#author("2023-05-27T14:45:47+00:00","","") BL 微エロ? ユナイトバトルがエオス島の基幹産業ということもあり、大会運営はランカーにもなるポケモンとそのトレーナー達に別格の待遇を用意している。 スタジアムに併設された宿泊施設の最上階にある、ザシアンの部屋もその一つ。 大型の種族でも悠々と生活出来る広々とした空間は、配備されている専用の給仕ロボによって埃一つ見当たらない。 シーズン閉幕式で贈呈された金のトロフィーはローテーブルの上に置かれ、大きな全面窓から差す夕日を受け橙色に輝いていた。 エオス島に降り立ってから僅か数ヶ月、ザシアンは圧巻の実力でマスターランクの上位にまで登り詰め、今期でも優秀な成績を称され表彰を受けた。 今後のシーズンやチャンピオンシップでも活躍が期待されている彼の元には、既にスポンサーのオファーもいくつか届いている。 まさにユナイトの若き彗星として、黄金期を迎えようとしていた彼は、今。 「うおえッ...うっ...ゲホッ、ゲホッ!!」 一人、限界に達しようとしていた。 その日の試合が終わるや否やスタジアムから逃げ帰り、延々とトイレで嘔吐を繰り返す。 今日だけでは無い、ずっとこの調子だ。 尚込み上げる吐き気を逃がそうとえずくも、胃の中のものは全て出し尽くし、胃酸だけが喉を焼いた。 「はぁ、はぁ、は…あっ...」 漸く吐き気が一区切りついたという段階で彼の身体の力が急激に虚脱し、ぐらりと視界が横に滑った。 蒼い身体が便器の傍へ倒れ込む。光を受けたセンサーが排泄の終わりと判断し、機械音と共に水洗を始めた。 眼の焦点を合わせる気にもなれず、朧げな視界のまま只水の流れる音を聞く。 (なんで、こうなったんだろ) 何時もの自問自答が始まるが、何度辿っても同じ結論が待っていた。 彼は、強すぎたのだ。 エオス島に来た当初、ザシアンに期待されていたのは、彼の母親がガラルの地で示した伝説的な強さだった。 親に対する年頃の負けん気を持っていた彼は母を越えようと、皮肉にも親譲りの才覚を存分に発揮して、ランクマッチを駆け登る。 他者が望む以上の実力を発揮し、実績を積み重ねた。 その果てに、聞いた言葉が。 ――そりゃ勝てるよ、なんたってザシアンだもんな。 ――生まれた時から持ってるヤツはいいよなー努力しなくても強くてさ。 ――ザシアンのチームってアイツが強いだけだろ? 羨み妬む邪念など無視しようと努めるが、多感な時期の心は否応なく反応し、じわじわと精神が擦り減っていく。 だが彼よりも深く傷ついていたのは、チームメンバー達だった。 彼の日陰に居ることに耐えられず、一人、また一人と彼の前から消え去った。 「ゲストがお見えになりました」 給仕ロボの来客を告げる生成音声を聞き、ザシアンの意識は現実へと引き戻される。 覚束ない足取りで立ち上がると、倒れ掛かるようにトイレのドアを押し開けた。 目前に居た円筒形のロボットの胴体ディスプレイには、施設の玄関前が映し出されている。 そこにいたのは、一匹のキュワワー。 「……ロビーで待ってもらってて」 そうロボットに指示を出し、震える身体に鞭打ってシャワー室へと這うように進む。 彼に残された最後のチームメイトにだけは、こんな姿を見せたくなかった。 ※ 「やあキュワワー! ごめんね、ちょうどシャワー浴びててさ」 不調を悟られぬよう無理矢理笑顔を作りながら、彼女を部屋に招き入れる。 未だに体内で暴れる不快感を押し殺そうと、意図せず奥歯に力が掛かった。 「さ、上がって」 玄関口に舞う小さな花輪は、心なしかいつもより弛んで見える。 シーズン終わりの連戦で疲れが全身に出ているのだろうか。 「ね、ガラルにいる俺のトレーナーが珍しいハニースカッシュ送ってくれたからさ、一緒に祝賀会しよ!」 後ろに控えていた給仕のディスプレイを操作しながら、出来るだけ明るいトーンで続ける。 「今期のお祝い、見たいな感じでさ。この調子で来期も頑張ろうね、キュワワー!」 オーダーを出した直後に、ばさりと背後で何かが落ちる音。 動き始めたロボを尻目に彼女へと向き直るが、視線の先には誰もいない。 浮いていた筈のキュワワーは、床に崩れ落ちていた。 「キュワワー……?」 「ごめんね、ザシアンくん、でももう、無理なの......」 蔦から外れて玄関に散らばった花弁の中、彼女は泣きながら謝り続けた。 それだけで、全てを察してしまう。 とうとう彼女にも限界が来たのだ。 ※ 彼女が訥々と語り出した心の裡は、他のメンバーが去り際にザシアンへと語った内容と似通っていた。 曰く、俺と一緒のユナイトは「辛い」らしい。 マスターランクに達して尚、更なる高みを目指し続けるポケモン達は、皆「強さ」を求めている。 彼らの自己実現は、彼ら自身が強くなることで得られるのだ。 5対5で戦うユナイトバトルは、皆が団結し、一匹一匹が各々の役割を果たすことでチームの強さに繋がっていく。 だが、そこに単騎で3、4匹分の実力を持つ者が現れるとどうなるだろうか。 「キャリーされてるだけだって言われ続けて、耐えて来た。けどもう、私、私ッ! !」 残された者には虚しさが付きまとい、そこに罵声が止めを刺して、いとも簡単に壊れてしまう。 「辛かったね、キュワワー」 今のザシアンに、彼女の痛みを背負う余裕は残っていない。 ただ優しい言葉を掛けるしかない自分に、酷腹が立った。 「今まで一緒にプレイしてくれて、ありがとう」 心に残ったありったけを搔き集めて、彼女に別れを告げる。 こうして、俺は一匹になった。 ※ あの日以来、ザシアンは一歩も外に出ていなかった。 強くあればあろうとするほど、皆自分から離れて行って、妬みや嫉妬の声が高まる。 それでも、と戦い続けたら、最後の仲間も失った。 だからもう、何もしない。何もしたくない。 ベッドの中で塞ぎ込む彼を置いて、日は回り続けた。 『うるせえ!飲まなやってられっか!』 大型のプロジェクターが垂れ流す人間用のドラマの中で、酒に溺れる男がいた。 昔こそ自分には無縁、と気にも留めなかったが、今では無性にその液体が美味しそうに見えてしまう。 (楽に、なるのかな) ゆっくりと前脚を給仕のディスプレイに伸ばす。 人間の文字には明るくないため探し出すのに少し時間を要したが、ようやく大人びた雰囲気の注文パネルに辿り着く。 白い手は暫く画面の前を逡巡していたが、やがてこつんと注文ボタンを爪で突いた。 途端に、黄色い人間の手形が画面を占拠する。 <申し訳ございません。エオス島では、未成年又は成獣に達していないお客様への酒類の提供は法律で――> ふ、と前脚の力が抜けた。 生成される自動音声の警告に、どこか口うるさかった母を思い出す。 <かわりに、こちらのお飲み物は如何でしょうか?> ザシアンの個人情報を吸い込んだAIが再提案してきたのは、トレーナーから送られたハニーシュカッシュだった。 青年が目を見開く。 脳裏に焼き付いた花輪の顔が、再び熱を帯びる。 『ごめんね、ザシアンくん』 胃にうねりが走り、平衡感覚が揺らいだ。 溜まらずロボを突き飛ばすと、ザシアンはよろめきながら外に飛び出した。 ※ 太陽が橙の光で街を染める時刻。 エオス島でも高所に位置する宿泊施設から、引力に導かれるまま裏道を下へ、下へ。 開発途上にあるエオス島は、都市と自然の境界が明確だ。 メインスタジアム周辺の都市部と各区を繋ぐ主街道から少し外れると、間近に原生の自然が迫っていた。 進むうちに出会った土着のポケモン達は、不機嫌そうな大型獣からさっと逃げ出す。 これが表通りなら観光客にでも絡まれるのだろうが、都市の外郭に沿ったこの道では地元民すら見かけるのは稀だ。 (こんな所があったんだ) エオス島ではユナイトバトルに没頭し、宿泊施設と各スタジアムを往復する日々だった。 こうして当てもなく散策するのは初めてだった。 やがて辿り着いた場所は、エオスで一番海抜が低い土地、島の玄関口である港だった。 既に日は西の海へ沈み込もうとしており、真下の地平線には客船の影が見える。 ガラルのある方角へ進むあの船が、恐らく今日の最終便だ。 心の中で少し残念に思う自分に気が付いて、自嘲気味に笑みが零れた。 知らず知らずのうちに、自分は故郷を目指して歩いていたらしい。 (ここに来た時は、こんな筈じゃなかったのにな) フェリーから降り立ち、潮風を思い切り肺に溜めた初日。 あの日を思い返す様に、街からターミナル、そしてこの島へ最初の一歩を踏み出した埠頭へと視線を滑らせ。 「あれ」 思わず声を漏らす。 埠頭に幾つかあるベンチの一個に、黒い影がポツンと一つ。 遠目からでも分かる、珍しい模様をしたそのポケモンは恐らく外来の種。 まさか、先程の船に乗り遅れたのだろうか。 急ぎ足で傍まで駆けると、その正体は一目瞭然。 黒を基調とした身体に、黄色い輪の模様が装飾のように走る。 少なくともこの島の原種ではないその種族は、ベンチの上で丸まっていた。 なるべく威圧感を与えない様に、姿勢を落としてその仔の横へ。 「ねえ君、大丈夫? 迷子?」 寝ていた紡錘形の耳が立ち上がり、次いでむくりと首が持ち上がった。 くるりとした大きな赤目が、ザシアンを見上げた。額の光輪が淡く光る。 互いの間に暫しの沈黙が流れた。 「だいじょーぶ」 ようやく出て来た彼の高音は、透き通る様に心地良い。 体は同じ系統のエーフィなどよりも一回り程小さく、骨格もどこかほっそりしている。 こんな時間に、一人で出歩くような歳ではないだろう。 「えっと、トレーナーさんは?」 「いる」 「ここに?」 「んーん、パルデア。でも今はガラルかな」 「えーっと……?」 彼の状況が見えてこなかったが、質問を続けるうちに凡そは把握できた。 トレーナーはパルデアの学生で、夏季休暇の今はガラルへ帰省しているらしい。 だがユナイトバトルに興味があった少年は、最近進化したこともあって、夏休みの間この島で過ごすことを許されたという。 「そっか、まだ島に来たばっかりなんだね。一人暮らし?」 「寮に入ってる。門限早くてさ、遅れたらその日は野宿しろーだって」 「じ、じゃあ早く帰らないとだね」 動揺しつつも、柔らかい口調で寮に戻るよう諭す。 途端に少年の耳が後ろに倒れ、小さな顔は前脚の間に隠れた。 「オレ、もーパルデアに帰る」 「どうして?」 「つまんねーもん、ユナイト。全然勝てなくておもしろくねーし、悪口ばっか言われるし」 「……そっか」 不貞腐れて顔を伏せる少年の横で、ザシアンもまた両腕に顎を置き横になる。 自分とは正反対の理由で、だが同じ傷心を抱えて座り込んでいるこの仔に親近感が湧いた。 共有する存在を隣にして、ついつい青年も本音を零した。 「俺もしんどくなっちゃったな、ユナイト」 そんな呟きを聞いたブラッキーが、ザシアンの方へと視線を落とす。 今度は少年が興味を持った。 「おじさんも勝てねーの?」 「おじっ……勝ててはいるよ」 「じゃー楽しーじゃん」 「辛いことばかりなんだ。勝てば勝つほど、俺達が負けるのを喜ぶ奴は増えて、友達はみんないなくなっちゃて」 「友達いないの?強いのに?」 「強いから、かな」 「ふーん?」 少年はじ、と不思議そうにザシアンを見つめ、それから思い立ったように地面へ飛び降りた。 ザシアンの正面まで回り込んだブラッキーは、青年の顔を覗き見る。 「じゃーさ、オレがザシアンの友達になる!」 「へ?」 唐突な宣言に、ザシアンは目をぱちくりとさせた。 「だからさ、オレにユナイト教えてよ」 随分無茶な提案だが、向けられた眼差しは至極真剣。 「え、まあ、いいけど……」 当の本人はユナイトなど最早見たくもなかったが、眼の前にいる彼の雰囲気に気圧されて、軽々と引き受けてしまった。 ふっくらとした耳と尻尾がぴんと跳ねる。 直後、定時を知らせる放送と共に、埠頭に並び立った街灯が点り、夕闇に包まれつつあった視界が開ける。 くっきりと光に照らされ、少年の黒毛の艶がきらりと走った。 赤い瞳は、輝きで満ちていた。 「オレはブラッキー!」 「俺はザシアン。ザシアンジュニアとか呼ばれるけど、ザシアンでいいよ」 「ザシアン? ザシアンって剣とか羽とか生えたよーな」 「剣は戦うときだけだよ。羽に見えるやつ、実は剣の一部なんだ」 「へー!」 「あとは……まあ続きは帰りながら話そっか。寮までの道、分かる?」 暫し沈黙。そして誤魔化すようにえへっ、と笑う。 矢張り、迷子だったようだ。 ※ 都市面積をバトルフィールドが占める割合でいえば、エオス島は他よりも頭二つ四つは抜きん出ている。 レモータの離島を丸ごとスタジアムに造り替えた大規模なものから、ルートを整えただけの簡素なものまで千差万別。 ブラッキー達がいる場所は、ザシアンがこの島に来てから足繫く通っているという、来る人も少ない街外れの練習場だった。 持ち物の中から朽ちた剣を引き抜き、何万と繰り返した動作で咥え込んだ。 煌、と溢れ出た光子が欠けた剣を包み込むと、刃渡りが水平に伸び切って完全な一振りへと姿を変える。 三つ編みに織られていた赤毛が解け、蒼身の傍を披帛のように流れる。 何時もなら、ここから黙々と自主練に励むのだが。 「すげー!!」 爛々と赤い瞳を輝かせて、座ったまま彼を見上げる一匹の少年。 変身をまじまじと観察されるのは初めて故か、耳の部分が少し熱くなる。 「ほ、ほら。前に言ってた剣の一部って、こういうことだよ」 照れ隠しにエオスエナジーを剣へと注入すると、刀身が光が宿り、背に顕れていた大小二対の羽が浮き立って剣へと引き寄せられる。 それぞれが刃先と柄頭を成し、顕れ出でた完全形態こそが、彼の代名詞である王者の剣。 ちらり、とブラッキーに視線を落とすと、憧憬の眼差しの奥に、何かを堪えているような表情が垣間見える。 ザシアンは暫し思案して、一言。 「持ちたい?」 「持つ!」 即答を聞き、エナジーを再吸収して長剣の形態に戻すと、姿勢を屈めてブラッキーに顔を近づけた。 口を少しずらし、柄に彼が咥え込めるスペースを作ってやると、少年の顔が彼の真横に来る。 ふんわりとした柔な香りが、微かに鼻先を擽る。 思わず、顎の力が緩んだ。ずん、と剣が僅かに沈み込む。 「ぶゅッ!」 唸り声がブラッキーから響き、慌てて再度力を込める。 ゆっくりと元の位置まで剣を戻すと、少年の口先が柄から離れた。 重心が安定するよう咥え直すと、口端にいつもと違う、暖かな滑り。 頭の隅に湧いてくる妙な雑念を振り払おうと、彼に向き直った。 「どうだった?」 ブラッキーは何故か少し動揺した様子だったが、直ぐに調子を取り戻した。 「ちょー重かった、顎外れてドゴームになるとこだった!」 「ご、ごめん」 「ザシアンはずっと持っててへーき?」 「そうだよ。身体の大きさも違うし、先祖代々こうやって戦ってきたからね」 「へー」 「じゃ、練習始めよっか」 「うん!」 ※ 基礎的な体力作りが終わると二匹とも腹ばいになって昼食をとりながら、休憩がてら座学に勤しんだ。 学ぶ、といったものの、ブラッキーの疑問をザシアンが一つ一つ答えて行く単純なもの。 ブラッキーの弱さの原因は至極単純で、ユナイトバトルについて何も知らないことが原因だった。 学園で僅かながらもバトルの経験があるだけに、そちらへ知識が引っ張られている。 「属性ってかんけーないの!?」 「そ、だからゲンガー見かけても考えなしに飛びついちゃったら負けちゃうし、ハッサムが来たからって逃げなくても良かったんだよ」 「んーでもさー、ゲンガーに技当てたらめちゃくちゃ効いてたのに、ダクマ殴ってもそーんな痛がってなかった」 「それは役割の違いかな。アタックタイプとか、ディフェンスタイプとかあるんだけど、例えばゲンガーに攻撃が通りやすいのは、彼が攻撃と素早さが高いスピード型って役割だからだよ。ユナイトはポケモンそれぞれに役割があって、5匹それぞれが自分の役割を果たすゲームなんだ。だから、ユナイト」 「へー。じゃあさ、ザシアンの役割は?」 分かり切った質問だった。当然、バランス型だ 即答しようと口を開く。 「俺の役割は――」 ぢり、と。 過ぎ去った記憶が、脳裏を駆けた。 『お前は強いからいいさ。でも、俺には何にも残ってない! お前のチームに、俺の役割なんてない! 』 『キャリーされてるだけだって言われて続けて、耐えて来た。けどもう、私、私ッ! !』 仲間から向けられた最後の言葉が、心の奥底に沈み込んでいる。 俺は、あのチームで、どういう役割だったんだろう。 「……何だったんだろうね」 「えっ?」 「あっ」 少し潤んだ声を聴かれて、さっと顔を上げる。 静かに咳払いして喉を整えると、取り繕ってブラッキーに向き直った。 「ごめん、少し考えてた。俺はバランスタイプだよ。攻守のバランスが良いんだ」 答えを聞いても、少年はじっとこちらに視線を注いだままだった。 その後、何か考えるように目線を地面に下げた後、埠頭の時と同じように、ザシアンの正面に回り込む。 「あのさー、オレ、今まで相手の事を攻撃しようって動いてたんだ。皆ぶっ倒せば勝てるって思ってた」 「う、うん」 「だけど、ザシアンの話きーてさ、オレってディフェンスタイプだと思う。ほら、耐久とかたけーし」 「うん?」 俯き気味に続く少年の話の要点が見えてこず、ザシアンは少し首を傾げる。 ブラッキーは何かを決心したように唾をのむと、赤い双眸を青年の瞳に向けた。 「だからさ、オレ、ザシアンのこと守るよ」 「......」 呆気にとられて、口が開く。 「ザシアンさ、たまに辛そーな顔するし、きのーあったばっかしの時もなんか、落ち込んでて……。だから、その、一人で抱え込まないでよ。オレ達、友達なんだからさ」 「……ふふっ」 白い脚を出し、極力体重を乗せない様に小さな頭上で滑らせる。 短く柔い毛が、肉球を擽った。何度か繰り返すうちに、ブラッキーの尾がぱたぱたと揺れる。 「ありがとうね、ブラッキー。だけど、オレ守ろうとするならもっと強くならなくっちゃね」 「んー」 「この後は、スキルの練習しようか」 「ん-!」 撫でられる気持ちよさに甘えながら、ブラッキーは耳をピンと立てた。 ※ スキル練習を続けて行くうちに、ザシアンは一つ気が付いたことがあった。 ブラッキーの技法と自分の技法は、かなり相性が良い。 特に―― 「ブラッキー!」 全速でフィールドを駆けながら、並走する少年に掛け声を飛ばす。 同時に、動き回っていた身代わり人形の頭上に黒い閉眼した瞳の紋章が刻まれた。 その瞼が開かれるや刹那、円状の領域が人形を包み込む。 何者も逃れぬ、閉じた領域。 本土では黒いまなざしと呼ばれる、逃げの手を封ずる技法だ。 ザシアンから逃げ回るよう動いていた人形は、その場に釘付けとなった。 「いいぞ!」 言って、一足の踏み込みで彼我の距離を詰め、初撃をその背に叩き込む。 次いで、ポケモンの目にすら止まらぬ速度で二度、剣先が円陣をなぞった。 直後に斬撃が円の内側に立ち起こり、人形を含む全てを切り刻む。 この聖なる剣と呼ばれる技法で、ザシアンはユナイトのランカーに躍り出たのだ。 しかし、円陣を切ってから斬撃が生まれるまでのタイムラグが弱点だった。 その間に円陣から脱出されてしまえば、敵の被害は皆無に等しい。 だが、ブラッキーの技と組み合わせれば、もはやこの技に死角はない。 更なる高みを目指せる余地がある事に、ザシアンは心躍った。 そして、何よりも。 「どうだった?」 「いい位置だったよブラッキー。その技、マスターしよう!」 「うんっ!」 ブラッキーと二匹掛かりで完成させるこの瞬間に、欠けていた心が埋まるようだった。 時を忘れて練習に打ち込み、気が付けば夜間用の照明が二匹を眩しく照らしていた。 門限に気が付くには、今少しの時間が必要だった。 ※ 子共は大人より体力の回復が早い。 耐久が高いポケモンなら、尚更それは顕著なのだろう。 事実、帰りにザシアンの背中で少し寝ていたブラッキーは 「ロボット! すげー動いてる!」 <こんばんは、何かお手伝い――> 「しゃべったーー!!」 物の見事に元気一杯だった。 ザシアンを守るよ、というあのカッコイイ台詞は何処へやら。 部屋のあっちこっちを飛び回っては狂喜乱舞している黒い塊を見て、彼がまだ子供だったことを今更ながら思い出す。 が、文字通り後の祭りで。 「ねーザシアン、ごはん頼んでもいーい?」 「いいけど、食べられる量でね……」 「じゃーハンバーグとカレーとシチューとー、あとオムライス!」 <オーダーを承りました> 「食べられる量だってば」 「ピザみっーけ!」 <オーダーを承りました> 「ブラッキー?」 その後、大型ポケモン用のトイレに足を滑らせて落ちたり、慌てて風呂に入れたら今度は浴室を泡塗れにしたり、大きなベッドをトランポリンにしたり(これはザシアンもやっていたので無罪とした)とやりたい放題だったが、ここに来てようやく電池切れを迎えたらしい。 ザシアンはプロジェクターの電源を落とすと、ソファーの上で力尽きたブラッキーの首根っこを咥え上げ、なるべく慎重にベッドへ降ろす。 んんっ、とくぐもった声を上げ、ブラッキーは円状に寝相を整えた。 静かに寝息を立て始めた少年を尻目にローテーブルへと戻ったザシアンは、すっかり冷めて固まったピザの最後の一切れを顎で掬い上げ、咀嚼する。 「うっ……」 ここ数日碌に食事をとっておらず、しかも結構残してくれやがったため、突然の固形物の大群に胃が抵抗する。 だけど、こみ上げるこの吐き気は、あの質の悪いものではない。 何ヶ月ぶりだろうか、満腹と言えるまで食事をする事が出来たのは。 (まったく……) ベッドの上でぼんやりと光るブラッキーの模様を眺めながら、ザシアンは口元に微笑を浮かべる。 ソファーに体重を預け、胃が一仕事終えるのを待つことにした。 ※ 「んんっ」 ブラッキーが尿意に目を覚ますと、部屋は橙色の間接照明が灯るのみだった。 全面窓のカーテンは引かれたままで、天窓からは天高く上る月が見える。 薄目をしょぼつかせ、1分ほどかけて自分の所在を理解した少年は、ベッドから降りてトイレへと向かう。 今度は片足を上げずに座って用を足せば、頭から突っ込むことは無いはずだ。 トイレを成功させてベッドに上る頃になると、薄目は完全に開き切っていた。 眼の前には、丸まって深い寝息を立てる、一匹の蒼狼。 エオス島で、初めて友達になってくれたポケモン。 強くて、何でも知ってて、かっこよくて、綺麗で。だけど、たまに寂しそうな顔をする。 理由は、まだナイショらしい。 (オレが強くなったら、話してくれる?) 新雪を踏みしめるような足取りで、そっとザシアンの近くに顔を寄せる。 剣を持たせてくれた時に感じた、あの強い匂い。 とくとくと鼓動が早まって、心が妙にふわふわする。 「ザシアン」 かすれ声に近いほど音量を抑えて、細い喉から名前を呟く。 寝息のリズムは変わらない。完全に寝ているようだった。 ブラッキーは唾を一飲みすると、ぐっと首を前に突き出した。 そして 「――」 二匹の呼吸が、一瞬止まる。 唇に、固くて暖かい毛並みの感覚。 短い口付は、直ぐに終わった。 (キス、しちゃった) 心の浮遊感が一層高まって、尻尾が言う事を聞かなくなる。 こんな気持ち、初めてだった。 ザシアンの丸まった寝相の中心にある空きスペースに身体を滑り込ませ、ブラッキーもまた丸くなる。 背中の温もりに、あの時撫でてくれた前脚を思い出しながら、再び微睡に意識を沈めた。 ※ ブラッキーが眠りに着いてから程なくして、ザシアンの瞼が薄らと持ち上がる。 少年を起こさないよう静かに上体を持ち上げると、自らの懐で丸まっている小さな身体へと視線を降ろした。 頬には、まだあの感覚が残っている。 同じ雄の、しかも仔供から向けられた思い心は、不思議と嫌じゃ無い。 いや、むしろ。 (ブラッキー) 首を降ろし、少年の腹部に淡く照り出す模様の中へと鼻先を沈める。 ボディーソープの香りの中に、剣を持たせたときに感じた、あの柔らかな匂いを見つけ出す。 そのまま舌先を出して、少年の毛皮を舐めようとする。 が 『もう無理なの』 キュワワーとの最後の会話が、頭を締め付ける。 このまま、この仔と一緒にユナイトへ戻ってもいいのだろうか。 この仔が成長したその先で、彼らと同じような虚無感に囚われて、同じ台詞を言われた時、果たして自分は耐えられるだろうか。 ブラッキーを壊してしまった、自分を許せるのだろうか。 大切な黒い小さな生き物を守るように、再び円を描く寝相を取った。 天窓から覗く初夏の満月が、二匹の織り成す同心円を、淡い光で照らしていた。