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全部食べないで

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「おかあさん。これ何か? いつもの卵と違うよー?」
 アザレアは、朝起きてすぐに、部屋の片隅に置かれた黒い卵に首をかしげる。いつものラッキーのタマゴとは似ても似つかない色の卵。おいしいのだろうか?
「アズ、そりゃね、あんたの弟か妹が入っているタマゴよ。もうすぐあなたはお姉ちゃんになるんよ?」
「ほんと? 私がお姉ちゃん? へー……」
 ちっぽけな卵の中に、やがて妹か弟になる存在が入っていると聞いて、アザレアは心を躍らせ目を輝かせる。
「それじゃあ、おねえちゃんになるためにも、私早く進化せにゃ! 修行に行ってくる!」
「こらこら、まずは朝ご飯を食べてからじゃろう? それにほら、まずはおはようの挨拶のあとは?」
「お母さん、ぎゅーってして!」
「はい、ぎゅーっ」
 アザレアは柔らかな黒い羽毛に包まれた母親の左右の首に抱きしめられて、その大きな体に思う存分甘える。
「そして貴方には、おはようのチュー!」
「うおぉぉぉぉ……」
 母は、父の顔に三つの顔をすべてくっつけ強烈な口づけをする。父はいまだに慣れないのか、怯んだような声を出して、それに応える。
 アザレアにとってはいつも変わらない日常だったけれど、この日から彼女の日常は大きく変わっていった。

 その一月後、タマゴを割って這い出たモノズの男の子はクローバーと名付けられた。サザンドラである母親の姿を受け継いで生まれた子で、生まれた時から、それはもうやんちゃ坊主が過ぎる子だ。視界が塞がれているせいでしょっちゅういろんなところに噛みつくし、ひどい時は食べようとする。
 姉であるアザレアもまた、何度も噛みつかれては痛い思いをしたものだ。ジャランゴに進化すれば格闘タイプがつくので、少しは痛くなくなるだろうかと進化を目指して日々鍛錬をするが、何年先になることやら。
 さらに困るのがその大食漢ぶりである。低い位置に食料を置いておくと、袋を食い破ってそれを食べつくしてしまうため、クローバーが生まれてからというもの、食料はすべて高い戸棚や、屋根裏部屋に置くことになってしまう。母親が食事の準備する度に食材を取り出すのが随分と面倒そうであった。
 そのほかにも、糞をそこら中にまき散らしたり、体当たりで壁に穴をあけたり、それはもう迷惑極まりない行動の数々だというのに、両親はとても楽しそうだった。
 アザレアは、根が真面目だが、まだ自分の世界と他人の世界は境界があいまいだ。弟を見て『そういう子もおる』と思うよりは、『こいつ頭おかしい』という冷ややかな認識で、彼の事を心底見下していた。
 そして母親は忙しくなりすぎて、朝の挨拶の後のハグすら忘れてしまうこともしばしばで、アザレアはあるとき、不満を爆発させて母親に言う。

「ねえお母さん。クローバー嫌い。どうしてなんべん言ってもいう事を聞かんのじゃ? お父さんもお母さんもを困らせてばっかりじゃけ!」
「しゃあないよ、それが赤ちゃんってもんよ?」
「そがぁな嫌! それならワシ、赤ちゃんなんていらん」
「あら知らんのか、アズ? あんたもクロバと同じで赤ちゃんじゃったんよ?」
「ふぇ!?」
 アザレアは、寝耳に水といった調子で驚き声を上げる。
「あんたはね、その頭についとる綺麗な鱗を壁や扉にぶつけて、傷をつけたり穴をあけたり、そりゃもうひどいもんじゃったんじゃけぇ。ダメって何回言っても理解でけんしね」
「そがぁなこと知らんよ。クローバーなんて大っ嫌い」
「そうじゃろうなあ。じゃが、それが赤ちゃんってもんよ? 最初はな、誰だって手がかかるもんなんじゃけ。でもな、嫌いになっちゃうくらいにクロバが嫌じゃったら、アズも無理してクロバと遊んであげのぉてもええんよ?」
「うーん……遊ばないのは……」
 母親が突き放すような言動をすると、アザレアは一転、悩ましい表情を取る。
「大嫌いじゃのんて言っても、アズはクロバが気になって仕方がないんじゃな?」
「もう! お母さんも嫌いになるよ!」
 ひとたび悩めば母親にからかわれるので、アザレアは腹立たし気にむくれてみせた。
「お願いじゃ、アズ。大変じゃとは思うけれど、貴方はお姉ちゃんなんじゃけぇ我慢してくれんか?」
「……ヒメリの実、欲しい」
「はいはい、分かりましたよ。いつもトレーニングして疲れているもんね」
 アザレアのジト目の要求を、母親は微笑みながら飲んだ。

「クロバもそろそろワシらと一緒の食事を出しても大丈夫かのう?」
 クローバーが生まれて3ヶ月。彼の口には強靭かつ凶悪な歯がずらりと並び、噛みつきもより強く、そして痛くなる。このころになると、堅い肉でも自慢の顎で千切ることが出来るようになるので、大人が食べる食事も難なくこなせるようになる。
 それまでは、噛みつぶすのも簡単な小さな虫や、母親が代わりに胃袋の中で柔らかくしたものを吐き出して与えたりなどをする必要があったが、もうその必要もないだろう。
「そうか。ようやく四人で食卓を囲めるな」
 父親は子供と同じものを食べることが出来る喜びを期待して、笑みを浮かべる。だが……
「あらぁ? 囲めないわよぉ?」
 その期待は母親が無慈悲に砕いてしまった。
「そうなの?」
「ふふ、やってみりゃあわかるわ。一回だけやってみる?」
「う、うむ……家族みんなで食卓を囲むなぁ俺の夢じゃったけぇねぇ。四角いテーブルなんじゃけぇ、三人じゃやっぱり物足りなかろう」
 父はそんなことを言って、クローバーと一緒に食卓を囲んでみるのだが。
「あーん、クローバー! ウチも食べようゆぅて思うとったのに、全部食べないでよぉ! やめてって! やめて……あーん、もう! おかあさぁん!」
 それは、母親が覚えていた通りの光景であった。モノズが大皿に盛った料理をすべて食べてしまい、上の兄妹がその光景を見て泣きわめく。母親もその妹も、物心つく前はそんなモノズだったそうだ。
「大丈夫よアズ。こがぁなこともあろうかと、きちっとあんたの分は残しておいたけぇ」
「ほんと!?」
 母親が助け舟を出すと、今にも泣きそうだったアザレアの顔が明るくなり、父親はその光景を見て苦笑していた。
「こがぁなるってわかっとったのか?」
「ワシと妹がそうじゃったけぇ。クロバもそうなるじゃろうてな」
 母親は昔を懐かしんで微笑んだ。

「いつになりゃ一緒に大皿を囲めるんやら」
 食事が終わり、父はぼやく。
「そうねぇ、こうやって大皿を囲って料理を食べられるなぁ、ちゃんとこの子が喋られるようになって、我慢を覚えたら……かね? それまでは、同じテーブルで食事をするなぁ無理ね」
「何年かかることやらのう」
 期待を打ち砕かれた父親は、まだ遠い一家団欒の日を想ってため息をつく。
「それが子育てじゃ、パパ。嬉しい事はもちろん、面倒くさいことも楽しむつもりじゃないと、この先持たんよ?」
 それに対する母親の言葉は前半こそ明るく前向きなものだったが――
「すでにワシは投げ出したいくらい大変じゃし……アズと比べて死ぬほど大変じゃし、ワシ、この先またモノズが生まれるくらいなら、ワシサザンドラ辞めたいくらい大変じゃし……ワシもこうやって苦労かけたかと思うと、両親に申し訳ないわ……ってくらい大変じゃし」
 後半は、非常に後ろ向きで暗い愚痴にまみれた言葉であった。それを語る表情も辛い。とにかく、大変なことだけは育児に半分も参加できていない父親にも大いに伝わった。
「あぁ、分かった分かった。休みたいなら言ってくれれば俺がなんでもするし、欲しいものがあったら買ってやるけぇ! そがぁな愚痴はやめてくれって……部下たちに大目に給料を払って頑張ってもらうよ」
「お願いね」
 モノズを育てるのは大変だ。ポケモンたちが文化的な生活を築く前であれば、何を壊されようとも大して気にすることはなかったのだが、今や家を持つことが当たり前になり、財産というものの存在も当たり前となることで壊されたくないものが増えてきた。それが、気性が荒いポケモンの育てにくさにつながっている。
 母親が精神的に疲れてしまうのは無理がなかった。子供にだけにはかろうじて笑顔を見せてこそいるものの、夫に笑顔を見せるだけの余裕もないのが現状だ。

 クローバーの歯が生え揃ってからというもの、足腰も合わせるようにして強靭になったおかげもあって、食卓を分けていても平然と飛び乗って食事を横取りするようになった。それを防ぐためには、相手を攻撃するしか手段がない。父親は裏拳で、母親は左右の首で噛みついて、アザレアは、父親から習ったドラゴンテールで、飛びかかるクローバーに対応していた。
「はぁ……落ち着いて食べることも出来ないよ。もっとゆっくり食べさせてよぉ……」
 アザレアが愚痴を漏らすのも無理はない。クローバーは口の中が切れて血まみれになろうとも、体中の痛みで震えが出ても、食に対する意欲は高い。自慢の嗅覚で食料が近くにあると踏めば突撃していく。そうして返り討ちに会いながら、やがて彼は学習していくのだ。母親に与えられた食事以外を食べようとしても無理であることを。母親に守られなければ生きていけないことを。
 そして、じっとしてれば追加の食事を貰えることを学習させれば、やがて食料を求めて襲い掛かる性質も収まっていくという。モノズの面倒な教育には、両親も娘もため息の尽きない日々を過ごしながらも順調にこなしていき、ようやくそれが実ったころには、クローバーが生まれて半年の時間が経っていた。


 弟のクローバーが生まれて半年。8カ月の熟成を終えて、出荷を待つズリワインの酒蔵にて、両親は弟の足にインクを塗っては、スタンプのようにその足形を酒樽に押していく。母親は左右の顎で暴れる弟を抑えようとすると傷つけかねないので、弟を御するのは父親の役目だ。ろうそくの明かりで全身の鱗をきらめかせながら、酒樽を貯蔵する地下蔵にて、父親は黙々と作業を続けている。
「ねえ、お母さん。そりゃあ何?」
「これ? あぁ、アズ……こりゃあねぇ、ベイビーステップっていうの」
「ベイビーステップ?」
「そうで。こりゃあねぇ、酒樽に赤ちゃんの足跡をつけることで、このお酒が高く売れるようになる、魔法の足跡なんじゃ」
「へぇ、すごいねぇ?」
「アザレアも、昔はこれを押したんよ。あんたは力が強かったけぇ大変じゃったんよ。押さえつけるんを頑張ったなぁお父さんじゃがね」
 弟は、父親に無理やり足をつかまれているため泣きわめきながら暴れている。けれど、あの足形を押すだけでお酒の値段が上がるなら、ちょっとくらいは我慢してくれればええのに、とアザレアは思う。
「今年の酒は売れるぞ。なんせ、天候に恵まれたおかげで美味いうえに、ベイビーステップじゃ」
 父親は息巻いている。ベイビーステップとは、いつのころからか子供の足跡がついた酒樽は縁起が良いとされる文化が広まり、賭け事に挑む前や、大事な仕事の前日に景気づけとして飲まれるようになったものだ。
 ポケモンによって子育ての大変さには幅があるが、特にクローバーのように家具や家の修理費用が掛かったり、ひどい時には火事になったりするような種族もいるため、その費用を捻出するためのご祝儀を集めるには非常に都合がいいからと、どこかの誰かがでっち上げた習慣である。
 クローバーの両親も、ここぞとばかりにこの習慣に乗っかった形になるわけだが、今回はこれが大いに役立った。しかしこれは、食費だとか壊れた物を買い直したり修理したりというわけではない。母親が疲れている時に、父親は仕事を部下に任せて家事をやるのだが、そういう時にベイビーステップのおかげで部下に少し多めの賃金を与えられるのが非常にありがたかった。
 父は、母を休ませるために何度か仕事を休んだために、部下には迷惑をかけることが多かったが、その分給料を多めに出しても、まだ家計に余裕ができる程度には稼ぐことが出来た。その余ったお金も贅沢のためには使えない、病気や事故、不作の年に備えるために、必死で節約して残しておかねばならないだろう。

 しかしながら、幸運にも貯めておいたお金を使うべき時は訪れず、クローバーは順調に育って三歳になっていた。
「はー……」
 母親は、ひさしぶりに大きなため息をつく。
 このころになると、クローバーは少しずつ喋るようになり、自分の意見を主張するようになった。もっと食べたいもっと食べたい、なんで食べさせてくれないの!? と暴れまわるクローバーを宥める方法は皆無で、それを収めるためには暴れ疲れるのを待つか、叩いて黙らせるしかなかった。
 そして、自我が目覚めて少しずつ賢くなったクローバーは、母親の目を盗んで倉庫にある食料を盗み食いしたり、食事を待つ間のつまみ食いも始まった。きちんと丈夫な施錠をしていなければ、家族一日分の食料もぺろりと平らげられてしまうことだろう。本能だけで動く幼少時代よりもよっぽど質が悪い。
 子供はあと二年もすれば、ズリワインの原料を栽培するズリ畑の簡単な仕事の手伝いに出されるのだが、この調子ではそのズリの実も食べつくしてしまいかねない。
「どうにかならんかのう? ワシのお父さんは家の地下に牢屋を作ってくれたが、そこに閉じ込めるしかないんかのう?」
 母親は自分が悪いことをしたら、牢屋に入れられていて日々を思い出す。ジヘッドに進化してからようやくズリ畑の仕事の手伝いに入れるようになったが、兄弟がズリ畑でワイワイ働いている声を牢屋から聞いていただけの生活は嫌な思い出だ。
 クローバーに同じ運命をたどらせるのは、親心としてはつらかった。
「もうさ、いっそのことクロバにゃぁ自分で食糧でも取ってくりゃあええんにって思うよ。牢屋はかわいそうじゃし、それならみんな平和じゃん? お腹一杯になりゃあ、つまみ食いも収まるじゃろ?」
 八歳になったアザレアも、クローバーの盗み食い癖には頭を悩ませていて、母親のため息が伝染したかのようにため息をつく。彼は、アザレアが昼過ぎに食べようと思っていた焼き菓子を平らげてしまったり、一日置いて味がしみ込んでから食べる料理を楽しみにしていたら、夜中のうちにすべて食われてしまった事もある。
 そうやってアザレアは、クロバに美味しいものを食べられる期待を、何度打ち砕かれたことか。
「あぁ、自分で食べる……それいいじゃない? そーゆや、ワシも虫殺しの草を収穫するときに、こっそりとその辺に自生する木の実を食べたりしたことがあったわ。あと、大きい虫を食べたりとか……
 裏山にさ、今の季節ドングリや木の実がたくさん落ちてるじゃろ? 雨季は虫もたくさんおるし、雨季が終わりゃあ木の実の季節。裏山なら年中食料にゃぁ困らんじゃろ? アザレア、進化のための修行のついでにクロバを連れてって、見守ってあげてくれん? ダンジョンに迷いこんだり、オレソの実とか食べちゃったらまずいしさ」
「えー、ウチがぁ!? あがぁなぁ絶対ウロチョロするから修行に集中できんじゃろ!?」
「ほら、よう言うじゃろう? 視野を広く持つんが強さの秘訣じゃと。弟のことを見守る、修行もする。両方できるようになりゃぁ進化ももうすぐかもよ?」
「またそがぁな都合のいいことゆって……はぁ、分かったよ。母さんも今は苦労してるけぇね……」
 母親に仕事を押し付けられて、アザレアはがっくり項垂れた。畑の手伝いが始まる時期になると、修行をする時間もあまり取れなくなるから、今のうちにと思ったが。まだまだ、手のかかる弟に振り回されることが多くなりそうだ。

 裏山に連れてゆき、自生する木の実を前にすると、クローバーは息遣いからして気分が高揚しているのがわかる。目が見えていなくとも、嗅覚のみで木の実を探すのにも慣れたもので、自宅周辺で培った食料の探知術は野山でも存分に発揮されている。
 しかしながら、自生している木の実は、栽培されている木の実のそれとは味も大きさも、見た目や傷み具合まで市販品とは大きな品質の差がある。虫食いだったり黒ずんでいたり、とても売り物に出せないようなものも少なくない。
 それでも、質より量なのか、クローバーは大喜びで自生する木の実を食べて、食事を満喫している。
「遠くに行っちゃだめよ。どこか別の場所に行きたいときゃあ、おねえちゃんに話しかけてね」
「うん、わかった!」
「返事ばっかしいいんじゃけぇ……」
 念のため、アザレアはクローバーに鈴をつけていた。どこか遠くに行こうとすれば鈴の音で分かるし、たとえ遠く離れようとも匂いを追えば何とかなる。案の定、クロバが遠くまで行こうとしたのを鈴の音で察知したアザレアに、きついお叱りの言葉とともにクローバーは連れ戻される。
 幾度かそれを繰り返すと、こっそりと行くのは無理だと悟ったのか、彼はそれを諦めた。鈴の音がバレる原因であるという事は、まだ彼の年齢ではわからないようだ。

 そして、その日の夕食。
「クロバが自分の分だけで満足した……すごい」
「クロバ、お昼にたくさん食べたおかげね……ねぇ、クロバ……満足した?」
 アザレア、母親ともに口を開いて唖然とする。クローバーは昼に思う存分。それこそ、腹が破裂しそうなくらいに食べていたおかげで、流石に食欲も落ち着いている。なんと、夕食の際は一人分の食事だけで彼は満足してしまった。普段ならば一人ですべてを食べてしまいかねない勢いだというのに。
「アズのおかげじゃな。父さん嬉しいぞ」
 家族の反応も、それはもう大げさすぎるほどだが、家族の食事を丸ごと食べかねない食欲をこうまで抑えきれたのは、当人たちにはそれほどの感動に値することだった。
「でも、気を付けんといけんわね」
 しかしながら、喜んでばかりもいられない。母親には懸念事項がある。
「ねえ、アズ。多分ね、これからクロバはこっそり抜け出して裏山に行こうとすると思うから……見張ってくれんか?」
「なに!? まさか母さん、それもワシが面倒見ろっていうん?」
「申し訳ないんじゃが……」
 母親は、三つの顔全てで苦笑する。
「はぁ……子育ては子供の仕事かぁ……」
 アザレアはまだまだこれからも振り回されるであろう日々を想い、大きなため息をついた。
「なぁ、アズ。父さんがPPマックス買ってあげるけぇ、な?」
「うーん……それよりもワシ、しあわせリングルが欲しい*1んじゃが」
「分かった、買うよ……買うけぇ、母さんに楽させてやってな?」
「はぁい……」

 母親の予想通り、クローバーは何度もこっそり抜け出そうとした。近所の子供と遊ぶようなときも、いつの間にかいなくなって他の子たちが騒ぎ出すこともあり、そのたびにアザレアは彼を連れ戻す羽目になった。そのたびに彼女はうんざりした表情をしていた。
 あまりに抜け出すことが多いので、母親は考えた結果、クローバーが勝手に抜け出した場合、家にいまだに残っている牢屋に『一日中閉じ込めておいてもいい』と、アザレアに告げる。自分の幼少時の苦い思い出から、牢屋を使うのはかわいそうだと思っていた母親も、アザレアの負担を考えれば使わないわけにはいかなかった。
 それを告げた時のアザレアの嬉しそうな顔といえば、しあわせリングルを父親に買ってもらったときよりも、よっぽど嬉しそうな顔をしていた。よほど、うっとうしいクロバの監視が嫌だったことが伺える。
 彼女は、クローバーが抜けだした時は、嬉々としてお爺ちゃんたちが監視する離れの牢屋へ投獄し、肩の荷を下ろして自分のやりたいことや農園の手伝いをのびのびとするのであった。当然、クローバーは泣き叫んで外に出たいと喚くが、約束を破った自分が悪いのだと学習するまでは、この罰は継続するつもりであった。
 そうして、クローバーは学んでいく。盗み食い、つまみ食いは一時的に楽しいけれど損するだけ。そして、こっそりと裏山に行くのも損するだけ。それを学ぶのに一年ほどかかったが、学び終えたころには、彼はもう『姉の許可なしでは行動できないのだ』という事まで理解した。
 それを学習し終えるころ、彼は急に姉に媚びるようになる。
「おねえちゃん、今日も一緒に裏山行こう?」
「もう、今日は畑の手伝いの日じゃろ?」
「ねぇ、いいじゃん。大好きなお姉ちゃん」
「こんな時ばっかり大好きってクロバってば、調子がええのう……。じゃあ、いい子で待っていられたら、連れてってあげるけぇ。それとも、畑仕事を手伝ってみる? 上手くできたら裏山に連れてってあげるぞ?」
 まだ、クローバーの年齢は四歳半。お手伝いを始めるには少し早かったが、草むしりくらいなら出来るだろう。今は木の実も育っていないからつまみ食いをされる心配もないし、丁寧に教えれば出来ないことではないはずだ。
 クローバーも、姉に逆らうとろくな結果にならないことは理解しているし、真面目に働かなければ裏山に連れて行ってもらえないことも分かっている。彼はまじめに働くことを決意し、その結果、約束通り裏山に連れて行ってもらうことが出来たのであった。

 こうして、クローバーは姉なしでは行動できないという枷がはめられたが、それは存外に悪い生活ではなかった。姉は自分がいい子にしていれば優しいし、多少のわがままも許してくれる。本音は姉の世話にならずとも裏山へ行きたかったが、いい子にしていると優しくしてくれる姉にだんだんと惹かれて、『一緒に裏山に行く』ということにも価値を感じるようになっていた。
 クロバが一人で何かを食べるのもいいけれど、一人で黙々とトレーニングをしているアザレアが疲れた頃を見計らってヒメリの実を差し出すと、彼女は心底美味しそうに食べてくれる。
 クローバーはモノズなので。姉がどんな顔をしているのかはよくわからないが、姉は美味しいものほどゆっくり食べる傾向があるのは分かっている。一口でも食べられるほど小さなヒメリの実を食べるのにも時間をかけているという事は、彼女がよほどヒメリの実を気に入っているということだ。
 いつごろからか、姉のじれったいくらいにゆっくな咀嚼音を、隣で耳を澄ませながら聞いていると、クローバーは同じものを食べていても、一人で木の実を黙々と食べるよりもずっと幸せな気分になった
 対するアザレアも、クロバに手を焼かされた時代が過ぎたおかげで、ちょっとやんちゃな程度な現在のクローバーの事は、今までよりずっと可愛いと思えるようになった。クロバはたまにイタズラもするし、おもちゃを片付けないとか、部屋を汚したとか、些細なことで喧嘩もするけれど、一日中振り回されていたころに比べれば楽なものだ。ちょっとくらいの苦労なら、可愛い弟が相手だからと、許す気分になるのは簡単だった。

 クローバーが六歳となり、ようやく一人で裏山まで行くことを許可されるようになっても、クローバーとアザレアはいつも一緒に行動するほど仲が良い関係となっていた。そのころには、アザレアも十一歳。修行の成果もあって、誕生日の数日後に彼女はジャランゴへと進化した。
 両親はもちろん、友達や親戚が祝ってくれる中、クローバーだけは姿を消して、お祝いの席に参加してくれず、いったいどうしたのかと心配しながらの進化祝いは、素直に楽しめる状況ではなかった。
「ただいま!」
 そんな時、家の外から高らかに響くクローバーの声。少々活舌が悪いが、それは彼が麻袋を咥えているからだろう。皆の視線が一斉にそちらを向く中、皆の視線がどこを向いているかもわからないクローバーは、そんな視線などものともせずに匂いと気配を頼りにアザレアの元へと歩み寄る。
「お姉ちゃん、プレゼント!」
 彼が加えていた袋を開けてみると、中には大量のヒメリの実。修行で疲れた体を癒すにはもってこいの木の実で、アザレアの大好物だ。見れば、クローバーの口周りにはヒメリの実の汁がこびりついているし、彼の呼吸からもヒメリの実の匂いがする。
「クロバ、家に着くまでに何個食べちゃったの?」
 アザレアは苦笑しながら彼に問う。
「ち、違うよ! これは虫食いとか傷んでいたのを食べただけで、綺麗なのは全部この中だから! この中のは食べてないから! だって汚いのは渡せないでしょ!?」
 その言葉がどこまで本当なのかはわからないが、家のものを全部食べつくしてしまうような手の付けられない子供が、こうして自分の食欲を抑えてまで他人を祝えるようになったというのはとても感慨深い事だ。
 親戚たちからは、母親が子供だった時の事を思い出すと、クロバは囃し立てられている。そんな風にからかうよりも、まずは最初に言ってあげるべき言葉があるじゃないかと、アザレアはクロバとぐっと距離を縮めた。
「ありがとう、クロバ。あぁ、やっと誰かを抱きしめることが出来た……」
 嬉しそうにはにかむクロバの表情を見て、アザレアは彼をぎゅっと抱きしめる。いつも親がしてくれていたハグを自分がする、それは進化して腕が自由になったらやりたかったことの一つだった。
 一つの願いが叶って、アザレアは自然と笑顔になる。
「なぁ、お姉ちゃん」
「なんじゃ、クロバ?」
「ワシも、いつか進化したらな。そん時はワシの背中に乗って空を散歩しようよ」
「約束出来る?」
「もちろん」
「ふふふ、じゃあ楽しみにしとるよ」
 その時は、自分ももう立派にお仕事をバリバリとこなしているはずだから。こいつが大好きな木の実を好きなだけ買って、『全部食べていいんだよ』と言ってやろう。再びぎゅっとクロバを抱きしめながら、アザレアはいつか来るであろうその日に思いを馳せた。


後書き 

今回の結果は5票で3位タイということになりました。投票してくださった方ありがとうございます。
さて、今回のお話のコンセプトは、兄弟や姉妹が一緒に成長していくということにあり、そして成長を一歩先から見守るということにあります。成長を喜んでくれるのは親だけじゃなく、年上の兄や姉だって、喜んでくれるものなんですよと。
出来る事なら、そんな家族愛を育んでいきたいものですね。そんなわけで、このお話を書くにあたって、恐らくHUGっとプリキュアの影響を受けていると思われる描写もちらほらと……。
ところで、感想会のチャット中に言われて気付きましたが、父親の種族は明言していませんでしたが、ジャラランガです。娘は父親の種族で生まれてきたのですね。
ちなみに、このお話は強気でアタック!と、方言が同じ(あちらは上流階級であるせいか、大人になってからは標準語だが)だったり、冬という季節が無かったりすることから、同じ国が舞台ですが、今のところ*2互いに全く接点はありません。
実はこのアザレアちゃん、今書いている別の作品の主人公なのですが、そんな彼女に待ち受ける運命とはいかがなものになるのでしょうね……
ところで、主人公の二人はどちらも植物の名前です。アザレアの花言葉ですが「節制」「禁酒」「恋の喜び」「貴方に愛されて幸せ」等です。シロツメグサは「約束」「私の事を考えて」などです。テストに出ますよ。

大食漢な竜の家族はご飯を食べるだけでも大変なのですねえ。世界観に沿った暖かな描写は、手に汗握る展開がなくとも、そんな子供を交えた食卓の想像するだけで楽しいもの。
自分が満腹になることしか考えられなかった弟が、姉のために好物のきのみを取ってくるようになるまでの成長。姉も進化を経て前足の自由が利き、弟を抱きしめられるくらい心も大きくなって。家族愛は美しい。 (2018/05/27(日) 21:42)

家族愛が今回のコンセプトでした。それをくみ取って頂いて嬉しいです。

苦労を乗り越え、たくさんの想いを捧げて育てた弟が、大きくなって姉に想いを返す。心温まる絆の物語でした。 (2018/05/27(日) 22:09)

知らないうちに子供は成長していくものなんですよね。一緒に成長していくとそれを感じられるのがとても嬉しいものです

姉と弟の成長が微笑ましい。どちらも年齢を重ねるに連れて大人に近づくのがとても良いです (2018/05/27(日) 22:39)

このお話で一番幸せなのはそんな二人を見守る親なのかもしれませんね。

サザンドラ類の小説好きです!! (2018/05/27(日) 23:24)

ジャラランガも愛してあげてください! ください!

ポケモンの生活の描き方とか、お話の構成が一番良く出来ていると感じました。キャラクターも可愛らしかったです。もう少しお話の山場で主人公の感情を深掘りするなどして盛り上がると、より良かったと思います。 (2018/05/27(日) 23:28)

文字数が足りないというのもありましたが、このお話は主人公こそアザレアとクローバーですが、視点は親に近いものを想定して書いているので、アザレアの心情は見ればわかる程度のものしかないのです。

コメント 

投票ページのコメント以外に何かありましたらよろしくお願いします。


お名前:
  • 生まれたばかりのクローバーさんのやりたい放題な動きとか、本当に愛おしい限り。一方で、育児は戦争だとか、そんな感じによく言われます様子が見て取れて、ほんともう、おおおお大変そう……。終盤まで、誰に感情移入してもちょっと生きた心地のしない流れなのが中々しんどい。パパの期待も打ち砕く、これがげんじつ!!!という感じが実によくできています。よく出来過ぎててしんどい、吐きたい(褒めてます)。このお話、最後は明るく締められていますけれど、その実、めちゃくちゃ後ろ暗い未来があるのでは? と、わくわくもします。どうでしょうか、バッドエンド足り得ませんかね???? ねぇクローバーさんどうですか、こんな世界ぶち壊したいと思いませんか? 暗黒面の力は素晴らしいぞ???? うふふふふふ。
    で、この世界は、子供の種族というのは、母親側だけでなく、父親側の種も生まれる、で、いいのでしょうか。そもそも、この父親さんはジャラランガさんでいいのでしょうか。母親の左右の噛み付ける首、顎と対比する形で、腕や裏拳が描写されていて、アザレアさんにドラゴンクローを教えたりもできていて、順当に手のある種族で、ジャラコ→ジャランゴのアザレアさんを思うなら、ジャラランガさんなのかな、とは思うのですけれど、それ以上の判断材料が見つからなくて確信が持てません。"ポケモン不思議のダンジョン物語"のチョロネコ→レパルダスさんや、"強気でアタック!"のチアリーさん等々が脳裏にちらつく……というのもありつつ、そうであったとして何の問題もない、という作風だとは思うのですけれど。こう言葉に表すのはとても難があるのですけれど、私の差別的な部分が、そういうのどうしても気にしてしまいます。どうなんでしょうか。アザレアさんというジャラコ→ジャランゴさんは、普通に、ジャラランガのこの父親とサザンドラの母親の間から生まれた子、と把握して大丈夫ですか? ……答えられないとか、あえてブラックボックスにしたいですとか、そういう話ならそれでも大丈夫ですので()
    とにかくも、家族の温かみ、だとかを前面に押し出したお話ですよね。多分そう言うのリングさんの性癖なんですよね。とても分かりやすい。温かくいいお話でした!

    ……将来的には破滅が約束されていらっしゃるそうで、それは、とても楽しみですよね!!!(? --
  • 育児の大変さは、子供のヤンチャぶりにかかっていると思うのです。人間というやんちゃであっても出来る事は限られている種ですら、あれだけ大変な子育てなのですから、それはもう暴れん坊な悪タイプのポケモンの筆頭ともなれば、子育てはなおの事大変でしょうというところから始まった物語です。
    特に、モノズなんてのは粗暴なポケモンで、おまけに目も見えないから噛みついてものを判断するしかないという非常に危険かつ迷惑極まりない生態ですし、以下にポケモンにも人間のような知識や人格が芽生えるような世界となっても、赤ん坊のころはその野生ぶりをいかんなく発揮してしまうと思うのです。人間だって小さい頃は野生の動物ですものね、パパが大皿を囲んで四角いテーブルで食べる夢をぶち壊されるのも仕方がないというわけです。
    後書きにも書きました通り、父親はジャラランガなのでご安心を。ちなみに、教えたのはドラゴンクローではなくドラゴンテールなのです。ジャラコは割と低レベルで覚える技ですし、弟を弾き飛ばすという目的にも有効なので。
    性格は見事に父親に似て、とっても家族想いのお姉ちゃんですよ。ジャラランガは過保護ではないですが、遠くから子供を見守っていざという時は戦うような種族ですからね。
    そんなわけで、今回は子供を育てる苦労や、その苦労に報いるだけの家族愛がテーマでした。すでにこの子たちのその後は書いている途中ですが、お楽しみに! 破滅を約束だなんて何のことやらですねぇうふふ。 -- リング

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