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過去との決別

/過去との決別

作者:ウルラ

リョウ視点 →園への訪問者


過去との決別 

-1- 



 ククルゥゥ、ククルゥゥとポッポの特徴的な鳴き声が、横に並ぶ森の中からこの耳に入ってくる。風になびいてさわさわと心地の良い音が流れてくる。それはまるで森全体が奏でる交響曲。
 ――そんな幻想的な雰囲気とは打って変わるように、反対の耳から入ってくるのは車やバイクの耳障りな駆動音。そう、ここは街と森の境界線。私たちは今そこを歩いていた。
 主が言うには、街のやや外れにいとこの家があるとのこと。そこに少しばかりお世話になるみたいだった。
 正直、私は慣れない人と一緒にいるのは好きではないし、何より落ち着かない。常に不安に駆られてしまい、その反動で主にさえ牙を向けてしまったこともあった。
 しかし、そんなことなど気にしていないかのように主は足を進めてる。気にしていないこと自体は私にとって嬉しいけれど、何だか主に負担を掛けてしまうようで気が引けてしまう。
「あ、着いたよ」
 そんな想像の泡を割るように主が何かを見ながら私たちにそう告げる。一回だけ隣にいるブースターと顔を見合わせてから、主の視線の先を追った。
 そこには一戸建ての家。外壁は暗めの黄土色に塗装されていて、全体的に周辺との統一感がある造りになってる。庭のような場所には実のなる木が植えられているものの、木の実が少ない気がする。
「……?」
 今あの庭の中に何かが居たような気がしたけれど、気のせいかな。そんな考えを浮かべていると、その様子を主は察してくれて「どうしたの?」と声を掛けてくる。「何でもない」と首を横に振ってそれに答えると、主はそっかと首を戻すのだった。
「じゃあ、行こうか」
 主はそう言うと、玄関まで来て立ち止まる。扉の横にあるインターホンを押してそのまま中の人が来るのを待つ。いつも疑問に思うんだけど、こういう建物に入る時に何でいちいち呼び出しをしてから中に入らなきゃいけないのだろうか。ポケモンセンターは普通に入っているのに。
「はい。どちら様でしょうか?」
 インターホンについてる小さなスピーカーから、至って普遍的な応対の言葉が聞こえる。主はそれに答えた。
「ヒイラギです。えっと、電話で話したとおり、一週間ここに泊まらせていただきます。よろしくお願いします」
 目の前に相手がいないのにペコペコと会釈をする主に微かな疑問を持ちながらも、スピーカー先の人の返答を待った。あまりしないうちにその声は返ってきた。
「あ、ヒイラギ君ね。鍵は開いてるから入ってリビングまで来てくれない? 今ちょっと手が放せないのよ」
「わかりました。お邪魔します」
「はーい」
 最後の声の後、プツリと音がして返事が聞こえなくなる。主は少し戸惑ったようにドアノブに手を掛けると開けて中に入る。私とブースターもそれに続くように中に入った。


 ――狭いとも広いとも言えない必要な分だけのスペースを利用した玄関に、その隣にあるモダンなイメージの靴箱を通り過ぎる。やがて硝子を填めた扉を開けてリビングと言われる場所に入った。
「あ、いらっしゃい。……ちょっと食器を片づけるからそこに掛けて待っててくれる? あと何か飲み物は?」
 入り際を狙ったかのように聞こえてくる女性の声。慣れない他人の声に私は思わずピクリと体を一瞬だけ震わせてしまう。
 主はそれに気付かなかったようだけど、何だか逆にそれが悲しく感じると同時に、怒りさえこみ上げてくる。
 目の前の見知らぬ人にさも主を取られたかのように錯覚してしまうのは、私の悪い癖だった。
「あ、いえ、お気遣いなく」
 主はそう言うと、手荷物を茶色いフローリングの床にコンと軽く、ゆっくりと置いた。
 そして近くにあった高級そうなソファ……ではなくテーブルの近くにある木の椅子に座り込んだ。何故ソファに座らないんだろう。
 その疑問を代弁するかのように、その見知らぬ女性が食器を水で濯ぎながら器用に私たちの方を向いて問いかけてくる。
「あれ、別にそこのソファに座ってもいいのよ?」
「椅子の方が落ち着きますから……」
 その返答を聞いて腑に落ちない顔をしながらも、その女性は再び皿洗いに没頭し始める。
 気晴らしにブースターの方を向くが、先ほど入ってきたドアのすぐ近くに丸まるように座り込んでる。彼はどうやら疲れたみたいで、そのままうたた寝を始めてしまう。
 仕方ないので私は主の膝の上に乗って丸まった。主は少し驚いたような困ったような表情を浮かべながらも、背を撫でてくれる。

 ……ガチャリ、とドアの開く音がして間もなく疑問の声が上がる。少なくとも主の声じゃないけど、似たような声。そこには主と似たような姿の――しかしどこか違う雰囲気の少年が姿を見せた。
 それと同時に足下にいたブースターに軽く足をぶつけてしまったようで、床に丸まる彼を見て首を傾げる。彼もそれに合わせるように首を傾げた。……微妙に意気投合しているように見えたのは私の気のせいなのかな。
「あ、リョウ。丁度、呼ぼうと思ってたところ。こっちの方は私の姉の息子さん。つまりいとこ。ヒイラギさんよ」
 女性が、入ってきた主似の少年、リョウにやや早口でそう伝える。息子、多分そんな感じの会話口調。
 主はそのリョウに向かって会釈をすると、やがて口を開いた。
「どうも。ヒイラギです。リョウ君……でいいんだよね?」
「あ〜……こちらこそどうも」
 主も、リョウと呼ばれる少年も何だか余所余所しい感じを受ける。初対面、なのか私には分からないけど、何かしら繋がりがあるのかもしれない。主に似ているとこを見ると、血縁関係なのかもしれない。
 主は会話に息詰まったのか、リョウの足下にいるブースターを指してから口を開く。
「そっちは見てのとおり僕のブースター。ちょっと抜けてるところあるけど、あまり気にしないで」
「ああ……うん。そうしとくよ」
 いまいちさえない返事をするリョウ。なんて言うかあまりお近づきになりたくない感じがした。というより主に似てるって時点であまり好きになれない。……元々、主以外の人には興味も持たないし、持てないけど。
 そして多分。次は私。
「で、こっちがリーフィア。ちょっと色々あって警戒心が強いけど、君なら大丈夫そうだね」
 一瞬だけ主の言葉を疑う。けれどリョウのあまり賛成しそうにない表情を見て思わずホッとしてしまう。いや、リョウがこちらを警戒するような表情をしたから、かもしれない。
「で、自己紹介とか終わったところで……リョウ、ちょっとトウヤを呼んできてくれない? あとブラちゃんも」
「分かったよ」
 私の目の前でそんな会話がなされた後、リョウはリビングから出て行った。その際、ブースターがちょっとだけドアの近くから退いた気がする。
 そしてドアの前が邪魔だとようやく気付いたのか、スタスタとテーブルの足下にやってきてはまた丸まった。
 本当に彼は気まぐれ屋だ。分かり切っているわけだけども、せめてタマゴが孵ったらそういうのはなしにしてほしいと願いつつも。
「母さーん。お客さんって?」
 しばらくしてからドアを乱雑に開けて入って来たのは、さっきのリョウよりもやや小さめの人間。短めの黒髪を揺らしながらリビングにどたどたと入ってくる。……正直、鬱陶しい。
 その少年の足下には黒い毛並みと、うっすら光る黄色の輪が特徴的なブラッキーがふと目に入る。私やブースターとは別の、イーブイの進化系。
 ブラッキーは私のを方を見るや否や近づいてきて、口を開いた。
「あんた、誰?」
 やや高めの声から察するに、多分雌なんだろう。悪タイプだからか気の強そうなしゃべり方をしてくる。
 とりあえず返事をしないとこういうのは大抵後でねちねち言う性格だと思うから、なるべくブラッキーのように愛想のない返答をしてみる。
「見ての通りリーフィアだけど。これからしばらくここに泊まるのよ」
「ふーん……」
 ブラッキーは意外にも感情的には言葉を返してはこなかった。何だか無駄に威勢良く返した私が馬鹿みたい。
 今度は床で丸まるブースターの方に、ブラッキーの視線が向かっていた。
「んで、こいつは?」
「ブースター。私の夫よ。ちょっと天然だけど」
 ブラッキーが近づいても一向に体を起こさない彼を見ながら、私はやや呆れ気味で答えた。まぁ、普段のほほんと気楽に構えてるところが、彼らしいと言えば彼らしいのだけど。
「夫? 何かそういう風には見えないんだけどなぁ」
「実際、一度交わってるしタマゴも出来てるから」
 ブラッキーが私の言ったことを聞いて目を見開く。少しばかり交わったことを言うのは刺激が強かったかな。見たところ私とブースターよりかは若いみたいだし。
 主とさっき入ってきた少年が何やら会話しているのを横目で流しながら、私はブラッキーに続けて言った。
「まあ彼、ちょっと抜けてるところがあるのは否定しないけどね」
 その言葉にブラッキーはクスリと笑う。それにつられて思わず私も笑みをこぼす。
 彼以外のポケモンとは話したことがなかったから正直不安だったけれど、このブラッキーになら好感が持てそうだ。
 不意にリビングのドアが少し軋んだ音を立てて開く。入ってきたのはリョウらしい。彼が何だかこちらをやや気にしつつ入ってきている最中、横からとんでもない言葉が聞こえてくる。
「じゃあしばらくの間、リーフィアとブースターは君に任せてもいいかな」
「うん!」
 ……冗談じゃない。私は主の元でのんびりしたいのに、他の人間なんかに近づきたくないのに。どうして主は快く了解してるの……?
 動揺している私を余所に、その少年は意気揚々とこちらに近づいて来る。そしてその小さな手が向けられた時、私は反射的にその指を咬んでいた。
「痛っ……」
 咬んだ指を押さえながら少年が呟くように言った。周りの空気が酷く嫌なものに変わっていくのを全身で感じる。
 主が慌てて女性の方に頭を下げる。
 ……何やってるんだろう、私。主に頭を下げさせるようなことをして。
「リーフィアっ。何で人のこと咬んだんだっ」
 主が私に口調を強くしてそう怒鳴りつけてくる。もう何だか分からない。勝手にあの少年に私やブースターの世話を頼んで、その上叱られるなんて。
 私は主やブースターの視線に耐えきれなくなり、膝から飛び降りて近くのソファに丸まり込んだ。
 周りの視線を気にしないように前両足で視界を閉ざした。これだから主以外の人間といるのは嫌いだ。

 しばらくして、少しだけ組んだ前足に隙間を開けて様子を見る。どうやらリョウが話を変えてくれたようで、嫌な視線は突き刺さってこない。
 例外に、一人だけ居た。先ほど差し出された指を咬んだあの少年がこちらをじっと見ている。
 責めるでもなく、哀れむでもないその視線に不安感や不信感を覚えながらも、何故か妙な安心感があったのは私の気のせいなのか。
「……!」
 不意にまた少年から手が差し伸べられ、私はまた咄嗟に咬みついてしまう。その後主にまた怒鳴られてしまったのは言うまでもない。


-2- 


 微かに木のにおいが漂う部屋の中、主は荷物を整理している。要らないと思ったものは取り出してゴミ箱に入れていく主を見ながら、私はさっきのことを思いだしていた。
 あの少年、トウヤに噛みついたときの周りの冷たい視線。夫の制止する行動やブラッキーの軽蔑したような視線。何より、主が向けてきた非難の眼差しが忘れられない。
 今は私を見る主の目はいつもの優しい瞳ではあるけれど、またあんなことをすればそれが非難の視線に変わるのは分かってる。けれどどうしても他の人を拒んでしまう。
 いい加減、あの過去をふりほどきたい。でも自分自身ではどうしようもない。どんなに忘れようとしても、どんなに他の思い出で埋めようとしても。その記憶は体に染み着いたように離れなかった。
 ふとブースターがこちらに申し訳なさそうにとぼとぼとゆっくり、そしてややビクつきながら歩いてきているのに気付く。どうやら私が怒りを彼にぶつけると思っているみたいだった。
 彼は普段からジェスチャーで私に感情を伝えているから、その癖なのか彼の感情が手に取るように分かってしまう。
「どうしたの?」
 私が掛けた声に一瞬だけ体を強ばらせる彼。……そんなに怖がらなくてもいいのに。
 やがて私が先ほどのことで苛立っていないのが分かったのか、彼は何だかほっとしたような表情を見せた。……って、これじゃまるで私が鬼嫁みたいじゃない。
「ごめんね、驚かせちゃったみたいで」
 多分リビングで私は相当怖い顔をしていたのかもしれない。とりあえず彼にそう謝ると、分かってくれたのか近くまで寄ってきて頬擦りしてくる。
「……調子いいんだから、全く」
 軽く苦笑しながらそう言うと、彼はえへへ、と言うかのようにぺろりと舌を出す。本当に彼に父親が務まるのか不安が増したけど、こういう時になら別にいいかもしれない。

「さてと……」
 それからややあって、主が荷物を整理し終えたのか、ふとそうつぶやいて立ち上がった。こちらを軽く見た後、部屋を出る唯一の扉を開いて私たちに先に出るように促す。
「リーフィア、ブースター。ちょっと着いてきて」
 その言葉に後押しされ、私たちは主の開けたドアから廊下へと出る。主が一体何をしに行くのかが気になっているけれど、それはすぐに分かることだと思い、特に疑問の声は出さなかった。
「アヤさん、よろしくお願いします」
 リビングに入って主が言ったその言葉の真意が、私にはよく分からなかった。ブースターには分かっているようだったけれど、口では伝えられないので問うのは酷かもしれない。
 主はリビングから再び廊下の方へと戻ると今度は階段を上り始める。まさかとは思うけれど、あの二人のどちらかにまた会いに行くのだろうか。

 コンコンっと主がドアを拳でノックする。……そのまさかが当たったのかもしれない。開けられたドアからは私が指を咬んだ少年、トウヤがいた。その足下にはブラッキーが。
 ふと気付くと私の背には主の手が置かれていた。顔を上げるとそこには真面目な表情をした主の顔が見える。
「リーフィア。僕はこれから街に行って必要なものを買い揃えてこようと思う。けど、君はトウヤ君と留守番しててもらえるかな? 勿論、ブースターも」
 隣で微かにブースターが頷くのが見えた。
 嘘だと思いたかった。何でわざわざこの少年と主の帰りを待たなければいけないのか。まだブースターがいるだけマシな方なのかもしれないけれど、確実にまた彼に咬みついてしまうか、悪くすれば技をかけてしまうかもしれない。……あの時みたいに。

 ガチャリ……。

 不意に横の扉が開く。その開いた扉の隙間からリョウが顔をのぞかせる。どうやら何をしているのか気になったらしいのか、こちらを見てトウヤの方を見る。それを何度か繰り返すと、主がそれを見かねて慌てたように口を開く。
「あ、ごめんね。騒々しくて……」
「あー。家ではいつものことだから」
 そう言ってリョウは手をひらひらと左右に振る。いつものこと、ということはここはほぼ毎日騒がしいのかもしれない。更に視線がトウヤとブラッキーの方に向けてるのは、その二人(うち一匹)が元凶だからなのか。
 いや、そんなことより私は主の元を離れたくない。例えそれが少しの間だけであっても、こんな見知らぬ子供に近寄られるくらいなら一人の方がマシ。私は主に微かな期待を寄せて必死に訴えた。言葉は伝わらないかもしれないけれど、主のことだから、きっと分かってくれる……。
「……リーフィア」
 しかし、現実はそうも上手くはいかなくて。主は険しい表情を見せると、少しかがんで中腰の体勢を取る。そして言った。
「リーフィアはそろそろ他の人に慣れた方がいい。いつまでも昔のことを引きずるのはよくないと思う」
 その一言に私は面食らった。まさか主がそんなことを言うなんて夢にも思わなかったから。
 嘘だと思いたい。夢だと信じたい。けれどやはり今聞いた言葉は頭から離れてはくれなかった。
「じゃあ……僕はもう行くから」
 そう言って立ち上がった主に寄りつこうとするものの、主はそれを拒むように両手で抱き抱えてから床におろす。
「大丈夫。すぐにかえってくるから」
 私の頭を撫でて、そう主は優しく言う。それでも、私の不安は拭えなかった。トウヤと共にいられるのかすら危ういのに、そんな時間が1時間もあったとしたら……私にもどうなるか分からない。
 今度こそ主は立ち上がり、ショルダーバックを提げて階段を下りて行ってしまう。私はそれを追いかけることすら出来なかった。夫であるブースターがそれを許さないかのように私の目の前に居る。多分追おうとしたところで止められるに違いない。
 私は渋々、トウヤの部屋へと向かう。たった1メートル位の距離なのに、今の私にはそれが長く感じられた。それはきっと目の前にあの少年がいるからだろうと思う。
「ほら、おいで」
 トウヤがそう言って手招きをしてくるけれども、私にとっては正直鬱陶しいだけだった。彼の隣を通り過ぎて、部屋に入ると隅の方でまるくなった。目の端に、私の行動に首を傾げているトウヤとブラッキーが見えたが、目を閉じてシャットアウトする。……それでもやっぱり声は聞こえてきてしまうわけで。
「何でそんなにトウヤを避けてんの? というか、リョウまで避けてる感じするけど……?」
 近づいてきていきなり話しかけてくるブラッキーに何だか言いしれない親近感を覚えつつも、内心驚く。トウヤを避けてることはさっきのことから分かるかもしれないけれど、リョウも避けていることに気付いているとは思ってなかった。
「……主以外の人が苦手なだけ」
 私はそうぶっきらぼうに答えた。不服そうにしながらもブラッキーはトウヤの方に向かって行ったけど、視線を微かに感じる。多分、警戒してるのかもしれない。私が彼の指を咬んだから……。
 ふと目の前から足音が聞こえた。それは紛れもなくトウヤの足音で、こちらに段々と近づいてくる。
(二回も私に指や手首を咬まれているのに近付いて来るの……?)
 嫌なのに。近付かれるだけでも頭が痛くなるのに。こうなったら分からせるしかない。言葉で伝わらないなら、態度で示してやる……!
 私は頭の葉に意識を込める。ただの威嚇だから、そこまで威力は高くしない。でも、その代わり……。
 そのまま頭を振って回転をつけると、辺りに無数の葉を四散させた。


-3- 


 私が四散させた葉。つまり葉っぱカッターは、トウヤには当たらなかった。ブラッキーが『まもる』を咄嗟に使い、彼を庇ったんだ。そして私は気付いた。何をしてるんだろうと。
「あんた! 何をしたか分かってんの!?」
 何をしたのかは分かってる、分かってるけど……。でも、よく分からない。何故あんなことをしたのか私にさえもよく分からない。ブースターでさえも非難の眼差しを私に向けてきていた。……もう分からない。
 何でこんなにも私は周りに嫌われるような行動しかできないの? どうして同じ過ちを繰り返してるんだろう……。
「あ! ちょっと待ちなさいよ!」
 気付けば私はブラッキーの制止も聞かず、部屋を飛び出していた。あんな状態の部屋の中に居られるほど、私は丈夫じゃない。そんな状況を作り出したのは私自身。それでも無理だった。非難の眼差しを向けられてじっとしていられなかった。……もう正直何がなんだか分からない。逃げ出したい。主に会いたい……。

 ――気付いたら私は庭にいた。ここに来るときに見えた果樹園に。空いていた勝手口から私は出てしまったらしい。
 頭上には少し低めの木にオレンのみがなっている。他にもモモン、カゴ、チーゴなど一般的で、必要そうなきのみが揃っていた。森に生えている天然の物よりかはやや小さいけれど、食べられるくらいの大きさにはなっていた。……いくつか摘んだってかまわないよね。
「あんた。ここの家のポケモン?」
「……っ!」
 きのみを少しだけ頂戴しようかと、前足を伸ばした途端に横から聞こえた声に驚いてしまう。声を掛けてきたのは黒い横縞に灰色の毛並みを持っているポケモン。明らかに体を強ばらせている私を見て、そいつは鼻で笑ってきた。
「その警戒心の無さ。人のポケモン?」
「そうだけど。でも私はここのポケモンじゃない」
 意外な返答だったのか、そのグラエナは怪訝そうな表情を浮かべる。そういえば何故このグラエナはここにいるのだろう。ここは家の庭で、勝手に出入りは出来るかもしれないけれど野生のポケモンは普通警戒をして出入りはしないはず。
「そういうあなたは野生のポケモン?」
「そうだけど」
 確かに強気で、物怖じしないで率直に答えるところがいかにも野生っぽい気がする。そのグラエナは私からそっぼを向くと、きのみを取り始めた。
「ちょっと、何してるの」
「何って。見れば分かるでしょ」
 グラエナは私の視線を気にせずにきのみを貪り始める。この家の人たちは嫌いだけど、そんな光景を見せつけられたらさすがの私でも耐えられない。
「勝手にきのみを取るなってことよ!」
 気付けば私はそう叫んでいた。多分、目の前の勝手気ままな行動に怒ったんじゃなく、さっきまでの憤りを全てぶつけたんだと思う。
 グラエナは枝ごと千切ったきのみを下に置くと、目を細めた。
「それはあんたも同じでしょ? さっき取ろうとした奴に言われたくないね」
 きっぱりと言われてしまった。あっさりと言葉が翻されてしまった。どうしようもなく苛つくけれど、事実を突きつけられてしまった以上、私に言い返す術はない。
 再びきのみを貪っているグラエナを前にして私は自尊心を砕かれた気がした。もしかしたら私の自尊心なんて張りぼてで、砕くと言うより軽く押し倒されただけなのかもしれない。
「食べないの? さっきは食べようとして前足伸ばしてたのにさ」
 何も言い返せないでいる私に、グラエナはさらに『おいうち』をするかのようにそう言ってくる。口元をニヤけさせているあの表情を見ると無性に苛々が募っていくのが分かった。
 それでもやっぱり言い返すことが出来なかった。私がきのみを食べようとしていたのは事実だし、それと同じ行為をしているグラエナを咎める権利は、私にはない。
 
「……それ持ってどこへ行くの?」
 きのみを一つも食べないで、口にくわえてどこかへ駆け出そうとしていたグラエナを呼び止める。グラエナはこちらに赤い目を軽く向けてから、森の方に視線を戻して言った。
「最近森にカビゴンがやってきてね。きのみがほとんどなくなってんのさ」
 グラエナはそう言うと眉間にしわを寄せて怒りを滲ませるように唸りながらさらに言った。
「こんなことになったのも、森を私欲のために利用する人間の所為。カビゴンは元々他の森に住んでいたはずだったんだ」
 その話を聞いて確かに私欲のために森を侵している人間は醜いとは思う。でも、それに当てはまらない人間がいるのも私は知っているから、人間全てが醜いというわけではないことを理解していた。
「……でも人にも色々な人がいる」
「それは分かってるさ。この家の人間も、あんたのトレーナーもね。でも、いざそんな行為を目の当たりにすると、そんな風にも考えてられないんだよ」
 一度息を抜くようにため息をついてからグラエナはそう言った。
 私も一度あんなことを経験しているからこそまだ主以外の人を警戒しているのかもしれない。でも、どう解決したらいいか分からない……。グラエナもそんな思いを抱えているのかもしれない。
「あたしはもう行くよ。腹を空かして待ってる森のポケモン達がまだ大勢いるから」
 そう言ってグラエナは再び踵を返して森の方へ向かおうとする。私は何故かその背中に言葉をかけていた。
「気を付けて……」
「……ありがとう」
 一瞬だけ驚いた表情を見せたグラエナだったけど、すぐに笑みを返してくる。そして四肢を力強く躍動させてグラエナは森の中に消えていった。


「あ、いたいた……」
 突然背後からかかる声。後ろへ振り向くと、そこには主……いや違う、リョウの姿があった。まだ主は帰ってこないのだろうか。帰ってきていないのなら、ここに居たい。
「何見てるんだ?」
 そう声を掛けながら彼はこちらに近付いてくる。あまりきて欲しくはないのだけれど、彼はトウヤのようにずかずかと間近にはこない。多分ある程度の距離をとって止まると思う。
 と、思ったけれどどうやらちょっと予想とは違うみたいだった。彼は1メートルくらいの距離を置いて、隣に座り込んできたのだ。突然の行動に驚いたけど、それ以外は何もしてこないとわかり、すぐに森の方に目をそらす。

「……」
 ――無言の状態がかれこれ2分続いていた。聞こえるのは風が目の前の木を揺らす音と、時々通るムクバード達の鳴き声くらい。それ以外は全くの無音。リョウは全く話しかけてこないし、私が彼に何かを言ったところで伝わらないと思う。
 思えば、リョウは私の主に似ていても、何だか性格は真逆に感じる。同じ血が通っていると分かるのは外見だけ。でもこうやって隣にいると、なぜだか主の隣にいるような錯覚を受ける。似ているのもあるかもしれない。でもそれとは違う感じがする。それが分からないのがもどかしい……。
「なぁ、何で見る人来る人警戒するんだ……?」
 無言を先に破ったのは彼の方だった。でも私が沈黙を破るのもおかしい気がするけれど。
 見知らぬものを警戒するのは生き物として極当たり前のことだし、一度人間から酷い仕打ちを受けていた私にとっては、人間は警戒の対象でしかない。主も最初は警戒していたけれど、最初に出会った“良い人間”だから私は警戒をしなくなった。
 それなのに主以外の人間はなぜか警戒を解くことも、薄めることも出来ない。隣にいるリョウにさえ、まだ警戒してる。いい加減にこれを無くしたいとは思いながらも、体が勝手に拒否反応を示してしまう。
 つまるところ、私にもよく分からない。だからどうしようもないのだ。もう半分諦めかけてるし、主以外の人間とは接する機会がなくてもよいと片付けている私もいた。
 でもそれでは今回のように人を傷つけかねない。今回はブラッキーがトウヤを守ってくれたから良かったものの、今度やってしまったら本当に主にも見捨てられそうな気がしてならない。しかしどうしようもない限りどうしたらいいか分からない。
 ……こうやって考えても、結局は堂々巡りになってしまう。いつもそう。何も分からないまま、何も解決しないまま、事を終わらせてしまう……。
「リョウさん……? それに、リーフィア?」
 突然聞こえた主の声。いきなり掛けられた声に驚いて、思わずリョウと顔を見合わせてしまう。すぐに街の方面にある道を見てみると、そこには確かに主の姿が。私はいてもたってもいられず、そこから駆け出していた。
「わわっ! ちょっと今荷物で手がっ……!」
 飛んでくる私の姿を見て主が慌てふためく。飛びかかるようにして来た私を、主は荷物を地面に置いて抱えてくれた。そこまで時間は経っていないはずなのに、私には主の匂いがしばらくぶりに感じられた。
 しっかりとその匂いを満喫していると、不意にリョウに掛けられた声で主は私を地面にそっと下ろす。
「ああ、そうだ……ヒイラギさん。ちょっと荷物を置いて落ち着いたところで話があります……」
 私はリョウの真剣な面もちに、何となく嫌な予感がした。多分、その予感は確実なもの。でも、聞きたくない……出来れば主に知られたくない。
「あの……リーフィアのことで」
 私の嫌な予感は見事に当たってしまった。




-4- 


「リーフィアのこと? なにか、あったんですか?」
 リョウが主に大体何を言うのかは、見当がついた。彼としては、絶対に伝えなければならないことなのかもしれない。でも、それに対して私はそれが主にバレないことばかりを祈っていた。それは私の身勝手な願いだって分かってはいたのだけれども、いざそれが現実となってしまうと顔を俯かせるしか、私には出来なかった。
「実は……」
 その一言から彼の、リョウの話は始まった。ああ、もう主には顔向けできないかもしれない。今回が初めてではないのだから、どんな顔をされるか考えただけで背筋が凍るように冷たくなってくる。
 そんな状態の私を置き去りにして、主に淡々と事を話していく。主はと言えば、聞いている最中は私には目もくれず、ただ首を頷かせて静かに聞いていた。やがて話がある程度終わったのか、リョウは口を紡いだ。主はそれを聞き終わると、深いため息をひとつついた。
「でも、トウヤには怪我とか無いので……」
「いや、違うんだ。トレーナーとして不甲斐ないなと思って……」
 リョウはフォローするかのようにそう付け加えたが、主は暗い表情のままそう言った。違う。悪いのは私なんだ。主じゃない。……そう言いたいのだけれど、私の言葉が彼に伝わるわけもなく。
「リョウ、何してんの。って、あれ?」
 不意に聞こえた声に身を強張らせる。声のした方に首を向けるとそこにはリョウの母が立っていた。主はその人を目の前にして、しばらく固まっていた。たぶん、私のことを話そうとしているのかもしれない。主は決心したように口を開くと、それをその人は止める。
「ここで話すのもなんだから、家の中に来て」
 その言葉を聞いて、何だが主の表情が曇ったような気がした。


  ――リビングに着くと、まず初めに嫌なほど罪悪感を感じさせられる。次には神妙な面持ちでトウヤの隣に座っている私の夫、ブースター。とどめと言わんばかりに、ブラッキーの鋭い視線が突き刺さる。元はといえば私自身がまいた種。それでも、この状況はあまりにも私にとっては辛いもの。
「それ以上トウヤに近付かないで!」
 リビングに入ってまだ数歩しか、しかも彼の居るほうには近付いてなんかいないのに、ブラッキーにそう罵声を浴びせられる。助けを求めるようにブースターの方に視線を向けるものの、彼はそのまま俯いてしまった。彼にさえ見捨てられた私はどうすればいい。私は、その場で微動だにしなかった。いや、出来なかった。
「こら、ブラッキー」
 さきほど庭に姿を現したリョウの母親は、ブラッキーにそう一声上げると、彼女は納得いかない顔をしながらもこちらを眼つけるのを止めた。それでも、激しい憎悪が、こちらに伝わってくる。
 もう、私は今ここでどうすればいいのか分からなかった。ただ立ち尽くして主が私をどうするか決めるのを待つだけだった。
 不安に罪悪感、自己嫌悪、脱力感。それが一斉に襲ってきて、もうどうにも出来なかった。私がどれだけ心の弱い生き物かを改めて思い知ったような気がした。
 ずっと俯いたままだったからか、いつの間にかブラッキーもブースターもいなくなってしまった。今ここにいるのは、主と、リョウ、そして彼の母親だった。私が噛んでしまったあの少年も、今はここにいないみたいだった。それでも、未だに胸に残り続けているこの妙なしこりは何なんだろう。その上にくる虚無感は何なんだろう。
 挙句の果てには、もしかしたら私は本当に主に捨てられてしまうかもしれない……と、そんなことまで考え始めた。
 思えば主に出会ってから、彼には迷惑ばかりをかけていた気がする。


 ――最初に出会ったときもそう。私は前のトレーナーに散々な扱いを受けて、そして使えないからと河川に架かる橋の下に捨てられた。勝手に捕まえて、勝手に育てて、勝手に捨てる。今思い出しても腹が立つし、恐く感じる。
 そのときの私はトレーナーには絶対服従だと思っていたから、そのトレーナーには逆らうことなんて出来なかった。逆らえば食事は無いし、他の雄のポケモンから……。とにかく散々な目に遭っていた私には、人間は恐怖の対象でしかなかった。
 橋の下にいて雨や風は防げても、空腹だけは防ぐことは出来なかった。どんどんと衰弱していく私を拾ってくれたのは、他でもない今の主だった。でも、そのときの私は必死に彼の腕を引っ掻いたり、噛み付いたり。今考えると凄く暴れていた気がする。それでも彼は私を抱えてポケモンセンターまで運んだ。
 ポケモンセンターに着いても、私は抵抗するのをやめなかった。エントランスにいる大勢の人がこちらを見ていたけれど、そのときの私の頭の中には人間から逃げることしかなかった。彼の顔なんて見る暇さえもなかったかもしれない。この時にもきっと彼に迷惑をかけていたんだろうと、今更ながら思う。
 変な機械にかけられたり、何かの注射を打たれたり。病室の中で行なわれること一つ一つが恐怖の対象でしかなかった。それもいずれは終わり、私は彼の腕の中へと再び手渡された。その時はもう既に暴れるのに疲れていて、どうにでもなれと諦めきっていた。

 それからは主が以前のトレーナーとは違うことを理解し始め、私が彼に爪を立てたり、牙を向けたりすることは止めた。それでもやっぱり、人間に対する恐怖心は拭いきれてなかったのかもしれない。その出来事が起きたのは、主の知り合いの家に訪れたときだった。
 その知り合いは、私を見るなりいきなり近づいてきて、抱き上げようとした。主の忠告も聞かずに、「大丈夫、大丈夫」と私の体を持ち上げたのだ。人間そのものに恐怖心を持っている私からすればそれは拒絶するのには十分すぎた。私はその知り合いに向かって、アイアンテールをブツけてしまった。まさか攻撃されるとは思っていなかったその人は、技をもろに受けて病院へと運ばれるハメになった。肋骨が一部骨折していて、全治一ヶ月と診断され、責任は自分にあると、主がすべての治療費を受け持った。
 そんな重荷を背負ってもなお、主は私に笑みを見せた。彼の知り合いに攻撃したことよりも、私は主が無理して私に笑みを向けてくることが苦痛だった。

 どうして怒らないの?
 どうして叱らないの?
 どうして殴らないの?

 伝えられもしない言葉で何度も主にそう訴えた。それでも、主から帰ってくるのは、笑みだけだった。
 ……でも、今は違う。主はトウヤの母親を目の前にして、眉間に皺を寄せている。『今度こそは主に捨てられるかもしれない』と、そう思ったのはこれが原因だった。私が何か問題を起こしても、主は今まで私にずっと笑みを返してきた。それをしないということは、もう私の掛ける迷惑に耐え切れ無くなったのかもしれない。


 不意に、主はこちらに視線を向けてきた。そして眉間に皺を寄せたまま、ぎこちない表情で、「おいで」と一言。私は力なく主のもとへと歩いていくと、彼はそっと私を抱きかかえた。いつの間にか話は終わっていたらしく、トウヤも、リョウの姿も見当たらない。トウヤの母親でさえも、キッチンの方へと向かっていってしまった。私たちも借りた部屋へと向かう。そして、リビングは誰もいない静寂の場と化した。





 借りた部屋の中で、私と主は無言のままだった。私はポケモン。主は人……。勿論話せるはずもない。それでも私は、無言で荷物の整理をし続ける主に話しかけた。彼には、ただの鳴き声にしか聞こえなかったかもしれない。でも、彼が私の方を向いてくれればそれで良かった。……そんな甘い幻想は更に私を落ち込ませるだけだった。
 主は少しだけこちらを見ると、リュックを背負って画材を手に持つ。きっと何処かへ絵を描きに行くのだろう。私もついていこうとすると、首を横に振って言った。
「今日は、一人だけで描きたいんだ。リーフィア、君は此処に残ってくれないかな」
 ただここに残るだけなのに、すごく不安を感じた。まるで彼が私を捨てることが現実になったかのようにも錯覚する。彼以外の周りの壁紙や床がぐるぐると回るような気持ちの悪い感覚がする。そして、私の返事を待たずに、彼はドアを閉めて行ってしまった。とうとう一匹しか居なくなった部屋の中で、私はぽつり、佇んでいた。
 とうとう私は一人になってしまった。ブースターもきっと上の部屋に居る。でも多分降りてくることはないと思う。リビングから彼が出て行く時、私のことを憐れむような目で見ていた。これがもしも彼の本心であったなら、きっと彼はここにはこない。……いや、“もしも”や“きっと”すら当てはまらないかもしれない。
「どうして……?」
 そう自然に言葉は零れ出していた。目の前の視界が歪んでくる。額がすごく熱い……。
「どうしてみんな……」
 ポタリと、フローリングの床に何かが落ちる。それが自分の涙だとわかるまで、時間は掛からなかった。
「どうしてみんな……傷つけちゃうんだろう……」
 慣れようと努力をしたつもりだった。でも、過去の思い出が邪魔をして、そして拒絶してしまう。半分、もう諦めかけてる。この人嫌いはどうにもならないんだ、って。どんなに頑張って感情を抑えたって、結局はそれが爆発して更に傷つけるだけなんだ、って。
 気づいたら流れる涙の量が増えていて、息が絶え絶えになってた。何で泣いてるんだろう……。

 孤独だから?
 自分が嫌になったから?

 よくは分からない。でも、どんなに堪えようとしても、更に涙はこぼれ落ちる。このまま部屋が洪水にでもなるんじゃないかとも思えた。
「……?」
 ふと、ガチャリという音がする。止まらない啜り泣きを堪えながら、後ろにゆっくりと振り返った。そこには……。




-5- 




 ドアの開く音。私の後ろには誰かが立っていた。廊下の天窓から差し込む逆光で何だかよく見えない。だんだんとこちらに近付いて来る人影。私の主じゃないことは分かる。けれども、その無警戒な足取りには覚えがあった。やがてその人間は部屋に入ってきてドアをパタンと閉めた。逆光が無くなって、その姿が露わになる。
 それは私があの時、技をかけてしまった……トウヤだった。
「なんで……」
 私はまだ泣き止んでいない震えた声でそう呟いた。それと同時に、私の足はゆっくりと後退を始めていた。
「なんで……また……」
 足ががくがくと震えだす。トウヤが恐いんじゃない。人間が恐い。でもトウヤは前の主みたいに悪い人間じゃない。それは分かり切っていたことだった。それでもまだ体が拒んでる。このままだと、私は今度こそトウヤを傷付けてしまうかもしれない。私は、ただ威嚇した。恐いからじゃない。彼を、守るためだった。いや違う……もう主に嫌われたくないからだった。
「来ないでよ! 私は……私は!」
 後退してもなお近付いて来るトウヤに、私は威嚇をし続ける。
 彼は私が威嚇していても、何も思わないんだろうか。私がこんなにも嫌がっているのに、それを意にも介さないように近づいてくるのはなんで?
 何で私だけがこんな辛い思いをしなきゃいけないんだろう。私はこんなにも苦しんでいるのに。もう、嫌な事は沢山味わったのに。

 ……平穏を壊すのは誰? 目の前からやって来る人間? なら、主と私を引き裂いたのは誰? 目の前の……?

 私は床に脚を張り、頭の葉に力を込め、トウヤに向けて狙いを定める。今度は絶対に外さないように。
 そう、そうだ。私には主さえ傍に居てくれればいい。他の人間なんていらない。いらないから近づかないで。もう放っておいて!

「何で泣いてるの……?」
 ふと、彼が立ち止まって発した言葉。
 そんなこと、分かりきってるじゃない。近付いて来るあんたが……私から主を遠ざけた……から?
 あれ……なんで……私は……泣いてるんだろう……。なんで……?

 人間に近付かれるのが恐いから……? 違う。そんなんじゃない。
 主に嫌われてしまうから……? それなら私が今しようとしてることは何なんだろう。

 彼はゆっくりと、その場でしゃがみ込む。いつの間にか私とトウヤの距離は近くなっていた。それに気付いて、体が震えた。それでも、主に嫌われたくない一心で耐えた。もう同じことを繰り返しちゃいけない。でも、今度は別の震えが来てしまう。瞼が熱くなって、息が上手く吸えなくなってくる。

 彼はまたそっと、私に向かって言った。
「泣きたいなら、泣いていいよ」
 その言葉が耳にすっと入り込んできた時、私は思わず堪えていたはずの感情を流してしまっていた。
 何で涙を流しているのか。その理由さえも知らないけれど。私はただ泣いた。主以外の人には、決して見せなかった泣き顔を、彼の前で見せることなんて考える余裕も無く。
 今の私の姿は、トウヤにはどう映っているんだろう……。









 私をリーフィアに進化させた前のトレーナーは、元々はあんな酷い人じゃなかった。

 優しくて、温和で、頼りになる人。本当にトレーナーとしての鏡のような人で、多少負けたところで挫けずに逆に私たちを励ましてくれた。
 一緒に旅をしてきた仲間もいた。エーフィはいつも姉のように私を心配してくれたし、ブラッキーはそっけないけども同じように私を助けたりしてくれたことがあった。ヘルガーやマニューラと共に戦ったこともあった。まだ戦いなれてない私を、二人はフォローしてくれた。

 数々のジムを渡り歩いて手にしてきたバッジの輝きは今でも覚えてる。私自身、あまり貢献なんかしていないのに「お前のおかげだ」なんて言ってくれたり。たまに少し高めのポケモンフーズをみんなに振舞ってくれたり。


 ……そんな楽しい日々は、いつ終わりを告げたんだろう。思えば、あのトレーナーと戦ったその日からかもしれない。
 完敗だった。私たちでは全く歯が立たない、レベルが違いすぎるトレーナーだった。こっちはみんな戦えないほどに疲弊をしたのに、相手のポケモンは残り6体。しかも私たち5匹全員と戦った先頭のポケモンは傷一つ付いていない。こっちも、バッジを7個集めたほど力はあった。それでも敵わない相手がいることに、私たちは驚きを隠せなかった。

 そして、私たちのトレーナーは戦いが終わった後の握手をしようと歩み寄った。でも、その手は叩き落とされて。

「お前のポケモン、弱すぎて話にならないな」

 そう言われた。その一言に、彼はただ傷ついた。でも、私たちは彼がきっとこんなことで絶対にへこたれないと思ってた。信じてた。
 ……現実はそうじゃなかった。彼はここまでの負け方をしたことが無かった。それが余計に彼を落ち込ませた。



 それからだった。悪夢みたいな日々に変わったのは。

 私を進化させるためにハクタイの森に出向いて、仲間のヘルガーやマニューラと戦わされた。

「強くなるんだ。お前がこの中で、一番役立たずなんだから」

 そんな言葉も吐かれた。嫌というほど戦わされて、嫌というほど罵倒を浴びせられて。
 私は進化した。望んでもいないリーフィアに。

 その後も私を強化させるための毎日の繰り返しだった。頑張っても。いくら頑張っても。彼の口から出てくるのは怒鳴り声だけ。
 耳を塞ぎたくなった。逃げ出したくなった。仲間も、助けてくれない。きっと、同じようになるのが恐いから。

 いつになったら元の主に戻ってくれるの?

 伝わらない言葉でそう訴えたこともあった。でも、彼の耳には届かなかった。
 私が足を壊しても、体中の葉が切れ切れになっても。彼は、元には戻らなかった。

 いつまでも強くならない私に痺れを切らした彼は、ついに私を捨てた。
 ある街の、ある河川の、ある橋の下に。

「君は弱いね……さよなら、リーフィア」

 今でもこの言葉が、時々頭の中を揺さぶる。頭の中をたたいて私を苦しめる。

 それでも、今は今の主がいる。ヒイラギという新しいトレーナーが。

 それでもやっぱり、心のどこかで恐がってたのかもしれない。私が弱くて、迷惑をかけるから、また捨てられるんじゃないかって。
 だから、彼の親友を傷つけて迷惑をかけたときも、トウヤに、技を使ってしまったときも。凄く恐かった。また怒鳴られるんじゃないかって。またいきなり性格が変わってしまうんじゃないかって。そればかり恐れてた。

 人間は信用ならない。そんな思い、もう頭のどこかで否定していた。
 どうしても恐かった。最初は優しくても、いつかは睨まれる。そんな昔のことが記憶にこびり付いていた。




 でも、それじゃいけない。もう私は、前に踏み出さなきゃいけない。
 このままでは本当に自分の所為で、私と同じように誰かが傷つく。
 いつの間にか、被害者のふりをした加害者になっていたこの私が変わらないといけない。


 だから……。









 私はトウヤの方を見る。涙や体の震えはいつの間にか止まっていた。……今なら、近付けるかもしれない。そんな気がした。
 ゆっくりと、彼の方に歩みを進めてみる。一歩一歩、確実に近付いていく。彼は私が近付いてくるのを見て手をすっと差し出した。
「…………」
 トウヤとの距離はもうほんの僅か。あと少しで彼の掌に届きそうな距離。私は一度深呼吸をして、片方の前足をトウヤの掌に……乗せた。
「改めてよろしくね、リーフィア」
 彼は私の前足をそのまま手で包み込むと、軽く上下に振って握手をする。
 全く震えがこない。恐さも感じない。私はしばらくその場できょとんとしていた。
「どうしたの?」
 トウヤの声でふと我に返る。彼は私の前足を離すと、怪訝そうな表情を浮かべて私にそう問いかけてきた。
 そう、私は主以外の人に……触れられた。今更になって嬉しさがこみ上げてくる。思わず飛び跳ねそうになったけど、何とかこらえた。
 代わりに、彼の問いに一鳴きをして返した。




-6- 




 私は今まで自分だけが被害者だと思ってた。無意識のうちに自分自身が可哀想だと思って生きてた。
 でも、本当は違ったんだ。被害者なのは私だけじゃない。前の主も被害者だったんだ。

 強いトレーナーに負けて、暴言を吐かれた時。
 あの時私は、主が落ち込まないと信じて疑わなかった。
 ジム戦で負けたときと同じように笑って「また今度頑張ろう」って言ってくれる……。
 そう思ってた。でも、気付くべきだったんだ。
 主は万能なんかじゃない。傷付くときもあるんだってこと。

 あの時、一緒に歩んできた私たちが声をかけるべきだった。
「また頑張ろうよ」
「あんな奴の言う事なんか真に受けんな」
「次がきっとあるさ」
「特訓、するか?」
 ありふれた言葉でいい。それぞれの言葉でいい。主の痛みを、みんなで分け合うべきだったんだ。
 そうすれば、主はきっとあんなことにはならなかった。そんな気がする。

 今更気付いたって遅いのかもしれない。
 けど気付かなかったら、私は一生『可哀想な自分』のままで生きていくことになるかもしれなかった。
 悲劇のヒロインを演じて、酔いしれて。そして誰かを知らず知らずのうちに傷つけて。その事にさえ気付かずに……。


 私は、トウヤに出会えて良かったのかもしれない。
 彼は、私の残った殻を全て剥してくれた。私のちっぽけな自尊心と一緒に。
 今の主……ううん。ヒイラギさんには悪いかもしれないけど、トウヤには、ヒイラギさんに無いような物を持っている。そんな感じがする。

 多分、本人に深い意図はなかったのかもしれない。ただ、私が彼に心を許すのを待っていただけなのかもしれない。
 それでも、そんな熱心な彼の行動が、私に気付かせてくれた。
 言葉が人に伝わるものならば。彼にありがとうって言いたい。









 ――少しだけ。ほんの少しの間だけだけど、私とトウヤは握手をした。彼はその手をやがてゆっくりと離すと、何かを思い出したように立ち上がる。そして私に屈託のない笑みを浮かべた。
「ちょっと待っててね! 上からブースター達呼んでくる!」
 そう言い残して、トウヤはそのまま部屋を出て行ってしまった。呆気に取られていた私はその場で座り込んだ。多分早速ブラッキーやブースターに教えようってこと何だと思う。ブースターには私が人間嫌いを克服したところ見てほしいんだけど、正直ブラッキーが来るのは微妙な心境でしかない。

 私がトウヤに技をかけたとき、ブラッキーは私に対してかなり威嚇していた。トウヤに対して絶大な信頼を置いていたのに、私は彼を傷つけようとした。だとすると、彼女はそう簡単に私のことを許してはくれないかもしれない。彼女にかける言葉が見つからない。彼女にいう言葉が見つからない。なんて謝ればいいんだろう……。
「お待たせ!」
 謝罪の言葉をあれこれと考えているうちに、トウヤが二匹を連れて戻ってきてしまう。ブースターはトウヤの横をするりと抜けてこちらにすたすたと歩いてきたけれど、ブラッキーの視線が刺すように痛い。決して睨んではいないのだけれど、彼女の視線は明らかに疑いを含んでいた。
「ブースター。ちょっといい?」
 私に頬擦りをしてくる彼をちょっとだけ退けると、私はブラッキーの元へと歩いていった。
「な、何よ……」
 ブラッキーは口を尖らせながらそう言う。……やっぱりあの時のことまだ怒ってる。
 私は一呼吸置いて気持ちを落ち着かせると、私は彼女の前で頭を垂れた。
「……ごめんなさい」
 私が出来るのはコレくらい。むしろ他に言葉が見当たらないのなら、無理に繕わなくたっていい。謝罪は何も言葉だけじゃない。ブースターが私に告白をしたのと同じように、行動で示せばいい。言葉だけが気持ちを伝える手段ではないことを、私は分かっていた。だからこそ、出来る限りの言葉と、行動だけでいい。他の余分なものなんて、何にもいらない。

 ブラッキーは頭を下げた私を見てどう思ったのかなんて、彼女自身にしか分からない。
 ただ私は、彼女の反応を待った。微かに、ため息をつく声が聞こえた。
「トウヤが気にしてないんだから、もうあたしが怒る意味なんてないでしょ。顔、上げていいよ」
 ちょっとだけ恥ずかしさを含んだような彼女の言葉に、私はゆっくりと顔を上げた。ブラッキーの顔は何故かそっぽを向いていて。私はなんで恥ずかしそうにしてるのか良く分からなくて首を傾げたけれど、やっぱり彼女はそっぽを向いたままだった。
「あれ、どうしたの?」
 そんな様子を見かねたのか、彼がこちらを覗き込みながらそう問いかけてくる。
 て、ちょっと、トウヤ顔近いって。ブラッキーも別の意味で睨んできてるし確実に反感買ってるし……。
 今度は恐怖とかトラウマとかそういうのじゃなくて、二次被害を最小限に食い止めるためにトウヤから二、三歩下がる。それを更に疑問に思って彼はまた近付いてくる。
「ちょっと……あのさあ!」
 ブラッキーは私とトウヤの間に割って入る。トウヤは訳が分からないみたいで、ただ首を傾げるばかり。言葉が伝わらないのは結構不便だったりする。私たちは人の言葉は分かるけど、人には私たちの言葉は伝わらない。そのもどかしさはブースターが一番分かっていると思う。
「あっ! ヒイラギさんが帰ってきた!」
 突然トウヤが窓の外を見ながらそう声を上げる。薄いレースカーテンの奥に見えたのはキャンパスを持った男性の姿。まさしく私の主、ヒイラギさんの姿だった。
 と、ここで気付いたまでは良かったものの、いきなり私の体が宙に浮く。ブラッキーに睨まれてるんだろうなぁ、と思って隣を見れば同じ境遇のブラッキーがいた。あれ、一緒に持ち上げられてたのか。ブラッキーもいきなり持ち上げられたことに驚いているのか、目を瞬かせている。
「二人が仲直りしたところ、見せるんでしょ?」
 なるほど、だから私たちを一緒に持ち上げたってことなんだ。でも、彼の小さな体で、私たち二匹を持てる力があることに驚いた。……って期待しそうになるんじゃなかった。
 案の定、彼は玄関に向かう足取りはふらふらとおぼつかなくなっていて、私たちを支える腕も小刻みに震えていた。このままだと危ないだろうと思った私は、彼の腕をするりと抜けてフローリングに降り立った。
「ごめん。持てなかった……」
「別に無理して持たなくていいのに」
 謝るトウヤを他所に、ブラッキーはそう言った。トウヤに意味は分からないと思う。多分、彼を独り占めできたことが嬉しいんだろう。彼女の気持ちは何となく分かってるから、そこまで介入するつもりもないけど。トウヤ自身がそれに気付いてない以上はしばらく私は睨まれることになるかもしれない。その時はブースターのところにでも駆け寄ろうかな。って、あそうだ。ブースターのことすっかり忘れてた。
「ブースター? 行くよ?」
 トウヤに起こされたのだろうか。些か眠そうというか不機嫌そうな表情を浮かべてこちらの方にのっそりとした動きで近づいてくる。夫、なのは私も分かっているんだけどね……。あのタマゴが孵ったときにはもうちょっとしゃんとして欲しいけど。
 今のところ夫を信じるしかない。でも、きっと変われるんじゃないかと思う。私が人間嫌いを克服できたように。

 そう思っていた矢先に彼が何もないところで躓いたのを見て、これで大丈夫なんだろうかと思ってしまうのは私が心配性だからかもしれない。



-7- 



 私たちが玄関の前に座って並んでいたのを見て、ヒイラギさんは一瞬だけ驚いたような表情を見せたけれど、その表情はすぐに笑顔にかわってただいまと言ってくれた。絵の方は上手く描けなかったみたいで、スケッチブックは白紙のページが開かれていた。
 もしかすると彼は私たちを慣れさせるためにわざわざこういう状況を作ったんじゃないかと思ったけれども、それは考えすぎかも、と首を横に振った。
 彼は確かに色々と知っていていつも落ち着いてはいるけれど、さすがに私たちがどうなるかは彼であっても予測は出来ないと思うから。
 私は彼の借りた部屋でトウヤとブラッキーがじゃれあっている様子を見ながら、さっきのトウヤとの手を繋いだ瞬間を思い出してた。私はトウヤと散々遊んでちょっと遊び疲れちゃったから休憩中。
 その様子を見てか、ヒイラギさんはそっと私の頭を撫でてくれる。まるでよくやったとでも言ったような感じ……。その優しい心地に私はしばらくしないうちに夢の世界へと旅立った。




「リーフィア……起きて」
 うとうととしているうちにどうやら結構時間が経っていたみたいで、私はヒイラギの声で起こされた。
 まだちょっと寝ぼけ眼で視界が明るくてぼやけてるけど、しばらくもすれば大丈夫だと思う。半ば彼に後押しされるような形で私はすたすたと歩かされる。
「ほら、そろそろご飯だから」
 のそのそと動く私にそう促してくる彼。ブースターみたいに食い意地張ってないからそれ言ったって目はすぐに覚めないよ。
 眠気でふらふらしながらも、何とかリビングの方に着く。後からブースターとトウヤ、ブラッキーも入ってきた。
「あ、ヒイラギ君。……ご飯は出来てるけど、ちょっと協力してほしいことがあるのよ」
「なんでしょうか」
 ヒイラギが入ってきたのを見てなのか、トウヤの母親……えと確か、アヤさんだっけ。彼女がそう話しかけてくる。
 彼はそれに頷いて奥のほうに話を聞きに行ったみたいだけど、私たちはここで待つことにした。
 テーブルの足元で私が座って待っていると、落ち着きのなかったブースターはやがて私の隣に座り込んだ。
 ブラッキーもトウヤが奥のほうに行ってしまったからなのか、奥のほうに一緒に向かってしまった。私たちが行っても多分ちょっとお邪魔になると思うから、ここにいることにした。




「リョウの誕生日だから、みんなでお祝いするんだってさ」
 しばらくして、ブラッキーがそう言いながら私たちの方に歩いてくる。
 リョウの誕生日……。
 そういえばあの人は私に対して少し距離を置いていた感があったけれど、それは私がヒイラギ以外を避けていたからあの人も私から距離を置いていたのかな。
 それは分からないけれども、彼が来てみないとそれはよく分からない。
 今ならトウヤのおかげでリョウにも接することが出来そうな気がするから、もう一度彼に会ってみたいのだけれど、まだリビングの方にも降りてきてないから接しようがないし……。
「具体的には何をするの?」
 私がブラッキーにそう問いかけてみたけれど、彼女は首を傾げて「さあ?」とだけ。私たちがすることはないのかもしれない。
 出来たとしてもドアの前で出迎えることくらいかも。それ以外は手伝えることもないし。
「そういえばさ。あんたはリョウのことどんな風に思ってんの?」
「え?」
「いや、ちょっと気になっただけ」
 ブラッキーが尋ねてきたこと。それはさっき私が考えていたことそれ自体だった。だけどまさかそれを彼女が聞いてくるとは思わなかった。
 だって彼女は見る限りトウヤにべったりな感じがするし、リョウとは何だか仲が悪いとまではいかないけれど、ちょっと距離を置いてる印象だったから。
「ヒイラギに似てる人で……常に落ち着いてる感じ……?」
「へえー……そんな印象なんだ」
 彼女は目を軽く見開いてそんなことをいう。まさか私の印象とはまるっきり正反対とか?
「リョウは結構慌てたり驚いたりとか普通にするわよ。そんなクールな印象しないかと思ってた」
「あれ……意外」
「私からすればあんたの答えが意外だったわよ」
 接してみないと何とも言えない性格なのかもしれない。私がまだここに来てから丸一日も経っていないから、分からないのも当たり前だけど。
 トウヤに接しようとするとブラッキーが睨んでくるから、しばらくはリョウとでも接してみようと思う。
「ま、しばらくそのままのんびりしてていいよ」
 彼女はそういうと、そのままリビングから渡り廊下のところにすたすたと歩いていった。多分リョウを迎えるつもりなんだろう。その役は彼女に任せておくとして、私たちは……。
「……」
 ふとブースターの方を見る。くるりと丸まって寝ている彼を見て、思わずため息がこぼれてしまう。
 彼はいっつものんびり屋なのは私も把握してはいるんだけど、タマゴが出来てからもこんな調子で大丈夫なのか疑ってしまう。
 ……この心配するの何回目なんだろう。


 こと……こと。そんな音を立てながらテーブルの上に今日の夕飯が乗せられていく。匂いをかいで見ると何だかすっぱい匂いがした。何だろうこれ。
「これ酢飯って言ってね。ちょっと甘酸っぱい感じだから、リーフィアも気に入るんじゃないかな」
 私が匂いをかいでいるのを見ていたのか、ヒイラギが手にお皿を持ってテーブルに並べながら説明をしてくれる。
 気に入ると思う……ってことは私たちもこれを食べていいってことらしい。いつもポフィンやポケモンフードだったから、たまにはこういうのを食べてみたい。
 私は彼に楽しみにしているように軽く鳴くと、彼は笑みを見せて再び準備の手伝いに取り掛かっていた。
 あとはリョウを待つだけ。彼が今夜の主役だから、彼が来ないときっと夕食は食べられないだろうと思う。彼には悪いけれどなるべく早く来てほしい。
「あ、ブースター……」
 匂いに気付いたのか、いつの間にかブースターも起き出してきていた。
 ブースターも一応何が行われるのかは把握しているらしく、テーブルの上にあるご飯を見てはいるけれど手を出そうとはしてない。
 後でみんなで食べるものに手を出してしまったら本当に食い意地が張っているのかもしれないけれど。
 もしかして私のポフィンを狙っていたのは食い意地が張っていたんじゃなくて、ただのからかいで……?
 正直あの夜を過ごした後は普通に自分の分を黙々と食べていたし、それ以降やたらと私の近くにべったりではなくなった気がする。

 そう思うと何だか今更だけれど、彼がどれだけ私を意識していたのか分かったような気がする。
 ブラッキーを見てるとそれがよく分かる。自分の好きな人だからこそ、振り向いてほしいんだなって。
 ブースターがちょっかい出してきたのも、それがあるんじゃないかって。
 そう思うと、何だか彼を信じてみよう。そんな気分になってくる。
「ねえ……ブースター」
 こうやって彼に話しかけるのも随分と久しぶりな気がした。といってもほんの数日前にはこうやって話したこともあるけれど。
 今日は何かとバタバタと忙しくて、ブースターとゆっくり話せる時間が取れなかったからそう感じてしまうのかもしれない。

 彼は私の問いかけに眠そうな顔をゆっくりとこちらに向ける。眠そうなら眠そうで私にとっては好都合だった。
 私はゆっくりと彼の顔に自身の顔を近づけていく。そして、そっと、彼の口と私の口を重ね合わせた。
 いきなりの接吻に驚いた彼は、眠気が吹き飛んだようで。目をぱっちりと開けてしばらく私を見据えていた。キスくらいならたまにはしてもいいよね。
「ブースター。一応言っておきたいことがあって」
 そっと口を離して言った私の言葉に、彼はしばらく目を瞬かせていたけれど、やがてまっすぐに私を見据えて言葉を待ってくれた。
 私はそっと息を吸うと、あの時ブースターから貰った言霊を頭の中で思い出していた。
「ブースターのこと。……大好きだからね」
 そういった後、自然と私は笑みをこぼしていた。
 前はブースターからのキスでの告白だったけど、今度は私からの告白。
 その告白に、ブースターは顔を赤くしながらもちょっとだけ顔を逸らすように横に向けて、明らかに恥ずかしがっていた。
 そんな彼の様子を見たもんだから、更に私はくすり、と笑ってしまう。
 彼も声は出せないものの、屈託のない笑みを見せて私に返してくれた。

 私の夫だから。これからは彼を信じてみる。
 そう、心の中で決めた。



...END


お名前:
  • >勇さん
    過去に対してのことはこれで終わりなので、ひとつの区切り目として完結という形にさせていただきました。
    見た目では判断出来ないです。大切なのは中身ですね。ええ。
    ブラッキーの焼きもちはトウヤが振り向いてくれるまで続くと思います。
    しかもトウヤ自身それを理解するのにはまだまだ時間がかかりそうなので、当分は……w
    応援と感想、ありがとうございました。
    次の作品の更新までお待ちくださいませ。
    ――イノシア ? 2010-07-11 (日) 23:48:41
  • 執筆お疲れ様です。
    終わってしまったので少し驚きましたが、そういう事ですか。確かにこのタイトルだと残りの内容は的を射なくなってしまいますね。
    人は見た目では判断できない。悪い意味ではやはり気を付けたいところです…。
    分かりきっていますが二匹とも幸せに…。でもって、ブラッキーのやきもちは何時まで続くのやらw
    それでは続編と『園』の執筆頑張ってください。長文失礼しました
    ―― ? 2010-07-11 (日) 17:39:05
  • >勇さん
    感想書いてくださるのはむしろ大歓迎です。
    リーフィアの人嫌いは過去のことだったのですが、やはり過去で“捨てられた経緯”に焦点を向けたかったので。
    そしてそれらとどう向き合うか。そんな風に物語を進めていたので、汲み取ってもらえたようで嬉しいです。
    あなたの執筆の励みになったようでなによりです。こちらこそ感想のコメントが励みになっています。
    感想ありがとうございました。
    ――イノシア ? 2010-06-17 (木) 23:11:04
  • 『園』と共にコメ投稿してすみません。
    リーフィアの原因がこっち見て分かりました。ストレートでなく、元主の心情を一捻り加えているのがまた凄いです。私には出来ませぬ、そんな事。
    そして、その語彙力も羨ましいです。
    人間だってポケモンだって十人十色。私達、皆が気に留めなければならない事だと改めて感じました。
    捨てられ者の話って表現が被りそうで恐いですよね。現に自分が書こうと思ってる物が被りかけている事実…。劣らぬように頑張りたいです。
    やる気貰いました、有難う御座います!期待です。此方でも長文御免なさい…。
    ―― ? 2010-06-17 (木) 20:35:14
  • >ブラック★さん
    「園への訪問者」とこの作品のリンクは繋げていないですから、
    ちょこっとだけ分かりにくかったかもしれませんね。
    気に入っていただけて光栄です。これからも地道に執筆を頑張っていきたいと思います。
    コメントありがとうございました。
    ――イノシア ? 2010-04-25 (日) 01:01:58
  • くそっ!
    園へのは読んでたのにこっちは読んでなかった!!!
    なんてもったいないことをしてしまったんだ!! OTL

    自分はイノシアさんの作品がかなり好きです!!
    ――ブラック★ ? 2010-04-24 (土) 15:31:42
  • >リーフさん
    「無音のコトダマ」で感動してくださったのですね。ありがとうございます。
    感情表現は気をつけている部分でもありますので、そう言っていただけると執筆の励みになります。
    この作品をしっかりと完成させたいと思っています。

    >04-05 (月) 14:37:56の方へ
    ブースターはいつでもゆるキャラです。
    これからもブースターのカワェェンを提供していきたいと思います(

    お二方コメントありがとうございました。
    ――イノシア ? 2010-04-06 (火) 11:57:17
  • 全作の「無音のコトダマ」ではめいっぱい泣かせてもらいました。
    イノシアさんの作品は感情表現がとても巧みに書かれているので
    本当に泣けます。この作品にも期待しております。どうか体に気を
    付けて 頑張って下さい
    ――リーフ ? 2010-04-05 (月) 22:32:48
  • ブースターカワェェン
    ―― 2010-04-05 (月) 14:37:56
  • >カゲフミさん
    普通威嚇とかされてたら危ないと思って近づかないですからね。
    トウヤの行動がリーフィアの決断を後押ししたわけですね。
    終盤での「急ぎ癖」が出ないように頑張ります。
    コメントありがとうございました。
    ――イノシア ? 2010-03-07 (日) 22:26:06

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Last-modified: 2011-01-01 (土) 00:00:00
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