空蝉
ずっと有耶無耶でしたが、このスイクンは雄でした。なので今後BL系となります(今回エロなしですが)。ご注意ください……
大地の奥深くから振動が上がってくる。
低い鳴動の声が、切羽詰まった何かを伝える。
エンテイは火口に近い大岩の上に立ち、遠吠えに似た咆哮を上げた。
その声に促されるように、地中から我先にと炎が湧き立ってくる。それが地表に至ったとき、凄まじい爆音が轟いた。
「……」
絶え間なく吹き上がり、流れ落ちてくる真っ赤に燃えた溶岩の中で、炎の熱が眩いばかりの白い光と化してエンテイを包んでいる。
悠然と佇むエンテイの身に触れた溶岩流は、切り裂くような音と共に弾け次々と気化していく。
地獄絵図のような灼熱の世界の中で、エンテイは気を鎮めるように目を閉じ深く息をついている。
このとき彼は、火山の猛り狂う暴炎を完全に掌握していた。
半日ばかり噴火が続き、ようやく大地の鳴動は収束を迎えつつあった。
エンテイは火口まで近づき、ぐらぐらと煮立って噴煙と熱風を吹き上げるその中を覗き込むと、おもむろに一声吼えた。
途端に真っ赤な溶岩がその流れを止め、大気に触れたところから黒く固化していく。エンテイの声は、終わりの合図だった。
エンテイは山頂の火口から離れて、未だ溶岩がとぐろを巻く斜面を平然と駆け下り、いつものお気に入りの岩の上に座った。
ここからは麓の平原から遥か遠くに連なる山並みまで広々と見渡すことができる。そして東の果てには、青々とした樹海が彼方にまで横たわっているのが微かに見える。広い空と広い大地。その絶景だけがエンテイの慰めだった。
山頂の上昇気流に巻き上げられるように麓から風が吹き上がり、エンテイの長いたてがみを靡かせる。
不快になるほどの強風であったが、エンテイは構わずその場に身を横たえた。そして疲れたように目を閉じる。
完全に火山を制御出来るようになったとはいえ、その作業には莫大なエネルギーを必要とした。意味もなく溜息が漏れるほど疲れ果ててしまう。
それでも、以前の自分からは想像もつかないほど、体力も能力も充実してきたという実感はあった。
強くならなければならない───それは、エンテイにとっては強迫観念のように魂に刻み込まれていた。心をえぐられるような痛みと共に。
力が足りなかったがために、引き起こしてしまった悲劇。
自分の弱さこそが罪なのだと、血を吐くような後悔の中で苦しんだ。
あのとき。
手に負えなくなるぐらい火山のストレスを溜めてしまう前に、上手にコントロールしてやっていれば。
爆発してしまった炎を自力で鎮められるぐらい、力があったなら。
容量を超えてしまった炎の始末を、スイクンに頼ってさえいなければ。
そして荒れ狂う自身の炎に、意識を焼き切られていなければ。
もしも、というあらゆる可能性が自らの失態を責める。
自分はすべての選択を誤った。その結末が……───
またあの悲惨な光景を瞼に再現してしまいそうになって、エンテイはふっと眼を開いた。
あれからもう五年も経つのに、その時の恐怖と胸の苦しみは今も鮮明に脳裏に焼き付いている。いや、時が経つほど一番辛い部分のみが浮き立つようになって、なおさら色濃くなっていくような気がする。
忘れるな。思い出せ。自分の罪を。自分の弱さを───
自らの記憶がそう命じている。そして強くなることを課している。
強くならなければ、償いのスタート地点に立つことすら出来ない。
───強くなりたい。もう一度お前と共に在るために。
足場の悪い岩だらけの斜面から飛び立った割には、巨躯のリザードンは器用に上昇気流を捉えて見る間に高度を上げていく。
「じゃあな、エンテイ。また来る」
軽く旋回しながらそう言って、そのままリザードンは飛び去ってしまった。
エンテイは旧友の姿が見えなくなるまで見送って、またいつもの定位置に戻った。
あの時エンテイを森から救い出して以来、リザードンは頻繁に此処を訪れるようになった。曰く「お前が変な気を起こさないか心配だ」ということらしい。
それは冗談半分で言われた言葉だったが、リザードンの内にそのような危惧が全くないとは思えない。最悪にボロボロの状態を見られてしまったのだ。きっと心のどこかでそんな事を案じているのだろうとエンテイは思う。
「そんなに心配なものかな。私が自ら命を絶つなど……」
……ある、のだろうか?
エンテイには判らない。少なくとも今は、為さねばならない事がある。だから立っていられる。
大切な者への償い───その為に生きている。そしてその為に強さを、高みを目指している。
けれどそれは同時に非常に危うい命綱であることを、エンテイも自覚はしていた。
もしスイクンがエンテイを真っ向から拒絶したなら。あるいは、スイクン自身が目の前から去ってしまったなら。
張り詰めた糸が切れてしまったら、その後自分はどうなるのだろう。もちろんその覚悟も出来ているつもりだが、考えたくないという逃避願望の方が強い。
拠り所が揺らいだ時───その先のことを考えるのが、たまらなく恐ろしい。
現に今、エンテイは言いようのない不安に苛まれていた。
リザードンによると、スイクンがもう何年も行方知れずだというのだ。
あの時瀕死の重傷を負って湖に委ねられた後、結局スイクンは水の中で二年以上を過ごしていたらしいが、ある日リザードンが湖の上を飛んだ時、それまで水面に見えていたその姿が忽然と消えていた。
森を覆っていた「水の気」も薄くなり、極端に生命の気配が少なくなったとも聞く。
あのままスイクンが死んだという可能性も否定は出来ないが、自力で動けるようになって、あの場所から去ったと考える方が自然だとリザードンは言った。
上空から見る限り、姿を消す直前の頃は、もう外的な障害はほとんど見受けられなかったらしい。
すぐに戻るだろうとリザードンは考えていたようだが、エンテイはそんなふうに楽観的にはなれなかった。
案の定、スイクンはそのまま数年にわたって姿を消したままだ。
不安で焦る気持ちと、「やはり」と半ば予期していた冷静な落胆が混じり合い、エンテイの心の内で葛藤している。
希望もなく、しかし絶望するだけの証も見いだせない暗闇の中で、ただ自分に与えられた贖罪の細い光だけを頼りに独り藻掻いている。
ほんの僅かの兆候でも、絶望の方へ大きく揺らいでしまいそうになる。そして諦めという名の終焉は、エンテイが絶望に足をとられて落ちてくるのを、口を開けて待ち構えている。
今この瞬間、自分の手の中にあるのが希望なのか絶望なのか、そして時の流れの先に行き着くのがそのどちらなのか。知るのが怖くて立ちすくむ。
贖罪を望み求めつつ、心の奥底で、その贖うべき相手からの仕打ちを身が凍るような思いで怖れている。
やはりあの時、共に湖に沈んで死んでしまえば良かったなどという考えが浮かんでしまうのは、心が疲弊してしまったせいだとエンテイは思う。
───こんなことではいけないな……
時折こんなふうにひどく心が脆くなる。そんな自分を叱咤しながら、エンテイは遠く東の彼方で大地を覆う広大な樹海を見つめた。
───覚悟を決めて踏み出さなくては。たとえそこに絶望しかなくても、どれだけ森の民に罵られようとも、あの森に分け入りスイクンを捜し出して正面から相まみえなければ。
希望でも絶望でも、もうどちらでもいいから自分で結論を掴み取らなければならないと強く感じる。
何を浴びせられても折れないだけの心の強さ。それを携えてスイクンに会うのだ。
───たとえお前から与えられるものが憎しみや拒絶だったとしても……それをも抱えて私は生きていく。
それが、エンテイの贖いであり、罪を犯した者の覚悟なのだった。
その日も、前夜からの噴火で辺り一面に熱気と噴煙が渦巻いていた。
吸い込む空気そのものが炎の気を帯びている。時折火口から唸り声と共に真っ赤な火柱が吹き上がり、その欠片が雨のように降り注ぐ。濁流のように流れてくるのは溶けた岩からなる炎の河だ。
まさしく、火に属する者しか生きられない世界。
エンテイは灼熱の空気をゆっくりと大きく吸い込み、体内に燻る火種と混ぜ合わせると、それを大きな火炎に育てて口から吹き上げた。
噴煙に霞んでしまった灰色の空高くに立ち上る鮮やかな緋色の炎。
「美しいな……」
「───っ!?」
突然かけられた声に驚き、エンテイは弾かれるようにそちらを向いた。
「…………」
ありえない者がそこにいた。
灼熱地獄のようなこの火山の懐に、一滴舞い降りた清涼な水の雫。
降り注ぐ火の粉の中、熱風に長いたてがみを揺らせて悠然と立っている水色の優美な姿。
エンテイはまるで幻を見るかのように、大きく目を見開いたまま硬直している。
言葉を発することもできない。
何が起こっているのか───頭がうまく働かない。
そんなエンテイの様子を見つめて、それは小さく苦笑した。
「そんな化け物を見るような顔をするな。───久しいな、エンテイ」
名を呼ばれて、ようやくエンテイの硬直が僅かに溶けた。
震える喉で、ようやく声を紡ぐ。
「スイクン……」
久しぶりに、名を呼び合った。
その懐かしい響きに、スイクンが深い息をつき、満足そうに微笑む。
スイクンの柔らかな表情を目の当たりにして、これまで打ちひしがれていたエンテイの心に、震えるような歓喜が沸き上がり満たしていく。乾ききった土に、水が染み渡るように。
「スイクン……スイクン。本当に……お前……っ───」
まともに言葉が繋がらない。スイクンに向かって歩を進めたいのに、脚が凝り固まって動けない。
エンテイが見つめる中、スイクンがゆっくりと近付いて来た。
水を象徴する寒色系の色彩の中、一際鮮やかに輝く宝石のような紅い瞳。一度は焼けて白く濁ってしまったそれが、以前と同じ───いやそれ以上の透明な輝きを取り戻してエンテイを映している。
そんな美しい瞳をもっと見ていたかったが、何故かその姿が滲んでくる。
「馬鹿だな……泣く奴があるか」
「スイ……ク……───」
呼ぶ声は続かなかった。あまりの驚きでエンテイの息が止まる。
頬を優しく舐め上げる柔らかな舌の動き。
雫を掬い取って、さらに瞼にも触れる。たどたどしい、ゆっくりとした動き。
「頬も額も、熱いのだな。お前は……」
少し照れ臭そうにスイクンは呟きながら、エンテイのたてがみにふわりと鼻先を寄せた。
「ああ……お前の匂いだ。懐かしい……」
「スイクン……!」
スイクンの思いがけない行動に、エンテイの鼓動が跳ね上がる。
そしてずっと抱えていた自らの思いが押し寄せてくる。今こそ、それを伝えなければ。
エンテイは首を絡めようとするスイクンから身を離し、正面から向き合った。
「スイクン、私は……私はお前に酷いことをした。許してくれと言える立場ではないが、お前に謝り償いたいと、ずっと思っていた」
「エンテイ……」
急き立てられるように必死に訴えるエンテイを、スイクンはまっすぐな瞳でじっと見つめている。
「本当に済まなかった。一生をかけて、私はお前に……───」
「エンテイ」
静かな声が、エンテイの言葉を遮る。
決して強い口調ではないのに、エンテイは射すくめられたかのように二の句が継げなくなってしまう。
スイクンは、しばらく思いを巡らすように目を閉じていたが、そっと瞼を上げ、エンテイを見つめながら小さく首を振った。
「もういい……過去のことだ。忘れよう」
「スイクン……?」
「私もお前も十分苦しんだ。もういいだろう? 私はこの数年、己を鍛え直すために方々を旅してきた。お前との再会を待ち望みつつ、けれどあのときの自分のままでお前に会うのは正直怖かった。どれだけお前の炎が暴れ狂っても受け止めてやれるように……強くなりたかった。自分を変えたかった」
言葉を止めたスイクンは、一瞬、辛そうな眼をした。
「あの悪夢は、もう消してしまいたい。お前も強くなった。共に生まれ変わったんだ。だからお前も……忘れて欲しい」
エンテイは信じられない思いでスイクンを見つめ続けた。
過去を忘れる、消したいとスイクンは言った。しかしエンテイにはその「過去の悪夢」があまりにも強く自我に根付きすぎていて、どうすれば良いのか判らない。
「忘れるなど……私にはとても……」
忘れてくれと頼まれて、はいそうですかとあっさり忘れられるほど軽々しいものではない。そんなに生易しいものではない。自分の罪は。そのために負った苦悩は。
「私はこの罪を一生背負っていくと誓った。私は……あの過去があるからこそ今の私があると思っている。お前に一生かけて償うと───」
「ならば忘れろ! それが……私の願いだ。私に報いたいのなら、どうか……」
スイクンは辛そうに顔を歪めた。
「私とてそうそう容易く忘れられるものではない。今でも……夢にうなされる。何かの拍子に恐怖に襲われる。だから……だからこそお前ともう一度やり直したい。お前と穏やかで力強い時を共に生きることで、あの過去を塗り替えていきたい。私の記憶からあの悪夢を消すことが出来るのは当事者であるお前しかいない。お前の記憶からも、私の記憶からも、それが消えたとき……やっと私は救われる……」
「……っ」
エンテイは痛いほど歯を噛み締めた。
スイクンもまた同じように、過去を背負って苦しんでいたのだ。けれどエンテイはそれを抱えて生きる道を選び、スイクンはそれを新たな記憶に変えて生きる道を選んだ。
スイクンの苦悩も、過去を忘れたい気持ちもよく判る。被害者なのだから当然の感情だ。
スイクンのためを思うなら、その望みに沿ってやりたいとも思う。
それでも、どうしても心がそれを、忘却を許してくれない。
「罪滅ぼしのために側にいてはいけないか……」
祈るようなエンテイの言葉に、スイクンは力無く首を横に振った。
「エンテイ……友よ、何故判ってくれない……」
大きな紅い瞳が揺れて、小さな雫が落ちる。
それを見たエンテイの胸に、抉られるような痛みが走った。
心と心が噛み合わない悲しみ。
互いに相手を深く思いやり、共に必要としているのに、その心の持ちようがあまりにも違う。
スイクンが目の前で涙を流している。愛おしい、護ってやりたいと心から願っているのに、何故いつも自分はこんなふうに不器用にしか出来ないのだろうとエンテイは自嘲する。
───ああ……でも、判ってくれないのは、スイクンもまた同じなのだな……
あまりにも軸がずれている互いの感情。その理由はもう判っている。
これ以上自分の心を偽っても、決して相互理解には届かない。もう、打ち明けるしかない。
「私にはあの時の記憶はない。お前を傷つけたのは決して自らの意志ではなかった」
「だったら……お前もまた被害者だ。気に病むことなど……」
すがるようなスイクンの眼差しに、エンテイは首を振る。
「それでも、お前と身体を交えたのは……必ずしも狂気のせいだけではなかったと思う」
エンテイの言葉に、スイクンの表情が強張る。
「どういう……」
「正直に言う。お前を抱きたいという願望が、私の中に確かにあった。私はあの行為を、炎の狂気の所為だと……不本意であったと弁明するつもりはない」
一気に言い切った。スイクンは、信じられないものを見るように、眼を見開いて凍り付いている。
「お前を……友としてではなく───愛している。スイクン」
エンテイは視線を逸らさずスイクンを見つめている。
スイクンもまたエンテイから眼を離せないまま、呆然と見つめ返している。
心が通い合わないまま、永遠とも思われるほどの痛々しい沈黙が場を支配する。
やがて動き出したのは、スイクンの方だった。ゆるゆると首を振りながら視線を彷徨わせる。
「何を……馬鹿な。気でも違ったか……」
「本気だ!」
「血迷うな! 正気に戻れエンテイ! ……あり得ない……そんな───」
スイクンの言葉が揺れている。心の動揺がそのまま戸惑う表情に表れている。
エンテイの友情を真摯に信じてきたスイクンにとって、この告白はどれほどの衝撃だったことか。
「友……だろう? なあ、エンテイ……っ!」
無意識の涙が零れている。可哀想なぐらいに動揺しているスイクンを、エンテイは辛そうに見つめ返した。
「友以上の心で……慕っている」
「エンテイ! 頼むから元に戻ってくれ! 私はそんなのは望まないっ!」
スイクンがひどく傷ついていることが、傍目にも判る。
愛しさのあまりに傷つけて、一体自分は何をしているのだろう。スイクンに贖うのではなかったのか。これでは罪の上塗りだ。己が傷口を広げてどうする───
エンテイの胸に自らを罵倒する言葉が溢れる。
もう、後戻り出来ないことは明らかだ。
最悪の結末だが、それも自業自得だと思う。
───スイクン……済まない……
「愛しいと思う心は、偽れない」
「黙れ! 聞きたくない! お前は……お前はどれだけ私を愚弄するのか……っ!」
泣き叫ぶようにスイクンが吼える。
もうスイクンの心は千々に乱れていた。
「スイクン! 違う、愚弄など……」
「もう私の名を呼ぶな! 汚らわしい獣!」
叫ぶ声に重なって、渦巻く水の激流がエンテイを襲う。
エンテイは避けることなく正面からその攻撃を受け入れた。
これがスイクンから与えられる最後のものになると知っているから、すべて受け止めたかった。
悲しいほど、心地良い水の感触だった。
この水の一滴すら、愛おしくて、たまらなかった。
滲む視界に、走り去るスイクンの後ろ姿を焼き付ける。
きっと彼も泣いているだろう。
彼らの信頼関係は、今ここで完全に破綻した───
……うわ~~……
さらに泥沼つづきます……
いつも地の文が詰まり気味なので、今回試行的に行空けを入れてみました。ちょっとは見やすくなったでしょうか。
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