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勿忘草

/勿忘草

SOSIA.Ⅴ

勿忘草 

Written by March Hare
ちゅうい:性描写があります

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◇キャラ紹介◇ 

○シオン:エーフィ
 北凰騎士団の小隊長。ヴァンジェスティ家の婿養子。

○フィオーナ:エネコロロ
 ヴァンジェスティ家の一匹(ひとり)娘。シオンの婚約者。

孔雀(くじゃく):サーナイト(ひがし)
 フィオーナの侍女。

橄欖(かんらん):キルリア
 孔雀の妹。シオンの侍女。

○マフィナ:ブニャット
 フィオーナの母親。

○ラクート:トゲチック
 マフィナの執事。

○ラウジ:ライボルト
 シオンの隊の副隊長。

○ローレル:ブラッキー
 シオンの弟。ハンター"グラティス・アレンザ"のリーダー。

○キール:クチート
 北凰騎士団の軍師。銀縁眼鏡。可愛いと言われると怒る。

○シャロン:アブソル
 北凰騎士団の小隊長の一匹。戦乙女(ヴァルキュリア)

etc.


00 


「ラクート。私とフィオーナの命、貴方に托しましたわ」
「お任せくださぁい。このラクートぉ、命に代えても奥様とお嬢様をお守りいたしまぁす」
 狭い地下通路を、と言っても横に三匹並べる程度の幅はあるが、フィオーナは母親のマフィナ、マフィナの執事ラクートと共に歩いていた。
「安心できないわね……その口調はどうにかならないのですか?」
 トゲチックのラクートはまだ若いながらも、孔雀や橄欖に負けず劣らずの優秀な執事なのだが、どうにもこの間延びした口調がいただけない。のんびりした性格で、実は仕事もそんなに早くない。
「申し訳ありませぇん」
「フィオーナ、今はそんなことを気にしている場合ではないでしょう」
 フィオーナは父親の遺伝でエネコとして生まれた*1が、母親のマフィナはブニャットである。もっとも、種族が違うとはいえ親子には違いないから似ているところも少なくはないのだが。
「……そうでしたね」
 例えば、この非常時に冷静さを失わない。何かと手厳しいところ。性格はよく似ていると思う。
 そう、非常時。非常事態なのだ。
 まさかこの時に。三匹が留守の間を狙われるとは思わなかった。何者かがこの屋敷を襲撃してくるなどとは。
「この足音……地下通路の入り口を発見されたようです! 奥様とお嬢様は先に行って下さい!」
 ラクートが急に鋭い声を上げた。やればできるのではないか。
 この地下通路はフィオーナ、マフィナそれぞれの寝室の隠し階段から北の海岸へと続いている。確かに今、フィオーナの耳にも屋敷の方から足音らしきものが聞こえた。脱出さえすれば、出口にはすでに私兵隊が駆けつけているはずだ。
「ラクート……死ぬことだけは許しませんよ! フィオーナ、行きましょう!」

01 


 東門をくぐってすぐ、街の異変に気がついた。私兵隊がそこら中を歩き回っていたからだ。
「何かあったのかな」
 もともと平和とは言いがたい街ではあるが、この物々しい雰囲気はただごとではない。
「そのよう……ですね……ランナベール兵のかたに尋ねてみては……どうでしょうか……?」
 橄欖に促されて、シオンはライコウを模した東櫻騎士団のエンブレムが入った腕章を前足に嵌めたゼブライカに訊いてみることにした。
「何だ」
 ゼブライカは鬱陶しそうにシオンを見下ろした。仮にもこちらは小隊長なのだが、高圧的ともとれる態度だ。
「今我々はヴァンジェスティ家に襲撃を仕掛けた莫迦共の残党狩りで忙し」
「な、何だって!?」
 ヴァンジェスティ家が襲撃された。俄かに信じがたい事実を耳にして、シオンはゼブライカに詰め寄った。
「だから忙しいと……ん?」
 ゼブライカは橄欖と孔雀、そしてシオンを順番に見てはっとしたように姿勢を正した。
「お前、ひょっとして北凰騎士団の……令嬢の婚約者のシオンか! 特別任務についていたと聞いたが……」
「たった今帰還したところです! それより襲撃って何なんですか? 詳細を聞かせてください!」

         ◇

「フィオーナ!」
 久しく聞いていなかった、でも心の中では聞き続けていた声。牝にしては低い、牡にしては高い中性的な。
「ああ……無事でしたのね、シオン!」
 身を横たえていたソファから立ち上がって、部屋の入口に姿を見せた彼に早足で歩み寄った。
「こっちの科白だよ!」
 首をすり合わせてしばしの抱擁*2も、今は再会を喜び合う(いとま)もなかった。
「街にいた兵に聞いたよ。屋敷が襲撃されたって。無事で良かった……!」
 ここは崖の中腹の高台に建てられた避難用の別館。場所はフィオーナ達を除けば、信頼のおける一部の側近しか知らない。建設の際もヴァンジェスティとは関わりのない別名義を、入り組んだ箇所にあるので高い建物にはできず一階建てだが、部屋は四つにリビングダイニングキッチン、一般的な家庭でいうところの4LDKという形式で、一つ一つの部屋はべらぼうに広い。それに加えて地下室もあって、半年分程度の食料の備蓄もある。屋敷の後始末が終わるまでしばらく不自由なく暮らせるようにはなっている。
「狙いがわたしだったのかお母様だったのか……あるいは愉快犯なのか。真相は定かではありませんが、屋敷の安全が確認されるまでここに隠れることにしたのです」
 と、隣の部屋へ続くドアが開いた。
「シオンちゃん……!」
「お義母さん」
「ああ……ラクートは? ラクートを見なかったかしら?」
 マフィナはシオンの帰りを喜ぶより早く、自らの執事の安否を尋ねた。
「僕は見ていませんけど……ここには帰ってきていないんですか?」
「彼は(わたくし)達母娘を先に行かせて屋敷の地下通路に残ったのよ」
「ええっ!? ラクートって」
 執事、のはずだ。屋敷を守っているのはSPとされる選りすぐりのヴァンジェスティ私兵数匹と、交代で屋敷の護衛任務につく二十匹程度だと聞いている。ラクートが一匹で二匹(ふたり)の身代わりになるなんて、それはもう自殺行為としか言えないのではないか。
「シオンには話していなかったかしら。身近でお母様を守るのがラクートの本当の役目。普段は執事として雑務をこなしていますけれどね」
 考えてみればそうだ。いつもお義母さんに張りついているのはラクート一匹だ。屋敷全体を守る兵がいても、それが突破されたらどうするのか。要するにラクートは切り札、最後の砦というわけか。
「孔雀と橄欖も……ここにいないところを見ると、屋敷へ向かったのでしょう?」
「うん。様子を見てくるから僕は先にフィオーナのところへ行くようにって……」
 橄欖と孔雀さんは。僕がフィオーナと出会った頃、姉妹は二匹ともフィオーナの侍女だった。今は孔雀さんがフィオーナの、橄欖は僕の……もしかして。
 シオンの脳裏を巡ったのは、つい一時間ほど前に終えたばかりの旅路。終始余裕で構えていた孔雀さん。"みちづれ"を使ってまでシオンを庇った橄欖。
「安心なさい。彼女達が向かったのなら、きっと……」
 そしてフィオーナのこの言葉である。
「わかった。屋敷は橄欖たちに任せていいんだね? 僕は万が一ここが発見された時のために、きみとお母さんを守ればいいんでしょ」
「そう……ですね。シオン。夫として、妻を確り守ってくださるかしら?」
「未来の、ね」
「変わらないでしょう」
 信じよう。一見ふざけた牡でも、お帰りなさいと言ってくれるって、約束したんだから。

         ◇

 僕がここまで追い詰められるなんて、そんなばかな。
「なんつータフなトゲチックだ……!」
「ハァ、ハァ……ただの執事って聞いてたのに」
 敵はブーバーとデンリュウ。最初は地下通路で足止めしていたが、じきに限界が来た。徐々に押されはじめて後退、出口から海に出てしまった。海と言っても、崖の中腹からせり出したような高台だ。マフィナ様とフィオーナ様はここからさらに崖側の隠し通路を通って別館に避難している。当然だが僕が侵入者を引き連れてそっちに逃げ込むわけにはいかない。ここからなら飛んで逃げることもできるが、この二匹を始末しないことには隠し通路を発見されて別館まで危機に晒される。
 だが現状、二匹の攻撃に持ち堪えるのがやっとだった。一対一なら破壊光線でもお見舞いしてやるのだが、あの技は反動が大きすぎて二匹相手には使えない。デンリュウに大文字を、ブーバーに電撃波を放つも、悪党には珍しいチームワークで互いを庇い合い、有効なダメージを与える事が出来なかった。僕の持ち技ではかなり分が悪い。
「オラッ!」
 ブーバーの腕が炎を纏って顔面を狙ってくる。体ごと飛び越えてやり過ごしたところで、デンリュウの放電がきた。
「ううー……」
 光の壁を張っているが、そろそろ耐え切れなくなりそうだ。反撃手段としては心許ないが、低空から銀色の風を放つ。一時的に戦闘能力が強化される技だが、如何せん扱いに慣れた者でさえスイッチ(ヽ ヽ ヽ ヽ)がなかなか入らない。種族柄その感覚を得やすい*3とはいえそれでも二十パーセント程度の成功率でしかない。
「これ以上銀色の風を出させるな! そいつの動きを止めろ!」
 ブーバーが大文字を狙っているのが見えた。炎の要素(エレメント)を集束させる時間稼ぎにと、デンリュウが雷パンチの連打でラッシュをかけてくる。捌き切るだけなら余裕だが、尚且つブーバーを止めるとなると至難の業だ。ジリ貧ではいけない。いっそ片方だけでもいいから破壊光線でぶっ飛ばしてやるか。
 雷パンチは二三発貰ってもいい。破壊光線を放つための力を、ブーバーの大文字より早く。
 そう思った次の瞬間、デンリュウが跳び離れた。今だ、と思ってしまった自分は愚かだった。突然体が痺れて倒れ込んでしまった。デンリュウの電磁波にやられたのだと気づいた時には遅かった。何とか起き上がった僕の視界に移ったのは、真上に吹き出した炎に両手を掲げ、大文字を完成させたブーバーの姿だった。
「手間掛けさせやがって。これで終わりだ、執事さんよ!」
 ブーバーが手を振り下ろすようにラクートへと差し向けた。
 "大"の字を象った、岩をも溶かす灼熱の炎が、真っ直ぐに――回避は間に合わない。耐えられるか? 無理だ。光の壁もすでに消えた。マフィナ様、フィオーナ様……許して下さい。僕ではあなた方を守りきれそうにありません。
 熱い。熱い。熱い。


 ……もう、熱くない。浮遊感。風。死ぬのってこんなに早いのか。もっと痛いと思ってた。苦痛を味わう暇すら与えられずに焼き尽くされたのか。あっけなかったな。僕の(ポケ)生。
 思考が混乱していた。やっぱり僕は莫迦だ。
 焼き尽くされたのなら、こうして考えることすらできないじゃないか。僕は助かったんだ。
「ラクート。あなたは約束を守ってくれるひとだと思っていたのに」
 助けられた、のか
「わたし達がいない間、フィオーナさまを守ってね、って。言ったでしょう?」
 首に当たる感触。胸の真ん中から突き出した硬い角。目を開けなくても判る。全てを包み込んでくれるような優しいこの声も。それらが指し示すのは、たった一匹しかいない。
「孔雀……さん」
 ラクートは孔雀に後ろから抱えられて浮いていた。悔しがるブーバー達と、通路から走って出てきた橄欖の姿が見えた。
「クソッ、今度は何だ?」
「事前情報ではフィオーナとその婚約者シオン専属の侍女……のはずだけど」
 普段戦闘能力を隠しているラクートや巽丞姉妹は、こうした有事の際に敵にとっては伏兵となる。屋敷の守りを突破しただけではマフィナ様やフィオーナ様には近づけない。
永眠(ねむ)れ……!」
 橄欖のサイコパワーをこの目で見たのは初めてだった。ブーバーが瞬きの間に、その場に崩れ落ちた。
 デンリュウの反応は素早かった。仲間が一瞬で倒れたのにもかかわらずうろたえず、橄欖との距離を詰めて雷パンチを繰り出した。
 その拳が彼女に届くことはなかった。
 寸前で動きを止められ、直後に吹き飛ばされるデンリュウ。一瞬で展開したとは思えない念動力(サイコキネシス)の威力だった。デンリュウは高台の外へ放り出され、海へと落下する。
「はーい橄欖ちゃん、パス!」
 嫌な予感がした。
 予感の通りになった。
「うわぁ?、投げないでくださぁい」
 ラクートを手放した孔雀は、落下するデンリュウを追い越し、空中で一回転して、ESPの光が孔雀の足を追うように青い軌跡を描きデンリュウを蹴っ飛ばした。切り揉みながらぶっ飛ばされたデンリュウは高台の下へ突っ込んだ。角度の関係で見えなかったが、あの激突音では命はあるまい。
 僕が橄欖の念動力(サイコキネシス)にキャッチされるまでの間に起こった出来事だとは思えなかった。
「さあ……そのまま夢の中で……永遠に……」
 耳元で橄欖の死の宣告を聞くことになった。背筋がぞくっとした。
 ブーバーは橄欖の夢喰いで昇天した。

         ◇

「シオンさまぁ、お帰りなさぁい」
「ああ、えっと……ただいま? でいいのかな」
「ラクート! よく無事で……!」
 状況が状況だけに、誰がどういう挨拶をしたものやら。
 ラクートとシオンのやり取りにマフィナが割り込み、その後ろには物言いたげなフィオーナが控えている。
 長旅から帰り、約二ヶ月ぶりのフィオーナとの再会になる孔雀さんと橄欖。その二匹に連れられて別館に着いたラクート。シオンとラクートが顔を合わせるのはやはり二ヶ月ぶりで……ええい、もうどうでもいい。
「とにかく、皆帰ってきて良かったよね! ね?」
「そんな簡単に……」
「収拾がつかないでしょ?」
 フィオーナは基本的には機転も利くポケモンなのだが、何かと"有耶無耶にする"ことが嫌いな性格らしい。心配事のオンパレードがようやく収まったところなので無理もないけれど。
「……そうね。橄欖、帰ってきたばかりで申し訳ありませんが、お茶を淹れてくださるかしら? 孔雀はラクートをお願い」
「かしこまりました……それと、フィオーナさまが……わたしにお謝りになる必要などありません……勝手をお許し頂いたのは、わたしの方……ですから」
 橄欖はフィオーナに頭を下げると、キッチンの方へ移動した。
「ああ、ラクート……そのような傷を負って……私もフィオーナも、貴方をあの場に残した事をどれだけ悔やんだことか」
「何を仰るんですかぁ奥様……貴女がたをお守りするのがぁ、僕の仕事なんですからぁ」
 どうやらラクートは孔雀さんが抱えてここまで連れてきたらしい。見たところ電磁波で体が麻痺しているらしい。
「しばらく休んでいれば痺れは消えるでしょう。大丈夫ですよ」
「孔雀さんにはぁ、危ないところで助けていただきましたぁ」
「今さらだけどさ。その喋り方何とかならないの」
「シオンちゃん、今はいいでしょう? 孔雀、早くラクートを早く奥の寝室に」
「わかりました」
 孔雀さんはフィオーナとシオンに一礼すると、急かすマフィナに続いてラクートを使用人室へ連れて行った。
 リビングに残されたのはフィオーナ、橄欖、それからシオンの三匹だ。
「橄欖、屋敷の状況と……ラクート救出の詳細を報告して頂けるかしら」
 フィオーナの言葉を受け、橄欖はシオンの顔を伺い、躊躇う素振りを見せた。どこまで説明して良いのか。シオンには言えないことがあると。
「構いません。元はラクートも、有事の時まで隠していたのですから。貴女たちの本当の務めを、この際シオンにも知ってもらわなければ……いえ、わたしの判断ミスでした。そうまでして隠そうとした結果がこれでは元も子もありません」
「フィオーナのミス、だって?」
 フィオーナは使用人室に視線を流して、俯いていた。ある自分の選択を悔やんでいる。それが何なのか、一瞬わからなかった。でも、橄欖の顔を見て合点がいった。
「わたしたち姉妹は……使用(ポケ)として、シオンさまやフィオーナさまのお世話をする……表向き、そういうことになっています……ですが」
「橄欖はシオンを。孔雀はわたしを。護衛(ヽヽ)するのが本来の役目です。もとは姉妹共にわたしの護衛だったのだけれど」
 やっぱりそうだったんだ。ラクートだけではなかった。孔雀さんも橄欖も隠していたんだ。今まで。
「申し訳ありません……今回の件で……シオンさまにはとんだご足労を……」
「待ってよ。僕だってきみを守るために戦ったんだから、そんな言い方ってなくない?」
「いえ……そのようなつもりは……」
「僕が一緒に行った意味がなかったってことでしょ。だってそうじゃない。きみの役目が僕を護ることだっていうんなら……きみは僕より強いから、僕の助けは要らなかったって」
 先程のフィオーナの話で薄々感づいていたものの、いざ事実を知らされるとショックが大きかった。口をついて出た言葉を、後に引っ込めることができなかった。私兵団でのコンプレックスもあって。
「シオンさま……」
 橄欖には全部、見抜かれているんだろうか。何も言い返してこないのは、主人と侍女という立場のせいだけじゃない。彼女には僕の心が見えているからだ。それがまた悔しかった。
「そんなの、見方が変わっちゃうよ! 守ってあげなきゃって、ずっとそう思ってたのに」
 僕は案外単純なポケモンなのかもしれない。自分でもわかってる。橄欖が僕よりもずっと優位に立っているんだって事実を突きつけられて、いても立ってもいられなくなった。ここで文句を言ったって虚しい抵抗にすぎないのに。
「やめなさいシオン。わたしが悪かったと言っているでしょう? 橄欖に責はありません」
 情けなくも、フィオーナに諌められる始末で。
「今は揉めている場合ではないのです。この事を告げればシオンが不愉快に思うのも重々承知していました。貴方の気持ちは、わたしが全て受け止めるつもりでいます。ですから、この場は引きなさい」
「フィオーナさま……」
 なんて。
 なんて卑怯な。フィオーナはずるい。何も反論できない。本心からの言葉だって、見ればわかる。彼女は、僕の全てを受け止めてくれる女性だから。シオンよりもずっと大きな器を持ったひとだから。全て受け止めると言ったその一言の持つ力は強大で、シオンとしても彼女の言うとおりにする他はないのだ。
「……駐屯所に行ってくる。きみが言った通り、この有事に揉めている暇なんてなかったね」
 悔しいけれど、無条件に受け入れるしかない。

02 


「相手は手練れだと考えていい。ヴァンジェスティの警備を突破し、夫人と令嬢の命が危機に晒された」
 北凰騎士団駐屯所会議室。
「敵勢力は未知数ですが、報告によれば少数精鋭による奇襲であったとのことです」
「シオン小隊長、及びフィオーナ様の側近である使用人姉妹の穴埋めとして私兵団より護衛を派遣していた。当日我々北凰騎士団からは三名が任務についていたが、全て死亡が確認された」
「許せないっスね……」
 会議には団長のボスコーン以下、各隊隊長が、九番後方支援隊からはシオンの代わりに隊を任されているライボルトのラウジが出席している。報告を読み上げているのはシャロンとキールで、ボスコーンは岩のような腕を組んで目を伏せていた。
「先程入った情報によりますと」
 キールがいつものように眼鏡の位置を正す。ただ、頭の口が時々カチカチと音を立てているあたり、普段の冷静さをいくらか欠いているようではある。
「残党の捜索にあたっていた東桜騎士団の若い兵士二名が襲撃され死亡。それと、確認された屋敷への侵入者は六匹です。うち四匹は陽動部隊とみられ、一匹が私兵団との戦闘で死亡、フィオーナ様とマフィナ様を狙った二匹はヴァンジェスティ家執事、兼マフィナ様護衛役のラクートが地下通路にて足止めした模様。ラクートは負傷したものの……」
 キールはそこで一度口を止めた。
「……ここから先は、極秘情報です」
 執事のラクートが護衛を兼ねていたというのも、ラウジ辺りにとっては初耳だろう。私兵団の護衛を突破した二匹の精鋭をたった一匹で足止めしたというのには正直アスペルでも驚きを隠せないが。この先は未確認情報だ。話に聞いたことはある。ハリーのオッサンからの情報だが、あの孔雀という東方のサーナイトはただの使用人ではない、と。
「帰宅した使用人……フィオーナ様の側近である姉妹が現場に駆け付けこれを救出、侵入者は姉妹により殺害されました」
「使用人姉妹……だと……?」
 話はこういうことになる。
 ヴァンジェスティ家は味方にすら明かしていない伏兵を二名、ラクートを含めれば三名抱えていた。ラクートがヴァンジェスティの執事に迎え入れられた経緯を知る者はそう多くないし、使用人姉妹に関してはフィオーナ嬢の独断とのことで、素性を知る者はいない。
「敵はヴァンジェスティの戦力を見誤りました。しかしここに言える事は、今回の事件が念入りな計画のもとに起こされたということです。彼らの存在がなければ何が起こっていたか」
 そう、まだ犯行グループの目的がわからないのだ。逃げた陽動部隊の三匹の行方を追ってはいるのだが、捕まったという情報は聞かない。それどころか、逆に兵士が襲撃された……?
「アスペル君、何か持っている情報があれば」
「まだ何もあらへん」
「……そうですか」
「肝心な時に役に立たへんな、俺は」
「貴方には独自のコネクションがあるのでしょう? 期待していますよ」
 独自()うてもなあ。ま、ハンターと繋がりがあるんはでかいかもな。今回のことで役に立つかどうかはわからんけど。
「キールさん!」
「何ですか、ラウジ君」
 キールが眼鏡の奥のつぶらな瞳をすうっと細めた。愛らしい顔つきをしているのでまるで怖くはないのだが、どうもラウジには期待していないらしい。
「あ、いや……使用人姉妹が帰宅したということは、もしかして」
「もしかしても何も、そういうことです。彼は帰国直後から別館の警護をしていましたが、使用人姉妹と執事が別館に到着したとのことで」
 そこまでキールが言いかけた時、当のポケモンが会議室に駆け込んできた。
「はぁ、はぁ……ただ今戻りました!」
 実に二ヶ月ぶりになる。側近の使用人姉妹を護衛する任務のため、一時的に団を離れていた九番隊の本来の隊長のお出ましだ。
「シオン隊長! 長期の護衛任務お疲れ様っス! これで百匹力っス!」
「お前のことだからヘマをやらかさないかと心配したぞ!」
 ラウジとシャロンがまるで正反対の言葉で、しかし二匹とも嬉しげにシオンを迎え入れた。
「ま、ジブン護衛につけたんもカムフラージュやったみたいやけどな」
「そう……みたいですね。反対に守られてしまいましたし」
 今までは一緒に暮らしているシオンですら知らなかった。有事の際まで知る必要はなかった、ということ。今回はそれが功を奏し、敵の誤算を生んだのだ。
「シオン君、話は?」
「ラクート本人から聞いています」
「わかりました。こちらは今、情報整理が完了したところです」
 キールは全体を見渡し、最後にボスコーンに視線をとめた。ボスコーンはパッと目を開けると、一言。
「言ってみろ」
「はい」
 二匹は不思議と、通じ合っているみたいだった。団長が軍師としてキールに全幅の信頼を置いているのも、キールが団長をいたく尊敬しているのも、本当にわかりやすいくらいである。
「六匹という戦力からして、敵が大きな集団に属しているとは考えにくいでしょう。確実に成功させるならその三倍は投入するはず。ですが、一個人や団体に二匹を狙うメリットがあるとは思えません」
 たしかにそうだ。単純に誘拐して身代金を要求するなら死者を出す危険を冒してまでやるとは考えられないし、暗殺して何が変わるということもない。私怨にしては事が大袈裟すぎる。
「結論から言えば、私は今回の事件はランナベール、もしくは私達政治権力に対する宣戦布告ではないかと考えています」
「宣戦布告? フィオーナとお義母さまを狙ったんじゃなくて、ですか?」
「狙ったのには違いありませんが、狙うことそのものが目的……結果はどちらでも良かったのでしょう。つまり、私達がこうして動き始めたことが」
「待ちぃや。その何や、権力? っちゅーのに反抗するんやったら、あの二匹を(ポケ)質にして……」
「国家がその程度で動くとでも?」
「そうはゆうけど、ジブン……奥さんと娘やで?」
「家族を盾に取られた程度であの方が揺らぐことなどないでしょう。ねえ、シオン君?」
「……でしょう、ね」
 答えたシオンも、キールの言っている意味がわからないというふうに首を傾げている。ほんまに、どういうこっちゃ。
「ですからね、シオン君、アスペル君。今この状況が、おそらくは首謀者の望んだことであると私は言いたいのです。私兵団がこうして動き出すことが、ね。あんなつつき方をすれば、政治権力と真っ向から対決することになるのはわかっていたはずです。ならばそれが目的と考えるしかないでしょう。それが証拠に、東桜騎士団の二名は抵抗(ヽヽ)されたのではなく襲撃(ヽヽ)されたのです。よって、我が北凰騎士団の方針と致しましては」
「うむ」
 キールの言葉を遮って団長が立ち上がり、威風堂々たる面持ちで一同を見渡した。
「東西二団、南海兵団と共に逃亡した実行犯、及び首謀者の捜索。任務にあたっては必ず二匹ないし三匹一組で行動し、慎重にあたる事だ。敵の狙いは我々自身である可能性が高いことを胸に留め、深追いはするな。良いな!」
「はい!」
「了解ッス!」
「了解した」
「ラジャー」
 こういう時のボスコーンは本当に頼りになる。普段表には出さなくとも、部下思いの団長なのだ。
「それと、シオン」
「はい」
「お前には引き続き令嬢と奥方様の警護を命じる。避難用別館の場所を知っている私兵はお前だけだ。私は側近達の戦力がいかほどのものであるかを知らぬ。信頼のおける部下を置いておかねば安心できぬからな」
 シオンが一瞬、硬直した。アスペルも驚いた。いつもシオンを気にかけているシャロンも、きっと。
 ボスコーンがシオンに対して、信頼している、と言ったのは初めてのことだった。先代の九番後方支援隊長が戦死し、若くして隊長になったシオンを、ボスコーンは認めていないようだった。少なくとも、そう見えた。同僚達の中にも似たような声はあったが、ボスコーンの本心はやはり。
「はい! 必ずや団長の信頼に応えてみせます! 彼女達の命は僕、北凰騎士団九番後方支援隊隊長シオンが引き受けました!」
「よし。ラウジ、この件が一段落するまで九番隊を率いるのはお前だ。できるな?」
「お任せ下さいッス!」
「この二ヶ月シオンがおらんかったんは、丁度良かったんかもしれへんな」
「隊長のポジションにも慣れたでしょうしね。ラウジ、九番隊は任せたよ!」
「はい!」
 思えば久しぶりの、団全体、いや国全体として私兵団が動く任務だ。日々の訓練の成果を発揮する場であり、団の皆は浮足立っていた。良い意味でも悪い意味でも。こういう時こそ団結力を発揮して、しっかりとした連携が取れないといけない。アスペルの年で中堅、そんな若いポケモンの多いランナベール私兵団で、それができるのだろうか。
 特にうちの隊の連中なんか、斬り込み隊呼ばれるだけあって血気盛んなやつが多い。釘刺しとく必要がありそうや。

         ◇

 ラウジ達の配置は北西の住宅街となったので、途中まではシオンと道が同じだった。
「いやー、少し残念ッスね。シオン隊長が帰ってきてくれたと思ったのに」
「ふふ、そうだね。もうラウジの方が隊長っぽくない?」
「そんなことはないッスよ! なあ皆?」
 ラウジは引き連れた部下に尋ねてみた。一番近くにいたバリヤードのドルリが笑いながら答える。
「いやいや、俺達はラウジ隊長と呼ばせて頂きますよ」
「えー、それはひどいな。僕はどうなるのさ?」
「ラウジ隊長のお嫁さんにでもなれば――ぐぇっ」 言いかけた刹那、シオンがドルリの肩に飛び乗り、尾で首を絞めていた。
「だ・れ・がお嫁さんだってぇ?」
「きゅ、急に言われても困るッス……」
「や、その科白おかしいから! 急とか急じゃないとかそーゆー問題じゃないでしょ!」
「シオン隊長、く、苦しいです……」
 ふと考えてみた。もし見た目が残念な牝とシオン隊長のどちらかを選べと言われたら、俺はどうするだろう。
 そりゃ、決まってる。
「いくらシオン隊長でも、俺は男の子とは無理ッス」
「いくら僕でもってどういう意味だよ」
「ぐげげ」
「シオン隊長、ドルリの首が取れそうッス」
「そうやってごまかして――」
「がががぐぎ」
「いや、何か変な声出してますし。やばいッス!」
 シオンはようやく気づいたらしい。ドルリの首を絞めっ放しだったことに。
「あっ」
 ――三分経過。
「ぜーはーぜーはー……ふう」
「落ち……着いた?」
「え、ええ……何とか」
「まったく……重要な任務の前に自軍の隊長に絞め殺されたら泣くに泣けないッスよ」
「ごめん」
 ああ、やっと九番隊の日常が帰ってきたんだ。シオン隊長の存在はやっぱり大きい。この二ヶ月、ラウジ率いる九番隊は思いの外、何もかも順調だった。冗談半分に、シオン隊長はもう要らないんじゃないかなんて言うポケモンもいた。でも何か足りなかった。そこにいるだけで、隊の一体感が増したように感じられるのは、皆がシオン隊長を慕っているからだ。その気持ちは共通だから。
「それじゃラウジ、僕は護衛に戻るから」
「健闘を祈りまっス!」
「きみたちも」
 シオン隊長は歩きだして、すぐに振り返って九番隊の面々を見渡した。
「九番隊隊長シオンの名において命じる! 逆賊は徹底的に探し出して討ち取れ! ただし手柄を上げたポケモンは、後できちんと僕に報告すること。間違っても敵を道連れにしての討ち死になんて、許さないからね!」
 あのように振る舞ってはいても、多少冷静さを欠いているみたいだった。普段はこんな風に皆を奮い立たせることなんてないのだ。あくまで静かに、キールの十三番隊ほどではないが、目立たずに味方を支援、援護するのが我々の仕事なのだから。
「了解っス。よし! 二匹一組ないし三匹一組で哨戒にあたる!」
 今は、仕方がない。巣をつつかれて怒らない獣はいない。帰る場所が、家族がいるなら尚更のこと。
「ヴァンジェスティの邸宅を襲い、私兵団に牙を剥く不貞の輩に、ランナベールの常識も暗黙の掟も通用しない! 住宅街で戦闘になる可能性は十分にある。気を抜くな!」
 隊長の役目はこのラウジが引き受けた。今は九番隊隊長としてではなく、家族を守ってやって下さい。シオン隊長。
「各員散開!」
 九番隊副隊長ラウジ、やる時はやってみせる。

         ◇

 尾行されてはいないか。背後に細心の注意を払いつつ屋敷へ足を向ける。喫茶店ウェルトジェレンクの前を通った時、ガラス越しにペロミアとトモヨが見えた。昼前だというのに客の姿がない。相変わらずあまり流行っていないようだ。二ヶ月ぶりに顔を見せたいところだが、あいにくと今はそれどころではないので素通りした。
 海沿いを南下して屋敷の方へ向かう。ここから海岸へ出て、海岸の洞窟へ入り、分かれ道を左、上、右、下、右、上、左、上、上と進むと屋敷のある高台の裏手、海からも地上からも進入しづらい中間の高さにはり出した崖に出る。避難所があるのは陸側に入り組んだ場所の奥だ。日当たりが完全に犠牲になっているが、突き出た岩のお陰で空からも発見できないようになっている。
「ただいま」
「お帰りなさいませシオンさま。これはお早いお帰りで」
「ここの警護が僕の任務だから」
 出迎えてくれたのは孔雀さんだった。ラクートにつきっきりというわけではないらしい。
「あらあら、わたし達は信用されていないのですね」
「団長がそう言ってたよ。僕も正直、今朝突然降って湧いたような戦力をあてにするのは不安だけど」
「なるほど」
 孔雀さんはいつもと変わらない様子でにっこりと微笑んだ。かと思うと――
「ひゃっ――!」
 屈んだ孔雀さんに背中から手を回され、わきの下から片手で持ち上げられてしまった。速度自体はそこまでじゃなかったけど、瞬く間だった。どういう力の入れ方をしたのか、強いて表現するなら全く力むことなく力強く。
 後ろから顔を寄せられた。孔雀さんの緑の髪と自分の飾り毛が触れ合って、何とも言えず変な感覚に陥った。
「シオンさまにとってはそうかもしれませんが、これでもわたし達はシオンさまが学生の折……ヴァンェスティに迎え入れられる前からフィオーナさまをお護りしていたのですよ。それに、シオンさまのお付きである橄欖ちゃんの仕事は、貴方をお護りする(ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ)ことです。もちろん、わたしもそうですが。貴方が残党狩りではなく屋敷の護衛について下さるというのは非常にありがたいことです。万が一戦死などされては困りますから。わたしの目の届くところにいて下さった方が安心です」
 僕は背筋が凍りそうになるのを隠すのに必死だった。孔雀さんの挑戦的な物言いは、使用人のそれではなかった。それでもここで引くわけにはいかない。僕にもプライドってものがあるんだから。
「い……言ってくれるじゃない。それは僕が護る側でいるのがおかしいってこと? しょせん護られる側だって?」
「先に喧嘩を売ったのはシオンさま、貴方の方でしょう」
 やばい。隠しきれない。怖い。声音が。優しく包み込むはずの、サーナイトの抱擁が。
「ひっ……うわあっ」
 孔雀さんが手を放したので、シオンはぺたんと尻餅をついた。そうされていなければ叫び出す寸前だった。
「ちびってしまいそうでしたか? ふふふ。脅してしまって申し訳ありません」
「ばっ……」
 勢い良く立ち上がって振り向いた。
「莫迦にして! そこまで言うなら、一回手合わせしてみようじゃない!」
「手合わせ、ですか……」
 孔雀さんは唇に手を当てて、紅い瞳でシオンをじっと見つめた。笑顔だけど、目は笑っていなかった。
「わかりました。わたしといたしましても、貴方の戦力を正確に把握しておきたいところでしたので」
 意識すればするほど怖かった。押し潰されそうな威圧感ではなく、胸の奥に染み込んで、熱く、体を蝕んでゆく黒い炎、鬼火のような。
「表に出ようか」
 その見えない怖さを感じられるだけの実力がシオンにもあったということだったのだ。

         ◇

「どこからでもいらっしゃい、シオンさま(ヽ ヽ)
 孔雀さんは両手を広げて、棒立ちでシオンと相対していた。敬称をやけに強調するのも、完全に舐められている証だ。
「僕らの訓練では半減器(リミッター)を装着して戦うんだけど、生身でいいの?」
 いざ戦闘態勢に入ると、怖さは吹き飛んだ。やらなければやられる、そんな状況下では一種の興奮状態になる。闘争本能なのだろうか、興奮というよりは昂揚に近い。
「殺すつもりできていただいて構いませんよ、わたしは」
 どこまでも巫山戯(ふざけ)た牝だ。シオンに孔雀を殺せるはずはないと高をくくっているのだ。まさか本当に殺すことはなくたって、その気になれば殺せることくらいは教えてやる。
 相手の能力が読めない以上、初撃で決め技をぶっ放すのは得策ではない。
 シオンは跳び下がりながら、星状速射砲(スピードスター)を撃ち出した。同時に意識の裏では(ゴースト)要素(エレメント)の力を高めつつ。
「おや」
 無数の星型の弾が広範囲に拡散する星状速射砲(スピードスター)は、まず避けることはできない。
 孔雀さんは避けなかった。しかし確実に反応した。完全に読まれていた。
 目にも止まらぬ速さで両手を振るい――星弾を弾きながら、飛び出した。シオンを追って。
 その選択肢はない。シオンなら。常識的に考えて。シオンが先に着地する。空中で無防備な彼女は恰好の的だった。
 着地と同時に上を向き、暗影弾(シャドーボール)を撃ち込む。そうしようとした。できなかった。
 着地のタイミングはほぼ同時だった。しかも、孔雀さんの位置はシオンの真横だ。反対側に身を投げ出した。シオンのいた場所に手刀が振り下ろされて、地面の岩肌が砕けた。その手は、飛行するときと同じ、淡く青い軌跡を描いていた。
 そうだった。彼女は空中で制動がきく。地上戦の常識は通用しない。対飛行タイプを想定した立ち回りが必要だ。
 だが、あんな大振りの手刀を打ってくるとは、舐められたものだ。シオンは起き上がるよりも早く、大きな後隙を狙って暗影弾(シャドーボール)を放った。距離が近いので爆発範囲は小さく、破壊力を圧縮して。エスパータイプのサーナイトがまともに食らって無事で済むものではない。彼女はまた予想外の動きをした。なんと体勢を戻しながら動いた。斜め横に。暗黒の球のすれすれを、ちょうど起き上がったシオンの方へと突っ込んでくる。下がるしかない。読まれた。孔雀さんはさらに速度を上げた。無音の闇の爆発をバックに、振り下ろされる右拳。頭を横に捻る。左回し蹴り。潜る。体を回し、尾で軸足を払った。当たったのに、倒れない。手応えがまるでなかった。重心を無視してスライド(ヽ ヽ ヽ ヽ)したのだ。倒して追撃するつもりだったが、リフレクターを展開するだけの間を得たに過ぎなかった。まさか格闘戦を挑んでくるとは思わなかったが、シオンとて慣れている。後方支援部隊といえど、遠距離でしか戦えないと思ったら大間違いだ。リフレクターの上からでもお構いなしに孔雀さんのラッシュが続く。コンパクトな振りで的確に、時々距離が離れるとすぐに距離を詰めながら大振りの一撃を出してくる。攻撃の予備動作中にも移動できるなんて。カイリキーは二秒間に千発のパンチを打つことができるというが、拳のスピードだけが速いよりも、捕まえた相手を離さないこの足運びは恐ろしい。しかも全く読めない滑るような足捌きで――いや、超低空を飛行しているのだ! 右へ踏み込む動作で左に。隙のない急停止、急加速、反転をこうも繰り返されては防御を固める以外にない。
「固いリフレクターですね! さすがシオンさまです!」
「くっ……」
 背後に崖が迫る。完全に固められている。反撃に転じる隙がないわけではないが、読み違えて下手に動いたら狩られてしまう。
 だが、僕には全身センサー、エーフィ特有の細い体毛がある。空気の流れから相手の動きを予測するのだ。孔雀さんの動きがいかに変則的といえども、長く続ければ読めないこともない。
「そこっ!」
 猛攻も単純な連続攻撃ではない。攻めのタイミングにバリエーションがある。そして何より、呼吸が必要だ。いかな速い回転のラッシュも、途切れずに永久に続けることはできない。孔雀の呼吸を読んだ。体ごと突き刺すような頭突きで懐に飛び込む。
「甘いです」
 首に手を回されたことに気づくまで、一瞬の間があった。倒れ込んでの締め技、明らかに彼女の体重を超える力で背中を押され、四肢が折れないためにはシオンも倒れるしかなかった。
「ぐ……うっ」
 孔雀は四足歩行型のポケモンの弱みをよくわかっていた。足は孔雀の反対側を向いていて、反撃はおろか防御行動を取ることさえできない。
 だが、シオンはエスパータイプだ。触れずとも物質を動かせる念動力(サイコキネシス)がある。この腕を跳ねのけるくらい。
 コツン、と嫌な音が頭に響いた。ESP(エスパー)の源である額の宝珠に、固い物が押し当てられたのだ。
「この勝負、わたしの勝ちですね?」
 そこら中に転がっている石を、孔雀はいつの間にか拾い上げていたのだった。今のがもし、全力で振り下ろされていたら。勝敗を覆す手段を奪われ、絞め殺されていた。
 一呼吸置くその瞬間だった。だが、反撃を完全に読んでいたみたいに、実際読んでいたのだろう、孔雀は大きく身を引いて、逆にシオンを懐に呼び込む形になった。
 認めざるを得ない。
 一国の軍の騎士を軽く手玉に取ってしまうようなポケモンを、もはや使用人などとは呼べまい。とんだ化物だ、彼女は。

         ◇

 シオンたちが家に戻ると、玄関には橄欖の姿があった。
「お二匹(ふたり)で……;何を……していたのですか……?」
 姉さんのことだ。どうせまたろくでもない悪戯でもしていたのだろう。旅の道中のようなことがなければいいが、あれで味をしめてまた、なんてことも有り得ない話ではない。
「避難所の警護についてシオンさまとお話していたのよ。橄欖ちゃん、また変なこと考えてるでしょう」
 姉さんはともかく、シオンさまの心を読むことはできる。何やら落ち込んでいる様子ではあるが、あの時のような恥じらいや昂奮は感じられない。
「いいえ……シオンさま、姉さんと手合わせでも……しましたか……?」
「……きみってばほんと、何でもおみとおしなんだね」
 落ち込んでいるのは、姉さんに軽くあしらわれたからだ。今までただの使用人だと思っていた相手に。戦いを生業とする自分が負けるなんて。
 声を聞いて、そこまで推察した。
「橄欖も僕なんかより強いんでしょ?」
「……それは」
 ここで謙遜しても無意味だろう。旅の道中や、過去の世界でシオンさまの戦う姿を実際に拝見することができた。そこから判断するに、シオンさまの実力は。
「一年……わたしはシオンさまより、一年長く生きています……その分だけ……」
「そう。わかった」
 みなで言うな、と言わんばかりに、シオンさまは目を閉じた。
 目を開いた時には、顔つきが変わっていた。
「ラクートは大丈夫なの?」
 無理矢理かもしれないが、気持ちを切り替えることにしたようだ。
「わたしと姉さんが交互に……癒しの波導で治療していますが……まだ、戦える状態では……」
「それなら、僕たち三匹でここをどう守るか考えよう。ただフィオーナやお義母さまの側にいるだけじゃダメだと思う」
「はい……」
 わたしや姉さんを戦力としてどう運用するか。ここはシオンさまに任せるのが最良だと思う。わたしも姉さんも、悪く言えば自信過剰なのだ。姉さんはフィオーナさまを、ラクートはマフィナさまを、わたしはシオンさまを、それぞれお護りする。目の届く所にいさえすれば、護りきる自信があった。ラクートが命を落としかけたのも、本来はフィオーナさまの側にいる姉さんがいなかったからだ。そう考えていた。
「この家の入口は一つ?」
「はい……裏は……崖に接しておりますので……」
 この別館は敵に発見されないことを最優先に作られている。陸からも海からも空からも見えないし、場所を知るものはごくわずか。敵に襲撃されることは絶対にない。あってはいけないのだ。
「つまり、もし家の中に踏み込まれるようなことがあったら逃げられないってことだよね。僕が通ってきた洞窟からの道の他には屋敷に通ずる道と、空からってことかな」
 仮に飛行部隊が、虱潰しに西海岸を調べれば見つかることもありうる。まあ、海は水ポケモンの海兵隊が哨戒しているからそんなことが黙って見過ごされるはずもないが。
「篭っていれば安全なのかもしれないけど、情報は入れなきゃいけない。誰かが外に出る必要がある」
「わたしが出ましょう。シオンさまの私兵団との連絡も代行します」
 空を飛ぶことのできる姉さんなら適任だろう。戦力としても、この中で一匹にしても一番大丈夫そうなのは姉さんだし。わたしは一匹や二匹相手なら引けをとることはないが、多数が相手になると戦法上厳しいものがある。シオンさまはオールラウンダーではあるけれど、どちらかと言えば複数対複数の戦いが得意なタイプだ。単独行動には向かない。それに、わたしの最優先事項は彼を護衛することなのだから。
「わかった。それじゃ孔雀さんには一日二回……いや、三回外から情報を仕入れてもらう」
「了解しました」
 姉さんなら間違いないだろう。尾行に気づかないなんてミスはしないし、シオンさまに危険を冒させずに済む。
「言っておくけど、橄欖。きみが僕を守るのと同じように、この国を守るのが僕たちの使命だから」
 わたしの心を読むようになりましたか。困るやら、成長が嬉しいやら。
「承知しております……わたしは、シオンさまがどのように行動されようとも……必ずや、お護りいたしますので」
「……可愛くない姉妹」
「おや、シオンさまは今までわたし達のことを可愛いと思ってくださっていたのですか? まことに光栄なことです」
「莫迦言ってないで、持ち場を決めよう。こうして三匹かたまってちゃだめでしょ」
 日々訓練しているから、何度も死線を潜り抜けたから、緊張はしていなかった。わたしも姉さんもシオンさまも、ただ真剣だった。
 何がどう動いているのか知る由もなく。もっとも、知らなくても必ずどうにかなる、どうにかするつもりではいたのだが。

03 

全所属チームに告ぐ
ギルドより通達を行う故、代表者は5月20日19時に集合されたし
尚、期日まで依頼の斡旋を停止する
現在依頼を請け負っているチームは早急に任務を完了させよ


 こんな通達がギルドの壁に掲示されたのが十日前。
 ランナベールを揺るがす大事件が起こったのが昨日。
 そして、今日がその五月二十日。
 ハンターを率いるリーダー達が一挙に集まる光景はなかなかに壮観だ。
「ローレルだ」
「あのグラティス・アレンザの……」
 尤もローレル自身、保安隊と大一番をやらかした一件でカルミャプラムではかなりの有名(ポケ)となってしまったのだが。
 今はそんなことはどうでもいい。
 ベテランハンター達は事態の異常さに気づいている。ローレル自身のハンター歴は一年と少しだが、ルードやキアラの話に曰く、こんな掲示がされたことは今までただの一度もないという。それに、昨日の今日だ。ヴァンジェスティ家襲撃事件。
 何も関わりがないと考える方が不自然というものである。
 これから一体何が始まるのか。
 何も知らず談笑している者、固唾を呑んで時が来るのを待つ者。
 約束の刻が来る。
 一階の店と繋がっているカウンターの奥から、オーナーのミルホッグ、デッドリーが姿を現した。
「揃っておるな?」
 一言、場はしんと静まり返る。姿こそ普段から目にしているものの、このように直接言葉を向けられることはなかった。荒くれ者達を長年統率してきた者の威厳を感じさせる声だった。
 デッドリーは眼光鋭くリーダー達の顔を見渡し、話し始めた。
「驚きを隠せない者も多いようだ。ギルドはあくまで仲介業。それが、まるでどこぞの国のファミリーのような形でこうして集まっておるのだからな」
 続に言う暴力団。いかな治安の良い国であろうと、俺たちみたいな者が社会の一員として存在しているのだ。
「だがあくまでギルドはギルドだ。それは予めことわっておこう。まあ、前置きはよい。仕事の話に移ろう」
 一瞬、酒場内がざわついた。まるで何でもない、普段仕事を請け負うかのような調子だったからだ。
「ただし、ギルド創設以来……いや、ハンター業誕生依頼の大仕事だ。察しておる者も多いだろうが、昨日の事件は知っておるな?」
 やはりその件か。謎に包まれた事件だが、少なくともデッドリーは何かを知っているということだ。
「動く金もポケモンの数も大規模になるだろう。強制はしないが、可能な限り多くのチームに受けてもらいたい。ただし、依頼主からの要望がある。詳細は依頼を受ける者以外には明かさず、極秘で進めよとのことだ。報酬は莫大だが、相応の危険が伴う。契約の締切は三日後の午後12時。同時刻よりブリーフィングを行う。何か質問は?」
 幾匹かの質問によって、通常の依頼斡旋はこの案件が片付くまで引き続き凍結すること、更には情報漏洩を防ぐため依頼受けない者はギルドへの立入を一時禁止することなどなど、俺たちにはほとんど選択権がないらしいという実情が明らかになった。
 この場で契約を決めた者が約半数。ローレルは仲間に相談するため、一旦ルードのアパートに戻ることにした。

         ◇

「ふむ。俺は反対だな」
「なーに言ってんだよロスティリーのおくびょーもの。莫大な報酬だよ? チャンスじゃないのさ!」
「貴様は阿呆か。うまい話には必ず裏があるというのはこの世の常識だ。しかもここはランナベールだぞ」
「おれたちの力ならどんな罠があったってくぐり抜けられる!」
「ほう。メント、貴様にそんな力があったとは初耳だな」
「おれ一匹じゃないし。おれたちはみんなで一つ! ね、ローレル」
「ん、ああ……」
 毎度ながら、この二匹に口を開かせると話が前に進まない。話を振られたのを機にさっさと皆の意見を聞いてしまおう。
「セキイは?」
「やるっきゃねーだろォが。受けなきゃしばらく金が入らねーなんてお前、ハンターとして生きてけねーじゃねーか」
「きみはそういう意見だと思った。わかりやすくて結構だね」
 金と酒と牝に生きる十七歳、セキイにとってはリスクや不可解な点などまったく見えていない、いや(はな)から見る気がないのだ。
「私はロスティリーに同じく。状況から考えて、おそらく反乱か革命か……その真っ只中に首を突っ込むことになるかもしれないのよ。お金のために政府とやり合うなんて莫迦みたいじゃない」
「行き過ぎじゃねェのかキアラ。それは憶測だろ?」
 昨日の事件が何を意味しているのか。今回の依頼とどんな関係があるのか。現時点では何も明らかになっていない。
「ルードの意見としてはどうなの」
「俺らが任務を選んだことがあったか? キアラの憶測が当たっていたとしてだ。戦闘(バトル)任務で俺が首を横に振るわけねェだろ」
「全員を巻き込むのよ?」
「反対してるのはロスティリーとお前だけじゃねェか。だいたい金はどうするんだ? これが片付くまで収入ナシじゃやってけねェぞ」
「お金は……私が何とかするわよ。それにローレルの意見をまだ聞いていないわ」
 キアラが思い詰めた目でローレルを見る。正直こうも意見が分かれるとは思っていなかったが、取り纏め道を示すのがリーダーの役目というものだろう。
「決めた。俺たちには道は一つしかない」
「ローレル……! 私――」
「きみにそんなことをさせるのは本末転倒だよ。俺だってみんなだって、この道に足を踏み入れた時から覚悟はできてるさ」
 この国で、キアラのような若い女性が簡単にお金を作る方法なんて限られている。見抜かれてはキアラも黙るしかない。
「おれと兄貴とセキイの心は決まってるけど。ロスティリーはいいの?」
「莫迦にするな。俺とてローレルの判断を疑いなどしない」
「カッコイイこと言いながら震えてるよ」
「ふん、所詮はメントの脳みそだ。武者震いという言葉はインプットされていないようだな」
「インプットされてなくてもロスティリーがその無茶狂いとかいうのじゃないことはわかるもんねー」
「何だと貴様。俺のヨガパワーを思い知りたいようだな」
「あの、武者震いね」
「へん、おれのアゴパワーを見て驚くなよ!」
 ロスティリーとメントが同時に立ち上がる。ガタッ。「バカパワーだかアホパワーだか知らねェが」ゴツン。「ぐへっ」バタリ。
「お前らはなんで時と場合を考えねェんだ?」
 波導の力の前に崩れ去る二匹。両手で頭を持ってぶつけるというシンプルかつベタな一撃だが、立ち上がる勢いのままに突っ込んだためかなかなかのダメージが入ったらしい。
「ローレル。俺もお前を信じる」
「オレはどこまでもついてくぜ!」
 セキイはローレルの背中をバンバンと叩いた。
「……貴方には負けるわ。そう決まったからには責務は果たしましょう」
 ――以下二名省略。
「みんな、よろしく頼むね」
 話し合いの場は設けたけれど、俺は最初からそのつもりだった。ヴァンジェスティ家襲撃事件。噂によれば、しばらく前から兄ちゃんはここランナベールを離れているらしい。その隙を突かれたのか偶然なのかは知らない。でも今はあそこは兄ちゃんの家だ。俺のために何もかも捨てた兄ちゃんがやっと前足()に入れた幸せだ。俺は知りたかった。真相を。この国で起ころうとしていることを。
「大丈夫さ。誰も死なせはしない」
 この時の俺は思っていたんだ。
 もしかしたら、兄ちゃんに恩返しができるんじゃないかって。
 思っていたんだ。

04 


 あれから五日間、まるで何事もなかったかのように街は喧騒を取り戻していた。街を哨戒する私兵隊の姿が、些か不安を煽る程度――いや、数少ない善良な市民や弱者たちには、力の抑圧の下に安心感が与えられているかもしれない。
「北西住宅街、異常無しっス」
「北門前異常無しだ」
「ヴァンジュシータ北部、怪しい動きはありません」
「ケンティフォリア歓楽街もいつも通りや」
 ラウジたち北凰騎士団も定期的に駐屯所に戻り報告を続けている。
「把握した。東南西三団からもこれといった報告はない」
 が、敵の正体もその痕跡すらも掴めぬままだった。
「別荘の方も何も起こりませんねー。起こると困るのですが」
 シオン隊長の代わりに報告役を務めるサーナイト、孔雀がにこやかに告げる。この空気にそぐわないこと甚だしいが、その図太さ、そして立ち居振る舞いのあまりの隙の無さから実力は本物だと見える。シオン隊長を迎えに何度か駐屯所に来たことはあるのだが、間近で話したのは今回の一件があってからだった。
 ボスコーン団長はまだ彼女を完全に信頼してはいない。が、彼女には一国の姫の警護を任されているだけの存在感があった。一兵団を統率する団長に人材を見抜けないはずはなかった。彼女は仕事はできる。絶対にヘマはしない。団長は彼女をそう評価していた。
「おや、どうしましたラウジさん。わたしの顔に何かついていますか?」
「い、いえ、何でもないっス!」
 孔雀はくすくすと笑うと、ボスコーン団長に向き直って丁寧にお辞儀をした。
「それではわたしはこれにて警護に戻らせていただきます」
「ご苦労」
 彼女が一体どんなポケモンなのか、それが掴めない。腹の底で何を考えているのかまったく想像がつかないのだ。ボスコーン団長がいま一つ信頼できないというのもわかる気がした。
「それにしても」
 孔雀が飛び去ったのを確認して、キールが口を開いた。
「彼女ほどの人材が別荘の警護で動けないとは勿体ないといいますか。少々役不足の感が否めませんね」
「仕方あるまい。ヤツはフィオーナ嬢直属の側近だからな。シオンを向かわせたのも屋敷の人材を動かすポケモンが必要だと思ったからだ」
「シオン君次第ということですか。ま、あちらが手薄になってはいけませんからね。ああ、人材活用といえば我が団に関してですが」
「そうだな。私も方針を変えようと思っていたところだ」
 今まで何の成果もなしでは、たしかにこのまま続けてもダメかもしれない。
「何かが起これば迎え討つのではなく、こちらから働きかけるのだ。数多い路地裏、酒場、ハンターズギルドと思しき店、何か動きがありそうな場所に探りを入れる。編成も組み直そう。キールの十三番隠密部隊を中心に、各隊は彼らをサポートしろ。他三団にも掛け合っておこう」
 了解、と各自が頷き、キールは団長の隣に進み出た。
「お聞きのように、これからは積極的情報収集を主要とし任務にあたり、総監は私に一任されました。各隊とも私の指示に従っていただくことになりますがよろしいですね?」
 キールの眼鏡がキラリと光る。
 よろしいも何も、北凰騎士団最高の頭脳を持つ軍師の指揮を信頼しない者などいない。
「異論はなしと。では早速ですが具体的計画を立てていきましょう」
 まだ先の見えない事件だが、彼なら何とかしてくれる。皆がそんな期待の目を向けていた。

05 


 襲撃事件を発端とする内乱の勃発。命の危機。ラクートの負傷。シオン達の帰還。孔雀と橄欖の秘密をシオンに伝えたこと。
 一度に起こった様々な出来事と感情が渦巻いて、さすがに寝つけなかった。
 目は閉じていたが、ぐるぐると事件の光景やポケモンの顔が瞼の裏側に渦巻いて。そんな時間がどれくらい続いたのか。夜も更け、ようやく微睡(まどろ)んできた頃だった。 首に重みを感じた。そればかりか、巻き込むように挟み込んでくるのは。
「……シオン?」
 ビロードのような毛並み。忘れることのない甘い匂い。フィオーナの嗅覚を、どんな薔薇の花よりも酔わせる匂い。
 だが、明らかに変だった。
「言ったよね。僕の気持ちはフィオーナが全部受け止めるって」
 嫌な予感がした。
 本当は、何をされるのか初めからわかっていたのかもしれない。
「これはきみへの仕返しだから」
 ベッドに横になっている私の首を開いた後足で挟むような座り姿勢。顔の前にあるのはシオンの下腹部。私の耳の上くらいに前足をついて体を支えている。私の顔を抱え込むような姿勢だ。
 ――何をするの。この私に向かって、まさか、そんな事を。
 これは違う。私がシオンを虜にして、ちっぽけな誇りを壊してやるのとは。恥辱に頬を染めた姿を晒させるのとは、違う。
 逆だ。暴力に訴えることなく、恋人である私に屈辱を与える行為。
 シオンが、ふるる、と体を振るわせた。その姿を一瞬でも可愛いと思ってしまった自分が嫌になった。
 何も抵抗できなかった。
 そのまま顔におしっこを浴びせかけられた。
 何も言えなかった。
「ふぁ……あ」
 気持ち良さそうに自分の上で放尿するシオンに悪態をつくことも。
「きみは僕のものだから……ふふっ、はぁ……マーキングしとくね」
 勢いがすごくて、目を閉じるしかなかった。鬣や首の飾り毛に温かい水がどんどん吸い込まれている。冗談じゃない。私は貴方の所有物なんかじゃない。
 息をするために口を開けると、シオンはぐい、と突っ込んできた。空気を吸い込もうとしていたがために一気に飲んでしまった。無理矢理飲まされた。噛んでやろうかとも考えたが、できなかった。悔しくも、私にはシオンを傷つけることなんてできない。
 それに気づいた瞬間、私のプライドはガラガラと音を立てて崩れ去った。私は彼にどんなに酷いことをされても仕返しはできないのだと。
 その後は半ば放心状態で狂ったようなシオンの水を浴びつづけた。
 いつ終わったのかわからない。
「あははははっ……お嬢様のきみはプライドが高いからさ。何して仕返ししようかなって考えてたんだ。ね、怒ってる? 怒れないくらいにブライドが傷ついちゃった? そうだよね、寝耳に水だもんね!」
 意味が違う。そう指摘することもままならず。
「じゃ僕は部屋に戻るから。交替で夜通し警備だから仮眠取らないといけないし。きみを守るために、ね」
 まさかシオンがこんな形で不満をぶつけてくるとは。
 フィオーナは自分の言葉を後悔していた。仔共騙しみたいな言い方であの場を収めようとしたことも。もしかするとそれもシオンを怒らせていたのかもしれない。
 シオンが部屋を出たのを確認して、フィオーナはゆっくりと体を起こした。この有様をなんとお母様に説明しよう。まさか本当の事を言うわけにはいくまい。それこそ恥の上塗りだ。この私がシオンに寝込みを襲われたばかりか、おしっこを浴びせられたなどと。
 しかしフィオーナの体はもちろんのこと、ベッドのシーツやマットにまで染み込んでしまったのをどうすれば良いというのか。
「後で……孔雀に頼むしか……」
 孔雀には普段から、私達の営みで汚れてしまった、といっても九割以上はシオンが汚したものだが、とにかくその後始末を任せているのだ。
 炎を操れる孔雀なら、これを乾かすくらいお手の物だ。
 全てを見通すような彼女に、おそらくは事情を隠すことはできないけれど。

         ◇

 交代時間になり、別荘内を橄欖、外を孔雀、シオンが仮眠をとることになっていた。ラクートはまだ安静が必要で、数日は警護にあたることができないため三匹で回すしかない。
「……?」
 フィオーナさまの寝室の前を通った時だった。フィオーナさま一匹が寝ているだけのはずなのに、感情が二つ。不機嫌。荒ぶる心。解放。悔しくも受け止める。快と不快が交じり合う。
 夜這いかとも思ったが、仮眠を取るべき時間にそんなことをするとは考えられないし、受信する感情も少し変だ。普段はもっと二匹の愛情が高まり合って、えっと、わたしは何をしているんだ。
 べつに普段から覗いているというわけでは。今みたいにたまたま部屋の前を通った時にこの角が感情を受信してしまうのであって――
 一匹(ひとり)脳内で言い訳するのに必死で、ドアが開いたのに気づかなかった。
 静止。
「………………シオンさま。ここはフィオーナさまのお部屋ですよ?」
 平常心平常心平常心平常心。
 こういう時こそ姉さんを見習うのだ。何が起こるかわからないような状況で、こんなことくらいでいちいち驚くわけにはいかない。
「そ、そうだね」
「フィオーナさまの寝顔を見て安心されましたか?」
「え? あ、うん、まあ」
「すっきり……?」
「うん、すっき……じゃなくてすっかりでしょそれを言うなら」
「本当は、まだ……ご機嫌斜め……なのでは……ありませんか?」
「僕が?」
「わたしの角を誤魔化すなんて……できませんからね……」
 フィオーナさまが隠し事をしていたことをまだ完全に許したわけではないのだ。
「……そんな簡単に納得できないよ」
「それは……申し訳ありません」
「今さら謝られても。橄欖はフィオーナの指示に従っただけなんでしょ。それじゃ僕は寝るから、交替の時間まで頑張ってね」
 シオンさまは何事もなかったかのように、今は仮眠室となっている使用人部屋に向かおうとした。そこを呼び止める。
「シオンさま……後ろ(あし)が」
 この時何故呼び止めたのか、後になって考えても自分の行動理念がよくわからない。言った瞬間、シオンさまの内心の焦りが伝わった。
「後ろ脚が随分……濡れていらっしゃいます……」
 言ってしまったものは仕方がない。平常心平常心。普通に行動すれば問題ないのだ。
 橄欖はシオンに歩み寄って、スカート状の衣の裾を後ろから差し入れた。
「ひぁっ、か、橄欖!?」
「お拭きして差し上げているだけです……じっとして……」
「や、そ、そんなこと」
「何か問題でも……?」
「べ、べつにないけど」
 お腹からあと足にかけて濡れていた部分を綺麗に拭いてあげるまでシオンさまはじっとしていた。心には敢えて触れないでおいた。
「終わりましたよ……」
「あ、ありがと」
「それでは……おやすみなさいませ……」
 シオンさまは逃げるように使用人室に飛び込んでいった。
 ふう。
「…………はわわわわ……」
 拭いちゃった。シオンさまが何をしていたのか、本当は顔を見ただけでも全部手に取るようにわかっていたのに。
 わたしの体に、今、シオンさまの。
 静寂に包まれる屋敷内。誰も見ていない。誰も。
 念のため背後を振り返って前を向き、もう一度後ろを見て、耳を済まし、角の感覚を集中させ神出鬼没のアレがきちんと外を巡回していることを確認した。
 裾を捲り上げて、そーっと口に近づけていく。わたしは何をしようとしているの。いけない。こんなこと。頭だけは自分を止めようとするけれど、手が止まらない。
 口を開けようとしたその時だった。
「あら」
「はぁあっ!?」
「キャッ」
 まず他人の声がしたことに飛び上がり、続いて自分が上げた悲鳴に、奥様と同じく驚いた。
「橄欖ちゃんよね? 驚かせないでちょうだい」
「は、は、は、はい! 申し訳ありません!」
「声が大きいですよ。娘も寝ているのだから静かになさい」
「も……申し訳ありません……」
 まだ心臓が裏返ってる。落ち着けわたし。平常心はどこへ行っちゃったの。
「あなたがそんな声を出せるとは思いもしませんでしたわ。花を摘み*4に起きてみたらあなたがいたから、労いの言葉を掛けようと思いましたのよ。それがあのような悲鳴を上げるとは……いえ、聞かずにおきましょうか。引き続きお願いいたしますわ」
「はい……奥様とフィオーナさまの夜の安全は……この橄欖が保証します……」
 危なかった。もしこれがフィオーナさまだったらしつこく追及されて、悪ければ職を失いかねない事態になっていたかもしれない。
 軽率な行動は慎まなければ。悔しいけれど、わたしは姉さんとは違う。天性の運もなければ図太さもない。
 手に入らなくていいんだ。
 本当の好きは、そのひとの幸せを願うことなのだから。
 と思いつつも、奥様が寝室に戻られたあとでやっぱり舐めてしまったわたしはダメな牝だ。

06 


 嵐の前の静けさ。静かである方がむしろ異常であるといっても過言ではないこの街で、その言葉を使うのが正しいのかどうかはわからない。
 あの依頼の契約日から、事態は急展開を見せた。
 本来なら目覚めの時を迎えつつある夕方のケンティフォリア歓楽街は、まだ静まり返っていた。おそらく数ヶ月前の通り魔殺人の時と同じかそれ以上に、国民は警戒を強めている。
「相手は何匹だ」
「アブソルとクチートの二匹……だけど、たぶん隊長クラス。スルーした方がいい」
 長い耳をすまし、前方から小走りでやってくる二匹の会話を聞き取る。
「――逆に言えば、金のためならどうとでも動く因子です」
「金に糸目をつけなければ誰でも動かせると」
 私兵の二匹が近づいてくるが、こちらがハンターであるという事実を彼らは知らない。行動を起こさなければ大丈夫だ。
「おや?」
 と、距離が二十メートルほどになったところで向こうが足を止めた。こちらは怪しまれぬようそのまま歩を進める。
 が。
「待ちなさい貴方達」
 すれ違った瞬間、銀縁眼鏡のクチートがその眼鏡に相応しい、理系のふてぶてしさ全開の声でローレルとルードを呼び止めた。
「何だ」
 ルードが即座に体ごと振り返り、ローレルも首を後ろに向けた。クチートは背を向けたまま。
「私達がそんなに怖いですか?」
 アブソルが驚いた目をクチートに向けた。しかし、ローレル達の驚きに比べれば微々たるものだ。
 このクチート、すれ違っただけでこちらの正体も思惑も全部見抜いてしまったというのか。
「は? お前鏡見たことねェだろ。怖いわけねェだろうが」
 売られたケンカは全部買うのがルードの主義だった。だが今回ばかりは。
「やるのかやらねェのか」
 今回ばかりは自重すると思っていた。
 周囲の建物の屋根に控えた仲間達が飛び出すタイミングを計っている。ローレルの輪模様が光るのを合図としていたが、指示を出す機会を掴めずにいた。
「……ただのならず者ですか」
「放っておくぞ。相手をしている時間などない」
 このアブソル、牝か。あまりに凛々しい雰囲気を纏っていたから、声を聞くまで気づかなかった。
「俺に喧嘩売っといて逃げるとは――」
 ボシュッ、と何かの発射音。直後に光と高熱――俺達との間を遮るように炎の壁がせり上がった。鋼タイプのルードはもとより、特殊耐久に自信のあるローレルでも近づくのを躊躇われるほどの炎は、路を焼き尽くさんばかり。揺らめく炎の向こうに、大きく開いたクチートの顎が閉じる様が、そしてアブソルと共に走り去るのが見えた。
「焼き尽くす攻撃……一瞬でこの威力だと?」
「隊長クラスの私兵は板石(プレート)を加工した武器を持ってるんだ。対応するタイプの技の威力が大幅に上がるっていう代物。あのクチートの実力自体も相当の物だと思うけど」
 何にしても助かった。まともに戦っていたら、六対二といえど少なくとも全員が無事ではいられなかっただろう。
「メント、ハイドロポンプいくわよ!」
「りょーかい!」
 飛び降りてきたキアラとメントが左右から同時に放水し、炎の壁はみるみる勢いを弱めていった。もともと燃えるものもないところに技の力だけで起こした炎だ。術者が離れれば消火は容易だった。
「ローレル、ルード! 大丈夫?」
「ああ、無傷だよ」
 仲間達が駆け寄ってくるのを待ち、ひとまず移動することにした。
 結果としてはやり過ごす形になったが、判断を一歩間違えば、相手が悪ければ、状況が違えば大変なことになっていた。
「ルードのお陰でね」
 あれはルードの好判断だった。強い仲間意識を持つハンターらしからぬ反応を見せたことが、あの理知的なクチートの目を欺いたのだ。
「俺はいつも通りの対応をしただけだ」
 ランナベールの異変などどこ吹く風といった態度が、ハンターだと思わせなかった理由だ。
 野望を持つ者がいたのだ。そしてこの国ならではのやり方で実現しようと動き出した者が。

         ◇

 ひとまずカルミャプラムに戻ったローレルたちは、今後の作戦の立て直しと他ハンター達との情報交換を行うことにした。しかし、同じギルドの所属とはいえ、今回は競争相手だ。有用な情報を自由に交換することはなかなかできそうにない。
 自分たちは二匹倒したとか、敗走しただとか、本当か嘘か、隊長クラスをやっただとか。そんな話がギルド内に飛び交っている。
「まだ相手と牙を交えていないのは俺たちくらいか」
「どーするのさ。成果に応じて報酬を分けるんでしょ?」
「さっきのヤツらぁブッ飛ばしてもよかったんじゃねーか?」
 メントとセキイは既に焦り気味。
「あんた達、あの二匹に勝てたと思う? 私たちが潜んでいたことまで察してたのよ」
「全くだ。俺達のやっていることは仕事だぞ。勝てる相手を見極めてコツコツとだな」
 相変わらず慎重派のキアラとロスティリー。ルードはだんまりを決め込んでいる。
「コツコツだぁ? ここで一発当てようって気はねーのかよ」
「貴様が一発当てたところなんぞ見たことがないぞセキイ」
「おれはセキイに賛成だよ」
「ロマンは結構だけど、命あっての物種っていうじゃない」
「そうだ。生きるために仕事をしているのだ」
「オイオイ、オレ達ゃハンターだろうがよ。ナニ急にひよってんだ。なあ兄貴?」
 セキイに話を振られて、それまで俯いていたルードが顔を上げた。
「結局普段通りはセキイだけじゃねェか」
 その言葉の意味を皆よくわかっていた。依頼内容を聞いた時から。ローレル、メント、ロスティリーの三匹は言うまでもなく。キアラはおそらくローレルへの好意から。
「誰も言わねェから心配してたんだが……」
 一匹のポケモンが脳裏に浮かんでいた。
「お前らの兄貴だか先輩だか知らねェけどな。この戦い、シオンの野郎と戦う覚悟ができねェなら俺とセキイだけでやるぞ」
 依頼内容は、巡回中の私兵団をこちらの停止命令があるまで襲撃すること。報酬は成果に応じる。

         ◇

 変化はその日中に現れはじめた。キールと共に情報収集を行っていたシャロンの耳に飛び込んできたのは、ランナベール各地でついに反政府勢力と思しき集団と私兵隊の衝突が起こったという一報だった。
「おい、キール! 大変だ!」
 向かいの酒場から出てきたキールの表情も険しい。
「私も聞きました。情報の真偽は不明ですが、一度駐屯所に報告した方が良いでしょうね」
「ああ」
 日の傾き始めたケンティフォリア歓楽街も、やけに人気が少ない。すでに街にも噂が広まっているらしかった。
「ハンター共に大きな動きがあるらしい。奴らが結集したとは考え難いが」
「それは有り得ません。彼らの行動理念からして、一ディルの得にもならないような反乱など起こすはずはないでしょう」
「だが……」
「ええ。逆に言えば、金のためならどうとでも動く因子です」
「金に糸目をつけなければ誰でも動かせると」
「私は以前からハンターは国防上の危険因子だと上申していたのですが……おや?」
 キールが立ち止まった。見ると、前方からブラッキーとルカリオの二匹(ふたり)組が歩いてくる。どうやらこちらの様子を窺っているらしかった。
 シャロンも立ち止まって、周囲に神経を集中させる。
 ――道路両側の建物の屋上に四匹、伏兵がいる。
「囲まれているぞ」
 耳打ちするとキールは黙って頷いた。ここは任せておいた方が良さそうだ。何せ私は、頭を使うのは苦手なのだ。
 そのまま歩いてきた二匹は――シャロンは不意打ちでも仕掛けてくるのかと身構えていたが、シャロン達の横を通り過ぎてしまった。
「待ちなさい貴方達」
 それを見たキールが攻勢に出た。こちらから呼び止めるとはシャロンも思っていなかった。
「何だ」
 ルカリオがふてぶてしい態度でキールに向き直った。キールは大顎を相手の方に、つまり前を向いたままだ。
「私達がそんなに怖いですか?」
「は? お前鏡見たことねェだろ。怖いわけねェだろうが」
 キールが気にしている可愛らしい容姿を莫迦にするルカリオ。こんなことで冷静沈着なキールの心は揺らがない。こいつらが我々を狙うハンターだとしたら、ここで排除してしまうか。
「やるのかやらねェのか」
「……ただのならず者ですか」
 どうやら違うらしい。シャロン達を狙っていたが実力を見極めて狩れないと踏んだ――ハンターのそんな行動にも見えたが。キールはそれを確認するために喧嘩を吹っ掛けてみたのだろう。
「放っておくぞ。相手をしている時間などない」
 キールの焼き尽くす攻撃で炎の壁を作り、同時にシャロンがサイコカッターで伏兵達を牽制。生じた隙に駆け出した。相手は何もできなかった。
「追ってはこないか」
「もう追いつけないでしょう」
 ま、街のならず者に追いつかれるようでは私兵隊失格か。
「シャロンさん」
「ん?」
 キールは走りながら、いつもの眼鏡を上げる仕草をした。
「彼ら、ハンターですね」
「何……だと?」
 ハンターではないと判断したから捨て置いたのではないのか。
「確認ですよ。ハンター自身に意志があるのかないのかを確かめたのです」
「意志? 私には喧嘩を買ったようにしか見えなかったがな」
「演技に騙されてはいけません。私達の実力を見極めやり過ごすつもりだったのでしょうが、私に呼び止められて咄嗟に街のならず者を演じた……つまり、相手の実力を見て戦いを挑んでいるようです。構図が見えてきそうですよ」
「ふむ……」
 流石はキールというべきか。あれだけのやり取りで彼は、どこまで見通したのだろう。
「私の頭ではサッパリだ」
 同じ隊長でも、キールと私では器が違う。私のような者は誰かの下で力を振るっている方が良いのではないか?
「私は北凰騎士団の頭脳です。私がいる限り、貴女が頭を使う必要はありません」
「違いない」
「ですが」
 キールが私の顔を見上げて微笑んだ。
「貴女には他の誰にもないカリスマがありますから」
 眼鏡越しの上目遣いに少しドキッとした。
「か」
「……か?」
 言いかけて飲み込んだ。危ない危ない。本当に可愛らしい奴だ、なんて。
「カリスマなど団の役に立たないじゃないか」
「兵の士気の高さは戦力に直結します。そこにいるだけで士気を上げられる貴女のような存在は重宝しますよ」
 それが私の役目、か。私が戦うことで後に続く者を勇気づけられるなら、喜んで戦場を駆け回ろう。
「で、本当は何を言おうとしたんです?」
「か、カリスマなど団の役に立たんと」
「……まあ許しておきましょう」

07 


「止まれ」
 ジルベールから西、ベール半島の西の端にある小さな国、ランナベール。
 足跡を追って大陸を渡り歩き、今度こそ有用な情報を得たと思いたどり着いた先で、一言目がこれだった。
「現在我が国には出入国禁止令が出ている。十分に信用できる通行証となるものがあれば別だが、そうでない場合はお引き取り願おう」
 門番のゼブライカに止められ、私たち三匹は引き下がるしかなかった。
「どうするの一子姉さん」
「ここまで来て大人しく引き下がってたまるかってんだい」
「強行・突破・スルカ」
「あはは、二郎兄さんはそればっかだね。やっちゃう? 僕ら三匹なら簡単だと思うけど」
 ゴルーグの二郎にムウマの三太。そして私、ゲンガーの一子。午内(ごだい)という変わった苗字とは対照的に、捻りのない名前の三妹弟だ。
「情報が確かなら巽の姉妹が裏切って両院側についたって話だよ。ここで事を荒立てるのは良くない。私に任せな」
 陽州人は魔法使いだとの噂がある。伝承では遠い先祖がホウオウの力を授かったとされているが、本当かどうかは知らない。
 しかし継承した力が今、自分の中にあるのは確かだ。
「お前はさっきの……ぬっ、やる気か!」
 数分後。午内三妹弟はランナベールの門をくぐっていた。
「はっ、夢か……いかんいかん」
 魔法と呼べるほどのものではない。タネが明かされれば、ある特定の技の作用が広くやや特殊であるというだけ。
 私の夢喰いは、記憶を喰ってしまう。

         ◇

 数日が過ぎて、ランナベールは完全な内乱状態となった。とはいうものの情報は錯綜しており、敵の目標もさっぱりわからない。ハンターが暴れだしたということだけが事実で、何処を攻めるだとか誰を狙うだとかいう意志が感じられないのだ。
 政府側としては、ハンターの妨害を退けつつ情報収集を続けるほかない。
 そんな中、まるで外とは時の流れが違うみたいに、別館の空気は変わることがなかった。孔雀さんがしっかりと情報を入れてくれるけれど、このように隔離された空間では一つの繋がった世界だという実感が薄い。
 フィオーナ達の護衛が大事だと言うのはわかる。大規模な部隊をつけられないから少数精鋭で、しかしできる限り最大の。そして自分自身も要人の一匹(ひとり)だということ。
 シオンがここにいること、ボスコーン団長の判断は間違っていない。
 ただ、共に戦った、訓練を積んできた仲間が前線に立っているというのに、僕はどうしてこんな場所にいるのか。現実感が著しく消失していた。これではいけない。自分の務めに集中しなければと思い直し、また仲間達を思い、その繰り返しだった。
 現在はシオンと橄欖が別館周りを、孔雀と復活したラクートがフィオーナ、マフィナの身辺警護にあたっている。
 まだ敵の姿は見えず。ハンターを(てい)のいい傭兵代わりに何かを企む黒幕の存在が。そして脳裏に浮かぶ弟ローレルの顔。ローレルもハンターとして参戦しているのだろうか? たった今、仲間と弟が戦っているかもしれない。どちらがかが死ぬかもしれない。もしかしたら既に。
「シオンさま」
「もう驚かないよ」
 背後から突然の声。孔雀さんの神出鬼没スキルも今となっては頷ける。そして彼女が味方であったことに安堵するのだった。
「弟さんの身を案じておられるのですか?」
「……それも一つかな」
「何でしたらわたしがお使いに参りましょうか?」
「えっ」
「先の黒薔薇事件の時にいろいろありまして。ローレルさまとはちょっとした知り合いのようなものなのですよ」
「黒薔薇事件って……」
 ハリーさんが調査していたあの事件。僕はあの時……そうだ。体調を崩して倒れて、孔雀さんに看病されて。孔雀さんがやけに難しい話をしていた記憶がある。
「孔雀さんもあの事件に何か絡んでたの?」
 ローレル達がハンターであること、そして事件の解決に貢献したこと。ハリーさんに調査を依頼して知った。しかし孔雀さんが関わっていたとは……?
「わたしですよわたし。あの事件の犯人」
 な……っ――――――――!



「――を、こうバッサリとですね。やっつけて……おや? 何を固まっておられるのですか?」
 孔雀さん。あなたってポケモンは。
「いいから続けて」
 頭を抱えたくなる衝動に駆られながら、いちいち突っ込んでいると埒があかないので黙って話を聞くことにした。
「と申しましても、探偵のハリーさんがダミートリックを見破り、ローレルさま方が追い詰めた末の決着でごさいましたので、わたしの働きなどほんの些細なものですけれど」
「はあ」
「その過程でローレルさま方とお手合わせする機会がありましてですね」
「はあ……?」
「耳をちょん切ったわたしの顔はそれはよく覚えていらっしゃるコトでしょうし」
「はあっ!?」
「いえ、少ーしだけですよ、ほんのすこーし……その後月の光で再生したと聞いておりますからご安心くださいませ」
「はあ」
 話はわかった。いや、疑問はたくさんあるけれど、要するにシオンの知らないところでローレルと孔雀さんは顔見知りになっていたということだ。
「それでさ。何をどうするつもりなの」
「それはシオンさまがお決めになることです。わたしというコンタクトの手段を、どどうぞあなたのご自由にお使いください」
 そうだ。彼女は使用人だった。僕のお願いを何でも聞いてくれるパーフェクト超ポケモンだった。そこに加えてあれだけの戦闘力がある。
「無理難題を押し付けてもいい?」
「シオンさまのお望みとあらば何なりと」
 身震いを覚えた。フィオーナが文句を言いながらも橄欖ではなく孔雀さんを一番近くに置いている理由がわかった。
 彼女さえいれば、何も不可能などない。それだけの逸材が自分の目の前で低頭している。
 孔雀さん笑顔の裏側が見えた気がした。

         ◇

 北凰騎士団駐屯地。すでに何匹かの負傷者も運び込まれ、私兵達が慌ただしく奔走している。
 これまで得た情報では、情報収集中の私兵を襲撃しているのはハンターであること、また何者かが金で動かしているに違いないことははっきりしている。
「キール隊長。尋問の結果、また新しいギルド名が出ました」
「他は?」
「変わりません。ただ金で雇われただけだと……ギルドが仲介したため依頼主にも会っていないそうです」
「わかりました」
 部下の報告を受けたキールは、一同に向き直ると銀縁眼鏡をスッと上げた。シオンさまに負けず劣らず可愛い隊長さんだ。
「引き続き事態の鎮圧とともに、こちらからハンターズギルドを攻めます。オーナーを捕縛し首謀者の尾を掴むより他ありません」
「その必要はあらへん」
 アザト訛りのマニューラさん。アスペルがキールの言を遮る。
「おや。最善の選択だと思いますが? 作戦の難易については、私の手にかかれば問題とはなりません。必ず成功させます」
「そういうことやない。目的はギルドのオーナーから首謀者の名前を聞き出すことやろ? せやったら俺に任しといてくれ」
 おお、頼もしいお方ですこと。
「何か私には思いつかない策でもあるというのですか?」
「いや。コネがあるっちゅう話や」
「……なんと。それは真ですか?」
「ホンマや。カルミャプラムっちゅうギルドのお偉いさんとはちょっとした知り合いでな。何やったら直接話聞いて()んで」
「顔が広いとは存じていましたが、よもやギルドと繋がりがあったとは。しかしアスペルさん。団長に知れれば問題ですよ」
「わかっとる。そやから今まで黙っとったんや」
「アスペル、お前……」
 それまで黙っていたシャロンが口を開いた。が、その先は続かなかった。
「向こうは俺が私兵隊やって事知らんからな。ホンマは利用したぁなかったけど、こうなってもうたらしゃあないわ」
 どうでもいいが、受信する感情から察するにこのシャロンというアブソルはわたしのことがあまり好きではないらしい。
「どうにかして聞き出して来たる。善は急げや。ほな、しばらく六番隊は誰かに頼むわ!」
「アスペルさん、待ちなさ――」
 おおー。なんて素早い。これはわたしでも追いつけませんね。
「い、って……行ってしまいましたか。全く」
 一方、不機嫌な顔も可愛くて知的なキールさん。見ていて楽しい職場だ。
「おいお前」
「はい」
 アスペルが消えると案の定、シャロンが隣に立っている孔雀を睨んできた。
「真面目に聞いていなかっただろう」
「はて。流れは把握いたしましたが……シオンさまに報告すればよろしいのでしょう?」
「そういうことを言っているんじゃない」
「ちょっ、シャロンさ――」
 と、止めに入ろうとしたラウジは彼女の一睨みで逆に一歩下がることになった。
「お前には当事者意識が欠けていると言っているんだ。我々と共通の目的を持ち、この場に立つなら少しは気を引き締めろ」
「はあ」
「できないなら今すぐ――」
「やめなさいシャロンさん」
 これはピンチ、かと思いきや可愛い眼鏡のクチートが救ってくれた。いい職場だ。
「この方は私達とは違います。私達は国家の兵ですが彼女の雇い主はフィオーナ嬢個人でしょう?」
「私とて知っている。国に忠誠するか主人に忠誠するか。確かに立場は違うだろう。だが」
「この国を愛してはいないのか、と……」
 孔雀は笑顔を崩さないまま、シャロンの自分と同じ赤い目に眼差しを向けた。
「……そうお尋ねなさりたいのですか? 聞かずともお分かりになりましょう。わたしが護りたいのはこの国ではなく、わたしの大切な人々(ポケモン)だけです」
「そういうことです。今は形だけ目的を同じくしているやもしれませんがね」
 孔雀の言葉はシャロンだけではなくラウジや他の小隊長達の空気まで微妙なものにしてしまった。
「任務に戻る!」
 シャロンはそれだけ吐き捨てて、飛び出して行った。
「同輩のご無礼をお許しください」
「いえいえ。わたしの方こそ申し訳ありません。緊張感がないとよく言われるものでして」
「そうですね。貴女程の実力になれば、この程度では緊張するに値しない……と?」
 なかなかの審美眼をお持ちのようで。
 孔雀が黙って微笑むと、キールは眼鏡の位置を直して同じように微笑みを返してきた。
「私の手で動かせないのが残念です」
「ふふっ。私を動かせるのはこの世で二匹だけですから」
 わたしがわたしの意志で動くことを阻んだポケモンは二匹だけ。この手に抱きたいと思うこともあったが、今は祝福を与えて見守るばかり。でも、それで構わないのです。
 わたしが誰かの幸せを願えるなら、ね。



勿忘草2へつづく



コメント欄 

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • 三月兎さんはポケモン小説wiki内で最高の小説家です。
    ――霧雨 氷雨 ? 2011-01-04 (火) 11:13:08
  • 三月兎さんはなぜ、そのような素晴らしい作品を書けるのでしょう?
    ところで、物語の中で好きなキャラクターは何ですか?
    私はやっぱりハリー……ではなくフィオーナです。
    ――Boss ? 2011-01-07 (金) 22:53:11
  • >かめさん
    またまた戦闘中心です!
    がんばります!

    >ワクチンさん
    はい、主人公サイド最強キャラが本気出します! 彼女の活躍をお楽しみに!

    >正宗さん
    大変なことが起こるかも……知れませんね(笑)

    >霧雨さん
    いえいえそんな。
    素晴らしい作者さんがたくさんいらっしゃいますよ!
    でも、ありがとうございますo(><)o

    >Bossさん
    わたしはシオンと橄欖……かな?
    ときどき変わりますけどwww



    コメントありがとうございます!!
    ――三月兎(マーチヘア) 2011-01-21 (金) 11:48:33
  • やっぱりSOSIAはイイっ! いやいや見入ってしまいました。これからどうなるかワクワクドキドキです。頑張って下さい(^O^)
    ――squall ? 2011-01-21 (金) 19:34:09
  • お久しぶりです。
    最新話も読ませていただきました。
    こちらは作品がひと段落しているのでゆったり読ませていただいております。

    前回のタイムスリップネタは正直やりつくされた感があるので、余り展開にわくわくを感じませんでしたが、
    現代に戻ってひと波乱という展開にはまた心を躍らさせてもらいました。
    街全体を巻き込み、さらにハンター側も巻き込んだ一大事件という事で、兄弟関係がどのように変化するのか?
    ハーレムに収まるという予定調和が有力な男女関係よりも、和解・絶縁・死亡エンドとどうなってもおかしくない兄弟関係の方にむしろわくわくさせて見せてもらっております。
    私には大量のキャラを動かし輝かせる技量に乏しいので、地味になりがちですが、派手に動かして崩壊しないキャラセンスは見習いたいところですね。

    それでは、最後に誤字の報告を。
    「おれと兄貴とセキイの心はは決まってるけど。ロスティリーはいいの?」
    と、この部分が間違っておりました。気付いた時にでも修正してくださいませ。
    ――リング 2011-01-22 (土) 00:59:34
  • >リングさん
    見習うだなんて……そんなに変わりませんって!
    派手な方が書き分けは楽なんですよwwww

    あ、誤字知らせてくださってありがとうございます!
    ――三月兎(マーチヘア) 2011-02-13 (日) 13:54:01
  • キールたいちょーはやっぱりすごいですね。
    続きも頑張ってください。
    あと、招待→正体ですよー。タブンネ。
    ―― 2011-02-13 (日) 18:02:27
  • >squallさん
    あああごめんなさい!!
    見逃していました……
    応援ありがとうございます!

    >名無しさん
    キールさんは可愛いだけじゃないんですよー
    誤字の報告ありがとうございます。
    ――三月兎(マーチヘア) 2011-02-14 (月) 10:01:58
  • 05の地の文にて。
    ブライド→プライド
    恐縮ながら誤字報告させて頂きました。

    密やかに応援しています。
    ―― 2011-03-01 (火) 18:13:38
  • 誤字報告ありがとうございます。直しておきました。
    ――三月兎(マーチヘア) 2011-03-02 (水) 08:17:58
お名前:

*1 原作の設定に準拠していませんがウツギ博士、お許し下さい!
*2 人間でいうところの抱擁にあたる行為としておく
*3 とくせい:てんのめぐみ
*4 用を足すこと

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Last-modified: 2011-02-15 (火) 00:00:00
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