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雷鳴と落涙

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以上、代理人こと狐眼の提供でお送りしました(











      ――何で責められるんだろうか

       火傷を負ったような痛みが、両頬に走った。風を切る顔が苦痛で歪む。

          ――出来ない事が、どうして悪い?

         幾度と無く反芻した言葉が、脳の中で暴れた。激しい頭痛に五感が歪み始める。

             ――これ以上どうしろっていうのさ

            心中を蝕む絶望感が、心臓に跳ね返った。動機がおかしくなっていく。

                ――知らないよ、そんなの

               芝草を叩く両足が、麻痺し始めた。何も無い場所で足を取られて躓く。

                   ――何で走ってるんだっけ?

                  やっとの思いで立ち上がった体には、もう動く力は残されていなかった。









雷鳴と落涙 











 迸る水流が彼の体を、木の幹へ叩きつけた。勢いに圧されて貼りついた背中は、水流が途切れると同時に剥がれて、彼は木の根元に崩れ落ちる。
 濃い黄色の毛並みはずぶ濡れて乱れ、彼方此方に出来ている傷痕には、微かに朱を滲ませている所もあった。力無く下ろされた、蔓を思わせる長い尾の先は稲妻を思わせる形になっている。
 彼は立ち上がろうとはしなかった。それどころか投げ遣りに突っ伏しているようにさえ見えた。もうどうでもいい。微動だにしない彼が纏う雰囲気は、明確な諦めのそれである。ぼろ布と形容するのも躊躇われない外見の酷さに加えて、ずぶ濡れで倒れている上に生気が感じられない。
 この無様な姿を目の当たりにして、哀れ、と憐憫の情をかけるか、情けないと罵倒し嘲笑うかは各々の気質に因るだろうが。ただ、彼をこの(ざま)に仕立て上げた張本人達が、如何なる心持ちでこの場に居るのかと言えば、察しの通り後者である。
 そよ風に吹かれた広葉樹の葉の囁きに重なって、声色の違う二つの笑いが林を抜けていく。嘲りを隠そうともしない低劣な響きだった。

「っははは! 電気技が使えないなんて、そんなライチュウがいるとは夢にも思わなかったわ!」

 恐らく、彼に止めの一撃を加えたのは彼女だろう。長い耳に卵型の青い体。腹には白の水玉模様があり、下腹部は水玉と同じ白色で覆われている。ギザギザと、落ち着きの無い曲がり癖の付いた尾の先端には、取って付けた様な青の丸い球体状の膨らみ。
 仕留めた相手を満足げに眺めつつ、彼女は侮蔑の感情をひけらかしていた。理由の一端は今しがた自身が高らかに放った雑言の通りだろうが、彼女の態度は明らかに、それ以外の別の理由がある事を主張していた。
 彼女の右隣には蛇が居た。体格で比べるなら、彼女にとっては単なる蛇とは言いがたい大きさだ。無論只の蛇が出てくる筈も無いが。
 異形とカテゴライズするにはおどろおどろしさに欠けるものの、それは普通の蛇では有り得ない外見をしていた。上顎に生えた、一対の長い牙が口腔内に収まり切らず、下顎を超えて伸びている。
 まだある。長く太い胴体の行き着く先には、どういう訳か鋭利な刃物が付いていた。付いているという表現は些か語弊があるかもしれない。寧ろ尾が刃物になっている、とするのが正しいだろう。それ程までに、この蛇の尾は露骨な形状と鋭さを誇示していた。

「知られたことが余程ショックだったんだろう。あの時のこいつの顔を見たか?」

 左隣の調子に合わせて、けたけたと笑う大蛇。こちらは単純に、愉快なものを眺めている様子で目元を細めている。危なっかしい刃物がゆったりと左右に揺れていた。
 自分達が痛めつけた相手の醜態を思い出したらしい。飽きたらず再び二匹は小さな含み笑いをして、わざと彼に、ライチュウに聞こえる音量で会話を続けた。

「ばっちり。あれは失笑ものだったわね」

「ルーノリス様を失望させるとは、随分と無粋な真似をしてくれた。しかし何故あのお方は、僅かばかりとはいえ、こいつに期待を……」

 最後の部分をぼそりと呟くように、今度は笑みでは無く疑問符を浮かべて大蛇が言う。聞くや否や、左隣に居た彼女は大蛇に対面し、突然大袈裟な身振りで熱く語り始めた。 

「それがルーノリス様の優しさなんだってば! すっごく心が広くて優しいんだから!」

 まるで自分の事の様に――自分の事でもここまで露骨に誇る者は稀だろうが――彼女はふんぞり返って、高らかに言い放つ。えっへん。これ以外に適当な言葉が見つからない。
 すっかり自己陶酔の域にまで達してしまった彼女を目の当たりにして、大蛇は早く何とかしないとと思ったのか。それとも聞いていられないから、足を生やして何処かへ立ち去りたいと願ったのか。余計な台詞を口走った。

「そうなのか? いや俺は寧ろ、ベタベタ甘えるお前にあのお方が仕方無く合わせてるように見えるんだが……」

 誇らしげな顔は瞬く間に瓦解。真顔を電光石火で通過し、そこから更にマイナスの方向へと加速する。やばいと直感した時には遅すぎた。

「うっさい!!」

「げぼぁ!?」

 変質した意識状態から、強制的に回復させられた彼女は、大蛇に制裁を加えた。拳が肉を抉る鈍い衝撃音がして、大蛇は数秒の間痛みにのたうち回る。彼女を正気に戻す為の対価は、自らの体を痛めて支払う結果となった。

「……つっ、正に『怪力のアクゥラ』だな。軽いジャブでこの威力か」

 立ち直った大蛇が目を瞬かせながら、拳の威力を評した。しかしアクゥラはそれが気に食わなかったらしく、益々気分を害された様子で、更に険悪な表情を浮かべて大蛇に詰め寄った。最早体格差は完全に引っくり返っている。

「……立派なストレートだったんだけど。てか褒めてんの、それ」

「勿論全くそうです誓いますアファーマティブ。自分にもそれ位の力があればなぁ~と、俺いっつも憧れてるんですお嬢様」

「まあいいわ。余計な脂肪が付いてるよりは幾分マシだからね」

 流石にこれ以上、火に油を注ぐような真似をすれば、生死に関わると判断したらしい。幾分慌てて大蛇はアクゥラの腕力を、浮かぶ限りの語彙で肯定した。本心はともかく並べ立てたお世辞が功を奏したか、彼女の不機嫌の矛先はどうにか丸く収まった。
 乱れた流れを元に戻そうと、大蛇はもったいぶった咳払いをしてから、再び倒れているライチュウを見つめる。聞こえよがしに喋っていた先程までとは違い、聞かせる為に言葉を投げかけた。

「何にせよ、だ。軟弱者を俺達は同胞として認めるわけにはいかない」

「そうそう。君みたいなおセンチ野郎の意気地無しの役立たず、ルーノリス様には必要ないんだから。さっさとここから消えちゃえばいいんだよ」

 込められるだけの辛辣さを込めて、アクゥラはライチュウを罵倒する。大蛇もその後に続いた。

「二度と姿を見せてくれるなよ。初見は笑わせてもらったが、二度三度と会う度にあんな顔をされたんじゃ、流石に目障りだからな」

「……って、おねんねしちゃってるんじゃない? 聞こえて無いかもよ?」

「別に構わないさ。ここまで打ちのめせば、言わずとも俺達を避ける」

「そうねぇ。仕返しをしに来る根性があるとは思えないし」

 剥き出しの悪意をぶつける二匹。だが、何時までもこうして時間を潰している訳にはいかなかった様だ。大蛇がはたと笑いを止める。
 それでアクゥラは合点がいったらしく、踵を返して茂みの反対側へ跳躍した。太い体で茂みを掻き分けて、大蛇がアクゥラの後に続いた。

「無駄話が過ぎた。急いで戻るぞ、ルーノリス様に報告しなければ」

「手こずってたと勘違いされちゃうものね。じゃあ私、先に戻って伝えとく」

 アクゥラが振り返って右腕を上げる。大蛇は頷いてその旨を良しとし、ルーノリスと呼ばれる者への報告を彼女に任せた。

「ああ、お前の方が速いからな。任せた」

 その場に残されたのは、傷付き倒れているライチュウだけだった。










 磨り減った心と体に鞭打って何とか起き上がり、背もたれに寄りかかって休息しようとしたのはいいものの、それきり全く動けなくなってしまったらしい。日はとうに沈み、辺りが暗闇に閉ざされた今なお、まだ彼はそこに居た。
 自分が叩きつけられた木に背中を預け、俯いた顔には覇気が無く。力を失った目には泣き腫らした後が微かに認められる。涙と共に精魂も尽き果て、眠りに落ちる気力すら残されていないかの如く、疲弊し切った様相だった。俗に言う放心状態である。
 乱暴に扱われぼろぼろに痛んだ人形は、無残な姿を曝して、ただ頑なに沈黙のみを続けている。或いは、やがてその体に活力が染みわたり、動けるようになる時を待っているのか。だがそれは期待出来そうに無い。彼はまだ生きているのだから、自らの足と心でもって、再び立ち上がる他に方法は無いのだ。彼を救う筈の仲間はもう、その役割を捨てて決別を宣言したのだから。
 乱雑に散りばめられた夜空の星が、疎らな木々の合間を埋めている。これだけいい天気なら、さぞかし月も綺麗に見える筈で、そんな月夜には夜中ふらりと散歩に出たくなる者も居るようだ。一人意気消沈している彼の元に、珍妙な歌を歌いながら何者かが近づいてくる。一体彼がどうおかしいから、彼の周囲には無粋な事象が引き寄せられてくるのだろうか。普通なら、あまりの空気の読めなさに多少なりとも怒りを感じる所であろうが、凹むばかりか潰れてしまっている彼にはそんな余力は残っていない。歌は確実に届いている、しかし彼にとってそれは只の音の羅列であって、如何なる感情や思考をも発現させなかった。音源がすぐ傍まで接近してきても、呼吸と瞬きだけを繰り返すのみで、他の行動は一切忘れてしまったかのような振る舞いを続けている。こんな有様であったから、歌声の主も彼に気付く事無く通り過ぎていくのが関の山だ。彼にしてみても、その方が有り難いと思ったかもしれない。気性の荒いポケモンならば襲撃されたら一巻の終わりだし、自身の酷い姿を誰かに見られるのは苦痛以外の何物でも無い。
 だが、捨てる神居れば拾う神も居る。歌の主は目ざとかった。種族柄夜行性な故に夜目が利き、更にある種の波動、もっと言えば負のオーラに対して感応能力を持つタイプのポケモン。彼の真横を通る形で姿を現したそれは、ゴーストタイプ。帽子を被ったような頭と、ひらひらと布の様になびく体。ムウマージだった。

「いつもだらだらダイエット~っ……って、あら? こんな所でお休みかしら」

 気さくに話しかける声に、微かに艶めかしい響きを滲ませている。彼女は木の根元に座っているライチュウを見止めると、憔悴し切った顔を無遠慮に覗き込んだ。彼の方は相変わらず無反応で、ムウマージが息が顔にかかるほど近寄ってきても、あたかも彼女が肉眼で目視できない物体であるかのように、悉く意識の外に閉め出している。

「何だ、起きてるじゃない。返事くらいしてくれてもいいのに」

「…………」

 彼の身に降りかかった災難を察したのか、或いは触れまいと考えたのか。ムウマージは無視されたと不快には思わず、微かに微笑んで顔を離した。

「酷い傷。まさか、奴等にやられたの?」

「…………」

 ライチュウの無言を、彼女は肯定の意と受け取った。ムウマージはもう一度彼と目線を合わせると、今度は真剣な表情で強く言う。

「少し待ってて。私じゃ貴方をうまく運べないから、誰か呼んでくるわ」

「…………」

 安心させるように、最後に少しだけ微笑を添えて、ムウマージは元来た道を引き返そうとした。ふと止まって暫し何かを思うような仕草をした後で、彼女はあと一言だけ彼に言葉を残す。

「ふふっ、なあに? 大丈夫よ! 確かに私は悪戯大好きだけど、人様の事情を軽んじる悪女じゃないわ。必ず迎えに来るから、心配しないで待ってて頂戴」

 その時沈黙を守り通していた彼の体が微かに動いた事に、彼女は気付かなかった。自分の棲みかがある森へ一刻も早く帰る為に、浮遊する体を全力で飛ばし、右へ左へ木立の合間を縫う。
 やがて進むにつれて、林から森へと木の数が次第に増えてきた。左右へかわす動きが忙しくなり、あわやぶつかるかという危険を何度かしのいで辿り付いた場所。障害物が消え去り、急に視界の開けた先に、月光の映る水面があった。地を駆ける種族ではないのをいい事に大胆なショートカットを敢行、湖面を滑るように飛び湖を横切る。反対岸を超えてもスピードを緩めず、そのまま再び森の中へと入った。
 茂みに分け入り奥へ行くと、地層が崩れて出来た様な段差があり行き止まりになっていた。ようやくここで彼女は止まり、切らした息を整える事も程ほどに、段差沿いに左方向へ向かう。大きめの石がごろごろと転がり始めた所で、彼女はそこにあった横穴の前に立った。

「ガオリェン! まだ起きてる……わけないわよね」

 自己完結で結論を出すと、溜息を一つ。ガオリェンという名らしい穴の主の了承は取らず、夜分遅くに云々の挨拶も無しにムウマージは勝手に侵入した。穴の中は平らに固められており、滑らかに均された壁と共に棲んでいる者の性格の一端を象徴していた。広さもそれなりにある。片隅には薪や木の枝がうず高く積み上げられ、中央に作られた窪みには、黒焦げて変わり果てた燃えかすと灰が堆積している。どうやらこれは照明も兼ねた囲炉裏のようなものらしい。
 問題の穴の主はというと、一番奥で薪を枕代わりにし仰向けでぐっすり寝ていた。大柄で厳つい顔つきだが、寝顔にはどこか愛嬌を感じさせるものがある。何より体の表側を被う黄色の毛皮は、滑らかでふかふかで、とても気持ちが良さそうだ。
 それを知ってか知らずか、ムウマージはガオリェン――バクフーンの腹に飛び乗って、うつ伏せになってしまった。まさか自分のなすべき目的を忘れた訳ではあるまいが、十秒、二十秒と経っても離れようとしない。そうこうしている内に一分が経とうとした刹那、素っ頓狂な叫びが穴の中に木霊した。

「うわああぁぁぁぁおぇ!?」

 あわや天井に頭が激突するかという勢いで、ガオリェンは飛び起きた。乗っかっていたムウマージは転がり落ちる。
 何やら壮絶なモノから命からがら逃げてきた、とでも言わんばかりの形相で、ガオリェンは硬直していた。が、目の前にムウマージが座っているのを発見して万事飲み込んだ。心底困惑した様子で、勘弁してくれ、と小さく呟く。
 しゃがみ込んで枕にしていた薪を拾うと、口から火の粉を吹き着火させ、囲炉裏に投げ捨てた。既に炭化していた木片がぱちり、と弾ける音を立てる。ささやかな炎が二匹の姿を照らし、壁に現れた影が怪しく揺らめいていた。

「やっぱりハーミィか。全く、とんでも無い夢を見せてくれたよ」

「ごめんなさいね叩き起こして。でも、悪ふざけじゃないわ。貴方に頼みたい事があるの」

 ハーミィは詫びを入れたが、あまり申し訳無く思っているようには見えない。無理矢理自分を起こす為に、彼女が作った夢だと分かった安堵からか、ガオリェンは再び眠気を催して大欠伸をした。

「当然急用なんだろうね? 違ったら怒るよ」

「ええ。怪我人を運んでほしいの」

 自分達の仲間が負傷したと思ったのだろう。ガオリェンは神妙な面持ちになって、誰かやられたのかい、とハーミィに訊いた。彼女は首を横に振る。

「この森に住んでる子じゃないの。だけど、奴等にやられたのは多分間違いないわ。でなきゃ恋人に滅茶苦茶こっぴどい振られかたをしたとか」

「彼等しかいないさ。とにかく、妄想してる場合じゃないだろ? 後で本人に訊ねればいいんだから」

「訊いても答えてくれるかしらね。彼、意識はあっても抜け殻みたいになってた」

 尤もな事を言うガオリェンだったが、ハーミィは視線を落として溜息を吐いた。
 声を掛けても反応が返ってこなかった。自分の姿は映っている筈なのに、目が節穴になってしまったように振舞う。そんなライチュウを思い憂える彼女の頭に、ガオリェンは優しく手の平を置いた。
 
「生きてるだけまだましだよ。行こうか、案内して」










 順風満帆というのは些か誇張だが、それなりにうまくいっていた筈だった。「大いなる災い」から島を救う者として予言され、そうなるべくして生きていた筈だった。
 彼の運命が狂い始めたのは、更なる力を得ようと雷の石を求め、手に入れて使った時からである。進化したことにはしたが、その事が原因で体に変調をきたしたらしい。激しい頭痛と四肢の痙攣。両頬の焼けるような痛みと共に、蓄放電が自分の意志でコントロール出来なくなった。看病する側にも危険が及ぶ症状であるため、そうそう簡単に誰かの施しを受けるわけにもいかない。最低限命を繋ぐ為に用意出来るものを用意してもらい、後は一人ひたすらに不可解な病魔との闘いを続けた。
 絶望はしなかった。来るべき災いから島を守らなければならない、その自負と責任感が彼を支えていた。また彼の周囲も、彼がそうある事を期待し希望としていた。あいつは大丈夫だ、必ず病気を克服してもっと力を付け、災いに打ち勝つだろうと確信していた。
 しかし彼等は、自分達の確信は単に「予言された事」だから、信じ込んでいるに過ぎないという事実に気付けなかった。彼等が信じていたのはライチュウの力では無く、専ら予言の中身だったのである。自分達が救われるという証拠こそが大切で、本当にそれだけの大儀をやってのけられるのか、と疑いの視点で考える者は居なかったのだ。悪い事にそれはライチュウ自身も同じだった。無論彼等が盲目になった背景に、「外さない予言者」の存在があったのは言うまでも無い。
 病状が次第に快方へ向かい、身体がまともに動く所まで回復して、元気になり始めた頃。それまで度々暴走を繰り返していた体内の電気エネルギーが、突然鳴りを潜めた。すっかり治ってもう大丈夫か、という頃合を見計らって普段通りにやろうとしても、電気技が発動しない。
 初めて彼の心に、不安がよぎった。同時にこれまで如何に電気技に頼り過ぎていたかを思い知らされる。だがまだ、彼も周囲も予言の通りになると信じて疑わなかった。ライチュウは仲間に、思い知らされた通りの理由を話して誤魔化した。技を封印したように見せかけて鍛錬を再開し、誰も見ていない時には密かに、使えなくなった力を取り戻そうと足掻いた。それは全て徒労に終わる。
 程無くして予言者であるポケモン、ネイティオのプライが老衰で死去。今際の二言三言は滞り無く実現し、唯一残された予言が「大いなる災い」に関する件だけとなってから、暫くしたある日だった。その土地――ファルクイアの谷に住んでいた者達は、谷から湧き出た闇に飲み込まれて殆どが命を落とした。辛くも逃れた僅かな者達は谷を離れて島の北西、ケイオーク岬へと住処を移した。
 生き残った者達は、役割を果たせず予言を覆したライチュウを口々に糾弾した。最後まで踏み止まって戦った彼の勇気を、誰も鑑みなかった。それ所か彼がたまたま運良く助かった事を悪く言う者さえいた。だが彼にとって最も痛手だったのは、この危機に際しても電気技を封印したまま戦っていた、という証言が出てきた事である。
 手抜きだったと、非難されても反論できない立場にライチュウは立たされていた。激しい詰問と罵りに曝され追い詰められた彼は、病気になって以来全く技が使えなくなっていた事を自白する。嘘がばれたが為に、彼等のライチュウに対する責めが一層苛烈なものに変貌したかというと否である。災いに打ち勝てなかった時点で既に、彼等にとってライチュウは用済みの存在であったからだ。
 追放され捨てられた彼は、行く当ても無く島を彷徨い歩いた。この島は孤独なまま生きていくのには、非常に厳しい環境である。集落同士が互いに縄張りを持って牽制し合い、その軋轢の中で荒くれ者達が続々と増え蔓延っている。集団を形成する事で自衛手段を取らなければ、弱者は瞬く間に排除されてしまう。その意味で、追放というのは死刑宣告にも等しい罰である。例外無く、本来の能力を発揮出来ない彼もその末路を辿るかと思われた。
 しかし皮肉な事に、吐き続けてきた嘘の副産物が彼を救う。電気技を封じられ、代替として生み出されたスキル――洗練された身のこなし。それに伴う身体能力の大幅な向上。接近格闘戦で大抵の敵は圧倒出来るまでに成長していた。
 彼が自分を狙ってくる相手同様、攻撃的な性格だったなら、新たに開けた自身の可能性を積極的に行使したかも知れない。自分を捨てた者達への復讐も考えただろう。荒くれ者として傷つけ合いの渦中で生きていくには、彼は優しすぎた。予言を背負い自らを犠牲に出来たのも、その気質に因る所が大きかったに違いない。
 一人である以上、どんなに気が進まなくとも、生き抜く為戦う義務があるのがこの島の掟。故に、実際には幾度と無く力を使わざるを得なかった。放浪の月日を経て、彼はとある林の一帯を取り仕切るポケモンに認められ、仲間にならないかと勧誘された。それがウィンディのルーノリスである。










 いつ意識を手放したのかは覚えていない。気がついた時には、ライチュウは木の洞と思しき場所に寝かされていた。入り口から光が差し込んでいる事から、夜はとうに明けたらしい。一晩経ってもだるさと疲労感が溜まったままの体を、緩慢な動きで起こす。
 洞の中には、果実の芳香と葉の青臭さを混ぜたような臭気が充満していた。だが床から天井に至るまで見回しても木の壁があるだけで、他には特に何も無い。そこまで確認してライチュウは、ようやく全身に塗りたくられたカーキ色のペーストが原因だと悟った。匂い通り、恐らく薬効を持つ木の実と草葉をすり潰して混合した代物だ。ライチュウは同様の処置を、施し施された経験があったが、木の実を使うと暫く体に臭いが残る事があるので、あまり好まない手当てだった。
 とはいえ助けられた身である以上、まさか文句を言うわけにはいかない。お礼を言おうにも手当てをしてくれたポケモンの姿は無い。かくなる上は黙ってここを立ち去ろうにも、今の体の状態で攻撃されれば間違い無く死ぬ。取るべき選択肢が待機一つに絞られると分かったライチュウは、諦めて再び木の床に寝転んだ。
 正直には、長いことここに留まっていたくないとライチュウは思っていた。他人の気配がする所では、拒絶され否定され捨てられる自身の姿のイメージがどうしても頭をもたげる。ルーノリスに誘われ彼に付いて行った時も、あまり気が進まなかった。受け入れて貰えると期待する気持ちも少しはあったかも知れない。だからこそ、電気技が使えないと見抜かれた時にルーノリスが見せた失望の表情に、自分の中で元々崩れかけていた何かが、完全に倒壊したような感覚を覚えた。かつての仲間の姿が目の前のウィンディとオーバーラップして、予言と災いに振り回された惨めな自分を意識してしまった。誰かに近づこうとすると、また同じ事が起こるのではないか。そろそろ本当に、一生一人で生きていく覚悟をきちんと決めなくてはならないなとライチュウはぼんやり思案した。何れにせよ、今出来るのはただ眠る事だけだった。覚悟云々はここを出て行く時に自分に固く誓えばいいだろう。
 出入り口の穴から差し込んでいた光が、何かに遮られた。微妙に体を左へ向けて見ると、はっきりしたのは帽子を被った様な頭の輪郭だけで、逆光でそのポケモンの表情はぼやけてよく分からない。だが自分を手当てしたポケモンだろうと、ライチュウは直感した。

「お早う。体の具合はどう?」

 穏やかな声で挨拶をすると、ハーミィは入り口を潜りライチュウの傍らに座った。
 たったそれだけなのに、ライチュウは脳を廻る血が冷え切ったような錯覚を感じた。心臓の動悸が不自然なリズムを打ち始める。逃げろ、逃げろ逃げろと、停止した思考が引っ切り無しに警告音(アラート)を鳴らす。だが肝心の体には力が入らず動けない。戦々恐々としながら、彼は何とか平静を取り繕いハーミィを見つめた。

「何があったのかは敢えて聞かないでおくわ。元気になってくれればそれでいいから」

 思い遣りのこもった柔和な眼差しで、ハーミィは静かに言った。ライチュウは警戒心が少し揺らいで薄れるのを実感する。素直に言葉を鵜呑みにする積もりは当然無かったが、体を治して出て行くまでの間ならば、どうにかうまくやれるかも知れないと彼は思った。

「ただ呼ぶ時に困るから、名前だけは教えてくれる? あ、因みに私の名前はハーミィね。宜しく」

 握手でもするように、ハーミィはライチュウの左腕に右手で軽く触れた。触れられたという衝撃を受けて、彼は眩暈がしたが、冷静に考えれば薬を塗り付ける為とっくに彼方此方触られている。
 開き直りに似た落ち着きを取り戻した所で、彼は名乗るべきかどうか迷った。自分の悪評が、この森にまで届いている可能性を考えると恐ろしい。不用意に名乗ればたったそれだけで事態を悪化させるかも分からない。加えてどうせすぐにでも出て行くのだ、適当な偽名で通せばいいだろうと彼は判断した。やや間を空けて、ゆっくりと思いついた名を口にする。

「僕は……僕は、ルヴィンです」

「分かったわルヴィン。ふふっ、良かった! ありがと教えてくれて」

 にこやかに表情で、ハーミィは機嫌良く言った。彼女は何がそんなに喜ばしいのか、ルヴィンには推し量りかねた。自分はただ名乗れと言われてその通りにしただけである。しかも彼女は知る由も無いが、自分は偽名を使った。不思議に思った心情が面に出ていたらしい、ハーミィは再び小さく笑う。

「昨日無視されちゃってちょっと心配してたから。ええ、大丈夫そうで良かった」

 ああ、それでかとルヴィンは納得する。しかし昨日あの二匹に叩きのめされた後の記憶は、朧げではっきりしていなかった。彼女に待っているようにと念を押された事位しか思い出せない。

「万全のコンディションになるまで幾らでも休んでてくれて構わないわ。いっそこの森で暮らすのもありね。皆歓迎してくれる」

 休ませて貰うのは是非ともそうするが、この森で暮らすわけにはいかない。いや、ただ棲み付くという意味でならここでも問題なかっただろう。場所や環境云々よりも、他人と関わり合いを持って生きていくのは今のルヴィンには苦痛でしかないのである。ならばもっといっその事、自分をほっといて絶対関わろうとしないでくれと頼もうか。ルヴィンの心情は孤独の色一つに染まりきっていた。だからといって、真意は兎にも角助けてくれたのに、何も言わないままなのには多少気が引けた。ハーミィに会う前は勝手に立ち去る事も考えてはいたが、実際顔を合わせると良心が疼く。迷惑を謝ろうと、ルヴィンはやおら口を動かした。

「……すみません。僕の所為でご迷惑をおか」

「ストップ」

 言い終わらない内に、ハーミィは手振りで続く言葉を制止する。

「謝らなくていいわ。貴方を助けたのは私の勝手だもの」

 その貴方様の慈悲深き勝手で助けられたから謝ろうとしているのに、とルヴィンは思った。尚もハーミィは話を続ける。

「それにね、すみませんもご迷惑をお掛けしましたも、罪の意識から出る言葉よ。誰かに何かしてもらったら、自責の念じゃなくて感謝の気持ちを伝えなきゃ」

 諭すような言葉だったが、不思議と不快な心地はしなかった。他人を拒絶している筈の自分が、他人に謝ろうとして他人に説教を食らっている。割合にシュールな図式じゃないか、とルヴィンはだんだん可笑しさがこみ上げてきていた。

「謙遜して頭を垂れるよりお互い気分がいいでしょ? まぁ勿論、私が勝手にそう考えてるんだけどね。我侭な(おんな)はお嫌い?」

 くすり、とハーミィが笑う。ルヴィンは釣られて吹きそうになった自分に内心大いに驚愕して、反応が遅れた。このまま彼女のペースに引き込まれてはいけない、ルヴィンの自我が声高に叫んでいた。警戒心を再構築する時間を取ってから、慎重に感謝の意を述べる。

「そうですね。有難う御座いました」

「あら、納得してくれたのかしら? どういたしまして」

「違います。認めたのはお嫌いの(くだり)ですよ」

 言われた瞬間、ハーミィは愕然とする。ふにゃりと後ろにくず折れて、ぎったんばったん暴れ始めた。

「酷い!! 訂正しなさい否さ訂正しやがれ馬鹿馬鹿馬鹿!! え~えそうですよ私の勝手ですーっ!!」

 ハーミィは楽しそうだったが、つい口走ってしまったルヴィンは後味の悪い思いをしていた。やはり自分は、孤独を貫けないおセンチ野郎の意気地無しの役立たずなのだろうか。何度裏切られても性懲り無く、誰かと一緒に居たいと願ってしまうのだろうか。きゃあきゃあ喚きながらじたばたしているハーミィを尻目に、ルヴィンは暗い過去とアクゥラの言葉を並べて物思いに耽っていた。
 では孤独でも無く、アクゥラのまくし立てた三つでも無い自分になる事は出来るだろうか。自分は変わった、自身にも誰にも引け目を負うことは無いという確信を持つには、何を成すべきか。ルヴィンは真剣に考えを纏めようとしていた。

「はぁはぁはぁ……ふぅ。冗談が言える位ならもう大丈夫。改めて本当に安心したわ」

 興奮状態から此方側に戻ってきたハーミィは、心底安堵した様子で頷く。だがルヴィンは彼女の方を向いておらず、天井を見て必死に思いを廻らせていた。
 自分を変えるには、確固たる自信が必要だという結論は出ている。ならば問題はどうやってそれを身に付けるか。そもそも変わる事への足枷となるものは一体何か、一体何と戦えば良いのか――と思案した刹那だった。
 深い霧が晴れていくように、朝日が闇夜を照らし出すように、雷が天空を切り裂くように。ルヴィンは一つの答えに覚醒した。
 


    ――そうか、僕がやるべき事は過去を払拭する事なんだ。



「ねぇ、聞いてる? 私の悪ふざけに愛想を尽かした?」

 再びルヴィンが視神経に注意を戻した時には、ハーミィの顔が途轍も無く近くにあった。想定外の事態に、さっきまでの自問自答は何処へやら。彼はおセンチ野郎の意気地無しの役立たずな叫びを上げてしまう。

「うわぁ!?」

「何でそんなに驚くのよ、昨日も同じようにしたじゃない。貴方が答えてくれないから」

 よく覚えていない、とは口が裂けても言えない。視野全体を占領するハーミィの妖しげな表情に圧倒されて、ルヴィンはただ唾を飲み込むしかなかった。

「どうすればちゃぁんと、貴方は私の話を聞いてくれるようになるのかしらねぇ? 考えたんだけど、一番の近道は私という存在をしっかり意識してもらう事じゃないかしら?」

「僕は……僕はそうは思いません」

 今にも泣きそうな顔で、ルヴィンは懸命に顔を横に振る。しかし、それがハーミィを更に刺激してしまったらしい。今度は顔ばかりか、体までもが彼女に圧し掛かられて自由を奪われた。

「駄ぁ目。貴方の体が私の存在を完璧に感知出来るようになるまで、絶対に許さないんだから。覚悟なさいね、ふふふふふふふ……」

 どんなに過去を払拭しても、未来永劫彼女には勝てない。ルヴィンはもう一つ、貴重な気付きを得た。










 何度刃を振るっても、虚空を切る空しい手ごたえがあるだけで、ルヴィンには大蛇の攻撃は掠りもしなかった。
 横薙ぎの太刀筋を後ろに飛んでかわすと、着地と同時に背中が木の幹にぶつかった。それを見て大蛇は、追い詰めたりとばかりに彼の喉笛を狙って突きを繰り出す。
 しかし、ルヴィンは慌てない。垂直にジャンプして寸前の所で攻撃を避け、空中で体を捻り、勢いを付けて大蛇の頭に尾を叩きつける。木の幹に刺さった刃物を引き抜く僅かな隙を突いた一撃だった。
 まともに喰らいよろめく大蛇を、着地したルヴィンの追撃が襲う。彼は懐へと飛び込むと、大蛇の下顎目掛けて右足で強烈な蹴り(メガトンキック)を放った。

「がふっ……!」

 大蛇の口腔から盛大に血飛沫(しぶき)が飛ぶ。衝撃で浮き上がった体が芝生に落ちると同時に、今度は左足で頭を力任せに蹴飛ばす。大蛇は派手に転がり、茂みに支えられてようやく慣性を殺した。

「二度と姿を見せなくなるのはどっちだ? ヘンケルス」

 ルヴィンが今し方退けた大蛇、ハブネークのヘンケルスを挑発した。以前に己が浴びせられた言葉を揚げ足に取った嫌味だったが、口調は極めて冷静で穏やかだった。ヘンケルスは二、三度咳き込んでから、彼の言葉に答える。

「ぐっ……ルーノリス様は、俺の様に容易くは無い……お前の負けは確実だ。悪い事は言わない、やめておけ……」

「途中で止められる程度の半端な覚悟で、奴が支配する林を侵そうだなどと考えるものか。俺は奴を倒す為に、仲間と共にこの数ヶ月を生きてきた」

 決然とした面持ちで宣言するルヴィンの顔からは、かつての弱々しい面影は消え失せていた。ヘンケルスは彼の決意を馬鹿馬鹿しいと扱き下ろす様に、痛みに耐えながら皮肉った表情を浮かべる。

「たかが数ヶ月で、あの方と同じ域に達せると思うのか? やっぱお前はおめでたい奴だ……」

 ヘンケルスがにやりと邪悪に笑む。言い返そうと口を開いた時、ルヴィンは彼の視線が自分の背後に向けられている事に勘付いた。そして背後から迫ってくる敵に対して、今の体勢では反応出来ない。ダメージを覚悟してルヴィンは歯を食いしばる。自分に向かって拳を振り上げ、猛然と襲い掛かってくる背後の敵は誰なのか、彼には分かっていた。

「電気が使えない只のネズミのくせして、ルーノリス様に――!?」

 マリルリのアクゥラの声は、中途でぶつ切れる様に聞こえなくなった。ルヴィンが振り向くと、そこにあったのはアクゥラでは無く仲間の姿。バクフーンのガオリェンだった。横から当て身を食らわせて、アクゥラを茂みの向こうへ吹き飛ばしたらしい。

「かっこつけるのはいいけど、油断し過ぎだって! 次同じへまやったらキレるよ!?」

「でもお前がキレたら、ルーノリスと戦りあう前に俺殺されるじゃないか……本末転倒だろ」

 両腰に手を当て大真面目に説教を垂れるガオリェンに、ルヴィンは苦笑してありがとう、と感謝する。気軽な調子を装いながらも、アクゥラの消えた茂みを注視し二匹とも油断の無い構えを取った。
 十数秒の沈黙の後、茂みが揺れてアクゥラが姿を現す。さぞかし怒り心頭に達して、相当なボルテージが溜まっているであろうという二匹の予想を覆し、彼女は能面の如く無表情だった。 おもむろに木へ打ちつけた左の拳が、樹皮を抉り木片を撒き散らした。倒れるまでとはいかなかったが、拳を受け止めた木はミチミチと不快な響きを発する。

「……あんたら、もう終わりだよ。ルーノリス様が来る前に、あたしが終わらせてあげる」

「どの道終わりだ。もう私は来てしまったからね」

 一陣の風が木立の合間を吹き抜けた様に、この場の誰もが思ったが、それはポケモンだった。湧いて出たかと錯覚させる程のスピードで現れたウィンディのルーノリスが、いつの間にかアクゥラの後ろに佇んでいた。
 確かに体格は相当なものがあり、ガオリェンよりも若干大きい印象を受ける。しかしルーノリスは、それ以上に圧倒的な威圧感と存在感を放っていた。かつてルヴィンが気後れを感じていたにも関わらず、彼の誘いを断り切れなかったのは、彼の持つ雰囲気に気圧された事が主因だったに違いない。
 ルーノリスはアクゥラの頭にそっと右前足を乗せ、お前は戻りなさい、と小さく呟く。アクゥラはまるで魔法に掛かったような恍惚の表情を浮かべ、彼の言葉に従って足早に何処かへ去っていった。
 ルヴィンとガオリェンはルーノリスを絶えず睨み続けていたが、それは殆ど虚勢に近かった。数ヶ月の鍛錬で磨きのかかった野性の勘が、目の前のあれと戦うんじゃないと逆らい難い恐怖を伝えてきている。彼が言葉を話そうと口元を微妙に動かしただけで、二匹は身の毛のよだつ感覚を味わった。

「ヘンケルスを倒したか。どうやらお前は、私と出会ったあの時よりかなり強くなったようだ。心も体もな」

「へぇ、随分知ったような事を言うじゃないか。俺の何を知ってるって? あんたが知ってるのは、情けない面をぶら下げて、めそめそ泣いてたどっかのガキの事だろう?」

 負けるものか、過去の自分に。そして目の前の相手に。それだけを思いつめて、ルヴィンは声を荒げた。ルーノリスは彼の態度を、感心して褒め称えるような目で見つめた。

「あの時のお前に、それ程の気概があればな。私は喜んでお前を仲間として認めただろう。今なら分かるな? クリフィカ。私がお前を跳ね除けた理由が」

 昔を思い出すように、遠い目をするルーノリス。ルヴィンの変化は、弱々しかった彼自身を遠く過去へ置き去りにするには十分なものだったようだ。

「話が見えないな。君は元々彼の仲間になろうとしていたのか? それにクリフィカっていうのは?」

 ルヴィンの左隣で遣り取りを見守っていたガオリェンが、口を挟んだ。ルヴィンは彼を目を見つめて、真実を語る。

「お前の言う通りだ。正確には俺は奴に勧誘されて仲間になろうとしたが、その前に奴は俺の欠陥を見抜いた。『弱者は私達と共にあることは出来ない』とのたまい、そこで伸びてる蛇とあの(おんな)を差し向けて俺を追放した」

「つまり仲間として受け入れられる前に振るい落とされた、と。なる程」

「飲み込みが早くて助かる。そしてクリフィカというのは……俺のかつての名だ」

 え、とガオリェンは小さく驚きの声を上げる。聞きに回っていたルーノリスも寝耳に水だという様子でいた。

「何故それを訊くのかと思えば、偽りの名を名乗っていたのか。クリフィ」

「その名で俺を呼ぶなッ!!」

 再び口を開いたルーノリスだったが、ルヴィンが鋭く切り込んで彼を止めた。凄まじい剣幕にガオリェンは僅かに震えを見せ、ルーノリスでさえ一瞬目を見開いた。

「俺の名ははルヴィンだ、クリフィカはあの日死んだ。ガオリェン、お前とハーミィに命を救われたあの日に」

「俺はルヴィンとしての未来を生きると誓った。ひ弱だった己を捨て、力強く運命を切り拓いていく為にだ。その為に、俺はクリフィカとしての戦いに……予言に振り回されて全てを失った過去に、決着を付けなければならないんだ」

「……正直急展開過ぎて、ちょっと付いていけてないけどさ」

 ガオリェンが困ったような顔で、ルヴィンを見、それからルーノリスを見、戦闘態勢を取った。後ろの首筋と尻部から燃え盛る炎が吹き上がり、彼の周囲に陽炎が立ち昇った。

「話はもう一度ゆっくり訊かせてもらうよ。今はまず、生き残る事が先決だ」

「……ありがとう。恩に着る」

「ただ過去を無かった事にしたいっていうんなら、ブチギレてたよ? 飽くまで彼を倒す事で、君は過去に縛られない幸せな未来を目指すんだって解釈でOKだよね?」

「勿論だ。今度は殺される所じゃ済みそうに無いからな」

 ルヴィンも改めて構え直し、強靭な意志を瞳に込めてルーノリスを見据える。ルーノリスも戦いの時が来た事を悟り、低く構えて次の動きに備える。

「ならば私を倒し、私の中のお前を……クリフィカを殺してみろ。それが出来なければ、お前は自分の言う『情けない面をぶら下げて、めそめそ泣いてたどっかのガキ』のままだ」

「ああ、直ぐに証明してやるさ。……俺がルヴィンだって事をなぁッ!!」

 渾身の力を込め、電光石火でルヴィンは突撃した。自らの存在を証明する為に。己自身の手で未来を切り拓く為に――
























「貴方は、偉大な予言者になり損ねた。たった一度の勘違いで」

 丹念に岩を削って掘り出された墓碑の前で、ハーミィは一人呟いた。自分で摘んで来たらしい色とりどりの可愛らしい花を、彼女はそっと墓の主に手向ける。

「私が悪戯で見せた悪夢を、予知夢と思ってしまった。悲しいけれど、貴方はもう相当なおばあちゃんだったものね」

 溜息を一つ吐き、彼女は星の瞬く夜空を眺める。今宵も月が、素晴らしい輝きを誇らしげに纏っていた。

「それに、それまで貴方の予言は怖い位に当たり過ぎてた。周りもそれを持ち上げて、疑う事を忘れていた……貴方が救世主に仕立て上げたあの子も」

 一際強い風が吹き付けて、闇に染まった森の木々が、繁茂する野草が、手向けた花の花弁が舞い踊った。ハーミィは目を閉じて、ふふっ、と微かに笑った。

「怒ってる? でもね、あの子の苦しみを分かってたのは私だけだったと思うわ。たった一度だけ、夜に悪戯でこの谷を徘徊して。それでたまたま、貴方とあの子の心の世界に入り込んだだけの、部外者の私だけが分かってた」

「細々と幽霊の様に騙し騙し生きてた私達にとって、貴方達谷のポケモン達は邪魔な存在だった。予言を振りかざして幅を利かせていた貴方達がね。でもあの子だけは違った。あの子は貴方達にいいようにされてただけ。私がそう話したから、皆は彼を見逃した」

「まあ、色々と不手際はあったけれど。彼はすっかり逞しく、いい(おとこ)になったわ。だから貴方達の命は無駄じゃなかった。それだけは認めてあげる。私の悪戯が彼を苦しめる原因になった事は、これから彼と共に生きて償うつもりでいるから」

 胸の内を語り終えたハーミィは、立ち上がって振り返る。振り向いた視線の先には、無数のゴーストポケモン達が所狭しと集まり、彼女の言葉を待っていた。
 一匹のジュペッタが前に進み出て、彼女の指示を仰いだ。

「姫様、参りましょう」

「分かっているわ。行きましょう、残党狩りにね」
 
 
 
 
 
 
 それから幾月かが過ぎた頃、ケイオーク岬が血の海になったらしい、という風の噂が流れるようになった。


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Last-modified: 2009-12-01 (火) 00:00:00
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