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亀の万年堂
一度投稿したものを、再び履歴に載せてしまうことを、深くお詫びします。
更新履歴
2008年12月29日
・誤字及び誤った表現の修正
・一部の字へのルビ振り
・若干の加筆
2009年1月8日
・プラムタウンの位置が「ホウエン地方の南東→北西」だったことに気づき、修正しました
ひとと けっこんした ポケモンがいた
ポケモンと けっこんした ひとがいた
むかしは ひとも ポケモンも
おなじだったから ふつうのことだった
シンオウむかしばなし その3 より
そこは一体どこなのか。森の中なのか。山の中なのか。海の中なのか。雲の中なのか。いずれのものともとることができ、いずれのものともとることのできない闇が――すべての光を吸いこんでしまっても、なおその、この世のすべてを塗りつぶすことができそうな
その闇の中には、朝も夜も無く、生き物の音すら一片も無かった――が、
・・・
言葉は無かった。だが、光の存在しない
・・・
そこは一体どこなのかはわからない。だが、依然として無音の闇が広がっている中で、黄金色の輝きを抱く、一枚の光だけが、その闇に飲み込まれずにそこに存在していた。
光を抱いた闇は、その光に触れながら、時を待ち続ける
ここはホウエン地方の北西に位置するプラムタウン。シティではなく、タウンと名がつくだけあって、それほど規模は大きくありませんが、自然が豊かで
よってプラムタウンには、この世界における一般家庭の家と比べると、軽く4、5倍の大きさを持つ屋敷が至る所に建っていましたが、今の時期――温暖な気候から少し寒い時期にうつる時には、元々住んでいる人以外にはほとんど人がいないため、大変に静かです。加えて今は夜なので、街中には人は全くおらず、街灯の明かりだけが、等間隔に並んでいる仲間と一緒に、寂しく自分の存在を主張していました。
そんな静かな街の一角に、街の中の数ある屋敷の中でも一際大きな屋敷がありました。屋敷そのものは、高さこそそれほどでもないですが――もちろん普通の家と比べると、軽く3倍程はありましたが、横には猛烈に広く、優に100人以上は住むことができそうなほどの大きさでした。さらにそれだけではなく、屋敷の前には、最早どう言っていいのかわからないほどに広く、手入れの行き届いた立派な庭が広がっていました。その庭の中には、建物は屋敷が一軒あるのみでしたが、それが映えるように、丁寧に剪定をされているであろう庭木や、やたらと大きな石柱などがあり、敷地の入口に構えられている、どうやって開けるのかわからないくらいに大きな門をくぐった先から見れば、屋敷全体が大変に美しく見えるのは間違いありませんでした。
そんな大きすぎる豪華な屋敷でしたが、他の屋敷とは異なり、ちゃんと明かりが点いているところからして、どうやらそこは別荘ではないようでした。とはいっても、明かりが点いているのは、その庭の中心にある、街灯よりもずっと大きくて立派な電灯と、屋敷の中の一部の部屋だけでした。そして、その明かりが点いている一部の部屋のうち、屋敷の2階部分に当たるであろう階層の端の方にある、特に小さな明かりが漏れている部屋の中に、一人の人間の女の子がいました。
その女の子は、屋敷がいかに大きく立派なのかを物語っているかのように広く、極め細やかな文様が施された高い天井のある大きな部屋の中で、これまた凄まじい大きさの、とても柔らかそうなベッドの上で、そこに埋もれるように沈みながら、うつ伏せに寝そべっていました。
「退屈ねー」
如何にも高級そうな、それでいて大変に着心地の良さそうな、ゆったりとした白い一枚の薄いパジャマに身を包み、柔らかいベッドに、自身の両肘を沈みこませながら頬杖を突き、誰に言うでもなく、気だるそうな声をあげているこの女の子は、名をキョウカと言います。年は12歳で、今は特に何かで留めていない明るい赤色の髪を、背中の中心のあたりまで伸ばしていました。また、顔つきは年相応の幼さがありながらも、
「一言多い・・・・・・」
誰に対してなのかはわかりませんが、キョウカはぶつぶつと呟きながら、自身の目の前に置かれている『すばらしき世界の絶景百選!』と書かれた本に目を落としていました。その本には「世界の」と銘打っているだけあって、ホウエン地方のものだけではなく、世界中の秘境や遺跡の写真が載っていました。中には、一体どこから撮ったのか?と疑問を抱かずにはいられないようなものもありましたが、キョウカは特に気にすることもなく、黙々とそれらの風景を見ているようでした。しかし、その表情はどこかつまらなそうで、ページをめくるたびに、小さくため息をついていました。
「セリナが絶賛していたから借りてみたけど、やっぱりこういうのって、写真とか絵じゃなくて、自分の目で見ないとだめなのかしら。キレイだとは思うけど、なんかこう・・・くるものがないのよね」
いよいよ退屈さが極まって来たのか、キョウカはひとり言を呟きながら、足をパタパタとベッドに打ち、
「けど、自分の目で見るって言っても難しいわよね。今はパパとママが特に忙しいから、旅行には行けないし。――何か良い手はないかしら」
そう
「できれば時間制限がないほうがいいわよね。時間に追われているんじゃ景色を楽しむなんて出来無さそうだし。――そう、例えば、世界放浪の旅みたいな感じで延々と続けられたら・・・。あ、でもこれじゃ響きが悪くて、パパとママの許可が下りそうもないわね。うーん・・・・・ん?」
キョウカが何ともなしに、チラっと本の方に気を向けると、すでにページは最後までめくれてしまっていました。そして、巻末に記載されている、本に掲載されている写真を撮ったであろう写真家のコメントに、キョウカの目が留まりました。そこには数行の文章が書かれている他、カメラを携えて笑顔でこちらの方を向いている人間の成人男性と、その後ろに、一匹のトカゲのような生き物――とはいっても、この世界における普通のトカゲとは違い、その背中には赤く鋭利な翼が生えているだけでなく、体の大きさが一緒に写っている男性の軽く2、3倍はあるようなものが、大きな山を背景にして、一緒に映っている写真が貼られていました。
「えっと、これらの写真は、私がポケモンと一緒に、世界各地を旅をする途中で撮ったものです、か。へぇー、これを撮った人はポケモンと一緒に旅をしていたのね。――けど、ポケモンなんかと一緒に旅をして面白いのかしら?」
写真には特に目もくれず、コメントのみを読んで発言したその内容は、一介のポケモントレーナーやブリーダーが聞いたら、怒りのあまり色々と喚き散らしそうなものでしたが、キョウカの場合はそう思っても仕方ありませんでした。何故なら彼女は、
「まぁポケモンに全く興味の無い私が言っても仕方ないかもしれないけれど」
人とポケットモンスターという、不思議な不思議な生き物が共に生きているこの世界で、それは異端とも言うべきものだったかもしれませんが、キョウカは今よりも幼くしてから、ずっとそうなのでした。本来ならば、彼女は誰よりもその者達のことについて知っていなければならない立場にあったのですが、彼女の両親からしてみれば残念なことに、そうはなりませんでした。
「でもやっぱり、私だったらポケモンと旅をするより、パパやママとか、セリナと一緒に旅をする方がずっと楽しいと思うけど・・・。ん?セリナ?そっか!パパやママとの旅行が無理なら、信用のあるセリナと一緒に行けばいいのよ!きっとそれなら文句を言われないだろうし。さっそく明日セリナのところに行って聞いてみよっと」
どうやら結論が出た様子のキョウカは、そのヒントをくれた本を閉じ、ベッドの脇にある小さい机の上に置くと、スタンドの灯りを消してベッドにもぐりこみました。そしてすぐに安心しきった顔で寝息をたて始めました。
果たして計画はうまくいくのでしょうか?
翌朝、キョウカは一人で朝食をとった後、早速セリナの家に向かいました。プラムタウンは人口こそ少ないものの、それなりに広い街なので、端から端まで歩いて移動するには相当の時間を要しますが、キョウカの家からセリナの家まではそれ程の距離は無いため、ものの10分足らずでつくことができました。
そして今、キョウカの目の前に建っているセリナの家は、やはり普通の家と比べると相当に大きな敷地を有していましたが、その姿はキョウカの洋風な家とは異なり、和風なテイストのものとなっていました。単純に外見から判断すると、
「今日もいつもと同じで凄いわね。流石、道場をやっているだけのことはあるわ」
そうなのです。キョウカがのほほんと言っているように、セリナの家は全国的に有名な格闘術の道場の本家なのです。その知名度たるや、プラムタウンに住んでいる者はもちろんのこと、色んな地方からも、教えを乞うために多数の
「さて、セリナは道場の方にいるのかな?それとも、母屋の方かしら?どっちに行ってみようかなー」
大きくて立派な門をくぐって、母屋と
「あれ?キョウカじゃないか。どうしたんだ?」
ドスドスと足音をたて、母屋の玄関の中から出てきたのは、人間ではなく、ポケモンの雄のリザードンでした。その体は、暗めの赤目と黄味を帯びた乳白色のお腹以外は基本的に
「あら、レン。こんにちは」
キョウカが声を返したこのリザードンの名は、彼女がそう呼んだようにレンといって、セリナのパートナーとも言うべきポケモンでした。ポケモンにはまったく興味が無く、また、ほとんど知らないキョウカでしたが、彼のことはセリナと同じく、長い付き合いなのでよく知っていました。特に、尻尾の火が消えてしまうと死んでしまうことについては、セリナから死ぬほど念を押されていました。
「今日はキョウカの稽古の日じゃ無かったはずだが」
「うん、そうなんだけど、ちょっとセリナに用があって来たの。今、どこにいるかわかる?」
「ああ、道場の方にいるぞ。何だったら呼んでこようか?」
「ううん、それだったら私の方から行くからいいわ」
「じゃあ俺も一緒についていこう。これを持っていかないといけないからな」
話がついたところで、レンはその肩に背負っている大きな人形を――キョウカの体よりもずっと大きく、そして重そうなそれを、キョウカに見せるようにして背負い直し、彼女の隣へとやって来ました。それを確認して、キョウカは母屋の前を後にし、レンと一緒に道場の方へと向かい始めました。
そうして、キョウカとレンが玄関から庭を回る形で道場の方へ回っていきますと、先ほどから聞こえていた熱気のある掛け声が、一層大きくなって聞こえてきました。ここまでくると、少し声を大きくしないと会話できない程です。
「いつも思うけど、すごい熱気ね。これだけ大きなところじゃなかったら、近所から間違いなく苦情がくるわよね」
と、キョウカが隣にいるレンに向かって呼びかけましたが、それに対してレンは、少し眉をひそめて、
「何を言っているんだ。キョウカが稽古に来ている時は、この倍はうるさいぞ」
「え?そうなの?全然気がつかなかったわ」
「まぁあれだけ熱中してれば無理もないか。なんていったって、あのセリナとまともにやりあえるくらいだからな・・・」
顔を正面に戻し、ぼやくようにしてそう呟くレンの表情からは、何故か若干恐怖の色が窺えました。それもそのはずです。なんと言ってもセリナは、
「まともにやりあえるって言うけど、本気で勝負したら、絶対にセリナが勝つと思うわよ?だってセリナはここの師範代じゃない」
この世界においては、師範代というのは師範の次の有力者であり、主に、その教えを乞う者達に対しての指導を行う立場にある者を指します。また、師範というのは、直接その門下にある者達に指導を行うことは稀であるため、実質的にNo.2である師範代が、その務めている場所の看板を背負うこととなります。
つまり、セリナはキョウカと同い年の12歳の女の子でしたが、その若さで、もう全国的に有名な道場の、事実上のNo.1を務めているということになります。そんなセリナと、本人は謙遜してはいますが、それなりにやりあえるというのですから、キョウカ自身が相当の実力者であることが伺えます。レンが複雑そうな表情をしているのは、彼もまたこの道場で稽古をしているので、その光景を間近で見ているためでした。
「そうだとしてもキョウカは強いと思うぞ。同い年で勝てる奴はまずいないだろう」
「うーん、嬉しいような嬉しくないような・・・。っと、着いたわね」
玄関から大分歩いたところで、ようやくキョウカとレンは道場の前に辿り着きました。近づいたことで、より一層激しく揺れているのが見て取れる道場は、やはり母屋と同じく平屋で横に広く、キョウカ達の位置からだと、その全様を見ることは適いませんでしたが、上から見てみると、きっちりとした正方形状の形になっているのがわかります。
「セリナー!いるー?私だけどー!」
キョウカが、開け放たれている道場の入り口の扉の外から、口の脇に手を添えて大きな声で中へ呼びかけると、少ししてから、一人の白い道着姿の女の子が、タオルで汗を拭きながら出てきました。
その姿は、道着を着こんでいるということもあって、キョウカと比べるとかなり活発そうで、ややもすると男の子と間違えられてしまいそうでした。何せ顔つきは、あどけないキョウカのそれと比べるとかなり
「ほほぅ、
・・・しかしながらよく見てみると、短髪は黒めの灰色でツヤがあり、浅黒い肌とよく合っています。さらに身長は年齢からすると比較的高い上に、体は良く引き締まっているためスタイルは良く、しかも12歳という年齢にしてはかなり胸は大きめでした。ハッキリとその色を強調している黒色の瞳は、その目を見る者を捉えて話さない神秘的な魅力がありました。有り体に言って美人でした。決して男の子には見えませんでした。
「それでいいのよ」
「え?何か言った?セリナ」
「ううん、何でもない」
セリナは、首をかしげて聞いてくるキョウカに対して、涼しげな表情で首を振って返すと、今度はその隣に突っ立っているレンをジロリと
「レン!あんたは一体何やってんのよ!?稽古中は誰も通しちゃダメだって言っているじゃない!!!それとも何?あんたはあたしの言うことなんかどうでもいいって思っているの!?」
「そ、そんなことはない!オレはただ、キョウカが用があると言っていたから、それで」
「言い訳するんじゃない!まったく、あんたはいっつもいっつもそうやってキョウカのこととなると!大体あんたはね・・・」
セリナからの猛烈な
「ごめんなさいセリナ。悪いのは無理やりに来ちゃった私の方だから、それ以上レンのことを責めないであげて。ね?」
自分とレンとの間に割って入って来たキョウカを見て、セリナは彼に対する矛先をとりあえずは納めましたが、その際に「もう少し
「それで、用件は何?わざわざこの時間に来たってことは、それなりに大事なことなんでしょ?」
「うん、実は・・・」
「ってやっぱりちょっと待って。レン!」
「はいぃ!!!」
セリナは話を切り出そうとしたキョウカを手で制止し、背中を丸めてたポーズのままでいたレンに強く呼びかけました。その鋭い声に、また叱責を受けるのかもしれないと思ったのか、レンは体に対して小さな手を、体の線にまっすぐになるようにして腰に当て、背筋を背中に定規でもあてがったかのようにピンと伸ばしました。
「あたしはこれから母屋に戻ってキョウカの話を聞くから、あんたはその人形を道場の中に運んでおきなさい。それから、皆に休憩の指示を出しといて。こっちが終わったらすぐに戻るから、それまでちゃんとやっておくのよ。何かしくったらはったおすからね」
「わっ、わかっ、わかかっ」
「返事はハッキリ!」
「わかりましたっ!」
セリナの指示を受けたレンは、人形を背負ったまま、慌てて道場の中へと走っていきました。そしてすぐに大きな声で、道場の中にいるであろう門下生達に対して、言われた通りの指示を出し始めました。それは聞きようによっては、どこか怯えた声のようにも聞こえました。
そんなレンの後ろ姿を見送った後、キョウカは目の前にいる、自分と同様に彼の後ろ姿を見送っている、腕を組んで小さく笑っているセリナに対して、少し
「ほんと、セリナはレンに厳しいわね。たまには優しくしてあげたら?かわいそうじゃない」
「いいのよ!いつもこんなんだから。それより早く行こう」
「うん、でもごめんね、稽古を中断させちゃって」
「なーに言ってんのよ。あたしとキョウカの仲じゃない。気にしなくていいよ」
そう言ってセリナはキョウカに向けてウインクをして見せました。
表情こそ、やはり精悍な顔つきのおかげで、どこか厳しそうな印象をもっていましたが、キョウカと一緒に笑っている時の彼女の顔は、年相応の女の子のそれとなんら変わりなく、とても楽しそうで、可愛らしく見えました。
しばしの間だけ喧騒が止んだ道場から離れ、二人は母屋にあるセリナの部屋へと来ていました。部屋の中は、キョウカのそれと比べると相当に狭くはありましたが、やはり一般家庭のものと比べるとかなり広く作られていました。とはいっても、そのスペースを活かして豪華な家具や調度類が置かれているというわけではなく、部屋の中には、普通の大きさのベッドやタンスといったものが少しあるくらいで、年頃の女の子ならば、持っていてもおかしくはないぬいぐるみや、身だしなみを整えるための鏡台というようなものは一切ありませんでした。やはり有り体に言ってしまえば、とても殺風景な部屋と言えましたが、部屋の主がそうだからなのか、特に違和感は・・・・・・いえ、とても落ち着いた雰囲気のある、いかにも和の部屋といった感じで、身を置くものを自然とシャッキリさせるような素晴らしい部屋でした。
「だいぶわかってきたみたいね。――で、さっきの繰り返しになるけど、相談したいことって?」
「うん、実はね・・・」
自分のベッドの上に腰かけているセリナの足元で、彼女が用意した座布団に座っているキョウカが、促されるがままに、昨晩のほんの数分のうちに思いついた計画を話し始めました。セリナは口をはさむことなく、数分の間黙ってキョウカの話を聞いていましたが、それが終わると、一つ大きくため息をついて、
「ほんとキョウカって、キョウカらしいっていうかなんていうか・・・・はぁ~」
「えへへ」
ほんの少し前にしたものよりも大きなため息をつき、こめかみに指を当て、悩んでいるとも怒っているともとれるような表情をしているセリナを尻目に、キョウカは恥らうように手を後頭部に当てて笑っていました。どうやら褒められていると思っているようです。
「まぁ本を貸した私に責任がないわけでも――いや全く無いわよね。フツーに考えたら」
「あははは!――それで、どう?」
「結論から言うと無理!あたしはこの街を、というよりは道場を離れるわけにいかないからね。わかるでしょ?」
どうもこうもなく、セリナが全く悩む様子もなくあっさりと断ると、キョウカはまるで、この世の希望が全て絶たれたと言わんばかりに表情を
しかし、少しして元の位置に戻した顔には、暗い表情の他にも、どこか寂しげな色が添えられていました。
「そっか、やっぱりお父さんとお母さんの目があるのね」
「そーなのよ。お父様は私の婿を探そうと必死みたいだし、何よりも道場のことがね。って、キョウカのところもそうなんじゃないの?家のこととか、花嫁修業のこととかあるでしょ?」
「うーん、お婿さんのことについてはよくわからないから、あまり気にしてはいないし、毎日のお稽古も特別つまらないわけじゃないんだけど、何だか退屈なの。だから、パパとママには悪いけど、どこか遠くに旅をしてみたいの」
「退屈、か。あたしはそんな風には感じないけれど、でも・・・」
セリナはそこまで言ったところで黙り込み、視線をキョウカからずらして窓の方へと向けました。そしてキョウカも、特に何を言うでもなく、セリナと同じ方向を眺めていました。その窓の先には、無限とも言えるような空がありましたが、今二人に見えるのは、その窓枠の範囲内の、限られた空だけでした。
二人はプラムタウンの中でも、というよりも、このホウエン地方においては、共に有名な家の一人娘です。キョウカの家は数々のポケモンに関する事業に出資している資産家で、セリナの家は先ほども言ったように、ホウエン地方全域にとどまらず、その他の地方にまで進出している格闘術の本家です。
そんな二人は普通の家の子どもとは違い、小さい頃から厳しく習い事や指導を受けていました。そのため、二人とも普通の子どもが行くような学校には通っておらず、友達と呼べるような友達はいませんでした。しかし、そんな二人は、互いに家が近い上に境遇も似ているという共通点に恵まれただけではなく、馬がよく合い、本当の姉妹のように仲のいい間柄となったのでした。ちなみに普段は性格上セリナがお姉さんで、キョウカは妹という感じでした。レンは・・・ちょっとダメな弟のような感じでしょうか。実際はレンの方が遥かに年上なのですが。
「あ、そうだ」
窓の方を見ながら、しばらく黙っていたセリナでが、ふと思い出したように言葉を漏らしました。その声に、キョウカは視線をセリナへと戻し、セリナもまたキョウカへと視線を戻しました。そのセリナの顔には、どこかイタズラを思いついて実践しようとしている子どものような表情が浮かんでいました。
「その顔は、何か思いついたの?」
「うん、こういう手はどうかしら?」
セリナと会った次の日の朝、キョウカは自分の部屋よりもさらに大きな部屋の中で、どこまでも続いているような長いテーブルの上に乗っている、目が飛び出るくらいに高い食器に盛られている、大変に手間暇をかけて作られたであろう豪華な朝食をとっていました。それは昨日とほぼ同じ光景でしたが、今日はキョウカ一人では無く、二人の人間の大人が、彼女から見て正面と左手の方で席についているという点が異なっていました。
まず、キョウカの正面に座っているのは、人間の大人の女性でした。髪はキョウカのそれと同じく赤く、しかし、髪飾りをつけてストレートに長く降ろしている彼女とは違い、お団子のようにして、上品にまとめていました。肌は白く、顔を含めて全体的にほっそりとした体格をしていましたが、目鼻はくっきりとしていて、特に赤い瞳を持つ目は丸くて大きく、実際の年齢よりも幼く見えるであろう雰囲気を漂わせていました。
次に、キョウカの左手に座っている、つまり、二人に対して上手に座っているのは人間の大人の男性でした。丁寧に狩り揃えられた髪と、口周りに生えている豊かな髭は薄い黒色となっており、鳶色の瞳と大きなパーツが散りばめられた顔は、共に座っている二人とは違って、ややもすれば、山賊か何かと間違ってしまいそうなほどに厳つい作りをしていました。しかしながら、一度笑顔を見せれば、決して恐ろしい人では無く、本当は優しい人なのだと一目でわかるような、どこか少年のような雰囲気をもっていました。
キョウカはその二人を、それぞれ「パパ」「ママ」と呼び、笑いながら会話をしつつ、久しぶりの家族三人揃っての食事を楽しんでいるようでした。それは彼女からだけではなく、他の二人にとってしてみても――つまり、彼女の両親にとっても、非常に稀な光景でした。
もっとも、この世界の一般の家庭であれば、食事の席に家族一同揃っているものなので、その光景は特に珍しいとは言えないのですが、キョウカの両親は共に特別な仕事で忙しいため、こうして3人揃って食卓についているというのは非常に稀なのです。しかもこれは食事の時だけではなく、その他の時間においても同様でした。それはキョウカが小さい頃から、それこそ彼女が生まれた時からずっと続いている習わしのようなものでした。
ですが、キョウカ自身はそんな境遇を別段呪ったりはしていませんでしたし、それによって自閉的になってしまうということもありませんでした。ポケモンには全く興味は無いので、両親がやっていることの内容はわからないものの、それが世の中に大いに貢献していることだけはわかっていましたし、例えどれだけ忙しくても、自分の誕生日や何かの記念日の時には、必ず両親が揃ってお祝いをしてくれていたので、両親からの愛情に不足は感じていなかったのです――もちろんそこには、キョウカが非常に物分かりのいい子であったことを付け足さなければいけませんが。
しかし、当の両親の方はそこまで物分かりがいいわけではなく、たった一人の娘であるキョウカのことを溺愛したくてしょうがありませんでした。キョウカが本当に小さい時など、彼女のことを両親揃ってかわいがるあまり、いくつかの事業が倒れてしまいそうになったほどです。もしもキョウカが、幼いながらも、両親の事情を理解して仕事を優先するように強く促さなかったら、この世のいくつかのポケモンに関する事業――例えば、公認トレーナーに対するポケモンに関する施設利用費の免除、治ることの無いと言われていたポケモンの難病の特効薬開発、人とポケモンとが共存できるための環境整備などが、実現せずに、今よりももっと多くの人とポケモンが悲しんでいたかもしれません。
そんな大事なことを放りかけてでも、キョウカのことを愛してやまない両親でしたから、この食事の席においては、もはや朝食などそっちのけで、とにかくキョウカと会話をしようと必死になっていました。もちろん、キョウカも両親と会話できるのは大変に嬉しいことですから、この時間をとても楽しんでいましたが、一方ではとても緊張していました。
それは何故かというと、この、“両親が揃って話を聞いてくれる”というまたとない機会にしか出来ないことを計画していたからです。なので、キョウカは笑顔を見せながらも、今か今かと緊張しながら機会を窺っていたのですが・・・
「ところでキョウカ。誕生日はもう少し先だが、欲しいものは決まったかな?」
「今年もちゃんとパパもママもお休みをとりますからね。キョウカちゃんのお願い、何でも聞きますからね」
「ありがとう。パパ、ママ」
両親が途切れることなく繰り出してくる言葉の乱流の中に、ようやくキョウカは遡流の兆しを見出し、一旦息を整えて、ゆっくりと話し始めました。
「えっと、誕生日のはまだ決まっていないんだけど、今日はパパとママにお願いがあるの。聞いてくれる?」
両手を胸の前で組んで、そう聞くキョウカに対し、キョウカの両親はこれでもかと言わんばかりに身を乗り出して、しかも口を完璧に揃えて「何でも言ってごらん!」と強く言いました。その両親の行動は、ある意味微笑ましく、ある意味恐ろしく、ある意味シュールなものでした。
しかし、次のキョウカの発言の後の両親の行動はもっと驚くべきものでした。
「私、ポケモントレーナーになりたいの」
ガタタッ!カシャーン!ズドドド!パリーン!ズザーッ!ベリベリ!モッフルモッフル
キョウカの発言と同時に、両親のそれぞれの席から椅子の倒れる音と食器が落ちる音に割れる音。それからテーブルクロスがズレる音に、カップに注がれたお茶が猛烈な勢いで
その原因は全てキョウカにありました。この世界においては、それほど驚くべきものではない今の発言も、キョウカが発したとあっては、全国紙の朝刊一面トップに載るほどの事件へと変貌します。それほどまでに、今のキョウカの発言は、彼女のことをずっと見てきた両親からすれば突飛なものだったのです。ですが、目の前で両親がどれだけ派手なこけ方をしても、キョウカはまったく意に介せずに先を続けました。
「パパとママにどれだけ勧められても、今までポケモンには全く興味が湧かなかったけど、昨日突然思ったの。世界を放浪――じゃなくって、トレーナーとして世界を見て回ってみたいって!」
「・・・」
キョウカが思い切って宣言してみたものの、その反応はどうにも掴みがたいものでした。キョウカの両親は、未だにイスからこけたままで呆然としており、父親は鼻の上にゆでたまごを、母親は頭の上にジャムのついた面を下にしたトーストを、それぞれ乗っけたりくっつけたりしていました。それを取り払おうともしないくらいに、二人は呆然としていました。
そんな両親を見ながら、キョウカは右手の人差し指で自身の頬を掻きつつ、両親には聞こえないように小さく洩らし始めました。
「ぼそぼそ(うーん、やっぱり無理があったのかしら。それも仕方ないわよね。今まで、全くポケモンには興味がなかったわけだし。はぁー、せっかくセリナからアイデアをもらったのに)」
そうなのです。昨日セリナに相談しにいった時、セリナと旅をするという提案は断られましたが、その代わりということで、この方法を教えてもらったのです。その光景はというと・・・
~~~~~昨日の回想~~~~~
「思いついたんだけど、トレーナーになって旅をするっていうのはどう?」
「トレーナー?トレーナーって何?洋服のこと?」
「違うわよ。トレーナーって言ったら決まってるじゃない。ポケモントレーナーよ!」
「えええっ!?ぽ、ポケモントレーナー!?私がポケモントレーナーに!?」
「そうよ。ポケモントレーナーだったら、別に私たちの年齢で旅をしてもおかしくはないし、何よりキョウカの家はポケモンの事業に出資しているんだから、トレーナーになってポケモンのことを知るっていうのは受け入れられやすいんじゃない?」
「で、でも、セリナは知っているでしょ?私は全然ポケモンのこと知らないのよ?もちろんパパとママもそのことはわかっているし。それでも大丈夫なの?」
「だからいいんじゃない。これを機に、将来関わるであろうポケモンのことを知りたい!っていえばもうバッチリよ!間違いないわ」
「うーん、じゃあ、明日言ってみようかな。丁度明日は、パパとママが朝一緒にいるって言ってたし」
「絶好のチャンスってわけね。それじゃあ――っと、もうこんな時間だわ。そろそろあたしは道場にもどらなきゃ。もしうまくいったら教えてね!」
「うん。いいアイデアを教えてくれてありがとう」
~~~~~回想終了~~~~~
というセリナによる一方的なものでした。キョウカからしてみれば、その時は言ってみるとは約束したものの、やはり不安は隠せなかったようでしたが、しかし、もうここまで言ってしまった以上は後戻りはできませんでした。
「私、ポケモンのことはほとんど知らないけど、トレーナーになって旅をすれば、ポケモンのこともよくわかるようになると思うの。それに、しょ、将来のこと考えたら、やっぱり少しはポケモンのことを知っておかないといけないと思うし・・・」
「・・・」
キョウカは両親からの許可を得るべく、一押しどころか二押しくらいしてみましたが、やっぱり両親の反応は今ひとつのようでした。やっぱり旅をするなんて無理なんでしょうか。現実ってそんなに甘くないんでしょうか。世の中は世知辛いんでしょうか。
と、その場にいたら誰もがそう思いそうな状況でしたが、
「キョウカ!」
「!!!」
今まで押し黙っていたパパが、突然立ち上がり、キョウカに向かって鋭く声をかけました。それに対してキョウカは身を強張らせて驚きつつも、「諦めなさい」などと言われるのだろうと思ったのか、少しうなだれながらパパの方に向き直りました。すると、
「よくぞ言った!!!」
「はい?」
パパが、立ちあがった勢いで鼻の頭の上から、ズルリとゆでたまごを床に落としながら言いました。その予想だにしていなかった言葉に、思わずキョウカは間抜けな声をあげました。
「キョウカはあんまりにもポケモンに興味を示さないから、パパとママはいつも心配していたんだ。だが、まさかキョウカ自身からポケモントレーナーになりたいと言うとは!パパは、パパはっ!ううっ!!うおおおん!!!」
「よかったですわね。本当によかったですわね、あなた。ああ、私まで涙が」
「あ、あの~・・・」
キョウカを放っておいて、互いに抱き合って涙を流している両親のその姿は――母親が頭にジャム付きのトーストを乗せているとか、父親の鼻の頭がゆでたまごの黄身によって、テカテカと光っていることなどを除けば、あたかも生き別れた娘が帰ってきたかのような感動的なものでした。しかし、そのあまりの超展開には、先のけたたましい騒音にも動じなかったキョウカですら
「そ、それじゃあ私、放浪――じゃなくって、ポケモントレーナーとして旅をしていいの?本当にいいの?」
キョウカがおずおずと聞くと、キョウカの父親は首元につけている白いナプキンを使って、豪快に音をたてながら鼻を噛むと、これ以上にない程の笑顔を自分の娘に向けて口を開きました。
「もちろんいいとも!早速ドーナツ博士のところに行って来なさい。パパが連絡しておいてあげるから」
そして父親が言い終わると同時に、母親もまた、父親の腕に寄り添うようにして立ちながら、自分の娘に対して涙を流しながら口を開きました。
「キョウカちゃん。ママ、とっても嬉しいわ。荷物の準備はしておいてあげるから、心配しないでね」
「あ、ありがとう!パパ!ママ!」
両親の言葉に、キョウカは若干納得がいかない表情を浮かべながらも、しっかりとお礼を言いました。そして、込み上げてきた嬉しさを隠せなくなったのか、二人の胸元へと飛び込むようにして抱きつきに行きました。
食卓の周りは、戦争でもあったのかと言わんばかりに物が散乱し、汚れてしまっていましたが、そこに響き渡る大きな笑い声を聞く限り、平和であるのには間違いないようでした。
両親の見送りを受けて家を出たキョウカは、父親に言われたとおりに、早速ポケモンをもらいにドーナツ博士の研究所へとやってきました。プラムタウンの中心からは、やや離れた場所にあるこの研究所では、キョウカの家を筆頭に、数々の資産家によって援助を元にして、ポケモンに関する様々な研究が行われていました。ですから、当然研究所も大きい・・・わけではなく、建物自体はそれほどの大きさではありませんでした。しかしながら、建物の裏のポケモンの放牧場は広く、プラムタウン周辺の安定した気候を活かして、色んなタイプのポケモンが自由に住めるようになっていました。まるでどこかの博士の庭のようです。
キョウカはそんなあまり立派ではない研究所の前に立ち、一度その建物を下から上まで見上げて頷くと、入口の自動で開くガラスのドアをくぐり、中へと入っていきました。すると、入ってすぐの所に、白衣に身を包んだ、ぐるぐるメガネの人間のおじいさんが立っていました。
「こんにちは、ドーナツ博士」
「こんにちは、キョウカちゃん。お父さんから話は聞いたよ。ポケモントレーナーになるとな?いやー!素晴らしい素晴らしい!」
ぐるぐる眼鏡の怪しいおじいさん――もとい、見ようによってはマッドサイエンティストにも見えるものの、実際はとても良い人であると同時に、偉大な研究者であるドーナツ博士は、キョウカに近づいてその手を取り、ブンブンと上下に揺さぶる大げさな握手をしてみせました。ちなみに、本来ならば頭頂部にあるべきものの姿は、とても残念なことになっていました。この世界における最高の技術をもってしても、もう再生の見込みはありません。
「ええ。それで、最初のポケモンをもらいにきたんですけど」
「そうじゃったな。うむ、そうなんじゃが・・・」
挨拶と握手を終え、キョウカは早速本題に入りましたが、それを受けている博士の表情は暗く、何かを言いあぐねているようでした。その博士の様子に、キョウカも不安げな表情を浮かべています。
「どうかしたんですか?何か問題でも?」
「いや、あんまりにも突然じゃったし、キョウカちゃんは規定年齢の時一回断ったじゃろ?だから、本来渡すはずのポケモンは準備できていないんじゃよ。すまんのう」
「ええー!?じゃあ私はポケモンもらえないんですか?10歳の時に断ったから?」
キョウカが言うように、この世界においては、10歳になった時に希望をすれば、ポケモンに関する一部の公的な機関から――例えば、プラムタウンで言うならば、このドーナツ博士の研究所から、地方ごとに定められた特定のポケモンを、いくつかの規約を守ることを前提にもらうことができる制度が存在していました。しかし、キョウカは今よりも小さい時からポケモンには興味が無かったので、10歳の時にその権利を一度放棄してしまっていたのでした。そして、当然キョウカの両親としては、それは断固として阻止すべきことだったのですが、如何せん自分の娘には厳しく当たることができなかったために、今に至ってしまっているわけでした。
しかし、それはそうとしても、このままドーナツ博士からポケモンがもらえないとなると、キョウカの旅は早くもここで終わってしまいそうです。あれだけ苦労をしていたのに――といっても、実際には彼女自身は全く労力を注いではいませんが、残念な結果に終わってしまうんでしょうか。
「いやいや、それではあんまりじゃろう?本来渡すはずだった3匹はいないが、代わりにワシが研究用に取り寄せたポケモンをあげるから、そんなに心配せんどくれ」
「本当ですか?よかったぁー」
どうやら天はキョウカのことを見放していなかったようでした。しかし、敢えてキョウカを心配させるような発言をするあたり、ドーナツ博士は中々に人が悪いようです。悪い人ではないのですが。
「しかもじゃ、このポケモンは可愛らしい外見をしておるだけじゃなく、大抵のもんに勝てるくらいに強いし、わしの研究の過程で色々学ばせたから、きっと頼りになると思うぞ」
「すごーい!それで、そのポケモンってどんなのですか?」
「うむ、今出してみよう」
ドーナツ博士はそういうと白衣からモンスターボールを取り出し、自分のすぐ横に放り投げてみせました。するとモンスターボールから白い光がほとばしり、中から一匹のポケモンが現れました。
それはキョウカにとって、そして、そのポケモンにとっても、これから長い間、共に旅をするであろう大事なパートナーとの感動的な対面の瞬間でした。しかし、
「え?これってただの大きな亀じゃないですか。本当にこれ、ポケモンなんですか?ひょっとして博士、間違っていません?」
ボールから出てきたポケモンを前にしての、そのキョウカの言葉は、とてもではありませんが、感動的とは言えないようなものでした。そして、
「ふんっ!大きな亀とは失礼だな」
「きゃーっ!?か、亀が喋った!?な、なんで?どうして?」
キョウカに色々な意味で負けないくらいの発言をしているそのポケモンは、水タイプのポケモンのゼニガメでした。かめのこポケモンと図鑑に記載されているだけあって、空色に近い青い体の背中には、この世界における亀*1――しかし、それよりも赤くずっと大きくて立派な甲羅を持ち、クリクリとした大きな目と、白く柔らかく毛に包まれた、ふわふわの丸いしっぽが愛らしいポケモンです。また、キョウカの腰の辺りに頭が届かない程度ではありましたが、このゼニガメは通常のものに比べると若干大きく、体がよく発達していることがわかりました。元々は大変希少なポケモンなだけに、これ程までによく成長しているとなれば、欲しがるトレーナーは10や100ではきかないことでしょう。もっとも、残念なことに、キョウカからすればただの大きな亀どまりなようですが。
「おいらは亀じゃない。ゼニガメだ。まったく、こんなのがおいらのトレーナーになるなんて信じらんないね。博士、本当にこんなのがさっき言っていた子なのかい?手違いがあったんじゃないの?」
「こ、こんなの!?亀に、こんなのって・・・」
心待ちにしていたはずのモンスターボールの中から現われた現実に、色々と想像していたものが打ち砕かれたのか、キョウカはブツブツと呟きながら、目の前で小憎らしげな顔を浮かべているゼニガメを見つめていました。対するゼニガメは、さして興味なさげに両腕を頭の後ろへと回し、横に立っている博士にあれこれと文句を言っていました。
「ま、まぁゼニガメ、そう言わんどくれ。キョウカちゃんはポケモンのことは全く知らんのじゃ。だから、ポケモンのことのみならず、いろんな知識を持っているお前にパートナーになってもらいたいんじゃよ。な、いいじゃろ?」
「まぁ博士の頼みじゃしょうがないなー。面倒くさいけど、ちゃんと教育してあげるよ」
「きょ、教育ですって!?博士!本当にこのポケモンしかいないんですか!?」
ゼニガメに馬鹿にされ、キョウカは腹を立てながらドーナツ博士に詰め寄りました。誰だっていきなりそんなことを言われたら腹が立つでしょうし、彼女がそうするのも無理はないのですが、ゼニガメからすれば、いきなり大きな亀と言われるのもそれと同じくらいに腹がたつことだったのです。
そして、その両方の事情がよくわかっており、両者から色々と詰め寄られている博士は、自身を守るようにして両手を胸の前に掲げつつ、残念なことになっている頭と背中に汗を垂らしながら、必死に場をとりなそうとしていました。
「う、うむ。他にもポケモンはいることにはいるぞ。じゃが、このゼニガメは特に頼りになるから、キョウカちゃんの旅のパートナーにはいいとおもうんじゃが」
「そんなぁ~」
この場では最も信頼できる存在である博士に認めたくない現実を突き付けられ、キョウカはその場で、へろへろと身を崩して床にぺたりと座り込みました。そのキョウカの様子をゼニガメは鼻で笑いつつ、肩をすくめるようにして両手を体の両脇に掲げて口を開きました。
「おいらは旅に出たいわけじゃないからかまわないよ。それに、この子がまともなトレーナーになるとはおもえないしー」
「な、なんですって!?ただの亀のくせに生意気なー!」
「だからおいらはゼニガメだって言っているじゃないか!あーあ、ただの亀とゼニガメの見分けもつかないなんて、トレーナーとしてもう、――というか、この世界で生きている人としてどうかと思うね」
「なんて腹が立つ亀なの!?――博士!頼りにならなくてもいいですから、他のにしてください!!!私こんな憎ったらしい亀は嫌です!!!」
「そ、そういわれてものう」
キョウカのあまりの剣幕に、ドーナツ博士は背中に滝のような汗を流しつつ後ずさりをし始めました。博士もセリナと同じく、キョウカのことは昔から知っているので――つまり、道場での評判も聞いているので下手なことは言えないようでした。もしも今、博士の頭の中を覗くことが出来たら、間違いなくそこは「誰か助けてくれー」という言葉でいっぱいだったことでしょう。
と、そんな時、研究所の扉が開いて、誰かがキョウカ達の後ろにやってきました。
「あっはっはっは!ね?レン、やっぱりこうなっていたでしょ?」
「そ、そうだが、この状況で笑うのはまずくないか?」
「えっ!?せ、セリナ!?それにレンまで。一体なんでここに?」
研究所の入り口からやってきたのはセリナとレンでした。今日のセリナは道着姿ではなく、胸の部分だけを覆っているタンクトップに、腰の部分までしか丈の無い短パンと、ボーイッシュな姿でお出ましです。レンはそんなセリナの後ろに、相も変わらず背を丸めて控えていました。
「キョウカのママから連絡があったのよ。もしかしたら、ポケモンが選べなくて困っているかもしれないから、見に行ってあげてくれないってね。それで来てみたら――困っているどころか喧嘩しているとはね。ぷっ、あははははっ!」
「い、いやー、助かったよセリナちゃん。本当にキョウカちゃんは怒ると手がつけられなk」
「ドーナツ博士!!!」
「ああああああ、すまんすまん」
渡りに船、といった形でセリナの来訪に喜ぶドーナツ博士でしたが、キョウカの“にらみつける”攻撃によって再び撃沈したのでした。今や博士は、ゼニガメよりも小さく――それこそ、モンスターボールの中に余裕で入れるくらいに小さくなってしまっていました。
そんな博士のことは放っておいて、セリナとレンはキョウカの脇までやってくると、事の中心であるゼニガメと向かい合い、その存在を観察し始めました。
「へぇー、ゼニガメとはまたホウエン地方では珍しいポケモンね。はじめまして、あたしはセリナ。こっちはあたしのパートナーのレンよ。よろしくね」
「よろしく。キョウカはちょっと荒っ・・・い、いや、気はいいから仲良くしてやってくれ」
そう言ってセリナとレンはゼニガメに自己紹介をしました。炎タイプであるレンからしてみれば、水タイプのポケモンであるゼニガメは本来なら苦手な相手ですが、今は別に戦闘をするわけではないので、特に変な感情を抱くことなく友好的に接しているようです。
「どうもご丁寧に。博士から二人のことは色々聞いているよ。セリナさんは全国的に有名な道場の師範代を務めているとか」
「ええ。人間だけじゃなくってポケモンも一緒に稽古しているのよ。道場の稽古はポケモンのトレーニングにも効果があるからね」
ゼニガメの態度に気を良くしたのか、セリナは手を腰に当て、若干誇らしげに説明をして見せました。それにレンも心なしか嬉しそうでしたが、彼らのすぐ傍で、キョウカはその事実に一人
「ええ!?ポケモンも一緒にやっていたの?」
その言葉に、その場にいる全ての生き物が硬直しました。それは事情を知らない人が見れば、誰かが一時停止のスイッチを押したのではないか?と思えるくらいに、それはそれは見事な時間停止でした。
「・・・キョウカ、本当に知らなかったの?ずぅぅぅぅーーーっと一緒に稽古していたっていうのに?あたしが確認しているだけでも、何十回もポケモンと組み手をとっていたのに?」
「えっ?え、えーっと・・・。だ、だってほら、稽古中だと集中しちゃうから、それで気がつかなかったのかも」
いち早く硬直が解け、セリナは原因究明のためにキョウカに問いかけましたが、その答えに再び硬直することになりました。そしてその言葉で何か思い出したのか、レンの顔にはちょっとした恐怖の色が浮かんでいました。
「まったく、同じ道場内で稽古しているのに、ポケモンの存在に気づかないなんてあり得ないよね。やっぱりトレーナーになるのは無理なんじゃない?いや無理だな。無理無理」
「う、うるさいわね!そんなのやってみないとわからないでしょ!?」
「やらなくてもわかるよ。むーりむーり」
「ぐぬぬぬぬぬぬ!」
どうやら、再びキョウカとゼニガメの喧嘩が始まったようです。先ほどは仲裁に入ったドーナツ博士でしたが、さっきの被害の恐ろしさが文字通り身にしみているのか、中々足を踏み出せない様子です。
それは一触即発どころか、すでに爆発してしまっているような状況でしたが、その程度のことでは全く動じない者が、そこには一人だけいました。
「まぁキョウカは本当はトレーナーになるつもりはないんだし、別にいいんじゃない?要は旅ができればいいんでしょ?」
「ちょ、ちょっとセリナ!それ言ったらだめじゃない!」
「何でよ。ドーナツ博士にだったら、別にかまわないでしょう?」
収拾のつかない状況をどうにかするためとはいえ、あっさりと二人だけの秘密を公開されてしまったことで、キョウカは今日一番になること間違い無しの驚愕の表情を浮かべてセリナに迫りました。セリナはそんなキョウカの頭に手を置きながら、全く問題はないといった具合で微笑んでいました。
しかし、それが本当かどうかで、大いに自分の立場が変わってきてしまうドーナツ博士はそういうわけにはいきませんでした。
「トレーナーになるつもりがないというのは本当かね!?キョウカちゃん」
「え、えっと、その、実は」
小さくなっていた体を途端に大きくして迫ってくる博士に対し、キョウカは先ほどの博士と立場が入れ替わったかのように困惑していましたが、結局にっちもさっちもいかなくなることがわかったのか、昨日セリナと話していたことを隠さずに明かし始めました。その間、セリナはどこか面白そうな表情を浮かべており、レンは手をお腹の前で組み合わせたり、解いたりしていました。そしてゼニガメは、先ほどまでのおどけているような態度ではなく、少しだけ真剣そうな表情を浮かべて、横眼でキョウカの顔を見ていました。
やがて、キョウカが話し終えると、それを黙って聞いていた博士は自分の顎に右手をあてて、うーむと唸り始めました。
「なるほどなぁ。確かにポケモントレーナーになるというのは、旅をする名目としてはうってつけじゃが。――しかし、どうしたもんかのう」
「お願いします博士!見逃してください!私、どうしてもこの目で色々な世界を見てみたいんです!」
博士は何やら渋い表情をしていましたが、キョウカとしては何もかももう打ち明けてしまった以上、どうにか押し通すしかありません。もしもここで博士が首を横に振ってしまったら、そして、両親にこのことを告げられたら、キョウカの旅は完全に企画倒れになってしまうのですから。
しかし、今朝の件と同じく、いるかどうかわからない天の神様は、キョウカのことを見捨てはしなかったようでした。
「いや、そう頼みこまんでも、わしは首を横には振らんよ。キョウカちゃんの両親ともうまく合わせておこうじゃないか」
「ほ、本当ですか?じゃあ、代わりのポケモンを」
「しかしじゃ、それならなおさらこのゼニガメを連れて行ったほうがいいとおもうんじゃが」
「ええーっ!?ど、どうしてですか!?」
「あたしもそれがいいと思うよ」
「ちょ、ちょっと!セリナまで!」
神様に見放されはしませんでしたが、その救済の手は、どうやらキョウカにとっては決して望ましくないものだったようです。これが博士による提案のみだとしたら、キョウカは先ほどと同じ要領で押し通すことができていたかもしれませんが、今回はセリナという強力なカードが目の前にあるため、状況は完全にキョウカに不利なものとなっていました。
「だって、この子だったらキョウカと対等に張り合っていけると思うし、頭良さそうだし、強そうだしね。それに、あたし心配なのよね。キョウカってしっかりしているようで、結構ぬけているとこあるじゃない?だから、全然経験を積んでいないポケモンよりも、この子みたいに頼れそうなポケモンの方がいいと思う」
「う、うーんそういわれると・・・」
セリナにたしなめられ、キョウカはゼニガメの方に顔を向けます。ゼニガメは何も言わずに、大きく丸い目でキョウカのことを見ています。その表情はまるで、「さぁ、どうする?」と言っているかのようです。
これから運命を共にするかもしれない二人は、互いに黙ってしばらく見つめ合っていましたが、やがてキョウカが先に視線を外して大きく息を吸った後、吸ったよりも多くの量の息を吐き出しました。
「はぁ~、わかったわ。私このゼニガメと一緒に行ってみる」
「そ、そうか!一時はどうなることかと思ったが、いやー!よかったよかった!」
「ほんとほんと」
「何事もおこらなくてよかった」
ようやく争いに終焉がもたらされ、ドーナツ博士は手放しに喜びの声をあげ、セリナはそれよりも若干控え目に感情を表情に浮かべて頷き、レンはホッと一息ついて自分の胸を手でなでおろしていました。
そして、争いの中心となっていた当の本人達は、改めて向き合い始めました。キョウカはどこか憮然とした表情を浮かべながら彼のことを見下ろし、ゼニガメは片手を腰のあたりに当てて、もう片方の手をプラプラと揺らしながら彼女のことを見上げていました。
「よろしくね」
そう言いながらキョウカは、少し膝を曲げながらゼニガメに右手を差し伸べました。ゼニガメはキョウカの顔とその手を――小さくはありますが、自分のものよりかは大きいそれを、何回か交互に見ました。それは品定めしているかのようにも見えましたが、
「・・・」
ゼニガメは何も言うこともなくその手を受け取り、キョウカとの握手を交わしました。とはいえ、実際のところは、ゼニガメの手の形と大きさでは、それは握手を交わすというよりかは、キョウカがゼニガメの手を包み込んでいる、と言う方が正しかったかもしれませんが。
「さて、握手も交わしたことだし!この子に名前をつけてあげたら?」
ひとまずは一件落着したところで、自分に向けて発せられた、場を新しい流れへと導こうとするそのセリナの発言に対し、キョウカは首をかしげて見せました。
「名前?だってこのポケモンはゼニガメって言うんじゃ?」
「違うわよ。私のレンみたいに、ニックネームをつけたら?って言っているの。長く旅するんだったら、ちゃんとした名前があった方が色々といいと思うし」
「うーん、突然言われても思いつかないわ。そんなの考えていなかったし」
「おいらは別につけてもつけなくてもかまわないけどね。でも、変な名前だけはつけないでくれよなー。できるのなら、だけど」
「ぐぬぬ、やっぱり腹が立つわね」
「お、落ち着けキョウカ。ここで暴れるのはまずいぞ。な?落ち着こう」
拳をワナワナと震わせるという、およそ女の子らしからぬ動作をするキョウカのことを、レンが必死になって抑えています。先からもそうでしたが、誰に言われるまでもなく、スッと動けるあたり、普段からこうしてキョウカと接していることが窺えます。
「それで、ニックネームはどうするんじゃ?」
「うーんそうですねー、何かいい名前はないかしら」
いい名前が思いつかず、小さく呻きながら、キョウカが口元に手をあてて考えていると、そのすぐ横で、セリナが何か思いついたように手をポンッと打って口を開きました。
「ねぇ、リードっていうのはどう?」
「リード?」
「うん。きっと旅をしている間は、このゼニガメが何かとキョウカのことをリードしてくれるでしょ?だからリードってどうかなって」
「なるほど。――ってちょっと待ってよ!それじゃ、このゼニガメが私の保護者みたいじゃない!」
一瞬キョウカは納得した様子でしたが、まるで自分が子どものような扱いを受けたことで、大変にご立腹しているようです。12歳って年齢を考えたら十分子どもなので、別段おかしいことは何も無いのですが、今のキョウカにとっては、それはどうでもいいことのようでした。
「ま、手のかかる子どもには、おいらみたいな優秀な保護者が必要だからなー」
「何を言っているのよ!普通はトレーナーがポケモンの保護者でしょう!?」
「あれあれ?ポケモントレーナーにはならないんじゃなかったっけー?」
「くーっ!ああ言えばこう言う!」
「さっき自分で言っていたことじゃないか。――あ、そっか。常識だけじゃなくて、記憶力までないのか。うーん、これは大仕事だなぁ」
「し、信じらんない!ちょっと、今の言葉取り消しなさいよ!」
エスカレートし続ける口問答を、もう博士もセリナも止めようとはしませんでした。ただ一人、レンだけが止めに入るべきかどうか迷っていましたが、残念なことに、彼にはそこに割って入るだけの勇気が無いようでした。
「こーやってみていると、明らかにゼニガメのが上の立場ね。やっぱりリードって名前がピッタリだわ」
「そうじゃなぁ。その方がうまくいくじゃろうなぁ」
二人がギャーギャーと喚き合っている中、セリナとドーナツ博士は、どこかほのぼのとしながらその光景を見て、それぞれの思っていることを洩らしていました。当然その声は二人には届いていません。
「わかったわよ!私があなたより上だってハッキリさせるまでは、そのリードっていう名前でいいわ!けど、私があなたより上だって証明できたら、とびっきり変な名前をつけてあげるから覚悟してよね!」
「ほっほー、見せてもらおうじゃないの。ま、見えすぎている勝負でつまらないけどねー」
本日何回目かの結論が出たのか、大きい方は目の前の相手に指を鋭く突きつけながら声を張り上げました。それに対して小さい方は余裕そうな表情でそう言いました。何かもう色々とおかしな方向に向かっていますが、一応はニックネームの件についてはケリが着いたようです。
「とりあえず、キョウカが暴れなくてよかった・・・」
ひとまずは静かになった研究所の入口で、レンが、それはそれは重いため息をつきました。
こうしてキョウカは、自分にとっての最初のポケモンであるゼニガメ――もとい、リードをパートナーとして迎え入れ、いよいよ旅立つことになりました。研究所から家に帰ると、キョウカの両親が旅の準備を整えていてくれたので、すぐにでも旅立つことができるようになっていました。キョウカは服や靴を旅行用の物にかえて、母親から旅の必需品が詰まったリュックを受け取り、両親と一緒に家の玄関へやってきました。
「この子がキョウカちゃんのポケモンね。キョウカちゃんをよろしくね」
「はい、任せてくださいママさん。パパさんの方も、お嬢さんは責任をもってお守りするので」
「うむ、なかなかたくましい体つきをしているな。それに礼儀正しくもある。流石はドーナツ博士が推すポケモンだ。これならパパも安心だよ」
リードを一目見て“頼れる奴”と見抜いたパパは流石です。伊達にポケモン事業に手を出していません。しかし、つい先刻、その“頼れる奴”が自分の愛娘を散々に
「遅くなっちゃうと大変だから、そろそろ行くね。パパ、ママ、色々準備してくれてありがとう」
「怪我には気をつけるのよ。他の街についたらちゃんと電話するのよ。ちゃんとご飯食べて、寝る時は温かくして、それから、それから・・・」
背を向けようとするキョウカに対して、そうさせないかのように、先ほど何度も確認したことを改めて言い続けているその姿からして、やはり母は娘を旅に出すのが不安で仕方がないようです。それは過保護と言われてしまうかもしれない光景でしたが、普通に考えてみれば無理もないことです。この世界においては、12歳の女の子はまだまだ子どもですし、どれだけ治安が良くても、必ずしも外は安全な場所だと言い切れないからです。
「ママ、そんなに心配しなくても大丈夫よ」
「でも、やっぱり旅に出すなんて・・・。だって、まだキョウカちゃんはこんなに小さいのよ?それなのに」
「大丈夫さママ。キョウカが良くできた子なのはわかっているだろう?初めての旅でも、きっとうまくやっていけるさ」
キョウカの父親は自分の妻の肩を抱いてなだめていましたが、そのことがより一層彼女の涙を誘ってしまったようでした。最早声が言葉にならないといった感じで、母親は自分の夫の胸に顔を埋めて、肩を震わせて泣き始めてしまいました。
そんな自分の母親の姿を見て、キョウカは一瞬顔を俯かせて悲しそうな顔をしましたが、視線の先にいたリードの顔を見て、すぐに顔を元の高さに戻しました。その顔には悲しそうな表情は全く浮かんでおらず、誰しもを安心させるような笑顔だけがそこにありました。
「じゃあ今度こそ行くね。ちゃんと連絡はするから安心して待ってて!」
「ああ、行って来なさい。立派なトレーナーを目指して、そして、色んな世界を見ておいで」
キョウカの父親はそう言って一度頷くと、キョウカに向かって小さくウインクしてみせました。
その、普段の父親だったらしないような不自然な行動に、キョウカは少しだけ不審そうな表情を浮かべましたが、やがて、ようやく自分のことを見てくれた母親の顔を見ると、そのことをそれ以上考えようとはせず、両親に向かって手を振りながら、リードと一緒に自分の家を後にしました。
次に家に帰ってくるのはいつになるのか?無事に帰ってこれるのか?帰ってきた時、どんな顔をしているのか?
そんなことを考える素振りを全く見せずに、キョウカはいつもと変わらぬうららかな陽気と、涼しげで穏やかな風――しかし、もうしばらくは感じることのできないであろうものを浴びながら、人もまばらなプラムタウンの街中を進み、やがて、街の出口へと到着しました。
するとそこには、何と先ほど研究所で会ったばかりのセリナとレンが待っていました。どうやら先回りして待ち構えていたようです。
「どうやら準備はできたみたいね。もう行き先は決まっているの?」
「うん。とりあえずは一番近い街のミシロタウンにね。それから、どこをどう回ろうか考えてみようかなって」
「なるほどね。――あーあ、アタシもついて行きたいな。何だかすんごい楽しそうじゃない」
「無理を言うなセリナ。自分の立場はわかっているだろう?お前はあの道場を」
「そんなこと言われなくてもわかってる!わかっているけど・・・・・・」
キョウカ以上にウキウキしているところをレンにたしなめられ、セリナは表情を悟らせずに俯きました。声の調子の強さからして、それは怒っているように思われましたが、よく見てみると、少し肩を震わせているのがわかりました。そんなセリナに対し、キョウカは何を言うでもなく、黙って近づいていって、そっとその震えている肩に手を置きました。そしてそれと同時に、セリナがキョウカの肩の上に顔を預けるようにしてしがみつきました。
「もう、行っちゃうんだよね?本当に、行っちゃうんだよね?」
「うん」
「あたしがいなくても大丈夫?」
「大丈夫よ。認めたくないけど、頼りになるっていうリードがついているしね」
「手紙でも、電話でもいいから絶対に連絡してね。約束よ?」
「うん、約束する。この世界の綺麗な景色を、あの本に負けないくらいに伝えるわ。だから、待ってて。絶対に帰ってくるから」
普段の声からは、全く想像もつかないくらいに弱々しい声を発しているセリナの背中を、キョウカはポンポンと叩きながら、優しく声をかけていました。そんな様子を見ながら、リードは自分の顎に手をやり、不思議そうな表情を浮かべています。そして、そのままの状態で、リードは自分の隣にいつの間にか立っていたレンに向かって口を開き始めました。
「セリナさんって博士からの話だと、ものすごい気が強い人だって聞いていたんだけど?」
「ん?――ああ、普段はそうだ。オレに対してはもちろんのこと、自分よりも年も体も大きい門下生達にも負けないくらいにな」
「普段は?じゃあ、」
「セリナは、昔からキョウカと仲が良くてな。家は違うが、年も境遇も似ていて、互いに通じ合うところがあったのか、二人はまるで本当の姉妹のような間柄なんだ。それで、セリナはキョウカの姉のつもりでいるんだが、本当のところは、」
「ふーん」
レンは途中で言葉を打ち切っていましたが、最後まで聞かずとも、彼の言いたいことはリードには伝わったようでした。
「キョウカはうちの道場で稽古を受けているから強いし、家では色んなことを勉強させられていたから、大抵のことはこなせるだろう。――だが、そこにはオレやセリナのような者はいない。身近な者が側にいなくなる以上、どこかで支えてあげることのできる奴が必要なんだ。今のセリナを、キョウカが支えているようにな」
「それをおいらがやるってわけ?やっぱり面倒くさいなぁ。だってそれって、おいらに子守りをしろって言っているようなもんでしょ?」
リードが本当に面倒くさげにレンに向かってそう言うと、レンは、くっくっくと小さく笑った後、リードに向かってさらに言いました。
「まぁキョウカはセリナ程ではないにしろ、おっかないところはあるし、非凡でありながらも抜けている所が多いが、年相応の女の子だということには変わらない。そのことを良く覚えていてくれ」
「女の子ねぇ・・・」
別れを惜しんでいるセリナを、手と声で優しくなだめているキョウカの姿は、確かに女性的で、先の研究所での騒動の時とは別人のようにも見えます。ですが、どちらが本当のキョウカなのか、リードにはよくわからないようでした。
それからしばらくの間、リードとレンが見ている中、キョウカとセリナは別れを惜しんでいましたが、やがてレンがゆっくりと二人のところに近づいていって、セリナの肩に手を置いて、そっとキョウカから引き離しました。
「さぁ、もう行かせてやろう。ずっとこうしていたんじゃ、いつまでたってもキョウカは先に進めないぞ」
「そう、ね。うん、レンの言う通りね。じゃあキョウカ――またね」
「うん。レンも、また会おうねっと!」
「うおっ!?」
そう言ってキョウカは、唐突にレンの首に手を回して、飛びつくようにしてその体に抱きつきました。レンはその突然の行動に少し驚いているようでしたが、すぐに落ち着いて、キョウカの背中にそっと手を回して彼女の体を支えました。レンはその状態が、案外まんざらでもない様子でしたが、前方から発せられているすさまじい殺気を感じとったのか、慌ててキョウカを自分の体から離しました。そしてそれからすぐに、殺気の発生源によって、レンはいつものように小さくなってしまいました。
キョウカはそんな二人の様子に苦笑しつつ、少し離れた所にいるリードに手招きをして呼び寄せると、作り笑顔ではない笑顔を見せてリードに声をかけました。
「それじゃ、行きましょうか。リード」
「りょーかい。キョウカ」
二人は、初めて互いの名を直接呼び合うと、セリナとレンの見送りを受けながら、プラムタウンの入口を――当分はくぐることの無いであろう門を真下から見上げ、それぞれの居場所を後にしました。
こうして、ようやくキョウカとリードの旅が始まりました。これから先、どのような試練が二人のことを待ち受けているのかはわかりませんが、まず最初に二人が目指すのはミシロタウンです。
レポートNo.2「ある日森の中で出会ったのは?」へ続く
少女が来たりて亀は笑む←別の視点からのお話
あとがき
※ここから先は、本編に関するネタバレが若干含まれるので気をつけてください※
追記 塗りつぶしてある3段目辺りまで電波が走っているので、純粋なあとがきを読みたい方はそこまですっとばしてください。
はじめまして。おはようございます。こんばんは。また会いましたね。9月の後半から10月中旬にかけて、苦痛を伴う悪夢を見るために全く眠れなくなる亀の万年堂です。決してPTSDではありませんが、時々空にダイヴしたくなります。気がつくと枕が涙と鼻水ではなくて、血でべったりと濡れていると気が狂いそうになります。それは私のですか?隣で寝ている人のですか?口の中に鉄の錆が広がって喉に張り付き、息をすることができなくなります。白濁したものしか食べるものがなく、赤いものしか出なくなったあの時は死んでいたのでしょうか。
良く晴れた日は頭を撃ちぬきたくなるって言いますが、銃が手元にあったら本当にやりそうなので困ります。しかし、私の数少ない友人は、お前にはできん、などと言ってくれます。そうですね、私は自殺をする勇気も無いのです。人に壊されてもどうでもいいと思えるくらいに自分を捨ててきたのに、自分で自分を捨てることができないのです。死なないでと言われると泣きたくなります。でも私はそうすべき人の前の所では泣けず、そうすべきではない人の前で嘘の涙を流しています。クラウンですか?
と、暴走はそこまでにして、今回の話は、一番最初に書き上げた時は一万字程度しか無かったのに、今となっては二万七千字という変貌っぷりを遂げた話です。恐らく、これまでに書いた「テンテンテテテンのレポート」の中で(No.19までで)は一番修正回数が多かったんじゃないでしょうか。それは私が成長したからなのか、それとも無駄なあがきを重ねているだけなのかはわかりませんが、願わくば前者であってほしいものです。というか、そうとでも思わないと書き続けられません。ポジティブシンキングはとても大事です。どれくらい大事なのかと言うと、ケガの発生率を下げるための走り込みによるタフ度上げくらいに大事です。監督とチームメイトの評価は下がりますが、精神ポイントのためには仕方ありません。
どうも今日は暴走が止まりません。そんなあとがきが楽しくて仕方ありません。本編もこれくらいの勢いでカタタタタッと書ければいいのですが、私の脳みそがそれを許してくれません。いっそ針金でも刺してもらいましょうか。ぷすぷすぷすぷすぷすぷす。実に良い音が出そうですね。TVの砂嵐をジッと聞いているよりも落ち着きそうな気がします。ウェルヒルム記憶あたりが何とかしてくれればいいんですが。電波調になってきましたね。でも、一昔前と比べると大分おとなしくなりました。昔の記事を見ると死にたくなります。あれは一体誰が書いたんですか?あれは一体誰が書いたんですか?あれは一体誰が書いたんですか?
本編の内容に入ることにします。
日記かどこかで先にも書きましたが、この話は私の長編作品である「テンテンテテテンのレポート」の第一話となっています。具体的には、話の主人公である人間の女の子のキョウカと、ポケモンのゼニガメであるリードが出会い、プラムタウンを旅立つまでの話です。また、この世界がどういった世界なのか、そして、キョウカは一体どういった境遇にある子なのかということを明かす話でもあります。そのため、どうしてもケモノ要素は控えめにならざるを得ず、この場に投稿するには不適切な内容となっているかもしれませんが、今後話が続くにつれて、どんどんケモノ要素は濃くなっていくので、どうぞその辺はご容赦願いたいものです。
キャラそれぞれについての解説は、恐らくある程度話が進んだところで、別枠を設けてするとは思いますが、一応この場で、キョウカとセリナに関しては明確なモデルが存在しているとだけ言っておきます。キョウカは日記の方でも散々幅を利かせてくださっている(?)主で、セリナは時折名前を出す閣下が、それぞれモデルとなっています。境遇こそ作品内のそれよりも派手ではないですが、若干にかよっている部分はあります。やたらとお金持ちだとか、道場をやっているとか、ですね。特に、後に投稿させていただくセリナの話については、閣下の体験談が非常に反映されております。主には申し訳ないですが、閣下程の女性はそうそうおられないと思います。
話がまたそれてきてしまったので、今度は地名についての話に移りますが、基本的に地名は公式設定に照らし合わせて作っています。とはいっても、プラムタウンというのは私の完全なねつ造による街ですが、一応地理上の都合を考えてはあるので、どっかの公式設定の街をつぶしてつくられているというわけではありません。こちらの方も、キャラ設定と併せて、ある程度話が進んだら別枠でページを作ってみたいと思います。
それから、ポケモンが人の言葉を喋っている件については、No.3の中でリード君が解説してくれているので、どうぞそちらの方を参照していただければと思います。とはいっても、完全には解説していないので、ちゃんとしたものは、やはり別枠でいつか(ry
一つの世界を作るとなると、どうしても複雑な設定を作らざるを得ないので、色々と難しいんですよね。とりあえず、ご質問があったら作者ページの方にでも書いていただければお答えできるかと思います。
大分長くなってしまいましたので(主に電波のせい)、そろそろ終わりたいと思います。No.2の方も読んでいただければ幸いです。
亀の万年堂でした
何かあったら投下どうぞ。
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