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Zigzagoon!!

/Zigzagoon!!

作者:DIRI

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Zigzagoon!! 



 ――ある神話の文献に、とある神の事が載せられていた。その神は八百万の神々がいる中で一柱だけ何の神でもなかった。ものでもないものにすら神がいるというのにその神は何の神でもなかったのだ。
 彼はずっと自分の司るべきものを探していた。猶予は少なかった。神でいるには司るべきものが必要だった。
 しかし時間の神ディアルガは無情に時を進め続け、その猶予の時がやってきてしまった。
 彼は全てを失った。力も、名前も、記憶さえも。
 さて、その後彼がどうなったのか、文献には何も記されてはいなかった。昔は注目もあまりされなかったが、ここ数十年の間に彼の話題がよく挙げられるようになってきている。彼は果たしてどうなってしまったのか。様々な神話を探求する学者達の節が浮上している。
 そのまま死んでしまったという節が有力な候補として上がっている。しかし他にも、全てを取り戻し神達を統べる神になったという節、悪魔へ堕ちたという節、新たな神へと転生する節、記憶を失いながらも生き続けているという節……。全ての節を挙げていけばきりがない。
 私はつい最近まで最後に挙げた記憶を失ってもなお生き続けているという節を推していた。だがここ数日で私の考えはまた違う方向へと変えさせられた。本当にひょんな事から人の考えなど変えられてしまうらしい。だが私は自信を持って、私の節を主張する。誰に評価されずとも、正式な神話の続きだと認められずとも、私はそれで一向に構わない。
 ただ私は、事実を主張する。それだけの事だ。誰かの心に残って貰えれば私はそれで満足なのだ。
 では、私の節を公にしよう。ありきたりなドラマだと言われてしまいそうだが、私も詳しく知る訳ではないのだ。全てを知る者はいない、彼でさえ全ての事を覚えている訳ではないのだから……。
 彼の記憶は曖昧だった。だから彼の伴侶となる彼女の話をまとめた。彼がどういうものなのか分からないのはどうかご容赦願いたい。何度でも言おう。私も、彼でさえ全ての事を知る訳ではないのだ。

Zigzagoonはジグザグマ 


 やっと春らしくなってきた頃だ。陽気はとても良いけれど、やはり風が吹くと何となく肌寒い。そんな時季のこと。せわしなく動き回るのがジグザグマの役目でもある。

「木の実はっけーん」

楽しそうに散歩がてら朝食を探す一匹のジグザグマ。興味をそそられることならばつい見に行ってしまうので、散歩は長くなりがちである。だからこそ朝食を見つけたらその場で食べてしまった方が良いと、彼女は最近気が付いた。そそっかしいのが彼女の性分らしかった。
 いくつかのオレンの実をかじり、その間も辺りを見るのを忘れない。珍しいことを見逃してしまっては大変だから、と言うのが主な理由だ。その他に危険が迫っていないかという防衛本能も含まれる。事実彼女は何度かグラエナやらに襲われかけたことがあった。ある種それが教訓となっているのかも知れない。

「余ったなぁ……」

朝食は元からあまり摂らない方だったが、朝食べた方が良いと聞いたので彼女は実践していた。しかし特に何が良くなった訳ではない。木から採ったからには捨てるのはもったいないし、埋めるのも手間がかかって嫌だと彼女は思った。結論として、小腹が空いた時に食べるために持っていくことにしたのだった。彼女の家までは少し遠い。
 一時間は散歩をするのが彼女の日課であり、絶対に欠かせない事柄だった。これを欠かすと何が悪いと言うことはないのだが、何となく一日が始まった気がしないらしい。大体今は三十分程散歩しているので、もう一回りすればちょうど良い頃だと踏んで、彼女は飛び跳ねるようにしながら散歩を再開した。
 実際は見慣れた景色だった。毎日散歩していれば、どこに何があるのかぐらいはすぐに覚えてしまう。彼女はそれでも散歩をやめずに、どこがどう変わったかなどを考えて、変わった所を見つけては喜んで、楽しんでいた。人間の手が加えられ、自然が無くなっても変化であり、彼女の興味をそそることではあった。しかし深く考えようとしたことはなかった。深く考えると楽しくなさそうだと本能的に思ったからか、ただの楽観主義なのかは彼女自身も分からない。
 人間が壊した自然。そこには妙なものが建てられていく。石で出来た巨大な建物だ。それを“ビル”とか、“アパート”、あるいは“マンション”、他にも色んな種類で色んな呼び方があると彼女はこの間知った。人間が住んだりしているらしい。彼女自身、人間が嫌いな訳ではなかった。と言うのも、人間はジグザグマぐらいに大して目はかけないし、彼女自身も野生ポケモンの暗黙に従い、極力人間との関わりを避けていたからだ。しかし好奇心に勝てないことと言うのも良くあることだった。それがジグザグマの悪い癖という奴だ。
 この間も、あるポケモントレーナーに近づいた所、強いポケモンを繰り出されてなんとか逃げることが出来たという様。ポケモンが害を加えると言うのは割と希なことなのだが、害を加えた際に討伐隊が出来ることも良くあるし、修行と称して野生ポケモンを叩きのめす輩もいる。なんとかそう言う人間を避けていた彼女だが、何となくそう言う人間にも興味が湧いていたのも事実だ。遂に彼女は人間とコンタクトを取ろうと考えた。
 コンタクトと言っても、何もしなさそうな人間に近づいて、どんなにおいがするのかとかどんな物を持っているのかとかを確認しようとするだけだった。自分にはそれが精一杯だと彼女自身自覚しているらしい。物陰から人間が会話している所を覗いたりしたことはよくあったが、においが確認できるほどそばに寄ってはいない。だから今日は近づいてみたいと思ったのだ。人間の住む町の入り口で、適当そうな人間が出てくるまで待つことにした。元から辛抱強い方ではないジグザグマがいつまで待っていられるかは謎である。


 待つこと十数分。それだけでもストレスが溜まるのがジグザグマだった。木陰に隠れていた彼女は、木に登る蟻をつつきながら暇を持て余していた。そこへ遂に人間が現れた。これから隣の町へ出かけようとしているらしい、おっとりとした雰囲気の華奢な青年だ。背には小さな鞄を背負っている。彼女がそのまさしく“カモ”と言えるような人間を見逃すはずはなかった。隣の町までの距離は結構あるので、必ずどこかで休憩を挟むはず、そこでコンタクトを取る手はずだ。彼女はそろそろと草むらに身を潜めつつ青年を追った。
 雰囲気に違わぬ、ゆったりとした歩調のお陰で、彼女は青年を見失うことはなかった。そして彼女の思惑を知っているかのように、ちょうど良い辺りで休憩を取るのだった。今がチャンス、人間は切り株に腰を下ろしている。それでも少し不安だった。だがここまで来て引こうとも思わないため、彼女は勇気を出して草むらから姿を現した。
 青年はしばらくの間、自分の方へわずかな警戒だけで近づいてくるジグザグマに気が付かなかった。そして気が付いても、大した反応は見せず、背負った荷物を一瞥した。ジグザグマはそろそろと青年に近づき、その距離はおよそ一メートル程になる。青年は小首を傾げてから何かを思いついたように鞄の中へ手を突っ込んだ。ジグザグマが一瞬たじろぐが、逃げることはせずにただ反応を待った。

「これのにおいでも嗅ぎつけたかい?」

青年の優しげな声を聞いて、鞄から出てきた手を見ると、その手にはビスケットが一枚あった。
 彼女はそれが理由でついてきた訳でもなければ、そのお菓子のにおいに気が付いてさえいなかった。だが今、人間への好奇心の上に、ビスケットへの好奇心が上塗りされる。ビスケットから漂う若干甘いにおいに鼻をひくつかせながら、人間への警戒も忘れて進み出す。もはや人間は彼女の目に映っていなかった。

「あげるよ、ほら」

青年は手を伸ばしてジグザグマにビスケットを差し出した。そうなればもはや彼女を止めるものはなかった。今までのわずかながらの慎重さもかなぐり捨て、ビスケットに飛びついた。
 あっという間にビスケットを平らげた彼女に、当然の心理というものが現れる。もっと欲しいと感じたのだ。ビスケットは鞄の中に入っていたのだから、まだ中にあるかも知れない。人間がどう反応するかを微塵も考えずに、彼女は青年の鞄の中に頭から潜り込んでいった。さすがに慌てた声で青年が彼女を止めようとしているが、彼女はビスケットを探すことで頭がいっぱいになっている。鞄から引っ張り出されたのはビスケットをあらかた平らげてからだった。
 青年は心優しいらしかった。困ったように笑いながらジグザグマの頭を小突き、そのあとには撫でてやった。それが心地良かったからか、それともビスケットに満足したのかは分からないが、彼女は当初の目的を思い出した。人間を観察する、と言うか人間をもっと知るというのが今日の目的だ。撫でられるのも心地良いし、嫌いではもちろん無いが、とりあえず済ませることを済ませてからにしよう。彼女は思った。それに青年もいつまでも彼女に付き合っているような暇はないはずだ。
 撫でる手をくぐり抜けるようにしてかわし、青年の足に近づいてにおいを嗅ぐ。ついさっきまで湿気た土の道を歩いていたからだろうが、特に珍しいにおいというものはなかった。若干汗のにおいが混ざるくらいである。彼女の探求心と好奇心はその程度で収まるはずがない。青年の太股の上に飛び乗ると、腹から胸からを鼻先でつついてはにおいを嗅いだ。青年はくすぐったそうにしている割にやめさせようとはしてこない。結論からして、人間というのは色んなにおいがするものだと言うことが分かった。主に機械のにおいだというのは彼女は知る由もない。
 さすがに煩わしく感じたらしい青年は、ジグザグマを抱き上げると足下に下ろした。そのままそっとジグザグマを撫でてやる。ちょうど昼頃になってきたため、陽光がとても心地良い。その上に優しく撫でられているのだからジグザグマはうとうととし始めてしまった。青年は頬笑ましい限りのジグザグマを捕獲しようかとも一瞬思ったが、やんちゃな彼女の世話をずっとするのは少々骨が折れるなと思いとどまっていた。

 「春眠暁を覚えず……」

青年の考えを一気に振り出しに戻したのはその一言だった。言葉の意味が青年の考えに何らかの作用を及ぼした訳ではない。青年に作用したのはそれこそ“言葉”そのものだった。端的に言えば、ジグザグマが人の言葉を話したのだ。
 青年は小規模な小売店を経営する家の出身で、今の生活に不満も何も感じてはいなかったが、目の前に転がり込んできたのは下手をすれば金のなる木であり、更には有名になるための起爆剤である。見たところまだ若いジグザグマ、長時間にかけて利用が可能だろう。飽きとかそう言う問題ではない、ポケモンとの対話、完全な意思疎通というのは学者は元より、全人類が望んでやまないことだ。誰しも冨と名誉は得たいものである。
 手早くモンスターボールで捕獲してしまおうか、いやしかし、それで仮に捕獲し損ねた時には確実に逃げていってしまうだろう。青年は思案した結果、突拍子もない結論へと達した。突然ジグザグマを両腕で抱えるようにして捕まえ、今まで来た道を全速力で駆け出したのだ。
 当のジグザグマはあまりに突然すぎたのと、まどろみの中にいたのでただ呆けているしかできない。走るたびに伝わる振動も、煩わしいと言うよりはゆりかごに揺られているようにさえ感じていた。そうしていたために、彼女はこれから少々面倒事に巻き込まれていくことになってしまうのだ。


 ジグザグマの予期していない間に、事はどんどんと進んでいった。最初の内は人間が何やら騒いでいるという程度にしか捉えていなかった。しかしその中心が自分だと悟り、少々混乱してきたのだ。彼女自身、昔から人間の言葉を話すことが得意だとは自覚していた。中にはそう言うポケモンもいるらしい。しかし多くのそう言ったポケモンは自分の身を人間から守るため、その事を悟られないように生き、誰にも知られないまま死んでいく。彼女はどうかというと、彼女の場合は自分の特技のせいで、自分が面倒事に巻き込まれていくとは微塵も思っていなかったのだ。
 やんややんやとジグザグマの周りには黒山の人だかりが出来ていた。個性豊かな顔立ちの人間達に囲まれ、個人個人への興味は尽きないものの、やはり視線が全て自分に注がれているのは分かりきっているために居心地が悪かった。テーブルの上に立たされて、隣には先程の青年がいる。その青年は人々に向かって何か言っているようだが、そんな言葉はジグザグマの耳には全く入ってきていなかった。ただ居心地の悪い環境からどうやれば逃れられるかというのだけを必死に考えていたのだ。だが残念ながら稚拙な彼女の頭脳では逃げ道など見つかるはずがなかった。
 何かを言っていた青年は、話を終えるとジグザグマをつついて一言、「しゃべって見せて」と言った。そう言われても、彼女はしゃべることは出来なかった。身の危険を感じていた訳ではなく、大勢の前に立たされて緊張していただけのことだった。しばらくの間しゃべらずにいると、人だかりの中からヤジが飛んできていた。青年が弁解しつつ、出会った時と同じように、何かを思いついたようにして鞄の中に手を入れて何かを取りだした。言わずとも分かるであろう、ビスケットだった。まだ数枚残っていたらしい。
 ビスケットをご褒美に上げるからと目の前で報酬をちらつかされて、まだ大人になりきれない彼女が釣られないはずがなかった。うんうんと頷いて、彼女は言ったのだ。

「しゃべるぐらいなんちゅうこつないよ、でんご褒美くれるんならそれこそ喜んでしゃべっちゃら!」

しばらくの間、人だかりの誰もがしゃべろうとしなかった。主な理由は驚きで、次の理由は妙な(なま)りのことを疑問に思っているからだった。ジグザグマを連れてきた青年もしゃべらずに周りの反応を確認しているため、妙な沈黙が辺りに流れていた。それを破ったのはジグザグマ自身であった。

「黙りこくるようなこっちゃなかろうがや、うちがしゃべったんがそげ珍しいこつかや?」

 次の瞬間には、歓声にも悲鳴にも似た声が上がる。ジグザグマはそれに驚いていると、興味津々の人間達が自分へ近づこうと押し寄せてきたのを見て恐怖を感じた。恐怖はパニックを引き起こし、パニックに一度陥れば冷静な判断など下せやしないのだ。恐怖に駆られ、彼女は脱兎のごとく逃げ出していた。
 これが彼女を更に面倒な事件に、さらには彼女の人生――“人”と言っていいのかは謎だが――と言うべきものを大きく変えてしまうことになるとは誰も知らないし、気付いていなかった。


Mythosはミュートス、Theosはテオス 


 住処に這々(ほうほう)(てい)でたどり着いたジグザグマ、彼女の考えていることはもらい損ねたご褒美のことだった。彼女には危機感というものが終始欠けているらしい。
 さて、いつまでもこの物語のヒロインの名を明かさずに話を続けるのは少々難があるだろう。彼女の名はミュートス。なんの変哲もない、と言う訳ではないのは既に明かされている。人の言葉をしゃべることが得意だと言うこと意外は、他のジグザグマとなんの変わりもない、ただの少女であった。
 ミュートスは住処としている小さな穴の中に潜り込み、朝食の時に取っておいたオレンの実をかじって身体を休めた。人間の町とは距離が割とあるために、体力がさほど無い彼女にはわずかばかりの休憩を挟んでとはいえ、疾走するだけでかなり骨が折れるのだ。
 時刻は夕方、もはや辺りを闊歩するのは夜行性の生き物たちだけになってくるこの時間帯。ミュートスは水を飲むために住処から顔を出した。蓄えていた食料をわずかに食べているうちに喉が渇いたらしい。いつも水場としている小川からは少々距離があるのだが、そこへ行くまでを散歩としているために、ミュートスは大した苦と思ったことはない。スキップでもしだしそうな軽やかな足取りで小川へと向かう。その時には既に、昼間の騒動のことなど記憶の片隅にもないのであった。
 小川へ向かう途中で、ミュートスは雨のにおいを嗅ぎつけた。昼を過ぎてから曇りだし、夕焼けも見えなくなっていたのだが遂に雨が降るらしい。辺りに漂う湿気た土と草のにおいをもう一度嗅いでからミュートスは歩調を早めた。野生のポケモンでも濡れるのは――ハスボーのようなポケモンでない限り――嫌なのだ。
 ようやく目的の場所へ着き、渇いた喉を潤そうと小川へ近づいたミュートスは、ある異変に気が付いた。人間がいる。それも、妙に殺気立っているようだった。ああ言った雰囲気がある人間には近づかない方が無難だと、ミュートスは本能的に察知して草むらに身を潜めた。しかし勝っているのはむしろ好奇心の方だった。隠れる気はあるものの、やはり顔を覗かせて何をしているのか窺うことにしたのだった。
 パッと見ただけで彼等が何かを探しているというのはよく分かった。棒を持ってあちこちをつつき回している。そのうちこの辺りにも来るのではないかと考えなかった訳ではないが、しばらくは大丈夫だと踏みそのまま様子を窺う。血眼になって探す程に貴重なものか、はたまた貴重なものがかかっているのか……。ミュートスの頭では到底それが何か分かる訳がなかった。それが自分であると言うことは全く理解できるわけがないのだ。
 ジグザグマは珍しいポケモンではない、それ故に町にあったありったけのモンスターボールを持ってきたらしい、辺りには相当な数のボールが散らばっていた。使用済みのものから中にジグザグマが入っているもの、中には別のポケモンが入れられているものがあったが、そんなもの誰一人として眼中になかった。さすがのミュートスも異変に気付く。探しているものはジグザグマで、それに加えて特別な能力を備えているものだ。
 ミュートス自身は自分が人間の言葉を話すことが得意であるという認識はよくできているものの、それが――人間にとっては――特別な能力であるとは気付いていない。彼女の気性ではやはりそこに気付く訳がないし、知性も欠けている。

 「しゃべるジグザグマはまだ見つからないのか!」

少し遠くから聞こえたその一言がミュートスに初めて危機感を与えた。よく見れば彼等は町の住人だとミュートスはまた初めて気が付いた。同時に逃げなければということが最初に頭に浮かんだ。状況を把握してからという事も重々承知しているものの、徐々にこちらへ近づいてくる人間達を見て焦ってしまった。草むらから飛びだし、一気に駆けた。

 「いた! ジグザグマだ!」

その言葉にミュートスは心臓が口から飛び出すのではないかと思う程に戦慄した。しかし足を止めることはまさに捕まえて下さいと自ら言っていることに等しい。しかし敵の行動を把握しないのも逃げる側としては痛い。走る途中にミュートスは振り返った。人間達は自分を追いかけてはいない。どうやら別の標的だったようだ。それはミュートスに安堵と共にある種の義務感と言うべきものを感じた。その義務感と言うのは罪悪感から来るものなのだろう。
 やはり同族を見捨てるというのはどうだろうか、ミュートスは親族のことなど知りはしないが、ジグザグマは全て遠縁で親戚なのだ。ミュートスはのんきでもあったが、人一倍――他人のことに関しては――正義感の強いジグザグマだった。一度であれ、逃げた自分に自己嫌悪を感じ始める。引き返せ、仲間を助けるべきだと心が彼女を急き立てる。ミュートスはそれに逆らうことを一度たりと許したことはない。少々勢いを増した雨でぬかるんだ地面を四肢全て使い踏みしめ、慣性で滑るが、それを使い反転してまた駆けた。
 走るたびに足下で泥が舞い、ミュートスの身体に付着していく。野生故に元から埃まみれだったが、それが更に汚れていく。ぬかるみに躓きミュートスは頭から泥溜まりへ突っ込んだ。しかし、彼女の正義感はそれをものともしないのだ。口へ入り込んだ泥を唾液と共に吐き出し、また走り出す。そう遠くはない、狙われたジグザグマが逃げたとしても足場が悪いだけに四肢が短めの種族では肝心のスピードが出ないだろう。
 しばらく走り、土のにおいに混じりわずかに漂う人間のにおいを頼りにミュートスは彼等の元へたどり着いた。狙われたジグザグマは人間の放った網に絡まっていた。もはや捕まる時を待つだけの状態だろう。幸い人間は他へ回されたらしく二人だけだ。タイミングを見計らう程落ち着いてもいないミュートスは捕獲しようとモンスターボールを構えている人間に対し、全力で体当たりを喰らわせた。無論突然のことであるし、身長が低いためミュートスの一撃が加わったのはふくらはぎの辺り。転けるのは必至だった。ぬかるみも手伝い転けてから起きあがるまでに若干の時間がかかる。
 残るは一人だが、その一人は完全に転けた方に気を取られている。あのタイプの人間はまずもう片方を助けに行く。それを知ってか知らずか、ミュートスは網に絡められた同胞の元へと向かった。消耗しているのか、捉えられたジグザグマはわずかに藻掻く程度で積極的に抜け出そうとしていない。「なんしよんよ」と小さく怒り、網を解いていく。しかし最終的には人間が起きあがったと雰囲気で感じ取り、網を噛み千切って捕まっていたジグザグマと共に逃げ出した。人間達は追いかける気力を削がれたらしくただ呆然と二匹を見ていた。



 「やった、やったわ~! 助けれた~!」

逃げながらも達成感に歓喜の声をあげるミュートスを、助けられたジグザグマは不思議そうな表情で見つめていた。助けられたと言うことすら分かっていないと言うような彼の様子に疑問を感じたものの、ミュートスは今喜びで一杯だったのであとで訳を聞こうと決めた。
 雨が降る中を二匹で駆けて、町から大分離れた所へと逃げ延びた。ここなら追っ手は来ないだろう、家も近くにある。ミュートスは一息ついて、終始不思議そうな顔をしているジグザグマへ質問した。

「大丈夫? 怪我とかしちょらん?」

雰囲気から雄だと分かるジグザグマは少しだけ難しそうな顔をしてからくるりとその場で回ってみせた。無事だと言うことを示したいのだろうとはすぐに分かった。しかし口で言えばすぐ済みそうなものだが彼はそうしなかった。

「無事なら良いんやけどね。家こん近く?」

そう聞くと彼は首を傾げた。時々いるのだが、放浪で旅をしているポケモンというのもそこまで珍しいものではない。しかしそれならそれを一言言えば済むのに首を傾げるのは度し難いものがあった。
 これは家がないと受け止めて良いのであろうかとミュートスは少々迷ったが、おそらくこんな彼を放っておいてはまた人間のいる所へ言って捕まってしまうかも知れない。一度捕獲されたポケモンが野生に戻った場合、そのポケモンは一種の汚点を残して生きていくことになるのだ。そう言うこともあって、ミュートスは彼を自分の家に泊めてやることにしたのだった。

 「なんも無い家やけどあんま気にせんでー、うちしか住んじょらんけ不便に感じんのんよ」

愛想よく言いつつゴミを隅へ払い、彼を家の中へと招き入れる。まるで初めて見るような様子で住処を上から下から眺め回しミュートスの後に続く彼を見てミュートスは何となく不快に思った。まるで査察でもされている気分だと感じたのだ。

「無駄に広いけ持て余しちょったんよ。食い(もん)は適当に食っちょって良いけん、さっさと寝てな? 一応うちも雌やきね。雄ん人家ん中入れたん初めてよー」

歳はおおよそ14歳ぐらいのミュートスもそれなりに雌の自覚という物はあった。12歳からは結婚することが許されるのがポケモンである。見た感じ、助けてやった彼は16、7歳ぐらいに感じられた。
 彼がミュートスの言葉を理解したのかどうかは定かでない。やはり彼は終始首を傾げていたのだ。小馬鹿にされているように感じつつも、自分だけさっさと食事を終わらせて、ただじっと一日だけの同居人を見はっていた。やはり見知らぬ雄に変わりないのだから。しかしその見知らぬ雄はオレンの実をつついて転がしているだけだった。
 食べようとはせずにただ転がしてばかりで、その様が小さな子供を思わせ、何となく可愛げがある。そう思ったことを頭を振って追い出して、ミュートスは再度彼を見つめた。顔立ちはそれなりに整っていて……毛並みも汚れが落ちれば綺麗なのだろう。目の隈や尻尾の形も整っているし、完璧という訳ではないが彼程全体的に整っている雄はそういないだろう。何となくミュートスは彼と過ごしている未来を想像してしまった。そう言う年頃でもあったし、仕方がないのかも知れない。でもすぐに現実に戻ってくる辺りそれなりに分別と言うべき物はあるらしかった。

 「食わんの?」

ミュートスは遂に聞いた。転がしてばかりで木の実が若干傷んできていたからだ。オレンの実は硬いが石程ではない。穴蔵の中でいつまでも転がしていれば痛んでしまう。せっかく蓄えていた食料を遊んで食べられなくさせられたのではたまったものではない。しかし彼は首を傾げることしかしないのだ。もしや自分の訛りのせいで伝わっていないのかと思い当たった。標準語からもそこまで遠くないので考えれば分かるはずとは思ったが、念のためだ。

 「えっと……食べないの?」

今まで訛りを直して話したことはなかったので、何となく気恥ずかしかったが、そのくらいなんだ。しかし彼はやはり不思議そうに首を傾げただけだった。損をしっぱなしと言うのは彼女もさすがによろしくはない。少し軽めに怒鳴ってみても、彼は少々驚きはしたもののやはり首を傾げるだけ、理由を言ってもくれないのだった。
 さすがに不愉快だったミュートスは軽くではあるが頭突きを喰らわせた。突然のことに面食らい、相手はくぐもった悲鳴を上げた。その悲鳴を聞いてミュートスは何となく、相手の事情を理解してしまったのだ。突然のことにうろたえている彼に、ミュートスは好奇心半分、猜疑半分で彼に問いかけた。

「……あんた、喋れるん? 今初めてあんた喋ったけど“痛い”でん“うわっ”とかでんなくて単に声出しただけやんね?」

やはり彼は首を傾げるだけ。それだけだった。
 夜になってから大分経つが、ミュートスは目の前に謎があるままおとなしくしていると言うことは出来なかった。ミュートスにはかつて無い、心地良い程の刺激だったのだ。彼の存在自体がミュートスに対して好奇心の対象としてもってこいだった。こうなると彼女は彼に対して質問の嵐を喰らわせていくのだ。しかし彼は案の定首を傾げるだけ、特別な反応は何も示さなかった。

「……言葉の意味は分かるやろ? 怪我無いか聞いた時示してくれたし」

彼は今度はまた難しい顔をしたあとに頷いた。その違う反応を示してくれたと言うことだけでミュートスは何か達成した気分になって嬉しかった。

「ならなんでうちが言うたこつ分かってくれんの?」

彼はまた首を傾げてしまった。

 「わかったわ、んじゃもう、名前ぐらい分かるやろ? うちはミュートスっちゅうんよ。あんたん名前教えて?」

彼はまた特別な反応を示した。しばらく悩むような素振りを見せたあと、壁に爪で何かを書き始めたのだ。迷っているような手つきで、二度書きも三度書きもしつつ書いたそれはミミズがのたうち回ったと形容することすらおこがましい有様だった。言うなればわざと下手に書いたとしか思えない字だったのだ。ガタガタに震えたような線で上がったり下がったりしてどこが折れているのか分からない一文字一文字。ミュートスはそれを自分でなぞってみてやっとなんと書いてあるのか理解することが出来た。

「テオ……ス……。テオスか、変わった名前やね、うちも人んこつ言えんけどさ」

ミュートスはからりと笑って見せた。名前に関してはミュートス自身自分が変わっているとよく分かっていた。
 テオスという名らしいジグザグマはミュートスに釣られるようににこりと笑った。終始無言であることで少々不気味な印象があったが、その笑顔は何となく無邪気さがあって印象は一気に塗り替えられた。可愛いというと少し違うかも知れないが。

「意味分かるんやろテオス? なら遊ばんで食いっちゃ」

それだけ言って、テオスがようやく木の実を口にした所でミュートスは寝床へ寝ころんだ。警戒を完全に解いた訳ではないが、テオスはどうやら近くに住処がある訳ではなさそうだ。それならば明日もまた質問責めにすればいいと思ったらしい。目を瞑り、今浮かんでいる謎を頭の中に並べて明日に備えることにした。
 しかし次の瞬間、身体の上に何かがのしかかってくるのを感じた。突然のことではあったが、何がのしかかってきたのかは一瞬で判断出来た。テオスだ。無論のこと悲鳴を上げたミュートスだったが、テオスはそれを意に介さずミュートスをひっくり返して仰向けにさせた。これから何をされるかを考えるだけでミュートスは縮み上がっていた。目を固く瞑り、身体を出来る範囲で丸めて相手の行動を妨げようとする。しかし年齢的に彼の方が筋力は上のために、易々と四肢を押さえつけられてしまったのだ。もはやテオスを遮る防波堤は恐怖から逃れようときつく閉じているまぶただけであり、あとはもうされるがままになるしかないのだろう。恐怖で涙が出てきたが、もう腹をくくるしかない状態なのだ。
 ……何もされない、何もされない……? ミュートスは恐る恐ると目を開けた。目の前にあるのはテオスの楽しそうな顔。ニコニコとしてまるで遊んでいるような……。

「……何しよんあんた……」

テオスは尻尾を千切れんばかりに振り、押さえつけていた腕を上下に動かして“遊んでいた”。……まさにテオスは遊んで楽しくて笑っていたらしい。やっていることは幼稚極まりない。幼児の遊びでしかないことをして楽しんでいるテオスに対して、呆れもしたし、体勢的に色んな意味で危険極まりないこの状況へ陥らせたテオスへの怒りが湧いた。
 そのあとしばらく、罵声と鈍い音が響いていたのは言うまでもあるまい。


 翌日ミュートス目覚めた時には事態が大きく変わっていた。住処の天井から土がボロボロと崩れ落ちてきていたのだ。大きなポケモンが住処の上を歩けば若干住処が崩れることもある。しかし今のこれは違った。明らかに住処を崩そうとしている。昨晩これでもかという程にミュートスから叩きのめされたテオスは危険を悟っておらず、すやすやと眠っている。ミュートスの上を行くのんきさである。
 住処を破壊している主はすぐに分かった。外から人間の声がしている。まさか一日経ってもジグザグマ探しをしているとはミュートスは思ってもみなかった。住処は入り口からどんどんと崩されていく。逃げる道はあるのだが、それを知らない足手まといが一匹いるのだ。とにかくそれを叩き起こさなければならない。しかし上手い具合に崩れ落ちた石がテオスの頭に直撃して彼を叩き起こした。しかし手間が省けたと思っている暇すらもう無いのだ。実はこの穴蔵にはもうひとつ非常時に逃げるために出口があるのだ。おそらく草が覆い茂っていてカムフラージュは出来ているはずだ。
 テオスの手を引き、一気にその出口まで駆け抜けた。幼い頃から気分で掘り広げ、愛着のあった住処ではあったが、壊されてしまえばただの土塊(つちくれ)だ。名残惜しい気持ちはすぐに押しやり、逃げるために走った。
 今更ながら彼女は自分が逃げているのは本能からだなと感じた。今まで人間に好奇心を抱いていたのだから当然なのだが。彼女はテオスにその本能が働きかけていないのも疑問に感じた。

「走りぃ! 捕まったら何さるぅか分からんきな!」

大儀そうという雰囲気ではないにかかわらず、悠長に走るテオスに檄を入れ走り続けた。もはやこの近くにいてはろくに眠ることも出来ないだろう。こうしてミュートスとテオスは放浪のジグザグマになったのであった。



 「うぅ~……お腹空いたわぁ……」

逃げ続けて既に夕方になりつつあるその時に、遂にミュートスが口を開いた。と言っても、テオスは話すことすら出来ないのだが。

「テオス何も持っちょらんの?」

テオスは首を横に振る。時間が経つに連れ、彼の語彙力というか、理解出来る言葉の数が増えているようである。今はミュートスの好奇心は萎縮してしまっているのでそこに突っ込まない。

「食い物なんか無いんかっちゃ~。腹減っちょったら何も出来せんやんか~」

やはりまだ幼いミュートスには少々空腹というのは耐え難いようであった。逃げることに神経を注いでいたために食料になりうる木の実などを見逃していたのである。
 テオスはミュートスが不機嫌なことに気付いていないようだが、それが逆にミュートスにイライラを溜めることになっている。当たり散らすのも時間の問題であろう。朝食も昼食も取らずに走り続けたのだから疲労も相当なもので、既に二匹とも四肢が笑い始めている。倒れてしまってももはや不思議ではない。幼いミュートスも口ではまだ平気を装ってはいるが、全身から徐々に力が抜けているのを騙し騙し歩いていた。
 全てのことは胃袋が満たされていなければ始まらないし進まないのだ。空腹で倒れると言うことは野生のポケモンにはざらではない。時に戦いよりも疲弊するのが空腹だ。果たして食料を見つけることが出来るのだろうか。結果としては“ノー”であった。結局彼等は空腹なまま床につくことになったのだ。昨日の雨で湿気た草原の中に身を潜め、腹の虫が鳴るのを意識して聞き流しながらミュートスは目を瞑った。
 その時にまたテオスがミュートスの背にのしかかってきた。二度目もやはり一度目と同じ流れであった。悲鳴、遊ぶテオス、罵声、テオスの叩きのめされる鈍い音。テオスはどうやら学習能力が少々欠けているようであった。

「何なんあんた!? アホやねん!? 何がしたいんよ!」

しこたま叩かれひっかかれして涙目のテオスは初めて何かをしゃべろうとした。しかし、息が吐き出されただけで声にはなっていなかった。

「何か言いたいこつあんの?」

テオスは口をパクパクとさせて何かを言うつもりでいるらしい。

「ゥ……ェゥ……」
「うえう?」
「…………」

しゅんとしてしまうテオスは子供じみている。それが何となく面白いし、可愛らしかった。
 テオスはしばらく何かを言おうとしていたが、結局しゃべるのは無理だと分かったらしく、地面に何か書き始める。その内容はまたミュートスにしばらく解読の時間を必要とさせるものだったが、文字を解読した瞬間に驚愕した。

「“好き”っち……なんよあんた、うちのこと好きっち事なん!?」

テオスは激しく首を上下に動かした。これ以上無い肯定の表現にまたミュートスは困惑した。言葉の意味は理解出来ているようだし、文字が読み書き出来ないという訳ではないらしい。と言うことは間違いなく彼の思っているそのままを文字にしたのだろう。しかし出会って二日目の彼に突然そんな告白をされれば驚くのは当然だった。
 悩む、と言う所まではたどり着かなかった。悩む程の中では無いというのはミュートスにはよく分かっていた。

「……付き合ったりとかせんけね。うちとあんた会ってちょっとしかたっちょらんやろ? うちあんたんこつ好きでんなんでんないんよ。わかる?」

テオスはまるで意味が分かっていないかのように、目をキラキラと輝かせていた。彼はやはり全ての言葉の意味を理解している訳ではなさそうである。そもそも彼が自分に好意を示していると言うこともよく分からなかった。彼を助けこそしたものの、そのあとは大したことをしていない。……俗に言う一目惚れという奴か。
 答えはまた後にしよう、今は疲れ切っているのだから……。


 翌朝、ミュートスはテオスに小突かれて目を覚ました。空腹にくわえ、寝起きが若干悪いミュートスは不機嫌だったが、テオスはそれに気付かずにニコニコと笑っていた。殴りつけてやろうか、とミュートスは一瞬思ったが、それはそれで面倒だったのでやめておく事にした。その後もしつこくテオスはミュートスの脇の辺りを鼻先でつついていた。いい加減に煩わしくなったのでミュートスは体を起こした。テオスがなんで自分を起こしたのかを考えるようなことはない。どうせまた、遊びたいとかそう言う事なのだろうとミュートスは思った。

「……んぅ?」

目をこすった。夢か幻か……目の前に十二分な量の木の実が積まれていた。何故? 寝ぼけてあまり働いていない脳で思い浮かぶ事は身近な誰かが集めたという事。身近なのは……テオスしかいない。

「あんたが……これ全部集めたん?」

テオスは激しく頷いた。

「嘘? こげな量……一匹でとか大変やろ!?」

笑顔を崩さないテオスはミュートスに“それは苦ではなかった”と伝えたいのだろうか。それとも彼女を好きだと言ったための努力なのだろうか。どっちにしてもミュートスにはかなり好印象だった。彼女は一日何も食べていないのだから。お礼はあと、今は空腹を満たすときだ。


 「ん~……丸一日何も食っちょらんけ、やっぱ美味いわぁ……。テオス、ホントありがと~」

ミュートスがテオスへ笑顔を向けると、彼はとても嬉しそうに鳴いた。ミュートスはそれでがっくり来てしまったのだが、テオスはそれが精一杯だろう。だがミュートスはそれに対して突っ込んでいった。大人ならあえて突っ込みはしないが、ミュートスはまだ子供である。

「あんさぁ……こげな時はちゃんと気の利いたこつ言えるようにせなモテんよ? ……っちってん、テオス喋れんけな……。最低“どういたしまして”とか、他ん挨拶ぐらい出来なね。それ出来な友達も出来んよ」

ミュートスはふと思いつき、あ、と一文字だけ言葉を発した。

「喋る練習しようやテオス。しばらくうちらどうなるかも分からんし、少しん間は一緒やろ? ちょっとでん言葉覚えちょかなダメよぉ? うちが教えちゃるけ、さっきの木の実の借りは返したけね」
「ァう!」
「違う、“ありがとう”やろ? 言ってみて?」
「……ア……ゥいー……」
「母音しか言えちょらんやんか……」

幸先が悪いが、借りを残すのも悪いという気持ちがミュートスを諦めさせない。それに、彼女自身ちゃんとテオスと会話をしてみたいというのもあった。
 いつまでも草むらの中でじっとしては居られない。まだ人間が追いかけてくるかもしれない。それ以外にも捕食者から襲われてしまう事だって考えられる。ジグザグマは結局弱い存在なのである。彼女たちは目的もなく、ただ昨日来た方と反対の方向へ歩いた。

「……ック……ぉ……」
「“こ”っちゃ! せめて五十音言えるようなろうやぁ……」
「ぐ……」

“こんにちわ”から教えようとしていたミュートスは早くもイライラしていた。テオスは母音すら正しく言えない事が多いので、ミュートスは新たな方法に移ろうと考えた。

「それじゃさ、こん喋り方やめんしよ。いっそ人間の言葉覚えてみよ? そん方がかっこいいっち思わん?」

彼は首を傾げたが、別に反対する気もなさそうだからミュートスはほうっておいた。
 彼女は自分が何故人間に追われたのかあまり理解出来ていないのであった。


 数日の間、彼女たちは人間を避けて歩き続けた。人間はどれも同じに見えてくる。みんな何かの欲望を抱えているような感じがする。そう言う人間が何を考えているのかに興味を覚えるミュートスだったが、今は少々人間不信だった。

「あーいーうーえーおー。はい、言ってみ?」
「あーゥいーうーエーおー」
「ちょくちょく怪しい部分あるなぁ……。でん、上手くなっちょんよ。もうちょっと口大きく開けて言ってみたらどげ?」

今日も彼女のレッスンは続いていた。今まで母音を人間の言葉で言わせる事に集中して練習をさせてきた。テオスも練習する事により十分人間の発音に近いものが出来ていた。実用にはまだ時間がかかりそうだが、全く希望も無いという訳ではなさそうなので、ミュートスは安心していた。
 道が少々険しかったため、夕方頃にミュートス達は休む場所を探してそこで一晩過ごす事にした。テオスは依然褒められた事に味をしめたのか、一匹だけでどこかから食料を探して持ってくる。今日もそうだった。この付近にはありそうもない木の実もどこかから持ってくるが、ミュートスは珍しいものを食べられるという程度にしか考えていなかった。

「何か言わしてみようかな……。自分の名前くらい言えた方が良いやろうし」

テオスの戻ってくるまでの間、ミュートスはどんなレッスンにしようかと考えていた。ある種、日課であり、そして楽しみの一つでもあるのがテオスへ言葉を教える事になったミュートスだったが、それが人間の言葉であると言う事に何の危機感も持っていないのだ。
 今日もテオスの収穫は大量だった。どこから集めているのかは相変わらず謎だが、考えても腹は満たされない。木の実を持ってきたという事実が大事なのである。

「ご苦労さん。テオスー、今日は名前言ってみようや? ミミズんのたくっちょうような字ぃ書かれてんわからんき。じゃ、“テオス”っち言ってみ」

ミュートスはマゴの実を手元まで転がしながら言った。テオスは少々まごついていたものの、言われた通りにしゃべってみようと試みた。

「エ……ぉす」
「惜しい! “す”は言えたやん、もうちょい頑張りぃ」
「エ……」
「“て”!」
「エ」
「あーもぉ! 口ん形はこう! 舌を上にくっつけて言ってみ! そしたら言えるけ!」

口の形をミュートスの手、もとい前足で無理矢理に整えさせ、テオスに指示をした。急な事だったため、テオスは戸惑っていたが、言われた通りに声を出した。

「て~……」
「ほら言えた! 今ん口ん形覚えちょき! もう一回“テオス”っち言ってみぃ!」
「……て、ぉふ」
「何でやん!? 何でそげなるんよ!? 意味分からんわホント! ちーくらまわしちゃろかあほんだらぁ!」

テオスは何故怒られているのか理解出来ていないようだったが、ミュートスはさっきまで言えていた“す”が言えなかった事がかなり腹立たしかったらしい。
 その後、彼女はしばらく文句を呟き続けていた。テオスはミュートスが機嫌が悪いと言う事をいまいち理解出来ずに、ちょっかいをだして鼻をひっかかれていた。

「大体何でしゃべれんの? 素性もよう分からんし空気読めんしうわっちょろねぇし訳分からんわぁ……」

そそっかしいとは少し違うのだろうが、彼はミュートスの今まで生きてきた中で出会った事のないようなタイプだった。食糧の確保だっていつも必死なのに、テオスはミュートスが食料を探すより早く、それでいて彼女の倍以上の量を確保している。ミュートスはそれが不快だったという事はないのだが、何か釈然としていなかった。

 「ミュ……トス……?」
「ぅえぉお!?」

突然の事にミュートスは素っ頓狂な声をあげた。テオスが、自分の名前すら言えないと思っていたテオスが自分の名前を何の前触れも無しに言うのだから当然だった。

「もういっぺん言ってみて!?」
「? ミュトス……」
「のばせー!!」

若干の間違い……それ以外は完璧に発音が出来ていた。何故それが出来たのかというのは不明だった。テオスは“ミュトス”だけしか喋れないようだ。影ながら練習していたのか、突然言えるようになったのか、彼しか知らないし、彼は他の人に伝える事が出来ない。

「とにかく、言えるようなったやんね。うちん名前やけど……。よーし、こんまま色々言えるようなろうや~」
「お~」
「そん調子~!」

その後、数時間だけその日のレッスンは続いた。


 それから数日が過ぎ、数週間が過ぎた。それだけ長い間彼等が一緒にいたのには訳がある。一つに、テオスがミュートスに対して好意を抱いているという事。もう一つは、ミュートス自身がテオスに惹かれつつあるという事が理由としてあげられる。ミュートスの好意というのはある種の母性のようなものから来るものに近い。
 テオスはミュートスが世話をしてやらなければ基本的な事が出来ない。食糧の確保の事も、テオスに毎回頼まなければ忘れている。自分がいてやらなければと思う事でミュートスはテオスとずっと一緒にいた。

「ミュトス、好き~」
「それしか言われんのかおんしゃぁ」

彼は“好き”と言う単語を知ってからずっとミュートスへアプローチをかけていた。最初は適当に受け流しつつ内心は悪い気分ではなかったが、ずっと同じ事ばかりを言われ続けていてはさすがに飽きてしまう。最近は煩わしくも思っていた。

「語彙が少なすぎやね? どげかならんかなぁ~、うちが何でんかんでん教えられるぅ訳やないし……」
「好き~」
「ちょい黙っちょけ」

今更ではあるが、テオスは人間の言葉しか話せない状態だった。ポケモン同士の鳴き声でコミュニケーションを取る方法はテオスには難しかった。そこでミュートスはある方法があると言う事に気が付いた。

「テオス、あんたっち字ぃかけるんやったら字ぃ読めるんよな?」

テオスは数秒の間を空けて頷いた。

「やったら良い事思いついた。うち天才かもしれんな~。テオス、ここで待っちょってな、すぐ戻ってくるけ。良い? 動いたらダメやけね? どっか行ってしまっちょったらうちあんたんこつ嫌いになるけな?」

最後の一言だけで、ミュートスの言いつけには絶対逆らわないのがテオスだった。彼は一途だった。
 テオスを残してきたのには訳があった。彼は未だに空気が読めないからだ。ミュートスは彼が絶対にドジを踏むと直感していた。それは致命傷になる可能性がある。なぜなら、今彼女がやってきたのは人間の住む町だからだ。大して大きな町ではない。活気があると言うよりは、落ち着いた穏やかな町といった風な場所だった。その町でミュートスはある建物を探していた。

「ここが良いかな……」

人間の言葉では話さずに鳴き声でボソリと呟き、彼女は目当ての建物へと入っていった。
 その建物の中には壁や棚に所狭しと本が並べてある小さな本屋だった。
 人目を出来るだけ避けながらミュートスは目当ての本を探していた。この時間には人間は少なかったため、誰にも見つかる事はなかった。

「あった~、国語辞典」

ミュートスは棚の中にある国語辞典を他の本を汚さないように注意しながら引っ張り出した。コンパクトなものだが少々彼女には分厚い代物だった。彼女はそれをくわえてゆっくりとレジへ向かった。彼女はレジカウンターによじ登り、代金の代わりについこの間拾った金の玉を置いて本屋をあとにした。泥棒はしない主義らしかった。

 「テオス~、ちゃんと待っちょった?」
「ぁう」
「“はい”な」

テオスは微動だにせずミュートスの帰りを待っていた。言いつけはしっかり守らなければとテオスが考えている訳ではなく、最後の脅し文句が効いているだけである。ミュートスは買ってきた――厳密にそう言って良いのかわからないが――国語辞典をテオスの前に置いた。

「はい、これプレゼントな。分からん言葉とか調べたら意味も分かるはずやけ。それで一匹でん勉強出来るやろ?」
「お~」
「こう言うときは何ち言うんやった?」
「……ありがと……ゴざいます」
「70点」

不格好な礼の言葉はどことなくくすぐったく感じた。
 テオスはそれ以降ずっと国語辞典を読んでいた。勉強するという気持ちもあるのだろうが、おそらくミュートスからのプレゼントだったと言う事も大きな要因であるだろう。

「愛、いつくしむコト……」
「ア行から行ったらそれ結構最初に出るやろうな」
「愛……してル」
「なんそれ、口説き文句んつもりやったらもうちょい文章長くした方が良いこつね?」

ミュートスの意見を聞いてからしばらくの間テオスが国語辞典をめくり続けていたのは言うまでもあるまい。


 その日の晩だった。今まで通りの毎日だと思っていたミュートスに悲劇が訪れた。
 数週間共に過ごしただけの仲であっても、テオスは自分に危害を加える事はないと思ったミュートスは彼に完全に心を許していた。たとえどんな危ない――体勢的にという話だが――状態にさせられようがちょっと叱るか、軽い仕返しをすれば良いと思っていた。
 いつも通りに眠ろうと丸まったその時に、ミュートスはテオスからひっくり返された。最近は少なくなってきたがまたやるのかと思い目を開けた。その瞬間、ミュートスはテオスの雰囲気が今までと違う事に気が付いた。いつも通りミュートスの上に乗っているテオスは今までの遊んで楽しんでいる表情ではなく、まるで何かに餓えているような表情をしていた。

「て、テオス? どげしたん……なんか怖いよ……?」
「……ミュトス……」

テオスはミュートスの顔を舐めた。くすぐったいと言うよりも前に、何故こんな事をされているのかという事が分からず、ミュートスは混乱していた。
 若干荒い息遣いはテオスのものだ。ミュートスは頭の中に浮かぶ最悪の事態を理解したくないと無意識に思った。

「好き……愛してル……」
「っ! や、やめっ……!」

ミュートスの勘は的中した。テオスは完全に発情していた。雌の上に発情した雄が乗っているこの状況で起こりえる事など数える程しかあるまい。

 「ぅああぁっ!!」

抵抗出来るはずがなかった。全てにおいてテオスがミュートスを上回っていたのだから。ミュートスにはテオスを受け入れる事しかできなかった。ミュートスはテオスに犯されてしまった。
 彼はただミュートスと一体になれたという嬉しさしかないのだろう。だがミュートスにはそんなものありはしないし、ただ処女を失ってしまった際の痛みしかない。彼女は泣く以外出来なかった。泣く以外に出来るのはうめく事ぐらいだ。身体を貫かれるような感触にただ耐えるのみだった。

 「ぅくっ……」
「ぁ……」

ミュートスは熱いものが身体の中に流れ込んでくるのを感じた。それが何かは分からずとも、現在の状況に拍車をかけて自分にデメリットがあるものであろうと何となく思った。
 テオスがミュートスから離れると、彼女はゆっくりとその場に縮こまった。尻尾を抱きしめるようにして、目をきつく閉じて、痛みに耐えるため肩で息をし、荒い呼吸を抑えるため歯を食い締めて。その様子はさすがに行為のあとで思考がとろけているテオスにも変だと分かったらしかった。

「……テオス……どっか行って……」

その言葉にテオスはビクリとした。

「こげなこつされて……うちもう……あんたと一緒におれん……。もう、うちん前に居って欲しくない……」
「ミュトス……」
「お願いやけ……どっか行って……。お願い……」

テオスはしばらく戸惑うような素振りを見せた。結局、それ以降何も言わなかったミュートスを見ながらテオスはゆっくりとその場を後にした。何度も振り返るが、ミュートスは彼を一瞥する事もなかった。


Theosは神 


 彼女はいつまでもめそめそとしている性格ではなかった。事が起きた次の朝にはもういつも通りの生活を再開していた。テオスが現われる前の、もっと静かで孤独な毎日。友達など元からいはしなかったし、ここは元から住んでいた土地から遠く離れた所だった。散歩するときに発見が多くて良い、彼女は割り切ってそう考えていた。
 何か物足りない。彼女はそう感じていた。それがテオスだという事は彼女自身分かっていたのかもしれない。しかし、彼は自分にあんな事をした相手だ。そう易々と彼を許容出来るとも思えなかった。
 だが彼の事が忘れられない。ミュートスは既にテオスがいる生活に適応してしまっていたのだった。心なしか寂しいと思い、彼の事を考える時間が一日のうちに間違いなく少しはあった。


 それから一ヶ月、彼女はテオスの事を考えながら過ごした。日々彼女のテオスへ対する意識は徐々に膨らんでいた。特に悪い方へではないのが少々曲者である。
 新しい土地での生活にも慣れてきた頃に、ミュートスの新たな住処を訪ねてきたものがいた。それは他ならぬテオス、その人だった。

「……何? またうち襲いに来たん?」
「ち、ちが……聞いテ欲しいでス……」

テオスはぎこちなくではあるがしゃべった。その事にミュートスは驚いてしばらく間を空けた。それを肯定の合図と少し曲げて受け取ったテオスは、何度もつっかえつつではあるが喋り始める。

「私は……ミュトスに酷いコトしましタ。私自身、あんなコトしてシマッテ後悔、してマス……。謝っテ済むコトなら、私、何度でも謝りたいでス。その為に一杯勉強、しましタ。今も私、ミュトスのコト好きでス、愛してマス。でもその前にミュトス、本当にごめんなさい……。許して欲しいでス……」

思いの丈と謝罪の言葉を伝え、テオスは深々と頭を下げた。そしてよく見ると、彼のかたわらには依然ミュートスが彼にプレゼントした国語辞典があった。大分汚れてすり切れた部分もある。何度もあの分厚い国語辞典を読んだのだろう。

 「……テオス」

ミュートスは彼を呼んだ。彼は顔を上げたが、次の瞬間痛みに悲鳴を上げた。と言うのも彼がミュートスの頭突きをもろに喰らったからだ。

「い、痛いでス……」
「それで済んだんやけ黙っちょき」
「許して貰えるでスか?」
「勘違いせんで、あげなこつしたんに頭突き一発で許す訳無いやろ。あんたには責任取って貰うつもりよ。でんさ……」

ミュートスは国語辞典をつつき、少しだけ笑いながら言った。

「うちがプレゼントした辞典で一杯勉強して、こげぇしゃべるぅようなっちょうけん、何か嬉しいんよね。……まぁ、一緒に居るぐらいなら許しちゃるわ。当然やけどまたあげなこつしたら……」
「わ、分かってマス! あの時は、魔が差しテ……」

彼女はからからと笑った。今目の前にいる彼はしおらしくて愛嬌がある。

「セクハラも無しやけね」
「わ、わかりまシた」

会話出来ているという事が彼女にとって大切で、新鮮な事だった。
 ふとその時に、何者かの気配がしたのをミュートスは見逃さなかった。人間がいるらしい。そこまで遠くはないが、ジグザグマ二匹になど見向きもしないだろう。ミュートスはそう判断したのだが、テオスは相変わらずそそっかしい上に緊張感が皆無だった。残った誤算はテオスが人間の言葉しか話せないという所だろうか。

「どうしたでスか?」
「ちょっ!?」

テオスは人間に気付かないまましゃべってしまった。ミュートスは以前人間の言葉を話したときにどんな事になったかを覚えていたため慌てふためいた。そしてその人間は彼女が恐れた通り、彼等の事に気が付いた。

 「……話したな、人間の言葉。面白い……」

それだけであった。その人間の反応は彼女の想像したそれよりも遥かに冷めていた。

「話に聞いた事はあったな、しゃべるニャースとか。しかししゃべるジグザグマか……。私はジグザグマが好きなんだよ、自分に似ている気がしてね。捕獲したい所だが、あいにくモンスターボールは持っていないし戦わせるポケモンもいない。さて、どうしたものか……。そうだ、せっかく意思疎通が出来るんだから交渉してみよう。と言う訳でどうだ、私の家に来て貰えないか」
「突っ込んで良いん?」
「交渉の話だけでお願いしたい」
「騒ぎ立てん?」
「私は静かなのが好きだ」
「オッケー」
「随分と軽いね」

その人間は少し着崩れた上着を直した。黒縁眼鏡と黒髪の女性、何を隠そう、この私であった。私は神話の翻訳に煮詰まっていたため気分転換にと散歩をしていた所だった。もしこれが運命だったならば、私は運命の女神に感謝してもしたり無い。

 「そっちの彼は良いのか?」
「ミュトスのイる所に行きマス」
「じゃあ二匹ともおいで、興味を持った事もないが野生は危険だろう? 少なくとも平和だよ、我が家は。食料もある」

滞りなく私は彼等と一緒に暮らす事になった。その時こそ私は彼等が神話の主人公とヒロインであるとは気が付かなかったが、それでも何となくこれから何か起きるという予感を感じていた。第六感と言うべきであろうか。
 私の家に彼等を案内したときにまず不安だった事は貴重な文献を汚されやしないかという事だった。それに関しては厳しく言っておいたので大丈夫だろう。だが野生のポケモンを過信しすぎてはいけない。喋れても野生は野生だ。

「そこの部屋を使っていてくれ。ポケモン用の扉がついているから。前にこの家を使っていたのはポケモン好きの婦人だったからポケモンは過ごしやすいはずだよ。私は仕事をしているから用事があったら私の部屋の扉をノックしてくれ」
「は~い」

ここからは彼等の様子を窺っていない。この論文は彼等の話を元にして作られている。彼等の記憶が曖昧だったり、覚えていなかったりという所は割愛せざるを得ないのだ。そこはご容赦願いたい。
 数日間彼等と一緒にいたのだが、彼等は本当に私の邪魔をしないしいちいち世話を焼く必要もないしで独身で少々孤独だった私にはいいパートナー達と言えた。ミュートスは私と同じ好奇心旺盛ではあるが、それをアクティブに表現していくのは私と違う所だ。テオスは好奇心と言うよりも勉強に意欲を燃やすジグザグマだった。私の話を興味深く聞いていて、小さな発見をして嬉しさのあまり誰かにそれを言いたくても言う相手がいない、などという今までとは違い、彼にそういう事を言えば反応を返してくれる。家族という意味合いでも私は彼等が好きだった。
 さて、このままでは私の日記になってしまうため話題を彼等に戻そう。
 ミュートスは散歩を欠かすと一日が気持ち悪いというので、仕方なく朝は首輪を彼女に付けてやって町に解放している。一日中彼女が元気がない様子を見るのは忍びないし、彼女に好意を寄せるテオスが心配そうにしているのも見るに耐えないので仕方がない。だが、ある日テオスにも首輪を与えてミュートスと一緒に散歩させてやったのが失敗だった。彼のコミュニケーション力は人間の言葉だけという乏しいものであるため、町に離しておけば無論、以前ミュートスが陥った事と同じ事になる。
 這々の体で私の家に駆け込んできた彼等を見たときは悪の軍団でも攻め込んできたかと思ったが、それよりも酷い事であるとは彼等の話を聞いてから分かった事だった。

「どうしてくれるんだ、私は静かな所じゃないと仕事が出来ない質なんだ。うるさくなったらただでさえ生活が苦しいのに私の主な仕事が出来なくなるじゃないか。テオスにちゃんと鳴き声でのコミュニケーションを教えるように頼んでおいたのに」
「んなこつ言われてんそれが全然上手くならんけやる気起きんもん」
「言い訳は良いからキミ達はもう部屋に戻っててくれ。それとミュートス、キミには悪いがしばらく散歩は控えてくれ、場所が完全に特定されてしまっては困る」

さて、そう言ったのが彼女の反抗心に火を付けてしまったのだろうか、それとも単にそう言う時期だったのだろうか……。
 ある日テオスに新しい解釈の方法があると気が付いて、その事を話そうと彼等の部屋を訪ねた。興奮のあまりノックも忘れていたのだが、扉を開けて目の当たりにしたのは彼等が交尾している所だった。何故そうなったのか……驚きやら色々と混ざった感情があったため結局聞けずじまいだった。以前の話から察するにミュートスがテオスを受け入れるような事をテオスがしたとしか考えられないのだが、それを確かめるための方法はもう無い。仮にそれを調べようとするものがいるならば私は何の力にもなれない、あの図は一刻も早く忘れ去りたい。
 さらにそれから数日、しゃべるジグザグマのほとぼりは治まってきたためミュートスの散歩を解禁した。私は例の件以降何となく彼等によそよそしかったが、ミュートスは気付いていないようだった。気恥ずかしいし、それより何より、私が彼等に介入する余地などもはや無いのだろうと思ったのだ。彼等は婚約すらしたのかもしれないと思った。
 そして彼女が散歩に出かけたあと、テオスに“あの神話の彼”が何であるのかと言う事を話し合っていたとき、私の家を訪ねてくるものが現われた。私の家は町の隅の方にあるため、あまり人が訪ねてくる事はないためしばらく気付かなかったが。

「どちら様でしょうか?」
「フレンドリィショップのものですけど、赤い首輪をしたのはおたくのジグザグマでしたよね?」
「ああ、はい。彼女がどうかしましたか?」

フレンドリィショップの店員はよく見ると汗をかいていて慌てているようだった。そこまで気付かなかったのは神話で頭が埋め尽くされていたからだろう。その時は失敗だったと思ったが、今となってはそうなってよかったと思っている。

「あのジグザグマ、ちょっと前に騒がれてたしゃべるジグザグマですよね? 町の人数人が捕まえようとモンスターボールを大量に買い込んでいきましたよ?」
「人のポケモンを盗ったら泥棒でしょう」
「モンスターボールでちゃんと捕獲しなければ泥棒じゃありませんよ。何でボールに登録だけでもしておかなかったんですか」
「ボールは嫌だと言い張るもので。で、彼女は今どこに?」

そこまで会話が進んでいたが、ふと足下をもの凄い勢いで通り過ぎて行くものがあるのを感じてふと足元を見たが、さっきまでいたテオスが影も形も見えなくなっていた。いくら何でも早すぎる。あらゆる解釈をしてみて、別のものの解釈が組み合わさったときに私ははっとした。彼はもしかすると……。
 私はミュートスを探しに行った彼を追いかけた。青い首輪は途中に落ちていたが、引きちぎられたような状態だった。私は彼等が好きだったし、彼等の身を案じない訳がなかった。通りすがりの人に聞き込んで情報を集めて彼等を追いかけるしか私に出来る事はなかった。


 「またこげなこつなって……。うちついてないわぁ……」

ミュートスは追い込まれていた。逃げ道がない訳ではないが、相手が多いため逃げ切れる自信がなかったのだ。人間は七人いて、各々がモンスターボールを手に持っている。そしてその七人のポケモン達が彼女を取り囲んでいた。そこまで鍛えられてはいないが、ミュートスとしてはかなりの脅威だった。
 人間達の指示が飛び、指示を受けたポケモン達はミュートスに襲いかかった。だが、ミュートスは直感で前方に飛んで攻撃をかわした。無論まぐれで、次はおそらく無いだろう。

「誰か助けて……。テオス……」

心細くなった彼女は思わずテオスを呼んだ。だが無情にも人間達の指示がまた飛んで、ポケモン達が攻撃を仕掛けてきた。

 「私を呼びまシた?」

ミュートスにはテオスがピンチに駆け付けてやってきたヒーローに思えた。身体を許した相手であるし、愛していたのだろう。それにくわえて、今彼等はふわふわと人間達の頭上に浮かんでいたのだから。人間達はそれを見て驚愕の表情を浮かべるが、テオスはにこにこと笑っていた。

「私、ミュトスのタメなら泥被っても良いデス。ミュトスのためなら剣にモ盾にモなりマス」
「……なら、あんしら追い払ってくれる?」
「わかりまシた」

ゆっくりと地面に降り立った彼等に、人間はポケモンを使って攻撃をくわえようとした。電気ショックや水鉄砲などの特殊技が飛んでいくが、それは全てテオスに当たる直前で弾き返された。

「……私に攻撃シても無駄デスよ。これ以上ミュトスに何かスルなら、私怒りマス」

テオスの眼光が人間達とポケモン達を貫いた。テオスの近くに落ちているものは彼を避けるように吹き飛んでいく。オーラと呼ぶべきものがテオスを包み込んでいた。

「消えて下さイ」

その一言で、街灯の一つが爆発した。大したものではないが、現在の状況で突然の音というのは目の前で銃をちらつかされるのと同様、かなりの威嚇効果があった。蜘蛛の子を散らすように人間達は消えていき、ちょうどその頃に私は彼等を見つけた。

「……何が起きたのかは聞かないよ。テオス、是非とも私の家に戻ってきて欲しい。そして全てを話して欲しい。あなたは神だ。私が人生の半分を費やして真実を追い求めていた神、その人だ」


Mythosは伝説 


 彼等は私に色んな事を――無論“例の事”以外だが――話してくれた。そして書き上げたのが今回の論文である。
 改めて言うが、この説を誰が信じようが信じまいがどうだっていい。私は神、その人に会えた事が感動なのだ。


 テオスは記憶を全て取り戻している訳ではなかった。失ったものはまだたくさんある。だが彼にはもうそれはどうでも良いという。彼には愛した雌がいる。ミュートスという少女だ。
 テオスがミュートスを愛する事が出来たから、ミュートスがテオスを愛する事が出来たから、わずかばかりの記憶と、神の力が戻ってきたのだと言った。もし本当にそうならば、愛の力というのは神の力を凌駕していると言う事なのだろう。神すら逆らえないキューピッド(エロス)の矢はまさに最強の力を持っているという事だ。
 さて、神は何らかの神でなければいけない。これは冒頭で述べた事だ。しかし、これではテオスは何の神なのか、それが分からない。
 聞いた事はないだろうか、とある地方に伝わる伝説に、しゃべるジグザグマが活躍する伝説がある。そのジグザグマは愛に飢えていて、いつも孤独に生きていた。そしてそのジグザグマは大水害を食い止めると伝説となるが、その後の彼女の消息は語られていない。
 そう、“彼女”だ。
 やはり、伝説や神話は共通するものがあるらしい。私はそう言う部分が好きでこの仕事を続けている。
 彼等は共に生きていくと誓った。それが夫婦と呼べるものかは分からない。しかし似たような関係では無かろうか。
 神は何らかの神でなければ。テオスは神になったのだ。ミュートスと一緒になる事によって、伝説(Mythos)(Theos)となった。伝説(ミュートス)と生きる(テオス)と言っても良いかもしれない。


 彼等はもう、私の家にはいない。彼等は旅立っていった。どこへか、などと無粋な事を聞かないで欲しい。それは私も、そして彼等も知らないだろう。
 伝説はどこにでも、どの世界にだって存在する。彼等は伝説がある所であればその姿を覗かせてくれる事もあるだろう。とにかく私は、彼等との出会いを、認められずとも後世に伝えていきたいと考えている。そしていつか、彼等が私のこの論文を目にして頬笑んでくれればそれだけで幸せである。
 これで、私の稚拙な論文を書く筆を置く事にしよう。


 伝説と神、私の家族へ親愛の念を込めて


セルティ・アークマン



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Last-modified: 2011-10-28 (金) 00:00:00
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