Lem
ねこのれきし。
──ひろつてくたさい──
ミミズがのたくったような文字の書かれたダンボール箱。
その中に座する猫。状況から判断してそれが捨て猫であるというのは、子供でもすぐに分かる。
解せないことがあるとすれば、どうして俺の家の前にピンポイントでそれが置かれているのか。
周囲を見回せば他の家屋もあり、裕福そうな家も何軒か見える。
そしてここは共同住宅で、暮らしてる人は大体一人暮らしが殆どだ。幸いペットは飼育可(小型・中型限定)らしいが、人選を間違えていやしないだろうか。
そしてもう一つ。恐らく俺以外の人が対面しても、最大限に解せないポイントであろう。
箱の中の猫は、誰から見ても子猫と呼ぶには大きすぎて、無理があった。成猫と呼ぶのが最も適切な表現である。
その子猫を収納できるサイズの空き箱が、俺の家のドアを塞ぐように占拠しているせいで、向かい側や隣の住民が廊下を通れず、困り顔に迷惑顔のヤジを俺と家主に投げていた。
「それで、二尾葉さんはこの猫をどうしますかね。飼育条件の許容範囲は有にしておきますが」
「飼えるんですね……」
「まぁ人間が一人分、増えるようなものですからな」
「俺が飼わなきゃダメなんですかね」
「ダメという決まりは無いけど、そこまで懐かれてる様を見ると、ねぇ……。ホントに顔見知りとかじゃないの?」
「全然知らない子ですねぇ……」
淡緑と深緑と濃緑を散りばめた体毛に、奇術師を模した様相ながらも、猫である部分が残る手足に、何よりも喉から発せられる特有の音は間違いなく猫である。
実家では猫と暮らしていたのである程度の知識が役立った。
ただ、二足歩行をする猫は残念ながら経験が無く、それが俺の懸念点として決断を渋らせている。
「まぁ、無理に飼育する必要は無いんだけどねぇ。ただ、他の引き取り手を探そうにも、そんなすぐに見つかるものじゃないし、私も私で多忙だから、二尾葉さんが協力してくれたら私も助かるよ」
「はぁ……」
乗り気でない態度に家主がそっと耳打ちする。
「……里親が見つかるまでの間、家賃半分にまけてあげるよ」
「家主さんには日頃からお世話になってますからね。任せてくださいよ!」
札束ビンタをされるというのはこういう気分なのだろうか。
何にせよ金銭面のトラブルが緩和されるのはとてもありがたいことだ。
話がまとまったことで猫の身柄は自宅へ引き上げ、ダンボール箱は何処の虫の卵が付いているか分からないから、潰して廃棄するようにと家主に忠告されたのでその通りに処分しておいた。
「ただいまー」
実家以外でこの言葉を使うのも何だか久しぶりだ。
一人暮らしが長いとそんな当たり前のことを忘れがちになる。
「……猫ー? どこだー」
玄関、居間、寝室、物置、調理場、浴室、厠と一通り見回しても猫の姿は見当たらない。
実家の猫の習性を思い出そうと記憶を掘り起こす。
猫は狭いところが好きだから、何処か隙間がある所に居るのかもしれない。子猫ならいざ知らず、俺とほぼ変わらない背丈の猫なのでそこまで隠れられるスペースは多くはないはずだ。
ベッドの下──居ない。
空の浴槽の中──居ない。
カーテンの中──居ない。
クローゼットも引き出しの中も──居ない。
幻でも掴まされたのかと頭が混乱と不安に染まっていく。
一旦落ち着こうと、スマートフォンを取り出して猫の情報を探る。
まずはあの猫の名前と種族と生態からだ。
奇術師、猫、仮面。
三つのキーワードにより紐解かれた目当ての情報をそれぞれ列挙していく。
名前はマスカーニャ。
分類はマジシャンポケモン。
身長と体重の平均データも載っており、1.5m、31.2kgと全体的に小柄らしい。
俺の身長が170cmなので、それに並ぶ背丈ということは相当デカい猫ということになる。
思うことは色々あるが、とりあえず名前が判別したので呼び方を変えて捜索を再開しよう。
「マスカーニャ、出ておいでー。マスカーニャー」
廊下に出た所で背後から「にゃおん」と鳴き声が聞こえた。
振り向いてみるも、そこはさっきまで調べていた居間で何も見つけられなかったはずだ。
「マスカーニャ?」
「にゃう」
また背後から鳴き声が聞こえるが、振り向いても誰も居ない。
思案の末に思い至った行動を実行に移そうと、スマホアプリの一覧からカメラを起動する。
自撮りモードをオンにして自分の背後を撮影してみると、そこに猫がいた。
振り向こうとすると猫もこちらの動きに合わせて隠れようとする。
Hide and Seek.
ずっとそうやって遊んでいたのか、或いは弄んでいるのか。
やられっぱなしも癪なので今度はこちらから仕掛けてやろう。
「マスカーニャー」
「みゃ」
背後からの声。振り向くと同時にすれ違う直前で、左手の妨害を差し込んだ。
腰回りの柔らかな毛の海に手指が沈み込み、不意による勢いを相殺しきれず、背中が猫の包容で包まれた。
「はい、捕まえた」
どちらかといえば捕まっているのはこっち側な気がしなくもないが。
腰に両手を回して逃げられないように抱擁し、うなじから鎖骨のラインを執拗に嗅いでくるので鼻息がこそばゆい。
実家の猫も肩に抱き上げるとこんな感じで嗅いできたことがあったが、この状況はどうだろう。
猫である。猫なのだが、仕草がいちいち人間の挙動と似ているせいで、何だか妙な気分で一杯になる。
こちらが手を離しても猫は抱擁を解かないので、仕方無くそのままゆっくりと、居間のソファーベッドへ歩を進める。
数歩で済む距離が数十歩も掛かる牛歩であった。
ソファーに腰掛けた所でやっと抱擁を解除すると、今度は膝の上に全身を預け、掌で膝を揉み込んでから頭を乗せて休眠し始める。
初対面のはずなのに人慣れし過ぎているというか、この信頼感はどこから来るものなのだろう。
考えても分からないことばかりだが、とりあえず今後の生活に備えて対策を打つ必要がある。
実家に電話をかけること数十秒。
母が対応するかと思ったが、出たのは妹の樹奈だった。
「誰かと思えば辰三じゃん」
「お兄ちゃんを呼び捨てにするんじゃありません」
「はいはい、それでお兄は何の用?」
「ちょっと色々問題がな。これ母さんのスマホだよな? 母さんは居ないのか?」
「居るけど、立て込んでるから私が代わり。急ぎ?」
「大したことじゃないけど、まぁ、なる早のがいいかな。実は猫を拾ったんだよ」
「猫ちゃんはよ映せ。ムサい兄貴の面より癒される」
「久々の対面なのに、お兄ちゃんとても悲しいです」
ライブカメラを膝元の猫に向けると、短い悲鳴が端末からこぼれた。
心臓麻痺でも起こしたのだろう。猫好きだもんな。お兄ちゃん犬派だけど。
折角だからもっと苦しんでもらおうと、ローテーブルの上にスマホを立て掛けて猫の寝顔が拝めるようにしておいた。
「I love you」
お兄ちゃんを?と聞き返そうと思ったが、心無いナイフで刺されそうなので喉に出かけたそれを呑み込んだ。
「あら、めんこい猫ちゃん。どうしたのこの子」
鼻息が荒い妹の肩越しから母が現れ、やっと話ができそうな流れになってきた。
狂気に走る妹の横槍も無視して事情説明に時を費やす。
つい先程のことなので説明よりも、今後どうするかの相談の方に主軸が移っていた。
猫が二足歩行する旨を告げると、母は懐かしそうに昔のことを語り始める。
俺が赤子の頃にニャスパーを飼育していたそうで、その頃の経験談から幾つか有益な情報を得られた。
ありがとう、偉大な母。
「お兄さぁ、ホントに初対面なの? なんかさぁ、彼女面って感じのくっつき方に見えるんだけど」
相談事の合間に猫は立ち位置を変えたり、構ってアピールを繰り返して俺の注意を惹こうとしていた。
今は手品を家族一同で鑑賞しており、歓声があがる度に褒めてアピールをするので、顎下を撫でたり、頬髭を優しく拭ったりと御満悦に浸っている。
だが妹がめざとく突っ込むのはそこではなく、その後の猫の対応であった。
称賛を浴び終えた猫は兄の傍らに座り、両腕を掻き抱いて、肩の上に頭を乗せて、ご機嫌のメロディーを鳴らすのである。
その様を見せつけられれば、勘違いや邪推の目を向けられても已む無しといった所だろう。
「間違いなく、初対面です……」
「本当に? 何処かから拐ってきたとか、そういうんじゃなく?」
「辰三は昔から猫に好かれやすかったからねぇ。猫にとって良い匂いがするんじゃないかい?」
「お兄ばかりズルい……猫の愛なら間違いなく私の方が上なのに……何故……」
妹の愛が重すぎるから嫌われるんじゃないかなぁ等、口が裂けても言えない兄心を仕舞いつつ、自分の猫に好かれやすい体質については反論できないので納得するしかない。
語ることも無くなったので、母からは何かあればその都度の連絡を、妹からは毎日猫の画像と動画を送ることを強制されてお開きとなった。
はいはいと投げやりに通話を切ると、嘆息をついて項垂れる。
傍らで心配そうに見つめる猫の目が交錯する。
アメシストアイの輝きに見惚れていると、不意に鼻先を近づけて猫の挨拶を交わしてきた。
マスカーニャが何処からきて、何故自分に懐いてくるのか、疑問点は尽きないばかりだが、向けられた愛情に関しては素直に受けとるのが俺のやり方だ。
お返しにこちらからも鼻先を額にくっつけて、親愛の証を返す。
「暫く一緒だけど、よろしくな」
「にゃ」
猫は九つの命を持つ。
けれどそれは死してなお蘇るという意味ではなく、九つまで記憶を受け継いで次の猫に転生すると言うのが正しい。
その先のことは分からない。
記憶を失って別の生き物に転生するかもしれないし、無として何も残らない概念的なものに置き換わるのかもしれない。
けれど記憶を失ったとしても結んだ繋がりはずっと残り続ける。
ボクの始まりの命の頃に出逢った君は猫だった。
今の君、辰三は覚えていないようだけれど。
ボクがニャースとして生まれた時、君はペルシアンだった。
二つ目の命はニューラで、君はマニューラ。
三つ目はエネコ、君はエネコロロ。
四つ目にコリンク、君はレントラー。
五つ目でニャルマー、けれどその頃から君は見つからなかった。
ずっと君を探したけれど、何処にも君を感じる繋がりは見つけられず、悲しみに繰れながら命が終わった。
六つ目がチョロネコに決まった時、君の欠片を感じた。
必死に君を探して、追いかけて、そして見つけたのは君が次に転生するであろう依り代を魂に宿す少女だった。
この子が大人になり、子を宿して君はその中に入るんだと直感が告げたんだ。
だからボクはその少女を守るために側を離れなかった。
君にもう一度出逢うために、ただ一つだけの繋がりを結んで、結んで、結び続けた。
少女が大人になる直前で六つ目の命が尽き、七つ目にニャスパーとなった。
そして少女は母親になり、君が生まれた。
君はボクのことを忘れてしまっていたけれど、それでも君の側に居られることが、ボクの最大の喜びだった。
もっと長生きしていたかったけれど、そろそろ次の命に交代する時期がやってきた。
ボクの命が尽きる直前、君は誰かの死に触れ、痛みを知った。
そのことについては申し訳無く思うけれど、君はまだ物心の付かない頃だったから、次に出逢う頃には忘れてしまっているだろう。
でも君がボクを想って、力一杯に抱き締めた優しさと温もりは、次の転生を待つ間の最高の慰めになったんだ。
八つ目の魂がニャビーに入り、君は五才の時を迎えた。
その頃の君は文字の読み書きに夢中で、ボクが構ってほしくてもつっけんどんだった。
ニンゲンと猫の価値観は全く違っているし、寿命だって何倍も違う。
残りの時が少ないボクとしては、もっとボクだけを見てほしかったけれど、今の君は子供で学びに貪欲だ。
だからボクも君と一緒に学ぼうと、側で文字書きを見ていた。
七才にもなると今度は遊びに貪欲で、ヨーヨーというおもちゃが君のお気に入りだった。
Walk the Dogというトリックをするとボクがそれに付いてくるので、Walk the Dog and Catと母親が君だけのオリジナルトリックをよく褒めていた。
十二才、この時の君はTVによく張り付いていた。
その中でもマジックショーにはまっていて、手品を見る度に「どうして?」「なんで?」「スゴい! カッコいい!」と落ち着かない子供だったのがとても印象的だった。
この頃のボクは身体の老化が進んでいて、次で最後になる転生のことばかり考えていた。
そんな時に君が絶賛するマジックショーを知れたのは僥倖だった。
次の命はそれらを君に披露すると約束しよう。
そして死が訪れ、君が再びボクを抱き締める。
前の死は君にとってささやかだったけれど、次の死はとても堪えられない痛みを与えてしまったのが心残りになった。
そして君は悲しみのあまりに「もう、猫を好きにはならない」と告げたんだ。
知らなかったとしても、次で最後のボクに、どうか、そんな残酷な告白をしないでほしい。
直ぐにまた逢えるから。
その時にまたボクを好きになってほしい。
そんな願いへ、最後の転生は試練とも呼ぶ苦難の連続だった。
九つ目の命、ニャオハ。
最後の運命が生まれた場所は、君が暮らす場所からはあまりにも遠く、隔たる海が心の溝として立ち塞がった。
あの悲しみの告白が君の本心であるのなら、今だけはそれを受け入れよう。
今すぐにでも逢いたいこの気持ちを堪えて、君の心が癒えるのを待ち続けよう。
だから、どうか。
君がボクを覚えているならば。
ボクが暮らすこの大地へ、君が訪ねてくれるのを待っている。
そして君を見つけたなら。
とっておきのサプライズを君に披露するよ。
キミが一度手放した記憶を、もう一度キミに拾ってもらえるように。
目印にニンゲンの文字を空き箱に刻んでおくよ。
でも、いざキミに出逢ったら。
多分ボクは泣いてしまいそうになるだろう。
最初で最後の運命の出逢いに泣き顔は見せたくないから。
この時だけは仮面を被ることを、どうか許してほしい。
溢れる気持ちを隠さないと、ボクは君にステキなマジックを披露することが、できそうに、ないのだから。
後書
初めにどこからお話をしましょうか。少しばかり特殊な話になりますがよろしければ聞いていってください。
今回のこの作品は私の中にある「猫の残留思念」とも「前世の記憶」とも呼び、普通の人にはない変わった感性から着想を得ました。
スピリチュアルな内容になるため、共感を得られにくいことから表ではあまり口に出しませんが、友人知人の半数以上が私を猫と呼んでいたり、イメージが根付いていたりするのもそういう部分が影響しています。
そして前世の記憶は一つ前の記憶だけではなく、さらに前の記憶も共有しているというケースが私です。
その前も猫でした。どうして現世は人間になっているのか、未だに謎な所です。
体験談を素に小説を書くというのは、過去と向き合うことでもあり、トラウマと向き合うことでもあったりします。
感情がぐちゃぐちゃに掻き回され、一日中画面と向き合って一文字も打てなかったという一週間が続き、最終日になってようやく書ける部分だけを書き出しました。
もう少し心が強くあれば、猫のエピソードを細かく描写できただけに、悔いが残る作品でもあります。
次にマスカーニャの話です。
もともと私は推しであるエースバーン絡みの話しか書かないので、今大会もそのつもりでした。
大会用の作品と、アンソロジー用の原稿が書き終わるまではポケモン新作も触らない、新作情報もミュートを駆使して遮断する等のネタバレ防止を徹底していました。
Twitterも浮上率を下げたり、話題になりそうな時期は更に下げたりとそうした情報規制を行っていましたが、刺客は別の所から私を刺してきました。
youtubeでチャンネル登録しているユーザーからのネタバレ動画です。あっちではネタバレ対策なんて全然できないので完全に不意打ちです。悲しい。
その動画はゲームプレイ動画ではなく、MMDで作られたポケモンがダンスをするもので、それが私とマスカーニャのファーストインプレッションでした。
ダンス曲に使われたBeneath The Maskの歌詞、マスカーニャの仮面を被ったスタイル。
それらが私に内在する猫の記憶と結びついたことにより、大会にエントリーする作品をどうするか大いに悩ませました。
いつも通りにエースバーンを書きたくても頭の中はマスカーニャが離れず、マスカーニャを書けばエースバーンを書く時間が取れない。
ならばその組み合わせで一筆仕上げればといいかと言えばそれも難しい。
エースバーンは私にとって、好きだからこそ書ける話です。
マスカーニャはそうでなく、マスカーニャというよりも猫という存在が私にとって特別な存在であり、私がレントラーを書けない理由と同じでした。
よって別々に仕上げるしかなく、それぞれの部門にエントリーをした結果、それぞれの作風があまりにも違い過ぎる作品が生まれました。
締め切り最終日の午前中にマスカーニャの作品を、午後にエースバーンの作品を連投で書き上げた後は放心状態になっていて、ちょっと期間中に他者の作品を読むことも難しかったです。ごめんね。
そうでなくてもネタバレを防ぎたいという思惑もあったので、この後書を書いている今もまだ他の作品等を読めていません。
一月末に肩の荷が下りてやっとポケモン新作ゲームをプレイしている所なので、ゲームクリア―後に改めて読ませていただきます。
私事で長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございます。
マスカーニャがどんな猫なのか、先のMMD(後に他の御三家と中間進化もネタバレされた)と身長体重データ以外は全く情報を拾ってないので邂逅が楽しみですね。
今大会もお疲れ様でした。
また次回もよろしくお願いします。
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