てるてる
ルイス・ホーカー .14
歩み去っていくふたりを、サンダースのルイスは横目に見送る。
まだ
「……なんで」
なんであいつはトニーの名前を口にしたんだ。
なにもわかってないくせに、どうしてあんなことが言えるんだ。昔の関係を引っ張り出してまで善意を振るおうとするリリアンの行為は短慮そのものとしか思えない。すでにトニーと自分の間に修復できる関係は存在しないのだ。なのに何で今更のようにトニーの名前を出すのか。
(まるで自分にとっての身近な人間は、絶対に自分の期待通りに動いてくれるものだと思いこんでいるような)
放任してくれれば良いものを、わざわざ保護者ぶろうとする。その挙げ句、こうして今のように自分は行き場のない怒りを堪えなければならなくなる。
ルイスは苛々と奥歯を噛みしめかけ、ふと自分の思考に首を
修復できる関係が存在しないと、どうして自分で言い切れる? もしそれが事実だと最初から思っていたのなら、今まで寝る間も惜しんで運転してきた理由を見失ってしまう。やはり心のどこかで修復可能だと信じようとしていたのだろう。そうとしか考えられない。我ながら馬鹿馬鹿しい思考だ、今さらどうしてそんなことを、と自分の思考に苦笑したが、ルイスは真実、心の底から笑うことはできなかった。今となっては馬鹿馬鹿しいと思えるその思考も、元をたどれば自分自身から表出したものだからだ。
輝石を手に入れて自分の境遇を改善すれば――原因さえ無かったことにすれば――、トニーとの不和も帳消しになってくれるに違いない――それに由来する結果も無くなるに違いない――という考えにたどり着いたのは、ほんの数日前のことだ。
後になって思えば、それはまったく整合性のない思考に他ならない。起きてしまったことを後から修正するなんて、できるはずがない。それは誰にとっても明らかなことだ。
にもかかわらず、それ以来、何かにつけてその考えが頭の中をよぎってしまう。そのたびに強い焦燥感が自らを包囲して、冷静さを失ってしまう。
それはまるで、あり得ないことだ、と思う一方で、もしかしたら、という幻想をいまだに信じているかのように。
(なんで……、そんな馬鹿なことを……)
ルイスはうなだれる。
子供じみた考えだ、と
「……くそったれめ」
リリアンのしつこい憐憫に対してか、いつのまにか幻想を抱いていた自分を再確認してしまったことに対してか、ルイスは吐き捨てた。
何となく苛立ちめいたものを感じたルイスは、手近にあったスペアタイヤのホイールを殴りつける。
鈍痛が走り、ぶつけた場所がわずかにひんやりする。見ると、体毛に横一線に血が滲んでいた。どうやら留め金で切ったらしい。面白くないものを飲み下しながら腹の毛で拳を拭う。
何となく顔を上げると、工事現場を囲むフェンスの角を曲がっていくリリアンたちの姿が一瞬見えた。
そして、その一瞬のあいだに、マグマラシのゾルタンが非難がましい目つきでルイスのほうを振り向いたのも。
角を曲がり、ルイスから見て死角に入ったことを確認したマグマラシのゾルタンは、前を行くシャワーズのリリアンを上目遣いに見上げる。
博物館を出て以来、リリアンの様子がおかしいと感じることがたびたびあった。
特に今回は明らかに妙だ。身の危険にさらされた挙げ句、不当とも取れる態度をルイスにされたにもかかわらず、リリアンは反論さえせずにそれを容認してしまっていた。
あんな態度を取られてまで、庇おうとすること自体おかしい。
なにかあるに違いない。
それが何なのか、聞いてみたい気もしたが、今の今まで自分に打ち明けてこなかった辺り、きっと人には知られたくない種類のことなのだろう。そう、過去に恋人同士だったルイスとしか共有できない種類の秘密。他人に過ぎないゾルタンとは分かち合うことのできない秘密。
博物館を出た直後に感じた悔しさが、再び蘇る。
改めて自分とリリアンとの距離を目の当たりにしてしまったようで――実際そうなのだが――、それに伴うやり場のない思いにうつむくしかなかった。
前方を歩いていたリリアンが足を止める。
下を向いていたゾルタンは、ぶつかりそうになる直前までそれに気づけなかった。
慌てて足を止めようとしたせいで、勢い余って二、三歩よろめいてしまう。
「どうかなさったんですか」
え、とリリアンは拍子抜けしたように振り返る。
「どう、って。これ」
言ってリリアンは工事現場のほうを指さす。
上の空だったゾルタンは気づかなかったが、そこには工事現場の中に通じる門扉があったのだ。
スライド式の門扉は柵のような作りになっていて、外側から見てやや奥まった位置に設置されており、隙間無くシートがかぶせられているフェンスと違って内部が見渡せる。
「ええ、ああ。……すいません、よそ見してました」
何を考えいたのか悟られまいと慌てて言い繕うゾルタンを、幸いなことにリリアンは不審に思わなかったようだった。
「
「どうなんでしょう。勝手に入るわけにはいきませんし。中に誰か居れば別なんですが」
ふたりは改めて中を見渡す。
門扉のすぐ正面にはちょっとした空間があり、仮設小屋と大量の資材が砂地にそのまま据え置かれている。
広場を両端から囲むように立ち並ぶ白い建物は、上から見たときは何なのか分からなかったが、こうして近くで見てみるとそれらはすべて家屋であることが見て取れた。白い壁は陽光を浴びて
にもかかわらず、どうにも寂れた印象を覚えてしまうのは、ほとんど完成した町並みにもかかわらず、そこここに退廃の色が見えるせいだろう。
建物にはめ込まれた窓ガラスはすべて保護シートに覆われており、そもそも外側が工事用に組まれた足場で覆われているため内装がどこまで完成しているのかよく分からない。
家屋と歩道のあいだに本来なら敷かれているはずの芝生も、管理する者がいないため青々とした色を失い、固い地面にこびりついてしまっている。
至る処で目に付く退廃。
昼間が近いにもかかわらず、工事に携わっているはずの作業員の姿が見えないことが余計に退廃に拍車を掛けているのだ。
後ろ足で立ち上がってはみたものの、やはり人の姿は見つけられない。
もしかすると工事は途中で放棄されてしまったのではないだろうか、とゾルタンは
そんなゾルタンの思考を
悟ったように、リリアンは首を
「居るのかしらね。なんだかずいぶん寂れてるし。普通、工事現場ってもうちょっとうるさいものよね。――行くわよ」
うん、と頷きかけたゾルタンは、リリアンの言葉の意味を理解しかねて目を細めた。
そうしてる間にリリアンは門に手を掛ける。開けようとして鍵が掛かっているのを確認すると、えい、と軽く声を上げて門扉のふちに飛び乗った。レールに
「なにしてるんですか」
慌ててゾルタンが止めようとしたときには、すでにリリアンは向こう側に飛び降りた後だった。
「居るか居ないか、あの小屋を見に行けば分かるかと思って」
リリアンが資材に囲まれた仮設小屋を指さしたのに、ゾルタンは首を振って否定する。
「だからって。不法侵入ですよ、これ。見つかったら怒られますよ」
「でも」
言いかけて、口ごもったリリアンはゾルタンから視線を逸らす。
「早く手伝える人を見つけてルイスのところに戻らないと。車のことはわたしたちじゃ、どうにもできないんだから」
ゾルタンは路面に落ちた自分の影を見下ろす。またルイスか、という思いは口内にとどめ、代わりに顔を
幸か不幸か、リリアンのいる位置から見て、ちょうどゾルタンは逆光になる位置に立っていたため、それらの様子をリリアンに見つけられることはなかった。
「だから、ほら、あなたも乗り越えて」
「……わかりました」
リリアンが黒ずんだ輪郭に促すと、ゾルタンは僅かな間のあと、頷いた。
その声に何となくふて腐れたような気配があるのが気になりはしたが。
ゾルタンは柵の前で立ち上がってつま先立ちになる。前足で門のふちに爪を立てて掴まり、さらに後ろ足で門扉を蹴ってよじ登る。
「おい。そこでなにしてやがる」
出し抜けに、男の声が二人に飛んできた。
唐突にうしろから声を掛けられたリリアンは、驚きのあまり身体が跳ね上がったまま一瞬硬直してしまう。
慌てて振り返ると、一番近くにある資材の陰からモウカザルの男が出てくるところだった。
「なにしてやがる、って聞いてるんだ」
ぶっきらぼうに言ったモウカザルは、睨め付けるように二人を交互に見比べながら歩いてくる。声と容姿から察するに、恐らく二〇代の真ん中辺りだろう。相当怒っているらしく、距離があるにもかかわらず熱気を感じる。
言い訳すら許さないといった様子で迫ってくるモウカザルに、リリアンは恐怖心すら覚えた。
無意識に耳を寝かせてしまう。足を踏み換えてたのは、少しでも緊張を和らげたい一心でのことだった。
人がいたこと自体はありがたかったが、この状態では、とてもではないが手伝いなど頼めそうにない。
それどころか、手を出されないうちに退散するのがやっとかもしれない。
「あの、……その」
リリアンの目前で立ち止まったモウカザルは、しどろもどろに口を開く様子を一通り眺めたあと、あからさまに迷惑そうなため息を吐いてみせた。
「ったく。まあいい。ほら、ついてこいよ」
男は背を向けると、またもと来た道のりを辿りだす。
力任せに追い出されることを予想して身構えていたリリアンは、男の行動に思わず拍子抜けしてしまった。
そんなリリアンに
ようやく我に返ったリリアンが小走りに追いかけようとしたその時、モウカザルは振り返ってリリアンを見下ろす。
「で、お前さんの友達はいつまで門にぶら下がってるつもりだ?」
顎でしゃくったほうを辿ってみると、そこには先ほどと全く同じ姿勢のまま――ただし緊張からか全身の体毛が逆立っている――、門のふちにしがみついたゾルタンの姿があった。
モウカザルに振り返られ、やっと我に返ったらしいゾルタンは、あたふたと門を降りようと手足をばたつかせた挙げ句、顔から地面に落ちてしまった。
地面にうずくまるゾルタンをリリアンが引き起こしに行くと、ゾルタンはどこかふて腐れたような様子でリリアンをちらりと見上げ、手伝いはいらないという風にリリアンが手を差し出す前にさっさと起き上がってモウカザルを追いかける。
地面に落ちたことの照れ隠しかなにかだろうか、とリリアンはそう思いながら、そのあとに続いた。
「部署が違うから、とやかくは言わねえが、いくらやることが無いからって遅刻はまずいぜ」
ため息交じりにそう、モウカザルが言ったのは、ちょうど門扉と仮設小屋の中間に差し掛かった辺りだった。
モウカザルの後ろについて行っていた二人は顔を見合わす。
「あの、何のこと……」
「おまけに鍵まで無くしたみたいだし。まあ、鍵ならおれらのところに予備があるから、そいつを貸してやるよ。なに、言わなき
ゃバレっこないって。鍵をいちいち確認するようなマメなやつなんて、ここにはいないしな」
リリアンは尋ねたが、モウカザルには聞こえなかったらしく、構わず続ける。
「でもよ、合鍵にだって数に限りがあんだから、今日帰ったらちゃんと探しとけよ。でないとおれまでどやされちまう」
「いや、わたしたちは……」
リリアンが言いかけると、そもそも、と男は制するように振り返って、二人に指を突きつけた。
「遅刻さえしなけりゃ鍵なんて必要ないんだ。時間までに入れば門は開いてる。事実、ここのところ鍵を持ってこずに仕事に来てる奴だってたくさんいる。なのに、何だっておまえらは」
リリアンはいらいらと首を振った。ずいっ、と前に踏み出して、モウカザルの喉に自らの顎先を突きつけるように迫る。
いつまでもリリアンが言おうとするのを無視し続けるに男に、さすがに我慢がならなくなった。
「ですから、わたしたちはここで働いてるわけじゃないんですってば」
男は仰け反り、目を
リリアンはここに来てしまった理由をかいつまんで説明した。
乗っていた車のタイヤがパンクしてしまって、進退窮まってしまったことを。
ああ、と話を聞いたモウカザルは何かに納得したらしく、声を上げる。
「するってえと、あれか。さっき聞こえた凄い音、あんたらが原因だったのか」
リリアンとゾルタンは頷く。
頷く二人を見て、モウカザルはきまり悪そうに苦笑しながら誤魔化すように尻尾を揺らしている。
その様子は、さっきまで恐ろしいとしか思えなかった男の見せる様子としては何となく不釣り合いな気がして、リリアンは途端にモウカザルに対して行った自分の行動が恥ずかしく思えてきた。
「その、ごめんなさい」
モウカザルは肩を
「いいっていいって。にしても、なんだよ。先にそれを言ってくれればよかったのに。知らずに怒鳴っちまったじゃねえかい。まったく、あんたらも人が悪いよな」
笑いながら言って、リリアンたちに次の話を促すように手を振った。
「車がパンクして動けなくなったんだよな。車には三人で乗ってたって言ってたが、あとの一人は修理中かい」
「それが思うようにうまくいかなくて。それで手の器用な方がいれば、ちょっと手伝ってもらえないかと思って」
「うん? ってことは、あれか、もう一人のほうも……」
「サンダースです」
なるほど、とモウカザルは自分の手を見下ろした。
「たしかにあんたらの手じゃ修理は厳しいよな。いいぜ、おれで良かったら手伝ってやるよ」
言って、モウカザルは一旦仮設小屋に走っていく。中から鍵束を持って出て、リリアンらを追い抜いて元来た方向へ引き返す。
リリアンとゾルタンがそのうしろに続く。
「ありがとうごさいます。でも、やっぱり悪いです。仕事もあるでしょうし」
「仕事なんてあってないようなもんだ。ちょうど暇してたところなんだよ。気にする必要なんてねえよ」
モウカザルの言に、リリアンは首を
本当に暇なのだろうか。ぱっと見た限りでも未完成の建物がたくさん並んでいるし、そこらには資材が無造作に転がっている。たしかに今は作業をしている様子がないのは確かだが、それをずっと暇だったように言うのはおかしいような気がする。
ちらりとゾルタンを窺ってみると、どうやらゾルタンも同じ事を思っているようで、きょろきょろと周囲とモウカザルとを見比べている。
「でも、まだ工事中ですよね。やっぱり忙しいんじゃ」
リリアンが問うと、モウカザルは同感だと言う風にため息をつく。
「普通は忙しいはずなんだけどな。ここんところずっと作業がストップしちまっててよ」
「ストップ?」
「そうなんだよ。なんでも、作業工程に手違いが見つかったとか。それが修正されるまでそれぞれの待機所で待っててくれって言うんだ。変な話だろ。やることがないくせに、工事現場には来なければならねえんだぜ。まあ、それで毎日分の給料は貰えるんだから面と向かって文句も言えねえんだがな……。まったく、上の連中はモヘガンからここまで一体いくら距離があると思ってんだか……。そういえば、あんたらが向かってるのもモヘガンだったよな。モヘガンはいいぜ。山も海も近いから、それぞれの料理がうまい」
まくし立てるモウカザルに、リリアンは苦笑を浮かべて頷いた。
普段ずっと暇だったその反動からか、珍しい話し相手を見つけたモウカザルはやたらと興奮している様子だった。恐らく自分の故郷に向かう者と出会ったこともそれに拍車をかけているのだろう。
「ええ。それで、ここからモヘガンまでどれくらい掛かるか教えて欲しいのですが」
モウカザルは眉を寄せた。
「ここからかい? だとしたら一生着かないと思うが……」
リリアンは背筋に冷たいものを感じた。
そんな、と唖然とするリリアンをよそに、モウカザルは続ける。
「近い将来、この道もモヘガンに繋がる予定なんだけどな。見ての通り工事がストップしちまって、道路も未完成のままなんだ。続いてるように見えるが、実際はここから丘を一つか二つ越えた先で途切れてる。歩いていけないこともないが、時間が掛かるし、車じゃまず無理だ。気の毒だが」
言って、遠くの山を指さす。
「あの山の尾根に沿って道があってな。それが今ある中で一番近いモヘガンに行く道だ。平野に入る前にガソリンスタンドがあったろ。あそこでこっちの道と尾根の道とに別れるんだ。一旦あそこまで戻らねえとどうにもならん」
そのガソリンスタンドにリリアンは見覚えがあった。
平野に入る前、まだ朝陽が昇っていないころ、そこでルイスたちと給油をするために立ち寄った場所だ。ガソリンに火気を近づけられないため、リリアンが給油を受け持ち、ルイスたちは離れたところに待たせていた。「どっちの道だろうか」とルイスが二股に別れた道を指さして言ったのは、リリアンがガソリンタンクの
リリアンはめまいのようなものを感じた。
そういえば、平野へ向かう道は変に真新しい気配がしていたような。
そういえば、行き止まりに向かう道に特有の雰囲気があったような。
今更のように後悔が浮かんでくる。思わずリリアンは立ち止まる。そして絶望的な気分で自分の影を見下ろした。つま先に張り付いた影は斜めになっているが、これが身体の真下に来るのにそんなに時間は掛からないだろう。そうなったらルイスは……。
(……自分のせいだ)
自分が道を誤って選択したから。――いや、そもそも自分が昔、ルイスの心の中を察してやっていれば、初めからこんなことにはならなかったのだ。
(ルイスには、自分がそばに居てあげないとダメなのに……)
そうと思っていたにもかかわらず、また、自分はルイスとの間に距離を作るような要因を作ってしまった。
「ビアスさん?」
唐突に聞こえたゾルタンの声に、リリアンは頭を上げる。
立ち止まったきり俯いてしまったリリアンを心配してか、のぞき込むようにしてゾルタンが見つめていた。ゾルタンの後ろには門扉を開けようと手にした鍵束をあさっているモウカザルが見えた。
一つ一つ手に取っては確認している様子に、リリアンはまどろっこしさを覚えると同時に、胃の辺りが痛むのを自覚した。
早く門扉を開けてルイスの元に戻らねばと思う反面、自分の
「どうかされたんですか」
「いいえ、なんでもないわ。ちょっと、気になることがあっただけ」
「……そうですか」
リリアンの言葉に、ゾルタンは何故だかがっかりしたように耳を垂らす。
それがどうしてだか、リリアンには分からなかったが、言おうか言うまいか迷っている様子を見せる辺り、言いにくいことであることだけは理解できた。
さんざん迷うように視線を泳がせた後、もう一度ゾルタンは口を開く。
「それはもしかして……」
「ああ、そうだ。あれを使えばここからでも十分行けるな」
遮るようにモウカザルの声が二人の間に割り込む。
思いついたように言ったモウカザルは、すでに目的の鍵を見つけ終えた後らしく、門扉を開けようとして門に手を掛けていたところだった。
リリアンはゾルタンを半ば押しのけるようにしてモウカザルの元に走り寄ると、ぎりぎりまで首を伸ばして、できる限りモウカザルに顔を近づける。
「どんな方法なんですか。教えてください」
モウカザルの言葉は、まさしく最後の望みだった。どんな方法だとしても、これ以上の悪い事になりさえしないのであればそれで良かった。
掴みかからんばかりの勢いのリリアンに、モウカザルはたじろいだ。
「れ、列車の線路を辿っていくんだよ。工事用の資材を運ぶために最寄りの線路に駅を作ってあるから、そこから車を乗り入れられる。線路の上を走ることになるが、野原を突っ切るよりはましなんじゃないかな」
「その駅はどこにあるの」
モウカザルは門扉を開けて工事現場から出ると、道の向こうを指さす。
「あっちだよ。途中で道から外れてフェンス沿いに進んでいけばトンネル見えてくる。そこを通ればいい。――なあ、あんた大丈夫か?」
リリアンはモウカザルの気遣うような声を聞いたが、返事を返すのもまどろっこしかった。
「こっちね。わかったわ。彼に知らせに行かないと」
早々に会話を中断させると、リリアンはルイスの待っているほうへ駆け戻っていった。
協力者を得られない以上、ルイスを救えるのは自分だけなのだから。
その場に残されたモウカザルとゾルタン。
リリアンの後ろ姿を見ながらモウカザルは溜め息をつく。
「おれを置いていったら意味がないと思うが……。なんでそんなに慌ててるんだか」
本当にそうだ、とモウカザルの言葉にゾルタンは内心で頷く。
慌てる必要なんかないのだ。たしかに取り引きに間に合わなくなってしまいそうなのは確かだが、透明板を取り返すことだけが目的なら、何も間に合わせる必要なんてない。むしろ間に合ったことで、アルの取引相手と鉢合わせしてしまう危険を作ってしまう要因ができるだけだ。加えて、たとえ間に合ったとしても、どっちにしろ透明板を取り返すのは相手の手に渡ってからだ。それなら、取引よりも遅れてモヘガンに到着して、そこにいるアルたちから相手がどんな手段を使って透明板を持ち出したのかを尋ね、そこで初めて透明板を取り返そうとするのが妥当と言えよう。彼らが町を出た直後から尾行していくよりはずっといいはずだし、なによりアルと自分たちに接点を見出される可能性を極力減らすことができる。少なくともゾルタンはそう思っているし、とりあえずそう考えたほうが論理的でもある。
ゾルタンは前足を伸ばして首筋を掻きむしった。
最近のルイスの行動は目に見えて不自然だ。同時に、リリアンの様子もまた同じく不自然のように思われた。何かにつけてルイスと思考を
「……なぜなんですか」
思わず悲嘆が口を突いて出てきてしまった。そのことをゾルタンが自覚したのは、モウカザルに不思議そうに視線を向けられてからだった。
どうかしたのか、と首を傾けるモウカザルに、ゾルタンはたじろぎながらも口を開く。
「し、しかし。その。危なくはないんでしょうか。先ほどおっしゃっていたルートだと、列車の通り道を車が通ることになるのですよね。迷惑では?」
「普段ならな。とりあえず今日一日、列車は来ねえから大丈夫だよ」
一瞬、それがどういう意味なのか理解しかねて両目を瞬かせるゾルタン。そんな様子を悟ったようにモウカザルは続けた。
「何でも今朝、内陸のほうで貨物列車がトラブったらしい。大きな事故ってわけじゃないらしいが、念のため今日一日、一部の路線を封鎖するとか。そうラジオで言ってたんだが、おまえらは聴かなかったのか?」
はあ、とゾルタンは頷いた。一昨日、「気が散る」という理由でいきなりルイスがラジオを切ってしまって以来、点けていなかった。
「へえ。とりあえず、そんなわけで今日は列車が通るこたあねえから安心して通っていいぜ」
そこまで言って、モウカザルはため息を吐く。
「まあ、おかげでこっちは休暇が一日延びちまったわけだが……」
そのままモウカザルはリリアンの消えていった角に向き直った。
列車の事故が休暇の延期とどういう関係があるのか、ゾルタンは問いたかったが、当のモウカザルがさっさと歩き出してしまったため、それですっかり接ぎ穂を見失ってしまった。仕方なく後ろについて行こうとしたその時、ふと、フェンスの側に立て掛けられた工事看板に目が行った。
「エデングループ……」
注文者の氏名の欄の、名前の上に見覚えのある企業名が入っていた。
モウカザルはゾルタンの声を聞いて足を止めた。
「ここの工事を取り仕切ってる会社だよ。有名な会社らしいな。おれはよく知らんけど。そもそも知りたくもないが」
そう、ぶっきらぼうに言うと、再びモウカザルは歩き出す。
遠ざかっていく足音を彼方に聞きながら、何故だかゾルタンは看板から目を離せなかった。
エデングループという名前は何度も聞いたことがある。だから別に取り立てて珍しく感じているわけではない。だが……。
(……見覚えがある?)
それは間接的な「聞いた」というよりも、もっと直接的な「見た」という感覚のほうが強かった。たしかに最近、この名前をどこかで見た気がする。
一体どこで、と記憶を辿り、ふと、数日前にトニーに頼まれて酒場にルイスを迎えに行ったときのことを思い出した。
確か自分はそのとき、カウンターから離れようとしないルイスに、後ろ足で立ち上がって出口を指し示したはずだ。立ち上がったとき、ルイスが肩肘を掛けていたカウンターテーブルにメモ用紙が置かれていて、たしかにそこに「エデングループ」と大きく書かれていたはずだ。
たったそれだけのことにもかかわらず、なぜだがゾルタンは心中に引っかかるものを感じてしまう。大きな企業なのだから、どこで名前を見ても別に不思議なことではないはず。気にするようなことではない。努めてそう考えようとしたが、何となく――根拠すらないのだが――先回りされているような気がするのはなぜだろうか。
(このままモヘガンに向かっても良いものなのだろうか)
そこまで考えて、ふと自分の思考が憶測に沿って展開しかけていることに気がつき、そんな考えを振り払うように頭を振って看板から視線を引き剥がすと、早足に車へと向かった。不安めいた、予断のようなもの。一旦絡みついたそれらを振り解くことができたのは、それがリリアンたちの思考に反するものだったからだ。
リリアンたちはモヘガンに行こうと必死になっている。今さら行きたくないとゾルタンが言ったとしても、聞き入れて貰えるとは到底思えなかったし、最悪、意見の違う者として二度とリリアンとの関係を夢見ることすらできなくなってしまう恐れがあったからだ。それだけは絶対に避けたかった。
ゾルタンが車に戻った頃には、すでにパンクしたタイヤは外され、ちょうどモウカザルとルイスが協力してスペアタイヤを取り付けに掛かっているところだった。特に手伝えることがなかったため、リリアンと共に車から少し離れた所で待機していると、修理はすぐに完了した。車に乗り込んだ三人はモウカザルに別れを告げ、言われた通りの道筋を辿って車を走らせる。窪地から窪地を繋ぐように開けられたトンネルに侵入した辺りで、ゾルタンは何となくルイスに工事現場の所有者のことを伝えてみた。
工事現場を仕切っているのがエデングループであること。アルが透明板を発掘した海岸を所有しているのもエデングループであること。それらを当たり障りのない会話を装ってかいつまんで説明してみる。
不安を
孤立したような思いでシートにもたれかかったゾルタンは、トンネルの終わりが見えてきたことに気がついた。
遠くに立ちふさがる白い光の束は、トンネルの出口のものだ。
それが徐々に迫ってくる。
それは、着々とモヘガンに近づいていることを、否応なく物語っていた。
なかがき
自分でも馬鹿馬鹿しいと思ってしまうような衝動に突き動かされるルイスと、そんなルイスを救おうと必死になるリリアン。そんなふたりを見て、二人がまだ昔の関係を引きずっているもの勘違いしてしまったゾルタン。書いたわたしが言うのも何なんですが、ドロドロしてますね…w
さて、次回は再びアルの視点からスタートになりますが、果たして、ルイスたちは間に合うのか!? ってな具合で次回に続きますー。
それと、今回は実験的に台詞と地の文の間に1行分のスペースを空けてみました。
もし、こちらのほうが良いということでしたら、これまでの文章をすべて改めると共に、今後はこの形で投稿させていただきますので、気軽にお伝え下さい。
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