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餞のナイトメア

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この作品には、一部特殊な表現(TS 百合)があります。ご注意ください。



 吹き行く夜風に振り仰げば、どんより暗く漂う雲の彼方、漆黒の空を絢爛に彩る秋の星座が刺すほどの煌めきを注いでいる。
 星灯りを霞ませる光源はない。地上に屋根を並べる閑静な田舎の峠村にも、そして、夜天にも。
 今宵は新月。月が地平の褥に眠る闇夜。私の力が最も高まる時。
 身体の最奥から沸き出し溢れかえる闇のオーラを力の限りに撒き散らしながら、堅く戸を閉ざした家々の間をすり抜けるように飛ぶ。
 たちまちそこかしこから聞こえくる苦悶の呻き。床に就いていた村人たちが、闇のオーラに飲み込まれ悪夢の淵へと墜されたのだ。
 安らかな眠りは、それぞれにとって最悪の幻想に乱される。恐怖、困難、苦痛、喪失、挫折、絶望。悪夢に炙られて続々と吹き上がる負のエナジーを、掻き集めてがっつりとかぶりつく。うん、美味い! 毎年こうして味わわせてもらってるが、何度食らってもこの充足感は堪らない。溺れそうな御馳走の海の中、至福に満たされて思うままに貪り続けた。

「狼藉もそこまでだ、〝暗闇の使徒〟!!」

 唐突に闇夜を貫く声。やれやれ宴はここまでか。毎年のことだから、こうなると分かってはいた。
 身を正して悠然と振り返ると、やはりそこには見知った姿。夜景に浮かび上がる清らかな純白の羽織袴をまとった精悍な青年。この山に奉られた神社の神主だ。その背後には、オーロラのように揺らめく薄紅色の帯を羽のように広げ、空色のすらりと細長い身体を弓なりに掲げて宙に浮かぶポケモン、クレセリア。まったくもって例年どおりの…………あれ?
 違う。よく見るとこのクレセリア、随分と若い。背にかかるオーロラの帯にあったはずの、ほつれたような傷跡もない。

「去年までと〝巫女〟が違うようだが?」
弧姑(ココ)様は故あって引退されました。今年から私が、〝明月(あかつき)の巫女〟を務めさせていただきます」

 しゃなりとした折り目正しい仕草で、一礼する若きクレセリア。傍らの神主が毅然と言い放つ。

「若輩と言えども、技量は既に先代に勝るとも劣らぬ。新たなる巫女の力、とくと味わうがいい!!」
「ほぉ……面白い。では改めて名乗るとしよう。我が名は〝暗闇の使徒〟、ダークライの(アン)!」

 右額を覆う灰色の巻き髪を掻き上げて口上を決めると、相手も艶やかにひと舞いし、三日月型の冠羽を揺らして凛と声を奏でた。

「私は〝明月の巫女〟クレセリアの夢雲(ムウン)。夜天に浮かぶ雲を、夢で彩る者! いざ、尋常に勝負!!」

 宣言を合図に、お互い突撃開始。先手は私から、シャドーボール3連発。相手は帯状の羽を軽やかにはためかせ、星空を舞い踊るように1発目、2発目と回避。しかし続く3発目をよけようとした瞬間、突然ボールの軌道が鋭く変化し、若き姫巫女の端正な顔に襲いかかる。挨拶代わりの小手調べ、さぁ、どう対処する!?
 怯んだ表情はほんの一瞬。尖った吻先でツンッとシャド-ボールをいなして跳ね上げ、首の後ろで受けると背中をなだらかにコロコロと転がす。オーロラの帯を潜らせて尻尾まで至ったところでクルリ前転。オーバーヘッドで上空に打ち上げて爆散させやがった。お前はアシレーヌか。
 初陣らしからぬ手際にほぉ、と感嘆の声を上げる暇もなく、返す刀のオーロラビームが迫ってきた。ここで無様を見せたら格好悪いにもほどがある。灰色の髪と漆黒の裾をひらりと翻し、錦色に閃く光条を背面跳びで躱す。互いに体制を取り直して、不敵な笑みを相手に向けると同じ笑顔が返ってきた。
 そのまま双方が円舞を踊るように、回りながらの砲撃と躱し合い。激しく交錯する光と闇の攻防で、夜風が渦を巻き暗雲さえ吹き飛ばしていく。
 やはりこいつ、できる。先代に勝るとも劣らぬと言う神主の弁に偽りなし。技量も大したものだが、それ以上に初舞台を気負うことなく楽しんでいる。
 私としても、もっともっとこの対決を楽しみたいところだが――神主の様子を見る限り、そうもいかないか。どうやらそろそろ決着の時間だ。それだけの腕前があるなら一切遠慮はしない。例年どおり、ド派手にいかせてもらう。
 邪気をバチバチと音を立てて迸らせながら、すっかり晴れて眩しいほどの満天の星空へと高く高く舞い上がる。相手を遙か見下ろす高みに昇り詰め、極大まで膨れ上がらせた悪の波動を頭上に掲げた。
 しくじるなよ……!? 心の奥で呟きながら、おどろおどろしい暗黒のうねりを眼下に向けて撃ち放つ。星灯りさえ蹴散らして突き進んだそれは、峠村の中央に佇む美しきエスパーポケモンを喰らうべく、闇のあぎとを貪欲に広げて襲いかかった。
 獲物の姿が完全に飲み込まれた、と見えた、その刹那――。
 ボンッ! という破裂音と共に、悪の波動が四散する。花の蕾が開くように黒い闇を裂いて現れたのは淡い金色の輝き。新月の夜空を目映く照らす月光、ムーンフォース。悪を蹴散らす正義の力は、狙いを違えることなく一直線に駆け上り、上空の私を貫く。
 見事…………!! 〝明月の巫女〟に相応しい威力に心からの賞賛を送りつつ、討ち取られた私は一筋の流星となって山の彼方へと墜ちていく。
 山陰へと消える間際に背後を垣間見れば、勝利したクレセリアが渾身の気迫を込めた舞いを、力強く優雅に踊っていた。
 莫大な霊力と引き替えに、あらゆる汚れを浄化する破邪の踊り、三日月の舞。
 その効果を受けて、村人たちの見ていた悪夢が祓われる。恐れは退き、壁は打ち破られ、失われたものは蘇り、すべて幸せな夢へと塗り替えられる。峠一帯に、安らぎが満ちていく。 

 ●

 幸福というものは、それだけに満たされていると、やがて慣れとともに感じ難くなる。
 不幸があって、そこから再起した時にこそ、最高の幸福感が得られるものなのだ。
 といって、誰しも不幸な目には遭いたくないという心理もまた真理。
 だからこの峠村の人たちは、悪夢を求めた。
 奥の山に身を潜めて暮らしているダークライを、収穫祭が行われる月の朔夜*1に村に招き入れ、その力に触れることで敢えて悪夢を呼び起こし、それをクレセリアの力で祓うことで、吉夢を演出して収穫祭の華とするために。
 要するに、実はさっきまでの戦いは全部お芝居。出来レース。
 主演〝明月の巫女〟クレセリア、悪役が〝暗闇の使徒〟ダークライである私、そして村人全員を観客兼エキストラとした、祭に奉納する演舞劇なのである。
 バトル自体が私も神主の支持に従って動いていたもの。応酬した技も見た目こそ派手だが、相手を傷つけるような威力はトドメのムーンフォースも含めて一切ない。『〝明月の巫女〟に相応しい威力』とはそういう意味だ。バトルの様子は村のあちこちに配備されていたムンナたちを中継して、眠っている村人の夢の中に吉夢の一端として映されていたため、相応の演出が必要なのであった。
 そんなわけで、対戦前の口上ではいがみ合って見せたが、神主やクレセリアとの仲も別に悪くはない。年に一度、時間限定のダークホール打ちっ放しと村人のエナジー食い放題バイキングという素敵な報酬をくれるのだから、半野生暮らしで、周囲に自動的に悪夢を見せてエナジーを蒐集してしまう特性ナイトメアが被害を及ぼさないよう普段は山奥に引き篭もりを余儀なくされている私としては、つき合わない理由もないというもの。悪役として撃たれることなど、どうってことはない。

 ●

 眼を覚ますと、頭上には天を覆う岩棚。外の景色はまだ星空だったが、星座の位置からもう明け方近い時刻だと知れた。
 クレセリアとの一戦を終えた後、村から見て山陰にあるこの岩棚に潜り、疲労を癒すために眠っていたのだ。これもまた毎年のこと。
 峠村の収穫祭はこれからが本番で、3日後、三日月が昇る夜まで続くのだが、悪役の私にもう出番はない。後は夜が明ける前に奥の山にある住処へと引き上げて、私の今年の祭りは終わり。至って例年どおりの予定調和だ。
 相手が代替わりしていたことには、想定外で驚かされたけど。そっか……弧姑さん引退しちゃったか。祭りに参加するようになってからずっと相方だったけど、思えば仕事以外ではろくに顔も合わせてこなかったっけ。何があったのかな? もっとちゃんと話とかしとけばよかったかなぁ……。
 それはそうと、新しく来た娘、あれは凄いわ。初撃のシャドーボールとかアドリブを効かせた攻撃を何度か喰らわせたのに、全部難なく、それどころか余裕すら見せて対応してたし、向こうからの攻撃も正確にして華やか。よく鍛えられてたわ。どこかでオチをつけとかんと可愛いげがないぞ、と文句をつけたくなるレベル。名前なんつったっけ? 確か、ムウン……『夜天に浮かぶ雲を、夢で彩る者』で、夢雲(ムウン)、か。あれだけ優秀な後継に恵まれたなら、弧姑さんも安心だろ。私も来年以降が楽しみだ。彼女たちの舞いを肉眼で、それも相方として見られる特権こそ、この仕事の最大の報酬なんだから。
 ……おっといけない、ついつい回想に耽ってる間に、背後の山陰にうっすらと光が射してきた。性質上太陽の下は苦手だ。完全に日が昇る前にさっさと退散しよう。退治された悪役がいつまでも人里近くにいるもんじゃない。鬼は外、それが道理。寂しさなんて知りやしない。
 つっても、まだ節々が痛くて動かんな……エナジーをたっぷり吸ってる分、腹も重いし。
 折り畳んでいた黒足をはだけ出し、組んだ腕を頭上に掲げて大きく背伸び。

「~っと、さぁ、帰って酒でもカッ喰らうかぁ!」

 気合い付けに声を上げた拍子に、プゥ、と間の抜けた音を立ててどこぞから吹き出した突風が裾を揺らす。〝暗闇の使徒〟として私を恐れている村人たちには到底見せられないダラケきった姿。構わん構わん、誰も見とらん月も出とらん。太陽はまだ山陰、星々は朝焼けに霞み、見ているものと言えばせいぜいが、周囲で紅く色づいた葉の上に朝露を飾る木々と、その狭間で薄紅色の瞳をポカンと見開いて間抜け面を晒しているクレセリアが一頭いるぐらいだし。

「……えっと、あの」
「どわああああああ~っ!?」

 あぁビックリした。何だこいついつの間に!?
 気を落ち着けてよく見れば、やっぱり昨夜の相手のようで。

「夢雲……だっけ? 」
「あぁ、うん……はい」
「ど、どうした? 何でここに……そもそもお前、三日月の舞の後だろ? 休んでないといかんのでは……?」
「いえ、ひと休みしたので、動くぐらいならもう……そ、それであの、これを……」

 オーロラの帯からひょっこりと何かが顔を覗かせて、まさか他にも目撃者が!? と身構えたもものの、よくよく確かめればそれは酒瓶一本お猪口がふたつ。

「お近付きの印に、宜しければ一杯と思い……プッ、ククク……」
「…………」

 うわぁ、こっ恥ずかしい。
 どうすんだよこれ。口を封じるか? こっちもまだ疲労が残ってるから叩きのめすのは難儀しそうだが、ダークホールに堕として夢オチと思わせればなんとか……

「……ガハハハッ! っだよなー! 四六時中取り澄ましてたんじゃかったるくって仕方ねーよな!!」

 ……………………は?
 何だ、この細っこい顎を盛大に開いてゲラゲラと下品な笑い声を立てている生き物は!? 夕べの神秘の巫女然とした物腰は一体どこ行った!?
 あ、こりゃやばい。
 あんま楽しそうに笑われてる内に、こっちまでどんどん可笑しくなって。

「……く、くはははっ! そういうオチか!? 外面とのギャップが凄まじいぞお前!?」
「いやぁ、〝巫女〟役なんだからそれらしくしろって神主の奴が煩いのなんの。今だってみんなが寝静まったとこ見計らって、酒瓶一本失敬してきてんだぜ?」
「失敬って、おいおいさすがにやばいだろ?」
「神社への捧げもんを〝巫女〟の私が頂いたって罰は当たんねーっしょ? で、どうよ。暗さんも演舞の参加者として、報酬代わりに一杯」

 テレキネシスで宙に浮かぶ酒瓶とお猪口。傾いた注ぎ口から、芳醇な香りを放つ透明な液体が杯を満たした。むぅ、断るにはこの香りは魅惑的すぎる。この際だ、細かいことは放っておこう。誰も見とらん月も出とらん。

「いいね。じゃ、お言葉に甘えて」
「そうこなくっちゃ!」

 一気に呷った杯は、最高に刺激的で強烈な旨さだった。

 ●

「ぷはぁ~、いい酒だ! こんないい酒をはなむけに頂けるなんて嬉しいねぇ」
「え? はなむけって、暗さんも引退しちゃう……とか?」
「ん?いや、来年からも相手してもらうつもりだけど?」
「だよな? 毎年くんのにはなむけなんて普通言わねーんじゃ……?」

 やべ、何かトチったか?
 顔に出たらしく、夢雲の奴また軽く吹き出しやがった。

「ちなみに、どーいう意味だと思ってた?」
「……華々しい祝いの席での贈り物とか、そんな感じで」
「あー解る解る。読みからすりゃそー思うわなぁ。でも残念。餞別の〝餞〟って書いて〝(はなむけ)〟だ。旅立つ奴への贈り物のことだぜ」

 うわぁ、やっちまった。
 それじゃ、出会いの席で出された物に使ったんじゃまるっきりアベコベじゃないか。こっちが年長だってのに恥ずかしい。

「ま、そー気にしなさんな。私も前に誤用して、神主に注意されたクチだかんな。そん時教わったんだが、餞の〝ハナ〟っていうのも、華々しさとか植物の花とかじゃなくて、〝ここ〟のことらしいぜ」

 浮かばせたお猪口で、夢雲はトントン、と自分の吻先を叩く。

「え、〝鼻〟?」
「うん。旅立つ友達の鼻先を、目的地に向けて送り出す〝鼻向け〟って風習が元だってさ。*2ってことで、ここにゃいねーが、嫁に行った先代に捧げるんなら〝餞〟でいいんじゃね?」
「なるほど。じゃあ、弧姑さんに乾杯、だ」

 とんだ恥を掻いたが、おかげで解ったことが、餞の意味と語原以外にもうひとつある。
 この夢雲、メッチャいい奴だ。
 こっちの間違いを嘲笑わないで、自分も昔間違えてたってフォローしてくれて、受け売りだと明かした上で丁寧に教えてくれて、おまけに間違いがこの場で妥当な意味になるように話を運んでまでくれた。口調こそ砕けてるけど、〝明月の巫女〟に相応しい心根が感じられる。

「っていうか弧姑さん、寿引退だったんだ?」
「おーよ。ぁんのクソババァ、いっつも〝巫女〟見習いだった私に『〝明月の巫女〟たるもの、淫欲に乱されることなく清浄たれ』とかのたまってたくせによぉ、旅のスイクンにコロッと参っちまいやがって。あぁ腹立つー!」
「まぁ、いつそうなってもいいように後継を育ててたってわけだな。ならお前も後継用意して誰かと恋すれば〝巫女〟を辞められるってことじゃね?」
「そーなんだけどさぁ、〝巫女〟になれるような素質があって純潔のクレセリア見つけ出すだけでひと苦労だし、そんじょそこらの雄とじゃ釣り合い取れねーもん。いっそ暗さんがもらってくれね? 〝暗闇の使徒〟と縁戚作っとくってことなら神主も説得しやすいし」
「悪ぃ、こう見えてこっちも雌の仔だ」
「へへ、気づいてて言いましたー」
「!? このぉーっ!!」

 怒声もすぐに笑い声となって弾ける。あぁ楽しい。誰かと酒を飲み交わして遠慮なく語り合うことが、こんなにも愉快なことだったなんて。

「しっかし、月が純潔の象徴だからって処女を守らなきゃならんとは、〝明月の巫女〟ってのも難儀だねぇ」
「そーなんよ。今日の昼なんて祭の前だからって、麓のポケセンからきたラッキーさんの前でアソコ曝されてよ。おっ広げられて中身確認されて、はい処女ですよ、だと。冗談じゃねーよそれで純潔っていーのかよと」
「ハハハ……その点、〝暗闇の使徒〟にはそんな縛りないから、山に迷い込んできた雄ポケ適当に誘っちゃ遊んでるけどな」
「へぇ~。私ゃ雄は厳選したい派だから真似したかねーが、自由なのは羨ましーなぁ」
「バージンくれてやったヒトツキ君とかマジ性なる剣」
「ほうほう?」
「けど、私ってば油断すると悪夢見せちゃうもんだから、誰ともふた夜と続かんのが辛いところよ」
「なるほどー。そっちはそっちで苦労があるんだねぇ」

 酔いに乗っかってかなり際どいことまで言いたい放題。素面に返ったら羞恥にのたうち回ること必至だなこりゃ。

「もうすっかり明るくなっちまったな……」
「あ、日が出ると何かまずかった?」
「夜行性の身には日光はあんまり。暗い内に帰る予定だったんだけどよ」
「あちゃ、そりゃすまねー。酒盛りにつき合わせちゃって」
「いやいや、疲れて寝入っている間に日が昇っちまって帰るのが翌晩になることはこれまでにもあったし、一緒に飲めて楽しかったよ。気にすんな」

 本当に素敵な打ち上げだった。欲を言えば来年もまたこうして飲み合いたいが……望むもんじゃないよな。〝使徒〟と〝巫女〟との馴れ合いなんて。

「なー、……今夜からの祭、一緒に遊ばね?」
「へ?」

 唐突な誘いに眼を瞬かせつつ顔を上げれば、こちらを覗き込む尖った吻先。
 向けられた言葉を吟味して、けれどやっぱり首を横に振らざるを得ない。

「いやいや、悪役はさっさと去るのが通例だし」
「悪役だって祭の参加者だろ。あんただけ1夜っきりなんて通例なんか今年からなしにしよーぜ」
「だけど毎年悪夢を見せてる私が人前に出たりしたら、みんなに何て言われるか……」
「祭の夢で不幸を味わうことの大切さは子供でも教わってる。誰もあんたを嫌ったりしてねーよ。村の連中、ポケモン好きな奴ばっかりだぞ? 喜ぶに決まってんだろ」
「でも……もしうたた寝してる人にナイトメアがかかったらマズいだろ」
「そんなの私が全部浄化してやるっての!」

 事も無げに言い切る薄紅色に澄んだ瞳。その輝きの中に写る私の黒い影は、あれ、こんなにも誰かと寄り添うことに怯えていたっけ、と気付けるほどに儚く震えていて、けれどそんな蟠りなど、穏やかに揺らめく夢雲の光が優しく拭い去ってくれるようで。
 あぁ、きっとこれが三日月の羽が持つ力。ダークライにも効くもんなんだなぁ。

「いいの、かな?」
「信じろよ、暗。私らもー友達じゃん?」

 屈託のない笑顔に最後のひと押しをされて、私は、

「そうだな。じゃあ……行こっか」

 迷いのすべてを捨てて、頷いていた。

 ●

 西空が黄昏に暮れる頃、迎えにきた夢雲と一緒に私は、長年背を向け続けてきた祭の賑わいの中へ。
 果たして夢雲の言っていたとおり、村人たちは〝暗闇の使徒〟である私を恐れたり厭ったりする事などなく、心から歓迎して受け入れてくれた。
 夢雲と連れ立って、想いのままに祭を巡った。どれだけ羽目を外してもひと前では巫女っぽく振る舞おうとする夢雲の様子がおかしくて私もそれに習ったが、お互い度々本性が漏れて、それがまた可笑しくて。ふたりで屋台の食べ物やお菓子を分け合ったり、ミニゲームに挑戦したり、村の子供たちとじゃれ合ったり、みんなの作った輪の中心で踊ったり……これまで知らなかった楽しさを、たくさんたくさん味わった。
 幸せな時間は翌晩、更にその翌晩と、クレセリアによく似た三日月が夜天に優雅な弧を描くまで繰り返された。来年も一緒に遊ぶことを、夢雲と、みんなと約束して、ようやく私は住処への帰路についた。
 その年から、私にとって峠村の秋は、収穫と舞いを独り楽しむだけの一夜ではなく、大好きな友達と楽しみ過ごす四夜になったんだ。

 ●

 幾度もの季節が巡り、また秋の新月の夜。
 夢雲と一緒に祭で遊ぶようになってから、最初にじゃれ合ってくれた村の子供が大きく育って独り立ちするほどの歳月が流れ、秋が来る度に私と夢雲や村人たちとの交流は飽きることなく繰り返された。
 さぁ、今年も同様に、私の悪夢を夢雲が祓い、華麗に技を放ち合いながら舞い踊った後、村人らと共に祭を遊び楽しむ4夜を始めようじゃないか。
 星灯りだけが照らす静寂の中、漲る〝暗闇の使徒〟の力を沸き立たせ、全力全開のダークホールを村中へと、例年どおりに――

「お待ちを、暗!」

 解き放とうとする寸前に、聞き慣れた神主の声。あれ、段取りがいつもと違う。

「どうした、まだ悪夢を蒔いてもいないのだが? 何を手順を間違えて……!?」

 段取り以前に、何だ今、神主が呼びかけた口調は?
〝暗闇の使徒〟を退ける威圧じゃない、演舞以外で私と話す時の、お客様待遇の口調だ。
 祭じゃ、ない。何かの事情で、演舞の準備が整っていない。
 そして何より、いるべき姿が神主の背後にいない。懐に隠れている気配も、感じられない。

「まさか……夢雲に、何かあったのか?」

 恐る恐るの問いに、白髪の混じりだした頭が頷く。

「わけは道中で。一刻を争います。早くあの仔のところへ……!」

 ●

 隣山の奥に住んでいる私には、峠村の状況を知る機会が少ない。最初に神主にスカウトされたのも、たまたま新月の夜にちょっとした冒険気分で峠村まで遠征してみた時だった。こっちから出向かない限り、何が起こっていてもなかなか届いてこないものなのだ。
 だから今年の夏、村が流行病に襲われたことも、私は知らなかった。
 高熱に倒れ苦しむ人々を救うため、夢雲は身をなげうって三日月の舞を踊り続けた。枯渇していく霊力を気力で補い、帯状の羽を擦り切れさせてまで、愛する村人を守るために病魔と戦い抜いた。
 決死の奮闘が実を結び、やがて病魔は退けられた。私の住む山まで被害が及ばなかったのも、夢雲がそこで食い止めてくれたからだろう。
 しかし、そのために疲弊の極みに達した夢雲は、別の病魔に取り憑かれてしまったのだ。
 伝染性こそないが、体組織を蝕み崩していく恐ろしい病気で、衰弱していた夢雲には太刀打ちする術もなかった。人、ポケモンを問わず多くの医師や癒し手が治療のため呼び寄せられ、あらゆる手を尽くしたものの、病状は悪化の一途を辿ったのだという。

「って、その医師や癒し手たちは、流行病の間何をしていたのだ? 夢雲だけに負担がかけられなければ、そんなことには……!?」
「流行病ですよ。当然、それぞれの地域の患者を治療していたのです。それに、三日月の舞で疲弊した夢雲を癒す役目のラッキーたちもいました。それでも……救いきれなかったのです」

 く……そりゃそうか。何も知らず、酷い八つ当たりをしてしまった。元より悪者探しをしたってどうにもならないってのに。

「悔やまれるのは、〝明月の巫女〟の後継を育てていなかったことです。夢雲の負担を肩代わりできる〝巫女〟が、あるいは三日月の舞で夢雲を癒せる〝巫女〟さえいてくれれば……」
「話は聞いている。高い素養と月の霊力を最大限引き出すための純潔性を持ち、三日月の舞を舞えるだけの修練を積んだクレセリアなど、やはりそうはいるものではないか……」
「はい……」
「それで、今の夢雲の容態は?」
「…………当初、ジョーイさんの見立てでは、『秋は迎えられない』と」
「秋? それは……次の年の秋を、という意味か?」

 むしろそうであってくれと、既に深まった秋の星空に願うも、

「……いいえ」

 真冬の北風よりも厳しい応えに、心が凍えた。
 もう夢雲は、とっくに死んでいてもおかしくないような状況ってことだ。 

「今は、モンスターボールの生命維持装置で、辛うじて保たせている状態です。ボールから外に出れば、どれだけ生きていられるかも……」
「待て、ならば夢雲は、麓のポケモンセンターにいるのではないのか? それにしてはこの道程は……?」

 明らかに麓とは逆の、山の裏手へと続く道に向かっている。

「既に治療は望めません。病室であなたと会いたくないとあの仔にせがまれ、先ほどボールのまま、この先の……」
「解った」

 それ以上は聞く暇も惜しい。神主を追い越し、山道を驀進する。
 つまり、いつもの場所で待っているというわけだ。
 秋の朔の夜、プライベートで待ち合わせる場所といったら決まってる。
 初めて友達になった、あの岩棚の下だ。

「避けられない最期なら、私は夢雲が望む形で送ってあげたいのです。暗、あの仔をどうか……!!」

 任せろ。
 背後からの声に無言で頷き、ひたすらに思い出の場所へ――!

 ●

 黒々と聳える峰を、ぐるりと回り込む。毎年通い慣れた道程なのに、異様に長く感じた。
 幾重もの巌根を乗り越え、紅葉が茂る木々の間を抜けると、巨岩が断崖に突き出して岩棚を形成している景色に辿りつく。
 演舞後の退出所として、夢雲との待ち合わせ場所として毎年使ってきた岩棚。
 あそこにいるはずだ。あと少しだ――

《止まりなさい》

 突如響いた声。制止して耳を澄ます……耳? 違う。今の声は直接脳に届いたテレパシーだ。

《元気そうで何よりです。暗》
「夢雲……なのか!?」

 こんな形で聞くことなんてなかったから戸惑ったが、確かにこのテレパスは夢雲の〝明月の巫女〟としての声を発している。

《はい。私の方は……恐らくお聞きのとおりかと。もうテレパスでしか話のできない有様ですが、どうにかあなたの声を聞くことができました。今夜まで生きながらえて、本当によかった……》

 そのテレパスすらノイズが激しい。送るのにも相当な無理をしているのだろう。

「あまり無理するな。テレパシーでも、近くの方が負担が少ないだろう? 今そこまで行ってやるから……」
《その前にお話があります、暗。私の……サイコシフトの生贄になっていただけませんか?》
「…………は?」

 何か唐突に、妙な提案をされた。
 何だサイコシフトって。そりゃもちろん、クレセリアの使えるエスパー技で、状態異常を相手に押し付ける効果だが、まさか……。

《あなたに病魔を伝染して、私だけ助かりたいということです。病巣さえ取り除けば、後は月の光で回復できますゆえ》

 …………おいおい。

《私の代わりに死んでいただけるのでしたら、早くこちらにいらっしゃいませ。そうでないのなら、今すぐその場から悪の波動を怒りにまかせて放ち、私を思い出ごと吹き飛ばしてくださいますよう。それが私の、最期の望みです》

 ……割と元気そうだな、お前。
 あまりの言い草に二の句も告げずにいると、紅葉を散らせて神主が追い付いてきた。テレパシーは無指向でばらまかれていたようで彼にも聞こえたらしい。多分、私と同じ顔をしてる。

「暗、夢雲は……」
「解ってる」

 くだらなすぎて確認を取るのもバカバカしい。そんな最期の望みなどあってたまるか。

「悪いが、夢雲とふたりっきりにさせてくれ。他のポケモンを使って覗くのもなしだ。見られてると、あいつも本音を言い辛いだろうからな。必ずあいつを……本当の望みどおりに、逝かせてやるよ」
「すべてお任せします。すみません、最期までああいう仔で……」

 確かに、あいつらしいと言えばとことんらしいわけだが。

《あ、あのちょっと暗、おい待てやこらっ!?》

 そら見ろ。誘っておいて何が待てだ。
 本性がダダ漏れのテレパスをガン無視して、岩棚へと駆け上る。

 ●

《どうやら、私の病魔を受け入れてくださるようですね。命がいらないようで助かります》
「あぁ。代わりになれるもんならなってやるよ。村の奴らだって、そう思う奴は少なくなかっただろうがな」

 ちっ、という音が脳に届いた。何もテレパシーで舌打ちせんでも。
 
「神主にはひと払いしてもらったから、もう無理してネコ被んなくていいぞ」
《……神主から聞いてたのかよ。サイコシフトじゃ、私の病気は…………》
「『伝染性はない』ってことと『あらゆる手は尽くした』ってことは聞いてた。クレセリアが普通に覚える技で治るぐらいなら、とっくに何とかしてるだろ」

 回復技は万能じゃない。技では決して治せない症状も、悲しいかな少なからず存在する。逆をいえば、そういう重症でもない限り、幾多の回復技を使いこなせるクレセリアが病魔に追い詰められるわけがない。ったく、嘘の下手な奴だ。

「どうせ顔も会わせずにさっさと嫌われた方が私が悲しまんとでも考えたんだろうが、よけいなお世話もいいところだ。そもそも、あんな技にもなっとらんようなデタラメな挑発で、誰が攻撃なんぞするものかよ……入るぞ」

 ようやく辿りついた岩棚の下。ふたりで毎秋寄り添い語り合ったその場所に、転がらないよう台座に据えられたモンスターボールがひとつ。
 透かし見えた内部の様子に、

「…………!?」

 動揺を、押し殺しきれなかった。

《……見られたくなかった、ってのが本音だったんだよ。こんな無様な、萎びたバナナをな……》

 どっちかと言うと、腐った茄子かと思ったが。
 とにかくそれほどまでに、ボールの中に横たわる夢雲の姿は、無惨にも変わり果てていた。
 澄んだ青空の色だった体色はくすんで艶を失い、滑らかな曲線を描いていた胴はやつれてシワだらけとなり、あちこちに赤黒い染みが浮いていた。微かに開いた薄紅色の双眸も、色褪せて暗く澱んでいた。何より衝撃的だったのは、クレセリアの象徴とも言うべきオーロラの羽が、惨たらしい断面を残してすべて根本からちぎれ落ちていたことだ。これでは最早、浮遊もできまい。毎年私と共に祭を彩った夢雲の華麗な舞は、もう二度と見られない。

「……悪ぃ。少し事態を甘く見てた」
《いーさ。やっぱ側にきてくれて嬉しかったからな。あんたに会いたいためだけに今夜まで保たせてきたんだ。声を聞くだけで満足するつもりだったのに、それ以上のことをしてくれた。もう、充分だ……》
「夢雲…………」
《改めて頼む、暗。介錯してくれ。この身体を悪の波動で灼き祓って、私を病魔の苦しみから解放してくれ。私の悪夢を、あんたの手で終わらせてくれよ》

 神主に、『もう治療は望めない。避けられない最期なら、夢雲の望む形で送ってあげたい』と頼まれた時点で、この望みを覚悟してはいた。
 それでもこの岩棚に入るまでは、心の奥で願わずにはいられなかった。見立て違いであってくれ、と。夢雲の命を助ける手段は、まだどこかにあるんじゃないか、と。
 しかし、彼女の現状をこの眼で見た今、覚悟は決まった。
 夢雲の死は変えられない。少なくとも私にはどうにもできないし、助けられる誰かを捜す時間は彼女にはない。
 このまま神なんぞの手に委ねて夢雲の苦しみを徒に長引かせるよりは、彼女の望むまま、幸せの内に殺してやることこそ、私にできる最善だと。

「……分かった。せめてもの餞に、私がお前を送ってやる」
《〝餞〟か……ここで初めて酒を交わした時、私があんたに意味を教えたんだっけ。今回は正しい用法だな》
「間違うものかよ。懐かしいな……あれから何度ともに舞い踊り、ともに遊び合ったことか……」
《悪ぃな。今年の祭も楽しみだったろうに、こんなことになっちまってよ》
「なら、これから楽しもうじゃないか」
《……?》

 曇っていた薄紅の瞳に、怪訝な光が灯ってこちらを見る。
 何だかデジャブ。きっと私も、夢雲に一緒に祭を回ろうと誘われた時、こんな顔をしてた。
 ナイトメアの被害を広げないようにと、〝暗闇の使徒〟以外での他者との関わりなど知ろうともしていなかった私を、夢雲は孤独から救ってくれた。そんないい娘が、愛する村人を守るためにこんなになるまで頑張った奴が、ただその成果だけを報いとしてこのまま死ぬなんて、そんなの私は認めない。神主だって、きっと村人たちだってそう思って、私に夢雲を託してくれたんだ。
 だから今度は、私が夢雲を誘う。これから始まる、私たちだけの祭に。

「介錯はしてやるが、悪の波動なんぞでお前の悪夢をあっさりと終わらせる気はない。そもそも、悪夢を終わらせるのはお前の役目だろ? 私の仕事は、悪夢を見せる方だ」
《!? そうか、ナイトメアで、私を……!?》

 答は早かった。長い付き合いだけあって、すぐに察してくれたようだ。

「そういうことだ。ただ楽に死ぬより、ダークホールに堕ちて悪夢を見ながら楽しく死んでいけ。それなら私もお前の生命力を食える。いつもの祭どおりにな」
《あー、いいねー、それ》

 やつれた顔に、心からの笑みが浮かんだ。
 自分が最期に見る夢が、楽しみで仕方がない様子だ。その笑顔が見れただけでも、提案してよかった。

《考えて見りゃ、私の勝手な要求ばっかで、あんたの利益についちゃすっかり失念してたもんなー。うんうん、こんなヘタりきった残りカスでいいなら、どーぞ召し上がってくれ》
「それで、な。ダークホールに一緒に堕ちれば、私は悪夢の内容を弄くれる。その内容についてなんだが……」

 せっかくの幸せそうな笑顔だが、続く言葉でぶち壊させてもらう。
 どんな反応を見せるか、それもまた楽しみだ。

「……淫夢なんか、どうだ?」
《い゛う゛っ!?》

 お、効いた効いた。10万ボルトでも浴びたかのように、ボールの中で潰れた茄子が吹っ飛んだ。

「お前、昔っから〝明月の巫女〟の処女性うっとおしがってたろ? どうせ最期だ、夢の中で果たしちまえ。雄の好みがあるなら教えろよ。リクエストに応えるぞ」
《こ、好みて……それ、悪夢になるの、か……?》
「初体験だぞ。破瓜ってのはめっちゃ痛いもんだ。いい雄に貫かれて死ぬなんざ最高に幸せな悪夢だろうよ」
《はぅぅ……》

 なけなしの筋力で戦慄いて身悶えする夢雲。極限を越えて追い詰められもう何の役にも立たない種族維持本能が、身体の奥で暴走してのたうち回っていると見える。大丈夫かおい。このままポックリ逝かんでくれよ。
 出会ってからずっと、たくさんの喜びを、お前は私に教えてくれた。
 そのお返しに、今度はお前の知らない悦びを、私に教えさせてくれ。

《なー、暗……何を聞いても、軽蔑したり嘲笑ったりしね?》

 おや、やっと少し落ち着いたかと思ったら、とてつもなく恥ずかしそうな顔をして妙なことを言いやがる。
 何か変態的な性癖でも隠し持ってたか? ま、清純に生きてきた夢雲のこと、性癖っつっても可愛いもんだろうが。

「お前が墓まで持ってくつもりだった秘密に首を突っ込んでおいて、私がそんな理不尽なことをするとでも? 村の連中にも覗かんように言っといたし、私も誰にも話したりしないから安心して言いな。躊躇してる暇も勿体ないぞ?」
《いやー、あんたがみんなに言う分には構わねーんだけどさ…………》

 オドオドとボールの中を眺め回しやがって、まだ躊躇いを捨てきれないと見える。ほらほら、チロッとテレパスを開放させるだけでいいんだから、さっさとお姉さんに聞かせたんさい。

《……クライ》
「?」

 ラクライ、かな? ライボルトじゃなく?
 何だ、ただのショタ趣味か。軽蔑だの嘲笑うだのと何を大げさな。やっぱ処女なんて可愛いもんだ。

《ダー……クライが、いい……そのままの姿で、雄になったあんたに抱かれて、死にたいんだ、私は》







 長い長い沈黙で、貴重極まりない時間を盛大に浪費した。

「ま、マジックコートで跳ね返したっ!? それとも本当にサイコシフトで押し付けてきたのかっ!?」
《真面目に応えただけなんだが? ボケにツッコんでる暇も勿体ねーんだけど》
「いやいや、だからどうしてここで私なんだよ!? お前の雄の好みを訊いたんだぞ!?」
《だからあんたと応えたまでだ》
「忘れてるのかもしれんが私ゃ雌だぞ!? 人間たちには性別不明扱いされたりもしてるが普通に雌の仔だぞ!?」
《解ってるよ。だから『雄になった』あんたに抱かれたいって言ってんだろ》
「…………」
《さっきも言ったが、別にみんなに言ってくれても構わねーぞ? どーせ恥を掻く明日もない身だし》
「言えるかっ!? こっちが恥ずかしいわっ!!」

 参った。完全に攻守を交代された。
 混乱に飲まれて、まともな返答なんかできやしない。ったく夢雲の奴、余裕を取り戻したのか開き直ったのか、病んだ顔をニヤツかせやがって。

《そんな深く考える話じゃねーよ。これまで〝明月の巫女〟として恋愛と無縁でやってきたんで雄の好みとか訊かれても判んねーし、だったら長年祭の相方として付き合ってきたあんたを雄に見立てるのがお手軽だって思っただけだ。釣り合いも取れるし無難だろ?》

 ま、まぁ、言われてみたらそれも道理で……、

《……ってのは、照れ隠しの建前だ》

 おいぃっ!?

《あんたが好きだ、暗。〝明月の巫女〟になる前から、同性だと判っていても憧れてた。友達になってからも、ふたりっきりでエッチな話で盛り上がる度にあんたとする事を考えてた。あんたのことを想いながら自慰に耽ったこともある。打ち明けられるなんて思わなかった。ましてや、夢とはいえ結ばれるなんて……あーもう、やだなぁ。ここまで衰えると思考のブロックもできやしない……》
「夢雲…………」

 あぁ畜生、恥かしいなぁったく。よくもまぁ平気な顔して赤裸々に言えるもんだ。
 ……いや、平気なわけないよな。もう後のない身体に押されて追い詰められて、ありったけの勇気振り絞って言ってるに決まってるだろ。
 何をやってんだ、私。秘密にこっちから首突っ込んで文句を言うのは理不尽だとか言っておいて、秘密の中身が自分だったらこの様か。
 狼狽えてる場合じゃないだろうが。夢雲は命を懸けて告白してるんだぞ。真剣に受け止める覚悟もなかったのかよ。こいつの知らない悦びを教えてやるって意気込みはどこ行った。
 そもそも、

「告白されて『マジックコート』を疑った時点で、言い逃れの余地もないか……」
《何か言った?》
「何でもない! 開けるぞ。覚悟はいいな?」
《……とっくに!》

 病魔の進行から夢雲を守り続けてきたモンスターボールのボタンに手をかけ、解き放つ。
 紅い閃光が外界に放り出した大柄な身体を、腕を伸ばして受け止める。――軽い、な。ダークライの細腕でも苦もなく支えられるなんて。本来クレセリアである夢雲は、私よりもずっと重たいはずなのに……。

《臭いだろ? とことん迷惑かけて悪ぃな》

 確かに酷い悪臭だったが、こちとら元より半野生。死に瀕した匂いなど慣れている。

「お前が村を救った戦傷が放つ匂いに、背ける鼻など持っとらんよ。眼、閉じろ。すぐに眠らせてやるから」
《ん……少し待って》

 病に濁った眼が、それでも確かな意志を宿して周囲を見渡す。
 ふたりで酒を飲み交わした岩棚を。ふたりで舞った満天の星空を。
 恐らく夢雲が肉眼で見られる最期の景色。名残惜しむように。脳裏に焼き付けるように。別れを告げるように。
 やがて、もう現世に未練はないと断ち切るが如く、夢雲の瞼が静かに下ろされた。

《さ……いーぞ。やってくれ…………ムグゥ!?》

 テレパシーなのに、口を塞ぐと話せなくなるもんなんだな。思い込みのせいなんだろうが。
 とにかく、夢雲がよけいな文句を言う前に、さっさとダークホールに堕ちるとしよう。
 抗議も言い訳も、後は全部夢の中だ。


 ●

 見渡すと、桜色が広がっていた。
 っていうか桜だった。満開の桜に、私は取り囲まれていた。
 場所が変わったのか、と思ったが、上を見上げるといつもどおりの岩棚。
 そういやここの周囲の木って桜だったっけ。毎年紅葉しか見てなくて、それもまた綺麗なもんだが、やっぱ桜と言えば花だわなぁ。
 ってことは今は春なのか、と思ったが、夜空は変わらずの秋の星座。桜の向こうでは(もみじ)の木が、深紅に葉を彩らせている。つまるところ桜だけ狂い咲きしているわけだ。何とカオスな。

「……ひでーぞ」

 何やら恨めしそうな声がしたので振り返ると、ふわりと広がるオーロラの帯。すらりと伸びた空色の首の先で、三日月型の冠羽がわなわなと震えていた。

「いいい、いきなり唇を奪うとか、私にだって心の準備がだなー!?」
「んな準備を待ってられる身体じゃないだろうが。そっちからあれだけハッキリ告白ぶちまけたんだから、いいだろキスぐらい」
「いーよ! 嬉しかったよ! でも不意打ちすぎて、もーどんな顔してそっち向いたらいーやら……」

 急に黙りこくったので、まさかもう力尽きたんじゃ!? と心配になったが、夢雲は首だけをこちらに向けた姿勢で、桜に負けないほど鮮やかな薄紅の双眸を茫然と見開いて硬直しているだけのようで。

「どうした?」

 問いかけを言い終える前に、大体分かった。
 陶然とした夢雲の瞳には、スマートな身体を濡れ羽色のシックな衣で包み、深い緋色の襟の上に端正な銀髪の顔を魅せる美しい雄ポケの姿が写し出されていたからだ。……まぁ、私なんだが。

「さてはお前、私に惚れ直したな?」
「……うん。雄になった暗、メチャクチャ格好いい」

 そんなに素直に頷かれてもこっ恥ずかしいんですけど。
 まぁ、仕方ないな。元々好意を持っている上に夢の中で美化されて、その上異性の魅力まで付加されているんだから。
 右目にかかる灰色の巻き毛をさらっとキザに流し、甘い言葉で囁いてやる。

「異性として見てるからだろうな。私もお前のことが今までで一番綺麗に見えるよ」
「そ、そんな……エヘヘ…………」

 強烈な魅惑が眩しかったんだろう。耐えられずに夢雲は照れ笑いを俯かせる。
 ったく、可愛いなぁもう。寄り添って頭のひとつも撫でてやろう。

「隙有りっ!」

 のわっ!? 何だ突然、三日月の輝きが勢いよく跳ね上がったんだが!?。
 と同時に、視界の下方が突如現れた漆黒の闇によって遮られた。何だこれ!?

「きゃっ!」

 どうしたんだろう。夢雲の奴、微笑を含んだ悲鳴なんか上げて顔を逸らしてやがる。
 そうしている間に、闇は私の足下に落ちていく。あぁこれ、何かと思えば私の裾か。……っておい!?

「きゃああああ~っ!?」

 今更手遅れだが、取り敢えず裾は押さえておく。

「いきなり何めくってんだお前っ!?」
「いきなりキスした奴に言われたくねーんだけど? お返しだお返し」

 ああくそっ、ごもっともすぎる。

「だからって『きゃっ!』てなんだ!? 何めくった方が恥じらってんだよ!?」
「いやー、スカートの中のポケモンが思いのほか立派だったから」
「勝手に覗いておいて恥ずかしがるな!!」
「その台詞も、こっちの好みを訊いておいてあんただって言ったらメッチャ恥ずかしがった奴にゃ言われたくねーよ」

 いかん。ヘタな抵抗は泥沼に嵌まる。
 それにしても、この後に及んで何と元気で朗らかなことか。現世においては、もう目覚める望みもなく死へと至る寸前の末期傷病者だってのに。どんなになっても、最期まで夢雲は夢雲なんだ。

「ったくお前って奴は……めくんなくても私のモノはしっかりお前に見せてやるから、処女らしくおとなしくしてろ」
「はいはい」

 静かに差し出された細い首筋を抱き寄せ、淡い月色の冠羽に顔を埋めて囁いた。

「好きだぞ」
「ありがと。夢でも、嬉しいよ……」
「おいおい、お前に見せる夢のためだけに言ってるとでも?」
「……?」
「そういう感情もないのに、淫夢になんか誘うものかよ」
「暗、あんた……!?」
「お前に告白された時は、魂胆を見透かされたかと思っちまったよ。ったく、恥ずかしいったらありゃしない」
「……あー、そっちから密かに告ってるつもりで誘ったから、こっちの告白を『マジックコートで跳ね返された』つってたわけね」
「ま、そういうこった。初めて共に舞った夜からお前に惹かれてたよ。毎年一緒に回る祭の夜は、いつもデート気分だった。お前も、だったんだよな……」
「うん……」
「雌の快楽を分かち合うような関係になりたかったが、それで〝巫女〟としてのお前を穢すのも嫌で、ずっと友達のままで今夜まできちまった……もう、想いを躊躇う暇も意味もない。最後の最期まで、心のままに愛し合おうな、夢雲」
「暗……っ!!」

 喘ぐように寄せられた夢雲の唇に、今度こそしっかりと唇を重ねる。互いに舌をねっとりと深く絡め合うディープキス。貪り合いの末に唇を離すと、唾液の糸が名残惜しげにふたりを繋いでいた。

「あぁ、暗。私たち、本当に両思いの恋ポケ同士になれたんだな!!」
「そうだぞ。今見てる世界が夢でも、私たちの想いは夢じゃない」
「嬉しーなぁ……もーこんなの、破瓜がどんだけ痛くったって悪夢になんかなりっこねーじゃんか……」
「お、言ったな? じゃ、どんだけ痛いか、そろそろ体験してもらおうか」
「あ…………っ」

 桜の花々が見守る岩棚の下、空色の身体を押し倒す。仰向けになって宙に浮いた夢雲の細い首筋に口づけながら、膨らんだ胸元に手を埋めた。

「あぁっ……暗、そこっ、気持ちいい……っ」
「やっぱ性感帯か。見るからにそうだと思った」

 ゆっくりと揉みしだくと、膨らみの下で早鐘を打つ鼓動が掌に伝わってくる。指先で薄紅の羽毛を掻き分け、奥に隠れていた熱く硬い突起を探り当てて弄くった。

「暗……あんっ、あぁん……っ」

 私の名前を呼んでるのか、喘いでいるのか、もう判別がつかんなこれは。
 荒息で上下する胸元に顔を埋め、舌先で突起を舐る。胸から離した掌は、お腹の柔らかな丘に伸ばして撫で回した。

「あ、左脇腹に大きな黒子みっけ」
「くすぐったい……あんま弄んなよぉ」

 イヤイヤと身を捩る夢雲の仕草を楽しみながら、掌を下腹の方へ。やがて――

「ひゃうんっ!?」

 尻尾の付け根まで辿り着いた時、とびきり熱く湿った感触を捉えた。

「ああああ……暗、お願い、早く……暗のが、欲しーよ……」
「淫らだな。初めてのくせに、こんなに濡らして……」
「言っただろ。すっとひとりで、慰めてたんだよ……もー我慢できねーよぉ……」
「よしよし、今くれてやるぞ」

 裾をたくし上げて、その下で猛り狂って暴れている獣を露わにする。
 エラの張った頭を掲げて竿立ちになったそれは、まさしく乙女の夢を食らう獏。

「ほええ、さっき見たよりもっと立派になってる。そんなの本当に私の中に入るのかよ!?」
「ビビったか? だとしても止めてやらんが」
「ん、大丈夫。頑張る」

 仰向けに浮いたまま、夢雲が下腹をこちらに向けた。
 尻尾を思いっきり下に反らして。
 すっかり開かれた尻尾の付け根には、可憐に咲く花が一輪。

「見事な、月下美人だな」
「何つー喩えをしてんだよ。いーから早く散らせてくれ」
「まぁそう焦るな。もう少しだけ味わわせろ」

 月下美人、か。年に一度、新月の夜に一夜だけしか咲かない花。儚い恋。
 いや、艶やかな美人。秘めた情熱。強い意志。そんな花言葉の方が、夢雲には似合ってる。
 想いを込めて、彼女の月下美人に口づけ、豊潤に湧き出る蜜を啜った。

「んあぁぁっ!? はひぃっ!? もう、堪んねーよぉっ!!」

 ビクビクと身体を震わせて悶える夢雲。私の股間の獏も、早く美味そうな月下美人を貪りたいと涎を垂らしながら、何度も裾をまくり上げた。

「さぁ、挿れるぞ……愛してる、夢雲」
「私も……暗、大好き……」

 互いの想いを確かめ合うと、夢雲の腹の上に乗り上がり、雄叫びを上げる獏を月下美人へと導く。
 花弁に顔を埋めた獏は、溢れる蜜を浴びながら、じゅるりと奥へ潜り込んだ。

「ん…………っ!!」
「痛いか?」
「まだ……平気。もっと奥へ……お願い……!」

 涙目になってそれでもせがむのがいじましい。夢雲の中で、獏がますます漲るのを感じる。
 腰を進め、更に蹄跡を刻むと、程なくして獏の頭が壁に突き当たった。
 あれ、獏の胴はまだ、たっぷりと外に残っているんだが……?

「もう突き当たりか? 意外に浅いもんだな……それとも、私のを少し大きくしすぎたかな?」
「……何、言ってんだ?」

 激しく息を荒げながら、夢雲が首を傾げた。

「それ、私の純潔の証だろーが……さっさと破れっての」

 …………はあぁ!?

「何だそりゃ、どんだけ丈夫な処女膜だよ!? 普通は入り口を押し開いた時点ではちきれるもんだろうが!?」
「今ツッコむよーなとこかよ……恥ずかしいなーもう」
「ツッコむとこだよありとあらゆる意味でっ!?」
「何かおかしいか? 屈強の耐久を誇るクレセリアの、しかも〝明月の巫女〟やってる私の処女膜だぞ。そー簡単に破れんのが当然だろーがよ」
「う……」

 納得させられてしまった。まぁ、現実のクレセリアの構造なんぞ知らんが、夢なら何でもアリか。恐るべき処女の妄想力。

「解ったら早くトドメを刺してくれ。これで最後まで行けずに生身が逝っちまったら、マジ死んでも死にきれねーよ」
「……つまり、ここからが本番ってわけだ。いいだろう、頂こう!!」

 一層の力を込めて、腰を突き入れる。
 昂る獏が、神秘のヴェールに歯を立てて、食い破った。

「んぐううううぅぅっ!?」
「夢雲……大丈夫、か?」
「痛ぇ……メチャクチャ痛ぇよお、暗……っ!!」 

 夢の中で頬を抓ったって痛くない、などというのは、処女喪失が必ず激痛と出血を伴うものというのと同じで誤りだ。
 脳が触れたと思い込めば、その場所の神経に感触を送るよう要求して、神経がそれに応えて錯覚を引き起こすのは間々ある話なのだ。穢れない未成熟な神経であるほど、錯覚に陥りやすい。ものが淫夢の話だけに、若い雄の仔なら経験あると思うが。
 故に、仮に生身の処女膜が、実際には破っても大した痛みはないものだったとしても、『初体験は痛いもの』だと思い込んでいる限り、夢の中の処女喪失は当然痛いに決まってるわけである。
 苦痛から逃れようと後退する夢雲の身体を両腕でガッチリと捕まえ、過熱した劣情に任せて腰を突き進める。
 知るものもない無垢な道に蹄跡を刻みつけ、獏は奥へ奥へと分け入っていく。
 侵攻の果て、遂に獏の全身が夢雲の中に沈み、ふたりの身体が深く触れ合った。

「全部、挿入ったぞ、夢雲……」
「痛ぇ……痛ぇよぉぉ……あぁ、だけど…………」

 食いしばられた夢雲の口の端が、ふっと綻ぶ。

「痛みの向こうに、暗を感じる……すっげぇ熱くて、ビクンビクン動いてて……あは、タマゴが腹ん中できるって、こんな感じなのかなぁ……愛しいよ、暗。きっと、この愛しさを知るための痛みなんだなぁ……」
「フフ、そうかもな。ポケモンによっちゃ、する時の痛みでタマゴができるっつうんで、トゲつきのモノで突かれたり噛まれたりしたがるマゾな奴もいるって話だし」
「へぇ、やっぱそーなのか。雌の身体って巧くできてるもんだ」

 けれど、その恵みが彼女にもたらされることはもう――
 よそう。嘆くのも憐れむのもすべて終わってからだ。最後の最期まで夢雲に幸せでいてもらうために、私は彼女を抱いているのだから。

「あぁ……夢雲の温もりが、私を包んでる……私が、夢雲の初めての雄になれたんだな……」
「へへ、そんでもって、最後の雄だ。私が愛するのは、生涯あんただけだぜ……」
「そいつぁ至福だな……痛みは、どうだ?」
「ん……、大分引いてきた。暗の温もりだけが、私の中で一杯に膨らんでる……!」
「そろそろ、動くぞ。お前の中に、私を刻みつけたい……!!」
「やってくれ。あんたの獏で、私を食い殺してくれ……!!」

 燃え盛る劣情のままに、腰の律動を始める。
 暴れ狂った獏が月下美人の花園を踏み荒らし、欲望のままに貪り食らう。

「暗、あんっ! あひぃぃっ!!」

 ひとつ突く度に、私の下で淡い三日月が嬌声を上げて踊る。
 獏が花を食らう味わい以上に、愛しい夢雲を竿先ひとつで踊らせている、この征服感が堪らない。

「良くなってきたみたいだな」
「うんっ、暗の……あぁっ、めっちゃ激しくて、もう死にそー……っ!!」
「おほっ、尻尾をビクビク震わせやがって。裏筋に響くぞこいつめ。そんなに私をイかせたいか?」
「違……ううん、そーかも……なんかもう、頭ん中真っ白になってきて、マジでもーダメかも…………っ」
「夢雲……」
「暗、早く、早くイって……暗と最後までちゃんとシてから、死にたいんだよぉ……っ!!」
「あぁ、分かった! 今、ぶっ放してやる……ちょっと乱暴にするぞっ!!」

 もう後どれだけ残っているのかも判らない夢雲との時間を追いかけるように、遮二無二腰を躍らせて獏を叩き込む。
 食らい取った甘い夢が、背筋を熱く溶かし始めた。

「うおお……っ、くぅっ! イきそうだ……夢雲、出すぞっ!!」
「ぁあぁぁっ! 暗っ! イっちゃうっ! 暗のでイっちゃうぅっ!!」

 ギュッと抱き締めた腕の中で、空色の姿態が弓なりに仰け反る。
 溢れ出す熱い奔流に潤された獏が、歓喜の咆哮を高らかに上げた。

「夢雲……っ! うぁ、ああああぁぁぁぁ~~っ!!」
「ぁ暗……っ! あひゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ~~んんっ!!」

 ドクッ! ドクドクッ!!
 ふたり同時に迎えた頂点の果て、私から夢雲に捧げる愛の証が、秘奥の杯へと注がれる。
 明日なき畑に蒔かれゆく、実を成し得ない夢の種。
 それでもせめて、夢雲の心に悦びの花となって咲いてくれ。この夢が続く限り…………。

 ●

 役目を終えた獏が、ぐったりと這い出て垂れ落ちた。お疲れさん。
 私も振り疲れた腰を岩に下ろし、星空を見上げて横たわった。
 三日月の冠羽が、顔の横に寄り添う。ふわっと身体にかかるオーロラの羽が心地よい。

「良かったよぉ、暗……何かもう、思い残すことないかも……」
「そりゃ良かった。私も、良かったぞ。雄の交尾もなかなかいいもんだな……」

 まぁ、一発放つごとの、この重苦しい脱力感はいかんともし難いが。
 仰向けに投げ出した胸に、もたれ掛かる空色の首を抱き寄せる。
 触れ合った身体から伝わる、夢雲の心臓が時を刻む音。
 この音色が続く限り、このままこうしていようか……ふみゃっ!?

「ちょっ、夢雲!? くすぐったひぃぃっ!?」
「へへ……暗、気持ちいーだろ?」

 腹の上でうねうねと波打った羽が、いつの間にやら裾を捲り上げて、萎えた獏を揉みしだいてやがる。気をやった直後のモノがこんなに敏感だったなんて。
 うはぁ、今度は夢雲の奴、首を巡らせて裾の中に……こらつつくな舐めるな咥えるなぁぁっ!?

「おー、暗の獏、また元気になってきやがった。もう一回できる?」
「お前はもう一回できるのかよ!?」
「うん。何だか力が漲ってるみたい。ほら、私のもこんなに濡れてる」

 見えるように持ち上げられた尻尾の付け根で、月下美人の花が潤った彩りの花びらを広げている。つっと撫でれば、溢れて指を伝う蜜が暖かい。

「あぁん……もっと、もっと暗のが欲しいよ」
「そっか……じゃあ、するか」

 夢雲に悦んでもらうためだ。倦怠に浸ってなんていられない。フェラチオも気持ちよかったし。

「今度はお前が上でしようぜ。騎乗位ってのもいいもんだぞ」
「そんな仕方もあるのか!? やりたいやりたい!!」

 ガーディみたいに景気よく尻尾を振りながら、夢雲は羽を広げて私の上に躍り上がる。
 彼女の腰を捕らえて、身構えさせた獏の上に誘導しつつ、

「いきなり落ちないよう気をつけてくれよ。お前、重いんだから」
「んなことゆーなら押し潰す!」

 とか軽口を交わし合ったりしながら、夢雲に腰を沈めさせた。
 今度は苦もなく、獏の全身が快楽の園にしっぽりと潜り込む。ねっとりと絡みつく感触は、先に注いだ私の種か。不快を訴えることもない。すぐにお代わりをくれてやろう。

「あぁ、やっぱ暗のはいーなあ。太いのが奥まで届いてやがる……っ」
「騎乗位だと深くまで入るからな。それに、眺めもいいだろ?」
「うん。イケメンに乗っかってるって最高だわ。へへ……」
「こっちからの眺めも乙なもんだ。やっぱり、三日月は星空に見上げるのが一番だな」

 満開の桜の色彩と香りに囲まれた中、新月の星灯りを背に浮かび上がる、本物よりも美しい三日月。なんと幻想的な光景か。
 この幻想に、官能の華を足してやろう。悪戯な想いにかられて、腰を突き上げる。

「はひゃあっ! んひゃひあぁぁっ! 飛んじゃうっ! 天国までイっちゃいそうだよぉっ!!」

 喜悦に酔いしれた三日月が、星空高く舞い踊る。
 素敵だ。まるで夢のようだ……まぁ、夢なんだが。
 私という暗雲に描かれた鮮やかな夢、夢雲。
 もっともっと、彼女という夢を楽しみたい。
 しかしこの騎乗位という体位、深く繋がれるのと腰が楽なのはいいんだが、上体が地面に固定されているせいで視界が限定されるのが難点だな……。せっかくの綺麗な背景の中、もっと色んな角度から夢雲を眺め回したいんだが……ん、回す? ……そうか、回せばいいんだ。

「回すぞ、夢雲」
「は? 輪姦(マワ)すって……あんたひとりでどうやんだよ? 影分身でも使うってか?」
「……お前なぁ、〝明月の巫女〟なんかやってたくせに、どこでそういう言葉覚えたんだよ? そうじゃなくてだな」

 片手で夢雲の尻尾を、もう片方の手で胸を掴み、それぞれに押し出す。

「ふみゃああぁぁっ!?」

 嬌声を岩棚に木霊させて、結合部を軸に夢雲の身体が回り出した。
 細やかな首筋も、ふっくらとした胴も、柔らかな羽に被われた胸も、胴の左右と背中で弧を描くオーロラの羽も、ピンと立った尻尾も……こうして回せば、寝たままの姿勢ですべてが眺め回せる。
 おまけに、月下美人の肉壁が、獏の身体を裏から表までぐるりと舐め回して……うおお気持ちいい。何これ発明!?

「ぁああああんっ! 暗のが、暗のが私の中をグルグル掻き回してるぅぅぅぅ~っ!!」

 幸いなことに夢雲も気持ちよさそうだ。スピードを上げて、もっと快感を分かち合おう。

「暗、暗、暗んんっ! あぁ、回る度に暗がいるっ! 暗がいっぱい……私、暗に輪姦(マワ)されてるよぉぉっ!!」

 目でも回したか? 夢の中でどんな幻影に浸ってんだお前は。
 それにしても、仰け反って月色の腹を見せた三日月状の身体をこうしてグルグル回してみると、まるで夢雲が満月になったみたいだ。
 満天の星空に煌々と輝く満月。紅葉の季節に咲く桜以上に現実離れしていて、この上なく美しい。
 満ち足りた幸福感の中、いつしか私は2度目の絶頂を夢雲の中に吹き上げていた。

 ●

 すっかりフラフラになった夢雲と、ふたりで床に身を投げ出す。
 喘いだ息を絡ませて口づけ。たっぷり味わった後でようやく口を離した。

「満足したか?」
「ヨかったよぉ……でも、もっとしたい。最期まで暗とつながってたいよ」
「やれやれ、タフなもんだなぁ」
「腐ってもクレセリアだもん。無駄に丈夫な身体に悩まされたけど、今は保ってくれててありがてーや」
「こっちはそうでもないんでな。2発もぶっ放して腰がガクガクいってやがる」

 我が身が陽炎のように揺らめき、股間の獏が姿を消した。
 身体中に帯びていた雄らしい魅力が消えていく。すっかり現実どおりの雌の身体だ。
 頬にかかった夢雲の吐息に、寂しさが混じってた。

「そっか……悪ぃな。んじゃ、後は休んでよっか」
「諦めるのはまだ早いぞ」
「へ?」

 きょとん、とした夢雲の尖った吻先を、つんっと黒い指先で突く。
 見開かれた瞳の中で、私の姿はいつものまま。ただそれを写す薄紅の色彩が、炎の揺らめきを帯びて燃え盛っていく。

「あ、あれ? なんか、ドキドキがまた急に……?」
「フフ、いつもの私も中々に魅惑的だろ?」
「そ、そりゃ元々そーだけど、何だか腹ン下がモゾモゾと……ってうわああっ!?」

 ま、さすがにそりゃ仰天するわな。
 自分の腹の下にいきなり、そんな立派な三日月が現れりゃ。

「クレセリアの雄ってのも、なかなか可愛いもんじゃないか。下の三日月も実に……どわっ!?」

 おおっと、押し倒された。
 あ~あ、夢雲の奴、眼を爛々とギラつかせて泡を吐くほどに息を荒げさせやがって。羽で捲り上げた私の裾の奥に、熱く硬い三日月をゴリゴリ押しつけてきやがる。きゃ~、犯される~。

「何だ何だ興奮して。さてはお前、元々タチの方が趣味だったのか? それならそうと最初に言ってくれりゃ……」
「んな無茶振り、ついさっきまで処女だった私に要求すんなよ!? 好みの雄を訊かれたんだから普通にネコの立場しか想定できんわ!」
「ネコだろうがタチだろうが、普通の奴ぁ雌を雄にしようなんて言わねぇよ」
「あんたにゃ言われたくねーよ! ここまで概ねあんたの主導じゃねーか!!」
「認めよう。私もお前も歴然たる変態だ。変態同士、とことんまで楽しもうや」

 自分できちんと裾をたくし上げ、今にも暴発しそうな三日月を手に取ってブラックホールへと引きずり込む。経験あるんだから、私がリードしてやらねば。

「ほら、ここだぞ。遠慮せずぶち込んで、処女のみならず童貞までも私で果たしていけ」
「うん……うんっ!!」

 感涙さえ浮かべて頷き、夢雲は尻尾の付け根を突き入れる。ぐちゅり、粘ついた音が私を押し開き、夢雲の三日月が私の引力圏深くへと落ちた。

「あぁ……いい雄だ。生身が雌なのが勿体ないな」
「いいよ、暗、気持ちいいっ! 私が、私の全部が、暗に包まれてる……っ!!」

 さすがに童貞坊やにはじっくりと楽しむ余裕はないようで、無我夢中で身体をくねらせては三日月を私の宇宙に躍らせている。胴を撫でて宥めてやっても、若い滾りは治まりそうにない。いつしか夢雲に突き上げられる形で上下が入れ替わり、突き上がる三日月を私が上で受け止める格好になった。私も夢雲に併せて尻を振り、最高の引力で締め上げる。

「あ、やべっ……ジンジンしてきた。イっちゃうかも……っ!」
「あぁ、いいぞ。そのまま私の中でイけ。イって私を孕ませろ……!」
「タマゴ、産んでくれるの? 嬉しいなぁ……暗が産むならダークライかな?」
「私としては、お前似のクレセリアが産みたいな……」
「どっちだっていい。私たちの仔だもの、どっちでも、きっと可愛いよ……オラ孕め! 私の仔を孕めぇぇっ!!」

 叶わぬ夢を追いかけて、夢雲は遙かな宇宙へと尻尾を振り切った。

「あぁ、夢雲っ! 出せ……ぶっ放せぇぇっ!!」
「暗っ! あっ! ぁあぁぁぁぁああぁ~~っ!!」

 雄叫びと共に、無数の流星が私の宇宙を走り、ブラックホールの彼方へと飲み込まれていく。
 重力の壷に落ちた先では、時間すら制止するという。
 夢雲を私の中に、時を止めて永遠に留めておきたい。留められたらいいのに……。

 ●

「愛してる、夢雲……」
「愛してる、暗……」

 何度めかの言葉を、何度でも交わし合う。
 思い返せば、そんなに口に出して繰り返してはいないかもしれない。だとしても、心の中で何度も呼んだし、夢雲が心で呼ぶのも何度だって聞いた。
 何度だって呼び合いたい。どれだけ大声で叫んでも足りない。もっともっと愛し合おう。

「なぁ、夢雲、次はどんな……ん?」

 あれ、 何か視界をよぎった。
 何だ? と追いかけてみれば、それはひとひらの桜の花びら。
 ひらひらと舞い落ちる薄紅色の美しさに目を奪われること数瞬、ふと見渡せばはらり、はらり、辺りを囲む桜の木々が一斉に花を散らし始めているじゃないか。
 煌々と照らす星灯りの下、降りしきる無数の花びらは桜色の雪のようで、息を飲むほどに美しかったけれども、どこか切なくて、物悲しげで……見つめていると涙が、出てきそうで。

「あー、ここまでかぁ……」

 傍らからの溜息に乗せた呟きに、はっと振り返る。

 あぁ、何と言うことだ。
 桜の花びらが、夢雲の身体からこぼれ落ちて。
 散ったその場所が、朧気にぼやけて見える。
 刻が来たんだ。祭が終わる刻。夢雲の命が、終わる刻が。
 3度に渡る夢でのまぐわいで、私のナイトメアが夢雲のエナジーを吸い尽くしたのか、それともモンスターボールの保護を外された彼女の病んだ身体が、自然に限界を迎えたのか……いずれにせよ、この刻がくるのは最初から分かっていた……決まっていたことだ。 

「悦びを知った結果、起きてみたら回復してましたーなんて、アハハ、さすがにそんな都合のいい奇跡は起こらんかったなー……」

 余りにも心地よくて楽しくて、夢雲も元気すぎるぐらい溌剌としていて、もっとずっとこうしていられるんじゃないかって期待を、確かに私も抱いてしまっていた。
 けれど所詮夢は儚い夢。祭は終わりの刻を迎え、私のかけた魔法は解けて、夢雲は現実に待つ死へと還る。ガラスの靴も残らない。

「暗……ありがとうな。一番好きな奴と、雌で2回、雄で1回……ひと晩でこんなにも深く激しく愛し合えるだなんて、それこそ夢にも思わんかったわー……本当もう、幸せで、幸せすぎて…………」

 何も言えない。言ってあげられない。ただただ夢雲の身体を抱き締めてあげることしかできない。
 だって。
 桜が散り始めた時から、夢雲は、ずっと。

「こんな幸せなのに、もう、終わっちゃうんだ……やだなぁ」

 繕えなくなった感情が、言葉になって溢れ出す。
 瞳の堤なんて、とっくの昔に決壊していた。

「嫌だよ……暗、私、死にたくないよ……あぁ、やっぱこれ、悪夢だったんだ…………!」

 温もりを私に刻みつけるように、強く強く身体を擦り寄せた夢雲の……慟哭が、岩棚に木霊していく。

「嫌だ、嫌だ! 死にたくない! 消えたくない! やっと暗と恋ポケになれたのに、ひと晩限りで終わっちゃうなんて! そんなの絶対に嫌ぁあぁぁぁぁーっ!!」

 浅はかだっただろうか。
 分かりきったことだった。夢雲が決して口にしてこなかった、心底本当の望み。
 それが叶いっこないからこそ、彼女はこれ以上の幸せを求めず、満足のまま死ぬことを望んでいたのだろうに。
 なのに、なまじ私が悦びを与えてしまったせいで、それが失われる悲しみまでをも夢雲に与えてしまった。
 無責任だったのではないか。私には、夢を見せることしかできないのに。彼女の身体を癒す術など持たないのに。本当の幸せなんか、与えてやれないのに。
 ……否。断じて否!!
 幸せを知らないまま死んだ方が幸せなんて、そんな本末転倒な話はない。死を望んでいた夢雲が生きたいと前向きになれたことは救いであるはずだ。仮にそうでなかったとしても、ここまできて後悔して何になる!? 今私がするべきことは、嘆き悔やむことじゃない。夢雲が泣いているのなら、最後の最期までその涙を拭い続けることだ!!
 そっと手を伸ばし、夢雲の濡れた頬を撫でる。

「……!?」

 撫でた場所が花びらとなって、パッと宙に散った。
 抱き締めた腕の中もハラハラと崩れ散り出した。見る見る内に夢雲の姿が、薄紅の欠片の中にぼやけていく。

「どうしよう、暗……暗の顔が、見えない。暗の温もりが、もう分かんないよぅ……」
「夢雲!!」

 崩壊が進むにつれて、声までもが掠れ遠ざかる。
 ダメだ、ダメだ、ダメだ!
 こんな涙声のまま、夢雲を逝かせるものか!!

「逝くな、夢雲! 愛してる!!」
「私も……でも、もう……ダメ…………」
「…………っ!!」

 まだ声は届いてる。夢雲の涙はまだ止められる!
 あぁ、だけど、何を伝えればいいんだ!? 『愛してる』なんて分かりきったこと、何億回繰り返そうが足りない。『逝くな』と願っても運命は変えられない。
『ずっと側にいる』? それができないと分かっているから泣いているんじゃないか。
『私も一緒に逝く』? ……泣き止みはするかもしれんな。激怒されそうだが。
 引き戻すことも、留めることも、ついて行くことも叶わない。結局私にできるのは、悪夢を見せることだけか。たったひとりの親友を笑って送ってやれるような、餞の言葉ひとつ贈れないっていうのか――!?
 ――〝(はなむけ)〟。
 そうだ。それは友達になった日、ここで夢雲から教わった言葉。
 旅立つ友の鼻先を、目的地に向けて送り出すことだと、そう教えられたんだ。
 行くべき道を、指し示す。
 それが餞だというのなら、私が贈る、送る言葉は。

「来世だ! 来世で会うぞ、夢雲!!」

 ただの気休めかも知れない。
 だけど夢雲にあげられる希望なんて、もう他に思いつかない。

「お前がどんな姿に生まれ変わっても、必ず私が見つけ出す! もし生まれ変わりがこの世にないなら、そんな法則ぶち破ってでも再会してやる!!」

 ムチャクチャだろ、あんた。
 呆れ混じりの笑い声が、花吹雪の向こうに聞こえた気がした。

「信じろ! 私たちは種族も立場も性別さえも越えて結ばれただろう? だったら死だって乗り越えて、きっとまた巡り会える! そしたら今度こそつがいだ! 毎夜想いのままに、何十年でも何百年でも愛し合おう!!」

 夜の牝馬(ナイトメア)よ、我が友を乗せて行け。
 彼女の幸福な来世に、その鼻先を向けて――!

「約束したぞ、夢雲! 約束だぁぁーっ!!」

 星空に舞い散った無数の薄紅が、秋の星座に混じって見えなくなるまで、私は声の限りに叫び続けた。

 ●

 見上げた岩棚の向こうで、夜空が薄ら明かりに染まっている。
 あいつと初めて酒を飲み交わしたのも、丁度この辺りの時刻だったか……。

「お勤め、ご苦労様でございました」

 脇からかけられた声に、ぎょっと跳ね起きる。
 神主が、穏やかな憂いを頬に滲ませて座っていた。

「……覗いたのではあるまいな?」
「一切何も。夢雲の霊力が途切れましたので、すべてが終わったと知り参じましたところです」
「そう、か……」

 夢雲は、本当に逝ってしまったんだな。
 傍らに寄り添ったままの、傷つき萎びた骸に眼を落とす。

「貴方の寝汗が酷かった様子でしたので、勝手とは思いましたが拭わせて頂きました」
「……かたじけない」

 あぁ、そう言えば色々とスースーしてるわ。
 ……寝汗、ね。変に含んだ様子もないし、そういうことにしておこう。
 生身が雌で良かったと思うべきか。雄だったら、寝汗では誤魔化しきれなかったかも。

「確かめるまでもなく分かりますよ。貴方が夢雲のために最善を尽くしてくださったことは。彼女の、この顔を見れば……」
「…………」

 ったく、やつれた顔にこの上なく幸せを溢れさせて、寝息も立てずに眠りこけやがって。
 私の声、最後までちゃんと届いてたんだな。
 まだ、いい夢を見てるかも知れない。遙か遠い来世で、生まれ変わった私と愛し合う夢だろうか。
 いつか、叶えられるといいな……。

「おやすみ、夢雲。またな」

 口づけた冷たい頬に、別れの挨拶を囁いた。

 ●

 訪れた村人やムンナたちの啜り泣く声を背に、私は岩棚を後にした。
 盛大な葬式が開かれるだろうが、私は参加できない。浄化してくれる夢雲がいないのに、人々にナイトメアを及ぼすわけにはいかないからだ。私自身が暗い想いに浸っている今、どれほどの悪夢をぶちまけてしまうことやら。

「せめて夢雲の冠羽をお持ちください。あの仔も一緒にいたいでしょうし」
「ありがとう。大切にさせてもらう」

 神主から渡された三日月の羽根を、胸元の黒い体毛に括り付ける。微かに篭められた夢雲の優しい霊力を感じて、ふっと心が安らいだ。

「いずれ〝明月の巫女〟の後継も見つかることでしょう。その時は、また祭に参加して頂けますか?」
「うむ。これからも毎年、この岩棚までには訪れて夢雲の菩提を弔わせてもらうゆえ、後継が育ったらまた誘ってくれるといい。夢雲が命懸けで守った人々の幸せを、私も守り続けたい」

 これまで同じように一緒に祭を回って遊べるかは、そのクレセリアと会うまで分からないが。
 少なくとも、今すぐ誰を連れてこられても無理だ。気持ちの整理がつかなすぎる。
 神主とも別れ、住処の山に続く帰路に就きながら、ひとり彼女を想う。
 クレセリアの夢雲。私にとって、相方で、親友で、恋ポケで……簡単な言葉でまとめることなんてできそうにない、大切なポケモンだった。喪失感から立ち直るのに、どれだけかかるか検討もつかない。
 長い旅になりそうだ。
 いつかまた、夢雲の魂と巡り会うまで……。
 胸に挿した三日月の羽根を、そっと掌で抱き締め空を見上げる。
 朝焼けに照らされた星空が滲み、周囲の山や木々までもがすべて滲んでいく景色の中、思い出の夢雲だけが鮮やかに、華やかに宙を舞っていた。



 ●

 黄昏暮れる春の空を、ゆっくりと進み行く。
 ダークライの身としては、うたた寝したくなるほどの緩慢さで。
 なぜこうものんびりと飛んでいるかというと、ひとりではないからだ。

「待ってよー!」

 背中を叩くあどけない呼び声に振り返れば、フヨフヨと辿々しく飛んでくる影ひとつ。
 オーロラの羽をパタパタと忙しなく羽ばたかせ、まだ短い首を一所懸命前へと伸ばし、三日月の冠羽を振り乱して私を追いかけてくる小さなクレセリア。冠羽の上端が右に傾いて巻いているのは乱れているせいではなく、生まれついての癖っ毛だ。
 まさかのまさかでこっちが見つけてしまった、〝明月の巫女〟の後継候補。まだまだ幼い娘だが、秘めた素質の高さは私が保証する。現時点で純潔であるのも、さすがに疑う余地はないだろう。何といっても、子守歌代わりに語って聞かせた〝巫女〟への意欲が非常に高い。残るは経験を積んで、技を磨くだけ。だから神主のもとへ修行に出すため、村へと連れてきたわけである。
 さて、迎えてくれた岩棚周りに咲く満開の桜花たち。こんなとんでもない逸材を、私がいったいどこの畑から掘り起こしてきたのか、聞いて驚けよ。

「だから待ってってばーっ! 少しは手加減してよー!?」
「待つも何も、もう目的地だぞ? これでも随分とのんびり飛んだんだがな」
「何よもー! スピードでクレセリアがダークライに敵うわけないじゃん!!」
「やれやれ、そんな弱音を吐いていては、〝明月の巫女〟は務まらんぞ」
「言ったなーっ!? 半年で三日月の舞をマスターして、秋のお祭りでおかーさんなんかやっつけてやるんだからっ!!」

 ……うん、まぁ、恥ずかしながら。
 いやいや、タマゴから孵ったとき側にいたから刷り込みで母親と思われてるとか、ましてや暗というのが芸名で本名はオカーだったとかいうわけじゃない。正真正銘、このお腹を痛めて産んだ私の娘なのである。マジで。冠羽が右に曲がって巻いているところとか、私の前髪からの遺伝だろ。
 参ったわ。孵化したのがダークライだったら、日頃の荒行の不始末ってことで収まったんだろうが、言うに事欠いてクレセリアだ。誰がどう見ても、あの夢で授かった夢雲の忘れ形見で間違いない。あいつめ、しっかり奇跡を起こして逝きやがった。
 夢でのまぐわいが現実の私を孕ませたことは、もう伝説ポケモンの神秘の力とか、大いなる神の御業とかで片付けるしかないわけだけども、産んだ私ではなく夢雲の方から種族が遺伝したからくりに関しては、それなりの仮説を立てられる。
 すなわち、1度目か2度目、私が雄として夢雲の雌に注いだことで、夢雲の腹にクレセリアのタマゴが宿り。
 3度目、夢雲が雄として私の雌に注いだとき、そのタマゴが私の腹に産みつけられた。
 雌が雄の身体にタマゴを産みつけるという習性は、ポケモンによっては実際にあるものだ。とすると、血縁上は私は〝お父さん〟ってことになるのかもしれんが、貸し腹とはいえ実際産んだのは私なんだし、雌なんだからいいだろお母さんで。
 ったく、こちとら想いのままに愛し合っただけだってのに、それでバッチリ夢雲との娘を〝明月の巫女〟の後継にできるクレセリアとして残せただなんて、夢雲の台詞じゃないが、雌の身体ってのは巧くできてるもんだ。
 ひょっとしたらこの仔こそが……なんて思わなくもないが、敢えてそれは確かめまい。〝明月の巫女〟の大任を幼い身に背負わせるだけでも心苦しいのに、親の恋まで押しつけようなど身勝手もいいところだ。夢雲を追いかけるのは、私が寿命まで精一杯生きて生き尽くして、生まれ変わった後でいい。いつか巡り会い添い遂げてみせる。そのときの土産話にするためにも、今はこの仔を立派な〝巫女〟として育てていきたい。
 そんなわけで、徒に娘を夢雲と重ねぬよう心がけたいが、娘の名前には神主と相談して夢雲から1字を頂いてつけてもらってる。片親なのは間違いないんだし、それぐらいは当然ありだろう。

「そろそろ、神主が来る頃合いだな……そうだ、こいつを渡しておこう」
「え、これって、先代さまの……!!」
「うむ。〝明月の巫女〟の先代であり、お前にとってはもうひとりの母親でもある夢雲の、三日月の羽根だ。きっとお前の力になってくれるだろう」

 もらった頃は病に色褪せていたそれは、主を亡くして歳月を経ているにも関わらず、息づいているような色艶と張りを保ち続けていた。私の霊力とともにあったせいだろうか。
 あの日以来、ずっと私の懐で支え続けてくれた夢雲のひと欠片。どうかこれからは、私たちの娘を支えてやって欲しい。

「あったかいね……先代さま、すっごく優しいクレセリアだったんだ」
「そうだな……」 
「でも……いーの? 先代さまはおかーさんの大切な……」
「いいんだ。あいつがくれたものはまだ、この胸の中に残ってる。思い出っていう宝物が、な」

 きっとそれこそが、夢雲という灰被り姫(シンデレラ)が舞踏会の後に残していったガラスの靴。
 たとえ死とともにこの記憶が失われても、どんなにかけ離れた姿に生まれ変わろうと、私たちの絆なら必ずお互いを見つけ出せる。
 この仔にも、そんな風に想い合える相手ができることを、母親として心から祈りたい。

「あ、神主さんがきた! おーい!!」
「では、私はここまでだ。山へ帰るとしよう」
「え、神主さんに挨拶してかないの?」
「フッ、〝暗闇の使徒〟が〝明月の巫女〟候補を手渡しもあるまい?」
「! そっか……じゃあ、こっからはいよいよライバルだね、おかーさん!!」

 強い仔だ。一瞬で甘えを断ち切り、巣立ちの覚悟を示すとは。きっと夢雲に負けない、いい〝巫女〟になれる。
 夢から生まれた愛しい我が仔に、精一杯の声援を贈ろう。
 桜舞う道の行方を指し示す、餞として。

「祭で相まみえるのを楽しみにしているぞ! それまで身体を大切にな、夢生(ユウ)!!」
「うん! おかーさんも元気でね! 舞台で思いっきり戦って、その後は一緒にお祭りを回ろうねー!!」

 ○完○


*1 新月の夜。
*2 より正確には、旅人が乗る馬の鼻先を目的地に向けて旅の安全を祈る、という習わしから。

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Last-modified: 2018-09-29 (土) 23:00:07
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