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CRIME

/CRIME

CRIME 

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written by マグロ













 「秋」

  葉が落ちる  落ちる  遠くからのように

  大空の遠い園が枯れるように

  葉はものを否定する身振りで落ちる


  夜々には  この大地が

  あらゆる星の群れから 寂寥へと落ちる


  われわれはすべて落ちる  この手も落ちる

  他をごらん  すべてが落ちていく





  けれども ただひとり この落下を

  かぎりなくやさしく その両手で支えている者が……


                  ――R.M.リルケ

プロローグ 

 いつのころからだろう? 僕は両親から愛されてないと思うようになったのは。
 こういう言い方をするといろいろと誤解を受けるかもしれないが、父さんも母さんも僕に対してなにも虐待をしているということではないし、ほとんどいないかのように扱うというような冷たい仕打ちを受けたこともない。
 そしていきなり矛盾したことを言うことになるが、自分は両親からとびっきりかわいがってもらっている。比べたことはないがそこらの家庭の比べ物にならないくらい。

 でも、やっぱり自分は愛されてないような気がする。誕生日を祝うときの両親の笑顔も、学校ですごくいい成績を取ったときの褒め顔も、なにか確信はもてないのだが、どこか悲しそうな……そんな表情が目に映るのだ。
 気のせいといわれればそうかもしれないし、両親に対して邪険なものの見方をしているとも言えるかもしれない。
 そう自分に言い聞かせても、やっぱり何かがおかしい。
 そしていつしか考えるようになった。
 自分は何か両親を心の底から悲しませるような何かをしてしまったのではないかと……

第一章「邂逅」 

-1- 

 夜景。それは人間の手で作り出された絶景。
 人々の様々な思い、希望、欲望、喜び、諍い、灯る光の一つ一つはそのようなものを伝えているようだ。
 まるで巨人のようにあちこちに腰を据えている高層ビル、それらの陰に隠れた小さな建物、蛍光灯や街頭、ネオンなど。夜景を作り出す光の種類は実に幅広い。
 人間の欲望が具現化されたもの。

 夜景の美しさはそこにあるのかもしれない。

 クラナポリスのある路地の裏。表通りの喧騒から少し離れ、ゴミや汚物がちらばって少々鼻につくその場所に彼は壁にもたれて立っていた。
 彼は右手首につけている腕時計で現在の時刻を確認した。長針と短針がそれぞれ「XI」と「IX」のわずか下の部分を指している。
 午後九時五十五分。
 そろそろかと思い、彼は路地を更に奥に進み、比較的広い十字路へと差し掛かった。スナックの消えかかっているネオン看板が目に入ったが、あたりには誰も居ない。
 彼は着用している黒のジャンパーのポケットから赤と白によるツートンカラーのボールを一つ取り出した。それを取り出し、ひょいと宙へ軽く投げる。
 持ち主の手から離れたボールは一、ニ秒ほど宙を泳いだ後、破裂音とともにちょうど赤と白の境目で割れ、中から白い光が放たれたと思うと、数秒後にはその場所に高さ二メートル半ほどにも届く大きな獣の姿があった。犬に近い姿をしており、真っ赤な燃え上がるような赤毛を地に縞のように黒いラインが入っている。顔や胸には白い毛も混ざり、まるで威厳を示すかのようにその場でおとなしく座っていた。

「行こうか、ラグ」

 ラグと呼ばれたその獣は低く重い声でうなると、前足を低くして前傾姿勢をとった。彼はそのようなラグの配慮に甘んじて、獣の足を段差にして、背中へと飛び乗った。
 そして彼はラグの上で体勢を整え、良い塩梅になると再び腕時計を目にした。長針が「XII」、短針が「IX」の部分をぴったり指していた。
 午後十時。

「行くぞ!」

 彼は叫んだ。そしてラグは前脚と後足に力を込め、軽く常識を外れるような見事な大ジャンプをした。
 ぐんぐん地上が遠ざかっていき、まるで洞窟から脱出するかのように、ビルとビルの間から空が迫ってくる。
 だが、それだけでは足りないようで、勢いが少し弱まってくる。そこでラグは目の前にある壁を強く蹴り、再び勢いをつける。
 真夜中の都会の空が開けた。ラグは雑居ビルの屋上へと降り立ち、駆け出したかと思ったら、ビルからビルへとジャンプして渡った。
 都会の空には星は無く、今日はおりしも満月で、まるで真っ暗な空にぽっかり穴が開いたかのように青白く輝いていた。
 だがその輝きも都会の明りを前にしては、ただの数ある街頭の一つに過ぎないかのように、寂しくたたずんでいるようだった。

 彼はあるビルの屋上でラグを止めた。夏が近づいていることを暗示するような湿気をはらんだ風が頬をなでる。
 そこに遠くから、暴走族の群れが押し寄せてくる音が聞こえてきた。マフラーをはずしたことによって出るまるで何かの叫び声のような破裂音。音とスピードが見合っていないのに何が楽しいのかと彼はいつか思ったことがあった。
 彼はその音のする方向を向き、口元にわずかに笑みをみせると、再びラグの上に乗った。
 そしてラグは主人が考えていることを既に知っているかのように、空に向かって雄たけびを上げ、再び今度は道路に向かってジャンプした。
 無機質に舗装されたアスファルトがせまる。道路は片方三車線の広い主要道で、中央分離帯にとってつけたように生垣と並木が植えてある。
 ラグは背に載せている主人への衝撃が出来るだけ和らぐようにうまく着地した。その瞬間、「わあ!」という叫び声とともに、例の暴走族のフロントを走っていたバイクがラグに驚いたらしく、ハンドル操作を誤って金属を引きずる耳につく音をたてながら豪快に転倒した。
 そして続くバイクの一群が次々と彼とラグを前にしてバイクを止める。

「なんだぁ!? ウインディ?!」

 最初、暴走族の一群は目の前のウインディであるラグの存在に驚いていた。犬にしてはあまりに大きすぎる図体に、時折見える鋭い牙。またウインディ自体非常に珍しい種類である。驚くのも無理もない。
 そうして、族の中でも小心者の一行はその場で一目散にバイクがあるにもかかわらず、わざわざ降りて逃げ出すのであった。
 そして度胸のある群れが残る。

「こんにゃろ、っざけやがってぇ!」

 ヘルメットを被ったある一人がそう叫んで、バイクを急発進させる。そのバイクはかなり大きなもので、相当改造も施されている。重量があるだけに突進するつもりなのだろう。
 彼はラグに何事かを話しかけた。
 そしてバイクがラグのわき腹あたりに突進しようとした瞬間、獣は一瞬にしてその場から消え、またも大きくジャンプしたのだ。
 バイクの乗り手はその状況がつかめず、思わず天を仰いだ。それが間違いだったと悟ったときには時すでに遅し。
 頭全体に重い衝撃が加わったと思うと、ヘルメットの前面部分が砕け、「彼」の足が目の上にのしかかってきた。乗り手はそのまま後ろに倒れこむ。
 そしてバイクの男が地面に叩きつけられ、転がると同時に「彼」もラグも着地し、彼は再びラグの背に乗りこんだ。

「さて、仕上げをしようか」

 彼はそう言い、残っている暴走族の連中と持ち主の去ったバイクの方に向き直った。
 そしてよく響く音で指をパチンと鳴らす。
 その瞬間、獣は口からまるで警告するかのように炎を見え隠れさせた後に、勢いよくバイクに向かって炎を浴びせた。
 そして彼はそのあとどうなったかを確認もせずにまたラグに指示をし、その場から消えた。
 いくつかのビルを越えた後、後方より何かが爆発する音を耳にしたが、振り返ることは無かった。

-2- 

「ナンバー43の状況はどうだ?」

 不気味なほど白くきれいに掃除され、塵一つ落ちていない廊下を何人かの助手の研究員を連れてアルファーノ氏はそう訊いた。

「体形成の方は安定していますが、いまだ目覚めてはいません」

 助手の一人が持っているバインダーにとめてある書類に目を通しながら返す。

「カプセル32-Aの投与。それと二号パイプにパターンEの電気信号を送るんだ」
「了解しました」

 そのほかにもアルファーノ氏は部下に次々と的確な指示を与え、そのたびに助手は感嘆の声をあげながら、すぐさま各々の場所へと向かっていった。

「ほんとに今更だけど、所長ってかっこいいわぁ」

 目の前を通り過ぎて行ったアルファーノ氏の後姿をうっとりと眺めながら、女性研究員の二人のうち、一人がもう一方に言葉を投げかける。

「あんなに美形なのにもう今年で三十七なんて信じられないわよ」

 もう一方の女性研究員が同意を込めて返した。

「ほんとねえ。あれで十五になるお子さんがいるんだからねえ」
「あんた、それどこで調べたのよ! ……でもほんとあの人の奥さんになれる人なんて羨ましいわ」

 そのように女性の何気ない会話のなかで、憧れの存在と謳われるにふさわしく、アルファーノ氏は実年齢からは考えられないほどの美形であった。
 カラスの羽のような黒髪に、顔立ちは堀が深く、目尻は少々垂れているが、それを補うキリリと己の自身を表しているかのような眉。体型も痩せ型で身長は百八十をゆうに越えていた。これだけでも羨む者がたくさんいるであろうにもかかわらず、天は人にニ物を与えずという言葉をまるで無視して、天才的な頭脳を持ち合わせていた。謂わば男性版才色兼備というわけだ。

「でもね聞いた話では奥さんは二年前に交通事故で亡くなったらしいって」
「ええ? 本当に」

 このあとこの二人の女性研究員は他の上司から会話の世界から無理矢理連れ戻されることとなった。

 アルファーノ氏は助手からの最後の報告とそれに対する指示を与えると、「B-LABO」と書かれている扉をくぐろうとした。

「所長!」

 まだどこか幼さが残るような顔立ちの若い女性が狼狽したような様子で走ってきた。この建物の中にいる者はほとんどが白衣を着ているが、この女性は女性向けのスーツを着用していた。

「なにごとだね?」

 そして女性は、持っていたファイルを氏の耳元に当てて、周りに聞こえないような声でささやいた。

「ご家庭のほうから連絡です。お子様が家出された……と」







 どこからか消防車のサイレンの音が聞こえてくる。おそらく先ほど燃やしたバイクの炎を消すために通報されたのだろう。同時に救急車のサイレンも響いてきた。少しやりすぎたかなと彼は少しだけ後悔した。
 彼は人気(ひとけ)のない廃ビルを選んでそこの屋上で小休止していた。落下防止の柵に背を持たせかけて座り、ラグもまた下から見えないように屋上の真ん中を選んで座り込んでいた。
 ずっと遠くにクラナポリス中心部の超高層ビル群が聳え立っている。平均高度百五十メートルのビル群。それはさながら地上を絶大な圧力を以って支配している巨人のようだった。そして街中に張り巡らされた高速道路は大蛇のようである。
 彼はふと空を見上げた。街の明りのせいで星はほとんど見えない。というより彼は生まれてこの方満天の星空というのを一度も見たことが無かった。星の明りはこの街ではほとんど街明りにかき消されて、どうかすれば生涯一度も満天の星空を見ることなく朽ちていく者さえいる。
 湿った風が吹き抜けていく。
 彼は深呼吸すると勢いよく立ち上がった。それに呼応してラグも寝かせていた顔を上げて、大きく伸びをする。
 そして彼は再びラグの上に乗ると、このウインディに行き先を告げた。

「中心部に行こう」

 再びラグは両足に力を込め、道路を挟んで向かい側のビルに向かって大きくジャンプした。夏の近づく湿気た空気が通り抜けていく。今は晴れてはいるが近いうちに雨が降るかもしれないと彼は思った。
 三分ほど移動したところで彼はある場所でラグをとめた。例によって見られないように屋上に着地する。

「税制の改悪を撤回せよ!」
「われわれの生活はもう限界だ!」

 そのような叫び声が始終飛び交っている。
 貧困労働者のデモ隊が主要道の車線全てを使って大掛かりなデモを起こしているのだ。
 その列はかなり長く、目視だけでもこのデモ隊の参加者がかなりの人数、小さな町や村の人口に値するほどの人々がこのデモに参列していた。ある一団は「シェルツ大統領の横暴を許すな!」「大統領は即刻退任せよ!」と大きく書かれた横断幕を広げながら闊歩している。
 そしてデモ隊の脇にはいつこのデモが暴動に発展してもすぐに食い止めることが出来るように、警察の機動隊の装甲車両などが何台も連なって始終くっついて回っていた。そして歩道と車線の間には重装備をした機動隊の列が固唾を呑んでデモの様子を伺っていた。
 そして主要道同士が交わる大きな交差点にある大型の液晶のついているビルは、おりしもニュースでこのデモの有様を報道しているところだった。

「学生と市民団体によって構成されたデモ隊は、現在着々と国会のある連邦ビルへ向かっており、警官隊と今まさに一触即発の状態となっています」

 テレビに大きく写った女性アナウンサーがまるで他人事のように、現状を語っていた。

「見ろよラグ。ここからの眺めは壮観だな」

 彼は柵に身を乗り出してデモ隊の様子を眺めた。
 そのときだった。ガシャンという機械の音とともに、二人にいきなり太陽が現れたのかとおもうようなまぶしい光が当てられた。彼は思わず軽くうなって左腕で両目を覆い、何事かと徐々に光源の方に目をやった。

「貴様! そこで何をしている!」

 それは警官隊のスポットライトだった。警官隊は道路だけでなく、いくつかのビルの屋上にも設置されていたのだ。おそらくこのデモに乗じて不審なことをする輩がいないかの警備を担当していた者だろう。
 彼はまさしくこの「不審なことをする輩」と認識されたらしい。

「うかつだった。ラグ、ちょっくら驚かそうじゃないか」

 すぐに彼はラグに飛び乗った。ラグは一声おおきく咆哮すると、ビルから飛び降りちょうどデモ隊と警官隊の間の人のいない場所に降り立った。

「うわあ化け物!」
「違う、あれはウインディって奴だ確か」

 全く予期しない出来事に驚いたデモ隊から声が上がった。
 彼はにやりと笑みを浮かべた。
 ラグは次の瞬間、目にも留まらぬスピードで道路を走り出した。そして交差点に差し掛かる。驚いたデモ隊のある一群が将棋倒しになる。
 交差点で二人はさらにデモ隊の先頭へと向かう。正面に中心街の超高層ビル群の中でもひときわ大きく、まるで権威の象徴のごとく聳え立つビルがある。
 連邦ビル。そしてその連邦ビルの正面から数十メートルかのところにデモ隊の先頭群が見えた。
 ラグはまるで三段跳びの如く、跳躍を繰り返しながらさらに進む。
 鉄の塊がひしゃげる音とともに、警官隊の装甲車両を一台潰してしまった。
 人々の叫び声が聞こえる。
 そして彼は先頭集団に到達する直前になってラグに脇のビルを伝って離れるように指示した。
 ラグは勢いに乗って大きく飛び上がり再び屋上伝いに連邦ビルから遠ざかった。
 そしてデモ隊はパニックに陥り、あれよあれよという間に暴動へと発展した。

「一体何が起こったんでしょう!? 今までこう着状態だったデモ隊が一変して暴動へと発展しています」

 そしてテレビカメラは、デモ隊が走り回ったり、火炎瓶を使用しての攻撃行動、警官隊の放水や催涙ガスの使用などの様子を克明に写しあげた。

 彼は笑いながら騒動の中心から離れていった。
 と、そのときラグが突如叫び声を挙げて、両足をもがいて着地点の軌道を必死にずらそうとした。

「どうした!?」

 彼は前を見ると、ラグが今まさに着地しようとしているビルの屋上に誰か人間がいるのだ。ラグはそれに気づかずにジャンプをし、着地間際になってそれに気づいて驚いているのだった。

「わあ!」

 ラグとその人間は接触はしなかったが、かわりに獣は着地に失敗してそこで転倒した。上に乗っていた彼は投げ出され、落下防止の柵に強く叩きつけられることとなった。

「痛って~。柵がなかったらまっさかさまだったな」

 彼は立ち上がり打った背中をさすりながら、柵から下を見下ろして、その高さに内心ぞっとした。
 ラグは起き上がって首を振って意識を戻すしぐさをする。
 そして彼は向き直って、ラグが転倒する原因となった人影に目をやった。
 その人影はあまりに突然の出来事に動くことも出来ずに、その場でたたずんでいた。

「おい! お前!」

 彼はそう叫んだ。その声にやっとわれに返ったのか人影は驚いたように方をビクリと上下させて声の主の方へと向き直った。
 人影の正体は一人の少年であった。背は彼よりも低く、歳もニ、三ほど下と見受けられた。柔らかで整った顔立ちで、夜の街のそれもビルの屋上なんかにいるその少年は、この場にはあまりに場違いのように思われた。
 少年は肩にブラウンの小さなバッグをかけており、なによりも目に付くのは両腕を使って持っている不思議な赤い布の包みだった。

「こんなところで何を……!? っとまあ俺もとてもじゃないが人の事いえないがな」

 彼は自嘲まじりにそう言った。

「夜のこの街うろついたってろくな事ねえぞ。さっさと帰れ」

 彼はまるで蝿を追い払うようなしぐさで、少年を追い立てた。しかし少年は何かを言おうと口をパクパクさせている。
 それに気づいた彼は何事かと聞き取ろうとした。

「え? なんだって、聞こえねえよ」
「……あの、怪我は?」

 驚いたことに少年は彼が柵に叩きつけられたことによって怪我をしていないかの心配をしていたのだ。
 彼はそのことが妙におかしくなって、その場でカラカラと笑い飛ばした。

「なあに、このくらいすぐ治るさ」

 そのことに安心したのか少年は、逃げるように走り出し、ビルの中へと通じる扉の向こうに消えた。

「変な奴だなあ。……ん? なんか落としていったな」

 彼はさきほどまで少年が立っていた場所になにか厚い紙が落ちているのに気づいた。
 拾い上げるとそれは写真だった。三人の人物が並んで写っており、中央には明らかにさきほどの少年のもっと幼かった頃と見受けられる人物が笑ってたっており、両脇には両親と見られる男女がそれぞれ少年の肩を支えて写っていた。
 さきほどの少年はどうやら母親似らくしく、父親の方も整った顔立ちをしていたが、少年のそれとは全く違うタイプであった。

「おーい! といっても聞こえないか。ラグ、下まで行って降りてくるのを待とう」

-3- 

 少年は人目を避けてビルの裏口から出てしまったことを酷く後悔していた。
 裏口の扉を開いた瞬間、ゴンと何か硬いものにぶつかる音がして戸の動きが妨げられた。ブロックか何かにぶつかったのかと思ったが、その直後その認識が間違いであるとともに、酷い地雷を踏んでしまったのだと思い知らされることとなった。
 そこにはいかにも絵に描いたような不良が三人ほどたむろしており、そのうち一人にいたってはビニール袋をもって、その中から何かを吸引しているようだった。
 更に悪いことに少年がそれに気づいたのは扉から出て、閉めたあとだった。
 そんなわけで、少年は三人の悪漢から絡まれている。

「おう、かわいいぼっちゃんがこんな時間に何をしてるのかなァ?」

 ジーンズに黒のタンクトップで暗くてよく分からないが、何かの刺青を二の腕に彫ってある男が猫なで声で話しかける。

「おい、やめとけって。怖がってるじゃねえか」

 もう一人がケタケタと笑いながら言ったが、話し振りからは止めようとしている要素など何一つ感じられない。
 少年は逃げようと足を動かそうとしたが、すでに全身が震えて思うように動かせない。さらに少年の目にまた別のものが目に飛び込んできた。一台のバイク。不自然な改造が施されていることからこの悪漢たちの誰かのものであることは間違いがなかった。例え逃げたとしてもバイクで追われたらすぐに追いつかれてしまうのは目に見えている。

「なんだぁ、この布は」

 三人目の男が少年が先ほどから抱いていた赤い包みに手をかけた。

「……やめて!」

 思わずそう叫ぶも、男は強引に少年から包みを引き剥がした。
 男たち三人が感嘆の声をあげたり、「なんだこりゃ?」と首をかしげたりする。
 赤い包みが引き剥がされて出てきたものは、一匹のある生き物だった。
 手足らしきものはなく、蛇のような体型だが、蛇にしては明らかに太すぎる体。全体的に水面のような明るい蒼に染まり、首から腹にかけて白い部分が見える。頭の両脇には楓の葉のような形の角らしきものがある。
 その生き物は突然自分を覆っていたものが無くなり、また今おかれている状況に恐怖するように震えて、少年の腕の中に顔をうずめた。

「気味わりいな。オイ」
「でも、珍しいよな。マニアとかに持っていったら高く売れんじゃねえの?」

 男の一人がその生き物に手を触れようとした。そのときだった。
 空気を切り裂くような破裂音と破壊音とともに、触ろうとした男のこめかみにガラスの瓶が直撃し、粉々になった。飛び散る破片に少年は目を覆う。ガラス瓶の直撃を受けた男は、驚愕を仮面にして貼り付けたかのような表情のままかたまり、そのまま横に崩れかかって力なくぐったりと倒れた。少年はもちろんのこと男たちも何が起きたのか一瞬分かりかねて、ギリギリまで張り詰めた細糸のような沈黙がその場を覆った。

「ったく、なんで正面から出てくれないかな? おかげでまた面倒なことさせやがって」

 その声が沈黙を破る。
 そこには、先ほど少年がビルの屋上で遭遇したウインディ使いの黒ずくめだった。
 ほどなくして、残り二人の悪漢が興奮の声をあげてすぐさま対象を少年から彼に変えてあれこれ叫び始めた。そしてほどなく男の一人がおそらく日常的に持ち歩いているのだろう、刃渡り十センチ強ほどのナイフを取り出し、黒ずくめに襲い掛かった。
 男がナイフをふりかざし、切りかかろうとするところに黒ずくめはそれを避け、同時にそれによって出来た隙を彼は見逃さず、空を泳ぐ男の腕に彼は掴みかかった。
 ゴキンと鈍い音が少年の耳にもはっきり聞こえた。直後に響いてくる男の怪我を負った犬のごとき叫び声。そして男はすぐに倒れこんで、右腕をおさえて悶絶する姿を見せた。

「野郎!」

 もう一人の男が、そばに止めてあったバイクに乗り込み、エンジンをかけると温まるのも待たずに黒ずくめへと突進していった。その間黒ずくめの彼は男がエンジンをかけるまで結構な時間が空いていたにもかかわらず、あえて全く手を出さないでいた。
 彼の前にバイクが迫る。しかし彼は全く避けるそぶりも見せない。
 刹那、彼はいきなりジャンプしたかと思ったら、目の前に迫っているバイクの前輪の泥除けに左足をかけ、それでさらに二段目のジャンプしたと思ったら、男の顔面に彼は右足のかかとを思いっきりぶつけた。そのままバイクの男は顔に受けた衝撃で意識が遠のき、バランスを崩して路地のダッシュボックスにバイクごと衝突すると、見事ゴミの中に倒れこみそのまま気を失った。

「まったく。お前とんだ常識知らずだな。こんな治安が悪い中を夜に一人だったり、あげくに路地の方に入ったりとな。狭いからラグも入らねえから面倒だったよ」

 悪漢三人が倒れている場所を離れて表通りに少年を連れてきた彼は、まず最初にそう言った。表通りと入っても、このあたりは夜になるとすっかり人影は姿を消すので、実際には二人のほかはほとんど誰もいなかったが、路地にいるよりはマシではあった。
 少年が抱いていたあの不思議な生き物には再び男たちから剥がされた赤い布を被せている。少年は何も言わずに目線を落としていた。

「ああ、それとこれさっき屋上に落としていったやつだ」

 そういうと、彼はさきほど少年が屋上で落としていったあの家族で写ったと思われる写真を渡した。

「え? ……これ」

 物が物だけにやはり少年は落としていたことに気づいてなかったらしく、渡された写真を前にして最初目を丸くした。

「これ落としてなかったら今頃奴らになにされてたかな」

 彼はいじわるそう響きを含めた声で笑う。

「まあお前が何でミニリュウなんて持ってんのか興味はあるが、聞かないことにするよ。お互いさまだしな。気をつけて帰れよ」

 そして彼は背を向けようとした。

「待って!」

 少年のまだ声変わりが完全に終わってない幼さと大人びたものが混ざったような声が響いた。
 彼はぴたりと動作を止め、再び少年へと視線を向ける。

「今夜だけでいいから、どこか泊めてくれないかな?」

 少年は言いにくいことを吐き出すように一気に言葉にした。彼は一瞬少年が何を言っているのか理解できなかったようで、数秒の間が流れた。
 そして再び思考が戻ると彼はすぐに合点がいった。つまりこの少年は家出をしていて、少なくとも今夜は家には帰れないから、どこか泊まり場所を探しているのだろう。
 どこにも泊まる宛てが無いにもかかわらずこの少年は家出をしたということに彼はあきれ果てる。

「やめとけよ。お前にはきちんとした親がいるんだろう? 何があったか知らねえが……」

 と、そこまで言いかけたところで彼の言葉は少年の声に横槍を入れられた。

「お願い。今夜だけでいいんだ。明日になったら帰る。約束するよ!」

 少年は彼の両目を見据えて哀願した。
 一体少年と親との間になにがあるのか彼には分かりかねたが、少なくともただの親への反抗心で家出をしたわけではないのだと悟った。
 彼はため息をついてしばらく空を仰いであれこれ考えた後、また少年の方へと目を向ける。

「ったく。つくづく面倒な奴だな。言っておくが、ラグに乗るから振り落とされんなよ」

 そうして彼は再びあの赤と白のボールを取り出した。

「あ、……ありがとう」

 思わず顔を伏せながら少年はそう述べた。

「お前、名前は?」
「リアン=アルファーノ」

 少年は反射的に答える。

「そうか、俺はクレフってんだ」

-4- 


 女は本皮仕様のリクライニングチェアに深く座り、備え付けられている簡易テーブルの上のコーヒーカップを手に取り、一口それを口の中へと注ぎ込んだ。
 耳につけているイヤーフォンから甘美で底なしの美しさを湛えたピアノの音色が流れてくる。彼女は瞑想するように目をつむり、そのメロディーに酔いしれていた。
 ピアノは超絶技巧的なパッセージを謳いながらも、どこか素朴な情感を見え隠れさせ、低音の響きも重なり合い次第に高揚を見せてくる。
 そしてその高揚感が頂点に達したとき、曲はにわかにまるで山を下るかのように不完全終始の形を築き、張り詰めるようなゲネラルパウゼ(音楽において曲の途中における完全に無音の部分。楽譜にはG.Pと記載される)が余韻を残しながらも強大な緊張感を漂わせる。
 そのときまるで天啓を受けたかのような伴奏の無い一つのメロディーが始まる。メロディーは静かに歌い始めると、同じメロディーが最初のものより五度上から始まり、次第に重なっていく。

「ロワ様」

 女はその低い男の声で現実に連れ戻されたかのように、ぎろりと瞼を開ける。
 リクライニングチェアをいっぱいに倒していたので、最初に視界に入ってきたのは白い天井とそこに備え付けられている電球の淡い橙色の光だった。すぐに彼女は椅子の横に初老の髪もひげも大分白くなっている男性がいることに気づいた。
 女は何もいわず、男の目に視線を注いだ。「なんの用?」。彼女は目でそう言う。

「ただいま連絡が入りまして、『種』がなくなったと」
「いい加減くだらない暗号で呼ぶのはやめにしない? どうせここでは聞かれちゃいけない人間なんていないんだから」

 女は尊大ぶった圧力をかけるような声で返す。

「で、あなたたちは彼が家出していたこのチャンスをみすみす逃したと?」

 彼女の口調は決して激しくないものではあるが、その声の裏に男のことを強く追及する高圧的な念が感じられた。
 一歩引き下がり、謝罪の言葉を述べると深々と頭を下げた。まだ少しだけ黒いものが残る髪の毛は少しも垂れるそぶりを見せない。

「それが、途中三人組の悪漢どもに襲われていたのを目撃したのですが、こちら側が介入する直前に妙な少年が乱入しまして」
「それで?」
「少年は悪党どもを蹴散らした後、どうやって入手したのかウインディを持っていて、それに彼を乗せてどこかへと去ったのです。追跡は試みましたが、いかんせんあちらはビルからビルへと越える移動方法ですぐに見失ったとのことです」

 男が報告を終えた後、しばらくの間ロワと呼ばれた女は黙っていた。イヤーフォンから流れてくる音楽のほうに集中しているのか、椅子を倒したまま再び目を瞑っていた。男の方は女が何を思っているのか察しかねていたが、そのまま彼女の方から何か動きがあるまでじっとその場からまるで石像になったかのように動かなかった。
 やがてロワはイヤーフォンから流れる音楽が終わったのか、まるで目を覚ましたかのように瞼をカッと開く。そしてすぐに今まで倒していた椅子を起こし、イヤーフォンをはずした。デスクの上で今までひたすらパイプのようなものが伸びていくスクリーンセーバーを描いていた一台のノートパソコンに触れた。するとロワは手馴れた動きでパソコンを操作し何かのデータを引き出した。

「ウインディ。十年くらい前にガーディからの進化開発で生み出された種ね。でも実質的に開発が完了したのが七年前……ね」
「それまでは進化させても体形成が安定せずに奇形ばかり生まれてたと聞きます」

 ロワは男の言葉などまるで聞こえていなかったかのように更にパソコンを操作する。カタカタというキーボードを打つ無機質な動作音が響く。

「なるほどね。ティエル、これを御覧なさい」

 ティエルと呼ばれたその初老の男は、しゃがみこんでロワほどにまで目の高さを落とし、パソコンの画面を覗き込んだ。
 そこにはある新聞社のニュースが書き込まれている。
 内容はウインディに乗った男がここ数ヶ月に渡って、暴走族、ギャングなど、悪党のグループを狙って破壊行為を行っているという記事内容だった。被害を受けた者たちは重傷を負ったものも少なくないが、まだ死人は一人として出てはいないようだった。また、巷では「天罰」と称して逆にそのウインディの男を応援する声も存在するとのこと。

「最近、デモや暴動ばかりが大きく記事になってたおかげで、あんまり目立たなかったようだけど、きっとこの犯人ね」
「なるほど。しかしこれだけでもまだ分かりませんね」
「でも、大丈夫なんじゃない?」

 ロワはノートパソコンを閉じ、再びコーヒーカップを口に運びながらそう言った。目玉だけがティエルの方へと注がれる。

「と、言いますと?」
「この犯人の標的は暴走族やギャングなど、反社会的な人間に向けられているわ。あの子がこの犯人に何かされるとは考えにくいわね。事実、むしろこの犯人はあの子を助けてるんだから。きっと何を思ったのかリアンくんの方から頼み込んだんでしょう」

 ロワはついに「リアン」という、標的の名をはっきりと口に出した。それに対してティエルの方はなにやら訝しげな表情をしたが、ロワはそんな彼を全く無視していた。
 彼女は一息ついて、再びリクライニングチェアを少しだけ倒す。「テレビを」と言うと、ティエルは何も言わず、部屋の隅にある大画面のテレビに電源を入れる。
 最初に写った画面は、何か新型の自動車のCMだった。安全かつハイスペックなエンジン性能を謳い、車はわざとらしく思う存分スピードが出せるような道を走っている光景が繰り広げられた。今時分このように存分に何の気兼ねも無くスピードを出せるような道など、数えるほどにもありはしないというのに。
 一度チャンネルを回すと報道番組が連邦ビル前の暴動の様子の状況を刻々と映し出していた。複数の機動隊に囲まれる学生や市民団体の姿が写る。さらに警察が催涙ガス弾を発射し、さらにデモ隊に向けて放水をしている。次々と人々を連行していく警官たちや、テレビカメラに向かって護送車に連れ込まれるギリギリまで自分たちの権利を訴える者たち。

「いつからこの街はこんな体たらくになったんでしょうね」

 ロワはデモ隊の様子のVTRからスタジオへとカメラが戻ったテレビを細めた目で眺めながらポツリと呟いた。

「せっかく先の大戦から復興したっていうのに、権力者にしろ一般市民にしろ自分たちの義務には目をそむけて権利権利って」
「そのためにも、彼の力が必要なんですよ」

 ティエルはなだめるようにロワにささやきながらテレビの電源をオフにした。ロワも既にテレビ画面には興味を失っていたらしく、切られたところで瞼をピクリともさせなかった。

「まあこちらとしても、ああして一般市民がデモとか起こしてくれるから行動がしやすいんだけどね。全くとんだ皮肉ね」

 彼女はさらにリクライニングチェアを倒し、ほとんど横になっている体勢にまでなった。そして下から見上げた形に立っているティエルの姿が目に映る。彼はロワとは目を合わせず、そのかわり穏やかな表情でその場で彼女の指示が来るのを待っていた。

「そうね。念のため警察のデータバンクに侵入してクラナポリスで過去五年のうちに起きた少年犯罪のデータを調べておいて」

 命令を下すときの彼女の声は凛としていて張りが感じられた。ティエルも「ハッ!」と了解の返事を返すと、入ってきたときのようにまた彼女に向かって一礼をし、マントをつけていたら必ず翻る姿を拝めたであろうほどの勢いで背を向けると、ツカツカと部屋を出て行った。
 一人になった部屋で、ロワは再びイヤーフォンを耳につけて音楽を聴き始めた。

-5- 


 クレフとリアンの二人を載せたウインディのラグはしばらく建物の上を越えながら進んだのち、やがて街の中心から少し離れた廃ビルの目立つ通りへと行き着いた。
 比較的になかなか広い道路が中心を走っているにもかかわらず、行きかう車はほとんどなく、アスファルトにはゴミが数多く落ちていており、そもそも普段から車が通ること自体が珍しいと見受けられた。
 夜道を照らす役割を担っているはずの街頭も、そのほとんどが電球が切れてしまっていたり、割られてしまっている。いくつかかろうじて残っているものがあるものの、それらもまた大半が鈍いスパーク音をたてながら点いたり消えたりを繰り返していた。
 人の気配がない。それは決して夜だからと言うにはあまりに人の痕跡が残されてなかった。かつての繁華街というべきだろうか。だが、このあたりの建物はほとんど人々から放棄されており、ある建物にいたっては崩れかけのまま放置されていた。
 まずクレフからラグから降りて、その次にミニリュウを抱いているリアンが恐る恐る、一気に落ちることのないようにそっと降り立つ。

「着いたよ。ラグ、ご苦労さん」

 クレフはラグのふさふさの毛に覆われた大きな顔をなでると、再びあの赤と白のツートンカラーに塗られたボールを取り出した。彼はそれをラグにかざす。ボールから白い光が飛び出し、それがラグに当たるとラグもまたその白い光と同じ色に発光し始めたかと思うと、吸い込まれるようにボールへと消えた。
 リアンはその様子を目を丸くして見守っていた。その様子に気がついたクレフが話しかける。

「なんだ? お前、これのこと知ってるのか?」

 クレフがつい今しがた、ラグが吸い込まれていったボールをかざす。リアンは少し考えたのちに呟くように言った。

「いや、ただ珍しかったから」
「まあそうだよな。お前も持ってたらそのミニリュウを連れやすく出来るのにな」
「アーク」
「へ?」

 唐突にリアンの口から出されたその言葉にクレフは思わず聞き返した。
 相手の方はというと、抱いているミニリュウの頭を優しくなでている。

「この子の名前だよ」

 ミニリュウは包まれている赤い布から顔だけ出して、物問いたげに二人の顔を交互に見回す。アークと呼ばれたそのミニリュウは最初、見慣れぬクレフに対して驚き少々怯えるようなそぶりを見せたがをしたが、目の前にいる己の主であるリアンがなだめるように微笑んだため次第に緊張をといていった。

「へえ。いい名だな」

 それからクレフは薄暗い通にある、ほとんど見捨てられた建物のうち、ほとんど唯一といって良いあかりの灯っている建物へと近づいた。これもまた随分と古ぼけた体裁のあるビルで壁は元々白かったのだろうが、汚らしく黒ずんでいるということが夜でもわかってしまう。
 「Bar LUNE」と白いアクリル製の白い電球カバーに文字を印刷しただけの看板が、無機質に鈍く光っている。クレフはその店と思われる建物へと歩いた。

「汚いところだが、勘弁しろよ」
「うん。元々僕が無理言ってるんだから」
「分かってるならいいよ」

 そしてクレフはLUNEという店の扉を開いた。よくみたら扉が斜めに歪んでいる。ちょっと乱暴に開いたらそのまま外れてしまうのではないかとリアンは少し顔をゆがめた。中は薄暗いオレンジ色の電灯が並んでおり、埃っぽい空気が漂っている。二人がけや四人がけのテーブルが並んでいるその奥に、カウンターがあった。そしてそのカウンターの中で一人のかっぷくの良い中年女性が洗った皿を拭いているところだった。少し茶色がかった長い髪をカールに加工させて、濃い化粧をのせた顔がこちらを向く。

「あらクレフおかえりなさい」

 いかにもヘビースモーカーと思われるような低いハスキーな、しかし快活な声で女性は言った。

「おばさん。悪いけど、空き部屋一つ貸してくんない?」
「いいけど、どうしてかしら?」

 それからクレフは無言で女性の方を向いたまま、親指で後ろをついてきたリアンを指した。

「あら、かわいいぼうやじゃない。どうしたの?」
「んまあちょっとした事故で会ってね」

 そしてクレフはリアンと出会った経緯を説明した。彼が家出をし、今夜だけは家には帰りたくないと言うにもかかわらず、今夜泊まるあてがないと言って放っておくわけにもいかずに仕方なく連れてきたのだと。
 女性は「ふーん」と鼻を鳴らして、リアンの姿をつま先から頭のてっぺんの髪の毛まで舐めるように見回す。リアンは少し気恥ずかしそうに一歩身を引いた。それから女性はリアンが抱いているミニリュウに目をやった。

「おや。この子も持ってるのね。でもクレフのとは全然違うわね」
「大丈夫だよ。危険はないさ」

 女性は彼の抱いているミニリュウのことがどうにも気になるらしかったが、やがてため息をつきながら、「まあクレフが言うんだから大丈夫でしょうね」と呟いた。

「ごめんなさいね。クレフの持ってるラグちゃんに何度か店を燃やされかけたことがあったから、つい気になっちゃってね」

 それから女性は天井のある一転を指した。天井には白い壁紙が貼られていたが、女性が指したその一転だけ黒ずんで焦げた跡がある。そして女性は豪快な笑い声をあたりに響かせた。どうやらこの女性はリアンが持ってるミニリュウを不思議な生き物として怪しんでいるのではなく、ただ店を燃やされやしないだろうかと不安に感じているだけだったらしい。つられてクレフも笑う。リアンはこの状況でどうすればいいのか分からず所在無げにあたりを見回したが、やがて彼も思わず笑みをこぼした。

「ああ、そうだった。空き部屋ね。三階の一番奥の部屋を使って」

 彼女はカウンターの下に屈んで少しばかりごそごそとなにかを探るような音をたてた後、黒い猫のキーホルダーがついた鍵をいきなりリアンに投げた。突然のことで彼は慌てて飛んでくる鍵に向かって手をかざした。しばらく鍵が彼の手の上で暴れたあとなんとか掌の中に落ち着く。

「ありがとうございます」

 彼は女性に向かって頭を下げた。

「礼儀正しい子だね。名前は?」
「リアン=アルファーノです」
「そう。あたしはマルトっていうのさ」

 そして二人は店の奥にある階段を上った。上りきったところに細い回廊が続いており、壁にはいくつか扉があったがクレフはそのどれも無視して、突き当たりにある扉へと向かう。そして突き当たりの扉を開くと外に出るようになっていた。そして扉を出てすぐ見下ろしたところにはさきほど歩いていた道路が広がっていた。
 そこにはまた階段があり、どうやらこの階段が三階へと上るためのものらしい。カンカンという鉄の棒や板などを組み合わせた階段特有の乾いた響きが、一段一段上がるたびに鳴り渡る。ふとリアンはビルの向こうに広がる空に目を移した。積雲がポツポツとうかび、それが地上からの光で薄く照らされている。

「ここだ」

 到着した部屋はさきほどマルトが言っていた通り、三階の回廊を一番奥まで進んだところにあった。リアンはさきほど渡された黒猫のキーホルダーのついた鍵を鍵穴に差し込む。カチャリと鍵の外れる音が鳴り、少し埃の被っているドアノブを大儀そうに回した。
 
「まあしばらく誰も使ってなかったから埃だらけだががまんしてくれよな」

 クレフの言ったとおり、その部屋の扉を開けるとともに、明らかに淀んだ閉じ込められていた空気がリアンに触れた。

「何かあったら、俺は隣の部屋にいるからな。ま、あんまり迷惑かけないでくれよ」

 彼は冗談の混じった笑いを浮かべて、言ったとおり隣の扉を開き、そそくさと中へと入って行った。
 一人になったリアンはとりあえずこの暗がりをどうにかしようと、手探りで灯りの電源を探した。やがて壁に設置されているスイッチに手が触れ、パチっという音ともに玄関の蛍光灯が白い光を放つ。部屋はよくあるワンルームマンションという体裁を取っていた。小さな台所におそらくユニットバスがあるかと思われる扉、そして居間。
 クレフの言っていた通り、やはり長い間使われていなかったらしく、どこもかしこも埃っぽかった。部屋へと上がり、とりあえず居間に落ち着くと彼はずっと抱きっぱなしだったミニリュウのアークをフローリングの床に下ろしてあげた。アークはようやく安全な空間へと放たれ、蛇のような体を丸めて安堵するかのように眠り始めた。
 リアンはそんなアークを頭を優しく撫でながらフッとため息をつく。そして窓を通して外へ見やる。ずっと遠くにクラナポリスの中心街が見ることができた。巨人のような超高層ビル群、その中で他のビルより更に群を抜く大きさを誇る連邦ビル。

 彼はふと、マルトとクレフのことについて考えた。先ほどのやり取りからマルトはクレフの親というわけではないようだと彼は感じる。二人とも親子と呼ぶにはあまりに似てはいなかったし、何よりクレフは彼女のことを「おばさん」と呼んでいたからだ。
 クレフの方はというとどうやらこの隣の部屋で一人暮らしをしているとすぐに予想がついた。この部屋はどうみても家族で、少なくとも複数の人数で暮らすことを想定した造りにはなっていなかった。一体クレフとマルトはどういう関係で、そしてクレフの親はどうしているのだろうかと彼は気になったが、家でしてしかも泊めてもらっている身でそこまで探るのは失礼にもほどがあると考え、そのことをなるべく気にしないように努めることにした。

 そのとき彼に軽い頭痛が襲った。ピリピリとまるで電気が流れるような軽い痛み。今から一月ほど前から毎日のように起こるものだった。体調を崩してしまうほどのものでもなかったが、やはり気にならないわけにはいかないものである。彼は思わず痛む部分を手でさする。
 主のそんな状況を察したのか、眠っていたアークが目を覚まし、彼を慮るような目で見つめた。

「大丈夫だよアーク」

 その夜、彼は夢を見た。

 どこかの公園と思われる場所で、彼は泣いていた。
 初めて親に内緒で一人で遊びに行った。その行き先の公園で何人かの同じ年代の子どもからいじめられた。なぜいじめられたのかは記憶にない。都合がいいようにその部分はカットされる。
 ずっと昔の記憶。
 そしていじめっ子たちも去り、彼は一人で泣いていた。
 彼はふと目線をあげる。ずっと遠くから誰かが見ているような気がした。

 そこで夢は途切れ、リアンは目を覚ました。

第二章「兆し」 

-6- 

 ずっしりと重い雲が灰色の街の上に覆いかぶさり、雨を降らしていた。街へと降り注ぐ雨の一粒一粒は人々の計算によって決められた順路を整然とたどり、地面から水路へ、水路から川へと段階を経て流れて行く。それでもその街の仕組みから零れ落ちた雨粒は地面のあちこちで水溜りをつくり、ほとんど土のしみこむことなく、そこでただ蒸発するときを待つ。
 リアンは眠りから覚めると、静かな水の音のする窓の外へと目を向けた。色を失った街がぼんやりと浮かび上がる。ビルの一棟一棟がまるで倒れずに絶命した巨人のようにズシリと地面に腰を据えているようだった。

「雨か……」

 彼はポツリと呟く。昨夜の時点ではまだ晴れていたのにと彼は思い、湿度が高かったとはいえ改めて夏の天候の変わりやすさを実感する。
 それから彼は昨夜から今にかけて自分がやってしまっていることに思いをはせる。
 そして彼はまだ赤い布に包まって眠っているアークを見やり、一息ため息をついた後に自嘲気味に小さな笑いをこぼす。
 家出をするにはあまりに準備不足だった自分に対しての笑いである。家を出ようにも落ち着き先の宛てもなければ、所持金の方も高が知れていた。今から考えると昨夜のクレフへの懇願はあまりに身勝手で、また無茶苦茶なやりかたであったと、今更ながら小恥ずかしく思え、彼は苦笑を浮かべる。
 ふと彼は少し黒ずんだ染みがポツポツと見受けられる壁にかかっているものに目を向けた。それは日めくりカレンダーだった。そのカレンダーは今年の一月二十一日を指したまま、そのまま誰にもめくられることなく放置されているようだった。つまりその日まではこの部屋には誰かが居たという事になる。とはいえ、ここに住んでいたもののことなどリアンにとってはどうでもいいことである。彼は何となくそのカレンダーがまだ一月二十一日を指していることが気になり、ついに腰を上げるとカレンダーを掴んで、放置されていたほぼ半年分を数回にわたってごっそり破り取った。
 七月二十六日。
 彼はカレンダーがようやく止まっていた時を動かせるようになったことに満足して、わずかに微笑む。

「行こうか」

 まだ眠っているアークを起こさないように優しく抱き上げると、玄関へと向かった。部屋の扉を開けると、いよいよ雨音が鮮明なものとなって耳へと届けられる。雨雲にさえぎられながらも、地上へと降り注ぐ光によって照らされる街の輪郭は、雨粒によってノイズ懸っていた。
 彼は落下防止柵から灰色の地上を見下ろす。三階という高さなのでそこまで高いものではなかった。

――帰らなくちゃ

 口にこそ出さなくとも、彼は心の中でそう呟いた。だが、その一方で彼の心に『帰りたくない』と呟く自分も存在している。家のほうからの連絡が来るのを避けるために、携帯電話はわざと置いてきた。

「おう、起きたか」

 下へと続く階段から姿を現したクレフが声をかけた。そのときリアンは昨晩会った時と、今とで彼の印象が大分違っているような感覚を覚えた。それは最初に会ったときには既に夜であまり彼の顔などが良く見ることが出来なかったためであろう。彼のぼさぼさな髪の毛は夜のうちでは墨を垂らしたように黒く見えていたのが、明るくなるとわずかに茶色がかっていることが分かる。服装は昨晩は全身黒尽くめのつなぎだったのだが、今はジーンズに赤いTシャツ、そして黒い半袖のジャケットを羽織っていた。

「眠れたか?」

 そのクレフからの問いにリアンは小さく返事をして首を縦に振る。
 それから彼ら二人は下へと降り『Bar LUNE』へと入った。
 バーの中に入ると昨日はしなかった煙草の匂いが鼻をつく。マルトがカウンターの中で新聞を広げながら煙草をふかしているところだった。そして同じくカウンターの上に置かれているラジオが朝のニュースを流している。
 昨晩は薄暗く怪しげな雰囲気をかもし出していたバーも、今は窓から雨で曇っているとはいえ、日の光が入り幾分爽やかな感じをかもし出していた。
 
「あら、おはようさん」

 階段を下りて中へと入ってきたリアンにマルトが持ち前のハスキー声で挨拶した。彼のほうも思わず笑みをこぼしながら「おはようございます」と返す。

『昨夜の連邦ビル前で起こったデモについてのニュースです。市民団体側の発表によると参加者は全員で二千人にものぼり……』

 ラジオが部分部分にノイズを混ぜながら、報道内容を伝えていた。
 クレフがカウンターに座り、うるさいと思ったのかラジオの電源を消した。とたんに今まで次々と言葉を発していたラジオが黙り込む。

「昨晩は眠れたかい?」

 マルトが先ほどのクレフと同じことをきく。

「ええ、おかげさまで」
「そりゃあよかった。まあお座りな」
 
 リアンは素直に言葉に甘えて、クレフと一つ席を隔てた位置にあるイスに腰掛けた。

「さてと、俺はちょっと準備してくるよ」

 さきほどイスに座ったばかりだというのに、クレフはまた席を立って自分の部屋を目指して階段を上っていった。この場にいる人間はマルトとリアンだけになる。
 そのとき赤い布にくるまってリアンの腕の中で眠っていたミニリュウのアークがようやく目を覚ました。アークはひょっこりと顔を上げて辺りを見回す。どうやら今自分がどこにいるのかを探っているようだ。そして上を見上げて見慣れたリアンの顔を確認すると安心したように欠伸を一つした。マルトが「あらかわいい」とにこりと笑いながら、葉巻を一つ取り出して火をつける。
 ふと彼は店の中を改めて見回してみた。昨晩はあまりに突然な出来事の連続であったため、ここに来たときは緊張してほとんど店内を見回す余裕などなかったのだ。
 店内は少々(ほとんどマルトのものだと思われるが)煙草の匂いが染み付いてはいるが、よく掃除はされているようだった。今彼が座っている木製のカウンターにしても長く使っているせいでかなり色がはげてはいたが、汚れそのものはほとんど見受けられない。
 
「この店はいつごろからやってるんですか?」
「この店はアタシが来る前から主人がやってたからねえ。もう二十年以上続いているんじゃないかしら?」
「そんなに?」

 リアンは思わず目を丸くする。二十年という自分の年齢をはるかに超える年数に彼は思いをはせた。

「先の大戦が始まる前からやってるからねえ」
「先の大戦……」

 彼は幼い頃から頻繁にその言葉を耳にしていた。そしてその言葉の意味することによってあちこちが崩壊したクラナポリスの街を。学校の歴史の授業でも詳しいことを習ったし、教師あるいは経験者からは大戦中の経験談と「二度とこのようなことが起こらないようにしなければならない」という言葉を耳に胼胝が出来るほど聞かされた。だが、それでも彼はたとえ終戦した直後に自分が生まれたというのに、この戦争についてほとんど何の現実感も持つことが出来なかった。体験談などはまるでフィクションのストーリーを聞いているような感覚であった。
 
「マルトさんは、やっぱり経験者なんですね」

 その言葉には目的語が抜け落ちていたが、それだけで彼女には十分に何のことか理解できた。だが、言った後で彼は後悔する。いくら気さくに話しかけているとはいえ、会って二度目でこんな話を振るのはいくらなんでも失礼ではないかと思ったのだ。
 マルトの方は何も言わずにいつのまにか淹れたのかコーヒーをいっぱい彼の前に差し出した。それから少し考えるようなそぶりを見せて彼女はようやく口を開いた。

「酷い戦争だったね。本土決戦までは至らなかったけど、このクラナポリスも何度も空爆に襲われてね。今から考えればこの店がなくならずに残ったのが不思議なくらいさ。戦争が起こった理由も何がなんだか分からないままうやむやになった」

 マルトが指に挟んでいた火の点いた葉巻を今一度口へと運び、たっぷり吸い込んでから大きくふかした。薄い灰色の煙がその独特の匂いを残しながら消えていく。

「この子、確かミニリュウって呼ばれているわね」

 彼女はリアンの腕に抱かれているアークを指差す。

「はい」
「この子やクレフのラグちゃんたち――正式な呼び名は知らないんだけど、世間では“モンスター”って呼ばれてるわね――この子たちのことはどれくらい知ってるかしら?」
「はい」

 二度目のその声には幾分か憂いの色が浮かんでいた。

「知ってます。三十年くらい前に人間が生み出した人工生命体」
「そうね、この子たちが生み出されてから色々な人が助かったわ。そしてあの戦争でもね」

 マルトは最後の言葉を言うときに目を険しく細める。マルトがどのような意味でその言葉を口にしたのかは、すぐに彼は理解した。もちろん戦争中でも生活の助けあるいは人々の心の支えにもなりえたという意味もあるだろう。しかしもう一つの意味は……

「まあ大戦のあともいろいろあって、夫も死んでアタシはこの店を続けてるけどね。あ、ちなみに夫が死んだのは五年前だから大戦で戦死したんじゃないわよ」

 マルトは手を伸ばして、リアンの腕でくるまっているアークの頭を幾分か皺のよっているガサガサな手で撫でた。最初アークはいきなり今まで見知らぬものから頭を撫でられたことに驚いて思わず顔を引っ込めたが、そのうち気持ちのよさそうに目を細めて一声鳴いた。

「良い子ね。大切にしなさいよ。ラグちゃんも良い子だけど、……えっとこの子の名前は?」
「アークです」
「そう、アークちゃんはおとなしくてほんとに良い子ね。ラグちゃんなんかは来たばっかりのときは店の材料は食うわ、昨日も言ったけど店は燃やしかけるわで大変だったね」

 マルトはそのときのことを思い出したらしく、笑いを交えながら語った。リアンも天井の焦げ後を今一度一瞥した。それから彼もまたそのときどんなことが起きたのかも想像をめぐらした。ラグは今でこそウインディだが以前は当然ガーディだったはず。クレフとラグがどのような出会い方をしたのかは知らないし、今それをマルトに訊ねてみようとは思わなかったが、話し振りからしてラグは相当なやんちゃ者であったことは確かだろう。そして何にも見境無く炎を吐いてついに店まで燃やしかける。それを必死に止めるマルトやクレフ。リアンはその様子を想像すると決して笑い事ではないのだが、どうしても笑いがこぼれた。
 ふと、そのときリアンはあることが気になって急に、まるで水をかけられた炎のようにピタリと笑むのを止めた。アークがそのリアンの変化をすぐに嗅ぎ沸け、心配そうな目で見つめてくる。

「どうしたんだい?」

 マルトもその様子に気づいたらしく話しかけてくる。

「気にならないですか?」
「なにがさ?」
「どうして……」

 そのときクレフが駆け足で階段を降りてきた。

「準備できたよ。行くか?」

 降りてきたクレフは何か黒い鞄を肩にかけていた。

「行くってどこに?」
「昨日お前が言ったろうが。今日には帰るって。だけどお前ココどこからどうやって帰るか知らねえだろうから送ってやるんだよ」



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Last-modified: 2013-01-22 (火) 00:00:00
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