャプラムに戻ったところ、地上の店とここを繋ぐカウンター奥の階段を誰かが下りてくる足音がした。
 上と地下を行き来するのはオーナーや酒場のスタッフくらいだから、それだけなら誰も気に止めなかっただろう。
 が、それが見知らぬポケモンだったとなれば話は別だ。
「ほー……ギルドっちゅーからどんなんや思てたけど、あんまし上と変わらへんやん」
 アザト鈍りのきつい、ノリの軽そうな声が聞こえてくる。そして姿を現したのは、二十代中盤くらいのマニューラの牡だった。
「を?」
「まさか……」
 キアラの声。マニューラはこちらに目を向けたのか。そう思った瞬間――――っ!?
 風がローレルの横を走った。
「俺の事は黙っときや」
 潜めた声はローレルの後ろ、キアラの隣から。
 すぐに次の足音、今度はオーナーが顔を見せるか見せないかのうちに。
 マニューラは階段の下まで戻っていた。
「……何をしていた?」
「何もあらへんがな。たった今下りてきたばっかりやろ」
 確かに、普通のポケモンじゃ無理だ。マニューラがいかに素早いポケモンとはいえ、まさかローレルの目に見えないほど速いとは。他のハンター達が気づいたかどうかも疑問だ。少しよそ見でもしようものなら、まるで階段の下から動いていないようにも見えたかもしれない。
「それもそうか。だが、俺の勘ではお前のようなポケモンは危険だ。警戒するに越したことはない」
 デッドリーはマニューラを引き連れ、酒場の席、ギルドの真ん中まで歩いてきた。ちょうどハンター達が二匹を取り囲む格好である。

「さて。俺のギルドを何処で知ったか聞かせて貰おうか」
 デッドリーが周囲に目配せした。
 怪しい動きを見せたらこいつを殺れ、と。
「まあその前にやな」
 気づいてか気づかずか、マニューラは緊張感を感じさせない表情で、俺達ハンターを見回した。
「自分らの中に俺の事知ってる奴がおるんちゃう?」
 キアラとは面識があるようだが、先程の行動から察するに彼女のことではない。
 一瞬の間があり、誰かが口を開いた。
「こいつ……」
 くぐもったような低い声。"シャドウグラフ"リーダーのヨノワール、シェードロだ。
「俺の仲間を殺った野郎だ! 私兵団の一員……いや、隊長と呼ばれていたな!」
 場が騒然とした。目の前に敵が。しかも隊長。だが、それを連れてきたのは誰あろうギルドのオーナー、デッドリーなわけで。
「やっぱ一匹ぐらい戦ったやつがおると思ったわ……まあ、俺の部下もやられてもうたからお相子やけどな」
 状況のあり得なさ故か、マニューラのあまりの余裕の態度からか、誰も踏み出せないでいた。今ここに、たった一匹で、完全に囲まれている隊長クラスのポケモンがいるというのに。
「まあええわ。ちゅーことでやな。俺の正体がバレてもうたわけやけど」
 マニューラはデッドリーに向き直った。ハンターを束ねるギルドのオーナーと言えど、流石に驚きを隠せない様子だった。
「旨い話がある()うたやろ。どうせ自分ら、金さえ貰えたら構へんのや。せやったら俺と取引しようっちゅう話」
 デッドリーはほんの一秒ほど考えるそぶりを見せたが、その顔は笑っていた。
「今の立場をわかっているのか? お前が上の常連だろうと、下じゃ俺は冷酷なオーナーだ。敵の真ん中で取引を持ち掛けるとは、無謀なのかただの莫迦か」
「俺は斬り込み隊長やからな。皆に先立って敵陣に斬り込むのが俺の役目や。先に()うといたるけど、ほんまはな? こっちからギルドを攻め立てて首謀者の名前聞き出すつもりやってんで。交渉不成立で俺を殺すのは勝手やけど、そないなったらどうなるか、解ってんな?」
「……黙認もここまでか。話を聞こう」
 デッドリーの言葉に、俺達は動くに動けなくなった。
「こっちの要求は首謀者の素性や。ん、わかっとるで。首謀者が死んだら自分らに金入らんわな。ほんで、素直に吐くんやったらそこは補償したる。遺産没収してな。おう自分ら、運が良かったと思いや。俺がたまたま自分らのボスと知り合いやったからちゃぁんと報酬貰えるっちゅーわけや。な?」
 このマニューラ。話術の才がある。俺達を味方に引き入れて、オーナーに自分の有利になるような決断させるつもりだ。口車に乗ってはいけない。ローレルは直感的にそう判断した。
「その約束を果たしてくれる保証が何処にあるんですか?」
「黙っておけローレル! 一介のハンター如きが口を出せる問題ではない!」
「まあまあ。そらそう思うのが当然やわな。当然そっちの自由やで。徹底抗戦するっちゅーんやったら力ずくで聞き出して、首謀者を討ち取って終わりや。報酬の補償どころやない、結構な被害が出るやろなあ。ただ、俺らもそういう不毛な争いはしたくないんや。損失はそっちだけやあらへんからな。話し合いで済んだらええと思わへんか?」
「ふん。残念だが」
 デッドリーはニヤリと口の端を歪め、ギラギラしたミルホッグ眼を怪しく輝かせた。
「首謀者の名は知らんよ。召使いらしきポケモンを通じて依頼されたものでな」
「ほんならその召使いっちゅーんは」
「種族はユキノオー。名前はツカオといったか」
「それだけわかれば十分や。交渉成立やな」
「お前ら私兵が見事首謀者とやらを捕えるとも限らん。業務は続けさせてもらうぞ」
「さいか。次に街で()うた時は敵同士やな」
「俺は現職ハンターではないがな。こいつらが相手になるぞ」
 予定調和、か?
 俺達は本気で覚悟を決めたというのに、オーナーや私兵の方ではハンターの戦いなどまるで意に介していないみたいだ。
「ほな、どいてんか」
 マニューラはハンター達を押し退けて、直接地上へ続く方の、階段を上がって行った。
「私兵団の……隊長」
 キアラの声が震えていた理由は、後に知ることになる。

11 


 時は遡る。
 ランナベールに押し入ったゴースト三姉弟は、かつて目的を同じくした同志であり今や裏切り者となった巽丞姉妹を探していた。
「この街にいることは確かなんだ」
 ひとまず港町に宿を取ったが、この国の地理から政治の状況までわからぬことだらけだった。まあ、片っ端から夢喰いで記憶を盗み見て大方把握したのだが、巽丞姉妹を知る者はなかなか見つからない。種族がサーナイトなら、東洋の出であることは誰の目にも明らかで目立つはずなのだが。
「姉」
「なんだい?」
 ゴルーグの二郎は少し言語障害があり、普段から言葉少なで口を開いてもあまり多くを語ることはない。
「巽丞・空・飛ブ」
 二郎は胸をぐっと反らして空を見上げた。
「鳥」
 そこには物資やポケモンを乗せて、あるいは吊って、忙しく飛び回る鳥ポケモン達の姿があった。
「なるほど。三太と二匹(ふたり)で訊いてきてくれるかい。私はもうちょいこの港市場を回ってみるよ」
「ン」
「ところで三太はどこで何やってんだい」
 立ち止まって辺りを見回す。
 すぐに買い物中のフーディンにちょっかいを出しているムウマの姿を見つけた。
「ひげーひげー。さわさわさわさわ」
「何だね君は。私のヒゲに気安く触るでない!」
 あのバカ。
 私と二郎は幼い頃に聡明なる父を亡くし、アンポンタンな母と再婚相手の間の子が三太であり、つまり三太はバカなのだ。
「三太! 真面目にやってんのかい!」
「うわぁお、一子姉さん!」
 一子は三太を叱り付けながらふよふよと接近した。
「どうも、うちのバカが申し訳ないことをしました」
「ん、ああ……彼は君の弟かね」
 そのフーディンは見た目も声もぱっとしない、冴えない独身中年男といった風情だった。
「真面目にやってるよう。ねえおじさん、この街に東洋のサーナイトっている?」
「今更取り繕ってもおんなじだよバカ。だいたいこんなただのオッサンが知ってるわけないだろ!」
「ただのオッサンで悪かったな。教えてやらんぞ」
「や、今のはあれ、三太を叱るためにっていうか、言葉の綾ですよ! アハハハ……え?」
 教えてやらない? てことは――
「知ってるって!?」
「孔雀君の知り合いか。道理で非常識な者達だと思ったよ……」
「それだ! 私達はその姉妹を探してるんですよ!」
 裏切り姉妹と同類扱いされるのは甚だ心外だが、今はそうも言っていられない。市場なら様々な所からポケモンが集まると思ったが、やっと彼女達を知る者に会うことができたのだ。
「彼女なら、家政婦(メイド)としてヴァンジェスティ家に仕えているよ。ただ、令嬢の命で東へ旅に出たとか何とか」
「旅?」
「詳しくは知らんよ。しかし彼女達の留守中にこんな事になろうとはな……」
「そうですねー。わたしもシオンさまもビックリでしたよー」
 聞き覚えのある声だった。
「うむ。よもや君がいない間に……待て」
 口調は五年前まるで違うけれど、国で仔共の頃から共に過ごしていたのだ。忘れるはずがない。
「君の神出鬼没ぶりには呆れを通り越して感動すら覚えるよ」
「わたしはちゃんと空から降りて来ましたよ? 屋敷に帰る途中でハリーさんをお見かけしましたので、ご挨拶をと思いまして……おや?」
 巽丞の姉、孔雀はいつの間にか一子達の横に立っていた。
「これはこれは一子ちゃんに二郎くんに三太くんではありませんか。何年ぶりでしょう」
「孔雀……!」
 何を白々しい。本当は空から見て判っていたのだ。それを今初めて気づいたみたいに。
「三太くん、大きくなりましたねー。わたしが陽州を出た頃はこーんなに小さかったのに」
「いくら何でもそんなに小さくなかったよ!」
 何だこれは。まるで何事もなかったかのような再会の場面じゃないか。巽丞が寝返り艮藤黒夢を殺したという情報は嘘だったのか?
「……まあ、会えたなら何よりだ。孔雀君、君の妹とシオン君も帰っているんだね?」
「はい。今はフィオーナさまと奥様の警護についておられますよ」
 シオン、という名に引っ掛かりを覚えた。シオン。紫苑。もしや姫女苑の息子か娘か。疑惑でしかない。むしろ直感に近い。確かめる術は? 簡単だ。孔雀を眠らせて記憶を覗けばいい。
「なら安心だ。買い物も済んだ事だし、私はこれにて失礼するよ」
 ハリーとかいう名らしいフーディンが場を去ると、いよいよ緊張が高まった。
「孔雀。あんたに訊きたい事が……ん?」
 いない。
「何処へ行った……!」
「上。飛ンダ」
「飛んだ、じゃないよ! 追いかけるんだよこのウスノロ!」
 一子や三太は浮遊はできても、空高く飛べるのはゴルーグの二郎だけだ。
「ン」
 二郎は体を伸ばしたかと思うと、ものすごい初速で飛び出していった。言葉が弱いという代償の見返りか、身体能力だけはずば抜けているのだ。
「あんまり自然だったから二郎兄さんもぼーっとしてたんだね!」
 このバカもバカの見返りにバカ力でも発揮してくれりゃいいんだけどね。
「私達も行くよ! 確かめるんだよ!」
 あの日の記憶を胸に、やり遂げて見せると誓ったのだ。裏切りは許さない。

         ◇

 遅いんじゃないだろうか。

 今日の空は済んでいて、雲一つない。

 遅い。

 時の流れが。
 これでは遅すぎる。何もかも。
 風の流れが。
 風の流れ……エーフィは僅かな風の乱れをも見逃さない。
「……揺れてる?」
 何か変だ。不自然な風の流れだ。空には何も見えない。ただ、風だけが。
「や……何か……飛んでる!」
 シオンは目を閉じた。体毛の感覚だけに集中して、その"何か"の位置を正確に捉えるんだ。
 間違っていた。甘かった。
 遅かった。
「うわぁあっ!!」
 "何か"はシオンが目を閉じてすぐに、位置を捉えた時には急降下していた。ぶつかった。
「何、これ……」
 誰もいない。
「シオンさま……!」
 異常を察知した橄欖が館から飛び出してきた。
「大丈夫ですか……? 一体……何が……」
「わかんない。何かがいたんだ! 見えない何かが飛んできて……」
「見えない……何か……」
 何かが飛んでいたのは間違いない。僕が風の流れを読み違えたことなんてない。しかし、姿を消せるポケモンなんてシオンの知る限りではカクレオンくらいのものだ。そのカクレオンもお腹の赤い模様は消えないし、第一カクレオンは空を飛べない。
「シオンさま……お体に……このようなものが」
 橄欖がシオンの体から何かをつまみ上げた。
「……羽?」
 それはうっすらと透き通った硝子みたいな赤い羽毛だった。ぶつかってきた何かがその主であることは容易に推測できたが、正体はまるでわからない。
 ただ一つ言えることは。
「もしかして、見つかったってこと?」
「由々しき事態……ですね……」
「孔雀さんは? まだ戻らないの?」
「はい……遅いですね……とっくに時間は過ぎていますし……姉さんが……時間通りに戻らないなんて……」
 孔雀さんが時間通りに戻らないことなんて今まで何度もあった。が、今それを口にするのは躊躇われた。重要な仕事に支障を出すような失敗を彼女が犯すはずがない。
 まさか孔雀さんに限って身に危険が迫ることなんてないと思うけど。
 シオンの考えている以上に、事態は急速に進んでいて。
 遅かったのだ。

12 


「やっぱり追いかけて来よったか」
 カルミャプラムから少し離れた場所で、アスペルはヨノワールのシェードロ率いるハンターズ"シャドウグラフ"に取り囲まれていた。
「次に会った時は敵同士だとオーナーも認めていただろう。そういうことだ」
「交渉決裂っちゅーことになんで?」
 ここでアスペルが死ねば、黒幕の一匹と思しきユキノオーのツカオの情報が団に伝わらない。即ち、キールの指示でギルド襲撃作戦が決行される。
「知るか。俺達ハンターはオーナーのお友達でも部下でもねえんだ。好意的に解釈する必要なんかどこにある」
 確かに、ギルドは斡旋業だ。とはいえ、オーナーとてギルドの損失となる行為を見逃すとは思えないが。
「ほんで、自分らの勝手で仇討ちかいな」
 敵はヨノワールのシェードロにフライゴン、ナゲキ、シビルドンの四匹。一度戦っているので互いの手の内はある程度把握しているが、あの時はアスペルも配下を数匹引き連れていた。今回は一匹だ。
「オーナーを舐めているな? あれは交渉の決裂なんか何とも思っちゃいない。自分が助かる道は絶対に用意してやがる、そういう(おとこ)だよ」
 数の上の余裕からか、シェードロは勝利を確信して饒舌だった。一方のアスペルは、氷・悪タイプのアスペルにとって最も致命的なナゲキを与えられる打撃を、じゃない、致命的な打撃を与えられるナゲキをいかに無力化するかを考えていた。
「自分らも俺のこと舐めてるやろ? 俺がここで死んでもうたら団にとっては(だい)ナゲキやからなぁ。そう簡単にはいかへんで」
 ナゲキを睨みながら思いついた洒落の一つを飛ばしてみる程度の心の余裕はあったが。
 笑いが取れるほどのギャグをかませるまでの余裕は流石になかった。

         ◇

 巨大な質量が追い縋ってくる。そのスピードは、自分よりも。
「速い……?」
 俄かには信じられなかったが、背後にその姿が現れれば、認めざるを得ない。
「待テ」
「二郎くんですか」
 急停止すると、やはり相手も孔雀から少し距離を取ったところで停止した。ゴルーグという種族がどのようにして空を飛ぶのか仕組みは解明されていないが、少なくとも当人はかなり自由に制御できるらしい。
「姉・話・アル」
「はあ。わたしは今忙しいのですよ」
 別荘の警護に戻らなくてはならないし、早くシオンさまへ情報を伝えなくてはならない。
「逃ゲル・無理」
 さりとて二郎の言う通り、振り切ることはできそうにない。絶対について来られてはいけないのだ。やるしかなさそうだ。一子と三太が来る前に。
「そのようですねー。でも、どうしてわたしを追いかけるのですか?」
「孔雀・何・忙シイ。仇・ドウシタ」
「やや、いきなり核心を!」
 居合、一閃。
 抜刀ざまに二郎の右側からすくい上げるような一撃。不意を打って繰り出したのに、右手で受け止められた。固いものにぶつかる音がした。
「同胞・斬ルトハ・何事。黒夢モ・殺ッタ?」
 鋼鉄製の手甲だ。武具を身につけるのは陽州のポケモンの特徴だった。忘れてなどいない。だが、よもや反応するとは。
 刀を引き、箒の鞘を捨てて中断に構え直す。
「この場は大人しく引き下がりなさい。わたしは忙しいと言っているでしょう?」
「オ前・余裕・無イ」
 まるで孔雀の心を見透かしているかのような二郎の言葉。
 おかしい。ルードとの一戦で多少は消耗したとはいえ、二郎一匹に手こずるはずないのに。
 孔雀は刃を地面と垂直にして突きを繰り出した。手甲に受け止められるがそれは予測通り、そこを支点にして体ごと扇形を描くように真上に回り込む。片手を柄から離し、懐から暗器を投げた。刀と腕の分だけの距離しかないが、読んでいたのか、二郎に左手で打ち払われた。そして右手で下からシャドーパンチを突き上げてくる。
 まともに食らえば致命傷だが、引いた刀でなんとか受け止めた。鉄の拳は斬れないどころか、孔雀の体を上空へ吹き飛ばす。
「……っ! そんな……!」
 午内家の次男坊が、いつの間にこんな力を。
 追い縋ってくる二郎、風を切り裂くようなスピード。しかし素早い動きと直線的な速度は別物だ。単純な速度では孔雀より速いが小回りが利かず、容易に横へ回り込むことができた。すれ違い様に刀を振り下ろし、今度は二郎を下へ叩き落とした。
「固い体……っ」
 二郎は錐揉みながら落下して一件のアパートの屋根に突き刺さったが、その体を斬ることはできなかったようだ。今日は調子が悪いのか。最近本気で戦うことがなかった所為で体が鈍っているのだろうか。
 いずれにしても、今やることは変わらない。辛勝とはいえ敵を退けたのだから、シオンさまのもとへ戻らなくては。

         ◇

 俺達の得意なのは市街戦だ。国の北側を巡回する北凰騎士団は、基本的にコーネリアス帝国国境付近の平地戦を想定して訓練しているという。
 土地勘があることも考慮し、ローレル達はかつてよく利用していた住宅街に張ることにした。孔雀とルードの一戦で自信もついていた。あの取引は気になるが、この勢いに任せて手柄を立ててやろう。皆、意気込んでいた。
「来たよ……」
 隊列を組んだポケモンが歩いてくる。ローレル達は屋根の上で姿勢を低くして身を隠している状態だ。あのアブソルの一件があるからバレていないとも限らないが、いずれにしても今度は勝つつもりでいた。
「この辺りを根城にしてる有名なハンターがいるらしいっス!」
「あの保安隊と真っ向から激突したっていう……」
「ドルリ、知ってるんスか!」
「はい、確か……グランド・アラビアとかいう」
 ……また間違われてる。しかもこの辺りを根城にしているなんて、情報が古くないか。まあ、私兵団はこの国を外敵から守るのが本来の仕事であってハンターの内情などには通じていないのだろうが。
「ラウジ!」
 数は同じ。六匹の隊列の後ろにいた牝のバクフーンが一際大きな声で叫んだ。
「見つかった! いくよ!」
「敵や! 屋根の上!」
「メント、ダブルでいくわよ! あのバクフーンを狙って!」
「光の壁! 急ぐっス!」
「了解!」
 ルードと俺が飛び降り、メントとキアラがハイドロポンプを発射し、一瞬早く敵のバリヤードが光の壁を展開した。ライボルトが雷を落とす準備をしている。ルードが波導弾で牽制する中、セキイが突っ込んでいく。ローレルもすぐ後ろを走る。ロスティリーは最後方でヨガのポーズを取っている。
「セキイ、ライボルトを止めて!」
「おうよ! オラァアア!」
「ちっ……」
 ライボルトは雷からスパークに切り替えてセキイを迎え撃つ……!

13 


 二郎を倒し、帰還すべく。動こうとした刹那だった。視界の隅に銀の煌めき。その正体を見極め、刀を差し込んだ。カラカラカラ、と回るドーナツ状の金属の刃は、孔雀を狙って下から投擲されたものらしい。
「キャッチされちゃったー」
「あんたの念動力(サイコキネシス)じゃ弾速が出ないんだよ! 輪投げやってんじゃないんだからね!」
 しまった。手こずっている間に一子と三太に追いつかれた。
「孔雀! あんたに聞きたいことがあるんだ、降りてきな!」
 一子が赤い目をギラつかせて叫ぶが、取り合う義理はない。

 が。突然、孔雀は力を失った。
 糸の切れた人形みたいに崩れ落ちる体を支えることができない。念動力(サイコキネシス)が……出せない?
 咄嗟に受け身――五点着地をして、どうにか地面への激突を免れたものの、刀を離してしまった。
「ほんとだ、孔雀姉ちゃんに弱点があったんだ!」
 やられた。最初に念動力(サイコキネシス)戦輪(チャクラム)を飛ばしてきた時から警戒しておくべきだった。ゴーストタイプの午内家が対策してこないはずはなかったのだ。
 三太は調子に乗って孔雀の周りをひょこひょこ飛び回っている。まだ仔共で助かった。
「悪戯が過ぎますよ三太くん!」
 (ゴースト)の力を込めたジャブを一発。
「三太、離れ――」
「ひぎゃっ」
 影打ちで三太を落とすと、力が戻った。三太の"封印"が解けたためだ。戦闘においてほとんどの立ち回りを念動力(サイコキネシス)に頼っている孔雀は、そこを封じられるとかなり苦しくなる。
「いいわ。あとは私がちとあんたの記憶を覗かせてもらうだけさ」
「それにはわたしを眠らせる必要がありますよ?」
 橄欖ほどの実力者ならまだしも、まだ体力のある相手を催眠術で眠らせるのは容易ではない。つまり、わたしを追い詰めなければならないということ。そんなことができるポケモンなんて、そうそういない――いないはずだ。
「そんなの簡単さ。三太ごときの封印にかかる奴に私が負けるわけないだろ?」
 一子はガス状の体に手を突っ込んだ。中に仕舞われていたのは、折りたたみ式の薙刀(なぎなた)だった。
 カチリ、と伸ばした薙刀の先端から暗影弾(シャドーボール)が発射された。ここで着弾すれば弟を巻き込むということを考えていないのか。避けられることを想定してか。いずれにしても黙って食らってやるわけにはいかない。体勢を限界まで低くして闇色の弾をくぐり、突進した。その足元を狙って薙刀が振るわれたのは予測通り。低く跳躍してやり過ごし、足先に念動力(サイコキネシス)の力を込めて飛び前回し蹴りを放つ。が、薙刀を下段に振るった勢いのまま柄の方で弾き返され、距離を取られてしまった。中距離は薙刀の間合いである上に、敵はエスパータイプの弱点である暗影弾(シャドーボール)を撃ちまくってくる。毒を塗った暗器は毒タイプのゲンガーには効果が薄いし、目覚めるパワーも飛び道具にするには心許ない。
 炎弾を発射して牽制するが、一発が致命傷のこちらが不利になるのは必然だった。一子は孔雀の頭上に暗影弾(シャドーボール)をばら撒き、空中に逃げることを許さない。何発か炎弾がヒットするも次第に追い詰められ、ついに壁を背にしてしまう。
 首に薙刀の刃を突き付けられ、身動きが取れなくなった。
「随分と弱くなってないか? サボってたろ。"武道は湯の如く、熱を与えねば元の水に返る"ってさ。小さい頃から言われ続けてきただろ?」
 返す言葉もない。例え刀がこの手にあったとしても、一対一で一子と手合わせして違う結果になったとは思えなかった。
 この街はあまりにも温い。陽州に比べれば。軍隊でも強力な"個"を重視するような戦法は古いとされ、陣形やタイプ・種族の特徴をいかに活用するかに重点が置かれている。
 ひたすら己を高める陽州(ポケ)とは、こんなにも強くなるものなのか。
「俺・負ケタ。姉・凄イ」
「イタタタタ……さすが一子姉さんだね!」
 いつの間にか二郎と三太も、ふらつきながらではあるが孔雀を取り囲んでいた。
「二郎、孔雀を押さえな。三太、同時にやるよ!」
「ン」
「はーい!」
 妹弟の催眠術に抵抗する気力はもう残されていなかった。

         ◇

 夕方の縛鎖公園。圧力による平和があったこの場所も、今はどこか張り詰めた雰囲気に包まれていた。
「一夜のお供はいかがですかー」
 そんな空気はどこ吹く風、色とりどりの文字で『☆蝶の舞う園☆ 出張サービス展開中!』などと書かれたポップな看板を抱えて飛ぶバタフリーと華やかな牝ポケモンの一団がいた。
 牝ポケモンの一匹、源氏名シャポー、本名はイレーネ。広告塔として選ばれたナンバーワン娼婦。それが私だ。
「見ろ! このブースターを! こんな綺麗なやつてめえら非モテ街道まっしぐらのブサポケには一生抱けねえぞ! それが出張展開記念サービスでたった一万ディルだ!」
 乱暴な言葉遣いと済んだ声のギャップが人目を引く。おまけに珍しい色違いとあって、私よりも店長自身が広告塔になりそうだった。
 それにしても。
「あの、店長」
「何だ」
「……いえ」
「いざ出てきてみると恥ずかしいってか?」
「いえっ、そんな」
 図星だった。娼館の中に篭っているのと街を歩くのでは、同じ売春を生業としているのでもまるで別の職業みたいだ。
「ほう。そうか。そんなことは俺もわかっているぞ」
 だからといって店長が自分の方針を変えるようなポケモンでないことはよく知っているから、どうしようもない。
「蝶の舞う……ん? やばっ」
 噴水の縁に腰掛けていたゴチルゼルに気がついた店長が、急に声を小さくした。
「おや? 貴方、蝶の舞う園の……」
 時既に遅し。ゴチルゼルもこちらに気がついたようで、店長に話しかけてきた。
「おおーこれはこれはケンティフォリア歓楽街の女王様ではないかー。まさかこんなところで会うとはなー」
「随分と棒読みね」
 ケンティフォリア歓楽街の女王。イレーネも名前だけは聞いたことがあった。上部組織の長であるビオラセアに対して、いくつもの系列店を持つ娼館『イーノッソ』の経営者、サエザ・タグフ。売上も当然歓楽街トップを誇り、年商ではビオラセアの管理組織を遥かに上回ると言われている。
 サエザが立ち上がって、イレーネ達をしげしげと眺めた。立ち上がる時に手を前に出して何かを囁いたような気がしたが、聞き取れなかった。何かの癖だろうか?
「ラ・レーヌ。ここが何処だか解ってるの?」
「ケンティフォリア歓楽街ちょい南の縛鎖公園だな、うむ」
「ひとはこのビル街をヴァンジュシータと呼ぶわ。ビオラセアにバレちゃったら罰金よ? ま、あたしは構わないけど」
「一匹でこんな所にいるとは無用心だな。縛鎖公園とは言え仮にもサエザ様ともあろう者が」
 店長が話を逸らすのに必死だということはよく分かった。身内以外の他人の安否などに興味を持つポケモンではないからだ。
「一匹に見える?」
 意味深な科白を吐き、サエザは私達の周りの護衛のポケモン達を指した。
「あたしは貴方みたいに物騒なのは嫌いなのよ。その代わり、少し離れた所からでも絶対にあたしを守ってくれる優秀な護衛がいるわ。不用意にあたしに触ろうとしてご覧なさい、一瞬でこの荒廃した街の塵と消えるわよ」
「カメワだとかツカオだとか……そんな名前だったか」
「あら。知っているのね」
「前にパーティに俺を招待しただろう」
「そうだったかしら? そういうこともあったかもしれないけど、覚えていないわ」
 サエザにとっては、店長はまだまだその他大勢の一匹に過ぎないのだ。そんな態度に店長はというと。
「む? 俺の記憶違いだったか。まあいい」
 矜持というものはないのだろうか。
「ビオラセアが何の対策もせず行方不明になっちまいやがったみたいだが」
「知らないわね。ま、もともとあたしはあんな牝要らないと思ってたんだけど。あたしはもう安全も商品も土地も自分の力だけで確保できるわ」
「爆弾発言だな」
「貴方だってビオラセアの悪態をついているでしょうに」
「ふむ」
「あのビルを見てご覧なさい」
「ヴァンジェスティ本社ビルだのう」
 店長は真剣に話を聞く気があるのかないのか。聞いているこちら側としては、いつサエザが怒りださないかと心配なのだが、サエザは淡々と語るのみだった。
「あれが歓楽街の安全を確保してるって言えるかしら? あたし達がビオラセアに払った税をあれが吸い上げる、そういうシステムなのよ。あまりに不条理でしょう」
「企業が莫大な資産を持ち、強大な権力を持ち、最後に強力な武力を持った時、それは国になる。机上の空論とも言われそうな理論を実際に成功させた例だな」
「解ってるわよ。だから、貴方は悔しいと思わないの?」
「思うぞ。だからこうして禁を犯してやったのだ! ハハハハ! ……っと、今のナシな」
「……本当に元貴族なんだか」
「元だからな」
 いつでも余裕たっぷりの態度で事に臨むのはその貴族気質故かもしれない。
「よしシャポー。このまま住宅街まで行くぞ。公園じゃ宣伝にはなるが客は釣れん」
「は、はい」
 店長が急に移動しはじめたのでイレーネも慌てて後に続く。振り返ってみたが、サエザはそのまま無言で踵を返した。彼女の姿は噴水の向こうに隠れてすぐに見えなくなった。

14 


 その日住宅街で遭遇したハンターは、ラウジ達の想像を遥かに越える実力を有していた。
「ヒルルカさん! ドルリの光の壁の範囲から出るなっス!」
 屋根の上から二対のハイドロポンプが発射される。狭い道路では避けきれない。ここで炎タイプのヒルルカさんを動かすわけにはいかなかった。
 水タイプであろう敵の頭上へと雷を落としたいところなのだが――。
「よそ見してる場合じゃないよ」
 誰かに似た口調のブラッキーに息も尽かせぬ一対一の勝負に持ち込まれ、その対処で精一杯だ。
 戦況は今のところ五分と五分。最初の衝突でラウジがリザードをスパークで粉砕し戦闘不能にして六対五、数の上では優位だが、屋根の上からの一方的な攻撃でドルリとヒルルカさんが抑え込まれている。さらにはリザードを庇う形で前に出てきた奇抜なルカリオがラウジ達の部下三匹となんと一匹で対等に戦っている。最奥に位置するチャーレムは時々気合い玉などで援護射撃をしているようだが、まともに当たっていない。あれは捨て置いても良さそうだ。
 ブラッキーは次々と攻撃を繰り出してくるかと思えば、ラウジが攻勢に出ると一転、確実に防御する。ブラッキーの毛の特殊攻撃耐性は高く、なかなか電撃が通らない。隙を見て騙し討ちを差し込んでくる。ブラッキーのシンクロ特性、毒汗があるからには麻痺させるわけにはいかない。
「私兵も大したことねェな」
 ドン、と大きな音。ブラッキーの背後にはっきり見えた。
「レミー!」
 ルカリオが零距離で放った発勁(はっけい)が、ラフレシアのレミーを青黒い炎で包み込みながら吹っ飛ばしたのを。
「あかん……! ウチも出な無理や!」
 ヒルルカさんがついに痺れを切らして飛び出した。ブラッキーの悪の波導が見えた。二本のハイドロポンプが、この瞬間を待っていたように狙いをヒルルカさんへと――一瞬の判断力が勝敗を分ける。
 落雷。悲鳴。無音の爆発が視界を覆う。真っ黒な陰が全身に染み入るような、熱さ、痛み。
「ラウジ副隊長!」
「キアラ! メント――!」
 敵味方の声が交錯する。俺は倒れたのか。ヒルルカさんは。
「何でやねんアホ! 無防備に敵の攻撃食らいよってからに……!」
 無事、か。良かった……。

         ◇

 孔雀さんが帰ってこない。
 彼女が何かに失敗したなんてまるで想像がつかない。
 しかし、まさか夜が明けても帰ってこないとは。昨夜はラクートと橄欖とシオンの三匹で交代していた。昨日現れた見えない敵がいつやって来るとも限らないし、孔雀さんが心配でもここを離れるわけにはいかなかった。
「見えない相手とは……想定外でしたね……」
 おそらく海兵団の目にも留まることなく、ずっとこの辺りの海岸を探っていたのだ。シオンを発見して攻撃してきたとなれば、一刻も早く私兵団に伝えねばならないというのに。
「連絡を絶たれたこともね。考えたくないけど、孔雀さん……大丈夫かな?」
「姉さんに限って……命を落とすようなことは……ないと思いますが……」
 フィオーナ達を連れて逃げることも考えたが、あれが罠だとしたら。もし洞窟の脱出口が押さえられていて、洞窟内で襲われでもしたら逃げるに逃げられない。
 とにかく、情報が得られないと身動きが取れない。シオンと橄欖は海岸の淵に並んで、空への警戒を強めるばかりだった。
「大丈夫ですよ……わたしが……います……から」
「孔雀さんがいない隙に僕を取ろうって魂胆じゃないよね?」
「そんな……滅相もありません……」
 橄欖の真意はさておき、心強いのは確かだった。まだ橄欖の実力を見たわけではないが、あの孔雀さんの妹だ。優秀でないはずがない。
「わたしを……買い被っていらっしゃいますね……」
「心読まないでよ」
 橄欖って、実際どのくらい強いんだろう? 孔雀さんと比べれば、単純な強さならサーナイトの姉に軍配が上がるのは当然だが。
「どうでしょう……弱点がはっきりしていますから……」
「だから心……え、弱点?」
「はい……直接対決なら……姉さんはわたしに勝てませんよ……」
 シオンは前足()後足(あし)も出なかったあの孔雀さんに、弱点があるとは。
「封印……してしまえば……姉さんは念動力(サイコキネシス)を使えなくなりますから……自慢の体術も剣術も……大幅に弱体化……そこへ……鬼火……妖しい光……凍える風……催眠術……夢喰い……」
「や、やり過ぎでしょっ」
「いえ……ほんの一例……ですから」
 橄欖の性格の一端が垣間見えた気がしたが、なるほど。あの念動力(サイコキネシス)さえ封じれば勝てるということだ。金縛りや封印を使うポケモンや、呪われボディのプルリルやプルンゲルは天敵ということになる。
「ほんとに大丈夫……だよね」
「一応……対策もあると言ってはいましたが……目覚めるパワーもありますし……」
「目覚めるパワー?」
「姉さん……すごいんですよ……」
 それは知らなかった。あれだけの戦闘力があって目覚めるパワーも強いなんて。
「じゃあ安心なの?」
「いえ……心配です……心配ですが……わたしは姉さんを……信じます」
「そっか。僕と同じだね」
 殺しても死なないようなポケモンだ。どんなことがあったって笑って帰ってくるに決まってる。
 突然だった。
「そこのカップル」
 牝の声が聞こえたのは。
「や、違――」
 否定しようとしたが、それどころではない。聞こえるはずのない第三者の声だ。
「シオンさま……!」
「わかってる!」
 我ながら、そこからの行動は素早かった。この場を橄欖に任せ、館へ舞い戻る。
「待ちなさ――っ!」
「通しません……よ!」
 橄欖なら大丈夫だと見えた。屋敷の中にいるフィオーナとお義母さまの身の安全を確保しなければ……!
「ラクート! ラクート……!」
 やっぱり遅すぎたんだ。事件の展開はシオンが思っていた以上に、ずっとずっと早かった。
 最大戦力である孔雀さんが欠けた状態で、何者かの侵入を許すなんて。考えられる中ではおよそ最悪に近い状況だ。一体私兵団のみんなは、何をやっているのか――内心、仲間の働きを疑いたくもなるのだった。

15 


 嫌な目覚め。
 全く眠った気がしない。眠る前より疲れているくらいだ。
 体のあちこちが痛くて、側面には固い地面に接している感触。
「見せてもらったよ。あんたの記憶」
 薄暗くて狭い部屋だった。どうやらわたしはそこに、両手両足を縛られて転がされているらしい。
「なんと三年近くも前に姫女苑の息子を見つけたそうじゃないか。一度は殺そうとして……やめた」
 部屋にいるのは、一子とわたしだけのようだ。白目のない赤い目が浮かび上がっている。
「私は他人(ひと)の意識の中の、記憶は覗けても感情は覗けない。なんで止めたのかは知らないよ。ただ、あんたの主人のフィオーナ……そいつと出会ってからあんたは随分変わったようだね。昔は氷みたいに冷たいヤツだったのに」
 寝ている者の夢と一緒に、記憶を盗み見る。そればかりか、短い間の記憶なら奪い取ってしまうこともできる。そんな夢喰いの使い手、午内一子。
「今さら仇討ちに燃えていた頃には戻らないだろうね。私も……正直、あの仔を殺せるかどうか判らない。いや、揺らいでる時点であんたと同じか。姫女苑はとうに死んでる。それで納得しろってのは無理だけどね、あの仔やその弟を殺して両院の血を断ったって後味が悪いだけさ」
 随分と深くまで探ったものだ。あれからどれくらい、わたしは眠っていたのだろう。窓から差し込む陽射しの色、傾き……夕刻か。丸一日は経ったとみて間違いない。
「あんたの記憶なんて覗かなければ良かったのかも……いや、覗いて良かったのか。私はここまでの旅が無駄だとは思わないしね。親の仇を討たんと、弟達と武者修行をしながらの旅。それなりに楽しかったし、昔は敵わなかった巽丞家に勝てた」
 今ごろシオンさまは。橄欖ちゃんは。フィオーナさまは、ラクートは、マフィナさまは。無事なのか。内乱の情勢はどうなっているのだろう。
 落雷――明らかに自然ではない、ポケモンの技による雷鳴が聞こえた。近くでまた戦闘が起こっている。
「わたしに……とっては……とんだ……横槍……よ」
「最近の記憶も覗かせてもらったよ。王女様の側近だなんて、うまく入り込めたもんだね。スパイの才能あるんじゃないのか」
「わたし……は」
 スパイ?
 無理に決まってる。だってわたしはすぐに口は滑るし、何だって力ずくで解決するような性格だ。ただ心底あの方にお仕えしているだけのこと。
「情報の橋渡し役……あんたがいなくなったら困るみたいね。まあいいさ。私には関係ない。私が許せないのは一つだけ」
 誰かがやらねばならなかったのだ。わたしだって、できることなら斬りたくなかった。でも、そんな言い訳が彼女に通用するとは思わない。
「なんで同胞を……黒夢を殺した? 確かにあんたの記憶じゃ、黒夢のやり方はまずかっただろうさ。けどな孔雀、あんたのやり方はどうなんだ?」
「黒夢くんは……もう……治ら……」
「ああ、あの仔には兄も姉もなく、小さな仔共が大きな力を持ちすぎたんだ! 私もわかってるさ! 無差別大量殺人を犯したんだ、報いを受けたのは仕方ないかもしれない。だがあんたが……同胞が斬ることはなかっただろうよ!」
 わたしは、同じ陽州人の責任として。この国に災厄をもたらした同胞を――考えてふと気づいた。前に、北凰騎士団駐屯所で言った言葉は嘘だ。キールさんとシャロンさんに謝らなくては。
 ――わたしはこの国が好きなんだ。
「一子ちゃん……貴女に……ポケモン的な心が残ってて良かった」
「何を言ってるんだい?」
「シオンさまを……いえ、紫苑と月桂を殺さないのね」
「ああ。同胞にどう説明したもんか、頭を抱えてるけどね。ま、真珠や鈴ならわかってくれると思いたいがね」
「それなら安心したわ。わたしは敗者だから、潔く殺されても構わないけれど」
「そういうところは昔のままかい。私があんたを殺すと思ってんのか?」
「情け……なんて」
「それじゃ孔雀、あんたと同じじゃないか」
「……そうね。一子ちゃんはわたしみたいに冷酷じゃない」
「それに、あんたがいなくなったら私が同胞に付け狙われるわ」
「わたしみたいに莫迦じゃないってことね」
「話はこの先、じっくり聞こうじゃないか」
 フィオーナさま。シオンさま。申し訳ありません。
 わたしは負けてしまいました。本来であれば護衛失格です。それでもどうか、無事でいて下さるのなら。
 わたしをもう一度、受け入れて下さいますか。

         ◇

 おいおい冗談じゃねえぞ。
 ちと周りの住宅を回ってビラを配ろうと思っただけだってのに。
 道路は二十メートル離れたこっちまでびしょ濡れ。しかもたった今、ライボルトが民家の屋根の上に雷を落としたせいで、耳が壊れるかと思った。
 まともに営業なんてできやしねえ。
「ラウジ副隊長!」
「キアラ! メント……!」
 相打ちか……? いや。ブラッキーの攻撃がライボルトに、ライボルトの攻撃が屋根の上からハイドロポンプを撃っていたポケモンに、それぞれ直撃したみたいだ。すぐにブラッキーが雷の落ちた屋根に上るのが見えた。
「うるぉぁああああ! メントの仇ィ! 我がヨガパワーを思い知れッ!」
 数瞬遅れて、さっきまで一番後ろでひたすらヨガのポーズを取っていたチャーレムが発狂したみたいに駆け出した。
「ロスティリー! 無茶するんじゃねェ!」
 注意する味方のルカリオの傍らを物凄い勢いで駆け抜けていく。目標はあの倒れたライボルト――いや、それを庇うように前に出たバクフーンの牝か。
 チャーレムの放った跳び蹴りを、バクフーンはがっしりと両前足て受け止めた。が、あれだけヨガヨガやってただけあって威力がハンパない。バクフーンは押し戻される格好になり、倒れているライボルトに引っ掛かって転倒した。すげえなオイ。どんだけヨガ積んだんだ。
 しかしバクフーンも――どうやらあっちが私兵団らしい――()る者、後転してすぐに立ち上がり、背中から噴き出した炎を全身に纏った。この火炎車に対し、チャーレムの攻撃は思念の頭突き。頭と頭が激突。うへ。痛そう。
「ふむ。戦闘中か」
 突如、背後から歌を唄っているような、澄んだテノールボイス。振り向くと、そこには。
「お。なかなか上物だな」
「は? お前何言って……」
「なんだ牡か。ヒラヒラとややこしい格好しやがって」
 しまった。ウェイトレスの装いで、全身の葉っぱやなんやらにヒラヒラの装飾品を身につけていたのを忘れていた。
 声の主はやけに高貴な感じのする色違いバタフリーだった。そのくせ品があるとは言い難いポップ調の変な看板を携えているわ、綺麗な声にそぐわぬ乱暴な言葉遣いと、ギャップの塊みたいなポケモンだ。
「おお。牡ならちょうどいい。見物ついでに売り込みだ。お前、見たところチェリー・ボーーーイ! だろ」
「うるせえ! でかい声でなんつー事を……」
 まあ、すぐ近くで技がボンボン炸裂しているから聞こえないだろうけどな。普通住宅街のド真ん中で口にする言葉じゃねえよな。
「まあ怒るな。お前を未知の世界に招待してやろうって話だ」
「お、オレにそんな趣味ねえよバカ野郎!」
「勘違いするな阿呆」
 バタフリーは看板をエリオットの目の前にかざしてみせた。
「蝶の舞う園……?」
「お前のような夜の街に出る勇気もねえお坊ちゃんのためにわざわざこの俺『蝶の舞う園』店長ラ・レーヌ・ド・リークフリートがわざわざケンティフォリア歓楽街から直々に出張してきてやったんだ喜べ」
「お前んとこも内乱で経営不振か」
「グサッ。お前、どこでそれを知った?」
「いや、奇遇っつーか……オレもだな」
 ドンパチやってる横で売春斡旋とは世も末というか、このバタフリーが図太過ぎるだけだと思うのだが、看過されたか、エリオットも負けじと売り込んでみることにした。
「実はこの近くで喫茶店をやってて――」
「その声、やっぱり……!」
 ビラを一枚鞄から出してくわえたところで、曲がり角の向こうに引っ込んでいたらしいブースターが顔を出した。
 目が合った瞬間、硬直した。
 ビラを取り落とした。
 信じられなかった。
「なんだ、地味なビラだな。こんなもので俺のデザインした最強の看板に対抗しようとは……ん? どうしたシャポー。何を固まっている」
 シャポー……? ラ・レーヌの発した呼び名に、一瞬(ポケモン)違いかと思った。
「エリオット……よね?」
 が、そんな疑問は一瞬で吹っ飛んだ。オレの名前を知ってる奴は、トモヨと、ハリーと……彼女しかいない。
「まさか、こんなところで会うなんて……」
 こんな状況で。
「ん? ウチに来た事があるのか?」
 ラ・レーヌは目の前で交わされる二匹の視線、言葉を全く理解できないようだった。オレだって理解できねえよ。
「姉ちゃん……!」
 まさか今この時に、生き別れた姉に再会するなんて。


勿忘草3へつづく



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  • ニハハハハ!
    三月兎さんは最高ですね~
    応援してま~す!(^o^)
    ――不知火 ? 2011-02-16 (水) 07:32:15
  • >Squallさん
    >ただの読者さん
    この子たちもランナベールの住人ですからね!
    じつは今回はそんなに絡まなかったり(←

    >不知火さん
    テリーアのはたく攻撃!(笑)

    応援ありがとうございます!
    ――三月兎 2011-02-16 (水) 19:07:30
  • アスペルかっけぇぇぇぇぇ!!!!!!!
    三月兎さんアスペルの出番作ってくれはってありがとう!
    できればもっと増やしてくれたらうれしいわ!
    応援してるで~
    ――震城 鮫牙 ? 2011-02-17 (木) 20:33:48
  • 震えるキアラかわいゆす
    ―― 2011-02-17 (木) 22:11:05
  • >震城 鮫牙さん
    関西弁はせいぎ!! ですよね!

    >名無しさん
    いつも冷静な人が見せる隙……みたいな感じでしょうか!
    彼女の魅力も出せるように頑張ります!
    ――三月兎 2011-02-19 (土) 15:49:58
  • シャポーさん・・・もといイレーネさんが
    シオン学生時代とは大きく違い、外だと妙に初々しくて可愛いです。
    ―― 2011-02-19 (土) 16:14:27
  • ちょ……サエザとかwww


    名前に吹いたwww
    ―― 2011-02-19 (土) 17:54:45
  • あの有名すぎる、お騒がせ一家っぽい名前…だと…!

    そーいえば、ここでする話でも無いですけど、
    メトロイド最新作に『ナミヘー』と『フーネ』ってモンスターが出てきたのを思い出したww
    ――トランプ ? 2011-02-19 (土) 18:54:36
  • サエザ…タグフ…カメワ…ツカオ…だと…!
    なんという偶然www(殴
    それと、二カ所イレーネがイレーヌになってましたよー。
    ――ただの読者 ? 2011-02-20 (日) 00:46:53
  • >ななしさん(上)
    再登場です!
    これからまた出番増えますよー

    >ななしさん(下)
    だってゴチルゼルの頭……

    >トランプさん
    メトロイドですと……
    任天堂信者なのに知らなかったですwww

    >ただの読者さん
    すごい偶然ですよね!(爆)

    誤字ごめんなさいです。
    ラ・レーヌと混同しちゃってました←
    ――三月兎 2011-02-20 (日) 14:17:17
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Last-modified: 2011-02-21 (月) 00:00:00
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