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魔獣に愛された姉弟

/魔獣に愛された姉弟

本文 


 もう雨が続いて何日になるのだろう。季節が巡る、なんてものではなく、季節がそこで止まっている。例年ならとっくに晴れた暑い日が続く時分なのにその気配すらない。
 雨がやまなくて困るのは気分の問題ではない。村人全員の食を支え、来年に向けてためておかなくてはならない植えたイネが流されてしまう。
―ガキか。こんな森の中で。どこのガキだ。魔獣も出る。さっさと家に帰んな
 だからこれまで何人も日輪のもとに遣わしてきたが、どうやらまだまだ足りないらしい。
―おじさん、雨がやんでほしいの?
―ああ、そのためにここまで来たんだからな
 といってもどうすれば日輪にお願いできるかなんてわかりっこない。『神の下に遣い、雨を止めて晴れさせてくるように』と長老から命令を受けたのはいいものの、このままでは野垂れ死にか、魔獣の餌食になって死んでしまう。
―わたし、お願いしてこよっか?
―…………は?

 ◇

 果たして森で出会った謎の少女が立ち去って戻ってくるまでの間に、何日も続いていた雨はやみ、しばらくぶりの日輪が顔をのぞかせたのである。



 我々姉弟が、他の人々と自分たちはちょっと違っていると思い始めたのは、まだ分別もつかぬ幼いころに、口減らしのために放り出されたことがきっかけである。
 今年も暑い日々がやってきた。ムラの男どもはこの暑さの中でも獲物を探して山に繰り出しているが、私の役目はそれじゃない。
 男どもでも入るのを憚る魔獣が支配する山、その立ち入るべきではない領域に、鬼道をなすためにやってきたのだ。
 うっすらと残る獣道を、もろい草で編んだ靴はもうボロボロにちぎれてしまったので、もうほとんどはだしで踏み込んでいる。
 帰り道迷わぬよう小太刀で幹を切り、草を編んで先に進んでいく。獣道が開けた。湧き水だ。
 ありがたいことだ。瓢の中身はまだ余裕があったが、補給できるものならしておきたい。苔の生えた岩肌はひんやりと冷たく、生水を舐めてみたが、どうやら毒はなさそうだ。
 休憩にしよう。瓢の中身を飲み干し、湧いてくる水を入れる。悪い道を歩き回った疲労と、体に籠った熱が一気に吹き飛ぶようだった。
 鬼道をなすには、まだまだ先は長い。
 休憩もよいがいつまでも休んでいては日が暮れて山の中をさ迷うことになる。そうなったら命の危機だ。休みもほどほどに、溜まった水で足を洗って立ち上がった。
 さて、ここは水場。となれば、ここは私だけの水場ではない。他の生き物でここを懇意にしているものもいるだろう。
 事実、いた。私の姿を認めたらしく、藪をガサガサ鳴らして向かってくる。恐らく魔獣だろう。太刀を抜く。
 同種は見たことがあるが、この個体は見たことのない、腹の真円が特徴的な熊の魔獣だった。
 恐らくよその山から移ってきたのだろう。私とこの山の主との関係も知らないようだ。ただ縄張りを人間に侵されたとみて、立ち向かってくる。
―熊の魔獣よ、手を出すな!
 藪を蹴って飛び出してきた魔獣は、爪と太刀が触れ合う寸前のところでぴたりと止まり、私の”言葉”に耳を傾けた。
―悪かった。君の縄張りを荒らすつもりはなかったんだ。ただ、山の上に行く用事があったから、この水場を借りただけで……足を洗ったのは不用心だった。君に危害を加えようとしたわけじゃない。悪かった
―次から気ぃ付けろ
 魔獣、とは、野山に住む人間や普通の獣や魚、虫とは異なる存在で、しかし容姿はたいてい人間以外のそれらには近い。ただし、人間その他にはない不思議な力や性質がいくつもある。知能も、恐らく人間並みに高いだろう。
 なので、一部の例外こそいるものの、魔獣はとかく魔獣として、人間から忌避される傾向がある。
 人間から魔獣は基本的に意思の疎通ができないのが大きな要因だろう。人間にしてみれば、魔獣に訳も分からず殺されたら魔獣への怒りや憎しみは強くなる一方だし、魔獣もそれを受けて嫌われ続ければ人間のことを疎ましく思う。
 熊の魔獣は、私が”言葉”を話すのに驚いたようなそぶりを見せ、そして手を出さずに帰って行った。
 いよいよ山は深くなり、ところが逆に木々はまばら。下草は綺麗に刈り取られ、地は均され、いよいよ道と呼ぶにふさわしい様態になってきた。
 繰り返すが、我ら姉弟はもともと口減らしのために放り出された。
 それがなぜ人のムラに引き取られて、その中でも長者的な位置に据えられたのか。
 当然そうするだけの理由があったから、に決まっている。
 誰がいつ作った道か、少なくとも私の知っている人でもないし、先の時代を生きた人ではないのは予想がつくが、そんな、先ほどよりも段違いに歩きやすくなった石の上を踏み進めていく。
 経験上ここまで来れば他の魔獣は出てこない。
―なんだ、タケルか。おどかすな
―いやいや、クラマがピリピリしすぎなのさ。タケルはおどかしてなんかいない
 音も立てずに両手の葉っぱのような形をして、しかし鉄器よりも鋭く切れる扇を当ててきた鼻の高い頭巾を被った魔獣と、一部の地域では神と崇められ祭りの神器にもされてる魔獣の二匹。後者は数少ない人間が嫌悪感を持たない魔獣の一匹だ。
―クラマとショータク、通してくれ。悪いな
 訂正すべきだ。絡まれた、これから向かう元締めの取り巻きの2匹を除いては、経験上ここまで来れば他の魔獣は出てこない。神使とでも呼ぼうか。それぞれ獣の魔獣ではない。
―最近晴れが続くから来ないと思ったのさ
 クラマは大げさに手の扇を煽る。
―クラマやショータクは知らないかもしれないが、人は晴れてるだけじゃ困るんだよ
―ということは、今度は雨乞いか? 
―不便な生き物だねえ。それで、天気を変えさせられるアイツも
 ショータクがぐるりと回転して、アイツ、がおわす方を見やった。
 我々姉弟はこの通り、鬼道をなすことで天候を操るということで、人間たちの中で重きをなしている。それについては不便はあるが、異存はない。
 では我々姉弟がなぜ雨を降らせ止ませ、日輪を繰り出すことができるのか。
 正確には我々にできることではない。そしてその行為に私は全く必要ない。姉上は必要だが、姉上に直接能力があるわけでもない。何、しかし単純な話だ。
 姉上が金色の狐の魔獣と契っているからだ。
 鬼道などというのは、何も知らない人々を欺くための方便でしかない。
―雨乞いか、私もかつて頼まれたことがあったな
―ショータク程度じゃ井戸にもたまらないだろ。地面を湿らせて終わりだ
―まあ、実際そのとおりだったんだよね
 事実ショータクの方はよそのムラやクニであめふらしの神様だとされている個体がいるのは、私も知っている。
 クラマがショータクの上部をゴンゴン小突く。私には恐れ多くてそんなことはできない。
 二匹は今日もおつとめご苦労さんと言って、わたしを解放してくれた。



 魔獣、とは、そもそも、我々のような人ではなく、かといって人が食料や服に使う獣でもなく、言うなれば、人からは畏れられる実体のある存在といえばよいのか。
―モノヌシ様、私です。姉上からの使いで参りました
 最初のうちは、少なくとも我ら姉弟は、魔獣に対して畏れは全くなかった。それどころか、仲間だとさえ思っていた。
 人間の社会から最初に放り出された時に面倒を見てくれたのが、他でもない魔獣たちだったのだから。
 社の扉は開かないが、代わりに目の前を枯れ草の吹雪が舞って言った後、金色の狐―のようで、とても狐と呼ぶのはおこがましいような存在が、目の前に現れる。
 見た目だけなら狐がそのまま大きくなったようなものだが、何より尾が九本もあるし、それよりもただの狐には出来ないことをやってのける。
 私は無意識のうちに膝を折り、面を下げた。
―嫌に人臭いと思ったら、お前か。
 鬼道の巫女として俗世からは隔離されている姉上は、恐らく未だに彼らに対しておそれはないだろう。しかし私は、彼らを単なる仲間だと思うには、いささか人の方の社会に溶け込みすぎてしまったらしい。
 姉上が狐の魔獣と契ったのはいつのことだったか…私が小さな子供のころだった以外は、もう忘れてしまった。
―モノヌシ様、今年は日照り気味で苦しんでおります。雨を降らせていただけませんか?
―……ふふ、にほんばれの次はあまごいときたか。よかったなタケル、姉と結ばれたのがワタシで
 言うが早いか目の前の狐は、九つの尾をたなびかせて空に向かうと、どこにいるとも分からぬ天候を操る神とやらに一吼えした。
 人は彼らと話すことが出来ないから、人以上の不思議な力を持つ彼らに襲われて負傷したり、狩られたり、弄ばれたり…人里に拾われてから、いかに人と魔獣の間に解離があるかを知った。
 それは、自分ひとりの力ではもはやどうにかできるほどの代物ではなく。
―こんな真似ができるのは、もうこの世でワタシだけだぞ
 姉上が建前上天候を操れるのはモノヌシ様あってこそ。我々は依頼こそすれど、自分たちで晴らしたり降らせたりする力がない。
 ところが厄介なことに、我々以外の人は、モノヌシ様のような存在と話が出来ないどころか、それらを極端におそれる。
―どうした? 帰らないのか?
 目の前の狐の魔獣は考え込んでいる人の顔を覗き込んで、見透かすようにせっついた。
 確かにこの力にはおそれるところは多々あるが……。
 姉上の契り相手、話せば分かる友達、いろいろなものが混ざり合っている自分にとっては、単純におそれている、では片付けられない存在。いや、むしろ、彼らが単純におそれているのならこれほど都合のいいことはなかった。
―いえ、モノヌシ様。私はこれでひかせていただきます。雨が降ったら下山も大変ですしね
 彼らとこうして対話できるのは、私と姉上の、この世でたった二人だけ。この苦しみを背負うのも、たった二人だけ。
―今晩は君の姉上のところにいくから、そのつもりで
 ああ、しかし。今の私は、もうかなり向こう側にいってしまったのだろう。 
―承知しました
 背中がぐっしょりと濡れているのは分かったし、縛り上げたもみ上げからぬるい水滴が垂れ、何より口の中が乾いて辛くなっていたのが何よりの証拠である。



 魔獣との契り。
 結び。契約。結婚。交合。
 飾る言葉は様々あれど、私だって子供じゃない。子作りがただの子作り以上の意味を孕むことがあるのは人同士でも魔獣同士でも、ましてや人と魔獣の仲でも同様、らしい。例は一つしかないが。
 しかし今それは重要じゃない。
 魔獣をおそれる人々たちに、姉上と魔獣の睦事を見られたら、どうなるか。試さずとも分かっている。
 だがそんなことは言えない。私一人に、全ての人々に全ての出来事を説いて回るなど、荷が重過ぎる。姉上とモノヌシが対話するのは人目から隔たれた高床の殿の中だ。
―モノヌシ様。お待ちしておりました。
 ところで、人が魔獣を嫌うように、魔獣もまた人に危害を加えられたり、追い立てられたりすることも多く、人を嫌っているものも多い。
 ショータクによると、モノヌシも、本人は何をされたのか知らないが、本来、人はダメなほうだったらしい。それだけに姉と契った時にはクラマと二匹で驚きあったとか。
 だから村中に触れを出して、今夜は家に引きこもって一歩も出るなと命令した。女王の名において。

―モノヌシ、いつもごめんね。こっちに来させて
―なに、かわいいお前のためなら

 姉上とモノヌシが契っている間、周辺の警護は私一人で行う。間違ってもこんな場面を一般の人たちに見せることはできない。
 襲われていると勘違いされるだろう。
 いや、襲われると思われるならまだいい。魔獣と、人に仇なす畜生と契りを交わしていると思われる方が過分にまずい。畏れているからといって、必ずしもそれに従属しようという意味ではないのだ。
 一人と一匹の、ふたりの甘美で幸せな夫婦の時間を守るため。ひいては稲の安定した収穫を確実にし、村全体の生活を守るため。
 モノヌシの力か、幸いにして覆われた分厚い雲から細かい雨がぱらぱらと降り続けており、殿から漏れる愛の営みは遠くまで響かない。闇夜も相まって、こういう日は比較的安心して守ることが出来る。
 紡がれるふたりの詩と奏でられる舞は、すぐ外で警備している私にしか聞こえてこないが、それを冷ややかに鑑賞しているのはきっと雨のせいではないだろう。

―んぁっ
―あまり声を出すと誰かに聞かれるぞ
―……いじわるですね

 仲良きことは美しきことだ。一刻、二刻と、燃え上がる情熱は収まるところを知らない。既に私が外に控えているのはないことにされている。誰かというのに私が入っているのなら、既に聞かれていますよ。実際のところは私は物の数ではないのだ。
 まあ、物の数であろうとなかろうと、こうして姉上と仲睦まじく、恙なくその見返りを与えられると思えば、これに勝る至上はない。
 敢えて漏れてくる小さな声に耳を立てるのをやめ、ぼんやりと闇を見つめながら、ふたりの愛が休まるのを待った。

 ◇

 ◇

 ◇

―済みましたか、モノヌシ様
―タケル、見回りご苦労。姉上はどうせここから動けぬだろう。何かあったらまた来い。我々はお前たちの仲間だ
 ことが果てて金色の魔獣が出てくるころには、もう夜灯の油はほとんど使い切っていた。
 お前たちの仲間だというお前たちに入っているのは、姉上と、誰までだろうか。考えるまでもないことだし、考えれば考えるほど胸がキリキリ痛むので、考えない。
―恐縮です
 
―モノヌシ、来たぞ
 闇の帳の向こう側に、知らぬうちにクラマが腕を組んで歯のようにとがった足の先を鳴らしていた。
 風を操るとか操らないとかいう噂のとおり、音もなく現われて、そして消えるときも幻惑させていつの間にか消える。
 これで問題の魔獣様たちはお帰りになるのだ。毎度、毎度。
 そして、事後処理。わざわざ事の後を覗く趣味はないが、姉上の体を清めるのに必要なものを用意するのは私の役目。他の誰にもやらせることはできない。水を求めて闇の奥へ。
 姉上がまだ入墨も入れる前の少女のとき。森でであったモノヌシに見初められ、私が知らぬ間に契った両者。
 その後私は抜歯したが、姉上は未だに入墨なしだ。



 ところが事情を知っている一人だけがどれだけ差し障りなく物事を運ぼうとしても、時に人為的、時に非人為的、さらにはその両方の合わせ技で台無しにされてしまうことがあるものだ。
 その日、ムラどころかクニ中が大騒ぎになった。私も初めは狼狽した。
「タケルさん! 大変だ! 日輪がどんどん食われてる!」
「案ずるな。すぐに女王が鬼道をなす。じっとしていろ、何もない」
 狼狽したが、それよりも住人のうろたえの方が大きかった。とにかく何かしなければいけないという思いに駆られて、欠けているという日輪に目もくれず一目散に女王のもとへ走った。
 最初に日輪が食われていると気付いたのが誰だかはもうどうでもよいことだった。
 まさか日輪が欠けるとは。
 クニ中の全員が日輪を見上げ、泣き、祈り、膝をつく。中には寝込んでしまうものや倒れてしまうものまで。
 それはもう大混乱だった。
 最大限に欠けた時、誰しもがもうこのまま日輪は消えてしまうと思っただろう。夕方の早い時間ほどに暗くなり、永遠と思われる夜を、私も覚悟したから。

―それは大変だったな
―……笑い事ではございません
 すぐにモノヌシの下へ急行した。そして、一笑に付された。
―それで、日輪は今も欠けているか?
 その言葉の通りだった。
―いいえ。全く欠けておりません。真円でございました。
―そうだろう
 金色の狐は気だるそうにあくびをする。今でもムラではこの世がもうすぐ終わるとかで上を下への大騒ぎだというのに、この落ち着きよう。
 やはり、魔獣は魔獣だった。
―ま、しかし不安だろう。
 心を見透かすように、舐めるようにして顔を見回される。
―女王の側にいてやらねばな。
 今日来る、そういうことだった。

 ◇

 ◇

「タケルさん、女王に相談があるんだ。通してくれ」
 そしてついに終焉が始まる。
 モノヌシのお忍びを入れ、いつも通り一人で警備を始めること数刻後、遠くの方から松明の行列がやってくる異常事態に打ち驚かされ、すぐに駆け付けた。
 相談役とも呼べるような長老たちと、屈強な若者たちだった。
「ならん、今道力回復のために何者もとおすなと言いつけられている」
 是が非でも通すわけにはいかない。モノヌシが来ているのだ。こんな大勢で何をしようというのか。
 それにモノヌシは日輪が欠けることなど大したことではないと言っていた。
「せめて明日まで待ってくれないか」
「いや、待てない。あなたたちが我々の長たりえるのはその鬼道あってのこと。鬼道が通じなくなった今、早急に話し合わなくてはならん」
「今一度待ってくれ」
「あなたたちを女王に推したのは我々だが、それ以来これほどの危機はなかった!」
 あとはもう。そりゃそうだ。もとより私とは話すつもりなどないのだから。
 その上人数の問題もある。どれだけ先へ行くのを拒んでも無理やり押し通られたらどうにもならない。
「こんな時間に失礼だろう! 明日まで待てないのか!」
「我々の方で話し合いに話し合いを重ねた末の結論だ!」
 押し問答の末、ついに一人で押さえられるわけもなく突破されてしまう。
 一人突破すればあとはもう止まらない。戦闘が殿の中への階段に足をかけた時、私は走って追いつくとともに天を仰いだ。
 この後の光景が容易に想像できたからだ。
 いや、この後の光景だけならよかった。光景どころか、その後何が起こり、誰がどうなるかまで、一気に悟ってしまったから。
 侵入した連中の時間が一瞬止まり、すぐに私が追い付いた。
 この間のことは、誰が、どのような声を上げていたか全く記憶にない。
「女王!今助けますぞ!」
「下がれっ、貴様ら下がれっ」
「狐の魔獣め!」
「弓矢を使え!」
「やめないか!」
 すぐに現場は大混乱となった。
 ろうそくの微光の中で女王とまぐわう狐の魔獣。淫靡な香りと官能的で異様な光景。
 女王の相手が相手だと認めるや否や、人々はすぐに色めき立った。まず彼を引きはがそうととびかかったものが神通力か何かで弾き飛ばされ、手を出したものが噛まれた。
 丸腰では敵わぬとみて残りのものは外に走った。女王は行為の影響か予想外の事件にやられたのか、腰が砕けて動けないらしい。
 現状、武器を持っているのは警備をしていた私のみ。長老の手前、銅剣は抜いていたが、切っ先は人の方に向けてやめるよう言い続けた。
―タケル、残念だ
「モノヌシ、待ってくれ!」
―私はもう戻らない
「モノヌシ!!!!」
 明らかに喉を鳴らし、牙を剥いて敵意を丸出しにしているモノヌシは、私と長老の脇をすり抜けるようにして殿から飛び出した。
 これまでモノヌシの本気を見たことがないので分からなかったが、とてもじゃないが私にどうにかなるような個体ではない。
 すぐに武器を取って囲む人間たちを打ち倒し始めた。長老が肩を落として祈り始めるくらい圧倒的だった。
「タケルさん。魔獣は…」
「行かせろ! 出ていけ! 女王と私だけにしてくれ!!!」
 すぐに若い衆が戻ってきて指示を仰ぐが、私は手を出すなと繰り返すほかなかった。



 姉は、女王はその翌日から寝込んでしまった。村人の中には「魔獣が女王に呪いをかけていったんだ」「山ごと退治するべきだ」と口のさがない奴らがいるが、私はそんなことはないと良くわかっている。
 しかし魔獣は仇なす存在であるという色の根強いこの地で誤解を解くのは容易ではないし、そもそも人ならざるものと女王が契っているのはどう言い訳すればよいのやら。
 あの魔獣は神で神が雨を降らせたり止ませたりしていたのだ、と本当のことを言って通用すればこれほど簡単なことはない。
 きっとよそで狐の魔獣に危害を加えられた奴もいるだろう。
 何より、彼らの中ではあれは女王を呪っていった忌むべき悪神なのだ。収拾がつかぬ。
 女王の看病は私一人でしている。もちろん、モノヌシと話ができなくなったのだから鬼道なんか使えるはずもなくなった。
 村人は女王の身をよく案じてくれる。病身の身で鬼道をなせぬとはよく言ったものだが、まあ半分事実のようなものだ。

「……タケル?」
「お目覚めですか」

 時分はもう夕暮れ時。昼間に気が向いたら食べるようにと置いていった粥と果物は手を付けられた様子がなく、乾くままにされている。
 村で唯一の綿の入った寝心地のいい布団が、今日も献上された。酒、塩、宝石、呪具、武器、土器、いろいろなものが献上されているが実際に使えるものは少ない。

―……こんなこと、しなくてよいのです
「そうはいきません姉上。早く体をなおして、モノヌシ様に謝りに行きましょう」

 無理やり起こして、衣類を改め、体を清めさせる。水も汲んできたし着替えも用意してきたし、何よりこれがあるから私一人にしか看病させないのだ。
 替えられない日もあるし、行水はしないから汗と垢はひどいことになっている。それでもやらないといけない。
 私はたった一人の弟だから。

―モノヌシ様は、もう会ってくれませんよ
「……契った姉上たっての謝罪です。そんなことないですよ」

 女王がポツリと呟く。
 もともとガッチリした肉体派というわけでは決してないが、やせ衰えてホネと皮だけになっていくのを見ると心が痛む。
 これはきっとモノヌシのせいではない。因果関係はあるかもしれないが、それでも女王が今自分が望んでいることなんだと思う。
 女王としても、姉としても、タケルにとってはそんなこと絶対に許すわけにはいかない。

―いいえ。許してくれません。そんな気がします

 社の採光窓から差し込む西日が、女王と、ころもをとりに行ったタケルを分断した。
 タケルは何も言わなかった。いや、言おうとしたことを喉元寸前まで出したところで、慌ててすべてを飲み込みなおした。
 ここでクニの皆はどうなるかを説いてしまったら。飲み込みなおした言葉を、全部姉に吐いてしまっていたら。
 タケルはもう、向こう側に戻れない。
 人間が全面的に悪いから全てを甘んじて受け入れなさいというのには、少々人間に染まり過ぎた。
 姉は、ずっと女王として隔離された生活をしたこともあって、人間よりもむしろ魔獣に染まりたがっていたのだろう。
 通い婿の形をとるべきではなく、早い段階で生贄と称して魔獣のもとに遣わせるべきだった。
 それが、最上の選択だった。



 その年、クニは『魔獣の呪い』に襲われた。
 とにかく雨が降らない。気温も高い。日輪が欠けた事件、とその夜女王が襲われた事件と合わせ、人々は魔獣の呪いだと囁きあった。
 鬼道をなす女王は病に倒れているが、かと言って私は見捨てるわけにはいかない。
 ダメで元々、魔獣の下に自分ひとりの力だけで一度だけ頼みに行ったことがある。
―頼む、クラマとショータク、私たちを助けてくれ!
―その”たち”ってのにお前の姉貴以外の人間が入っている限り無理だろうな。あいつは大の人間嫌いだ。俺も好きじゃない
―僕も雨を降らせたり晴らすことはできるけど、モノヌシほど大規模に、それも継続してはできないよ
 モノヌシ様は案の定対応してくれなかった。お付きの二匹に乱暴に社に上がろうとするのを、間違いなく食い殺されるからと押しとどめられ、どうしようもなくて二匹に泣きついてしまった。
 二匹もこれまでのよしみにと話だけは聞いてくれたが、やはり心情的には魔獣の側に立つべきものがあるらしい。
 仕方のないことだった。
―敢えて言うまいとは思っていたが、タケル。お前はもうここに来るな。モノヌシからの伝言だ
―もし次ここにきても、もう我々は対応しない
 宣告した時の二匹の顔と、宣告を受けた私の顔は、いかなるものだったか。
 ともあれ、私は最大の希望に対して最高の返事をされて追い出されたのである。



 暑さが和らぎ、日差しも落ち着いてそれを耐え抜いた稲たちがようやく穂を出すそぶりを見せてきた。
 鬼道も使えず、日照りもきついもので、ここまでこれなかった稲たちも多数。また、単純に水溜めの水が尽きて水が足りなくなったり、新たな水源を探しに行ったり、その過程で何人か死者が出た。
 我々は優先的に水を回してもらえたが、それに甘えられるほど気分のよいものではない。
 この時期は実りの季節で、ともかくこれまでになく厳しかった前季のことはいったん忘れて、男も女も子供も山に川に繰り出している。
 クニ全体が沈む大きな出来事はあったが、それの後片付けを終えて、日常生活に戻ったのである。
 今のところは。
 いや、戻らないといけないのだ、日常に。

 だが、私は相変わらず違う。穏やかになった気候は単純に山道を行くという作業にはありがたいし、色づいてきた木々や膨らんできた木の実は旅の共に楽しい。
 楽しんでいる気分ではないのだが、そうでもしないとこちらが潰れそうで。
 鬼道の現役時代よりも、楽な行程を時間をかけて進んだ。
 相変わらず下草は綺麗に刈り揃えられ、歩きやすい石の面、そして迷わぬようにと置かれたともしびを頼りにたどり着いた、モノヌシの社。
 今日は特別だから、しっかりこの目に焼き付けておかないといけない。
 社の前についたが、不気味なほど静かだ。音を立てるものもいない。ごくりと自分の唾をのむ音さえあたりに響く。
 クラマとタクショーもいない。まあ、かえって好都合なのかもしれないが。

―モノヌシ様、聞こえますか

 しばらくぶりに、社の中の人物に話しかける。返事は期待していなかったが、一方的にでも伝えておく義務はあると思った。
 社の中に、何者かの気配は感じられない。
 そして、やはり返事はない。

―姉上が、死にました

 ぽつりと一つ空が落ちてきたような気がした。もちろん、上空を見ても何もない。雲すらも。ともしびが揺れるほどの風もなく、他に邪魔をする虫もなく。
 短い一言を伝えてから、しばらく時間があった。
 女王は死んだあとクニ全体が嘆き悲しんだ。私も相当堪えたが、ここに来る気にはならなかった。私にはやらないといけないことがあったし、これから起こることも分かってしまった。
 自分どころかモノヌシやクラマ、タクショーたちがついててもどうにもならないことだ、と思っている。
 それでも時間をおいて、女王を手厚く葬った後、次の事件が起こるまでの短い間に、この義務を済ませておかなくてはならなかった。

 …ああ、仮にも契りを交わしていた身だ。知ってるよ

 しばらく感慨にふけっていて、涙がこぼれ落ちそうになった矢先だった。
 幻聴かもしれないそれが聞こえて、はっと我に返った。あたりを見回してみるが当然誰もいない。社の中には相変わらず何者の気配もなかったが、これを自分のひがみみだとはどうしても思えなかった。
 そして静寂が訪れる。人が死ぬには似つかわしくない日だが、人を送り出すと言い換えればこれ以上の日はない。 
 汗を吸わない絹の礼服を整え、もう一度社に向き直る。これまでずっと仲間だった者たちへの、最後の言葉。

―姉上は、ずっとあなたたちの世界に居たかったのでしょうね

 これを聞いたら少しは気をよくしてくれるだろうか。それとも、モノヌシは自信家だから、当然だと言って鼻で笑っただろうか。
 ただ、姉上と私は違う。悲しいことに、違ってしまった。
「姉上はそうだったかもしれませんが、それでも私は、人間です。さようなら、モノヌシ、クラマ、タクショー」
 もう、二度とここに、いや、この山に足を踏み入れることはない。



「タケル。君も鬼道に関わった身だ。神の下へ直訴へ行ってくれること、期待してるぞ」
 女王の死後。自然とかつてのムラの長老や有力者が主導となり、クニの面倒を見ることになった。私も話し合いには参加していたが、所詮は女王に従って鬼道の補佐をしていただけ。
 せっかく日照りを耐え抜いた稲も、その後の大嵐でほぼ全滅。これも魔獣の呪いの仕業だとまことしやかに囁かれていたが、私は何も言えなかった。
 それよりも実際問題として、食糧が全滅してしまったのだ。クニ全体の危機となれば、こういうことにもなるだろう。
 もはやこれまでのようにクニを導ける存在はいなくなるべきなのだ。
 いや、それだけならまだいい。中にはタケルが魔獣と手引きして女王を殺し、クニを乗っ取ろうとしたという論調まであらわれ始めていた。あれこれ策をめぐらせても、自分の身に危害が及ぶのは確実で、それ以上にこの後何が起こるかも明白だった。
 私も、この後に起こる悲惨な争いは見たくない。
「謹んでお受けいたします。必ずや」
 だから私は、態のいい“まだ指導者としての発言力を持っている死んだ女王の血縁者を追い出す方法”を喜んで受け入れたのである。



 さて、どれくらい長い時間がたったのだろうか。
 水死を目指して海に行った。凍死を目指して山に行った。飢え死にも目指したし、暑さで干からびようともしたが、そのたびに魔獣や人間に助けられることになった。
 結果として諸国漫遊のような、あちこちを回ることにはなったのだが、言われた通り神の下へつかうことはできない。
 今度は暑さも雨の量も適切で、昨日通ったムラでは稲が重たい穂をもたげていた。もう少しすれば収穫できるだろう。
 出ていったクニのことは今でも気にかかるが、もうどうなっているかも聞きたくない。
 今は森の中にいた。
 稲の見事に実った村と別れて、魔獣の出るという森を見に来た。不思議なことに、そこの住人は魔獣をあまり嫌っていない様子だったが。
 そして、今に至る。
「ガキか。こんな森の中で。村のガキか? 魔獣も出る。さっさと家に帰んな」
 魔獣と話せる私ならともかく、年端もいかぬ少女が一人で、森の中をさ迷っている。
 綺麗な身なり、あちこちに下げたガラス玉、絹の一枚着。恐らく何らかの理由で森に入った身分の高い少女が、武装した供とはぐれてしまったのだろう。
 少女は話しかけにつぶらな瞳をきょとんとさせていた。
 話が通じないよその村の子供なのか? 差してある朱の模様はこのあたりの村で見た少女のものと変わらないような気がするが。
 おい、帰らないのか、そう声をかけようとした瞬間だった。
 茂みから飛び出してきた魔獣がいる。鼻をひくつかせ、眼光は獲物を追ってきているようだった。
 大きくて、赤い虎の魔獣。
 獲物とは、ほぼ間違いなく、この少女。
―ちっ、危ない!
 太刀を抜く。魔獣が少女に飛びつくのが早いか、私が魔獣に切りかかるのが早いか、それとも双方が互いを察知し、引くか。
―静まれ魔獣!君のことは知らないが、話をさせてくれ!
 興奮した魔獣に届くかどうかは分からない。何より、私より魔獣の方が早い。
 少女は気付いていないのか、相変わらずきょとんとしている。もうだめだ。
 と思われたのだ。間違いなく。この時までは。

 しかし少女は、繁みから出てきた赤い虎の魔獣に手をかざすと、魔獣を下してしまった。

「おおおおおおっ」
 切りかかった体制をここから戻せないので、避けるためにそのまま繁みの中に突っ込まざるを得なかった。久しぶりに痛い。
 一方の魔獣は顎下を撫でられて嬉しそうにし、差し出した腹を撫でられて気持ちよさそうにしている。
 私が転んだ状態から起き上がると、少女はようやくこちらを認識したように歯が見えるほどの笑顔になり、そして宣言した。

―ガキじゃないよ。じょ、お、う、さ、ま
 魔獣の言葉だった。

補足 


・紀元247年3月の日食
 弥生時代後期の日本では有名な日食が二度観測された可能性があります。一つは247年3月の、もう一つは248年9月の日食です。
 このうち、247年3月の日食は九州北部で観測することができ、はほぼ皆既になるほど食われたそうです。
 しばしば邪馬台国や卑弥呼と結び付けられる事象ですが、当時の人間はどう感じたのでしょうか。当日に雨が降っていたり食が起こったのが夜だったら観測できませんですしね。

・女王斃れて男王立つ
 邪馬台国のことが書かれている魏志倭人伝には、卑弥呼には弟がいて、協力して統治をおこなったという記述があります。
 また、同じ出典から、卑弥呼が死亡した後男王が立ちましたが、争乱ばかりでまるで治まらなかったとも書かれています。この弟と男王の関係は不明です。
 なお、この争乱ののち、台与という少女が女王に据えられることで再び国は治まったということでした。

・三輪山の大物主
 箸墓古墳(奈良県)にまつわるお話で、卑弥呼だとされる人物の一人、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)のおはなしです。姫のもとには毎夜通う男がおりましたが、姫は一度もその男の顔を見たことがありませんでした。
 男が嫌がるのを何度も顔を見せてほしいと頼み、「絶対に驚いてはいけない」という約束のもと、男は朝になったら小物入れの中にいると告げます。
 翌朝、半信半疑で姫が小物入れをあけてびっくり、中には小さな蛇がいるではありませんか! 姫は約束を守れず驚いてしまいます。
 この蛇こそが三輪山に住む神様の大物主、姫に蛇の姿を驚かれたことを辱められたと感じた大物主は、三輪山に帰ってしまいます。
 力なく倒れ込む姫は置いてあった箸に陰部を刺してしまいそのまま死んでしまうという何とも後味の悪いおはなしです。

・にほんばれとあまごいのキュウコン
 通常のキュウコンはにほんばれができます。一方、アローラのすがたのキュウコンはあまごいが使えます。
 もしリージョン化というのがその地域の特性に合わせて最適な性質を残すように淘汰されていくものだとしたら。
 逆に言えば1800年前のキュウコンは、まだふたつの姿、二つの特性に分かれていないのではないか。
 何せすべてのポケモンの祖などと言われる存在はすべての技が使えたりすべてのポケモンに擬態できたりすべてのタイプを操ったりすることができるのですから。

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Last-modified: 2019-09-21 (土) 22:58:19
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