ポケモン小説wiki
鉄道会社員トーマス

/鉄道会社員トーマス

大会は終了しました。ご参加ありがとうございました。
このプラグインは外してくださって構いません。

投票結果を見る
投稿作品一覧



 そこには、見渡す限りの大自然が広がっていた。
 大都会の広がる先進国の中にあるとは思えないほど緑の深い森。日が昇るときには朝露が木の葉から滴り落ち、葉から蒸散した水蒸気が森を覆って、霧が立ち込めたように木々はかすれる。
 大都会の広がる先進国の中にあるとは思えないほど青の濃い湖。小石でも投げようものなら、澄んだ音とともに白波が立ち、沈むものを欲するように石は見えなくなり、後には静けさが残る。
 大都会の広がる先進国の中にあるとは思えないほど黄色の砂丘。時折発生する砂埃は、風の前の塵のごとく吹きすさび、日中は高温でうだるような暑さになるが、夜になると氷ポケモンの独壇場と化す。
 国立公園としても認定されている自然保護区『テール・ド・ラ・ヴィ』は、3つの自然が共存する珍しい場所として、世界中の注目を集めていた。その広さはカントー地方とジョウト地方とを合わせた面積にほぼ等しく、なぜこういった自然が共存できているか、専門家たちの研究の指標でもあった。世界的にも珍しい光景だということで、木々の伐採はもちろん、ポケモンの捕獲なども禁じられていた。
 この公園に関してとりわけ専門家たちの気を引くのは、ヒトが往来し、住んでいた形跡があるという事実だった。森の中にも、湖の周りにも、砂丘の頂にさえ、至る所に線路が設置されているのだ。昔は都会まで続いていたようだが、今は寸断されている。
 随所に見受けられる線路を辿っていくと、1つの場所に収束する。森のエリアのほぼ中心部にある、小さな山である。
 立派な宮殿ほどの高さしかないこの山は、その昔鉱山として栄えていたようだった。あちこちに空いた穴から線路が飛び出し、車輪の錆付いたトロッコが寂しげに残されている。まるで、鉱山のあった周囲に自然を付け足したかのような違和感がほとばしっていた。
 なぜか、この公園の昔のことについて知っている者はいなかった。そもそも誰が働いていたのかも定かではなく、インターネットなどで呼びかけても誰も名乗り出ない。人工物の推定経過年月はそれほど多くないにもかかわらず、異様な共演の詳細を知るものは、誰一人としていなかった。
 専門家たちが様々な説を提唱して議論する最中、この公園にすこぶる興味を持った人物がいた。探検家リチャード・ウィルバートである。
 当初、彼はこの公園に立ち寄る数多の探検家の1人でしかなかった。しかし、この公園の、色んな意味での異様な光景に魅了され、虜になってしまったのである。
 なんとかして、この自然の素晴らしさを全国に知らせたい。そう思った彼が目をつけたのが、トロッコだった。トロッコで、観光客を乗せて運ぼうと思いついたのである。
 当時この公園は研究区域としての認識が強く、研究者の他には、彼のような探検家しか訪れなかった。それを、一般の人にも知ってもらおうと、言わば『公園興し』を始めたのである。特に金銭を儲けようということではなく、場所そのものを知って欲しいようだった。本来ならば鳥ポケモンや気球などを使うなどしたほうが良いのだが、そんなことをしても公園の魅力は伝わらないと考えたようだった。
 彼は手始めに、各所に散らばるトロッコを回収した。錆付いたトロッコを懸命に押して進む彼の姿は、周囲のポケモン達には異様に映っただろう。十数両のトロッコを回収した彼は錆を完膚なきまでに落とし、年月の経過による劣化以外は新品同様にしたのである。
 次に彼は、旅行会社に努める知り合いの元へ足を運び、自分の案を持ち込んだ。マイナーなスポットということで渋られたものの、押し切る形で『テール・ド・ラ・ヴィ 大自然トロッコツアー』を社長に進言することを約束させたのだった。
 次の問題は、トロッコを引っ張る者だった。実を言うと彼はそこまで考えておらず、ツアーの提案もほぼ勢いで言ったのだ。彼が頭を悩ませながらトロッコの元へ戻ると、そこには1体のポケモンがいたのだった。
 そのポケモンは老いているようだった。リチャードの前でじっと立ち尽くして、食い入るようにトロッコを見ていた。リチャードの声かけに対しても、反応は薄かった。何気にトロッコを引っ張ることを提案してみると、ポケモンは快諾したのである。
 程なくして、旅行会社からツアーの採用を告知され、国からの許可もでた。組織としての均衡を図るため、彼は『ウィルバート鉄道会社』を設立。社屋も無く、賃金も無いが、会社としての形態をとることで、何かと都合が良かった。
 こうして『テール・ド・ラ・ヴィ』は、観光地としての知名度を上げていくのである。
  ◇
 朝日が昇ると同時に、鉱山の茶褐色の山肌が鈍い光を放ち始める。穴の中に日が差し込むと、ゆっくりと1体のポケモンが出てきた。
 橙色の前足、後ろ足、尻尾、頭。黒い甲羅には6角形の穴がいくつか開いており、その中は赤く点滅していた。亀のような姿をしたこのポケモンは、重たそうに体を前進させる。
 彼が向かっているのは、線路が出ている穴……車庫だった。山を突き破ったように飛び出た線路から少し離れたところには、取って付けたように机が置かれていた。その上には、1枚の紙が載っていた。
「……リチャードはまだ来ていないのか」
 しわがれた声でそう言うと、穴の中に入っていった。
 彼の目の前にはトロッコがあった。整然と並んだトロッコの先頭には、長めのロープが取り付けられていた。普通ならば、これを首などにかけて引っ張ると首が絞まって苦しいものだが、引っ張り慣れている様子の彼は平気であるようだった。
 彼はいつものようにロープを首にかけ、線路の前方を見据える。ややあって、彼の体が徐々に光り始める。光は彼の体を覆いつくし、亀の形をした白い物体になった。そして、弾けるような音と共に、光が体から剥がれ落ちた。彼の体は全体的に赤みがかり、エネルギーが満ちているようだった。
 そして。彼の鼻と背中から白い煙が放出されると同時に、重厚な音が静かな空間をつんざく。ゆっくり、鼻から小刻みに煙を出しながら前進し、徐々に加速していく。その姿は、線路を囲う森の中へと吸い込まれていった。
 広大な自然の中で、トロッコを走らせる1体のコータス。彼の名は――



 鉄道会社員トーマス
 作者:カナヘビ


 1
 小刻みに吐き出される煙の音。それに続くトロッコの轟音。大自然に響く異色の音は、この場所にとって最早日常茶飯事だった。
 トーマスは線路の上をテンポよく駆けていく。何も考えずに前進しているように見えるが、彼の細い目は常に周囲を見ていた。
「トーマスさーん!」
 甲高く幼い声が聞こえた。前方を見ると、小さなキャタピーが線路の脇で飛び跳ねていた。トーマスは徐々にスピードを落とし、キャタピーの前で止まる。
「おはようトーマスさん!」
「ああ。おはよう」
「あのね、きょうものせてほしいの! いいでしょ?」
「今日も客がたくさん来る。それでもいいなら乗るといい」
「わーい! ありがとう、トーマスさん!」
 キャタピーは小さく飛び跳ね、トロッコの側面にへばり付く。足を躍動させながら上へと上り、トロッコの縁に体を置く。
「アブニル、出発するぞ」
 トーマスは言うと、鼻から小刻みに煙を出しながら発車する。まるで森が動いているような光景を、アブニルと呼ばれたキャタピーは目を輝かせながら見ていた。
「わーい! すごーい!」
 毎日同じ光景を見ているはずなのに、アブニルはいつも喜んでいる。よく飽きないものだと感心しながら、トーマスは再び線路を走る。
 このトロッコは、観光の目玉としての役割のほかに、森に住むポケモン達を運ぶ役割も担っていた。遠くへ行きづらいポケモン達がトーマスを呼びとめ、自分の望む場所まで乗っていくのである。ただアブニルだけは、トロッコに乗ることそのものが目的であるようだった。
 しばらくトーマスは黙々と進んでいた。後ろで騒ぐキャタピーの無邪気な声を聞きながら、無表情に進み続ける。時々線路のそばを通りかかるポケモンは、あまりに速く、重いトロッコを引っ張っているコータスを見て、皆が目を疑っていた。見慣れた光景であっても、コータスにしては速いその速度はやはり信じられないようだった。
 煙と鉄の音に、にぎやかな声が混じってくる。トーマスの前方には、十数組の観光客が列をなして待っていた。現代ではあまり聞けない煙の音とともに、トロッコを引っ張ってくるコータスを見て、観光客たちは感嘆と驚愕の歓声をあげた。
「アブニル、わしの背中に乗るといい。熱くないところに乗るんだぞ」
「う、うん」
 トーマスに促されて、アブニルはトロッコの前方で飛び跳ねた。何とか彼の甲羅に着地したものの、白い煙が顔に思い切りかかってしまう。
「うわぁ」
 アブニルが小さく悲鳴をあげるが、トーマスは声をかけず、首をゆっくり横に振って飽きれていた。どうやらよくあることのようだ。アブニルは煙を振り払いつつ、落ちない程度に後退した。
 そうこうしているうちに、トーマスは速度を落としていた。拍手したり万歳したりして騒いでいる観光客の前で、トーマスは停止した。
「さあて! 森の観光をひとまず終えたところで、次の場所へはこのトロッコに乗っていってください!」
 景気のいい太い声が響いたかと思うと、観光客たちはなだれ込むように次々とトロッコに乗っていった。
「トーマスじいさん! 今日もたくさん客がいるぜ! 頑張って引っ張ってくれ!」
「お前に言われなくとも分かっておる。お前も次の客へのガイドに努めるといい」
「分かってる分かってる! じゃ、またな!」
「それではな、ゴードン」
 ゴードンと呼ばれた大きな声のバッフロンは、スキップでも始めるのではないかと思うほど浮き足立った足取りで、アフロを揺らしながら去っていった。それを見送ったトーマスは正面に向き直り、重くも高らかな音とともに背中と鼻から煙を吹き出した。観光客が歓声とどよめきで沸き立つ中、トーマスは発進した。
 トロッコの重さ、観光客の声。この2つの要素で、トーマスはだいたい何人の客が立ったり座ったりしているかを把握することができた。もちろん、立つことなど推奨できないのだが、トロッコの広さの関係もあって、立っている客のほうが多い。座っているのは、少人数で来ている者や、速度を怖がって景色を見る余裕がない者などだった。これらを確認することにより、トーマスは速度の調整をしていた。あまり速くしてしまうと立っている客が煽られるし、遅すぎると退屈させてしまう。トーマスの匙加減1つで評判は全く変わってしまうが、それはうまくいっているようだった。
 そして、トーマスが察知しなければならないことがもう1つ。背中にかすかに感じる、必死でしがみ付こうとする小さな力の主である。
「アブニル」
 トーマスは甲羅の上に声をかける。大きな音が鳴り響いている中で聞こえるぎりぎりの音量。しかしアブニルには聞こえたようで、背中に感じる力が少し強くなった。
「いつものことだと思うが、我慢していろ」
 トーマスはぶっきらぼうに言った。いつもアブニルは、客が乗り込んでくるたびにトーマスの背中に移動し、風や煙たさと戦っている。一体どんな心中でアブニルがそんなことをしているのかは分からなかったが、落ちて怪我でもされたら目覚めが悪いので、トーマスはいつも声をかけていた。
 徐々に森が開けてくる。木々の数が少なくなってくると、線路もカーブを描き始めた。減速しつつ右に曲がりきると、左に湖が広がっていた。
 本当に湖なのかと、客の誰もが目を疑っていた。それもそのはず、湖の対岸が見えなかったのだ。木々に囲まれた湖岸は地平線まで延び、その向こうまで続いていた。水面は辺り一面透き通っており、泳ぎまわる水ポケモンがあちこちに見えた。その湖底はまともに見えず、日光の届かない場所が群青色に染まっていた。かろうじて黙認できる湖底に鉄柱が伸びていて、それを基礎として桟橋が作られていた。桟橋の脇には、小さな舟がいくつも連結して置かれていた。
「ドナルド! ダグラス!」
 トーマスが呼びかけると、間を置かずして2つの水柱が立った。
「えいえいトーマスおやっさん! 待ってたぜ待ってたぜこの通り!」
「水の中に身潜めて待ちゃいつかかかるその呼びかけ!」
「赤きドナルド!」
「青きダグラス!」
「でっけえ湖ヒト様連れてうるさく語るがおでらの役目!」
「どんだけ連れまわしたって渦潮なんかできっこねえからご安心!」
「さあさあ始まる湖ガイド!」
「聞けばヨイヨイ帰ればナイナイいやならおうちでくそこきゃいいさ!」
 突然の口上が終わると、辺りには静けさが漂う。アブニルは目を輝かせているが、トーマスは無表情だ。
 湖から出てきたのは、それぞれ赤と青の横筋ラインが入った2体のバスラオ。にぎやかなにトーマスに近づいていく。
「おやっさん今日もまたいっぱい客いるなあ!」
「これが今日も1日続くと思うとうんざりしちゃうぜ!」
 ドナルドとダグラスは朝からエンジン全開の様子で、トーマスに話しかける。
「うんざりするならやらなければいい。やろうと思うなら、さっさと客に湖を案内しろ」
 トーマスは淡白に言う。
「トーマスおやっさんはいつもそうだ! 気の利いた返しが全然ねえ!」
「そんなつまんなく生きてると長生きできねえぜ! おっと気がつけば長生きしてたじゃねえか!」
「そんな長生きしてるおやっさんが言うなら仕方ねえ!」
「客十何名様ご案内!」
「急いで乗るなよ転覆するぜ!」
「ゆっくりすぎてもだめだぜ後がつかえる!」
 弾丸のごとくの言葉の発砲が終わると、辺りには再び静けさが戻る。2体のバスラオに少々引きながらも、客は少しずつトロッコから降りて桟橋へ歩いていく。連結した舟の先頭にバスラオ達は泳ぎ、取り付けられた紐をくわえた。
「全員乗ったか乗ったな乗った!」
「これから湖ツアー始まるわけだが絶対立つなよバランス崩れる!」
「ちなみこれは煽りじゃあない!」
「落ちるなら落ちるで好きにしろおでらにゃ責任まっさら真っ白!」
 ドナルドとダグラスの注意らしきものが終わると、舟は比較的遅い速度で出発した。進みながらも2体の湖のガイドは既に始まっていて、2体で交互に思うように紹介していた。
「ドナルドさんとダクラスさん、やっぱりいつも息ぴったり! すごいなぁ」
 アブニルは感激しているようだ。
「聞くもののことをそれほど考えていないあの話し方は、わしは好きじゃない。息継ぎが少なすぎて聞き取りづらい」
 トーマスは無感動に言う。
 客が戻ってくるまでの間、トーマスはその場で待っていた。内心は、線路を走って各地のポケモンを運びたかったのだが、そんなことをすると、ここの客が戻ってきたときにこの場にいられる保障がなかったのだ。そんな意にそぐわない状況にもかかわらず、トーマスは無表情に待っていた。
 舟が地平線の向こうに消えても、ドナルドとダグラスの声は聞こえていた。どれほど大きな声を出しているのかは定かではないが、これでも本気のゴードンより小さいことだけは確かだった。
 30分ほどして、ようやく戻ってきた。ようやくといっても、これほど大きな湖をわずか30分でガイドしきるということは神業に等しい。ドナルドとダグラスにとっても最短時間であるはずで、それもあってか、心なしか2体の口はすこし引きつっていた。
「湖ガイド終わった時にゃあおまたせ再びトロッコの旅!」
「トロッコ連れられ次行く砂丘はだだっぴろーいすなスナ砂だらけ!」
「息詰まる暑さ来るその時まで」
「トーマスおやっさん頼みましたぜ御機嫌よう!」
 言うだけ言ったところで、ドナルドとダグラスは水中に姿を消した。置き去りにされた観光客たちは茫然自失としていたが、トーマスの煙を出す音で我に返り、いそいそとトロッコに乗っていった。
 全員がトロッコに乗ったことを視認したトーマスは、もう1度煙を噴き上げて発進する。静かな森にまたもや、テンポのいい音が響き始める。
 湖が見えなくなると、再び周囲は森に囲まれた。客のどよめきや歓声は少なくなり、煙の噴き出す音と森の風景を楽しんでいるようだった。余裕もでてきたのか、雑談も聞こえるようになった。
 しばらく走ると、木々の間の色が変わった。草木が生い茂る緑や茶色ではなく、水をつけずに絵の具で塗ったような黄色に。木々も徐々にまばらになり、眩しい日光と共に森は明けた。
 トロッコから再び聞こえるどよめきの声。トロッコが向かっているのは、見上げるような高さの砂丘だった。その頂まで線路は続いており、少し速度を落として坂を上っていった。直接砂地に足を入れると走りにくいので、トーマスは線路の板を踏んで進んでいた。
 頂上に辿り着くと、そこには絶景があった。後方には、先ほど通ってきた森が地平線まで続き、前方の遠くには、灰色のビルがところ狭しと並んでいた。
「パーシー!」
 トーマスが叫ぶと、遠くから小気味の良い音が向かってきた。砂漠に跡をつけ、飛び跳ねながらこちらに向かってくる緑色のサボテンのようなポケモン。マラカッチである。
「はいはーい。ごめんごめんトーマスさん。ちょっといい感じの砂嵐見つけたから追いかけてたんだよぉ」
 間延びした声で謝る、パーシーと呼ばれたマラカッチ。
「何度言えば分かる。職務の時間帯は持ち場を離れるなと言ってあるだろう」
 トーマスは静かに咎める。
「ちゃんと仕事するからさぁ、許してよ。はいはーい、お客さんは降りてくださーい! この砂丘はボク、パーシー・マラクタスが案内するよー。足元注意でお願いねー」
 パーシーののんびりとした呼びかけで、観光客は次々とトロッコを降りる。足をとられる者も続出したが、何とか踏み出していた。飛び跳ねて進むパーシーに続いて、人々はぞろぞろと着いていった。
「トーマスさん、きょうもつれてきてくれてありがと!」
 アブニルの背中からの呼びかけに、トーマスは首を後ろに向ける。
「いつも言っているが、礼を言われるほどのことじゃない」
「だってだって、たのしいんだもん!」
「毎日のように客がトロッコに乗り、毎日のようにお前はわしの背中に乗り、毎日のように狭い思いをしている。それのどこが楽しい?」
「けしきかわる! きがうごいてる! けむりでる! なんかいいおと! みんなたのしい!」
 アブニルは無邪気に答えていた。トーマスは小さく首を傾げ、鼻から軽く煙を噴いた。
「そうか。なら構わない。これからも乗るといい」
「うん、のる!」
 アブニルが元気に答えたところで、トロッコに戻ってくる客が見えてきた。砂丘は大体何も無いので、ガイドもすぐ終わってしまう。後は、線路の先にある都会まで送っていくだけだ。
「アブニル、そろそろ出発するぞ」
「はーい!」
「客を降ろしたら、もう1度森に戻る。そこで降りなさい」
「うん、わかった!」
 トーマスは前方に目を向ける。そして空を仰ぐと、轟音とともに煙を噴き出した。
 2
「ったく! 今日も散々しゃべったぜ! よくまあ声が枯れねえなって自分で感心しちまう!」
「その調子なら、まだしばらくは枯れまい。ごくろうだった、ゴードン」
「おう、お疲れさん!トーマスじいさん!」
 時刻は夕方。トーマスは、ゴードンに声をかけたのを最後に、トロッコを引きずって鉱山を目指す。
 ゴードン、ドナルド、ダグラス、パーシーの4体は、『テール・ド・ラ・ヴィ 大自然トロッコツアー』の為に、それぞれの場所につけられた専属のガイドだった。ウィルバート鉄道会社を創立した当時、広すぎる公園内を探険家でもない素人に歩かせるのは危険なため、当初はトロッコの中から見るだけのツアーだった。しかし、リチャード自身がもっと公園内を見て欲しいと望んだため、公園内のポケモンの中でも特に腕っ節を集め、頭を下げてガイド役を頼み込んだのである。そうすることで、ガイドであると同時に、護衛役になると考えたようだった。初めのほうはそれほど乗り気でなかった彼らだったが、日が経つにつれて楽しくなっていったようで、今やノリノリでガイドをしている。
 しかし、どんなに彼らが楽しそうにガイドをしても、トーマスは全く表情を変えない。いつも淡白に言葉を返し、流していた。ドナルドとダグラスからは、年がいったせいだとよく言われるが、それでもトーマスは表情を変えず、白々とした細い目で彼らを見ているばかりだ。
 そんな無表情の彼は、疲れた様子も見せずにトロッコを引っ張っている。まるで機械のようなその顔は、一心に鉱山を目指していた。
 鉱山の穴が見えてくると、視界に人影が入ってきた。今朝誰も座っていなかった机に、座っている人物がいた。
 体形としては小太り。大きい体を無理やり黒いスーツで包んでおり、卵形の頭には長めのシルクハットが乗っている中年の人物。リチャード・ウィルバートである。
「戻ったぞ、リチャード」
「やあ、お疲れトーマス」
 トーマスの声かけに、その体形からは想像できない若々しい声で返すリチャード。トーマスは一旦穴へと入り、トロッコを格納してからすぐに出てくる。
「今朝はいなかったようだが」
「ああ、すまないね。急いでいたものだから、トーマスに言いそびれていたんだ」
「何をだろうか?」
「実は今日、面接に行ってきたんだ。トロッコを引っ張ってみたいっていうポケモンから入社希望があってね」
「何?」
 リチャードは目をしばたたかせた。一瞬、トーマスの表情が変わったように見えたのだ。
「募っていたのか?」
「別に求人は出していなかったんだけど、ものすごく熱意のあるポケモンだって職業安定所から連絡があってね。まさか門前払いするわけにもいかないから、とりあえず行ってきたんだ。そしたら、思いのほかよさそうなポケモンだったから、採用することにしたんだ」
「そうか。どんなポケモンだ?」
「それは、会ってからのお楽しみ。かなり明るいよ。あっけらかんとしてるんだけど、鋭くてね。僕が履歴書用紙を忘れたことにもすぐ気づいたよ」
「そうか」
 トーマスは、今朝机の上に置いてあった1枚の紙を思い出す。
「明日から来ることになってるから、きちんと教えてあげてくれ。頼んだよ、トーマス」
「……分かった」
 トーマスは言うと、リチャードに背を向けて自身の住み処に向かった。その後ろ姿は、心なしか寂しそうに見えた。トーマスに関して小さな疑問を抱きつつも、リチャードは新入社員の書類に取り掛かった。
  ◇
 暗い穴倉の中で、トーマスは目を覚ました。
ちょうど日が差してくる時刻。いつものように体を起こし、正面を見据える。外からかすかに話し声が聞こえる。昨日言っていた新入社員のようだ。
トーマスが穴から出ると、リチャードが机の前で、かがみこんで話をしていた。
「あ、おはよう、トーマス。彼が新入社員だよ」
 リチャードが紹介したのはツボツボだった。赤い甲羅には無数に穴が開いていて、そのうちの5つから、首や足が出ている。リチャードが言っていたとおり、あっけらかんとした顔をしている。
「初めやしてトーマスさん! あっし、トビー・シャックルでやす」
 底抜けに明るい声と笑顔で、ツボツボはトビーと名乗って挨拶した。
「ああ、よろしく。これから頑張ってくれ」
 トーマスは素っ気無く返す。トーマスのその様子に、トビーは首を傾げた。
「おや、どうしたんでやすか? なんか暗いでやすけど、具合でも悪いでやすか?」
 真顔で聞いてくるトビーに、トーマスは返す言葉が見つからない。
「あのねトビー。トーマスはこういう感じなんだ。だから、具合悪いってわけじゃないから、安心してよ」
 リチャードが苦笑しながら説明する。
「そうでやしたか! ごめんでやす! なにはともあれ、これからよろしくでやす、トーマスさん」
済まなさそうな顔をするわけでもなく、笑って謝るトビー。トーマスは溜め息を吐き、頷いた。にこやかに佇む目の前のツボツボを見据えながら、トーマスは力が抜けていくような錯覚を覚えた。
「ともかく、頑張って欲しい」
 トーマスはトロッコへと足を進めていった。いつものようにトーマスの発車を見届けてから、リチャードはトビーを見下ろす。
「幸いにも、明日は休みだ。試験的に、君にトロッコを引っ張ってもらえるだろう。まあ、この会社は学ぶことあまりないから、今日はすることは特に無いかな。明日運転するついでに、各地のガイドとも顔を合わせるといいよ。それまで、体調をきちんと管理するようにね」
「分かりやしたでやす! じゃあ、今日はあっし、この鉱山を探検させてもらいやすね!」
「そうするといいよ。ただし、車庫のすぐ右の穴には入らないでくれよ。トーマスの住み処だからね」
「合点でやす!」
 トビーは朗らかに答えると、体を引きずるようにして進んだ。ただしその速度は、寝ている赤ん坊が時折うつ寝返りのほうが速く感じるほどに遅かった。ツボツボの遅さに関しては承知していたリチャードだったが、やはり不安は拭えなかった。これほど遅いポケモンが、本当にトロッコを引っ張れるのか。
 しかし、トーマスの例もある。コータスもまた非常に遅い部類のポケモンではあるが、それを感じさせない速度でもってトーマスは線路を走る。これは、トーマスが出発時に発動している『からをやぶる』のおかげでだった。
 ただし、トーマスも最初から速かったわけではなかった。トロッコを引っ張り始めた頃は、いくら殻を破っても全く速くなかった。仕事を重ねていくうちに、いつのまにか速くなっていたのだ。リチャードは、トーマスが素早いポケモンと修行したのではないかと推測しているが、トーマスは多くを語らなかった。
 トビーもまた、大丈夫なはず。リチャードは自分に言い聞かせながら、机に座った。そして、上に置かれてある書類を、頬杖をついて確認するのだった。
  ◇
 その穴の奥は、積まれている石炭が壁のようになって道を塞いでいた。石炭のなかにはボロボロのトロッコが埋もれていて、金属疲労やサビが見られた。つるはし、ヘルメット、ランタン、レトロボールなど、昔のものと思われるものが転がっていた。
 そんなある種特徴的な穴の中に、うっすらと影が立った。
「おはようございやっす!」
 突然聞こえてきた元気な挨拶。深い眠りの中にいたトーマスは、急にそこから引きずりだされた。
 寝ぼけ眼で顔を上げると、暗いにもかかわらずはっきりとトビーの笑顔が見えた。
「……ああ、おはよう」
 トーマスは無抑揚に言うと、前後の足を一度伸ばしてから立ち上がる。そして、ニコニコ顔で目の前にいるトビーに視線を向けた。
「……なぜ、ここにいる?」
「いやだなあ、トーマスさん! あまりに遅いから、起こしにきたんじゃないでやすか!」
 トーマスはトビーから目をそらして外を見た。空はよく見えないが、少なくとも日光は差していなかった。青く生い茂る草花や木々はうっすらとしか見えず、日が昇りきっていないことは明らかだった。
「まだ日が昇っていない。わしが遅いどころか、お前が早いじゃないか」
「それはそうなんでやすけどね! あっし、この通り足が遅いんで、早め早め早め早めの時間に集合場所にくることに決めてるんでやす! そしたら、こんな時間についたんでやすよ! それからずっと待ってるでやすけど、時間が全然経たないんでやす! ということで、起こしにきたんでやすよ!」
「……はあ」
 何を言っているのかよく分からず、突っ込みどころも各所にあった。しかしトーマスは1つ1つ言及する気が起こらず、溜め息を吐いて首を振るのみだった。
「分かった。少し……いや、かなり早いが、車庫に行くとしよう。ついてきなさい」
「はいでやす!」
「それと、もう1つ。今後、わしの住処には入らないように」
「はいでやす!」
 元気な返事にやれやれと首を振りながら、トーマスは住処から出る。
 普段はまだ寝ている時間だけあって、早朝の森林は新鮮な光景だった。日が昇りかけて黒から青に変わりつつある空に、緑に色づき始めている葉。若干肌寒いその空気を吸ってみると、鼻腔を爽やかさが通り過ぎ、美味であると感じるのだった。
「やっぱり、森の空気は朝が一番でやすね!」
 トビーには目もくれず、トーマスは黙々と歩く。歩行速度はトーマスのほうが速いため、トビーは体中を躍動させて付いて行っていた。
 車庫内も暗闇だった。微かに外の明かりが差し込んでいるものの、まともに見えたものではなかった。トーマスはいくつかひのこを飛ばし、壁についている松明に火を灯す。そして、暗闇の中にトロッコが浮かび上がる。
「こっちだ、トビー」
 トビーはニョロトノのように飛び跳ねて進んでいた。前進するだけでも激しい運動であるはずだが、トビーは涼しい顔でトーマスにしたがっていた。
「このロープを首にかけなさい。そして前を向け」
「はいでやす!」
 トーマスに従い、トビーはロープの下に体をくぐらせるようにして首に紐をかける。
「からをやぶるのだ」
「はいでやす!」
 トビーは返事して目を閉じた。ややあって、トビーの体が白く光りだす。光はトビーの体を覆っていき、ツボツボの形をした白い物体になった。トビーも体を覆った光は、弾けるような音と共に剥がれ落ちた。一瞬トビーの姿が見えたが、剥がれ落ちたはずの光が再びトビーの体にまとわりつき、またもや彼の体を覆った。そして、そのまま光は収束していった。
「からをやぶるにしては……様子が変だな」
 トーマスは首を傾げて言う。
「走りやーす!」
 トビーは声をあげ、意気揚々と前進を始めた。
「……」
 トーマスは沈黙していた。いつものような寡黙ゆえの沈黙ではなく、今目の当たりにしている光景に対して目を疑っているのだった。いつも無表情の彼が、小さな口をぽかんと開けて絶句しているのだ。
 トビーは進んでいた。確かに進んでいた。何の疑いようもなく、誰の目からも見て、確かに進んでいた。その証拠に、トロッコは重厚な音を立てて線路の上を進んでいる。ちょうど、バチュルの爪の長さの10分の1程度の距離ずつ。
 トビーは猛烈に遅かった。からをやぶるまえも遅かったが。からをやぶった後はさらに遅かった。
「遅すぎないだろうか」
「仕方ないでやすね! あっし、あまのじゃくっていう特性なんでやすよ! こういうランク補正の技を発動したり、受けたりとかすると、変化が逆になっちゃうんでやすよねー」
 トーマスは言葉を返すことができなかった。ただ呆れて、絶句していた。
   ◇
 白い煙を上げてトロッコを引っ張るトーマス。トロッコにはトビーとリチャードが乗っている。トビーはにこやかに乗っているが、リチャードは重い表情をしている。
 前方に見えたのは湖。近づくにつれてトーマスは徐々に速度を落としていく。木々が開けると、2つの影が見えた。ゴードンとパーシーである。トーマスは2体の前で停止した。
「遅いぞトーマスじいさん! 新入りが来るって言うから、こちとら10分も前からここで待ってんだぜ!?」
 ゴードンは顎をしゃくりあげながら憤っている。
「まあまあゴードン。10分くらいで怒っちゃダメだよ。むしろボクらが早かったんだからさ」
 パーシーはゴードンのアフロを軽く叩いてなだめる。トーマスは気に留めるでもなくロープから抜け出し、リチャードはトビーを抱えてトロッコから出る。
「急に収集して申し訳なかったね。やっぱり新入りはみんなの前で紹介したいし。ところで、ドナルドとダグラスは来ていないのかい?」
 リチャードが疑問を口にすると、それを待っていたかのように水柱がたち、2体のバスラオが現れた。
「ドナルドとダグラスはどこだだと!?」
「このとおり目の前にいるぜリチャードおやっさん!」
 静かな森に響く大きな声。リチャードは苦笑して2体から目を逸らした。そして、抱えていたトビーを地面に置いた。
「ゴードン、パーシー、ドナルド、ダグラス。昨日付けでこの会社に入ったトビーだよ」
「トビー・シャックルでやす! よろしくお願いしやす!」
 トビーは頭を下げてお辞儀した。
「おう! 威勢のいいのが入ってきたじゃねえか!」
 ゴードンは感心している。
「元気だねえ。それだけ元気なら、もしかしたら疲れ知らずかもねえ」
 パーシーは体を揺らして何かのリズムを刻みながら言う。
「すげぇこりゃあいい若手だ!」
「何をするにも元気が一番そんだけありゃあ問題ねえな!」
 ドナルドとダグラスは飛び跳ねながら声を張り上げている。
「聞いてたとおり、陽気で面白いポケモンたちでやすね!」
 皆が騒がしくも嬉しそうに笑っている。ポケモン関係の問題は無いと分かって安心したのか、リチャードは安堵の息をついた。
「さて、リチャード。本題に入ろうか」
 トーマスが静かに口を開く。決して大きな声を出したわけではないのに、騒がしい話し声は一瞬で静まった。
 リチャードは神妙な面持ちになり、悩ましそうにトビーを見た。トビーは無表情に首を傾げる。
「まさか、あまのじゃくだったとはね。迂闊にも気が回らなかったよ」
 リチャードの発した言葉に、再び場が騒がしくなる。
「あ、あまのじゃく!? それじゃ、いくら殻破ったって速くならねえじゃねえか!?」
「入社したてほやほやで問題が発覚するなんて、案外できるのかもねえ」
「破れば破るほど遅くなり重くなる怪奇不思議不可思議現象!」
「なんという非理屈的現象すなわち理解の範疇を超えてらあ!」
 またもや騒がしくなったが、トーマスが咳払いをすることで再び静まった。
「ごめんなさいでやす。そんなに重要なことだと思ってなくて、言わなかったでやす。からをやぶれば、トーマスさんみたいに颯爽とトロッコ引っ張れるのだとばかり」
 トビーは頭を下げて謝罪する。場の雰囲気は一気に落ちていく。
「リチャード。わしはどうにかしてトビーにトロッコを引っ張らせてやりたいのだが」
トーマスが言う。
「どうにかしたいのはやまやまなんだけどね。それを一番悩んでいるんだ」
 リチャードは悩ましそうに俯く。誰も何も発言することができず、時間だけが過ぎていく。ただ、2体のバスラオがせわしなく湖を泳ぐ音だけが聞こえていた。
「からをやぶるがだめなら、何か素早さを下げる技があればいいと思うんだ。トビー、今そういう技覚えているかい?」
「覚えてないでやす」
「技の思い出し職人のところに行って、何か素早さを下げる技を思い出させてもらおう。それなら大丈夫なはずだ。それでいいかな?」
「そこまで考えてくれるなんて、嬉しいでやす! ありがとうでやす!」
 トビーは満面の笑みでお辞儀する。場の空気も明るくなる。
「素早さ下げる技覚えた日にゃあただでさえ遅い鈍足が右肩下がり!」
「ところがそう合点がいかねえこのひねくれ野郎は右肩上がりの逆変化!」
 ドナルドとダグラスは湖を騒がしく泳いでいる。トビーの問題の解決策らしきものが見つかって喜んでいるようだった。
「ドナルドとダグラスは相変わらず聞きづらくてよく分からないこと言ってるけど、ボクも無事解決することを祈ってるよお」
 パーシーは体を揺らしながらのほほんと言う。
「まあ、とりあえず! 大丈夫だろ! それより新入り! これからよろしく頼むぜ!」
 ゴードンはトビーにアフロを押し付けて喜んでいる。トビーは対応に困って苦笑している。
 一同が再び明るい雰囲気に戻ったというのに、トーマスは独り暗かった。その表情はいつもと変わりは無かったが、心なしか寂しそうだった。
 3
 森に響き渡る轟音とともに、トーマスはトロッコを引っ張っていく。それを見合わせたリチャードとトビーは、互いに視線を合わせた。
「行こうか、トビー」
「はいでやす!」
 リチャードは机の引き出しを開ける。書類や文房具が小綺麗に整理されたその中から、青いファイルを取り出した。次に別の引き出しを開け、いくつか固められたハートの鱗を取り出し、ポケットに入れた。そして、トビーを肩の上に乗せる。不安定な足場だが、トビーは触手を伸ばしてリチャードの体に固定させた。引き出しの鍵を閉め、その場から離れた。
 鉱山の周りに沿って5分ほど離れた場所に、自転車が置いてあった。競技用のものに似ており、結構使い古されていて、あちこちさびた形跡も見受けられた。
「初日連れてこられたときも思ったんでやすけど、どうして飛行ポケモンか、せめてバイクとかを使わないでやす?」
「実は、高所恐怖症なんだ。だから、探検家だった時代も基本はこれで移動してたんだ。バイクはまあ……純粋に、免許を取ってないのさ」
 リチャードは自転車に乗り、慣れた様子でこいだ。
 何度も通っているせいか、その道のりは自転車の轍で獣道のように草が分かれていた。森林の中にもかかわらずかなりの速度を出していて、それでいて木にはぶつからない。速度を楽しんではいるが、ブレーキの装着も忘れていない。
「リチャードさん。あっし、ちょっと迷ってるんでやすよ」
 唐突にトビーが話しかける。
「何をかな?」
「あっしが本当にトロッコを引いてもいいんでやすかね? トーマスさん、トロッコを引くことをものすごく楽しんでるでやすよ」
「そうなのかい? 引いてるときも引いてないときも、何も変わらないようにい思えたんだけど」
「すごく分かりにくいんでやすけど、ビミョ~に雰囲気が違う気がするんでやすよね」
「うーん。確かに、トロッコを引くことを頼んだときも、二つ返事だったからね」
「だから、入って早々申し訳ない気がしてるんでやすよ」
「なるほどね」
 木々は中々開けない。まるで永遠に続くかのようだった。
「でもさ、彼だって言ってたじゃないか。トビーに引っ張ってもらいたいって。だから、別に申し訳なく思わなくてもいいんじゃないかな」
「そうなんでやすかね」
 それきりトビーは黙り込んでしまった。リチャードは自転車をこいでいたので顔は見えなかったが、トビーには似合わずくらい顔をしていることは容易に想像できた。トロッコを引っ張って欲しいと言ったトーマスの真意を考えているのだろうかと、リチャードは想像する。
 そこまで考えて。リチャードは、自分もトーマスのことをほとんど知らないことを悟った。なぜトロッコを引っ張ってくれているのかも知らないし、なぜあの鉱山に住んでいるのかも分からない。さらに、トーマス自身が元来無口なため、会話すらもろくにしたことが無かった。
 トーマスのことをもっと知らなければいけない。そんなことを考えながら、リチャードは自転車をこぐのだった。
  ◇
「いやあ、よかったでやす! あっし、ねばねばネットを忘れてたんでやすね! 出発前にこれを体中にまとわりつかせて素早さぐんぐん上げやすよ!
 技思い出しの店から出てきたトビーは、意気揚々とリチャードに言った。
「とりあえず、君の件は万事解決かな。さて、もう1つ用事があるんだけど、付き合ってくれるかい?」
「もちろんでやす!」
 リチャードはトビーを肩に乗せ、再び自転車をこぎ始めた。
 大都市だった。『テール・ド・ラ・ヴィ』の近くにある町の1つで、発展の進んだ、いわゆる先進国としての経済活動もなされていた。ここ10年ほどはヒウンシテイやミアレシティから移り住んでくる人も多く、そのおかげか人口もビルの数も著しく多かった。
 渋滞が日常茶飯事の道路や人々の雑踏の中を、リチャードは自転車で進んでいた。ヒトだけでなくポケモンも一緒に歩道を歩いているので、自転車の操作には細心の注意が払われていた。
 自転車をこぐこと十数分。数ある建物のなかでもひときわ大きく、立派なビルに着いた。
「国の役所でやすか? また大きなところに呼び出されたでやすね」
「まあ、ウィルバート鉄道はそもそも国からの許可をもらって営業しているからね。呼ばれることなんてしょっちゅうだよ」
 リチャードは自転車を駐輪場に置き、ビルの中に入った。
 平日ではあったが、ヒトは多かった。役場であるから当然戸籍も扱っており、ヒトのものはもちろん、ポケモンの戸籍も扱っていた。基本的に、ヒトがポケモンを捕獲した場合戸籍に登録する必要は無いが、生粋の野性ポケモンが人里に進出してくることもあるため、そのための戸籍登録や賃貸不動産業者への仲介などをしているのだった。本日もその受付には何体かのポケモンが見られ、憧れの人里への進出に目を輝かせているようだった。
 リチャードはそういったエリアを通り過ぎ、階段を上った。すぐそばにエレベーターがあるにもかかわらず階段を上るあたり、やはり体形を気にしているのだろうか。
 そうして息を荒げながら4階までいき、応接室と書かれた部屋に向かう。戸をノックすると返事があり、リチャードは間を置いて部屋に入った。
 部屋には、大げさなソファーが2つとガラステーブル、気取ったような観葉植物が置かれていた。ほかにも、誰かの肖像や賞状などが飾られており、リチャードは特殊な意味で目のやり場に困っていた。
「ウィルバートさん! お忙しいところ申し訳ない」
 出迎えたのは、スーツに身を包んだ初老の男性だった。
「お久しぶりです、アーポットさん」
 2人は挨拶を交わして握手する。そして当然、肩にしがみ付いているツボツボに目がいった。
「ウィルバートさん、このツボツボは?」
「数日前に、弊社に入社したトビーです。今日、トビーのことで町に用事があったので、紹介もかねてそのまま連れてきました。トビー、こちらターム・アーポットさん。環境省と国土交通省で大臣をしているんだ」
 リチャードはアーポット氏というらしい人物をトビーに紹介する。トビーは緊張している様子は無く、あっけらかんと笑顔だった。
「初めやして、トビー・シャックルでやす! 政界のヒトにしては吐きたくなるような悪臭がしないっていうことは、アーポットさんって悪いヒトじゃないでやすね!」
「トビー!」
 トビーの予想外の失言に、リチャードは思わず焦った。しかし、アーポット氏は笑うだけで、咎めることはしなかった。
「まだ、野生から進出してきて日も浅いんだろう。ウィルバートさん、徐々にヒトの世界に慣らしてやってくださいな」
 アーポット氏は手でソファーを指し、座るよう促した。リチャードは決まり悪そうに苦笑しながら、ソファーに座った。アーポット氏も続けて座る。
「さて、ウィルバートさん。あなたが『テール・ド・ラ・ヴィ』に目をつけてから早くも5年が経ちました。会社に利益が出ることも無いのにもかかわらず精力的にトロッコを走らせ、観光客を呼び込んでくれました。公園への入場料だけで園内の環境保全もできており、あなたには感謝の言葉もありません」
「いえいえ、ただあの場所の素晴らしさを伝えたかっただけですから」
「しかし」
 アーポット氏の表情が険しくなり、リチャードに緊張が走った。しかし、トビーは興味なさげに部屋中をきょろきょろと見ていた。
「私たちも技術の進んだ人間です。いつまでも古いものには捕らわれず、進歩していかなくてはなりません。つまり、あの公園の経済効果が証明された以上、より快適な観光の為に、新しいものを導入しなければならないのです!」
「能書きはいいでやすから本題お願いしやすよ」
 トビーのトゲのある声に、アーポット氏は思わず言葉を止めた。しかし、トビーはそれ以上言わず、やはり感心なさげに部屋を見渡していた。
 アーポット氏は咳払いする。
「率直に言いますと、ウィルバートさん。トロッコを廃止し、線路の上にトロッコ電車を走らせることが決定したのです」
「はい?」
 リチャードは固まった。トビーは顔をしかめている。
「電気で走り、森のポケモンに対する騒音も少ない。揺れを軽減し、観光客に快適な旅を満喫してもらう。そうすることによって集客もあがり、経済効果も上がるのです!」
「ちょ、ちょっと待ってください! それは一体……」
「げぇほっ! ごほっ!」
 リチャードが反論しかけた時、トビーが大きな咳をし始めた。顔は真っ青で、目が虚ろになっていた。
「トビー、どうしたんだい?」
「ご、ごめ、ごほっ! ごめんでやすげほっ! と、唐突にぐふっ! 硫化水素みたいな臭いがげぇほっ! クリアスモッグ、早くクリアスモッグをげふっ!」
 わざとらしい咳を続けるトビー。対応に困るリチャードを尻目に、アーポット氏は話を続ける。
「先ほども言いましたが、既に決定事項です。トロッコ電車を走らせるためには、それなりの線路、そして車両が必要です。よって、大規模な線路の作り変えおよび車両の製作をしなければなりません。だから、その他もろもろの準備期間も含めて、1ヶ月後に一時的に会社の業務を停止してもらいます」
「ちょっと待ってください!」
 リチャードは思わず口を挟んだ。トビーはまだ咳を続けているが、それにかまっている余裕はないようだった。
「なぜそんなに急に決まったのですか? そもそも、その間の観光客への対応はどうするのですか? 第一、トロッコをいつも引っ張っているコータスはその後どうしろというのですか?」
「別に急に決まったわけではありません。ただ、偶然にも停止が1ヵ月後になったというだけです。観光客へは、普通に線路新調の旨を伝えれば、納得してくれるでしょう。それからコータスの件ですが……何も、そのポケモンは給料をもらっているわけでもないでしょう。特に問題はないかと」
「そんな! 彼はトロッコを……」
「はぐっ!」
 リチャードが反論しかけた時。突然断末魔が聞こえて、肩が軽くなった。違和感を感じて目を向けると、トビーがソファーに落ち、白目をむいて失神していたのである。
「トビー? トビー!!」
  4
 自転車をこぎつつ受ける風は気持ちいいはずなのに、なぜか気持ちよく感じなかった。リチャードはすっかり元気をなくした様子で会社への道についていた。
「ごめんなさいでやす。あっし、ああいうのにめっぽう弱くて」
 肩にしっかり捕まったトビーは落ち込んだ様子で謝った。
「ああいうのに遭遇すると、なぜか鼻のなかに物理的な臭いが立ち込めてくるんでやす。なぜなのか全く分からないんでやすけど、そうなっちゃうんでやす」
「うん。もう分かったから。もういいよ」
 リチャードは気にしないという風に言っているが、トビーはそれでも落ち込んでいた。
 結局、決定は揺るがないようだった。1ヵ月後には会社の業務を停止し、線路の一新や車両の完成などを待たなければならない。そして、すべてが完了した時、会社を再始動できる。もともと、利益の為に立ち上げた会社ではなかったから、それほど問題はない。
 だが。
「線路も一新して、そこに車両が走るとなると、トーマスさんはトロッコを引っ張れないでやすね」
 トビーの言うとおり。さすがに鉱山の中まで線路を変えるということはないだろうが、それでも、トロッコを引っ張れるほどの長さが残るとも思えなかった。
「一体、なんて言えばいいんだろう」
「なんて言ったって、結果は変わらないと思いやすよ? 口を濁したりオブラートに包んだりせず、きちんと言ったほうがいいと思いやす」
 耳元で聞こえるトビーの声は、へらへらもしていなければ笑いも含まれておらず、真剣に聞こえた。
 森の中を自転車でこぎ続けること数時間。日もすっかり傾いて、森に薄闇が差した頃に、彼らは鉱山に辿り着いた。
 車庫にはまだトロッコが戻っていなかった。いつもならば戻っている時刻なのにと、リチャードは首を傾げる。
「どうしたんだろう、トーマス」
 リチャードは一瞬心配しかけたが、すぐにほっとする。森の奥から、のんびりとした足取りでトーマスが向かってきていたのだ。
 だが、彼は走っていなかった。まるで引きずるように歩いてトロッコを引っ張っていた。その様子に違和感を感じつつも、リチャードは声をかける。
「お疲れ、トーマス」
 トーマスは答えない。重い足取りとトロッコの音を引きずりながら、トーマスは車庫の中に入っていく。トッロコが全て入ったところで、中からトーマスが出てきた。
「すまなかった、リチャード。少し遅れてしまった」
 トーマスは首を垂れて謝る。
「いいんだ。たまにはこういう日もある。それより、話があるんだ」
 リチャードは言うと、体を屈めてトーマスと向き合った。至近距離でトーマスの細い目がまじまじと見つめてくる。
「えーとね。その……」
 リチャードが話しにくそうにしていると、肩に乗っていたトビーが飛び降りた。トビーはトーマスと向き合い、突然口を開いた。
「率直に言うとでやすね。トロッコが引っ張れなくなるでやす」
 トビーの短い言葉で、辺りの空気が一気に重くなった。トーマスは表情を変えず、トビーをじっと見ていた。
「聞くところによるとでやすね。まあ、この公園はすごく儲かるから、もっとお客さんを呼びたいと。だから、その観光も快適にしたいと。そのために、線路とトロッコをぜーんぶ一新するって、お国のほうで決まったらしいでやす。それで色々と工事その他しないといけないから、1ヵ月後に業務停止するらしいでやす。」
 トビーは淡々と言った。
 しばらくの間、トーマスは何も言わなかった。憤ることもなく、喚くこともない。言われたことを否定して頑固に首を振ることも無ければ、泣き出すこともない。
「そうか」
 間を空けてトーマスが言ったのは、それだけだった。
「公園にも迷惑がかかることだから、野性ポケモンに向けて説明会があるらしいんだ。今日、鳥ポケモンを公園中に飛ばしてその日時を伝達するんだって」
 リチャードが付け加える。
 トーマスは、ただじっとリチャードとトビーを見ていた。そのまま何も言わず、トーマスは体の向きを変えてよろよろと住み処へと戻っていく。
「トーマス!」
 リチャードが呼び止めると、トーマスはその足を止めた。
「あまり……その、無理だけはしないでくれよ」
 リチャードの言葉に、トーマスは軽く頷いた。そしてまた、ふらつきながら住み処へと戻っていくのだった。
  ◇
 トーマスはいつものように目を覚ました。トビーが起こしに来ることもなく、日が差した時刻に目が覚めた。
 体を起こそうとして、異変に気付く。意識が朦朧としていた。足がふらついていた。何より、体が普段の何倍も重く感じていた。
 トーマスはふらつきながら、1歩を踏み出した。まるで、倒れる寸前に支えるように、前に進んでいた。
 外に出ると、日差しがいつもより眩しく感じていた。いつもは爽やかなはずなのに、この明るい日差しが不愉快だった。
「トーマス、おはよう。ん?」
 机に座って書類を書いていたリチャードも異変に気付いたようだった。明らかに足取りが重いトーマスに、急いで駆け寄る。
「大丈夫かい? 昨日から様子がおかしいと思ってたんだけど。体調が悪いなら、今日は……」
「大丈夫だ」
 トーマスは短く答え、車庫へと足を進める。車庫に入り口には、トビーが待っていた。
「おはようございやす、トーマスさん」
「ああ、おはよう」
 トビーの挨拶に素っ気無く答え、トーマスは足を進める。トビーは特に止める様子も無く、笑顔で見送っていた。
 トーマスは首にロープをかけ、いつものように殻を破った。鼻から轟々たる煙を出し、出発する。しかし、その音はいつもより小さく、迫力にも欠けていた。
 トーマスは線路の上を走る。いつものようにトロッコの重厚な音が鳴り響き、いつものように白い煙が森を舞う。いつもと違ったのは、そのどちらもが普段より劣っていたことだ。音も、煙も、いつも聞き、見ていたものからすれば、なにか物足りないものだった。
「トーマスさーん!」
 彼を呼び止めたのはキャタピーのアブニル。今日もまた線路も向こうで、大きく体を飛び跳ねさせてトーマスを呼んでいた。
「おはようトーマスさん!」
「ああ、おはよう」
「あのね、きょうも……あれ?」
 アブニルはトーマスの顔をまじまじと見た。のそのそとトーマスに近寄り、真近くでじっと見る。
「トーマスさん、どうしたの? おかおがアーボみたいないろになってるよ?」
「なんでもない。大丈夫だ」
 トーマスはいつもと変わらない声のつもりで言ったようだが、実際は息が荒かった。
「ほんとに? ほんとのほんとに?」
 アブニルは顔を近づけて聞く。
 トーマスは首を立てに振り、頭をトロッコに向けて乗るように促した。アブニルは心配そうな顔をしながらも、トロッコへと足を運んだ。
 アブニルがトロッコによじ登ったところで、トーマスは再び走り出した。しかし、その速度は目にも明らかに遅かった。自転車と同じ程度まで落ちていて、さらにトーマスが噴き出す煙は黒くなっていた。あまりの様子のおかしさに、アブニルははしゃげないでいた。
 当然ながら、トーマスは止まるべき場所では観光客が待っていた。いつものように歓声と拍手の入り混じった声が聞こえてくる。そして、森とは不釣合いな黒い煙に、一同はどよめいていた。
「アブニル。わしの背中に乗るといい」
「う、うん」
 アブニルもまたいつものようにトーマスの背中に飛び乗った。しかし、黒い煙は、いつも以上に顔にまとわりつく。
「け、けむたぁい」
 アブニルは煙を振り払いながらトロッコに乗っていた。トーマスは罪悪感を覚えながらも、観光客の前で足を止めた。
「さあて! 森の観光をひとまず終えたところで、次の場所へはこのトロッコに乗っていってください!」
 ゴードンの威勢のいい声が聞こえ、観光客がトロッコに乗り始める。
「トーマスおやっさん! どうしたんだい、煙が真っ黒だぜ?」
「なんでもない」
 ゴードンの問いに、トーマスは短く答える。ゴードンが問い詰めようとするも、トーマスは意に介さず、前を向いた。
「ちょっと待てトーマスおやっさん! 無理すんなって! しまいにゃ……」
 トーマスは煙を噴き出した。大きく高らかな音と共に、白い煙を噴き出した。だが、その音は少しずつ小さくなっていき、風船から空気が抜けるような音に変わっていく。煙の色も、白から灰色になり、そして黒くなった。
 トーマスの体から力が抜けた。唐突に、鼻の中に土のにおいが広がる。喚声、悲鳴、そして自分を呼ぶ声。様々な音が頭に流れてくる中、トーマスの意識は闇の中へと落ちていった。
 5
 意識が戻ると、トーマスは何かの建物の中にいた。
 一定のリズムを刻んで音を発する機器、鼻を刺激する独特なにおい。清潔感あふれるその空間で、トーマスはベッドに寝ていた。
 トーマスは起き上がろうとするが、体が思うように動かず、断念する。そして首だけを動かして、周囲を見た。
 この部屋は、部屋の外からガラス越しで見られるようだった。ガラスの向こうでは、リチャードと独特な髪型と色をした女性が話し合っているのが見えた。
 やがて、リチャードが部屋に入ってくる。その肩にはトビーが巻きついていた。
「目が覚めたかい?」
「ああ。それより、トロッコは?」
 目が覚めて早々トロッコのことを聞くトーマスにリチャードはやれやれと首を振った。
「なんというか、日時が早まって、業務停止かな。あんなことがあったしね。しばらくは、観光客も来ないよ。とにかく、今はトロッコのことなんて考えずに療養するんだ。なにせ、2日間眠っていたからね。でも、ちょっとひどいくらいの風邪らしいから、そんなに長引くことはないと思うよ」
 それを聞くと、トーマスは黒い煙を軽く吐いて力を抜いた。目を開いているのかいないのか分かりにくい表情に、リチャードは苦笑する。
「あれから大変だったんだよ? 森の鳥ポケモンから連絡があってさ。とてもじゃないけど、君は重くて運べないから困ったよ。そしたら、君の住み処にレトロボールがあったことをトビーが思い出してね。入っちゃいけないって言ってたのに何で知ってたのかは分からないけど、それを使って何とかなったんだ。トーマスがもともと野生じゃなかったなんて、初めて知ったよ」
 リチャードは普通に話している。本来ならば、無理したことに対してお咎めがあってもいいはずなのに、リチャードはそれに一切触れず、ひたすらトーマスと話していた。
「すまなかった」
 トーマスは突然言った。話の途中で当然謝られ、リチャードは思わず目をむいた。
「どうしたんだい?」
「わしが無理をしたせいで、業務停止が早まってしまった。もっと考慮して動くべきだった」
 トーマスはリチャードに顔を向けず、決まり悪そうに謝った。リチャードは頬を掻きつつ苦笑する。
「なってしまったものは仕方ないよ。強く止めなかったほうにも責任はあるしね。それに、やっぱり国のほうで準備期間は必要みたいだから、本来の業務停止まではトロッコを引っ張れるよ」
 リチャードは励ますように言った。
 リチャードが話し終わると、トビーがリチャードの体から離れ、トーマスのそばにそっと着地した。その顔は、満面の笑顔だった。
「トーマスさん! トーマスさんにぜひとも参加して欲しいツアーがあるでやす! あっしに付き合ってくれやせんか?」
「ツアーだと?」
 トーマスは怪訝そうに聞き返す。
  ◇
「ねばねばネットオールクリア! いざ、しゅっぱーつ!」
 高らかな声とともに、トビーはトロッコを引っ張って車庫から飛び出した。
 トビーのすぐ後ろには、まるでいかだに車輪をつけたようなものが接続されており、そこにトーマスが乗っていた。そのうしろに、何両かのトロッコがつながれていた。
「いやあ、結構重いでやすねぇ! こんなのを毎日運んでたんでやすか!」トビーは嬉しそうに前に進んでいる。
 森には、久しぶりにトロッコの重厚な音が響いていた。煙こそないものの、やはりトロッコは日常の風景のようで、鳥ポケモンは嬉々として空を舞い、草ポケモンたちは興味本位でトロッコを覗きに来る。
「なんだ、これは?」
 トーマスが首を上げて聞く。
「その車両でやすか? 実は、トーマスさんに景色を見ながらトロッコに乗ってもらいたくて、リチャードさんに作ってもらったでやす!」
「これはトロッコじゃない」
「細かいことは気にしちゃダメでやす! そういう気分ってことでやすよ!」
 トビーに押し切られ、トーマスは黙った。そして、口を閉じて周囲を見渡す。
 木々が次々と通り過ぎていく。見慣れた風景のはずだが、今日はまた違って見えた。トーマスは何も言わず、ただ、通り過ぎていく森を見ていた。
「トーマスさぁん! あれ、ちがうかな?」
 聞きなれた呼び止める声。前方を見ると、小首をかしげて佇むキャタピーが見えた。トビーに止まるように言おうと、トーマスは口を開きかけた。しかし。
「ウホッ、いい女!」
 トビーが叫ぶやいなや、凄まじい急ブレーキがかかった。森中に響き渡る金属音とともに、トロッコはアブニルの前に止まった。
「へいお嬢ちゃん! あっしとランデブーしてきゃっきゃうふふしやせんか?」
 トビーはアブニルに顔を向け、かなりの早口で言った。
「え? なあに? よくわかんない」
 アブニルはトビーをまじまじと見ている。
「か、かわいい……! この圧倒的破壊力、まさに世界滅亡クラス! 次元が何個あっても足りやしねえ、まさに次元を超えたその愛くるぎゃあああああああ!」
 トビーが口上をまくしたてていると、その後ろから炎が放たれる。その主はもちろんトーマスで、灰色の煙を鼻から吐いて呆れているようだった。
「とりあえず、標準語を話すといい。子供には当然分からないし、わしにも分からない」
 トーマスは冷静に突っ込む。そのトーマスの様子を見て、アブニルは目を輝かせてトーマスに駆け寄った。
「トーマスさん! おからだ、だいじょうぶ?」
「大丈夫だ。心配をかけたな。すまない」
「よかったぁ」
 アブニルはほっとしたようで、たちまち笑顔になった。その笑顔の後ろで、なにやら燃え盛る目でトーマスを見ている者が1体いた。
「なんだ、トビー」
 トーマスは再び呆れていた。トビーは、今にも泣き出しそうな顔でトーマスを凝視し、顔を震わせて歯を食いしばっていた。
 しかし、アブニルはそんなことには気付かない。トーマスに会えて嬉しいようで、無邪気に話していた。
「あのね、トーマスさんがいないときね、なんかせつめいかいっていうのがあったの! ポケモンがたーくさんあつまって、なんかヒトがおはなししてたんだ!」
「そうか。説明会に行ったのか」
「なんかね。はいてくで、りべんせいで、きんみらいなんだって!」
「そうか。ところで、アブニル」
「なあに?」
 トーマスは顎をしゃくってトビーを指した。アブニルがそちらに向くと、凄まじい表情をしていたトビーは、一瞬で笑顔になった。
「このツボツボさん、だあれ?」
「この前会社に入ってきたトビーだ。どうやら、アブニルと話をしたいらしい」
 トーマスに言われて、アブニルはトビー恐る恐る近づく。
「初めやしてアブニルちゃん! あっし、トビー・シャックルでやす!」
 トビーはなぜか回らない呂律で自己紹介した。
「はじめまして! アブニルだよー。さっきはなにいってたの?」
「いや、あれは気にしないでいいでやすよー。ただ、アブニルちゃんがかわいいってだけでやすよー」
「そうなの? ありがと!」
 アブニルに会ってから終始でれでれしているトビー。その様子に、トーマスは呆れて首を振っていた。
「アブニル。せっかくだから、いつものわしにするように、トビーの背中に乗るといい。今日はトビーが運転しているからな」
「あ、そうだね!」
 トーマスに言われると、アブニルはトビーの背中にすぐに飛び乗った。トビーは顔を真っ赤にし、コータスでもないのに噴火しそうになっていた。
「やばいでやす……たちそう……」
「なにがたつの?」
 トビーは思わずトーマスの顔を見た。トーマスはいつもと変わらない表情でトビーを見ていた。変わっていたところといえば、細い目がほんの少しだけ開かれていたことだけだった。その開かれた奥にあるものを見たトビーは、瞬時に全てを察知した。
「な、なんでもないでやす! アブニルちゃん、なんでもないでやすよ! さあ、行きやしょう!」
「うん!」
 トビーは再び体中にねばねばネットをまとわりつかせ、トロッコを引っ張り始めた。ねばねばネットがまとわりついてもがくアブニルを見て、涎を垂らしそうになったことは、言うまでもない。
 しばらく、何事もなくトロッコは進んでいた。営業日ではないのでガイド達も出ておらず、途中で止められることもなかった。トロッコの音と、アブニルの話し声だけが聞こえていた。
 トーマスは、通り過ぎていく木々を見ていた。何も言うこともなく、何も行動することもなく。
 風景を楽しんでいる、というふうにも見えなかった。ただ、風景を見ていて且つ別の何かを見ているようだった。その視線は、時にトビーに、アブニルに、トロッコに、様々な場所へと移った。時には俯き、首を振ることもあった。
 いつもより静かな空気を乗せて、トロッコは走っていく。
 6
「結構きついでやすねぇ。こんなの、毎日引っ張ってたんでやすか?」
 トロッコは砂丘にあった。トビーは息も絶え絶えで、疲れきっているようだった。
「だいじょうぶ?」
 アブニルが背中から声をかける。
「だ、大丈夫でやすよ。ああ、優しい子でやす。いっそ番いたい……」
「トビー」
 トーマスが後ろから声をかける。トビーは慌てて口を閉ざし、何でも無いというように首を振った。
「つがいたい? なあにそれ?」
 アブニルが耳ざとく聞き、トビーに聞く。
「えーと……つ、つまり、お嫁さんになって欲しいなあ……なんて」
 トビーはしどろもどろに答えた。トーマスが溜め息をついている。
「およめさん? うん、いーよ!」
「ぬぅわにぃ!?」
 トビーは思わず声を張り上げた。トーマスはやはり呆れていて、見るに耐えないという様子で目を逸らしていた。
「子供の言う事だ。本気にしないように」
 トーマスは素っ気無く言った。しかしトビーは浮かれていて、トーマスの言うことが聞こえていないようだった。
「じゃあじゃあアブニルちゃん。ここ、ここにちゅーしてでやす」
 トビーは真っ赤になって右頬を差し出した。アブニルは迷うことなく、そこに短い口づけをした。
「うおおおお」
「えへへー」
 トビーは虚ろな目でふらふらしていた。それを見かねてトーマスは、車両から這い出した。
「アブニル。この辺りにはあまり来たこと無いだろう。遊んでくるといい」
「うん、わかった!」
 アブニルは無邪気に答えると、嬉しそうに砂丘を歩いていった。そこで何かを察したのか、砂の中からパーシーが飛び出し、アブニルのエスコートを始めた。
「トビー。本題に入りたいのだが」
 トーマスは切り出した。トビーはまだ赤みの残る顔をトーマスに向ける。
「本題って、なんでやしょう」
「わしを乗せてトロッコを引っ張った、その真意を聞きたいということだ」
 トーマスが言うと、トビーの目が変わった。先ほどまでのでれでれした顔ではなく、何かを手に入れたような不敵な面構えだった。
「真意……というか理由は2つありやす。1つは、ただ単にトロッコを引っ張りたかったんでやす」
「何?」
 トーマスは首を傾げる。
「トーマスさん、言ってたじゃないでやすか。あっしにもトロッコを引っ張ってもらいたいって。せっかく新入りがトロッコを引っ張らせてくれと言ってるのだから、どうにかして引っ張らせてやりたい。そういうトーマスさんの気持ちを汲んだんでやすよ」
 トビーは言う。
「そんなこと、言った覚えはないが」
 トーマスは顔をしかめて言う。
「それはそうでやすよ! あっしが勝手にそう解釈しただけでやすから」
 トビーは当然だというように言った。トーマスは溜め息を吐く。
「そして、もう1つの理由……の前に、ちょっとした物語を聞いてほしいでやす」
「物語だと?」
 トーマスは怪訝そうに聞き返す。。
「あるところに、1体のポケモンがいやした。彼には生まれた時からトレーナーがおり、そのトレーナーとも仲良く過ごしていやした。そのトレーナーは、とある炭鉱で働いていやした。いつも炭まみれで帰ってくるトレーナーは、彼にとっては一種の英雄でやした。たまにトレーナーに仕事に連れて行ってもらったときは、石炭と一緒にトロッコに乗って、トロッコの重厚な音と共に炭鉱から出て、緑豊かな森を見ていやした」
「待て」
 トーマスは止めるが、トビーはかまわず続ける。
「そんな彼もいつか大きくなり、何かトレーナーの役に立ちたいと思うようになりやした。そして彼が思いついたのが、トレーナーの力となり、トロッコを引っ張ることでやした。大好きなトレーナーの役に立ち、トレーナーも喜んでくれる。いつしか、トロッコを引っ張ることは、彼の生きがいになってやした。しかし、残酷にも、時代は進んでいったのでやす」
「もういい」
「世間は石炭を必要としなくなり、ついにトロッコは活動をやめやした。彼のトレーナーも炭鉱での不慮の事故で命を落とし、彼は独りぼっちになりやした。そんな彼ができたのは、その炭鉱を住処とし、生涯トロッコと共に生きていくことだけだったのでやす。しかし、そんな彼にも、長い年月が経って転機が……」
「トビー。もうやめてほしい。頼む」
 トーマスは懇願した。トビーは語りをやめ、微笑してトーマスを見た。トーマスの表情に変化は無い。しかし、見るからに落ち込んでいた。
「どこで、それを?」
 トーマスは聞いた。しかし、トビーはその雰囲気に似合わないあっけらかんとした様子で答える。
「どこでもなにも、ただの作り話でやすよ。あっしがトーマスさん行動とかを見て、昔はこんなだったのかななんて妄想しちゃっただけでやす」
 トーマスはまじまじとトビーを見ていた。その首は突然うなだれ、言葉を紡いだ。
「わしはトロッコを引っ張りたい。それがなくなるなど、ありえないのだ。わしはトレーナーを失い、トロッコをも失った。そして、リチャードが再びトロッコを引っ張る機会を与えてくれた。にもかかわらず、今度は線路すら変えられるという。なぜ、2度もトロッコを失わなければならないのだ」
 泣いてはいなかった。震えてもいなかった。トーマスは俯き、淡々と疑問を口にしていた。
「それで、トロッコが引っ張れなくなるとあせり、体調悪いにもかかわらず無理してしまったわけでやすね」
 トビーの問いに、トーマスは頷いた。そのトビーの様子は、分かっていたとも言いたげだった。
 重い沈黙が場を支配した。聞こえるのは風の音と、砂が舞い上がる音だけ。トビーはゆっくりとトーマスに近づき、右前触手でトーマスの甲羅に触れた。
「トーマスさん。若い分際で生意気だと思うかもしれやせんが……」
 トビーは切り出した。
「あっしはでやすね、トーマスさんに未来を見て欲しかったでやす。あっしがトロッコを引っ張る姿を見て、未来を見て欲しかったんでやすよ」
「どういうことだ?」
「トーマスさんはでやすね、過去に捕らわれてるんでやす。思い出を持つことがいけないとまでは言いやせんが、トーマスさんは固執しすぎてるんでやすよ。だから、病気をおしてトロッコを引っ張ったんでやす。このままトロッコがなくなったって、トーマスさんは元の抜け殻に戻っちゃうだけでやすよ。そんなトーマスさんなんて見たら、ヌケニンだってびっくりしちゃいやすよ。そんなのいけないって、あっしは思ったでやす。トロッコがなくなることはもう決まっちゃったでやす。だから、トーマスさんには、心の底からそれを受け入れて欲しいんでやすよ。表面上だけ受け入れたって、それこそコータスの剥製のほうがましなほどの惨状になりやすよ」
 トビーは静かに、そして熱を持って言った。だが、トーマスはそれを虚ろに見ているだけだった。
「それを受け入れろというのか。なら、わしは今後何を生きがいにすればいい? 以前トレーナーとトロッコを失った時もそうだ。受け入れられるはずがない。ただ生きているだけのコータスになり、無気力に生きてきたのだ。今回と一体どこが違うというのだ? 今回もまた、無気力になる以外の何の選択肢がある?」
 トーマスの問いに、トビーは詰まった。下を向き、必死に何かを考えているようだった。トーマスは首を振る。答えなど期待していない、そう言いたげだった。
「だったら……あっしを! あっしを見て欲しいでやす!」
 トビーが突然叫んだ。あまりの大声に、トーマスは思わず首を直立させてしまう。
「あっしとアブニルちゃんのこれからを見て欲しいでやす! 将来あっしはアブニルちゃんと番って、子供作って、幸せな家庭を作るでやす! だから、あっしとアブニルちゃんとその子供のことを、ずっと見て欲しいでやす!」
 トビーは熱弁した。あまりに予想外な答えに、空いた口が塞がらないトーマス。
「だから言っただろう。子供の言うことを真に受けるなと」
「いいや、あっしは絶対にアブニルちゃんと番うでやす! たとえトーマスさんがどんなに否定しても、反対しても、馬鹿にしても、番って見せるでやす!」
 トビーは言い切った。あまりに馬鹿馬鹿しい事を、あまりにも真剣に言い切った。その本気度の高さに、トーマスは何も言えなかった。
 だが。心の奥底で、もやもやしたものが晴れるような感覚がしていた。それは、表現はできないが何か心地よくて。喉につっかえていたわだかまりがとれるようだった。
「そうか。そう決心するのはいいが、トビーにアブニルを落とせるわけがないと思うぞ」
 トーマスは言った。その口調は、先程とは違って重くなかった。
「何を言ってるでやすか! たとえ何回振られても、あっしはあの子と番いやすよ!」
「そうか。ならば、それを応援してやら無くてはならないな。その先も、トビーの素行を見張る必要もあるだろう。頑張るといい」
 トーマスは柔らかい口調で言った。トビーはムキになっていた表情から徐々に治まっていき、ほっとしたような表情になる。そして、唐突に笑い始めた。
「トロッコは、もういいでやすか?」
 トビーが笑いながら聞いた。
「無論、未練は残っている。しかし、トビーがそこまで言うのならば仕方あるまい。どうやら、わしも年をとったようだ。若者の熱意には弱い。トビーの言うとおり、わしも未来に進まなければならない。この理不尽な時代に生きていく中で、トビーとアブニルの成長を見ながら、少しずつ未練を断っていくとしよう」
 トーマスは言い切った。その表情は、やはりいつもと変わらない。だが、トビーには何か吹っ切れたようにも見えた。
「ところで、トビー。1つ聞きたいのだが」
「なんでやしょう?」
「なぜ、トロッコを引きたいと思ったのだろうか?」
「ああ、そのことでやすか」
 トビーは決まり悪そうに笑っている。
「実は……別に、トロッコを引っ張りたくてこの会社に入ったわけではないんでやす」
「なんだと?」
「あっし、職業安定所で仕事を探してたんでやすよ。なんでもいいから片っ端から探そうと思ったら、一番最初にこの会社が引っかかったんでやすよね。求人はしてなかったんでやすけど、車掌くらいならできるかなあって思って応募してみたら、トロッコ枠がちょうど空いてるって話だったんでやす。というわけで、トロッコ希望ってことでここに来たんでやすよ。いやはは……」
  ◇
 その日は最終日だった。国の準備期間の最終日であり、トーマスがトロッコを走らせられる最後の日でもあった。
 トーマスは車庫の中にいた。ずいぶん前に風邪も治り、煙も白に戻っていた。それまでトロッコを引っ張ってきた彼は、今日も同じように出発する。
 体を白く輝かせ、思い切り発散させる。そして、けたたましい音と共に煙を吐き出し、前進した。
 トーマスは静かな森を進んでいた。自分の吐き出す煙の音と、引っ張っているトロッコの音。今まで聞きなれた2つの音が、自分の後ろからついて来る。
 途中には、誰もいなかった。観光客がいないのは当然のことだが、いつも呼び止めるはずのアブニルさえいなかった。それどころか、走っている最中にポケモンを全く見かけなかった。まるで、まるごと消え去ってしまったかのような錯覚さえ感じるのだった。
 それは、湖に着いたときにさらに顕著になった。いつも透き通っていて無数の水ポケモンが見えるこの湖に、ポケモンが全く見当たらない。賑やかで騒がしいドナルドとダグラスの姿すら見えなかった。
 それでも、トーマスはトロッコを進め続けた。変化には気付いているはずだが、それでもお構いなしに彼は進んだ。トロッコと、煙の音をいつまでも響かせながら。
  ◇
 仕事の終業時間よりかなり遅い時刻に、トーマスは戻ってきた。辺りはすっかり日が暮れ、周囲はほとんど何も見えない。
 トーマスはゆっくりトロッコを引っ張っていた。それはとぼとぼといった足取りではなく、毅然としていて堂々とした足取りだった。
 車庫に入り、トーマスはひのこを放って松明に火をつける。ぼんやり浮かび上がった車庫の中で、トーマスはロープを首からはずした。
 少しの間トロッコを見つめた後、トーマスはその場から動いた。未練がましく振り返ることもなく、まっすぐ暗い出口を見据えて。
 ところが。出口は暗くなかった。先程まで日が暮れて暗かったはずなのに、やけに白く明るい。トーマスは、首を傾げつつ外に出た。
 そこには。
「トーマス、いままでご苦労様」
 いくつかの拍手の音。いつの間にか持ち込まれた証明の下で、リチャード、ゴードン、パーシー、トビー、アブニル、大きな水槽に入れられたドナルドとダグラスがいたのだった。
「ごくろうだったな、トーマスおやっさん! 長い長いトロッコ生活だったな!」
 ゴードンは相変わらず大きな声で言う。
「お疲れ様と終わった日にゃあ、こうして定例ねぎらい会!」
「お疲れおつかれオツカレおツかレ連呼してしまいにゃゲシュタルト崩壊!」
 ドナルドとダグラスも、彼らなりに労っているようだった。
「トーマスさん、今までご苦労様だよぉ。トロッコ引っ張れなくなるけど、しょげないでねぇ」
 パーシーも変わらずのほほんと言った。
 そして、最後に。トビーがトーマスの前に進み出た。その背中にはアブニルが乗っている。
「トーマスさん、ご苦労様でやした。会社のほうも、そしてその前も」
「トーマスさん! ごくろうさま! これからもがんばってね!」
 全員から労われるトーマス。予想外のこの状況に、トーマスは思わず俯いてしまう。
「……こちらこそ、言わせてもらおう。ご苦労だった」
 再び、拍手が巻き起こる。といっても、拍手ができるのはリチャード、パーシー、トビーだけだった。ゴードンは勢いよく地面を踏み鳴らし、ドナルドとダグラスは交互に水面で跳ねていた。
「トーマスさん! あっし、この子のお婿さんになるでやす!」
 突然トビーが言った。先程までの労いの顔はどこへやら、すでにでれでれしている。
「トーマスさん! あのね、トビーさんのおよめさんになるの!」
 アブニルも無邪気に賛同する。トーマスは思わず顔を上げてしまう。
「そうか」
 トーマスはでれでれとしているトビーをまじまじと見た。幸せの絶頂の表情だった。
「……まるで息子だな。トビーのその表情を崩したくないと思っているわしがいる」
 トーマスは言った。
「いやあ、光栄でやすね。そういう風に見られたなら、ますます未来を見せないといけないでやすよ!」
 トビーは声高らかに言った。トーマスはやれやれと首を振る。
「そういえば、トーマスおやっさん! おやっさんに息子なんていたのか!?」
 ゴードンがうるさい声で聞く。
「息子も娘もいない。番もいたことはないな」
 トーマスは淡々と答える。
「え、じゃあどうて……」
 そこまで言ってトビーは自ら口をつぐんだ。トビーが言いかけたことを察知したトーマスは、思わず大きな溜め息とともに白い煙を吐く。
 だが、トビーは我慢できなかったようで、堰を切ったように笑い始めた。その笑いは周囲に伝染し、辺りは笑いに包まれた。アブニルも、わけも分からず笑っていた。
 トーマスは笑うことはなかった。呆れた様子で一同を見ていた。しかし、その口の端が、ほんのわずかにひくついていたことを知る者はいなかった。
 その笑いは、静かな森の中で、いつまでも響き続けた。
 7
 あれから5年の月日が経過した。
 線路の一新の工事は予定通り実行され、自然にほぼ影響を及ぼさずそれは進められた。
 しかし、『テール・ド・ラ・ヴィ』は凄まじく広い。その線路もいたるところに敷かれているため、工事は長い時間がかかった。
 また、同時進行で車両の製作も進んでいた。充電式のハイブリッド車両を先頭として、屋根はあるが窓ガラスの無い客車を製作。これにより、車内にいながらにして自然との一体感を感じてもらおうという狙いだった。
 国の狙ったとおり、新しい車両は大好評だった。以前のトロッコとは違って優雅に座ることができ、なにより直接的な風も少ない。窓ガラスが無いことに対する苦情もあったが、それでも以前より客層は大幅に増し、公園はまた活気付いていくのであった。
 出発地点は都市の中に変更され、そこから各所のスポットへと電車は走っていくのである。バッフロンがうるさい森、バスラオが騒がしい湖、穏やかなマラカッチがいる砂丘。それぞれがさらに人気を高めていき、工事は結果的に成功をもたらしたのだった。
 ところで。
 一部の観光客の口コミでは、壮大な自然の豊かさやガイドのキャラクターの濃さの他に、付け加えられて話されることがあった。それは、出発地点のことである。
 そこは、一般の電車のホームとなんら変わりない場所だった。最新の技術などいまどき珍しくもなく、特に目を引くこともない。
 逆に、古いというのだった。
 それは、電車が出発するときのこと。どこからか、聞いたことがあるような無いような、しかしどこか懐かしい、古くさい音が聞こえてくるという。
  ◇
 電車のホームは今日も大盛況だった。数え切れない客が入り乱れ、歩いている。しかし、その中で電車に乗れるのはごく一部である。
「さあて、今日も仕事だ」
 リチャードは運転帽をかぶり、黒の上着を着ている。
「相変わらず似合わないな」
 トーマスは首を振りつつ言った。
 1人と1体は、ホームを歩いていた。向かう先は運転車両。白い手袋をはめつつ、リチャードは進んでいく。
 ホームと車両の間には空間があったが、トーマスのために車椅子用の通路が設けられていた。そこからトーマスとリチャードは運転車両に乗り込み、リチャードは手元のマイクを口に近づけた。
「まもなく、出発となります。お乗りの方は、お急ぎ下さい」
 ホーム中に声が響き渡る。人々の足が速くなり、急ぎながらも慌てず電車に乗り込んでいる。
「トーマスおじいちゃん!」
 運転車両の外から、甲高い声が聞こえた。トーマスは運転車両から顔を出す。
 そこには、トーマスをじっと見つめるキャタピーと、決まり悪そうなツボツボがいた。
「トビー。今日は休みだったはずだろう」
「ご、ごめんなさいでやす。この子がどうしてもって聞かなくて……」
 トビーは謝る。
「トーマスおじいちゃん! ぼくものってみたい! いいよね?」
 キャタピーは目を輝かせてトーマスに訴えている。
「こらこら、エボル。トーマスさんを困らせちゃダメじゃない」
 トビーの後ろからバタフリーが飛んでくる。
「トーマスさん、本当にごめんなさい。この子ったら、言い出したら聞かなくて……」
「アブニル、気にすることはない」
 トーマスは、エボルといわれたキャタピーに顔を近づけた。その目は、以前どこかで見たものと同じように輝いていた。
「エボル。わしの背中に乗りなさい」
「わーい!」
 エボルは喜び、トーマスの背中に飛び乗った。凄まじい跳躍力に一瞬動作が止まるトーマスだが、すぐに運転車両の中に引っ込んだ。
「トビーさん! いくらエボルが催促するからって、こんなところにつれてきたらダメじゃないですか!」
「ご、ごめんでやす。でも、可愛い息子が言ってると思うと、どうしても我慢できなくて……」
「それで今度はトーマスさんにも迷惑をかけているんですからね! もう!」
「うーん、怒ってるアブニルちゃんも可愛いでやす」
「ご、ごまかさないでください!」
 アブニルは照れながらトビーからそっぽをむく。その様子を見て、トーマスはやれやれと首をふるのだった。
「トーマスさん。エボルのこと、よろしくお願いしやすー」
 トビーの震えた声が聞こえてくる。トーマスは溜め息を吐きながら頷く。
 トーマスは階段になっている部分から計器の上にのった。運転車両だけはガラスがついており、日光の差す前方が見える。
 トーマスは車両の右の窓ガラスを開き、首を出した。
「エボル、トーマスさんにご迷惑をかけないようにね」
 アブニルが声をかける。
「うん、かけないよ! おりこうさんにしてる!」
 エボルは元気よく答えた。アブニルは不安そうにしつつも手を振っていた。
「トーマス、そろそろ出発するよ」
 リチャードが声をかける。
「エボル、背中から降りて前を見ているといい」
「うん!」
 トーマスに言われ、エボルは背中から降りて電車の前方を向いた。
 外では、駅員がいそいそと車椅子用通路を片付けていた。
「テール・ド・ラ・ヴィ行き、発車いたします。車外にお忘れ物のないよう、ご注意ください。目指すは終点、行き先は森、湖、砂丘でございます。では、出発進行!」
 リチャードの掛け声と共に、トーマスは勢いよく鼻から白い煙を噴き出した。猛々しく、堂々とした轟音が、ホーム中に響き渡った。その音には、ホームに残っていた客の目を引き、その足を止まらせる力強さがあった。
 トーマスの合図と共に車両の扉が全て閉まり、車輪が回転を始める。トーマスは窓から首を引っ込め、エボルと同じく前方を見た。
「わーい! すごーい! うごいてるー!」
 エボルは大いにはしゃいでいる。その様子を、トーマスは特に表情を変えることもなくじっと見ていた。
 しだいに日の光が近づいてくる。その光は、なんのためらいもなく彼らを迎え入れた。
 トーマスは前を見た。エボルと同じ、リチャードと同じ前を見た。
 トーマスが見据えるその先へ。彼が進むべきその先へと、電車は進んでいった。

  END


 あとがき
 何回も期間が伸びに伸びて、もう心臓がばくばくでしたw
 とりあえず、結果は3位、今までで一番多くの票をもらうことができました。みなさん、ありがとうございます。
 作品について
 見ての通り名前のパロディです。キャラや性格は全く違いますが、同じにすると、橙色であるコータスが出せなかったので、開き直って全部オリジナルの性格にしました。つまり、名前とポケモンのチョイスに関連性は皆無ですw
 反省点としては2つ。まず、やっぱり物語がすこし強引であること。もうちょっとトーマスの心理に踏み込めたんじゃないかと思ってます。
 そしてなにより、トビーがトーマスに思い入れる動機があいまいであること。会って少ししか経ってないのに、ここまで親身になるかなぁって、思いました。
 いずれも、書いた後に思ったことです。次回からは、もっともっとキャラ心理を追求したいと思います。
 では、コメント返しです。

 >>貴方ですね……わかります

 ば、ばれちゃってたんでしょうか?しばらく参加してなかったので、大丈夫かなぁって思ったんですが…

 >>コータスを蒸気機関車に見立ててトロッコ列車ツアーをするという発想が面白いと思いました。
   個人的には効率化で片付けずに、どこか別所に移ってでもトロッコを引き続けて欲しかったのですが…。
   とにかく、そう思わせるほど和気藹々として楽しいツアーでした。

  コータスを主人公にするって決めたとき、一番最初に鼻から吹きでる煙を思い出したんです。そこから機関車を連想したっていう安直な発想なんですねw
  本来のトーマスなら、仰る通り他所でトロッコを引っ張ったでしょう。でも、トビーから熱い説得を受け、アブニルとトビー、そしてその未来を見守ることを決めたんです。
 そうすることで、妄信的にトロッコを引っ張り続けるのではなく,彼の真の意志で未来に進むことができる。そう考えて、この展開にしました。

  >>時代の流れで自分の大切だったものが無くなっていく。
    そんなやるせなさで少し切ない気分にさせられましたが最後はハッピーエンドで一安心。
    大きな自然公園のトロッコ運営のお話という斬新な切り口。
    マイナー所なポケモンが多く出てきて新鮮な気分で最後まで読み進められました。

 トビーがトロッコを引っ張るシーンで、もうちょっとトーマスに郷愁に浸ってもらう予定だったんですが、文章力が低すぎて無理でした。そういった、切ない気分になってくれた人がいて、嬉しいです。
 ロケーションはというと、そもそも僕が登場させたいポケモンをすべて合理的に登場させるために無理やりつなげた結果生まれたんですよねえ。不自然に思われないか不安でした。
 マイナーポケモンを出すっていうのは、僕のやり方でもあります。今までそうしてきましたし、これからもそうするつもりです!

 
  >>トロッコの線路沿いにいる個性的な仲間たちそれぞれが引き立っていておもしろかったです。
    読んでて幸せな気分になりました。

  だって、そうでもしないとキャラが立たないじゃないですかw(
  ゴードンは必ず最後に感嘆詞が来る、ドナルドとダグラスは読点がない、パーシーは間延び、アブニルは漢字なし(幼少期)。
  読みにくかったかもしれませんが、実力が低い分文字の形で補いました。これらいずれかに沿っていないセリフがあったら、それは間違いですのでご報告ください。

  >>古きを慈しみながら、未来へと進んでいく物語に感動。コータスというチョイスも機関車イメージに見事にハマっていました。

  どうしてもコータス=老体というイメージが払拭できず、カナヘビ的には後にも先にも最高齢の主人公になりました。
  そして、周囲の若者が、おじいさんを引っ張っていく。そんな物語を書かせていただきました。

  >>一瞬題を見てネタ小説なのかと思いましたが違いましたね。ギャグ要素も入っていたので強ち間違いではないかもしれませんけれど。
    アブニルかわいいよアブニル

  
  ネタだと思われることを狙ったわけでないのですが、皆さんの頭の中に、何かしらの「?」が浮かんでほしいという狙いがありました。なにより、ほかの題名が思いつかなかったんですw
  アブニルは、トーマスを過去から未来へと引っ張る重要なキーキャラクター。この名前も、フランス語で「未来」という意味なんですね。構想当時は雄だったことは秘密です。

  >>迷いましたが、ポケモンの特徴を活かした内容に一票。

  
  僕は作品を書くとき、ポケモンの何かしらの特徴を生かして書くことをまず第一にしているんです。
  でも、今回はトーマス以外のキャラクターはほぼ生かし切れていません。
  それでも、そう評価していただいて嬉しいです。

  >>ドナルドとダグラスというよりビルとベンだったような…。
    でも元ネタもこの作品も好きなので、一票入れます!

  この2体をこの名前にした理由は2つ。1つは、一番最初に目についた双子設定だから。何より、そもそも僕も、この元ネタに関しては小さいころのうろ覚えでしかなかったから、ですね。
  しかし、赤筋と青筋という時点で、双子ではありえないというのは秘密。

  みなさん、コメント、投票、ありがとうございました。

  みなさんからの感想、指摘、評価、重箱の隅つつきなど、何かあればなんでもお寄せください。
  カナヘビはみなさんの言葉を真摯に受け止め、より良い作品作りにむけて精進していきます

最新の5件を表示しています。 コメントページを参照

  • 最初は別の人が作者だと思っていましたが、貴方ですか。
    物語自体は良く楽しめたのですが、名前をもじったパロ要素が少し邪魔してしまったかもしれません。
    時代の流れに取り残されて、機械化の波に飲み込まれる職人や労働者の悲哀というのはなんだか心に来るものがありますね。それに納得できる形で抗えたことも含めて、いいお話でした。
    ――リング 2014-05-11 (日) 21:06:38
  • >>リングさん
    言われているとおり、名前のパロディというのは、原作のパロディも含めて、そこもからめていくものです。そこから、どんなパロディが来るのかと期待して、肩すかしをくらった人もいると思います。ただ、僕にはパロディできるほどの実力と知識がなくて……(言い訳)。
    機械化に関しては、当初は電車じゃなくて地下鉄が通るというぶっ飛んだ予定だったんです。でも、さすがに無理があると思って、小規模化したものなんです。たぶん、地下鉄のままだったら、あまりいい物語にならなかったと思います。
    リングさんに納得できる形と言ってもらえて嬉しいです。これからも、もっと合理的な物語を作っていこうと思います。
    コメントありがとうございました。
    ――カナヘビ 2014-05-17 (土) 20:33:43
お名前:

トップページ   編集 凍結 差分 バックアップ ファイル添付 複製 名前変更 再読み込み   新規作成 ページ一覧 ページ検索 最近更新されたページ   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2014-05-07 (水) 01:25:10
This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.