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強気でアタック!

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作者……多くの読者が検討すらつかなかったであろう作者の名は

 この国は平和だ。なんせ、強い父さんが空を守ってくれるのだから。
 オンバーンの父、グレンは、この国の空軍における総大将であった。飛行できるポケモンたちで編成されたその軍は、この国を手中に収めんと狙ってくる他国の敵を追い返し、我ら誇り高きエイクの国の空を守っている……はずなのだが。
 最近は、戦争らしい戦争もなく、海も空も陸も平和そのものだ。特に大洋が広がる国の東側の海上では、他国からの侵略がないかを見張っている方が、訓練よりもよっぽど楽な仕事というのが、空軍の日常である。空軍の皆も、巡視船に乗りながらのんびり日向ぼっこして、時には任務のことなど忘れて釣りでもしながらのんびりとしていることも多い。
 ただし、国の西側。目と鼻の先に主な交易相手の大陸がある小さな海の方は、交易が盛んなこともあって海賊が多く出没し、巡視船が海賊船に出くわし闘うこともある。しかしながら、素人に毛が生えた程度の海賊など、鍛えぬいた空軍たちにはあくびしながら戦っても勝てる暇つぶしの相手だ。
 海賊たちは、空軍に遭遇すれば空から襲われ、海軍に見つかれば船底に穴をあけられ、海の藻屑。そのため、海賊は国の拠点となるような大きな港の近くで活動するのは厳しく、監視の目をかいくぐりながら小物の漁師や商船を相手に略奪を繰り返すのが精いっぱいだ。そんな調子では大きな交易船を襲えることは稀であった。
 それもこれも、父親が頑張ってくれるからである。もちろん、父の部下たちも頑張ってくれているが、総大将である父親は指揮官としての能力はもちろん、兵士としての能力でも父を上回るものは数えるほどしかいない。フレッドは、そんな父親を尊敬してやまないオンバットであった。

 ある日、そんな尊敬する父が卵を抱えて家へと帰ってきた。
「父さん、それは何じゃ?」
「あぁ、フレディ。父さんね、つい先日怪しい船を見つけてね、それで船に乗り込んだら、航海許可証のない海賊でね。それで船を拿捕したのだが、その中にとらえられてる女性がいたんだ……その女性が持っていた卵がこれだね。その女性は、この卵の引き取りを拒否しているものでな……どうもかなりひどい目に遭って生まれた子供らしいね」
「ひどい目? それって何があったんじゃ?」
「まぁ、いろいろあったのだろうが、その人は秘密にしておきたいみたいだったから、深いことは聞かなかったよ。そっとしてあげるべきだろうね。ただね……ほら、フレディ。お前は兄弟を欲しがっていたじゃないか? 母さんも病気で子供を産めない体になってしまったから、いろいろ話し合ってみてな、この子を引き取って育てようってことになったんだ」
「兄弟ができるの?」
「あぁ、種族は違うだろうがな。とはいえ、親が飛行グループだから、同じ飛行グループであることは間違いないはずだ。弟か妹かはわからんが、一緒に空を飛んで楽しむことも出来るはずだよ」
「ふぇ……そうなの? じゃあこれ、ワシが温めるけぇ」
「フレディ、意気込むのはいいが、無理するなよ? お前はどうせすぐに飽きて遊びに行くんだろうからなぁ」
「温めることくらいワシだって出来るぞ? 昼寝の時間とか」
 父親に見下されて、フレッドはムキになって反論する。
「それはそうだが……確かに飽きないだろうけれどお前、それはちょっと違うんじゃないか?」
 確かに、昼寝の時間くらいならじっとしていられるかもしれない。それをちゃっかりと言及する当たり、ずるがしこいというべきか、父親は苦笑する。
「とにかく、出来るったら出来るんじゃ! 僕が温めて孵すんじゃ! 父さんはワシを信用してくれ」
「まあいいさ。やってみるといい。ただ、そのまま孵してしまうとな、種族によってはお前を親だと思い込んでしまうかもしれないから、気を付けるんだぞ? 親と思われたら、世話はお前がすることになるからね。それはもう大変だよ?」
「うん、頑張るよ!」
 これが、フレッドとチアリーの出会い。卵は母親が家事の合間に温めて、フレッドは遊び疲れてお昼寝するときや、家庭教師に勉強を教えられている最中に大切に温められて、少しずつ卵の中に動きが見えるようになる。そうして卵にヒビが入り始めると、これは大変と母親が温めるのを替わり、その孵化の様子を見守った。
 そうして生まれてきたのはアーケンだった。青空よりもくっきりとした青い頭に、冴えた山吹色の体。夕日のようなオレンジ色の顔と、どこを見ても鮮やかな体色が特徴の種族だ。
「あら、フレディ……これは……飛ぶことは難しいポケモンじゃのぅ」
 ムクホークの母親、アメリアは微笑みながら生まれたばかりのアーケンをなでる。
「そうなのか?」
「ふふ、進化すれば大丈夫よ。うん、でも進化したとしても、きっとフレディほどには飛べないと思う」
「そっかー……残念じゃな」
 フレッドは残念そうに肩を落とすが、無いものねだりはしなかった。そういうこともあるさと、文句はそれ以上は言わない。
「そうだ、アーケン、お腹すいているかも! ワシ、食べ物持ってくるな」
「このときのためにたくさん本を借りたんだものね、ちゃんと本を見てから、この子が食べられるものを持ってくるのよ?」
「はーい」
 この時を一待ちわびていたフレッドは、誰よりも勉強熱心で、その上努力家だった。どんな子が生まれてくるかもわからない以上、どんな子にも対応できるようにと、虫や木の実、小動物などを野山や不思議のダンジョンを駆け回って集めているし、本に書かれている内容も大体頭に入っている。
 アーケンの育て方に関する書物を念のため確認したフレッドは、それが食べられそうなものにあたりをつけると、冷凍されている食材を持ち寄り、アメリアに渡す。
「凍っていたら食べにくいかな? フレディ……お湯を沸かして氷を溶かした方がいいかもよ?」
「そうなの? じゃあお湯を沸かしてくる!」
 こんな調子で、フレッドは誰よりも働いて餌を集めた。本来は餌を集めるのは大人の仕事だが、そんなものも立派にこなしてしまうあたり、彼がどれほど兄弟を切望していたかうかがい知れるというものだ。
 そうやってフレッドが準備をしているうちに、アーケンの子は擦り込みによって完全にアメリアを母親と認めていて、すっかり懐いて彼女の柔らかな胸に飛び込んでいる。
「あぁ、フレディ。この子ね、女の子だったよ。調べるのに時間がかかっちゃったけれど、確かに女の子の特徴ね」
「ほんと? じゃあいっぱい可愛がってお洒落しなきゃいかんのぅ」
「いずれね。良かった、跡継ぎもこれで心配なしね」
 一人でごちて、アメリアはホッと胸を撫で下ろした。
「さぁ、お嬢ちゃん。ご飯あげるわよ」
 アーケンの女の子の生まれたばかりで初めての食事は、フレッドが野山を駆けて取ってきたバッタであった。小さな口をパクパクさせながら、口移しで受け取ったそれを、アーケンの子は丸呑みにして飲み下す。
「わぁ……」
 その光景をフレッドは純粋なまなざしで見つめながら、母親が追加の餌を口移しする様子を黙って見守った。三匹も食べればお腹一杯になったようで、おかわりの要求はしなかったが、飛行グループのポケモンは胃袋が小さいためにすぐに満腹になる代わりに、すぐに空腹になってしまう。夫は軍人としての仕事に忙殺されることも多く、アメリアもフレッドもこれからは餌やりに大忙しになるだろう。

 そうして、この時生まれた彼女は、チアリーと名付けられて数年がたった。フレッドは同年代の誰よりも早く進化してオンバーンとなり、勉強も戦闘も、誰より頑張って頂点に立った。誰よりも順調な人生を歩んでいた兄の背中を見ながら育ったアーケンは、両親と兄からの愛を受けてすくすくと成長しており、速く飛べるようになりたい一心でたくさんトレーニングをして進化を目指して日々を過ごし今年は学校にも入学できた。
 しかしながら、名門バニラ家の両親、どちらの種族とも違う彼女のことは少しずつ噂になり、どこから漏れたのか、海賊船から拾われてきた子供であることも知られるようになり、学校の同級生や従兄妹からはそれをネタにからかわれるようになっていた。
「海賊の娘が、あの名門の家に来てもええんか?」
「バニラ家の恥さらし! よく表を歩けるのぅ?」
 チアリーを怪我をさせてしまえば、さすがに苛めで済まないとわかってか、周囲の子供たちが出来るのは彼女を罵倒することのみだが、その一つ一つが彼女の心に少しずつ傷を増やしていった。自分は両親との間に生まれた実の子供ではないし、海賊がいた船から持ってきた卵から生まれた子供だというのは聞かされていた。
 でも、海賊の娘じゃないと否定したってやつらは聞く耳を持たず、チアリーへの暴言は止まない。彼女は、それによって心をすり減らしていたが、家ではそれを兄に悟られないようにと気丈にふるまっている。しかしながら、時間が経てばそういう噂もいつしか兄のもとに届いてしまうものだ。
「本当の子供じゃないくせに、そがぁなやつがバニラ家を名乗るでねぇわ」
 ある日、チアリーがいつものように罵倒されていると、物陰から這い出る大きな影。
「ほう、確かにその子は親と血がつながっていないが、何か問題でも?」
 罵詈雑言の声に交じって、低く殺気の籠った声が響く。子供たちが驚き振り返ってみるとそこに仁王立ちしていたのは怒りの形相をさらけ出すフレッド=バニラである。
「あ、えっと……」
「ふむ、なるほど。血のつながった家族ではないから、私とチアリーのどちらかが死ぬという事態にでもなれば、俺が優先されるというような状況もあるかもしれない。だけれどね、血がつながっていないからといって馬鹿にされても怒らないわけじゃあない。理解できるね?」
 恐怖で硬直する子供たちを見下ろしながらフレッドはため息をつき、そして睨む。
「では、君たちは私の妹に手を出したことについて……謝るか私に殴られるか、どちらかを選ぶといい。賢明な判断をしてくれることを祈るよ」
 見下ろしながら挑発じみた口調でフレッドが言う。兄が出てくるだなんて想定していなかった悪ガキたちは、頭を下げて謝るしかなく……
「なんだ、それで謝っているつもりかい? 私は、もっときちんと地面に頭をこすりつける姿を望んでいるよ」
 フレッドはそれでも許さず、再度謝罪の要求をした。そうして、悪ガキたちが全員土下座して、そのまま顔を上げることも出来ずに震えているのを見て、フレッドは再度ため息をつく。
「よし、チアリー。帰るぞ。辛かったじゃろう?」
 家族だけになったので、フレッドは気楽に話せるようエイク訛りを出す。
「フレディ兄ちゃん……」
 フレッドに翼を摘ままれたチアリーは涙声で彼を見つめる。
「チアリー、情けない声を出しちゃいけないよ。もっとぶち強くなって、いつかお兄ちゃんと一緒に空飛ぶんじゃけ、あんな奴に構っとる暇はないじゃろう? しかし、お主がいじめられとるじゃなんて聞いた時は焦ったものじゃが、お主、あれだけ言われて泣いとらんのはすごいのう」
「うん……ありがとう」
「じゃがなぁ、泣かないだけじゃ50点じゃけぇ、次は奴らのことを笑ってやるんじゃ。そうすれば100点じゃ」
「笑う?」
「そうじゃ。まず奴ら情けない。チアリー相手に一人では悪口一つ言う勇気もないじゃなんて、すでにお主がそこら辺の奴なんぞ相手にならないくらい鍛えとる証拠じゃ。つまり奴らは弱いという事じゃけぇ、弱いくせに強がってる奴らは笑ってやれ」
「う、うん」
「そしてもう一つ。奴らはお主がワシらに愛されとることを嫉妬しとるんじゃ。『拾い子の癖に自分より愛されておる』とな。そんな奴らは笑ってやるといいぞ、実の子供のくせに私より愛されていないだなんてかわいそうな奴だって。笑うのがだめなら憐れんでやってもいい。きっとすっきりするぞ?」
「分かった、今度からは笑えばいいんじゃな?」
「そうじゃ。相手は悔しくて泣いちゃうかもしれんが、気にしてやる必要はないけぇ、言いたい放題言えばいいんじゃ。泣いたら憐れんでやれ、憐れむことが出来るのは強い奴の特権じゃ。
 チアリーは強いんじゃけぇ、強気でアタックしてやればいいんじゃ」
「うん、とりあえず強ければ憐れんでもいいんじゃな?」
「そうじゃ。でも、チアリーは憐れむの意味わかっとるのか?」
「へへへ……わからん」
「それっじゃダメじゃろうに……よし、家に帰ったら勉強じゃな」
「うん」
 チアリーは元気よく頷き笑みをこぼす。
「ところで、愛されるって具体的にどういう事じゃ?」
「そこからか……? うーむ、ワシも深く考えたことはないんじゃがな。ワシはその、愛するってことは、大事にする事じゃと思っておるぞ。なくなったら悲しいというか……ほら、お主も、ワシがいなくなったら寂しいじゃろう? それが愛するってことじゃ」
「寂しい、か……なるほど、そういうことか。じゃあ、ワシは兄さんや倒産母さんのことを愛してるってわけかぁ?」
「ふふ、分かったか? じゃけん、奴らが何か言って来たら、『ワシは愛されてるから問題ない』って自慢してやればいいんじゃ。それとな、相手はもしかしたら、そういうことを言った馬鹿にされたと思ってお前に怒って殴りかかってくるかもしれんけぇ……じゃが、その時は殴り返してやればいい」
「じゃがお兄ちゃん、むやみの暴力をふるうのはいかんのじゃないのか?」
「自分から殴るならともかく、やったらやり返すのはむやみとは言わんけぇ、気にするな。心配ない、お主は誰よりも鍛錬しとるんじゃ、大抵の奴は相手にならん」
 フレッドに諭されると、最初こそ彼の言葉の理解が難しいようであったが、徐々にその意味が分かってきたのか、チアリーはゆっくりとうなずく。
「分かった、そうする」
「がんばれよ。お兄ちゃん期待しとるけぇ」
 そうして二人並んで家に帰ると早速、チアリーは笑い返してやるためのイメージトレーニングを始めている。
「へっへーいいじゃろ? 血が繋がっていないのに愛してもらえるだなんて私は幸せもんじゃけ!」
 そのイメージトレーニングの相手を努めるのは、彼女のイマジナリーフレンド*1で、誰も何も喋っていないのに、チアリーは一人言い返している。その様子を見守りながら、兄であるフレッドは、うまくやれるようにと祈るのであった。

 そうして翌日。
「なんだよ、生意気だな! 海賊の娘の癖に」
 昨日の出来事があっても、同級生は懲りずにチアリーへの悪口をやめていない。だが、この日のチアリーは一味違う。
「それが今じゃバニラ家の子供じゃ。うらやましいじゃろう? 実の子供なのに、愛してもらえないおぬしらはかわいそうじゃのー? ははは、ひがんどるんじゃろ?」
 翌日、チアリーは早速、暴言を浴びせる同級生を笑い、自慢し、逆に憐れんでやる。相手を笑うために、辞書を読んで難しい言葉も勉強したこともあり、相手に伝わっているかどうかはともかくとして、自信満々に言い返してやれる。
 まだ、相手に殴られるんじゃないかという恐れもあったけれど、相手が複数で来るならお兄ちゃんも協力してやると、フレッドが約束してくれたこともあり、チアリーは相手に暴力を振るわれることを恐れることはなくなった。なぜって、一対一ならばやり返せる自信がある。
 早くお兄ちゃんと一緒にお空を飛びたい一心で、毎日ダンジョンにもぐったりしながら鍛えているのだから、そんじょそこいらの連中には負けるはずもない。チアリーは鳥でありながら飛べないことを馬鹿にされているうちに、その状況を打破しようと自信を鍛え上げている。彼女は同級生のずっと先を歩んでいるのだ。

 結局、その日は同級生とは喧嘩となった挙句、チアリーは大暴れして帰ってきた。
「チアリー? ずいぶん酷い怪我だな……」
 全身の羽毛が乱れ、場所によっては血に染まっている。骨が折れたりはしていないようだが、見るからに痛々しい。とはいえ、大人になった自分ならば大したことはない。だが、自分なら耐えられるが、子供の身で、しかも女の子に耐えられるのだろうかと、フレッドには心配でたまらなかった。
「でも、全員泣かせてやったし、私は泣いていないよ。だから私の勝ち。私の怪我が一番ひどいんだけれどね」
 そんな心配などどこ吹く風な、チアリーであった。彼女はむしろ、兄に褒めてもらいたくて仕方がない様子で、怪我すらも自慢げだ。
「無茶するなよ……? まぁ、あれだ。無事ならいいんじゃ……でも痛そうじゃし、今日はオレンの実を買って帰ろう、な? それともイアの方がいいかな? 酸っぱい木の実好きだったろ?」
 むしろ、兄の方が不安げな顔をしているのが、はたから見ればおかしな光景だったろう。そんな兄の優しさは、彼女の痛みをオレン以上に癒してくれる。彼の隣にいると、チアリーは心が安らぐし、痛みも和らいだ。

 もともと、お兄ちゃんや両親が大好きな女の子だったチアリーだが、ある程度成長すると、かまってくれる時間が一番長いのも、距離感が一番近い状態で会話できるのもフレッドとなり、その影響か彼女はひそかに恋心を募らせるようになっていった。
 最初こそ彼女はそれを恋心とは気づくことなく、ただお兄ちゃんが大好きなだけと、そういう風に感じていたが、彼女が思春期を迎え、初めての無精卵を産んだころには、両親へ抱く思いとは明らかに違う兄への愛情を、恋なのだと自覚する。
 だが、その恋心がいくら募ろうとも、それを満たすことはかなわない。そもそも、この国では家督を継ぐのは女性とされている。兵士として戦場に出ることの多い男性に比べて、女性の立場が弱いのはどこの国でも同じ事で、この国も例外ではないが。だからこそ、この国では『後継ぎの権力』を『男性の権力』と同居させないことをよしとしている。
 『後継ぎの権力を持つ女性』と『男性としての権力を持つ婿養子』という立場でならば力は均衡を保たれるという考え方だ。フレッドは、バニラ家の後継ぎではなく婿養子としてこの家を出ていく立場であり、チアリーを引き取る際のフレッドのために兄弟が欲しいからという理由は建前である。
 それゆえ、もしもチアリーが男であったら、それこそ今の立場はなかっただろう。
 幸か不幸か、チアリーは女として生まれ、後継ぎとして恵まれながら育っていった。当然だがその代わりに苦労もあって、彼女には婿養子を取り家を継ぐ役目を課せられている。そして、家を継ぐ者にふさわしい気品と学力、そして武力を求められる。
 武力については問題はない。彼女は進化して兄と一緒に空を飛びたいという思いから鍛える習慣もついていたため、武力を求められることは苦ではなかったし、学力も順当に身に付けた。気品も、バニラ家の優しいメイドさんたちに丁寧に仕込まれた様々な仕草が、今は無意識のうちに発揮することさえできる。小さい頃は普通に使っていたエイク訛りも、今では上流階級にはふさわしくないからと矯正され、普段は出すことがなくなった。
 武力、学力、気品を兼ね備えたチアリーは、たとえ血が繋がっていなくとも後継ぎとしてふさわしいだけの実力は備わっている。備わっていないのは、恋心の未練を捨てる気構えだけだった。

 だがそれは、何もチアリーだけの問題では無いようであった。
「アンナお姉さま。ご機嫌麗しゅうございます……気分がすぐれないようですが、どうかいたしましたか?」
 フレッドの婚約者であるバルジーナ。ブライスター家の長女、アンナがこの家に訪問してきたのだが、彼女はなんだか浮かない様子。現在フレッドは私室で勉強中で、区切りがつくまでの数分間、アンナは一人で待っているという状況。フレッドを待っているのが退屈なのは分かるが、それにしたって顔も気分もうつむきすぎだった。
「あぁ、そんなにかしこまらなくってもいいのよ、チアリー」
「そうですか? では、いつも通りの口調で失礼させていただきます……それで、どうかしたの?」
「私ね、……好きな人が出来たのよ。もちろん、貴方のお兄さんとは別の人」
「あぁ……それは。でも、そんなことはよくあることですよ。ここだけの話、貴族や令嬢の間では浮気や愛人なんてもんは様式美みたいなものだって、もっぱらの噂ですよ? 私の家みたく、両親が仲良くだなんてのは大抵夢物語だと聞きます。まぁ、うちの両親は少し特殊な事情もありますけれど……」
「確かにそうなのですが……フレディは、そういうのを許すかどうか。私が浮気をしていても、見てみぬ振りをしてくれるならよいのですが、そういうわけにもいかないでしょう?」
「兄さん、まじめだからなぁ……この間なんて、アンナさんのいいところを十個見つけるのが目標だって、紙にリストアップしていましたよ……兄さん、結婚するからには貴方の事を真剣に愛するつもりのようです」
「良いお兄さんだね……それだけに辛いわ」
「うん、兄さんはその、家族でいることには文句なしなのですが……真面目なだけに、浮気なんかされたら泣くでしょうね。ですが、親が決めた許嫁という結婚の性質上、そういうことがあるのは仕方がないと兄さんもわかっているはずです……だから、兄さんは怒ったりはせずにがっくり項垂れるだけ、ですかね。見てるの辛そう……」
「フレディのこと、愛してはいないけれど、いい人だからそんな風に意気消沈はしてほしくないわ……やっぱり、浮気なんかなじゃなく、きっちりと婚約を解消しないといけませんよね……出来るかなぁ」
「きちんと手続きを踏まないといけないのもあるけれど、貴方が愛している男性というのはその、そもそも婿養子にふさわしい相手なのでしょうか? というか両思いだったりするのですか? そうじゃないと、兄さんとの婚約破棄なんてリスクの高い真似は……」
「その点なら問題ないですよ。相手というのはワイズマン家の次男、クラウベルです。彼は、ワイズマン家の長男にもしものことがあったらと、兄と同じように教育を受けていたのですが……長男は無事結婚したおかげで、現在は大した役目もない気楽な立場だそうです。ですから、結婚を申し込む分には問題ない……と言えばないのです。それに、私と彼は両想いですし……ですが現状、結婚を申し込むにはまず、フレディとの婚約の破棄をしなければいけません。フレディも、バニラ家の現当主、アメリアさんも裏切ってしまうことになる以上、どうやっても私は顔が立たないのですよ」
「婚約を一方的に断るわけにも行けませんからね……いっそのこと、私が婚約を代わって、兄さんと結婚したいくらいです」
「貴方はフレディの妹でしょう? いくら血が繋がっていないからと言って……あぁ、そういえば、チアリーちゃんはまだ婚約が決まっていないのでしたっけ?」
 アンナに問われて、チアリーは頷くことで肯定する。
「えぇ、海賊の娘っていう印象が強くってね、母さん曰く婿が見つからず困っているようです。海賊の娘というか、海賊船に売られてきて、慰みにされた女と、海賊との間にできた娘ですからね……実際のところ、言葉にしてみると、なんともひどい血筋です。確かにどこの馬の骨とも知れない血です。血だけでみれば私は最低です。
 ですけれど、もっと血ではなく私の人柄や立ち居振る舞いを見て欲しい所ですよ。はぁ、しかし両想いだなんて羨ましいです。兄さんとは私が結婚して、貴方は貴方で幸せになってもらいたいくらいです」
 チアリーは一通り愚痴を吐いてため息をつく。
「そうですね……」
 アンナもまた、深いため息が止まらなかった。
 お互い、この手の愚痴は何度も言ってきた。結婚相手が見つからない、好きな男と結婚出来ない、そんな愚痴は名家同士でパーティーでも開けばあたり前のように聞ける愚痴だ。皆、叶いもしない願いを口にして、それを誰かに聞いてもらうことで気分を楽にしたいだけなのだ……が、それは普通の人物であればの話。
「私、挑戦してみようかな」
「チアリーさん、貴方何を?」
「ええ……先ほども言った通り、兄さんは真剣に貴方を好きになろうとしています。言い換えればそれは、現時点では貴方の事をそれほど好きではないというわけでして……。つまるところ、兄さんは結婚自体にはきっと乗り気ではないという事です。お互い乗り気じゃないわけですし、貴方もワイズマン家の次男坊とは両想い。悪い状況ではありません」
「……まさかとは思いますがあなた、本当に私と代わるつもりというわけですか? フレディとの結婚を……」
「はい。でも、きっと簡単に済む話ではないですし……まずは兄さんに相談をしませんと……」
「でも、そんなことになると……私は、フレディのことを好きじゃないと、面と向かって告白しなければなりません。結構気まずいのですが……」
「兄さんも鈍くはないから、貴方が兄さんを好きじゃないことは知っています。だからといって、そのまま結婚生活を続けてもつまらない毎日になることは明白だからって、自分が好かれる努力も、相手を好きになる努力もしていたのです」
「でしたら、いまさら私が好きでないことを告白しても、相手は分かっていたことというわけですね……」
「そうなりますね。ですけれど……私が言っていることが無茶苦茶なことだというのは自覚していますから……もしもアンナさんが、兄さんとの結婚で妥協して無難な人生を歩みたいというのであれば、私は止めません」
「分かりました。ですが、大事な話ですから、今すぐ決めるのは無理です……というか、チアリーはいったいどうやって私の代わりにフレッドと結婚するつもりでしょうか?」
「兄の説得、両親や分家の説得、向こう側の両親の説得、ワイズマン家の説得、以上です」
「単純明快ですが……簡単にはいかないでしょうね。はぁ……フレッドに、私の気持ちを話すのは正直怖いですが、言わないでもばれていることならば、正直に言えますかね……そのうえで、フレッドがチアリーのやろうとしとることを了承するならば、私もチアリーのことを応援する……よし、そのつもりでいきます」
「じゃあ、とりあえずは兄さんに話すという事でよろしいですね?」
「はい、そうしましょう」
 チアリーとアンナは、恐る恐るながら頷いた。婚約破棄に加え、血が繋がっていないとはいえ兄と妹という近しい関係での結婚など、普通に考えればあってはならないことである。それに挑戦するというのは、並大抵の覚悟では務まらないことであり、それだけ二人には恐怖もい。

 フレッドの勉強が終わって、彼を交えての話し合いとなったときの雰囲気の気まずさは、今までの人生ではかつてない空気の重さだ。
「なるほどね。私も、薄々君が私の事を好きではないのには気づいていたが……それでも、こうして面と向かって言われると少しショックだよ」
「申し訳ありません。しかし、自分の気持ちを正直に話すことも時には必要であると思いまして」
「そうだね、必要だね……うん。さて、一通り話を聞いたうえで、私が現時点で言えることはね。確かに、私はチアリーのことが大好きだ。初めて一緒に空を飛んだ日、私が調子に乗って遠くまで付きあわせてしまったせいで、チアリーが力尽きて、私の背中に乗せて帰ったことや、たくさんのいじめっ子を相手取った喧嘩でボロボロになりながら勝利したこと。進化するために無茶なトレーニングをして風邪を引いてしまったので看病したこと。
 そういったいろいろなことを今でも懐かしく思うよ。そして、自覚するよ……私はチアリーのことが好きだという事を。しかし、たとえ両思いだとしても、私たちが結ばれることは極めて難しい恋であることは理解しているよね?」
「うん……皆がなんて言うか、分かったものではありませんし」
「私としても、チアリーをイバラの道に誘い込むというのは望むところではない。でも、やるというのなら私もやぶさかではないよ。なんならさっそく今日、母さんと話し合おう。いいね?」
「わかった、兄さん……心の準備をしておく」
 念を押すように問われたチアリーは、彼の眼をまっすぐに見返しながら頷いた。


 フレッドはその夜、母親を前に今回の件について話す。父親は仕事で海上にいるため、話をするのは後になるだろうか。
「なるほど、フレディの嫁ぎ先が相手があまり乗り気ではないと……まぁ、薄々感づいてはいたけれど。そのうえ、お互いに愛し合う二人の男女の存在もあるというわけね……ふーむ、ワイズマン家のクラウベルですか。彼とはパーティーで会ったことがありますが、好青年だったのはよく覚えています。あの子と恋愛関係になるとは、アンナさんもお目が高い……」
 二人の母親、アメリアがフレッドの話を聞いて漏らした感想がこれだ。
「お目が高いって……私じゃダメといっているみたいではないですか……」
 暗に、自分よりもクラウベルの方が優れているといわれているような気がしてフレッドは悔し気に言う。
「だって、フレディはその……優しい子だけれど、なんだか彼女と波長が合わないのよね。チアリーと一緒だと、どんなくだらない話題でも続くのに、アンナとだとあんまり続かないのよね……どちらもすぐ黙っちゃう。どちらも悪い子ではないはずなのに、不思議なものだけれど、こういうのって得手不得手があるのね。
 本当に不思議よね、アンナちゃんもいい子なのに……ウマが合わないなんて」
「言われてみれば……あぁ、そういわれると納得するよ」
 思い当たることがあるのか、フレッドはアメリアの言葉に納得する。
「クラウベルさんは今のところ婿の貰い手もなし。でしたら、アンナさんと結婚できると言えばワイズマン家もノーとは言わないでしょう。希望的観測ではありますがね。ですから、改めて三つの家族を集めて話し合って、その上でフレディとアンナの婚約破棄が決定したら、私としてはフレディとチアリーの結婚を許可したいところだけれど……」

 アメリアはそこまで言ってから、困った顔をしてため息をつく。
「ふーむ。周りでは、いくら養子とはいえ妹として育てた子供を兄と結婚させるだなんて話は前代未聞よね。最初から妻や婿にするつもりで子供を拾ってきたなら、そういう話も聞かないことはないんだけれど……大丈夫かしらねぇ」
 アメリアは心配で仕方ない様子で首を振る。
「駆け落ちして消えていった話なら聞くけれどね。それと同じくらい風当たりが強そうだとは考えているよ」
 フレッドも同じ表情をしていた
「長女が駆け落ちして行方をくらませた家は、笑いものになってしばらくはパーティーに参加できなかったわね。さて、どうしたものやら……とはいえ、最近は婚約破棄なんてのは良く聞く話だしね……母さんも一応婚約破棄から巡った縁だし、婚約破棄自体はそこまで避けるべき話ではないのよね。
 私としては、世間体がどうのこうのよりも、チアリーやフレディが幸せになる選択をしてほしいなぁ……ダーリンもそうやって私と結婚したわけだし」
 そう言ってアメリアはフレッドとチアリーを舐めるように見る。チアリーは苦笑していた。
「はは、婚約破棄をしなかったら父さんはイリヤおばさんと結婚してたんでしょ? あれが母親や妻とか罰ゲームでしょ……あれはちょっと無理。私を海賊の娘だってばらしたのも多分あいつよ」
「もう、チアリーってば、私のお姉さんを悪く言っちゃだめよ。かわいそうでしょ?」
 チアリーとフレッドの父親であり、アメリアの夫グレンは、本来はアメリアの姉、イリヤと許嫁になっていた。しかし、父親は一歳違いの妹。『次女であるアメリアの方がいい、むしろ長女は愛せる自信がまるでない』と熱弁したため、アメリアとイリヤの両親は長女との婚約を破棄してアメリアと結婚を許したという経緯がある。
 そんな経緯のせいか、イリヤはアメリアのことを目の敵にしており、血を継いでいるわけでも無いのに次期家長として育てられているチアリーのことは、アメリア以上に目の敵にされている。その影響だろう、チアリーは昔、イリヤの娘――チアリーから見て従兄妹であるエメルには執拗にいじめられていた。
 イリヤやエメルに対するチアリーの態度がひどいのは、こういった過去が影響している。
「そういえば、フレディがアンナさんとの婚約を破棄するとなったら、お姉さんも出て来ちゃうのよね……お姉さんってば、せっかく長女に生まれたのに分家に堕ちちゃってからは、私をずっと目の敵にしているから……こりゃまた私やチアリーを降ろして家を継ごうと画策するはずだわ……はてさて、どうしましょ。
 フレディとチアリーを結婚させるなら、姉さんが大きな障害として立ちはだかりそうねぇ」
 アメリアは困ったふりをしているが、その顔に心配する様子はみじんもなく、笑みすら浮かべている。
「母さん本当は心配していないんじゃないの? イリヤおばさんなんてどうにでもなるって思ってるんでしょ?」
 チアリーも釣られて苦笑を浮かべる、
「そりゃあねぇ。お姉さん、小さい頃から容姿以外で私に勝てたことないからね。邪魔したり文句を言ってきても取るに足らないでしょうし……」
「母さんこそ、おばさんのことを悪く言ってるような気がするよ……」
 アメリアの何気ない言葉はからは、姉を見下している雰囲気がにじみ出ている。その母親の物言いにフレッドは呆れ気味に苦笑した。

 数日後、アメリア親族との話し合いの席を設け、今までの事情を話した。テーブルには高い紅茶とクッキーが置いてあるものの、それに手を付ける気になるような軽い話題ではなかった。
「絶対に反対よ! どこの馬の骨とも知れないような海賊の娘を養子にしただけでもありえないくらいなのに、その上兄妹同士で結婚ですって?」
 一部始終を告げたところ、真っ先に声を上げたのはアメリアの姉。ムクホークのイリヤであった。
「えぇ、まぁでも……血は繋がっていないから近親相姦の心配は無いわけだし、私としては子供が幸せならばそれでいいかなと」
「いいわけないでしょ!? どれほどの恥になると思ってるの?」
 アメリアの落ち着いた口調に対して、イリヤの金切り声は耳障りだ。
「恥と言いましても、このままチアリーを放置しておく方が由々しい問題になりかねないのよ。実際問題、どこから噂が漏れたのか、チアリーがどこの馬の骨とも知れない血筋だからって理由で婿候補もなかなか現れなくて……このままでは、チアリーは売れ残りのろくでもない男と結婚せざるを得ない可能性が高いということになるのよ?
 そんなはずれクジとの結婚では、どのみち我らバニラ家の栄光も途絶えてしまいます」
「だったら、我ら分家が家を継ぐ。これで解決じゃないの? うちのエメルは貴方が連れてきた捨て子と違って正当な血筋、ムクホークの姿です!」
 名を呼ばれたエメル。五代前から続くムクホークの姿をした彼女はチアリーの方をちらりと窺うが、チアリーに睨み返されると慌てて顔を伏せた。
「それはお姉さまがそこへ持って行きたいだけでしょう? まぁ、なんといいますか、チアリーに婿がつかないというのは先ほど話した通りですけれど……その点フレッドならどこに出しても恥ずかしくない自慢の息子ですから。だから、フレッドとチアリーが我が家を継いでくれれば、変な男をつかむよりかはよっぽどいい縁談になるかと……」
 アメリアが落ち着いた口調で話し終えて、余裕の笑みでイリヤを見る。イリヤの表情は、せっかくの美人が台無しの怒り顔であった。
「確かに、能力だけ見ればその通りかもしれないけれど、貴方には恥というものがないの!?」
 声を張り上げるイリヤだが、アメリアは余裕の表情だ。そのアメリアの隣で、フレッドの父親グレンが翼を上げる。
「あー……ちょっといいかな?」
「なんですか、グレンさん!?」
「その、畏れながら申し上げさせてもらうが、家を継いだものが無能だったらそれはそれで恥だと思うのだが……その、エメルは大丈夫なのか? チアリーに喧嘩を売っておきながら、泣いて母親に縋り付くところを何度か見たが……」
「お、女に強さなんて無粋なものは求めないでくださいよ……グレンさん。エメルがチアリーより弱いからって何だというのです……」
 痛いところを突かれたのか、イリヤはトーンダウンする。
「いや、喧嘩の強さの話ではなく、海賊の娘だからとチアリーに難癖をつけて、馬鹿にして暴力行為まで働いて喧嘩を売るような人格の子供はどうなのかな? と、言いたいのだが。お宅の娘に何度もチアリーが泣かされてたからねぇ。
 しかもなんだ、イリヤさんは子供を叱りもしなかったじゃないか? フレッドが女性を殴らないからよかったものの、他人に怒られてもあの態度はいかがなものか。少々、子育てに疑問を持っているよ……
 確かにエメルは学力も武力もそれなりに優れているが、人格が悪いと色々台無しになる気がするのだが?」
 グレンに問われると、答えようもなくイリヤは言葉を失う。
「そ、それはその……」
「まぁ、でもチアリーに負けるのが一度ならいい。重要なのは、一度チアリーに負けて痛い思いをしたのに、その後何度も泣かされているところだ。頭が悪いというか学習能力がないのか……それとも、負けるのはわかっちゃいるけれど、喧嘩を売るのがやめられないのだとしたら、それはそれで人格に問題があると思うのだけれど、どうかな?

 それとも、喧嘩を売らなければいけないのっぴきならない事情があったのならば、私はそれも考慮するよ。私はもちろん、チアリーは優しいから、どんな理由でも怒りはしないよ。なぜなら、今のチアリーが君に向けるのは憐れみだからね」
 父親は極めて穏やかな口調で淡々と告げた。
「うわ、父さん性格わっる……」
「父さんは昔からあんなだぞ? いまさらじゃないのか? というかお前もだいぶ似たところがあるような気がするが……」
 グレンがさらに追い打ちをかけると、イリヤはすっかりと黙ってしまった。エメルもまた、この状況で事情なんて言えるわけがない。そして、グレンの言い様にはイリヤやエメルのことを嫌っているチアリーですら思わず口に出してしまうほど意地悪いセリフに映ったようだ。フレッドは父親は普段からあんな調子だと言うが、フレディやチアリーもまた順調に両親に似てきていると気づくのはいつになるだろうか。
 喧嘩を売らなければいけない事情なんてのは『チアリーとかいう娘のせいであなたは分家での暮らしを強いられてる、と母親にそそのかされたから』などという理由では、本当に憐れまれるだけだ。
 エメルとイリヤが何も言わないのを見て、グレンはため息をついてから続ける。
「その、なんだ。何を以って恥とするかは人それぞれだし、確かに血が繋がっていないとはいえ兄妹で結婚だなんていうのは恥なのかもしれないが……私は、イリヤの子供に家を任せるのは少し問題がある気がするぞ……えっと、イリヤの子供は女一人、男二人だったね? 女は一人だから、エメルしか家を継げる候補はいないのだろう?」
 グレンに理路整然と言われてしまい、イリヤは気まずそうに口をもごもごさせている。助け舟を求めるように話し合いを静観していたチアリーとフレッドの祖母。イリヤとアメリアの母親であるムクホークのアリスへ視線を向けると、ゆっくりとうなずきながら口を開いた。
「正直なところ、どちらの言い分にも一理ある。どいうかイリヤ……そもそも、グレンはイリヤと結婚する予定だったのに、あなたの性格が悪すぎるせいでアメリアとの婚約に切り替えたのを忘れてやしないだろうね? 全く、長女を大事にしようと思って甘やかしたのがまずかったの気ね……正直な話、確かにチアリーがろくでもない男をつかんでしまったらと思うとぞっとするけれど、イリヤにそっくりなエメルに家を任せるとしたらそれはそれでぞっとするよ」
 情けない、と言わんばかりに祖母はため息をついた。
「そう考えると、多少の恥を忍んででも、フレッドとチアリーに結婚させた方がましなんじゃないかとも思うよ。幸いなことに、一応血は繋がっていないからね。だが、血が繋がっていないという事は、チアリーがどこかの誰かと結婚すると、我が家は名を守れても血は守れなくなる……」
 アリスの選択肢は三通り。このままチアリーに良縁が舞い込んでくるのを待つか、分家筋のほうに家を継がせるか。もしくはフレッドとチアリーの結婚を許すか。
 一つ目は、ろくでもない男が迷い込んでくる可能性が高いという事。前述の通り、海賊の娘という得体のしれない血を継いだチアリーを、きちんとその人自身として見てくれるものが現れればいいのだが、その可能性は薄そうだ。
 二つ目は、今現在その最有力候補となるエメルが頼りないのが問題だ。もう少しさかのぼった分家筋に継がせるというのも一つの手だが、それをやるとさらに醜い争いが始まることは目に見えている。あまり大ごとにはするべきではないだろう。
 三つ目は、いくら血の繋がっていない養子だからと言って、兄妹で結婚というのはどうなのか。
「難しい問題ね。まさか、私の娘が二人とも失敗作だなんて……」
 アリスの物言いに、この場にいる全員が、ムッとする。
「それは、貴方の血がろくでもないだけでは? じゃあ、私が代わりに成功作になります」
 その時声を上げたのがチアリーだ。
「……ふん、養女の癖に、生意気だねぇ」
「自分の娘を失敗作と言って憚らない方に言われたくないです。丁度いいじゃあないですか、私は貴方の血を引いていませんよ? 失敗作の娘じゃなくってよござんしたね!?」
 アリスに鋭い眼差しを向けられてもチアリーは全く目をそらすことなく睨み返して見せる。傷つけば弱気になる彼女だが、元気なうちは強気でいられる。
「母様、こんな無礼な孫娘なんかよりも、私の娘の方を後継ぎに……ほら、エメル。貴方もなんとか言いなさい」
「え、その……私は……」
 エメルが自身の母親に促されて何かを言おうとしたとき、アリスは大きな翼でテーブルを叩く。風圧と振動で置いて当た紅茶がこぼれ、クッキーが舞った。
「イリヤ。他人をこき下ろしたからってあんたの娘が良くなるわけじゃないよ? イリヤはいい加減、自分を立てるために他人を貶めるのを直しなさい」
 イリヤがチアリーを下げる発言をするも、アリスはそれをバッサリと切って捨てた。イリヤの娘、エメルも祖母ににらまれ硬直する。
「それにしても、エメルを下げるよりも私に噛みつくなんて、割と根性座ってるね? あんた、私が怖くないのかい? その気になればあんたを追い出すことも、心ひとつで可能なんだよ?」
「どうせ、いまさら捨てられようと、学んだ学問と鍛えた体は裏切りはしません。たとえここで放り出されて、家を継ぐより暮らしのレベルは落ちようとも、一般市民よりかははるかに良い生活は保証されておりますゆえ。そんなことよりも、私を追い出したら、せいぜい優秀な後継ぎの心配でもするんですね!」
 半ば虚勢も入っていたが、チアリーは母親を馬鹿にされて退くつもりもなしに言ってのけた。しかしながら、アリスは怒るよりも先に口元に笑顔を浮かべてみせる。
「……私ね、この姿に愛着あるのよね。私のお婆様の代から続くこの姿。私の祖母は若い頃は、優秀な探検隊でねぇ、その後ダンジョンで鍛えた力を活かして兵士になって、戦場でも縦横無尽に駆け抜けて、それで……女の子が産まれずに後継ぎに困っていた男の元に嫁に行った。
 ムクホークの姿がバニラ家を象徴するようになったのはそれから。なんせ、お婆様は夫よりも強く、勇敢な女だ。スラムに生まれて、何も持たずに成長していった小娘が、いつの間にか大出世さ。一応は家長であるはずの夫の存在なんて霞んじまって、それまではチルタリスがバニラ家を象徴する姿だったのに、彼女が象徴を変えちまったのさ。
 そうやって、時代はどんどん変わっていく。昨今は不思議のダンジョンが増え、ダンジョンからは豊富な物資が取れるおかげもあって、戦争や軍隊なんてものも過去の出来事になりつつある。軍人として戦場を翔ける夫を支えるのが妻の役目のはずなのに、私もアメリアもやっていることは自分の家の商売を守ること。いつの間にか軍人よりも商人の方が本業だ。
 もう、この姿への愛着にすがるのも終わりを迎える時期なのかもしれないねぇ……寂しいけれどこれも時代の流れさ。というわけで、チアリー」
「はい、何でしょうか?」
「あんたが、兄と結婚するのを恥ずかしくないならそうしなさい。あんたが、このバニラ家の時代を変える象徴になりなさい」
 チアリーは驚き、目を見開く。
「え、いいのですか?」
「あんたを見ていると、お婆様の武勇伝を思い出すよ。スラムに生まれて何も持たずに生まれてきた女でありながら、このバニラ家の当主になった女傑の話を」
「でも、私は……いろいろ持って生まれてきましたし。そんな、偉大な先祖様と比べられたら……少し、委縮します」
「そうかもね。でも、貴方が立派っていうのは間違いないんじゃないのかい? イリヤの子供は……エメルだって弟のガルドやダルスだって、貴方に劣りはするが、これで割と優秀な方だ。みんな狭き門の学校に入っているあたり、それだけで実力が証明されている。そんな優秀な奴らを相手どって、負けない、退かない貴方は、いったいどれだけ優秀なことか」
 先ほどまでとは一転してべた褒めされて、チアリーは戸惑いがちに目を泳がせる。
「そんな、チアリーが時代を変えるだなんて、私が納得できるわけないでしょう、お母様!」
 そんなチアリーのことなどお構いなしにイリヤが声を張り上げる。
「じゃあ、どうすれば納得するというんだい、イリヤ?」
「チアリーが、ひいお婆様と同じくらい優秀だって証明しなさいよ! その辺の男よりもずっと優秀だって!」
 イリヤが声を張り上げる。黙って聞いていたフレッドがくすくすと笑っていた。
「なんだ、それだけでいいのかい? だが、『その辺の男』ではちょっとばかり基準が不明だな。納得のいく良い例を出してはくれないかい? その条件なら、チアリーは簡単にやってのけると思うよ」
「え、そうなの? いやまぁ、その辺の男よりも優秀だって証明くらいなら出来ますけれど……」
 兄の勝手な発言に戸惑いつつも、チアリーは出来るとこともなげに答える。
「じゃあ、私の息子に勝って見なさい! 出来るんでしょ!?」
「いや、その。出来るとは言ったけれど、息子さんというと、ガルドのことですよね? あの子が通っている学校は空軍養成の学校……通う学校が違いますよ? 私はその、商売を学べる学校に進学しようと……」
 ガルドといえば、学年で言えばチアリーの一つ上。彼が入学している学校は、フレッドと一緒に
 イリヤのやけっぱちな提案を聞いて、チアリーは呆れ気味だ。
「……でも、それで満足するなら、そうしますよ。ってことで……いいかな、母さん? いいのかな、それで? いや、ダメだよね、普通に考えて……学校」
「うーん、どうかしらねぇ……貴方、学校が休みの時期は私の商売を間近で見ているし、その腕も目を見張るものがあるのよね。出来ればその才覚を学校で伸ばしたい気もするけれど……貴方はどうしたいの?」
「私、昔っから喧嘩っ早いから自覚してるけれど、戦うのはその、嫌いじゃないからね……実は、少しだけ軍人養成の学校ってのには心が引かれてる。学校に行っても、趣味でバトルは続けようと思ってたくらいだし。うーん、でもねぇ、将来を左右しそうな重大なことをこんな勢いだけで決めるのも……」
「何よ、あんたらそろいもそろって私の息子に負けるなんて思ってもいないって調子で……っていうかねぇ! 今私の息子が通っている学校だって、商売を学ぶ学科くらいは選択できるから! それ専門の学校には劣るけれどねぇ! だから逃げるんじゃないよ!」
「……そうなの、兄さん?」
「そういえば、あったような、気もするなぁ……今時、軍人は軍役だけじゃ大した仕事がないからって、軍人も商売をたしなむようになった今の時代に合わせて、商売のことについて学ぶ学科があったような……うん、あったな。友達がそっちの学科を学んでた」
 フレッドの言葉を聞いて、チアリーはしばしの沈黙。
「うーん……なら、やろう。もちろん資料はきちんと熟読したうえで、だけれど。いいよね、母さん?」
 チアリーはそう言って母親を見る。
「言ったわね!? 息子には絶対に負けないように伝えておくから!」
 母親よりも先にイリヤが声を上げた。母親は仕方ないわねと言わんばかりにため息をつきつつも、イリヤが喋り終わるのを待って口を開く。
「チアリーがそうしたいのなら好きになさい。でも、負けたら私たちは分家落ちよ? その覚悟はしておいてね?」
 結局、話し合いはチアリーが空軍養成学校に入るという方向で纏まる。ただ、これは婚約破棄の話がまとまったときの話であり、そもそも婚約破棄を行わなければいけないわけだが……。


 その後三つの家族を交えた話し合いでも、アンナの親であるブライスター夫妻はワイズマン家のクラウベルとの婚姻ならば問題なかろうとフレッドの婚約破棄を了承し、ワイズマン夫妻もアンナが相手ならばと乗り気のようだ。
 しかし、その際に感じたワイズマン夫妻やブライスター夫妻の視線の痛いこと。憐れむような、気の毒なものでも見るかのような視線は、野盗退治の任務で敵から殺気を向けられるよりもよっぽど居心地が悪い。
 話し合いも終わり、メイドたちが紅茶や茶菓子の後片付けをしている様子を眺めながら、フレッドはチアリーに目をやる。
「なあチアリー。あいつらの視線、どうだった? 居心地悪くなかったかい?」
「正直、いい気持ちはしませんでしたよ、兄さん」
「……なんというか、血が繋がっていなくとも妹と結婚するというのは、あちらさんもいい気はしなかったみたいだね。そんなことを計画しただけでも、婿に入れたくない相手として……私は認識されたのかもしれないね。いやはや、私は変態という認識か……これはまいったね」
 フレッドはその視線の気持ち悪さに込められた意味を推測し、身震いする。
「ブライスター夫妻が婚約破棄を認めたのは、兄さんを嫌ったわけではなく、アンナさんの幸せを考えてのこと……だといいのですがね。なんというか、私と結婚したいっていう兄様のことをさげすんでいるかのような雰囲気も感じて……早く帰りたかくて仕方なかった」
 その際の嫌な視線を思い出してチアリーもまた身震いする。
「だね。結局、婚約は破棄されちゃったからもう後には引けなくなっちゃったけれど、私とチアリーが結婚するという事は、ああいう視線にこれからもずっと。そして今以上の人数から感じなければいけない時が来るという事だ。それに耐えるには、相当の度胸と器量がないとね。 イリヤおばさんはガルドの奴に成績で上回ればいいって言っていたけれど……それだけじゃだめってわけだ」
「もとより、覚悟の上ですよ。空軍養成学校に入れば、度胸の一つや二つもつくでしょ」
 チアリーは力なく笑みを見せた。
「うん、いい答えだねチアリー。さて、婚約破棄はしてしまったわけだけれども、まだ私がチアリーと本当に結婚するかどうかは決まってない」
「まぁ、成績がガルドより下だったとしても、分家筋に落ちるだけで結婚自体は出来るかもしれないんだけれどね……」
「そ、それはそうかもしれないけれど、その……それでいいの、チアリーは?」
「もちろん、駄目よ。せっかくなら、私たちの手で、このバニラ家を支えていきたいじゃない?」
「だよね。それなら、これからチアリーは狭き門のテストを通過するために、勉強も格闘も大いに頑張らなければならないわけだ。
 ちょっと気が早いかもしれないけれど、今からもう動き出した方がいいんじゃあないかな?」
「そうですね、兄さん。さっそく勉強しないと。家庭教師を呼んで……」
 婚約破棄だなんて、人生にそう何度もないような出来事を体験した余韻に浸る間もなく、チアリーは勉強を始める。とはいっても、彼女は今までの人生でまじめに勉強とトレーニングを重ねてきたこともあり、もともと優秀だ。
 一流であることが求められる空軍候補生を育成する学校においても、その実力はいかんなく発揮され、あっけなく合格は決まってしまう。とはいえ、体力テストや学力テストの順位がどこかに張り出されるわけでも無いため、彼女の順位がどれほどのものであるかはわからないが、フレッド曰く『上位だろう』とのことであった。

 ともあれ、入学を決めたチアリーは、入寮開放日に合わせて、最低限の荷物とともに学園の寮へとたどり着いた。
「しかし、女子寮の狭いこと」
 空軍候補生養成学校の女子寮は、男子寮の五分の一ほどの広さしかない。とはいえ、今年の合格者は男子の七分の一ほどだったため、本来二人部屋として使用するべき部屋には空きが出ている。そのため、チアリーには希望があれば二人部屋を一人で使う権利が回ってきたのだが、これを許されるのは上位の成績を収めた者のみの特権であった。どうやらフレッドの言う通り彼女は『上位』の成績であるようだ。
 チアリーとしては、こうして寮生活をするために、メイドに頼らない生活を一か月ほどやっていたが、今まで勉強と戦闘の訓練以外では甘やかされていたチアリーは、掃除にもベッドメイクにも大いに苦労させられたものだ。そして、一人だとどこまでもだらしなくなってしまうため、彼女は一人ではなく、二人部屋を二人部屋として使うことを了承した。監視の目があれば、まだ頑張れるはずだ。
 当然、男子寮とは敷地は別れているが、空軍故にほぼすべての生徒が飛行で出来る((一部ドラゴンタイプの場合進化が遅れていることが多い))ため、夜間の監視はドンカラスのような夜眼の利くポケモンの存在が欠かせない。それでも毎年のように不純異性交遊のようなものが発生しているらしく、監視の目を盗んで異性の寮に侵入する能力も、空軍として必要な技能というのが卒業生の弁であった。

 寮で荷物の整理をしていると、同室の子も入寮してきて、チアリーは互いに自己紹介をする。
「チアリーさんはあのバニラ家の子なのですね。その名声はこちらにも届いておりますよ。私の名前はアンザス家のアナスタシア。アーニャと呼んでくださいませ」
 ルームメイトになったのは、レモン色の派手な翼、杭のように鋭い嘴、そして常に帯電する羽毛。威厳のあるその風貌はサンダーの女性であった。
「サンダーといえば伝説のポケモンですよね? 自分の周囲のみならず、周辺地域の天候すら変える力があるという話ですが……」
「その気になれば町一つくらいの天候なら変えられるんですが……しかし、今じゃただ伝説のポケモンとして生まれても、全然だぁれも尊敬してくれないのですよ……お爺さま曰く、若い頃は山奥に住んでいれば、それだけでみんながもてはやしてくれたり供物をささげてくれたとかって話ですが、私の頃はもう全然です。
 町とかで当たり前のように暮らす伝説や幻のポケモンが増えたせいもあり、私たちの威厳も落ちぶれちゃったものですよ……昔は良かった……のかなぁ?」
「は、はぁ……それは、大変ですね」
「だもんで、親から『みんなで根性を鍛えなおして強さを見せるんだ!!』……なんて目標掲げられてしまって。私もこうして空軍に入れられてしまって」
「今時の伝説のポケモンって、そんなに世間の目は厳しいんですか?」
 挨拶からいきなり愚痴に入るアーニャに苦笑しながらチアリーは問う。
「天文学者のジラーチやら、探検隊をやってるビリジオンとケルディオの二人組とかいるし、もはや伝説であることに価値を感じない人が増えて来てね……それでも、巨体を誇る神に等しき伝説の方々ならばまだ希少価値はあるのだけれど……例えばエイク空軍の紋章に使われているパルキアとか……」
「まぁ、かの伝説のパルキアがもし目の前に現れたらひれ伏すしかないですよね……」
「そ、逆に言えば貴方が私にひれ伏さない時点で、もはやただの伝説なんかよりも武勲を建てた家の名前の方がよっぽど威厳があるってことよね……」
 アーニャは思い切りため息をついて項垂れる。チアリーはここでひれ伏すべきか、それともひれ伏さないべきか考えたが、今さら遅いと考えてそのまま何もしなかった。
「まぁまぁ、この学校でいろいろ学んで強く賢くなって、名を上げればいいんですよ……その、名を上げるための戦も最近はないですけれど……」
「そりゃあね、エイクは資源も物流も、ダンジョンも豊富な国ですけれど、攻め込みづらい国ですから。大陸の国、セイランの盾となる国ですし、こんな島国一つを攻め込むだけでもエイク軍はもちろんセイランの軍も援軍に来るから、二か国分相手にしなきゃならない。大洋を超えてこのエイクにたどり着くだけでも大変で、補給もままならない状況で二国を相手にできる国だなんて。そうそういないわけで……
 だから、航海技術に何か劇的な変化が起きない限りは、この国に戦争なんて起こらないのよ……私たちにできることは、海賊や退治や山賊退治で国の治安を守ることのみ。誇り高い仕事だけれど、地味よね……」
「地味でも大事な仕事であることには変わりないじゃないですか?」
「はー、私は探検隊にでもなればよかったかな? そこで活躍すれば私が伝説のポケモンであることを皆思い出してくれるでしょ?」
「ははは……どうでしょうかね? 案外、誰も気にしないんじゃないでしょうか? 『ふーん、伝説のポケモンが探検家ねぇ?』って感じで」
「そこはお世辞でも肯定してほしかったわ……厳しいのね、チアリーちゃん」
「そ、そんなことを言われましても」
 アーニャはどうもすっかり自信を喪失しているようで、伝説のポケモンという肩書に名前負けをしているような現在の状況がたまらなく自尊心を傷つけているようであった。ただ、こればっかりはチアリーには応援することしか出来ないし、気休めを言ったところで結局彼女は意気消沈してしまいそうな気がする。
 最初こそ伝説のポケモンと同じ部屋で生活できるなんてすごいと思って小躍りしていたが、なんだか面倒な性格の者と一緒になってしまったと、チアリーは逆に先行きが不安になってしまった。
 ともかく、今日は入寮準備日であり、入学式は明後日だ。それまでの間は各自自由行動であるため、男女どちらも使用できる共用スペースへと赴くのだが……

「おう、新しい女がやってきたぞ。やー、上物じゃないか」
 二人で広場に赴くと、すでに多くの男が待ち構えておりその人だかりの中心に泣いている女性がいる。下品そうな声を出しているのはウォーグルの男。あまりに態度が悪いので、声だけでなく顔まで下品に見えてくる。
「あれは……何をやってるのかしら?」
 泣いている女子たちを見ながらチアリーが問う。
「あいつらちょっと手を出してやったら泣き出してよ。いやいや、面倒だったらありゃしねえ」
 下品な笑みを浮かべながらウォーグルは言う。よくよく見れば、このウォーグルは体中のあちこちを怪我しているが、喧嘩でもしていたのだろうか?
「手を出すって何よ? まさかみんなで寄ってたかって暴力をふるったんじゃないでしょうね?」
「暴力だなんて振るってねえよ。だがな、こんな男ばっかりのところに来るってことは、好きものなんじゃねえかってよ、体を触ってやっただけさ。お前らもどうだ?」
 いいながらウォーグルの男の翼が胸へと伸びる。油断していたこともあって反応が遅れた結果、翼の先が自身の胸に触れるのを感じて、慌てて払いのけた。
「な、なにしとるんじゃワレェ! そがぁなことしてあの子泣かせたんか!?」
 一瞬で警戒心が最大限まで高まったチアリーは威嚇の態勢をとってにらみつける。思わず、最近使っていなかったエイク訛りまで出てしまう始末。
「いいじゃんよアーケオスの姉ちゃん。減るもんじゃないんだから怖い顔するなよ? そんな顔してると、ちょっと乱暴なことをしちゃうかもよ?」
 ウォーグルの男が舐めるような眼をしてチアリーのことを見定めていると、突如そこに走る電撃。耳をつんざく轟音とともに、起こす文字も思い浮かばないような濁った声を上げてウォーグルの男が痙攣しながら倒れ伏す。
「例えばこんな風に? って、聞こえないか……こら、そこの男ども!」
 真っ先に手を出したのはアーニャだ。彼女お得意の十万ボルトは、油断していた名も知らぬウォーグルの男をたやすく気絶させた。彼女はウォーグルの体を雑草か何かのように踏みつけながら、ずんずん歩いていく。
「寄ってたかって女遊びとはずいぶんといい御身分ですねぇ? そんなにお触りが好きなら、今度は私から触ってあげましょうか?」
 アーニャが言いながら歩いていくと、今回の騒動を引き起こした張本人と思われるアブリボンの男が不敵な笑みでアーニャを見つめている。
「やぁ、それは嬉しい。頼むよ」
 アブリボンの男はアーニャに一切恐れを抱くことなく、ぬけぬけと言ってみせる。体長は二〇センチメートルよりも少し大きいくらいだろうか、大きくくりくりした目や、マフラーのような首元。淡い山吹色とクリーム色の体色が愛らしくかわいらしい、およそ軍人とは程遠いイメージの男だ。
「……あんたがこの女の子たちを泣かしたの?」
「そうだよ。触られるのが嫌なら、別に俺達を殴ってもらってかまわないって。あの子たちには言ったんだけれどね。こっちも殴られたくらいじゃ反撃しはしないって言っているのに、何を怖がっているのやら。あいつら殴り返してくることもしないから、みんなで好きなだけ触っていたんだよ。けれど、なぜか泣き出してしまってね、困ったことだよ」
 すかした口調で語るアブリボンは、アーニャのほうに近寄る。アーニャはサンダーとしては大柄で、身長約1.7メートルほどある。対してアブリボンの男は20センチメートルより少し大きいかどうかというほどの小型のポケモンだ。その体格差のおかげかアーニャが彼を睨んでいるといじめに見えてならない。
「じゃ、そういうわけであんたも嫌だったら……殴るなりなんなりすればいいのさ」
 言い終わる前に、アーニャの嘴が前に突き出され、アブリボンの男の翅を掠める。
「そう、それでいい。軍人なんてのは敵に囲まれても気丈にふるまうようでなきゃ務まらない。女だってそうさ」
 偉そうに言っている間に、アーニャの翼が彼を叩き落とさんと振りぬかれる。それもひらりと躱されて、アーニャは面白くなさそうに舌打ちをしては、相手を精いっぱいににらみつけた。
「ひゅう、このお嬢ちゃん、ファイアーでもないのにすげえ眼力だ。それに殴り返してくるし、こりゃ参ったね。あんたはどうも好きものじゃないみたいだ」
 言いながら、アブリボンの男はアーニャの近接攻撃の間合いから外れた位置まで後退する。
「で、あんたはどうなんだい? 男に負けない気概はあるのか?」

 同様に、アブリボンの男はアーニャの横を通り抜けてチアリーのもとへと飛んで行く。チアリーは近寄ったらぶん殴ってやろうと、翼に付いた爪二つをこすり合わせて研ぎ澄ます。
「どうやらやる気満々のようだね」
 言いながら、アブリボンの男がチアリーの間合いに入る。爪を研ぐことで精神が研ぎ澄まされたおかげで、チアリーの攻撃は狙いまで研ぎ澄まされており、その危険性は戦いの基礎を学びさえすれば容易にわかる。だが、アブリボンの男は臆することなく彼女に近寄り、甘んじて彼女の一撃を受け入れた。
 振りぬかれた翼がアブリボンの男を吹っ飛ばす。しかし当たりはしたが、アブリボンを殴ったにしてあまりに軽い手ごたえに、チアリーはダメージを与えられた気がしなかった。
「いいね。来ることが分かっていなかったら殺されるところだったよ」
 案の定、彼はあまりダメージを受けていない。口を開けたときに緑色の血液が滲んでいたことを考えると、口の中を切るくらいのダメージは与えられたようだが、余裕の表情を見る限りはまるで応えちゃいないのは明白だ。
「翼で打つ……虫タイプには効果は抜群のはずなのに……」
「そりゃね、当たらなければドラゴンクローも翼で打つもおんなじよ」
 アブリボンの男は得意げに語る。その彼の後ろに、アーニャが迫っていた。
「そんなことはいい。女の子を泣かせるとはいったいどういう了見かしら?」
 ドスの利いた声で、アーニャに後ろから語り掛けられても、アブリボンの男は一切慌てることなく振り向き、不敵な笑みを浮かべる。
「おいおい、ここにゃ『女の子』なんていないはずだぜ? 女はいても、戦士であることは変わりない。逆に聞こう、なぜ戦士でもない奴がここにいる? 男に体を触られることを甘んじて受け入れて、ただ泣いているような役立たずなんぞこの学校にはふさわしくない」
「それは、その……」
 アブリボンの男にまくしたてられるとアーニャは言葉に詰まった。
「ところで、そのサンダーとアーケオスのお嬢ちゃん、名前は? 俺は見ての通りアブリボンの、ケルヴィンっていうんだ。セルシウス家の長男でね、結婚したらグリム家の婿になる予定さ。よろしくな」
 ケルヴィンが名乗るので、二人も渋々ながらケルヴィンに名を名乗り……。
「そんなことよりも貴方! この二人にひどいことしたんじゃないのかしら?」
 チアリーがケルヴィンに詰めよって問う。
「ひどい事ねぇ……上半身に触ることと、囲むこと以外は誓ってしてないさ。この家の名を汚すわけにはいかないからな……誓って、それ以上のことはやっていないし、やらせていない」
「どういう意味じゃ?」
 チアリーが更に問い詰めるも、ケルヴィンは表情を変えることなく言う。
「下品なこいつらだって、リーダーの俺よりはひどいこと出来ねーだろ? リーダーが押さえつけてなかったら、奴らもっと過激なことをしたかもな?」
 ケルヴィンはあまり要領を得ないことを言って、涙ぐんでいる二人の方を見た。
「そこのお嬢ちゃんたちは、もう少し強気で男に歯向かうだけの度胸を着けるように言っておくんだな。今みたいに弱気な状態じゃ、俺のいないときに男に囲まれたら、何をされるかわからねーぞ?」
 ケルヴィンに警告された二人はビクリと体を震わせた。その様子を見たケルヴィンがやれやれと肩をすくめた。
「おい、お前ら……俺はもう部屋に戻るが、くれぐれも俺のいないところで女たちに手を出そうとするなよ?」
 アブリボンの男の呼びかけで、女の周りをかこっていた男たちもばらけだす。囲まれていた女たちはほっとしたような表情を見せて、その場にへたり込んだ。
「まて、そのまま逃がすわけないだろ!」
 アーニャがケルヴィンを追いかけようとするが、チアリーはそれを、尾羽を軽くつまんでやんわりと止める。
「何じゃ、チアリー?」
「アーニャ、よく考えるとあいつの言うことも正論だよ。あいつは確かに私たちに殴られても、何の手出しもしなかった。約束は守ってたんだ」
「でも、男に囲まれて体を触られたりなんてしたら、普通の女の子は抵抗できないでしょ?」
「だから、普通の女の子ではないのでしょ? ここにいるのは軍人の候補生ですよ? 抵抗できない女性は軍人に向いていないってのは確かだと思います……」
「……じゃあ、あのケルヴィンとかいう奴は、女子生徒の軍人の資質を確かめていたとでもいうの?」
「それともちょっと違うような気がするなぁ……なんか、あそこにいた奴ら、ケルヴィン以外の奴は全員怪我していて……ケルヴィンだけは無傷だったんだよね」
「つまり?」
「あのケルヴィンとかいう奴が、文字通り他の男たちを抑えていたんじゃないかって、思ってるの。それも圧倒的な強さで……爪とぎした私の翼で打つ攻撃を避けるとか、ただ物じゃないよ」
「……確かに、そうね。あのケルヴィンとかいう男、他の男たちを統率してた風だし、抑え込んでいた……か。あり得なくはないか?」
 男たちの悪ふざけを監視して、やりすぎないように目を光らせていたとしたら。あれだけの人数を従えるだけの実力があるという事だ。文字通り、ただ物ではない。
「何にせよ、今はそんなことよりも、あの子たちを何とかしてあげなきゃね……貴方たち大丈夫?」
 へたり込んでいた女性を見ながら、チアリーが優しく話しかける。プテラとコモルーの二人組は涙ぐみながらこちらに縋り付いてきて、チアリーはそれにどんな顔をすればいいのか分からなかった。
「はぁ、あのアブリボンの言うとおりですね。あなた方も軍人を目指すなら、女性であってももっと強くあるべきですわ」
 チアリーは頼りない二人に苦言を呈すも、二人の表情は依然曇ったままだった。
「そんなこと言ったって、親にこの学校に言われて……無理やり入らされて……勉強も体力テストも問題はなかったんですけれど、でも戦いは怖くって……」
 コモルーの女の子がめそめそしている。
「強くったって、こんなに四面楚歌じゃ戦えないよ……」
 プテラの女の子も泣き言を言っている。そんな弱音を吐いている状況では、この先この学校でやって行けるのか不安で仕方がない。
 だが、もうお世話も必要ない状況だろうしと、チアリーはため息一つでこの話題を区切り、自己紹介を始めた。
「ま、そういう風に泣くのは後にして……私の名前はチアリー。バニラ家のチアリーです。あなた方の名前は?」
「私はゼナ。ノリス家のゼナです」
「あ、私は……アンジェラ。ベルクマン家のアンジェラです」
 プテラのゼナ、とコモルーのアンジェラはそれぞれ自己紹介をして、次にアーニャを見る。
「私の名前はアナスタシア。アーニャと呼んでくださいませ。私も親に言われてこんなところに入らされたけれど、でもね、やるからにはちゃんと上を目指すよ。貴方たちも、軍人になるなら覚悟しなさいな。そんなんじゃ、いつか男たちにいいようにされてしまいますよ?
 夜に部屋に忍び込まれても知らないからね?」
 男たちに対して憤りつつも、やはりアーニャ自身思うところがあるのか、語気こそ強くないものの言うことはチアリーやケルヴィンと同じ。泣いている女性たちにもう少ししゃんとしろという事であった。

 その後、二日かけて先輩学生とのあいさつを済ませた後、チアリーの一つ上の学年で、男子寮にいるガルドへの宣戦布告を行う。
「なんかなぁ、俺の母さんがすまないな……あんなろくでもない奴で。俺も、自分自身がいい縁談を呼び込むためにも、手加減というか手を抜く気はないけれどさ……ま、がんばれよ」
 ガルドは、父親似のヨルノズクの姿をした男で、チアリーの一つ上。チアリーの三つ上のエメルと比べると、幾分かまともに育っているようで、姉よりもずっと賢く性格もまともだ。
「っていうか、あれよね、貴方って私に頑張って勝ったところで、母親からは何の見返りもないのよね?」
「言うなよ……もともとお前との勝負だって母さんが勝手に言った事で、俺の意思とは全くの無関係なんだしさ。俺の意見なんて聞きやしない」
 これだから母親にはついていけないよと、ガルドはがっくりと項垂れる。
「母さんは高望みしすぎるから、俺の縁談も全然纏まらないしさ……もう、俺この学園で仲良くなった女と駆け落ちしたい気分だよ……」
「駆け落ちって……そんなことやったら、私たちの恥なんてはるか上に通り越した大恥なんじゃ……?」
「相手は三女だしなぁ、気楽な立場みたいだし……俺は婿入りする立場なんだから、ある程度自由でもいいと思うんだけれどね。母さんが三女との結婚なんて許すかどうか……」
 こうして、親元から離れて家の目を気にしないところで話してみると、意外な本音が聞けるものである。ガルドの母親に対する愚痴や、母親に全く頭が上がらない父親に対する愚痴。それらは延々と聞かされてもなお尽きない。
「そうだ、この話知ってるか? うちの母さん、あんたの父さんが『妹の方がいい』って言った時さ、色仕掛けで何とかしようとしたらしいぜ?」
「父さんに体で迫ったってこと? イリヤおばさん、それを子供に話すってどうなのよ!?」
「『美人の私よりも、冴えない顔したアメリアを取るだなんて、グレンは目が腐ってるんじゃないか』とか、酒に酔って時にまくしたてるんだよ……もう酒癖悪くって……お前の母さんと交換してくれよ……」
「あ、あれは、無理。イリヤさんは無理、私には無理」
「だよなぁ……それで、俺もこの学校、最初はメイドがいなくって大変だったけれど、段々慣れて来たらこっちの方が居心地よくなってきちゃってさ。母親には『寮で同級生たちと勉強や演習をした方が自分を鍛えられるから!』って言って、夏休みの最中もここに入り浸るようになったわけ……おかげで入学当初よりずっと成績上がったよ」
「それってある意味お母さんの教育成功しているんじゃない? やる気出たんでしょ?」
 笑うべき話題ではないのに、チアリーはなんだかおかしくって吹き出しそうになるのを堪えた。その表情を見てガルドも笑われてるのを察したらしく、ため息は深まるばかりだ。
「ただし、その結果駆け落ちなんてしたら教育は大失敗だけれどな……」
「ははは……そうならないうちに、お母さんときちんと話した方がいいんじゃないかな……」
「話聞いてくれればいいけれどな。お前さんの親父や母さんはよくまぁ、母さんを黙らせられるよね。俺には真似できないよ。子供だからって、軽く見られてるからさ」
「貴方も大変ねぇ……」
「あぁ、あの母親だもの。ま、そういうことだ。俺は俺のために自分を高める。チアリーがどうとかは関係ないからさ。あんたは勝手に、俺を超えるなりなんなりしてくれ」
「うん、ありがと」
「いっそ俺はお前に負けて、母親も勘当とかしてくれないかなぁ……」
「親に聞かせたいセリフね」
「勘弁してくれ。小言が一日中続く」
 ガルドは親に参っているようで、家で見るときよりもこっちでの生活の方がよっぽど生き生きしているように見えた。話をする限り、彼を敵と認識する必要はないようだ。宣戦布告をしたものの、彼は競うつもりはまるでないようで、なんだか毒気が抜かれてしまった気分だ。

 ガルドへの宣戦布告が終わったら、初日に行われていた男たちの悪ふざけに参加していなかった男子たちとの挨拶を行った。
 夜になって門限が過ぎてからは、二人の部屋ですることといえば、配布された教科書に目を通して予習することくらいだ。家庭教師のいない状態での勉強の練習もしてはいたが、いざこうして家庭教師のいない場所に放り出されるとやはり不安で、きちんと授業についてゆけるのか、そればかりが気がかりになっていく。
 しかしいくら心配をしていても、入学式はやってくる。強面の教官がこれからビシバシしごいてやるだとか、地獄を見せてやるだとか、不穏なことを宣言して新入生を脅していた。それを聞いて空気が張り詰めるのを感じるとともに、兄の言葉を思い出す。
 『正直、初期のしごきは強くなるために必要のない、汚い、つらい事ばっかりだけれど、戦争となったら空腹や不衛生な状況に置かれることもあるから、必ずしも意味がないわけじゃないよ。まぁ、意味がなく終わってくれた方がいいけれどね』とのこと。

 入学式の翌日にはそのしごきというものが行われ、その結果……
「自慢の羽がボロボロだよ……」
 部屋にチアリーの真っ青な羽は薄汚れ、悪臭を放っている。二段ベッドの下の段で横たわっているアーニャも悪臭まみれで、いつもは帯電し広がっている羽根が元気なくしぼんでいる。
「本当に、きついわね」
 その無意味に汚いしごきというのが、最初は泥沼の中を泳がされることだった。飛行しながら森の中の湿原に赴き、濁った沼の中に入る。中には蛭やら名前もわからないような小型の昆虫やらがうごめいており、泥が滲んだ羽の中をかき分けて皮膚に取り付いては容赦なく血を吸わんと貼り付いてくる。
 今まで泥んこになって遊んだ経験がないわけではないが、それにしたってここまで不衛生な状況ではなかった。それに沼からは嫌な臭いのする泡が立ち上り、気分が悪くなっているのは気のせいではないのだろう。
 チアリーは支給されたラムの実を食べて体調を整えているが、吐き気と重い頭痛はしばらく治りそうになかった。

 空を飛べない一部の未進化のドラゴンタイプのポケモンなどは、進化のための基礎体力や戦闘訓練を重点的に受けており、そのしごきを受けたアンジェラは、同室のゼナが帰ってきても挨拶一つ寄こさないほどにボロボロに憔悴している様子だ。この学校にはいれる以上、それなりの訓練などはされている物かと思っていたが、学力でこの学校に入った者はそういうわけではないようだ。
 数日たつと、生徒たちの実力も大体把握できるようになってきた。さすがに学力も戦闘もダメというものは在籍していないようだが、その逆の文武両道という者は割と存在していて、チアリーやアーニャもその一人ではあるが、そのトップといえるのがケルヴィンだ。彼の学力は上位にあたり、それに関してはチアリーやアーニャの方が勝っているのだが、その戦闘能力はまさしく驚異的で、伝説のポケモンであるアーニャをも上回っていた。
 チアリーが爪とぎをしてもその攻撃が軽くあしらわれたことはもちろん、あの入学前の引っ越しの日はすでに、他の男子たちを力で屈服させた後だったようだ。むやみな暴力こそ振るわないが、血気盛んな若者たちが即席のバトル大会を開いたときには、相手に触れさせることなく、背後や股下に回り込んで無防備な急所を攻撃するというものだ。
 あまり攻撃力は高くなかったケルヴィンだが、的確に攻撃され続けた相手は、そのまま動けなくなって負けを認めるほかなかったそうだ。
 そういった経緯もあり、彼は一週間とたたないうちに一年生の中ではスクールカーストの頂点に君臨するようになっていった。その二番手はアーニャであり、伝説のポケモンの貫録を見せつけている。
 最初の印象こそ最悪だった彼ではあるが、あの時泣かされていた女性達が勇気を出して男たちに反抗するようになると、『そうだ、それでいい』と満足げに言っては男たちを制御している。彼は女子たちがたくさんの男子に囲まれることまでは許容しても、暴力を振るわれたり脅されたりという事は絶対に許容しない。やり方が少々強引ではあるものの、彼女らが自分で抵抗できるための力をつけると言う意味では
 数日の間に仲良くなった男子から話を聞く限り、あの日は一部の男子たちが女子生徒にちょっかいを出そうとしたそうなのだが、その際ケルヴィンは羽目を外し過ぎないように監視していたとのことである。信じがたいことに、彼はその時点で男子の中でトップに君臨していたため、男たちが上半身以外に触れようものなら制裁が飛ばしてやると釘を刺していた。
 本当ならば女子たちにちょっかいを出させるのを止めるべきだったのだが、どうにも求めるのが無理そうだったため、ストッパーとして参加することにしたのだ。
 彼が上半身。つまり胸までなら触ってもいいとしたのは、飛行グループや虫グループのポケモンの多くは胸はセックスシンボルでは無いためか、胸くらいならば許容されるだろうから、とのこと。
 ただ、もしも男子たちが本当に羽目を外した場合は、彼が出るまでもなく寮長が罰を与えることになるかと、遠くの方で眼を光らせていたそうだ。
 寮長曰く、四年に一度くらいは入学早々罰する必要があるくらいに女子生徒への被害が出るのだが、不思議なことにそれを止める男子生徒のリーダー格や、男子を殲滅しかねない実力の女子生徒が高い確率で新入生にいるから、問題になることは少ないのだと。
 その男子生徒を止める役だった男子生徒といえば、五年前はフレッドで、今年はケルヴィンとアーニャがそれにあたるというのを寮長から聞かされた。兄が褒められるくらいに強く、そして正義感も強いという事実は、チアリーにとっては嬉しいことであった。
 そして、寮長の話を聞いて、ケルヴィンへの評価も改めるようになっていた。

 入学してから一か月の時間が流れた。最初こそ全く話しかけることをしなかったケルヴィン相手にも、戦闘演習の待ち時間や食事の際に席を隣にするなどしてだんだんと話しかけるようになったおかげで、今では放課後や朝の自由時間などでもケルヴィンとの会話もだいぶするようになっている。
 彼は引っ越し開始日であるあの日のことを自分から話すことはしなかったが、聞かれればぽつぽつ話すので少しずつ彼のことも理解できた。今日も夕食の時間、チアリーはケルヴィンの席の隣にトレーを置き、会話をしたいといわんばかりに食事を始める。
 その際、話題は最初の日になんであんなことをしたのかという流れになり……
「最初はまぁ、だれが一番強いか決めようぜって、即席のバトル大会が始まって……まぁ、割と簡単に勝ってさ。そのあと、女たちが共有スペースに出るのを見て、みんなちょっかい出しに行こうぜって雰囲気になったんだ。
 その時はまぁ、『趣味の悪いことはやめておけ』って注意したんだけれど……あー、その、ね。『固いことを言うなよ』って言われてさ。俺のいないところで羽目を外されたら困るからさ。予定を変更して俺が率先して女生徒にちょっかい出したわけ」
「でも、それだと貴方が悪役になってしまうのでは?」
「あの時も言ったろ? 俺程度の悪役程度に屈するようじゃやっていけないよ。その警告も兼ねていたし。それに何より、学年で一番強い俺が上半身を触る以上のことをしなければ、あいつらも下半身を触るとかそういうことはしないと思ってたんだ」
「もし、貴方よりも先に女の子の下半身を触る奴がいたら?」
「ぶちのめしてた、かな? そこまでやる奴がいなかったのが幸いだ……あー、でもさ。あの時の『ここに女の子はいないはず』って俺の言葉のおかげか知らんが、あのコモルーとプテラの女の子、最近頑張ってるみたいじゃん? 男子にも積極的に話しかけているし、戦闘の演習でも少しずつ反撃できるようになっていたし」
「多分、貴方よりも教官のしごきが原因ではないでしょうかね? 最初のころは口もきけないくらいに疲れていましたし。でも、結果的にはあなたの言っていたことを理解できていたようで……あの二人も、男に囲まれたくらいでひるんじゃったら軍人やっていけないし、今更家に逃げることも出来ないしって、腹をくくってるみたいで。最近は顔つきも変わってるの、まるで別人だと思う」
「それでも、まだあまり強くないみたいだしな……。あんたら二人は強いんだから、なにか度胸だけじゃどうにもならなくなったときには助けてやれよ?」
「そうなったら貴方も助けなさいよ、ケルヴィン」
「お前さんが俺に告げ口することも、助ける手段の一つだ。もちろん、教員や寮長に相談を促したりするのも、何かあった時に証拠を取ってあげるのも助けることになる。女子同士の方が近くにいることが多いんだ、俺のいないところで何か起ったらお前が助けてやれ」
「む、そういわれると、そうか……」
「近くにいるってことは、大事だぜ?」
 確かに、ケルヴィンの言う通り女子たちの近くにいるのは同じ女子であることが多い。何かあった時、いち早く気付けるのは自分たちだという事を鑑みれば、ケルヴィンの言うことはもっともだ。
「それで、チアリーよ。あんた、戦闘面では男子からも一目置かれているみたいだな?」
「調子がまちまちだから、安定していないよ。貴方とは大違いね」
 チアリーはといえば、彼女は戦闘面において高いポテンシャルを発揮していたが、しかしそれも自分が無傷であるときのみ。彼女はある程度ダメージを負ってしまうとすぐに弱気になってしまい、踏み込みが甘くなってしまうのだ。近接攻撃が得意なアーケオスでありながら、果敢に接近することが出来ず、踏み込みの甘さ故に反撃を貰ったりして押し負けてしまう。
 何とかならないものかと悩んでいるものの、生まれ持った特性はどうしようもない。
「こんなんじゃ結婚無理になっちゃうよ……」
「結婚? なんだお前、結婚相手がつかないのか? もしかして次女か?」
「いや、そういうわけじゃないのだけれど……あぁ、ちょっとこんなところで話す内容じゃないかもね」
 言いながら、チアリーは誤魔化すように黙々と食事を口に運び始める。
「この学校にくる理由は人それぞれだもんね。国のために精一杯頑張りたいって奴もいれば、田舎から上京してきて兵士として出征したいって奴もいる。あー、しかし結婚のためかぁ……あんた、いい女だと思うのになぁ? それなのに婿が見つからないのか?」
「いい女ってほんとにそう思ってるの? どうせ、タマゴグループが違うからって、適当なことを言っているんじゃなくて? 結婚しない相手ですもの、なんとでも言えるよね?」
「逆だよ、タマゴグループが違うから本音が言えるのさ。ま、そもそも俺たちの体格差で結婚したら、子育てに苦労しそうだがな……俺の母親なんてタブンネだぜ? 父さんを踏みつぶさないように苦労したそうだ。」
「……言えてる、子育てに苦労しそう。貴方は虫タイプの中でもかなり小型な方だからね。この空軍でも虫タイプの子はたくさんいるけれど……というか、この学年で一番小柄だよね、貴方。結婚相手、困るんじゃない? ってか、タブンネ? タマゴグループ一緒なの?」
「まーな、同じなんだよ、見ての通り俺は虫のグループだけれど、妖精グループも入っているからな」
 ケルヴィンの言葉を聞いて、チアリーは『どうやって交尾するんだろ?』と思わずにはいられないが、それを口に出すことは出来なかった。
「色々大変だったでんしょ?」
「あぁ、当然体格差じゃ苦労したし、俺も苦労するだろうな……けれど大きい女に抱かれるってのも悪くないと思ってる。母性にあふれて見えるからな。俺の父さんも母さんのことをそう褒めてたよ」
「なにそれ……特殊な性癖ね。私がルギアやホウオウに甘えるようなものかしら……そう思うとちょっとあこがれるけれど、なぁ……」
 話し込んでみるとケルヴィンはフェアリータイプのポケモンに多い、優しい性格の男であり、ちょっとおちゃめなところもある。兄への恋心を忘れたわけではないが、これもまた魅力的な男というものなのだろう。
 あまりに小さいためか、虫タイプの女子生徒からはあまり恋愛対象にみられておらず、むしろ守ってあげたいくらいなのに守れない強さだと、複雑な思いを抱かれているようだ。
 だがそれは、高嶺の花であるケルヴィンという男を諦めるための言い訳のようでもあった。彼にはすでに許嫁がいるのだから、彼を狙っても結婚などは到底考えられないのだから、言い訳にはちょうどいい理由だ。
 とはいえ、不倫は文化ともいえる今のご時世だけに、早々諦めるくらいならば狙って見ればいいのではないかとチアリーは思っていた。自分もこうしてここに来るまでは、愛人としてでいいからと兄を狙っていた経験があるため、ちょっと情けないとすら思う。

 そうして入学してから三か月たって、学校ではボヤ騒ぎが起きた。厳しいしごきに耐え続けたアンジェラがついに演習中にボーマンダへと進化したのだが、その際彼女は案の譲、炎を吐きながら大空を飛び回っていたため、その火が学園に植えられた木に燃え移ったというわけだ。
「誰かあの馬鹿の出した火を消せ。毎年毎年コモルーが入学するとこうだ!」
「毎年なんですか?」
「あぁ、毎年だ!」
 教官はため息交じりにそう漏らす。この学校では空軍ということもあってコモルーが入学することも、そしてこの学校での演習中に進化することも多く、こういう光景は恒例行事のようである。真っ先に動いたのはアーニャで、彼女はやれやれとばかりに雨ごいをした。そして、戦闘演習の教官であるエアームドもアンジェラを止めようと空へ行くのだが、ケルヴィンは彼よりも先に上空に飛び、アンジェラの背中に飛び乗った。固い鱗の並んだ首にとりついた彼は、興奮で背中の感覚にすら気を留めない彼女へおもむろに口づけをする。
 突如、生気を吸われる感覚でケルヴィンの存在を認識した彼女は、空中で思わずよそ見をする。まだ慣れない飛行中によそ見なんてものをしてしまえば、バランスが崩れるのは明白だ。
 気づけば地面が差し迫っていたが、もはやブレーキはかけられない。しかし、いったいどこで覚えたのやら、ケルヴィンはテレキネシスでアンジェラを空中に浮かばせる。それでも威力を殺しきれずに地面に衝突したアンジェラであったが、擦り傷程度で済んだのだから、ケルヴィンの手腕には驚かされる。
「調子に乗りすぎだよ。ほら、落ち着いて」
 言いながら、追い打ちをかけるようにケルヴィンはドレインキッスを続行している。頭を打って意識がもうろうとしていたアンジェラはそれですっかりおとなしくなり、救護室へと連れて行かれるのであった。
 このころになると、アーニャもケルヴィンとは大いに仲良くなっていて、彼がごちそうさまといわんばかりの表情でアンジェラから離れると、アーニャは翼を広げてハイタッチを要求、ケルヴィンも笑顔でそれに応じた。体格差が大きすぎるため、その光景はハイタッチというよりは、もはやケルヴィンによる体当たりだ。音もそんなにいい音はしない。
 なんとも微妙な光景だったが、以外にも歓声が上がっているあたり、二人の活躍はみんなが認めるところのようであった。

 自分はどうかというと、なんというか学業も強さも中途半端だ。上位であるのは確かだし、イリヤに出された条件であるガルドの成績と比べればはっきり上と断言できる。彼は相変わらずマイペースだから、チアリーよりも上の成績を残してやろうという意欲はないようだ。
 だから、ガルドに勝利することは難しくないだろう、これならばイリヤの条件も楽々クリアできる……のだが、しかしなんだか煮え切らない成績には、微妙なもやもやが残る。
「チアリーってばどーしたの? ため息なんてついて?」
 寮の部屋でベッドに寝転がりながら憂鬱な気分に浸っていると、アーニャがベッドに横たわるチアリーへ覆いかぶさってくる。
「ちょっと、やめてよアーニャ」
「えー、いいじゃん? たまにはいっぱいお話しようよー」
「お話するのはいいけれど、密着するのはやめよう? もう十二月だし、暑苦しいから」
「まぁ、本当ならもっと南の涼しい地方で過ごしたいところだけれど……学校に所属する以上それも無理だしね。あー……渡り鳥になりたい……で、どうしたのさチアリーってば。アンジェラが進化してから元気ないよ?」
「あー、アンジェラが進化したからとかそういうんじゃなくってね。私ね、この学校に来たのは結婚のためなのよ」
「あれ、チアリーって長女じゃなかったっけ? 長女なのに婿がつかないって、よっぽどだよ。しかもあの名門のバニラ家でしょ? 婿がつかないだなんてありえないでしょ? 私はパーティーとかで貴方に出会ったことはなかったけれど、この学校でも貴方を結構知っている人は結構多いじゃん。特にここの教員、みんなあなたのお兄さんのことを覚えているみたいだし……」
 チアリーが愚痴をこぼすと、アーニャは容赦なく心の傷をえぐるようなことを言う。
「ははは……そのね」
 これは一から説明しないといけないなと、チアリーは身の上話を始める。チアリーの母、アメリアが熱病にかかり、その後一切無精卵が出来なくなったこと。そのため、後継ぎとしての女の子が欲しくなり、そんな折に拾った卵*2に望みをかけた事。しかし、生まれが海賊に捕らわれていた女と、どこの誰ともわからない海賊の子供と思われる卵であったため、それが噂になって結婚の話が避けられていること。
 兄の許嫁は兄との結婚に乗り気ではなく、話し合いの結果円満に婚約破棄を行ったこと。そして、兄との結婚および、家長の継承権はこの学校での頑張り次第だという事。一学年上の従兄妹に成績で勝たなければいけないのだが、たぶんそれについては大丈夫なのだけれど、なんだか微妙な成績なのが気に入らないのだ。
「へー……貴方に婿がつかない理由はともかくとして、お兄さんと結婚ねぇ……イバラの道を行くのねぇ」
「私、気持ち悪いかな?」
「よくわからないなぁ。その、家族との結婚っていうのはさ、近親相姦になってしまうからタブーとされているけれど、貴方の場合は近親相姦にはならないから、別に……いいんじゃないのかな?」
「同じような事は、お兄さんにも言われているんだけれどね。でも、生物学的な理由どうのこうのではなく、やはり世間体が気になるらしくってね。一応、従兄妹よりも上の成績ならば大丈夫とは言われているけれど……周囲の余計な声を黙らせるにはやはり、それ相応の実力がなきゃいけないでしょ? 今の私で、世間を黙らせることが出来るかどうか……」
「なるほど、貴方は……自分が結婚したとして、世間からの目に耐えられるか不安なわけだ」
「そういうことだね。結婚は、もうできると思う……条件のクリアは出来るだろうし。でも、漠然とした不安があるのは、きっと世間の目とかなんだと思う。お婆様は私に時代を変える象徴になりなさいと言ってくれたけれど、そんな大役が務まるかどうかって……」
「黙らせたいなら堂々としていればいいじゃない? 結果を見せるのも大事だけれど、それ以上に堂々としていれば、いろいろ言いづらくなるものよ。だからさ、今の私みたいに堂々としてみなよ。馬鹿にされなくなるよ?」
「そういうもんなの?」
「うーん、この前の休日に、私実家まで飛んで帰ったんだけれどね。私もほら、この学年の中じゃトップクラスの成績じゃない? それで他の生徒からの信頼も厚かったりもするし、私も少しずつ……自分が伝説の存在でにふさわしい実力があるっていう自信が出てきたの。家に帰ってからは、家族にいろいろ自慢話というか、世間話をしてみたんだけれど……。
 そしたら、その時に家族には明るくなったねって褒められたの。私も学校に通った甲斐があるってものだよ。でさぁ、私も強くなったし、賢くもなった。まさしく努力のたまものだよね。それで自信がついたんだけれど……チアリーもそれでいいんじゃないかな? チアリーはほら、努力してるし、戦闘だって学業だって成績上位じゃん? もう堂々とできるだけの実力はあるんだよ。
 そんな自信のない顔をしていたら、貴方を批判したい奴は容赦なくそこをついてくるよ。痛いところを探すことだけは得意な奴っているからね」
「それも、そうですかね……?」
「あのさ、貴方が心配しているのはつまりさ、貴方が世間の目に耐えられるだけの度胸や実力がつくかどうかなんでしょ? だったら、度胸をつけることを考えましょうよ。私も、いまだにさ。心ない奴からは負け惜しみ気味に@伝説の癖に二位どまり』がどうとかって言われてるよ。悔しいけれど、相性で有利なはずなのにケルヴィンには勝てないしさ。
 でも、そういう奴に対しては『その二位にも勝てないってどんな気持ち?』とか、『君が二位になって私が三位になったら偉そうにしていいよ』とかって、笑顔で言ってやるの。そうすると、相手は悔しそうにするだけで何も言えなくなるんだけれどね。まずは堂々としていれば、大抵の奴は黙るよ」
「でも、堂々とするって言っても……強気になるには、具体的にどうすれば?」
「そうねぇ。例えば。私は貴方の結婚を応援するけれど……他の人は貴方を避けるかもしれないでしょう?」
「そう、ですね」
「でも、応援してくれる人が増えれば、これほど嬉しいこともないじゃない? だからさ、誰かに自分からあなたのことを話して、応援してもらうの。私は、みんなが私を応援してくれるようになったら、すごく自信もついてきたし……応援してくれる人が増えるっていい事だと思うな」
 彼女の言うそれは、成功した暁には確かに素敵なことだ。応援してくれる人が増えるのだから、とても素晴らしい。けれど、失敗すれば自分を蔑む者が一人増えるのだ。チアリーは無言になる。
「まぁ、言いたいことは分かるよ。兄と結婚します! だなんて言って、変態扱いされるとかそんなリスクを冒したくはないよね。でも、いつかはそういう視線を向けられることにも慣れなきゃいけないんだから」
「確かに、そうだね。こんな閉鎖された場所の視線くらい耐えられないようじゃ、この先の人生で向けられる視線に耐えられるわけはない、か……」
「そ、強気になりなさいな。私は応援する。貴方は心ない事を言う奴を笑ってやりなさい。それだけ心がければ何とかなるでしょ?」
 アーニャに言われてチアリーは幼い頃にあにに言われた言葉を思い出す。
「あぁ、そういえば……昔、自分を馬鹿にする相手のことは笑ってやればいい。笑うのがだめなら憐れんでやれって。子供の頃に言われましたっけ」
「へぇ、誰に言われたの? お兄さんかしら?」
「そう、兄さんから。そっか、子供の頃と同じ。気にすべきじゃないことは気にしないでもいいんだ。そう考えると少し楽になったかも」
「ふふん、いい顔じゃない。私のアドバイスが役に立ったのだとしたら、光栄ね。それで、チアリーはこれからどうするの?」
「うーん……やっぱり、応援してくれる人を増やすんならさ。多分だけれど、ケルヴィンならば私の事を応援してくれると思うのよ。だから、まずは彼に話してみようかと思って。味方にしたら、一番頼りになる相手だし」
「いきなり今回の話されたら困惑しちゃうんじゃなくって?」
「いいじゃない? 私は頑張ってみる」
 チアリーは心配するアーニャに頼もしく笑みを向ける。

 翌日、校舎に植わっている花壇で、正規の食事時間以外での間食にいそしんでいるケルヴィンを見つけ、チアリーは近寄った。
「ねぇ、ケルヴィン」
「なんだ? お前も食うか?」
「そんな小さいの食べてもお腹が膨れないって。そんなことよりケルヴィン、ちょっと、付き合ってくれる?」
「いいぜ」
 簡単なあいさつでケルヴィン捕まえ、人気のない所へと連れて行く。ケルヴィンは何も聞かずについてきてくれて、チアリーはその態度だけでなんだか安心できる。芝生の上に腰かけたチアリーの翼の上にちょこんと座る。これでは顔は見えないが、声はよく聞こえるだろう。
「で、どうしたんだよ」
「まー、いろいろありましてね」
 チアリーは自身の身の上と先ほどの一部始終を伝える。自分が自信を持ちたいため、ケルヴィンにも応援してほしいと。
「そうかー……しかし、そんなことを俺に伝えるなんてな。そんなに俺の子と信頼してるのか?
「まあね。男子の中じゃ一番話しやすいかも」
「そうかい、光栄だね。ところで、兄貴とは結婚したくなるほど仲がいいのか? 羨ましいね、俺の妹はクッソ生意気でさ」
「もちろんだよ、それとなんかね、ケルヴィンは兄さんに似ているところがあるよ」
「お、まさか惚れちゃった?」
「どうかな? 先にケルヴィンに出会ってたら惚れてたかもねー」
「俺を傷つけさせないうまい言い方だねぇ?」
「お世辞じゃないよ、本当に。許嫁は幸せだと思うよ。っていうか、逆の立場のやり取りを以前にしたような気がするよ?」
「許嫁は幸せ……だといいけれどなぁ……俺は、お前みたいに恋愛で結婚できるわけじゃあないからな。それにこう、俺って小さいからさ。小さい子を愛でるのが好きな女じゃないと合わないと思うぜ?」
「それに関しては……貴方が頭を撫でられるのが好きなら、私は貴方の頭を撫でてみたいし? 合うんじゃないのかな」
「俺は子供扱いかよ……親子二代そろってだな。てか、俺の頭撫でたいの? いいぞ、撫でても」
「じゃ、遠慮なく」
 言いながらチアリーはケルヴィンを撫でる。まさか本気にされるとは思っていなかったケルヴィンは、苦笑しながらもそれを受け入れた。
「貴方のお父さんも子ども扱いだったの?」
「そうなんだよ。母さんは小さい子を愛でるのが好きでね。今でもいい年して、子供を抱きしめるようにして父さん腹に抱いて、頭を撫でてやがる……そしてそれを羨ましいと思ってしまう俺がいるんだ、恐ろしい話だぜ」
「ほんと恐ろしいわ……」
 神妙そうな顔をしてチアリーは言うが、すぐに笑いがこらえきれずに吹き出してしまう。
「ふふふ、貴方のお嫁さんも、貴方の事を甘やかしてくれるといいね」
「そういう仲になるために努力しなくっちゃな。その点、お前さんは羨ましいよ……大好きな奴と結婚できるかもしれないんだろ?」
「ふふ、なんだか本当にお兄さんに似ている。兄さんは、許嫁を好きになろうと努力していたから。でも、あなたのご両親も、許嫁だったけれどきちんと仲良くなれたんでしょ?」
「父さんは、他人が発するオーラで何を求めているか分かるからね。うまい具合にお母さんがしてほしいことを読み取って、それで調子を合わせてたらしい。あぁ、それとね……俺も実はオーラで人の求めていることが分かっているからさ」
「だから?」
「お前さんが俺のことを気に入っているっていうのは、わかってるってこと。割と、嘘を見破るのは得意でね……お前は本音で「話してくれているのが実はわかってるんだ」
「なにそれ、卑怯ね?
「それでもって、お前さんが兄のことを本当に好きだってこともわかるよ。うん、羨ましい……それで、なんだっけ? 俺に兄との結婚を応援してほしいんだっけ?」
「うん、そういうこと」
「俺は応援するぜ。人は生まれた以上、幸せにならないといけない。頑張れよな」
 ケルヴィンに励まされたチアリーは満足げに頷き、笑顔を見せる。
「ありがとう」
 そういって首を傾けて彼の体にぶつけると、小さな声で『いいってことよ』とささやいた。その後、世間話をして二人は分かれたが、彼が去った後にチアリーは改めてつぶやく。
「やっぱあいつ、良い男じゃないの。私が兄さんより早く出会ってたら……タマゴグループの違いで苦しんでたかもなぁ」
 彼の姿が見えないところで発した独り言。絶対に彼に聞かれたくはないが、これもまた彼女の偽らざる本音だった。


 チアリーの戦闘能力はアーニャやケルヴィンには劣るものの高いことには変わりなく、学年では五位という好成績。学力においては学年で三位だった。ちなみに、ガルドはどちらも学年で三〇位前後と言ったところ。一つの学年に一5〇人以上の生徒が在籍していることを考えれば、そもそも学校に入ることすら狭き門の、優秀な人材ぞろいのこの学校でならかなりの成績であることは間違いない。
 兄やアーニャから言われたことを思い出す、自分のことを馬鹿にする相手のことは笑ってやれと言われたが、笑ってやるためには自分が優れていなければいけない。だからとりあえず心配事はさておいて、チアリーはがむしゃらに頑張った。
 もちろん、友達となった学園の仲間と、ワイワイやって気分転換することも忘れない。チアリーのライフスタイルはそうやって形成され、そして崩されることなく、ケルヴィンと話をしてからさらに1ヶ月の期間が過ぎた。
 そのころのチアリーは、今の自分ならば兄であるフレッドにも認めてもらえると期待していて、認めてもらえた時のためにとイメージトレーニングをするようになっていた。
「あぁ、お兄様……なんて逞しい体。そしてたくましい下半身……私の体が欲しいのね」
 そのイメージトレーニングというのも、兄と思いを遂げること、要するに淫らな行為である。かつてチアリーに初めての無精卵が出来たときに、親に娼館へと連れてかれて見た光景を思い出しながら、自分と兄ならば何をどうするのかを想像するのだ。
 一回しか見たことのない光景だけに、割と記憶は曖昧で、特に兄の生殖器は今まで見たこともないため想像に過ぎず、それをどうすればいいのかも、もうだいぶ記憶に薄れた事であった。
 だから、チアリーが想像できるのは、兄と抱き合うことや口づけをすること。あとは、まだ使ったこともない自身の生殖器に、見たことのない兄の生殖器が突き立てられる光景であった。それが痛いのか、気持ちよいのかすら想像で補うしかない。
 ペニスを持たない雄が多い飛行グループだが、アーケオスもオンバーンも珍しくペニス持ちであるため、『多分大丈夫、あまり痛くないだろう』というのが彼女の結論である。なので、痛くないと信じて、気持ち良くなると信じて想像を進めている……のだが。
「……何やってるの、チアリー?」
 その日は、あまりに夢中になっていたため、その光景をアーニャに見られてしまった。
「あ、え、その……アーニャ?」
「うん、そうだけれど……」
「どこから見てたの?」
「貴方が兄のことを誉めてから、目をつむったまま嘴を半開きにして舌をもごもごとさせて、そのあと翼を地面について尻を上げていたところかな……」
「ほとんど見てるじゃない!」
「いや、だって面白いから……ふふふ、貴方相当溜まっているのね? そうやっておままごとの様に想像で遊ぶのは癖なの?」
「う……今の忘れて。忘れて、お願い!」
「誰にも言わないわよ、チアリー」
「っていうか、貴方の特性プレッシャーでしょ!? どうして気配もなく忍び寄ってるのよあんた!」
「……いや、いつもそんな意味なくプレッシャーを放つわけないでしょ……っていうか、貴方の声が聞こえたから、その、そっと入ってきただけで。誰かと話しているのかと思ったら、そういうことをしていただなんて」
「もう消えたい……この学校から籍を消したい」
「あぁ、ほんと誰にも言わないし、具体的にどんな想像をしていたのかとか詮索はしないから……チアリー元気出してよ」
「うぅ……今は一人にしてよ」
 言葉にできないほどに恥ずかしい思いをしたチアリーは、ベッドのタオルケットで自分の体を包み込んで、そのまま数日は、部屋の中で彼女とは一言も口を利かなくなるのであった。

 また、このころの彼女は、自分に自信を持つために、戦闘演習では積極果敢に格上相手に挑むようになっていた。
「今日のお前、なんかおかしいぞ……」
 この日、チアリーは初めてケルヴィンを相手取って、勝利を目前にしている。ケルヴィンは動揺していた。対峙したとき、彼女からはいつもの弱気なオーラを感じない。むしろ、チアリーから感じるのはシンプルでまっすぐな勝利への意思。
 彼女が戦闘を始めた瞬間、左右の翼に付いた爪をこすり合わせて爪研ぎをする。そこまではいつもの事で、ケルヴィンは彼女の懐に潜り込んで、エナジーボールを放つ。至近距離であっても、あまり攻撃力の強くないケルヴィンでは致命的な攻撃は与えられない。
 しかし、翼で殴ろうにも、足爪で蹴り飛ばそうにも難しい懐に潜り込んだため、チアリーは簡単に攻撃できないはずだ。すると、チアリーは後転しながら空中に飛び上がり、眼下に向けて岩雪崩を放つ。予備動作をまるで感じさせなかった鋭い動きに対応しきれず、懐に潜り込むことも出来ずにケルヴィンは岩雪崩に巻き込まれる。何とか致命的な一撃は避けたが、このままでは負けは濃厚だ。
「分かった、お前……救護室の先生からシンプルビームを貰ってやがるな!? 卑怯だぞお前!」
 ようやくここでケルヴィンもタネに気づく。救護室のタブンネはシンプルビームを使用できる。チアリーはそれをあらかじめ撃ってもらった状態で、戦いに挑んだというわけだ。
「ふふん、兄さん曰く、船の上で勤務しているときは、味方のスキルスワップや仲間作りは日常茶飯事だって言っていたからね。ですよね教官?」
「まぁ、そういうことをする奴もいるな。ケルヴィン、お前ならそれくらいの不利も乗り越えてみせろ」
「そんな無茶な……くそ!」
 兄から聞いた話によれば、こちらから奇襲かけたり、もしくは敵との距離が十分離れている場合などは、味方との特性のやり取りは日常茶飯事であるとのこと。確かに卑怯というのはもっともなのだが、弱気の特性を消す程度のこと、実際に軍隊に入ればいやでも実戦で経験することになるのだ。ここで体験できたことはある意味幸運だ。
 ともあれ、もともと手加減できる相手ではないチアリーがさらに強化されている以上、これからは一瞬のすきも見せられないわけだ。ケルヴィンは気を取り直してチアリーとの戦いに集中する。
「シャァッ!」
 チアリーは気合を入れた掛け声とともに駆け出し、一度翼を構えてフェイントしたのちに、足の爪で襲い掛かる。翅に掠めながらもそれを紙一重でかわし、シビレ粉を巻きながら通り過ぎる。
 チアリーは口を閉じて鼻から息を吐くことでそれをやり過ごし、すれ違ったケルヴィンへと向き直る。ケルヴィンが放つ妖精の風を、翼の一振りで押し返すと、すでに目の前から消えて側面に回り込んだケルヴィンへと翼をばたつかせて牽制。だが敵は側面に回り込んでも近寄ってきてはおらず、深呼吸して蝶の舞をしている。
 その際、ケルヴィンはこちらに意識を離すことなくこちらを凝視している。となれば、チアリーは翼で急所を防御しながらケルヴィンの攻撃に備える、と見せかけて、敵がこちらの動きを窺っている間に、翼で隠していた怖い顔を見せる。
 怖い顔に気圧されて思わず体が硬直したケルヴィンへ、チアリーは電光石火の一撃で相手を組み伏せた。体格の差が歴然である以上、こうなってしまうと逆転は難しい。チアリーはケルヴィンに抵抗される前に彼を大きな顎で押さえつけ、脅しにかかる。
 ケルヴィンとしては、巨大な相手に組み伏せられて、肉食獣の濃厚な臭いがする激しい吐息を全身に浴びているわけである。しかも相手は爪とぎのおかげで全身の力も鋭さも上がっているから、脱出はほぼ不可能。とても生きた心地がしない。
「負けたよ。これからはお前の特性が変わっているときのために……スキルスワップを使わせてもらうよ」
「使えるんだ……?」
 チアリーはケルヴィンから体を離しながら問う。
「母親譲りでね」

「そしたらあなた弱気の特性になっちゃったりして。というかそれだと私の体臭が甘くなる*3のかな……?」
「弱気になる心配には及ばないよ。俺は、オーラで分かるから、嘘ついても無駄だからね。今回はまさかそんな手を用意してくるとは思わなかっただけで、今度からはそれに警戒ができる」
「えー……それじゃあ貴方に弱点なくなっちゃうじゃん」
「そうだな、ありがたいよ。実戦で殺される前にここで、殺されてよかった。感謝するよ」
「あはは……仲間の命を間接的に救ったことになるのかもしれないけれど……これ、さらに手を付けられなくなっちゃったね」
 ケルヴィンは負けてなお堂々としており、次の勝負でこそ勝つという強い意志を感じる。今後一度でも彼に勝てるかどうか、その雲行きが怪しくなりそうだ。
 それでも、この日の勝利はチアリーにさらなる自信を与えることになった。

 そうして入学してから五ヶ月目に入り、学校は夏休みとなった。季節は二月の夏真っ盛り、リングマもゲッコウガも冬眠しない亜熱帯の北国のエイクでは、暖流によって生成される湿った空気が偏西風に乗ってくるため、その時期は灼熱の高温多湿で、快適とは程遠い。
 チアリーはその暑さを避けるため、夜になってから活動し、二日の道程を経て家に帰りつく。これまでも家族とは手紙でのやり取りをしていたが、半年の間家に戻らなかったためか、手紙から家族の心配が手に取るように分かったが面白かった。
 どうしてかと聞かれれば、フレッドが贈る手紙の文字の大きさだ。回を重ねるごとに詰め込もうとして文字が小さくなってしまい、小さな紙にびっしりと文字が敷き詰められている様は非常に壮観であった。
 それだけ心配をかけても、チアリーは平静を装って変わらぬ返事を書いていたけれど、今日くらいは兄の心配をほぐしてやらないといけないだろう。
「お嬢様、よくぞお帰りで。お変わりはありませんか?」
「無いわけないじゃないですか? でも、悪いふうには変わっていないのでご心配なさらず」
 家に帰って、メイドたちにあいさつをされるのも久しぶりのことだ。家庭教師はもうお暇を出したため、今頃はほかの家で教鞭をとっているのだろうか。私の部屋は毎日掃除をされていたそうだけれど、そっちは変わりないだろうか……とか、そんなことがいろいろ気になっていた。
 そして、そんなことを気にする間もなくやってきたのがフレッドであった。
「チアリー、久しぶりだね」
 その声の嬉しそうなこと。冷静さの欠片もない。フレッドはその大きな翼でチアリー体をぎゅっと抱きしめ、しつこいくらいにその感触を味わってから、ようやく離した。
「ただいま、兄さん。久しぶり……」
 息苦しい程の抱擁から解放されて、チアリーは一度深呼吸を挟んでから挨拶を返す。
「その、何から話せばいいのやら、整理が大変だよ。手紙にびっしりと書くのは私の性には合わなかったし。兄さんはちょっと詰め込みすぎ、もう少し簡潔に書いて欲しいものね」
 チアリーにばっさりと言われると、フレッドはばつが悪そうに苦笑する。
「心配で仕方なかったんだよ、勘弁してくれ。私ももう少し自重するべきなのはわかっているが、心配でな……それもこれも、チアリーが帰って来ないからだろ?
 帰られる機会はもっとあったはずなのに、どうして?」
「そりゃ、兄さんとは飛行能力が違うんから。私はほら、体が重いからあんまり遠くに飛ぶのは苦手じゃない? 空軍に所属しておいてなんだけれど、私って走って戦うほうが得意なくらいだもの。飛行タイプの中でもトップクラスの飛行能力を持っとるオンバーン比べれば、ケチがつくのは当たり前でしょう? 私はここに帰るまでに二日の道のりだし、往復は四日。一日滞在したら五日でしょう? そう気軽には帰れないよ」
「あぁ、そういえば……私が悠々と飛んでるつもりでも、チアリーはついてくるのに必死だったしなぁ。じゃあ、今はかなり疲れてたりする?」
 フレッドに問われるが、チアリー首を振って否定する。
「いやぁ、私も体は疲れてるけれど、頭は冴えてるから、兄さんとお話するだけなら問題ないよ」
「わかった。それじゃメイドさんにお茶を頼んで、それで居間に行ってゆっくり話そう」
「うん、ところでお母さんとお父さんは?」
「父さんはまだお仕事だよ。一緒に休みを取りたかったんだけれど、この季節は寮から帰ってくる子供と会いたいからって、私たちと同じ理由で休みたがる人が多くてね。親子兄弟里帰り顔合わせをしたい奴が多いから、休みの奪い合いになるんだよ」
「あー……お兄さんの時もそうだったね。父さんは休みを取り損ねて意気消沈してたっけ……どうせすぐに会えるのに」
「そうそう。今回私はその争奪戦に勝利したんだけれど、父さんは今年も……戦闘じゃ負けなしでもくじ引きまではね。でも、明後日には帰られるから、それまでの我慢だね。母さんは、ちょっとお店の方に顔だしているみたい。終わったら顔をだすだろうね」
「どっちも仕事かぁ。まぁいいか。兄さんと二人きりっていうのもいいものね。さ、行こう。私も話したいことがいっぱいあるの」
 チアリーは兄の翼の先をつかんで居間へと連れて行く。久しぶりの兄とのひと時なもので、メイドから出された紅茶が尽きても、声が枯れそうなくらいにたくさん話す。フレッドは笑顔で頷いているばかりであったが、終始笑顔のまま彼女の成長を喜んでいるようだった。
「そうか、いい仲間を見つけたんだね。私たちの結婚を応援してくれる仲間、か」
「その子たちのおかげでね、私は少し自信がついたよ。けれど、私の身の上を話したら、やっぱり私を馬鹿にしたりあからさまに避けられたりして来る人もいて、ちょっとショックだったけれど……それもさ、昔兄さんに言われた言葉を思い出して頑張ったの」
「私が昔言った言葉? それはなにかな?」
「『自分を馬鹿にする奴の事は笑ってやれ』ってさ。言ってくれたでしょう? 私ね、学業も戦闘も頑張っているから、大抵の奴が馬鹿にしてきてもね、『私より頭も悪いし弱くても……結婚相手が普通の相手なら、貴方は私よりも優れてるの?』の一言だけで相手は何も言えなくなるの」
「性格が悪いことを言うな……チアリーは」
「父さんや兄さんに似たのよ」
「ふふ、そうだね。でも、確かにそんなことを言ってやったらすっきりしそうだ。しかし懐かしい……私が昔そんなことを言った時は、お前がいじめられていた時だったっけ。その時は、『笑ってだめなら憐れんでやれ』とも言ってたっけ?」
 フレッドに問われて、チアリーはゆっくりとうなずいて肯定する。
「ねぇ、兄さん。私は、今の私はどうかな? 兄さんの女にふさわしいかな?」
 チアリーは誰も見ていないのをいいことに兄の体にすり寄った。対してフレッドは、彼女の体を優しく抱きしめ胸元に引き寄せる。チアリーの匂いを堪能すると下半身が少しうずいた。いやらしいことは必至で頭から追い出して耐えるしかない。
「まだ心配は尽きないけれどね。でも、今のチアリーならば大丈夫かもしれないね」
「そう言ってくれると嬉しいな」
 フレッドの大きな体に抱きしめられると、とてもいい匂いだ。このまま体を預けてしまって、あわよくば……だなんてチアリーは考えてしまう。
「いつかはこのまま、チアリーのことを抱くわけか」
「今、は無理だよね? でも、このままどこか人気のないところへ行って、それでもいいんじゃない? なんなら、明日にだって……」
「そうだな……明日に、な。すっかりその気になっているみたいだけれど……でも、今はだめだぞ?」
「わかってるけれど……でも、こんなに抱きしめられたらちょっと収まり付かないな……少しだけでいい、兄さんとキスをしたい」
「ずいぶん積極的だね? 学校で練習でもしてきたのかい?」
「まさか、練習相手なんて、自分の想像の中にしかいなかったよ。キスされたことがないわけじゃないけれど……」
「誰? ぶちのめしていい?」
「さっき話したケルヴィンだよ。戦闘中にドレインキッスされたの」
「あぁ、演習中なら仕方ないね」
「それで、練習相手は……想像の中の兄さんに口づけをして、その感触を想像するしかなくってね……こんなんじゃ練習って言えないよね。それでもって一度、その光景を見られて死ぬほど恥ずかしい思いをしたこともあるわ……」
「それは災難だったね……」
 チアリーが恥ずかしい体験をしたときの事を思いだし、口元をむずむずとゆがませる。その表情を見ればどれだけ恥ずかしかったことかうかがえる。いまさら励ましても無駄なので、深く触れることは止した。
「でも今度は、想像じゃなくって本物の兄さんとできるんだね」
「待ちかねたかい? でも私はこの年まで待っていたからね、チアリーは早い方だよ」
 フレッドは立ち上がり、扉にもたれかかりながら外に聞き耳を立て、誰も近くにいないことを確認する。当然、メイドたちはノックもなしに入ってくるほど無粋ではないが、念には念をだ。ドアにもたれかかっていれば、まず開くことはないだろう。
 チアリーは兄のしていることの意味を察すると、扉に体を預けている兄の方へ赴いた。
 フレッドは長い尻尾を前方に投げ出し、チアリーはその尻尾を踏まないようにしながら跨ぎ、フレッドの膝に翼の爪を乗せることでバランスをとった。フレッドはそうして近づいてきた彼女を翼で抱き寄せて、口に寄せる。フレッドの翼は巨大なので、チアリーは半身を包み込まれて、その温かみにホッとして体重を預けた。
 どちらも飛行グループには珍しく、クチバシではなくがっつりとした顎と牙のあるポケモンだ。フレッドが大口を開いて見せれば、肉厚な舌と果物をかみつぶすのに適した牙、そしてほのかな果実の香り。チアリーが口を開けば、長い舌と獲物を引き裂く牙、そして肉と血の香り。
 あまりに匂いが違いすぎて、いかに愛おしい相手といえど、最初の一瞬、フレッドは少しその匂いに顔をしかめた。有り体に言ってしまえば結構な悪臭で、この時点で、フレッドとのキスの味はさぞや甘いものだろうと考えていたチアリーの幻想が崩れてしまう。チアリーにとっては兄の匂いはいい匂いなのだが、それは肉食と、草食寄りの雑食という食性の違いのせいだろうか。
 それでも、匂いをこらえて口を合わせる。生暖かい息吹の匂いが少々不快だが、滑らかな感触の兄の舌が乗っかってくるのがとても気持ちいい。チアリーの舌には鋭い棘がびっしりと生えているためか、フレッドはチアリーの舌に撫でられるのを避けているのが少々寂しいが、チアリーの舌は裏側から撫でてやればいいのだと気づいてからは、フレッドも積極的であった。
 ずっと口付けを続けていると、嫌だった口の匂いにも少しずつ慣れてくる。まだそれを心地よいと感じるには時間が短すぎるけれど、唐突にフレッドの唾液を飲んでみたいと感じる。
「ねぇ、兄さん?」
「どうした?」
「兄さんの涎が、欲しい」
「変わった頼みだな……? いいよ」
 チアリーはあらかじめ自分の口の中にある唾液をすべて飲み干すと、彼の口の中にある唾液を貪欲に求め始めた。もっと、彼を味わいたい、もっと彼を取り込みたい。そんなはしたない欲求を包み隠さずに伝えても、フレッドは何ら嫌そうな顔をすることなく口に唾液を滲ませて、それをチアリーに渡す。
 チアリーは流れ込んできた唾液をおいしそうに飲み下し、それがのどを伝い、胃袋まで到達した唾液が自身の一部になっていく感触に酔いしれる。しばらくそうしてようやく満足したのか、彼女は口を離した。
「満足した?」
「うん……」
 ここまで大胆なことをやってしまったせいか、フレッドは下半身がうずいている。下半身を隠す毛並みもない種族のため、何とか心を落ち着けて鎮めるしかない。それまでにこの部屋にメイドや他の家族が入ってくることはないと、ただ祈るばかりだった。

 幸運にも、空気を読まずに訪問者が来ることなく、二人がやっていたことは秘密裏に終わった。
 その後、母親も家に帰ってきて、今いる家族での談笑や食事を大いに楽しんだ。

 そうして、翌日。二人は町の外へと赴き、小高い崖の上にある洞窟へとたどり着く。かつてチアリーがまだ進化する前、経験を積んで強くなるためにと潜った不思議のダンジョンがある場所だ。
 崖の上にあるという性質上、ロッククライムが得意だったり、飛行できない者にはなかなかたどり着きづらいうえに、さして得られるものもないダンジョンであり、その上洞窟という性質上岩タイプも少なくない。このダンジョンに入り込むのに有利な飛行タイプも虫タイプも岩タイプには弱いため、経験はあまり積めない割には攻撃が痛い。そんなわけで普段から全く人気のない不思議のダンジョンだ。
 念のため洞窟への入り口を確認したが、少なくとも今日は人が入り込んだ形跡はなく、中には誰もいないことだろう。
「懐かしいね、ここ。兄さんの背中に乗ってここまで連れてこられて……」
「チアリー実戦での戦い方を教えたのもこの場所だ。あの時はまだ小学校にも入学していなかったから……五歳くらいだったか。私が弱らせた獲物を、チアリーは涙目になりながら倒したっけ」
「空飛びたくって必死だったもんね」
「要はここは、大人になるために来たダンジョンだったわけだが……なぁ、チアリー。お前は本当に、ここでもう一度大人になるつもりか?」
「母さんだって私の努力を認めてくれたし。兄さんもそうなんでしょ? 前祝い、なんて言ったら油断するなって怒られるかもしれないけれどさ。その……私は、兄さんと……一緒に大人になる練習をしたい」
「ならもう、その兄さんってのはやめにしないか? 夫婦になるんだったら、兄さんなんてのはおかしいだろ?」
「そういえば……えっと、じゃあ兄さんのことは、フレディって呼べばいいのかな?」
「お前に言われると、少しむず痒いな。でも、嬉しいよ。ずっと、大好きだったチアリーがこうして恋人以上の存在になってくれるなんてな」
 フレッドは恥ずかしそうに顔を伏せ、チアリーに自分の名前を呼ばれた照れくささにはにかんだ。
「それでさ。フレディ、私はね、大人になってみたい。想像じゃなく、実物の兄さんと一緒に楽しんでみたい。ここなら、だれにもばれずにそれが出来るよね?」
「最初からそのつもりだったとはいえ、面と向かって言われるとやっぱり恥ずかしいな。でも、私はその覚悟は出来ているつもりだ。チアリーも覚悟は出来ているんだね?」
「当然だよ、フレディとなら、痛くたって我慢できるし」
「そうか……でも、ここで子供が出来てもまずいからな……無精卵は……」
「二週間くらい前に産んだばっかり。今なら問題なしだよ」
「じゃあ、大丈夫だね」
 万が一ということはあるかもしれないが、無精卵が出来る周期を考えれば、今ここで交尾をしようとも有精卵が産まれることはないはずだ。まだ学生なので、そればっかりは気を付けないと本当にまずい。
 そのまま二人は不思議のダンジョンの中に入り込み、奥地を目指してずんずんと突き進む。岩タイプの攻撃にさえ気を付ければ子供の頃でも攻略できるようなダンジョンだけあって、二人は苦戦などすることもなく、飛びかかってくる敵を一撃のもとにたたき伏せていく。
「その……チアリー。私は、今までになく緊張してるよ」
 前を行くフレッドが自身の心境を漏らす。
「私もだよ、兄さん。普通の兄妹だったころは、こんな事意識すらしたことなかったんだけれど……兄さんと、結婚かぁ。そして、結婚したら、その……子供も作ることになるんだよね」
「そうだな。後継ぎを残さないと、だし」
「私を育ててくれた両親のためにも、立派な子供を産んで、夫婦そろって幸せになって、バニラ家の名を汚さないようにしなきゃいけない……大変だな。人によっては、兄妹で結婚したってだけで家の名前が汚されたって考えるかもしれないから、なおさら」
「弱気になっちゃいけないよ。チアリーは周りの目に負けずに頑張るって決めたのだろう?」
「うん、頑張るよ……いっつも弱気になっちゃう私だけれど、これに関しては強気いかなきゃ。どんな視線にも、どんなあざけりにも、強気で言い返してやらなきゃ……今日はね、その勇気をもらいたいの。兄さん……じゃなくってフレディから」
 チアリーは十字路の側面から飛び出してきたアノプスを翼で叩き落としてからフレッドの体に寄り添う。フレッドは彼女の体を大きな翼で覆いながら、抱きしめた。またダンジョンに敵が出現するまでの間、フレッドは言葉にできない思いを抱擁に託した。
「チアリーが卵の時から、私はずっと君を愛していたよ」
「私も、生まれたときからフレディを愛していたけれど……でも、まだそういうのは早いよ……もっといい雰囲気になってから言おうよ? こんな、いつ敵が襲ってくるかわからない状態じゃあ、雰囲気も保てないよ……」
「じゃあいつ言えっていうんだ、いつだっていいだろチアリー?」
「もう、せっかちなんだから……じゃあいいよ、好きにして」
「じゃあ、お言葉に甘えよう。私はね、そんな君を抱くことが出来るだなんて、本当に幸せ者だと思っているよ」
「うん」
 大きな翼に抱かれながらやさしい言葉をささやかれて、チアリーは顔が熱くなるのが抑えきれそうにない。自分もフレッドの様に愛する気持ちを伝えたいのに、どう伝えればいいのかもわからない。そうなると、チアリーもまたぎゅっと縋り付くことで言葉にできない思いを託すしかなかった。
 チアリーの翼にしがみつかれるこの感触を堪能し、微笑みを浮かべながらフレッドはダンジョンを歩く。途中何度も敵に出くわしたが、全く意に介すことなく突き進み、安全なダンジョンの奥地へとたどり着く。
 もう敵に襲われることのないこの場所に行けばあとはもう、誰にも邪魔されずに思うが儘に体を重ねることが出来る。親にも内緒の、秘密の遊びだ。
 歩き回っていたから疲れはあるが、無言なのは疲れのせいだけではないだろう。二人は思い思いの体制で休憩する。お互いどんな言葉をかければいいのかもわからず、フレッドは洞窟の天井にぶら下がり、チアリーはそんな兄を見上げながら、無言で見つめあっていた。
 フレッドは何も言わず、下半身の疼きにも耐えていたが、見つめあっているうちに、自分から動かないといけないことを悟って地面に降り立った。
「やるか?」
 難しい言葉は必要ない。もうここまで来たら、やることをやらなければ気持ちが収まらないのだから。チアリーも存外にストレートな表現をつきつけられて戸惑ったが、つばを飲み込んで覚悟を決めたら、立ち上がる。
「うん……お願い」
 今度は誰もいない場所だ。壁に寄りかかって扉を押さえつけながらの窮屈なキスではなく、今度はお互いの翼をつかみながらの大胆なキスをする。やはりフレッドはチアリーの口臭に顔をしかめてしまったが、それも一瞬のこと。チアリーが求めるままに応じ、唾液をむさぼろうとする彼女の欲求を満たしてあげる。
 だが、今は誰が来るかもわからない屋敷の中ではない。誰にも邪魔されない密室だ。こんな中途半端なキス程度で満足なんてしてられない。チアリーはフレッドのことを押し倒す。首の真っ白な体毛に翼指をかけられながら優しく尻もちを付いたフレッドは、チアリーの体重を受けとめながら、今度は逆にチアリーが流し込んできた唾液を飲み下す。
 どんな趣味をしているのやら、チアリーは口内を弄られることで湧き出した唾液をフレッドに寄こすというお返しをした。フレッドも愛する妹の唾液ならば飲み込めると、少し嫌な臭いのするそれを流し込む。彼女はこれをやりたいがために相当な量を口内にため込んでいたようで喉が鳴るほどの量がフレッドにもたらされた。
 棘のある舌でのまさぐりあいや、フレッドへの唾液の押し付け。それを繰り返していくうちに、押し倒されて体が密着していたフレッドは、ついにペニスを屹立とさせてしまう。飛行グループのポケモンはペニスを持たない者も多いというのに、その大きさたるや同じサイズの陸上グループのポケモンと比較しても十分すぎるくらいに立派な長さだ。
 そんな大きさを想定すらしていなかったチアリーは、あんなものが体の中に入るわけはないと絶句する。当然、体の後ろから届かせる必要がある以上、ペニスの全体が体に入るわけはないのだが。
「すごい、初めてみた……触っていい?」
 初めて無精卵が出来た時に見せられた光景は、ペニスのないポケモン同士のそれだったため、改めて兄のものを見ると、強烈で言葉にできない。思わず興味がわいてそんな言葉が出てしまったのは、淫乱だからではなく純粋だからだ。
「いいよ。でも、痛くしないでね……腫れ物を触るようなつもりで頼むよ」
「うん」
 チアリーは長い首を降ろしてフレッドのペニスに触れる。熱を帯びたそれは、つい最近に洗ったのかあまり強烈な匂いはしない。先端からは透明な汁が滲んでいてそこからは何とも言えない雄の匂いが漂っている。
 チアリーは恐る恐るそれに触れる。他人に触られるなんて慣れていないフレッドは、寝耳に水を当てられたようにビクンと跳ねた。チアリーもその反応に驚いて、とっさに手を放してしまい、フレッドの顔を窺う。
「……あの、痛くなかった?」
「大丈夫、そこまで敏感じゃないよ」
「分かった」
 ならば、もう少し大胆になろうと、今度は両翼で包み込む。あまり柔らかい羽根ではなかったが、チクチクと刺さるほどのものでもなく、包み込まれると擦られさえしなければ暖かくて心地よい。ただ、チアリーもここから先どうすればいいのかもわからないらしく、包んだまま硬直していた。
 ただ、匂いを嗅いでいるとだんだんと心地よくなってくる。これをどうするべきなのか、わかるようなわからないような、内股がむずむずする。けれど、まだ足りない。ペニスを両翼で包み込んだまますがるように見上げると、フレッドは彼女の頭を優しくなでた後、抱き寄せる。チアリーは両翼をペニスから離してフレッドの胸に飛び込んだ。チアリーの胴にペニスが当たり、胸が突かれる。
 抱きしめられているだけで胸は高鳴るし、その上彼の下半身が当たっているというこの状況、まるで落ち着くことが出来そうもない。ずっとこのまま抱きしめられていたいようにも思えるけれど、それ以上の欲求も湧き上がるのを感じる。
 この欲求が何を意味するかはチアリーも少しずつ自覚する。基本的にペニスがあろうとなかろうと、交尾するときに姿勢は同じはずだ。雄に背中を向けて、弱点をさらけ出してすべてを受け入れる姿勢だ。今なら、フレッドに対してそれが出来る、それをしても大丈夫という気がするし、したいと思っている。抱きしめられていて幸せなはずなのに、今すぐにでもこの状況を終わらせたいと思うのは、この湧き上がる疼きのせいだった。
 チアリーは意味もなく呼吸が荒くなり、相手の体に噛みついてみたくなる。噛みつく代わりに、噛みつくような強引なキスをした。今まで以上に濃い肉食の匂いがしたが、フレッドも興奮していてそんなに気にならなかった。口を離すとき、零れ落ちる唾液も今は気にならない。
「兄さん、もう……我慢できない」
 チアリーは荒々しいキスを終えるとフレッドを見上げて彼の胸を押す。今のチアリーは抱きしめられるよりもしたいことがあるのだと、具体的には言わなかったがその仕草で十分に伝わった。
「兄さんじゃない、フレディだろ?」
「ごめん……」
「まぁ、これから慣れて行けばいいさ」
 チアリーはフレッドがほほ笑むのを横目で見ながら、翼を地面につけて弱点をさらけ出す。
「ゆっくり行くよ」
 フレッドはチアリーが頷くのを確認してから彼女の背中に覆いかぶさる。今まで向かい合った状態で抱きしめられていた状態では感じることが出来なかった背中への抱擁。ペニスが背中に当たり、その感触で自分がこれから何をされるのかがひしひしと伝わってくる。
 これが自分の中に入ってくるのだろうか。本当に大丈夫なのだろうか、そんな心配が尽きない。だが心配しなくとも、その大半は後ろから届かせるための、いわば刀身ではなく柄の部分だ。あまり問題ない。
 ただ、そんなことはつゆ知らず、背中に押し付けられるこの感触に戦々恐々しているチアリーの首に、軽く牙が当てられる。果実が主食とはいえ、吸血に使えなくもないオンバーンの牙だ、鋭いせいもあって押し付けられれば迂闊に逆らうことは出来やしない。
 フレッドは覚悟を決めたチアリーを宥めるように牙で首を刺激し、痛くない程度に何度も何度も首を噛む。そのうち、恐怖心よりも期待が勝るようになり、期待に満ちた体はフレディを受け入れようとして本能的に腰を突き出す体制をとる。
「フレディ、早く」
「うん、チアリー」
 チアリーの匂いも味も感触も十分に堪能したフレッドは、チアリーに求められるがままに一度だけ体を離しチアリーの股下にペニスをあてがった。飛行グループにはペニスがない者も多く、それだけに雌は女性器を触られただけでも敏感に快感を受け取ってしまう。
 先ほどフレッドがそうだったように、チアリーもまた体が跳ねた。
「大丈夫?」
「びっくりしただけ。続けて……」
 チアリーは大丈夫とは言ってみたものの、緊張で頭がはじけてしまいそうだ。地面についている手も震えてしまって、今にも崩れてしまいそうなほど頼りない。
 フレッドもそれくらいのことは言われずともわかる、早めに終わらせてやろうと、フレッドはチアリーの体に負担をかけないよう、自身の翼である程度体を支えて、チアリーの体に狙いを定めた。アーケオスは雄がペニスを持つ種だ、多少の受け入れは容易だろう。
 フレッドはチアリーが先ほど大きな反応を示した場所を探す。体の下側、こちらからは見えない場所を探っていると、チアリーが体をこわばらせた箇所を発見する。ここか、とあたりを付けてそのあたりを重点的に探ってみると、滑りのよさげな粘液を帯びた場所がそこにはあった。
 フレッドはそこに、自身のペニスを差し込んだ。粘液によって招かれたペニスは、彼女の総排出孔の中を容易に滑り、受け入れられる。痛かったのか、それとも気持ちよかったのか、彼女の体が一層こわばった気がする。
「大丈夫か?」
 言わなくとも、仕草や伝わってくる念のおかげ*4でフレッドにはわかっているが、聞かずしてそのまま続けるのは不躾と一応尋ねる。
「続けて。痛くなんてないよ、フレディ」
 強がりなんかじゃない。心の奥底から喜びに打ち震えた声でチアリーが応えた。
「痛かったら言えよ?」
 それだけ言ってフレッドはそのまま腰を前後に動かした。すると、今までにないくらいにチアリーの気持ちが伝わってくる。それは言葉にするにはあまりにシンプルな肉欲と歓喜だ。フレッドに抱かれ、突かれ、甘い声で喘がされることで、言葉にならないくらいの感情で頭の中が真っ白に染め上げられる。
 チアリーのほうに意識を集中していると、フレッドは自身ももう限界に近い事に気付いた。自身の体重を支えることをやめ、彼女の体にすべての体重を預けて夢中で腰を振る。チアリーの体に入り込んだ先端は熱と快感を帯びて今にもはじけそうだ。
「なあチアリ……もうこれ以上無理だ……」
「え、なに……フレディ?」
 チアリーの方も余裕はないようで、普段なら十分に聞き取れるはずの彼の声もまともに聞こえない。普段の彼ならば、ここで遠慮の一つもしたかもしれないが、なんだかんだで童貞のまま人生を過ごしてきたフレッドにはそこまでの配慮は出来なかった。
「んぬぅっ」
 うめき声の様な嬌声を漏らしてフレッドは達する。突然の不意打ちでの射精となったチアリーは声も出せずにその感触に戸惑った。場合によっては体内にペニスを挿入されずとも受精するのが飛行グループの体だ。それを、体の奥深くまでペニスを差し込まれ、挙句精液があふれるくらいに注がれて。
 彼女にとっては十分すぎる刺激に息も絶え絶えだ。フレッドがチアリーの様子を窺いながらそろそろと体を離すと、肩で息をしていたチアリーは脚から力が抜けてその場にへたり込んだ。彼女の総排出孔はフレッドの精液が流れ落ち、まだ刺激を求めているのかかすかに痙攣している。
「初めてだったけれど、いいもんだな」
 フレッドは肩の力を抜き、チアリーから少し遅れて座り込む。まだ呆然としているチアリーに近寄り彼女の顔を撫でてあげると、チアリーは立ち上がって振り返る。
「そうだね」
 言いながら、チアリーはフレッドのことを押し倒すようにして、彼の首にある豊かで真っ白な体毛へと沈み込む。今の行為で体温も上がったおかげか、彼の匂いに満ちていていて心地よい。
「これが、大人になったらすることなんだ?」
 チアリーはフレッドの胸の中で囁いた。
「でも、これをやったからって大人になれるわけじゃないからな?」
「わかってるよ。先に体験してみたかっただけ……」
 チアリーはフレッドに返した後、しばしの間沈黙する。
「私さ、焦ってたのかな? こんなこと、結婚すればいくらでもできるのに、わざわざこんなところまで連れ出して、人知れずこんなことをして。楽しかったし、うれしかったけれど……まだまだ自信がないのかなぁ? フレディと一緒に、どんな視線にも耐えて生きる自信が。母さんにも、兄さんにも自信がついて変わったように見えるって言われたけれど、やっぱり……ここでこんなことをしちゃうのは、そういうことなんだろうな。
 ガルドの奴はマイペースだから、私より上の成績を取るってことはないと思うけれど……追いかける私としては気軽でいいけれどね、でも、だからって慢心はしてられないよね。それ以上の困難だって待ち構えているかもしれないし」
「そうだね。まだまだ時間はあるんだ、本当に結婚する段階になるまでにもっとたくましくなっていればいいんだ。チアリーなら出来るよ。なんてったって、チアリーは私の嫁だからね」
「うん……」
「今日のこれで、自信はついたかい?」
 フレッドはチアリーの頭を撫でて尋ねる。
「うーん……どうかな。でも、自信はついていなくとも、一緒に生きていきたいっていう熱意は生まれたよ。だって、こんなに素敵なことがこれからも出来るんでしょ? それってすごく魅力的だし……もっと、こんなすぐに終わっちゃうものじゃなく、もっといろいろ工夫したりなんかしてさ。
 でもこれからはしばらく、それを想像するだけにする。この状況、大事なものにしなきゃ……高嶺の花じゃなきゃいけないんだ。いつか、私が高嶺の花にも手が届くようになるためには、こんな魅力的な状況は、高嶺の花じゃなきゃいけないの」
「じゃあ、自信は出なかったけれど、やる気は出たってことでいいのかな?」
「うん、そんな感じで。あぁ、でも……あれだね、自信は少しついたよ。結婚したら幸せになることも、堂々としているために必要なことの一つだし」
 チアリーが言い終えたところで、フレッドは彼女の背中を優しく叩く。
「あーあ……フレディと結婚して幸せにならなきゃなー……これからも頑張らないとなー……イリヤおばさんが歯ぎしりして嫉妬するくらいに、幸せになってやらないと」
「そうだね。私はチアリーを見守るよ。応援もするよ。だから頑張るんだよ」
 フレッドはチアリーの耳元に囁く。チアリーは胸元に頬ずりをしながら頷いた。
「うん、フレディ。弱気じゃいられないよね。強気で行くよ」


 家族との時間を過ごした夏休みが終わり、チアリーは再び学校へと舞い戻る。ほとんど人気のない寮に戻って、ガルドと学園の広場で世間話をする。
「お前は幸せそうでいいよなぁ……」
「ガルドは家に帰ってみてどうなったの?」
 家出の出来事を嬉しそうに報告するチアリーを見て、ガルドの表情は青菜に塩をかけたようにしおれている。
「どうもこうも、母親は俺のことを情けないとかなんだとか、ものすごい怒ってた。150人中27位なら上出来だとおもんだけれどね……。俺、勝手に勝負に参加させられてるだけなのになー……どうしてこの順位で文句を言われなければならないのか。そもそも母さんに付き合うつもりもないし、勝手に付き合わせているくせに偉そうに良く言うよね……」
「それでイリヤおばさんは、勝手に怒ってるってわけ?」
「そう。『あんた学校で何を学んでいるんだ!?』って。これでも成績はどれも半分より上の順位なんだけれどね。去年の年度末よりも順位は少し上がったし」
「努力を認めてもらえないってしんどいよね……」
「まあな。その点、仲良くなった女の子は俺のことをよく褒めてくれるから、すごく居心地がいい。はぁ……駆け落ちがより現実的な話になってきた……」
「ところで、その彼女とは上手くいってるの?」
「家に帰る前に、二人で数日デートしたし、家から寮に戻る前にも数日デートした……その時に、あー……まぁ、うん。親の目が届かないところだからつい開放的になっちゃってさ……」
「あぁ、アレね。多分同じことを私たちもしたかもしれない……」
 無粋なことをみなまで言うこともなかったので、ガルドもチアリーもお互い大事なことは言葉を濁して理解しあった。
「マジかよ、お前ら進んでるな……」
「でも、これからは結婚するまでお預けにすることで、より結婚へのモチベーションを保つことに決めたの」
「へぇ、良い事じゃないか。じゃ、俺なんかに負けるなよ? お前の学年が特別優秀じゃないことを祈ってるぜ」
「大丈夫、私の順位はどっちも一桁だから。たぶんあなたには負けないよ」
「だといいがな。あんたは俺の母さんに負けるなよ? 俺も負けないようにするから」
 世間話をしているうちに、本来はガルドとチアリーの勝負だったはずが、母親が共通の敵という認識になってしまっている。どちらもそれに異を挟まないあたり、よほどイリヤが嫌われているという事がわかる会話であった。

 ガルドと世間話をしていると、他の生徒たちもだんだんと寮へと入り初めているので、チアリーはその中に親友の姿をさがしていた。しかし、その日のうちにはアーニャは現れず、結局彼女が姿を見せたのは翌朝であった。
「やっほー、久しぶりねチアリー。夏休みは家族と楽しめた?」
 チアリーが朝食を終え、自室でゆったりしている時にアーニャが現れる。久しぶりに顔を合わせた友人も夏休みを満喫していたようだが、それはそれとしてチアリーに会うのが楽しみで仕方なかったような弾んだ顔をしている。
「うん、楽しんだよ。それに、家族からは以前よりもたくましくなったって褒められたよ……でも、まだまだ終わりじゃないからね。今よりもっと強く、賢くなって。誰もがフレディを羨むくらいのお嫁さんにならないとね。
 それこそ、母さんは市場の様子を見るときに護衛を連れて行くけれど、私はそれを必要としないくらいに強くなってさ。一人で市場の問題をパパっと解決してみたいなぁ」
「はは、よく喋るようになったところを見ると、さらに自信がついたのは確かみたいだね」
 チアリーの元気な様子を見てアーニャは思わず顔がほころんだ。
「うん、ほんといいことあったからね」
「っていうか、『兄さん』って呼んでた人のこと、『フレディ』って呼ぶようになったの? なんか、関係が進展し――」
「そうなのよ。結婚するんなら『兄さん』は不自然だろって言われてね……」
 一か月ぶりに遭った友人に喋らせる暇をほとんど与えず、チアリーは饒舌になって夏休みの間の出来事を話した。最初は圧倒されて困り顔だったアーニャも段々とその話を聞くのがうれしくなってきて、彼女が話し終えるまで良い聞き手として振る舞った。




あとがき

今回の大会ではあんまり票は取れませんでしたが、一票でも入っただけありがたいと前向きにとらえましょう。
さて、この作品ですが、長男がいるのにどうして妹が必要になるのかという点から考えなければなりませんでした。その結果、女性が家を継ぐという母系文化になったというわけです。
また、卵から育てたら性別がわからないという疑問もありましたが、そこは擦り込みという現象を持つ飛行グループといううことで説明を付けました。
肝心の種族は、せっかくなのでがっつりとペニスのあるポケモンの方がいいなと思いましたので、兄と妹、どちらの種族もついてそうな種族にしようと思い、その結果、飛行グループの中から哺乳類系と爬虫類系を選び、こんなカップリングになりましたとさ。
体格的にもそこまで大きな違いがないので丁度良く、案外お似合いのカップルだと思います。

チャット会では褒められもしたところがありますが、それと同じくらいに問題点を指摘されまして、若干凹みながらも奮起して色々書き直し、書き加えていたら仮面を外すのが遅くなってしまいました。
いやはや、今回も、読者の皆さんも仮面を外すまでは誰だったか皆目見当もつかなかったでしょうね! でしょうね!!!


兄妹愛が美しかったです。 (2018/01/27(土) 20:29)
一票ありがとうございました。家族の愛はいいものです

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*1 空想上の友達。子供などが一人遊びをするときによくみられる
*2 擦り込みがあるため、飛行グループの大半は、すでに孵化した子供を養子をとるのが難しい
*3 ケルヴィンの特性はスイートベール
*4 フレッドの特性はテレパシー

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Last-modified: 2018-02-07 (水) 00:02:13
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