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ミュウツー母さんと、みんなのニコニコハウス、スボミー編

/ミュウツー母さんと、みんなのニコニコハウス、スボミー編

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作者
今回も私は分厚い仮面でしたね! ただ、仮面が分厚くても覆う面積が少なかったり、透明度が高かったら意味がないのではないだろうか?(哲学)


ようこそ、ランランタウンへ 



 ランランタウン。ここは豊かな自然とダンジョンに囲まれている恵まれた田舎町で、水も食料も豊富で平和な町。そして何より、疎まれし者たちにとって、希望となる街である。名物は、美味しい蜂蜜とヒメリの実をじっくり煮詰めて作るピーピーマックス。一日の始まりに食べれば、日暮れまで休まず働けると評判の味だ(実際は誇張表現だが)。

 その街に、野宿を繰り返しながら、昼飯時を過ぎた頃にたどり着いた母娘が一組。
「ここが貴方の新しいお家よ」
 その街は、怖かった彼女の街と違って、彼女を見る目がずっと優しい場所だった。美しい赤と青の花弁を両手に持つロゼリアの母親から生まれた彼女は、胸元に毒々しい紫の色。白いつぼみを手に持ち、全身の緑が薄い体で生まれてきた、いわゆる色違いという存在であった。この国では色違いのポケモンは大きな災害を引き起こすと言われて、そんな色合いの親子が並んで歩けば、石を投げられたとしても、場合によっては殺されたとしてもそう珍しい光景ではない。
 だから、ここまでの道のりで街を歩くときは、雨の日用の外套を羽織らせ、満足に光合成も出来ないような状態で歩くしかなく、街中は酷く窮屈であった。だけれど、それも仕方ない。今まで家を一歩も出れなかった彼女が、その存在を街中にばらしてしまった以上、その街には暮らせなかったのだから。
「ねえ、お母さん。本当にここでお別れなの?」
 潤んだ瞳で尋ねられ、ロゼリアの母親は涙が抑えきれなかった。母は崩れ落ちるようにして彼女を抱いてごめんねと言う。
「ごめんね……あなたを普通に産んであげられなくって……本当にごめん……」
 『貴方は普通とは違うから、家の外に出ちゃいけないのよ』。当たり前のように家の外を歩く兄弟を羨ましがる彼女に、母親が幾度となく言ったセリフであった。それが何を意味するのか、よくわからない女の子だけれど、お母さんが悲しいと自分も悲しい気分になる。
 二人揃って訳も分からず泣いていると、通りがかりの通行人も気になってしまうもので。その通行人の中でも、お人好しならば話しかけずにはいられない。
「あれ、お嬢さんたち……この家の新しいお客さん? 君は色違いかな?」
 別れがつらいという気持ちは分からないでもないが、こんなところで泣かれていても、どうすればいいのやら。困ってしまって話しかけたのは、母親よりも一回り大きなパチリスであった。色違い、という言葉を聞いて母親は少し顔を引きつらせる。この街は色違いが歩いていても大丈夫という情報を聞いていても、色違いというだけで疎まれる苦い記憶は消えてくれず、ロゼリアは子供を守るようにぎゅっと抱きしめるしかなかった。
「あぁ……かわいそうに、怯えちゃって。酷い目にあったんだな……えっと、俺はここの孤児院の卒業生でさ。パチリスのユージンっていうんだ。えっと、ここはいいところだからそんなに泣かないでくれ。お母さんも安心して、ほら、俺もこうして元気に働いているんだけれど、それもこれも俺達の母さんのおかげだからさ。
 お母さんとは別れることになっちゃうから寂しいとは思うけれど、それ以外は安心して大丈夫だから、ね?」
「お母さんいなくなっちゃうの?」
 ユージンが泣き止ませるために言った言葉も、そこだけ切り取ってしまえば逆効果でしかない。今まで兄弟と両親が全てだった子供には、家族と別れる生活など考えることも出来ず。優しかった家族がいない生活など怖くて悲しいだけでしかないのだ。その気持ちはユージンも痛いほどに分かるので、彼女の言葉には会頭に詰まってしまう。
「あ、あー……えっとね。そうだね。最初は辛いけれど、皆がいるから大丈夫だよ、きっと……寂しさなんてすぐになくなるよ」
 なんとか絞り出すユージンだが、しかしそんな慰めなどなんの意味もなくて。彼女が泣きだすのは、お母さんと別れなければいけないという理由一つで十分なのだ。ワンワンと泣きじゃくるスボミーの女の子に、それを慰めるロゼリアの母親。余計なことをしてしまったのだろうかとおろおろしているユージンは、すごく気まずくいたたまれない気持ちになる。
 この孤児院の前で、親子がこうして別れを惜しむことは珍しい事ではない。その悲しみを知り合いでもない誰かがどうこうすることなど出来るはずもなく、ユージンはずっと泣いている子供と、それを宥めながら静かに涙を流す母親を、一歩離れたところからに見守るしかなかった。
 幾度となくごめんねと謝る母親たちの元に、孤児院からその主が出てきたのは、ようやく子供が静かになった時である。
「おはようございます。お手紙にあった、スボミーのお子さんですね」
 優しく声をかけてきたのは、彼女らにとっては見上げるほど大きい体を持つポケモン。薄紫の太い尻尾と、銀白色の体毛。そして、肩から頭に繋がる、首ともう一つの管を持つポケモン。四肢と首には革のベルトのようなものを巻いており、それが異様さを引き立たせている。そんな大女が身を屈めながら、丸っこい指先の三本指を差し出して、にこやかに笑むのだ。
「ようこそ、みんなのニコニコハウスへ。私は、貴方を歓迎します」
 前述のとおり、彼女は身を屈めている。だけれど、それでもでかい、でかすぎる。なんせ、彼女の身長は、立ちあがれば二メートルを超えている。それが、身をかがめたところで、その大きさは母親の六倍以上。スボミーの女の子にとっては、一〇倍近い差があるわけで。身を屈めたところで威圧感は半端なものではない。
「あ、母さん。おはようございます……その、あの、いつも通りすごいプレッシャーですね。子供が怖がっちゃいますよ」
 昔、母さんに威圧されて怖くて泣いてしまった事があるユージンは、小声でみんなのお母さんに注意を促す。
「いや、プレッシャーを与えるつもりはないのだけれど……やっぱり、取り繕っても難しいのね」
 そうはいっても、スボミーの女の子は驚きのあまり硬直して、鳴き声すら出せそうな感じではない。
「母さんは存在自体がプレッシャーみたいなものですから、無理ですよ。えっと、お嬢ちゃん……この人が、俺達みんなのお母さんで……ミュウツーの、シャムロックさんです。こんな人だけれど、全然怖くないし、優しい人だから……ほら、笑顔笑顔」
「お、お母さん……お母さん!!」
 ユージンが必死でシャムロックのフォローをするも、恐れをなした子供の恐怖心が、見ず知らずユージンの言葉でおさまることなどあるはずもなく。スボミーの女の子は、堰を切ったように泣き出し、母親に縋る。
「……あーらら、やっぱりこうなるよなぁ」
 ユージンは、白い目でちらりとシャムロックを見る。
「わ、私は悪くないからね? 生まれ持ったこの体格だけはどうにもならないのよ?」
「分かってますよ。えーと……お嬢ちゃん、大丈夫?」
 怖くて震え上がるスボミーの女の子に、ユージンは歩み寄る。しかしながら、スボミーの女の子は泣くのに夢中で、ユージンの言葉なんて聞いちゃいない。全く、困ったものである。けれど、そのままではいけないという事を、ロゼリアは知っている。これ以上迷惑をかけないためにもと、ロゼリアは意を決してスボミーから体を離す。
「ねぇ、カノン。よく聞いて」
 涙をこらえ、母親は彼女を見つめる。いつになく真剣なまなざし、それでいて落ち着いた声に、雰囲気の違いを感じ取ったのかカノンと呼ばれたスボミーもようやく泣き止んだ。
「私が、貴方を普通に産んであげられなかったせいで、貴方は私達と一緒に、あの街に暮らせなくなってしまった……それは辛い事だけれど。でも、ここの人達は皆いい人だって聞いている。あそこにいる大きなお姉さんも、怖いかもしれないけれど、とってもいい人だから。だから、泣いちゃだめ。お母さんがいなくっても、強く生きて欲しいの」
 どうにか涙を押さえ付け、鼻をすすりながら母親は言う。カノンは躊躇い、長い間をあけながらも、静かに頷く。
「じゃあ、あのお姉さんに挨拶をして」
 ロゼリアがシャムロックを指さし言う。それまで身を屈めたまま待ちぼうけだったシャムロックは、怖がらせないようにと務めて笑顔を作る。
「ニコニコハウスへようこそ、カノンちゃん。私はシャムロック……ニコニコハウスで、みんなのお母さんを務めているミュツウーよ。これから、ここが貴方のお家になるから……皆と仲良く出来るように頑張ろうね」
 母親に宥められて落ち着いたカノンは、シャムロックに見下ろされても何とか涙を流すことなく見つめ返している。
「ほら、カノン。挨拶よ。こういうときは、よろしくお願いしますって」
 まだ、カノンの体は震えている。だけれど、母親に背中を押されたら、少しだけ勇気も出てきた。
「よ、よろしくお願いします」
 声も震えて、顔も俯いて、それに加えて上ずったようなよれよれの小声だったが、それでも挨拶をする事だけは出来た。
「よし、ちゃんとあいさつ出来る、偉い子だね。行きましょう、ニコニコハウスの皆が待ってるよ」
 言いながら、シャムロックはカノンを優しく抱き上げる。カノンは体を強張らせたが、暴れるようなことはしなかった。
「カノンちゃんは私が怖い?」
 シャムロックの問いに。カノンはうんと頷いた。シャムロックはその際若干悔しそうな表情を見せて首を振るが、すぐに取り繕って笑顔を見せる。
「ここに来るまでに、大人に怖いことや痛い事をされたのかな?」
 カノンはまた頷いた。
「子供達にも同じようなことをされた?」
 これにもカノンは頷いた。
「大丈夫。私達は怖い大人じゃない。怖い子供でもない。あなたの家族と同じで、きっと貴方に優しくするから。だから、泣かないでいられるよね?」
 そう尋ねると、カノンは母親の方を振り返ろうとする。スボミーは首がないため振り返ることは出来ないが、足をばたつかせる動作でそれの意味するところが分かったシャムロックは、彼女を降ろして母親のところに向かわせる。
「大丈夫、カノン? お母さんが何度も説明した通り、貴方はこれからこの街の、このお家で暮らさなければならないの。きっと、お母さんがいなくなって寂しい思いは何度でもすると思う。けれど、そんな時は皆に励ましてもらいなさい。みんなで仲良くすれば、きっと寂しくないから」
 これから親元を離れて生きなければならない子供に、母親は自分を安心させるためにも、子供によく言い聞かす。
「カノンは、いい子だから出来るよね?」
 母親に問われて、若干の間。重い沈黙を破るまでには、深呼吸が必要なほどカノンも決意に時間を要した。
「うん。出来る」
 それを見守るユージンは、当事者と言うわけでもないのに息が詰まる思いだ。当事者でもないのに、カノンの答えを聞くまで呼吸を忘れていたような息苦しさである。彼女の答えを聞いてほっと一息ついたときは、ユージンも思わず息切れしていたくらいだ。
「……お嬢ちゃんえらいぞ。お母さんも、きっと安心できるよ。えっと、ロゼリアのお母さん。俺はもう卒業しちゃったけれど、何か困ったことがあったら、カノンちゃんのためにもいつでも駆けつけられます。ですから、安心してください。あなたの娘さんは、ニコニコハウスできっちり育てますので」
 ユージンはカノンを褒め、そして母親に安心してもらおうと必死でこの家の良さをアピールするが、ユージンの言葉には具体性に欠けるため、母親は彼の言葉の勢いだけでしか判断することが出来ない。ただ、ユージンの真剣なまなざしや、カノンに対する優しい態度などはとても演技には見えない。きっと、優しさや熱意に関しては本物なのだろう、とは母親も理解できた。
「分かりました……娘を、お願いします」
 この国において、色違いの子供は忌み嫌われる存在である。であるが故に、普通の街では育てることは出来ない。この街は、シャムロックが支配する街、ランランタウン。かつてはシャムロックが色違いの子供を育てるために、一時期は恐怖で支配された街。今ではこの国で色違いでもまともに生きられる唯一の街して旅人などに知られ、疎まれる者には希望の街だ。ロゼリアの母親が縋れる場所はここしかない。
「カノン……いつかまた会えるように、元気でね」
「うん、お母さん」
 二人は、声こそ上げなかったが、涙はこらえきれずに溢れている。その泣き顔で子供を不安にしないように、母親は踵を返すと振りむくことなくカノンの視界から消えた。ずっと家にいて足腰の弱いカノンのために、ずっとカノンを抱っこしていた彼女は、ひどく疲れている。カノンの重みが消えてその感触が消えた彼女は、カノンに見送られる最中、しばらく腕の震えが止らなかった。

 ランランタウンのニコニコハウス。色違いでも、そうでない者でも、どんな子供だって受け入れる孤児院。数日前まで家から一歩も出ることがなかったカノンの人生は、ここから始まるのだ。

シャムロックという女(本当は両性具有) 



「ところで、ユージンは一体何の用でここに来たのかしら?」
 早速、ニコニコハウスの案内と行く前に、シャムロックはユージンを見る。
「あ、俺ですか? 俺はただの市中見回りの最中ですよ……まー、平和な街なので、そこまでする必要もないのですがね。しかしながら、きちんと仕事をしないと示しがつきませんし、犯罪がなくとも困っていることがあれば相談に乗る義務があるから、見回りは欠かせません」
 ユージンは誇らしげに語る。パチリスの小さな体だが、その堂々とした態度のおかげか、あまり小ささを感じない。
「そうか……貴方おかげで、カノンちゃんも少しだけ警戒を解いてくれたような気がするわ。私一人ではどうにも顔が怖いみたいで……今だけは貴方みたいに可愛くなりたいわ」
 シャムロックはため息交じりにそう言って、ユージンを苦笑させる。
「怖いみたいというより怖いんですよ。母さんは眉間に縦じわが寄っていて、目付きが鋭いですし」
 仕方ないですよ、という論調でユージンが言うと、シャムロックはしょげた顔をする。
「……全く、やはりメガシンカしたほうが愛嬌があっていいのかしら?」
「街を滅ぼす気ですか? 母さんは」
「あー……可愛くなりたい。皆に初対面で愛される私になりたい」
 ユージンに歯に衣着せない物言いをされて、シャムロックは結局しょげてしまう。
「確かに初対面では威圧されるけれど、二回も会えば貴方の良さが分かりますよ。それじゃあ、カノンちゃん、シャムロックお姉さんをよろしくね。泣かないで、強く生きるんだよ」
 年端もゆかない子供と会う時に、泣かれたり怖がられたり、警戒されたりしてしょげるのはいつもの事。シャムロックは放っておいて、ユージンはカノンにそう語りかけた、
「お兄さんも……昔はここで暮らしていたの?」
「うん、そうだよ。俺は卒業生だからね。君も、きっと俺みたいに強くなれるから、頑張って生きるんだよ」
「わかった。お母さんに心配されないようになる」
「よし、その意気だ」
 ユージンがカノンの頭を撫でて微笑みを見せる。
「それじゃあ、ばいばい、カノンちゃん。また会おうね」
「ばいばい?」
「お別れの挨拶。また会おうねってことだよ」
 この年齢になるまで無事でいたという事は、人里離れた場所に住んでいたか、ずっと家の中に押し込められていたという事。もしかしたらさようならとか、そういう言葉すら使わなかったのかもしれない。
 哀れな子だなと思う反面、それでもこの家ならばともユージンは思う。頭の上で捩じられた手を振るカノンに、ユージンは手を振り返した。
「さて……母親の方はどうしているのやら」


 カノンを見送ったユージンは、先ほどの母親を探す。なにもなければそれでよし、何かあるのならば、少しくらいは慰めてあげよう。そうやって人を元気づけるのも警備団の仕事である。そして、少し探すと、母親は案の定泣いていた。子供に泣く姿を見せないようにと気丈に振る舞ってはいても、やはり子供との別れは辛いことには変わりなく、子供の姿が見えなくなった途端に糸が切れたように泣き始めた。
 美しい左右の花弁に珠のような水滴を落として、彼女は静かにうずくまっている。
「お母さん、大丈夫ですか?」
 うずくまっているところを急に話しかけられ、ロゼリアの母親はびくりと体を震わせるが、顔を上げると先ほどのパチリスであると気付いたのか、安心して、しかし恥ずかしそうに顔を伏せる。
「ダメみたいです……」
 小さく、消えそうな声で母親は言う。
「そういえば、お母さんお名前は? いつまでもお母さんと呼ぶわけにもいかないですし」
「ノブレス、です。見ての通り、ロゼリアという種族の」
「そうですか、ノブレスさん。えっと、ですね……俺の事を見てくださいよ。こう、俺ってすごく体も元気ですし、それに立派に働いているでしょう? あその、ニコニコハウスの……卒業生は皆そうやって活躍して、立派に働いているんです。ですから、心配しないでください。きっとあなたの子供も立派に育ちますって。後輩もみんないい子です、イジメもありません。
 なので、寂しいとは思いますけれど、こまめにお手紙でも書いて、娘さんを元気づけてあげましょう。そうすれば、カノンちゃんもノブレスさんも、どちらも幸せになれると思いますよ」
「あの、私……主人もですけれど、読み書きが出来なくって……手紙は書ける自信が……」
「あ、あぁ……そうでしたか。うちの子、みんな勉強を教え合っているので、それが当り前じゃないって気づいていませんでしたね……でも、ニコニコハウスにお手紙を出したという事は……誰か、文字を書ける人が近くに?」
「はい。そのお方は色違いは災厄を引き起こすという言い伝えをあまり信じておらず、私の子にも好意的でいてくれたんです。その人に書いてもらったんです」
 ノブレスは、少し恥ずかしそうに言う。
「そっか。文字を覚えるのは子供に先を越されてしまいそうですね」
 そう言って、ユージンは苦笑する。
「ところで……あのお方。シャムロックさんは一体どういった方なんですか? ユージンさんは、すごく持ち上げているようですし……シャムロックさんに手紙を書いてくれた方も、すごく尊敬しているようなのですが」
「えー……あの人はねぇ。この街でもお年寄りには嫌われてる。この街も昔は色違いのポケモンに対する差別があったからさ。でも、あの人が力づくでそれを無くしたんだ。今はあの人は木を育てながら木を切って売る、木こりをやってニコニコハウスの経営資金を稼いでいてね……まぁ、変わり者だけれどいい人なんだ」

 ◇

 シャムロックは、幾度となく子作りをした。最初の時はペンドラーの女性と。次はパンプジンの男性と。その次はゴローニャの女性と。シャムロックは男でもあり女でもあるため、彼とも彼女とも言えないシャムロック。自分のミュウツーという種族がどんなタマゴグループであるかもわからず、むしろ自分が子供を作れるのかどうかすらわからなかった。シャムロックに子供が出来ないまま三人の伴侶に先立たれた後は、もう手当たり次第に子作りをして、自身の子供を残そうと必死だった。
 そうして、齢三百を超えた頃に、シャムロックもようやく諦める。千を超える数の者と、雄も雌もなく、無論両性のポケモンとも子作りをして、しかしその努力は一度も実ることはなく、シャムロックは疲れ果ててしまったのだ。
 自分は、他社とあまりに違う。強すぎて、賢すぎて、肩を並べる者は誰もいない。人と人とのかかわりの中で満たされることは数多くあるが、満たされないことも多い。シャムロックにとって最も満たされない事は、自分に比類する存在がない事であった。だから、もしもシャムロックが子供を産むことが出来るのであらば、その子が自分と肩を並べる存在になってくれるのではないかと、そう思ったのだ。
 しかしながら、結果は前述のとおり。満たされない思いは永遠に満たされないのだろうかと落胆して、シャムロックは一人当てのない旅をしていた。そんな時、出会ったのが、オノノクスの女性と色違いのキモリの女の子であった。
 ゆるやかに流れる川を臨む森のある丘の道。その途中で、子供を抱きかかえている女性が泣いている。オノノクスの体に走る傷は、、血こそ止まっているが真新しい傷もあり、つい最近誰かに暴力を振るわれたのだろう事が分かる。荷物が少ないところを見ると、地元の人間か、それとも盗賊にでも奪われたのだろうか。心のくたびれたシャムロックでも、それを放っておくことは出来ず、思わず話しかける。
「どうした、そこの女、泣いているのか?」
「何でもありません……」
 オノノクスの女性はそう言って顔を背け、抱きかかえている子供を隠す。色違いの子供など抱きかかえていたら、最悪自分まで暴力を振るわれかねないという事が、体に染み付いているのだろう。ただ、シャムロックはそういった母親の事情を考えずに相手の正面に拘束で回り込み、その子を見る。
 白い布に包まれたその子は、青緑色を基調としたキモリである。普通のキモリは、体の大部分が黄緑色、お腹のあたりは赤、尻尾の葉っぱは深緑なのだが、この子はそれぞれ青緑、白、赤紫と言う、きつい色合いをしている。黄色い目の色だけは通常の色と同じだが、一目で色違いと判るその見た目は、子供を隠し通す事など不可能だろうとすぐに理解出来る。
「色違いか」
「そうですよ、悪いですか!? 色違いだからこの子を殺しにきたんです!! 崖から落として!! こんな子供いらないから!」
 シャムロックに気付かれて、オノノクスの女性はこのまま自分までとばっちりを喰らってはたまらないと思ったのだろう。本当は殺したくはないが、家に残してきた子供達のためにも生きて帰らなければならず、心にもない事を口にして母親は自身を守ろうとする。
「殺しに来た割には、泣いていたように見えるが……どうやら殺したくはないようだな」
「自分の子供がこんなんで、泣かないわけがないじゃないですか!!」
「そうか。確かに悲しい……が、それは、『色違いで生まれた子供が情けないから泣いている』のか? それとも『色違いといえど子供を殺すのは悲しいから泣いている』のか? 殺さないと、自分や家族に迷惑がかかるから、『殺したくないけれど殺さなきゃいけないから泣いている』のか?」
「それは……殺したくないですよ。こんなのでも、私の子供です! 本気で殺したいって言う母親もいるかも知れませんけれど。街の皆に、責められた時私はこんな子供いらない、殺してやるって言ったけれど……そんなの、全部嘘! 育ててあげたいんです! でも無理なんです! もう放っておいてよ! 私にかまうな! 死ね! お前のせいで私はこんな目に逢っているんだ」
 シャムロックに尋ねられて金切り声をあげるオノノクスの女性は、興奮しすぎているのだろうか、シャムロックに対して意味不明なことを口走る。自分でも言っていることがよくわかっているのか怪しい状態だ。
「そんな事を私に言われても困る。そもそも、お前の子供が色違いなのは誰のせいでもないだろう。私のせいじゃない」
「うるさい! もう私にかまうな!」
 子供一人の生死にかかわる話題のため、ヒステリックになることも仕方がないとはいえ、その不躾な態度にシャムロックもどうしたものかと頭を悩ませる。母親が大声を上げるものだから、子供はすっかり大声で泣きわめいており、こうなってはなき止むのにも時間がかかりそうだ。
「おい、お前。その子を殺すくらいならば、私に寄越せ。ただ殺すのでは面白くない。私が育てる」
「はい……?」
 シャムロックに命じられると、女性は一瞬言っている意味が理解できず、硬直する。
「嫌です!!」
 しかし、シャムロックの言った言葉の意味をすぐに理解をしたのだろう、この子は絶対に渡さないと言わんばかりに体を捩じって子供を隠す。だが、それよりも早くシャムロックが回り込み、キモリの女の子の顔を覗く。
「すっかり泣いているじゃないか。優しく抱いてやれ」
 驚き、オノノクスの女性は反対を振り向くも、そこにはすでにシャムロックがいる。
「あまり振り回すと、子供が驚くぞ?」
「やめてください!」
 と、オノノクスがさらに振り返ってぎゅっとその子を抱きしめると、今度もシャムロックは彼女の背後に素早く回り込み、浮かび上がりながらささやきかける。
「別に、お前の子供を変な儀式に使うわけでもないし」
 シャムロックの吐息が首に当たって、オノノクスの女性は振り向きながら尻もちをつく。
「その子を甚振って楽しむわけでもないし、ましてや乳児に欲情する趣味もない。私は、お前の代わりに。もしくはお前と共にその子を育てようと、そう思っているだけだ」
「そんなことできるわけないでしょ!? 出来るなら、やってる! そんな事をやっても殺されちゃうの! 石を投げられて、殴る蹴るで、殺されるの!」
「うむ、そうだろうな。色違いの子供に対してそういう事をする光景を見たことがある……私も、止めるべきかどうか迷ったことはあるのだが……結局、私はなにもしなかった。やろうと思えばできるが、あまりにその……アレなのでな。自分の子ならば、迷わず止めに入ったのだろうが」
「止めに入って、止められるなら苦労しない!!!」
 オノノクスが金切り声を上げる。いまだに子供は泣き止まず、親に落ち着くことを求めている。すると、シャムロックはよそ見をする。よそ見をして、大きな木を五本ほど抜く。どれほど大きいかと言えば、高さはイワークと背比べしてちょうどいいくらい。太さは、ミロカロスが一周できるくらいだろうか。
 それが五本、引き抜くだけでもありえない光景だが、シャムロックはそれをお手だまでもするようにふわふわと回していく。
「その通り、色違いの子供を非難する声を泊めるのは難しいだろう……だが、私を止めるのも案外難しいんだぞ? 昔な、私は村そのものが盗賊に襲われたことがあったんだ。盗賊と言っても、飢饉のせいで隣町の連中が食料を求めて襲い掛かって来ただけではあるが……私一人で対処したことがある」
 対処した、と軽く語るシャムロックに、オノノクスはなんだこの詐欺師はと言わんばかりの懐疑の目でシャムロックを見る。
「その、まぁ……なんというのか。死に物狂いで食料を奪いにかかってくる者と言うのは、本当に手ごわいものなのだが。不退転の意志を持って向かってくる相手でも、これくらい出来る力があれば何とでもなるものだ」
 ふぅ、とシャムロックは大木をもとに戻す。しかし、地面に戻しても、そのまま元通りになるわけもなく、土をかぶせてみた地面は酷く不格好であった。こういうところは、すこしばかりがさつなところがあるらしい。
「殺される、といったな。面白い、私を殺せるような奴を探しているんだ。この子を守っていれば誰かが殺しにくるというのなら、望むところだ。返り討ちにしてやる」
 シャムロックはニヤリと口元を歪ませる。その表情のあまりの邪悪さに、オノノクスは閉口する。
「あの、それは……私の子供を餌にするという意味ですか?」
「いやぁ? まぁ、そりゃ数日は私を殺しにくるかもしれないが、それが何日も続くとは思っていないからなぁ。馬鹿でなければ、どうあがいても私に勝てぬことなど分かるはずだ。それが終われば穏やかな日常も戻るだろう。先ほど言った、色違いの子供を助けるかどうかというのは、出来るけれどしなかっただけの話で、結論から言えば出来るのだ。私が、私自身の力を見誤っていなければ、の話だがな」
 シャムロックはそう言って改めてキモリの女の子の顔を見る。一瞬、その目が怪しく光ったかと思うと、女の子は急に死んだように眠ってしまう。
「やはり、寝顔の方が可愛い……が、こんな寝かしつけかたではいけないというのは分かっている。私が育てるとは言っても、子育ての仕方を知っている母親は必要だ。私がお前を助ける。だからお前も私を助けてほしい。もちろん、それはいばらの道になるだろうが、それでもかまわぬというのなら、手を貸そう」
 色違いのポケモンは、災厄を連れてくる存在だと、まことしやかに語られている。もしかしたら、このシャムロックと言う人物そのものが災厄なのではないかとオノノクスの母親も思わないでもなかったが、娘を守るためになら、悪魔にでもなろうと彼女は思う。
「お願いします」
 生まれたばかりの子供を捨てるくらいなら、悪魔に魂でも売ってやる。それが彼女の答えである。
「名前を聞こうか。私はシャムロック……この指がな、物をつまむ形をとると三つ葉のクローバーに見えるからそう名付けられたんだ」
「私は……ホリィです。この子の名前は……ロディ、です」
「そうか。きちんと子供の名前まで付けていたのに、殺そうとしていたのか? もったいない。ところで、その名前は誰が付けたんだ? 私の名前はな、ニンゲンが残した遺跡から私を見つけた冒険家が付けてくれ……」
 ホリィが気を許したと判断したのか、シャムロックは久々の会話を楽しもうと世間話を始める。相手はそんな気分でない事に気付いて黙るまでに時間はかからず、シャムロックは徐々に声を小さくして気まずい思いをしながら街への案内を頼むのであった。


 村に案内されたシャムロックは、ホリィとロディを連れて堂々と街を歩く。見たこともないようなポケモンが、色違いのポケモンを抱えて歩く光景。その異様さに、本当に災厄が歩いてきたと思って、そそくさと家に帰る者もいる。だが、血気盛んな若者は突っかかることが美徳だとでも言いたげに、シャムロックにちょっかいを出す。
「おい、そこのよそ者! 色違いのガキなんて抱いてどういうつもりだ!」
 そう絡んできたのは、この街に住むリーフィアの青年だ。彼の大声で、せっかくすやすやと眠っていたロディが目を覚ましてしまい、訳も分からず泣きじゃくっている。
「抱いてどうするつもりかって……この街に住むつもりだが?」
 大声で威圧するリーフィアの男に、シャムロックは眉一つ動かすことなく平然と返す。
「あぁん? てめぇ、正気か?」
 そう言って、シャムロックの足にリーフブレードをくらわそうとしたが最後。彼はそのまま空中に釣り上げられてしまう。
「な、なんだよこれ!? ふざけんな」
 普通のポケモンが使ったサイコキネシスならば、『念力の見えざる手』を振り払うことも簡単だろう。だが、シャムロックの操る見えざる手は固く握られており、どうあがいても振り払えそうになかった。
「おいお前、今すぐそいつを降ろせ!」
 と、怒りに満ちた口調でズルズキンが詰め寄り、シャムロックの腕を掴もうとする。悪タイプだからサイコキネシスなど喰らわない……と言いたいところだがそんなわけはない。シャムロックの目が悪タイプの弱点を引きずり出し、そしてサイコキネシスで釣り上げる。いくらミラクルアイを使われたからと言って、つりさげられてそのままなんてことは、大人二人を相手には難しいはずだが。しかし、それでもズルズキンは逆さづりにされたまま動けない。
 それで怖気づく者も多かったが、真っ向から立ち向かうのがダメならばと、後ろからストーンエッジを繰り出す者もいる。が、無駄で、ストーンエッジは地面に落とされた挙句、そのギガイアスも釣り上げられる。重くたって、シャムロックには関係ないのだ。
「なんだこの街は、不躾な奴らばっかりだな」
 ふわぁ、とあくびをしながらシャムロックは悠然と歩く。三人も釣り下げながらそんな態度を取れてしまう事に、周りの皆は驚きを隠せない。やめろ、降ろせと言う悲鳴に近い怒号が飛び交っても、シャムロックは何ら意に介しはしない。
「子供相手に大人げない奴らだ。幼い子供に怖い顔をするのが、この街の大人のすることか?」
 やれやれだと、シャムロックは首を振る。その横暴な態度に反発したいところだが、釣り下げられた三人があれだけもがいているのにサイコキネシスを振り払えないという事は、尋常ではない事態だ。
「さぁ、謝ろうか?」
 シャムロックが釣り下げた者を自分の正面に持って行き、ようやく三人は地面に降ろされる。頭に血が上ってしまった三人は顔を真っ赤にして怯えた目をしており、それを棒立ちで見下ろすシャムロックの姿が、実物以上に大きく見える。
「謝れと言っている。『子供に大声を出してごめんなさい』、『子供を攻撃しようとしてごめんなさい』だろう?」
 見下ろしながら、シャムロックは相手の謝罪を待ち続けた。
「色違いの子供なんかに……」
「ほほう? 色違いの子供に謝るのは嫌か? ならばお前の色も変えてやろうか? お前も同じ立場になれば上も下もなくなって謝りやすくなるだろうから……赤でも青でも黄色でも、やってやるぞ? 血塗れと、貧血と、小便塗れ、どれがいい? それとも茶色がいいか? あぁ、灰色と言うのもあるな」
 言いながら、シャムロックは地面に落ちていた石を捻り壊し、すさまじい轟音を立てながら砕き、粉にする。その最中にさりげなくロディの耳の周囲に真空をつくり、音を防いでいるなど気遣いは欠かさない。
 岩に岩をぶつけたり、サイコショックで叩き壊すというようなことであれば、エスパータイプならば誰でも出来るが、捻って壊すなどと言う行為は、腐った木の棒でもなければ固くてできやしない。まして、そのまま石を粉にするなど、この場にいる誰に対しても未知の攻撃だ。
「で、どうするんだ? 色を変えられてから謝るか、それともその色のまま謝るか。今ならサービスでたくさんの色が楽しめるマーブリングやパッチワーク、縞模様も受け付けるぞ?」
 と、粉にした灰色の石をふわふわと浮かせながらシャムロックは言う。謝らなければ殺されると判断した三人は、一転して平身低頭で土下座する。
「ごめんなさい、私が悪かったです!」
「そうか、何が悪かった?」
 その中で、ズルズキンに対してシャムロックが尋ねる。
「子供に対して乱暴な態度を取って、泣かせてしまった事が……」
「よろしい。お前らも同じことを謝りたいという事で判断しようか?」
 シャムロックがにらみを利かせると、他の二人も焦ってはいと答える。
「うむ、反省は大事だぞ。立って良し、どこへでも行け」
 シャムロックが満足げに言うと、ようやくその三人は解放される。精一杯の抵抗としてズルズキンは睨みつけたが、シャムロックに睨み返されて、すごすごと目を伏せて立ち去るしか出来なかった。
「さて、ここに集まっている人達にお尋ねしたいのだが……この街に大工はいるか? 家を建てて欲しい。もちろん、報酬はあるから強制だとは思わないでくれていい。あと、土地の持ち主にも話をつけて欲しい。この街の土地を買いたい」
 空間に穴をあけて左手の平から銀貨を大量にジャラジャラと流し、シャムロックは言う。
「とりあえず、手付金ならこれくらいあるからな。金だけで仕事をしようと思うわけではないだろうが、我こそはと思う者から仕事を申し出ろ。だれか大工を紹介してくれても構わんぞ?」
 周りを取り囲む聴衆にそう言って、シャムロックはあたりを見回す。しかしながら、当然申し出る者はおらず、シャムロックは不満そうにため息をついた。
「色違いと言うだけで、下らない事を気にするものだな」
 いやだいやだと、呆れた顔をしていたシャムロックは、抱いていたロディをホリィに預けて、今度は両手で空間に穴をあけて、テントを中から取り出した。
「ホリィは家に帰って、他の子供の面倒を見ているといい。私は、ここで泊まって、生活の基盤を整える」
「あの……それはいいのですけれど、私の身の安全は大丈夫なのでしょうか?」
「だめかもしれないが、その場合はこの村もダメになるだけだ。このオノノクスやこのキモリ一人のために村がダメになりたいのならば是非どうぞ。私は一向にかまわんぞ? 村を滅ぼす気があるならいくらでもこの女性を傷つけるといい」
 言いながら、シャムロックはその場にいる全員、少なくとも四〇以上の数がいたが、全員をサイコキネシスで持ち上げる。
「このまま、ひねりつぶすことも十分に可能なのだからな」
 持ち上げただけでそれ以上のことはしなかったが、シャムロックのサイコキネシスを振り払えた者はわずかのみ。徒党を組んで襲い掛かったところで、殺すことが出来るかどうか怪しいという事は、これで誰もが理解できたことだろう。

 たった一日で、この街は恐怖によってシャムロックに支配された。シャムロックはその足で、テントを置いた土地を管理する地主であるムーランドの元に直談判しに行く。もちろん、その手には色違いのキモリの赤ん坊、ロディを抱えており、それだけでも追い返したくなるが、追い返そうとすると『では、ここに住まわせてもらおう』と言って座り込むのだから性質が悪い。
 もちろん、地主やその使用人はシャムロックを館から引きずり出そうとしてみたのだが彼に触れようとしても、まるで磁石が反発するように触れることが不可能なため、温かい室内で子供を抱いて眠るシャムロックに全く手を出すことが出来なかった。
 その合間にシャムロックは食糧を買いに行くのだが、キモリを連れての買い物を断られても同じ方法で他の客の割り込みを防ぎ、店主が音を上げたところで適正価格で食料を購入し、その後また地主の家に戻って、仕事机の上に陣取り、それをベッド代わりにして眠るのであった。
 そうやって彼に対してハイドロポンプで攻撃しても何事もなく軌道がそれていくため、地主も一日目の深夜には音をあげて、銀貨を受け取りシャムロックに土地を明け渡した。

 次の日までには噂が待ち中に広がり、テントを遠巻きに見守る住民は多かった。朝靄の立ち込める早朝に目覚めてそこからはい出したシャムロックは、悪びれることなく遠巻きに見ていた者に対しておはようと言う。今日は、ホリィの家を尋ねるところから一日が始まる。昨晩の彼女は壮絶な夫婦げんかをしていたらしく、旦那のジュカインがハサミギロチンでも喰らったのだろうか胸に大きな横一文字の傷がついている。
 アランと言う名前の彼は、シャムロックを見るなり、文句を言おうと詰め寄った。
「聞いたぞ、お前があのキモリを村に戻して一緒に暮らすとか言ったらしいな!? いったいなんなんだお前は!? 突然妻をたぶらかして……おかげで、白い目で見られっぱなしで、子供を外に出すことも出来やしない」
 ジュカインの男がシャムロックに愚痴る。
「外に出すといい。もしもそれで理不尽な暴力を受けるのであれば、私がそいつらを消す。肉片すら残さん」
「そんな事をしたら街にいられなくなる! それに、そもそも弁当屋の客が全く来なくなったんだ……色違いの子供が生まれただけでも客足が遠のくのに、その上こうまで商売が邪魔されたら……子供に飯を食わす事すらできやしない!!」
「ふむ……それは確かに深刻かもしれないな。だが、その分他のお店が繁盛するとして、それだけで村の全員分の食事を捌けるわけがなかろう? お前の家に誰も客が来なかったら、昼食を食べられない者もいるのではないか?」
「昼食を抜いてでも俺達に抗議するつもりらしい。このままじゃ、俺の家族は何も出来ずに飢え死にだ」
「ふむ、分かった。対策を練ろう」
 そう言って、シャムロックは朝の市場へと繰り出し、銀貨をばらまきながら八百屋や肉屋、弁当、外食関係等、食料を扱うお店全般から、非常食や酒も含めてすべての商品を根こそぎ買い取った。重ねて言うが、奪ったのではなく買い取った。
 ただし、店主に拒否権などなく、シャムロックはお金を払ってこそいるものの、買い物風景は強盗にしか見えない。シャムロックを攻撃しようとする者もいたが、それは狙いがそれて流れ弾が別の者に当たってしまうだけなので、攻撃する者は誰もいない状態となってしまった。
 一瞬で街から食糧が無くなり、食料を所有するのはシャムロックと、ホリィの家のみ。ロディに子供用の柔らかい芋虫を与えながらあやしているシャムロックに村の人間が抗議をするが、シャムロックは悪びれることなく、言ってのける。
「あー……まだ、あそこの家のジュカインの家には食料が残っているはずだぞ? あそこが売り切れたのならば、譲ることを考えてもいいが……そうか、みんなたしかあの家の商品は買いたくないのだったな……これは困った」
 このシャムロックの一言で、アランとロディに対する一切の嫌がらせは自分達の首を絞めるだけだと、街の全員が理解することになる。結局、昼を迎える前にアランの家にある、処分しきれなかった昨日の分の弁当が買い取られていった。氷を詰めた冷蔵庫に保存しておいたため腐ってはいなかったが、すっかり米が固くなっていて、不味い出来のものであった。
 ともかく、アランの家にある食料がすべてなくなったために、ようやくシャムロックも店の主に商品を返し、弁当屋にも食材を返した。当然、払った銀貨は正確に取り返している。元通りに返したとはいえ、弁当屋からは食材を根こそぎ奪ったため、弁当を次々と作り終えるころには、すでに昼飯時も過ぎてしまっていて、街の住人は腹をすかせたまま午後の仕事に出る者も多かったそうな。
 ここまで壮絶な事が起こっても、まだシャムロックが訪れてから一日と少ししか経っていない。

 そうして、すべての食糧を返し終え一仕事終えたシャムロックはアランの店とは違う場所で購入した弁当を、食べている。街を一望できる丘の上にて、大きな苔むした岩に腰かけながら、そよ風を感じて食べる昼食は、ただ食べるだけよりも何倍も美味しく感じる。シャムロックは街の住人が自分の強さを理解し、逆らう事を止めようという府に気になったことに満足して、和やかな時間を満喫している。そんな彼に忍び寄る白い影……それが彼の尻尾を素早く触る。
「やったぞ、触ったぞ!!」
 それは、シャムロックに近づいて体に障る肝試しをしている、怖い物知らずなパチリスの少年であった。パチリスに敵意が無いので、シャムロックは触られるまで放っておいたが、いったい何をやっているのやらと、肩をすくめた。
「何をしているんだお前?」
「何って、勇者診断だよ! 大人の奴ら、何もされてないのに全員ビビっちゃってさ。お前に近寄っちゃダメとか言ってるんだよ。大人ってバカだよなー。確かにお前は強いのかもしれないけれど、だからと言って、危険な奴ならとっくにこの村の誰かが殺されてるだろ? 昨日だって、大人が手を出すから返り討ちにされたのに、だーれも怪我させてないじゃん。お前なんて怖くないんだよって、皆に証明したかったのさ! いや、怒られたら怖いだろうけれど、怒らなきゃ怖くないでしょ?
 結果的に、俺が一番最初にお前に触れたんだ、大人は皆触る前に吹き飛ばされたとか浮かされたとか言っているけれど、そりゃいきなり殴りかかろうとしたらそうなるよなあ?」
 シャムロックの体に触れられたことでよほど興奮しているのか、パチリスの少年は早口でまくしたてる。その度にチラチラと様子をうかがっている視線の先には、彼の事を遠巻きに見ている同年代の子供が居た。
「私に触るだけで勇敢だとか言うのなら、この子はもっと勇敢だな」
 少年を見て、シャムロックは笑みを浮かべながらキモリを見る。キモリは目を開けてキャッキャとはしゃいでおり、機嫌は良さそうだ。
「いやいや、俺の方が勇敢だから」
「じゃあ、お前は私の肩に飛び乗ってみろ。この女の子もそこまではまだやったことがないぞ?」
「え……? いいの?」
「飛び乗って、この子の顔を見ろ」
 シャムロックに言われて、パチリスの少年は恐る恐る彼の背中に飛び乗る。
「どうだ、普通の顔だろう?」
「そこは、可愛い顔って言うんじゃない?」
「子供は可愛らしいのが普通だ。この子もごく普通の顔じゃないか」
「そうだね……これが、この子が災厄を連れてくるのかな?」
「その時は、私がその災厄を跳ねのけてやるさ」
「すっげ、お姉さん……? いや、お兄さんかな? お前ってそんなに強いの?」
「強いさ。試してみるか?」
「いや、無理無理。勝てないから。大人が勝てなかったんでしょ?」
 この街に来て、まともに会話が出来たのは、ホリィを除けばこのパチリスが初めてである。

 ◇

 少し場所を移動した広場で食事をしながら、話を続けていた
「そのパチリスってのが俺の親父のスティーヴ。怖い物知らずで、出会って数分でシャムロックさんと仲良くなって……シャムロックさんの親友だった人だよ。それからも、シャムロックさんの周りではトラブルが起きるんだけれど、あの人はそれをすべて力づくで解決していったんだ。本当、尊敬に値する人だよ、あの人は」
 シャムロックの魅力をノブレスへ語り終えて、ユージンは満足げに息をつく。
「そんな人なんだ、この先何があっても、シャムロックさんはニコニコハウスを守ってくれる。もちろん、カノンちゃんだ守ってくれるって信じてる。だから、本当に安心してくださいよ。俺も、協力しますから」
 ユージンがノブレスを励ますと、彼女は目の端に涙を光らせながら、『はい』と頷いた。
「ところで、そのロディと言う子は、今どうしているんですか?」
「今は、行方不明です。孤児院を新しく作るって言って旅に出て……そのまま、消息を絶ってしまいました。もしかしたら、カノンちゃんも、この街から出たら同じ目にあうかもしれない。だから、この街を出るのは難しいとおもいます。だから、カノンちゃんがこちらから会いに行くのは難しいと思うので、彼女が大人になったら会いに来てあげてくださいね。もしよければノブレスさんもこの街に住むのもいいかもしれません……なんて、簡単に言っちゃだめですよね。
 でも、きっと幸せになるとおもいます。このランランタウンでなら、それが出来るとおもいます。それを信じて、貴方も娘に負けないように、幸せに生きてください」
「えぇ、娘をお願いします。私も強く生きますから」
 母親も腹を決め、迷いを振り払ったのだろう。ニコニコハウスの皆を信頼して、言葉によどみはなかった。この調子なら大丈夫だろうとユージンも確信して、彼女の前を去ることにした。
「それでは、私はパトロールに戻ります。何か困ったことがあれば呼んでください」
 あとは、一人で泣くこともあるだろうが、その時は一人にしておいた方がいいだろう。母親のこれからの人生に幸があるようにと祈りながら、ユージンは彼女の背中を見送った、

私を超えて欲しいのよ 


 ユージンが世間話をしている一方でカノンは戸惑っていた。広い家に、たくさんの子供がひしめいているというこの状況。みんながみんな珍しがって自分の事を見ていて、気味が悪いのだ、とはいっても、今までの旅路で見てきたような、さげすむような、苛立つような、そんな怖い目ではなく、興味津々の好奇の目なのがまだ救いだ。
 まずは、家の中の案内をしてもらえた。トイレが二つ、広間が三つ、そして台所、蔵書室、倉庫など。自分の家と違って広い家で、部屋数も多い。広間は勉強部屋や食事部屋、寝室も兼ねていて、大抵のことはここで済ませられるようになっている。蔵書室はシャムロックの私室も兼ねていて、また家に住んでいる子供達が個人的に勉強したい場合もここを使うらしい。
 庭は運動場になっていて、そこでは普段は子供達が遊んでいるらしいが、今は皆が広間に集まっていて、どんな遊びをしているのかはうかがい知れなかった。
「皆、集まってくれてありがとう。この子が、今日からみんなと一緒に暮らすカノンちゃんよ。仲良くして、イジメなんてしないようにね」
 シャムロックが皆に呼びかけると、元気な声が広間に響き渡る。ぎゅうぎゅう詰めの広間には、大きい子、小さい子、同年代も土地上も年下もいる。まだ言葉もしゃべれないような子もいて、今の大声で泣き出してしまい、その子を抱いていたブーバーは慌てて他の部屋へと避難していた。
「それでは、皆自己紹介をしてあげましょう。一回じゃ覚えられないかもしれないから、しばらくは名札をつけて……と、言っても文字は読めないかしら」
 シャムロックが皆に呼びかけると、皆我先にと手をあげるので、ならば端っこから順番にしろとシャムロックは苦笑する。
「とりあえず、最初の自己紹介はカノンちゃんから、練習した通り、元気にやるのよ」
「えっと、あの……私はスボミーのカノン、六歳です。今までずっと家に中にいたので何もわかりませんけれど、よろしく……おねがい……します」
 緊張してはいたが、すべてを間違うことなく言い終えて、カノンはほっと息をつく。
「んじゃあ、俺から。俺はチョロネコのミック。見ての通り色違いで……年齢は一四歳だ。俺はここで皆に勉強を教えているんだ。よろしくな。来年には卒業して、街の子供のために学習塾を開くんだけれど、俺はこれからもここで勉強を教えに来るから、長い付き合いになるぜ。ちなみに進化するかどうか迷っている最中なんだ、進化すると二足歩行できなくなるからなぁ……まぁ、どっちの道を選んでも、俺の事はよろしくな!」
 チョロネコの男性ミックは、元気いっぱいに自己紹介を終える。
「次、私ね。私はダンジョンエクスプローラーやってるクリムガンのシュリン。一三歳です。ちょっと近寄りがたい肌してるけれど、正面からぶつかれば痛くないから、抱きしめてあげてもいいのよ?」
 クリムガンの女の子は、大きな口元を手で隠しながらそう言った。
「次は僕かな? 僕は……えっと、ホーホーのアウリー、九歳だ。今は特に働いていないけれど、将来は夜間高速便をやるつもり。どこか行きたい場所があったら、軽い子なら運んでいけるから何でも言ってね」
 ホーホーの男の子がはぺこりと頭を下げる。
「次は私か。私は、マッスグマのナオ。シュリンの二つ下で、一緒にダンジョンエクスプローラーをやっている。小さい頃に隣町で両親が強盗に殺されてしまい、ここに引き取られたが……なんとかやってるよ。腹太鼓と早食いが自慢なんだ。曲がったことは大嫌いだから、何か理不尽なことがあったら教えてくれ、すぐに駆けつけるぞ」
 マッスグマの女の子は、自信満々に自己紹介する。その後も、そんな調子で自己紹介が行われ、そのうちに同年代が固まっているところに行きつく。

「私、ドーブルのイレーヌ、七歳です。お絵かきが大好きなので、将来は技を教える道場を開きたいです」
 それがお絵かきに繋がるかどうかは不明だが、とりあえずそう言って彼女は笑う。
「俺はズガイドスのパチキ。頭突きが得意だ、よろしくな。ちなみに七歳だ」
 見るからに頭突きの得意そうな見た目の彼は、言わなくても分かることを自慢げに言って自己紹介を終える。
「僕はムウマのテラー。手先が器用だから、将来はいろいろ物を作る仕事をしたいな。五歳なんだ」
 今のところ、この部屋で一番低年齢なのは彼だろうか。あと一人の子はブーバーの女の子が連れて行ってしまった。
「そうそう、さっき出て行ったピンク色のブーバーの女の子だけれど、あの子はメラって名前で今は一〇歳。ピーピーマックスやピーピーエイダ―を作るのが上手で私達も毎日飲ませてもらっている。普通の料理も得意だし、子供をあやすのも得意というお母さん気質なお姉さんだ。
 それで、あの子が抱いていたコロボーシだけれど、名前はボックル。あの子は君と同じ色違いでね……生まれてすぐにここに預けられた男の子なんだ。歌を歌う……と、言っても今はただ音を奏でてるだけだけれど、歌うのが好きなかわいい子だよ」
 先程出て行った二人の事は、ナオが代わりに紹介をする。カノンはそれに頷いてシャムロックを見る。
「さて、これで全員の紹介が済んだわね? 本当なら、カノンちゃんも勉強をするべき年なんけれど……文字が読めなくってそういうわけにもいかないよね。だから、しばらくみんなの勉強の時間は、テラーと一緒に遊んで見るのはどうかな?」
 全員が紹介し終えたところで、シャムロックは床に座ってカノンを抱き上げ、目線を合わせながら話をする。
「遊んでいていいの?」
「子供は遊ぶのも仕事だからね。それに……君は家からほとんど出たことがないんでしょ? それだったら、多分外で遊んだこともないと思うけれど……多分、この街に来るまでの間も、お母さんにおんぶしてもらっていたんじゃないかな?」
「うん。ずっと家にいて……だから、すぐに疲れちゃって、ずっとお母さんにおんぶしてもらってた」
「そっかー……やっぱり。だったら、まずは思いっきり体を動かすことを覚えないとね。いっぱい遊んでいっぱい疲れたら、いっぱい食べていっぱい眠りなさい、すごく楽しくって気持ちいはずよ」
 シャムロックは、精一杯の微笑みをカノンに投げかける……が、眉間の縦ジワのせいか、笑顔が下手なのか、あまりに怖いのでカノンは目を逸らした。
「は、はい」
「あの、目をそらさないでね。私、ちょっと傷つくから……これでも私だってみんなのお母さんとして親しみを持てる自分であろうと頑張っているんだからね?」
「ご、ごめんなさい」
「まだ目が逸らされてるし……まぁ、いいわ。とりあえず、今日は皆と仲良くなってもらうためにも、美味しい食事を皆で囲むから、これから台所に籠るわね。いい子にしていない子にはお夕飯あげないから、ちゃんと席についておくのよ?」
 シャムロックの視線は、まっすぐにパチキの方を向いている。この家では彼が最も落ち着きがなくて、勉強中もじっとしてられないのだが、その視線の意味はまだカノンにはわからなかった。


 カノンと同年代の子は、基本的に勉強の時間は午前中である。そのため、昼を過ぎている今の時間は、子供達は自由時間である。そんなわけで、早速遊ぶことになったカノンたちだが、いきなりバトルをするわけにもいかないし、身体能力が種族の差によって大きいためかけっこなどもこの組み合わせでは出来ない。
 そんな時、使われるのがドッジボールだ。ダンジョンに潜るに当たり、基本の動作である道具を投げる、攻撃を避ける、受け止めるといった動作を学ぶことが出来、戦いとなった時にも相手の攻撃を冷静に避けたり受け止めたりといった力を培うのにはもってこいだ。将来戦いを生業にすることがなくとも、基礎体力をつけるには悪くない。そして何よりもこの孤児院は、とある理由により武闘派だ。
 シャムロック自身が戦闘狂な一面があるというのもそうだが、基本的に自分の実を自分で守れるようになるために、強さを高めようというのがこのニコニコハウスの教育方針である。

 さて、ドッジボールのルールだが、基本的には外野と内野に分かれ、相手は内野のポケモンに向けてボールを投げ、当たったら内野の者は外野に移る。外野から内野のポケモンにボールを当てた場合は投げた者が内野に戻ることが出来、内野がいなくなったチームが勝ち、というルールである。とはいえ、今は四人しかいないため、今回のルールは少し改変され、ボールが当たったら味方の内野と外野を入れ替えるというルールで、頻繁に内野と外野が入れ替わるようになっている。
 全員がまんべんなく遊ぶためには、このルールが一番いいのだ。

 最初は仕方ないと言えば仕方ないのだが、カノンはキャッチどころかまともにボールを避けることも出来なかった。一番攻撃能力が高く、手加減という言葉を知らないパチキは味方につけることでカノンへのあたりを弱くする。そしてある程度手加減の出来るイレーヌとテラーが相手をしてくれるのだけれど、それでも怖くて目を瞑ってしまい、適当に避けようとするも逆に顔面へクリーンヒットしてしまうこともしばしば。投げ方もお粗末で、簡単に言ってしまえば話にならなかった。
 これでは、遊びにならないので、早々にドッジボールは止め、となり、まずは投げたり受け止めたりの練習から始めるという事になった。

 さて、こういう時に活躍するのがドーブルのイレーヌであった。彼女は将来道場を開きたいと言うだけあって、動作を教えることについてはこれ以上ないほどに上手なようだ。スボミーとドーブルでは体型は全く違うのだが、絵を描いて、分かりやすく動きを説明することで、カノンもどのように動けばいいかはわかって来たらしく、彼女がボールを投げる動作は何とか形になって行く。
 そして受け取る動作だが、これについては投げてもらって、それを受け止めることから始まった。最初は、ふわりとした軌道でやっと届く程度のスピードで。それに慣れてきたら、どんどんと速度を速めて行くといった調子で、少しずつスピードに慣れてもらう。
 驚いたことに、カノンはボールを見ることが出来るようになってからは、ボールを当てられてしまっても、弱音を一つ吐かなかった。イレーヌも手加減はしたものの、ボールに当たれば痛いのは変わらないはず。それでも、皆で遊ぶという行為がよほど面白いのだろうか、少し強めに投げられて、受け止めきれずに顔面にぶつかってもなんだか楽しそうにしている。
「カノンちゃん……大丈夫? 痛くないの?」
 さすがに、テラーも心配になってそう尋ねるが、カノンは首を横に振った。
「ちょっと痛いけれど、大丈夫。私、楽しいから」
 彼女の目は一点の曇りもなく、朗らかに笑んでいる。家の中で、お手玉やおはじきのような体を動かさない遊びしかしてこなかった彼女には、こうして体を動かすのが例えようもなく楽しい。確かにボールが当たるのは痛かった。家の中では体験しない痛みだったかもしれない。でも、それが気にならないくらいに、彼女の中では楽しいのだ。
「そっかー、なら安心だね」
 テラーは彼女の返答を聞いて、安心して喜んだ。
「そ、そう……それならいいけれど……」
 イレーヌも心配していて、彼女の言葉には少しほっとしたが、それでも本当に大丈夫なのかという心配は尽きず、素直には喜べなかった。
「だったら、俺のボールも早く受け止められるようにならねーとな」
 パチキの方はと言うと、心配する二人と違って、彼女の体の心配など微塵もしておらず大事なのはこれからもっと遊びが楽しくなるか否かである。手加減知らずなところも相まって、厄介な性格である。

 結局、皆はお菓子タイムを挟みつつ暗くなるまでお庭で遊び、シャムロックが食事の準備で皆を呼び寄せるまで、ドッジボールの練習を続けるのであった。
 そのころには、転んだり転がったりでカノンは泥だらけになってしまい、食事の前に軽く体を布で拭けと、シャムロックに呆れられるのであった。
 体を拭くために広間に行くと、生まれて初めて見るような豪華な食事が並んでいる。それを大人数で食べるなどと言うのはもちろん初めての経験で。その料理を見てから体を拭くように言われたカノンは、気持ちが急いてしまって仕方がない。夕食は逃げないのだから焦るなと、年上の皆から諌められるが、そんなの聞こえちゃいなかった。
 草タイプ向け、肉食向け、草食向け、鉱物食向け、精神食向けと、様々な食べ物を用意した食卓が目の前に待っているのだ、はしゃぐ気持ちを抑えられるはずもない。動き回ってお腹もすいた分、食欲はこれまでにないほど高まっている。シャムロックや先輩から待てとたしなめられなかったら、空気を読まずに飛び出してしまいそうだった。
「さぁ、皆。お腹もすいていることでしょう。今日はカノンちゃんが私達のニコニコハウスに入ってくれた記念として、私とホリィおばさんが腕によりをかけて作ったから、皆存分に味わって食べるのよ。今日の食材、いつもの三倍の値段なんだから、三倍味わって食べるのよー」
 我ながら自信作だと思って、シャムロックは皆の反応を楽しみにしながら前振りを言う。
「それじゃあみんな、土と水、そして太陽の恵みに感謝して……いただきます」
 皆の顔を見まわし、そしてシャムロックがいただきますの合図をする。皆、一斉にかぶりつこうとするのを見て、これならば作った回もあるとシャムロックは笑顔になった。食事会はビュッフェ形式で、皆は取り皿に隙なだけ料理を盛って食べることになる。背が低いポケモン達には大きな先輩が代わりに取って上げたり、持ち上げてくれたりと、フォローはきちんと行われる。
 そうして食べた料理の感想は……
「美味しい……」
 カノンは、思わずそんな言葉を口にする。
「どうよ、俺達のお母さんは料理の腕も一流なんだぜ?」
 まるで自分の事のように、チョロネコのミックが言う。彼は魚がお気に入りらしく、焼いて塩を振りかけられた川魚を夢中で頬張っている。
「皆のお母さんなんでも食べるからねー。鉱物とか、草タイプ用の土入りとか、恐怖やら悲しみやら得体のしれないものまで何でも食べるから、皆にとって何が美味しいかもわかっているんだって。私も料理の腕を見習わなくっちゃ」
 ブーバーの女の子、メラは上品にグラタンをよそっている。まだ熱々ゆえ、他の子はまだふーふーと息を吹きかけ冷ましている最中だが、彼女は炎タイプなだけあって全く問題ないのだろうか、臆することなく食べている。
 ムウマのテラーは恐怖の感情を封じ込めたという(よくわからない)サクサクの砂糖菓子を食べ、クリムガンのシュリンは肉も野菜も区別なく豪快に食べている。みな、思い思いに好きなものを食べ、楽しんでいる。体が大きいポケモンは小さいポケモンのために取り分けてあげるなどして、和気あいあいとした食事風景が広がっている。
 肝心のシャムロックは、メラの言う通り本当に色々なものを食べている。錆びた鉄の塊やら、栄養たっぷりのふかふかの土やら、野菜サラダやワカシャモのから揚げなど、何を食べても美味しそうにしている。無理して作る笑顔よりも、美味しい物を食べて自然に緩む顔の方がはるかに穏やかなのは、なんとも残念なことである。
 この食事会の間、カノンは色々なことを尋ねられるが、しかしずっと家にこもることしか出来なかった時彼女には、ろくに答えることは出来なかった。カノンは母親の手伝いで、杖を向けた相手に様々な効果を付加する不思議枝職人の手伝いをしていたくらいしか話すことがなく、話の引き出しは非常に少ない。
 ならばと、代わりに経験豊富な先輩たちがいろいろな話をしてくれるのだが、例えば綺麗な虹も、満開の花畑も、山の斜面に作られた青い棚田も、そう言った色々なことを見たことのない彼女にとっては、いろんな話がぴんと来ない。彼女の中にある、あらゆるものが不足しすぎて、先輩の話の大半が想像すらできなかった。
 そうして、理解できずに困っているところを察してか、メラはカノンのために優しく先輩たちの会話を遮った。彼女も小さい頃は外に出ることが出来なかった色違いであるため、会話の引き出しが非常に少ないという事については覚えがあるし、今でもランランタウンを離れることが出来ないため、メラは未だに人一倍会話の引き出しが少ない。
「ねぇ、カノン? いっぱいお話して疲れない?」
「うーん……よくわからない。少し眠いけれど、でもすっごく楽しい……皆が言っていることはよくわからないけれど、すごく楽しそうで、聞いているだけで楽しいの」
「そっか。じゃあ私が話を遮ったのは、なんていうか……邪魔だったかな?」
「ううん、楽しいけれど、皆の話が難しすぎて、最後の方はよくわからなくって……だから、休むのにはちょうど良かったかも」
 メラの気遣いはカノンにとってはありがたかったらしく、カノンの言葉を聞いて、メラも思わず顔がほころんだ。
「最初はやっぱり疲れるよね。私もそうだった。今まで、見たこともないくらいにたくさんの人とお話して、そんなの初めての事だったから、すっごく疲れた。あなたを見ていると、その頃の自分を思い出しちゃったな」
「お姉さんも、ずっと家を出られなかったの?」
「うん。家族と並ぶと一目で色が違うのは分かるからね。だから、ずっと家から出してもらえなかった。そんな中で、私の家族はこのニコニコハウスの事を噂で知って……ペリッパーに手紙を託して、こうやってここに住むまでこぎつけたの。初めは、外の広さに驚いて、歩くのに疲れて……遊ぶことすらロクに出来なくってさ。なにをするにも苦労と驚きの連続だったよ」
「そっかぁ……私もメラさんとおんなじ感じだね。じゃあ、私も将来はメラさんみたいになるのかなぁ?」
「そうだね、きっと苦労もするし驚きもすると思う。でも、その驚きは、嫌な驚きじゃないはずだよ。だから、一杯楽しんで、一杯勉強しよう。そうやって、立派な大人になりましょう?」
「大人、かぁ……」
 大人と言うのは何なのか。母親と父親しか知らなかった自分には考えたこともない事だ。シャムロックも大人なのだろうが、しかし彼女が何をしているのかを、カノンは知らない。皆が素晴らしい人だとか、あの人に助けてもらったとか、そういう言葉を口々に言うので、シャムロックはすごい人という認識ならあるが、それが具体的にどういうことなのかはわからない。
 大人って何だろう? ささやかな疑問がカノンの中に生まれるのであった。


 食事会が終わると、子供達は消灯時間まで室内で出来る遊びをする。主に行われるのはトランプのようなカードゲームやリバーシのようなボードゲームなのだが、その他勉強に時間を使う者もいるし、積み木などで一人遊びをしたり、お絵かきや工作など、時間の使い方は様々だ。
 ただ、今日はその前にカノンはシャムロックの私室兼蔵書室に呼ばれ、二人っきりでの会話をする。シャムロックはカノンと比べると非常に大きいため、彼は椅子に座り、カノンは机の上にちょこんと座る。それでもカノンはシャムロックを見上げなければならない。スボミーとミュウツーの身長の差は、それくらいに極端だ。
「一日目の活動、お疲れ様でした。今日は楽しかったかな?」
「うん、楽しかった。いっぱい遊んだし、一杯話したよ。それでさ、皆すごく物知りで、お母さんが知らないことをたくさん知っててね、それでみんなの言っていることはよくわからないんだけれど、すごく、すごくって……本当にすごいんだから」
 興奮して話すカノンを見て、シャムロックは自然と頬が緩む。どうやら、初対面の時に怖いと思っていた恐怖心はすっかり消え去っているようで、カノンの顔にシャムロックに対する恐れはもうない。
「よかった。みんな君を歓迎してくれたんだね」
「うん、してくれたよ。だからすごく楽しくって、嬉しくって……お母さんがいないのは寂しくって怖いけれど、顔も見たいし、でも、皆がいるから怖くないよ。それでね、私今日ドッジボールっていう遊びを教えてもらってさ。ボールの投げ方とか受け取り方を覚えて、すっごく楽しくって、皆と一緒に遊んだの」
「うんうん。今までお外で全然遊べなかったもんね。だから、何をやっても楽しいんだね」
「そうだよ。ありがとう、シャムロックさん!」
「どういたしまして。でもね、カノンちゃん。私の事は……その、お母さんって呼んでくれると嬉しいな」
 たくさんの卒業生を見送ってきた今になっても、こうやって呼んでもらうのは少し照れくさい。けれど、ニコニコハウスの孤児たちにこうやって呼ばれるだけで、シャムロックは幸せな気分になれるため、今ではこう呼んでもらわないことには、気が済まないくらいだ。
「えー? でも、それだと私のお母さんと、シャムロックさんと、どっちがどっちだかわからなくなるからやだ」
「なら、『みんなのお母さん』って、呼んでくれるかな? それなら、どっちだかわかるでしょ?」
「うーん……そうだね! みんなのお母さん、だね」
 カノンが屈託のない笑顔でそう呼ぶと、シャムロックの胸は幸福感に包まれる。我ながら単純なものだと、シャムロックはちょっとおかしかった。
「それでね、カノンちゃん。これからもニコニコハウスで暮らす貴方に、私から一つお願いがあるの」
「お願い? なあに?」
「そうだねぇ。貴方は、これからどんどん大きくなって、そして大人になって行く。今はどんな大人になるかは分からないけれど、貴方は……素敵な大人になれるかな?」
「うーん……わからない」
「そうだよね。今は分からないね。でもね、もしよかったら……いや、出来る限り、貴方は私よりも素敵な大人になって欲しいの」
「皆のお母さんよりうも素敵な大人になるの?」
 首をかしげるカノンに、シャムロックはうんと頷いた。
「そう、素敵な大人。私は、こうやって、普通に親と暮らせない子供達を助ける仕事をしている。そして皆も、人を助けたり、喜ばせたりする仕事が出来るはず。出来ることなら、そうやってみんなに必要とされる存在となって欲しいの」
「うーん……なれるかなぁ? 皆に必要とされるって、よくわからないし」
「そうだね。今はまだわからないのは仕方がないね。でも、貴方もこの街で暮らすうちに、きっとみんなを喜ばせる方法、楽しませる方法、そして、ありがとうって言われる方法が見つかるはず。そして、憧れるような大人に出会えるはず。憧れるのは、私かもしれないし、このニコニコハウスの卒業生かもしれない。そして、また違った誰かかもしれない」
「誰なの?」
 答えを急ぐカノンに、シャムロックは微笑み返す。
「ふふ、先の事なんて私にもわからないわ。だけれど、意識することは出来る」
「意識する……?」
「うん、意識する。つまりね……考える事。例えば、お家の中で何かを無くした時に、探そうと思わないと気付けない事ってあるでしょ?」
「あぁ、確かに。たまに、棘のお手入れに使うやすりを無くしたりして、お父さん困ってた……」
「そういう時に、やすりを探さなきゃって思わなかったら、そこら辺にやすりが落ちていても何も気にしないでしょう? それと同じ、カノンちゃんはね、どんな大人になりたいかを探して、考えながら生きて欲しいの。そして、なりたい大人の形が決まったら、それを目指して頑張って欲しいの」
「なりたい大人かぁ……」
「何でもいいの。今からならば、なんにでもなれるよ。だからがんばって。焦らないでいいから」
 いきなり難しい事を言われたカノンは、何のイメージもわくことなく、難しい顔をする。シャムロックは急かすことはせずに、ゆっくりやればいいと諭し、彼女の頬を撫でた。
「私は、子供達に、私に出来ないことをして欲しい。そうやって、素敵な大人になって欲しい。この家に来たからには、子供達はお母さんを超える大人になること! それがお母さんからのお願いよ、カノンちゃん」
 シャムロックの言っている事はよくわからなかった。だけれど、お願いをされ頼まれるようなことは、今までちょっとした手伝いくらいでしかなかったため、こうして改まった態度で何かを頼まれると、何だか誇らしい気分になる。
「よくわからないけれど、分かった。考えればいいんだね?」
「大丈夫、今はきっとわからないけれど、きっとそのうちわかるから」
 ともかく、シャムロックにいい格好をしたいカノンはむやみに頼もしい言葉を使う。そんなカノンの気持ちを汲んで、シャムロックは苦笑いしつつも、彼女を肯定してあげた。
「それじゃあ、カノンちゃん。もうお話は終わり。今日は皆と遊んで、ぐっすり眠りなさい。若いうちの時間は貴重だから時間を無駄にしちゃだめよ」
「はい、みんなのお母さん。いってらっしゃい」
「行ってらっしゃい」
 またみんなと遊べるとなって、はしゃぐカノンをシャムロックは手を振って見送る。彼女のニコニコハウス生活一日目は、こうして終わって行く。


お菓子を買うためにお小遣を稼ごう 


 夜の自由時間が終わって消灯時間になり、遊び疲れたカノンは藁の上に寝転がって、数秒と持たずに死んだような眠りについてしまった。体はとっくのとうに疲れているのに、興奮しているせいで疲労に気づくこともなく元気に遊んだのだから、当然だ。ここに来る前は家では何もせずにごろごろしながら過ごしていたため、こんなに疲れてしまったのも初めての事。それだけに、眠りの深さ、気持ちよさも人生で初めてのものだった。

 そうして迎えた。二日目の朝。ニコニコハウスはお掃除から始まる。皆が起き出してからは、全員で寝具の藁を片付け、箒で藁の屑を取り除き、雑巾がけをして床を綺麗にするのだ。その間、シャムロックは朝食を作り、掃除の間にいい具合にお腹がすいた子供達の腹を満たす準備をするのだ。
 朝一の掃除は、適度に体を動かすため、それだで体も目覚めてくれる。眠っている時に休んでいた体も、そうして血の巡りが良くなったことで完全に目覚め、食欲も湧き上がる。食べるのが遅い子は特に、起きてから少し時間を置くのがいい。
 世間知らずなカノンと言えど、掃除は家でもしていたために手慣れたもので、人数の多さに混乱しながらも立派にそれをやり終えた、朝食は、昨日の夕食に比べれば見劣りする者の、種族の違いを考慮したメニューの豊富さは健在で、一人で作ったとはとても思えないようなレパートリーだ。サイコキネシスを用いて何本もの包丁を空中でふわふわと動かしているため、作っている風景を見ればひとりで作ったというのも納得と言えば納得なのだが、恐らく同じように調理ができる者は、同じエスパータイプでもそう多くないはずだ。
 そうして朝食を終えた後は、低学年の子供達の勉強タイムである。とはいっても、カノンはまだも字は読めないため、テラーと一緒に遊ぶことになるのだが、テラーはすでに文字を覚えているために、彼女に一緒に勉強しようと持ち掛けてくれた。
「アイツのなまえはアイアント」
「アイツのなまえはアイアント」
「いつもいっしょだイルミーゼ」
「いつもいっしょだイルミーゼ」
「うつくしいはねだよ、ウルガモス」
「うつくしいはねだよ、ウルガモス」
 テラーが絵と文字の書かれたカードの文面を読み上げ、カノンもそれに続く形で読み上げ、そして文字の形を覚える。何度も何度も繰り返すうちに、絵柄と文の内容が一致し、そして分の内容を覚えたら、そこから文字の形を覚えて行く。そうすることで、テラーも、他の子供達も文字を覚えてきたのだ。今は、同年代の子供達はチョロネコのミック先生指導の元、年齢に合わせた勉強の指導を受けている。
 そんなのずるいとカノンは言いたいが、しかしいくら吠えたところで文字も覚えていない状態ではノートも取れない。早く追いつくためにも、カノンは懸命にカードに書かれた言葉を暗唱し、時折それを書き写しては暗記するのであった。
 勉強タイムが終われば、昼食を経て、自由時間である。当然、同年代の子供達と遊び倒すのだけれど、いつもドッジボールと言うわけにもいかず、今日は野山に繰り出し、種を残したタンポポを集めてみんなで吹き飛ばしたり、みんなで近くの小川まで行って、石を投げてははねた回数で競い合ったりなど、遊びの数は無限大だ。
 木の枝倒しという、枝を守って見張る鬼の隙をついて枝を倒せば福の勝ち。枝を守りつつ福を見つけ出し、その名前を呼ぶことで福をアウトにし、全員をアウトにすれば鬼の価値と言うルールのゲーム*1ではした時は、カノンは草タイプであることを活かして、擬態しつつ枝を倒すなどの頭脳プレイも見せつけた。
 それだけで勝てるほど甘くはなく、特にテラーはかなり擬態を見破ってくるのだが、手を変え品を変え鬼を打倒し、福を出し抜こうとすることで、カノンも大いに楽しめた。

 途中でお菓子タイムを挟みながら、四人は大いに遊び、暗くなって帰らなければいけない時間になると、体もクタクタになってしまっていたが、しかし一晩眠ればまた元気に遊ぶ気分になれそうな心地の良い疲れであった。カノンは今日もよく眠れそうだと思った。
 そんな日々が、三日ほど過ぎたころには、流石に母親の顔が恋しくなり、あちらはどんな暮らしをしているのだろうかと、少しぼやけて浮かぶ親兄弟の顔に思いを馳せることもある。それを相談すると、シャムロックは忘れろとは言わず、黙って彼女を抱きしめ慰めてあげた。
 物心をつく前からこのニコニコハウスに暮らしている者もいるのだ。みんな本当の親子と会えなくって寂しがっている。だから寂しがることを我慢しろとは言わないが、そんな時は甘えればいいのよと、優しく言って抱擁する。シャムロックは、微細な体毛の生えた体でカノンを抱きしめ、そのふわりとした感触で彼女を癒す。母親が抱きしめる感触とはだいぶ違ったが、こうして大きな存在に甘えてもいいという安心感は、カノンにはとても大きいようで。
 難しい事を考える必要はない、甘えられる相手はお母さんだけじゃないのだと、何となく理解は出来たようだ。そんな包容力は、カノンの他にもたくさんの子供達がお世話になったものである。両親の突然の死を受け入れられなかったユージンや、兄弟に追い出されて両親に会えない日々を嘆いたメラなど、シャムロックがこうしていなければ、今よりも少し卑屈な性格にでもなっていたかもしれない。

 そんなこんなで、カノンがニコニコハウスに入ってから五日。まだ彼女の持久力は乏しいが、それでも大分運動にも慣れてきたころ、ズガイドスのパチキがこんな事を言いだした。
「そういえばさぁ、みんな。そろそろお菓子も尽きちゃうし、買いに行かなきゃダメじゃね?」
「あー、そうだねぇ。でももうお小遣ないよ? 少しだけしか買えないはず……」
 パチキの言葉に対して、テラーはそういった。
「じゃあ、今日はお小遣い稼ぎに行こうよ」
 それに対するドーブルのイレーヌの結論がこう。
「お小遣? って、何?」
「お前お小遣いも知らねーのか?」
 すっとぼけた質問をするカノンに、パチキがそう言って大袈裟に笑う。
「こらこらパチキ。カノンは今まで外に出たこともなかったんだし、買いものだって出来るわけもないじゃん……えっとね、お小遣って言うのはお金の事なんだけれど、それは知ってるよね?」
「うん、知ってる。お母さんが不思議枝を売って、お金を貰ってたから。旅の途中も、お金を使ってなんかいろいろ買ってたよ」
「で、私達もお金を稼いだりして、それでお菓子を買ってるの。ほら、いっつも食べていたクッキーとかみたいに日持ちする奴をね」
 イレーヌの説明を聞いて、カノンもようやく理解する。
「あれかぁ……あれ美味しいよね。たまにだけれど、お母さんも買ってきてくれていたし」
「うん、でもそれを買うにはお金がいるんだけれど……私達、皆のお母さんからお金をもらえないのよね……自分なりの方法で考えてお金を稼げって言われてて。だから、私達も私たちなりの方法でお金を稼がなきゃいけないわけ」
 イレーヌの説明を聞いて、お金を稼がなければいけない理由は分かった。しかし、カノンにはまだわからないことがある。
「お金って、どうやって稼ぐの?」
「うん、それについてなんだけれど、例えば何か物を作ってみるのもいいし、畑の手伝いをするのもいいし。でも、私達はね、ダンジョンに入って、いろいろ役立つものを手に入れて、それをお金と交換するって方法が一番かな。みんなで行けば、ダンジョンも乗り越えられるし。カノンちゃんは不思議のダンジョンを越えた経験はある?」
 イレーヌに尋ねられて、カノンは元気よくうんと頷く。
「あるよ。お母さんに守られながら……ずっと後ろをついていった。簡単なダンジョンだから大丈夫だろうって」
「なら、問題ないじゃないか。なに、少し注意することはあるけれど、今から俺達が行くところも簡単なダンジョンだからな」
 パチキも安心したようにそう言って笑う。
「でも……私、上手く戦えるかなぁ? 攻撃技とか、出来ないわけじゃないけれど、自信がなくって……」
「カノンはどんな技を使えるの? 僕ねー、こう見えて怪しい光とか使えるんだよ。あとは、驚かすとかサイケ光線も」
 今まで、バトルごっこの一つもしてこなかったカノンには、戦うなんて未知の領域だ。それでも、年下であるテラーが自信満々とあっては、何だかそのまま黙っているのも恥ずかしい。
「使える技は……吸い取るとか、痺れ粉とか……あとヘドロ爆弾も使えるよ」
「あら、それだけ使えれば十分よ。パチキなんて頭突きと諸刃の頭突きと思念の頭突きしか使えないもの」
 控えめな技構成のため、恥ずかしそうにカノンが言うと、イレーヌはそれだけ使えれば十分と笑う。
「ちなみに私だけれど、サイコブレイクと、トライアタックと蝶の舞いとバークアウト。特にバークアウトは相手の特攻を下げることが出来るから、皆をサポートできるんだ。その他メインでは使っていないけれど、グロウパンチと恩返しも使えるの。私はあんまり体は強くないけれど、器用さが売りだからね、がっつり戦うよー」
 イレーヌは誇らしげに自慢する。彼女は道場を開くのが夢だと言っているだけあってか、体を鍛えることに余念がなく、その上技も器用でたくさん使えるのが特徴だ。年齢の割には、強いと言える部類に入る子だ。

「そういうわけだ。ま、戦闘に関しては俺とイレーヌに任せ解けば問題ねえよ。テラーとカノンは、後方支援を頼むぜ」
「う、うん。頑張る」
 カノンはパチキに言われ、イメージが分からないままにうんと頷く。ダンジョンは怖いところだが、それでも皆が大丈夫というのならば大丈夫だろうし、断れそうな雰囲気でもないので、カノンは半ば強制的に参加が決まるのであった。
 準備の段階となって、まずはイレーヌ達をはじめとするニコニコハウスの面々で準備をする。ダンジョンに出かけるという事が明らかにわかるような準備を目撃されても、先輩たちは特に咎める事もなく、あら頑張ってねと笑っている。きっと、こうしてダンジョンに出かけようとするのは日常茶飯事なのだろうというのがカノンにもわかった。
「ねぇ、私は何を持って行けばいいのかなぁ?」
「うーん、そうだねぇ。後方支援をやってもらうからには、道具持ちも仕事の一つだけれど……カノンちゃんはまだ道具を持っていないだろうから、私が適当に選んでおくよ。それとも、ダンジョンで使える道具はある?」
「あるよ、お母さんが持たせてくれた縛りの枝とか。他にも、ふらふらの枝も作ったの」
「え、カノンって不思議枝を作れるの? 僕はまだ作れないのに……」
 カノンが自分の特技とも思っていなかったことを語ると、テラーが驚いて目を剥いた。
「私はお母さんに出来ることは、木の枝を作ることしかなかったから。だから私、木の枝を作らせてもらってたの。最初はお母さんが仕上げていたけれど、今は簡単な物なら最後まで作れるよ」
「へー……そりゃすごいなぁ。僕も手先は器用だけれど、まだまだ木の枝を削っても何の効果も出なくって……お手本を見ながら文字を刻んでいるんだけれど、全然ダメなんだ」
「本当? じゃあ、私が教えてあげるよ」
「本当? 本当に本当? 絶対教えてよカノン!」
「いいよ。絶対の絶対教えるよ」
 本題を忘れて、テラーとカノンは盛り上がる。放っておくとどんどん話し始めてしまうため、それではいけないとイレーヌは苦笑しながら二人をたしなめた。
「ねぇ、話の続きは後にしよう? 今は、とりあえず一緒に行こうよ」
 イレーヌの言葉に、二人はハーイと、あまり気が進まなそうに頷くのであった。


 そうして、前衛の二人よりも重めの道具を持たされて、カノン一行はダンジョンへと向かう。慣れ親しんだお小遣い稼ぎのためのダンジョンは、近所の小川から入り込めるダンジョンだ。中に入ると、急速な空腹感を覚える代わりに、傷はすぐに癒され、痛みには鈍くなる不思議な感覚が体中にめぐる。この感じは、親と一緒にランランタウンまで訪れた旅路で一回感じたきりで、その時は母親も急ぎ足だったためあまり堪能している時間はなかった。
 今はこの不思議な感覚を存分に堪能出来る。いくら走っても疲れないからいくらでも走れる。けれど、腹がすぐに減って行くから、非常食は欠かせない。前を行くイレーヌについていきながら、アイテムや金属クズを拾っていると、今まで感じたこともないくらいに空腹が訪れてくるのを感じた。
 イレーヌは、ダンジョンではどれだけ空腹になっても、普段と変わらないコンディションで動くことが出来、本当にもう歩けなくなるほどフラフラになって初めて行動に支障が出ると、カノンに教える。痛みにも鈍感になるから、きちんと自分のコンディションを確認しないと、気付かないうちに致命的な傷を負っている場合もあるから気を付けなさいとイレーヌは注意した。

 さて、このダンジョンは、水辺のダンジョンということもあって、水たまりが豊富で、足元はびちゃびちゃに濡れている。草も多く生えており、季節によっては蚊が多く不快極まりない。そんなダンジョンではあるが、レベルは低いため、子供が冒険するにはぴったりな場所ではあるが、普通ならこんな年齢の子供達が、子供だけで入るダンジョンではないともいえる。
 ニコニコハウスの子供達は、こうやってダンジョンにはいったりすることで、同年代の子供達と比べて大きく鍛えられるのである。ダンジョンという場所は、怪我な治ったり腹が減りやすいという特徴の他、そうして成長しやすくなるという面でも特異で、不思議な場所である。
 そんなダンジョンで鍛えてきたイレーヌとパチキは、さすがの強さであった。敵に行く手を塞がれようとも、お得意の頭突きや、蝶の舞いであらかじめ高められた特攻から繰り出されるトライアタックで敵を叩きのめす。たまに、地面タイプの敵が相手になる時は、パチキは素直に退いて浮遊の特性を持つテラーや、地面に強いカノンを前に出させたりなど、後衛の子供にも仕事を与えることは忘れない。
 相性的に得意と言う事は分かっていても前に出るのは怖かったが、自分よりも年齢の低いテラーが相手の格闘タイプのポケモンが繰り出すパンチを真っ向から受け止めているのを見れば、自分も前へ出ないと格好悪かった。こんな時に、ドッジボールの練習が実を結んだのか、カノンは敵の攻撃を見切り、いなし、そして冷静に痺れ粉を嗅がせて自由を奪い、追撃をイレーヌに任せるなどの連係プレイも上手く出来た。
 イレーヌのフォローが的確なのはもちろんの事、カノン自身が先ほどまで戦っていたパチキの動きをよく見ていたことで、自分がどのように動けばいいかを学んでいたことが大きい。カノンがきちんと他人の動きを見て、そして学んで考えたからこそ自然の動きを合わせることが出来たと言えよう。パチキは、敵に攻撃を成功させたら、相手が怯んでいるうちに離れて、イレーヌの攻撃の斜線を通りやすくしている。同様にカノンも、痺れ粉で痺れさせた後は、道をあけて味方に攻撃をしやすくさせる。
 こう言った連携動作を誰に言われるでもなく実践してしまったため、誰もそれを気にすることはしなかったが、後になってそれが彼女の才能の片鱗だったと、気付かれるのである。

 そうして快進撃を続けるカノン一行の前には、あまり顔を合わせたくない敵が現れる。
「げ、ラグラージだ……」
 大きな部屋の隅っこの方で眠るラグラージ。眠っているし、近くを歩いても起きないような寝坊助なため、放っておけば害はないのだが、そうやって眠りこけていられるのは、まぎれもなくその強さの証拠であった。要するに、眠っているラグラージは、眠っている隙に襲われても、寝首を掻かれるどころか返り討ちにするだけの実力があるという事だ。
 事実、鍛えていなければ大人でさえも不覚を取りかねない強さを持っており、このダンジョンの中では最強と言える敵である。このダンジョンでこいつを発見した時は、ともかく刺激することなく逃げる事。それが最優先するべき事項である。
「だから、絶対攻撃するなよ。攻撃したら、シャムロックさんにお尻たたきしてもらうから」
 と、パチキは言う。一度、先輩たちの保護の下、戦いを観戦したことがあるが、クリムガンのシュリンが一撃では仕留めきれず、僅かながらでも傷を負って勝利したという光景が目に焼き付いている。もしも自分があの攻撃を喰らっていれば、一撃で敗れていただろうなと思うと、パチキは怖くてたまらなかった覚えがある。
 だから、単純で脳筋なパチキでも、誰かのうわさ話や言葉を信じて恐怖を感じているのではない。実体験をしたうえで、このラグラージは危ないと告げている。
「分かった、攻撃しなければいいんだね?」
「分かってるとは思うけれど攻撃以外もしちゃだめだからね?」
 こういう時、ひねくれた子供に『攻撃はしないよ』と言って補助技でも何でも使われたら困るため、イレーヌはきちんと確認を取る。ダンジョン外の話ではあるが、街の子供達が似たような事をした経験があったのだ。
「分かってるよー。痺れ粉も何もしないよ」
 だけれど、カノンは人を困らせて楽しむような性格ではなく、イレーヌやパチキの言葉には素直に従い、通り抜ける。その時は通り抜けることが出来たのだが、階段を下りて奥へ奥へと突き進むその先にある、このダンジョンの最後の階層にて、問題が発生した。
「テラー、格闘タイプは苦手だ! 頼むぜ」
「了解!」
 敵はキノガッサ。ノーマルタイプであるイレーヌや、岩タイプであるパチキには苦手な相手であり、格闘タイプの攻撃を無効化できるムウマである彼ならば最適な相手だ。その彼が、キノガッサに怪しい光をしたまでは良かったのだが、それにより運が悪い事に、キノガッサはタネマシンガンをふらふらとしながら撃ってしまい、その流れ弾がよりにもよって、眠っているラグラージの太ももに当たってしまったのだ。
「あ……やばい、逃げるわよ! みんな逃げて!!」
 それにいち早く気づいたイレーヌが、皆に逃げる事を促す。テラーは焦って逃げ、カノンも焦って逃げるのだが、慌てすぎた彼女はイレーヌ達がいる方ではなく、別の方向へ逃げてしまう。
「逃げられる相手じゃねえよ! くっそ」
 と、パチキが縛りの種を投げてラグラージの動きを封しようとするが、敵はすばやく避けてパチキ達を追う。これによりカノンが狙われる心配はなくなったが、いまだにピンチは続いている。
「舐めてんじゃねーぞぉぉぉぉぉ!!!」
 耳をつんざくような大声でイレーヌが叫ぶ。悪タイプの力を伴って放たれたそれはバークアウトとなって、敵の特攻を避ける。
「うるせー、畜生!」
 種を投げて逃げるのが遅れたパチキもその大声を聞いてしまうが、彼の特攻が下がったところで大した問題ではない。
「来るよ、ハイドロポンプ!」
 ダンジョンには通路と部屋という大まかなくくりがあるが、そのうちの廊下に並んだ瞬間は必然的に一直線に並んでしまう。そんな時こそねらい目の技があって、その技こそ『ハイドロポンプ』だ。
 その威力たるや、立ちふさがるものをドミノ倒しの様になぎ倒して行き、一列に並んでいたら後ろにいる者まで攻撃してしまうほど。イレーヌが味方の被弾を防ぐべく緑の障壁を張り出して『守る』と、苛立ったラグラージは距離を積めて腕を振り下ろす。
 間一髪でそれを避けたイレーヌは、パチキとテラーが遠くまで逃げたのを確認すると、自分も一目散に逃げだした。
「カノンも何とか逃げて!!」
 カノンが付いてきていないことは分かっていた。あんな初心者を一人置いて自分達が逃げてしまう事に罪悪感はあったが、しかし全滅だけはなんとしても避けなければならない。結果的にイレーヌも、ハイドロポンプを一発喰らいながら、這う這うの体で逃げるしかなかったのである。


 最後の階層であったため、階段を下りた先はダンジョンの出口である。テラー、イレーヌ、パチキはカノンが帰ってくるのを待っていたが、しかしカノンはいつまでたっても現れなかった。ただ、いつまでたってもとはいっても、彼らの焦りが時間の感覚を無くしているだけであり、隠れながら、迂回しながら慎重に進んでいるのであればむしろこのくらいの時間は普通に経ってもおかしくない。
「どうしよう、やべーよ! カノンがダンジョンを出てこない……」
「どうしようって、こうなったらもう大人を呼ぶしかないよ。敵は倒れたポケモンに対しては興味を無くすけれど、このままじゃダンジョンの崩壊に合わせてカノンが酷い怪我をしちゃうし……そうなる前に助けなきゃ」
 焦るパチキと、冷静なイレーヌ。テラーは意見を出すことも出来ず、黙ってしまった。不思議のダンジョンは入るたびに形が変わるが、その際に特殊な素材で出来た物質や、理性を持ったポケモン以外の全てが消滅し、無くなってしまう。例えば、探検隊バッジやら、警備団エンブレムや金塊など、そう言った身分を証明するための物質は前述の特殊な素材で出来ているために問題なく排出される。だが、オレンの実やらその他いろいろな道具は消滅し、またはじき出されたポケモンも肉体的、精神的に大きなダメージを負い、しばらく失語症や失読症に陥ったりということも珍しくはない。
「でもよー、こんなことを大人に知られたら、俺達は尻叩き十回コースだぜ?」
 もちろん、カノンがそんな事態に陥ったら、年上の二人が責任を取らされることは当たり前である。とはいえ、慰謝料を取るとか、そういうわけにもいかない年齢であるため、代わりに課される罰がパチキの言うような、シャムロックによる尻叩きである。
「……畜生、もう一回ダンジョンに入って探し出す」
 その痛みたるや、悶絶ものだから、それを被るくらいならば救助に向かうとパチキが勇む。
「待ってよ、すぐにダンジョンに入るって、疲れているのにそんなことしたら無茶だから。素直に大人を呼んだ方が……」
「うるさい、俺は尻叩きは嫌なんだよ! お前らはそこで待っていろ! 行ってくる!」
 イレーヌはパチキを止めるが、しかし彼はイレーヌの制止を振り切って行ってしまった。しかも、困ったことに荷物の大半はテラーが持っており、今の彼が持ち歩いているのは、攻撃力を上げる効果のある腕輪、攻撃リングルと、僅かなカゴの実、ピーピーエイダー程度である。
 PP切れも心配な状態で無茶して出撃すればどうなるかなど火を見るよりも明らかなのに、走り出した彼を止めるのは難しい。
「どうしよ……」
 彼まで再びダンジョンに突撃してしまい、イレーヌは途方に暮れる。一人で突入したりなどすれば、スタミナも持たずにじり貧になることは確実。
「とりあえず、大人に言ったほうが……」
「ただいまー」
 途方に暮れる二人に、間の抜けたカノンの声。身を伏せていたりした影響だろうか、彼女の全身がひどく汚れているが、体の方は五体無事だ。
「カノン!?」
 テラーとイレーヌの驚きの声が重なった。
「よかったぁ、助かったんだね……いったいどうやったの?」
 酷く安心した声でテラーが尋ねる。
「えっと……ふらふらの枝で混乱させてラグラージから逃げて……ちょくちょく草の中に隠れながら、ひたすら木の枝と種を投げて何とかしてたの。かなり遠回りしちゃって怖かったけれど、何とかなったよ」
 三人の心配をよそに、カノンはあっけらかんとした様子で言ってのける。
「ところでパチキは?」
 カノンはパチキがいないことに気付いてイレーヌに尋ねる。
「えっと、それなんだけれどね……カノンがダンジョンを脱出できなくなっていることに気付いて、そのまま再突入しちゃったんだ……だから、その、どうしようかな……どうにもならないよこれ」
「やっぱり、大人に言うしかないよぉ。お尻叩きは嫌だけれど、でもパチキがひどい目にあうのはもっと嫌だし」
「お尻叩きってなぁに?」
 イレーヌとテラーが怯えている様子を見せるとカノンは少々恐ろし気に尋ねる。
「あれは……ねぇ。昔、私達ニコニコハウスの子供達を馬鹿にする子供が居たのよ。『親に捨てられたいらない子、色違いの悪魔とその仲間が偉そうに街を歩くな』って。そういう事を言われて怒った私とパチキで、五人を相手に喧嘩を挑んじゃって……その頃のテラーはまだ、流石に喧嘩には加わらなかったけれど……でも、やりすぎちゃってね。
 相手が降参して、謝っているのに大声でバークアウトしてたのがいけなかったみたい。その時は尻叩き五回だったけれど、結構その痛みが強烈でその日眠れなかったから……きついのよ。シャムロックさん、叱る時は尻たたきが定番だから、だからパチキはあれだけ恐れているのよ。ちなみに史上最高記録は三〇回連続らしいわ。それはもう、辛かったそうで……」
「ひえぇ……なんというか、大変そうだねぇ」
「大変とかそういう問題じゃないよ……ダンジョンで喰らうよりもよっぽど痛い攻撃がお尻に集中して、座ることも立つことも、仰向けになることすらも出来ないんだもん……」
「あの……そんな事よりも、パチキが危ないよ。どうしよう?」
 パチキの事を話すつもりが、尻叩きの話にシフトしていくのを見て、テラーは話の軌道を修正するべく尋ねる。
「そうだよ、大人に助けを呼ばなきゃ!」
 カノンが言う。
「でも、パチキは大人は呼ぶなって……尻たたきは嫌だからって」
 それに対してテラーはこう返答する。実はパチキはそんな事は言っていないが、しかし言わずともパチキがそれを望んでいることはイレーヌにもテラーにもきちんと伝わっている。
「そんなの知らないよ。パチキが怒られるなら一緒に怒られるよ! だから、助けを呼ぼうよ。このままダンジョンにいたらひどい目にあうんでしょ? そんなの見過ごせないよ」
「……あーもう。どうにでもなれよ! わかった、私も一緒に怒られるから。テラーも、助けを呼びに行くよ!」
 カノンがいきり立つのを見て、イレーヌも半ばやけくそ気味に
「僕も? 僕怒られるのはやだよぉ……」
「いいから!」
 テラーは尻たたきを恐れているが、しかしそれを強引に命令する形でイレーヌが急かす。こうなってしまうとテラーは何も言えず、ついていくしかなかった。

 こうして走って行った先、とにかくいの一番に見かけた先輩に声を掛けようとしたところ、見かけたのはチョロネコのミックと、パチリスのユージンである。パトロール中にばったり会った二人は仲良く話している最中で、お仕事はどうだとか、最近入った後輩の様子はどうだとか、他愛のない話だ。そんな時に、慌てた様子で掛けて来る後輩達。彼らが声を上げてミック達を呼ぶので、何事かと二人はカノンたちに掛け寄った。
「おい、お前らどうした?」
「えっと……今ね、濁った小川ってダンジョンに行ってきたんだけれど、強いポケモンに追いかけられて、カノンがはぐれちゃって。中々帰ってこないから……パチキが助けに行くって言って、飛び出しちゃったの。でも、一人じゃちょっと難しいダンジョンだし……だから、もしかしたらどこかでやられてるかもしれない。
 だから、助けてほしいんです。カノンちゃんは帰って来たけれど、パチキがいなかったら大変なことになっちゃう」
 イレーヌが涙目になりながら早口でまくしたてる。
「分かった、濁った小川だな。ミック、行くぞ」
 ユージンはミックに有無を言わせず命令する。
「えぇ!? 俺はこれからシャムロックさんと勉強なのに。警備団なんだから一人で行ってほしいもんですよ……あぁもう、仕方ない。イレーヌちゃん、遅れるってシャムロックさんに伝えておいて」
 ミックはそれに文句こそ言ったものの、しかし大事な後輩が危機的状況とあっては放っておけない。
「分かりました。パチキをお願いします!」
「お願いします!」
「お願い!」
 イレーヌ、カノン、テラーと、口々に頭を下げて後を託す。もしかしたらこの後尻叩きかも知れないが、もうそんな事を考えるのは止めだ。パチキを助けてもらわないと、パチキが尻叩きよりも恐ろしい目に逢ってしまう。それは怒られるよりも辛いような気がした。
 二人が去って行く姿を見つめるカノンは、一も二もなく飛び出して戦いに向かう姿を見て、それを格好いいと憧れる。人のためにすぐ飛び出せるだなんて、自分もそんな風になりたいなぁと。それが胸の中に芽生えても、言葉にするのが難しく、それが憧れなんだと気付くまでにはこの先すこしばかり時間がかかるのだが。
 けれど、このダンジョンデビューの日、それが彼女の人生を左右する強烈な経験になったのは、確かな事である。

 一方その頃、パチキはPPが切れて、疲労困憊していた。敵に追い詰められ、逃げ回りながら敵の隙間を強行突破しようとするが、PP切れの頭突きなんかで大した威力が出るはずもなく、押し返されて囲まれて、立ちあがることも出来ないほどに叩きのめされていた。
 今の彼は、起き上がろうとすれば敵に叩きのめされ、一歩も動けない状態だ。ずっと死んだ振りでもしていなければいけないが、たとえ死んだ振りをしていても、少しでも意識があるそぶりを見せれば敵は攻撃してくる。まさに地獄のような責め苦が続く。
「この指とーまれ」
 パチキがどこの階層にいるかは、匂いでわかった。二人の鼻はそれほど良くないが、それでもパチキが血を流して倒れているのならば、その匂いを感じるくらいのことは出来る。
「来たぜ、ミック。やられんなよ!」
「こんなもん、一人で十分だっての!」
 軽口を叩きながらミックとユージンがこの指とまれに誘われた敵を迎え撃つ。ミックは、荷物を捨てて身軽になると、その本来のポテンシャルを存分に発揮して、目にもとまらぬ連撃を放つ。そのために、有用な効果を持つ装飾品を装備できない不利はあるものの、敵に一切の攻撃のチャンスを与えすらしない素早さの恩恵は大きい。
 ユージンはその小ささを活かして、敵の足を切り裂いていく。機動力を奪いさえすれば、いかなる敵も恐るるに足らず。肉を抉り血が飛び散った敵は、よろめいてしまって話にならない。そうなってしまえば、後はゆっくり電気で料理してやればいいのだ。

 瞬く間に敵を屠りつくした二人は、自分達よりも大きな体の後輩の首をを担ぎ上げ、オレンの実を口移しにした。
「まったく、パチキの野郎め……こいつは無茶しやがる」
 ユージンが呆れてため息をつく。
「こんな男よりも可愛い女の子を背負いたいもんだぜ、全くよう」
「可愛い後輩だろ、ミック?」
「へ、可愛いけれど、男の体を触っててもなんも面白くないからなぁ」
 ぶつくさと文句を言いながらも、ミックは嫌な顔一つせずにパチキを引きずって行く。パチキの皮膚は丈夫なので、草に削られるのはそれほど問題なく、意識を取り戻すまでの間、パチキはずるずると音を立てて運ばれるのであった。


 そうして、夕方。カノンたちの行動は全て伝えられ、お叱りタイムの始まりだ。
「まぁ、カノンとはぐれてしまったのは不可抗力だ。それについて咎めるつもりはない……けれどな、パチキ。私に怒られることを恐れて、自分で無謀にも事件を解決しようとして、さらに被害を広げるとは一体どういう了見だ?」
 どうやらシャムロックはとても怒っているらしく、口調はいつもよりも荒っぽい上に、非常に低く威圧的な声となっている。
「ご、ごめんなさい……」
「カノンも無事に帰ったことだし、仕方のない部分もある。イレーヌだって見捨ててしまうような状況だ。誰の責任でもない、むしろ逃げてしまうのが正解の状況だ。だからこそ大人に頼り、助けを求めることこそが正解で、それに怒るつもりはなかったが……それを怠ることには、きちんと制裁を加えねばな。カノンもよく見ておけ、これが私の叱り方だ」

途中からどんどんと声が低くなるシャムロックの口調に、お仕置きされる恐れなどないはずのカノンまで恐ろしさで震えあがっている。

「では、今日はお尻叩き一〇回だ。パチキ、覚悟しろよ」
 そう言って、シャムロックが嗜虐的な笑みを浮かべると、手足についている革のバンドを外して放り棄てる。革のバンドはシャムロックの強さを抑制するための器具であり、これを外してしまうとシャムロックは無敵である。
 パチキも覚悟を決め、ぐっと目を閉じながら歯を食いしばる。シャムロックに逆らっても無駄なことは、カノン以外の皆が知っている。興奮状態になったシャムロックは、相手を呼吸すら許さないほどに固定することが出来、関節を無視して捻じ曲げることも出来る程のサイコパワーを発揮できる。
 当然、そんな固定のされ方をするくらいならば、観念してされるがままに尻を打たれた方がよっぽどましである。そんな決意を折るようにシャムロックはパチキの尻に風で扇いで煽ったり、息を吹きかけるなどしていじめにかかり、それで相手の意識が緩んだ瞬間に予期せずパァン! いい音が鳴り響く。パチキは声にならないうめき声をあげ、歯を食いしばる。
「一発目だな。あと九発」
 シャムロックが耳元で甘く囁いた。こんな痛みが後九発もあるのかと、パチキは早くも涙が出てきた。この時間が速く過ぎ去って欲しいと思うのに、しかしシャムロックは焦らすのが好きだ。
「あ、あの……」
 そんな時、前に一歩進み出たのはカノンであった。
「どうしたカノン? やめてと言って聞く私ではないぞ」
「え、えっと……もともとパチキが無茶をしたのは、私が原因だから、だから私も……尻叩きを、受けなきゃいけないんです。その分、一回でもいいからパチキの分を減らして欲しいって」
「ふむ。なるほど。確かに、一理ある。そこまで言うなら、パチキの尻叩きの回数をあと八回にしてやってもいいが……」
「お、お願いします」
「その意気や良し。褒美だ、手加減無しでやってやろう」
 にやりと笑い、シャムロックはカノンに囁く。
「分かるか、カノン。誰かを庇うという事は、そうやって、他人の痛みを自分が請け負うという事だ。決して、何かが帳消しになるという事ではない……本当に、叩いてもいいんだな?」
 シャムロックが脅しかける。
「おい、やめとけカノン。俺が耐えればいい話だから」
 パチキがカノンに言うも、カノンは首を振る。
「大丈夫、私も悪かったもん。だから一緒に罰を受けるべきで……」
「パチキ。他人の覚悟や好意を無碍にするのは良くない。せっかくこう言っているんだ、お言葉に甘えるといい」 
 にやり、シャムロックは笑い、カノンをふわりと浮かせて目にもとまらぬ腕の動きで彼女の尻を叩く。乾いた音が周囲に響きテラーが目を背けている。ただし、イレーヌとパチキはその様子をしっかりと見て、歯を食いしばって痛みに耐えるカノンをじっと見守っている。
「痛いだろう、カノン? お前がパチキを庇う気があるなら、まだお前の尻を叩いてやってもいいが……どうするかい?」
「もう一回……」
「親しい者を庇いたいという思いは立派だが、後悔しないな? 死ぬほど痛いぞ?」
 脅しをかけるシャムロックを前にして、カノンは退かなかった。まだ叩かれてもいいから、パチキを助けたいと、彼女は頷いて意思表示をする。
「あの、お母さん。私も、パチキをきちんと止められなかった責任があります。ですから、パチキにだけその責任を負わせたくありません」
 声は震えていた。しかし、イレーヌもカノンの行動に感化され、パチキを庇う。
「絆の強い事だ。だが、かばい合う事が必ずしも良い結果になるとは限らん。パチキの言う通り、あいつ一人が罰を受けるだけでよいのではないか? そうは思わぬか、イレーヌ」
「間違いは誰にでもあるから……私も、パチキを落ち着かせてあげられなかったのが間違いだもん、だから私も悪いから!」
 一歩前に出たイレーヌを見て、シャムロックはため息をつく。
「そうか、それがお前の答えならば……」
 ひゅ、と息を吐いてシャムロックの平手打ちがイレーヌの尻を襲う。長い尻尾を持ったイレーヌの尻がはじけ飛ぶように振動し、衝撃が脳天まで突き抜ける。痛みはその瞬間に生きていることが嫌になるくらいで、庇う事を後悔したくなる。
「だが、言うまでもなく痛い事は、お前らならば知っているはずだろう、イレーヌ。人の痛みを庇う事は、それだけ自分も痛いという事だぞ? 今のお前の尻が痛い事と同じようにな」
「分かってる。でも、パチキやカノンにだけ痛い思いをさせたくないから……私は、痛みから逃げたくない」
 シャムロックに凄まれてなお、イレーヌは気丈な態度を崩さなかった。
「全く、無茶をする奴らだ。じゃあ、あと七回だな」
 二回分庇われ、パチキは安心したような、逆に申し訳ないような複雑な気分だ。『テラーは同じ事を言ってくるなよ』と思いながら、残りの七回を待つしかなかった。
 結局、その心配には及ばず、テラーは自分もパチキを庇うと言いだそうとしても言い出せなかった。イレーヌやカノンにはわずかながらに責任もあったが、彼には全く責任もなく、それに幼いということもあって誰も咎めることはしなかった。
 カノンはもう一発その身に平手を受け、パチキに与えられる一回分を減らしてあげた。パチキは残りの六回を歯を食いしばって受けるのだ。それを耐えきった彼は、こらえきれずにこぼれた涙をぬぐって気丈に振る舞っていたが、汚れた体を拭く時でさえも歯を食いしばって痛みに耐えていたのを、観察力に優れたイレーヌはきっちりと見ていた。それはカノンも同じで、彼女に至っては体を拭いてもらう事すら嫌がったくらいだ。イレーヌも似たようなものである。
 結局、三人はうつぶせになって眠るのだが、痛みのせいでなかなか眠ることも出来ず、翌日は寝不足で、座ることも難しいので授業には全く集中できなかった。事情を知っているミックもその様子に苦笑して気遣ってあげるのであった。

 そしてその日の午後の事。四人はなんだかんだでダンジョンで手に入れた物をお金に変えて、全員で分け合ってお菓子を買う。オノノクスのホリィおばさんが作った日持ちするクッキーや、マグマッグのローラお姉さんが作る燻製肉、近くの採石所のダンジョンで採取された美味しい石など、残留思念たっぷりのお札や、乾燥した果物など、思い思いのお菓子を買う。
「おい、カノン。これをやる」
 そんな中、パチキがぶすっとした表情でカノンにお菓子を渡す。それは、草タイプ用に味を調整した焼き菓子で、カノンは食べたそうに見ていたが、値段と量で相談して結局諦めたものだ。質よりも量を求めた彼女はおいしそうな匂いを放つそれを諦めていたのだが、それをパチキから貰えたことで、カノンの表情は驚き、そして笑顔に変わる?
「いいの?」
「いいよ。本当は、俺の分が減るから渡したくねーんだけれどさ。でも、昨日の事は嬉しかったから。だから受け取れ。俺はこんなの食えねーんだ、せっかく買ったけれどお前しか食えねーんだ」
 無駄にするくらいなら食えと、パチキはそれを押し付ける。
「あの、パチキ。私も何かお菓子のお礼をしたいんだけれど、何か欲しいものはある?」
「いいよ、そんなこと考えないで。俺がこうしてお前にお菓子を与えるのは、昨日俺の事を庇ってくれたお礼だから。だから、大丈夫。もしお前が何かお礼をしたいことがあるのなら、それは俺がお前に何かした時でいい。分かったか?」
 パチキにお菓子のお礼をしようとするカノンに、パチキは強めの口調でそれを拒否する。
「え、でも……」
「分かれよ!」
 言い訳なんて許さない。パチキは強引に話を打ち切る。カノンはお礼に何かを買って返せる雰囲気ではないとわかり、もやもやとした気分を抱える。パチキは次にイレーヌへ同じようにお菓子を押し付けるが、その時のイレーヌは『うん、ありがとう。これでお互いチャラね』と、軽い調子だ。それを見て、不思議なカノンはもやもやとした気分の事をイレーヌに相談する。
「うーん、難しい事を考えなくっていいのよ。パチキがお返しをしないで欲しいなら、そうすることが一番いいの。意地を張っている男の子に、意地を張り返すことなんてないからね。別にパチキは悪い事をしているわけではないんだし、相手の気持ちを汲み取ってあげなさい」
 イレーヌは笑顔でそう言うのだ。なるほど、パチキは意地を張ってるのかとカノンは理解して、とりあえずイレーヌの言う通りにすることが正解だと信じてみることにした。

色違いは災厄を連れる存在だ 


 カノンがランランタウンに訪れてから、一か月の時間が過ぎた。カノンはきっちりと読み書きを覚えて、今は皆の授業に追いつくべく、ミックからマンツーマンでの授業を受けて必死で追いかけている。足し算引き算から始まり、ものの数え方、単位の置き換え、掛け算割り算。本を読み音読し、その意味を正しく理解する。
 そうやって、最低限自分だけで勉強できるような土台作りをするのだ。まだまだ学ぶことは数え切れず、ミックの授業は足早に進むことになるだろうが、カノンは物覚えが良く、予習や復習もイレーヌが教えてくれるため、ミックも遠慮なく授業を進めていけた。
 ところで、最近のカノンはニコニコハウスの外の子供。街の子供達ともわけ隔てなく遊ぶようになっていた。色違いという事で偏見を持つ者はまだまだ街に多く、その思考に染まった子供も少なくない。そのため、いきなり町の子と遊ばせてトラブルを起こしては、カノンが委縮してしまうかもしれないという事で最初はニコニコハウスの子供だけで遊んでいたのだ。
 しかし、カノンはイレーヌ達同年代の子供とその日のうちに打ち解けてしまい、ドッジボールもすぐに覚えて、ダンジョンにも恐れず付いて行き、それどころか孤立無援でも自力で脱出する度胸など、カノンの図太さは相当なものだ。それを日々感じ取っているイレーヌとパチキは、これならば大丈夫だろうと、シャムロックにも話を通して街の子供達との遊びを解禁した。
 ヒメリ農家やモコシ農家の多いこの街では、子供は家の手伝いに駆り出されることも多いが、仕事に空きが出れば遊ぶことも許される。カノンが来たのは特に仕事が忙しい剪定という邪魔な枝を落としていく作業を行う時期で、こればっかりはスピードでどうにかなるものではなく、きちんと切るべき枝を見極めてやらないといけない重要な仕事だ。
 それは言葉で言ってどうにかなるものではないので、親は子供に自分が働く姿を見せながら、どういう枝を切ればいいのかを逐一教え、そして子供が大体理解できるようになってからは、一緒に木に登って仕事をするのだ。一人前になるには一年や二年では難しく、そのため子供達は突きっきりで親の仕事を見なければいけない。
 そう言うこともあって、この時期の町の子供達の大半が親元で働いていたこともあり、お互い遊ばずに過ごしていたわけだ。しかしながら、遊び始めてからはカノンもすぐに打ち解けてしまい、一日ですっかり仲良しだ。すっかり上手くなったドッジボールは、同年代の子供達も受け止めるのに苦労している。カノンはまだまだ伸びる余地はいくらでもあるため、これからさらに強くなるだろうと、パチキもイレーヌも自慢げに言う。
 それを聞いた弱い子達は戦慄し、ドッジボールが強い子はそりゃ楽しみだとばかりにワクワクしている。カノンは二人の褒め言葉を聞いて、やってやるぞと向上心に燃えていた。カノンは街の子供と遊ぶ時間も大いに満喫し、その顔は終始笑顔に染まっている。家に閉じこもっていた頃には想像もつかないくらいに楽しい日々を過ごして、カノンは大満足である。
 ただ、こうやって外に出て、楽しい事ばかりではない。
「おいおい、色違いがいるじゃねーか」
「うわ、くっさいくっさい。毒タイプだから色違いはさらに臭いねぇ」
 どんな時でも、こういう奴は湧いてくる。イレーヌやパチキよりも二つ年上の、エーフィのアルトとニンフィアのポルト、二人組の悪ガキだ。こいつは以前ニコニコハウスの孤児たちを馬鹿にして、イレーヌ達にボコボコにされた集団を主導していた二人である。その時あまりにもやりすぎてしまったため、シャムロックに尻叩きをされた恨みを二人は忘れていない。
「そうかな? もしかして自分の匂いを勘違いしてるだけじゃね? ウンコみたいな匂いするし」
「何言ってるの、パチキ! ウンコに失礼だって」
 一言でカノンを馬鹿にしているのだとわかったイレーヌとパチキは、カノンを守るために自分達に怒りの矛先を向けさせようと挑発する。うっぷんを晴らすためという意味合いもあるが、はカノンが心に傷を負わないよう、こういう輩からは全力で守るようにと、イレーヌとパチキはシャムロックに命じられているのである。そんな二人の挑発に苛立ったのか、悪ガキは二人に詰め寄っていく。
「あぁん? お前ら何か言ったか?」
「言ったよ。ウンコと貴方達を比べたら失礼だって。ごめんなさい、パチキが貴方達を褒めてるって期待を持たせてしまって……私達、、貴方達を褒めたつもりはないんです。パチキが貴方達がウンコと同レベルだなんて褒められたと期待させてしまったらごめんなさい」
「あぁ、すまねぇイレーヌ。俺からも謝るよ。お前達を褒めるつもりはなかったんだ。そうだよな、お前達はフンコロガシの糞を喰う蠅の糞ぐらいの存在だもんな」
 年上の二人に凄まれても、二人は一切怯むことなく煽る煽る。それに怒りを覚えて二人が殴りかかってこようとも、イレーヌとパチキには問題ない。。アルトやポルトが日常的に行っている農作業も、基礎体力はつくだろうが、ダンジョン内での運動は基礎体力の上昇が著しく、その上戦闘経験も文句なしに積める。お小遣い稼ぎのために日常的にダンジョンに行っている二人が、農作業の手伝いばかりしているアルトとポルトに負けるはずはないのである。
 そもそも、イレーヌとパチキが以前、アルトとポルトを含む五人と戦った結果が、シャムロックに怒られるほどに圧倒的な勝利であるため、今にも挑みかからんばかりの悪ガキの態度は無謀である。
 それを分かって、イレーヌとパチキは恐れのない目で悪がきを睨む。悪ガキ二人はいら立ち、二人を叩きのめしてしまいたくて仕方ないようだが、そんな事をすれば返り討ちになるのは分かっているはず。何か策があるのだろうかと二人は警戒しながら相手の出方を伺っている。
「ち、せっかくそこのスボミーの色違いをからかいに来たってのによぉ、なんだか拍子抜けだぜ」
「あらぁ、負け惜しみ? 自分がゲスであるという自己紹介をして、その上で負け惜しみとか、本当に惨めね」
 イレーヌは前々から考えていたセリフを噛まないように言って、満足げにフフフんと笑う。
「ねぇ、二人とも。この二人は何なの? 皆に嫌われてるの?」
 カノンが二人を見て尋ねると、パチキは悪ガキ二人を見ながら言う。
「そりゃもう、嫌われてるさ。あいつは俺達ニコニコハウスの子供を、全員親に捨てられたかわいそうな奴らだとか、そんな風に罵ったんだ。そんな事はないって私も怒鳴りつけてやったけれど、結局奴らは訂正もせずに、『捨て子、捨て子』って連呼しやがって……ま、叩きのめしてやったけれど」
「あの時ばかりは、私もパチキの単純さを笑えなかったわ。私もパチキに続いて殴り飛ばしたし」
 イレーヌが自嘲気味に笑う。二人とも、奴らに聞かれないようになどと言う殊勝な心がけはなく、過去の汚点を余すことなくカノンに伝えている。それも挑発の一環だ。そうして、カノンに向ける言葉の刃を、自分達に向けさせることでカノンを守ろうというのが、二人で決めたことであった。
「お前ら……俺達を舐めてるのかよ?」
「いや、舐めるとか無理無理。俺らはお前らの匂いを嗅ぐだけでも無理ですわ」
 パチキが言う。
「私達を馬鹿にするために来たのなら、帰ってくれない? 私達はねぇ、どうにもならないことで馬鹿にされるのが嫌いなの。例えば、貴方達も自分の耐えがたい悪臭とかを馬鹿にされたらいやでしょう?」
 イレーヌもパチキに負けじと相手を罵った。
「ふん、せいぜいほざいてろ。行くぞアルト」
「分かった」
 二人の悪ガキがイレーヌとパチキの前で身構える。それに応じて二人も構えを取る。なにを仕掛けて来るのかと、二人はしっかり見据えて反撃を行おうとするのだが、どうも様子がおかしい。二人とも、口の中で舌をもごもごと動かし……
「危ない!!」
 それが爆裂の種と呼ばれる、種を噛み砕くことで前方への攻撃を可能とする道具を使用しているのだと気付いてイレーヌは声を上げながら顔の前で腕を交差させて後ろに飛び退る。パチキは頭を伏せて顔を守るが、どちらも口の中から吐き出される強力な衝撃波にやられ、そのまま地面に倒れ、そこに追撃の念力と妖精の風で二人はさらなるダメージを負う。
「おー、飛んだ飛んだ」
 エーフィのアルトがせせら笑う。
「俺達を舐めた罰だ、バーカ」
 ひねりのない罵倒の文句を発して、ポルトも同じように笑った。
「それで、そっちのスボミーのお嬢ちゃん。おめーさ、なんで色違いのくせに生きているわけ?」
 アルトがカノンの方にずかずかと近づきながら汚い言葉を投げかける。
「え、え?」
 カノンはそれに戸惑いながら後ずさる。この街の皆には色違いでも仲良くしてくれた。自分を怖い目で睨んだりしなかった。だから、この街はそういうものだと思っていた。なのに、いきなりこんな心無い言葉を投げかけてくるだなんて、予想も出来ないし、それに対する答えも持ち合わせていない。なんで生きていちゃいけないのかなんて、答えられるはずもない。
「くっさいくっさい。色違いの奴はくっさくてたまらないね」
 ポルトもあるとと並びながらカノンに近づいてゆく。
「そんな、みんな甘くっていい匂いだって、みんな言ってるもん」
「こいつらの鼻が腐ってるだけだつーの」
 言い返すカノンに、ポルトはさらに詰め寄りながら酷い言葉を投げかける。二人の乱暴者な悪ガキの襲来に、他の子供達はテラーも含めて怯えてしまい、全く動けないでいる。
「みんなの事を悪く言うな! みんないい人達なんだ!!」
 カノンが悪ガキ二人のあまりの言い草に怒り、声をあげる。
「うるせえよ、汚い色違い。災厄を連れて来る迷惑野郎が」
 ポルトがそう言って、カノンの体を自身の体のリボンで縛る。
「お前みたいな汚い奴が街を我が物顔で歩くんじゃねえ、迷惑なんだよ!」
 唾がかかるような距離で暴言を吐かれ、カノンは恐れをなして痺れ粉をばらまいた。それを思いっきり吸ってしまったポルトは、思わず相手を巻いていたリボンを離してしまい、随分と吸い込んでしまって即効性の粉の力で麻痺をする。
「てめぇ、ポルトに何しやがる!」
 と、アルトが怒りながらカノンの体を浮かせる。
「おら、さっさと謝りやがっ!?」
 そうして、脅しかけるアルトを攻撃したのはイレーヌのサイコブレイクであった。巨大な念の塊の球体を放ち、触れたものには体の内部に尋常ならざる衝撃を与えられ、全身を四方八方から打ちのめされたような感覚と共に倒れ伏す。本来はミュウツーであるシャムロック以外に使い手のいない技ではあるが、威力さえ度外視すればイレーヌならば十分に真似は可能だ。
 不意打ちという事も相まって、効果はいまひとつであるアルトに対してもダメージはそれなり。しかし、後輩を怖がらせ、罵倒した罪があるのは一人だけではない。麻痺してしまったポルトにも、パチキの諸刃の頭突きがクリーンヒットする。そうして、二人が転がったところで、体のいたるところから血を流しながらもパチキが言う。
「俺達の後輩に、突っかかるんじゃねえ! 色違いが何だっていうんだ!」
「そんな事で馬鹿にするような奴らに、カノンの良さは分からないわ。色違いが嫌いなら、あんたも嫌いな色違いにでもなってなさい」
 言いながら、イレーヌは尻尾から真っ青な体液を飛ばしてアルトとポルトの体を染め上げる。そんな二人を見下す彼女らの眼は酷く冷ややかで、カノンにはあまり見られたくない表情だ。
「私達は、あんたみたいなやつには屈しない。絶対に、屈しないし、あんたの言った言葉を許さないからね!」
「お前みたいに性格の悪い奴がチンコ焼かれて使い物にならなくなった奴だっているんだ。そうならないだけありがたいと思えよな。優しい俺達で感謝しろよ」
 イレーヌもパチキも脚は震えていたが、しかし防御も出来ずに攻撃をまともに喰らった二人に比べれば、まだ立っているだけ余裕がある。
「カノンはあんたなんかよりも、ずっといい子で、可愛い子なんだから! それを馬鹿にするなら、いくらでも相手になってやるからね! 絶対に、絶対に、馬鹿になんてさせないんだから!!」
 言っているうちに感情が高ぶり、イレーヌの眼もとには涙すら浮かんでいた。なんのことだか事情がよくわからないカノンはおろおろするばかりで、パチキとイレーヌの方を見て、助けを求めるように困った顔をしている。
「カノン……行くぞ。今日は皆と遊ぶのは止めだ! ごめん、みんな……俺達ニコニコハウスで遊んでくるわ」
 そのカノンの不安げな表情を見て、パチキはそう言ってカノンについてこいと促した。カノンは訳も分からず、パチキとイレーヌを交互に見たが、イレーヌはカノンを黙って抱きかかえて連れて行く。テラーも少し困って、街の子供達と別れるのを名残惜しそうにしていたが、やがて彼も空気を読んでその場からは退散した。

「さっきのは何だったの? あの二人はなに?」
 塀に囲まれたニコニコハウスの庭に戻り、落ち着いたところでカノンが尋ねる。彼女の表情は明らかに動揺しており、呼吸は落ち着いていても、心はまだざわついている。
「あいつら、俺達ニコニコハウスの奴らを目の敵にしてやがるんだ。色違いの子供をかこっている迷惑な奴らだって」
「色違いのポケモンは……カノンみたいな子は、災厄を呼ぶって言われているの。つまり、大きな厄介ごとを連れて来るってね。だから、皆色違いのポケモンを毛嫌いする……この街はそういう風潮は薄いけれど、それでも嫌っている人は少なくないから……」
「どうして? 私、悪い事しようなんて思っていないよ?」
 パチキとイレーヌに言われて、カノンは悲しそうに問いかける。
「なんだっけかなぁ……色違いのファイアローだっけ? ヤヤコマのころに、王都のお祈り施設の前にタマゴのまま捨てられていたヤヤコマが……普通は頭が朱色でそれ以外は灰色の翼って言う色合いなんだけれど、そのヤヤコマはうっすら金色の混じった白い翼のヤヤコマだったんだ。要するに、色違い。それでもって、当時の王様がゴウカザルだったんだけれど、その後継ぎとなる長男が色違いのヒコザルだったんだ。たしか、そんな感じだよな、イレーヌ?」
「そうよ。っていうか、パチキはこういうのの語り部になるのは苦手だろうし、私が話すわね。それで、色違いの王には色違いの手下がふさわしいって、そのヤヤコマは王族に引き取られて、ヒコザル……のちのゴウカザルの従者として育てられたの。それで、ある程度年がいったら、ヤヤコマはファイアローに進化してゴウカザルの下でお世話役、護衛の手伝い、高速で送迎するとか、そういう役割を持たせられて……まぁ、仕事は大変だけれど、王様の従者だけ待遇は良かったそうね。
 でも、そのヤヤコマは進化して大人になると、王よりもよっぽど市勢の見回りなんかを積極的にするようになって、それで……色々と政治に口出しをするようになったんだ。もっと民のための政治をするべきですって。王は、自分の権力を確かなものにするために、兵隊さんばっかりに給料を増やして、その分農民とか、猟師とかに苦しい生活をさせたんだ。それをどれだけファイアローがとがめても態度を改めなくってね。
 一部の貴族や豪商……ま、お金持やお偉いさんばっかりが得するようにしたの。もちろん、得する人達からは支持を得て、お金もそれなりに流れてきたから贅沢を出来るようになったけれど……それで民はますます飢えるばかり」
「そんなのダメだよ、もっと分け合わないと」
「そうよ、ファイアローはそう言ったの。もっと分け合わないといけないって。我儘な王も、ファイアローの言葉だけは一応聞くんだけれど、でも王の周りの従者はそれを糾弾し、政治に口を出すなと言って彼を幽閉したの。ゴウカザルは戸惑った……幼い頃からずっと一緒に居た兄弟のような存在のファイアローと会えなくなったわけだもの。
 そうして、王は暴走した。従者の言うままに金を散財して……その有様をファイアローが牢獄で聞いたことがきっかけとなって、そのファイアローは牢屋の中で自身の真の姿に気付いてしまったの。進化って知ってるよね? ファイアローがホウオウに進化したの」
「へー、ファイアローってホウオウに進化できるんだぁ」
 イレーヌの説明を聞いて、カノンは呑気に感心する。
「いや、出来ないから。出来ないはずなのに、しちゃったから問題なんだって。そして、ホウオウに進化した彼は、王都で民から搾取する貴族や豪商たちの家を一斉に焼き払い、民に対して横暴なふるまいをする兵士を、すべて体の内側から湧き出る炎で焼き殺したと言われているの。
 だから、無能なゴウカザルの王、そしてホウオウ。その二人ともに色違いだったことから、色違いのポケモンは災厄を引き起こすって言われているの」
「何それ!? 私関係ないじゃん、というか、色違いだってことすら関係ないじゃん。王様が、ファイアローの言葉をちゃんと聞いてあげればよかっただけじゃん。大体、もしも私がホウオウだったら逆にどうするの? そんなひどい扱いをする奴をひどい目にあわせたいって思ったらどうするの?」
 カノンが不満げに言う。
「そうなんだよ。お前も、メラさんも、何も関係ないのに……そもそも、防げた災厄だったのに、色違いだったことがいけないと言う事にするんだ。そんな奴ら、何も分かっちゃいない、色違いなのがいけないんじゃないんだ、そんなの昔の奴らが譲り合いをしないことがいけなかっただけじゃないか。災厄は自分が招いたことじゃないかってんだ。
 そんな事も分からない奴らのせいで、お前みたいに馬鹿にされる奴が出てきちまう。全く、腹立つぜ。それでメラ先輩も酷い目にあったんだ。というかさ……あいつら、アルトやポルトのような奴らは、色違いが災厄を呼ぶ存在だとかどうでもいいんだ。それを口実に馬鹿に出来る奴を探しているだけで、何でもいいんだよ。だからむかつくんだ」
 吐き捨てるようにパチキが言う。
「そう言えば、さっきチンコ焼かれて使い物にならなくなったって言っていたけれど、それってもしかしてメラ先輩の?」
「あぁ。去年の話なんだけれど、なにされたか知らないけれど、メラが一人でいるときに、いっつも目の敵にしている奴に襲われて、反撃した時にそうなっていたらしいぜ。シャムロックさんが助けに来た頃には、もう手の施しようもなかったみたいだ。お母さんが言うには、それが最悪の状況なんだってやりすぎだって……」
「でも、いじめる人がやり返されただけでしょ? みんなのお母さんは、それがダメだって言いたいの?」
 パチキの言葉にカノンが反論する
「そうね、やり返しただけ。そうだとしても、そうは思わない奴がいるのよ。例え、最初に手を出したほうが悪くても、反撃したメラが悪いみたいに責める人がいる……ほら、まえ私達が尻叩きをされた時のことを話したじゃない? 私達ニコニコハウスの子供を馬鹿にした奴らを叩きのめした時に、やりすぎだってお母さんに怒られたこと……それも、おんなじ理由。やりすぎると、最初に手を出したほうが向こう側でも、こちらが悪い事にされる口実を作られてしまうんだって。
 だから、私達はやりすぎるなって、お母さんに釘を刺されているし、それに……あなたに手出しをさせるなって、言われている。今日貴方に突っかかろうとした奴らに、私達が積極的に前に出たのもそのせいよ。あなたを守るため」
「私は手を出しちゃいけないの?」
 イレーヌの言葉を聞いてカノンは問う。イレーヌは静かに頷き、その言葉を肯定した。
「どうしてもと言うのならば、毒々や痺れ粉ならいいわ。街の中でなら猛毒になっても誰かしらがアロマセラピーとか、癒しの鈴も使えるからね」
 イレーヌがそう言った横で、パチキも頷いている。
「面倒だけれど、それがカノンを守るためなら、俺もそうするぜ。あんな奴らにカノンが馬鹿にされるのは我慢ならねぇ」
「僕も……今はまだ弱いけれど、いつか頑張るよ」
 ここで乗り遅れてはいけないと空気を読んだのか、テラーもそう言って、パチキに続く。
「そうね。私達の妹だもの、テラーにとっては姉でもあるし、私達が全力で守らなくっちゃね」
 カノンが不満そうな顔をするので、それにフォローするようにパチキ、テラー、イレーヌが言う。
「わかった……私は手を出さないように頑張る。でも、皆に心配をかけないように、攻撃を喰らわないように頑張るよ」
 まだあまり納得がいかない様子ではあるが、カノンも自分が置かれている状況は何となく理解したらしく、ぶすっとした調子で彼女は言う。
「けれど、そのメラ先輩に因縁つけた奴ってのはちんこなくってどうやってションベンするんだろうなー?」
 話題が重くなったので、パチキは話題を変えようと、変な話題を持ち出した。
「ねー。チンチンなかったらおしっこできないよ」
「えーでも、私そんな物なくっても出来るよ?」
 その話題の転換にテラーもカノンも乗るものだから、イレーヌは一人恥ずかしそうにしている。
「知らないわよそんなの。私達だってそんなものなくても出来るんだから何とかなるでしょ! アウリー先輩もないはずだし……っていうか、ちんちんちんちん五月蠅いのよ! もう少し遠慮しなさいな!」
「あはは、ごめんごめんイレーヌ。お前にゃ無縁の話しだったな」
「無縁とかそういう問題じゃない。、まったく、女子の前でそんな話しないでよね」
「あ、分かったお前羨ましいんだろ?」
「羨ましくなんてなぁい!!」
 毛皮じゃなければ、顔が真っ赤になっていたことだろう。イレーヌはパチキのからかう言葉に、ムキになって反論をしてみなに笑われるのであった。


 そうして数日後。ランランタウンでは、買い物中にいつの間にかテラーがいなくなっており、カノン、イレーヌ、パチキは心配して街を探索していた。そんな時、イレーヌの頭にくしゃくしゃに丸められた紙が投げつけられる。匂いを嗅いでみればそれはテラーと、アルト、ポルトの匂いがする。文字は明らかにテラーの文字で、つたないながらに頑張って書かれている。
 恐らく、文字を書けない二人はテラーに書かせたのだろう。
「で、なんて書いてあるんだ」
 イレーヌがカノン、パチキと合流したところで、パチキが問う。
「要約すると、テラーを誘拐したから。指定した場所まで来いってさ。そこで決闘するから、もしも来なかったらテラーをひどい目にあわせるんだって。場所はザワザワ草原の入り口近くだね……あいつら、ダンジョンの奥地とかで待つもんじゃないのかしら、こういうのって」
 全く、どこまでも相手のし甲斐がない奴だとイレーヌがため息をつく。
「弱いからダンジョンを抜けるのも無理だろ、あいつらじゃ。確かに、なんというかダンジョンの奥地で待っていてほしいよなぁ……こう、強者の風格を出すなりしてさぁ。なんというか、そういうお約束を無視するって、少し情けなくないのかな……」
 パチキも、これでは戦う前から意気消沈だとため息をついた。
「そんな事より、テラーが危ないんでしょ!? 早く助けに行かなきゃ!」
 焦るカノン。
「あー、まぁ、適当にね」
 それに対してイレーヌは、ため息交じりに面倒くさそうに言うのであった。


 一方、アルトとポルトは、ザワザワ草原の入り口近くで、多数の罠を作りながら待っていた。パチキに対して効果が高い、足を引っかけるとロープが絡まり木の上に釣り下げられる罠や、足を踏み入れるとネットが降ってくる罠などをわざわざ自作して待っていた。
「あいつら、来るかな?」
「こっちはテラーを人質に取ってるんだぜ? 来なかったらひどい目にあわせるって書かせたんだ、絶対来るさ」
 などと、ニンフィアのポルトとエーフィのアルトは呑気な会話をしている。
「ほう、誰が誰を酷い目にあわせるというのだ?」
 が、呑気な気分は低いその声で遮られる。
「え?」
 と声を上げて振り返れば、そこには両腕を組みながら仁王立ちをしているミュウツー。要するにシャムロックの姿がそこにある。彼女……いや、いまは彼というべきか。彼はすでに手足の革のバンドを外しており、臨戦態勢である。
「あ、お母さん! 助けに来てくれたんだね!?」
 悪ガキ二人に捕まってしまい、怯えていたテラーは嬉しそうに声をあげる。
「あぁ、すまないなぁこんな目に逢わせてしまって。もう安心だから、ちょっとそこで待っててくれ。浮いていれば罠にはかからないと思うけれど、気をつけてな」
「うん」
 シャムロックに優しく言われ、テラーは嬉しそうにその場を離脱し、シャムロックのやり取りを遠巻きに見守る。それを見届け、シャムロックは振り返る。
「さぁ、繰り返し言ってみろ。誰が、誰を酷い目にあわせるというのだ?」
「な、なんでここにあなたが居るのですか……?」
 シャムロックの質問に答えられず、アルトが怯えながら質問をする。彼の尻は下がり、自然とお座りの姿勢を取っていた。
「うーん……それについてなんだが、イレーヌから伝言だ。『このザワザワ草原に来いとは書かれていますが、誰が来るべきかについては書かれていなかったから、とりあえずお母さん、シャムロックさんを向かわせます。心行くまで決闘してください』だそうだ。だから私が来た」
 シャムロックが告げるイレーヌの言い分を聞いて、悪ガキ二人が思ったことは『しまった、きちんと人を指定するべきだった』という的外れなものである。だが、問題の本質はそんな事ではなく、そもそもニコニコハウスの子供達を敵に回すという事は、このシャムロックを敵に回すという事なのだと、気付くべきだったのだ。
「で、今度は私の質問に答えてもらおうか。お前は、誰が、誰を酷い目に合わせるつもりだったのだ?」
 普段のシャムロックは、小さな子供と話す際はきちんと娑婆むなりして視線を合わせるのだが、今回アルトとポルトと話す際は、むしろ足が相手の首の位置に来るくらいまで浮かせて全力で見下ろしながらの対話である。その威圧感は並大抵ではない。
「ぼ、僕達が、テラーを」
 ポルトが言う。
「ほほう。それはそれは物騒な。しかし、ウチのテラーが何か悪い事をしたのか? そうであれば、こちらとしても謝罪をせねばならんが……」
「何も、してないです」
 目を逸らしてポルトは言う。
「ふむふむ、何もしていないのか。ではなぜ、テラーがひどい目にあわねばならないのだ? 私のも分かりやすく教えてはくれないか?」
「そ、それは……人質のために……決闘のために……以前、人質を取らなかったら、イレーヌ達にすっぽかされて夜まで待ちぼうけで……そうならないように人質を取ったわけで……」
「それは一方的に約束するからだろう? ウチの子供は、お互いに交わした約束を一方的に破棄するような子ではないと思ったが、もしかしてその時はそんな悪い事をしたのか? ならば叱ってやらなければいけないなぁ。約束をしておいて破ったなら、な」
 そう言って、シャムロックの鋭い眼光が二人の悪ガキを射抜く。二人はもはやお座りの体勢すら出来ずに伏せの体勢を取るしかない。
「で、実際のところはどうなんだ?」
「パチキ達に一方的に約束を押しつけました……なので、あっちは悪くないです」
 アルトがうつむきながら答える。
「そうかそうか、ならば私は可愛い子供達を叱る必要もないというわけだ、それは良かった」
 そう言って、シャムロックは微笑み、コホンと咳払い。
「で、お前達にお尻叩きをする回数だが……私はお前達に決めてもらおうと思う。まず、お前達は今回のもめごとが自分のせいなのか、それとも双子の兄弟のせいなのかを選ぶことが出来る。
 自分が悪いと思うのであれば、この一〇〇と書かれた百ポケ硬貨を上にしてくれ。そして、相手が悪いと思うのであれば、何も書かれていない方を上にして地面に置くんだ。
 それで、もしもどちらか一方が悪いというのであれば……一方の尻を百回叩く。つまり一人だけが死ぬほど痛い思いをするというわけだ。そして、お互いがお互いを悪いと罵り合うのであれば、その時はお前達の尻を六〇回ずつ叩く。とても痛い。しかし、お互いが自分を悪いと反省するのであれば、その時は仕方ない、お互いの絆に免じて二人を四〇回叩くだけで許してやろう。
 さて、一切の相談は不可能だ、声も出させない、表情も伺わせない」
 シャムロックは空間に穴をあけ、体一枚を拭くことが出来そうな大きな布きれを取り出した。それでお互いの表情を伺えないようにして、シャムロックは再度の説明を始める。
「さて、一〇秒以内に地面の上に百ポケ硬貨を置いてもらおうか。自分が悪いと思うのであれば、数字が書いてある方を上にすればいい。ちなみに、尻を叩く回数が総合的に一番多いのが、二人が悪いと罵り合った時。次が、一方が悪いと思った時だ。だけれど、一方が一方を庇うというのもいいものだぞ? なんせ、一方が百回尻を叩かれるだけで、もう一方は無傷でいられるのだからな。
 ちなみに、総合的に尻が叩かれる回数が一番少ないのはお互いが自分が悪いと言って相手をかばい合った時だ。これを選ぶのが最適というのは言うまでもなくわかるな? だが、もしも一方が自分は悪くないと主張し、もう一方が自分が悪いと認めた場合、一人が一方的に尻を叩かれることになってしまうわけだなぁ。まぁ、だが自分が悪いと自覚しているのであれば、それも致し方なし、という事だ。どうするのが自分にとって、そしてお互いにとって得か、きちんと考えるといい。
 そして、もう一つ。そろそろ決めてもらうために、カウントダウンを始める。カウントダウン終了までに、どちらも決められなかった場合は、二人の尻を百回ずつ叩く。どちらかを決めたほうがお得であることは言うまでもないな?」
 にやりと笑って、シャムロックがカウントを開始すると、二人は慌ててコインを確認し、地面に置く。
「十、九、八、七、六、五、四、三、二、一、ゼロ……」
 カウントを終えて、シャムロックは二人を仕切っていた布を持ち上げ、空間に穴をあけて布きれをしまう。
「二人とも数字を書いていないほうが上になっている。つまり、二人に六十回ずつ尻叩きと言うわけだな?」
 シャムロックが二人を見下ろしながら、口元をゆがめる。悪ガキ達は恐怖で顔をゆがめ、恐れおののくその顔は、今にも泣きだしてしまいそうだ。
「なぁ、分かるかお前ら? 確かに、災厄と言うものはどこからともなくやってくるかもしれない。だがな、そう言う時に自分だけ得をしたい、自分だけ助かりたい、そういう思いで他人の足を引っ張り合う事で、結果的に己の首を絞め合うこともあるし、災厄の被害は悪化していくのだ。そうだろう? お互い、自分だけでも助かりたいと思う心を持つから、四〇回で済むところを、六〇回になってしまったのだ。
 それに、今回お前らの尻が大変なことになるのは、天災のせいでも何でもない……まぎれもなく、お前らが無用なことをしてしでかした人災だ。どうして、色違いだなんだとくだらない事でわめいて、こんな事態を引き寄せようと思うのか、私は理解に苦しむよ」
「ごめんなさい……その、勘弁してください」
 ポルトがリボンで自分の体を隠すようにして言うが、シャムロックはそれを鼻で笑う。
「そんな言葉を出すくらいならば、最初から人に危害を加えようなどと思わなければいいのだ。分かるか? こうして私に尻を叩かれる災厄は、お前が引き起こしたものだ。断じて、あの色違いのスボミー……カノンが引き起こしたものではないぞ? いや、色違いを疎ましく思うお前らの心こそが災厄を連れてきたというべきか。理解出来るか?」
「分かりました! ごめんなさい! ごめんなさい! 俺達が悪かったです! もう二度と色違いを馬鹿にしたりしません!」
「そうか、ならば六〇回黙って叩かれようか。そうすれば、二度と間違いを起こすこともなかろう」
 アルトの必死の謝罪に、シャムロックは笑みを浮かべてそう言った。シャムロックは悪ガキ二人を無理やり、前足を地面に固定して尻を突き上げた体勢にすると、手を近づけて一思いに……叩かない。
「そうだ、せっかくだしどんなリズムで叩くか決めるか。『パパパン パパパン パパパン パン』ならちょうど十回。『パパパンパン パパパンパン パパパン パパパン パンパパパンパパパンパパパン』でもいいな。これなら一ループで二四回だから、十二回ずつ叩けば丁度六〇で割り切れる。よし、後者のリズムで行くか」
 独り言ちて、シャムロックは手を近づけて一思いに……叩かない。
「あぁ、そうだ。叩く前に、数えるときは一から数えて行くか、それとも六〇から減らしていくかを決めておかねば」
「あの……お母さん。もう早いところ済ませて帰ろうよ」
 テラーもさすがにかわいそうになってきてそう言うが、シャムロックは今の状況を楽しんでいる。
「いや、しかしこれは重要な事だと思うのだがな……まあいい、今度こそ叩こう……と思ったが、先にどっちを叩くべきか考えよう」
「……母さんって、ものすごい意地悪」
 こうやって、何度も何度も焦らしながらシャムロックはその反応を楽しむ。掛け声はどうしようかとか、どちらの方角を向いて叩こうかとか、どうでもいい事を考えて何度も寸止めを繰り返して煽り続け、飽きてきたところで突然叩いて、悪ガキ二人を悶絶させるのであった


「ただいまー」
 数分後、テラーはシャムロックに連れられて帰宅する。
「あ、お帰りテラー。心配したけれど、あいつらが馬鹿でよかったよ。お母さんも、迷惑かけてごめんなさい」
 パチキはテラーを温かく迎え入れ、シャムロックに頭を下げる。
「いいのよ、皆。迷惑をかけたのはあいつらであって、カノンでもパチキでも、イレーヌでもないから」
「そうそう、パチキ。こういうときはごめんなさいじゃなくってありがとうって言うのよ。ありがとう、お母さん」
 シャムロックの言葉に補足するようにイレーヌが言う。
「みんなのお母さん、ありがとう」
 イレーヌの言葉に促されるようにカノンも言う。
「えぇ、どうも。それにしても、今日は皆カノンをきっちり守ってくれたみたいで偉いわね。カノンがあいつらに暴力を振るわれても、逆にこちらから暴力を振るってもまずいことになると思ったから釘を刺しておいたけれど、皆が聞き分け良くってお母さん助かるわ」
「俺達は奴らに好き勝手言われるのが我慢なんねーんだ。別にカノンのためじゃねーぜ」
「あら、私はカノンのためにやってるわよ? パチキは照れ屋さんね」
 テレを誤魔化すように強がるパチキと、カノンのためだと公言するイレーヌ。そんな二人を見て、シャムロックは可愛い子達だと笑みを浮かべ、カノンは二人に守られるだなんて嬉しいなとはにかみ、テラーはいつか自分もあんな風にカノンを守れるようになりたいと思っていた。
「今日はご褒美だ。夜にちょっとした空の散歩でもしようか。行きたい奴は手を挙げてくれ」
 いい子を拾えたものだと思い、シャムロックは言う。すぐさま全員が手を挙げるのを見て、シャムロックの気持ちは穏やかに満たされていくのであった。

 一方その頃、アルトとポルトは尻を真っ赤に腫らして歩くことも辛い状態で、ノロノロと家路についている最中である。その後さらにスカタンクの母親に怒られるという踏んだり蹴ったりな結果になり、酷い目にあった二人は以後しばらく大人しくなるのであった。


ミュウツー母さんと、みんなのニコニコハウス、ロゼリア編へ続く


*1 いわゆる缶蹴りだが、この世界に缶などないのだ

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Last-modified: 2015-12-06 (日) 20:26:04
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