空蝉
初めまして。ポケモン初書きです。いろいろと不慣れなことも多いので、ご意見アドバイス等ございましたらどうぞよろしくお願いいたします。
暴力、強姦表現がありますのでご注意下さい。
低い轟きとともに、森の上空を大気の鳴動が渡っていく。
異変に驚いた動物たちがざわめき、鳥や虫たちが一斉に飛び立つ。
それからすぐに、大地の震えが来た。
高い山並みにこだました爆音が、唸るように延々と鳴り響いている。
スイクンは斜面を駈け上がり、樹海に向かって大きく視界の開けた岩場に立った。
遙か西の地平に、真っ黒な噴煙が上がっている。火山が爆発したらしい。
───このところ多いな……
スイクンは小さく溜息をつき、やがて訪れるであろう旧友を迎えるため、山を降りた。
広大な樹海を半日ほど西に駈け、樹木が徐々に疎らになってくるあたりで立ち止まり、辺りの様子を伺う。火山地帯に近づいた分、噴煙の匂いが強く鼻をつき、スイクンは思わず顔をしかめた。
雨でも降らせてやろうかとも思ったが、どうせ彼が来たらそれどころではない状況になるのは目に見えているので、何もせずただ待つことにする。今まさに凶暴なマグマを吹き出している火山と同じだけの破壊力を纏った者が、そのままここへやって来るのだ。
じわりと熱気の気配が漂う。耐え難い熱さにスイクンは自らの周囲を水の幕で覆うが、それも僅かの気休めにしかならなかった。
周囲の草木が、見る間に力を失いしおれていく。
「来たか、エンテイ」
全身から激しく炎を吹き上げながら駈けて来る獣。その炎があまりにも凄まじく、中心に居るエンテイの姿が陽炎のようにゆらめいて見える。
「……」
こんなふうに炎の力を持て余して、エンテイが此処へ助けを求めに来ることはこれまでにも幾度かあったが、今日はいつになく火炎の勢いが強いように思う。
エンテイ自身もひどく憔悴しているようだ。
「大丈夫か、エンテイ。随分難儀しているな」
「……すまない……スイクン。頼む」
掠れかけた声で、辛うじてそれだけを告げる。喘ぐように吐き出す吐息さえ、灼熱の猛火そのものだった。
「辛そうだ……」
エンテイの苦痛を少しでも和らげようと、スイクンは水の巨大な渦を出現させ、そのすべてを目の前に蹲る炎の塊の中心一点に向かって放った。
バシュウウゥ……!
大量の水が、凄まじい音とともに一瞬にして気化する。
超高温の蒸気は、炎とはまた違った凶器となる。
スイクンはその小規模な水蒸気爆発の衝撃から身をかわして飛び退いた。
───中途半端な水では、かえって危険だな……
エンテイから距離を置きながら、注意深くその火炎の動向を探る。
「エンテイ、体の中の炎をすべて吐き出せ。出し切ったところで一気に鎮火してやる。やり直しのきかない一発勝負だ。……出来そうか?」
スイクンの言葉に、僅かながらも水を浴びて一息ついたらしいエンテイが頷いた。
「やってみよう。こちらも一度きりだ。その一度で炎を出し切れなければ、後はもう制御できる自信はない」
「恐ろしい事を言う」
小さく呟いてから、スイクンは体内と空間の水の気配に意識を集中させた。
動かせるだけのすべての水をここに集めなければならない。
一発勝負と言ったのは決して戯れ言ではない。一度放ったらもう後はない。
エンテイはやると言ったが、果たして『その一瞬』にすべての炎を解き放つことが出来るのか、スイクンにはそれだけが不安だった。常に無い猛火の凄まじさに、エンテイは翻弄されているのではないかという気さえしてくる。
けれど、こうなった以上もうやるしかないのだ。荒れ狂う火山に、今、対峙しているのは自分しかいない。誰も助けてなどくれない。
やれるかどうかではなく、やるしかない。でなければ、自分も彼も、この広大な樹海もそこに棲む生き物たちも、すべてが焼き尽くされ灰になるだけだ。
「エンテイ……」
「く……ぐああぁぁっ」
エンテイが苦しげに背を丸めて震えている。火山と共鳴するその体の中には、止めどなくせり上がってくる地熱の炎が激しく渦巻いているのだろう。
本来なら身の内に納めて処理すべき炎だが、火山の勢いが強すぎるとそれが間に合わなくなる。容量を超えてエンテイ自身が暴走してしまう最悪の事態を避けるには、無理にでもその火種を体外に出すしかない。しかし莫大な熱量を急激に放出するのは、エンテイにとっても過度の負担となるようだった。
「……ああああぁっ!」
咆哮が轟く。
「エンテイ!」
地鳴りのような爆裂音とともに、真っ白な炎が吹き上がる。
眩しくて直視できないほどの灼熱の光彩を放つその炎に、スイクンは言葉を失った。
───これは……まずい
ゆらりとエンテイの体が動き、攻撃の構えをとる。
───来る……!
突進してくる猛火の一閃。スイクンは気を奮い立たせてその炎の塊をまっすぐに見据えた。
自分の持てるすべての力を、今ここで、彼にぶつけるために。
「おおおぉぉ……!」
スイクンの咆哮とともに、凄まじい勢いの洪水がわき起こる。
渦を巻き、あらゆるものを飲み込む激流が、怒濤のようにエンテイに向かって押し寄せる。
真っ正面から、力と力がぶつかり合う。
一際激しい爆発が、周囲一帯を薙ぎ払う。
「……───っ」
衝撃に煽られて吹き飛ばされたスイクンが、何とか体制を立て直して立ち上がった。
───やったか?
爆発の余韻で未だ震えの残る体を庇いながら、大地が大きく抉れたその中心の場所へ向かう。
「エンテイ」
彼はそこに蹲っていた。豊かな毛並みから水を滴らせながら、やはり苦しそうに肩で喘いでいる。しかしその姿に炎の気配はない。
ひとまず鎮火したらしいことにほっと息をつき、スイクンは鼻先でエンテイの肩に触れた。
「───!」
その体は、異常なほど熱を帯びていた。
「エンテイ、まさか……」
無意識のうちに、後ずさっていた。
本能が、危険を察知していた。
「エン……」
「───駄目だ……失敗した」
低く掠れて消えそうな声だった。
「エンテイ!」
「私から離れろ。もう……制御できな……」
震える語尾は、悲鳴のような爆発音に掻き消された。
「待っ……」
ごうごうと吹き出す灼熱の炎。それは先程鎮火したものよりもさらに凶暴なうねりを帯びていた。
───失敗した……炎を出し切れなかったのか、エンテイ……
絶望感がスイクンを襲う。今、目の前のこの火山を鎮めるだけの力は、もう残っていない。
さらに幾度か火炎の暴発を繰り返しながら、エンテイがゆっくりと起き上がった。
その眼に、意志の光はない。完全に意識を失っているようだ。
スイクンが身の危険を感じた荒ぶる炎。その炎に、先に焼き切れてしまったのは、エンテイの意識の方だった。
「気を確かに持て!エンテイ!」
声の限り叫ぶ。
けれどもその咆哮は、焼け野原を空しく渡るだけだった。
「エンテイ!」
スイクンの頭上で渦を巻く水流。残された僅かな力を、その水に注ぐ。
初めにそうしたように、水の癒しがエンテイの意識を呼び戻すことに僅かな願いをかけて。
───頼む、目を覚ましてくれ……
スイクンが気力をふりしぼって水流を放ったのと、エンテイの体から幾度目かの爆炎が上がったのが、ほぼ同時だった。
「───!」
何が起こったのかスイクンには判らなかった。
気付くと、元居た位置から随分離れた所で倒れていた。吹き飛ばされ、一瞬気を失っていたらしい。
「……っ」
起き上がろうとしたが、前脚が片方動かない。無理に立たせようとしたら、激痛が走った。
───折れたか……最悪だ
周囲のあちこちで燻る小さな炎。それらが、見る間に大きく育っていく。いつの間に来たのか、未だ衰えぬ炎を纏ったエンテイがそこに居た。
ガラス玉のように焦点の定まらないその瞳に、スイクンの焦燥が高まる。間合いをとろうと不自由な身を引きずるが、暴走するエンテイの前では何の意味も為さなかった。
ほぼ無抵抗なまま当て身を喰らわされ、もんどりをうつ。
「……エンテ……イ、目を覚ませ……」
祈るように訴える。けれどその声も届かないまま、体当たりで突き飛ばされた。
───熱い……
まるで太陽が目の前にあるかのようだ。あまりの熱に、スイクンの意識にも霞がかかる。
無駄な事と判っていながら、スイクンは再び水を呼んだ。
辛うじて動く三本の脚で立ち上がる。
「エンテイ……エンテイ。頼むから……鎮まってくれ……」
傷付いてもなお清涼な水流。
エンテイは、その水を真っ正面から突き破ってスイクンに襲いかかった。
「───……!」
エンテイの鋭い牙がスイクンの喉に突き立てられる。
そうしてエンテイはスイクンの首を捉えたまま、勢いをつけて地面に叩きつけた。
「……か……っ」
呼吸が出来ないほどの苦痛に、スイクンは目を見開いた。
咳き込むように吐き出した呼気には鮮血が混じっていた。
───殺される……
はっきりと、そう意識したと同時に、目の前の地面から炎が吹き上がった。
目の前だけでなく、自分の周りのすべてが炎であった。
エンテイはスイクンの額の水晶に牙をかけた。
無理矢理引き上げられ、スイクンが震える脚を立たせる。けれど立つことを許さないかのように、エンテイはスイクンの背に体重をかけて地に押しつけた。首だけを無理に反らせた姿勢のまま、エンテイに後ろから乗り上げられる。しなやかなその背に、エンテイの胸を飾る鋼の鋭い先端が食い込み血を滲ませた。
「痛い……エンテイ、やめ……っ」
背に密着し痛みをもたらすエンテイの体躯は、同時に岩をも溶かす灼熱の猛火そのものであり、あまりの熱さと恐怖にスイクンの意識が激しい拒絶反応を示す。
「あああぁぁ……っ!」
スイクンの悲鳴に呼応するかのように暴発を繰り返す炎。狂ったようなその破壊力は、まるで荒ぶる神だ。
───熱い…あつい…
触れ合った場所も、そうでない場所も、すべて燃えている。焼かれている。
視界には炎しか見えず、耳にはごうごうと叫ぶ猛火の音しか聞こえず───そして、嗅覚は焼けこげる匂いを捉え、肌は発狂しそうな痛みと熱さを訴えている。
スイクンごと自らを炎に包みながら、エンテイがさらに体重をかけた。
「───!?」
下肢から迫り来るのはマグマそのもののような熱の気配。スイクンはその脅威に戦き、無我夢中で逃れようともがき始めたが、不自由な脚はただ地面を空しく掻くだけだった。
「やめろエンテイ……っ!鎮まれ……鎮ま───……あ、うあああああぁぁ───ッ!」
自分が何をされているのか、スイクンには判らなかった。真っ赤に燃えた溶岩が後脚の間に割り込み肉も骨も溶かしていくような錯覚。
肌だけでなく、身体の内側にまで炎が入ってくる。内側から焼かれている。
水に属する筈の自らが炎と交わり新たな炎を生み出しているという耐え難い混乱。それは精神の恐慌と崩壊を引き起こす。
「……やああぁぁっ!」
振りほどこうと暴れる動きは、エンテイの圧倒的な重圧の前では僅かに身を捩る程度の抵抗でしかない。
突き上げる動きの激しさに、とうとうスイクンの前脚が崩れ落ちた。
全身を覆う炎の熱さを凌ぐ下肢からの熱量。もう自分の体は溶けてしまったかもしれない───そんな意識もすぐに消えた。
耳にかかる熱い吐息の声すら、もうどこか遠くで聞こえる音のようだ。
濁ってくる視界。炎の赤も遠のいていく。
もう何も感じない。
───ああここで……狂ってしまったお前に焼き殺されるのか……
身体の中で、燃え滾ったマグマが爆発する。
流れ込んで来る灼熱の炎。
「っああああぁぁ───……!」
断末魔の悲鳴は、意識の外で上がったものだった。
スイクンの意識は既に事切れていた。
痛くてごめんなさい。つづきます……
依存関係 -2-悔恨
空蝉
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