作者……PB ?
その子の棘が生えた青々とした腕から、看護師へと手紙が手渡された。
植物の腕と金属質の腕の間で手渡された手紙は、確かにポストへ入れられ、郵便局に配達を依頼された。
肩にはピスタチオの殻の半分を巨大化して乗せたようなプロテクター風の構造。頭は先端が5つに分かれた流線型。青年、オーダは日課のランニングに精を出していた。
ジャブとストレートのワンツーを繰り返し行いながら町中を走るのは、修行熱心な熱血漢の多い格闘タイプにはありがちなものである。
青い空、白い雲、輝ける太陽の下、腰の膜をヒラヒラとなびかせながら、草花が青々と生い茂る丘を上り下りし、皆が歩いているうちに自然と草が生えなくなっただけの道をひたすら走り行く。
鉄のように強靭な拳を突き上げながら、ギャロップの最高速度に匹敵するパンチを空気に打ち込み、時折光る汗が道端に染みを作る。
突き出す拳の速さは、巨大な上に真っ赤な目立つ色の拳を持っていながら、その軌跡が見えないくらいである。それに調子に乗って、音速とも称される踏み込みを与えて虚空を殴ろうとして、のけぞりかえる黒いポケモン。
「あ……」
これが出合いの切っ掛けになるとは思いもよらなかった。のけぞりかえったポケモンはブラッキーというポケモンで、ポストに投函された手紙を回収しようと家の影から飛び出した瞬間、閃光の如く拳が付き出されたのを見て、思わずのけぞりかえってしまったらしい。
「あわわわわわぁぁぁ……大事な手紙がぁ」
のけぞりかえった拍子に、背負っていた手紙は盛大に飛び散ってしまった。
「あぁぁ……す、すみません」
言い終わるが早いか、オーダは高速の拳で手紙を拾い始める。
「あぁ、もう何しているのあんた!? いきなりブン殴ってくるなんて通り魔かと思ったじゃないか!! ってか、そんなに早く拳を動かすな。
風圧で手紙が千切れたらどうするんだい?」
声の大きいブラッキーがそんな風にオーダをまくしたてていた。
ビリッ……言霊には力が宿るとは言うが、まさかこれほどとはオーダには予想外であった。手を引く時、風圧で見事にビリッと真っ二つである
「あ……」
「どうした? まさか破ったとか言うんじゃないだろうねぇ?」
詰めよってくるブラッキーに見られないように、オーダは足の下に踏みつぶしてその手紙を隠す。
「いや、なんでもない。この人が俺の母親と名前同じだなぁって思っただけ」
やべぇ……――内心、かなり焦りながらもその場はなんとか取り繕い、オーダは事なきを得た。
ブラッキーにはさんざん嫌味を言われたあと解放された。後に残されたのは……オーダと破られた上に踏まれた跡の付いた手紙だけであった。
「なんだこの手紙……一度涙で濡れた跡があるじゃないか。だから破れやすくなっていたのか……」
どうやら、その手紙は投函されてから乾くまでの時間もたっていないようで、今日の朝に投函されたものなのだろう。
「それに、この内容……」
内容を少し盗み見てみると、差し出し人の住所は診療所だった。宛先は鋼タイプや岩タイプ、地面タイプなどが多く暮らす砂漠の一角。引っ越して間もなく、両親ともども事故に会い、頼れる友もなく現在天涯孤独なために、お金を都合してくれれば……という内容であった。
字体は丸っこく、整った形をしていて几帳面な差出人の性格が伺える。名前は……クリスと書いてあった。
「もしかして……俺とんでもないことをしてしまったんじゃ……すぐに、差し出し人に謝らなくっちゃ……」
そう思うと空恐ろしく、その日のオーダは稼業としている庭石加工もあまり手につかなかった。営業時間が終わった暁にはスピードスターもリフレクターもたまらず*1、診療所まで駆け出して行った。
その時までワンツーを行っているのだから、朝の件は懲りていないようである。
「すみません、こちらリーフィア診療所でよろしいでしょうか?」
生まれてこの方体が丈夫だったオーダは、病気も怪我もせず、医者にかかることも無かったので、この診療所に来るのは初めてである。
そこで働いていた下働きらしいシザリガーの男性は診療所の周りに在る植木を刈り取っては、器用にホウキを操って集めているのだろう、刈り取られた枝葉が山となっている。
「ああ、間違いないよ。あんた、見るからに健康そうだからお見舞いかい?」
気のいい返事が返ってきて、とりあえず怪しまれずに済んだ――と、オーダは安心した。
「まぁ、そんなところです。言っちゃ悪いけれど、小さい診療所だから名前を言えば分かるとは思いますが……クリスって娘のお見舞い……」
「あぁ、なるほど、あの子かぁ。話相手が職員しかいなくって寂しがっているだろうから、行ってやんなよ。
ほら、見舞いなら俺なんかと話していないで行った行った。12号室だよ」
大きなハサミでバシンッと背中を殴られて思わず悶絶しそうになったが、なんとか耐えて平然を装いつつオーダは病室へと向かう事にする。
受付の職員には、適当にはじめましてと挨拶して、いざ本命を目の前に深呼吸をする。
意を決してノックして見ると、中からはどうぞと声が聞こえてくる。
棘の生えた腕や胸、頭は特異な形をしていて、胸にも棘が生えている。青々とした体は、つややかで美しく、身長はベッドに寝ているから分かりにくいものの、オーダよりも少し低いと言ったところか。
日は夕暮。逆光で見にくいモノの結構美人であるし、年齢も思ったより子供でなく働いていてもおかしくない年齢ではある。
どうやら足を怪我しているようで、包帯の巻かれた脚は天井から吊り下げられている。
「あの……誰でしょうか?」
天涯孤独で頼れる友達もいない。そう手紙に書いてあった以上、ここの職員以外がこの病室に訪問してくることはないのだろう。突然の訪問者にクリスは戸惑っていた。
首を曲げてオーダの方を見たクリスに対する彼の第一声はとりあえず……
「ごめんなさい!!」
ズガイドス如く頭を下げての全力での謝罪だった。
「貴方が今朝出したと思われる手紙……事故により破いてしまいました。また、代わりのモノを書いていただかないといけないという手間をかけさせますし、届くのが一日遅れるので……本当に迷惑かけました」
そういって、オーダは敗れた手紙を土下座しながらクリスに渡す。
「君……名前は?」
まだ状況を把握し切れていないような視線を向けて、クリスは尋ねる。
「オーダ……です」
「そう……。正直、僕の親父もお袋も砂漠のなかじゃ鼻つまみ者だったからなぁ……叔父さんが金銭の都合云々はあんまり期待していなかったわ。同じ種族同士で結婚すればいいモノを異種族結婚なんてしちゃって……挙句、僕が陰湿な迫害にあうから引っ越しだなんて、馬鹿みたいだと思わないか?
あ~あ……君格闘タイプでしょ? 家の馬鹿両親殴ってくれたら、タイプ一致の弱点攻撃で目を覚ましてくれたかもしれないのに……死んじゃったからもう遅いか」
「は、はぁ……」
気の抜けた返事しか返せないオーダに、クリスは微笑みかける。
「顔上げたって良いよ。どうせ期待してなかったって言っているでしょ?」
「で、でも……涙を流すほど深刻な金不足だったんじゃ……」
「涙? あぁ、うつらうつらしながら書いていたからヨダレがね……。ふふ、だから早く顔上げなって」
「はは、なんだ……良かった。俺大変なことしちゃったのかと……」
笑いながらオーダは立ち上がり、ベッド際まで歩み寄ると膝立ちの姿勢になってクリスを見る。微笑み返してくれるクリスはやっぱり結構美人だ。
「お金は釣れなかったけれど、意外な大物が釣れたみたいね。お詫びといっちゃなんだけれどさ……話し相手になってくれないかな?」
呆然。少しの間をおいて、オーダは口を開く。
「あ、うん……そんなんでいいなら」
「やったぁ」
手を合わせて、無邪気にクリスは微笑んだ。
「と、いってもさ。こっち話すネタなんてなんにもないんだわ。ちょっと質問攻めになるかもしれないけれどいいかな?」
「ん、まぁ……罪滅ぼしと思って……」
気のない返事でオーダは答える。卵グループは同じ人型同士だし……なんか悪くないかも、と少々煩悩じみたことを考えていて、ちょっと上の空気味である。
「じゃあ、まず……君の名前、オーダって呼び捨てしてもいいかな?」
「あ、あぁ……構わないよ。俺も……お前に対してクリスって呼んでいいか? クリスでいいんだよな、お前の名前?」
なに、いきなり呼び捨てしていいかどうか聞くだなんて気があるのだろうか。単純に考えていて、なんとなくデートするところまで想像している。
これが女性と付き合った経験がない男の悲しい
「うん、もちろん構わないよ」
クリスにはその気はないようで、ただ普通に頷いてそう言っただけである。
「そう、じゃあオーダ。君の職業は何やっているの」
「あぁ、庭石の採掘、加工、販売と……そう言うのを一人で切り盛りしているんだ。一人暮らしは気楽だけれど、店の手伝いが欲しくってね……」
「へぇ、庭石ってどんなの作ってるの?」
興味ありげに、クリスは尋ねる。
「ウィンディの置物とかニョロトノの置物とか……燈籠のような角ばったモノの場合もあるし、ただの岩を適当な大きさにしたものを売り出すこともあるね。
たまにだけれど特注の加工を依頼されたりして……結構その手の業者では名も知れているんだぜ」
「へぇ、すごいねぇ」
その後も、クリスの質問攻めは続いた。『儲かっているのか』とか、『好きな食べ物はなんだ』とか……そして最後の質問になるのが、これだった。
「それでさ、好きな女性のタイプは?」
こんなことを聞くとは間違い無い。この女、俺に惚れている。そう思って、ムフフな展開がオーダの中に浮かぶ。
「そうだな……好みって言われると難しいんだけれど……話していると楽しくって笑顔が素敵な子かな。あ、出来れば卵グループは人型で……そう言うクリスは?」
逆に聞き返されたクリスは、顎に手を当て考える。難しい表情はせずに、あくまで気楽な感じで言葉を探しているという様子だった。
「う~ん、そうだね……僕もやっぱり卵グループは一致していた方がいいかな。それと、リードしてくれる感じって言うか結構積極的な方が好みかも」
言い終わって、クリスは微笑んだ。
「お前はノクタスだから卵グループは人型と植物かぁ……」
「うん、エビワラーの君とは一致しているね。でも、どうかなぁ……結構好みが違うっぽいけれど恋人の奪い合いにならないといいね」
「あぁ……」
クリスの言葉の意味を、オーダは必死で整理した。
恋人の奪い合い
↓
同じ人を好きになる可能性
↓
同じ性別?
「ってえぇ!? 男なの?」
驚くオーダにクリスはキョトンと首をかしげる。
「え? 僕の好みの女性のタイプを聞いたんだから……男だって分かっていたんじゃないの? だって、女の子に好きな女性のタイプ聞くって変でしょ?」
どうやら、俺は盛大にだまされていたようである。
「確かに、『そう言うお前は?』って聞いたけれど……そ・こ・は、お前の好みの男性のタイプを聞いているんだって察しろ!!」
「あらぁ……砂漠でもよく間違われたんだよねぇ……僕。やっぱ間違われるものなのかぁ……」
恋した相手は男だった。こんな屈辱が他に在るものか。やっぱりこいつ悪タイプだ――絶望的に意気消沈したオーダは、がっくりと肩を落とす。
「はぁ……もう、十分話し相手には満足してくれたよね?」
もう、オーダがクリスと話す気力は萎え果てた。
「ん~……まぁね。それに、どうせもう30分もすれば面会時間終わりだし……」
気が付けば、話の途中でつけたロウソクもかなり短くなっていることに気が付いた。
「今日はありがとね」
オーダがろうそくに気を取られている間にクリスは言って、砂漠の直射日光のように笑顔を輝かせた。
「どーいたしまして」
オーダはカイリキーの爆裂パンチが顎先に角度30度でカウンター気味にクリーンヒットした時の視界の如くどんよりしている。
「あ、そうだ……オーダ。出会ってばかりでなんだけれど、一つ頼みがあるんだ……」
「なんだ?」
内心、かなりの憤りを覚えつつも、クリスに罪はないのだから……と、呼びかけに応じてオーダは立ち止まった。
「お金……貸してくれないかな?」
申し訳なさそうに頼んだクリスは、モジモジとオーダを見つめていた。
「いや、あのね……出会ったばかりの俺にそう言う事頼むかな?」
オーダが見せた顔は困り顔。ため息交じりに見せた顔はうんざりとしていて、もう話していたくもないという意思表示が如実に表れている。
「わかっているよ……こんなことを頼むのは筋違いだってこと……でも、両親ともども事故っちゃって、砂漠から持ってきたお金だけで入院していたから……
僕、お金なくってさ。このままだと院長に追い出されちゃうよ……」
切実そうに腕の先をもじもじさせながら、オーダが見せたモノより深刻な困り顔を見せた。
「もちろん、無担保ってわけじゃないの。質屋に行けば相応のお金を借りられるようなものならあるよ。
母さんの形見の大粒のルビーが埋め込まれたネックレスなんだけれど……もし、利息が払いきれなかったらこれを失う事になっちゃうし……利息無しで借りたいんだ。
さっきいろいろ質問したでしょう? 結構儲かっているんでしょ……僕はこれを預かってもらっていいから……お願い」
彼の少ない荷物の中から、如何にも高価そうな代物がいかにもそれらしいケースの中に入っている。ルビーを主役に、その他にあしらわれた金や銀が美しい色彩を見せている。見るからに一級品だ。
「あのなぁ……そんな大事そうなもの俺に預けていいのかよ? 俺が悪人だったらどうする?」
「悪人だったら……僕の手紙なんて気にしないでしょ? それに、僕の話し相手にもなってくれたし……」
確かに、これまでのオーダの行動は、クリスにとっては誠実そのものに映る行為ばかりかもしれない。
だからって、そこまで信頼されてしまうのでは、オーダには荷が勝ちすぎている。
「無理無理、俺がお前とお話していたのは、下心があったからなんだから……」
「じゃあ今は? 男の棒に対して下心があるわけでもないのに……話を聞いてくれているよね?」
まっすぐ見つめたその瞳には、子供のように純真な疑問が込められていた。ブスッとした、どこか不満を含んだ口調には違いないが、それは素直になってくれないことへの不満だろうか。
「えぇい!! 駄目だ駄目だ……俺は男にボランティアする趣味はない」
クリスが言わんとしているところの意味は、『頼みの内容によってだけれども聞く気になったのは何故か?』といいたいのだろう。
もし、『お金を貸して』じゃなくって、『また話し相手になってくれる?』だったら、どうしていたんだろうと脳裏にかすめる。
「これ以上その話ししたいなら、明日にしてくれ。今日は不機嫌だ」
男にそんな一目ぼれみたいな感情抱くなんて……むかつく。自分で自分が苛立たしくて、言ったセリフがそれであった。
言った数秒後に思い返してみればそれは、完全にツンデレじゃないか。
ツンデレだと気が付いてあまりにも恥ずかしいから表情を見せたくなくて、振り向くことなく競歩のようにオーダは歩き、乱暴にドアを開け、ドアを閉める時は理性を働かせたのか静かだった。
「あ~あ……運命の出会いとか思っていた俺が馬鹿みたいだ……」
憔悴しながらオーダは扉の前で立ち尽くしていたが、何かの手違いでドアが開いてきたりしないように踵でドアを押さえつけている。
騙されたせいで少し機嫌が悪いのは確かだが、いいことをしているみたいで悪い気はしなかったのを覚えている。それが、女の子と話しているという実感だけによるものじゃないのも、多分……そうなんだろうけどね。
「あ~あ……俺の馬鹿。何で破れるような高速で手紙拾っていたんだ。何でマッハパンチの練習を街中なんかでやったんだ……畜生」
そんなことしなければこんな風に悩むこともしなかったのにな――立ち尽くしてため息をつく自分の煩悩がただひたすら惨めだった。
立ち尽くす。
「あのぅ、すみませんねぇ……クリスさんにぃ、お食事ぃを届けたいのでぇ、ちょぉっとどいてもらってよろしいかなぁ?」
足音一つ立てずに近寄ってきた若い看護婦の声に驚いて顔を上げると、それは看護婦でも看護夫でもなかった。長期保存の利く大きなチーズのような、側面の短い円柱形の頭部と胴体が一体化した部分である本体に、がっしりと大地に根付くような太い四肢と、それを支える逞しい関節。
体高はオーダより一回り上で、円盤のような本体の直径はオーダに匹敵するくらいだ。
そして、その巨体に見合うだけの、馬鹿みたいに重い体重を見事に浮かび上がらせるほどの強力な念力がその体には秘められていて、移動するときは足音を立てる歩行よりもむしろこっちを好んで使う。それで迫ってくる様子は迫力満点である。
顔の前でクロスした模様があるその金属性のポケモンは、メタグロスであった。性別の区別が無く、男でも女でもないから看護師である。
「あ、これは失礼……」
「いやいや」
そそくさとオーダはドアの前からどいて、ようやく以ってその場を去ろうとするが、オーダは思うところがあったのか、メタグロスのおヌゥさん*2に言伝を、
「そうだ。クリスさんに、お大事にって伝えてもらえます?」
去り際に伝えた。立ち尽くす間に、それだけはクリスが男であろうとも女であろうとも変わらない本心であると、オーダは気が付いた。
「はぁ~い、かしこまりぃ」
今まで誰もお見舞いが来なかった患者のもとに、こうして誰かがきてくれたことが嬉しいのか、メタグロスのおヌゥさんは笑っていた。
◇◆◇
「はぁ~い、お食事よぉクリスくぅん」
相変わらずの重圧を伴って、その割に軽口なこのディスクおヌゥさんは、なんだか他のだれかよりも観察眼が鋭い気がしてちょっと苦手だった。
「あ、ありがとうございます。さ~て、今日のメニューは何かなっと……」
見た感じ、自分の好物が並んでいるようだったか今日は見たことが無い食材も含まれている。
「これはなんて言う食材なんですか?」
「これぇ?」
腕に生えた棘で指差してクリスが尋ねると、ディスクは念力で一つ持ち上げて、ディスクは本体をかしげる。
「これはぁ、今ぁ、旬の食材のチーゴの実よぉ。砂漠じゃ栽培出来ないぃ食材ぃぃぃなのかしらぁ?」
「へぇ、チーゴ……ふぅん」
興味あるようなないような、当たり障りのない口調で言って見せた後クリスは、
「ありがとう、美味しそうですね」
笑って見せた。一瞬、遅れてしまったのは無理して笑って見せているから。
「もっちろん、おいしいに決まっているぅ!! じゃ、残さず食べて早く健康になりなさいよぉぃ、グッバァイィ」
ディスクはそれだけ言うと、ものすごい威圧感を急激に遠ざけて行くように去っていく。ディスクおヌゥさんにどこか釈然としない様子を感じたのは、やはり自分が本当に笑顔になりきれていないからなのだろうか。
やっぱり僕の仮面は……剥がれているのかな。
「あ、そうだ。言い忘れたことっとぉ」
ディスクは浮き止まり、こちらを振り返って一言。
「『お大事に……』って、あの照れ屋ぁなエビワラーのお兄さんが伝えてくれってねぇ。このディスクおヌゥさんに頼んできたのぉ。
貴方ぁ自身、結構ぅ大事ぃに思われているみたいよぉ」
言伝の他に、なんだか茶化すようなセリフを言うだけ言って、ディスクはさっさと他の患者へも食事を届けに行った。
一人残されたクリスは、考えていた――なんて、馬鹿な。扉の前で話し声が聞こえたとは思っていたけれど、それはオーダのモノだったのか。
なんで、まだドアの前にいたんだよ……本当はもっと話したかったみたいに、未練たらしい。
クリスは、赤いイバラをつなぎ合わせて作った大地の神と呼ばれる幻のポケモン、グラードンの"ヒトガタ"を手に取る。
「神様……」
僕は砂漠で暮らしていた時、いつも技をぶつけられて、オアシスで水を飲むこともいい目をされないから、いつも自分の家の近くで細々農業をやる以外は本当に誰ともかかわらなかった気がする。
僕は……嫌われなければ、近づかれなければやって行けるって、両親以外の誰に対しても棘で威嚇していた。
誰かを好きになったから親は失敗したんだから、僕は誰も好きになりたくなかったし、なられたくも無かった。本音で話すなんてありえないって思いながら、この病院で過ごしてきた。
今日もそうすればよかったのに。
「太陽の恵みを享受して生まれ出でし糧を……ありがたく頂きます」
右上、右下、右上、右下。クリスはMの字に空を切って祈る。
だけれど、一回しか話さない相手なら本音で喋りあったところで何の問題もないだろうなんて思っていたのに、なんであんなことを頼んじゃったのだろう。
「お金を貸して下さいなんていわなければ……もう二度と会う事も無かったのにね」
一口一口に、味を楽しむ余裕なんて皆無だった。
「あ~あ……僕って馬鹿だ。どうして、本音で話しているのが楽しいだなんて思っちゃったんだろ……」
全然食が進まなくて、それでも食器を取りに来る時にいらぬ心配をされて色々詮索されたくないから、とりあえずすべて胃袋の中に押し込んでおいた。
もちろん不味くはなかったよ。けれど、自己嫌悪しながらだと、美味しいものを美味しく感じることが難しいって……しみじみ思うよ。
また、食器を回収しに来る時に、ディスクおヌゥさんのあの声を聞くと思うと、なんだか気が重い。
◇◆◇
「ふぅ……」
「どした~? オーダ……昨日は目が泳いで居ると思ったら今日は目が真っ赤だぞ……」
気が付けば、一晩じゅう庭石を叩き続け、普段なら一週間かけて作るような彫像を8割がた完成させていたオーダは寝不足であった。
普段は日中やるはずの石の加工は、ウトウトしながら半分……否、ほぼ100%放棄して、弁当を届けてくれるギラティナマークのアナザー弁当*3の出前サービスで来てくれた年上のグレイシアに心配される始末だった。
「あ、ヒエル……いや、昨日の夜というか夜から今日の朝にかけて……無償に何か殴っていなきゃならないくらい衝動に駆られちゃってね……
夢中であんなことやってたら、ただの岩が一晩であの様だよ……」
あんなこと、といってオーダが指し示した先には岩山ポケモンと呼ばれる岩そのものがヒトガタとなって動き出したようなポケモン、レジロックが形作られていた。
「あらぁ……お見事。ジャブを打ち続けて繊細に殴ったんだなぁ……一晩でようやるわなぁ」
ヒエルと呼ばれたグレイシアは感心したように呟くが、一晩というあたりで呆れているようでもあった。
「勢いだよ勢い……はぁ……もともとゴツゴツとした武骨な岩が繋がって出来たような見た目のレジロックだから、適当にブン殴って作っただけでもそれなりに形にはなるよ……」
そんな謙遜を返すオーダだが、ヒエルは首を振る。
「それでも、全体が砕けないようにするって大変じゃないか? 俺は氷の塊にアイアンテール打ったらガラガラ崩れ落ちちまうぜ?」
「そこは、経験の問題……いいからもう寝かせて」
がっくり項垂れながら、オーダは弁当箱によだれを流して眠ってしまった。さながら、真っ白になって燃え尽きたという伝説のエビワラーを彷彿をさせる寝姿である。
「あ~あ……重症だなこいつ。失恋でもしたのかなぁ? 今日は、お前の好きな菜飯と白身魚のみそ焼き弁当だから……早く元気出せよ……」
哀れむような視線で見降ろしたグレイシアは、残りの配達のために荷車を引っ張ってどこかへ行ってしまった。
その日は、引き続き客への応対も上の空で、いつも制作風景を見に来る子供たちへのサービス的なデモンストレーションも、今日は全くもってしなかった。
「気が進まないけれど……行くって言っちゃった以上行かなきゃならないよな……でも、ちょっとあの笑顔を見るのは……楽しみかも」
座ったまま眠っていたため、首が少し痛かった。それでも首を二回ほどグルングルンと舞わして柔軟運動をすれば、それなりに何とかなりそうな気がしてきた。
今日も今日とて、ワンツーを繰り返しながら診療所へと向かって言った。
◇◆◇
「神様……今日で、終わりにしてください……。僕、本心で話すのは、怖いんです」
右手の甲にM。左手の手の平にMと書いて、それぞれに軽く口づけをする。砂漠で暮らしていた頃は、伝統的だった
「一回限りだから本音で話してみるのも悪くないなんて、思った僕が馬鹿でした。グラードンのテラルス様……どうか、彼との関わりはここまでにしてください。お金は……形見を質に預けて何とかしますので」
本当は、祈ってみたところで何が変わるものかと、クリスは思っていた。――祈って変わるなら、僕も僕の親も技を当てられることなんてなかったもんね。
「じゃあ、なんのために祈っているんだろうね……」
それでも、そうでもしないと自分の殻に誰かが入ってきそうで怖かった。だったら、オーダのことなんて無視すればいい。
「メリープが一匹……メリープが二匹……」
日中はとりあえず外で光合成をさせてもらって、その時に十分眠ってしまったから、目を閉じたところで眠れないような気はしていたけれど……それでも、眠ってしまえば、オーダを無視できるような気がして、逃げようと思っていた。
「メリープが860……」
コンコン。扉をたたく音がした。この時間帯には、まだ看護師の皆さんは来ないはず…… 無視すればいいのに、僕は……
「どうぞ……」
どんどんあいつという深みにはまってしまう気がする。
オーダが部屋に入ると、そこには昨日と同じ姿をしたクリスがいた。足を天井からつりさげられたクリスは相変わらず綺麗であり、はかなげに微笑んで見せた姿ははっとするほど美しい。
「来てくれたんだ……」
面倒だけれどね――オーダはそんな事も思ったけれど、笑顔に魅せられて、そんな気持ちが少し薄らいだ。
「さて、どうする。質問攻めから始めるか? それとも昨日の続きから始めるか?」
オーダは昨日と同じようにベッドの近くまで歩み寄って、膝立ちの姿勢でベッドに肘を立ててその上に顎をおく。
「昨日のお話の続きだけれどね……やっぱり、いいや。このネックレスを質に入れて入院費にするよ……退院してからきちんと返せば、戻ってくるわけだしね」
オーダは何も言い返そうとしなかった。拍子抜けとは違う、どこか失望したような表情で立ちあがってクリスを見下していた。
「ここに来るまでに、頼られているのは悪くないと思ったんだけれどね……お前は頼るつもりもなかったのか」
見下す視線は、痛かった。
「帰る」
クリスは何も言えなかった。
「引き止めなくて……いいんだよね」
心に穴があいたような気がして、クリスはオーダが出て行ったドアをずっと見つめていた。
「これでいいんだよね……」
誰にともなく呟いて、クリスは自分を納得させようとしていた。
一人きりの病室で、つられているのは片足だけなのに、両脚が地面に付いていないような浮遊感。だけれどそれは、天にも昇るような華やかな物ではなく崖の上を歩いているような不安ばかりが僕の中にあった。
「素直になるって……どんな風にやっているんだろ」
言ってみて、何も考えが浮かばなかった。本当に頭が真っ白で、何か考えなきゃ――って強迫観念のように考えようとすると、何故か今日の晩御飯のこととか光合成の最中に寄って来た鳥のこととかどうでもいいことしか思い浮かばない。
まるで、オーダのことを考えることを頭が拒否しているようだ。
何も考えられないならちょうどいい、不貞寝をしてしまおう。なんて考えて、目を閉じて見たけれど、何も考えられないのに眠れなかった。
霞がかったというよりは、むしろ煙幕を喰らったように不明瞭な思考の中、ただ時間だけが無意味に流れている。
何か考えなきゃいけないような気がして、何かを考えてもそれはやっぱりどうでもいいことばかりだった。
ガツン……ガツン……。この大き過ぎるノック音はまぎれもなくディスクである。すごく耳触りだけれど、メタグロスだから仕方が無い。
「どうぞ」
「はぁ~い、お食事よクリスくぅん。今日は、あのエビワラーのお兄さんすぐ帰っちゃったのねぇ」
うるさい。考え事をしたくても出来ない今の気分に、この耳障りな声は本当に厄介だ。
「いや、まぁ……もともとそんなに深いつながりがあったわけでもないので……あ、ありがとうございます」
念力で運び込まれた食器が自分の手元に来るのを見て、クリスはとりあえずのお礼を言う。適当な挨拶をすませれば、そこはもう一人きり。
相部屋にしても良かったのに、個室がいいと僕が願ったから。
「おいしくない……」
運び込まれた食事は昨日よりも、味がしなかった。
◇◆◇
「あぁ~~もう!!」
昨日は、力加減をしながら殴ることが出来るくらいの冷静さはあった。でも、今日は体を動かしてストレスを発散するのに手加減出来なそうな気する。
そのせいで、せっかく作ったレジロックが壊れてしまうのは頂けない。そんなわけで、今日衝動的に来たのは仕事場ではなく岩の採掘場である岩山である。
不定期に休みの日を作っては、ここで岩山に渾身のストレートパンチをぶち込み岩を砕いては材料にするための場所である。
大理石の岩床であるここは、格好の石の採掘場所であり、
「跡形なく消えされや……おらぁっ!!」
ストレスの解消場所でもあった。稲妻が至近距離で落ちたような衝撃音に、声だけでガラスを割れそうな恫喝。ここら辺一帯は特にめぼしい資源があるわけでもないため、安い代金で土地が売りに出されていてオーダがそれを買い取っているために私有地ではある。
そうだとしても、眠っていればなんとか聞こえないだろうが、食事中なら音がした方向に振り向いてしまいそうな轟音は近所迷惑である。
それだけに、普段は昼にやるのだがこの日はこうでもしないと収まりが付かなかった。
「ふぅっ……」
たった一発しか殴っていないのに、オーダは肩で息をしている。砕け散った岩盤を前にして、腰が抜けたようにして呆然と座り込んでいた。渾身の力を込めた一撃であったからというのもあるが、それ以上に頼られることが悪くないなんて思ってしまった瞬間に否定されたことがショックとして大きい。
「俺は……甲斐性無しかよ!!」
ひときわ大きな岩塊に向かって、オーダはブン殴る。
「女一人、男一人にも頼ってもらえねぇか!!」
ブン殴る。
「せっかく、頼られてやろうかなって思ったのにそりゃねぇだろうがよ!!」
ブン殴る。
オーダは心臓が恐ろしいほど早く波打って、呼吸も荒く常に肩で息をしていた。そうやってブン殴っているうちに、オーダもストレスが発散されていくのだが、岩の方は何故かクレセリアの原型になっていた。
月のような丸っこい曲線で全身が構成され、首筋から腹にかけての満月の輝きを放つ部分と、うなじから背中にかけては青い輝きを放つ部分には差異をつけることが出来ないようだが、それは後で岩に薬剤処理をして色を変えれば構わない。
三日月形の頭頂部の作り込みは甘く、顔も表情が掘り込まれていないがそれ以上は拳で作るには限界がある。むしろここまで掘り込めただけで感心出来る。
お風呂に浮かべるアヒルのおもちゃのような体形に三つ付いている光のヴェールは、腕の代わりとなる体の側面のヴェール、背中から生える尾羽のようなヴェール、ともに伝説で伝えられている姿より遥かに肉厚になっている。
だがそれは、本体を支えるためにも折れないようにするためにも、そうなることも仕方がないだろう。
「チクショー!!」
懇親のパンチで、もう一つの石像に取り掛かる。もう何が何だか分からなかった。
何かに頼られてみたかった。6人兄弟の末っ子で、畑も分けてもらえないような身分である。親に頼られることも兄妹に頼られることもないから、都から近くも遠くもない街に骨を埋めようと、出稼ぎではなく永住するつもりでここに引っ越してきた。
昔から遊びで岩を削ってきたから、それなりに自信もあったけれど不安もたくさんあった。旅人の立ち寄る街として知られるこの街では、店を出せばそれなりに客も来てもらえる。しかし、旅人にとって無用の長物を売る行為なんて自殺行為だと。
今でこそ、旅人に対する客の呼び込み用の招きエネコや、旅の安全を保証するフワライドの置物などが旅人の立ち寄る宿から発注されたりと、儲かっているが……でも、それは頼られているのとは何かが違う。
商売以上でも以下でもない付き合いで、自分より腕がいいとか、値段が安いとかで簡単に乗り換えられてしまう関わりでしかないだろう。
独り身だった俺は、自分を頼ってくれるものを求めていたのに……姉に頼られていた時の長男はすごくかっこよかったから、それに憧れていたのに。
一晩、性別を騙されたと感じて、燃え尽きるほど八つ当たりして、不機嫌がすべて消えさって残ったのは、話相手になっている時の満足感だけだったから。
だから、きっかけは下心だっていい。兄みたいになりたいなんて……
「夢見た俺が馬鹿だったのかよ!!」
夜が明けるまでそんなことをやっていたら、いつの間にかフワライドの原型が完成していた。
「今日のメニューは……醤油と甘酸っぱい果汁を煮詰めて作ったタレにつけ込んだ鶏肉をさっぱりとした野菜に包みこんだものだよ……今日もお前の大好物だけれど……反応しないってことは死んでるのか?
死んでいるなら俺が代わりに喰っちまうぞ?」
「生きてるよ……」
結局、全く眠っていないオーダは昨日よりも死んでいた。作るのに何週間もかかるような石像が、未完成ながら二つも加わっているのでアナザー弁当の配達をしているヒエルは呆れていた。
「そうは見えないけれどなぁ……あのフワライドの石像に魂持っていかれないように気をつけてくれよ……? 一応お前、大事な客の一人なんだから……」
「ZZZ……」
オーダはすでに夢の世界へ旅立っており、答えなかった。
「本当に、おかずを代わりに食ってやろうかこの野郎……全く。ま、それよりも前に荷車にゃ3ダースの配達が残っているんだ……放っておくか」
そう言って、荷車を引いて行ったヒエルの姿を見送ることもなく、オーダは客の応対をする時以外は死んでいた。
◇◆◇
「はぁ……」
オーダを怒らせてしまった翌日、朝食を食べ終えたクリスは、ため息をついた。
何かが足りないなんて考えてみると、当然思い浮かんでくるのはオーダ。
使い捨ての人間関係なら、本音で話しても怖くない。だから、毎日あんな風に使い捨てが来てくれればいいな……それは、なんてワガママ。
あんな、運命のいたずらなんてこの先、一生待っても来るかどうかわからないのに。ヨダレを流して、郵便屋さんの回収とオーダのランニングのタイミングがうまい具合に合って、それで拾った時に手紙が破れてくれる。
「オーダは使い捨てなんてして、いいものじゃなかったんだ……」
けれど、使い捨てじゃなきゃ怖いとか、甘えにも程がある。砂漠では……ルカリオの父さんが、ノクタスの母さんと結婚したから迫害されたのであって、事情の違うここでは、そんなものはないのだから、
「迫害される理由もないわけだし……」
それに、砂漠は殺伐としていた。結構な戒律もあって、ここでは普通に行われていることや程度の軽い罪であることが、死刑などの厳刑に処されることだってある。
厳密な罰則があるわけではないけれど、異種族間での結婚は禁忌とされているのだから僕らが迫害されるのは当然だった……けれど、ここでは違う。
「ここでなら、僕は自由になってもいいんじゃないだろうか」
故郷を捨てるなんてありえないことのようだったけれど、捨ててみれば何のことはない。今までの常識が崩壊しているこの場所なら、今までの僕の常識を壊してみよう。
怖いけれどそれは……
「きっと、素晴らしいことだから」
クリスは、天井つり下がった自分の脚を見る。まだ、歩くことは出来そうにない……けれど、手紙なら出せるじゃないか。
だったらそう、一歩踏み出してみよう。ディスクおヌゥさんにもう一度手紙を出してもらおう。
もし、オーダがまた来てくれたなら……今度がお金を貸してもらうんだ。院長先生にもディスクおヌゥさんにもお金の心配をされないように……きっと出来るはずだ。
◇◆◇
「はぁ……」
オーダは深夜になっても、当然のように眠れなかった。だけれど、イライラして体が動けと疼くわけでもないから、じっとと目を閉じていた。
そのまま特に眠るでもなく起きるでもなく目を閉じていただけで朝を迎えた。
寝ているのだか、いないのだか分からない状態というだけだったのかもしれない。あいまいだからそれなりに休めていたのだろう。
脳を働かせている訳ではないから、朝起きても特に眠いという事はなかった。
ランニングをして、今日は普通に客への応対も、配達のグレイシアへの受け答えも、石材加工を見物する子供たちへのファンサービスも、そつなくこなす。
まだ、クリスへの未練はぬぐい切れてはいないもののつつがなく生活することは出来ていた――と、夕食をつつきながらオーダは内心で安心していた。
これからもつつがなく、生活を続けていくのだろうか? 少し寂しくもあるけれど、今より悪くならないのなら贅沢を言ってはいけないのだと思う。
思って、眠りについて、夢を見る。どんな夢だったかは忘れてしまったけれど、夢の中で誰かに『お兄ちゃん』と呼ばれて嬉しかった気がする。
あんな夢を見ちゃうなんて、つくづく俺は馬鹿である。でも、やっぱり誰かにそんな風に呼ばれてみたかったのだと理解して、『誰か』で思い浮かんだのはクリスであった。
顔を洗った後は、今日も今日とて日課のランニング。ワンツーを繰り返して、ひとしきり走った後にポストを覗けば日によっては手紙が入っているのだが、今日は……ポストのの中には封筒が一つ。住所はリーフィア診療所。差出人はクリス。
『殺風景な病室に置くのにふさわしいオブジェクトになるような庭石をいくつか見繕って持ってきてくださいませんか?』
中には手間賃代わりなのか、銅貨が一枚入っていた。
そんな仕事の出張依頼であり、仕事以上の関係を望むクリスの願望を見て、オーダは思わず日中にただの大岩だった塊をグラードンの石像に加工し、7割がた完成させていた。
今回は、商品を運搬しながらなのでワンツーしながらを走り続けることは出来ないオーダだが、いつものランニングの時よりどこか嬉しそうであった。
イライラは体を動かせば吹っ飛んでくれるけれど、モヤモヤはどうにもならなくって、くすぶっていたそれが解消されるなんて思っていたから。
「お前は……どんな顔して迎えてくれるのかな?」
期待に満ちた胸は、意識せずそんな言葉をつぶやかせて、すれ違ったドータクンの院長先生に軽い挨拶をしながら、意気揚々と12号室をノックした。
「どうぞ」
それは今までで一番明るい声で、同時に申し訳なさや恥ずかしさのような、さまざまな感情が混ざりあう、照れた声だった。
沈黙を挟む。一応、名目上は商売としてきたのだから、そこは自分が喋るべきなのだろうけれど、言葉が見つからないオーダは俯いてしまった。クリスもまた、である。
「
先に口を開いたのはクリスで、謝られたオーダはうんと頷く。
「仕方がないさ」
事情も知らないのにオーダはそんな白々しいセリフを吐いた。事情も知らない癖に!!――と、噛みつくことも出来ただろうけれど、クリスはオーダに対して怒りや呆れのような悪い感情は感じず、
「うん、ありがとう」
なんて、感謝の感情に尽きた。
そして、再びの沈黙。
「それでな、適当に見繕ってきたんだが……砂漠らしい伝説のポケモン……色々とね」
これは自分が話す番だよな――深呼吸をしてから、満足そうな微笑みを浮かべオーダが木箱に入れて持ってきた両手に乗る程度の大きさの石像を取り出す。
「レジギガスにクレセリアにグラードン……レジギガスは万能のお守り、クレセリアは安眠と癒しのお守り、グラードンは日差しと豊穣のお守り……お前なら、どれだも知っているだろう?」
すべて、ここ数日殴って作っていた物とは別物だ。こういう小さく室内に置くのにちょうどいいサイズのモノは金づちとノミを使って作ったものだから作りの細かさが違う。
「うん、なんというか元気が出そうなのばっかりだね」
そんな精巧な作りのお守りを見て、クリスは手放しで喜んだ。子供のように純粋で無防備な笑みが、なんだか嬉しい。
「それでさ……どれも欲しいものなんだけれど……僕にはえっと……」
クリスが指差した先には赤いイバラで作られたグラードンのヒトガタ。
「これがあるから、グラードンはイイや……でね、レジギガスとクレセリアなんだけれど……ぼく、こっちがいい」
指さしたのはクレセリア。早く怪我を治したいという欲求の表れなのだろう。
「毎度あり……それは値段銀貨1枚だが……持ち合わせは?」
クリスははにかみながら、
「ない……お金を貸してくれない?」
そう言ってオーダを笑顔にさせる。
「きちんと……返せよ」
微笑むオーダは腰にさげていた革袋に一杯の銀貨と銅貨の混合物を渡す。
「わ……重い」
それに、温かい。オーダの体が温かいんだね――クリスは赤子でもあやすように、慎重かつ丁寧に巾着式の革袋を開き、中にあるお金の量を確認する。
「すごい……見た感じでも半年分はあるや……金貨まで一枚入っているし……」
足は、あと数週間もすれば退院出来るくらいには回復する。それでも、それまでの入院費が貯金を切り崩すだけでは足りなそうだから……と、お金を求めていた訳だけれど、これじゃあ貰いすぎだよ。
「どうした?」
申し訳ないと言った様子で上目遣いにオーダを見ていたクリス。
「こんなに、もらえないよ……」
馬鹿だな――笑って、オーダは革袋を握っているクリスの両手をクリスの胸へと押し付ける。そうされることに逆らおうと力を込める様子もなく、されるがままに任せていた。
「無利子で貸すんだ、ゆっくり返せばいい。それに、俺はそのネックレスに見合うくらいのお金を渡しただけのつもりだ。大丈夫……お前が返さなかったら俺もこいつを返さないから……そこは勘違いしないでくれ」
「そう、それなら安心だね」
何が安心なものなのか、少し嬉しそうな表情を浮かべてクリスは笑っていた。
今までは、膝立ちでベッドの上にひじをたてて顎を置くのが精いっぱいだった二人の距離は、この日ベッドの上に座ることを許すまでに距離を縮める。
取り留めなくどんな女性が好みなのかとか、歌を歌ってみてくれだとか、二人だけしかいない空間でも恥ずかしくって、ちょっとはにかんで、なんだか幸せだった気がした。
そろそろ面会時間も終わるという頃に、ベッドの上に置かれたドゲの生えた太い腕の上に、丸っこいけれど硬いオーダの腕が重なる。もじもじと力を入れたり抜いたりを繰り返すオーダの手の動きにお返しするように、クリスは棘の側面で拳を撫でた。
「ところでお前、俺にお金を返すって言ったって……アテはあるのか?」
「ん……ない」
「なら、さ……俺の店に来いよ。やっぱり一人だと色々きついところがあるもんでさ。一人、働き手が欲しいから……」
目を丸くしてクリスは身を乗り出した。つりさげられた足が痛まないようにではあるモノの、肩に抱きつようにして出た言葉は、
「本当?」
オーダは肩に乗せられた腕を包み込むように手を添え、また彼自身を包み込むような方張力のある表情で、
「あぁ」
と、笑う。
「ただし、そこも勘違いするなよ? 働きが悪かったらクビにするからな?」
「大丈夫……まじめにやるよ」
頷いて言うクリスは、少し目が潤んでいた。その表情を見て、こっちまで嬉しくなりながらオーダはベッドに落ちつけていた腰を上げる。
「じゃ、また明日……お大事にな」
こうして話す時間がとても楽しいことのように思えて。オーダは自然と明日も来ようと言う気になっていた。ただ小さく頷いて腕を振るクリスの姿に、最後まで笑顔でオーダは扉を閉め、その後はいつも通りワンツーを繰り返しながら帰路へと付いた。
◇◆◇
ガツン……ガツン……。この大き過ぎるノック音はまぎれもなくディスクの訪問である。すごく耳触りだけれど、今日はそれほど嫌じゃ無かった。
「どうぞ」
いつもより明るい声がそこにある。気分が、ここで入院してから一番軽い
「はぁ~い、お食事よクリスくぅん。」
うるさい。この耳障りな声は本当に厄介だけれど、今日は不思議と嫌じゃ無かった。
「ありがとう、ディスクさん」
そのまま待っていても、食事が手元に来ないと思っていたら、クリスはキュウコンにつままれたような顔でクリスを見ているディスクの視線に気づく
「いっつもぉ『ございますぅ』なんてつけて、他人行儀ぃぃな『ありがとう』だったのにぃぃぃいぃぃ」
ディスクは、ふっと息を吐く。
「あのエビワラァアー……盗み聞ぃきしてぇ名前聞いちゃったけれどぉ、オォォオーダ君のおかげぇかしらねぇ」
耳障りなしゃべり方のディスクの推測には、全くもって間違いない。もともと、元気な理由なんてそれしかないのだろうけれど、図星をずばりで言われると、なんとも恥ずかしい。
「うん、そう言う事……オーダは、偶然巡り合っただけなのに、僕に良くしてくれるから……ちょっと好き」
「ふふぅうぅぅ~ん。そりゃぁ、良かったわねぇ。そういう子が毎ぃぃい日お見舞いに来てくれるぅなんてぇ」
そう言ってディスクは笑い、肩を……と言うよりは円柱型の本体を落とした。
「ねぇぇ、クリィスくぅん。この診療所がぁ、どうしてぇリーフィアなんてぇ、全く関係ぃぃいないのにぃ、リーフィア診療所って呼ばれているかぁ、覚えているぅ?」
この診療所は下働きのシザリガーの他に看護師のディスクとドータクンのウェイト院長、もう一人朝に患者の世話をするハピナスのみで構成された小さな診療所である。
リーフィアどころか、イーブイ要素すらゼロなのだ。
「太陽にあたっていれば、悪いところなんてすぐになくなっちゃうって言う……院長の持論だよね。モジャンボじゃ格好付かないし……ワタッコだと旅人みたいな一見さんしか来ないから……だからリーフィア」
「うふん、そう言う事ぉ。確かにぃ、貴方はぁ、よく太陽にあたっているけれどぉ……それだけじゃぁぁダァメダメェなのよねぇ」
そうなの?――と首をかしげるクリスにディスクは笑う。
「心にぃもぉぉ太ぃぃぃ陽はぁ、必要ってぇことよぉ。だからぁ……オーダ君はぁ……貴方にとってのぉ……太陽だったってわけねぇ」
ものすごく照れくさいことを言われて、クリスは返答に詰まってしまった。
「まぁ、そこはぁ、そんなにぃ難しくぅ考えちゃ駄目よぉ。太陽に当たるチャンスぅがあったらぁ、あたっときなさいって言うぅ、ディスクおヌゥさんからのアドバイスゥのつもりよぉ。
それじゃ、残りの食事ぃ持届けなきゃならないからぁ、グッバイ!」
それだけ言って、ディスクおヌゥさんは相も変わらない得体の知れぬ威圧感と共に部屋を去って行った。そもそも、今更ながらあのしゃべり方はなんなのやら。
こんなことを深く考えられるのは心に余裕が出来ている証拠……だったらいいな。
「太陽……かぁ。オーダがねぇ……」
何げなしに浮かんでくるオーダの顔。噛みしめるように脳内でその表情を動かして、口の方もディスクが運んできた夕食を噛みしめる。
心が弾んでいるから、昨日よりもずっと美味しく感じた食事に掛け値なしの美味いという賛辞をのべ、クリスは笑顔だった。
「それなら、今までの人生ずっと夜だったのかもね。って言っても、僕は基本夜型だけれど」
オーダがいる限り昼だなんて素晴らしい。砂漠の昼がずっと続いたら悪夢だけれど、まぁ、この温暖な気候でならずっと昼なら僕にとっては天国だもの。
・
・
退院の日まで出来るだけ毎日付き合うよ――だなんて言いながら、オーダは本当に毎日クリスの元を訪ねていた。
まだ、完治には至らないが、そろそろ退院しても問題ないだろうという頃になって、クリスは以前よりもずっと多くの笑顔を見せている。
その日まで、ただ受け身で話を聞いているだけだったが今日ばかりはその事情も違うといった感じで、気もそぞろになって妙なそわそわを見せる。
「どうかしたかぁ、クリス? 病気ってわけでもないだろう」
その変化を、敏感に察知したと言うには遅すぎる。結構鈍感なので今を以って気が付いてくれたのか、それとも今まで確信が持てなかったので話しかけるのを渋っていたのかもしれない。
「いやね……今日、話したいことがあってさ。今まで僕のこと話してばっかりだったから……今日はね、僕のことを話そうかなぁ……なんて。
ほら……どうして僕が、君に……冷たくしたりお金を貸してって頼んだり……随分変な子だったんじゃないかなって」
「まぁ、否定はせんが……そう言う理由があったんだって理解しているよ」
本心からそう言っているのだろう、肩をすくめて興味がないわけじゃない、と笑う。
「話す気になったなら、話せばいいことさ。それが今なら……今ね」
「そっかぁ……じゃあ、話しちゃおっかなぁ」
肩が上下するほど大きく深呼吸をして、クリスはグラードンのヒトガタを見る。
「砂漠ではね……まぁ、グラードンを神とあがめている訳だけれど、結構環境が厳しくってね……それで、みんな殺伐としているんだ……うん、まだそれはいいんだ。
そこの宗教では厳しい戒律があってね、盗みや殺しを禁じるのはまぁ当然としても……禁じることよりも一段階下に回避すべきことって項目があるの。厳密な罰則はないけれど、やってしまえば鼻つまみ者だよ。
女性は日中に男性の影を踏むこととかね……回避する対象だよ。だから影踏んだだけで、殴られたり蹴られたりとか、砂漠の街じゃ日常茶飯事だ。それでね、種族関結婚を回避すべきって言うのがあるの……僕の父さんはルカリオで、母さんはノクタス。
ここまで言えば、言わなくても分かるだろうけれど……親だけじゃなく、僕まで嫌われ者で……影を踏んでも怒らない優しい父さんだったし、母さんもやさしかった。けれども、砂漠のみんなにはそれが見えない。
回避するべきことを回避できなかった、愚か者としか思っていない。だから、こっちに引っ越そうって僕は言い続けて……やっと両親は承諾してくれたんだけれどね。その矢先に崖崩れさ……僕は崖下に落ちて、骨折した以外は無事だったけれど、母さんも父さんもそうもいかなくって、死んじゃった。
で、持ち合わせのお金で入院していたけれど……それが退院するまで持ちそうにないから、誰かからお金を借りたかった」
「でも、それは素直には出来なかったんだな?」
重苦しくクリスは頷いて見せる。その首は頷いたまま固まっていた。
「どうしてだ?」
「皆、仲良し組みたいなのがあって、それに入ってくる部外者を極端に嫌っていたから。しかもその仲良し組はいわゆる種族同士のつながりで……要するに自分と同じ種族じゃないと仲良くできないってね。
それに、ノクタス同士が仲良くしていても……僕は入れてもらえなかったから……だから今まで、どうやって仲良くなればいいかも分からなかったから。その上、異種族だよ……商売くらいでしかた種族との付き合いなんてなかったし、僕にはそれすらも難しかった……」
言い終わって、クリスは深呼吸する。
「だから、一度は本音で話してみたいなんて思ったけれど、一回きりが良かったんだ。だってさ……一回きりなら、その一回目で騙されたり裏切られたりしなかったら、そのままいい思い出だけしか残らないでしょ?」
「でも、いい思い出だけじゃ満足できなかったんだな……」
クリスはゆっくりと頷いて、目を潤ませ始める。
「一回きりが良かったって言うのは傷つきたくないって言う事で……それ自体は、本音だと思う。けれど、やっぱりまた話したくって……だからお金を貸してなんて言っちゃったんだと思う」
「なるほど……けれど、2回目に来た時裏切られたのは俺だったんだぜ?」
極力暗い気分にさせないよう、軽い口調で言ってオーダは続ける。
「その時お前はどう感じたんだ? もう俺と話せないことが辛いとだけ思っていたのか、それとも……裏切っちゃってとっても申し訳ない気分になったのか?」
「どっちも」
少しためらったあと、クリスははっきりと口にした。
「そうか……なら、大丈夫だ。お前は仲間外れにされたり裏切られたりするのが嫌なことだというのを知っていて、それを他人に味あわせたくないってだけでも……お前が悪い奴じゃないって分かる。
だから、お前がそんな風にある限り俺は……きっと裏切らないから」
自然に浮かべた笑みは、クリスを安心させるだけでなく、自分自身が言葉にして総出来るだろうと確信して、安心して出た表情で。
オーダは言うだけ言って、自分を満足させている節があった。
「僕は……オーダの店のお手伝いとして働いていいんだよね?」
そうすれば、これからは……いつでも本音でお話が出来るよね?
「あぁ、真面目に働かなかったらクビにする予定は変わらないけれどな」
沈黙を挟んで、二人は照れていた。
「えっとな……だから、早く治せよ? 俺も暇じゃないから」
いうなり、オーダは拳をクリスの腕の少し上につきだした。互いに悪臭が出来るような手の構造はしていないが、それが握手のようなものだと分かるのに時間はかからなかった。
突き出された拳に合わせては、がっちりと繋ぎ合わさったように二つがそのまま動かない。腕も動かさず、歌も歌わずに指切りをやっているように、微笑ましい会話を音もなくしているような。
不思議な光景があった。
・
・
退院の日。
渡された地図を頼りに、退院したとはいえ完治はしていない足で、おぼつかない足取りを伴って歩くクリス。
殴って形を作っていくという、ある種異様な光景を見せつけながら彫像を作るオーダの石像制作風景。それは街ゆく人たちに人気があって、多くの人がその通りを横切る時に微笑みながらその光景を見ている。
珍しいものを見せつけられたクリスは、その光景を眺めて言葉を失っていた。わぁ――と、嬉しそうに上げた声は可愛らしく、我を取り戻して駆け出す姿は女性のように愛らしい。
そんなクリスの第一声が、
「来ちゃったけれど……結局僕何をすればいいの?」
そんな間の抜けた言葉である。
「ま、そりゃいきなり何かやれって言ったって無理だわなぁ……お前は顔もいいし、普通にしていら愛想は抜群なんだから、日中は客が来た時俺が出なくても済むように店番と……あとはね、研磨加工をしていてくれ」
「はぁ……研磨?」
「うん、俺が殴って作った奴な……最後に顔を掘って完成……ってわけにはいかなくって、そこはやっぱり表面を滑らかにするくらいにはしたいわけだ。だからまぁ……本格的な鏡面加工は素人には無理だから俺がやるけれど、お前にはその前の粗削りをやって欲しいんだ。
これが結構時間がかかってな……辛いんだわ。今から俺が手本見せるから、よく見ておけよ」
「ふぇ……」
また、オーダの手さばきは早い。いつまでやっても疲れないのかと思うように、ズリズリというかガシャガシャというか耳障りな音を立てて荒い布やすりを動かしていく。
流石に疲れないという事はないらしく、3分で休んだが、すでに広い範囲が滑らかになっている気がする。
「どうだ? こういう作業なんだが……結構退屈だけれど出来るな?」
「もちろん、失敗しないように頑張らせてもらうよ」
二つ返事でクリスは承諾し、早速二人の共同生活は始まった。
二人とも恐ろしいまでの無言で、オーダは岩を大きく砕く時の掛け声とため息以外は独り言一つ洩らさない。クリスもクリスで黙々とした作業と、陰鬱な時間が流れる。
その沈黙を破ったのは、
「よう、オーダそいつが例のお手伝いって奴かい?」
グレイシアのヒエルであった。
「あ、お疲れ様、ヒエル。こいつがクリスだよ……男なんだけれど、可愛いだろう?」
「へぇ、本当……」
ヒエルはクリスの顔をじっと見上げる。オーダは特異な形の頭が邪魔で、顔を伏せられるとクリスの顔は途端に見えなくなるが、ヒエルはオーダやクリスよりも遥かに診療が低く、恥ずかしそうに伏せた顔も余すところなく見つめてやれる。
「男にしておくにゃもったいないな」
愉快そうに笑い、ヒエルは振り返って荷車の方へ向かう。
「あはは……砂漠じゃ女の子は男の影を踏んじゃいけないからね。影を踏むんじゃないって、何度か虐められたよ。失礼しちゃうよね」
口をすぼませ不満を口にし、ヒエルが『そんなにか?』と笑う。
「今日から二人だって言われたけれど、こりゃあれだなぁ……もうちょっと恋愛運のよさそうな弁当のがよかったかもな。オレンとクラボのラティオスラティアス弁当とか」
「俺はそう言う気はないからな」
「僕が女だって分からなかった時点ではあったよね?」
必死で否定するオーダをからかうようにクリスが続き、ヒエルとクリスで盛大に笑う。
「むぐっ……」
決まりが悪くなったオーダは、まだ柱に近い全く手のつけていない岩の傍まで歩み寄り……
「おらぁぁぁぁぁ!!」
体を動かして感情を発散するよりなかった。ヒエルは慣れたモノで、いつも立てられたままの尻尾は揺れ動くこともなくゆったりと風になびいているが、クリスは肩をすくめて大いに驚いている。
「気にするな。あいつは感情が高ぶるとあんな風に体を動かしていないと気が済まないだけだ。お前と出会ってから数日は、感情が不安定になってずっと石像作りっぱなしだったんだぞ?」
ヒエルは愉快そうに笑っていた。
「そうなの?」
「そうだよ」
オーダは一発で満足したのか。拳についた石の屑を払いながらクリスの問いに答える。
「お前のこと相当気にかけていたんだよ。こいつ末っ子だから下の兄弟いなくってね。だから、お前のこと弟だと思っているって言うかさ……」
「お前な……そう言う事は言わぬが華ってもんだろうに」
ぶすっとした不機嫌そうな口調に照れが大きく混じる。顔にあからみとして現れたそれを口に出すことなく心の中で笑いながら、ようやく荷車から弁当を二つ取り出して、オーダとクリスへと渡す。
「仲良くしろよ。お得意様が一人増えるってなありがてぇから」
頭にのせた弁当を微笑みながら渡し、クリスに受け取らせる。
「うちの弁当はうまいから、これからよろしくな、クリス君」
「あ、よろしくお願いします」
弁当を受け取ったクリスは座ったままお辞儀をして、少々戸惑い気味に微笑んだ。
「大丈夫か、そんなんで? 客はたいてい午後に来るからな、そんな風に俺程度に戸惑っていちゃあ、きちんと接客出来ないぞ。
練習させておけよ。ほらスマイルスマイル」
そんな風に笑顔を向けながら、ヒエルは次の配達へと忙しく走り回って行った。
「そっか……お前そう言えば接客経験とかゼロなんだよなぁ……じゃ、今日からしばらくは俺がやっておくから、よく見ていてくれよ」
「ちょ、いまさら? 最初から僕が初めてなの承知でやらせるつもりなのかと思っていたよ」
白身魚の練り物を香草と混ぜて揚げだしたものや、鶏肉にチーズを挟んであげた者など脂っこいが、汗をかいて仕事をしていた二人には、そう言う食事こそありがたいものである。
そんな弁当を口に含みながら、ご飯を飛ばしてクリスは言う。
「わ、汚いだろ」
なんて言いながら、オーダは自分の顔についている、さっきまでクリスの口に入っていたご飯はペロリと口の中に入れてしまう。心を許しあえている表れなのだろうか、特に違和感を感じている様子もない。
お返しするでもなくオーダはきちんと口に入っている分をを飲み込んでからクリスに接客の基本動作についてを教える。実践してみなければ分からないであろうことはオーダも重々承知しているだろうが、目を輝かせながら頷いてくれるクリスの動作がいちいち嬉しくて、欲しがっていた弟という存在がこういうものなのかな、と一日目から充実した気分だ。
そうして、弟分を手に入れてからのオーダの生活は楽しく、また話し相手を見つけられたクリスもいつも嬉しそうにニコニコしている。
二人の生活はとても潤っているといえるし、輝いていた。
・
・
そんなこんなで初給料日。しっかりと借金分は天引きされているが、住み込みで働かせてもらい食事の世話にもなっている割にはそれなりに多いといえるだろう。
「こんなに……」
「売上が上がったからね。それに今まで処理に困っていた石英が、お前のおかげでよく売れるし……何かと女性に人気だしな、お前。
日常生活もいろんな手伝いしてくれるから楽だし」
「えへへ……」
クリスは照れ気味に腕の棘で頭を掻いて笑って見せる。
「さぁ、初給料ともなればやることは一つだ」
言うなり立ち上がってクリスは笑う。
「まっていろ、酒と肴を買ってくる」
笑顔で言い残して、いつものようなワンツーを繰り返して、商店街に繰り出した。
・
・
「……」
取り残されたクリスは色々と不安であった。何故って、お酒は理性を失わせるから――ということで、砂漠では禁止されていたものである。
こっちに来てから、砂漠では禁忌とされてきたいろんな事を犯してきたものの、酒だけはまだ体験していない。オーダの口ぶりから、オーダは何度か飲んだ経験があるようだがきちんと正気は保てているのだろうか。
そして自分は正気を保てるのだろうか。
「あ、禁忌と言えば……」
そんなクリスとてお酒がどういうものか分かっていないわけでは無い。この街に来てから酔った者を何度か見かけてバランスがとりにくくなったりちょっと感情が不安定になったりというのは何となくわかっている。
楽しそうな表情をしているのだから、確かに飲み過ぎはいけないけれども、別に禁止するほど悪いものでは無いじゃないか。と、言うのがクリスの認識である。
そんなお酒の話題のせいで、輪をかけて禁忌とされているのが不思議な事柄を思い出してしまった。
「なんで、同性愛が禁止なんだろ」
という事である。簡単に言えば非生産的であることが原因なのだ。異種族間での恋愛も、月経の周期など卵グループが同じでも生活リズムの違いの摩擦が生産性や生活リズムに影響を与えて、病気を始めとする問題を生み出しかねないという理由があってのことだ。
そういった理由があるからなのだが、真面目に聖書を読んでいないクリスには『ダメったらダメ』と言われているのと同義である。
一度思いこんでしまうとそれを突き詰めて考えるようになり、次第にクリスの脳内はオーダと情事で埋まっていく。そう言う事に関する知識には疎いのでキスをしたりとか抱きついたりとか、自慰の手伝いをするだけのような未熟な内容だが、それでもいやらしく如何わしい想像を巡らせていることに変わりはない。
「まずい、全然嫌じゃない……」
自分が変な思考をしていることは自覚しているらしく、だから『まずい』という言葉。けれど、嫌じゃない。
最初であった時は流石に恋心みたいなものはなかったけれど、親切で気のいいオーダと同居して、しかも湯浴みの時は背中を流しあう仲だ。
もう少しその肌に触れてみたいとか思わなかったわけでもないし……自分では洗いきれないところをもう少しよく洗って欲しいとか思わなかったわけでもないが、それはこういう意味だったのかなぁ。
あぁ、考えれば考えるほど僕恥ずかしい。でも、でも……女だって分からないうちは僕だって興味をもたれていたんだし、酒に酔えれば……
・
・
「ただ~いま~」
元気のよい声とともに、オーダが帰ってきた。その手には大量の酒と脂の乗ったお魚の切り身やジャーキー。豆を発酵させすりつぶして作った調味料に漬け込んだ肩肉。
その他もろもろ味の濃い酒の肴にもってこいの食材がずらりそろっている。
ちょうど月も綺麗で眩しいくらいだという事なのでクリス達は外で酒を飲むことに、半ば強制的に決定される。
「ぷはっ……」
どのくらい飲めばいいのか程度が分からない。とりあえず体型の関係で身長は低いけれど体重は僕の方が上という事で、同じくらいの量をつきあって飲んではいる。
弱い酒だから大丈夫だとオーダは言うけれど、本当に大丈夫だ。運よく僕は強い方らしい。でも、ちょっと小用が……あれら!?
僕はバランスを失いオーダに倒れ込む。まずいと思った頃には音速の拳でグラス片手に腕一本で体を支えられていたが、丁度支える場所が腹。
吐きたい……
「うぇっ……」
そんな吐き気を存分に、そして端的に表すそんな声。
「おい、大丈夫かクリス。ちょっと横になっていた方がいいかな……」
そんなことを言いながらオーダの横に仰向けにされるのだ。僕の顔のすぐ近くに胡坐をかいているオーダが、酔いざましとばかりにオレンの実の絞り汁を飲ませてくれる。
立ち膝になって必死に開放してくれるのはいいんだけれど、普段は見えない腰の膜の下にある男の子の証が……ね。あぁ、何かダメ……ムラムラしてきた。
むくりと、芋虫のようだったクリスが起き上がると、オーダの肩を押さえつけて見せる。
「お、もう大丈夫なのかクリス?」
そしてひと思いにオーダを押し倒……されない。かなり力を込めたはずなんだけれどね。
「おいおい、まだ横になっていた方がいいんじゃないのか?」
全然気が付いていないじゃないか。寝技が得意じゃない、打撃型の格闘タイプだから、決して倒れようとしないのか。
「いや、そう言う事じゃなくってね……」
「なんだ?」
「僕はオーダが好きなの」
「俺も大好きだぞ?」
「あぁ、もうじれったい」
こうなったらタックルで押し倒……せたら苦労はない。立ち技に優れた格闘技を使うだけに、決して倒れようとしてくれないのかアゲイン
「おや、元気有り余っているってか? でも、格闘タイプの俺を寝技に持ち込むのにはまだ早~い」
駄目だ、完全に酔っている。酔っていても悪い性格じゃないし、むしろ本当に気持ちのよさそうな酔い方だから酒盛りは成功と言えるところだけれど……今の状態だと性質が悪い。
鈍すぎるから。
それからは悲惨だった。エビワラーはボクシングかと思ったけれど、合気道まで出来るのかと思うほど軽くあしらわれる。やっぱり鍛えているオーダは違うよね。
「くっそ~……酔った振りして、オーダを目茶目茶にしたかったのに……」
そんなセリフが臆面もなく出てくるという事はすでに相当酔っている。そんなことにも気が付かずにクリスは地面に大の字になった。
「俺はそう言う感情は湧かないんだけれどなぁ。無茶苦茶にしったくもされたくもないな~」
悪気なく愉快そうに笑いながら、オーダが腰をかがめて見降ろしていた。
「じゃあ、僕のことどう思っているの?」
自分の欲求が満たされず、クリスは不満を思いっきり言葉に含ませたクリスの言葉。
「弟のような感じかな」
それは、本当に悪気のない言葉だった。けれど、不満だった。だからまた押し倒してやろうなんて躍起になってみたけれど、またもやことごとく受け流されて、しまいには酔いも覚めてしまった。
それでもここまで続けられたのはある意味奇跡だと思う。綺麗に投げてくれるおかげで全然痛くないせいだろう。何でこんなことをやっているのかも、だんだんよく分からなくなってきたけれど、冷静になってみてクリスは気が付いた。
弟って……そんな程度にしか見られていないのかなんて思っていたけれど、それってとても大切な存在ってことじゃないか。だから、投げ方だって怪我したくてもできなそうなほど綺麗なのだ――理解して、少し嬉しかった。
「疲れたのは分かるけれど……そんなところで寝たら風邪ひくぞ?」
オーダのまだ顔は赤いし、こっちが飛びかかっている間にもちょっとした隙を見つけては飲んでいたはず。つまり、酔っていてもオーダは優しい。
なるほど、お酒を禁忌なのは僕みたいなのがいるからまずい訳で、同性愛が禁忌なのは……きっと僕とオーダが今までのように弟と兄という関係じゃいられなくなるからなんだ。
暴れすぎて頭がガンガンする。でも、オーダの腕は暖かい。ベッドはとても柔らかく、温かい。後片付けの音はやかましいけれど疲れ切った僕にはあまり気にならない。
眠い……御休み。
◇◆◇
後片付けが終わるころには、クリスは眠りこけていた。俺も夜だというのに酒を飲んで運動したわけだからものすごく疲れてしまった。何だか眠くなっちゃったし……もう、ベッドに行くのも面倒だ。
けれどまぁ、クリスと添い寝すると棘が刺さって痛そうだから素直に自分のベッドで寝よう。それにしても……酒癖の悪い奴だよ、クリス……御休み
・
・
「いや、昨日はすまなかったね……クリス」
なんだかんだで、思いっきり投げまくったことを覚えているのか、オーダは朝食の時、頭を下げて謝る。
「う~ん……流石に昨日のは、ちょっとショックだったなぁ」
不満げに。なるべくそう見えるようにクリスは言ってオーダのさらなる謝罪を呼び込んだ。
「すまん、俺が悪かった」
手を合わせて謝るオーダには、許してあげるための条件を付けてやらなければいけない。
「じゃあ、ちょっとした頼み聞いてもらえる?」
「俺が出来る範囲なら……」
ここまでとんとん拍子だと逆に怖くなるくらいだ。でも、今は本音で話し合える仲なんだから恐れずに言ってやる。
「これから、お兄ちゃんって呼ばせてくれるなら許してあげる」
でも、これでもう同性愛の禁忌に触れることは出来なくなりそうだ。まぁ、いいか……この関係よりいい関係望んだら罰が当たるでしょ。
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