空蝉
何だかいろいろな意味で酷いです。全員病んでます。
「スイクン!」
すべてを諦め略奪者の手にかかろうとしていたスイクンの耳に、高い響きの声が届いた。ほんの少し前に手放した筈の心揺さぶる美しい声が。
肩で激しく息をつきながら、女が森の縁に立っていた。
草木が茂る足場の悪い森の中、この湖までの相当な距離を一体どのような速さで走ってきたのか、アキはスイクンを追って戻って来たのだった。
『逃げろアキ! 来るな!』
スイクンは焦りながら叫んだ。
此処に居れば間違いなく巻き込まれる。せっかく森の外への道を行った筈なのに、何故戻ってきたのかと歯噛みする。
『アキ行け!』
スイクンの必死の叫びにも関わらず、アキは動かなかった。
周囲の男たちの間にも、緊張が広がる。
「生きていたか、ナンバーフォー」
しばしの沈黙を破ったのは、主導者の男だった。
スイクンがはっと息を飲む。見つめる先のアキは冷たい眼で男を見遣ったが、結局何も答えないまま、ゆっくりとスイクンに歩み寄った。
スイクンは倒れた上体を何とか立て直してアキと向き合った。
「スイクン……」
揺れるか細い声。アキはスイクンの目の前に膝をつき、泥と傷で汚れたスイクンの顔をそっと手で拭ってやった。
スイクンの眼が戸惑いながらアキを見上げている。アキも避けることなくその視線を受け止めた。見つめ合ったのはほんの僅かの時間だったが、スイクンはこれまで心に引っかかっていた小さな疑念の正体を悟っていた。
『お前も仲間だったのだな……』
失望の混じったようなその言葉を、アキは肯定も否定もせず、ただ眼を伏せて遣り過ごした。その仕草は明らかに肯定だったから、スイクンもそれ以上問い詰めはしなかった。問うたところで、裏切られた痛い事実が露わになるだけだ。
「行っちゃ駄目って……人間に捕まるって言ったじゃない。無茶するからこんな目に遭うのよ」
アキは俯いた堅い表情で、スイクンの傷付いた頬を撫でながら呟いた。
「可哀想に……もう逃げられないわ。あなたも……私も」
『……』
まるで自らも被害者であるかのようなアキの言葉に、スイクンはまた戸惑う。彼女が敵なのか味方なのか、その真相が見えない。アキの眼を見て心を探りたいのに、アキはスイクンから目を逸らしたまま心を伝えてはくれない。
『お前は逃げたかったのか?』
この人間たちから。もしそうだとしたら何故戻ってきたのかという疑念がまた湧き上がる。そのまま森の外への道を行けばきっと確実に逃げることができただろうに。
彼女の言葉と行動は矛盾だらけで、一体何を考えているのかスイクンには判らない。
もし彼女がスイクンを助けて一緒に逃げるつもりで戻ってきたのなら、何とかこの窮状を脱する術を探らなければならない。
もし、そうでないとしたら───
「逃げたかった。……でも、逃げられる訳ないって思ってた。こうなることも、最初から判ってたわ」
「組織」を裏切ろうとする心に纏い付き、それを根元から挫く暗い「諦念」。逃げられないように。どこまでも「道具」として従属するように。それが組織によって植え付けられた暗示であることを彼女は知らない。
「逃げられるかもしれないって、ほんの少し、儚い夢を見てただけ……」
自嘲しながらアキの視線が地の上を彷徨う。その視線が、ふと何かを見つけた。
その一瞬、強張っていた彼女の表情が、ふと泣きそうに歪んだ。
「そう、夢……。此処に居る間、私とても幸せな夢を見てたわ。……馬鹿ね。幸せなんてこれまで私の手の中に一度も掴んだこと無かったのに。そんなことも忘れてた」
スイクンには理解できない言葉を告げて、アキはふらりと立ち上がった。
凝視するたくさんの視線の中、アキは湖の畔に立った。
「現実はこんなに……何もかもが惨たらしいのに。思い出なんてこんなに……。ほら、こんなにも、儚いのにね……」
アキの足元に、小さな緑の芽吹きが二つ顔を出している。
『アキ!』
叫ぶようなスイクンの声も空しく、アキの足がそれを踏みつぶした。
『アキ───!』
「種を埋めるの?」
『喰った者の礼儀だ。いずれ芽が出て実をつけるようになる』
「……素敵ね」
出会って初めて一緒に食べた木の実。その種から芽吹いた新たな命───それは、アキとスイクンが此処で出会った証だった。やがて大きく枝を張って、この美しい森の一部になる筈だった。
森とそれを育む湖はいつまでも変わらず、豊かな恵みを与えてくれる幸せに満ちた場所の筈だった。
慈しみ豊かなこの森で、愛しい存在と共に生きてみたいと、ささやかな願いを心に秘めていた。
その何もかもが、今、虚しい───
「私を憎んでる? スイクン」
顔を上げ、振り返ったアキの頬を涙が伝っていた。
スイクンはもう何も言うことが出来ず、ただ哀しげにアキを見つめていた。自分たちの願いを───願っていた事実までをも消そうとするアキの心を思うとひどく哀しかった。
「どうせあなたも私も逃げられない。だったらせめてあなたの側について居たい。だから、ここに戻ってきたの」
アキがゆっくりとスイクンに近付く。
いつも身につけていた鞄から、指先ほどの小さな珠を一つ取り出しながら、アキは主導格の男へ初めて言葉を向けた。
「ナンバーワン、このスイクンは私が捕獲します」
男はぴくりと眉を上げ、暫くアキをじっと伺った。そして冷笑とともに頷いた。
「やってみろ。ここまでターゲットを手懐けたお前の手腕は素晴らしい」
『アキ……っ!?』
主導者の言葉を受け、アキの手の中の珠が、先程ライコウを封じていたものと同じような形に変化する。アキは腕をまっすぐ伸ばして珠を掲げた。その眼に、もう涙は見えない。
『なん……で……』
アキを見つめるスイクンの表情に、初めて怖れの色が混じった。
つい先刻まではすべてを諦め、人間の手にかかろうとしていたのに、アキを前にして今更のように恐怖感が芽生えて来たのだ。
護る者としての矜持が、優しかった彼女の突然の変貌を受け入れられずにいる。その乖離を単純に恐怖として感じているのだった。
「怖がることはないわ、スイクン。此処に入れば、ずっと一緒にいられるもの」
落ち着いた、澄んだ声でアキが言う。どことなく楽しげに告げるその笑みは、スイクンには何故かひどく不自然に見えた。
「あなたには最初から勝ち目なんて無かったのよ。だって私たち、あなたを狩るために最大の装備をして来たんだもの。森深い神秘の湖に、弱ったスイクンが浮かんでるって噂を追ってね……あなたを捕らえたら、どこかの国家予算レベルのお金が動くわ。あなたは人間の欲望のためにすべてを奪われる」
『アキ……やめてくれ』
スイクンが弱々しく首を振る。恐怖に対する本能なのか、縄の絡まった不安定な体勢のまま立ち上がり、逃げようと後ずさる。
アキが手を差し伸べるが、スイクンは咄嗟にそれを避けた。
「でも、心配しないで。あなたがどこに買われて行っても、私がずっと側に居てあげるわ。いつもあなたのお世話をしてあげる。寂しい思いなんてさせない」
『嫌だ……嫌だ、アキ!』
スイクンが叫ぶと同時に、空気の色がさあっと変わった。
大気に漂う霧が、鈍色の空の下で白くきらきらと光り始める。
急激に下がり始める気温。地面や木々の葉の上に残った水分が、霜柱と化して景色を白く変えていく。
憔悴した心身に残った僅かの力をふりしぼってスイクンは抵抗を見せた。水の力は封じられているから、かわりに氷の力を振るう。
「どうして嫌がるの? 私と一緒に居たいでしょ?」
身を裂くような寒さに耐えながらアキが詰め寄る。
『正気に戻れアキ! 私の目を見ろ!』
「ねえ……覚えてる? 人間は欲望のためになら他人の不幸も厭わないって、私言ったよね。私はね……ただあなたと一緒に居たいだけ。この絶望しかない世の中で、あなただけが私の希望。純粋な光……もう離れたくない」
うっとりとそう呟きながら、アキは服の袖口から細い紐を取り出した。両端に小さな錘の付いたそれを、スイクンの首に優しく絡ませる。
「たとえあなたが泣いて嫌がってもね……」
その瞬間、紐から火炎が吹き上がった。
「っあああぁ!」
悲痛な咆哮を上げてスイクンがのたうつ。スイクンを覆っていた氷の気が、炎に捲かれて急激に力を失っていく。
辛うじて保っていた微々たる氷の力など、簡単にねじ伏せてしまう、人間の機械の力。
身体を苛む火炎からスイクンは逃れようとしたが、その途端、縄に脚を取られて転倒した。
「グァ……アアアァァ……」
地面に転がり熱の痛みに悶える。首に絡まった細い紐は、解けることなく燃え続ける。
微かにたてがみの焦げる匂いがした。
「───ッ!」
身に覚えのあるその匂い。その嗅覚が呼び水となってスイクンの「過去」が揺さぶられる。
記憶の奥底から凍り付くようなおぞましい感覚が這い上がって来る。
逃げられない身体。纏い付く圧倒的な炎の赤。気の狂うような痛みと熱さ。火の粉の囁き。
己の悲鳴。
生きながら焼き尽くされる。
そして、背に乗り上げた、彼の───
「あ……いや……嫌だ……」
心を堅く閉ざして封じていたトラウマ。無理矢理に蹂躙された挫折感と死の恐怖が生々しく甦る。
暗闇のような絶望が視界を覆う。金縛りにあったように身体の芯が硬直する。
倒れたままスイクンは動けなくなった。身体と意思がばらばらになって言う事をきいてくれない。
「……ン……テイ」
意識が混乱したまま何の為なのか判らない涙が零れる。身体の痛み。心の痛み。そしてそれとは別に、もっと深く暗いところの痛み。
───怖い。こわい……
寂しい……誰…か、たすけて……そばにいて
そばにいて……そばに───
炎に捕らわれスイクンの抵抗が完全に消えた。
アキは唇を噛んで、ばったりと倒れたままのその姿を見つめる。
「スイクン……」
珠を握り締める手が微かに震えている。
森と湖の守り主とも言える神秘の存在を狩ろうとしている冒涜感。愛しい者を苦しめている罪悪感。
本当にこれで良かったのか、もっと良い選択があったのではないかという疑念と逡巡。けれどもう戻れない所まで来てしまったという遣る瀬無さ。
大切な者が奪われ壊されていく……恐怖と───後ろめたい快楽。
アキは全てを振り切るように背筋を伸ばした。
傷付き果て、ぼろぼろな姿を晒すスイクンをまっすぐに見据えた。
「さあ、投げるわよ、スイクン!」
澄んだ声が響く。
スイクンはゆるゆると首を動かし、その声の主を虚ろな瞳で見上げた。
「いや……いやだ……」
人間には聞き取れないポケモンの言葉でスイクンが呟く。
意識が混濁してまともに動けないらしいスイクンの様子に、何故かアキの苛立ちが募った。
「投げるわよ。本当に捕まっちゃうわよ! それでもいいの?」
見せつけるように珠をかざす。
それを見つめるスイクンの目に僅かの感情が灯る。
「捕まるのが嫌なら抵抗してみなさいよ! さあ!」
スイクンは大きく目を見開いてそれを見つめたきり、動かない。
アキは泣きそうな顔で、腕を振り上げた。
「スイクン───ッ!」
アキの悲鳴のような声とともに、珠が宙を舞う。
何故アキは泣いているのか……。一瞬だけ、そんな思いがスイクンの胸に浮かんだ。
珠がスイクンの頭上で口を開く。
ライコウを封じていたときと同じような、眩しい光が迸る。
何故か心地良い光だった。痛めつけられた心身が癒されるような不思議な光だった。
何か強い力に引き寄せられる感覚。スイクンは漂うようにその力に身を任せていた。
いつの間にか、目の前に珠が見える。開いたその中は暗闇のようだったが何故かとても心が惹かれた。そこに丸くなって眠ってしまいたくなる、何とも言えない甘い誘惑。
吸い込まれる感覚。自分が小さくふわふわとしたものに変わっていくような心地良さ。無条件で護ってくれる殻の中。
ふわりと包まれて、スイクンは自分が珠の中に入ってしまったのだと悟った。
徐々に珠が閉じていく。外の光が細く掠れていく。
───ああ、もう終わったのだな……
スイクンは漠然とそう感じていた。
美しい森も、この清らかな湖も、もう目にする事も出来なくなるだろう。
大地を駆け回る開放感も、遠い山並みの向こうまで旅していける果てなき自由も、もう失ってしまうのだろう。
大切にしていた仲間たちは、もう此処には居ないけれど。
わずかに未練があるとすれば───
───エ ン テ イ……
心の中でその名を呼んだ瞬間、身体の奥に炎が爆ぜる気配を感じた。
首に巻かれていた紐の人工的な炎とは根本的に異なる、圧倒的な大自然の……火山の炎。
「……ッ!」
小さな炎がものすごい勢いで膨張しながら迫り上がってくる。今にも破裂しそうなほどの莫大な熱量へと育っていく。
身体が震える。溢れ来る灼熱のエネルギーに翻弄されそうになる。
「エンテイ……エンテイなのかッ!」
思わず叫んでいた。
そんな筈はない。エンテイがこんな所に来る筈はない。そう判っていても、心がそちらへ傾いていく。
「エンテイ───ッ!」
炎の端緒がスイクンを包む。
「あ……あああぁ───……」
身体が熱い。燃え上がり溶かされていくような、あの時と同じ感覚。
けれど何故かスイクンの全身を恐怖ではなく快感が走った。エンテイの炎に包まれ、身の内にその炎を感じて、気が高ぶっていく。
閉ざされた心の奥底でずっと待っていた、この時を。再びエンテイの炎に身を焼かれるこの快感を。トラウマとして封じていた、隠していた、スイクンのもう一つの激情。エンテイへとまっすぐに向かっていく抑えきれない渇望が眼を覚ます。
「エンテイ……エンテイっ、ああ……ッ」
咆哮とともに炎が激しく燃え上がる。スイクンの水を封じていた人間の機械の力をも溶解させる、凶暴なまでの荒ぶる炎。
キン、と高い金属音が弾けるような音がした。その瞬間、自分の中で水の力が束縛から解放されたのを、スイクンは感じた。
怒濤のように湧き立つ激流の力。どこまでも深く混沌とした、水の力。
ふと、スイクンの表情に笑みが上る。
囚われの身の、最後の抵抗。
───そうだ、このまま……私の中のすべての水を
エンテイ……お前の火山の中へ───
それは一瞬の出来事だった。
水とマグマとの融合。それぞれの力とは全く異なる新たな力。
爆音が天地を揺るがし、大地の鳴動が響き渡る。
かつてない規模の水蒸気爆発が、森も湖も、その場にあるすべてを吹き飛ばした。
『───わたしも、この森の生き物になれたらよかったのにね……スイクン……───』
それは空耳だったかもしれない。
延々と鳴り響く爆音の中、優しい、女の声が聞こえたような気がした───
スイクンは全身に傷を負った姿で、時折よろめきながら走っていた。
気付いたら焦土の中で倒れていた。
周りには何も無かった。そこが何処なのか、暫くの間思い出せなかった。
此処は自らの根源の湖───だった筈の場所。しかしそこには欠片ほどの水もなく、未だ熱を発し続ける、焼かれた大地が横たわるのみだった。
動くものは居ない。自分以外は。
スイクンを責め苛んでいた男たちも、無惨な骸たちも、……アキも。
すべて、消えてしまった。自分のこの力で、消滅させてしまったのだ。
「……」
思い出してまた涙が溢れそうになり、スイクンは歯を噛み締めた。
そしてひたすら西を目指して走る。この道の果てにある、火山の元へ。
思い通りにならない重い脚がもどかしい。
「……ン、テイ……」
もう何度呼んだか判らないその名を、また呼んだ。
あの時この身を包んだのは確かに彼の炎だった。炎の中にエンテイの気配を感じた───けれど、目を覚ますと彼はどこにも居なかった。荒野の中にただ独り。全てを失ったのだと悟った瞬間、無限に広がるような孤独に襲われたのだった。
今この瞬間、一目でいいからエンテイに会いたい。
死にたくなるほどのこの嘆きを、彼にぶつけてしまいたい。
何もかも失って、たった一つ残された『未練』。それがエンテイの存在だった。
「……あっ」
脚がもつれて、無様に転がる。
肩で激しく息をつく。身体はもう疲労の限界を越えていた。
虚しさと惨めさで涙の滲む目を、きつく瞑った。
「エンテイ……此処に居ろ……」
呻くように、呟いていた。
「此処に……私の側に居ろ。何故お前は此処に居ない? 私がこんなに……こんなに呼んでいるのに……っ!」
ぼろぼろと涙が零れる。
心はもうとうに折れていた。立ち上がる気力もなくくずおれる。
「エンテイ……私の名を呼べ! 此処に来い! もう……死にそうだ……」
寂しくて息をするのも辛い。
「お前の声を……聞かせてくれ」
朦朧と歪んでいく意識の中、耳に、胸に甦る、体が震えるほどの力強い咆哮。エンテイの声。
───私の名を呼べ……その声で
───もう私の名を呼ぶな! 汚らわしい獣!
エンテイを求める己の声と、かつてエンテイを拒絶した己の声が重なって脳裏に響く。
そのあまりの愚かさにスイクンは力なく笑った。
悔やんでももう遅い。何もかも遅すぎる。
拒絶したではないか。自ら彼を突き放したではないか。忘れたのか。
もうあの時に、自分は彼を失っていたのだ。
───何を今更……今更エンテイが赦してくれるとでも思ったのか。ああ……馬鹿らしい───
「ふ……っ、はは……」
理性の切れた者のように、スイクンは笑っていた。
自分がどうしようもなく愚かで滑稽な生き物のように思えて、もう笑うしかなかった。
笑いながら泣いていた。心のすべてを壊すように泣いていた。
震える背に、ちりちりとした痛痒い感覚が走った。それは熱さだとすぐに気付いたが、もうどうでも良いと放っておいた。
ゆらりと立ち昇る赤い炎。
スイクンの背が燃えている。炎を発している。
スイクンは力無く振り返り、自らの背でゆらゆら揺れる赤い炎の舞いを見つけて呆然と目を見開いた。
「な……に」
何処からか浴びせられたものではない。間違いなく、自分の身体から炎が上がっている。
エンテイのものと同じ気質を持つ、大地の炎。その中に感じる、エンテイの気配。
「……」
エンテイのものであって、けれど彼の許から遊離した炎の欠片。スイクンの身の内に植え付けられた、彼の火種。
───まさか……これだったのか……
あのとき、スイクンを包んだ炎の正体は。
エンテイが来たのではない。自分の中にあったのだ、彼の残した残滓が。それがただ燃え上がったに過ぎない。
「馬鹿な……こんな……───」
炎がスイクンの身体を包み込む。
熱くて痛い。けれど泣きたくなるほど心地良い。
───こんな酷い話があるか?
もうお前には手が届かないのに、お前の炎だけがこの身に宿っているとは。
お前に犯されて子を孕む代わりに、お前の炎を孕んだとでも言うのか。
ああ、なんて……なんて浅ましい。
未練がましいにも程がある───
スイクンは自分の身体が燃えていくのを、ただぼんやりと見ていた。
───哀しみも虚しさも、すべて燃え尽きて灰になってしまえば良い。お前の炎に包まれて死ぬのなら本望だ。
「ああ……お前に抱かれているみたいだ……」
恋しくて仕方がなかったエンテイの優しさに包まれているような錯覚。
自ら生み出した炎の中に幻を見る。せめて心地良い夢を見ながら死にたかった。
───もっと側に……此処に居てくれ、エンテイ……
呼ぶ声は、届かない。
倒れ伏したまま炎に包まれる獣。
燃え盛るその炎の中心に、別の獣が近付いていく。
「こんな所で死ぬ気か、スイクン……お前が死んだらアイツが悲しむだろうが」
呟くような微かな声で告げる。その声に応えは無かった。
爆発の中心地から離れ、影響を免れた木々は、何事もなかったかのように、色付いた梢を静かに揺らしている。
朱の色に染まった葉が、はらはらと舞い散る。まるで何かを削ぎ落としていくように。
獣道の真ん中に置き忘れたままの籠と色とりどりの木の実。
どこからともなく現れた森の生き物たちが、散らばった木の実を一つまた一つ持ち去っていく。
最後に残された籠も、小さなポケモンが不思議そうに手に取り、そのまま持って行ってしまった。
秋が好きだと言った───寂しい女が確かに此処に居た。その痕跡が消えていく。
森の記憶の中に、一つの秋が埋もれていく───
書いていてものすごく消耗します……きっと読んでいても苦痛だろうな。ごめんなさい。
エンテイ+スイクン=まぜるな危険
何でもコメントどうぞ。
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