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ガネーシャの天秤Ⅱ

/ガネーシャの天秤Ⅱ



※この作品はR-15程度の官能描写を含む可能性があります。どのような展開でもお楽しみください。

前章


ガネーシャの天秤Ⅱ




水のミドリ

もくじ


☆これさえ目を通せばよい前章のまとめ☆ 


あらすじ
探検隊スクールの最高学年も夏の終わりに差しかかった頃、保健の授業でパオロが茶化して言った「もしかしてエッチな?」という言葉の意味に、無性別のシャコだけがついていけなかった。授業中、パオロとキップイのいつもの言い争いがエスカレートし、暴走したキップイを止めに入ったシャコ。その日の帰路、初めての生理に苦悶する彼女へ踏みこみすぎた関わり方をしてしまい、シャコは手酷い返り討ちにあう。保健室でシュヴァルツの治療を受けながら、おとなになるということについて、友だちについて考えるのであった。
学外授業で訪れたダンジョン『ワイアット海漂林』にて、チームを組んだパオロとルーミーが些細なことから喧嘩を始めてしまう。強敵ドククラゲとの戦闘の末、混乱したルーミーがシャコたちへ向けて攻撃してきた! 落ち着かせたシャコは、ルーミーが抱える家族への想いを聞かされ、家族について考える。駆けつけたカイトが鮮やかに解決してルーミーの失態をもみ消したが、探検に失敗した彼らはシュヴァルツ先生からこっぴどく叱られるのだった。
シャコの父ウキドゥが神事を務める土偶祭祀の手伝いで、ひと回り年上の子が進化の石に触れて姿を変えていった。町のおとなたちから祝福される彼らを目の当たりにしたシャコは、その微笑ましい様子から家族について考えさせられる。ルミナリアの姉ルミエリナから、家族に抱いていたルーミーのわだかまりも解消したことを知らされ、シャコも温かな気持ちになった。
秋も深まり、土偶祭祀の夜から3週間は収穫祭の期間。パオロとオーレットと共に肝試しの〝おとな用コース〟へ参加したシャコは、パオロがストークスの町を出る決意を固め、右前足の付け根にタトゥーを入れたことを知る。デモムービーの段取りの悪さに白けていたシャコとパオロだったが、スタッフであるパンプジン姉妹渾身のドッキリに引っかかりメチャクチャにビビっていた。

シャコ/ヤジロン
性別がないゆえ思春期を迎えたクラスメートの言動がいまいち理解できていない。それだけではなく、自称父親のウキドゥ(ネンドール)しかいない家庭で育った彼は、友だちの抱える苦しみへ不用意に近づいて苦い思いをしてきた。助けになりたいと思いながらも、他者を理解することの難しさ、寄り添うことの大切さを学ぶ。ひとつ前の冬休み、ズリ山に作った秘密基地でクラスメート全員が遭難した中、シャコだけが不思議な目のテレパシーを受け取り、選択することの大切さを教わった。家族について、友だちについて、おとなになるということについて考えながら、自分にできることは何か模索中。

パオロ/ゾウドウ♂
ストークスの町の鉱山を取り仕切る両親を持つ負けん気の強い御曹司。シャコとはスクールに入学する前からの幼馴染だ。3ヶ月ほど前、鉱物運搬の手伝いで出向いた隣町のストークスで、従姉妹であるユキメノコのミユキと過ごした刺激的な夜が忘れられない。そのとき貰った氷の塊は、溶けることなくパオロの奥歯に嵌っている。右前足の付け根あたりにガネーシャのタトゥーを入れ、収穫祭の終わりに大陸を出ると決意した。恋愛とかおとなの世界に興味はあるが、〝もしかしてエッチなこと〟についてマンムーの伯父にさんざっぱら揶揄われてきたのでウンザリしている。

オーレット/ミルタンク♀
学校近くの牧草地で暮らしていて、実家の仕事である毎朝の牛乳配達を手伝っている。自分のことを指すにも胸をとんとんと叩いて示すくらい口数が少なく引っ込み思案だが、なんとかパオロを肝試しへ誘うことができた。その割に〝きもったま〟なのでクラスメートの誰よりも度胸はある。肝試し会場で受けたパンプジンの〝ゴーストダイブ〟には全くこれっぽっちも驚かなかったが、絶叫するパオロの隣で何やら顔を引きつらせていた。

ルーミー/ヒトモシ♂
葬儀屋の長男で歳の離れた姉がふたりいる。姉たちと同じように付けられた『ルミナリア』という自分の名前が気に入らず、『ルーミー』と呼ばれるようにしていた。加えて姉弟のうち自分だけが覚えている〝くろいきり〟から異父兄弟のではないかと家族に対して軋轢を抱えていて、それが校外学習先の『ワイアット海漂林』で爆発。抱きしめてくれたカイトとの仲は急速に深まり、それからよくふたりで遊ぶようになったようだ。叫び声が大きく女の子っぽい。次女のルミエリナは土偶祭祀で進化を果たし、家出中に親友になったという孤児のパルシェンを引き合いに出しながら、家族についての見識をシャコへと与えた。

キップイ/モルペコ♀
両親は農園で働いているがお嬢様言葉を使う勝ち気な子。初めての生理では腹ペコ模様から戻れず焦燥に駆られてシャコを〝オーラぐるま〟で轢き潰す。半月に1度のペースで訪れる発情期には、興奮を鎮めるための道具としてシャコの頭のツノを借りていた。近頃はシャコの手助けを必要としていないが、女という性別、モルペコという種族に対して思うところがあるようだ。収穫祭で何やら懇願していたギモーは顔見知りのようだったが……?

サク/タタッコ♀
オトスパスの母親が生地を捏ね、ブーバーの父親が窯を見守るパン屋のひとり娘。年のわりに言動の幼さが目立つものの、パチシエ〜ルになるという芯の強さなら誰にも負けない。生まれつき体が弱く、乾燥ですぐに体調を崩してしまっていたが、兄のカイトから粘液を分けてもらうことで以前よりも精力的にスイ〜ツ作りに励んでいる。収穫祭では両親の出店を半ば占拠して自作のマフィンを売り捌いていた。試作品をどれだけ作ろうとも美味しそうに平らげてくれるキップイへ声をかけるよう、シャコにお願いをしている。

カイト/カラナクシ♂
元々は孤児だったが、サクの両親に迎えられ半年前の春からスクールに編入してきた。みんなとの思い出は浅いが、持ち前の親しみやすさですっかり溶けこんでいるイケメン。生理に苦しむキップイをすぐさま助けたシャコに感化され、『ワイアット海漂林』では暴走するルーミーと体を溶け合わせることで彼を沈静化した。そのときルーミーの口から飛び出た『キャラ』というのが誰なのか、ちょっと気になっている。カイト自身も不定形どうしで癒合するのは初めてではない様子。

シュヴァルツ/ガラルギャロップ♀
シャコたちスクールの最高学年も担任する看護教諭。彼女が常駐する保健室は厩舎と呼ばれており、ツノから〝いやしのはどう〟を放ち怪我をした生徒たちを治療する。キップイに襲われたシャコを回復させながら、思春期というものについて丁寧に教えた。テレパシーも得意とし、距離を隔ててウキドゥと連絡を取ったり、『ワイアット海漂林』にてシャコと連絡をとり指示を出した。収穫祭では自警団のポケモンたちと連携し、子どもの誘拐など事件を未然に防ぐよう見回りに当たっている。結婚したパートナーは探検家で、ストークスの町に3年は戻ってきていないようだ。

ビジレク/オーロンゲ♂
ストークスの南西部を中心に展開する農園地帯の大地主。ダンジョンで採掘される珍しい迷宮遺物(機械(カラクリ)とも)を集めており、敷地内に発生したダンジョンを整備して収穫祭には肝試し会場として開放している。離れた場所へ映像を映し出す電気式の機械(カラクリ)に手こずり、その技師であるロトムに電撃を喰らわされていた。キップイの両親は彼のもとで働いている。




9 ビジレクの機械屋敷 


 発見されてすぐ『ビジレクの機械(カラクリ)屋敷』と命名されたダンジョンは、石組みの屋敷をそのまま迷宮へと改装したかのような風体だった。複雑に分岐した薄暗い廊下を進むと豪奢な扉に突き当たり、その先が部屋になっている。部屋を探索した先で扉を押し開けば、再び廊下が暗闇へと延びていく。その繰り返しだ。似ているのはそれもそのはず、発生したダンジョンの内部を参考に後から別館が増設されたらしい。
 急に現れては暗闇で目を光らせるニャスパーや、壁から〝したでなめる〟で味見してくるゴースにいちいち悲鳴をあげなががら、パオロは前を行くミルタンクの右腕に鼻を巻きつけていた。バンケットホールでの威勢はどこへやら、〝ハロウィン〟を仕掛けられたあの一瞬でパンプジン姉妹に遣りこめられてしまったらしい。なけなしの鼻っ柱で気張ってはいるが、がたり、と大部屋の壁に飾られた額縁が揺れただけで、ハート型の耳を細やかに震わせていた。
 ――お母さんの右前足を鼻で掴むのは、パオロの幼い頃からの癖だったよね。タトゥーまで入れたのにパオロ、まだまだ子どもなんだ! そのうらぶれっぷりをおちょくりたかったが、(ゴースト)タイプの技に弱点を取られるシャコにも余裕なんてない。ぐんぐん廊下を進むオーレットと彼女に引っ張られるパオロへ追い縋るだけで精一杯だ。なんとなく悪寒がして振り返ると、いつからかぴったりと後ろをついてきていたヨマワルの赤いひとつ眼と目が合って。シャコは声にならない絶叫とともにフルパワーの念力でねじ伏せてから、離れてしまったパオロの背中を慌てて探り出す。

「ねえ待ってよっオーレットおっ! ちょっと、はヒ……っ、早すぎ……ぃぃぃっ」
「…………」

 声が届いていないのか、はたまた聞こえなかったふりをしているのか、オーレットは止まることなく廊下をずんずん進んでいく。ひとりぼっちで暗闇に取り残されるのは、いやだった。あの吹雪の日に秘密基地で過ごした顛末を思い出してしまう。
 バリヤードの指紋めいて複雑に入り組んだダンジョンは、シャコたちを長らく同じフロアへ滞在させた。『ワイアット海漂林』におけるドククラゲのような強力な進化系こそ現れなかったものの、緊張を強いられる長丁場に神経をすり減らし、シャコはへろへろの回転を保つのでやっとだ。
 どんっ、と固いものにぶつかって、後ろへ倒れたシャコは慌てて体軸を垂直に立て直した。もう次に(ゴースト)タイプとはち合わせたら使ってしまおう、と握りしめていた〝あなぬけのたま〟を反射的に投げつけそうになって、気づく。パオロの後ろ脚が目の前まで迫っていた。抱きつこうと両腕を上げたところで、オーレットが首だけで振り返る。空いた左の蹄を口許へと当てていた。

「……止まって」
「え……?」

 オーレットに促されるまま、シャコも奥間の暗闇へと目を凝らす。いっそう格調の高そうな細工の施された扉の先には、広い空間が広がっているようだった。廊下の壁へ等間隔に掲げられていた燭台の灯りも届かず、確かに異質な霊気が流れこんでくる、気がする。オーレットが〝いしのつぶて〟をひとつ投げれば、目標を捕らえ損なった石が地面を空しく転がる残響が帰ってきた。
 足の裏で敏感に振動を聞きつけた*1パオロが、オーレットの右腕に鼻を絡ませたまま首を捻る。

「いや、でもなんか()ょーだぜ。部屋の奥によー、ケッコーな数のポケモンの気配がするんだけど……。あ、そうか。おれたちより先に挑んだ参加者に、追いついたんじゃねーのかっ」
「違うと思う、けど……。とにかく、嫌な予感、するから。気をつけて」

 がらんどうとした広間の中央付近。オーレットの睨む先で案の定、ぼぅ……と青白い火がともる。それがひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……。息を呑んだシャコとパオロを(いざな)うように、増えた灯火(ともしび)はゆら、ゆらり。どこからともなく流れてきたおどろおどろしい曲調に合わせ、忍び足をするパッチールのように踊り舞う。子どものころ寝る前にお父さんから教えてもらった数え歌では、よっつ数えりゃヨマワルが廻るらしい。遠い記憶からそんな迷信を引っ張り出してしまい、シャコはまたぞろ背筋が凍てつく感じがする。
 不意に、ひときわ大きな火柱が、ぼあ! 4つ子の火球の中心で息吹(いぶ)く。息を呑む3匹の前で、蒼白のヒトダマに、ぎろり。恨みを孕んだ黄色の双眸が浮かび上がり、こちらを、見た。
 パオロとシャコがほぼ同時に叫ぶ。

「で、で、で、でででで出やがったああああ!? う、うわ、うわうわうわ……」
「うわわわわわ……うわああーーーい! シャンデラってことは……ルミエリナさんだあ! もしかして、ぼくが心配でついてきてくれたのかなあ!?」
「バッッッカ行くなシャコぉ、あんなオバケの親玉みてーなヤツに自分から飛びこんでいくバカがいるかってンだよーう!?」
「なんで引き止めるのさパオロっ。ルミエリナさんはオバケじゃない、ルーミーのお姉さんだよ。さっき土偶祭祀のステージで進化したばかりで、それはもう綺麗だったんだから!」
「ま、マジで行きやがったアイツ、マジで行きやがったッ……! ……っぐ、すまねえ……おれにはオマエを助けることはできねえみてーだ……。シャコ、オマエのことは忘れねーぞ……ッ」

 男泣きするパオロを置いて、シャコはひとりで先走った。灯台のサーチライトを頼りに猛吹雪の雪原を踏破する探検隊の気分で、暗闇を一直線に突っ切っていく。
 無数の燐火を浮かべて操ろうとしていたらしいシャンデラは、まさか〝こうそくスピン〟の強襲を受けるとは思いもよらなかったのだろう。火の玉はかき消され、全速力で飛びこんでくるヤジロンを両腕で受け止めた。抑えられていたシャンデリアの篝火(かがりび)が膨らんで、青白い輝きがシャコの周囲をぼやぼやと照らし出す。

「る、ルミエリナさあぁんっ! ここのダンジョン、怖かったよぉ……!」
「ええと」ざらついた肌を擦りつけてくるヤジロンを、シャンデラは困惑げに抱き返す。「それ、妹です。わたしはルミニーナ。……もしかして君たち、ルーミーのお友だちですか?」
「そ、そうです!」

 ほっそりとした腕木に(くる)まれながら、シャコはルミニーナの顔をまじまじと見返した。土偶祭祀のステージで進化を遂げたシャンデラの、姉にあたるポケモンだ。異種族の最終進化系なんて子どもの目には皆おとなに映る。頼れるおとなに遭遇した安堵から飛びついてしまうのも、無理のないことだった。
 追いついたオーレットに「……いつまで、そうしているの」と(たしな)められ、シャコはようやく身を引いた。迷子になったカラカラが駆けつけた母親へ泣きすがったような気恥ずかしさがあって、ばつが悪そうに1回転。土偶の肌に残された温かみは、ルミニーナの放射熱だけではないはずだ。

「ご、ごめんなさい……。いきなり飛びついちゃって」
「気にしないでください。わたし、(ゴースト)タイプらしい表情とか、おどろおどろしい〝おにび〟の揺らし方とか……苦手なんです。あまりにも驚かれると、なんだかかわいそうになっちゃって。父親がマグカルゴなので、そちらの熱血の方が濃いのかも。受付のデクノくん――オーロットも、パンプジン姉妹も、迫力満点だったでしょう? キミが1歩も動けないくらい怖い演技、私もできればよかったんですけど」
「じゅうぶん怖かったよぉ……? ほら、パオロなんて泣いちゃってるし」
「なっ泣いてねーし!」

 オーレットにくっつくようにして来たパオロに軽く叩かれる。返す刀で「パオロ、ずっとオーレットにべったりだよね」と煽ってやる。「オマエの悲鳴だって、ハギギシリの寝言かってくれーうるさかったぞーう!?」「パオロの鳴き声って楽器みたいで、今日は特にいい演奏だったんじゃない」「おーわかった、オマエに送るフリズムにゃあ、おれ渾身のリサイタルを吹きこんでやるからなーあ」野生ではないポケモンと出会えた安堵感が遅れてやってきて、パオロとの掛け合いはいつになく舌が回った。
 そういえば、とシャコは思う。(ゴースト)タイプであるルミニーナなら、〝こうそくスピン〟で突撃してくるヤジロンを透過させることだって容易だったはず。なのに受け止めてくれるなんて――優しいなあ、ルミニーナさん。『ワイアット海漂林』で聞いたルーミーの独白を思い出す。亀裂を深めていく家族を引き(とど)めようと、彼女は一家の長女として気苦労を重ねてきたのだっけ。母親は金属音の金切り声をあげ、父親と喧嘩してばかり。弟は口を閉ざして抱えこむし、妹は夜の街に出て帰らない。丁寧な口ぶりの彼女が背負ってきたものを想像して、おとなになるってそういう気遣いができるようになることなのかな、とシャコはしみじみ考える。
 弟の同級生たちと数メートルほど距離を取った長女のシャンデラは、そのような過去を彷彿とさせない朗らかさで、彼らを振り返った。

(ゴースト)っぽい仕草の苦手な私なりに、肝試しの山場をひとつ、任されているんです。それでは気を取り直しまして……」

 コホン、とひとつ咳払い。ルミニーナは両方の腕木をバッと広げてみせると――

Ladies and Gentlemen!

 彼女が叫ぶなり、メガシンカを遂げたデンリュウの〝フラッシュ〟ほど明るい閃光がそこかしこから(ほとばし)る。うっ、と面食らうパオロとオーレット。これも最新鋭の電気式機械(カラクリ)なのだろう、シャンデリアの(かがり)火を跳ね除けるような色とりどりの照明がダンジョンの天井から降り注ぎ、部屋をあまねく照らし出す。顔を背けるふたりの隣で、もともと(まぶた)を閉じていたシャコだけが、その薄目のすき間から目撃した。
 

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 どこから流されているのだろう、愉快な音楽とフロアに鳴り渡るような拍手喝采。それらを一身に浴びながら、浮遊したルミニーナは懐からか赤い蝶ネクタイを取り出し、胸元へとくっつけた。なかなかどうして似合っている。
 続けて彼女は黒っぽい棒状の石を取り出すと、そこへ向けて声を吹きこんだ。通した音声を増幅、そして拡散させる、役場のドゴームが防災用に鳴らすホラ貝のような機能を持った機械(カラクリ)らしい。

「さあみなさまお待ちかね、ビジレクプレゼンツ、クイズ『ダンジョンどっちでSHOW?』のお時間がやってまいりました。司会進行は(わたくし)、『燃えるなら燃え尽きるまで』でお馴染みアルミナ葬儀屋は長女、シャンデラのルミニーナでお送りいたします。なおこの放送は最新式の機械(カラクリ)を介して休憩室のスタッフが見守ってますので、全問正解できるように頑張ってくださいね!」

 チャレンジャーを激励するルミニーナには、(ゴースト)タイプらしい妖異さは面影すら窺えない。普段は葬儀屋で真面目に火葬を執り行っている反動なのか、底抜けにおしゃべりで明るくなっていた。あるいは世界イチひょうきんなミカルゲに憑依されたのかもしれない。

「ビジレクの(じー)さんといい、この屋敷のヤツらってばみんなこー(・・)なのかあ?」

 鮮烈なライトの歓迎にもようやく慣れてきたパオロは、鼻で(ひさし)を作りながら目を細めた。カクレオン出張店が敷いている絨毯のようにごてごてしく彩られた大部屋の中央、一段高いステージに上げられた彼ら3匹を見回すように、多くのポケモンが佇んでいる。スリープ、ヤミラミ、スカンプー。さっきシャコが追い払ったのと同じ種族のヨマワルまで、ざっと20体ほど。今の今まで〝バクスイだま〟で眠らされていたのか、強烈な閃光と爆音に叩き起こされた鬱憤を晴らすべく、まだ幼い侵入者へと鋭い視線を向けていて。
 足裏に感じ取った気配の正体は、肝試しの参加者ではなかった。開いた口の塞がらないパオロへ、ルミニーナが声を拡散させる機械(カラクリ)を向ける。

「それではさっそく、ゾウドウのきみに向けて第1問。ダンジョンで多くの野生に囲まれてしまった場合、どっちの行動がより相応しいか。A.不思議玉を使う。B.お茶会を開く。さてさてぇ〜〜〜〝どっちでSHOW?〟!」
「――いやいやッ、モンスターハウスじゃねーか!!」

 パオロは探窟鞄へ鼻を突き入れ、むんずと掴んだ〝しばりだま〟を投げつけた。



 安っぽいファンファーレが会場に響く。カラフルな紙吹雪を吹きかけられるパオロへ向け、ルミニーナがしゃんしゃんと腕木を打ち鳴らした。

「正解、お見事ですッ! 不意打ち気味だった第1問に難なく答えてしまうとは、今度のチームは期待できるぞおおおっ!!」
「いやいやいや」
「素晴らしい投球フォームで回答したゾウドウ選手、今のお気持ちはいかがですか。ダンジョンにまつわるクイズということで、出題される問題群としては慣れ親しんだジャンルかと思われますが」
「いやいやいやいや」
「おおっと失礼、チャレンジャーの紹介が遅れました。収穫祭初日の3組目はなんとも可愛らしい顔ぶれだ。〝おとな用コース〟に迷いこんでしまったのでしょうか、どうやら探検隊スクールに通う子どもたちのようですね。お名前は?」
「いやいやいやいやいや! ついていけねーよッ」

 なんでダンジョンのど真ん中にこんな舞台のセットがあるの? 肝試しどこいった? さも当然のように言ってるけど『ダンジョンどっちでSHOW?』て何? ていうかこの拍手、野生ポケモンどもがやってんの? 〝しばりだま〟で硬直してるはずなんだけど? 普通に驚かされるのとはまた違った種類の怖さ、あるぞーう?
 押し寄せるパオロのツッコミは、悲しいかなどれも言葉にならなかった。電気式の機械(カラクリ)が作動して、部屋の中央へ取り残された3匹を集中的に照らし出す。〝ソーラービーム〟がノーチャージで放てそうな高照度の中、シャコは両腕を掲げて再度上がった歓声を受け止めた。

「はいッ、シャコといいます! 種族はヤジロンです。最高学年になりました! 出席番号は2番です!」
「えッなにオマエそんなやる気……? さっきまであんなビビってたくせによー。……おれはパオロ」
「……オーレット」

 収穫祭の時期、(ゴースト)タイプは昂ぶるという。肝試しの説明という名目で、バンケットルームでも彼らの強引なノリに付き合わされた。優しいルミニーナの豹変ぶりに戸惑いを隠せないパオロだったが、どうやらこのクイズ大会も避けては通れないイベントらしい。
 いったんステージを下りた3匹を満足げに眺めながら、ルミニーナはいっそう気取った声を作る。闇オークションでも主催しているかのような物々しい仕草だ。

「そろそろ第2問といきましょう。ゴールドランクの探窟家でも瞬時に判別するのは難しいとも言われている〝そっくりどうぐ〟からの出題。このダンジョンを管理するビジレクは迷宮遺物のコレクターでして、海の向こうの珍しい機械(カラクリ)まで取り寄せています。これらは主に草の大陸にあるダンジョンで発見される、従来の道具とは見た目こそ似ているものの全く効果の異なる代物(しろもの)でございます」

 ルミニーナは懐からきのみをふたつ取り出し、ライトのもとに晒す。どちらもシャコたちには馴染み深い、オレンのみのように見えるが……。

「ひとつは皆さまもよくご存知の〝オレンのみ〟。かたやもうひとつは〝オレソのみ〟。前者はダンジョンに挑む者なら必ず鞄に入れておきたい、まさに探窟者の朋友(ほうゆう)とも言うべきアイテムです。しかし後者は間違えて(かじ)ろうものなら、すぐさま口いっぱいに強烈な酸味が(ほとばし)る紛い物。その刺激の強烈さたるや〝星の停止〟を食い止めた伝説の探検隊さえ悶絶してダメージを受けたとか……受けなかった、とか。さてここで、チャレンジャーのオーレットさんに問題」

 そう言い残していったん舞台袖へと引っこんだルミニーナが、どこからか水差しの載ったワゴンを引いてきた。壇上へ歩み出たミルタンクへ、手頃なサイズの布を持たせる。

「これから目隠しをしてもらい、きのみの切れ端を順にあなたの口へ差しこみます。先に食べたものをA、後から食べたものをBとすると、あなたが慣れ親しんでいる〝オレンのみ〟は、どっちでSHOW?」

 たわわに揺れる彼女の耳へ紐が通される。オーレットの着けたピンク色のアイマスクの表側には、(いか)りに吊り上がったような目と眉が縫いつけられていて、シャコは思わず吹き出した。友だちを笑ってしまった失態に慌てて口許を覆う。キップイならともかく、物静かなオーレットのこんな形相は見たことがない。もし彼女からあんな目つきを向けられたら、ショックで3日は寝こんでしまいそうだ。だからこそ面白いのだけど。
 生まれたばかりのケンタロスが母親の乳を求めるように、オーレットの口がシャンデラの持つAのきのみを探り当てた。舌の上で転がして味を確かめているのだろう、反芻(はんすう)するように頬が膨らんだり(しぼ)んだりしている。耳は小刻みに揺れているが、美味しいのか、はてさて。
 少食な彼女は一片を飲みこむまでに何度も首をかしげ、マスク越しでも分かるほど考えあぐねているようだった。〝そっくりどうぐ〟と揶揄(やゆ)されるほどだから、味まで似通ったようなものなのだろうか。コップの水でお口直ししてから、Bのきのみを口に含まされる。反応は同じだ。耳の揺れ方が若干違うが、それがどのような感情の機微なのか、目を吊りあげながら混迷する彼女に笑かされているシャコには見当もつかなかった。
 しばらくして、オーレットはおもむろに左の蹄を挙げる。握られているのは青いBの札。

「……こっち」
「オレンのみはB、つまり後から食べた方だと。どうしてそう思いましたか?」
「なんだかAは、噛んだ瞬間に、10ダメージくらい受けた気がしたから」
「正解ですお見事っ……!」
「メチャクチャ簡単じゃねーかッ!」

 パオロがツッコんで、耳に残るファンファーレとともに会場が拍手に包まれた。ひな壇の野生たちは硬直したまま、オーレットのファインプレーを祝福しているようだ。
 味が違うかどうかという以前に、ダメージを受けるなら瞬時に判別がついて当然だ。というかもし〝オレソのみ〟を後から食べさせていた場合、クイズ大会を終了させてもダンジョンを攻略しなければならないチャレンジャーに対して意地悪すぎる。
 得意顔で戻ってきたオーレットは、ゲンナリしているパオロの隣へと収まった。

「……どう? うまく演技、できてたかな」
「え、は、なんだよ演技だったのかよーう。待ってるコッチがハラハラしちまったじゃねーかッ」
機械(カラクリ)を通じて、誰かが見届けてるらしい、から……。こうしたら盛り上がる、かなぁ……って、思ったの」
「変に気ィ使わねーでいーんだぞーう、こんな茶番劇。そもそもおれたちは肝試しに来たンだぜーえ? さっさと全問正解して、あんな()えーダンジョンなんかオサラバだ」
「……やっぱり怖い、の?」
「ばッッ、ち、()げーし、だっ誰が急に始まったクイズ大会の明るさに安心したとか、言ってねーッし!」
「……ふふ」

 それからシャコたちはいくつかの問題に挑み、もとい挑まされ、正解もしたし不正解にもなった。途中からは不正解の方が機械(カラクリ)的にオイシイ気がしてきて、あえて間違えたものもある。オーレットは賭けた〝ふっかつのタネ〟をボッシュートされたし、シャコは座らされた椅子が縦にも回転して、まるでジャイロスコープになった気分だった。あれだけ乗り気でなかったパオロは〝すてみタックル〟で巨大なボードを突き破り、その先のプールへ頭から突っこみ泥まみれになっている。
 撮れ高も上々、機械(カラクリ)映えしてくれた3匹を讃えるように、シャンデラの司会にも労いの声色が乗る。

「お疲れ様です探検家のタマゴさんたち、これで最後の問題となりました。楽しい時間が終わってしまうのは早いものですね……。しかしご安心を。この先も肝試しは続きます。最後の解答はシャコさん、あなたに決めてもらいまSHOW!」
「よしきた!」

 指名されたシャコは、ふんす、と無い鼻を鳴らす。〝星の停止〟を阻止し世界各地を凱旋する伝説の探検隊ばりに両腕を上げ、この日1番の拍手と脚光を浴びながら、気合を入れ直すようにビシッと1回転を決めた。
 ルミニーナは懐から麻袋を取り出して、シャコの前で逆さまにする。同じ種類の不思議玉がいくつか、ワゴンの上へと転がり出てきた。

「こちらは一見ダンジョンでも拾うことのできる〝わなのたま〟ですが、ただの不思議玉と思うなかれ。名うての機械(カラクリ)技師による精緻な細工が施されてあるのです。探窟家のタマゴである皆さんならご存じでしょう、〝わなのたま〟を使って作られるトラップは通常ランダムですが、こちらはその確率をひとつに収束させてありまして」
「つまり……どういうこと?」
「この不思議玉を使えば、いつでも狙った罠を設置できる、ということです。どうして罠なんかを、とは聞いてはいけませんよ? ダンジョンとは私たちの生活に大いなる恵みをもたらす神獣でありながらも、ときに牙を剥く制御不能の悪霊ともなり得る。ですが迷宮遺物を解明し、神秘を科学していくことこそが、ダンジョンへの理解につながり、ひいては我々ポケモンの生活の発展となる。それこそがビジレクの理想とするところなのです!」
「きゅ、急にどうしちゃったの……。また別種の怖さ、出てきたよぉ?」
「コホン、失礼。話が逸れてしまいましたね。それでは最終問題です。この〝わなのたま〟から生まれる仕掛け床は? A.おとしあな。B.おんねんスイッチ。はてさてェ〜〜〜、〝どっちでSHOW?〟!」

  ナットレイが〝だいばくはつ〟するまでの秒数をカウントするように、ルミニーナは制限時間を煽るような鼻歌を口ずさみながら、体をカチコチと揺らしだした。
 ――そういえば聞いてなかったけど、優勝したら記念品とか出るのかな? シャコはちらりと得点ボードに目をやった。みんな機械(カラクリ)映えを意識しすぎたせいか、正解をカウントするビジレク翁の顔ステッカーの数が、3匹とも横並びになっている。――ここは間違えられない。手渡された不思議玉に刻まれる紋様は初めて目にするものだが、意地でも正解してみせないと。
 興奮して〝こうそくスピン〟を続けるヤジロンの腕を、ライトの外縁からパオロの鼻がグイとひっ捕らえる。生乾きの泥には紙吹雪の残骸がへばりついていて、なんともクイズ大会を満喫しているようだった。

「おいシャコっ、ダンジョン座学の授業を思い出せっ。〝おとしあな〟に落ちようものならおれたち散り散りになって、この()れーダンジョンじゃあ合流なんて望めねー。〝おんねんスイッチ〟は踏んだら最後、〝うらみ〟状態の野生に取り囲まれ、技も使えずに逃げ惑うハメになる。どっちも高難易度のダンジョンにしか発生しない、踏んじまったら一気にピンチになるタチの()りー罠だぞ! 答えっちまったらどーせ使われるに決まってンだ、ここは時間を稼いで逃げる準備すんのが正解! なあっ聞いてンのかシャコ、なーあ!?」
「……これがパオロ、きみと遊んだ最後の思い出になるかもしれないんだ。パオロがタトゥーを入れたみたいに、ぼくだって忘れないような何かが欲しい。ヒントなんか要らないんだからね! えっーと、えっーと、えっーとぉ……っ、こ、こっち!」
「おいっバカ冷静になれってーの!」

 パオロの制止を振り払い、シャコはワゴンに載せてあった札を握りこむ。覚えたての〝ゆびをふる〟を披露するトゲピー、その福運を祈る母親の心境を表しているような、ほの暗く落とされる照明にうっすらと響くドラムロール。深呼吸して、片腕を上げた。じっと目を見つめて「ファイナルアンサー?」と問いかけてくるルミニーナに、どう返せばいいか分からないシャコは「……ファイナルアンサー」と呟いておく。
 取り囲む観衆がまさに硬直してしまったかのような沈黙の中、シャンデラの迫力あるニヤけ顔がカメラを向いた。

「……正解は実演をもって発表といたしましょう。寂しいですがここらでお時間がやってまいりました。最後は皆さんご一緒に〜〜〜? ハイっ、クイズ『ダンジョンどっちでSHOW?』でした! 次のチャレンジャーがたどり着くまでは一旦CMとなりまーす。――それでは皆さんお待ちかね、気になる最終問題の正解のほう、とくとご覧いただきまSHOW!」

 ルミニーナは不思議玉のひとつを、シャコたちの足元めがけて投げつけた。





 ――さて、天秤はどちらへ傾くべきだろう?
    ...................
    =*****************+:
     .......:==:......
            .*=:-:                -**:
                 :=-.  :=+*+=--:. +**=
                   .=+=-. .-=****=+**=::.
                     .        :-+=+**=****+==-:  +++++++++++++++++++:
                                  +**===========  :-------+=-------.
                                  +**=         :+...:-----*=
                                  +**=          .==-:.    :.
                                 -====:
                                  +++=
                                .-****-
                               :-===+==:.
                              .:-=-:=:==-.

        (A.おとしあな)                              (B.おんねんスイッチ)
             3.                                          4.





10 聞きたくない声 [#4a2TCZX] 


 秘密基地の岩壁へ細長い影が伸びている。語り終えたヒトモシのルーミーが、ふぅ、と蝋燭を吹き消すようなジェスチャーをして、自分で青白い炎を細くした。

「……あれ? あんま怖くなかった?」
「自分で喋って自分でビビってりゃ、世話ねーぞう」

 石のテーブルへ乗った彼を囲むみんなの顔つきを見回して、おかしいな……とルーミーは無い首を傾げた。気を取り直すように深呼吸して、冬眠明けのオオタチのように痩せた炎へ酸素を送りこむ。

「……じゃあ次いこ次! オーレットの番!」
「ええ、っと」

 自分の前へ跳ねてきたヒトモシへ、オーレットは困惑したように眼差しを浮つかせる。冬休みのある日、「怪談会やろうぜ。みんなで怖い話を100個、語り終えるまで帰れないっての」とルーミーが持ちかけたイベントだった。みんな用意してきたものはあらかた披露し終えたが、聞き役に徹していた彼女へ手番が回ってくるのはこれが初めてだ。
 ルーミーの怖い話には眉ひとつ動かさなかったオーレットが、蹄をすり合わせてたじろいだ。ミルタンクの耳は困惑げに内側へ折り畳まれている。サクの見守りという(てい)で参加した彼女は、持ち合わせを用意していないらしい。
 すかさずパオロが助け舟を出した。

「こーいうンが苦手なヤツだっている。聞いてるだけでも別にいーンだぞーう」
「ううん、やってみる」
「お、いけるか。無理すんじゃねーぞう」

 彼女を労っていたパオロの鼻が引っこめられた。(かす)かに揺れる蝋燭の青白い火が、ミルタンクの瞳に映っている。

「これは、その……。毎朝牛乳を配達してる、ローブシンのおばあさんから、聞いた話なんだけど……



「……」
「……」
「…………」
「………………」

 語り終えたオーレットは、スッとルーミーの灯芯を吹き消した。
 ムシャーナの煙に抱かれたような浮遊感に浸っていたシャコも、ハッと我に帰る。彼女が話し始めてどれほど経っただろう。もう何時間と長い講談を聞いていたようにも思えるし、あっという間のおとぎ話だったようにも感じられた。ともかく皆、オーレットの口調にすっかり陶酔させられていたらしい。
 何かが取り憑いたように鬼気迫る語りを披露していたオーレットは、いつの間にか普段のおとなしさを取り戻していた。ふと気づいたように、秘密基地の入り口からほの暗い景色へ顔を向ける。

「……雪、降ってきたね」

 みじろぎひとつ許されないような後味の悪さを吹き飛ばすように、ぼあ! と青白い炎が吹き上がる。気絶していたらしいルーミーが息を吹き返し、口からろうを飛ばしながらみんなを急き立てた。

「帰ろ帰ろ、もう帰ろ! このままだといつかみたいにまた、サクが熱出しちゃうかもだし」
「ええ? サクはねー、まだ元気だよ。全然だいじょ――」
「うわ()っち! あち! このままだとサクが茹でタタッコになっちまうしな、帰るっきゃねーなあ!」

 わざとらしくパオロが鼻先を丸め、暴れるサクの腕を掴んだまま秘密基地を飛び出した。それを皮切りにひとり、またひとりと狭い横穴を這い出していく。
 百物語。集まったメンバーが夜通し怪談を語り継ぎ、ひとつ終えるたびに蝋燭を吹き消していく。その数が100になったとき、暗闇とダンジョンが繋がって、その奥から新たな怪異が現れるというもの。眠っていたそれを呼び起こさないため、通例として語られるのは99話まで。よしんば最後のひとつを聞いてしまったとしても、なにが起きたか、なにを見たのか……それを思い出してはいけないとされる。
 最後尾のシャコは振り返った。暖炉の火が消えたズリ山の横穴は、がらんどうの闇を(たた)えてる。――誰か、もうひとりいたような。残しておくべき蝋燭の最後の1本を、あの日、ぼくは消してしまったのかもしれない。





 気狂(きぐる)いクイズ大会はラストの1問を正解したらしい。証拠に、シャコの足元で煙を吐いた〝わなのたま〟は即座にダンジョンの屋敷風大理石を塗り替えた。忌々しいギミックの中央に大きく描かれた、ゴーストとも似つかないユーレイが手招きしているトラップは〝おんねんスイッチ〟のそれ。
 かちっ。
 パオロとオーレットの踏み抜いた感圧板の下から、紫の瘴気が周囲へ(ほとばし)る。タマタマが常に同じ陣形を取るような正確さで、それらはステージを囲むようにして見守っていた観客へと吸いこまれていった。それまで〝しばりだま〟で硬直していた野生どもは操られたように、クイズ大会を制したシャコたちを盛大に祝ってやろうと襲いくる。

「やったあ合ってたっ! これで1番多く正解したのは、ぼくだよ! MVP! モスト・ヴァ……ゔぁ……、ヴァーティカル・ポケモン!」
「や――ばやばやばやばや! ほらっシャコ言わんこっちゃねー! クイズ大会なんてもうどーでもいいっつーの、こんな肝試し、さっさと辞めにさせてもらうぞーう!」
「……こっち」

 冷静なオーレットに()かれ3匹は通路へとひた走る。背後から追いつく野生どもは手を伸ばし、手の無い者は噛みつこうとし、牙も無い者は炎やら雷やらを吐きだした。悪霊に呪われた彼らはみな目を血走らせ、言葉にならない奇声を上げながら、侵入者を排除せんとその役割を遂行している。

「ったくよー、いい加減しつけーぞうッ!」

 遠距離技に乏しいパオロは胴体横に括りつけられた探窟鞄から〝いしのつぶて〟やら〝しばりのえだ〟やら、効果のあるものを掴んでは振るう。それでも湧いては襲いくる野生に手こずっているらしかった。オーレットも通路に立ち塞がるゴースを〝ふみつけ〟で蹴り飛ばすも、そこで勢いを削がれてしまったらしい。通路へ逃げ切れず囚われたオーレットのところへ、パオロとシャコが追いやられてくる。ホエルコたちに岩場へと追い詰められたヨワシの群れの気分だ。
 シャコも、忍び寄り〝どくばり〟を打ちこんできたイトマルへ〝ねんりき〟で応戦。床へ叩きつけられひっくり返ったいとはきポケモンは、6本肢で宙をでたらめに引っかきながら、飛び出した白い目でシャコを睨みあげていた。

…………き

 ――今なにか、喋ったような。気のせい……だよ、ね。
 明瞭には聞き取れなかった野生の断末魔が、シャコの気力を摩耗させる。たしか同じ種族の女の子が、ふたつ下の学年にいた。特段仲がいいという訳でもなかったが、自分で吐いた糸が肢に絡まっていたところを助けてあげたことがある。「ありがとう」と慕ってくれた彼女を〝ねんりき〟で縛り上げ、無慈悲にも命を奪ってしまったような錯覚に陥り、シャコの腕が震え上がった。
 探検隊スクールの門をくぐった子どもたちがまず体得するテクニックは、野生ポケモンへ技を向けることに対しての優柔さを取り払うことだ。
 野生とはダンジョンにのみ現れ、倒せば跡形もなく消え去ってしまう、幻影のような亡者たち。たとえ行手を阻む敵が親や友だち、もしくは自分自身と同じ種族だったとしても迷いなく攻撃できるのは、野生と理性の線引きがなされているからだ。オーレットは野生に向けてどうしても蹄を向けられず、中学年に入ってようやくバトルできるようになったくらいだった。
 そのひとつの指針として、やはり言葉が通じなという要素は大きい。いくら打ちのめしても体力の尽きるまで凶暴でいてくれるから、こちらも呵責なく技をぶつけられる。もしやっつけた野生が消える間際に『痛い』『やめて』『助けてくれ!』なんて叫んだら……? この手で親しいひとを傷つけている感覚がして、技なんて使えなくなる。
 それこそが〝おんねん〟の正体だ。野生の骸を通して、ダンジョンの闇がシャコへ耳打ちする。

うそつき……うそつき……どうして……うそつき……

 パオロの横っ腹へ飛び掛かってきたグレッグルへ、とっさに〝サイケこうせん〟を放ったシャコは、はっきりとその声を聞いてしまった。冷たい床へ(くずお)れたどくづきポケモンは、その頬袋をしきりに膨らませては〝おんねん〟を唱えながら、春を迎えたフリージオが気化するようにダンジョンの暗がりへ掻き消えていった。
 呆然と立ち竦むしかないシャコの腕を、ゾウドウの鼻がむんずと引っつかむ。天井から急襲してきたゴルバットを〝ふみつけ〟であしらったパオロも、同じようなオカルトに囚われているらしい。幻聴から逃れるように耳を丸めこみ、胴体横に括りつけた探窟鞄から強壮ドリンクを探り出していた。

「チクショ、こんままじゃラチが明かねー! シャコ、オーレットっ、オマエらだけでも逃げるンだぜーえ!」

 ふたりを鼻で引き寄せ正面に立たせた矢先、パオロは大理石を踏み鳴らし突風を巻き起こす。大柄なバルクから巻き起こされる渾身の〝ふきとばし〟が、シャコとオーレットをまとめて通路へと弾き出した。
 取り残されたゾウドウが野生の黒だかりに囚われ、シャコは大部屋へ向かって声を張った。『ワイアット海漂林』にてドククラゲ相手に〝じばく〟しようとしたシャコを言い(くく)めてくれたパオロが、今は身を(てい)してシャコたちを守ってくれている。せめて〝ばくれつのタネ〟のひとつでも投げてあげられればよかったが、あいにく探窟鞄の中身は寄る辺ない。

「パオローーーっ、パオロも早くこっちに! 自己犠牲はダメだって、あんなに言ってたじゃないか!」
「バッカ、〝てっぺき〟を積んだおれがそう簡単にやられっちまうわきゃねーだろっ。それに、オマエが展開してくれやがった〝ひかりのかべ〟の加護もある。こんくれー逃げきれるっつーの! フロアを進んだ先で落ち合おうぜーえ!」
「でも……」
「いーから! おれのタフさは、オマエもよく知ってンだろーがよー。こーんなんヨユーだヨユー」
「……わかった、またすぐに、ね!」

 野生どもを引きつけるようにしてパオロが部屋の反対側へと遠ざかっていく。『ビジレクの機械(カラクリ)屋敷』に巣食う野生は毒タイプが多く、毒技の効かないパオロはかなり場持ちがいいはずだ。おまけにシャコの託した〝ひかりのかべ〟もある。パオロはああ見えて防御面は心(もと)ない。そこをサポートすべく会得した技だった。ぶっきらぼうな彼の口調の中に、照れ隠しの感謝が混じっているような気がして、シャコもどこか面映(おもば)ゆい。
 彼の勇姿を見送って、さて、とシャコは探窟鞄を背負い直した。

「オーレット、ここはパオロに任せて、ぼくたちで先に進もう」
「…………」

 吹き飛ばされた拍子に強くぶつけたのか、オーレットは胸を庇うようにして(うずくま)っていた。「大丈夫?」と差し出した片腕を受け取ってもらえず、シャコは宙ぶらりんになったまましばらくその場で揺れ、ハッとしたように彼女の背中を追いかける。





「なんかさあ……意外っていうか。いろんな種類のビックリが詰まっているんだねえ、肝試しって。ぼくてっきりオバケとか、そういうのだと思ってたけどさ。ふたつめのチェックポイント、しつこいガンコ汚れもこれ1本! って実演販売で、油でデロデロになったフライパンもチラチーノ印の洗剤を使うと一瞬でピッカピカ! になるの、あれほんとビックリしちゃったよね。ポケに余裕があればお土産に買って帰ったんだけど……そもそもぼくの家、調理道具は土器だからなあ。土器にあの洗剤使ったら、ボロボロになりそうだし。……ってことはぼくにかかったら大変だよね。やっぱり買わないのが正解かあ」
「……」
「正解といえば、そうだクイズ大会! 忘れてたけどさ、ルミニーナさん景品が出るって言ってたよね。ダンジョンを抜けたらさ、ぼく、おとなたちを差し置いて表彰されちゃったりして! ……ヤジロンのシャコ殿、あなたはかのクイズ大会にて優秀な成績を修め、見事優勝したことをここに証明する。おめでとう。こちらは副賞の〝オレンのみ〟1年分です。見た目は土偶、頭脳はミッチリ、天才クイズプレイヤーシャコ、ここに参上! ……なーんて」
「…………」
「あの……オーレット……? どうしちゃったの、ずっと黙りこくって。もしかしてさっき、ゴースに重ね掛けられた〝さいみんじゅつ〟で操られてたり……?」
「寝てない」
「ウわ!? 急にしゃべらないでよ、もぅ……」

 ふたりきりになったシャコはしきりに話しかけたが、〝ぼうおん〟持ちのマルマインよろしくオーレットの反応は薄い。会話のないまま通路を進み、部屋を横切っていく。群れて飛び立つゴルバットにシャコが驚く間もなく、身を丸めたオーレットの〝ころがる〟がこうもりポケモンを弾き飛ばしながら道を作る。キィキィと降りかかる悲鳴を避けながら、シャコはついていくことしかできない。
 先をいくミルタンクへ食らいつくのに必死で、気づけばダンジョンの最下層まで潜っていたらしい。結局パオロとは合流できずじまいだ。最奥地のフロアへ繋がる堅牢な大扉の前で、オーレットは振り返った。ぜえはあと息を整えるシャコを見下ろしている。

「……いつか話したこと、覚えてる?」
「な、なに、急に」
「この町に伝わる伝承、のこと。山の神さまに魅入られた探窟家の男は、ダンジョンで野生を倒すたび、声が、聞こえるようになった、っていう話」
「えぇ……?」唐突に始まった怪談に、シャコは声をくぐもらせる。「冬休み、ルーミーが百物語をやろうって持ちかけてきたときの、だよね。誰のよりも怖い話だったから、なんとなく覚えてるけど……」
「あれ、お話の元になったのは、〝おんねんスイッチ〟なの。教科書でしか見たことない、伝説の探窟家も手こずらせた、罠。怨念をまとった、野生を倒すと、力が抜けちゃうの。さっき初めて、その状況に陥ったけど……本当、だった」
「うん……そうだね。あれがいちばんビックリしたかも……」
「聞こえた言葉が、怨念のように気力を蝕むのは」シャコを見下ろすオーレットの瞳は据わっている。「それが自分にとって1番聞きたくない声だから、なんだって」
「ど、どういうこと……?」

 すぐには返事がなかった。彼女の意図を推し測ろうと頭を回転させるも、シャコにはなにも思い至らない。

「何て、聞こえたの」
「えと、その……」
「さっき、イトマルとグレッグルを、倒したよね。何て、聞こえたの」
「……」

 幻聴にしては嫌にはっきりと、シャコの耳許で「うそつき」と罵られた。――あれが、ぼくの1番聞きたくない声ってこと? 確かに思い返しただけで、空洞の頭の奥が鈍く痛んだ。どこかで聞いたことのある声だけれど、それが誰のものか、はっきりとは思い出せない。イトマルはともかく、グレッグルはこの町に住んでいないはずだ。それでも誰か、近しいひとから責められている気がして、ありもしない罪悪感がシャコを虚脱させる。

「何て聞こえたか、当てて、あげようか」オーレットは意気込んで目を吊り上げる。「『オマエなんかいらねー』『もうついてくンじゃねーよ』『オマエ本当に使いモンにならねーなあ』……。違う?」

 オーレットは明らかにパオロの声真似をしていて、長い鼻でシャコをあしらうように鬱陶しそうな演技までつけている。耳はゾウドウのもののように大きく揺らいでいて、旅サーカスのバリコオルの〝なりきり〟ショーのようだった。
 実際に聞こえてきた声とは異なり、一瞬、シャコは安堵した。いくら地獄耳のオーレットとはいえ、『うそつき』というシャコにさえ心当たりのない呪詛までは届かなかったらしい。――やっぱりデタラメじゃないか。百物語の日の彼女の講談はいかにももっともらしかったが、怪談とは語り継がれるうち、ネオラントよりも大きな尾ひれが付くものだ。そもそも合理的に考えて、野生どもがシャコの最も言われたくない言葉を知るはずもない。
 シャコは胸を撫で下ろしてようやく、オーレットの言葉の裏に潜められた意地悪さに気づく。

「ちょっと待ってよ、どういうつもり……? ぼくを置いてけぼりにするようなこと、パオロが言うはずないじゃないか」
「どうなの、合ってるの? ねえ」
「……もういいってば。早く最奥のフロアに進も? このままだとパオロに置き去りにされちゃうよ」
「もう、置き去りにされていると、思うけど」
「うん、だからこそ急いで――」
「違くて」
「え?」
「なんで、引き止めなかったの」
「……どういうこと?」
「だから、なんで、説得しなかったのかって、聞いてるの」

 収穫祭の撤収と共にストークスを出る。パオロの出奔(しゅっぽん)について非難しているのだと、束の間シャコは気づけなかった。つい先ほどまで彼の鼻が巻きついていた右腕の付け根あたりをさすりながら、オーレットが「……くんが、この町から出ていくのを」と小さく付け足す。幼馴染であるはずのシャコが、スクールの卒業を待たずしてこの地を去ると言ってのけたパオロの勇み足を、どうして知らなかったのか。シャコに対する彼女の不機嫌はずっと、そこに由来するものらしかった。
 ダンジョンの壁に掲げられた燭台の炎が揺らいで、オーレットの顔を照らし出す。怪談会で披露した迫力をシャコは思い返し、ぶるり、と改めて背中がざわついた。

「幼馴染……、なんでしょ」
「パオロとぼくが、だよね。うん……寂しくなるよ」
「…………」屈託なく答えたヤジロンを見据えるオーレットの目は、雨の朝のニャビーのもののように据わっている。「町を出るにあたって、相談とか、されなかったの」
「ずっと前から外の世界を見てみたいとは言っていたから、その決心がついただけだと思うよ。長年の夢を叶えようとしてるんだから……すごいよね」
「学校の先生にも、誰にも何も言わないで? ……それって、普通じゃないと思うの。そういう重要なことって、仲のいい友だちに相談するもの。……何かお(うち)で揉めていて、自分の体に刺青(いれずみ)を入れちゃうしかないくらい、心が(すさ)んでいたのかも。だから、春になるのが待ち遠しくて、町を出ようと焦っていたの。きっとそう」
「……ひとの気持ちを推し測って勝手に決めつけるのは、よくないよ」キップイやルーミーとの悶着を(かんが)みながらシャコは言う。「ぼくは、パオロが決めたことなら、応援したいと思ってる。想像してみてよ、立派な探窟家になったパオロが、難関だって言われてるダンジョンを次々に突破しちゃうんだ。思わずぼくまで自慢したくなっちゃうでしょ!」
「……何それ。無責任、じゃないの。友だちとして」
「ずっとパオロと友だちだったから、分かるんだ。海を渡った先でも、パオロならうまくやれるって。それに、フリズムって道具で声を送ってくれるって、約束したし。手紙みたいなもの、なんだよね。今から楽しみだなあ」
「…………、あのさ、いつも思ってた、けど」

 ……空気、読めないよね。
 お気楽な空想を語るシャコへ吐き捨てられた、声。小さく震えてはいたが、はっきりと軽蔑の色を乗せた声。それがオーレットの口から飛び出したことがにわかには信じられず、〝がんせきふうじ〟に阻まれたかのようにシャコの反応が鈍る。

「ふたりだけで、肝試し、する予定だったの」
「……パオロと、オーレットが?」
「そう」
「え、えっと」どう応えるべきかわからず、シャコはぎこちなく1回転。「みんなでやったほうが、その分、楽しいよ。ほら、去年までは、秘密基地にみんな集まったりして、一緒に遊んでたじゃない。……そうだ、キップイも誘えばよかったんだ。路地裏で見かけたんだけど、今ごろどうしてるかな」
「ねえ」棘ついた声とともに、ミルタンクの耳がしきりに煽がれる。寡黙なオーレットが何か言いたいときに見せる癖だった。ただ、今は、淀みなく言葉が連ねられる。「まだ、何も、気づかないの。気づいていて、わざと邪魔してるの。どっちなの?」
「ど、どういうこと……? ぼくは別に」
「〝ふたりだけで〟って、言ってるんだよ。ねえ、聞こえて、なかったの? ねえ!」

 ふたりだけで肝試しに来るつもりだった。だから、そもそもシャコにはついてきてほしくなかった。オーレットの言わんとするところを汲み取ってしまい、シャコは返答に窮する。ビジレク翁と機械(カラクリ)技師の愉快なやりとりに気を取られていたが、そういえば待機室に集まった参加者のほとんどが男女のペアだった。パオロがオーレットの腕に鼻を絡めていたように、恐怖にかこつけて愛しい相手と距離を縮めるのが〝おとな用コース〟の実態だったのだ。
 そういうことに奥手なオーレットの〝むしくい〟のように穴の空いた説明で真相を聞かされ、シャコはしどろもどろに喘ぐしかできない。クイズ大会で優勝しようと躍起になって、パオロの忠告などまるで耳に入ってこなかった。オーレットの肝試し計画を台無しにして、親密になるはずだったふたりを引き剥がしたのは、シャコ自身だ。

「そ、それは……っ、気づかなかったわけじゃなくて、その、ほらっ、ぼくが参加するのも、ダメだって言われなかったんだし」
「受付のひとも、困惑してたんだよ。気づかなかったの? 前、言ってたよね。ヤジロンは周りのみんなを見て、色々な変化を察することが、成長につながるんだって」
「そっそれは、だって、その……。そ、そうだよ、パオロが誘ってくれたから。パオロは、ぼくとも、肝試しをしたかったんだよ!」
「断ればよかったのに。どうせ、離ればなれになったら、すぐに忘れちゃうんでしょ。どれだけその土の肌に刻みつけても、雨に濡れれば、簡単に崩れて消えちゃうんでしょ」
「な……なんでそんなこと言うのさ……。忘れるわけないじゃないか、パオロもオーレットも、学校のみんなは、友だち……なんだもの」
「友だち?」

 見下ろしてくるオーレットの視線に、空っぽの胸がぎゅう、と締め付けられる。――ああ、同じだ。これと同じ胸の締めつけを、ぼくは知っている。友だちだよね? と歩み寄ったところをキップイに突っぱねられたトラウマが蘇って、シャコは逆回転して半歩だけ後退(ずさ)りした。ダンジョンの壁面に掲げられた松明(たいまつ)が、オーレットの横顔をてらてらと浮かび上がらせている。シャコの記憶でそれが、真っ赤な夕陽を背にして迫ってくるキップイのものと重なった。すくみ上がる軸足をなんとか踏ん張り、なけなしの意気地で向き直る。

「本当に、幼馴染なの」
「ぱ、パオロとぼくが……だよね。そうだよ。家は離れているけど、ぼくのお父さんとパオロのお父さんが仕事で何度か話し合いをしていて、そこでぼくたちも顔を合わせるようになったんだ。学校に入る前からの友だちだよ。そもそも探検隊スクールに行こうぜって誘ってくれたのも、パオロだったんだ」
「幼馴染だって、自分でそう思ってるだけじゃないの。本当の、心からの友だちなら、肝試しとか、学校に通おうって誘うみたいに、町を出るときも、一緒に行こうって、言ってくれると思う、けど。……取り残される方も、別れなきゃならないのが親友なら、ついて行きたいって、思うものじゃないの。勝手にそんなこと決めるなって、怒るべきじゃないの。遠くへ行っても応援してるなんて、そんな薄情な言葉、出てこないはず、だけど」
「な、は――」
「やっぱり、その程度の関係性だった、ってことじゃないの」

 信頼していた用心棒のゴロンダから、〝じごくづき〟を喉元へ叩きこまれたような衝撃だった。
 オーレットの吐き捨てる侮蔑(ぶべつ)は、半分も頭に入ってこない。(ドラゴン)ポケモンじみて威圧感のある声がシャコを(さいな)んで、1°たりとも回転できなかった。キップイやルーミーからも激情をぶつけられたが、その際と決定的に異なるのは、シャコに対して明確な害意が含められていること。オーレットは傷つけるために鋭利な言葉を選んで、その切っ先を憎むべきヤジロンへと向けている。
 ダンジョンで襲いくる野生ども相手なら、力と知恵で返り討ちにしてしまえばいい。ふざけてちょっかいをかけてくるパオロには、同じようにふざけて返せばいい。けれど正面からぶつけられる悪意への対処方法を、シャコは知らなかった。ましてそれが悪辣(あくらつ)なお尋ね者によるものでもなく、友だちだと思っていたクラスメイトからの仕打ちなのだ。
 オーレットの声がどこか間遠く聞こえるようになって、視界がぶれる。乾いたはずの粘土質のどこからか水分が凝縮して、目元めがけて集まってくる。――泣いちゃダメだ、泣いちゃダメだ。怖くもないのに、泣くなんてヘンだ。両腕で拭う。何かを言い返そうとして、まだ発声器官がもつれてしまう。ぐちゃぐちゃの感情に追いついた土偶の体が、錆びついたギギアルのように、ぎしり……、と、無意識に逆回転し始めた。オーレットが罵っているのは自分ではなく、自分の背後にいる誰かに向けてであって、それを確かめるように寒々としたダンジョンの廊下を振り返る。ヨマワルがいればどれだけ救われたものを、こういうときに限って(ゴースト)ポケモンは様子見を決めこんでいるようだった。
 両眼を吊り上げたオーレットが自分の胸の前を右手で叩く。『わたし』のジェスチャーだ。

「知ってるから」
「な……っ、なにを、さ」シャコはようやく声を絞り出した。「パオロのことなら、ぼくの方がよく知って……、るんだから……」
「夏の終わりごろ、夕方の牧場の隅で、ふたりで、何やってたの」
「牧場……? あっ!」

 牧場の隅で、ふたりきり。シャコに思い当たるのはひとつしかない。保健室で休んでいるキップイを看病に訪れた、その帰り道での事件のことだ。確か、学校の南側の山あいには草原が広がっていて、そこら一帯はオーレットの住んでいる家の敷地だった。キップイの声はよく通る。あの夕暮れ、通学路から響いてくる甲高い叫びを、耳ざとく聞きつけたミルタンクは物置の影から覗いていたのだろう。
 果たしてオーレットは、険しい表情を貼りつけたまま、軽蔑の声色を隠しもせずに喉を震わせた。

「あんな……あんな、恥ずかしいこと、学校帰りに、ひと目のつくところでして……。どういうつもりなの。信じられない」
「あ、あれはッ、キップイが初めての発情期? っていうので錯乱していて、それで……仕方なかったんだ」記憶にかすれつつあった彼女との秘密を暴露され、シャコはもうほとんどパニックに陥っていた。「ぼっぼくも、どうしたらいいか分からなくて、っというかあのとき、どうすることもできなくって」
「性別がないからって、あんなことしてもいいって、思ってるの」
「あ、あんなことって……あれしか方法はなかったんだよ。ぼくは、友だちが悩んで苦しんでいるから、助けになってあげたいって、思っただけなんだ。確かに、ぼくも悲鳴をあげてたりして散々だったけどさ、それでキップイもどうにか収まったんだから、あの日のことは先生やみんなには黙っててよ、ね?」
「……」オーレットはますます顔を強張らせる。「……あのさ、この際だから言うけど、お……お付き合い、してるからって、授業中にみんなの前で……だ、抱きっ、抱き合って、たり、そういうのって、よくないと思うの。あれから学校の帰りに、たまにふたりでコソコソしてるのも、知ってるから。今日だって、収穫祭を一緒に回るために、待ち合わせしてたんじゃ、ないの」
「……ええ、と」

 ――オーレットはどこまで知っている? どこまで言っていい? キップイとは女子会と称して休み時間によく声を潜めあっているから、ぼくがキップイの発散に頭のツノを貸していたことも、おしゃべりの議題にされていたかもしれない。それにしてはかなり偏見というか、曲解されている気がしないでもないけれど、ぼくがキップイの秘密を暴露してしまえば、彼女を傷つけることになりかねない。
 シャコが答えあぐねているうちに、オーレットの瞳がみるみる驚愕に塗られていく。垂れていた耳は〝たつまき〟に巻き上げられたかのように逆立った。

「付き合ってもないのに、あ……あんなこと、してるの? ……信じられない」
「な、何を怒ってるのさ……。キップイにとっては大事なことだったんだから、もしかしてエッチなことは」
「……ッ」エッチな、という単語を耳にしただけで、オーレットの表情がいよいよ赤味を帯びていく。「……それで、今度は、お、ぉ、……お、男の子にまで、手を出すの。そうやって知らないふりして近づいて、いい思い、するの」
「いい思いって……なんのこと? キップイに頼ってもらったのは嬉しいけど、それだけだよ。道具みたいな扱いはやめてほしいって言ってるけど、あんまりそういうの、意識してないみたいでさ……。抱きしめたのだって、授業でキップイが腹ペコ模様から戻らなくなっちゃったときだけで、それは電気タイプの技が効かないぼくだから」
「嘘つかないで! ……さっきだって、シャンデラのひとに抱きついてたの、忘れたとか、言わないでよね」
「あ……あれはっ」肝試しに怯えていた醜態を掘り返され、シャコの土肌もさっと紅潮する。「怖いから、とか、じゃないよ?」
「じゃあやっぱり、そういう目的で、してたんだ。……信じられない」
「ち、違うんだってだから! ――ああっもう、なんで話を聞いてくれないのっ!」
「そもそもさあ!」シャコを遮ってオーレットは(わめ)く。「……どっち、なの」
「な、何が」
「性別がないって言うけど、どちらかには傾いているんでしょ。男の子なの、女の子なの」

 昔どこかの大陸に住んでいたとされるジュナイパーは、寒冷な高地に耐えうるよう羽根の下に筋肉を蓄えた。華麗な踵落としを決めたのち、朽葉色の矢を3本同時に放ち獲物を追い詰めたという。
 そのような遊猟(ゆうりょう)を彷彿とさせるほど、オーレットの詰問は矢継ぎ早だった。矢羽の餌食になったシャコは反論の余地すら与えられず、ただ、彼女の口撃をこれ以上熾烈なものにしないよう言葉を選ぶしかない。自分の性別は男の子なのか、女の子なのか。どう答えれば収拾がつくのか、今のシャコに冷静な判断が下せるはずもない。

「……どっちでもないよ」
「どっちでもないって……どういうこと? はっきりしてよ」
「はっきりしなくちゃいけないの?」
「当たり前でしょう!?」喉の前で両前足を結ぶように力を込めて、オーレットが叫ぶ。「女の子と、お……男の子がくっつくことで、タマゴが生まれるんだって、授業で習ったの、忘れたのっ?」
「タマゴって何さ。今それ関係ないよね? そもそも最初はパオロが町を離れるって話、していたんでしょ!」
「関係なくなんかない! 収穫祭が終わるまで、あと3週間くらいしか、一緒にいられないんだよ!? 時間がないの!!」
「3週間しかないのは、ぼくだって同じじゃないか! 幼馴染なんだから、パオロだってぼくと遊びたいはずだよっ。だいたい、ぼくの性別がどっちだろうと、ぼくは誰とくっついても、タマゴなんてできないんだよッ!」

 叫び返して、シャコは自分の言葉に胸が詰まる。何か、自分でも気づいていなかった致命的な忌諱(きい)に触れてしまったような感覚がして。手に余る気持ちを(そら)そうとして、つい口が滑った。

「そもそもくっつくのに性別なんてあんまり関係ないんだって、ぼく分かってるんだからね! オーレットは知らないだろうけど、学外授業のとき、カイトとルーミーが深く抱きついて、不定形の体を混ぜ合って――」
「なに、それ」
「あ」

 上気していたオーレットの顔が、今度はみるみる青ざめる。食料が底を尽きて〝ベトベタフード〟を食べるしかなくなった探窟家のように顔が歪んだ。胸の前で蹄を握りこみ、震える我が身を抱きかかえながら、糾弾の声を張り上げる。彼女にとって、性別のないヤジロンこそが、男女種族年齢問わず、関わったポケモンたちを破滅に追い立てる魔性のエンニュートのように思えてならないらしかった。

「……信じられない、信じられないっ、信じられないッ!! それも、そういういけないことも、ふたりに吹きこんだの。授業で習ったのとはあべこべのこと、言って、タマゴもできないのに、おと……、ッ、おと、男の子どうしでもそういうことするなんて……!」
「だから、もしかしてエッチなことは、いけないことじゃないんだって! それでルーミーの悩みは解決したんだから! カイトってばすごかったんだよ、燃える砂浜に雨を降らせて一瞬で消火してさ、荒ぶったルーミーを抱きしめて耳元で――」
「もういいッ! 先に帰ってて。これ以上ついてくるなら、技、使うからねッ!!」

 (ゴースト)タイプに何度〝おどろかす〟をされようとも上げなかった悲鳴を轟かせ、オーレットは探窟鞄へ前足を突き入れた。投げつけられた〝あなぬけのたま〟が弾けると、大理石の壁に大穴が開いている。奥は淡い光に満ちていて、ここを通ればダンジョンを脱出できる抜け道だ。
 動こうとしないシャコの背中を蹴り飛ばすように、オーレットが吐き捨てた。

「何なの。まだ何かあるの。……もしかして、次は」()めつける彼女は自分の喉元を蹄で軽く叩く。わたし、の意味。「……に、そういうこと……しようって、考えてるの。本当、やめて、欲しいんだよね、そういうの。……女子会でもさ、いっつも何考えてるか分からないよねって、ときどき話のタネに、なってるよ。気をつけた方が、いいと思うの」
「………………」

 オーレットの棘ついた言葉が、ヤジロンの空洞を反響して抜けていく。――なんで、分かってくれないんだろ。なんで、そんなひどいことが言えるんだろ。やっぱりオーレットは、ぼくのこと、友だちとも思っていないんだ。友だちじゃないっていうのなら、シャコも突き放してしまいたくなる。放課後にクラスみんなで遊んでいた思い出が、とても遠いもののように感じられてならない。
 引っこんだ涙の代わりにようやく、パオロとの関係性を貶されたことに対する怒りが、マグマッグのような粘性と速度をもってして、シャコの中へふつふつと湧き上がってくる。怒りの純度は高くない。幼馴染だと思っていたパオロが黙って出て行って、自分の隣からいなくなってしまうという悔恨。オーレットとの応酬の中でつい口に出てしまった、ヤジロンという種族の欠落。そして、自分がこんなにもどす黒い情動を抱いていることに対しての嫌悪。揮発性の体液が混じり合って、どちらの(こぶ)から噴火すればいいか分からなくなったバクーダみたいだ。――ルーミーって(ゴースト)タイプの技を使うとき、いつもこんな恨めしい気分になるのかな。今なら覚えもしない〝たたりめ〟を、1.5倍の威力で撃ち出せそうだった。そうしたところでオーレットにはちっとも効果のないところが、一層シャコの気持ちをぐちゃぐちゃに掻き乱す。
 ――ああ、ぼくはいま、よくないことを考えてしまっている。
 ぼくがヒドイデになって、毒で苦しむサニーゴのどこへ(かぎ)針を突き立てれば急所を(えぐ)れるのか、探りながら舌なめずりしているみたいだ。まさに〝ひとでなし〟の考え方がシャコの頭を渦巻いて、いくら〝こうそくスピン〟の回転を速めても、ツノにまとわりついた邪念を振り払えそうにない。
 自分とルーミーだけが知っている、パオロの秘密。彼と従姉妹のユキメノコとの関係は、牛乳の配達先で噂を聞き漁っているオーレットの耳にも届いていないはずだ。もしかしてエッチなことがあったらしい遠征の夜の仔細を告げ口してしまえば、オーレットをひどく傷つけることになる。そしてそのままダンジョンへ置き去りにしようものなら、いくら〝きもったま〟な彼女といえど心細さに押しつぶされてしまうかもしれない。
 しかしそれは、おれとオマエらだけの秘密だぞーう、と念押ししていたパオロを裏切ることになる。その程度で培ってきた友情に(ひび)が入るとも思えないが、オーレットの悪罵(あくば)が〝のろい〟めいてシャコの信念を蝕んでいた。猛吹雪の秘密基地にひとり取り残されたあの心細さにも似た恐ろしさがぶり返してきて、どうにも決心がつかない。
 苦心して言葉にせずとも、力づくで奪い取る方法だってある。〝おんねんスイッチ〟のせいで技を打つ気力もほとんど残ってないが、行き場のないこの衝動を発散させるには、オーレットとバトルするのが最適かもしれない。――いや、バトルなんて生っちょろいものじゃない。決闘だ。収穫祭が終わるまでパオロの隣にいるのはどっちが相応しいか、オーレットとその座を争うんだ。

「ねえ、早く帰ってよ。ねえってば、ねえ!」

 オーレットの罵声が土偶の空洞を反響している。大理石の床を削りかねないほど軸足へ体重をかけ、シャコは回転しながら線を引いた。左右の天秤が揺れて平衡を保つようなおぼつかなさで、パオロの右前足に刻まれた異国の神様の模様を描いていった。





 ――さて、天秤はどちらへ傾くべきだろう?

                                                  ...................
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                               .-==:=:-=-:.

     (秘密を暴露する。)                               (決闘を申しこむ。)
            6.                                              5.





☆これさえ目を通せばよいこれまでのまとめ☆ 


あらすじ
肝試しに訪れたダンジョン『ビジレクの機械(カラクリ)屋敷』の〝おとな用コース〟は、一緒に参加した男女が仲良くなるための仕掛けでいっぱいだった! そうと気づかずパオロとオーレットについて行ってしまったシャコは、オーレットとふたりきりになったところ彼女から強く詰問される。明確な悪意を前に反撃の衝動を抑えきれないながらも、どうすべきか模索中。

シャコ/ヤジロン
1番聞きたくない声を囁くと噂される〝おんねんスイッチ〟は「うそつき」とシャコへ耳打ちした。クラスメイトを友だちだと思って力になろうとしている姿勢は嘘なのか? オーレットとの言い争いの最中、口を突いて出た「ぼくは誰とくっついても、タマゴなんてできないんだよッ!」という言葉は、自分でさえ気づいていなかった自分自身の誤謬を見せつけられたようで、それについてはまだ考えたくない。

パオロ/ゾウドウ♂
クイズ大会の進行役であるルミニーナに〝おんねんスイッチ〟を発動させられ、モンスターハウスと化した部屋からシャコとオーレットを弾き出した。自分は〝てっぺき〟で身を固めつつ、ヘイトを買って逃げ切ったようだ。アイツのねーちゃんってやべーヤツじゃねーか……、と、ルーミーに対する評価はだいぶ下落。

オーレット/ミルタンク♀
勇気を出してパオロを肝試しに誘えたのに、関係ないヤジロンまでついてきた。宴会場でもクイズ大会でもいい雰囲気を邪魔され、それをシャコは(みんなで参加できて楽しい)としか思っていないそのお気楽さが苛立ちを募らせる。〝おんねんスイッチ〟にパオロと分断され、シャコとふたりきりになってからそれが爆発。……性格悪い子じゃないんですよ? 本当はもっと前に活躍のシーンあって、ここまでヘイト買うようなキャラになるはずじゃなかったんですけどね……天秤だからこればっかりは仕方ない。




11 ぼくのせいだ 


 米、というものを調理したことがある。
 石の大陸は寒冷で土壌も肥沃ではなく、雨季の必要な稲穂が(みの)ることはない。水の大陸で収穫された米はさまざまなポケモンたちの手を渡りながら、ウキドゥの元へ流れ着いた。
 シャコは麻袋に入った米を、さらさらさら、と調理用の土器へ流し入れる。アブリーの産んだタマゴのような純白の、粒。収穫期に運ぶライ麦の穀粒は平たく潰れていて、不揃いで、そのほとんどは臼で()いてパン種にされるから、もみ殻を除いただけの穀物をそのまま土器で煮る、というのはシャコにとって新鮮だった。
 水を溜めておくための土器を〝ねんりき〟で傾け、米をひたす。スープを作るときよりも分量が多く、シャコは振り返って父親を呼んだ。

「ねえこれ、合ってるの? このままだと絶対、吹きこぼれちゃうよ」
「それが米の正しい〝炊き方〟なのだと、教えてもらったよ」
「炊く……って言うんだ、このやり方。珍しいね、お父さんが知らない食材をに挑戦するなんて」
「何事も経験さ」

 基本的に摂食を必要としないヤジロン族だが、毎日1食は必ず食卓を囲む習慣をウキドゥはつけていた。といっても献立のレパートリーは乏しく、適当にカットした野菜を塩と香辛料で煮こんだだけのポトフが週に3回は出る。食に精通していない父親の調理法といえばもっぱら煮るか焼くかで、だからシャコも関心は薄かった。ウキドゥの聞いてきたレシピに従う他ない。
 削り出したオークの固い樹皮へシャコが軸足をめり込ませ、最高速度の〝こうそくスピン〟を数秒間。亜麻(あま)の繊維を丸めたものへ風を送ると、火種が燃えあがった。組み木に灰を被せただけの野外炉へ(おこ)した火を投げ入れ、米に蓋した土器を(うず)めて待つ。
 はるか遠い昔、ヤジロンやネンドールは水の大陸で生まれたとされる。その体は土器と同じように、粘土と(れき)を混ぜて素焼きしてできたもの、らしい。――ぼくの中に米と水を詰めて炉で寝たら、明日の朝にはお腹いっぱいになっているのかな。どちらも中は空洞で、違うとすれば蓋があるかないかくらい。体を構成する成分が同じなら、ヤジロンと土器は何が違うのだろう、とシャコは思う。

「にしてもよく手に入ったよね、米、だっけ。なんというか、こう、エ、え……、エキゾチックな……」
「エスニック、だろうか。東洋の民族風、というような意味だが」
「そうそれ」
「パオロくんの父御(ちちご)さんが譲ってくれたのさ。石切だけでなくポアズの港町で海運事業を始めたらしくてね、いやはや彼の一族も大きくなったものだ。200年近く見守っていると、父さんの家族のように思えてくる。我々は長い年を生きる代わりに、あまり数を増やそうとはしないからね」
「ふうん……」

 じゃあどうしてぼくを授かったの、とは、シャコは聞き出せなかった。面と向かって聞くのはなんだか恥ずかしかったし、ヤジロンは他のポケモンとは生き物の基盤のようなものがずれていることに、スクールの友だちと遊んでいるうちに感づいていたから、踏みこんだ質問をするのが怖かったからかもしれない。
 ネンドールの8つの目が交互に細められる。ばち! と爆ぜた炉は、ずっと昔から暖かかったろう。

「シャコ。お前にはな、いろいろなことを体験してほしいんだ。父さんは数百年と生きてきたが、こういう、生き物としての営みは蔑ろにしてきた。ネンドールに進化したての頃、大陸間で大きな争いがあって、父さんは兵器として倫理に背くことをたくさんしてきたんだ。森は燃え、村は滅ぼされ、多くのポケモンがその命を絶やしていった。そういう悲しみも、回復のため何年か土の中で眠るうちに忘れてしまったのさ。……シャコ、お前は、見て、聞いて、味わって、覚えておくように。心が揺れる、感動するということを、小さいうちから体験しておくんだ。他の子どもたちが自然とそうしていくように」
「またその話?」
「はっは、手厳しいな。経験が浅いと同じ話しかできないようになる」
「それも聞いたよう」
「はっはっはっは」

 イアのみのような球形をしたネンドールの両手が、シャコをぎゅう、と抱きしめる。その先端から〝はかいこうせん〟をぶっ放しては大地を焦土へと変えてきたウキドゥの、臆病な愛情表現だった。手紙を開いたり、土器を動かしたり、日常生活は〝サイコキネシス〟に頼りきりだが、シャコへ触れるのは手の役目。抱きしめることで慈愛が伝わるのだと、ウキドゥは信じているようだった。
 父親の、よく練られた土(くれ)の手に抱えられながら、シャコはふと目をやった。案の定ぶくぶくと蓋があぶくで押し上げられ、土器から水が吹きこぼれている。慌てて〝ねんりき〟で引き上げようとするシャコのツノを、ウキドゥの手が優しく撫でていく。まだ火から下ろすな、ということらしい。
 火元から少し離された土器はやがて静かになり、沸騰も収まったようだった。まだ? とシャコが目を細めて訴えても、8つの目は順番に否定の瞬きをする。このまま米を密閉して、余熱で蒸らすのだという。水の大陸で長年用いられてきた、伝統的な米の調理方法。
 ウキドゥはこの地で長い眠りに就く以前、戦争兵器として使用されていた。シャコは父親がその頃の辛い過去を、少しずつ、長い年月をかけて、受け入れていったのだな、と思った。忌まわしい記憶には蓋をして、たとえ吹きこぼれようとそのままにしておく。けれどいつか、沸騰が収まり触れられる程度に冷めた頃には、その蓋を外して中を確かめなければならない。
 静かに爆ぜる残り火を眺めながら、ウキドゥは言った。

「我々ヤジロンやネンドールが生まれた大昔に、土器は作られたとされているんだ。見てみなさい、胴部にシンプルな縄目が数本、入っているだろう。……お前や父さんのものとはちょっと違うが」
「うん」
「焼き上げる前、練った素地(きじ)へひとつひとつ縄を押し当てて溝を作ったそうだ。同じものはふたつとしてない。神事に用いるような重要なものは、代々親から子へと受け継がれていったそうだよ。……父さんは、シャコ。お前に分け与えてやれるような血も流れちゃあいないが、ひとりのポケモンとして、生きてほしいんだよ。これからその体に、知識、経験という縄目を入れていくんだ」
「生きるって、そういうこと?」
「そういうことだと、父さんは信じているんだよ」

 使いこまれた土器の底は灰を被って白く掠れたり、また火に炙られ煤けてしまっていた。シャコが生まれる前から丁寧に扱われてきた兄たちは、その身にそれぞれの装束を纏って、調理用、貯水用、醸造用、と役割を与えられている。毎年ウキドゥが作っては崩れていく土偶祭祀用のヤジロン人形たちも、ひとつひとつ丁寧にディアンシー様の祈りが注がれている。――ぼくは、何を入れようか。空っぽの器に収めるべきものを探して、シャコは土器の蓋を開けた。
 熱く湿っぽい、粘り気のあるほのかな甘いにおいが、シャコの嗅覚器官を満たしていく。





 熱せられた水は蓋を押しのけ、スナヘビの吐く砂のように土器の口から零れていく。まさにそのような怒りが、シャコの腹底から沸き上がっていた。
 肝試しに訪れたダンジョン『ビジレクの機械屋敷』、その最奥地扉前。オーレットの罵倒がシャコの空洞へ溜まり、そこへ火をくべられ、どこにもない出口を求めて膨らんでいく。素焼きで固まった体の芯の、その気泡にまで蒸気が沁みこんでくるみたいで、全身がふやけるように(ゆだ)っていた。
 軸足で大理石の床を削りつつ、跳ね上がる声を抑えながら、シャコは言った。

「パオロの従姉妹に、ミユキってユキメノコがいるんだけどさ」
「……何、誰? 今それ関係、あるの」
「もしかしてエッチなこと、したんだって」
「は…………」

 オーレットの瞳に、この日初めて動揺の色が浮かんだ。そういう話題を遠ざけている彼女にとって、パオロのそういう話題は到底受け入れられないはずだ。怒りに尖っていたミルタンクの耳が、日没を迎えたキマワリのようにみるみる(しな)びていく。

「詳しく、教えて、あげるね。夏の終わりに、パオロ、ポアズの町まで石材の運搬を手伝ったんだって。その夜、ミユキが間違えて、パオロの寝室に入ってきちゃってさ」
「やめてッ!!」

 それまで罵詈雑言の〝タネマシンガン〟をチラチーノばりに投げつけてきたオーレットが、金切り声を響かせて胸を抱きこんだ。
 意趣返しとばかりに、パオロの体験談を披露する。彼女が傷つきそうな、シャコが考えうる限り〝もしかしてエッチな〟ことを、ヨワシの群れが魚影を誇示するように尾ひれ羽ひれをつけながら――具体的には「パオロはミユキに、〝10まんばりき(High Horsepower)〟でのしかかったんだって」とか、「パオロの鼻づかいに、ミユキは思わず〝たたりめ(Hex)〟を漏らしちゃったんだって」とかを潤色(じゅんしょく)して――言い聞かせた。今ならオーレットが怪談をものものしく講じたり、クイズ大会で悩み抜いて答えた気持ちもよく分かる。――誰かの感情を揺さぶるのが、こんなにも愉快だなんて!
 腹の奥で(わだかま)る熱湯が、出口を求めて逆巻いていた。シャコが()を外しただけで、土器の底からオーレットを口撃する言葉がとうとうと湧き出てくる。
 ――あれっ、なんだろ。
 土偶の中で荒れ狂う奔流に、異質なものが混じっていることにシャコは気づく。ツチニンが進化した際に忘れ去られた抜け殻のような(かす)かな、それでいてありありと存在を感じ取れる何かが、自分の中に、ある。
 パッチールの〝フラフラダンス〟に誘われたみたいに、体が勝手に傾いた。〝ねんりき〟で補佐しつつ、頭の1本ツノを軸足に逆立ちした。パオロが授業中に「もしかしてエッチな?」と言ったあの日初めて、シャコはカポエラーの真似をして同じ体勢をとった。あのときは平衡感覚を失ってすぐさま倒れてしまったが、まるですぐそばから支えられているような安定感。土器の中で保存され、激情でふっくらと炊き上げられたそれが、開いた蓋から零れてきた。

「――」

 〝おんねんスイッチ〟が野生の幻影を操って探窟者へ呪いを囁くように、シャコの体を通して、内なる何かが言葉を連ねる。何を口走ったか、不思議なことにシャコは思い出せない。全身の感覚がひどく遠のいていた。アシレーヌ王子の泡に(くる)まれて、海底を案内してもらうアマージョ姫の心地に似ているような気がする。自分のおかれた状況がちょっぴり不安で、けれど不思議で魅力的で胸が弾む。
 ――なんだか、ぼくの()れ物の体に、誰かが入っているような。

「――――、――」
「その声……うそ……。キャラ、ちゃん……なの」

 聞こえてくる悲鳴は狼狽した声に変わっていた。友だちの名前はおろか、自分自身を「私」とすら呼べないほど気を遣うオーレットが、珍しく誰かを呼んでいる。聞き耳を立ててみても、肝心なところはくぐもって何を話しているのか理解できなかった。
 オーレットはふた言三言(みこと)喋っただけで、冷たい大理石の床に泣き崩れていた。
 確か、彼女も〝おんねんスイッチ〟を踏んだあと、野生のゴースを倒していたはずだ。――あのときはいたって冷静だったけど……今度は、なんて聞こえたんだろ。謎の浮遊感から解放され、軸足を地につけたシャコはちらと気になったが、それよりも痛快さが優っている。あれほど口達者だったオーレットを、あっさりとやり込めてしまった。
 打ち据えられたオーレットを見下ろしながら、シャコはかけるべき言葉を迷う。残忍で冷徹なマニューラのように〝おいうち〟するのは、さすがに気が引けた。

「じゃあ、言われた通り、先、帰ってるからね。……また明日、学校で」

 探窟鞄からオレンのみを1個だけ添えて、〝あなぬけのたま〟で開かれた脱出ゲートへと回転を早める。ダンジョンの出口は受付のあった豪奢な庭につづいていて、シャコはそのままビジレク邸の門扉をくぐった。





 次の朝、オーレットは教室に姿を見せなかった。
 彼女の牛乳配達の担当地域に住んでいるカイトとサクのところには、今朝はオーレットの叔母が届けに来たという。「ブーバーの義母(かあ)さんが話しこんじゃってさ、パンの仕込みが大変だったよ」とカイトは苦労話をしていたが、シャコは気が気ではない。ダンジョン座学の授業が始まっても、ウツボット先生の話なんてこれっぽっちも耳に入ってこなかった。

「そういやシャコ、オマエ、オーレットと一緒に肝試しクリアしたんじゃねーのかよーう」
「あ……と、それは……。っそうだ、終わったあと、どこかに行っちゃったんだ……よね」
「ふーん? いつまで経っても来ねーから、てっきりふたりで先に帰っちまったのかと思ったぞーう。……あ、クイズ大会の景品は、最後の問題で渡された〝わなのたま〟1個ばっかしだって。ったく、シケてるよなーあ!」
「そ、そだね……」

 パオロの鼻で背中を小突かれたシャコは、半回転して小声で返すも、胸がつかえて続かなかった。
 ――ぼくのせいだ。
 あのあと、茫然自失となったオーレットはずっと、ダンジョンを彷徨っているに違いない。体力も削られ、技を使う気力も底を尽き、摩耗したオーレットへ執拗(しゅうね)く追いかけてきた野生どもが覆いかぶさる。デスカーンの影の腕に絡め取られ、黄泉の世界へ連れていかれるようなシーンを想像して、シャコは震え上がった。
 ダンジョンにまつわる四方山(よもやま)話は、何も〝おんねんスイッチ〟だけに留まらない。例えば、同じフロアに滞在し続けると、背後で風がそよいだような耳鳴りがしてくる、というもの。耳鳴りは次第に大きく響くようになり、そのうち正気を保てなくなる。意識は遠のき、探窟鞄を捨て、言葉さえ失って、救助に来た仲間たちへ襲いかかるのだ。精神を蝕むダンジョンの呪いは気づけないほど微弱なものながら、長らく滞留することで探窟家は理性を蝕まれ、野生へと成れ果ててしまう。皮膚に根を張った〝やどりぎのタネ〟が、じりじりと体力を吸い尽くしていくように。
 探検隊バッジの救難信号も届かず行方不明になる探窟家の半数は、このようにしてダンジョンに〝呑まれた〟と噂されている。スクールでは伏せられているものの、シャコたち生徒の暗黙の常識のうちにあった。石の大陸ではさほどでもないが、ダンジョン現象が活発な砂の大陸などでは、かつて町ごと迷宮に侵食されたことがある……なんて逸話もあって、それは百物語の日にキップイが披露した怪談だった。
 探窟家がダンジョンに呑まれるまで数日とかからないとも聞くし、半月経っても無事に救助されたケースがある、との話もある。ともかく置き去りにしてきたオーレットを精神的にひどく傷つけてしまったから、時間に猶予はないと考えたほうが賢明だろう。それに、薄暗く寒いところへ取り残される心細さは、シャコが誰よりも身をもって理解している。
 ――助けないと。でも、でも、どうやって?
 シュヴァルツ先生に泣き縋ることは、ためらわれた。「困っている子たちの力になってあげてね」と特別な期待をかけられているのだ、オーレットを心ない言葉で追い詰めたことが知れたら、怒られるのはもちろん失望されるに違いない。あの厳しくも優しい切れ長な瞳に見下される顛末を想像しただけで、シャコは体軸を固くした。大ごとになる前にそそくさと助け出し、ことを穏便に済まさなければ。
 授業を一緒に抜け出してくれる、協力者が必要だった。
 肝試し会場の〝おとな用コース〟には、カップルでないと案内してもらえない。先日の受付のオーロットは杜撰(ずさん)だったが、規律に厳格なポケモンに交代していれば門前払いを食らわされる可能性だってある。
 パオロと向かえば先日の二の舞だろうし、怖がりなルーミーとでは肝試しのダンジョンをスムーズに踏破できなさそうだ。学級長のキップイにこんなことを耳打ちしようものなら、嗜められたうえにシュヴァルツ先生へ報告されかねない。
 友だちを助けようとするシャコの姿勢を認めてくれたカイトか、昔からオーレットと仲のいいサク。ふたりのどちらかに頼るしかない。シャコは1時間目の授業のあいだじゅう、うまく回らない頭で口説き文句を考えていた。





 ――さて、天秤はどちらへ傾くべきだろう?

    ...................
    =*****************+:
     .......:==:......
            .*=:-:                -**:
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                                 -====:
                                  +++=
                                .-****-
                               :-===+==:.
                              .:-=-:=:==-.

         (A.カイト)                                    (B.サク)
             3.                                          5.


なかがき

ネンドールのウキドゥが昔、戦争兵器として使われていた……みたいな設定はそんな膨らまないです。じゃあなんで書いた?


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  • ガネーシャもついにⅡですね!
    ポケモンの生態や種族ならではの濃厚な思春期体験の物語。とても楽しく読ませていただいています。毎回行われる天秤の投票もそうですが、今回の挿絵であったり文字のフォント・色・右揃えなどwikiの機能をフル活用されているのが本当に凄いですし、ワクワクします。
    今回の更新分、ルミニーナ姉のキャラがむっちゃ好きです。普段の様子が丁寧に描かれているからこそ、クイズの司会をされている姿のギャップに萌えました。メインキャラ以外もしっかり掘り下げられているので、色々なキャラに愛着湧いちゃいますね。続きも楽しみにしてます! -- からとり
  • >>からとりさん
    改稿した9話の展開が思いつくまでは、ルミニーナはおっとりCSぶっぱ@こだわりメガネみたいな普通ポケモンに落ち着くはずでした。どうしてこんな変態型に……。突飛な展開に耐えうる文章にするにはやっぱりキャラに頼るしかないのだ。どういう経緯で彼女がイカれクイズ大会を開くに至ったかは描かれることもないでしょうが、蝶ネクタイ司会シャンデラはなんか絵になるので気に入っている子です。彼女も壮絶な思春期を過ごしてきたことでしょうね……。
    連載1話ごとに投票募ったり、文字の大きさ変えたり、際どい描写も入れれば、いきなりクイズ大会が始まってしまう。こんな連載、いろんな意味からしてwikiでしか連載できないですね……。Ⅱに入ってしまったことですし、どうにか完結まで頑張ります! -- 水のミドリ
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*1 アフリカゾウは地面の低周波振動を足裏で感じ取り、数キロ先の仲間とコミュニケーションが取れるとされている。

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Last-modified: 2022-09-29 (木) 22:09:13
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