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ネコカブリの王国

/ネコカブリの王国

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※まずまずの文章量があります。適度な休息をとりつつお楽しみください。


叙任式の日 


 ポーシャの首筋に剣が突きつけられていた。
 (つか)を宝石できらびやかに装飾された、錆ひとつない短剣。それが薄明かりの中をすいっと滑り、とんとん、と刃の腹で2度彼の肩を叩く。ニャスパー族に特有のくせっ毛が数本宙に舞った。
「いま汝はまさに騎士となった。国に仕え、アイルーロス家に献身する者として、騎士道に篤く、孤児と寡婦、祈りかつ働くすべての民衆の守護者となるように」
 凛とした声とともに短剣はそっと外された。それでもポーシャが動かないでいると、先ほどより幾分柔らかく「顔を上げよ」と頭上からテノールの声が掛けられる。垂れた首をそっと持ち上げると、騎士叙任の儀を執りおこなった主君――タビィ王子が、聖堂のステンドグラスから差し込んだ青白い月の光に照らされていた。
 美しいひとだなぁ、とポーシャはよそ事のように考えていた。1本1本まで丁寧に櫛の通されたブルーの被毛は艶めいて、それはまるで夜を流れる静かなせせらぎのよう。脚首まで伸びる染みひとつないマントに身を包み、猫の尻尾を模したアイルーロス王家の紋章が刻まれた金のロケットペンダントを首から掛けている。絵画や彫刻映えのする立ち姿だった。このポケモンが自分とほとんど歳の変わらない、同じニャスパーの青年だとは到底思えなかった。これから国を統治することになるだろうアメシストのまなざしに射すくめられ、ポーシャは思わず身を固めてしまう。
「そう慇懃(いんぎん)にならなくてもよいよ」
「は、ハイっ!」
 そんなポーシャの緊張を解くように、タビィ王子はそっと笑顔を向ける。先ほどの宝剣を鞘に戻すと、臙脂(えんじ)色のマントを翻してそれをベルトごと肩から外した。流麗な手つきでポーシャの肩へと()かせてやる。
 剣に次いでポーシャが渡されたのは、彼専用に特注されたリングル。念力から解放され両手にのしかかるそのずっしりとした重みが、これから騎士となり王家と国民を護るという使命の重大さを物語っているように思えて。
 ポーシャがそれを腕に取り付けた途端、礼拝堂のベンチに座って見守っていた先輩騎士たちが一斉に湧き上がった。マグカルゴが口から派手に炎を吹き上げ、アブリボンが銀色の風を舞い散らす。ワシボンの青年が腋に飛びついてきて、うぐっ、とポーシャはうめきを漏らした。ごわごわの鶏冠(とさか)によるくすぐりに耐えていると、そのワシボンともどもキテルグマに抱え上げられ、他の先輩団員からも次々と祝辞を投げつけられる。
「さあ、そろそろ饗宴(きょうえん)を始めようか。めでたく成年を果たした同種のよしみだ、今日は私が全部持とう」
 タビィ王子が声高に宣言すると、「よっ、流石は我らが王子様!」と調子のいいヤジが飛ばされる。先ほどまでの厳粛な雰囲気はどこへやら、アイルーロス王国騎士団、探窟部隊の一同はいつものにぎやかさを取り戻していた。



ネコカブリの王国

目録




水のミドリ


「汝が爪は民を脅威から護るためにあるか。汝が牙は国を災悪から防ぐためにあるか。いかにそれらが強大であろうとも、汝が敵に立ち向かう勇気はあるか。常に公平で誠実、高潔であるか。信仰を深く、弱者に手を差し伸べ――」
「いいから早くするにゃー」
「――探窟部隊の健闘を祈って、乾杯」
「「「かんぱ-い!」」」
 タビィ王子が祝杯の口上を述べると、手や翼、念力によって酒の入ったカップが高々と掲げられる。狭い酒場にガラスの衝突する小気味いい音が響いた。教会のある王宮から出てすぐのところに店を構える酒場『閃光ウナギ』は、ポーシャの叙勲式を済ませた探窟部隊によって貸し切りにされていた。陽も落ち少しずつ冷えてきた秋の夜長に、木材を十字に掛けた円窓からは喧騒と光が漏れている。明かりの中心でポーシャはもみくちゃにされながら、甘いリンゴ酒(シードル)がなみなみと注がれたタンブラーを支えるのに必死だった。
「これで僕もようやく正式な騎士(ナイト)かー……実感湧かないなぁ」
「おぅよ、しっかりしないとな! しっかしなぁ、入隊わずかひと月で従騎士(エスクワイア)から騎士に昇進だなんてな。俺なんて7歳で志願したから……成年して騎士になるまで8年もかかったんだぜ?」
「はいはい、オーヨウは僕がタメ口を使っても気にしないでくれる優しい先パイですよねーわーやさしー」
「おぅよ! ってなんだ水くさい。まるで俺が言わせてるみたいだな」
「言わせてるでしょ」
 なんだとこの! とビールの注がれたジョッキを左翼に抱え、ワシボンのオーヨウはポーシャのわき腹を乱れ突いていた。甘噛みのように刺さる嘴よりも白の鶏冠がポーシャの頬をくすぐって、ちょ、やめて! と短い腕で遠ざけようとするが全くの骨折り損である。
「探窟部隊に入るついこの間まではただの召使いだったってのに、俺を追い抜いて進化までしたら許さないからな~?」
「わかった、わかったからつつくの止め……こそばゆいって!」
「い~じゃないの、減るもんじゃないんだし~」
「うわっもう酔ってるなこの、弱いくせにペース早すぎっ!」
 3倍もの体重差でのしかかられると、ポーシャは身動きが取れなかった。高椅子から転げ落ちないよう、早くもふらつき始めたオーヨウをテーブルのへりを掴んで押し戻す。揺り返されたオーヨウはわたわたと羽をばたつかせて、止まり木を掴む鳥脚を踏みかえていた。頭の飾り羽をしきりに撫でつけている。これが酔いの回ってきた彼のサインなのだと、オーヨウの家に住み着いてひと月になるポーシャはだんだんと分かってきていた。宴がお開きになるころにはもう千鳥足だろう。自分よりひと回り大きいオーヨウを引きずって帰らなくてはならないことを想像して、ポーシャは眉を曇らせた。
 ペース抑えなよ、とポーシャが文句を言う前に、頭上から快活な声が掛けられる。
「ほらほらオーヨウ、それくらいにしなさいな。ポーシャはしっかり飲んでるかい? ちゃあんとあたいら騎士の仲間になったんだ、グイッといっとかないと雄が廃るよ!」
 ポーシャが見上げると、浮遊するネンドールの太い腕に乗りながらマグカルゴが母性的な笑みを湛えている。
「あ、マイマグイさんお気遣いなく。……でも騎士道的には飲酒は禁止されているはずですよね? むしろ騎士になったからこそ飲んじゃいけないんじゃ……」
「羽目を外さないくらいならいいんだよ。あそこの教会の神は豊穣の神でもあるからねぇ。全く飲まないってのもそれはそれでバチ当たりなんだ。――ほらお待ちかね、旨いアテがきたよ!」
「――()っづーーー!?」
「あらやだ、ヨダレ垂れちゃった」
 頭上に灼熱の雫を落とされ悶絶するポーシャ。可愛らしい牙が覗く小さな口をあわあわさせて、届きもしない短い手で懸命に宙を掻いている。「ポーシャは不意打ちに弱いなぁ~」とオーヨウは大笑いしながらも、燃える縮れ毛を嘴でせっせと摘み取ってくれた。
 シビルドンの店主(マスター)が運んできたのは閃光ウナギ名物、香辛料で辛みを利かせた"シビ白魚(シラス)"だ。ひと口含めば電気の弾けるような食感に、新鮮な海の味が広がってくる。それを"シビ麦酒(ビール)"でグイッと流し込むのがこの店の粋な飲み方だった。
 取っておくれ、と頼まれたポーシャは、ちょっと怪訝な顔をしつつもマイマグイの口に白魚を放り込んだ。マグマにうずもれていた耐熱グラスを彼女が傾けると、じゅっ! と音を上げてビールが瞬時に蒸発する。
「これから収穫祭ってなるとやっぱりビールが旨いねぇ! あ、ジオアース、もっぺん酒樽まであたいを運んでおくれよ」
「承」
 無口なネンドールの腕に運ばれていくマイマグイと入れ替わりに、ジョッキを持ったニョロトノが狭い席の間を縫ってきた。後輩のオーヨウに「同じ席いいかな?」と断りを入れて、彼の生返事を待ってからテーブルの向かいへと腰を落ち着ける。爽やかな笑みを浮かべながら、彼は長い舌の先に巻き付けたグラスをポーシャのタンブラーへと傾けた。からり、と氷の崩れた音がする。
「改めてだけどポーシャ、立派な騎士になったね、おめでとう!」
「シロマユさんよしてくださいって、呼び方が騎士になっただけで、実力は全然伴っていないですから」
「ダンジョンの探窟も上手くなったと思うけどな。ちょっと見ない間に見違えるようだったよ! ……騎士団での生活は慣れたかい? ドラネ隊長の爪術訓練は厳しいって聞くけど」
「あー……ハイ、まぁぼちぼちです……」
「その様子だと、こってり絞られているみたいだね」
 シビ白魚を舌で絡めとるシロマユが、同情するようにはにかんだ。
 ポーシャとシロマユは同じ探窟部隊に所属しているが、日々の訓練でしのぎを削る仲ではない。アイルーロス王国騎士団はそれぞれの隊の隊長が、団員ごとに必要な指導を施していた。ポーシャは探窟部隊隊長であるドラネの爪術と、エスパー部隊隊長であるヤレユータンのウホイの操超術を授かっている。ニョロトノのシロマユは水域部隊に混ざってそれらの錬磨に忙しいため、彼らが同じ訓練を受けるのは難易度の低いダンジョンで実践演習を積むときくらいだ。
 くたくたになって家に帰れば、オーヨウの代わりに夕飯をこしらえることになる。彼と食卓を囲むのは楽しいけれど、お酒が入ると度を超えて面倒だ。それをどう振り切って寝台に潜り込むかが、ポーシャのルーティンになりつつあった。
 曖昧な返事をしていると、先ほどから眼の据わっているオーヨウが、回らない呂律でピーチクと口を挟んでくる。
「そ~なんっスよシロマユ先輩ぃ~! コイツ、この前の爪術訓練でもドラネ隊長にこっぴどく叱られててさぁ、先輩からも何とか言ってやってくださいっスよ~~~!」
「ちょっとオーヨウ、さすがに悪酔いし過ぎだって……!」
 半分酒に呑まれたオーヨウは笑って、嘴からこぼれたビールを翼で拭う。シロマユがお冷を差し出しても、嘴の先も付けやしない。
 見かねたシロマユが、長いベロをオーヨウの体にひっかけた。何を、とオーヨウが取り乱す間もなく、高々と持ち上げられたまま店の外へ。
「こらオーヨウ、君はもう新米騎士じゃないんだぞ? いつまでも面倒を見られる側でいてどうする。しっかり先輩としての意識を持て、な? 外で頭冷やそうか」
「あ~待って俺のビールがあぁ~~~」
 翼までがんじがらめにされて持ち出されていくオーヨウが、ひな鳥のような情けない声を上げる。探窟部隊でまだ進化していないのはポーシャとオーヨウ、それにタビィ王子しかいない。そういえば王子はどこの席に座ったのかな、とふと思い、ひとり取り残されたポーシャはあたりを見回した。



 奥のテーブル、少し照明の落とされた端の席で、タビィ王子は静かにワインをたしなんでいた。凛とした笑顔を湛えたまま、王子を挟んで展開される熱い議論に耳を傾けている。
「だぁかぁらぁ、タビィ王子はちょっとおカタ過ぎるんにゃってぇ。楽しく飲もうってときに、国だの民だの、騎士の心構えなんて必要にゃいだろ? こうも可愛げがにゃくなったのは、昔からベッタリ寄り添っている副隊長の教育の賜物かにゃー?」
「馴れ馴れしくタビィ様に触るな。隊長と言えど容赦はせんぞ……?」
「おーやるかー? にゃんなら探窟部隊隊長の座を賭けてもいいんだけどにゃ?」
 猫なで声で挑発するのは、ペルシアンのドラネ隊長。葡萄のような髭袋を膨らませ、丸々とした頬にマタタビ酒をひと息で流し込んだ。もうかなり出来上がっているのか、艶のある暗灰色の被毛の上からでも分かるほどほんのりと赤味が顔に出ている。反りあがった髭はさらに曲線を描き、影を引いたような厚ぼったい目はとろんと垂れてきていた。タビィ王子の整えられた頭の癖毛を、彼女は肉球でご機嫌に撫でまわす。
 その手を煩わしそうに顎でつまんで払いのけたのが、ボーマンダのハーフムーン副隊長だ。左目に深い傷の入った隻眼を小さく痙攣させ、ぐるる、と喉の奥を低く唸らせる。おちゃらけるドラネ隊長に、すごみの利いた顔をずいと寄せた。タビィ王子の頭の上で、険悪な視線が静かに火花を上げていた。
 呆れたように目を閉じ小さく息をついた王子が、座っていた高椅子に立ち上がる。放っておけば店さえ壊しかねない衝突を、短い腕を上げ静かに制した。その手で彼らの顔を遠ざけると、いがみ合う2匹を交互に見比べながら言う。
「ふたりともいい加減にしないか。我々は国と民を護る騎士だ。騎士団の部隊を束ねる者どうしがこのように些末ないさかいを起こしているようでは、安心して国民が暮らすことができない」
「……申し訳ありませんタビィ様」
「にゃは、怒られちゃったにゃー。ささ、アタシは次の酒を注ぎ足してくるとするかにゃ」
 どこか満足げに笑うドラネが、竜の逆鱗に触れないうちに席を外す。尻尾にジョッキを引っかけて逃げる彼女をまだ睨みつつ、ハーフムーンはタビィ王子を高椅子ごと引き寄せていた。乱れた彼の体毛を器用に爪先で()いていく。少なくなった彼のワイングラスには、ハーフムーンが口でボトルを傾けていた。
 隣のテーブルから眺めていたポーシャが、誰にとでもなくぽつりと呟いた。
「噂には聞いていたけど、ドラネ隊長とハーフムーン副隊長って本当に仲悪いんだ……」
「そんなことないよっ?」
「みゃ!? キュラさんいつからここに!?」
 すぐ耳元から響いてきた高い声に、ポーシャはぎょっと振り返る。真横に迫っていたアブリボンの顔に、バランスを崩して高椅子からずり落ちそうになった。
 探窟部隊の回復役を任されているキュラは、怪我を負った団員とふたりきりになることも多い。そのせいか情報通でもある。残念ながらその口は彼女の重量に見合うほど軽いのだが。この前オーヨウが空挺部隊のヒノヤコマに告白して見事撃墜されたのも、彼女づてに聞いたことだ。うっかり本人に漏らした晩には、夜通しつつかれまくったのをポーシャは覚えている。
 聞きたい? とキュラは耳打ちして、そっと頷いたポーシャの畳まれた耳元へ囁いた。
「ふたりともとっつきにくいところはあるけどっ、お互い認め合っているし相手の考え方には口を出さないのっ。けどねぇ……っ」
「けど……?」
 もったいぶるようにふらりとキュラが離れ、楽しそうに口許にリボンを引き上げる。抱えてきたらしいショットグラスに口吻を差し込んで、自家製の蜂蜜酒(ミード)をひと啜り。ぷは、とキュラがリボンを外すと、甘いにおいが広がった。ポーシャが催促するように目で訴えると、ごめんごめんっ、とキュラは再び逆三角の口を開く。
「タビィ王子のこととなると、ふたりとも途端に目の色が変わっちゃうのっ! ドラネ隊長は王子の実のお姉さんだし、ハーフムーン副隊長は王子がタマゴに入っていた頃からお世話役を任されているんだってっ。キミと同じで王子はちっちゃくて可愛いから、そりゃ独りじめしたくなるんだろうねっ。えへへ、ワタシも誰かから独りじめされたいなぁ……っ!」
「キュラさんの方が僕よりちっちゃいでしょうよ……」
 ビーズほどの大きさのリングルが巻かれた左手を頬に当て、うっとりと複眼をとろめかすキュラ。探窟部隊の中でも古株の彼女だが、甘い想像力に限っては頭ひとつ跳びぬけている。妄想の世界へ旅立った彼女をよそに、ポーシャはぼそりと独りごちた。
「ふたりともそんなにタビィ王子が大好きなんて意外だなぁ。ドラネ隊長なんか、爪術訓練では"闇夜の猫又"なんて陰で言われて恐れられているのに――」
「呼んだかにゃ?」
「ふみゃあ!? 呼んでないですっ!」
 テーブルの下からぬっと現れたペルシアンが、猫なで声でポーシャにずいと言い迫る。ぐらりと椅子から落ちそうになったポーシャが、にたにたと笑うドラネ隊長の顔からぎこちなく視線を逸らしていた。彼女の勘の鋭さは、悪魔が憑いているのかと勘ぐってしまうほどだ。そしてその制裁も悪魔的だ。探るようにごろごろと笑うドラネから強力な猫パンチがいつ飛んでくるかと怯えるポーシャだったが、恐る恐る見上げた彼女の笑い顔は、いつもよりも若干優し気で。
「にゃんだよ連れないにゃあ。……まあいい、アタシは実に気分がいいからにゃ、おみゃーにひとつイイコトを知らせてやろう。王様が今からでもおみゃーに会いたがっているそうにゃ」
「こ……国王陛下が!? ですかっ!?」
 裏返った声を上げて、ポーシャはついに高椅子から転げ落ちた。
 打った頭を押さえつつ椅子によじ登って、オーヨウの残していった冷水を一息に飲み干す。王様から呼び出されたという事実に、いくらたっても脳はくらくらしたままだった。
 アイルーロス王国の現国王、タビィ王子の父親であるリンクス王。つまりこの国でいちばん偉いポケモンだ。身分の低い自分が目を向けることさえおこがましい、そんなリンクス王がわざわざ貴重な時間を割いてお会いしてくださる。そう考えただけで、ポーシャの軽い酔いなどすっかり醒めてしまっていた。
 タビィ王子とドラネ隊長に連れられ酒場を飛び出すと、すぐそこでオーヨウがシロマユに灸を据えられているところだった。そそくさと通り過ぎようとしたポーシャを目ざとく見つけたオーヨウが、甲高い声で鳴きしきる。
「ちょ、ポーシャどこ行くんだよぉ、俺に独りで帰れってのかよォ~?」
「そろそろ酒グセ悪いの直しなよね。……シロマユさん、オーヨウをよろしくお願いします、スミマセン」
「ん、分かったよ。しっかり家まで送り届けておくから」
 夜も更けそろそろ城内のシャンデリアの火も落とされる時刻だろう。泣き言を漏らすオーヨウを置き去りにして、ポーシャは駆け足で城門の跳ね橋を渡る。頬を撫でる冷気に、体はますます熱くなるばかりだった。


謁見と慰め 


 手燭を浮かべるタビィ王子と、その横をのそりと歩くドラネ隊長。宮殿に舞い戻ったポーシャは、ふたりの後について長い廊下を進んでいた。ドーム状にくぼんだ天井から吊り下げられた、ろうそくの明かりを灯したシャンデリア。等間隔に並んだその光が暗い廊下を照らし出すも、幅の広すぎる回廊の壁のマーブル模様がかろうじて浮き出る程度だった。メラルバの糸で編まれた舶来物の紅い絨毯を、ポーシャは脚の爪でほつれさせないようぎこちなく歩く。夜目が効くはずなのに、まるで夜を恐れる小動物のように全身を強張らせていた。
「にゃはは、緊張してるにゃ?」
「そ、そりゃ、そうですよ。だって国王陛下ですよ!?」
「だいじょーぶ、アタシたち(・・)の父上はそんな暴君じゃにゃいにゃ。……食事の作法と爪の研ぎ方には五月蠅いけど」
 首だけで振り向いたドラネ隊長が、歩く速度を落とさず上機嫌に喉をごろごろと鳴らした。アイルーロス家は代々ニャオニクスが王位を継承しているが、分家にも猫型のポケモンが多い。タビィ王子は王位継承権を持つリンクス王の正統なご子息だが、ペルシアンのドラネも王と側妃との間に生まれた、公爵号を持つ立派な貴族である。そのうえ武勲を打ち建て探窟部隊をひとえに任される尚武な騎士でもあった。
「そもそも僕、リンクス王にお会いするの、初めてです……」
「……失望しないといいけどにゃ」
「するはずありませんよ! ここ王都シャムに来てから、僕びっくりしましたもん。街並みは美しく保たれて、市場は活気があふれていて。住むポケモンたちはみんな穏やかで、街角では睦まじげに挨拶を交わしているんですから。僕が召使いをしていたジットク卿の街は辺境なところでしたので、ポケモンもあまり多くなく夜は明かりもほとんどなくて。聞けば水ポケモンのために水路をシャムの街中に巡らせたのもリンクス王だって言うじゃないですか。わぁ、どんなお方なんだろうなぁ!」
 騎士団へ入団してひと月、ポーシャがリンクス王に直接拝謁するのは初めてのことだった。遠巻きにお見受けしたのも1度きりで、それも月の頭に催される騎士への激励会のとき。宮殿の大広場から屈強な騎士たちに囲まれながら遠くに見据えたバルコニー、その手すりに阻まれながらも垣間見えた青いニャオニクスの威厳が、ポーシャの脳裏に焼き付いている。人民を導くにふさわしい聡明な顔つき、未来まで見通しそうな鋭い瞳は、エメラルドの輝きをきりりと放っていた。
 くりくりの目を輝かせ早口に上ずるポーシャに「ま、実際に会ってみるといいにゃ」とドラネは返す。廊下の突き当り、天井近くまでそびえる荘厳な扉の前まで来ると、ドラネはその両脇ですごみを利かせる守衛に「おまたせにゃー」と伸びやかな挨拶。力の抜けそうな声をかけられたマニューラとガオガエンは、しかし直立不動のまま敬礼して、謁見の間の大扉を押し開いた。ぎぎ……と重厚な音が廊下に響く。守衛のふたりに先導される形でタビィ王子とドラネ、ポーシャは広い部屋に進み出た。
 部屋の中央奥、なだらかに段の付けられた高座に、玉座が設えられていた。猫の脚のように美しい曲線を描いた金縁の脚に、絨毯をいっそうきめ細かく織り上げたような座面。精緻な金細工の施されたひじ掛け、そこに乗せられた腕の鮮やかな群青が、ポーシャの目に映った。
 タビィとドラネが畏まるよりも先に、玉座からだいぶ離れた位置でポーシャは(ひざまず)いていた。
 リンクス王が、目の前にあらせられる。その事実だけでポーシャはおずおずと身をかがめてしまう。宮殿広場の隅から遠望したそのお姿は、間近で拝見しようとすると後光が差しているようで、目を向けることすらままならない。
「そう慇懃(いんぎん)にならずともよい。もっと予の近くに寄らないか」
 叙任式にタビィ王子から掛けられたものと同じ内容の、威厳溢れる王の勅語。おずおずと顔を上げると、玉座に収まる雄のニャオニクスが、気位を高くポーシャを正視していた。
 タビィ王子のものより年季の入った幅広のマント。頭に載る細い金細工のクラウンは、シャンデリアの淡い光を照り返し爛然と輝いている。歳を重ねるも未だ滑らかさを保つ紺碧の被毛は、肌理(きめ)の細やかな産毛のよう。迷える民を救う柔らかな口許から放たれる荘厳な声色は、柔と剛を併せ持ち民衆を導くにふさわしい王の風格を携えている。音を立てずに傍で跳ねている従者のハネッコの少女でさえ、何か特別な力を持っているように思えてきて。
 数歩近づいてまた畏まったポーシャに、リンクス王はつと笑う。
「探窟部隊に新しく入隊した、たしかポーシャという名だったな。妙々たる活躍、耳にしているぞ」
「僕なんぞを覚えてくださるとは……あ、ありがたき幸せです……ッ!」
 立ったまま敷物に頭をこすりつけるポーシャ。リンクス王は威風を崩さないまま「顔を上げよ」と少し柔らかく告げる。おぼつかない様子で視線を戻したポーシャに、そっとリンクス王は話を切り出した。
「ここ数月のうちに、王都近郊で不思議のダンジョンの発生件数が倍増しているとは知っているな? ついにそれが抑えきれないところまで来ている。山賊や"邪気"の襲撃から守るようシャムの王都は周囲を防壁で囲んでいるのだが、今やお構いなしに街の内部でダンジョンが勃発し始めたのだ。迷宮の入り口に触れてしまった国民が、ダンジョンへと迷い込み帰れぬようになる事件も報告されているのであろう? ……近いうちに城郭はおろか、この街そのものが失われてしまうのではないかと、予は憂いているのだよ」
 邪気。不思議のダンジョン内部に棲息する、街に棲むポケモンと同じ姿をした怪物たちはいつしかそう呼ばれるようになった。ダンジョンの探索を任される探窟部隊に所属したポーシャも、奴らの恐ろしさは身をもって知っている。心を失いうつろな目をして襲いかかってくる邪気どもは、戦闘力こそそう高くないものの相手にするには気苦労が耐えない。慣れ親しんだオーヨウと同じ姿をしたワシボンを攻撃できず、容赦なくつつき回されたことがあった。
 リンクス王のおっしゃるように、いつしか高難易度のダンジョンが街中にも平然と現れるようになっていた。その入り口――シャムの街と迷宮を繋ぐ空間のねじれからは、邪気どもが時折紛れ出てきてしまう。それらを処理するのが、探窟部隊であるポーシャたちの主な仕事だった。とはいえ街に溢れた邪気を見つけて潰していっても埒は明かない。ダンジョンに飛び込み内部から迷宮を打ち壊す先輩騎士の英姿を、市民が迷い込まないよう外で待機していた従騎士のポーシャは目を輝かせて見守っていたものだ。
 落ち着きを取り戻したポーシャを見据え、リンクス王は話を続ける。
「本題はここからだ……市民は不安を煽られ混乱の渦中にある。それゆえタビィにもより多くの災難が降りかかるであろう。わざわざ呼び出したのは他でもない、ゆくゆくはポーシャ、おぬしにタビィの護衛を任せたいのだ」
「ぼ、僕がですか!?」
 声を裏返すポーシャに、リンクス王はしかと頷いた。お戯れあそばされる様子のない王のまなざしに、ポーシャは動揺を取り繕って胸を張る。
「身に余る光栄です! ……ですが、なぜ僕なのですか。ボーマンダのハーフムーン副隊長は、かねてからタビィ王子の警護と身の回りの世話を任されているのだとお聞きしました」
「タビィも多感な年頃だ。ハーフムーンに加え、歳も離れていない同種のニャスパーが近くにいた方が、なにかと都合がつくと思ってな」
「は……はぁ」
 王からのこの上ない抜擢に、いまだ実感の湧かないポーシャがうわの空で相槌を打つ。タビィ王子の護衛を任された。身分の高いポケモンにお仕えすることこそが素晴らしいと薫陶(くんとう)されてきたポーシャにとって、それは至上の喜びであった。だからこそ、不意に転がり込んできた幸運に現実感が持てないものだった。
 おぼつかないポーシャを見据えたリンクス王が、玉座から立ち上がりタビィ王子と同じ身振りでマントを翻す。
「予はタビィとポーシャとで話がしたい。ドラネ、衛兵を連れて外れないか。シャトルももう寝なさい」
「あいあいにゃー」
 ドラネが気の抜けた返事をして、リンクス王の脇で待機していた守衛たちに向かって目を細める。のっそりと身を回すと、今しがた入ってきた扉を変わらぬ足取りで出ていった。シャトルと呼ばれた従者のハネッコが、ふんわりと跳ねながら守衛たちの後を追う。扉の影で振り返ると王に向かって恭しく一礼して、妖精の風を吹かせて扉を閉めた。
 衛兵たちへ陽気に話しかけるドラネの声が遠ざかっていくのを待って、ポーシャはリンクス王に向き直った。タビィ王子に血を渡したと分かるような凛としたまなざし、街の画廊で見かけた肖像画と寸分違わない荘厳な姿に、ポーシャは背筋をぴんと伸ばして生唾を飲み込んだ。
 そこから放たれた一言は、ポーシャをさらに硬直させることになる。全く異なる意味合いで。
「うーっ、かたっ苦しいの疲れるぅ!」
「!?」
 のびのびとした声が、謁見の大広間に木霊(こだま)した。間の抜けた音がリンクス王の口から放たれたとはとても思えず、ポーシャは切歯を覗かせたままの口を閉じられない。
 隣のタビィ王子をぎこちなく見ると、また始まった、とでも言いたげに額に手を当てて首を振っている。初めて手合せしたドラネ隊長に自分の念力が全く効かなかったときよりも、ポーシャは現状が理解できていなかった。
 そんなポーシャの心うちなど気に掛ける素振りもなく、玉座の座面へ王冠をぽんと投げたリンクス王が、凝った肩をほぐすように背中を反らしていた。
「いやねー、王様ってけっこー疲れるんだ。ボクはどーにも性に合わなくてねぇ、こーして息抜きしないと参っちゃうんだよ」
「え……いや、あの、え……?」
 ともすればポーシャよりも幼い口調で気さくに喋るリンクス王。ぽんと肩に置かれた手にポーシャが振り向くと、タビィ王子が「……失望したかい?」と申し訳なさそうに目をそらしていた。知ってはいけない秘密を覗き見た気がして、ポーシャはたじろいだ。あの、威厳たっぷりの王様が、こんなお茶目なポケモンだったなんて。
 訳も分からず固まっているポーシャに「リラックスリラックス!」と近づいてきたリンクス王が頭をもふもふと叩く。王の手から伝わる衝撃を、ポーシャは全身で受け止めていた。
 ……何という、軽さ。
 宮殿広場から遠くに見た、リンクス王の威信あふれるお姿。王子の護衛を提言してくださった深みのあるお言葉。鮮やかなそれら記憶が、ポーシャにはまるで演劇の一幕を観させられていたかのようで。
「あの、その……思っていたよりも親しみやすいというか、フレンドリーというか……」
「まぁね。でもしょーがないでしょー、これが本来のボクの喋り方なんだもん。そもそもボクたちの種族は、猫をかぶるのが得意らしいんだ。ニャスパーもニャオニクスも、"自制"や"抑制"って言葉がよく似合うでしょ? そうだねキミも、タビィと話すときくらいは、『わたし』って言うようにしてみたらどうかな。案外サマになるかもよ? ほら、なんだかデキる騎士っぽいし」
「は……はあ……」
「ところでポーシャ君、キミの出身は?」
 溜まっていた鬱憤を吐き出すよう、リンクス王はよくお喋りになられた。頭を撫でられる王のお手をやんわりと避けて、ポーシャはたじたじになりながらも言葉をつむぐ。
「え……えっと、砂の大陸の生まれなのですが、正確な記憶がなくて……。周遊中だったジットク卿に拾われてから、彼の下で召使いをしておりました。名前もジットク卿にいただいたもので、当時持っていた物といえばこれくらいで……」
 言いながら、ポーシャは首回りのモフ毛をまさぐった。パーマがかった体毛にしっかりと絡められた硬いそれを爪先でほじり出す。握られていたのは、どこにでも落ちていそうな石の欠片。半球状のそれを肉球に乗せてリンクス王に見せる。
「拾われたとき、これを大事そうに持っていたらしいのです。僕のお守りみたいなもので」
「へぇ!」
 薄汚れた石の欠片をしげしげと眺めて、リンクス王は目を輝かせた。無邪気な少年のような驚きの裏に、一瞬だけ王の鋭さがかすめたような気がして、ポーシャはまじまじと彼を見返してしまう。
 身に染みついてしまった威厳を煙たがるように、リンクス王はいたいけな声を上げた。
「そういえばボクも近いうちにジットク侯爵と会うんだったよ、久しぶりだなぁ! お茶菓子は何が好きだったっけ、たしか良い紅茶を買い付けたばかりだったかな」
「え……ぇえと……ジットク卿はムーランドですので、においのきつすぎるものはちょっと……」
 それからリンクス王と何を話したか、ポーシャはほとんど覚えていない。気を抜けば王に対して身分違いの言葉を使ってしまいそうで、それどころではなかったのだ。万が一無礼を働いてしまっても、リンクス王は気さくに笑って許してくださるのだろうけれど。
 とりとめのないおしゃべりは緊張の連続で、時間もそれほど長くなかったにもかかわらずポーシャは摩耗しきっていた。おくびにも表情には出さなかったが。
「久しぶりに同じ種族のキミと話せてよかったよ、この国にニャスパー族はボクたち以外に住んでいないみたいでね。なんだか昔のボク自身を見ているみたいでさ、楽しかった! ボクもう眠くなっちゃったから寝るね、おやすみ!」
「……っはい、おやすみ……なさいませ」
 玉座の王冠をサイコキネシスで持ち上げると、リンクス王はそれをゆったりと頭に被る。途端、目つきが変わった。王の風格を取り戻した彼は、何事もなかったかのようにマントを翻し、重い扉を念力で開いて謁見の間を後にした。
 猫、かぶってる。後ろ手を挙げて砕けた挨拶を送られたポーシャは、王の去った扉の隙間へ向けてぼんやりと敬礼を続けていた。



 謁見の間を後にして、ポーシャはおぼつかない足取りで冷たい廊下に這い出した。リンクス王から直々に王子の護衛を任されたという事実が、まだ実感として湧いてこない。――それからの王の豹変っぷりも。
 念力で扉を閉めたタビィ王子が、申し訳なさそうに訊ねてくる。
「すまない、ポーシャを失望させるつもりはなかったのだが……。父上は、気を許した相手にはすぐにああなのだ。むしろ認められた印として受け取ってもらえれば有り難いが……それには少し都合が良すぎるか」
「あとから付けられた威厳でも、リンクス王が賢王であることに変わりありません。それに、国民を正しく導けるよう猫をかぶっているのも、とても名誉あることですよ、うん、うん」
 すっかり熱の引いた夜の廊下をよたよたと歩きながら、ポーシャは自分に言い聞かせるように何度もうなずいていた。
 自室へタビィ王子を送り届ける途中、ドラネ隊長と合流する。「その様子だと……王の幼児退行趣味を知ってしまったんだにゃ、かわいそうに」とからかう彼女に、ポーシャは忘れようとしていた王のお戯れを思い出してゲンナリした。
 謁見の間ほどではないものの、複雑な彫刻の施された豪勢な扉。タビィ王子の寝間へたどり着くと、畏まるポーシャを振り返った王子がその場で思いついたように言う。
「頼みをひとつ、聞いてもらってもいいだろうか」
「もちろんです。……改まって何でしょう?」
「今晩だけ、同じ寝台で過ごしてもらいたい」
「……へ?」
 なんだろうかと身構えたポーシャは、王子のあまりに子供らしいお願いに気の抜けた返事を漏らしていた。しかしすぐに思い改まって、タビィ王子に詰め寄った。広い廊下に声を響かせないよう小さく叫ぶ。
「リンクス王だけでなく王子もなのですか! 身分の低い僕――わたしが王子であるあなたと同じ部屋で、ましてや同じベッドで寝るなんて、至っておこがましいことですっ!」
「……すまない、冗談だ。忘れてくれ。いやなに、つい先刻まで宴会のさなかにいたせいか、急に寂しくなってしまってな」
「いえ……あの、こちらこそ取り乱してしまいました……ごめんなさい」
「いや、いいんだ。では明日(あす)からも立派な騎士になれるよう、ともに精進しよう」
 しおらしく垂れるポーシャの腕をとって、タビィ王子は固い握手をする。瞳の奥で微かにうかがえた寂しそうな気配は、ポーシャが不思議に思う間もなく掻き消えていた。いつもの凛とした顔つきで振起してくれた王子に、ポーシャはさらに畏まる。叙任式のときよりも体がぐっと近づいて、王子の付けている香水だろうか、ポーシャの鼻をラベンダーの香りが通り過ぎた。
「いろいろあって疲れたろう。確かポーシャの家は遠かったな、今宵は城でゆっくりと休息を取るといい。ドラネ、案内を頼む。……ポーシャ、おやすみ」
「おやすみなさいませ。……必ずや王子をお護りするのにふさわしい騎士になってみせます!」
 きらびやかな扉をくぐって、タビィ王子が見えなくなる。ポーシャは緊張を解くと、胸の前でぎゅっと手を握り込み、決意を心に確かめた。と、前脚の肉球に残る温かさ。その余韻を確かめるように、ポーシャは指先を握ったり放したりを繰り返す。
 ――あれ、王子に触れるのはこれが初めてだ。
 探窟部隊に所属してからひと月経つが、思い返してみてもタビィ王子と体を触れ合わせたことはなかった。先ほどの祝宴のように王子を交えた探窟部隊の会食はいくらか開かれてきたものの、隣の席に座ったためしはない。触れたところから再度、香水のにおいが鼻をかすめる。
 そういえば、リンクス王は『ボクたちの種族は、猫をかぶるのが得意だ』とおっしゃられていた。もしかしたらタビィ王子も、自分たちの前では品格溢れる態度を取っているけれど、夜寝るときくらいは寂しくて枕を濡らしているのかもしれない。だから一緒に寝てくれ、なんて王子らしくもないお願いをしたのだろうか。
「はいはい、王子を護る騎士がぼーっとするにゃよ、そんにゃんじゃ邪気にすぐに倒されちゃうにゃ。おみゃーを部屋まで案内してやるから、ついて来にゃ」
 待ちくたびれたドラネが、眠そうに尻尾の先でポーシャを促した。歩きながらも不思議そうに手をにぎにぎする彼をからかうよう、ドラネは声を弾ませる。
「王子のにおい、そんなに魅力的かにゃ? ……お気に入りなら、一緒に寝てあげれば良かったんだにゃ。ベッドで気に入られればポーシャも王族の仲間入りだったのに。『わたし』なんて言って、そっちの()があるのに惜しいことしたにゃー」
「……変なこと言わないでくださいよ、僕もタビィ王子も男色なんかじゃありません。それに『わたし』って言うのは、そうするよう陛下に勧められたからです。ともに寝ないかと誘ってくださったタビィ王子は……、僕なんかが王子に触れるだけでも身分不相応なことなのに、地位も分け隔てなく接してくださる心の澄んだポケモンです!」
「ふぅん、そんなこと思ってたのにゃー?」
 新しい玩具を与えられた子猫のような声音で、先を歩いていたドラネが聞き返す。ポーシャに尻尾で横並びになるよう指示すると、周囲の闇に目を光らせながら、彼の折りたたまれた耳元に囁いた。
「ひとつイイコトを教えてあげよう。アイルーロス家は呪われてるんだにゃ」
「の……呪われているって、どういうことですか?」
 ポーシャは脚を止めてたまらず訊き返した。彼の反応に満足したように、ドラネの口調は少し賑やかになる。揺れる彼女の尻尾に合わせて、風もないのにシャンデリアの炎が揺らぐ。
「第1王子は流行り病で床に伏し、第2王子は奴隷商にさらわれた。王妃も若くして急逝し、王女も事故死したり山賊に襲われたりで行方不明。王位を継ぐのは雄のニャオニクスだけだから、父上の血を継ぐ第3王子のタビィが最後の頼みってワケ。んで、国内にダンジョンが頻発しているのは、死んだ王族が寂しさを紛らわすために国民を(さら)っているからだって、もっぱらの噂になっている。兄上も姉上も生前はみんな高潔で真面目くさった奴だったけど、死んだらにゃんとも迷惑極まりにゃい。タビィも今は誠実そうに見えるけど、王座に就いたら化け猫の皮を剥いで本性を現すかもしれにゃいのにゃ!」
「そ、そんなまさか……。王族の死も、不幸が偶然重なっただけでしょう?」
「さあ、どーだかにゃあ?」
 さり、さり、赤絨毯をひっかくドラネの細い爪音が再び廊下に響き始める。急に気温が下がったような気がして、ポーシャは背筋を震わせ脚を速めた。全身の毛が少しだけピンと張って、いつの間にか髭のように尖っていた。
「それはそうとまあ、着いたにゃ。ここがアタシの部屋。街にもお屋敷はあるけど、こっちの方が落ち着くんだにゃー」
「え、あれ、空き部屋に案内してくれるんじゃ……」
「いいから入る入る」
 丸い頭で半ば強引に背中を押され、ポーシャは四足歩行用の押し扉をくぐらされた。つんのめるように進み出た部屋は、一言で表すなら狭かった。
 縦に長いドラネの部屋、奥にはアンティーク調の木机が嵌めるように作り付けられている。机の上は散らかっており、簡素な文字しか読めないポーシャには難解な本が開いたまま数冊重ねられている。その横に無造作に置かれた三又の燭台が、ポーシャの右手に据え置かれた簡素な藁のベッドをうっすらと浮かび上がらせていた。
 空間を圧迫する最たる要因は、ポーシャの左手側にあった。部屋の長いほうの1辺には天井まで届く本棚が、端から端まですっぽりと収まっている。まばらに並べられている本はどれも帝王学や迷宮(ダンジョン)学に関するものばかり。それらは王族であり探窟部隊の隊長でもあるドラネが愛読するにはふさわしいものだったが、あまりにも窮屈すぎるこの部屋自体が彼女には不釣り合いのようで。今にも倒れてきそうな棚にポーシャは圧倒されながらも、いくつか揃えられた埃ひとつない本をしげしげと眺めていた。
「アタシは狭いとこが好きにゃんでね、猫の額くらいの広さで十分なんだにゃ」
 ポーシャの疑問を先取りするように、背後でドアに鍵をかけたドラネが言う。ポーシャが振り返って見た彼女は、先ほどよりも強い好奇の色を目に宿して、彼を舐め回すように眺めていた。王家の呪いの話を聞いたときとは異質の不気味さに、ポーシャは1歩後ずさりする。
「それよりも……なぜ僕を部屋へ招いてくださったんです? 呪いよりも他のポケモンに聞かれてはまずい話が……?」
「そうと言えばそうだし、そうじゃにゃいと言えばそうじゃにゃいけど……。おみゃーはちょっと身分ってモノを重く考えすぎなんだにゃ。そんなんじゃいざってとき窮地からタビィを抱えて助け出したりとかできにゃいだろ?」
「ぼ、僕はジットク卿の元でそう育てられてきたんです、今さらどうしようも」
「そうか……にゃら」
 ポーシャの横に並んで座っていたドラネが、彼の死角から尻尾を回す。(つる)の鞭を捌くように尾先でポーシャの体を絡めとると、尻尾のつけ根からしならせるように投げ捨てた。
「な――ぅみゃ!?」
 空中で体勢を立て直すこともままならず、ポーシャは背中からベッドへと落とされる。ばふっ、と藁をくるんだ薄いシーツが衝撃に膨らみ、ほつれた穴から中身がいくらか巻き上がった。組み木に頭を打ち付け軽い脳震盪(しんとう)を起こしたポーシャの視界で、ご機嫌に丸い頬を揺らすドラネがゆっくりと近づいてくる。
「こう見えてアタシもいっぱしの王族だからにゃ。アタシが寵愛して、おみゃーの身分を高くしてやるにゃ。それなら王子にも抵抗にゃくなるだろ?」
 ドラネの言葉がすぐに理解できず、ぐわんぐわん揺れる頭でポーシャはおぼろげに考えていた。王子に抵抗がなくなる……? 王子と騎士の身分を取り払い、同じ種族で年も近いタビィと気後れせずに話すことができたなら、確かに楽しいかもしれない。そのためには自分がドラネにちょーあいされて……寵愛? 愛を(めぐ)まれる? ベッドで?
 それってつまり、つまり……! すぐそばまで近づいていた危機を察知したポーシャが全身を総毛立たせ、つぶらな瞳をさらに丸くしてたじろいだ。後ろ手で掴んだシーツが激しく皺を寄せる。
「や――やめてくださいッ、僕はまだ――」
「"わたし"だろ」
「ふ、ふみゃっ?」
 動転して変な声を漏らしたポーシャに、普段の猫なで声を押し殺した低い音でドラネが迫る。水面に立つような静けさで彼のすぐ脇に飛び乗ると、這って逃げようとするポーシャの背中を捕まえひっくり返した。起き上ろうともがくポーシャを見下ろす眼は、小動物をつついて虐める子猫のそれで。
 睨まれたポーシャはほとんど動くこともままならなかった。猫をかぶっていたのは、どうやらタビィ王子ではなくドラネ隊長の方だったらしい。捉えどころのない彼女が実はこれほどサディスティックだったなんて、考え付くものか。ポーシャは心の中で毒づくも、今更そう気付いたところでもう手の施しようはない。
「さっき父上に教わったじゃにゃいか、自分のことは"僕"じゃなくて"わたし"って言うもんにゃんだって。王様の言いつけを守れないのかにゃ?」
「いえっ、そんなことはっ、でも」
「いいから黙りな」
「み゛ゃっ」
 ドラネの押さえつける力が、にわかに強くなる。じっとりと押しつぶすようにポーシャへと掛けられる体重、至近距離に寄せられた彼女の髭袋から漏れる熱い吐息が、強張るポーシャの頬毛をくすぐった。息がつまる。これほどまで近くに当てられたことのない、成熟した雌の香り。タビィ王子に触れられたときに感じたラベンダーのにおいが、さっと鼻孔を通り抜けていった、気がした。
「隊長として、王族としての命令だ。"わたし"で喘げ」
「あえ、ぐ、って何を」
「声を抑えるなってコトだにゃ」
「はみゃア!?」
 半強制的に熱を持たされたポーシャの下半身へと這わされる、ざらついた舌の感覚。何が何だかわからなかった。これは悪い夢だとか、王族であるドラネがこんなことをするはずないとか、尊敬していた先輩騎士から慰み者にされているとか。柔い刺激を享受する体とは裏腹に、心は鋭く爪を突きたてられたよう。タビィ王子に不義を働いたような気さえした。今まで培ってきた身分の高い者に対する忠誠やら信義やらが、貞操とともに粉々にされていく。荒い息は抑えられないうえに、涙まで浮かんできた。溺れ死ぬところを助けられた子猫のように何かを掴もうと手で宙を掻き、呼吸を保つのが精いっぱいだった。
「ここらにある貴賓(きひん)室はどこも同じ造りだから、空いてるとこ好きに使って寝るといいにゃ。……ま、アタシの部屋から出ていく元気が残っていればの話にゃけど」
 下腹部のモフ毛から顔を上げたドラネが、実に楽しそうにごろごろと喉を鳴らす。ポーシャの記憶は、そこから先がほとんど曖昧になっていた。


手合せと照灯持ち 


 がッ。

 空。ポーシャは硬いレンガ敷きに寝そべって、どこまでも澄み切った秋晴れの空を眺めていた。穏やかに火照り出した太陽、心が洗われるくらい透き通ったスカイブルーに浮かぶ、よく煮込んだ肉料理みたいなほろほろの雲。おいしそう。いつかオーヨウが立派なウォーグルに進化したら背中に乗せてもらう約束だったから、そのときに連れて行ってもらってお腹いっぱい食べよう。もふもふしてて、抱きついたまま寝ても気持ちいいだろうなぁ。
 そういえばオーヨウは、どうしたっけ? ついさっきまでオーヨウとにらみ合っていた気がする。まぁいいか、なんだか気持ちイイ日だし、このまま昼寝でも――
「――シャ、ポーシャ! しっかりしろ、なんで受けなかったんだよ!?」
「あ……あれ、わたし……?」
 慌てふためくオーヨウに両翼で大きく揺さぶられ、半目になっていたポーシャは意識を繋ぎ止めた。くらくらする頭に手を当てると、うっすらと血が付いた。灰色の癖毛も立ち切られている。
 王宮のバルコニーから見渡せる宮殿広場は、午前のあいだだけ騎士の練兵場として開かれている。この日はドラネ隊長が爪術訓練の指揮を執っていた。オーヨウと1対1の模擬戦をしていたポーシャは、目にも止まらぬ速さで繰り出された鳥脚の燕返しを、正面からまともに食らったようだった。が、どうにもポーシャにはその瞬間を覚えていない。がッ、と地面に打ちつけた後頭部がじんじんと痛む。
「燕返しは避けられないんだからちゃんと爪で受け止めないとだろ! というかなんかフラフラだし、気分がすぐれないなら医務室連れてくけどよ」
「だ……大丈夫、ちょっと立ちくらみしただけ。お酒飲んで千鳥足のオーヨウとわたしを一緒にしないでよね?」
「お、おう……そうか」
 オーヨウは羽を畳んで、目を細めてじっとポーシャの顔を見つめた。明らかに本調子ではない。口の端は萎れたように下がっているし、流行り病にかかったみたいに猫背になっている。そもそも万全のポーシャなら、工夫も凝らしていない真っ向からの鉤爪の一発でやられたりはしない。
 ますます眉間に皺を寄せるオーヨウに、ポーシャはおどおどとしながら控えめに訊ねる。
「ホントに大丈夫だって……それともわたしの顔に何かついてる?」
「さっきから気になってたんだけどさ……その"わたし"って言いかた、何?」
「えっ!? わたしそんなこと言って――あ」
 慌てて口をふさぐポーシャに、ついにジト目になったオーヨウが駒鳥のように跳ねて顔を近づける。縦長の瞳に迫られて、ポーシャは逃れるように後ずさりした。心当たりはひとつしかない。あの後ドラネ隊長に"わたし"を使うように強要され、それが無意識のうちに染みついていた。控えめに言って最悪だ。
 昨晩の惨事を露とも知らないオーヨウは、ひと晩見ないうちにおかしくなってしまった親友を不安そうにのぞき込む。
「俺も酔っていたからよく覚えてないけど、昨日は家に帰ってきてなかったみたいだし……なんかあったのか? 騎士デビューのつもりなら、俺と話すときくらいは"わたし"はやめてくれよ、水くさい」
「うんそう騎士デビュー、うん、そんなとこ……なんだけど、あんまし詮索しないで……ください……」
 至近距離で見つめられること数妙、どうやらオーヨウは許してくれたみたいだった。心配した様子のまま小首を傾ける。
「おぅ? そうか。まぁポーシャがいいならいいんだけどな。相談したいことがあったら、遠慮なく頼ってくれよな!」
「そうだね、ありがとう……ちょっと休んでもいい?」
 オーヨウが鷹揚(おうよう)な性格で助かった、とポーシャは安堵した。これ以上追及されていたら、騎士デビューだろうと何だろうとなりふり構わず泣きわめいていたかもしれない。親身になってくれるオーヨウには悪いが、ドラネ隊長とのあの件は墓場まで持っていくつもりだ。
 と、休憩を挟む彼らに小さな影が近づいてくる。
「ふたりとも、精を出しているな」
「おぅ、タビィ王子! おはようございまっス!」
「お、王子!? こんなところにいらっしゃって、王務はどうなされたんですか?」
 臙脂のマントを翻し、颯爽と佇むニャスパー。泥臭い練兵場に現れた高貴な雰囲気に、脱力したポーシャの背筋も自然と伸びる。
「窓の外からきみたちの闘姿が見えて、私もたまには鍛錬しなければと思ってな。曲がりなりにも私とて騎士だ。どうだろうポーシャ、私と手合せしてもらえないだろうか」
「はぃ……ぇええっ!?」
 半ば反射的に承諾しかけたポーシャが、慌てて声を裏返す。そんな彼の反応は予測できていたとばかりに、タビィ王子は毅然とした態度を崩さない。
「ニャスパー同士、闘えばなにか見えてくるものがあると思わないか?」
「それ以前にわたしとあなたは騎士と王子です! 王子の肌に爪を立てるなど、まかり間違ってもできませんからっ!!」
「では先に念力で拘束した方が勝利、というのはどうだ。これなら傷をつけずに済むだろう? さぁ、構えてくれ」
 問答無用で話を進めるタビィ王子に、しぶしぶといった形でポーシャも頷いた。確かに爪を使わずに王子を拘束すれば、無礼を働くことにはならないのかもしれない。
 エスパータイプのポケモンを相手にするときは、念力に絡めとられる前にいかに接近できるかが肝要だ。相手が念を集中させてしまえば、離れた距離から操り放題。幸いエスパー技は他のタイプのものと比較して繰り出されるタイミングが遅いので、それまでに集中力を途切らせることができれば勝ち筋が見えてくる。
 ニャスパー同士で互いに手のうちが分かっているのであれば、それをどう崩すかにかかってくる。相手の目の前で堂々と念を集中しようものなら、拘束する前に全身を引っ掻き回されるだろう。いかに隙を作って自分の念力を完成させるかが、勝負の駆け引きとなってくるだろう。
 オーヨウが「開始っ!」と叫んだ途端、ポーシャの目の前に短い猫手が飛んできた。
 あいさつ代わりの猫騙し。タビィ王子の行動を読んでいたポーシャは、ひるむことなくその手を弾く。可能な限りやんわりといなしたつもりだったが、反射的に爪を飛び出させてしまい、王子の手の甲の白い毛が数本舞った。
「うわぁっ王子、ごめんなさ――」
「あくまで戦わないつもりなのだな……ならばこちらが攻めさせてもらう!」
 ぐっと踏み込んだ王子が、ポーシャの浮いた腋を狙う。切り上げられた王子の爪をよろめきつつも(かわ)したポーシャは、後ろへ跳んで体勢を整えようと息をつく。
 が、それを見越していたように王子の逆の手が伸び、ポーシャの頬の毛をさらっていった。
 王子の脚が躍り、恐れを知らない豪傑のように迷いなくポーシャへと迫る。ひっかく猫手が怒涛に襲いかかり、ポーシャは対応を余儀なくされる。避け続ければスタミナを切らすのは明らかにポーシャが先だし、応戦を試みればタビィ王子に傷をつけかねない。相手の単調なステップは次の爪の軌道を予測しやすく隙を作りやすいのだが、それをタビィ王子はあえてやっているのだと、ポーシャはすぐに察知した。
 試されているんだ、王子に反撃できるかどうかを。
 ポーシャがそう理解したのを悟ったように、タビィ王子は決して崩さない凛とした目元をわずかに細めた。ポーシャにだけ見せた、不敵な笑み。どきり、ポーシャの心臓が高鳴った。ゆくゆくはタビィ王子の護衛を任されお傍にお仕えする身としては、王子の期待には全力で応えなければ。
 突き出された掌底を、左脚を軸に体を捻って避けたポーシャは、そのまま流れるような動きでひっこめられる王子の腕に手を添えた。体重を後ろへと戻せない王子を背に引き乗せ、腰を弾いてその体を真上に投げ上げた。背中の被毛越しに覚える、柔らかい腹の感触。
「なぁっ!?」
「王子、ごめんな……さいッ!」
 もらった。
 体重が背中からふっと離れるとすぐ、ポーシャは念力を集中させる。不安定な体勢で空中へと放り出されたタビィ王子よりも早く、相手を束縛できる強さのエネルギーを蓄えた。
 いざ捕縛しようと空を仰いだポーシャが、う、と声を漏らす。目がくらむ。自由落下を始めたタビィ王子のはためくマントが、背景に浮かびあがった太陽の輝きを激しくフラッシュさせていた。
 その一瞬が、言葉通り明暗を分けた。ポーシャの双眸が捕捉対象を認めたときにはもう、逆光に(かげ)る王子の丸い耳がふわりと浮かび、その裏に隠れていたリング状の発念器官はすでに煌々(こうこう)と輝いていて。
 しまった、とポーシャが歯噛みするが、念力の掛け合いにおいてそれはもう敗北と同意義で。念で足元をすくわれたポーシャは、華麗に着地した王子と入れ替わるように宙へ浮かべられていた。念糸のほつれを探そうにも、膜のように緻密な王子の拘束に破けそうなところなど見当たらない。勝負はついていた。
「どうやら私の勝ちのようだな。だがポーシャ、きみが私の期待に応じてくれたこと、嬉しく思うよ」
 逆さ吊りにされ放心していたポーシャは、しっかりと地に脚が着いてから解放された。乱れた毛並みを簡単に整えてくれるタビィ王子から、昨晩も鼻にしたラベンダーの香りが漂ってくる。
 未だぼんやりとするポーシャに、横から声が掛けられた。
「はいはいそこまでー」
「ああ、そういえば審判ありがとうオーヨウ……ってど、どどドラネ隊長っ!?」
「どうしたのかにゃポーシャ君、王子相手に見事な闘いっぷりだったにゃよ? 見たところあんまり体調優れてにゃいみたいだけど。……ははーん、さては昨日よく寝れなかったかにゃ?」
 含みを持たせて言うドラネ隊長が、いつの間にかすぐ側まで迫っていて。
 反射的に背中の毛を逆立てたポーシャは、きょとんと首をかしげるオーヨウの背中によじ登っていた。
 昨日の夜。そういう経験がないポーシャを、ドラネが気遣ってくれるはずもなく。彼女の一方的な凌辱は続き、気づくとポーシャは満足したドラネの尻尾で藁のベッドからつまみ出されていた。憔悴しきった顔を何とか持ち上げると、早くもドラネの太いいびきが聞こえてくる。ポーシャはなんとか隣の空き部屋まで這って逃げ、真新しい寝具に体を丸めた。
 独りになったところで眠れるはずもなかった。さんざん苛め抜かれ、股の辺りは内側からじんじんと痛む。閉じられない目からは絞ったように涙があふれてくる。震える上唇を噛んでなんとか平静を保っていた。いつの間にか外も明るくなっていた。
 落ち着いてきたところで、ドラネが起きてくるよりも早く部屋を抜け出した。水場で汚れをそぎ落とし、どうにか気持ちを切り替えて朝練に出る。むしろほとんど寝れていないにもかかわらず、王子との手合せまで気を保っていた自分を褒めてやりたいくらいだった。
 そんなポーシャの内心を知ってか知らずか、ドラネはにやけた視線でポーシャたちを舐め回す。
「罰として今夜はふたりで照灯持ち(ファロティエ)にゃ。アタシの代わりにしっかり夜警して、へこたれない雄になるように」
「おうっ!? ドラネ隊長、俺はちゃんと元気っス!」
「ポーシャとひとつ屋根の下に住んでるんだろ? 連帯せきにーん」
「いや意味わかんないっスよ!?」
「いま訓練サボってたのは事実でしょうが。ホレ、つべこべ言わないで頑張ってくるんにゃよ」
 羽をばたつかせてオーヨウは抗議するも、ドラネは取り付く島もない。上機嫌に尻尾を揺らしながら、隣で汗を流すマニューラの様子を見に遠ざかっていった。怪訝そうに眉を顰めるタビィ王子に、ポーシャは震えながら「大丈夫ですから、何でもないですからっ」と愛想笑いを浮かべることしかできなかった。



 不揃いな大きさの丸石で敷き詰められた石畳の大通りには、小舟なら往来できるほどの水路が中央に走っている。レンガ造りの家々は、臙脂や橙、こげ茶で急勾配な屋根がでこぼこに軒を連ねていた。屋根裏の窓に掛けられた(つる)植物のプランター、軒先の大樽に乗せられたランタンからはすでに炎が消されていて。路面にも水上にも昼間は多くのポケモンたちで賑わっていたが、陽が落ちてしまえばしんと静まり返っていた。小運河を淀みなく流れる水の音が、しゃらしゃらとポーシャたちを包み込んでいる。縦に長い教会の白い壁にタイルで描かれた何世代か前のニャオニクスの王様の絵が、月明かりに照らされて静かに輝いていた。
 澄みきった夜のにおいに、燃える油臭さが鼻を突く。
「俺さ~、トリ目で暗いと全然見えないんだけどぉ~」
「……連帯責任だってば。文句言わずに警備して、置いてくよ。わた――僕だって眠いんだ」
 油で火を灯した大型の角灯を浮かせて歩くポーシャは、後ろを振り返りもせずに言った。彼の後をてとてとと付いてくるオーヨウは、さっきから手持ち無沙汰に目地の漆喰を鉤爪でほじっている。飾り羽をしきりに撫でつけているのは、すっかり酔いの回っている証拠だった。
 ポーシャはウホイの操超訓練のあと、オーヨウはハーフムーンの操翼術で汗を流してから、午後は城郭を出て郊外の簡易なダンジョンで実践演習を積んだ。出現する邪気は強くないが、爪で裂けば血を流すし悲鳴を上げる。迷宮探窟は体力より精神的に摩耗するのだ。夕食を挟んだとはいえヘトヘトの彼らへ罰として与えられた夜間警備に、ふたりはすっかり辟易していた。ドラネから割り当てられた区域は閑静な住居街。夜行性のポケモンたちが夜な夜な集う歓楽街は先輩のライシが受け持っていて、そのような犯罪率の高い地区と比べてしまえば、ふたりの任された居住区は安全すぎた。だからこそやる気が出ないというもの。
 餌を待つひな鳥のように嘴を大きく開けて、ふわ~ぁ、とオーヨウは気の抜けた欠伸を漏らす。
「ポーシャぁ~、夕餉に出してきた残り物の猫まんま(リゾット)、ちょっと味しなかったぞぉ? 転がり込んできて1ヶ月だろ、そろそろウチのキッチンにも慣れろよ~」
「コショウは高いんだから、そんなドバドバ使えるわけないでしょ。料理も全然手伝ってくれないくせにワインはがぶがぶ飲んで、すっかり千鳥足じゃないか」
「居候が文句言うなよぉ。……ワインは美味かったな~、ありゃ南部産だろうな、実家の味とそっくりだった……」
 小声でたわいない話を交わしながら、ポーシャたちは指定された経路を巡回する。明かりの消えた宿屋の前を通り、品出し前の露店の角を曲がって、ふたりは路地へと入っていく。階段を上り坂を下って、ぼやけた照灯はふらふらと街中を彷徨った。
 大通りの交差点に差し掛かったところで、ポーシャが足を止めた。
「1周回ってきたけど……やっぱり何もなかったな。平和が一番か」
「それでぇ、ポーシャくんはぁ、好きなひととか! ……いないんですかぁ~?」
「……あのさぁ」
 いい加減にしてよ! とポーシャが怒ろうと後ろを向くと、城の方角からまっすぐ夜空を飛んでくる影が見えた。ぐんぐん近づいてくるそれは、ポーシャもよく見知ったポケモンで。その場でキッと敬礼すると、青と赤のボディカラーが見えるところまで迫っていた巨体が、細めた片目をギロリと光らせる。翼音をほとんど立てずオーヨウの背後に着陸すると、風圧に振り返った彼を鋭くねめつけた。
「んん~、こんな時間に誰ですかぁ~?」
「ふん、随分と張り切っているようだなオーヨウ。昼の飛行訓練では見られん脚さばきだ。そのまま夜が明けるまで警備するか?」
「……ハーフムーン副隊長、すみませんでしたっスうううう!!」
 頭上から睨みを利かすボーマンダ。一気に酔いを醒ましたオーヨウが、嘴を地面に突き立てる勢いでひれ伏した。
 オーヨウの平謝りが始まった横で、ハーフムーンの背中からひょっこりと小さな影が身を乗り出した。マントを翻し颯爽と降り立つと、タビィ王子はポーシャに柔和な笑顔を向ける。
「照灯持ちご苦労さま。ドラネが勝手に決めたことなのに済まないな」
「お、王子まで……いったい何があったのです?」
 眉を曇らせ、王子が言う。少し厄介なことが起こった、とでも言いたげに開く口が重い。地図を開いて、ぼやけた角灯の明かりに晒す。
「歓楽街を巡回していたライシから連絡が入った。こちらの住居街へ"変態"が逃走したらしい」
「……変態、ですか」
「被害に遭ったオニゴーリの女性から得られた証言によると、"体高は15インチで2等身ほど、強烈な光とともに羽織っていたマントのようなものを脱ぎ捨て『自分の遺伝子を貰ってくれ』と迫られた"そうだ」
「そ……それは変態ですね」
「これでは童子や婦人が安心して眠れない。早急に解決せねばな」
「っはい!」
 空から捜索することになったオーヨウは、ハーフムーンとともに冷たい夜空へと舞い上がる。残されたポーシャは、敬礼しながら変態とはどんな奴なのか考えていた。
 15インチほど、2等身、まばゆい閃光、マントのようなもの……。
 そこまで来て、ポーシャは凛と見送るタビィ王子の横顔を見ていた。
 平均的なニャスパーよりも少し背の高いタビィ王子の身長は15インチ近くある。日常的に衣服を身に着けているのは彼だけであろうし、そういえばだいたい2等身だ。
 ……いやいやいや、まさかそんな……ねぇ?
 一瞬でもタビィ王子に疑いの目を向けてしまった思考を、ポーシャは苦笑いで押し流していた。
「あのぅ」
 と、背後から不意にかけられた、少しかすれた声。ポーシャとタビィ王子が振り返ると、紫のつぼみに包まれたチェリムが、おどおどした様子で頭頂の触角を揺らしている。
「ふえぇ……騎士のおねえさん、こんな夜おそくにどうしたの? もしかして……なにかわるい事件が起こったの?」
 一瞬面食らったようだが、話しかけられたタビィ王子はすぐによどみなく受け応えてあげていた。口角もこころなしか優しく持ち上がっているようだ。
「心配しないで大丈夫だ。私たちはね、みんなが眠ったあと、こうしてみんなのお家を見て回っているんだ。わるい事件が起きないように、ね。お嬢ちゃんこそ、どうしたんだい? こんな時間に外を出歩いちゃ、パパやママに叱られてしまうよ?」
 夜道に迷ったチェリムの少女が怯えないような、角の取れた柔らかな言葉でタビィ王子は受け答える。性別を間違えられていても指摘しない優しさ。これも言いようによっては猫を被っていることになるのかもしれない、とポーシャは感心していた。さすがはタビィ王子だ。身長こそ等しいものの顔が低い位置にあるチェリムと話すときは、腰をかがめて目線を合わせている。
「帰り道がわからくなってしまったのなら、私が送ってあげよう。怖いようなことがあったら遠慮なく言ってくれ」
「ふえぇぇぇぇ、ありがとう騎士のおねえさんっ、それじゃあ、ひとつだけおねがいがあるんだけど……」
「なにかな、言ってごらん」
 温和な笑みを浮かべる王子の目の前で、ぽん! と軽い音とともに目のくらむフラッシュが走った。
 閃光に順応が間に合わない目をこすり、ポーシャはすぐにチェリムの影を追う。迂闊だった。チェリムが幼い口調だったせいでまったく警戒していなかった。そもそも進化している時点で少女ではないのだ。王子が夜の街を出歩いているとの噂を聞いて、そこを狙わないひと(さら)いがどこにいる? 偶然にもリンクス王からタビィ王子の護衛を任せようとの計らいを受けてから数日と経っていないのに、こんなことでは騎士失格だ。
 ポーシャよりも至近距離で光を浴びたタビィ王子はまだ回復していないようで、マントを翻し目を庇っている。仕掛けられる次の攻撃を受け止めようと前へ躍り出たポーシャが耳にしたのは、全く予期できないチェリムの台詞だった。
「ふへへ……じゃあオレっちの遺伝子、貰っちまってくれよォ……!」
 闇夜に打ち上げられた太陽を舞台照明に、紫のマントを脱ぎ捨て開花したチェリムが気色悪く笑っていた。これ以上ないというほど顔を紅潮させ、半開きになった口からよだれが流れるのも気に掛けず、全力疾走したような荒い息を繰り返している。差し出された汗まみれの手のひらには、彼のモノと思われる花粉の塊が、まるで恥垢を固めたような異臭を周囲にまき散らしていて。
「へ…………ヘンタイだあぁぁあぁあ!!」
 ポーシャの絶叫が、閑静な住居街に鳴り響いた。



「――ってよォく見たらてめぇ王子じゃねぇか! 上玉の小町娘かと思ったんだけどよぉ……オレっちに男趣味は無いもんでな、あばよ!」
「ま…………まっままま待てー!」
 びゅん! と逃げ足ミミロルの如くトンズラしたチェリムを追いかけて、ポーシャは夜の街を疾駆した。角を曲がり裏路地を縫い、念力の網で相手を絡めとろうとするも、すんでのところで捕り損なう。幸か不幸か奴の真上には常に明るい光源が付きまとっていて見失うことはない。逃げる照灯を追いかけるように、ポーシャは夜の街を再び右往左往することになった。
 びっちりと両脇に家が立ち並ぶ、緩やかなカーブを描いた裏通りに差し掛かる。一見すると森のように植物が軒先に生い茂る家、蔓の絡んだその扉を乱雑に押し開くと、チェリムは奥の暗がりへと一目散に飛び込んでいった。
「追い詰めたぞ、まて待てぇぇぇえ!」
「おまえが待て」
「うみゃ!?」
 チェリムを追いかけ開け放たれた扉へ飛びこもうとしたところ、ポーシャは背中をあえなく摘み上げられた。首だけで振り返ると、彼の首の皮を咥えたボーマンダのしたたかな目と合った。生ぬるい竜の吐息を背中全面に浴びながら、ポーシャは「……はい」と返すのが精いっぱいだった。
「王子を夜道へ置き去りにするとはどういう了見だ」
「……すみません副隊長、わたしのするべきことを見失っていました」
 ぐるる、と低く喉を鳴らすハーフムーン。その隻眼から放たれる権幕に、解放されたポーシャは縮こまる。今にも噛みつきそうな彼の背中からひょいと身を乗り出したタビィ王子が、そっと助け舟を出してくれた。
「私は何も実害を受けなかったぞムーン。彼も悪くないんだ、それでいいではないか」
「タビィ様がそうおっしゃるのなら仕方あるまい……。ポーシャ、チェリムの逃げた花屋の奥を見ろ」
「奥……ですか?」
 蔦の絡まった鎧戸の商店は、どうやら小ぢんまりとした花屋だったらしい。言われるままポーシャが奥の暗がりに目を細めると、咲き乱れる花々の間が何やら歪んで見える。大鍋をゆっくりとかき混ぜるように、そこは空間ごと渦巻いていて。
 ポーシャも幾度か目にしてきた、邪気たちの温床であるダンジョンの入り口だった。
「……まさか、こんな街のど真ん中に?」
「ふん、まだ報告されておらん未知のダンジョンだな。タビィ様に尾籠(びろう)な行いをしでかしたあ奴は、この奥に逃げ込んだのだろうよ。ジオアース、いるか」
「肯」
 電子的な短音とともに、ハーフムーンの隣に巨大な土偶が現れる。今の今まで寝ていたらしく、8つある目のうち6個は閉じたままだった。ぱち、ぱち、ぱちぱちぱち、と2進数のように瞳が開閉し、数度繰り返したのちにいつもの表情に切り替わる。
「シロマユとハッグを連れてこい。ハッグは起きんなら叩き出しても構わん。探窟鞄も忘れんようにな」
「承」
 ネンドールは短く発声すると、次の瞬間には消えていた。数秒と経たず定位置に出現すると、念力から解放された鞄がどさどさ、と石畳に落ちる。同時に現れたニョロトノが、タビィ王子から事件の詳細を聞きに向かう。すっかり覚醒したジオアースは、冬眠するように熟睡しているキテルグマのハッグを叩き起こすべく再度テレポートで飛んでいった。
 落ちた革鞄はすぐさまポーシャが中を探り、未知のダンジョン探索に必要なアイテム――リンゴやタネ、不思議の枝と球などが揃っているか確認する。
「あります副隊長、すぐに突入できます! 仕分けも完了しました」
「ふん、ではポーシャ、おまえは……待機」
「え……でも」
 自分用の探窟鞄を手に、ポーシャは言い淀んだ。騎士として認められてからの初の大仕事に、舞い上がらないはずがない。これまではダンジョンの外で先輩騎士の帰還を心待ちにしているだけだったのだ。正式な騎士となった今、ポーシャももちろん潜入できるものだと思っていた。しかしそれもハーフムーンのひと声でお預けにされようとしているのだ。
「ハーフムーン副隊長」
「何だ」
「ぼ――わたしも、ダンジョンに潜らせてください!」
「ダメだ」
 即答だった。一縷の希望も許さないような語気に、ポーシャは後込みした。このような危急の際、ハーフムーンの判断は恐ろしいほど正確だ。過敏とまで言える危機察知能力は、騎士団の空挺部隊隊長として指揮を執ってきた時代に培われた、疑いようのないもの。てきぱきと指示を飛ばす彼に、それでもポーシャは食い下がる。
「わたしだって騎士になったです。子供扱いはもうよしてもらえませんか」
「邪気との戦闘も満足に知らんヒヨっ子を、未知のダンジョンに放り込むわけにはいかん。……ジオアースはシロマユといつものように、すぐにでも潜れ。ハッグはわしとダンジョン外で待機。タビィ様、総隊長との連絡はつきましたか――」
 タビィ王子の念話により招集された探窟部隊の隊員たちが、あまり広くない路地に次々と到着し始めていた。鞄を引っつかんでダンジョンへと飛び込んでいったニョロトノとネンドール。ポーシャと片手の肉球の数ほどしか歳の変わらないはずのオーヨウは、先輩のゼブライカと入念に突入作戦を練っているようだった。真剣に話し合うその横顔が、ポーシャにはやけに眩しく見えて。
「そんな……あんまりです、わたしは待機でオーヨウはいいなんて……」
「ならんものはならん。仲間の潜入を妬ましく思うような子供には、尚更チームを任せることはできん。仕事が欲しいなら、ふん……そうだな、城で寝ているドラネまで通達させてやらんでもないが」
 にべもなくハーフムーンに言い切られ、ポーシャの耳はいつも以上に垂れ下がった。寝起きの悪いドラネ隊長を起こそうものならその場で八つ裂きにされるのは目に見えている。それは誰の目からも明らかな、全く必要のない役割だった。
 重い足取りできびすを返すポーシャ。ひと仕事終えて帰ってくるオーヨウのために温かいスープでも作っておこう。とぼとぼと花屋を後にする彼の肩が、ハーフムーンの前にそっと押し戻された。顔を上げると、タビィ王子が誇らしげに笑っていた。
「ムーン、この件はポーシャにも協力してもらおう」
「た、タビィ様、しかし……」
「あのチェリムだって、護るべき国民であることに違いはない。一般市民がひとりで潜るのにダンジョンはあまりに危険だ、可能な限り大勢で早く突入すべきだとは、ムーンも考えているだろう? それにポーシャは私がこの手で剣を授けた、立派な騎士さ」
「っ、はいっ! 必ずやお役に立ちますので!」
 マントを翻し胸を張るタビィ王子と、キラキラ目を輝かせるポーシャ。ふたりのニャスパーへと交互に目をやって、観念したのかハーフムーンは喉の奥をぐるるる……と鳴らして息をついた。
「……タビィ様のご意向とあらば仕方あるまい。ポーシャ、おまえはライシ、オーヨウと組め」
「あ……ありがとうございますっ!」
 一部始終を見ていたオーヨウが、スキップして近づいてくるポーシャを迎え入れる。
「おぅポーシャ、副隊長に認めてもらえたか、よかったな! ……あのひとタビィ王子にだけはめっぽう弱いからな」
「うんっ! 騎士としての初仕事、がんばるぞ!」
 和気あいあいとはしゃぐふたりに、傍にいたゼブライカのライシがぶるるっ、と鼻に皺を寄せた。高い位置から静電気をピリつかされて、ポーシャもオーヨウもすっと静かになる。
「ハーフムーン副隊長ほど、わたしは甘くないからな。早く準備を整えろポーシャ、シロマユたちに遅れをとるわけにはいかない。すぐに突入するぞ」
 探窟部隊のメンバーのなかで唯一、ポーシャの叙任式後の祝宴に参加しなかったライシだ。騎士道にもっとも重きを置く彼女と打ち解けるのは、隊に配属されたポーシャがひと月経ってもなしえていないことだった。


ダンジョン:花屋敷の摩天楼 


 ダンジョンへ飛び込んだポーシャたちが目を開けると、そこには夥しい種の花が咲き乱れていた。アジサイ、カンナ、チューベローズ……一面に咲き誇る花壇は、節操がないと感じられるほどカラフルで幾重にも香りが重なり合っている。咲く季節も根を張る環境も異なる植物が共存するあたり、さすが不思議のダンジョンと言ったところ。それらが誰の手も入れられずとも整然と並び、彼ら侵入者たちを歓迎しているようだ。花に囲まれた通路は純白の敷石がどこまでも続き、石の隙間からはクローバーが無数に顔を覗かせている。外界は夜のはずであるが気温も照度も低くない。さながら巨大な庭園に迷い込んだ感覚だった。種族柄嗅覚の優れているポーシャは、マリーゴールドの生垣の近くを横切っただけで立ちくらみを起こすほどだった。
 ゼブライカのライシが鋭い眼光で振り返りつつ言う。
「貴様らに忠告しておく。まかり間違ってもわたしの脚を引っ張るなよ。万が一敵にやられでもしたら問答無用で捨て置くからな。自分の屍は自分で拾え」
「……」
「……善処するっス」
 花屋敷の中を行く3匹の間には、その場にそぐわない重苦しい空気が流れていた。先頭から響く高らかな蹄の音に、押し殺したような翼の音と軟らかい足音が続く。花の影に邪気が潜んでいないか、足元に罠は仕掛けられていないか。ダンジョン探索において気を使うべき事項はすっかり等閑視し、ふたりの足取りは先導するライシの影を踏まないよう細心の注意を払っているかのようだった。
 狭い通路を数歩先に進む騎馬騎士を横目に伺いながら、ポーシャはオーヨウに耳を貸して、と手招きする。地上へ降りたオーヨウに、極力小さな声で耳打ちした。
「ライシさんって……いつになったら僕たちのこと認めてくれるんだろうね」
「わからんな。俺なんてタイプ的に相性いいから何度も組まされるんだけど、10年以上この扱いは変わらないぜ」
「文句があるなら直接言ったらどうだ?」
 カツン! と蹄を強く打ち鳴らし、首だけで振り返ったライシの鋭い眼光がふたりを射抜いていた。蜘蛛の巣のように広がったゼブライカの下(まつげ)は、もはや悪鬼の化粧を施したよう。オーヨウは全身に鳥肌を立て、ポーシャはくせ毛が矯正されるのではないかというほどぴんと逆立てていた。
「はッ、無いなら先を急ぐぞ」
「……はいっ」
 抱き合って固まったふたりはそろそろと腕と羽を離すと、力なくライシの後を追いかけるしかなかった。
 通路を抜けた先で待ち構えていた邪気は、キマワリとマラカッチ。元々重心が高く体を支持するのが困難な種族であるが、心を失った彼らは泥酔したようにふらふらと近づいてくる。
「……はッ、花がモチーフのダンジョンなだけはあるな。電撃が通らないのなら……燃やしてくれる」
 ライシは蹄を硬い石畳に何度も打ち付け、火花を跳び散らせる。それを全身に被り炎を纏い、後ろ脚を蹴りだした。そのまま近くにいたキマワリ目がけて突貫する。得手のスピードを生かした高い突破力を誇るニトロチャージは、衝突した邪気を瞬時に煤けた太陽へと変貌させた。
「よし……俺たちも」
「うん」
 キマワリを見事に撃破したライシに向かって、マラカッチがミサイル針を打ち込む構えを見せる。間髪入れず追い風で加速したオーヨウが急接近し、乱れ突きを叩き込んだ。1発しか当たらなかったが、遅れて飛んできたポーシャのサイケ光線がマラカッチの体力を削りきった。
「ふう……何とか」
「ナイス連携、助かったぜポーシャ! どうやらこのダンジョン、言うほど難易度は高くないみたいだぜ」
 小さい手と翼でハイタッチ。振り返ると、今しがたキマワリを撃破した位置にライシの姿はない。急いであたりを見回すと、今入ってきた広い空間の反対側に白黒の縦縞が見えた。ふたりがマラカッチと格闘している間、ニトロチャージで移動速度を上昇させたライシは、落ちていたオレンの実を回収して部屋を出ていくところだった。彼らが気づくのを待っていたかのように、棘のついた声が飛んでくる。
「何をぼーっとしている? 先を急ぐぞ。先回りしたシロマユとジオアースも、どれだけあのチェリムを足止めできるか分からない。あいつらは草タイプの技に滅法弱いからな」
「あの」
「なんだ」
 駆け寄ったポーシャが、自身の4倍は身長差のあるライシの瞳をじっと見た。微動だに揺るがない視線で覗き返されると首をすくめたくなるが、ポーシャは気丈に堪えている。
「く、草タイプの邪気ばかり出現するダンジョンと判明したのなら、有利なタイプのオーヨウを前線に立たせるべきではないですか? 僕たちだってライシさんと同じ騎士なんです。少しは信用してもらわないと、チームの連携が成り立ちません」
「ポーシャ……!」
 ポーシャの背中で小さくなっていたオーヨウが声を漏らす。しかしライシはぶるるっ! と馬鼻を鳴らし、眼光をさらに強めただけだった。
「"僕"だと? 国王陛下に"わたし"を使えと命じられたのだろう」
「いえ、本当はそれ、タビィ王子と話すときだけで――」
 カツンっ!! 口答えを打ち潰すように、ライシは再び蹄を鳴らす。びくっと肩を震わせたポーシャを見据えて、よく通る声で彼女は(いなな)いた。
「わたしが背を預けてもいいと思うのは、わたしが信頼できる実力者だけだ。オーヨウ、貴様は技の威力はそれ相応だが立ち回りが悪い。敵の正面から突っ込むのは撃ち落としてくださいと言っているようなものだ。張り切りが体に現れているぞ、力を抜け。それとポーシャ、貴様は基礎の基礎から習い直せ。邪気の動きで次に何の技が飛んでくるか瞬時に判断できなければ話にならない。せいぜい強くなるんだな」
 ポーシャたちの話を聞く素振りなど全く見せず、言い切ったライシは早々に蹄を進め始める。ポーシャはしばらく動けないでいたが、唇を噛みしめたまま彼女の後を追うしかなかった。
 道中有用なアイテムを拾い、先に逃げたチェリムを追う。持ち込んだリンゴは切った半分をライシが取り、ポーシャとオーヨウはその残りを分け合った。ラピスは当然の如くライシのリングルに優先して補填されて、余ったものが後続に支給された。タビィ王子から賜ったばかりの真新しいリングルには、緑に輝く護符石(おまもり)と紫の襷石(ふんばり)しか嵌められていない。あとの5つの穴は底の鈍色を覗かせるだけだった。
 チェリムの通った形跡が見当たらず、どうやら奴の入ったダンジョンとは異なる空間に飛ばされてしまったようだ。すっかり気の抜けたオーヨウは、最後尾でだらしない飛行を維持しながらぶつくさ文句を言っている。狭い通路には両側に支柱が格子状に掛けられ、蔦植物が絡みつき紫色の花を咲かせていた。天井からも垂れ下がり、それはまるで藤棚の中を歩いているよう。
「食べ盛りの雄がリンゴ4分の1個で腹が膨れるかよ……おう? なんだかこの花、実家の葡萄みたいで旨そうだぜ……ちょっと味見してみるか。いただきま――」
「それはトリカブトと言って、花言葉は"他者嫌い"だ」
 オーヨウが「す」を言い切る寸前、ライシが振り返って威嚇するように口を挟んだ。嘴を限界まで開けて淡紫の花を丸呑みにしようとしていたオーヨウは、そのままそっと口を閉じる。
「なんか急に不味そうに見えてきたっスよ……」
「因みにトリカブトは非常に強力な毒を持っていて、毒タイプでもない限り食べた途端死ぬぞ。キュラに習っただろう鶏頭」
「おう!? なんでそっちを先に言ってくれなかったんスか、危うくあの世逝きでしたよ!」
「他の花もよく見てみろ」
 言われるまま、広い空間に出たオーヨウはあたりを見回した。フロアはいくつか跨いでいるが、花の種類や数量は入り口とさして変わっていない。きょとんと返すオーヨウに呆れたように、ライシは再度ぶるるるる……と馬鼻を鳴らして盛大なため息をついた。
「アジサイ、カンナ、チューベローズの花言葉はそれぞれ"冷酷"、"妄想"、"破滅の快楽"だ。クローバーは"復讐"、そしてマリーゴールドは"絶望"。はッ、このダンジョンを生み出したのはきっとあのチェリムだろうが、奴は心根まで腐り切っているようだな」
「ひぇ……」
 強烈な臭気に参り静かになっていたポーシャが小さく悲鳴を上げた。笑うように見守っている花々が、今に蔓を伸ばして足を絡めとろうと襲いかかってきそうで。捕まったら最後、戻って来られない心の闇の中へ閉じ込められてしまいそうだった。



「静かに」
「わみゅ!?」
 階段を進み出たところで、急にライシが立ち止まった。目の前で停止した(かかと)にぶつかったポーシャが、小さくうめき声を上げる。鼻頭をさすりながらライシの脚の間から聞き耳を立てると、奥の広場から焦燥した声が聞こえてきた。それはつまり邪気ではない何者かに遭遇したということで。
「――陥」
「ふえぇ、もうダメかと思ったよぅ……いきなり襲ってきて、こっちは何もしてないのにぃ……」
 アジサイの植え込みの陰から広間の様子を窺うと、ラウンド型の噴水前にネンドールの姿が見えた。しかしどこか様子がおかしい。浮遊したままノイズのような音を発声すると、右腕が崩れ左腕が落ち、ついには胴体が浮力をなくして噴水広場に(くずお)れた。物言わぬ土塊(つちくれ)となり果てたジオアースの目はすべてバツ印になっている。戦闘ではコスモパワーを重複し要塞と化し、敵の猛撃を前線で食い止める役割のジオアース。その彼が気絶させられたところを初めて目の当たりにして、ポーシャは思わず息を詰まらせ身を引いた。つまりそれだけ敵対者は実力があるということだ。
 山のように咲くアジサイの裏に身をかがめたライシが小さく呻いた。
「……間に合わなかったか」
「ライシ先輩、なんだかあのチェリム……変というか、どこか異様じゃないスか?」
「ああ、なんだあれは……」
 ライシの前脚の間からポーシャがもう少し身を乗り出すと、倒れたジオアースの巨体の側で動く小さなポケモンの影が見えた。地に伏すニョロトノの前で屈みこみ、その頭から生える巻き毛を紫の外套の裾ではじいて意識を確かめているチェリム。荒い呼吸を整えるマントに覆われたその背中は、近寄りがたい凶暴な雰囲気を漂わせていて。よくよく見ると、橙色の闘気のようなものが彼の体から(たぎ)り出ている。市中を追いかけていた間はそんなものはなかったはずだけど……と思案を巡らすポーシャの目と、不意に振り返ったチェリムの翳る目が合った。それは中身の腐敗したブラックチェリーのように潰れて虚ろに吊り上がっていて。
「っみゃ!?」
「だっ誰ぇ!?」
 視線がかち合った瞬間、ポーシャは雌猫のような悲鳴を上げていた。手で口をふさごうにももう手遅れ。偵察を暴露されたライシは、失態を働いたポーシャの尻を前脚で叩くようにして藪の中から進み出た。彼女が鋭すぎる眼光を飛ばすと、幽霊でも見たかのような速さでチェリムは噴水の縁石へ飛び乗った。
「貴様……我々アイルーロス騎士団探窟部隊の同胞を気絶させておいて『何もしていない』とは度胸があるな」
「ごっ、ごごごごめんなさあぁ~~~いッ!! わざとじゃないんです許してくださ――って、なんだか口調怖いけどゼブライカさんってもしかして……雌?」
「……だったらどうする?」
 一瞬の沈黙。笑いをこらえきれないようにチェリムが震えはじめ、「やあっ!」とやけに明るく叫んだ。幼女じみた掛け声とともに、頭上のヘタから光の球が高く打ち上げられる。
 小さな太陽に3匹が目をくらませているうちに、チェリムの姿が変わってゆく。
「ふへ、ふへへへへへ……よく見たらいーい雌じゃねぇかぁ! その視線たまらないね、ゾクゾクしちまうぜ! オレっちに捕まった日にゃあ涙目になりながらも気丈に睨みつけて『くッ……殺せ!』なんて言ってくれちまうんじゃねぇ? 期待しちまうぜ、女騎士さんよォ!!」
「貴様の気色悪い妄想に付き合ってやるつもりは毛頭ない。……来るぞ、気を抜くな!」
 やはり虚ろに目を釣り上げたチェリムが不敵な笑みを浮かべると、ふと風がそよいだ。瞬間、広域に舞い散らされる切れ味鋭い花吹雪。フラワーギフトで底上げされた攻撃力から放たれた花びらの大渦が、避ける間もなく3匹をまとめて飲み込んでいた。
「伏せろ!」
「うみゃ!」
「ぎゃっ!?」
 咄嗟にライシはニトロチャージを全身に纏い、切りつける花吹雪をほとんど焼き払った。反応の遅れたポーシャとオーヨウは、回避することもできずまともに技を受けてしまう。草タイプの攻撃に耐性のあるオーヨウはまだかすり傷程度で済んでいたが、ポーシャの皮下にまで食い込んだ花びらは灰色の被毛を薄紅色に染めながら抜けてゆく。
「はッ、貴様の身くらい貴様らで守れないのか!」
「うっ……ごめんなさい!」
 どうにかリフレクターを展開したポーシャに、花弁ほど犀利な罵倒が投げつけられる。絶え間ない切り傷に軽いめまいを覚えるも、なんとか探窟鞄からオレンを探り出して齧る。多くの味が含まれる木の実のはずなのに、苦味ばかりが広がった。
「貴様らはそこで(うずくま)っていろ、手柄はわたしが立てる……!」
 炎を纏ったままのライシが、叫んで花吹雪の中を駆けだした。乱れ打つ刃の礫をもろともせずに、元凶であるチェリムの元まで一直線。炎天下で破壊力の増強されたニトロチャージで鍛錬していないポケモンの弱点をつけば、すぐに雌雄は決するだろう。それはポーシャに も判断できた。
 だが。
 ポーシャには何が起きたか判然としなかった。舞う花吹雪の中、チェリムまで突撃していったライシが直前になって軌道を見失い、つんのめって地面に伏していた。石畳に激しく横腹を擦り上げたライシの体からは、炎が煙を立てて消え去っている。噛みつくような鋭い表情が歪み、生き馬の目を抜かれたような声を荒げた。
「き……貴様っ、何をした!?」
「んー?」
 ゼブライカの体が逸れて見えたチェリムの小さな手には、枝きれのようなものが握られていた。先端が異様にくるくると渦巻いたそれは、混乱の枝。振った先の対象者を混乱状態に陥れる、低難易度のダンジョンでも比較的容易に手に入るアイテムだった。
「っく、卑怯だぞッ!」
「何とでも言ぇえい! ぐへへへ……これが女騎士の鍛え上げられた体……」
「……この、畜生めがあぁああ!!」
「おうっ!? ライシ先輩ダメっ、無闇に放電したらこっちまで被害が及ぶっス!」
「五月蠅い! 貴様は身を守っていろと言っただろう!」
 倒れて動けないライシが周囲へでたらめに雷撃をばらまいて、直撃した額咲きのアジサイが焦げた花弁を吹き散らす。ぴぃ、とオーヨウが雌鶏のような悲鳴を漏らす。ふたりに飛んできた電撃の残滓は、ポーシャが光の壁を展開して弾き返した。肝心のチェリムには、タイプ相性も含めてあまり効果がないようだった。
「オーヨウ、これ僕らで何とかしないと大ピンチだよ!」
「おぅよ、それは分かってる、分かってるんだが……電撃と花吹雪が飛び交っていて近づけねぇ。何か打開できる道具は無いか?」
「有用なものはほとんどライシさんの鞄の中だ! ……っくう、こうならないようにしっかりと作戦立てておけば……!」
「いいから探すぞ! ポーシャも自分のバッグを漁れ!」
 肩から探窟鞄を外したポーシャは、それを逆さにしてぶんぶん振るった。どさどさ、と落ちてきたものはカゴやモモン、罠看破(めぐすり)の種。対象と位置を入れ替える魔法枝や、恩恵の少ないラピスが数個。食べると異常をきたすヘドロのような食糧は、チェリムに向かって投げればライシも巻き込んでしまいそうだった。いずれも状況を打破するには不適切なものばかり。このような緊急事態に限って、離れた敵に投擲できる石の礫すら見当たらない。
「オーヨウだめだ、ロクなものがない!」
「こっちもだ! くそっ、どうすれば…………おぅ!? ぽ、ポーシャ、あれ見てみろ……」
「な、んだよあれ……」
 言われるまま、ポーシャは鞄の中へ突っ込んでいた顔を上げた。花吹雪が晴れ見通しの良くなった視界の先で、チェリムが陋劣(ろうれつ)な笑みを浮かべている。真正面に突き出された小さな掌の先で、空気が渦巻いていた。ライシに向けられたその一点が、次第に輝きを極めてゆく。高密度で充填されてゆく純粋な破壊のエネルギーが、きゅぃぃぃ……と不穏な摩擦音を響かせる。周囲の大気がねじれ、じりじりと熱が弾け青い火花を散らしていた。チェリム自身の体はゆうに包みこめる径の、かすりでもすれば瞬時に塵と化すような凶悪な破壊光線。その先触れが、ちいさな手の元で見る間に膨らんでゆく。よく鍛錬した者でさえ簡単には繰り出せない大技を、一般市民であるはずのチェリムが、なぜ。
「うそ……だろ、あんなの喰らったらライシ先輩と言えどひとたまりもねぇ! ポーシャどうするよ、どうしたらいい!?」
「は……花吹雪が収まったなら、技を溜め切るまでにチェリムを叩けば何とかなるかもしれない!!」
「! おぅよ、任せとけ!」
 吹かせた追い風に乗ったオーヨウがばっ、と翼を駆り立て大地を蹴り出した。地に伏し呻くライシを舐めるように眺めるチェリムは、幸いオーヨウの殺気に気づいていないようだった。超新星のようなきらめきを放つ手のひらをライシに向けて、勝ち誇ったように言う。
「へぇ、ライシちゃんて言うの。ドぎつい目つきの割に可愛らしい名前してるじゃねぇか。それじゃ、消えちめぇな。……おまえがな」
「お……ぅ?」
 オーヨウの体が浮いた瞬間を狙いすましたように、照準がこちらに向けられていた。
 罠だった、とポーシャが気づいたころにはもう遅く。体を傾け突撃するオーヨウ目がけて、破壊光線が発射されていた。音さえ歪ませる極太のレーザー、慌ててオーヨウが浮上するも間に合わない。
 ポーシャは握り込んでいた不思議の枝を、咄嗟にオーヨウへ向かって振りかぶっていた。
 それは位置交換(ばしょがえ)の枝。観念して目をつぶり自由落下するオーヨウと、瞬時に位置座標を入れ替えたのだ。空中に放り出されたポーシャの眼前に迫る、太陽が零れたような光の塊。反射的に閉じたまぶたの裏さえ白い、マイマグイの溶岩でさえ笑って許せるような暴力的な熱波が、すっと全身を通り過ぎた。体液が沸騰する感覚。早々に機能を手放した耳の奥で「ポーシャぁ!」と叫ぶ仲間たちの声がハウリングする。食いしばる奥歯が擦れる、意識の糸が引き千切られる代わりに、ポーシャの腕に嵌められていたモーヴ色の襷石(ふんばり)が、ぱしん! と砕け散った。
 熱光線の軌道から逸れ重力に任せて落ちてゆく体。生垣に背中から落ちた衝撃を逃すよう、口から「んみゃぁっ……!」と情けない悲鳴が漏れた。
 かろうじて首をもたげれば、磁器の花瓶を落としたような表情のオーヨウが、地面すれすれを這うように飛んでくるところだった。その奥で、今しがたポーシャを吹き飛ばしたチェリムが、酒に酔ったように自分の手をしげしげと眺めている。
「およ? なんでぇ今日は調子がいいや。破壊光線なんてぇいつもは水鉄砲くれぇにしか出ねぇのに」
「貴様……なぜわたしではなく、オーヨウを狙った……!?」
「べらんめぇ、女騎士サマにはちゃあんと絶望してもらわにゃ、意味ねぇだろ?」
「……どこまでも救えない奴めぇッ!!」
「仕留め損ねたワシボンも次こそコローッと焼き鳥にしてやっから、ライシちゃんそこで待っててくれや、ぐへへへへへ……!」
「く……ッ!!」
 まだ混乱の収まらないライシがおぼつかない脚を立てようとするも、再度よろけて倒れてしまう。どうにもならない癇癪を眉のあたりに這わせ、次砲の破壊光線をチャージするチェリムを歯噛みして睨んだ。威圧感の織り込まれた視線に気を良くしたチェリムが、陶酔したように口許を疼かせる。
 翼で抱きかかえたポーシャがうっすらとまぶたを持ち上げて、オーヨウはよろめいて1歩後ろに下がった。大丈夫だからな、と自分に言い聞かせるようにポーシャをレンガの花壇のふちへと座らせる。安堵とも恐怖とも分からない涙目になりながら、オーヨウは震える声で呻いた。
「くそお、ライシ先輩もポーシャもやられた……! 俺が、俺が何とかしねぇと……!」
「……ぉ、オーヨウ、無謀だよ、それは……。この場を持ちこたえれば、きっと、ハーフムーン副隊長たちが、今に駆けつけてくれる、はずだから……!」
「俺を庇ってそんなになりやがって、なんで俺は脚を引っ張ってばかりなんだ! これじゃ俺の腹の虫が収まらねぇんだよっ!!」
 ばっと振り返ると、オーヨウは震えを噛み潰すように嘴をぎゅっと結んだ。不敵な笑みを浮かべるチェリムを一瞥し、身を低くして羽をぐわっと広げる。両翼をピンと伸ばし、右の鉤爪を蹴り出した荒ぶるポーズ。まっすぐと前を睨み、荒い語気で言い切った。
「どんなに強力な攻撃でも、当たらなければどうということはないッ!!」
「待ってオーヨウ、それ絶対避けられないヤツ――」
 ポーシャが引き留める前に、オーヨウは荒々しく大地を蹴りだしていた。上昇気流を捕まえぐっと空高く飛び上がり、頂点で体躯を傾けると翼を広げ自由落下する。重力加速を伴い風のエネルギーを全身に纏った彼は、錐揉み回転しながらチェリムに肉薄する。瞬間、彼はまばゆい光に包まれた。
 念力で無理にでも止めようとしていたポーシャは、集中力を研ごうとしたまま呆気に取られていた。吹き飛ばされた破壊光線の無機的なものではない、なにかもっと生命の根源のような、温かい光。
 ワシボンの翼が、ぐんと伸びる。控えめだった胸筋が鳩胸を張り、爪はさらに力強く、頭頂の飾り羽はいっそう雄々しく。ぶぉん、とひとたび羽ばたけば、風がしなり周囲の花々をさざめかせる。
 見違えるウォーグルへと進化したオーヨウが、絢爛(けんらん)な光の尾を引いて恐ろしい加速を生んでいた。比類ない速度で遠ざかる彼が一瞬だけ振り返って、確信めいたように嘴の端を釣り上げたのを、ポーシャは見た。
 この速さなら、チェリムを出し抜いて引導を渡すことができるかもしれない。咄嗟に目を配った先で構える奴は、一瞬たじろいだように見えたものの、突っ込んでくる神風を撃ち落とさんと桜色の手のひらを彼に向けている。そこから迸るエネルギーは、とうに臨界を超えていて。
 ――間に合わない。
「避けるんだオーヨウ、さっきよりも数段威力が上がってる!」
「……ちょっと待て、これ止まり方わかんねぇ!」
「っえぇ!?」
「へへ、なぁんだ、進化なんて酔狂なことしやがるらオレっち一瞬ヒヤっちまったけど、ここまでだな……あばよ」
 橙色の闘気を揺らめかせるチェリムが、そっと掌底を突き出した。弾かれるように放たれた何条もの光の束が、オーヨウを丸呑みにするべく切迫する。進化したてで操翼もままならず、オーヨウは無念そうに目を細めることしかできなかった。

 ――ばちィ!

 それは、破壊光線が無慈悲にオーヨウを消し飛ばした音ではなかった。電気を帯びた大量の粒子が、瞬時に大気中へと拡散されたせいだ。一瞬にしてそれらを吸着させた極彩色の破壊砲は、避雷針に導かれた落雷のように鋭角に進路を曲げ、あらぬ方向へと真っすぐに突き進んでいく。向かう先は――倒れて動かないでいたライシの元へ。
 ごうぅん!! とけたたましい音を立てて破壊光線がライシに直撃する。が、煙の中から彼女は平然と立ち上がった。致命傷を受けるどころか、電圧が上昇したようにも見える。
「ああ、オレっちのライシちゃんが吹き飛んじま――ってねぇ。……え? オレっち全力の破壊光線を受けても吹き飛んじまってねぇだって!?」
「いまだオーヨウ、とどめを射せ!」
「ッ!! はいッ!」
 狼狽するチェリムを盛大に無視したライシが首をもたげ(いなな)いた。空中でバランスを失いかけていたオーヨウが体勢を立て直し、反動で様子見するチェリムへと流星のように襲いかかる。串刺しにするような、渾身のブレイブバード。
「あっえっちょっと待――」
 チェリムの断末魔をかき消し、背後にある噴水もろとも吹き飛ばした。どォん! と大地を揺るがす轟音。花壇に座り込んだまま動けないポーシャの位置にまで瓦礫が飛んできて、水飛沫が盛大に吹き上げられる。収まらない強い日差しの下、小さな虹がかかっていた。



「――ぃ、おい、嘘だろポーシャ、またこれかよ起きてくれよ、おいッ!」
 頭がかくんかくんと揺らされる。頭上から掛けられた声にポーシャが虚ろに目を開くと「……よかったぁ」とため息が顔をなぞってきた。見上げればライシの険しい顔と、進化を遂げた精悍なオーヨウの心配そうな顔が覗きこんでいる。チェリムを撃破した安堵感から、ポーシャは意識を手放していたみたいだった。
 ポーシャがよろよろと立ち上がろうとすると、慌てたウォーグルの逞しい翼で押し留められる。あおいで風を送られるポーシャの様子は患者さながら。ゆるい風に乗って漂ってくる花の甘い香りが、うまく状況の飲み込めない心をいくらか落ち着かせてくれた。
 ありがとう、と弱々しく返すポーシャ。もう大丈夫、となけなしの笑顔を向けると、ずっと押し黙っていたライシの鋭い眼と合った。
「あ……ごめんなさい、結局脚を引っ張ってしまって――ぅえ!?」
 ポーシャが縮こまると、丸めた肩のあたりに生暖かい息が掛かる。彼の肩口が前歯で軽く挟まれ、気づけば宙に放り出されていた。念力でバランスを制御する間もなく、着地したのは彼女の背中。理解が追い付かず目を点にしたポーシャが(たてがみ)を掴んでいると、ライシは振り返りもせずに「……わたしは誤解していたよ。わたしの方こそ謝るべきだ、すまない」と小さくこぼした。
「わたしが武勲を上げようと躍起になっていなければ、ポーシャの判断ですぐにカタのついた戦闘だった。オーヨウも……目を見張る勇姿だったぞ」
「いえっ、ライシ先輩の電気付加(プラズマシャワー)のアシストがあってこその俺の活躍っスから!」
 いまだ呆然とするポーシャを置いて、ライシは脚を進め始める。彼が気絶している間、ダンジョンは徐々に崩壊へと向かっていた。迷宮の要石(かなめいし)となる噴水が破壊された影響で、全体の構造が保てなくなったのだ。鮮やかな色を押し付け合うように咲き乱れていた花々が、時間を早回ししたように枯れて褐色に萎びていく。あれだけ風光明媚だった花園が、今や熱でどろどろに溶けたアップルフィリングのよう。異様な光景を見せつけられ、ポーシャはライシの鬣を握る力をきゅっと強めた。
 気絶したままのニョロトノとネンドールはライシの背中に乗りきらず、ポーシャが念力で運搬する。チェリムはオーヨウが嘴に咥えてくれた。乗馬しながらサイコパワーを維持するのは至難の業で、ポーシャはそれに集中している。蹄を打ち鳴らし進むライシが、前を睨んだままよく通る声で呟いた。
「ポーシャ、貴様の冷静な判断力は、わたしが信頼するに値するものだったぞ。胸を張ってタビィ王子を護れ」
「っはい! ……え? っとと!」
「はッ、それどころでもないか。どうだわたしが預けた背中の心地は。悪くないだろう? さて、帰ろうか」
 にわかにライシが加速する。朽ち果ててゆく噴水の反対側、空間のひずみの向こうに、帰るべき夜の街並みが浮かんでいた。


命の種と闇ギルド 


 木組みの診察台に薄い毛布を掛けただけのベッドに、チェリムが寝かされている。彼との戦闘で負傷した探窟部隊の面々はひと晩経てばすっかり元気を取り戻したのだが、事件を起こした当人は2日経っても目を覚まさないままだった。治療の進展を聞こうと集まったポーシャとオーヨウは隣の寝台に腰かけて、静かな呼吸を繰り返すチェリムを見守っている。
「おー……おまたせぇーっ」
 医務室の扉から隙間を縫ってふらふらと入ってきたアブリボン。常にきらめきを反射する複眼は、今にも閉じられてしまいそうなほどうつらうつらしている。蜜色の産毛はあらぬ方向へねじ曲がり、水浴びをしたほうがいいことは明らかだった。首回りのリボンを口許まで引き上げて、ほの赤く頬を紅潮させる彼女は病人そのもの。おぼつかない(はね)どりでベッドのへりに頭をぶつけ「アイテっ!」と頭を抱え、脇に座るオーヨウの翼の上へと不時着する。ウォーグルの多羽な翼に包まれて、彼女は今にも眠りに落ちてしまいそう。
「キュラ先輩、お疲れ様っス。また徹夜で原因究明スか? スイートベールで無理やり起きてるの、絶対に止めたほうがいいのに……医者の不養生っスよ。『閃光ウナギ』のマスターに胃液ぶっかけてもらいましょ?」
「濡れるのはイヤぁ……だいじょーぶ、まだ2徹だしいっ……」
 ぷはっ、と小さな手でキュラがマスクをずらす。その下では、気を抜けば垂れ下がる口の端をなんとか持ち上げたような下三角が笑っていた。「あんまし見ないでね……クマできてるしっ」と口を開けば広がる蜂蜜の香り。疲れの色を甘ったるいにおいで誤魔化していた。ポーシャは健康的な寝顔のチェリムと彼女とを見比べて、これじゃどっちが医者か患者かわからないな、と不憫に思った。
「それで……なにか新しいことは分かりましたか?」
「んーとねっ、このひと、体内から微量の毒素が……っ、…………」
「毒、っスか……あ、キュラ先輩もう少しだけ頑張ってくださいっスよ!」
「っああ、ええと、えへ、何だっけ……っ?」
「……やっぱり今すぐ休んでほしいっス」
 翼の上で朦朧とへたりこむキュラ。それでも休息するつもりは意地でもないようで、甘いにおいをまき散らし、ろれつの回らない舌をもごもごさせている。ポーシャたちは言葉の断片を拾おうと耳を近づけるも、今のキュラの滑舌ではほとんど聞き取ることができなかった。
 きぃ、と小さな音が鳴る。ポーシャが顔を上げれば、医務室に入ってきた呆れ顔のエネコロロが。
「そちらのチェリムさんについては、自分が説明いたしましょう。夜勤は自分が担当だというのに、キュラはひとたび研究にのめり込むと周りが見えなくなるのでいけません」
「シャトラさん」
 扉を律儀に手で押して入ってきたのは、王室医師長のシャトラだった。足形文字がびっしりと書き込まれた良質な紙を口から外す。きりりと座る彼の毛並みは、そこらの雌では太刀打ちできないほどのきめの細かさ。それでいてベルベットの被毛の下には、雄らしいしなやかな筋肉もしっかりと付随していた。大事にしまって取っておいたような首周りの飾り毛は、同性のポーシャでも思わずもふもふとしたくなる魔力を秘めている。以前戦闘訓練でドラネの爪に袈裟懸けにされ、気を失ったポーシャがここで親に甘えるようにシャトラの飾り毛にモフついた醜態は、まだ彼にしか知られていない。言いふらさないようポーシャが必死に頼み込んだのだが、それを篤実に守ってくれている。栄養失調気味で今にも倒れそうなキュラと比べれば、彼女を差し置いてシャトラが医師長に昇進した経歴は、ポーシャでも頷けるものだった。
 シャトラは口に咥えてきたリネン紙を器用に右前脚で持ち直し、目を滑らせながら言う。
「キュラの報告書によりますと、彼、名前をプラマラと言うそうですが、(くだん)の店で花屋を営んでおりました。普段はひとあたりも良く近所でも評判でしたが、黒い噂もありまして」
「黒い噂?」
「ええ、なんでも昔は闇ギルドの一員で、お尋ね者にもなっていたとか」
「……ライシさんの言っていた通りだ」
 競うように咲き乱れる大輪が、どれも不祥な意味の花言葉を持つ。そう教えられた途端に花屋敷のダンジョンが禍々しく見えたのをポーシャは思い出していた。
「そして最も気がかりであること――ポーシャさん、あなたからお聞きした彼の"暴走"の原因についてですが、報告書には『体内から微量の神経毒が検出された』と記されているだけで、詳しい物質は特定できておりません。『スピア―やハリーセンなど神経毒を持ついずれのポケモンのものとも不一致』とも。つまり現時点ではよくわからない、毒に侵された原因は究明できていないということです。有用な治療法も確立されておらず、彼の体質が要因となっているのか、邪気との接触によるものなのか、またはダンジョンの影響によるものなのか、それも定かではありません。もし後者ならばポーシャさんたちも精査する必要も出てきますし。正直に申しますと、現状打つ手がないのです」
「そう……ですか」
 澱みないシャトラの物言いが、かえってプラマラの回復がいかに難しいかを物語っているようで。ポーシャが再度落とした視線の先では、オーヨウの翼の上でキュラがうつらうつらと舟をこぎ始めている。
「先ほどこちらへお見えになられたタビィ王子も、ひどく心配していらっしゃいました。『国民のひとりも救えないとは、私はなんと非力なんだ』と、嘆かれていましたよ」
「なにか打つ手はないのですか? わたしも彼が苦しむところを見てきたんです、できることがあるならどうにかして助けたい!」
 シャトラはわずかに目を細めて逡巡したが、ポーシャの力強いまなざしに観念したように白状する。
「自分も1度しか見たことがありませんが、"命の種"と呼ばれる道具があります」
「命の種……? 初めて聞きました」
「無理もないでしょう、高難易度のダンジョンでも滅多に手に入れることはないと聞きますから。ともかく、その種をひと口齧ればどんな病魔もたちどころに消え失せると噂されるほど、強力な治癒効果を秘めているそうです。寿命が延びるとさえ聞きました。それがあればきっと、プラマラさんも意識を取り戻すはずです」
「分かりました。それを取って来ればいいのですね」
「ええ、しかしどこのダンジョンで採集できるか自分には見当もつきません。探す算段からポーシャさんにお任せする形になってしまいますが」
「任せてください!」
 ポーシャは胸を張って応えた。確信があるわけではなかったけれど、ダンジョン内でのプラマラの暴走は尋常でないものを感じたし、何よりタビィ王子が解決したいと嘆いたことなのだ。ゆくゆくは王子の手脚となって仕える騎士にとって、これは全力を挙げて解決すべき事件に違いないと感じられた。
「俺にも手伝わせてくれよな。ポーシャがやりたいんなら、俺もやりたいぜ」
「ありがとうっ、心強いよ!」
 すっかり背の高くなった親友の精悍な顔。異様なオーラを放つプラマラを仕留めた勇猛果敢なブレイブバードを思い出して、見上げたポーシャは自分のことのように誇らしくなった。
 そんなオーヨウの翼の中で、かっくんかっくんと首の座らないキュラが口をもごもごさせる。居眠りを誤魔化すようなもどかしさで、半端に開いた口の端からは唾蜜が垂れ落ちていて。
「えーとぉっ……ワタシも、雄のひとから花粉を……プレゼントされたら、嬉しいかも……っ」
「いや何言ってるんスか」
「えへ、それでカレとワタシだけの花粉団子を……えへ、エヘヘヘ……」
「……オーヨウ、風を送ってあげて」
「おぅよ」
 甘いにおいを押し流すようにオーヨウが翼で優しく風を送ると「だめぇ、スイートベールがぁ……っ」と言い残してキュラの羽は動かなくなった。そっとチェリムの隣に寝かされる。夢の中では素敵な彼氏から花粉塊を贈り物に受け取っているだろう。
「……お疲れ様です。今はゆっくり……休んでください」
「キュラが迷惑をおかけします。おふたかたも、そろそろ休息を取られてはどうでしょう。陽も落ちてきたことですし」
 シャトラの言葉につられてポーシャが窓の外に目をやると、眼下に広がるレンガの街並みがだんだんと薄茜色に染まってゆくところだった。秋も中頃にさしかかり、暗くなるのが随分早まった。照灯持ちこそ非番ではあったけれど、街の夕市では早くも店じまいを始める商店がでてきてもおかしくない。ポーシャはワインを切らしていることを思い出し、オーヨウを急き立てた。
 それと、行動を起こすならなるべく早い方がいい。オーヨウと分かれたポーシャの脚は、城内のとある部屋へと向かっていた。……できればもう2度と立ち寄りたくはなかったのだが。



「そんで、迷宮学に詳しそうなアタシのところに来た、と」
「藁にもすがる思いなんです。"命の種"がどこのダンジョンで手に入るかだけ教えていただければ、あとはドラネ隊長の手は煩わせませんから」
「アタシが藁、ねぇ……」
 ドラネの部屋、背の高い本棚に見下ろされながら、ポーシャは縮こまっていた。彼女は奥のテーブルで本を読んでいたようで、ドアの隣で固まるポーシャへ向けて、低いスツールの上で器用に体を反転させた。垂れた尻尾が、たんっ、たんっ、と絨毯の上で緩やかにリズムを刻んでいる。
 正直、入るのに勇気が要った。買い出しをオーヨウに押し付けひとりドラネの部屋を訪れたものの、扉の前で10分ぐらい二の足を踏んでいた。叙任式の日、まさにここでドラネに襲われたことを思い出すと、煩雑な熱にみまわれる。意識するなと自分に言い聞かせても、股の間を少しそわそわさせてしまう。
 したしたと自分の前脚を舐めていたドラネが、丸椅子からするりと降りる。息をつませるポーシャに意味深な目くばせを送ると、尻尾の先にぶら下げていた古めかしい本を本棚へと戻した。
「可愛い後輩のためにゃ。あそこのダンジョンは探窟禁止になっているけど、特別に目をつぶっておいてやるよ。ただし、条件があるにゃ」
「ほ、本当ですか!? しかしじょ、条件……とは」
「もう1度アタシに(なぶ)られろ」
「ひみゃぁ、やっぱりぃ……!」
 おおよそ予想はついていたけれど。猫なで声を潰したドラネに脅迫されると、全身の熱が背筋を駆けのぼるようで、ポーシャはよたよたと後ずさる。頭から煙が出そうだった。
 ポーシャの上げた悲鳴にわずかな昂りが交じっているのを見透かして、ドラネはわざとらしい舌舐めずりをひとつ打つ。ドアを背にへたり込むポーシャに、じりじりとにじり寄っていく。
「知ってるにゃよー、おみゃー、部屋に入ってきた時からぎこちにゃかったもんにゃー。あの時のキモチヨサが忘れられにゃくて、ついアタシに会いに来ちゃったんじゃにゃいか?」
「いや、嫌です、わたしはもうあんな恥ずかしいこと、騎士として……!」
「アタシはおみゃーを騎士としてじゃにゃく、ひとりの雄として見てあげているんだけどにゃ」
「雄じゃなくて、玩具の間違いでしょう……っ!」
「にゃはは、バレてたか。……ま、猫の魚辞退はそう長く続かにゃいだろうよ、諦めるんだにゃー」
 捕らえた獲物をしらべるような顔で、ドラネがすぐ近くに腰を据える。恐ろしいほど滑らかな毛艶の彼女の手の甲が、涙を浮かべたポーシャの顎下をするり、となぞり上げる。明細に浮かび上がる、あのときの記憶。ポーシャは瞬きをすることもできずに、ただ固まっていることしかできなかった。
 顎に猫手を当てられて、どれだけ経っただろうか。ほとんど息を止めていたポーシャが、強張りながらも声を震わせる。
「あ、あの……?」
「しっ、静かに。……聞こえるにゃ?」
 ドラネに声だけで制されたポーシャは、塞がっている耳を持ち上げ扉の外に聴覚をそばだたせる。彼女に言われるまで気付かなかったが、隣の部屋だろうか、声を押し殺した会話が断片的に聞こえてきた。
「……闇ギルドの頭領…………クロード殿、でよろ……」
「ああ、確かにオレはクロー……。しかし……ともあろうお方が、オレたちみたいな……闇ギルドに何の用件で……」
 闇ギルド。会話の中に聞こえてきた不穏な単語に、ポーシャはいっそう神経を尖らせる。どうやら裏社会のポケモンが秘密裏に依頼を受けている場面に出くわしてしまったらしい。
「こちらの頼みは、街の北……パラダイスと名の付くダンジョンの最奥地に…………"命の種"を3粒ほど持ち帰ってきていただきたい。余ったものはそちらで…………」
「報酬は…………んだって? こっちも遊びでやってんじゃ…………。……し分かった、その依頼、引き受けてくれようじゃないの。今晩にでも取りに行って……」
 ポーシャは目だけでドラネに合図を送る。"命の種"という言葉を耳ざとく聞きつけたポーシャが、声をひそめて彼女に耳打ちした。
「命の種の探窟は、禁止されているんですよね。わたし、今すぐ捕まえてきますっ」
「待つにゃ」
「おみ゛ゃ!」
 勇み足に部屋を飛び出そうとしたポーシャを、ドラネの尻尾がすくい上げる。投げ出された彼が背中に覚える、藁のベッドへと軟らかく沈む感触。ドラネが何をしでかそうとしているか瞬時に悟ったポーシャが、寝台から跳ね起きて咄嗟に彼女と距離を取った。肩が震え、身分も上のドラネに対して「しゃぅぅ……!」と低く威嚇さえしている。
 そんなポーシャを(いさ)めることもなく、ドラネは状況を楽しんでいるふうに笑う。
「声を押し殺しながら……ってのもオツなもんにゃけど、おみゃーに騒がれちゃ盗み聞きしていたアタシまで面倒に巻き込まれそうだからパスにゃ。こっちが急に静まってもかえって怪しいだろ? このまま少し話していくにゃ。アタシのベッド、気にいったならいくらでも前脚でフミフミしていいからにゃー」
「……だ、誰がしますかっ」
 いくら甘えたくなっても、金輪際ドラネ隊長には頼るものか。まだ震える上半身をさすりつけながら、ポーシャは教訓を心に刻み込んだ。隣の部屋から気配が消えるとすぐ「失礼しました!」とだけ言い切って、ドラネに呼び止められる間もなくポーシャはオーヨウの待つ家へと逃げ走っていった。
 終始怯えていたポーシャがいなくなり、闇が這い寄るドラネの部屋。名残惜しそうにベッドへ寝ころんだ彼女が、思い出したようにぽつりと呟く。
「隣の部屋に泊まっているジットク侯爵って、確かポーシャの育ての親だったかにゃ……? こりゃ、面白くなってきたにゃ……!」
 ドラネは考えを巡らせごろごろと喉を鳴らす。ちょうどいい暇つぶしの方法を思いついたように体を持ち上げると、部屋を圧迫する高い本棚から、真新しい本を尻尾で持ち上げた。



「肉まん! ……むにゃ」
「寝てる……んだよね」
 進化を遂げて少し広げた藁の巣ベッド。そこで翼を畳んだオーヨウが寝言をこぼしたのを確認して、ポーシャはこっそりと家を抜け出した。だいたい日付が変わった頃だろうか。黙って持ってきた探窟鞄から地図を取り出して、かすかな月明かりにさらして見る。城郭都市の中に走る編み目のような通りの交差点、目指すダンジョンの位置には大きくバツ印がつけられていた。『スイートパラダイス』と足形文字で注釈をつけられたそこは、夕方にポーシャが聞き耳を立てたダンジョン名と一致する。
 オーヨウに黙って出てきたことは、多少なりとも気が引けた。だが、相手は正体の掴めない闇ギルドだ。危機に身を晒すのは自分ひとりで十分だろう。それに酔うとすぐに口の軽くなるオーヨウのことだ、その嘴から秘密裏の探窟が周囲に知られれば、勇気を出してもぎ取ったドラネ隊長の黙認も意味が無くなってしまう。
 分岐する道を確認し正しい方向を選ぶたび、ポーシャの進む市街地は隘路(あいろ)になっていった。石畳が剥がれ荒土がめくり返った狭い路地。軒先のプランターから這い出した蔦が、レンガの壁をよじ登り吹きさらしの窓を自由に出入りしている。(かび)のにおいに用水路を覗きこむと、油の浮いた濁り水が薄暗く光っていた。それでも捨てられた街ではないらしく、ガラスに煤のこびりついた置き照灯には、短くなったろうそくが滲んだ灯火を湛えている。
 足を止めて地図から顔を上げると、かつて酒場として利用されていたらしい建物が幽鬼のようにそびえていた。剥げかけた塗装から推測するに、南国のリゾートをイメージした酒場だったらしい。朽ち落ちた扉の奥では、異世界へとつながる闇がぐるぐる渦巻いている。
「王都にこんな地区があったなんて……」
 闇に向かって呟いたポーシャは震えを押し殺し、あたりに警戒を張り巡らせていた。陽の光を浴びて輝く華やかなシャムの街にはおよそ似つかわしくない、魔境のような雰囲気。疑うまでもなく治安の悪いこのような地域を優先的に夜警するべきだ、とポーシャは眉を曇らせる。明日にでもハーフムーン副隊長に報告しておくべきだろう。
 ……いや、それはまずい。ポーシャはすぐに考えを改めた。騎士団の備品である探窟鞄を断りもなく持ちだし、それどころかこれから探窟の禁止されているダンジョンへ潜行しようとしているのだ。ハーフムーンにことが知れれば、照灯持ち程度のお仕置きでは済まされないだろう。タビィ王子に近づかないよう謹慎令が下されるかもしれない。変態チェリムを捕まえた功績も、全て水の泡だ。最悪の結末を想像して、ポーシャの首筋に嫌な汗が滲み出てくる。いや、上手くやればいいじゃないか。闇ギルドから命の種を取り戻し、プラマラの命を救う。国民を護れた王子は喜んで副隊長もニッコリ、万事解決だ。気を引き締めるべく、ポーシャは首を振り夜の冷気を吸い込んだ。
「遅かったなポーシャ!」
「ふみゃ!? おっおおおオーヨウ、なんでここに!?」
 不意に掛けられた声に、ポーシャは飛び上がった。比喩ではなく本当に、数フィート浮き上がったような気さえした。湿っぽい空気が肺の中を逆流して、涙目になりつつ振り返る。
 背後の暗がりから出てきたのは、さっき家のベッドでぐっすりと夢を見ていたはずのウォーグルで。しかも彼の後から、マントを羽織ったニャスパーと、いつも王子にお仕えしている竜騎士(ドラグーン)が暗がりから現れた。
「は……ハーフムーン副隊長まで……!」
「報告もなしに禁制のダンジョンを探窟とは、どういう了見か説明してみろ」
「う……」
 鬼気迫る隻眼にポーシャはすくみ上った。陰口をたたいていたら、後ろからその当人に抱きつかれたような空恐ろしさ。そんなうろたえるポーシャを気に食わないと言いたげに一瞥したハーフムーン副隊長が、皮肉めいた口調で小さく唸った。
「……おまえが黙ってひとり探窟に向かったと知り、王子は哀しんでおられたのだぞ」
「タビィ王子が……ですか?」
 ポーシャは思わずタビィ王子を振り向いていた。照れ隠しのように、王子はアメシストの目をそらす。清らな顔立ちで小さくはにかんだ。
「ポーシャこそ、ライシに騎士として認められて嬉しかったのだろう? 私とて騎士なのだ、頼ってもらえないとは水くさいではないか。しかしここ……以前に発見したときはあまりにも危険だったために、バリケードを築き隠していたのだが、闇ギルドの格好の猟場となっていたか。……それほど彼らも手練れということだろう。ポーシャ、心してかかるぞ」
「……っはい!」
 ダンジョンの奥には、いったいどんな奴が待ち構えているのだろうか。4匹はとぐろを巻く虚空の先を睨みつけた。


ダンジョン:スイートパラダイス 


 闇ギルド『レッドホットチリドッグス』の頭領、ヘルガーのクロードは運ばれてくるオレンやヒメリを次々と丸焼きにしていった。寝そべるクロードの横で、程よく焼かれたナナシの実を片手に持ったグランブルが、ふー……とため息をついている。
「ねぇクー君、これまだ食べなきゃいけない? ウチもうお腹パンパン、太っちゃうよぉ」
「文句言うなファンタ、まだひとつしか見つけてねぇ。最低3つだ、そういう取引だったろーが。……それとオレはむっちりした雌は嫌いじゃない」
「クー君がそう言うなら……ウチも頑張るよぉ」
 ぶーたれて座るグランブル――ファンタジアの前に、こんがりと焼かれたリンゴがもうひとつ投げられる。ぼす、と白砂の上に落ちたそれを、彼女は緩慢な手つきでつまみ上げた。ずしりと重い焼きリンゴ、熱されて皺の入った紅い表皮は破顔したマグカルゴのようで。もそりと大顎で齧ると、しゃりり、身の詰まった果肉が程よく柔くなり、すんなりと牙が通る。濃密な香りが口に広がり、むせ返るような甘い汁が喉奥を伝い落ちていった。これが空腹時だったら芯まで丸かじりしていたことだろう。片手に余るリンゴと頭上の木にあと5つは実る同じ果実を見比べながら、ファンタジアはほとんど無感動に顎でそれをすり潰していた。
 涼しげな下草の茂るリンゴの大木にファンタジアは背中を預け、その横でクロードは腹這いに寝そべり舌を出している。ここよりさらに島の奥は芝草が厚いが藪蚊も多い。とはいえヤシの木のまばらに生える砂浜に出れば肉球が焼けるように熱い。快適な陣地は狭かった。ファンタジアは物臭そうに下顎を掻いて、海を眺める。草の大陸は南島諸島という地域はこのような景色が広がっているのだそうだ、クロードからそう教えてもらっていた。塩分さえ混じっていないような透き通る海水は、海底の砂の模様をどこまでも見通すことができた。バターをナイフで掬ったような波が等間隔に打ち寄せ、海岸線にできた暗い染みを高い太陽がせっせと日干しにしている。真横に延びる水平線が、1度だけクロードに連れて行ってもらったことのある劇場のシャンデリアのようにきらきらと瞬いていた。うだるような眩しさ。これでも最奥地に到着したばかりのうちは、邪気の妨害もなくまじまじと眺めるリゾートは普段の赤レンガに囲まれた街並みよりも新鮮で。休息の短い時間も忘れてライラックとトリマと3匹で波打ち際を駆けまわっていた。
 のもつかの間、依頼の"命の種"を探すべくあちこちに自生するフルーツを割ることになった。食べれども食べれども中から出てくるのはいたって普通の黒い種。本当に見つかるか疑い出したころ、クロードが齧ったオレンから淡く輝く種が見つかった。一同色めき立ったけれど、それからいくら食べれども次が見つからない。いっそ種をほじくって果肉を捨ててしまおうとも思ったが、食べ物を粗末にするなどクロードが許してくれなかった。ファンタジアは「シナモンシュガーがあればなぁ……」とこぼしたが、そんな願いは繰り返されるさざ波の音に混じって消えていく。現実でも砂糖なんて高級品を口にしたことなどない。食べ飽きた味を必死に喉の奥へと押し込むと、口の中をもごもごさせた。ぶっ、と手のひらに吐き出したタネはなんのこともない、黒い色をしている。
「これもはずれ……確率低すぎだよぉ!」
 ビーチに種を投げ捨て、ファンタジアはずるずると木の幹をずり落ちた。もうほとんど体を地べたに放り出している。木陰からはみ出た右脚が熱かった。
 と、西の磯部から猛然と近づいてくる砂煙がふたつ、一直線にクロードの元へ駆けこんでくる。激突する寸前で2匹は急停止して、巻き上がった砂をもろに被ったファンタジアがせき込んだ。
頭領(ボス)ぅ、さっき教えてくれたオボンの実ってやつ、あっちで見つけましたよー!」
「トリマちゃんただいま到着、リアルガチBダッシュ決めてきました~!」
「イヤイヤ頭領、おれのが速かったですよね!? トリマ嘘つくんじゃねー、トリミアンのおめえがライボルトのおれにかけっこで勝てるはずないだろーがよー!」
「は? なにオラついてんの? そういうテンションまじしょんどいわ~。それにトリマ、脚が速いのだけが取り柄のあんたと違って、頭キレてっから。ほれ、毛皮にオボンをたくさん埋めて持ってきたもんね~」
「だっ誰が俊足バカだ、やんのかオラ!?」
「あーもうトリマおこだわ激おこ。あんたまじ(まんじ)じゃね?」
「……ぁあ? てめぇとそこまで仲良かねーわ!」
「誰があんたとズッ友だ、調子乗んなハゲ!」
「はっハゲてねーよ、てめぇがモサモサ過ぎんだろーが!!」
 到着して2秒で甲斐ない口論を繰り広げるライラックとトリマ。ライラックは剣山のように鋭く立ったライボルトの鬣から微弱に漏電し、牙をむいて唸り声を上げている。対して未来じみた言語を扱うトリマは、若い雌だというのに一切手入れをしていないトリミアンの体毛をライラックの静電気で逆立てていた。
 クロードは体を持ち上げて、歯を立てて威嚇するふたりをやんわりと制す。ファンタジアの体に着いた砂をリングルの巻かれた右前脚で払ってやりながら、いがみ合っているところに口を挟んだ。
「……てめぇら、向こうに探しに行ってからいくつ食った」
 取っ組み合いのケンカを始める寸前だったふたりは、クロードの低い声にきょとんと同時に振り向いた。前脚で抱き合ったまま固まって、しまった、とでも叫びそうな表情。お互いに顔を見合わせて、ぎこちなく視線を逸らす。いつものじゃれあい(・・・・・)を見守っていたファンタジアが、ふふっ、と笑みをこぼした。
「オレたち本来の目的を忘れちゃいねぇだろうな? ……それならこうだ、ふたりのうち食べた数が少なかった方が、腹ごなしにバトルといこうか。オレが直々にその根性を叩きなおしてやる」
「ぼっ頭領待ってくれ、おれはトリマの2倍は食べたんだって!」
「はぁ? あんたまた嘘つく気!? そんならトリマはライラックの5倍は食べたし!」
「なんだと!? ならおれはトリマの10倍――」
「待て待てよォく分かった、てめぇら1個も食ってねぇな? ……それとゼロは何倍してもゼロだ」
 押し黙るふたり。目を泳がせ、わざとらしく後ろ脚で首周りを掻いたりする。どうにかしろよ、とお互いに飛ばしあう目くばせに、クロードは眉根を曇らせて黙ったままだった。返事を待つというよりも、呆れて叱る言葉さえ見つからない。
 波の音がいやにはっきりと聞こえてくる。沈黙を破ったのは、ライラックだった。
「あ! ……そーいやおれ、向こうのサンゴ礁、パブロが絵を描いているとこらへんでなんだかとっても貴重な種の出てきそうなフルーツいっぱい見つけたんだったー。な、トリマそうだよな、なっ!?」
「は? 何言って……あーね! それな、ほんそれ! 貴重な種めっさ持って帰ればトリマたちワンチャン夢のパリピみたいな!? っつコトで頭領、ちょ行ってきま~すっ!」
 抑揚のおかしな声で言うが早いが、ライラックとトリマは一目散に駆けだしていた。競い合って走ってきた時よりも数段速く、砂浜の向こうへふたつの影が小さくなっていく。
「……逃げたな」
「逃げたわねぇ……けほっ」
 また砂を被って咳き込むファンタジアの背中を、クロードは優しくさすってやる。もう見えなくなった2匹の背中に目を細め、深いため息をついた。
「どうしてあいつらの会話は噛み合ってるのか不思議でならねぇ。……それとパブロも何やってんだ」
「まぁまぁ、そんな焦らなくてもいいじゃない。時間はたっぷりあるんだし、もう少しバカンスを楽しみましょうよぉ」
「それもそうだな、現実に戻ったら、また窮屈な毎日だ」
 クロードは高い太陽を仰ぎ見て、再び寝ころんだ。巻き上がる砂嵐が収まって、再び平穏が訪れたビーチ。リンゴの木に寄りかかったファンタジアが手持ち無沙汰に炙りオボンを太陽に透かし見ていると、視界の端で動く影がある。
「……あれ、なんだろ」
「どうしたファンタ」
「あのねクー君、あっちの砂浜が途切れるところで、何か動いたような……ふわーぁ」
 大きく開いた顎を手で隠そうともせず、ファンタジアが長く欠伸(あくび)した。彼女が目を細めた先を、つられて体を起こしたクロードが眺める。しかしそこには先ほどから代わり映えのしない波打ち際が広がっているばかり。しいて変わったことを挙げれば、砂浜に足跡が2列仲良く並んで続いていることくらいだった。
「おい何が見えたんだ……って、いつの間に寝てやがる」
「……くぅ」
 クロードが目を戻したときには、もうすでにファンタジアは眠りに落ちていた。どいつもこいつも……とため息をこぼしつつ、半開きになった大顎に優しくキス。たまにはこうしてギルドの面子でのんびり時間を過ごすのも悪くないかもしれない。
 がさり。
 束の間、背後から不意に立った物音に、クロードは距離を取りつつ跳ね起きた。肉球が砂浜に熱い。横腹に付着した芝草を払いのけ、体内に揮発性の毒素を巡らせ熱温を急上昇させる。口から火の粉を吹いて、クロードは唸った。
「茂みに隠れている奴、オレが5つ数えるうちに出てこい。……それとオレの煉獄は喰らえばいつまでも疼くぞ。1……!」
 再び茂みが揺れる。高い藪の隙間からのそのそと這い出てきたのは、2匹のニャスパーだった。マントを羽織ったほうの子猫に、大丈夫ですか、ともう片方がしきりに草を取り払っている。あまりにも幼い襲来者に、クロードは炎を炊いた口を開けたまましばらく閉じられなかった。
「……すみません、よろめいてつい背中を押してしまいました……。どうやらわたしは偵察が不得意なようです。以前にもこんなことが」
「いや、これでいいのだ。ムーンが追い付く前に彼らと話をつけておきたかったからな」
「……おい」
「そもそも敵のアジトに乗り込むときって、もっとこう……立ちふさがる悪党をばったばったと薙ぎ払って大活躍! みたいなイメージがあるのですが」
「ポーシャ、きみは英雄(たん)の読みすぎではないか。勇猛果敢な戦闘は潤色が過ぎる。実際はそれ以前の隠密行動が重要なのだと昔ムーンから聞かされたよ」
「おい、おーい」
「以前から気になっていたのですが、王子は本当にハーフムーン副隊長と親しいのですね。『ムーン』って愛称で呼ぶのも騎士団の中で王子だけですし」
「父上は王政で何かと忙しくてね、私が生まれたころからずっとムーンに身の回りの世話をしてもらっていた。育ての親のような存在だ。彼が左目を失ったのも、移動中に山賊から狙われた幼い私を懸命に助けてくれたおかげなのだよ。心から感謝して――」
「おいおいおいおい!」
 繰り広げられる会話劇を前に、食事をおあずけされた子犬のようにクロードはすっかり参っていた。つい数分前まで似たような状況が目の前で展開されていた気がする。しかも今度は会話のすみずみに聞き捨てならないワードが飛び交っていて。騎士団? 父上の王政? ライラックとトリマよりも幼く見えるニャスパーどもが、この国の次期国王とそれに雇われた騎士だって? 到底そうは思えなかった。罠か? いや、それにしては安直だ、そもそも高難度のダンジョンの最深部までたどり着けている時点で、それなりの実力は併せ持っていると考えていいだろう。
 頭が痛ぇ……と嘆くクロードに、マントと剣、ペンダントを付けた毛艶の良いニャスパーが改まって言う。
「済まない申し遅れた。私はアイルーロス王国第3王子タビィだ。闇ギルド『レッドホットチリドッグス』の頭領クロード、きみに折り入って頼みがある」
「本物だとしたら……この国の知性を疑うぜ」
「城の要人から"命の種"を採集するよう頼まれたそうだな。それをこちらに渡してほしい。このダンジョンは不法な探窟を許可していないからな」
 クロードは警戒を微かに弱めて、胸を張るニャスパーを見据えた。バカ2匹と違い、どうやら話の通じる相手らしかった。まずはこいつらの情報が欲しい。懐の内を探ろうと、クロードは相手から喋らせるように会話のパスを出してやった。
「わざわざこんなところまで来て何かと思えば……。お偉いさんからの高額な依頼は、癪に障るがオレたちの大事な食い扶ちなんだ。野垂れ死ねってか?」
「死んでほしいと思うはずがないだろう。……闇ギルドとはいえ、きみたちも立派な我が国民だ。全く逆さ。私は、きみたちに悪事から脚を洗い、この街でまっとうに生きてほしいと願っている」
「へっ」
 口の中に溜まった唾液を吐き捨てるように、ひゅう、とクロードは口笛をひとつ吹く。こいつは、バカ2匹とは違う意味で話の通じない相手だ。自分が大切に育てられてきた環境がすべてだと信じ込み、王宮の窓から見えないポケモンなどまるで存在するはずがない、と決めつけているタイプだ。こういう輩が、クロードが心底嫌っているタイプのポケモンだった。
「貴族階級の王子サマには縁のない話だがよ、シャムの街には正規に働きたくっても働けない日陰者が息を潜めて暮らしてる。俺たちみたいな厄介者はな、明日を生き抜くためにどんなこすっからい手にも頼らなきゃならねぇ。お偉方に『悪いことは辞めなさい』なんてありがたい説教垂らされても、ハイそーですかって聞き入れるつもりなんざ全くねぇんだよ。残念だが命の種はやれねぇな。……それと」
「戦う気か? 有利な相手とはいえ2対1だぞ」
 タイプ相性を考慮して、爪術での戦闘を展開しようと構えるニャスパー。その凛とした立ち姿にいよいよ確信を持ったクロードが、しなやかな尻尾を鞭のようにしならせる。犬歯を軋ませ、口の端から灼熱の吐息を漏らす。
「まさか王子自らお出ましだとはな。手土産に連れて帰れば依頼主が泣いて喜ぶぜ」
 ひゅう! 今度は鋭く(うそぶ)いた。間髪置かずにポーシャとタビィの背後で草むらが揺れる。ばっと振り返った彼らの退路を塞いだのは、先ほど砂浜を駆け抜けていったはずのライボルトとトリミアンで。
「頭領ぅ、いきなり呼び出してなんですかー、せっかくトリマに穴堀り競争で勝てるとこだったのに」
「あ? アレで勝ってたとかあんたの目マジ節穴なんですけど。……えっなにこのネッコ、マジめっかわなんですけど~!? ヤバいヤバいバイブスあげぽよ、とりまパブロなるはやでスケッチして後で絵おくちょ! まじ卍卍卍!」
 芝地に飛び退いて距離を取ったポーシャたちに気付いたトリマが、お洒落に体毛を切りそろえてもらった雌のように目を輝かせる。遅れて草陰から出てきたドーブルが、ベレー帽で翳る顔を困ったように傾けた。
「トリマと話していると吾輩、時代に置いていかれた気分になるであるよ。久しぶりに集中して絵を描けていたというのに。……そうそう頭領、オレンを食べたら中からこれが」
「ナイスだパブロ、これであとひとつ。……それと安心しろ、オレもトリマの言うことは8割方分からねぇ」
 インクまみれのパブロの手に握られていたのは、淡く輝く植物の種。それをしっかりと受け取ったクロードは、首から下げていた巾着型の探窟鞄の中にしまった。獲物を舐めるような視線でポーシャを睨みつけ、愉快そうに口の端を釣り上げる。タビィ王子の眠気移し(あくび)で眠ったままのファンタジアの口にカゴの実を放り込むと、上顎を右前脚で強めに押しつぶした。
「し……渋ッ!? これなによぉ!?」
「起きろファンタ、仕事だ。……2対5()袋叩き(・・・)にしてすまんねおチビさんたち。これが俺たち『レッドホットチリドッグス』の愉快なメンバーだ、以後よろしくな。……かかれッ!」
「まずいですよ王子、ここは一端引きましょう!」
「……そのようだな」
 クロードの号令とともに、ぐわっと飛びかかってくる4匹の影。咄嗟に避けたポーシャが、王子の手を掴んで草藪の中へびゅん、と逃げ戻っていった。



「くっそー、どこいった!? こうなったらトリマ、どっちが早く見つけられるかおれと勝負だ!」
「あ? あんたなんかよりトリマのがバリ鼻いいし。マ楽たん~」
 ざわつきが二手に分かれて捜索を始めたのを背後に、ポーシャたちは藪の中で息を殺していた。背の高い青草の海に浮く小島のような、ぽんと空いた砂利の多いスペース。ひときわ大きなリンゴの木の木陰になっているようで、見通しは悪く外の様子も確認できないが、つまり外からも見つけられにくいということ。藪蚊も多く快適とは言い難いものの、一時的に身を隠す場所としては悪くない。
「オーヨウとハーフムーン副隊長が到着するまで、どうにか粘りましょう」
「そうする他ないな……話せば分かってくれると思ったのだが」
「……そんなふうには見えませんでしたけど」
 モモンの実を念力ですり潰したタビィ王子が、果汁をポーシャへと振りかけて体臭をごまかす。「きみも私にやってくれ」と手渡されたモモンの実と背中を向ける王子の後ろ姿を交互に向比べて、ポーシャは畏れ多くなって辞退した。
「王子は別ににおい消しをしなくてもいいのでは……? 香水も付けていらっしゃるようですし」
「香水? 付けていないが……そのようなにおいがするのなら、なおさら消しておかないとな。やってくれ」
「いえ……でも、そのようなこと、騎士のわたしがタビィ王子にできるはずもありません!」
「……そうか、なら私でやろう」
 ポーシャの手の中で少し強く握られていた実が、タビィ王子の念力でさらわれる。それを頭上まで持っていき、王子は強く捻り汁を絞り出した。水浴びの最中を盗み見てしまったような気がして、ポーシャはそれとなく視線を逸らしていた。
 ……また、あの感覚だ。王子に手を握られたときにも味わった、居心地の悪さ。果蜜の冷たさに顔をしかめた王子がすぐ隣で「んん……」と吐息を漏らして、ポーシャは身震いするようだった。
「これでいいだろう。そろそろ場所を変えないと見つかってしまうかもしれないな、動こう。……どうしたポーシャ、そんな固まって――」
「浮いてる木の実は怪しいと思ったらやっぱりな!」
「みぃつけた! トリマちゃん一番乗り~~~!」
 やかましい声とともに、ほぼ同時に両サイドから飛びかかるふたつの影。タビィ王子は冷静に引きつけてから――1足分だけ身を引いた。
 ごちん!
「うげッ!!」
「っぎゃ!?」
 加減を知らずに王子へと躍りかかったライラックとトリマが、空中で見事にかち合った。ファーコートで危うくノックアウトを回避したトリマだったが、「なんの~!」と起き上がりかけた彼女を待ち受けていたのは、気絶した衝撃でライラックが漏らした電撃の歓待だった。
「あばばばばば!? っさ、さすがのトリマちゃんもこれはつらたん……てへぺろ☆ バタんQ~~~」
「気絶した……のか? 何だというのだいったい……」
 盛大な死語で地に伏したトリマの顔を覗きこみ、タビィ王子は怪訝そうに言う。仲のいい兄妹のように抱き合って、ふたりは目を回していた。彼らの叫び声を聞きつけて他の敵に見つかるかもしれない。王子に目線で合図を送られたポーシャが、頷いて王子の後に付く。
「待つのである!」
 その場を立ち去ろうとした矢先、頭上から落ちてくるもごもごした叫び声。ポーシャたちが振り向きざまに見上げると、どうやら声の主はずっとふたりを監視していたらしい。島の中で1,2を争う高さを誇る林檎(セカイイチ)の巨木、その大枝にドーブルが腰かけていた。
「い、いつからそこにいた!?」
「吾輩は"ボディパージ"をスケッチしているのであるから、このような幹などスイスイ登れるのである」
 幹に立てかけられていた簡素なイーゼルに尻尾を巻き付けると、筆やパレットを口に挟んでパブロはするすると降りてくる。草原に身を隠したかと思えば、藪を掻き分けポーシャたちの前に現れた。
 闇ギルドの5匹が並んでいたときはそうも思わなかったが、パブロも存外に背が高い。4倍の身長差はあるだろうか。それに、ドーブルと言えばありとあらゆる技をスケッチして自在に繰り出してくるポケモンだ。念力で捻り上げようものなら、ミラーコートで返り討ちに合うかもしれない。ポーシャはうかつに手が出せなかった。
 パブロは大事そうに抱えてきたイーゼルからカンバスを取り外す。距離をとって構えるふたりに向けて、大きな瞳をぎらつかせて絵画を高々と掲げ上げた。
「これを、見るのである!」
「……!?」
 木組みに乗せられた麻布のカンバスには、タビィ王子がありありと描かれていた。常夏の太陽に照らされ、甘い果汁を全身に被ってきらめく王子が。ブルーの被毛に浮かび上がる斑点状の暗い染み、糖度の高い透明液にたゆむ毛先は、雨上がりの芝草のように可憐にしなだれている。少し上を向いた王子の、丸みを帯びた顎のライン。ほんのりと朱く上気した口許はわずかに開き、そこから漏れだした儚げな吐息が、南の島の熱気より熱くポーシャに訴えてきて。
「な――なに描いてるんですかあぁぁッ!? お、王子を、タビィ王子ともあろうお方を、そのような、そのような不埒な絵に仕立て上げてぇ!? しょ、肖像権の侵害だ、偶像崇拝だあぁあ!!」
「なぬ!? 王子とはまことであるか! ならばいっそう趣が深いのであるよ! いいであるか、吾輩はいま猛烈に昂奮しているのである! 年端のいかない、まだ進化すら迎えていない王族の青年のアンニュイな仕草。当人は意識していないからこそ醸し出される、そこはかとないエロティシズム。このような逸材、これから数百年と出会えるかどうか! 口調から察するにそちらのおぬしは吾輩と気も合うようであるし、今度うまい酒を交わしながらこの絵について語らおうでは――なワぶッ!!!?」
 身振り手振りを交えて雄弁にまくしたてていたドーブルが、見えない念糸に引き倒され顔から砂利面に撃墜した。口の端から舌を飛び出させ、念力にねじ伏せられたまま目を回している。それまで黙っていた王子は、肩を小刻みに震わせ口を真一文字に結び、継戦能力を瞬時に失ったパブロをしたたかに睨みつけていた。扁平な耳を持ち上げ、その裏から露わになった光輪の発念器官が、異様なまでのまばゆさに発光している。
「……すまない、衝動を抑えられなかった。国民に手を上げたこと、どうか目を瞑ってくれ」
「あ、え、ハイ……」
 そっと耳を閉じたタビィ王子が、ポーシャを振り向かず感情を押し殺した声を漏らす。初めて目にする王子の静かな憤慨に固まるポーシャをよそに、タビィ王子はパブロの描いた絵画を覗きこんだ。
「しかしよく描けているな、闇ギルドなんぞに入らず絵描きになれば良いものを。……こんな痴態をポーシャに晒していたのだな、私は」
 念力で持ち上げたカンバスを、強力な圧搾力で捻り上げる。モモンの実を潰したときより数段強力なサイコパワーが、タビィ王子のイケナイ肖像画を木っ端微塵にねじ切った。
 マントを翻し身震いして汁気を払った王子が、気持ちを切り替えるように力強く首を振る。
「残るはあと2匹だったか。悪の芽は摘んでおかなければな……また変な絵を描かれる前に」
「……え、オーヨウたちを待つって作戦は……ってちょっとタビィ王子、待ってくださいってぇ!」
 幻惑的な王子の肖像画から現実に引き戻されたポーシャは、体裁を繕うようにしゃんと背筋を伸ばす。そんなポーシャも気に掛けず高藪を飛び出していった王子を追って、彼もクロードが寝そべるビーチの芝地へと踊り出た。
 無防備な背中を晒していたグランブルを、念力で不意打ち気味にねじ伏せる。リンゴの木の木陰で部下の帰還を待ちわびていたクロードは、ダウンしたファンタジアを優しく撫でると、のそりと立ち上がった。仲間を倒され憤るでもなく、むしろポーシャたちに感心したように口を鳴らす。
 不気味な反応に警戒心を尖らせたタビィ王子が、探るような険しい視線で睨みつけた。
「子分はみな私たちが下したぞ。残るはクロード、きみだけだ」
「……ほう?」
「さあ、大人しくその種を明け渡すか、気絶した子分ともども牢に投獄されたいか、選ぶがいい」
 クロードが大きく円を描くようにポーシャたちに詰め寄っていく。何をしでかすか見当もつかない奴と一定の距離を保つように後退するふたりは、気づけば熱い白砂を肉球に踏んでいた。仲間をのされても動じないクロードの雰囲気に気押されていた。
 熱い鉄板の上に追い出したポーシャたちを味見するように眺め、クロードは長々と語り出す。
「てめぇらが何も考えずに悪者だと決めつけて倒してきたオレの仲間たちが、普段どんな生活をしているか想像できるか? トリマは冬の薄寒い路地裏に捨てられていて拾った時から他者不信だ。ライラックは強くなれなかっただけで騎士の家系から勘当されて、居場所を求めてここに来た。パブロは絵を貴族どもに認められずに行き倒れていたし、ファンタジアは伯爵の雄に騙され捨てられてここにいる。かくいうオレも親父が奴隷でな、砂の街で奴隷商を襲って雌やガキを逃がしたせいで大陸を跨いでお尋ね者さ。そういやてめぇらと同じニャスパーの赤子もいたな、今頃元気に暮らしているだろうか……。ともかく、オレたちは暗い過去を引きずって生きている。まともに働こうとも後ろ指を指される。少し前までいたチェリムみたいに社会に上手く溶け込めた奴もいるがな、おれたちは毎日毎日不安で仕方ねぇんだ。『弱者に手を差し伸べよ』とか偉そうに言うクセに、泥水を啜って生きながらえているおれたちのことなんか、高潔な騎士サマにはハナから見えてないんだろ? コイツらはバカでアホでどうしようもない奴らだがな、悪人と呼ぶには心が綺麗すぎるんだよ。てめぇらも何か深いワケがあって"命の種"が欲しいんだろうが、オレたちもそこは譲れないもんでな。知ってるか? 命の種はな、ひと粒齧ればどんな死の淵をさまよっている兵隊でもあっという間に完全復活、おまけに体力まで増強される。ジットク侯爵は、それを使って近いうちにシャムの街を壊滅させてやるとか言っていたが、こんな種たった3粒でそれが可能になるなんておれは信じられねぇぜ」
「……ジットク侯爵、だって……!?」
 耳を尖らせていたポーシャが、出てくるはずのない言葉の響きに目を引きつらせた。クロードの知るよしもない、自分の育ての親の名前。カンカン照りの太陽を全身に受けてうだるくらいなのに、ぞ、背中が痺れ上がった。血の代わりに心臓へ氷水を注がれたみたいだった。
「おぉっと、口が滑っちまった。まぁどのみちくたばってもらうんだ、変わらねぇ。……それになんだ、てめぇはジットク侯爵の知り合いか?」
「そんな……まさか、ジットク卿が街を壊滅させるなんて、そんなのありえない! だって、温厚を絵に描いたようなムーランドなのに、国家転覆を企てるなんて、信じられるか! だって、捨てられていたわたしを拾って、ここまで立派に育ててくれたのに、そんなひとが、そんな……!!」
「おおかた王家の情報を引き出すために、潜入させられてたんだろうよ。……それと実際にそこの王子のことはよく知ってるだろ?」
「っ……!」
 数時間前、ドラネの部屋で聞き耳を立てた会話をポーシャは思い出していた。横柄なクロードの声と交わされる物腰柔らかな声色に、どこか懐かしい感覚を覚えていたのは、ただの思い過ごしではなかった。幼少期に聞き慣れていた温かみのある声の主が、まさに壁を隔ててそこにいたのだ。
 それはつまり、闇ギルドに依頼をしていたのはジットク卿そのひとだという何よりの証明で。卿が叛逆を企てているというクロードの戯言は、皮肉にも彼の元で育てられてきたポーシャには確信めいて聞こえてしまっていた。
 状況のうまく飲み込めないタビィ王子が、正気に戻そうとポーシャの肩をしきりに揺さぶる。平衡感覚を失った脚でかろうじて立っていたポーシャは、常夏の砂浜のように干からびたような顔をかくんかくんと振られるがまま。
 ぴゅう! 高く響いたクロードの口笛が、ポーシャの意識をかろうじて現実に繋ぎ止めた。
「時間稼ぎにゃあとんだサプライズだったが、もう十分だ。……今だライラック!」
「あいさぁ!」
「――ッぎ!?」
 右の脇腹に走る壮烈な激痛。まったく注意を払っていなかった足元からぬるりと差しこまれたライボルトの鋭牙が、纏った雷でポーシャの体を貫いた。ばちィ! と有り余る電気エネルギーが小爆発を引き起こして、ビーチの砂を巻き上げる。
「な……ん、だって……!?」
 さっき倒したはずなのに。麻痺して引きつった苦悶の表情を浮かべるポーシャが、穴を掘って現れたライラックの顎からぽてり、と砂浜に落ちる。静電気で全身を毛羽立たせた彼の錯乱に応えるように、クロードはリングルの巻かれた左腕を掲げ上げた。最後の窪みに嵌められた翡翠色の輝石が、高い太陽の日差しを受けて強いきらめきを放っていて。
「ラピスの恩恵を受けるのはなにも騎士サマだけじゃねーのよ。てめぇも1度は世話になったことくらいあるだろ、眷属再生(なかまふっかつ)だ。……それとこいつはあまり使いたくはなかったんだがな。まるで同胞が道具みたいじゃねぇか? 探窟ギルドの中にはダンジョンに侵入したらまずコイツを血眼になって探す輩もいるらしいが……そんなのどっちがおぞましい"邪気"か分かりゃしねぇ」
 勝ち誇ったようにクロードがまた口笛を吹く。間髪入れず茂みから飛び出したトリマが、ポーシャを介抱しようと素早く身を翻したタビィ王子を抱き掴んだ。「くッ、離せ!」と暴れる王子を前脚の肉球で小突き回す。
「おっとトリマ、今てめぇが抱きかかえているのはタビィ王子サマだぜ? しっかりお護り(・・・)しておけよ?」
「ファッ!? そマ? こっちのマントぬこが王子? ご本人登場キタコレwww」
「落ち着くのだトリマ、吾輩おぬしの言葉は非常に度し難いのであるが……それはなんだか違うのではあるまいか!?」
 何がそこまで面白いのか早口でニタつくトリマ。遅れて現れたパブロは呆れ気味に肩をすくめながらも、尻尾の筆を握ったまま警戒を解かない。どちらもタビィ王子が先ほど気絶させたはずのメンバーだったが、傷はおろか疲労の色さえ窺えなかった。泥の中を這うような炎天下での消耗戦ですっかり憔悴しきったポーシャたちが、溌剌(はつらつ)とする彼らを相手に仕切り直せばどうなるか。痺れてうまく働かない頭でも、ポーシャははっきりと勘付いていた。
「さァてどうする勇敢な騎士のポーシャさんよ。命をかけて護ると誓った君主サマが悪漢どもに捕まってるんだ、どうにか助け出さないとなぁ?」
 のろのろと遅れて立ち上がったファンタジアに、クロードが目で合図する。彼女は渋ったが、その頬にキスをされると意を決したようふんす、と鼻から蒸気を上げた。腰を落としポーシャに狙いを定めると、頭から勢いよくぶつかっていく。洗練されていないその動きは鈍重で、容易に避けることができた、はずだった。
 飛び退こうとしたポーシャの脚に麻痺が走った。まともに避けられず胴下に浅く食い込んだグランブルの頭突きが、彼を体ごと投げ飛ばす。当たり際に聞こえた「ごめんね」が悪い冗談としか思えないほど峻烈な衝突に、ポーシャは「っギ!?」と声を漏らしていた。臓腑が持ち上がり意識が飛びかける。感じる加速度と浮遊感。このまま海に落ちれば、何の抵抗もできず波間に沈んでいくことは目に見えていた。
 落下の衝撃を緩衝させようと、ポーシャはサイケ光線を海面に向かって放つ……のだが。虚脱し平衡感覚を欠いた体では、サイコパワーを集中させられるはずもない。うみゃあ……と哀れな悲鳴を短く上げて、ポーシャは頭を抱え込んだ。衝撃に耐えようと身を硬くする。
 直後に彼が背中に感じたのは、海の冷たさとは思えない、温かい羽毛の感触。
「大丈夫かポーシャっ! すまん待たせたな!」
「――っ、ああ、遅いってばっ!」
 聞き慣れた声におそるおそる目を開ける。もふっと優しく受け止めてくれたのはやはり、勇猛に翼で風を切るウォーグルだった。



 ビーチでどよめく5匹。彼らに捕まったタビィ王子を遠目に見ながら、ポーシャはオーヨウの首をしっかりと掴んでいた。放射熱の届かない上空の風が頬を駆け抜けて、ポーシャは目を細める。まずは落ち着かないと。ジットク卿のことは一端心から遠ざけて、今はこの状況をどう打開するか、それに専念しなければ。ポーシャは懐からクラボを取り出して齧る。全身の痺れがほろほろと(ほど)けていった。
 そんな彼の内実を知るはずもなく、オーヨウは背中にしがみつくポーシャに向かって陽気に嘴を開く。
「俺なしでよく頑張ったなポーシャ! こりゃ俺みたいに進化する日も近いんじゃないか?」
「……うん、助かったよ、ありがとう。でもどうやってタビィ王子と命の種を取り戻そうか」
「おぅよ、俺に任せとけ! 鶏頭の俺は作戦なんて考えられないから……正面突破だ!」
「え、まって、僕そんなに体力残ってないし、休みながら考えるから――ってうわぁ!?」
 背中でわめくポーシャに耳を傾けず、大空を旋回しながらオーヨウは島の中央まで舞い戻る。途中ライラックの電撃が飛んできたものの、アクロバット飛行で難なくしのいだ。ポーシャが酔いを訴える間もなくオーヨウが芝地に勢いよく着地すると、慣性で滑ったポーシャが砂浜に脚から突っ込んだ。
「ちょっと、もう少し優しく降り立ってよ……!」
「おぅ? 悪ィ悪ィ、誰かを背中に乗せるの初めてだったもんでさ」
 砂から這い出そうとポーシャが身をよじるも、思いのほか深く突き刺さっているようで身動きが取れない。砂浜に集まっていた闇ギルドの子分たちは、5フィート近くある屈強なオーヨウに狼狽(うろた)え尻尾を巻いていた。
 怯える部下に喝を入れるようにクロードが吠える。
「勘違いするなよ、2対5だってコトには変わりねぇ! ……それにこっちには王子サマの人質もいる!! 以前にもましてこっちが有利だってコト、忘れるんじゃねぇよ!?」
「それはどうかわからないぜ、俺たちだってあの方がいらっしゃったら――お、噂をすれば」
 オーヨウが得意げに嘴を鳴らすと、タイミングを計ったように背後の茂みが大きく揺れた。背の高い草を踏み倒して現れたのは、島の緑に似つかわしくない鮮やかな赤と青の竜の巨躯。
「ハーフムーン副隊長が来てくれたのなら百人力さ! ポーシャも砂に埋まってないで早く這い上がれよ、こんな悪党ども一気に片付けてやろうぜ!」
 鳩胸を張って意気揚々と喋るオーヨウ。そんな彼を気にする様子もなく、当のハーフムーンは半開きの口から荒い息を繰り返している。威嚇するような低い唸り声が、少し離れたポーシャのところまで届いていた。
 副隊長の様子がおかしい。異変に気付いたポーシャは、彼の放つ禍々しい殺気に固唾を呑んでいた。ゆらり、と全身から差し昇る狐色の闘気。いつも不機嫌そうに細められている隻眼は虚ろに吊り上げられていて。それは何かに取り憑かれ凶暴化したチェリムと、そっくりだった。
「待ってオーヨウ、副隊長から離れて――」
「おいおいどうしたってんだポーシャ、ハーフムーン副隊長がどれだけ凄いかいつも教えてやってるだろ? 俺はこの方に憧れて騎士団に入ったんだぞ。10年前の戦争では最前線を縦横無尽に駆け回って『血に濡れた三日月』なんて隣国に恐れられてさ、凱旋のパレードで握手してもらったとき、まだガキだったけど俺は一生このひとに付いていこうと心に誓って――」
 昂奮してまくしたてるオーヨウの背後で、ハーフムーンは細い独眼をさらに細めた。長い首を気だるげに回し、瞬時に状況を判断したようだった。満身創痍で砂に身を埋めているポーシャ、その奥の波打ち際ではタビィ王子を取り囲んで闇ギルドの悪漢どもが牙をむいている。ぴくん、と一瞬だけ右目を引きつらせたハーフムーンは、左の前脚を大きく持ち上げて――

 ぐしゃ。

 ――雄弁に語るオーヨウの背中を、踏みつぶした。
 「……っ、ぴょ……?」
 その場に居合わせた誰もが動けなかった。砂浜に嘴をうずめたオーヨウが、一拍間を開けて絶叫する。穏やかなビーチに響き渡る、耳をつんざく悲鳴。顔をしかめたハーフムーンが前脚を捻り、耳障りな金切り声を揉み消した。燃え尽きた薪をどかすように右腕の爪先でオーヨウをすくい上げると、そのまま真横に投げ捨てる。リンゴの木の幹に強く身を打った彼がだらり、と頭から崩れ落ちた。下草をクッションに気絶したオーヨウの顔には、どうして、と苦悶の表情が張り付いたまま。
「……皆殺しだ」
 よく通る低い声で呟かれたそれは、処刑宣告だった。胸前に(くく)り付けられた探窟鞄へ口先を突っ込み、ハーフムーンが咥え出したのは玉虫色に輝くラピス。右前脚に装着されたリングルに嵌め込むと、彼は丸い光に包まれる。まるでオーヨウがウォーグルへと進化を遂げたときのような、まばゆい光。
 皆が呆然と眺めることしかできない中、光は収束していった。紅く染まった銀杏(いちょう)のような両翼は尾側が伸展し1枚の三日月型へ。腹部の白い装甲は肩までせり上がり、頬から伸びる3条の飾りは風をも切り裂く鋭さに。白から紅へと変貌した下顎をばっくりと開き、その口には高密度のエネルギーが充填されていて。
「ぜ……全員散らばって逃げろ!! なりふり構うな、行け!!」
 ヘルガーが部下を逃がすのを待っていたかのように、覚醒(メガシンカ)したハーフムーンの口からそれが打ち上げられる。(いか)れる竜のエネルギーを練り固めたような光弾が、太陽と同じ高さまでまっすぐと昇っていき、ぱん、と弾けた。
 地獄の幕開けにしては、ひどくあっけない音だった。
 天頂で弾けた竜星群は、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う闇ギルドの面々を的確に撃ち抜いていった。空挺部隊の元隊長であるハーフムーンが誇る、甚大な破壊力と正確無慈悲のコントロール。逃げ先を予測していたかのようにライボルトとトリミアンを叩きつぶし、ヤシの木の裏に隠れたドーブルを小木もろとも弾き飛ばした。誘導や攪乱に使われた弾が霰の如く砂浜に降り注ぎ、表層の白砂をあちこちで高々と吹き上げる。地面がえぐれ20フィートほどのクレーターが次々と出来上がっていった。
 腰を抜かしてへたり込むヘルガーを庇ったグランブルが、寸分たがわず落下してくる星弾を腕で弾く。クー君しっかりしてよぉ! と頭領を激励した彼女が次に見たものは、手脚を収納して音速で突っ込んでくるボーマンダだった。
 疾風の刃を伴って放たれた捨て身タックルは、彼らを一瞬にしてその場から消し飛ばしていた。波打ち際の岩礁に身を打ち据えたふたりは、半身を海中に沈めたまま動かなくなった。
 畳んでいた脚を戻し、砂が舞わないような静けさで着陸するハーフムーン。のそりと振り返り、立ち尽くすタビィ王子に柔和な笑みを向けた。数瞬のうちに闇ギルドを壊滅させたとは思えない、我が子を見るような温かいまなざし。けれど瞳の奥にはどこか虚ろな光を宿している。
「タビィ様、ご無事で何よりです」
「む……ムーン、ど、どうしてこんな」
「なに、タビィ様をお護りしたまで…………?」
 ハーフムーンの目が、タビィ王子のマントの裏で砂に埋もれるポーシャへと向けられた。動けないポーシャへ堕ちる竜星群を防ぐべく、王子が光の壁を展開して庇っていたのだ。片目を引きつらせたハーフムーンが、傷だらけのポーシャを顎で咥えて引きずり出した。
 手荒く解放され顔から砂浜に落ち、口の中へ入った砂にむせ返るポーシャ。タビィ王子は急いで革の水筒を彼の口に(すす)いでくれたが、その様子を上から見ていたハーフムーンの独眼はさらに(すが)められていた。
「おまえ……タビィ様をお護りすることもできずにその体たらくは何だ」
「けほっ、えほ……それは……わたしの実力不足で……っ、し、しかしなぜオーヨウまで……っ!」
 かろうじて竜星群の直撃を避けたリンゴの木、その陰で動かないウォーグルを一瞥して、何事もなかったかのようにハーフムーンは言い放つ。
「タビィ様をお護りできん騎士を生かしておく理由がどこにある」
「オーヨウは……オーヨウはずっとあなたに憧れていたんですよ!? わたしと食事するときいつもあなたの武勇伝を語って――」
「下らん。憧憬が何の役に立つ」
「――っ!」
 間近でハーフムーンの長い首が、理性と欲望の狭間で葛藤するようにゆらりと揺れる。熱い息が舐めるように身を屈めるポーシャへかかった。それがすぐにでも火炎放射に取って代わるのではないか思うと、圧倒的力量差を前にポーシャは震えて身を丸めることしかできなかった。
 正気に戻ってくれムーン! と呼びかけるタビィ王子の声も、ハーフムーンの耳にはまるで届いていない。むしろ王子がポーシャを庇う姿勢を見せるたび、滲ませる橙色の殺気が一段と強まっていく。ほとんど感情の読み取れない竜の顔色は、しかし抑えきれない何かに追い詰められているようでもあった。
「ポーシャ、ひとつだけ訊こう。叙任式の晩、タビィ様と手を握り合ったというのは事実か」
「そ、それは……」
 ポーシャは言い淀んだ。騎士になった夜、タビィ王子に同じ部屋で寝てくれと頼まれたこと。王子の言葉に他意は無かっただろうが、その後のドラネの言葉であらぬ方向へと解釈してしまった自分が思い返されて、少し毛を立てて俯いた。それだけで、見下ろしていたハーフムーンが、耳元から離れない羽虫を追い払うように喉を唸らせる。
「……もういい、おまえもタビィ様に狼藉を働いたこやつらと同罪だ」
 ポーシャを護ろうと立ちふさがるタビィ王子を、ハーフムーンは優しく尻尾で絡めとる。王子が火の粉を被らないようやんわりと手前に引き寄せ、おもむろに口を開いた。見上げることもできないポーシャの頭上で、迅速に膨らんでゆく炎のエントロピー。ハーフムーンが軽く息を吐いただけで、ポーシャの縮れ毛はすべて焼き切られるだろう。
 断続的に地鳴りが響いている。根元をえぐり取られたヤシの木が、悲痛な音を立てて次々に砂浜へと倒壊していった。ハーフムーンの竜星群がダンジョンの構造を保てなくなるほど損傷させたらしい。ざざん、ざざん、と海面がせり上がってきて、あと10分も経てば小島のリゾートはその惨状もろとも海の底へ沈んでしまうだろう。
「タビィ様はわしが護る。誰とて指1本触れさせんぞォォォ――――――!!」
 ハーフムーンが咆哮した。ひ、と消え入るような悲鳴をかすり上げ、ポーシャは垂れ耳を手で握って縮こまる。抵抗するすべを失ったサンドのように身を丸めたまま、しかし衝撃は来なかった。ポーシャがおそるおそる目を開けるのと、ボーマンダの巨躯が崩れ落ちるのがほぼ同時だった。
「胸騒ぎがしたから来てみれば……こりゃあにゃんとも」
 聞き慣れた猫なで声。ハーフムーンの背中には、肩口を爪で掻き切り彼を一撃で倒伏させたポケモン――ドラネが険しい顔で陣取っていた。気を失ったハーフムーンの苦悶の表情を覗きこんで、猫の手にも負えないにゃ、と苦々しく漏らす。
「ドラネ隊長っ! な……なぜここに」
「あーあー詳しい話はあとあと! ホレ、持つもの持ってさっさとずらかるにゃ!」
 ドラネががなり立て、かなり波の強くなってきた浅瀬に飛び入った。のびるヘルガーを咥え持つと、島の中央、ダンジョンの出口がある茂みに駆け戻っていく。
 呆然とへたり込むポーシャの尻に、せり上がってきた海面が迫る。慌てて立ち上がりオーヨウを念力で持ち上げると、歪んだ空間へ飛び込んでいったドラネの後を追いかけて、陥落するダンジョンを脱出しようとした。脇目をやると、タビィ王子は横たわるハーフムーン副隊長を前に立ち尽くしている。メガシンカから戻ったハーフムーンの喉が海水を飲み込んで、ごふ、と苦しそうに鳴った。
「王子っ、早く戻りましょう! ハーフムーン副隊長ならおひとりの念力で抱えられますよね?」
「……しかし、この者たちはどうする、見捨てるのか!?」
 王子が震える指先で示すのは、波に浮かんで漂っているライボルトにトリミアン。どちらも体毛が海水を吸い込み、みすぼらしく毛のよじれた腹は微かに膨らんでいるだけ。探せばドーブルもグランブルも同じような状態で見つかるだろう。闇ギルドのメンバー全員を助け出すには、あまりにも時間がなかった。
「……そんなこと言っていたら、わたしたちまでダンジョンの崩壊に飲み込まれてしまいます!」
「け、けど……彼らだって立派な国民であって、それを護るのが私の使命で――」
「王子早くッ!」
 ひときわ大きな波が打ち寄せ、ポーシャたちはハーフムーンの巨躯によじ登る。潮が小康になるタイミングを計って、ふたりはオーヨウとハーフムーンを抱え上げ島の中央に後退する。時間を置かずして押し寄せてきた津波から、尻尾を巻いてシャムの街へと逃げのびた。空間が完全に分断されるまで、タビィ王子は何度も後ろを振り返っていた。


急転 


「騎士団を辞めたいって……本気なの?」
「……おぅよ」
 オーヨウが意識を取り戻したとの連絡を受け、ポーシャは夕方の爪術訓練を抜けて医務室へと駆けこんでいた。窓際の寝台に寝かされていたオーヨウが上体を起こして「おう、心配かけたな」と右翼を上げて招き入れてくれる。掛布団の上に投げ出された損傷のひどい左羽は、つけ根にほつれた包帯がぐるぐる巻きにされていて。雄々しい鶏冠の下に覗く覇気の抜けた瞳で微笑まれて、ポーシャはう、と小さく呻いていた。その時点ですでに、退団の話を切り出されるだろうとは予想がついてしまったから。
 オーヨウは首だけを傾けて、ハーフムーンが治療を受けている隣の第2医務室の壁を見た。
「あれからどうしても竜がニガテになっちまったみたいでさ……。副隊長の唸り声が聞こえてきただけで震えが止まらないんだ。これじゃマトモに仕事もできない」
「そう……だよね、副隊長相手に命拾いしただけでもラッキーだと思わなくちゃ、ね……」
 悄然とする親友を元気づけようと大慌てで飛んできたのに、ポーシャの口からこぼれるのはこの場にそぐわない言葉ばかり。廊下側にある作り付きのミニテーブル、小さなシチューポットで蜂蜜酒(ミード)をこしらえるキュラが、背中越しに黙々と掻き混ぜる木匙の音を小さくしたような気がした。
「これから収穫祭の時期だろ? 実家が葡萄農園を営んでいるんだけどさ、今年はお手伝いさんが集まらなかったらしいのよ。頭数が足りなくて大変だ、って手紙が届いてな。俺、しばらくはそっち手伝おうかと思ってる。……ポーシャの帰りを待っていても、ロクに料理もできないしな。あ、あの家はひとりで使っていいぞ」
「……そっか」
 続く言葉が見つからず、ポーシャはそっと視線を落としていた。石壁にできた薬品の染みを見つめるオーヨウの嘴が震えて、かちかちと小さな音を立てた。
「……ウォーグルに進化したらポーシャを背中に載せて大空を飛んでやるって約束、果たせてよかったぜ。あんなでもないと、結局めんどくさくなってやんないもんな」
「そんなこと言わないでよ……。美味しい葡萄が収穫できたら、探窟部隊にも送ってきてよね。……副隊長がこうなった原因、ぜったい突き止めるから……っ!」
「……おぅ、よ」
 淀んだ空気を追い払うように、うつむいた彼の前へタンブラーがふらふらと飛んできた。「ワタシ特製の蜂蜜飲んでっ?」と元気づけるキュラが、抱きかかえるようにして運んできた木製のカップをオーヨウに渡す。アブリボンの集めた花粉から作られる蜂蜜酒は、治癒力を高めると騎士団の中では持ちきりだった。
「ありがとう……ございます。キュラ先輩の花粉団子、いつも美味しかったっス……」
「ほらほらそんなに塞ぎこまないのっ! 騎士団を辞めても好きな時に遊びに来ていいんだからね? オーヨウ君って南部の出身だっけ、珍しい花が咲いていたら摘んできてほしいかなっ」
「はい、そうするっス……。今更だけど親父にワイン造りをイチから教えてもらって、今までほったらかしにしてきた分お袋といっぱい喋って……。……っ、俺、本当は戻りたくないよ。これからもっとポーシャとダンジョン攻略して、もっと強い騎士になっての先輩に認めてもらって、もっとみんなと笑いながら酒飲んで、これからもっともっと活躍して……なのにこんなとこでリタイアしなきゃなんないなんて、俺、不甲斐なくて、もう、っ、ぉ……ぅぐ……!!」
 タンブラーを握るオーヨウの羽がふるふると震える。なみなみ注がれた蜂蜜酒がこぼれて、左翼の包帯に染み込んでいった。うんうん、と静かに頷いたキュラが小さな手で湿ったオーヨウの頬をさする。甘いにおいがほのかに広まった。
 ポーシャは何も言えなかった。あのときもっと強くオーヨウを引き留めていれば。あるいは念力で無理やりにでもハーフムーン副隊長から引き剥がしておけば。今更どうすることもできないと分かっていながらも、ポーシャは奥の歯を小さく噛みしめていた。
「ふえぇ……ちょっといいですか……?」
 重い雰囲気の中に響く、間の抜けた声。きぃ、と続く医務室の扉が押し開かれる音。3匹が振り向くと、そこには命の種で毒素が抜け歩けるまでに回復したチェリム――プラマラが立っていた。紫の外套をもじもじさせながら、なにか言いさしては少し俯くを繰り返す。コイキングのように小さな口を数度パクパクさせると、ひっ、と引きつって息を吸い込み、早口でまくしたてた。
「あっあっアブリボンのおねえさん、あの、その……!」
 熟れきったさくらんぼのように真っ赤になった顔から、その熱を発散させたようなまばゆい光が溢れてきた。閃光に3匹がたじろいでいると、打ってかわって小粋な口調になったプラマラが叫んだ。
「オレっちとお付き合いしてくださいッ!!」
 ぽん! と彼の頭上に太陽が弾け、紫のコートの内側から花束を差し出していた。フォルムチェンジしたチェリーの丸い瞳は真剣そのもので、花開いた体からは桜の芳醇な香りが漂っている。
 ひとり春の訪れたプラマラをよそに、ほかの3匹は吹雪の中に立たされた思いだった。それにもお構いなしに彼は饒舌にまくしたてる。
「体が動かせない間に聞こえちまったんだ、アブリボンのお嬢ちゃんが『花粉をプレゼントされたら嬉しい』って言っているのをな! そのとき心にとーんと来ちまったんだよ。だからこいつぁキミへの贈り物さ、受け取ってくれぃ!!」
 しかも唖然とするポーシャに向かってウインクで「なにか賑やかせ!」と合図を送ってくる。涼しい秋晴れの重苦しい時間が10秒経ち20秒経ち、どうしようと硬直していたキュラがしどろもどろに口を開いた。
「……あの、言いにくいんだけど……ワタシ結婚してるんだっ!」
 困り顔ではにかみつつキュラが左の腕を持ち上げると、耳飾りほどの小さなリングルがきらり、と輝いた。そのくぼみのひとつには、ラピスのようには砕けない婚約の宝石が嵌められていて。片膝をついた姿勢で固まっていたプラマラはぎこちなくポーシャを見る。知ってたのか? と問いかけてくる目線にポーシャは「彼女が騎士団に入る前から……かれこれ今年で5年目です」と呆れ気味に返した。キュラのノロケ話は酔えば長いことで探窟部隊の間では有名だ。切り口の「シャトラったら凄いんだからっ! 凍傷を起こさずに患者さんの炎症部を冷却させちゃってさあっ!」をポーシャは何度聞いたことか。
 自ら放った「結婚」というワードだけで、キュラはもうすでに甘い妄想の世界に飛び立っていた。手を頬に当てとろんと複眼をぼやかし、花畑を飛ぶようにおぼつかないホバリング。そんな彼女と自分の手に握りしめている花束を交互に見比べて、プラマラはフッ……と小さく吐息した。後ろを見ずに放り投げられた花束は、さんさんと照る小太陽へ向かって華麗にブーケトスされて、じゅっ、と音を立てて灰になった。一瞬だった。
「……とまあ小洒落たジョークはこんくれぇにして……オレっちはそう、そこのオーヨウさんに頼みがあって来たんでい!」
「おぅ!? この地獄の状況を"ジョーク"で流せるとか、精神タフすぎかこの変態幼女」
「だれが幼女じゃ!!」
「変態であることは認めるんだな……そんで、俺に頼みって何だ?」
「てめぇんとこの葡萄農家で働かせてくれ!」
「……それはまた唐突だな」
 短い脚でてとてとと近寄り寝台によじ登って、プラマラは縋る目つきでオーヨウに迫った。傷に障ったらしいオーヨウが「痛たっ!」と叫んだのにも、「……すまねぇ」としおらしく返すだけ。
「治療が終わってから花屋を再開したんだけどよ……あの件のウワサが広まっちまってて、全然お客が来ねぇんだよ。もう商売あがったりで……。昔は悪いこともしてきたけどよチキショウ、オレっちが何したってんだ! ポーシャ……と言ったっけか、てめぇさん、この事件はなんとしてでも解決してくれよ。副隊長さんもやられちまったんだろ? オレっちみてぇな被害者をこれ以上増やさねぇためにも……な」
 キュラとシャトラがかかりきりで究明するも、プラマラやハーフムーンが凶暴化した原因は謎のまま。ふたつの事件を目の当たりにしてきたポーシャは、これまでを思い返していた。共通点はいくつかある。全身から漏れだした橙色の闘気と、半ば操られたような朦朧とした吊り目。並外れた威力の技を、躊躇なく打ち出してきた。――まるで自分の欲望に素直に従っているように。プラマラはライシを手に入れようとポーシャたちを攻撃してきたし、ハーフムーンはタビィ王子に亡状を極めた者を殲滅しようとした。
 もともと紅い目をさらに充血させて、プラマラは恨めしく泣き崩れる。小さく震える彼を流石に不憫に思ったのか、オーヨウは複雑な顔をして右羽で背中をさすってやっている。
 そのとき。

 ――グルオォォォ――ッ!!

「ぴぃ!?」
 突然低い唸り声が轟いて、城が揺れた。オーヨウがひな鳥のような鳴き声を上げてプラマラを抱きしめる。それを「働かせてくれる」のサインと勘違いしたプラマラが、オーヨウの胸元にひっしと抱きつき返していた。
 窓際に駆け寄ったポーシャの目に映ったのは、おぼつかない操翼で遠くへ飛んでいくボーマンダ。一瞬だけ振り返った竜の左目には深い傷が走っていて。
 何事かと駆けつけた隣の第2医務室、酒場の大テーブルのような寝台のシーツには、今の今まで大型のポケモンが横たわっていたような(しわ)が寄っている。その奥ではタビィ王子が窓の桟によじ登り、呆然とその先を見つめていた。
 額に乗せる替えの布巾から水をしたたらせたまま、ボーマンダの世話を任されていたシャトラがポーシャへと説明する。エネコロロの首の飾り毛がつむじ風に揺れていた。
「ハーフムーンさん、突然目を覚まされたと思ったら『もうわしには王子を護る資格はない』と一言だけおっしゃって、飛び立ってしまわれました。まだ治療も不十分なのですが」
 遮るものが何もない窓際から、今にもタビィ王子が落ちてしまいそうで。ベッドを避けて傍に寄ったポーシャがそっと降ろそうと手を触れると、急にタビィ王子が振り返り、たっ、と床へ降りた。
 そのままぎゅっと抱きしめられる。とくん、ポーシャの心臓が高鳴って、王子を引き下ろそうと伸ばされた両腕が空中で固まった。
「タビィ、王子……?」
「……オーヨウに深い傷を負わせた。ムーンの暴走を止められなかった。闇ギルドのポケモンたちを見殺しにした。ポーシャの親代わりを叛逆者に仕立て上げた……ッ! 私は……間違えたのか。私があの夜、ダンジョンを探窟しようなどと言い出さなければ……っ」
「……毒にやられたチェリムの意識を取り戻せたんです。当初の目的はしっかりと果たせたじゃありませんか。間違ってはいない……はず、です。それと、騎士であるわたしなんかに触れるのは、あまりよろしくないかと……副隊長の件もありますし」
 間違いなんかじゃありません! とポーシャは断言できなかった。胸の中で王子は捨てられた子猫みたいに固く身震いしている。すがるようにして掛けられた体重、火傷してしまいそうな体温、鼻をかすめるラベンダーの刺激的なにおい。おかしくなりそうだった。
「もう……大丈夫だ。ポーシャには恥ずかしいところを、見せてばかりだな」
「は、っい……?」
 息のできないポーシャが硬直して十数秒経って、タビィ王子はそっと体を離した。ポーシャをまっすぐ見つめる藤色の瞳には、心に忍び寄る影を払拭したような力強い光。いつもの真摯さをとりもどした王子は、自分を言い含めるよう何度か頷いた。
「それでも……少し疲れてしまったな。今日は早めに休ませてもらおう。ムーンやジットクの件、私の代わりに父上へ献言してはくれないか」
「わかり、ました」
 胸のもやもやが未だに収まらないポーシャは、湧き上がった唾を飲み込みながら生返事をしていた。騎士になった日の夜、タビィ王子に誘われたことを無意識に思い出してしまっているのか。それともそのあとに起きたドラネとの閨事(ねやごと)だろうか。その(たぐい)の話はダメだ。喉が、かわく。ダンジョンでハーフムーンに詰問されたときも、気持ちがわだかまって窒息してしまいそうだった。



 ジットク侯爵の息のかかった騎士はシャムの城内に固められていたようで、彼が弾劾(だんがい)されてその後を追うように城を去ったジットク派が多数いた。謀反については騎士団全体に箝口令(かんこうれい)が敷かれたものの、1割を超える衛兵が失踪すれば動揺は隅々にまで波及していた。
 それとは別に、探窟部隊の混乱はさらに深刻だった。ゼブライカのライシはダンジョンに飲み込まれた闇ギルドのメンバーに実の弟がいたらしく、休暇を申し出て近頃練兵場に姿を見せていない。アブリボンのキュラは一連の事件の原因究明につきっきりだし、クロードから話を聞き出したマグカルゴのマイマグイは心を打たれて貧困層の救済に奔走しているとの話だ。ここ2日で気温が急速に下がり始めたせいでキテルグマのハッグは早々に冬眠休暇を申請したし、それにオーヨウとハーフムーンは事実上騎士団を脱退することになるだろう。叙勲式の夜、探窟部隊のみんなと大騒ぎした宴会が大昔の温かい記憶のように思えてきて。城内を歩くポーシャの脚取りはひたすら重たかった。
「それにしても……今日はやけに静かだな」
 長い廊下にぽつんと立ち止まって、ポーシャは後ろを振り返った。多くの騎士たちが城を去ったとはいえ、どこを見渡しても気配すら感じられない。守衛が交代する時間だから、それに伴って誰かの足音や会話が聞こえてきてもいいはずだ。独りごちたポーシャの声が、長い廊下を空しく反響して戻ってきた。
 太陽が西の城郭に沈んでいく時刻だった。廊下に等間隔に開けられたガラス張りの採光窓から、長い光が反対の壁を赤暗く照らし出していた。何もかもが赤く染まって見える。壁に掛けられた歴代の王のニャオニクスの肖像、擦り切れた絨毯のほつれ、早々に火の灯されたシャンデリア。
 ポーシャは自然と駆け足になっていた。数分と経たず謁見の間の大扉の前までたどり着く。急ぐ必要もないのに、息が上がっていた。
 守衛がいなかった。
 正確にはいないわけではなかった。倒れていた。ポーシャのゆうに6倍はある背丈の雄健なガオガエンが床にうつ伏せて動かない。信頼した友人に裏切られたような絶望を顔に浮かべたマニューラは、胸からひと筋の血の川を流し壁にもたれかかったまま。赤い絨毯の端に投げ出された爪、その先端が無念に光っていた。
「国王、へい、か……?」
 嫌な予感が、確信へと強まっていく。
 わずかに開いた大扉を押し開き、ポーシャは王座の間へ体を滑り込ませた。
 どうか杞憂であってくれ。懸命な彼の心の叫びは。無残にも打ち砕かれた。玉座から崩れ落ちるようにうつ伏せに倒れた深い青の体。その手前には一矢を報いる思い(おきみやげ)で自ら気絶したらしいハネッコの従者が、恐怖と驚愕の表情を縫い付けられたまま地に落ちている。ポーシャはしゃにむに這い寄りリンクス王の意識を取り戻そうと優しく揺り起こすも、指先は次第に冷たくなる王の体温を敏感に察知していた。転げ落ちた細身の王冠が空しく光っている。宮殿広場で遠くから眺めた威厳溢れる姿、呼び出された際に見せた茶目っ気のある姿。短い間ながらも生前の王の姿が脳裏にフラッシュバックする。あっ、ぅあっ……と声にならないうめきを漏らし、ポーシャは全身をわななかせた。
「そこのお前、動くな!」
 怒声にポーシャが振り返ると、今しがた入ってきた扉に屈強なブニャットとゴローニャが構えていた。一瞬固まったものの、咄嗟にポーシャは王を横たえ、バルコニーに通じる奥の扉へと逃げだしていた。騎士団の別部隊に所属する兵士だろうか、ポーシャと同じく瞬時に状況を把握してしまった(・・・・)彼らがとった行動は、実に正しいものだった。
 ブニャットに目で合図を送られたゴローニャが、大広間の反対側の扉へ向けて岩雪崩を展開する。中空から現れた無数の大岩は、ごうぅん、と砂埃を舞い上げて扉の前に瓦礫の山を作り上げる。
 唯一の安全な脱出口を塞がれたポーシャは、瓦礫に巻き込まれないよう身をよじる。振り返れば、玉座に駆け寄ったブニャットがリンクス王の首筋に手を当て「うなあぁぁぁ……!!」と痛切なうめき声を漏らした。ゴローニャもその場で片膝を落とし、どすん! と床石を殴りつける。打ち付けられた拳から漏れ弾けた電撃が、大理石の床に弾け無残に消えていく。
 殺気に気圧されるポーシャへ、ぎろり、と2対の猫目が同時に牙をむいた。
「お前は確か探窟部隊の……!」
 顔が割れていた。無理もない、王族を除けば国内にいるニャスパーはポーシャだけだ。捕らえられれば、王様殺しの疑いを弁解する間もなく喉元を爪で引き裂かれるか、雷を帯びた岩で押しつぶされるかだろう。逃げても無駄、国内をくまなく捜索されたうえ、宮殿の広場で公開処刑されるのが関の山だ。
 衛兵たちの気を逆なでしないよう、ポーシャは努めて冷静に言葉を選ぶ。
「ち、違うんですこれは――」
 瞬間、ポーシャの真横に飛んでくるロックブラスト。頬の毛をかすめ静電気を迸らせた大岩が、彼の背後で轟音を立てる。言い訳はおろか、声さえも聞きたくないという意思表示だった。
 にじり寄るブニャットが胴を挟む尻尾に力を込め、胸の毛をいっそう逆立てる。
「……必ず捕らえる、生きたままにな。王の無念、できるだけ長くその身に思い知らせてやる」
「そうだな、うんそうだ……次は外さないぞぉ」
 ゴローニャが次の岩弾を背中のレールガンに装填し、両手を地について狙いをポーシャに定めていた。そういう癖があるのか、発射する算段になって5,4,3……とカウントダウンを始めている。ポーシャは「0!」に合わせて念力を展開すると、弾を打ち出そうと踏ん張るゴローニャの体を90度ほど回転させた。
「発射ぁ!?」
「うお!? お前、何しやがる!!」
「あれ、おっかしいな、体が勝手に……」
「……あっ待てそこのニャスパー、止まれ!!」
 飛びかかってきたブニャットの爪が体をかすめる前に、ポーシャは入り口の扉へ全速力で走りだしていた。背中の癖っ毛が数本宙に舞う。逃げたところで誤解を解く打開策があるわけでもなかったが、話の通じそうな相手ではない。生存本能が愚直に目の前の危機から遠ざかろうとしているだけだった。
「逃がすな!」
 振り返りもせずにポーシャは長い廊下をがむしゃらに駆け抜けた。すぐ後を追いかけてくる重量感のある脚音がふたつ。小回りを利かせてブニャットののしかかりを切り返し、飛んでくる雷石を横っ跳びに避けていく。
 廊下の分岐を右へ左へ、階段を上っては下り。相手の連携がかみ合っていないのか、幸いにもその距離にはいくらか余裕ができつつある。けれど間隔を置いて放たれるブニャットの怒号(ハイパーボイス)が、城を警護するほかの騎士たちにも異常を知らせていることだろう。逃げ惑うだけで状況はどんどんポーシャの不利に傾いてゆく。
 ポーシャが逃げ出た先は袋小路になっていた。一瞬たじろいだが、そこはよく知る客人用の貴賓室。廊下の左右に木の扉が連なっている。
「どこへ隠れたかなぁ!?」
「わからん、部屋をひとつずつシラミ潰しにしていくぞ!」
 闇雲に飛び込んだ押し扉を背に、タビィは両手で口をふさいでいた。すぐ背後から衛兵たちの足音が分かれて遠ざかっていくのを、ピンと立てた耳で聞く。思わずつま先立ちになっていた。
 別の部屋の扉が荒々しく開かれた音が聞こえて、ようやくタビィは息を整える。酸欠から回復した視界が、見たことのある景色を映し出した。
「ここって……ドラネ隊長の部屋だ」
 2度あることは3度ある、とはよく言ったものだ。ドラネは留守のようで、机に置かれた燭台が、かろうじて深い闇を照らしていた。
 書庫かと思われるほどの本棚がポーシャを見下ろしている。見慣れてしまった藁のベッドが視界に入って、ポーシャは忌々しく首をぶんぶん振った。今は羞恥心にもんどり打っている場合ではない。どうにかして守衛2匹を煙に巻かなければ。ポーシャは身を隠せそうな物陰を探して、狭いドラネの部屋をくまなく調べ上げた。
 本棚の上段に隠れるためよじ登ろうとすると、古文書が1冊転げ落ちてきた。ぱたん、と立った音はわずかなものだったが、ポーシャは神経質に手で口をふさぎ耳を澄ませる。急いで落ちてきた分厚い本を拾い上げると、恨めしく目を尖らせた。
 それは表紙にも染みひとつない、よく手入れの行き届いたもの。――粗大なドラネ隊長にも几帳面なところがあるんだな。意外だった。机の上はぞんざいに散らかっているし、藁の寝具のシーツは、苦い記憶を呼び覚ますように薄黄色く遜色している。銛のように深々と食い込んだトラウマをかみ殺し、ポーシャは改めてドラネの部屋を逡巡する。
 そういえば、とポーシャは心に引っかかりを覚えた。ドラネの部屋には不可解な箇所がいくつもある。来賓に割り当てられるここらの部屋はすべて同じ造りのはずなのに、ここの間取りだけいやに狭い。壁に掛けられた防寒用のタペストリーは、本棚に押しつぶされ半分しか表に見えていなかった。本棚は壁から壁、床から天井までを隙間なく埋めていて、それはまるで空間を断絶するように目張りをしているようで。さらに言うならば蔵書はキャパシティの半分すら満たしていない。
 よくよく見ると、本棚と本棚の隙間が空いている。手をかざしてみれば、かすかに風が吹き出している。数歩下がって天井まで伸びる棚を見上げると、それはまるで巨大な謁見の間の大扉のようで――
 ――扉?
 猜疑の色を濃くしながら、ポーシャは手元の本を元の位置に戻す。念力できっちりと隣の本に揃えようとすると、本の厚さに合致するような溝にぴったりと嵌り、かちり、と小さな音がした。
 扉のように佇んでいた本棚が、ぎぎ……と軋んだ音を響かせて後ろにずれた。
「な……」
 絶句するポーシャが手で棚を横にスライドさせれば、奥に空間が現れた。首だけを突っ込んだポーシャは、漂う(かび)臭さに思わず鼻を押さえつける。それだけではない。侵入者を拒むような暗い気配が、風に乗りポーシャの頬を冷たく撫で上げた。
「隠し部屋……?」
 机の上の燭台を浮かせ、暗闇の先にそっと光を差し込ませる。ほのかに照らされた個室のもう片側は、見るに堪えない惨憺(さんたん)たるものだった。
 縦横無尽に走る夥しい爪痕。深々と爪撃が突き立てられた石壁は崩れ落ち、高価な絨毯は無残にも八つ裂きにされている。天井から落ちて割れたシャンデリア、窓に掛けられた埃まみれのタペストリーは、爪を研いだもののように激しく毛羽立っている。我を忘れた猛獣があたり構わず暴れまわった痕跡のよう。見ているだけで昏倒してしまいそうだった。じっとりと汗が噴き出してくるくせに、喉奥がやけに乾いて張り付くのをポーシャは感じていた。
「なんだよ、ここ……」
 ポーシャがおそるおそる足を踏み入れると、すぐに何かにつまずいた。振り返って足元を照らすと、死後かなりの時間が経っていると思われる誰かのしゃれこうべが、ぽっかりとその空洞をポーシャに向けていた。
「みゃひっ!?」
 胃の底からせり上がるものを抑えつつ上げたポーシャの悲鳴は、周囲の闇に吸い込まれて消えていった。邪悪な気配がとぐろを巻いて彼を取り囲んでいた。
 おそるおそるポーシャが歩みを進めると、先導していた燭台の炎が突然消えた。ひっ、と再度雌のように細く叫んだ彼が慌てて蝋燭を取り戻そうとして、気づいた。火が消えたのではない、燭台自体が無くなっている。慣れてきた夜目で部屋の中央をよくよく見ると、空間がねじれて歪んでいた。その向こう側に、細くなった光をつけた蝋燭が転がっている。
 それは、街角の花屋や朽ちた酒場で見つけたのと同じ現象。
「なんでこんなところにダンジョンが……」
 ポーシャの零した言葉を耳ざとく聞きつけたように、見つけたか? いやまだだー! と焦る守衛の声が部屋の外から響いてくる。咄嗟に振り返り、隠し扉をしっかりと閉ざした。見つかるまでの時間は先延ばしにできたが、それはかえってこの凄惨な部屋に閉じ込められた気がして、また胃の内容物を吐瀉(としゃ)しそうになる。
 このまま衛兵たちに見つかるのを震えて待っているだけではらちが明かない。それに、この隠されたダンジョンが最終決戦の場であることは、ポーシャは不思議と確信づいていた。
「行くしか……ない!」
 虚空を睨みつけ、ポーシャは脚を踏み出した。


ダンジョン:王室の地下監獄 


 迷宮に踏み入ったポーシャは、ひと足先に迷い込んでいた燭台を拾い上げた。念力で持ち上げあたりを照らし出し、めいっぱい瞳孔を開いて素早く警戒する。目に飛び込んできた光景に、危うく手燭を落としてしまうところだった。
 磨き上げられた大理石の石壁、ドームを描いた天井とその付近の装飾は、ポーシャがいつも見慣れている宮殿のそれで。敷かれている赤絨毯の編み方まで完璧にトレースされているのではと思ってしまう。違いはシャンデリアの明かりがほの暗いことくらいか。まるで鏡の世界に迷い込んでしまったような錯覚を覚え、ポーシャはしばらく動けないでいた。邪悪さを薄く何層にも重ねたような気配が、ポーシャの呼吸に合わせてゆったりと蠢いている。虚空が窓から忍び込んでくる。並ぶニャオニクスの肖像画に、じっと見つめられているような気さえする。
「なんでこんなに似て……いったい誰が」
 呟いた声は廊下の先に続く闇に吸い込まれていった。放心するポーシャに、ひたりひたりと影が忍び寄る。先ほどまで彼を追いかけていた衛兵と同じ種族のブニャット。単調な攻撃を繰り返す邪気を念力で軽くあしらうも、次から次へと現れる敵は、ほとんどが猫型のポケモンだった。中にはよく見知った顔もいる。医師長のエネコロロ、王に仕えていたハネッコ。心を失くし襲ってくるどの邪気にも、ポーシャの近くにいるひとの面影が浮かぶ。倒れたはずのガオガエンの守衛が炎を纏った拳を振り上げてきて、これはあの彼ではないと分かっていながらもポーシャはほんの少し安堵していた。鈍重な攻撃をかわし、拾ったワープの種を投げつける。探窟鞄もないため最小限のアイテムしか持ち運びできないが、それらを駆使し可能な限り戦闘は避けた。邪気の中にはリンクス王と同じニャオニクスまで現れる。
「王様……ごめんなさい、護れなくて」
 目をそらして、縛りの枝を振るう。硬直したニャオニクスは彫像のように動かなくなって、ポーシャは逃げるようにフロアを後にした。
 誰にも知られずに城内に隠されていたダンジョンは、迷宮(ダンジョン)と呼ぶにふさわしい構造をしていなかった。長い廊下がずっと続き、行き詰まると下層へと続く階段が現れる。そこを降りると、眼前には同じような廊下が真っすぐ闇へと延びているのだ。ポーシャはひたすらにそこを駆け抜けた。
 何十とフロアを跨いだだろうか、階段を降りたポーシャの視界が唐突に開けた。
 フロアの中央に、玉座が据えられていた。さして大きくなく、ひじ掛けや背もたれが黄金で縁取られ、座面と背面には真紅のクッションが敷かれた、それはリンクス王の座っていたものとほとんど――いや、まったく同じもの。
 そして、その前には。
「タビィ王子!」
 細やかな細工の施された脚へ(ひざまず)くようにして、王子は人形のように頭を垂らしていた。短剣を授かる新米騎士のように、王位の椅子へ向かって畏まったまま動かない。
「王子なぜこんなところに、お怪我は……ッ!」
 駆け寄ったポーシャがタビィ王子の顔を覗きこみ肩をそっとゆすると、吊り下げていた糸が切れたようにその体がしなだれる。床に崩れる前に、ポーシャは慌てて抱きかかえた。ビロードのような頬は爪で引っ掻かれたように3条の傷が走り、被毛の上からでも充血していると分かるほど痣が浮き出ている。子猫に遊ばれたようにマントは破かれ、短剣は玉座の脚元に転がっていた。胸元の金のロケットだけが静かに輝いていて、それが静かに上下している。呼吸はあるようだった。
 ふと気づいて、胸に王子を抱えたままポーシャは上を見上げる。眩しかった。この場にそぐわない無機質な光が、頭上から降り注いでいる。
 見れば空間に大穴が空いていた。
 穴の周りからは無数の触手を広げるように閃光の亀裂が走る。その奥から凝縮されたエネルギーの波のようなものが、とうとうとこちらの世界に向かって流れてきているようだった。
「なん……だよ、これ……」
 ポーシャのこぼした声は、反響して彼の元へ戻ってくる。燭台の掲げられた壁もドーム状の天井も、暗くポーシャに迫っていた。眩暈を起こしそうだ。
「この大穴は"極穴(ウルトラホール)"とアタシは呼んでるんだけど、にゃあ?」
「っ!?」
「そうビックリしにゃくたっていいじゃにゃい、うすうすは感づいていたんにゃろ?」
 唐突に響いた声に素早くポーシャが視線を戻すと、いつのまにか玉座にドラネが腰かけていた。まるでこの世界の王にでもなったように、優雅に脚を組んで、ひじ掛けに頬杖をついている。前脚からそっと降り、いつもと変わらない明るい猫なで口調で数歩近づいてくるドラネ。ただならぬ気配に、ポーシャはタビィ王子を抱えながら背後に飛び退いていた。
 腕の中でタビィ王子が、うっすらと目を開く。
「王子っ、大丈夫ですか? わたしの声が聞こえますかっ!?」
「……ぽ、ポー、シャ……? だ……ダメだ、すぐにここから逃げるんだ」
「それはできません。騎士として誓ったのです、タビィ王子をお護りしなければ!」
 ポーシャの宣言を聞いて満足そうにごろりと笑うと、ドラネは棘のような殺気を解き放った。衝撃波を伴って巻き起こった疾風に、よろよろと立ち上がったタビィ王子のマントが激しくはためく。遅れてふたりが顔を上げると、目に映ったのは最早よく知る光景だった。ドラネの全身から湧き上がる紅蓮の闘気は、チェリムやボーマンダの纏っていたものと酷似していて。
 虚ろな双眸を吊り上げたドラネが、地響きのようなだみ声で(たけ)る。
「さぁてポーシャ君……騎士として立派に王子を護れるようににゃったか、アタシの大試練を始めようじゃにゃいかぁ……!」


大試練 


 玉座を降りたドラネがそろり、そろり、とにじり寄る。山脈のように浮き出た猫背、肩甲骨が規則正しく上下し、ヘビの頭のようにもたげられた尻尾はリズミカルに左右へ振られている。ポーシャをしっかりと捕らえた黒目は、瞳孔が開き零れそうなほど拡張されている。飲みこむ唾の流れさえ見透かされているようで、ポーシャは背筋を震わせた。
 悪タイプのドラネに念力は通らない。初めて彼女と手合せした時につけられた胸の傷がずきり、と疼いた。鍛え上げられた後ろ脚の跳躍から放たれる鋭爪の一閃。ハーフムーンを一撃で地に伏したその破壊力が脳裏に甦る。とはいえ甘え鳴き(チャームボイス)など半端な技で遠距離から体力を削ろうにも、数段強力な喉鳴らし(バークアウト)で相殺されるのが目に見えていた。
 どうする……?
 腕から下ろした王子を後ろ手に庇いつつ、ポーシャはじりじりと後退していた。何か手を打たなければ、背中が冷たい石壁に押し付けられるのは時間の問題だ。ドラネから目を離さずに、ポーシャはタビィ王子に耳打ちする。
「わたしがどうにかドラネを食い止めますから、隙を突いて王子はダンジョンを脱出してください、玉座の裏に出口があるはずです……!」
「……ダメだ、それではポーシャが取り残されてしまう!」
「いいんです、王子が助かればそれで! ですので早く――」
 ――キん! ポーシャが言い終わらないうちに目前に迫る爪撃。対峙する相手からポーシャが一瞬意識をそらせたのを、ドラネは見逃さなかった。発条(ばね)のように縮めた身体が恐ろしい加速を生み、ひねりを加えた右前脚の爪が闇を裂いて鋭く光る。間一髪で見切ったポーシャは胸の前で前脚を交差させ、なまくらな爪の先端でかろうじてドラネの猫騙しを受け止めていた。(つば)競り合う爪越しにドラネのにたついた丸顔が迫り、ポーシャはすくむ背筋に奥歯を噛みしめる。
「うにゃあ、賢明な判断。爪の使い方もだいぶ慣れてきたみたいだにゃ。だけどそれじゃあまだまだ及第点はあげられにゃいにゃあ?」
「この期に及んで……何を言っているのですか……!」
「おみゃーこそ今さら敬語にゃんて使わにゃくてもいいのににゃ。律儀なヤツ」
 ぱしっ、とポーシャの腕を弾きまた体を拉げて距離を取ったドラネ。浅く食い込んだ爪の先に付着した血をベロリと舐め、満足そうに笑う。
「可愛い後輩にひとつイイコトを教えてやろう。知ってるかにゃ? おみゃー、なんでアイルーロス騎士団にすんにゃり入れたと思う?」
「……それは総隊長がわたしの実力を認めてくださったから――」
「違う違う! そんにゃわけにゃかろーが。おみゃーは国王に"買われた"んだにゃ」
「買われた……?」
 ポーシャはなるべくドラネの話を聞き流そうとした。相手はエスパーの通じない悪タイプだ、巧みな言葉遣いの裏に罠が仕込まれている。心を許せば、ほころびからたちまち崩されてしまうだろう。そう分かっていても、気づけば耳を傾けていた。ポーシャの瞳がわずかに揺らいだのを見て、まるで魚の小骨が詰まったように喉奥を引きつらせてドラネは笑う。
「反乱を起こすかもしれないジットク卿の手先を、わざわざ騎士団に入れて王子に近づけると思うかにゃ? それでもおみゃーが選ばれたのは、おみゃーがニャスパーだったから。ニャスパーは王族を除けばこの国にはいにゃい。おみゃーは、安い金で買い叩かれたんだ――王子の"身代わり"として、にゃ!」
「え…………?」
 意味が、分からなかった。
 いや、意味は理解できていた。身代わり。タビィ王子が反逆者に襲われたとき、敵の目を欺き王子を安全に退避させるためのスケープゴート。君主と騎士が交わした忠誠などとは程遠い、非常事態のための使いきりの捨て駒。
 わたしが、買われた? 王子の、捨て駒として……?
 もしかしたら、とポーシャは虚ろに思う。もしかしたら、もう自分はうすうす気づいていたのかもしれない。気づいていながらそうでないはずだと自己欺瞞を練り固め、タビィ王子をお護りする使命感という束の間の安寧に心を落ち着かせ、関係が破綻しないよう細々と願いながら、自分の置かれた状況から目を背けて……――
 白の塗料を貯めた甕をひっくり返してしまったように、頭の中が無に浸食されていく。何も考えられない。呼吸をつませて酸素の薄くなった脳が、肉球にまで浸水する雨水のようにじりじりとパニックを募らせていった。
 拒絶反応を起こすポーシャの脳内へ、無慈悲にも上書きされるドラネの猫なで声。
「考えてもみるんだにゃ。領内にボコボコとダンジョンが続発して、国家転覆を図るなら国中が混乱している今が絶好のチャンスにゃろ? 王子はいつ命を狙われてもおかしくにゃい状況だったんだにゃ。だから、瞬時にすり替えられる同じニャスパーの影武者を傍に置いた。反吐が出る父親だったけど、こういうトコは懸命だったにゃー、評価してにゃるよ」
「な……んで、わたし、が……っ」
「呑み込みが悪いにゃあ、その"わたし"って口調も、王子に寄せるよう王様からしつけられたものにゃろ? よォく似合ってるにゃよ」
 咄嗟にポーシャは脇のタビィ王子を見た。すぐさま否定するだろうと信じていた王子は、しかし俯いて黙ったまま。「そんなの嘘です……よね」とポーシャが詰め寄っても、さっと視線をそらされる。「……違うポーシャ、誤解なんだ」弱々しく繰り返す王子の声色には明らかに動揺が見て取れて。同意を求めて浮かべた余裕のない笑みが、宙吊りになったままポーシャの表情を硬直させていた。
「この程度のゆさぶりで戦意喪失してちゃ、騎士の風上にもおけにゃいにゃ?」
 ごろごろと低い唸り声が近くで聞こえたと思うと、気づけばポーシャは弾き飛ばされていた。受け身を取ることもままならず硬い床の上を2,3転し、したたかに後頭部を壁へと打ち付ける。衝撃に体がのけ反った。転がった拍子に石の欠片が首回りの体毛から飛び出し、かっかららん、と熱い鉄板の上を逃げ惑う子鼠のように飛び出していった。
「さぁて王子……ポーシャ君の前で情けない悲鳴は上げられにゃいよにゃあ?」
「……っ!」
 みぞおちを押さえポーシャが何とか頭を持ち上げると、ぶれる視界の端に映る、ドラネの魔の手に絡めとられまいと踏ん張る王子の横顔。それがわずかに恐怖に包まれたのを見た瞬間、ポーシャの頭は吹っ切れていた。
 ――身代わりがなんだ、僕は王子をお護りすると、誓ったんだ!!
 上体を起こしながら、恥も外聞もなく叫んでいた。
「や――やめろッ!!」
「五月蠅いにゃあ、やられたヤツは黙って見て――!?」
 我が身に何が起こっているか、ポーシャ自身でさえよく分からなかった。
 こちらを見たまま絶句するドラネの顔が、いやに照り返して見える。まとわりつく熱を振り払い、這い起きたポーシャはしゃにむに駆けだしていた。傷を負ったはずの体が嘘のように軽い。踏み込んだ1歩がやけに大きく感じられる。
 伸ばした爪が――届く。きィん! 鋭い衝撃音。見上げずとも交差する視線の先で、ドラネが満足そうに笑う。弾かれた。たたっ、と伸長した脚で軽やかに後退し、重みの増した耳を持ち上げサイコパワーを張り巡らせる。力が、みなぎってくる。初めて使う技でも、扱い方が自ずと頭に浮かぶ。生まれつき体が知っていたような感覚だ。ミラクルアイ。ドラネのような心の見えない悪タイプでも、心眼によって念で圧倒できるようになる。一段と強力になったサイコキネシスでドラネを宙に吊り上げた。
 しかしそれでも、彼女は寡言な高笑いを崩さない。
「土壇場で進化するとは……魅せてくれるじゃにゃいかポーシャ君! だけど……まだまだ甘い」
 これが、進化か。有り余る熱に覆われ瞭然としない頭で、ポーシャはようやく事態を飲み込み始めた。ニャオニクスに進化を遂げ新しい技を会得できたのは僥倖だった。不格好な爪術だけでは遠くドラネに及ばないことは痛感していたから。
 とはいえ、サイコキネシス程度の拘束でドラネが易々と捕縛されるはずがなかった。念糸の網が(ほころ)んでいた爪先のあたり、そこが闇色に輝いたと思えば、悪魔の触椀のように伸びたシャドークローが地面に突き刺さり岩の断片を巻き上げた。捕捉対象を見失ったポーシャはバックステップで後退する。タビィ王子の周囲へ防御壁を展開するも、そのうちにドラネは闇の中へ行方をくらませていた。
 いつの間にかシャンデリアの炎が消えている。闇が巣食う玉座の間に、ドラネの猫なで声だけが反響する。
「タビィ王子……。アタシはこのときを、おみゃーに復讐できるときをずっと待っていたんにゃよ?」
「出てきてください! またそうやって言葉で惑わすつもりなんでしょう!?」
 ポーシャが叫ぶも、闇はただごろごろと笑うだけ。構えるふたりを嘲笑うように四方面からドラネの声が響き、方向感覚が抜け落ちてしまいそうだった。
「王子にもひとつ、イイコトを教えてやるにゃ。そこのポーシャ君……アンタが密かに想いを寄せている影武者で新米騎士のポーシャ君のはじめて(・・・・)は、アタシが貰っちゃったんだにゃあ」
「な……にを言って、いる?」
「そのくらい分かるにゃろ? そこの彼はもう童貞(チェリンボ)じゃないってコト。アタシがしっかりと進化させてやったんにゃよ」
 ドラネの切口上にまんまと毒されたタビィ王子は、カラクリのようなぎこちなさでポーシャを見上げていた。その淡紫の目が動揺を隠しきれないほど揺らいでいて。そんな瞳で見つめられ、喉奥からせり上がってくる苦い泡のようなものにポーシャは息を詰まらせた。つい今ほど身をもって味わった絶望を、役割をすげ替えて再体験させられている。瞬時にそう理解した。「ドラネの戯言に耳を貸してはなりません!」と振り払えばいいだけなのに、奴の言うあの夜の甘い痺れがぶり返してきて、猥雑な熱がポーシャの頬を染めていた。進化して倍近く離れた背丈で、タビィ王子から隠れるように視線をそらせる。「うそ……」と染み出したような小さなうめき声が、ポーシャの背中をぶるり、と震わせた。
「滑稽だったにゃあ、情けない顔してアタシの中でびゅっびゅってしたの。そうだ、どんな喘ぎ声だったか聞かせてあげようか? 『んぁ、ふみゃぁああ――」
「やめないかッ!!」
 気丈にも叫んだタビィ王子の背後の闇が蠢いて3条の(きらめ)きが走るのを、咄嗟に振り向いたポーシャは見た。リフレクターの持続が切れるタイミングを狙い澄まして叩き込まれたシャドークローは、吸い込まれるようにタビィの背中へと収束していく。
「危な――」
 叫びきる間もなく、ポーシャはその間合いに体を滑り込ませていた。
 ぐっ、と腹部を掌で優しく押されたような感覚。自然と背を丸める体勢になったポーシャには、闇からにょきりと這い出た灰色の猫手が、自分の皮下へと食い込んでいくさまがやけにゆっくりと見えた。生爪の宛てがわれた青灰の短毛がちりちりと悲鳴を上げ、数本の束になって刈り取られ宙に舞う。内臓が押し上げられる浮ついた感覚、そのまま手放すように引き抜かれると、てらり、と爪先に黒光りする液体が付いていて。
 血だ、自分の体から出ている、温かい血。そうポーシャが悟った途端、爪先から毒が流されたのではと錯覚するような激熱が全身を駆け抜けた。奥歯を噛みしめ、涙が浮いた。
「っ、ぐぅ……ッ!?」
「……それでようやく合格ラインにゃよ、ポーシャ君」
「ポーシャあっ!?」
 爪刃に貫かれたポーシャの脚が地に着く前に、横なぎに飛んでくるテールウィップ。彼の鳩尾に食い込んだそれは、進化して体重の増した青い体をいとも簡単に吹き飛ばした。「げっ、へ……!」と地面に吐血するポーシャを一瞥して、ぬるりと闇から姿を現したドラネが鼻を鳴らす。這いつくばるポーシャに駆け寄ろうとするタビィ王子の前へと回り込み、愉快そうに髭袋を膨らませる。
「タビィ……アタシはずっとおみゃーが許せにゃかった、おみゃーが王子として皆に愛され、ゆくゆくは国を統べる統治者になるのが。……本来ならアタシが王位に就くはずだったのに!」
「な……にを、言っている?」
 ドラネはその場で8の字を描くようにゆっくりと廻っている。蛇が獲物を追い詰めるようにじっくりと、後ずさるタビィ王子に舌舐めずりを打つ。にたついた笑みは生まれつきそうであったようにぴったりと顔に張り付いたまま。
「アタシが! 分家の生まれで王位継承権は末席のアタシが、将来どこかのポッと出の貴族の知らない中年オヤジに嫁がなきゃなんにゃいにゃんて、耐えられるはずにゃいだろ!? アタシ自身がこの国の王になるために兄や姉を抹殺していったまではよかったよ。父上ったら、あろうことかアタシより後に生まれたおみゃーを、代々王様はニャオニクスだからと言って次期国王に仕立て上げようとした! アタシの計画は全部パァさ! さっき殺してやって、やっと胸が清々したよ」
「父上を……殺した……!?」
「耳を貸しては、いけません……、おう、じ……お逃げくだ――グふっ!!」
 急所に一撃をもらい動けないポーシャの頭を、機嫌よく上下に揺らされていたドラネの尻尾の先が打ち据えた。子猫を撫でるように彼の頭で尾の先がゆるゆると円を描く。冷えた床に顎を押さえつけられたポーシャが何とか顔だけ上げると、ドラネの灰色の四肢の間から硬直したタビィ王子の顔が見えた。王子のぐっと広がった瞳孔が、揺らぎながらどんどん黒く染まっていくような気がした。
「どうしてほしい? 好きなひとをむごたらしく殺してやろうかにゃ? それとも目の前でもう1度犯してやるか? タビィ、おみゃーの好きな方法で絶望させてやるよ……!」
「ふ……ふざけるなッ!! お前の身勝手な我儘でポーシャを、この国を奪われて、たまるかああッ!!」
 激昂して叫ぶと、タビィ王子は首にかかった金のロケットを荒々しく引きちぎり、地面に叩きつけた。しゃらららん、と鎖が猫の尻尾のように弧を描き床石を滑る。
 何を、とポーシャが言葉を漏らす間もなく、タビィの姿が白い光に包まれる。
「……にゃ」
 強烈な光を前に、ドラネは目を細めにやけた口許をさらに吊り上げた。進化の光だ。
 体毛が増えた尻尾は二又に分かれ丸くしなる。ミトンのように扁平だった耳は縦に長く伸び、その中ほどで折れ返る。体長がぐっと伸び、マントが腰のあたりまで持ちあがる。
 光が鱗粉のように拡散して、進化したタビィ王子の姿がポーシャの目にも入った。それはリンクス王や自分と同じように青い被毛に覆われ、少し吊り上がった翡翠の双眸、シャープな白のラインが走る紡錘形の耳をしたニャオニクス――
 ではなかった。
 柔らかい曲線を描いた白の癖毛が腰回りから跳ね、先端の丸まった耳や多毛な尻尾の基調となるのは白。ポーシャの体を覆うような青い体毛は首周りや頭、手足の先だけに留まっている。トパーズを嵌め込んだような瞳は半目のようにドラネを睨みつけていて。
 隠しようもない、それはタビィが雌であるあかしだった。
「た、タビィ王……じ…………?」
「んにゃはァ! だからぁ、タビィは王子じゃないんだって、王女なんだってぇ! あーあ、今までずっと隠し続けてこれたのに、とうとうバラしちゃったにゃ。死んだ王様の言いつけにゃのに、守らにゃくていいのかにゃあ?」
「黙れッ!」
 ヒステリックに打ち出されたタビィのシグナルビームは、ドラネの突き出した爪に弾かれて壁に吸わされ、大理石の欠片を飛び散らせただけだった。念動力を暴発させ琥珀色に輝くタビィの瞳には、言い知れぬ激情が渦巻いていて。遠隔技が通らないと知ると、両の指先から可愛らしい爪を飛び出させ、ドラネに躍りかかった。
 進化したとはいえ、ドラネを相手するにはあまりにも拙い爪術。冷静さを欠いてまともに狙いも定まらないタビィは、揺れ動く狗尾草(ネコジャラシ)で遊ばれるようにドラネの手玉に取られていた。右手を出せば同じだけ左の肩を引かれ、腹を狙えば凹ませられる。タビィは涙を散らし言葉にならない呪詛(じゅそ)の呻きを上げながら前脚を振るうも、爪の先がドラネにかすることさえない。一方的な凌辱(キャットファイト)。隙を伺いポーシャが援護しようにも、遠距離攻撃が万一タビィに当たるともわからず手が出せない。
「お前が父上を、手に掛けた!! 兄さんも姉さんも、ポーシャまでもっ!!」
「心配するにゃって、おみゃーの息はまだ奪わにゃいから」
「んなぁっ!」
 半狂乱に爪を振るうタビィの腹を下から(すく)うように、とぬっ、と差しこまれるドラネの前脚。的確に急所を捕らえられたタビィの体が、きれいな弧を描いてポーシャのすぐ隣に飛んできた。白の細毛が数本舞う。
「く、そぅ……!!」
「う゛みぁ……っ! お、王子、しっかり……!」
 匍匐(ほふく)して下敷きになり、落下の衝撃を肩代わりしたポーシャが呻いた。砂山のように折り重なるニャオニクスを嘲笑うような視線で眺め、ドラネは額の青い宝石を妖しく光らせる。縄張りを見回るような足取りでふたりから少し離れると、じゃら、鎖が地面を滑る音が微かに響いた。
 タビィがちぎり捨てた金のロケットペンダント。ドラネが蝶番に爪を引っかけ無造作にそれを開くと、小さな中身を取り出した。それはきらびやかな宝石でもなく、リンクス王の肖像でもなかった。彼女の手に握られていたのは、雛が孵った卵の殻のような、いびつな半球状に割れた石の欠片。
「アタシもおみゃーらからひとつイイコトを教えてもらったにゃ。にゃるほどね、これで合点がいったよ。……ポーシャ、おみゃーが"本当の王子(・・・・・)"だな?」
「え……」
「は……?」
 タビィのロケットから取り出した欠片と、もうひとつ。ポーシャが大切に身に着けていた宝物、ドラネに投げ出されたときに飛び出したそれが、彼女の手の中で弱く光を反射している。
「おみゃーがさっき落とした石……こいつとタビィの持ってたヤツを嵌めると……ほら」
 ドラネの手の中には、ふたつの石の亀裂がぴたりと整合し、ひとつの円い卵型になった石があった。それは城下町の露天商でもよく見かける、特徴もない変わらずの石。
「この国の古いまじないだにゃ。王族の子息の守護を祈って、同じ時期に生まれた男児と女児へふたつに割られた変わらずの石を持たせるんだにゃ。第2王子はアタシが砂の大陸でしっかり奴隷商に引き渡したはずなのに……まさか生きて再開するとはねぇ!」
「そんな……だってわたしは砂の大陸の生まれで……」
「召使いになる前の記憶は曖昧にゃろ? 石のまじないが効く、つまり持っていれば進化しにゃくなるのは正当な王族だけ。おみゃーが今までずっとニャスパーだったことを考えれば、王家の血を継いでいるのは明らかにゃんだにゃ」
 長い間離れ離れだったふたつの欠片が、ようやく再会を果たしひとつになった変わらずの石。手の中のそれをドラネは高く放り上げると、のそりと腰を持ち上げた。目にも止まらぬ速さで爪が空を切る。彼女の目の前に落ちてきたふたつの欠片は、一瞬で修繕できないほど粉々に砕け散った。
「憎たらしい王族をあとふたりもこの手で葬れるなんてにゃあ……。決着をつけようか、兄妹(・・)ィ……!」
「……まだ戦えますよね、王子っ!」
「もちろんだ。ここで勝たねば……国が亡ぶ!」
 体勢を立て直したポーシャとタビィは、打ち勝つべき宿敵と対峙していた。


決着 


 歯牙にもかけられない、とはこのことだった。
 ドラネに掛けたミラクルアイは、幸いにもまだ効力が持続しているようだった。彼女を前後から挟むように分散したポーシャとタビィは、隙を窺いつつ強力なエスパー技で捻り上げようとする。しかしドラネは念糸のゆるみを的確に突き、捕獲さえさせてくれない。とはいえポーシャがサイコパワーを高めようと目を閉じれば、タビィの短い爪をいなしたドラネから強力なバークアウトを喰らってしまう。
 それならばと隙の少ない爪術を軸に切り替えたものの、打ち倒さなければならない相手はポーシャが師事するドラネその方だ。普段の訓練でも小指の爪先さえ届かない強敵に、ポーシャは焦りの表情を強めていく。
「ほらほらポーシャ君、腋が空いていると簡単に避けられるって教えにゃかったかにゃ?」
 場違いなアドバイスを送るドラネの頬が、ふらりと右に逸れた。今爪を伸ばせば、間違いなく届く。確証を持って繰り出したポーシャの爪撃は、しかしドラネの顔を捉えることなく空を切る。
 躱された。届かないと分かれば、ポーシャはすぐに体をひっこめる。爪を避けられたのは何のことはない、ただの重心移動だ。首を引き胸を少し下げ、後ろ脚に体重を掛けただけ。4足歩行のポケモンの多くが爆発的な瞬発力を発揮するのと仕組みは同じだった。しかしそれを数フィート単位で正確に扱うドラネは、やはり尋常でない。全く間合いが読めなかった。
 ……それにしても。ポーシャは辛辣に歯噛みした。ドラネ隊長なら、今の隙を突いて致命傷を与えることだってた易いはず。なのに張り付いた笑顔をひけらかし「雌の顔を傷モノにするなんてどうかと思うにゃ?」とでも言いたげに鼻を鳴らす。こっちは必死で打ち倒そうと躍起になっているのに、ドラネはそれすら弄び楽しんでいるのだ。
「にゃー……」
「……くそッ」
 ポーシャは吐き捨て、再度爪を尖らせる。大地に根差したような前脚を狙うと、今度は俊敏なステップで躱された。詰め過ぎた間合いは強烈な猫パンチで切り返される。何度目かも分からぬ爪撃を短い爪で受け流したポーシャは、バックステップで距離を取り顎の白い飾り毛からしたたる汗を払う。
 ドラネの後ろに回り込んだタビィも、もうすでに息が上がっていた。一見無防備に見える後ろ脚は、重心移動と軽い脚さばきによる回避でかすり傷さえつけられない。踏み込めば、しなやかな尻尾で的確に打ち据えられる。隙を窺いシグナルビームを狙い撃つも、身をかがめて避けられた。目が尻尾にも付いているようだった。
 アイルーロス騎士団の一個隊を任される彼女の実力は、やはり疑いようのないもの。青くさい騎士ふたりを同時に相手にするなど、ドラネにとっては毎晩の照灯持ちよりも容易に片付けられる些末なことなのだろう。
 消耗のペースは明らかにタビィたちが不利だ。らちの明かないじゃれあいをこのまま続けられれば、それこそドラネの思う壺。タビィはポーシャに視線で合図を送る。彼が目で頷いたのを確かめると、ひと呼吸置いてふたり同時に飛び込んだ。前後から距離を同時に詰めれば、さしものドラネも重心移動で躱すことは叶わない。そして彼女が前かがみになった今は、横に跳ぶような大ぶりな回避は間に合わない。
「捕らえた……ッ!」
 タビィの伸ばした爪が、ドラネの尻尾のつけ根に届く。そう確信した瞬間、いつの間に振り返っていたドラネのぎらついた目と目が合った。前脚が届くように力を込め細められていたタビィの瞳が、驚愕に見開かれた。
 読まれていた。
 タビィたちの蹴り出した脚が大地を離れる瞬間を見計らい、ドラネは体をしならせていた。右の脇を縮め左を伸ばし、後脚に体重を戻しつつそのまま背後に飛びかかる。勢いのついたタビィ目がけて、振り向きざまに打ち抜かれるドラネの左前脚。
「甘いにゃ?」
 ポーシャはつんのめりながらも、咄嗟にリフレクターを繰り出した。進化して会得した早業(いたずらごころ)で、ドラネの急襲がタビィに届く前に緩衝壁を展開させる。遠心力のかかった左の豪腕をリフレクター越しにどうにか受け止めたタビィが、衝撃に後ろへ吹き倒された。致命傷は免れたとポーシャが胸を撫で下ろしたのも束の間、遅れて薙がれたドラネの尻尾が、彼の横腹をしたたかに打ち上げた。
「おみゃーも甘い甘い。ふたり揃って蜂蜜漬けかにゃ?」
 そのまま尻尾をポーシャの胴へ巻き付けたドラネが、仰向けに倒れるタビィにのしかかる。空中に吊るされたポーシャが爪を振るうも届かない。タビィを護るリフレクターに立てられた鉤爪が、きぃィ、と彼女の目前で耳障りな音を響かせる。
「基礎的な体術は未熟、技を繰り出す初期動作は隠す気もなし、連携パターンは一辺倒……。おみゃーらの指導者として、ひたすらに恥ずかしいばかりにゃよ」
 進化を遂げたとはいえ、何もかも及ばなかった。
 タビィの喉元に迫る爪が、ぴしり、とリフレクターに(ひび)を入れる。池の底を覗きこむように近づいたドラネの丸顔が、波を打つように恫喝する。
 気圧されながらも、タビィは折れなかった。まだ手の内はある。ずいぶん前に放った布石が発動すれば、まだこちらにも勝機は――
「おみゃーが仕掛けた未来予知、そろそろ(・・・・)だろ」
 ――これさえも、見切られていたか。
 声を低く響かせるドラネの下で、タビィの双眸がふるり、と揺らいだ。ポーシャとともに捨て身で飛びかかったのは陽動で、本命はタイミングを合わせて放った高威力の未来予知。シグナルビームに交えて隠し込んだ切り札も、彼女には通じない。
 ポーシャを絡めとったドラネの尻尾が、何かを探るようにゆらゆらと左右に振られている。彼女の意図を理解したタビィの瞳が、一層激しく震えあがった。
「予知したのはここらへん? ……どうにゃ、自分の放った技でポーシャが潰される気分は」
「やめ……やめてくれ、ポーシャが死んでしまう!」
「にゃ? 元はアタシにぶち当てるつもりだったんにゃろ? なに、アタシは死んでも構わにゃいってワケ?」
「違う、そうではなくて、ダメだ……お願いだ、ポーシャまで失ったら私は、私は――」
「……にゃふ、にゃ、にゃっあっあ……! いいねぇその顔、おみゃーのそんな顔が見たかったんにゃよ……!!」
 こらえきれないように腹の底から笑うドラネ。未来予知が彼女の真上で空間をひずませて、それを横目で見たドラネが尻尾からポーシャを高らかに投げ上げた。
「絶望しろ」
 時空を隔てて放たれる、高密度で凝縮された念の結晶。空中でバランスを失ったポーシャへと、寸分の狂いなく無数の礫が襲いかかった。
「ぎみャあぁ!?」
「いやぁ、ポーシャあぁぁああ!!」
 タイプ相性ゆえに威力は半減するとはいえ、体力の削れているポーシャにとってはほとんど致命傷だった。悲痛に響く断末魔、タビィはのしかかるドラネを跳ね退け、転がるように駆け出していた。白煙を上げて墜落するポーシャ目がけて跳びつき、抱き留める。
 もつれあって硬い地面に投げ出されたふたり。こすれて砂埃にまみれるのも厭わずに、タビィはポーシャを抱き起こして揺さぶった。
「ポーシャ、大丈夫かっ!? すまない私のせいでこんな目に……! 頼むからポーシャは私から離れないでくれ……っ!!」
「げっほ……お、落ち着いて、くださぃ……王子、わたしはどこにも、っつぅ、いなくなったり、しませんから……!」
「よ、よかった……」
 ポーシャを介抱したタビィが、迫るドラネをきっ、と睨み返す。下らない芝居を観せられたように大きな欠伸をついた彼女が、全身を奮い立たせるように唸る。紅色の禍々しいオーラが、いっそう濃く立ち昇った。剥きだしの殺意に、ふたりは全身の毛を逆立てた。
「そろそろ飽きてきたし……おみゃーらいい加減くたばれに゛ゃああああ!!」
「私は……私たちは負けない、おまえを討ち下して、平和な国を取り戻す!!」
 がなり立てられるドラネのバークアウト。耳をつんざくその咆哮に、けれどタビィは勝ち気に闘志を燃え上がらせる。
 闇夜の猫又と謳われるドラネといえど、彼女の戦闘能力は研ぎ澄まされ過ぎていた。その身に纏うオーラの影響なのか、とタビィは冷静に(かんが)みる。彼女が何かしらの力で能力を底上げしているのなら、己だって可能なはずだ。ほとんど自己に向けた暗示のようなタビィの瞑想は、けれど十分に効力を発揮したようだった。
 力のみなぎった耳を展開させ、目玉模様の発念器官をこれまでになく輝かせる。抑制など捨てきった、猫をかぶらない彼女の執念。充填されるエネルギーが、周囲の大気に渦を巻く。重力さえ凌駕した凝縮力が、あたりの塵を巻き上げる。きゅう……と不穏な振動が響き、光が丸く吸い寄せられる。発動した彼女自身の体さえ、高威力の技に持っていかれそうになる。
「決着を付けるに゛ゃあ!!」
 ドラネが吠え、一直線に突っ込んでくる。幽玄の闇のような殺意を纏った彼女が、黒いもやの塊のように見える。憎悪の間から紅い闘気の鬣をゆらめかせ、額の宝玉を漆黒に染め上げて。影の斬撃を纏わせた爪のシャドークローが、タビィを仕留めようと鋭く延びる。
「お……王、じ……いまですッ!!」
「これが私と、ポーシャの、力だああああああ!!」
 よろめきながらも立ち上がったポーシャが、どうにか援護術(てだすけ)早業(いたずらごころ)で2回掛けする。攻撃能力を補佐されたタビィが、さらに強く全身をたなびかせる。釣り上げた半目を琥珀色に光らせ、ピンとしならせた耳から念動力をフルパワーで解放して。タビィは突き出した手のひらから、極大の念球を無数に打ち出した。跳んで斬りかかるドラネを捕捉した光の球が、闇を浄化するように一点へと凝集する。
「にゃ……んと大きい……!」
 閃光。音さえも焼き切れたのかというほどの、一瞬の静謐。腕で庇いながら、タビィがどうにか薄目を開く。空間に焦げ付いたように長々と明け残る、すずなりに揺れる光の玉。季節を先取りしたように舞い踊る、白く温かい光の雪華。
 終結はあえないものだった。
 しらしらと光が収束すると、そこにドラネが倒れていた。能力を蓄積させたタビィの念球(アシストパワー)は、底知れないドラネの体力を一瞬で吹き飛ばしたようだった。もう体をもたげるスタミナも残っていないのか、地に這ったままおぼろげにタビィたちを見上げるだけ。
「おみゃーらの……勝ちにゃ……」
 けふ、腹がくちたように満足げに息をついて、横たわったドラネが口周りを舐める。タビィは放心したように棒立ちのまま、浅い呼吸を繰り返している。同じく余裕のないポーシャは腹の傷が痛んで、片膝をついて蹲った。これではどちらが勝ったのか分からないな、とポーシャは内心やるかたない。
「や……ったんだ……な」
「それは倒していない時に言うセリフにゃよ……。けどアタシももう立ち上がる気力すらにゃいし……じゃー最後に、イイモノ見せてあげるにゃあ。に゛ゃ、あ゛あ゛あ゛あ゛……!!」
 のんきに伸びをするように背中を丸めたドラネの頭部が突然、ぼぢゅ、と膨れ上がった。咄嗟に手で口を塞ぎ後ずさるタビィ、ポーシャは体を引きずり彼女を庇う。彼らの目の前で、ドラネの頭が水饅頭のように膨張していく。ぶち、みちィ、組織が内部から引きちぎれる音、オニシズクモの水泡のように破裂しそうなほど肥大した頭部が、眼球を圧迫していびつに押し潰す。血とも(よだれ)ともつかない黒紫の液体を垂れ流した口許、そこへ亀裂が不意に横へと走り、頭蓋が削がれるように宙へ浮かんだ。
 蛹から成体が這い出てくるようにそれ(・・)が鎌首を持ち上げた。金魚鉢をひっくり返したような頭部は背景が透けて見えるのではないかというほどの白透明で、その下部ではガラス質の無数の触手が虫の腹のように蠢いている。ペルシアンの繭から完全に羽化すると、そのメノクラゲのような生命体はきょろきょとあたりを窺い、少女のようなあどけない仕草を見せた。
「○※△☆#%@&□……?」
「に゛ゃあ、アタシは、心配しなくて大丈夫……。ほら、初めて会うポケモンには、ご挨拶しなきゃ、にゃろ?」
 発せられる奇怪な鳴き声。この世のものとは思えない不気味さに、ポーシャとタビィはたじろいだ。彼らに気づいた怪物は機嫌を窺うようにふらふらと触手をひらめかせる。目があれば好奇の色で輝かせていただろう。
「なん……だ、そのおぞましい生物は……」
「おぞましい、ってのはあんまりだにゃタビィ。この子は"ウツロイド"という種族のポケモンで、そこの穴――極穴(ウルトラホール)の向こうに棲んでるんだってにゃ」
 玉座を真上から煌々(こうこう)と照らす大穴を尻尾で指して、ドラネは乖離した組織の裂け目から垂れてきた自身の血液をべろり、と舐めた。癒着していたウツロイドが引き離れた影響か、全身の被毛から青灰色が吸い出され、クリーム色になっている。邪悪な闘気も消えていた。頬は痩せこけ円らな目は吊り上がり、額の宝石も紺碧から真紅へと様変わりしていた。
「可愛そうにゃことにウツロイドちゃんはダンジョンの中じゃにゃいと生きられにゃいらしい。アタシたちの世界とは空気の流れ方が違うんにゃって。で、どうしてもこっち側が見たいって言うから、寄生させてあげたんだにゃ」
「き、寄生……」
 縫合した傷口が開いたように浅黒い血が溢れ続け、彼女が喋るたびにぼこぼこと吹き上げる。いつ失血してもおかしくない出血量なのに、ドラネはかまわず喋りつづける。
「寄生されると、身体能力が強化されるうえ欲望のままに動くようになる。まっさかアタシの上昇した能力変化をタビィが自己暗示して、しかもアシストパワーで吹き飛ばされるとは思ってなかったけどにゃ。……ともかく寄生された姿は、おみゃーらもよーォく心当たりあるにゃろ? アタシがこっそりダンジョンに付いていって、この子に遊ばせてあげてたんにゃよ」
「うそ……」
 大きく見開かれたタビィの瞳が、全てを理解してしまったように激しく震えた。色こそ淡いが忘れるはずもない、全身から立ち上る禍々しい闘気。露出狂のチェリムも我を忘れたボーマンダも、ダンジョン内で自身の内に秘めた欲望を暴走させ、体内に残った神経毒にやられ動けなくなっていた。
 それもすべて、ドラネの差し金だった。
 場の空気を読むことを知らない幼児のように、ウツロイドは楽し気に触手どうしを絡ませひとり遊びのようなことをしている。眼窩(がんか)からも血を流し始めたドラネが、見かねた母親のように言い聞かせる。
「ホラ、そこの兄妹が遊んでくれるってにゃあ」
「%○&△@◇¢£▽……♪」
 触手をゆらゆらとはためかせながら、ウツロイドは糸を手繰られたようにふたりへと近づいてくる。握手を求めるように触手がポーシャの手の先に触れる瞬間、彼は瞬時に耳を展開しサイコキネシスで怪物を拘束すると、なけなしのサイコパワーを振り絞りそのまま玉座へと叩き潰した。
「#%$€^%!!」
 金に塗装された玉座の脚が折れ、ウツロイドは浜辺に打ち上げられた魚のように幾度か痙攣を繰り返す。透明だったガラス質は見る間に白く濁っていき、ついには動かなくなった。あっけなく気絶したウツロイドを潰れた目だけで振り返り見ていたドラネが、地面に横たわったまま口を開く。
「あーあ、やられちゃったにゃー……にゃっあ、にゃっあっあっあっ……!」
「何を笑って……!? 自分が何をしてきたか分かっているんですか!!」
 天井からがらがらと瓦礫が崩落し始める。玉座を壊したことで、ダンジョンの崩壊が始まったらしい。あちこちで墜落する大理石の塊が砂埃を巻き上げ、落雷のような轟音を響かせる。あと30分と経たないうちにフロアは瓦礫で埋没してしまうだろう。
 雑音で掻き消えないようなけたたましい唸り声で、ドラネは叫ぶ。
「アタシが何をしたかって!? 街中にダンジョンを発生させて国民の恐怖を煽ってやった! タビィがひそかに思いを寄せている青年の純潔を犯してやった! 罪のない一般市民を操って社会的に生きられなくしてやった! 長らく信頼していた侯爵を裏切らせてやった! 片目を失ってまで大切に見守ってくれた育ての親を国から追い出してやった! 統治者として正しく導いてくれる敬愛すべき王様を殺してやった! 居場所を温かく認めてくれる騎士団を壊滅させてやった! ……タビィ、おみゃーが大切にしているものをすべて奪ってやって、これが笑わずにいられるか? にゃっあっあ、にゃっあっあっあァ……!! 最後にその顔、もっとよく見せてくれよ! その絶望に染まった、悲劇の王女様のかわいそうな顔、それが見たくてアタシは今日まで生きてきたんにゃからよォ! ……ごふ、ぐふぅッ!!」
 横隔膜を不規則に震わせ、血交じりの唾を吐きながらドラネは動かなくなっていった。かっ開いた両目は息がかかっただけでこぼれてしまいそうなほど飛び出ていて、意地悪く吊り上がった口許はいびつに笑ったまま。汚泥があふれ出すように頭頂からごぽ、と紫の(もや)の塊が吹き上がる。続けざまに全身から邪悪な瘴気の残渣が沸騰して立ち昇り、呪いのような笑い声とともにドラネの体は跡形もなく消えていった。
 呆然と眺めていたポーシャであったが、至近距離に巨大な岩盤がどごぉん! と落下した衝撃で我に返ると、へたりこむ白いニャオニクスの手を取って立ち上がらせる。
「タビィ王っ……子、ここは危険です! すぐに脱出しま――」
 タビィの顔を覗きこんだポーシャは、それ以上彼女にかける言葉が見つからなかった。タビィは立ったまま何も言わず、ただ俯いて口を真一文字に結んでいる。顔には白く長い耳の影が暗く落ち、触れば砂山のようにはかなく崩れ落ちてしまいそうで。
「タビィ……王、子……?」
「……っ、だ……」
 ろうそくの炎さえ消せないような微かさで、タビィは囁いた。こぼれた彼女の言葉を拾おうとポーシャが顔を近づけると、それが合図だったかのようにタビィは肩に置かれた手を払い、泣き崩れた。
「いやだ、嫌だ! こんなのってないよ! 平和のために、みんなの生活をよくするために頑張っても、全部いいように悪用される! 報われたことなんてひとつもなかった! もう知らない、王家も騎士団も国民も、みんながみんな好き勝手にすればよかったのに! 王族も騎士ももうやめる! 私も、私だって年相応に街の子たちと遊びたかった、かくれんぼしたり、日が暮れるまで影踏み鬼したりして笑いあいたかった、なのに、なのにぃ……!」
 タビィのすぐ背後に、ひときわ大きな天井の一部が落ちてきて轟音を立て砂埃を舞い上げる。床石は虫食いのように崩落し、闇のような空間に吸い込まれて見えなくなっていく。大岩のぶつかる鈍い音が、断続的に響いている。
「パパ、ムーンっ……っふ、うぅ、ぅなぁ、なぁあああぁ~~~……」
 佇むしかできないポーシャの腰にわしっと抱きつき、タビィは顔を彼の胸に押し付けた。迷い猫が親を探すような声音で何度もすすり上げる。ポーシャの青い被毛は涙を吸い込み見る間に群青へと変わり、毛がくっついて縮れ上がる。強張る彼の手が、震える白い背中に触れようとして、そのわずか上で硬直していた。
 ポーシャを掴む白い手の力が、くしゃっと強まった。
「お願い……抱いて。ぜんぶ、忘れさせて」
「――だあっ!? っだだっだダメですタビィ王子、騎士のわたしなんかを――む!?」
 慌てふためくポーシャの口を震えの残る手でそっと塞いで、タビィはそのまま両腕を彼の肩に回す。もたれかかるように自分の体を引き起こすと、首を傾けてぎゅっと抱きついた。呆然と開いたままの彼の口へ、下から縋るようにぶつけられる淡い口付け。
「あなたとっ、ダンジョン、冒険、できて、とても嬉しかった。抱き合った、だけでっ、心臓、張り裂けるかと思った。もう私は王子なんかじゃない。"タビィ"が、いいよ……。それにあなたも、自分のこと"わたし"なんて言うの……やめに、して。騎士とか、王子とか、兄妹とか、そんなの、関係ない。今だけは、猫をかぶらないで。ひとりのひととして、私を、愛して」
「あ……だめっ、です、ぼっ僕はこれ以じょ、タビぃ……っ!」
 タビィ、と名前だけで呼んだ途端、ぎしっとポーシャの体に力が籠もった。
 切羽詰まって言わされた慣れないその響きが、甘い痺れとなって瞬時に彼の体を麻痺させる。泣き止んでいくらか落ち着いたタビィにそっと胸を押されただけで、絨毯の上へ尻もちをついてしまった。しゅる、4本の尻尾が両腕を回して抱き合うように絡ませられる。零れる涙のように次々と崩れていく天井を背景に、覗きこむタビィが鼻をすすり上げながら微笑みかけている。トパーズの目はまだ赤く、頬の白毛は筋状に縮れていた。首周りの青い飾り毛は涙を吸い込んで暗く変色しているし、柔靭に伸びる耳は根元から垂れ伏している。いつも気丈に振る舞う彼女からは想像できない弱った表情。王女でもなく騎士でもなく、猫の皮を脱ぎ捨てた、ありのままのタビィ。
「やっと言えるね、私の本当の気持ち。……好き」
 掠れる声で囁かれ、ポーシャの心臓が跳ね上がった。
 ……そうか。彼女に触れたとき、抱きつかれたとき、蜜を全身に浴びていたとき。胸が詰まって下唇を噛みたくなるのは、身分違いの扱いに畏れ入っていたからではなかった。ただ、純粋に、タビィに魅了されていた。距離を離そうと理性の猫をかぶっても、心はすっかり惹かれ合っていた。たぶん、いや、疑うことなんてなにもない。僕はタビィが――好きだ。
 ドラネにすべてを壊された彼女を、抱きしめてあげられるのはもう僕しかいない。ポーシャの震えは少しずつ収まっていた。
 強烈に香るラベンダー。伸びてきたしなやかな白い手を、ポーシャはしっかりと握り返した。


戴冠式の日 [#8806pac] 


 城のバルコニーが見渡せる宮殿の大広場。王子の戴冠(たいかん)式に立ち会おうと、シャムの街に住む大勢の国民たちが詰めかけていた。子供から大人まで、体の小さい者大きい者、貴貧の隔てなく一緒くたに寄り集まっている。
 小豆のようにポケモンの波で洗われながら、ウォーグルの青年は広場の奥の方で身をよじらせていた。首に掛けられたバスケット、その中で揺られる陶器の小瓶(アンフォラ)が割れないように籠ごと両翼で持ち上げている。
「久々に来たけど、やっぱ王都はポケモンが多いな……酔いそうだ」
「オーヨウさんよ、そちらのお客さんに2本渡してくれぃ!」
 ウォーグルの背中で接客をしていたチェリムが景気の良い声を上げる。ワインの小瓶をウォーグルの嘴から受け取って、チェリムはそれをいくばくかの硬貨と取り換えた。ふたりの息はぴったりだ。売り込みの技術はあるのだろう、チェリムは気前のいい晴れ笑顔で次の客との話に花を咲かせている。
 籠の中の引き売り用ワインももう少なくなってきている。残りは背中のやかましいチェリムに任せて、ウォーグルは宮殿の外壁に目を凝らした。
「そろそろ始まると思うんだけど……お」
 冊状に並ぶ手すりの向こうでは、青い被毛の美しいニャオニクスが、高らかにその手を振り上げたところだった。
 音を吸われたように、広間が一瞬にして静まり返る。凛としたニャオニクスの声が、遠く離れたウォーグルのところまで届いてきた。
「ここに収穫祭の開会、並びにぼ――わたしの、王位継承および次期国王としての即位を宣言する!」
 わっと盛り上がる聴衆。再度手を挙げて歓声を制したニャオニクスが、マントを翻して少し屈んだ。
 遠くに見ていたウォーグルが懐かしむように小さく呟く。
「タビィ王子も立派に進化したんだな……しかし大事なところで噛むなんて、王子らしくないぜ。……というかハーフムーン副隊長、戻られてたのかー。すげぇ迫力、この距離からでもブルってくるな」
 細い金細工の王冠が、ニャオニクスの傍に仕えるボーマンダの口に咥えられていた。ニャオニクスの垂れた頭に、それがそっと載せられる。新しく誕生した王が顔を上げると、その凛とした眼差しに観衆は比類ないほど湧き上がった。
 地鳴りのような雄たけび、よく通る口笛。醸造したばかりのビールがひっくり返され、収穫したてのマトマが飛んでいる。ポケモンの技だろう、あちらこちらで吹き上がる炎や水のアーチ、花と雪の混じった吹雪。収穫祭と戴冠式、おめでたいイベントが同時に訪れて、国民たちはお祭り騒ぎだ。吹き上がるエネルギーは、アイルーロス家に降りかかっていた災いを吹き飛ばすかのよう。
 ウォーグルの背中で気前のよくなったチェリムは、雇い主の許可もなく残りの瓶のコルク栓を抜き取っていた。
「貴様……ずいぶんと景気がよさそうじゃないか」
「へいお陰さんで――ふえぇ!?」
「あ、ライシ先輩お久しぶりっス! それに隊のみんなも!」
 ひとごみの合間を縫って現れたのは、眼光の鋭いゼブライカだった。彼女を先頭に、ニョロトノやネンドール、アブリボンが後から続く。数日ぶりに再会を果たしたウォーグルと、次々に挨拶を交わしていった。
 ゼブライカの眼光に縮み上がったチェリムが、紫のつぼみに戻りそうな小声を絞り出す。
「らっライシ様、相変わらずお美しイ……!!」
「はッ、貴様に受けた辱め、わたしの体は忘れていないぞ? ……許しを請う前に『閃光ウナギ』までワインを1ダース届けておくんだな」
「ま、まいどありぃ……至急手配しておきやすっ!」
 ぶるる……と馬鼻を鳴らすゼブライカ。ネンドールの太腕で蕩けていたマグカルゴが、意外そうに横から口を挟んだ。
「なんだいライシ、あんたも一緒に飲んでくれるってのかい?」
「我らが探窟部隊の誇るタビィ王子の戴冠式だ。このような日くらいは、な」
「そりゃ嬉しいねぇ! あたいも皆も、ずっとあんたと飲みたいって言ってたんだよ!」
 マグカルゴたちは早くも今晩の大騒ぎのことで盛り上がっていた。そんな中、遠くを見て何かに気付いたアブリボンがウォーグルの肩をぱたぱたと叩く。
「……あ、見てみてっ! あそこの扉の影、だれかいるよっ!」
「おぅ?」
 謁見の間からバルコニーへとつながる大扉。空けられたそのわずかな隙間で、トパーズ色に光る半目がふたつ、そっと笑って奥の暗がりへと引っ込んだ。
 見ていたアブリボンがきゃっきゃと笑う。
「ね、今の、ニャオニクスの女の子だったよねっ? もしかしてタビィ王子のお妃さまかなっ!? お妃さま……えへへ、ワタシはシャトラのお妃さま……えへ、エヘヘヘへ……」
「キュラ先輩、ノロケ話はまだ早いっスって」
 甘いにおいを振りまくアブリボンからバスケットを遠ざけて、ウォーグルが顔をしかめる。ワインに蜜のにおいが移らないよう翼で扇いでいた彼が、はたと気付いたように探窟部隊を見渡した。あるべき姿を見つけられずに、ウォーグルは小首をかしげる。
「こんなめでたい日だってのに……ポーシャの奴、どこ行っちまったんだ? ドラネ隊長も姿が見えないし……」
 それまで快活としていたみんなの顔に、暗い影が落ちる。彼らの反応にただならぬものを感じ取って、ウォーグルも押し黙った。周囲の喧騒から取り残され、ここだけ暗い雲がはびこっているようだった。
 沈黙をそっと破ったのは、ニョロトノだった。頭頂の飾りが萎びたように垂れている。
「そっか、オーヨウはいなかったから知らないんだっけか。ポーシャは――」
 もふっ。
 胃を吐き出すように苦しげに言いかけたニョロトノが、背中に触れたもふもふに振り返った。ぎょっとして身をよじったが、もふりと胴に回された豪腕から逃れるすべもなく。「うわハッグ、いきなりハグはやめろって!」と叫ぶも、なすがままにその黒い腕に抱き上げられる。
 大勢の国民から送られる大歓声を背に大扉をくぐった青いニャオニクスが、その陰で誰かにぎゅっと抱きつかれて慌てているを、キテルグマの小さな瞳がじっと見つめている。ニョロトノたちをまとめて抱きしめながら、呆れ気味なみんなの視線をほしいままにして。その巨体に見合わないような小さい声で、呟いた。

「もしかしたら、案外近くにいるのかもふ」




おしまい。



あとがき 


Tales of Zestiria という、テイルズシリーズの中でもなかなか評判のよくないゲームがありまして。
 検索すればこき下ろしているレビューがすぐに出てきますので深くは言及しませんが、なんといってもメインキャラクターであるアリーシャの扱いが「凄まじい」の一言なんですよね。
 発売前まではヒロインとして描かれていたはずなのに、いざゲームを始めると序盤で早々のパーティ離脱。主人公たちから陰口を叩かれたり槍術の師匠に「反吐が出るほど嫌いだったよ」と言われたり、散々な目に遭いながらも王女として騎士としてひとり奮闘します。しかしその思いは最後まで報われないまま、パーティメンバーにも戻れません。後から販売されたアフターストーリーでも、ヒロインの座を奪ったロゼに理不尽な理由でビンタされる始末。
 あまりの扱いの酷さに、プレイしながら私は泣いていましたよ。彼女がボコボコにへし折られる姿がとても健気で、可憐で、はかなくて。
 ということでそんなキャラが書きたくて書きましたタビィ王子。気丈に振る舞っている仔が心を打ちのめされて泣き崩れるのって、イイですよね……。猫を脱いだ王子のセリフは、アリーシャのものをかなり参考にしています。心が摩耗していく過程を描きたかったために最終的には10万字弱というアホみたいな文章量になりました。薄いラノベ本1冊分くらいらしいですよ? 読了お疲れ様です。私ももうこんな長いの書きません。たぶん。

 ここでの執筆歴ももう4年目になりますので、そろそろ自分の実力を試せるような作品を書いてみたかったのです。軸に王道のストーリーを据えての真っ向勝負。手探りで身に着けてきたテクニックを端々に忍ばせながら、いかに面白くなるかの試行錯誤でした。長編の面白さは展開力にあると思っているので、可能な限りインパクトのある事件を巻き起こし、主人公たちが困難を乗り越え活躍する姿を書き連ねました。とかく「読んでいて面白いもの」を目指したつもりです。少しでも楽しめたのなら嬉しい限りです。
 王道ストーリー、戦闘描写、展開力……。慣れないことばかりだったのでかなり四苦八苦しましたが、その分書いているときに実力が付いてきてくれているような気がしました。話が進むにつれまるで自分もポーシャたちとともに成長しているような、なんて。

 ポケモン的な話をしますと、モチーフはこんなところくらいですかね。
・ニャオニクスの性差による分岐進化
・王族に育てられたペルシアンのリージョン化
・ウツロイドの寄生とその影響
・戦闘シーンの技の掛け合い
 とりわけRペルシアンの設定とか忘れている方多いんじゃないでしょうか。作中で明言していないし、気づかれなかったかもしれません。実は物語の根幹になっていました。

 全く書いていないどうでもよい裏設定。15年前にポーシャとタビィがリンクス王と王妃の間に誕生します。二匹にはまじないの変わらずの石が割られて与えられました。その時すでに国家転覆を図っていたドラネ(当時7でまだR化していないニャース)は、使用人の目を盗んでポーシャ王子を奴隷商人に売り飛ばします。ドラネの兄や姉にあたる王の子息も事故や病気で逝去していましたし(ドラネの手引き)、この時点ではまだドラネは疑われるよりも庇護される存在でした。そうしているうちに王妃が急逝すると、もうニャスパーを産めなくなったリンクス王は焦り始めます。分家である他種族の息子に王位を継がせるよりも、アイルーロス家の弱体化を防ぐため唯一残ったタビィ王女を王子として育て上げる結論を下しました。進化の兆候が始まる12歳ごろから、タビィ王女はむかし身に着けていた変わらずの石を再び携帯するようになります。
 生き残った王の子息の中で最年長になり、次期国王としても名を挙げられるようになっていたドラネはもちろん大激怒。憎悪の矛先はすべてタビィ王女へと向けられました。しかし最後のニャスパーとなった王女には、騎士団の中でも実力屈指のハーフムーンがつきっきりで警護しています(作中に出てきた「タビィ王子がタマゴの頃からのお付き」というのは少し誇張されているものであった)。もう以前のように攫うことも、食事に毒を盛ることも、まして殺すことなんて難しい。ドラネは荒み、与えられた貴賓室に籠もりがちになります。そんな彼女の激しい憎悪に反応して、国内にひとつめのダンジョン『王室の地下監獄』が彼女の部屋に誕生しました。
 初めてダンジョンに迷い込んだドラネは、心を無にして襲いかかってくる邪気から命からがら逃げだします。しかしここはよい経験値の猟場でもありました。本棚でダンジョンを隠蔽したドラネは、日々潜り実力を付けていきます。すべてはタビィ王女を絶望させるために。もうドラネの中からは、王位につくことよりも復讐心の方が強くなっていました。
 進化して間もなく、ドラネはダンジョンの最奥地でウツロイドと出会います。ウツロイドに身体強化や精神操作の能力があると知ると、ドラネはすぐに魂を売りました。ウツロイドが味方に付けば、愛をはぐくまれすくすくと成長するタビィ王女をいたぶる方法も見えてくるかもしれません。体をウツロイドに寄生されたドラネは、その瘴気でだんだんと体色がグレーに変わっていきます。ストレスで顔も太りました。
 ウツロイドの力を借りた驚異的な戦闘力もさることながら、騎士団総隊長であるケッキングに体を売りドラネは探窟部隊の隊長の座を勝ち取ります。ダンジョンはドラネとウツロイドの庭でした。また強い感情を抑圧しているポケモンにウツロイドが寄生すると、解放された激情に反応してダンジョンが出来上がることを知ります。こうしてドラネは市街にダンジョンを増やしていき、探窟部隊を成長させその隊長としてそれを消して回ります。
 どんどん体色のくすんでいくドラネを怪しみ始めたリンクス王は、ハーフムーンを探窟部隊の副隊長に任命しすぐ近くで監視できるようにしました。タビィ王子への復讐を妨害されたドラネは、しかし秘密裏に壮大な計画を練り始めます。アイルーロス王家への反逆を企てていたジットク地方卿に根回しをしたり、その内容はいかにタビィ王女を絶望の淵を叩き落とすか、とますます陰湿なものへと変貌していきます。
 隊長に就任してから10年。ドラネが復讐の機会をうかがっている中、リンクス王の目に止まったポーシャがジットク卿から買われアイルーロス騎士団へ。同種ということもあり(タマゴから孵ったばかりの時期にお互いを見ているからなのか)タビィ王女が彼へ特別な感情を抱いているとすぐに察知したドラネが、タビィを絶望へ至らしめるべくついに動き出しました。

 ……要約してもこんなに長いのに、いや本編に入れなくてよかった。




では大会時にいただいた感想に返信をしていきます。


・驚きの最後でした。
あとポーシャがかわいかったです。
最後の王はポーシャですか?
面白かったので一票。 (2017/06/28(水) 19:29)

無口で大人しそうなイメージのポケモンが表情豊かにワイワイしていると可愛いですよね。
王に即位したのは誰ですかねぇ。国のポケモンたちはみなタビィ王子だと思いこんでいるようですが、彼女は雌のニャオニクスに進化してしまいましたからね。王冠を渡された雄のニャオニクスは、はてさて。


・とても長くて読むのが大変でしたが、練りこまれたストーリーとキャラクターがとても魅力的でした。どうやら猫かぶりは一匹や二匹じゃなかったようですね。 (2017/07/02(日) 21:51)

とても長くて書くのも大変でした!(
本作のテーマこそ「登場人物の二面性」でしたが、そうでなくともキャラクターの深みって大事ですよね。魅力的な仔が活躍してくれるだけで続きが気になりますし。今作はキャラ創りからプロットまでで1ヶ月くらい掛けました。大変かよ……。


・長い!そして深い……
骨太物語ありがとうございました (2017/07/04(火) 18:59)

私はふだん5000字とかの作品ばっかり書いているので、10万字弱は掌編19作品分くらいありますね。いつも「長編はクソ!」と主張しているくせに長い作品のひとつも書いていないのはこれいかに、と思ったのでひーこら言いながら物語を組み上げました。書いてみると長編のどこが大変かほんわかと知ることができたので、それに対する審美眼はチョット高まった気がします。
読了お疲れ様でした!


・感情描写と言い展開の緻密さと言い、まさに文句無しの大作だと思います。ゲームとしてのポケモンでは御馴染みの戦術を忠実に踏襲しつつ、尚且つアクションとして魅せる技量と心意気。最新作の要素もしっかり練り込んだ構想力など、評価出来る点が到底絞れないほど多かった。
確かな知識と練り上げられた文章力に支えられた第一級のファンタジー小説でした! (2017/07/04(火) 22:30)

そっ、そんなに褒めてもらっても全然嬉しくないんだからねっ!(ネコカブリ
……えー、そうですね、戦闘描写はかなり力を入れました。ざっくり5場面あるので、それぞれを差別化するのが難しかったです。爪による肉薄を重視したり、遠距離攻撃の破壊力を表してみたり、ギャグに寄せてみたり。技による戦術はやはり小説にポケモンらしさを出す有用な手段ですので、気は抜けませんでした。進化と同時にレベルを無視して新たに技を覚えたり、超ダンではルチャブルに教えてもらうことでしか習得できない技も使っていましたが、そこに制限を掛けるよりは戦闘描写としての面白さを優先させようと。置き土産とイタズラ心が本家仕様になっていることは後で気づいて血の気が引きましたケド。まぁ気にしない気にしない。



・設定の扱いが非常に上手くて感心しました。すごいの一言。
読み応えもバッチリで読んでて盛り上がりました。 (2017/07/04(火) 23:58)

初めてこんな長い作品を手掛けたので書き方がわからず、とりあえず読んでいて飽きさせない工夫を必死にひねり出していましたね。物語的な面白さも追求しましたが、どちらかというとその場その場の面白さを優先させたというか。意外性とインパクトのあるシーンを連続させて、最後に忍ばせた伏線を一気に回収する形になりました。R指定されない程度のエロ・グロ・バイオレンスはもりだくさん。「これ普通にR-18引っ掛かってない???」とのお声は何度か耳にしましたが気のせいだと思い込みましょう。私の書く官能はこんななので本作程度では全然えっちくないと思ってしまったのですよねぇ。いけない兆候だ、直さねば。


大会の主催者様、投票してくださった人、読んでくださった方どうもありがとうございました!



ネコ被らないで感想いただけると嬉しいです!

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • 長編執筆お疲れ様です。
    ニャオニクスの性差によるギミックについては私も以前構想した事がありますね。私の場合は幼いニャスパーの男友達が数年後、進化してから再会すると「お、お前、女だったのか……」ってやつでしたけど。だから王位継承権に絡めて性別詐称する必要があったという設定はうわぁ、上手いなあ…って。
    しかもタビィ王子、チェリムに偶然本当の性別の呼び方で言われた時は、一瞬面食らいながらも平静を保って応対し、「性別を間違えられていても指摘しない優しさ」というナレーションまで入ってるんですよね。
    此処で読者に念押しに念押しを重ねてタビィは雄だと認識させ、終盤の進化であの種族の性差の身体描写で一気に裏切る。この”驚き”の技法は本当に素晴らしいと思いました。 --
  • 狙い通りに読んでくださった方がいらっしゃって私は感無量ですよ……。
     ニャオニクスの分岐進化を最も効果的に見せるためにはどのような設定にしたらよいか模索していたらこのような作品に。進化シーンを際立たせるには「進化できる段階になってもニャスパーのままでいる理由」が欲しかったのです。そのための性別詐称王子様設定で、むしろ裏を返せばここさえ切ってしまえば騎士団ではなくポケダンに準じたギルドの設定でよかったのです。
     読み手にも一緒に騙されてもらうために物語は基本ポーシャ視点でした。地の文でのダメ押しもポーシャ視点だからできたことですね。そもそもしつこいくらいにタビィ"王子"と表記したのも、読み手の意識にタビィは雄だと刷り込むため。うひー伝わっててよかったぁ……感想ありがとうございました! -- 水のミドリ
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Last-modified: 2017-07-10 (月) 20:12:26
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