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親愛なる僕への鎮魂歌

/親愛なる僕への鎮魂歌

作者:朱烏






 僕は夢を見ている。昏い海の上を、ひたすらまっすぐに飛んでいる。
 急き立てられるように、翼を全力ではばたかせ、まだ見ぬ安息の地を求めている。
 月明かりは一層蒼白くなって、海の群青に銀色の光を差し入れた。
 やがて、小さな島が見えた。僕の焦りは瞬く間に消えた。
 僕はゆっくりと降り立つと、そこにどっしりと根を下ろした。








  親愛なる僕への鎮魂歌(レクイエム)








  ◆◇◆◇◆




 人間の立ち入らない島があった。
 周辺の海は穏やかで、人間の栄えている大陸からそう遠く離れているわけでもない。
 島に棲んでいるポケモンが凶暴だとか、魅力的な資源がないから開発する意味がないとか、鬱蒼としていて普通の人間なら気味悪がって近づかないとか、おそらく一方的な理由で、島は人間たちの意識下から外れていた。
 もしかすると、ときどき島に興味を持った奇特な人間がやって来たことはあるもかしれない。しかし、そのような事実があったとして、この島に棲まう誰が来訪者を気にするだろうか。
 藍色の水が絶えず流れ込んでは引いていく入り江の奥に洞窟が密やかにあった。紺ねず色の仄暗い壁天井は剥きだしの鋭さで、来る者を拒む冷たさを湛えていた。
 もっとも、入り江のある島の西側に好きこのんで来る者は滅多にいない。木の実が豊富で肥沃な島の東側と比べて、西側はほとんどが無機質な岩肌で覆われている。
 だから、島の西側はとても静かで、入り江の洞窟はなおのこと静謐を保持していた。
 透き通るような冷えた空気。通りすがりの西陽は、洞窟の入り口に乱雑に配置された岩に遮られていた。
 今日は何を歌おう。
 海の荘厳。
 西の静穏。
 東の喧騒。
 陽の眩しさ。
 月の淋しさ。
「――決めた」
 久しぶりに、僕について歌おう。本体に加えて両腕にも頭のある、奇怪な三つ首をもつ僕が、なぜこの島にいるのか。同じ種族どころか、同じタマゴグループと思しきポケモンすら見かけないこの島で、僕が脈絡なく存在している理由を探すための歌。
 記録などなく、記憶すらもない。この姿が進化前なのか、それとも最終進化を迎えた末の姿なのかもわからない。
 わかっていることは、確かに僕はここで存在して生きているということと、歌を歌うことがとても好きだということ。
 両腕の頭も同じだ。返事もしなければ呼吸もしない、唯一食事の時だけ勝手に動くような彼らだが、歌がとても上手だ。単なる四肢である以上、本来は本体(ぼく)に従属しているだけの存在であるはずだが、僕が歌を歌うといつも僕に合わせて綺麗なハーモニーを奏でてくれる。
「いくよ、テルロ、セレノ」
 テルロは安定感のある低音で歌全体を支える右腕の頭。
 セレノは伸びやかな高音で僕の声に寄りそう左腕の頭。
 肺の空気を全部吐き出して、目いっぱいの静寂を吸い込んだ。
「――!!」
 洞窟を乱反射する三つの声。重なり、織り合った音は、洞窟を這い出て、入り江に反響した。
 紫色の灯火。灰の乱舞。幾重の金切り声。モノクロームを踊る指。
 あまりにも一瞬の、切り取られたフラッシュ。掴みかけたスクリーンは、粉々に砕け散った。
「嗚呼!」
 知らない過去と見えない未来を不安の中に一緒くたに押し込めた歌は、陽の降りた水色の空に溶解した。



 ――僕は誰に歌っているのだろう。




  ▼▽▼▽▼




「ほら、もうみんな待ってるわよ。あなたが何時間も髪の手入れに時間をかけるから」
「容姿にも気を遣ってこその唄い手。自分の歌声に身なりが負けるような唄い手にはなりたくない。フロールは髪がないからわからないかもしれないけど」
 私のことをフロールと呼んだ彼の名前はクロロスというアシレーヌだ。
 種族柄、容貌は美しい雌のそれだが、れっきとした雄である。
 だがクロロスは同族の雌よりもずっと雌らしい。常に海色の長い頭髪のはりや艶を気にするところはもちろん、その髪を束ねる真珠は常にぴかぴかに磨き上げられており、頭の星形の飾りも常に位置がずれていないかを気にしている。
 自分の容貌を気にかけすぎて他のことががさつになっているのはいただけないが、誰よりも美しいと自負している彼自身の歌声には絶対に容姿も釣り合わせなければならない、という彼なりの信念――いや、むしろ執念ともいうべきものだが――に基づいた行動原理はそう簡単に変えられないだろう。
 時間に遅れるのも今日が初めてではない。
「フロールも俺を見習って背中の甲羅磨いたら? お世辞にも綺麗とは言い難いし」
「自分で洗えたら苦労しないわよ」
 ラプラスである私に、自分の甲羅を洗うなんて器用な芸当ができるはずもない。自分の欠けた甲羅を見てみると――確かにうっすらと色がくすんでいるような気もする。
「じゃあ今度俺が洗ってあげるよ。やっぱり相方には綺麗でいてほしいし」
「……っ」
 この雄、天然でないのかそうでないのか、いまいち掴みにくい。たぶん屈託のない笑顔で言うあたり、とんでもないことをのたまっている自覚はないのだろう。私が気にしすぎているだけなのかもしれないが。
 うねるような海岸沿いを渡った先。月明かりに青白く照らされた砂浜には、十数匹のポケモンが集まっているのが見えた。
 穏やかな潮騒と、がやがやとした小さな喧騒。私が大好きな、静かなこの島の情景の一つ。
「アスターはもう来てるのかな?」
 砂浜に着くと、雑然としたポケモンの影の中に、クロロスがアスターと呼んだポケモンが見えた。
 アスターは波打ち際まで走り寄って、やあ、と挨拶した。
 どこにでもいるような、ありふれた容姿のコロトック。もっとも、一つだけ尋常ならざる点をこのコロトックはもっているが、見た目にはわからない。
「やあ。七日ぶりですね、おふたりとも」
「珍しく顔を見せなかったわね。いったいどうしてたの?」
「風邪で倒れてたんですよ。昨日ようやく完治させたところです」
 おずおずと申し訳なさそうするアスターは、刀のような両腕をしきりにこすり合わせていた。
「音は出せそう?」
「心配ご無用です。風邪ぐらいでなまくらにはならないですから」
 クロロスとは対照的にいつも自信なさげにしているアスターが、唯一生き生きとするのが今日である。
 クロロスはというと、少し離れたところで目を閉じて瞑想をし始めた。本番まで一切の雑音を遮断するつもりなのだろう。
「今日は何を歌うんですか?」
「そうね、クロロスと話したけど、三曲やろうかなって。海の歌、月と星の協奏曲(コンチェルト)、それから、一曲新しいのがあるの。ちょっと恥ずかしいけど……」
「ああ、クロロスさんとフロールさんが一緒に作ったっていう。けど珍しいですよね。彼、前に出たがりなのに、フロールさんのソロパートが半分以上を占めるような曲を作るなんて」
 アスターのわずかに困惑を含んだ、それでいて嬉しそうな表情。
 そういえば、ずっと前にアスターも言っていた気がする。私の歌を聴きたいと。
 つまるところ、クロロス、アスター、私からなる小さな合唱団は、クロロスがリーダーであり顔である。
 もっとも、彼が私とアスターに丸め込んで結成した合唱団であるし、実力も華やかさもやはり彼が一番であるところは誰しもが認めることだった。
 そんなクロロスが、わざわざ自らをバックコーラスに下げてまで曲を作った意味。
「ボクもたくさん練習してきましたよ。フロールさんが気持ちよく歌えるにはどう演奏したらいいのか、四六時中考えてました」
 コロトックの鳴き声はまるで弦楽器のようで、同族間のコミュニケーションもその特異な鳴き声で行うらしいが、アスターのそれは普通のコロトックとは一味違う。
 少なくとも私の知る限りでは、三種類のまったく音質の異なる鳴き声を自在に演奏(﹅ ﹅)できる。
 まだ別の鳴き声も隠し持っているようだが、いまだに披露しないつもりらしい。彼の実力もまたクロロスと同様に計り知れない。
「そろそろ、準備しましょうか。クロロスもいいみたいだし」
 クロロスはいつのまにかそばに立っていた。孔雀石とオパールを混ぜたような深い色の瞳は、私とアスターを鋭く見据えている。
「いこうか」
 まるで別のポケモンのようにがらりと雰囲気が変わる。聴衆に正対するクロロスの後ろで、私はアスターに耳打ちする。
「どっちが本当のクロロスなんだろうね」
「僕はたぶん、こっちのクロロスさんが本当なんだと思ってます」

 静まり返る喧騒。潮騒も心なしか穏やかになった。
 アスターが静かに音を奏で始める。それは、竪琴(ハープ)の音色に似ていた。
 深海からぽつぽつと浮かんでくる微細な泡沫。生命の誕生の示唆。
 クロロスが透き通った声をハープの音色に乗せる。
 ソリストポケモンたるゆえんを、この声を聴くたびに思い知らされる。
 渦巻く海。轟く雷鳴。原始の、熱を帯びた(くら)い海は、いつしか明度を上げ、冷却する。
 そして私もクロロスに伴奏する。
 成長した海は、さまざまな命を生み出す。そしてこの島の命に繋がった尊い潮流への歓呼。
 二つの声とハープの音が、一つになって発散する。
 花火のような弾ける音色は、クライマックスとして海に飛び込んでいった。

 たった百五十秒で歴史を振り返る音楽は、大喝采の中で終了し、続く二曲目へと移る。
 今度はアスターの洋琴(ピアノ)で始まった。星の淡い煌めきをイメージした、か細く高い音の連続。
 そこにクロロスの包み込むような声が加わる。濃紺の空が、今にも消えてしまいそうな星星を溶けてしまわないように支えている。
 この曲はアスターがメインパートを担っているのだが、やはりクロロスの存在感が際立つ。
 アスターは難しい演奏になると力が入ってしまい、ともすれば意思に反して音色に重厚さを滲ませてしまうことがあるが、クロロスがその力強さを完全に吸い取って、アスターの演奏に軽やかさだけを残す。
 この曲ではときどき合いの手を入れるように歌うだけの私だが、もしクロロスのパートを私が担当したとしても、絶対にこんなことはできないだろう。
 クロロスの感覚は恐ろしいほどに繊細だ。天才という言葉は彼のためにあるのだと思う。
 次の曲のことを思うと胃が痛くなってくる。クロロスの歌を聴き慣れた聴衆が私の歌で満足できるのだろうか。

「大丈夫だよ。最初とは比べものにならないくらい、フロールの実力は伸びているから」
 二曲目が終わって拍手が鳴りやまぬうちに、クロロスは言った。
 お辞儀をして私に振り向いたその瞬間だった。心の内側は完全に見透かされているようだ。
「曲だって、フロールが気持ちよく歌えるように一緒に考え抜いて作ったじゃないか」
 アスターに似たようなことを言う。気持ちを落ち着けつつ、なんとか期待に応えなければと深呼吸する。
 二曲目の余韻に浸っている聴衆たちにクロロスが眼光で合図を送ると、一瞬で砂浜は静謐を取り戻した。ヴァイオリンのような音を弾いて、調子を確かめるアスターも、私にうなずく。
「最後の曲――群青色の追憶」
 そういえば、曲名は初めて聞いた。タイトルは確かにしっくりきている。クロロスと私のイメージは寸分違わぬようで、少しだけ嬉しくなった。
 大切なのは、クロロスと一緒に作った曲の世界に没入すること。アスターの伴奏に身体を委ね、波の上を揺蕩(たゆた)うようにリラックスして声を出すこと。
 やがてふわりとした音を導き出したアスター。直線的に過去を辿ってゆく。
 目指すは、クロロスやアスターと初めて出会ったあの日。瑞瑞しく、痛痛しい記憶でもある。
 伸びやかに、厳かに。暗い出来事を連想させる低音。逃げ惑う途中で出会ったクロロスもアスターもひどく傷ついていた。
 わずかな希望だけをたよりに、逃れるように海へ出る。赫赫(かくかく)と焦げた輝きを放つ街を背に泳ぐ藍色の冷たい海は、三匹を平穏へといざなう。
 私の背中に乗っているアスターが、音を奏でた。悲しげな音色。ヴァイオリンの音を模したそれは、散りゆく街を想うノスタルジックな哀歌。
 まだ生き延びられるとも限らないときに、音楽など奏でている場合ではなかったのかもしれない。それでも、寄る辺なき三匹にはたとえでたらめでも羅針盤(コンパス)が必要だったのだ。
 いつしか街は灰塵に帰し、勝手に仮初めの平和を取り戻すだろうが、私たちは、自分の手で望む平和を手に入れなければいけない。
 願いを歌に乗せて、空へと解き放つ。
 三匹の音色に呼応するがごとく――どこからか不思議な音が島中に反響した。




 余韻を楽しみ終わった聴衆もようやく散り散りになって、やがて砂浜だけに三匹が取り残された頃、クロロスが口を開いた。
「最後のは……何だったんだ?」
 無論、今日のコンサート自体は大成功に終わった。私も最後まで歌いきれた。出来は申し分ない。
「まるで四匹目がいたような」
 アスターも怪訝そうな表情で黒い髭を撫ぜる。
「たぶん、向こうから聞こえた……気がする」
 私が顎で指すのは、鬱蒼とした森を越えてさらに向こう、西の海岸。
 幻聴というには、あまりにもはっきりとしていて麗しい音だった。
「でも、いったい誰が向こうにいるっていうんだ?」
 この島は、東側は大地も肥沃で木の実が豊富に取れるが、西側はまるで異なり、無機質な岩石とときどき思い出したように生えている樹木だけで成り立っている。
 だから島の少ないポケモンたちはよほどのことがなければ西側には近づかないのだ。
「行ってみるか」
「こんな時間に?」
 海へ出ようとするクロロスを制止する。迂回して海から西側に回るつもりなのだ。
「気になるよ。朝まで待っていられない」
「夜更けに動き回るのがよくないのはわかるでしょう? どうしてもっていうならひとりで行って」
「フロール、君なら……」
 クロロスは私の眼前に身を乗り出し、キラキラした宝石のような目で見つめてくる。
「君ならわかるだろう? 俺がどれだけ興奮しているか。あれは……歌だよ。誰かが歌ってるんだ。そして俺たちの歌と重なった。美しかった……」
 蕩けたような表情でコンサートの最後に響いた音色に思いを馳せるクロロスを、もう私が止めることはできない。
「アスターも! 気にならないかい?」
「えっ……ま、まあ……」
 傍観を決め込んでいた――というより、夜中に出歩くのをおそらく怖がっているのだろうアスターは、歯切れの悪い返事をした。ただ、明らかに気になっている様子ではある。
「一緒に行こうよ!」
 まったく、このアシレーヌはどこまで自分本位なのだ。などと心の中で毒づくが、本当は気づいている。真に自分本位だったら、私が主旋律を務める曲など作らないだろう。
 ひたすら音楽に対して愚直で真摯なだけなのだ。
 結局、いつものように私とアスターが折れ、クロロスに同伴することになった。流石にクロロスひとりで行かせて、何かあっては怖い。
「ふたりともありがとう!」
 キラキラを振り撒きながら、クロロスは屈託ない笑顔を見せる。雄なのが残念でならない。




  ◆◇◆◇◆




 夜の海は、昼時や夕暮れの海とは正反対の表情を見せる。
 黒黒としていて、この世の何もかもを飲み込んでしまいそうなほどに不気味で粘着質だ。冥界の入り口も案外このようなものなのかもしれない。
 ――などと無為でどうしようもない考えが巡るのもきっと夜の魔力のせいである。東側の喧騒すらも聞こえない、誰もが寝静まった夜。湛えているのは淋しさだけ。
 こんな夜は何を想えばいいのか。馳せる想いも行く先がなければどうにもならない。
 ずっと洞窟の中で歌っていても気が滅入るので、外に出てみたところまではよかった。
 一小節(ワンフレーズ)だけ歌って、やめた。夜中に歌声を響かせていては迷惑だというのは流石の僕でも理解できる。
 そもそも、この時間は僕だって寝ている時間である。
 目が冴えて眠れないのは、今日歌った歌がどうにも僕を刺激して止まないからだ。ある時点からの記憶しかもっていない僕は、拠り所を持ちえない事実にときどき襲われては愕然とする日日を送っている。
 この世に生まれ落ちたのならば、生まれ育った場所があり、親があり、友達があり、ポケモンならば幾度か進化も経験するだろう。
 今の僕にはそのいずれもなかった。気がつけばこの島にいた。この姿が進化した末の姿なのかそうでないのかもわからない。
 鬱鬱とした気分をこじらせて海に身を投げたくなるのは、確かな感触が欲しいからだろう。
 どんな感触?
 ――生きているという、明瞭なようで曖昧な、言葉にし難い感覚。
 今日の歌の中で、僕の脳裏をかすっていく記憶の断片は、ひたすら僕にもどかしさを募らせるばかりだった。それでも、決定的な気づきはあった。
 僕は思うことがあるととにかく歌にしようとする癖がある。たぶん歌が好きで、記憶を失う以前もきっとそうだったはずだ。
 ただの推量だが、過去の僕のことがわずかでも知れたことは、大きな前進だった。
 この島で、満月は三度見た。さらに三度満月を見る頃には、僕はどれだけ僕のことを知ることができるだろう。
「結局僕には歌しか残ってないな」
 どう足掻いても結論は一緒だ。もはや昼も夜も関係ない。
 霧を払う手段はたった一つだけ。息を大きく吸い込む。右腕のテルロ、左腕のセレノは準備万端だ。
 もう一度、僕のための歌を。

 空に僕の声を投げ上げて。テルロとセレノの声は、四方に発散する。
 茫漠とした群青色の幕に張りつけられた銀色の月が静かに僕を見下ろしている。煌めく星たちひとつひとつが僕の歌に耳を傾ける。
 誰も僕の歌を聴き逃さないように、丁寧に旋律を奏でる。
 この場所は僕と夜空だけの舞台で、どんなことでも成し遂げられそうな気がした。
 夜空と同じ色の翼を広げ、首を天へと伸ばす。精一杯の声を張り、クライマックスでセレノは主旋律から三度上、テルロは三度下の音を奏でた。
 哀歌。この曲は意図せず哀しみに溢れるものとなった。けれども、僕はこの哀しみの源泉はどこから湧き出てくるのかを知らない。
 過去がわからないことも、未来に不安を抱いていることも、もちろん悲しいことなのだけれど。
 それ以上に、このいかんともし難い物悲しさ、決して拭い去ってはいけないようなものとどうやって向き合えばいいか。解などどこにもない。
 気がつけば涙を流していた。
「誰……?」
 涙により歌への集中力を断たれたのと同時に、今までまったく気づいていなかった何者かの気配を察する。
 あたりを見渡す。入り江には誰もいない。砂浜のほうは。
 波打ち際に、小さくはない影があった。それも一匹ではない。
 後ずさる。恐怖が背中をせり上がる。影は明らかにこちらを見据えている。
 僕は逃げるように入り江の奥の洞窟へと隠れた。
「待って!」
 追ってくる。どうしよう。しかし洞窟は大した深さもないただの穴に毛が生えたようなかわいいもので、身を隠しきるにはあまりにも簡素だ。
 迎え撃ったほうが賢明かもしれないが、多数相手に何ができるというのだろう。自分自身の戦闘力だって未知数だ。
「あ、悪の波動!」
 僕に撃てそうな技と言ったらこれくらいしか思い浮かばなかった。
「きゃっ!」
「うおっ!」
 洞窟内に木霊する悲鳴。弾は逸れてしまった。きっと反撃が飛んでくると踏んで身構える。しかし返ってきたのは攻撃ではなかった。
「待って! 私たちは敵じゃないの!」
 低くも穏やかなトーンの雌の声。
「素敵な歌声を偶然耳にして、島の反対側から来たんだ!」
 明朗快活な雄の声。大袈裟に動くシルエットが(かまびす)しい。
「驚きました。サザンドラ……ですか? 歌を歌うサザンドラなんて」
 驚愕か、困惑か。雌ポケモンの背中に乗っている性別不明のポケモンは、丁寧な口調だった。
 僕はといえば、ただ狼狽えるばかりだった。目の前にいるポケモンたちは、なぜここにいる? 僕の歌をうるさく思って、文句を言いに来たのだろうか。
 洞窟に入り込むせせらぎの音だけが、静寂な空間を支配していた。



「俺はクロロス。お会いできて光栄だよ」
 そう言って、雌と見紛う容貌のアシレーヌは僕に手を差し出す。気乗りしないが僕も一応腕を差し出した。
「私はフロール。いきなりお邪魔して本当にごめんなさい」
 頭を下げたラプラスは、クロロスと名乗ったアシレーヌとは正反対だ。ぐいぐい来る彼とは違って礼儀正しく控えめで、ほんの少しだけ好感を持てた。
「ボクはアスターです。脅かしてしまって申し訳ありません。クロロスさんに代わってお詫び申し上げます」
 フロール以上に慇懃だが、かえって白白しい。不気味な瞳は、こちらの心の内を見透かしているように思える。
「俺たちは合唱団を結成して、月に何回かコンサートをやってるんだ。今日も東の海岸でコンサートをやってたら、遠くから素晴らしい歌声が聞こえたから、いてもたってもいられなくなって、誰が歌ってるのか確かめに来たんだよ。君だよね? 歌ってたのは」
 矢継ぎ早に浴びせかけられる言葉に耳を塞ぎたくなる。やかましいアシレーヌだ。
「――そうだけど」
 憮然と、ぶっきらぼうに答えた。僕はあなたを受け入れていない、というささやかな意思表示だったが、どうもこのアシレーヌには伝わらないらしい。
「やっぱり! ねえ、もう一度歌ってくれないかな? 俺、君の歌が聴きたいんだ!」
「クロロス、いきなりは迷惑よ。こちらのサザンドラさん――も困ってるでしょ? ええと、お名前を伺ってもよろしいかしら?」
 アシレーヌを窘めてくれたのはありがたいが、僕はラプラスの質問に窮する。
「名前――。ごめん、僕、自分の名前は知らないんだ。あったのかどうかもわからない」
「えっ」
「でもこの子たちにはあるよ。右腕がテルロで、左腕がセレノ。両方とも僕が名づけた」
 気まずい沈黙が流れる。僕が妙なことを口走って、戸惑っているというところだろう。
 煩わしいので手短に済ませよう。
「記憶がないんだ。この島に何でいるのかもわからないし、生まれ育ったところも覚えていない。今までどうやって生きてきたのかもまるで思い出せない」
 僕は淡淡と、自分に関する乏しい情報を述べた。彼らに心を許したわけではないが、面倒な詮索を受ける前に話してしまったほうが楽だと思ったのだ。
「――いつからここにいるんですか?」
 コロトックの当たり障りのない、もっともな質問。
「だいたい三か月くらい前からかな」
 三匹が顔を見合わせる。何か思い当たる節があるのか、ラプラスは口を開きかけるが、アシレーヌが露骨に制止した。
「君が記憶喪失なのは確かかもしれないけど、もう一つだけ確かなことがあるよ」
 こちらに眩しい笑顔で話しかけてくるアシレーヌに、僕は驚き呆れ果てる。暗い夜なのに、彼のまわりだけ朝陽が昇ってきたかのように明るい。眩暈を誘発させるような幻視だ。
「君は、歌うことが好きだ。俺たちと同じくらいか、それ以上にね」
 このアシレーヌの、確信と自信に満ちた口元がどうにも気に入らない。だが、彼の言ったことは同意しない理由もない。
「歌うことは好きだよ。――僕には歌しかない」
「俺たちも同じ。いろいろあって、たくさんのものを失くしてきて――でも音楽だけは残ってる」
 アシレーヌは過去を追憶するように、胸に手を当てた。
「よかったら、俺たちと一緒に歌ってみないか?」
 気障(きざ)な部分は本当に気に食わない。一言で拒否することは容易いはずだった。
 だがどうしたことか、言葉は喉でつっかえて、考え込んでしまう自分がいた。
 返事はいつでも待ってるから、と背を向けたアシレーヌに、ラプラスとコロトックも続いていく。
 静寂を取り戻した洞穴の奥で、僕は独りため息をついた。
 クロロスと名乗ったアシレーヌの背中にあった、斜めに切り裂かれたような傷痕。それは何を物語ろうとしていたのだろうか。
 僕は大切な何かを忘却している。自分の名前や、親の顔や、生まれ育った場所ではない、もっと大切な何かを。




  ■□■□■




 白い部屋の中にいる。見上げると、天井は高かった。凝った意匠の照明がぶら下がっている。例えるなら、シャンデラに上品な透明性をもたせ、かつ不気味な青い炎を取っ払ったようなもの。
 壁には、鮮やかな油絵が掛けられている。金色の額縁も仰仰しいくらいに複雑な意匠をしていた。
 本棚もある。すべての段にぎっしりと本が詰まっている。分厚い本、大きい本、古めかしい本。いずれも開くには億劫な代物。
 ほかにあるものは、机と椅子、それからはめ殺しの窓。
 ここまでは、見慣れた部屋。だだっ広いがらんどうに、いいもの(﹅ ﹅ ﹅ ﹅)をいくつか集めただけの部屋。
 進化して少しずつ見えるようになった目にはまだ、この部屋の眩しさは慣れない。
 だからなのか、しばらく部屋の端に鎮座している真新しい何かに気がつかなかった。艶やかな漆黒。真っ白な部屋に凛として立つそれは、何に使うものなのかまったく見当がつかない。
「これはね、ピアノって言うの」
 僕たちの後ろに立っていた人間の少女は言う。それにゆっくりと近づいていく少女に、僕たちもついていく。
「見て」
 少女が椅子に座る。ちょうど、ピアノが正面になるように。
 細長い蓋を開ける。僕たちはぎょっとして首を互いに伸ばした。
 白い歯がぎっしりと並んでいる。小さな黒い歯もぽつぽつと並んでいる。
「これは鍵盤」
 少女はほっそりとした右手の人差し指で、白い歯の一つを押した。
 澄んだ音。天上から降ってきたような音。
 少女はいろいろな鍵盤を押す。そうすると、高さの異なる、同じ種類の音がいくつも飛びだした。
 白い部屋を跳ね回るような虹色の音は、瞬く間に僕たちの心を捉えた。
「お父様とお母様にねだったの。これでお歌の練習をしましょう」
 僕たちは同時にうなずいた。
 この日を境に少女は僕たちに歌で伴うのをやめた。
 代わりに、少女の奏でるピアノの音が、僕たちの歌の友達になった。




  ◆◇◆◇◆




 いつもどおり、静かな朝の空気に導かれて目が覚めた。入り江から澄み渡るせせらぎの音が聞こえる。
 洞穴の冷たさのせいで、体はまったく動こうとしないのに、頭は冴えていた。
「――夢を見てた気がする」
 独りごちる僕の言葉は、泡沫のように溶けていった。
 夢を見たのは随分と久しぶりな気がする。この島の入り江で目覚め、一切の記憶を持たなかった頃、夢は何度も見ていた。
 大概、凄惨な夢だった。ひたすら知らない誰かが死ぬ夢。知らない叫び声が木霊する夢。知らない町のいたるところに炎が立ち込めて、ポケモンも人間も逃げ惑うような夢。
 だが、もはや細部までは覚えていない。夢とは概してそういうものだ。
 今回は、それらとは異なった夢だったと思う。たぶん、哀しみとは縁のない楽しい夢だった。
 すでに夢の内容は忘れてしまっているが、それでも呼吸していた生命が次次に消えていくような辛い夢ではなかったことは明らかだ。
 あくびをして、目を拭う。
「……あれ?」
 腕が濡れた。両目を擦ってみる。
 ――泣いていたのか。
 楽しい夢だったのは思い違いで、本当は悲しい夢だったのかもしれない。
 少しだけ盛り上がってた心は萎れ、いつもと変わり映えしない陰鬱な朝になった。ため息をつきながら、洞穴を出る。島の東側の海岸を目指すために、六枚の翼を広げた。



「やあ、来てくれたんだね!」
 朝であろうと変わらず調子のいいクロロスは、上空から飛来する僕の姿を見るなり叫んだ。クロロスだけでなく、フロールやアスターもいる。穏やかな海岸に、彼らと僕以外の姿はない。
「昨日の今日だけど、もしかしていい返事をいただけるのかしら?」
 言葉とは裏腹に、フロールは期待していないような目で僕を見つめる。
「クロロスさんが突然言い出したことではありますが、私はあなたと歌ってみたいと思っていますよ」
 慇懃なアスターもまた、本音か建て前かわからないようなことを言う。
「もちろん承諾してくれるはずさ……そうだよね?」
 クロロスが僕に手を伸ばす。確信めいた語調。やはり、気に食わない。僕はクロロスの手を払った。目を一瞬だけ見開いたクロロスに僕は告げる。
「あなたたちは僕の歌を盗み聞いたようだけど、僕はあなたたちの歌を聴いていない。話はそれからだ」
 僕は毅然として答えた。クロロスの蒼い瞳に、険のある表情が映っていた。
「――そうだね。もっともなお言葉だ」
 クロロスは僕の無礼にも笑顔を崩さない。どこまでも食えない雄だ。
「フロール、アスター、俺たちの歌を彼に聞かせてあげよう」
 ふたりはこうなることがわかっていたかのようにうなずいて、僕のほうに向き直る。
 並ぶ三匹。ぴりぴりと空気が緊張した。たぶん、彼らは相当なやり手だ。その佇まいだけで、結果は見えているようなものだった。
「アスター、『海の歌』」
 クロロスの合図を皮切りに、アスターが美しい音色を奏で始める。
 僕は目を瞑った。歌の世界に浸るために。全神経を彼らに預けた。
 煮えたぎる海を彷徨い、冷たい海へと投げ出される。力強くの透明感のある歌声が、激動の歴史を歌う。
 これは、世代を重ねて今の世に辿り着いた命たちへの賛歌だ。
 フロールが奏でる過去への回想は、クロロスの歌声に巻きつくようにだんだんと共鳴し、やがて喜びへと昇華する。
 眼裏(まなうら)には鮮やかな景色が残る。歌から思い起こされる情景は花火のように鮮明だ。
 百五十秒足らずの永遠は、僕の心にしっかりと刻み込まれた。
 それから彼らは曲名を告げずにいくつかの曲を歌った。
 小宇宙、恋、孤独、空、雨、諍い。
 頓挫した夢の彼方。荒らされた寝ぐら。人間の勝手。
 一曲一曲に秘められたさまざまなテーマが、輝かしい音楽となって僕の眼前に弾ける。僕は眠るように微動だにせず、演奏が終わりを告げるまで聴き続けた。




  ■□■□■




 僕たちはいわゆる双頭で、お互いに異なる意識を持っていた。ジヘッドというのが僕たちの種族名なのだそうだ。
 第一タイプがドラゴンで、第二タイプが悪。身長は一・三八メートル、体重は四八・二キログラムと標準的。
 ジヘッドは、お互いの頭と絶えず喧嘩を繰り返すのだという。サザンドラに進化するときに、どっちが本体、すなわち中央の頭となるかを本能で争っているのだそうだ。
 しかしながら僕たちにはまったく当てはまらない話で、それは人間が作り出した嘘っぱちだと思っていたが、他のジヘッドに会うと大概二つの頭は齧り合ったり罵り合ったりしているので、どうも僕たちのほうが異常らしいということがわかった。
「何から食べる?」
「モモン、パイル」
「次いでヒメリ、ナナシ」
「途中でナナの実を挟んで」
「最後はオボン」
「完璧」
 いつも昼ご飯でユズリが出してくれる木の実の盛り合わせをどのような順番で食べるかという課題だが、いつも一発ですんなりと決まる。互いの思考は読まなくてもわかる。
 ユズリは、僕たちのマスターであこの町の名家の一人娘だ。僕たちはとても一日では巡りきれないような大きなお屋敷で
、悠悠自適な生活を送っていた。
「デクス、レフ、食べ終わったら、私の部屋に来てね」
 白いワンピースに身を包む少女は、広いリビングの向こう側から呼びかけるように僕たちに言うと、慌ただしく出ていった。
「なんだろうね」
「なんだろうね」
 ユズリは僕たちの双頭にそれぞれ名前をつけている。右側がデクスで、左側がレフ。
 思考も行動も揃っていて、どちらが優れているわけでも劣っているわけでもない僕たちを呼び分ける必要は本来はない。
 けれども、僕たちにはそれぞれ名前がある。
 木の実を食べ終えて、ユズリの部屋に向かう。前髪のせいでいつも前がよく見えていない。
「鬱陶しいからさ」
「ユズリに頼んで」
「前髪を」
「上げてもらおう」
「素敵な髪留めをもらって」
「お洒落な感じで」
 暖かな昼下がり。いつものように、遠くで大砲の音がした。




  ◆◇◆◇◆




 穏やかな潮騒だけが支配する砂浜に、僕は座っていた。
「おはよう。随分と早いのね」
 水平線から、眩い朝陽が顔を出し始めた。爽やかな空気、青とオレンジ色のグラデーション。
「目が早く覚めたものだから」
 寝不足は否めないが、惰眠を貪っていてもしかたなしと、東の海岸にやってきたのだ。フロールが今しがた来たが、やがてクロロスもアスターも眠い顔を擦りながら来るはずだ。
「目のまわりが腫れているけど、大丈夫?」
「あ……いや、これは……大丈夫だよ」
 二度寝ができなかったのは、目覚めたときにまた涙を流していて、とても再び眠りにつけるような心情ではなかったというのもある。
 夢を見たのだ。だが、内容は例によって覚えていない。どうせ悲しい夢なのだから、忘れてしまっても構わない。
 そう思えば思おうとするほど、胸に棘が刺さったような、締めつけられるような、痛痛しい気持ちになる。
「本当?」
 フロールが首を僕の顔に向けて伸ばしてくる。首長の海竜の深い青色の瞳は、僕の嘘を見破ろうとする。
「無理しないでね」
 ささやかな追及が終わる。クロロスが同じことをしてきたら突き飛ばしていたが、フロール相手にそれはできなかった。
「クロロスのこと、嫌い?」
「……藪から棒だね」
 フロールは、海を眺めていた。遥か昔から無限に波を送り続けてきた海の始まりを臨むように。
「嫌いだよ。図図しいし、押しつけがましいし、自信に満ち溢れているのも気に食わない。雄なのにあんななりをしているのも癪に障る」
「クロロスが聞いたら悲しむわ。……それでも、一緒に私たちと歌ってくれるのね」
「……まあ」
 本当は、彼らと一緒に歌う気などさらさらなかった。歌はひとりで歌えていたし、セレノとテルロもいる。僕の歌は誰の手を加えずとも完成していた。
 クロロスたちの歌は、そんな思いを嘲笑うかのように上から塗り潰した。正直なところ、お世辞にも上手いとは言えなかった。
 クロロスの歌唱は目を見張るものがあるが、まだまだ甘さは残っている。フロールは高音に課題があって、アスターはいろいろな楽器の音色を出せるのは面白いが、いかんせん演奏技術が追いついていない。
 だが、三匹は楽しそうに歌っていた。それどころか、歌うことを至上の喜びとして生きているということを、僕にまざまざと見せつけてきた。
 歌い初めの時点で、僕は呑まれていたのだ。
「でも、僕を誘ったなら誘ったなりに上手くなってもらわないと困るな。みんな下手くそだよ」
「下手なほうが、伸びしろがあって楽しいでしょう?」
「そういう前向きな捉え方は嫌いじゃない」
 強がりもあるが、彼らに呑まれたことを悟られたくはなかった。
「私はね、下手くそなのは自覚してるから。クロロスもアスターも私から見れば雲の上の子たちなんだけれどね」
 フロールはため息をついた。太陽は水平線を離れて、天頂を目指し始める。
「でもね、歌が好きな気持ちだけはあなたと同じかそれ以上に持っているつもりだから。クロロスもアスターも」
 覆しようのない真実だ。彼らの歌を聴けばそんなことは自明なのだ。
「おはよう! なんて気持ちの良い朝だろう」
 後ろからの朗らかな声に振り返ると、張り切っているクロロスと眠そうなアスターがいた。
「俺よりも早いなんて随分とやる気に満ち溢れているじゃないか。すごく嬉しいよ」
 弾けるような笑顔を無視して、クロロスの後ろに隠れているアスターに声をかける。
「虫タイプなのに朝は弱いのか」
「偏見ですよ……一定数朝が弱いポケモンはいます……ボクもそれに該当しているだけで……」
 クロロスに生気でも吸い取られたかのように弱弱しい。
「俺を無視するのはやめ――」
「いつものことなの。あと一時間もすれば元に戻るわ」
 フロールに遮られたクロロスはわざとらしく悄気(しょげ)るが、僕は一切気にかけない。
「みんな集まったんだ。さっさと仕切ってくれないか」
 白けた顔をクロロスに向けると、彼は背をぴんと張った。
「そうだね。でもその前に、一つだけやっておきたいことがあるんだ。君の名前についてなんだけど」
「名前……」
 この島で誰にも認識されることもなく、ずっと独りで過ごしていた。ゆえに名前がなくても差し支えはなかった。
「やっぱり、名前はあったほうがいいと思うんだ。君に似合うような素敵な名前が」
 ややあって、僕は黙ってうなずく。こればかりはクロロスの言葉だろうと同意せざるをえない。
「だから君の名前、考えてきたんだけど」
「は?」
 名前の必要性はわかる。彼らだっていつまでも僕を君とかあなたとかで呼んだり、僕を話題にしたりするときに不便だろう。
 それでも、よりによってクロロスに名づけられるのは納得がいかない。
「要らない。自分で考える」
「自分に名前つけるの、恥ずかしくない? 誰かにつけてもらったほうが絶対にいいよ」
 正論に言い返す言葉もない。しかし、断固として譲るつもりはない
「クロロスにつけられるのだけは絶対に嫌だ」
「じゃあ発表するね」
 こいつには耳がないのか。
 まあいい。気に入らなかったら拒否して、フロールやクロロスに頼むだけだ。
「イオ」
 ――イオ。
「っていうのはどうかな」
 まるでサザンドラには似つかわしくない名前だ。凶暴ポケモンがそんな名をしていたら冷笑されるに決まっている。
「……イオ。いお。イオ――」
 なのに、なぜ何度も口に出してしまうのだろう。認めたくはないが、存外に気に入ってしまった自分がいた。
「素敵な名前じゃない? 私はいいと思うわ」
「ボクも賛成です。とても似合ってますよ」
 満場一致だった。あとは僕が了承するか否かにかかっている。
「……俺の友達の名前なんだ。歌がすごく上手で、いつも俺に歌を教えてくれた。ただ、それもずっと昔の話で、今はどこで何をしているのかわからないし、向こうも俺のことは覚えてないかもしれないけど」
 クロロスはどこか寂しそうな顔をしたが、それも一瞬のことで、すぐにいつも通りの笑顔に戻った。
「この名前を受け取ってもらえたら俺は嬉しい。ダメだったらまた別のを考えてあげるよ」
「結局クロロスが考えるのか」
 笑いそうになって、口元を抑えた。わずかでも隙を見せそうになった自分を戒めるために咳払いをする。
「……ありがたく受け取っておこう。感謝するよ、クロロス」
 森がざわめき始める。もう、この島のポケモンたちが起きだす時間だった。




  ◆◇◆◇◆




 洞穴の奥で、銀色の月光がさざ波に乱反射するのを、ただじっと見つめている。
 今日の出来事を思い浮かべては、入り江に流入する潮に溶かしていく。
 声が()れるまで練習した。四匹とも歌い疲れて、陽が沈み始めるころにはまともな合唱などできやしなかった。
「楽しかったなあ」
 嘘偽りのない本心。だが、まだ心を完全に許しているつもりでいないのは、彼らを信用していないからではない。
 たった一日やそこらで打ち解けてしまうのは、彼らの思い描くシナリオを馬鹿正直になぞっているようで、悔しいからだ。
 クロロスに対しては特につっけんどんな態度を貫いてはいるが、いつまでももちそうになかった。
 今日は数え切れないほど歌ったが、いずれの曲にもテーマがあり、捧げるべき対象があった。海や空、山などの自然。人やポケモンの繋がり。愛、惜別。怒り、喜び、哀しみなどの感情。
 みな、真摯な表現者となって、歌っている。僕も彼らに倣って、誰かのためや何かのために歌いたいと思った。それはきっと、至極楽しく、素晴らしいことのはずだ。
 身近な題材を思い浮かべる。ずっと独りだった僕には、そう簡単に題材は思い浮かばない。自然や、友情や愛情といったものはクロロスたちがあらかた歌を作ってしまっている。
 僕だからこそ作れるものはないだろうか。
「……そうだ」
 一つだけ思いつく。クロロスの古い友達に宛てた歌を作って歌ってみようか。
 クロロスが名づけたとはいえ、名前を勝手にもらってしまったのだから、たとえ届かずとも僕の意は伝えなければならない。大それたものではないけれど。
 早速メロディを考える。姿も声も知らない相手に、どんな曲を作ればいいか、脳みそを絞って考える。
「らーららーらー――」
 即興のメロディをとりあえず口ずさんでみる。
「……違うな。らんらららん、らーららー、らららん、らら」
 曲調を変えてみる。だがどうもしっくりこない。
 ――そもそも、どんなメロディなら納得できる? 何を目指そうとしている?
 雲一つなかったはずの空は、いつのまにか曇天になり、月は(おぼろ)な薄明を注ぎだした。
 どれだけ時間がたっても、一向にフレーズは思い浮かばない。
「そうか」
 僕はただの一度たりとも、特定の誰かや何かのために歌ったことはなかった。曲にテーマを掲げても、歌うのはいつも自分のためだった。
 海の荘厳。西の静穏。東の喧騒。陽の眩しさ。月の淋しさ。
 紫色の灯火。灰の乱舞。幾重の金切り声。モノクロームを踊る指。
 何かに、誰かに捧げるように歌っているつもりで、情景の中心にはいつも自分のくっきりとした輪郭が居座っている。
 歌には絶対の自信があるけれど、歌は僕の及ばない領域を追憶するための手段でしかなかった。
「クロロスたちのように、誰かのために歌えるようになろう」
 洞穴を這い出て、朧月に誓う。この島でずっと独りで、ようやく友達ができたばかりだけれど、きっと記憶を失くす前は誰かに支えられたり、何かを支えたりしながら生きてきたはずだ。
 いつかそんなポケモンや人のために歌えるようになりたい。
 月がうなずくように光を増した気がした。




  ■□■□■




 人間の力はポケモンよりも遥かに弱い。けれど、それを補って余りある頭脳が、僕たちポケモンの想像を容易く凌駕していく。
 この大きすぎる家も、無意味なくらいに細かい意匠も、人間でなければなしえない。もしかしたらポケモンの手も借りたのかもしれないが、些末な問題だ。
 僕たちポケモンにとって、それが無害ならば何も問題はない。そうでないことがしばしばあるのは、優秀な頭脳をもつ者たちの傲慢か。
「いつもより大砲の音が多いね」
 ユズリは僕たちの頭を交互に撫でながら、開かない窓の外を見やる。
 この国は――ユズリやその両親と一緒に住んでいるこの穏やかな町は――戦争をしているのだという。
 戦争というのは、国と国が互いに主張をぶつけ合わなければいけないとき、互いに利益を取り合うような状況になったとき、国の偉い人が国内の不満の矛先を反らしたいときに起こるのだそうだ。
 難しいことなので、以前ユズリから噛み砕いて説明してもらった。ただ、理屈はわかっても理解はできなかった。
 誰かを、何かを傷つけるのはいけないことだ。誰から教わらなくとも、みな自然とわかっていくことだ。
 一部の人間は、それでもなおたくさんの人間やポケモンを傷つけるのをやめないのだという。
「どうして?」
「どうして?」
 ユズリに鳴いて尋ねても、彼女は首を横に振るばかりだった。きっと彼女にも理解できないのだろう。
 それでいいと思った。僕たちの主人が、人間やポケモンを傷つける意味を理解できる人だったら、僕たちは悲しみに打ちひしがれることしかできなくなる。
「新しい曲をずっと練習してたの。一緒に歌いましょう」
 ユズリがピアノを弾く。ゆっくりとたどたどしく、丁寧に。ぽろろん、ぽろろん、とやがて滑らかになる音は、白い指先と楽しく踊り始めた。
 次いでユズリの声が連なる。ヤヤコマのさえずりのような歌を、ピアノの音に重ねてゆく。僕たちも歌う。ユズリの声と一体となるように。
 右の頭のデクスは、曲全体を支えるような低音を伸びやかに歌う。平面的だった曲に、立体的な深みを与える歌声。
 左の頭のレフは、ユズリの声に連れ添うハーモニーを軽やかに歌う。楽しげな音楽が一気に華やいだ。
 一人と二頭とピアノが、白い部屋に色をつけてゆく。灰色に染まっていく街とは裏腹に、ユズリたちのまわりは玉虫色の淡い虹が架けられる。
 少女と、最終進化にも至っていないポケモンは、この世界の広さを知らない。大砲の音がどこから鳴り響いてくるのかも知る由もない。
 狭い世界にしか生きられないから、何でも信じられた。
 何の変哲もない日常は、永遠に変わらないと思っていた。
 



 僕たちもろとも家が吹き飛んで崩れたのは、空の明滅に目が倉真、爆鳴に耳孔を(つんざ)かれた直後だった。




  ▼▽▼▽▼




 クロロスがイオと名づけたサザンドラに出会ってから、一週間が経った。
 イオは毎朝誰よりも早く東の海岸で独り佇んでいて、私たちを待っていた。
 いつも、物憂げな表情で水平線の向こうを見ている。イオは記憶を失っている身の上で、何に思いを馳せているのだろう。
 日が経つにつれて、イオの眉間にしわを寄せているような表情は見なくなり、代わりにサザンドラらしからぬ柔和な表情をよく見るようになった。
 嫌いだと断言していたクロロスに対しても、少なくとも無視することはなくなっていた。心を少しずつ開いているのは誰の目に見ても明らかだった。
 私も時折、イオと同じ方向を眺めて物思いに耽る。
 水平線の向こうには、大陸がある。ずっと泳いで蜃気楼を越えていけば、私やアスター、そしてクロロスの故郷である町に辿り着く。もう灰燼に帰してしまったけれど。
 たった数か月前のことなのに、百年以上も昔のことに思える。
 赤赤と燃える町から命からがら逃げだして、初めて出会ったクロロスやアスターと一緒に三日三晩かけて海を渡った。
 この島に行き着いたのは偶然だった。ポケモンしか棲んでいない無人島。人間の憎しみやエゴに巻き込まれない天国。
 大陸に戻りたいとは思わない。そもそも再び棲むことだってかなわないだろう。だが、すべてが炎の中に失われた町がどうなっているのかが気になる気持ちはあった。
 クロロスはどう思っているだろう。アスターに至っては、町を駆け回っている最中によほど凄惨な光景を見たのか、島についてもしばらく飲まず食わずの生活をして死にかけている。今は元気にしているが、彼が先の戦争のことを自ら口にだしたことは一度もない。
「フロール、おはよう」
「おはようございます、フロールさん」
 クロロスとアスターが来る。もうそんな時間なのかと思ったが、確かに陽は水平線から完全に顔を出していた。
 まだイオは来ない。
「珍しいね、イオがまだ来ていないなんて。寝坊かな?」
 驚きの裏にある不安感。クロロスの高いトーンには、奇妙な上ずりがあった。
「ただの寝坊だといいんですが、もしかしたら風邪をひいたり、病気をしているのかも……」
「考えすぎよ、アスター。イオは昨日も元気にしていたじゃない。でも遅刻は遅刻だから、呼びにいかないとね」
 私は努めて明るく言ったが、一週間歌の練習を続けていた疲労で倒れている可能性も否めなかった。
 私たちと出会う前は、ずっと洞穴の中で引きこもっているような不健康な生活を続けていたようだし、生活リズムががらりと変わったことで体調を崩したということは十二分に考えられるだろう。
 背中にアスターを乗せ、クロロスの先導で島のまわりを右回りに泳いでいく。イオは東の海岸とは真逆の位置に棲んでいるが、そろそろあの寂れた入り江から棲み処を移すつもりはないのだろうかと疑問に思う。
「そういえばイオさんって――きっとこの島の外からやってきたんでしょうね」
 アスターが私にぼそぼそと話しかける。
「ボクたちの種をこの島で一切見かけていないように、サザンドラ種もこの島では見かけないですし」
 実際、アスターの考えは間違っていないように思える。この島には限られた種族のポケモンしか棲んでおらず、ラプラスもアシレーヌもコロトックも私たちだけしかいない。サザンドラも同様だ。
「イオさんは記憶喪失みたいですけど、願わくば戻してあげたいですね、記憶を」
 イオがどのような経緯で記憶を失ったのかは知らない。ただ、アスターの言うように、記憶が戻るように働きかけたいと願うのは、友達として当たり前のことだった。
「ただ、その記憶が戻すに値するものだった場合にのみ、ですけど」
 アスターが言外に意味深なことを含ませるが、それは私たち三匹の共通認識だった。もっとも、記憶を戻すとして方法はどうするのかという問題に突き当たってしまうが、おいおい良い考えが浮かんでくるのを待つしかない。
「外には出てきてないみたいだな」
 入り江に到着しても、イオの姿は見えなかった。洞穴の中で寝ているのだろうか。
 そう思った矢先に、地鳴りのような音と、次いで何かが崩れ落ちる音が聞こえてきた。
「フロール! アスター!」
 クロロスが私たちを促しながら一目散に洞穴へと向かっていく。音がした方向は明らかにイオの棲み処からだった。
 浅い洞穴の中で、イオの姿はすぐに見つけられた。
 異様な光景だった。
「イオッ!!」
 イオが洞穴の中で暴れている。太い尻尾を岩壁に叩きつけたり、自分の腕を咬んだりしている。悪の波動も放っているようで、迂闊に近づくことはできそうにない。
 しかしクロロスは危険を顧みずに洞穴の中へと突っ込んでいく。
「クロロスさん! 危ないですよ!」
 考えなしに突っ込むなんで。こうなったらしかたない。
「行くわよアスター!」
「フロールさんまで!」
 クロロスがイオに飛び込んで押さえつけようとするが、体躯が二倍以上も違うイオを一匹で止めるのは無謀にも等しい。
「がああぅ!」
 暴れるイオの上にのしかかる。技を出せないように口も塞いだ。
 そしてアスターもイオの尻尾に馬乗りになった。
「ぐっ、ぐがあっ!」
「イオ、落ち着いて! フロールよ、わかる!?」
「イオ、暴れるのは止すんだ!」
「イオさん、う、うわあっ」
 アスターを尻尾で吹き飛ばしたのと同時に、イオの動きは何事もなかったかのように沈静化した。怯えるような表情で喘ぐイオの上からクロロスと一緒に降りて、事態を見守る。
「僕、僕……ッ」
 イオがわっと泣きだした。まるで幼児退行したかのように、わんわんと泣いている。
「どこか痛いの? 苦しいの?」
 アスターが危惧したとおり、病気に苦しめられているのかとイオに問う。だが、イオの放つ言葉はまったく私たちが考えていたものとは見当違いのものだった。
「僕は誰なの? どうやって生まれたの? 友達はどこ? 僕は――僕は――」
 涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、何度も何度も同じ言葉を繰り返すイオに、私とクロロスはいたたまれない表情を向かい合わせるしかなかった。
「絶対に忘れちゃいけないものを忘れてる気がするんだ。なのに何も思い出せない。僕の本当の名前も、生まれ育った場所も――友達だっていたかもしれない。でも、全部――」
 涙声で主張するイオに私たちができることは、彼を孤独にさせないことだけだった。
「イオさん……夢を見たんですか?」
 洞穴の入り口まで弾き飛ばされていたアスターがのろのろと立ち上がって、ぽつりと呟いた。
「夢って……」
 先ほどまで暴れていたのは、悪夢にうなされていたからとでもいうのか。
 しんとする洞穴。潮の満ち引きだけが残響する。
「イオさんは、もしかしたら失った記憶を取り戻したいと思っているのかもしれないですけど、それは本当に取り戻していいものだと思いますか?」
「どういう……意味だよ……」
 鼻をすすりながらも一応は落ち着いたのか、イオはアスターへと問いかける。そこには、微妙な苛立ちも垣間見えた。
「もし昔の思い出が辛いものばかりで、記憶を失っている今のほうがずっと平穏なのだとしたら……思い出さないほうがかえってイオさんにとってよいのかもしれませんよ」
 つい先ほどまで危惧していたとおりだった。アスターの言わんとしていることを、私もクロロスも理解する。が、その言葉は迂闊だった。
 イオの逆鱗に触れたと思ったときにはもう遅かった。イオが尻尾を激しく地面に叩きつけて唸る。
「お前らは! お前らは僕がどれだけ失くした記憶を欲しているかを知らないだろう! 自分が何者かわからない! 生まれ育った場所も! 親や友達の名前も顔も! なぜこの島にいるのかも! 全部わからないこの不安が! お前らに……お前らに……!」
 壁を殴っては唸って威嚇するイオは、目を真っ赤に充血させていた。凶暴ポケモンたるゆえんを間近で垣間見た私は、思わず後ずさる。しかし、クロロスはいつもの笑顔をイオに向けて近づいた。
「イオ、そんなことをしたら、セレノとテルロが痛がってしまうよ」
 魔法の言葉だった。イオははっとして、腕を岩壁にぶつけるのをやめた。
「……ごめん」
 おそらく自らの両腕に向けて言った言葉だろう。両腕の目が瞬きをした。
「イオ、今日は具合が悪いようだし、ゆっくり休みなよ。俺はまた夜お邪魔するよ。ちょっと話したいことがあるんだ」
 それだけ言って、クロロスは洞穴を後にした。
「……無神経なことを言って、本当に申し訳ありません」
 目に見えて気落ちしていたアスターは、逃げるように洞穴を立ち去った。
「彼に悪気はなかったの。許してあげて」
 アスターの言葉に心で同調していた私に、イオにそんな言葉をかける資格なんてない。それでも何かを言わないと、この最悪な雰囲気から逃れられそうになかった。
 イオは一切喋らず、魂の抜けてしまった表情で虚空を見つめ続けている。私もアスターを追うように、洞穴から這い出た。




  ▲△▲△▲




 悪夢を見ることは、この島に来てからままある。むしろ、ありふれた夢らしい夢を見ることのほうが少ない。
 脳裏に無理やり刻み込まれた辛い記憶は、およそ現実とは程遠い奇妙で楽しい夢すらも蝕んでくる。
 ボクは、生まれた場所はよく覚えていないが、ヴァゼルストッフという町で育った。
 どこにでもいるような野良のコロボーシで、物心ついた時にはコロトックに進化していた。
 ヴァゼルストッフのいいところは、音楽がどこからでも流れてくるところだった。音楽の町を標榜しているだけあって、教会でも学校でも民家でも、何かしらの楽器を設えては窓からさまざまな音色を垂れ流していた。
 ボクの生きがいは、無限に生まれてくる楽器の音色をコピーして自分のものにすることだった。
 当然一朝一夕にはできない。パイプオルガンの音を手に入れるために毎週日曜日、人が集まって賛美歌が歌われる教会の裏に潜んで、伴奏のパイプオルガンの音を真似た。
 また、金持ちらしい身なりの子供が不定期に学校の前でヴァイオリンを演奏していたので、聴衆に紛れて聴いていた。
 町外れには大豪邸があって、そこからはいつも歌声が聞こえてきた。流石に声を真似ることはできないと思っていたが、いつの日からか儚げなピアノの音が聞こえてくるようになった。ならば、とコピーするために日夜聴きに通った。
 どこにでもいるコロトックは、いろいろな音を奏でられる唯一無二のコロトックになった。
 あらかたヴァゼルストッフの音はコピーして、いつでも再現できるようになった。
「しかし、音をコピーするのはもう飽きてしまいましたね……」
 楽器の音を真似られるのは一種の才能だろう。与えられた能力に任せてただただコピーを続けてきたが、その先にある音の生かし方はほとんど考えていなかった。
 そんな矢先、とある人間の男から声をかけられる。
「俺の相棒にならないか?」
 その男は、茶色のロングブーツに黒いズボン、赤いジャケットを羽織っている妙ないでたちをしていた。そして、アコーディオンを携えている。
 男はアコーディオンを弾きながら歌い始めた。歌の名前は知らないし、歌そのものも聴いたことがなかった。
 しかし、音楽は言葉以上に雄弁である。この男がボクに気に入ってもらうために、ボクへの歌を歌っているのだと理解した。
 人間と組んで音楽をする。なかなか面白そうだ。演奏が終わると、ボクはナイフのような手を差し出す。男も手を差し出そうとした。



 夕空が光った。



 爆風と轟音。何もかもが吹き飛んだ。
 ボクも吹き飛ばされ、気も失ってしまった。どれだけ時間が経ったか、目を覚ましたときには周辺の光景はまったく様変わりしていた。すでに空は暗いのに、町は不自然に明るい。次いで嗅覚を刺激してくる煤のようなにおいに顔をしかめる。
 この国は戦争をしていた。どんな戦争かは詳しく知らない。戦局が長引いていることだけは風の噂で聞いていた。
 ただ、この町は呑気だった。誰も彼もが、戦争が何たるかを知らないふうな顔をしていた。それはボクも同じだった。
 そして理解する。戦争とは、美しい煉瓦の建物と緑の木木が、焦土へと変貌する――そんな形をしているのだと。
 ボクを相棒にしようとしていた男のことを思い出す。しかし、目に入ってくるのは破壊された建物や、怪我を負った人やポケモンたち、そして死骸。彼の姿はどこにもなかった。
 もう彼とは出会えないのだと悟った。自分の体を見る。不思議なくらい、深手となるような怪我はしていなかった。
 足元には、壊れたアコーディオンが転がっていた。
 ボクは彼の形見から鍵盤を一つ切り取った。そして走る。あてはない。けれど、海へ出るのがいいだろう。
 何しろ暑い。形が残っている建物も、みな燃え盛っている。少しでも涼しいところへ。
 途中で出会った怪我人や手負いのポケモンたちには目もくれなかった。非常時にはどこまでも利己的になれるが、そもそもボクには助ける力はないと(かぶり)を振る。
 いつもヴァゼルストッフの町を歩き回っていたから、地図は表通りから路地裏まで頭に入っている。
 本屋だった場所。パン屋だった場所。靴屋だった場所。全部変わってしまっていた。
 学校、教会、町外れの豪邸――潰れ、燃え、壊れたそれらは、もはやいかなる役目も果たさない奇怪なオブジェへと成り下がってしまっていた。
 それでも、触れてわかるような形がわずかでも残っているだけ、幸せだと思った。
 ボクが愛した音たちは無形で、もう二度とこの町で奏でられることはない。存在は完全に抹消された。
 初めて涙を流した。生まれてからずっと飄飄と生きてきて、深い悲しみを感じいるようなことは何一つなかった。
 がむしゃらに走って、港へと出た。小さな倉庫は全部燃えていて、止めてあったであろう船も炎上して海へと投げ出されていた。
 海の風が涼しい。場違いな気持ちを抱いたボクは、その場にへたり込んだ。
 この先はどうすればいいのだろう。何も思いつかない。煙のにおいに咳き込み、目も煙にやられたのかうまく開かない。
「君! こっちに来て!」
 波止場に二匹のポケモンがいた。何という種類のポケモンなのか、ボクの乏しい知識ではわからない。ただ、どちらもボクと異なって海を渡れそうな姿をしていた。
「逃げるぞ!」
 誘われるがままに、片方のポケモンの甲羅に乗る。
 のちに甲羅があるポケモンがラプラス、ボクを呼んだポケモンがアシレーヌという種族であることを知った。
 ほぼ無傷のボクに対して、二匹は怪我をしていた。ラプラスは甲羅が欠け、首に傷があった。アシレーヌは明らかに致命傷にしか見えない大きな傷を背中に背負っていた。
 ボクですら目の前でたくさんのポケモンや人間が死んでいる町を駆け抜けてきて絶望しているというのに、深手を負っている彼らの悲しみはどれほどのものだろうと案じる。
 ポケモンも人も、痛みや悲しみを乗り越えて強くなると言うけれど、この悲しみを乗り越えたところで何を得られるのだろう。元の平穏はもう戻らない。
(さよなら、ヴァゼルストッフと音色たち)
 もし神様がいるのなら、この赤黒く染まった悲痛な記憶をすべて消してほしいと願う。
 群青色の海の上に、きらきらと星が光っていた。真っ赤に燃え盛る町に振り返ることは、三匹ともしなかった。




  ●○●○●




「あの子には期待するだけ酷というものよ」
「一流とは言わないまでも、なんとか並に歌えるようになってくれればいいんだが。それも厳しいか……」
 群れの長とその妻が話しているのを偶然にも耳にしてしまったことがすべての始まりだったのかもしれない。
 アシマリもオシャマリも、その先にあるアシレーヌという姿に、みな一様に焦がれる。
 どんなポケモンだってそうだろう。一部の進化しないポケモンを除けば、みな最終進化を夢見て、今の自分にはできないことを軽軽やってのける自分を夢想する。
 だからみんな、一流のソリストととして群れを率いるアシレーヌになるために、踊りや芸の練習をするだけでなく、歌の練習もするのだ。
 俺にはその意識が希薄だった。踊りをするのも芸をするのも歌を歌うのも、楽しくやるのが何よりも大切で、上手い下手は二の次、三の次――もっと優先順位は低かった。
 だからか、一生懸命に練習する仲間たちには疎まれていたのかもしれない。鈍感を押し通したわけではなかったが、気に留めないようにしていた。
 しかし、群れの長の言葉となると簡単に聞き流すわけにはいかなかった。
 あまりに出来が酷いと群れを追い出されるかもしれない――。
 もちろんそんな仕打ちを受けるはずもないが、幼心に危機感を募らせていたのは確かだった。
 誰も寄りつかない寂れた波止場で、歌の練習をした。誰にも聞かれないようにと選んだその場所は、日を経るにつれて愛着の湧く秘密基地のようなもので、なくてはならない場所となっていた。
 だが、一向に上達する気配はなかった。何百回、何千回と歌ってもまったく上手くならず、歌の練習は自分の下手さをひたすら確認するだけの作業だった。
 それでも歌を嫌いにはならなかった。どれだけ下手でも、歌っているときの楽しい気持ちを否定することはできなかった。でなければ秘密の練習など続くはずもない。
 そんな折り、彼は突如現れた。
「僕も歌っていい?」
 夢中で歌っている最中に、背後から忍び寄る影に気づけるはずもない。
 モノズ。粗暴ポケモン。俺の二倍ほどの体躯がある上に、凶暴と名高いポケモン。
 悲鳴を上げて逃げようにも、ひれは震えて動かないし、声もかすれてしまっている。
 けれど、彼が一向に攻撃を仕掛けてこないために、少しだけ冷静になる。――歌ってもいい?
「い、いいよ」
 辛うじて声を絞り出した。そういえば、彼の声は粗暴ポケモンのそれとは思えないくらいに澄んでいる。
 いったいどんな歌を歌うのだろう。

「――!!!」

 三十秒。たった三十秒の衝撃は、俺の脳をガンガンと揺らして、底知れぬ不幸と至高の幸福が()い交ぜになったような奇天烈な感覚をもたらした。
「君が歌っていた歌を同じように歌ってみたんだけど……どうかな?」
 同じ? これが? 嘘だ。すごい。なんでこんなに。
「俺に歌の歌い方を教えて!」
 彼の首元に飛びついた。俺の受けた衝撃を表現するには、そうすることしか思い浮かばなかったのだ。
「わわっ」
 驚いた彼に振り落とされた俺は、そのまま海へと落ちた。
 あとから知ったことだが、モノズは目が見えていないらしい。僕が飛びついたのに驚いて振り落としてしまうのも無理はなかった。その日を境に、俺には友達が一匹増えることになった。
「名前教えて?」
 海から上がった俺は真っ先に尋ねた。
「僕はイオだよ。君は?」
「俺はクロロス! よろしくお願いします、師匠!」
「……師匠はやめてほしいかな」
 友達兼師匠。イオは最後まで師匠であることを認めなかったが、歌を俺に教えるその振る舞いは師匠の名に違わぬものだった。




  ◆◇◆◇◆




「これが俺の幼い頃の物語。どう? 感動した?」
 クロロスは朝言い放ったとおりに、陽が沈んだ頃に洞穴へとやってきた。
 僕は飲まず食わずで何もせずにじっと佇んでいた。そして、アスターの言葉を反芻していた。

『もし昔の思い出が辛いものばかりで、記憶を失っている今のほうがずっと平穏なのだとしたら……思い出さないほうがかえってイオさんにとってよいのかもしれませんよ』

 夢の内容はやはりほとんど覚えていない。しかし、目が覚める直前の、あの恐ろしい轟音と白んだ視界だけはいつまでも現実感溢れる映像として脳裏に流れ続けている。
 そう、夢というにはあまりにも生生しく現実的だった。もし僕の脳が、失った記憶の断片を夢として見せているとしたら。
 記憶喪失の悲しみを顕著に感じるのは、いつも眠りから目が覚めた直後だったのにも合点がいく。
 そんなことを考えていたときに、クロロスはやってくるなり突然昔話をしだした。
 うなずきもせず、ぼうっと彼の話を聞いていた。クロロスが言っていた昔の友達とは物語に登場したポケモンで、僕はそのポケモンの名前をもらったのだと理解した。
 そしてクロロスは感想を求めてきた。
「君にもいろいろあったんだなあって思った」
「……それだけ?」
「うん」
 クロロスはわざとらしくため息をついた。僕の感想がよほど意にそぐわなかったようだが、これ以上どんな感想を抱けというのだろうか。
「生きてれば大なり小なり劇的な出会いはあるだろう? そのイオとの出会いは驚くべきことなのか?」
「じゃあ、もっと劇的なら驚いてくれる?」
 クロロスのサファイアのような瞳が白い睫毛で一瞬翳ったあとに、月の光を受けて輝きを増した。
「――君がそのイオだよ」
「……え」
「君が僕に歌を教えてくれたんだ」
 冗談だろ、などと言おうものなら怒りだしそうなくらいには、クロロスは真剣な目つきをしていた。
 クロロスの旧友とは僕のことだったというのか?
「証拠はないよ。もう長い間会っていなかったし、俺もイオも随分と姿が変わってしまったし。でもね、歌を歌える種族って限られているんだ。アシレーヌ、ラプラス、プリン、僕が知っているのはそれくらい。例外もあるかもしれないけど、滅多にいない。だから、目の前に現れたモノズがとんでもなく上手な歌を披露したときは本当にびっくりしたんだ」
 クロロスは黒い海を眺める。月明かりが煌煌と海面を照らして、白い炎のように揺らめいていた。
「あれから月日は経ったけど、普通(﹅ ﹅)のポケモンが歌を歌っているところはつい一週間前まで出会わなかった。モノズの最終進化系である君を見るまでは」
 僕は何も言えずに押し黙る。
「イオ、もちろん君は覚えてないだろうけど、俺は確かに覚えているよ。君の記憶がなくなってしまっても、俺は絶対に忘れない」
 実感が伴わない。記憶がないのだから当然だ。
 だが、クロロスの独白を否定するすべを僕がはもっていない。歌という特殊な形状のピースがかっちりと僕らの間に埋まっている。
「ヴァゼルストッフという港町があったんだ」
 クロロスはなおも独白を続ける。
「俺たちのいつもの場所……東の海岸から見える水平線を越えた先には大陸があって、その港町で俺は生まれ育った。きっとイオもそこで育ったんだと思うよ」
 ヴァゼルストッフという町の名前に覚えはない。ただ、町の情景をぼんやりとイメージすることはなぜかできた。すっかり忘れてしまったと思っていた夢の中で見たものを、思いがけず想起したのかもしれない。
「俺はときどきイオに歌を教えてもらっていた。オシャマリに進化してからは君は姿を現さなくなってしまったけれど、俺は変わらずに歌の稽古を続けて、なんとか群れの長に認められるくらいには成長した」
 クロロスが歌に費やしてきた時間に思いを馳せる。せめて同族たちと同じくらいには歌えるようになりたいと願ったクロロスに、僕はちゃんと手を貸せたのだろうか。彼と同じように、彼の成長を願えたのだろうか。
「アシレーヌに進化して、少しずつ自分の歌に納得できるようになってきて、そしていつかまたイオに出会うことができたら、昔のように一緒に歌いたいなんて思ってた。でも」
 クロロスの声が翳る。潮騒が一層大きくなった。
「ヴァゼルストッフに爆弾が落ちた」
 爆弾という言葉に、視覚が過敏に反応した。白い光。轟音。夢の終わりの光景が鮮明に幻影となって映しだされた。
 僕は過呼吸を引き起こしそうになるのを必死で耐える。今朝のような醜態は二度と晒したくない。
「戦争をしていたんだ、ヴァゼルストッフがあった国は。本当に戦争が行われてるのかって疑問に思うくらいには、平和な町だったけど、やっぱり見えないところで戦局はぐるぐる変わっていたみたいで。一瞬で町は壊れて燃え上がった」
 やはり――夢は僕の記憶だった。覚醒している白昼に思い出せなくても、夜の長い夢はずっと僕を撃ち続けていたのだ。
「命からがら町を抜け出して、海に出ようと港に向かった。水路を下る途中でフロールに出会って、海へ出る直前でアスターにも出会った。三匹で、陽の沈む方角へ海を泳ぎ続けた」
 しかし、夢の違和感は拭えない。町が破壊されたこともたくさんの人やポケモンが傷ついたことも、大いに悲しむべきことだ。絶対に風化させてはならない記憶のはずだ。
 だが、僕が本当に忘れてはいけなかったものは、そんなことではないような気がするのだ。もっと身近で、僕自身の根幹にかかわるような――。
「この島に辿り着いたのは、三日三晩泳いで疲労困憊、いよいよ体力も底をつきそうなときだった。最悪な出立だったけど、俺たちは本当に幸運だった。それで――って、イオ、大丈夫?」
「……あ、うん」
 吐き気がする。クロロスの言葉に心を乱されて、平静を装うには無理があった。まるで脳みそがぐちゃぐちゃに掻き回されているようだった。何かがおかしい。この幻視を僕の記憶とするには、何かが違う気がする。でも、確かに僕のもので――。
 ああ、頭が痛い。いったいこの違和感は何なのだろう。僕はどうしてしまったのだ。
「ごめんね。こんな夜に押しかけて。今日一日調子が悪かったのに、一方的に昔話なんか聞かせるのは迷惑だったよね」
 僕を何度怒らせても朗らかさを押しつけてきたクロロスが、初めて見せる申し訳なさそうな表情。
 違うよ、別に迷惑だなんて思ってない。ただ、遡行する胃酸のような辛い記憶を無理にでも掘り出さなければいけない苦しみに身体がついていけていないだけなのだ。
 僕に過去を与えてくれたクロロスを、どうして迷惑だなんて思える。
「俺は帰るよ。ゆっくり休んで――」
「待って。帰らないで」
 洞穴に残響する声。海鳴りを轟かせる黒い海。月を隠した曇天。
 すべてが不安だった。こんな夜をひとりで過ごすには、僕はあまりにも頼りなかった。
「一緒にいて」
 どれだけ僕は弱弱しい声を発していたのだろう。クロロスは僕を安堵させようと精一杯の笑みを僕へと向けてきた。
「じゃあ、歌おうよ、一緒に。君とふたりで歌うこと、俺の夢だったから」
 クロロスが僕の手を取る。クロロスの手はたおやかな見た目とは裏腹に硬さのある弾力を有していた。
「これはイオが初めて俺に教えてくれた歌だよ」
 クロロスは静かに歌い始める。氷のような透明度をもった声は、洞穴をまっすぐに突き抜けた。
 歌った記憶はない。けれども、知っている気がする。
 かつてあった長閑(のどか)な町の風景が、泡沫のように浮かんでは消える。
 クロロスにコーラスする。そっと包み込むように、優しい声で。
 右腕(テルロ)左腕(セレノ)も歌い始める。ささやかに祈るような音で。
 小さな洞穴は僕とクロロスのコンサートホールで、潮騒と月が聴衆だった。

「クロロスは……僕とこの島で出会ったとき、僕がイオだってことにはすぐに気づいた?」

「気づいたよ。イオの歌声を一度たりとも忘れたことはなかったから。でも、お互いに姿形が変わって、イオは明らかに俺のことを覚えていなかったみたいだし、様子見してたら記憶喪失を打ち明けられた。言うタイミングを見失っちゃってね」

「……そっか」

 ときどき、歌の合間に映像が映る。ああ、これは夢の断片だ。
 白い部屋。はめ殺しの丸窓。ピアノに細い指が躍動する。
 双頭が、揺れる。

 嗚呼。

「おやすみ、イオ」

 せせらぎの中に、クロロスの声は溶暗した。




  ■□■□■




 夢を見ている。情景は淡いパステルカラーで、現実よりも浮遊感を纏っている。
 それでも、瓦礫の微粉末が舞い散って鼻腔に入り込む不快感と、有機物が燃える嫌なにおいは、たちまち夢独特の空気を台無しにした。
 僕は、まだ僕たち(﹅ ﹅ ﹅)だった。
 身体の上に乗っている、建材に逆戻りしてしまった豪邸だったものを押しのける。
 足、首、いろいろなところが痛いが、致命傷ではない。何が起こったのかわからないが、死んでいないことだけは確かだった。
「なんで」
「こんなことに」
「……ユズリは?」
「ユズリがいない」
 ユズリだけではない。町も、元の形をほとんど残っていなかった。
 ユズリの父親と母親は仕事で街に出ている。その方角は――轟轟と赤く燃えていた。
 先ほどまで、白い部屋の中で、ユズリのピアノと一緒に歌っていた。全部、壊れた。
「ユズリ!」
「ユズリ!」
 力いっぱい叫ぶ。お互いが別別の方向を見て、右も左も上も下も前も後ろも、血眼になってユズリを探す。
 家は粉粉になっていた。――この下に?
「ユズリ、どこ!?」
「返事をして!」
 瓦礫を一つ一つどかしていく。重くて、汚くて、小さな僕たちにはあまりにも過酷な作業だった。
 首が痛む。でも、まだ潰れた家の下から出られていないユズリの痛みに比べたら。
 叫ぶのは喉を傷めるからやめなさいと、ユズリに注意されたのもとうの昔。今、それを破って、嗄れるまで叫び続けている。この声がなくなってしまっても構わない。ただ、ユズリを見つけだしたくて。
「あっ!」
「ユズリっ!」
 瓦礫の下から、細い指が見えた。でも、それ以上は瓦礫をどかせなかった。
 指が冷たい。もしこの瓦礫をどかしたら、耐え難い現実が待っていると直感する。
「……レフ」
「……デクス」
 お互いの顔を見る。泣きそうだった。わかっている、結末はもう見えている。
「だけど」
「それでも」
 泣きそうになるのを耐えて、瓦礫をゆっくりとどかした。
 


 潰れた豪邸の前で、三日間佇んだ。一日目はひたすら火薬の灰燼のにおいに顔をしかめていた。二日目は、まだ燃え続ける町をずっと嘆いていた。三日目は雨が降った。篠突く雨は町を冷やし、潤わせた。
 ユズリの両親は戻ってこなかった。
「そろそろ」
「行こうか」
 あてもなく歩みだす。足は町の方角へ向かっていた。ふらふらとおぼつかない足取りは重い。黒い水たまりに映った空は、晴れ上がっていた。
 町の中心部に近づくたびに、焦げついたにおいが鼻をつく。死んでしまった町に残っているポケモンや人間はほとんどなく、そこかしこに転がる死骸は日を経て地面と一体化しようとしていた。
「こんなのって」
「ひどすぎるよ」
「みんな壊れて」
「みんな燃えて」
「傷ついて」
「死んじゃった」
 三日前まで確かに存在していた平和や希望は、跡形もなく消えていた。大砲の音が遠くで木霊している。
 街中の道なき道を巡り歩いて、楽しく愉快だった日日を回想する。
 まだ頭が一つだったころ。タマゴから孵って真っ暗な世界に生まれた僕の頬に、優しく手が添えられた。
「生まれてきてくれてありがとう。私の名前はユズリ。今日からよろしくね」
 ユズリは僕に何一つ不自由させなかった。イオという素敵な名前をもらった。
 ユズリは歌が好きだった。僕の隣に座っては、いろいろな歌を聴かせてくれた。
 田園風景。海底都市。森閑とした宇宙。空色の恋模様。
 僕も真似をして歌うようになった。
「すごい。上手よ、イオ。あなたは才能があるわ」
 サイノウが何かよくわからなかったが、褒められたのは嬉しかった。もっと褒められたくて、四六時中歌った。夜、みんなが寝静まったときに歌って、叱られた。
 外にも出歩くようになった。ユズリと一緒に出掛けるときもあれば、ひとりでそぞろ歩きすることもあった。
 港までひとりで歩いていったとき、歌を歌うポケモンに出会った。
 上手くはないけど、素敵な歌声だと思った。近づいて、一緒に歌うと、たちまち友達になった。
 それから何度か一緒に歌を練習した。友達はゆっくりと上達した。僕もさらに上達した。

 時が経ち、僕は僕たちになった。少しだけ光を得て、ユズリの顔が見えるようになった。
 真横に居座るお互いを、舐めたり鼻先をくっつけたりして存在を確かめ合った。
「僕たちって」
「気が合うね」
 同時期に、ユズリの両親から外出を控えるようにと言われた。外は危険だから、と。
 ときどき大砲の音が聞こえるようになったせいだと思った。大砲の弾が飛んできませんようにと毎晩祈ったが、そんな気配は一向に訪れなかったので、すぐに気にしなくなった。
 ユズリがピアノを買ってもらった。不思議な音がする楽器だった。とても高価で、壊したら怒られてしまう、と触らせてもらえることはなかった。でも、音だけで充分だった。
 ユズリは歌うのをやめて、ピアノを弾き始めた。僕たちもピアノと一緒に歌った。
 楽しかった。白い部屋の空気は、いつも煌めいていた。
 けれども、すべて壊れて消えてしまった。
「……あ」
「ここって」
 ユズリの両親が働いていた建物だった。楽器を作っていた場所らしい。
 もう、崩れてばらばらになって、瓦礫の山と化していた。
「だめだろうね」
「間に合わないだろうね」
 きっとこの下にはたくさんのポケモンや人がいて、そしてユズリの両親たちもいるのだろう。
 三日間何も食べずに過ごして、体力もほとんどなかった僕たちが、瓦礫をどかして掘り起こそうなどと気持ちになることはなかった。
 絶望ののちの諦観。
 泥塗れになっていた足に、いつの間にか瓦礫の破片が刺さって血が出ていた。
 もう、何もかもがどうでもよくなっていた。
「疲れたね」
「眠いね」
 どんなときでもお互いの気持ちが同調(シンクロ)していたことだけが、唯一の救いだった。もし横に誰もいなかったら、自死を選んでいたかもしれない。
 すすり泣く声と腐り始めた町のにおいを通り抜けて、港に出た。
 はるか昔にクロロスというアシマリに出会った場所だった。彼ももう、死んでしまったのだろうか。灰色の港には誰もいない。
「ねえ、レフ」
「ねえ、デクス」
 この世界で、どうやって生きていこう。
「僕、ずっと考えていたんだけど」
「僕も多分、同じことを考えてた」
 ――無理だ。生きるには、希望が少なすぎた。
「町がなくなって」
「家もなくなって」
「ユズリもいなくなって」
「ユズリの家族もいなくなって」
「友達もいなくなって」
「みんなみんな、いなくなった」
 お互いの顔を見た。隠れている目から、ぽろぽろと涙が零れている。
 ジヘッド――二つの頭は、最終進化を迎えるにあたって、どちらが本体として相応しいかをいつも争っている。
 だが、僕たちは違った。名前以外は、何もかもが同じだったから、何も争うことはなかった。
「僕たちって考え方も話し方も行動も全部同じだから」
「どっちが真ん中の頭になっても恨みっこなしだったけど」
 お互いに押し黙る。この先を言ってしまえば、もう取り返しはつかない。進化が差し迫っていることは、直感でわかっていた。
 だが、これ以上の答えは出なかった。
「右腕と」
「左腕に」
「なってしまおう」
「脳みそもない」
「意思もない」
「ただの四肢に」
 そうすれば、悲しみや苦しみから逃れられる。何も考えなくて済む世界が待っている。
「ごめんね、レフ」
「ごめんね、デクス」
「僕がもっと強かったら」
「君の悲しみを引き受けられたのに」
 お互いの涙を拭い合って、泣きながら笑った。
「もう最後だから」
「歌を歌おうか」
 灰色の町を背に、群青色の海と空に向かって歌を歌う。
 レフは高い声で、デクスは低い声で。ユズリが初めて教えてくれた歌を、淀んだ空気に乗せる。
 朗らかな辞世の歌だった。やがて、身体が蒼白く光り始めた。
「さよなら、みんな」
「ありがとう、みんな」
「レフ、いつも一緒にいてくれてありがとう」
「デクス、いつも楽しい日日をありがとう」
 頭が変形し始めた。僕たちの間から、新しい頭となるものが生えてくる――。
「「さよなら」」
 そして、ごめんなさい。







 ………………。







 …………。







 ……。







 僕は朦朧とした意識の中、昏い海の上を、ひたすらまっすぐに飛んでいる。
 急き立てられるように、翼を全力ではばたかせ、まだ見ぬ安息の地を求めている。
 月明かりは一層蒼白くなって、海の群青に銀色の光を差し入れた。
 やがて、小さな島が見えた。僕の焦りは瞬く間に消えた。
 僕はゆっくりと降り立つと、そこにどっしりと根を下ろした。








 











































 僕が必死に求めていた本体(ぼく)の記憶など、初めから存在していなかった。

 代わりにあったのは、絶望の淵に立たされた彼らの悲愴な想いだけ。

 朝を迎え、さめざめと泣いていた僕のもとに、クロロスたちが訪れた。





「ねえ、みんな。僕は――」






























  ◆◇◆◇◆




「イオをメンバーに迎えてのコンサートは初めてだね」
 いつも溌剌(はつらつ)としているクロロスの面持ちはわずかに緊張の色を帯びていた。
「一月ぶりかしら。随分と難産だったものね、あの曲は」
「いくら練習してもし足りなかったですね……でも、以前よりもずっと上手く演奏できるようになりました」
 フロールとアスターの会話はほとんど耳に入らなかった。クロロスと同じか、それ以上に緊張している自分がいた。
 この一か月は、前進と後退を繰り返しながら、布を織るように少しずつ作曲を進めていた。クロロスやフロール、アスターの手を借りながら、あれでもないこれでもないと、納得できる着地点を昼も夜も探っていた。ようやく完成した曲は、三十分にも及ぶ壮大な楽曲になった。
 砂浜に聴衆が集まり始めて、ざわめきが大きくなる。公演開始まで、あと少しだ。
「イオ」
「ん」
 返事をするや否や、クロロスは僕の頬に触れた。
「楽しく歌おう。みんなに俺たちの気持ちが届くように」
「……そうだね」
 想いはすべて込めた。消えた者、残った者、愛した者に。過ぎ去りし過去と、これから来たる未来に。仲間たちそれぞれの痛みと、彼らの手がもう届かない場所へ飛んでいった者たちに。
 そして何よりも――テルロとセレノに。
 みんなと目で合図して、各各が定位置についた。一番前にいるのは、僕だ。
「今日も俺たちのコンサートに集まってくれてありがとう」
 クロロスの水晶のような声によって、聴衆は水を打ったように静まり返った。
「今日は一曲だけだけど、みんなに初披露する曲だよ。そして、こっちは最近合唱団に入ったイオ。みんなどうぞよろしく」
「よろしくお願いします」
 一礼し、深呼吸する。ぽつぽつと拍手が鳴って、心臓が高鳴った。
 目を瞑る。まだ頭が一つだったころのように真っ暗な世界の中に、テルロとセレノの生きた町を思い浮かべた。
 余計な導入は要らない。
「それでは聴いてください。曲名は――親愛なる僕らへの鎮魂歌(レクイエム)



 限りなくピアノのそれに近い音色を、アスターが紡ぎだす。()()ない単音の羅列が、森を吹き抜ける風に乗せられた。

 序章――まだ頭が一つだったころの思い出。クロロスもフロールもアスターも、僕と時を同じくして生まれた。それぞれのささやかな幼少期を、楽しげなピアノの音で軽やかに表現する。

 僕の歌声。高いトーンをアスターに重ねた。同じようにクロロスとフロールも、透明感と重厚感を併せ持ったコーラスで追随する。

 まだ何にも染まっていなかった混じりけのない僕らは、必然的な運命によって音楽を手に取った。

 飛翔するように四匹の声が絡み合って上昇する。ピアノの音は茂る樹木のように枝分かれし始め、複雑になっていく。

 クロロスとの邂逅。未熟な僕らの下手くそな歌が、殺風景な波止場を彩る。お互いが初めての友達で、明朗なクロロスと静謐な僕のコントラストは今この瞬間でさえ変わっていない。

 ピアノの音が止まって、フロールも歌を止めた。僕とクロロスだけの合唱。クロロスの瞳は、太陽に照らされてきらきらと輝いていた。胸に手を当てて歌う彼の歌声は、水晶の籠の中で乱反射するように弾ける。僕も負けじと声を張って、爽快な空に歌声を突き刺していく。

 アスターが演奏を再開し、フロールが再びコーラスし始めた。

 僕の進化の時。イオが終わり、レフとデクスが誕生する。

 蕩けるような昼下がりが、きっと永遠に続いていくと信じていた彼らを、僕は後ろから見ている。最期の瞬間をまだ知らない彼らが、夢の中でずっと幸せに泳げるように、祈っている。

「僕たちは」
「幸せだったね」

 テルロとセレノが僕らの歌に呼応して、歌い始めた。

 それは、僕以外の三匹が思わず歌うのをやめてしまうほど綺麗なハーモニーだった。天上と下界を繋ぐ繊細な糸を渡りゆくように、触れれば壊れてしまうような声で、聞いたことのない音色を奏でた。

「本当に幸せだった?」 

 僕は心の中で問う。

「何もかもを失っちゃったけど」
「もう、一つとして不満はないよ」

 アスターがピアノの音に加えてヴァイオリンの音まで奏でだした。フロールが力強い歌声を響き渡らせる。クロロスが澄み切った曇りのない声を空に投げ上げた。

 さらに上の次元へと昇華した鎮魂歌は最高潮に達して、テルロとセレノが高らかに歌い上げる。ヤヤコマのさえずりのような、それでいてキングドラの作り出す渦潮のような、誰にも真似できない声が、この小さな島を包み込んだ。

 重層的で幻想的な音に、僕が軸を挿す。奏者が渾然一体となって生みだした音楽は、この世界に蔓延る悲しみや苦しみや痛みを吹き飛ばすように広がって、虹色に光った。



 白い部屋の中で、双頭の竜と対峙している。少女の奏でるピアノのか細い音だけが鳴っている静かな部屋。はめ殺しの窓の外にある空は真っ青で、大砲の音などもう聞こえてこなかった。
「ありがとう、イオ」
「無理やり引き受けさせて、ごめんね」
 謝る必要はどこにもないよと、流涙する彼らを撫ぜる。
 やがて、彼らは半透明になったのち、光の粒となった。その粒を触ると、竪琴(ハープ)のような、ヴァイオリンのような、歌声のような、不可思議で美しい音を立てて弾けていった。

 ぽろろん。ぽろろん。
 ぽろろん――









  ◆◇◆◇◆









 水平線の向こうから、太陽が顔を出してきた。希望の朝が、いつもどおりやってきた。
 海岸には僕とクロロス、フロール、アスターだけがいて、あとは砂浜に打ち上げられた流木や、パルシェンの貝殻が散らばっているのみだった。
「じゃあ、行ってくる」
 僕は六枚の翼をふわりとはためかせた。テルロとセレノに目を落とすと、ぱちりと瞬きをした。もう、彼らは歌うことをしなくなってしまった。僕に従属するただの腕として存在している。
 僕は一匹で合唱できる変なサザンドラから、少し歌が上手いだけの普通のサザンドラになった。
「行ってどうするの?」
 フロールが尋ねる。フロールだけではなく、クロロスとアスターも僕の返答に興味があるようだった。
「そうだね……まずは、ユズリのお墓を作りたいな。それくらいしかやることは決めてないや」
 僕に記憶はない。だからこそ、テルロとセレノが生きた場所を、置いてきた想いを、やり残したことを、夢の中ではなく現実で探したいと思った。
 僕の思い出はこれからどんどん作られていく。そのたびに、過去は少しずつ風化してしまうだろう。もう、何も忘却の彼方へ置き去りにしたくはないのだ。
「俺も行っていい?」
「えっ?」
 クロロスは何を驚くことがあるとでも言いたげな表情をした。
「だって、爆弾が落ちてすぐ逃げてきちゃったし、誰の無事も確かめないままだったから。そろそろ戻ってみるのもありかなって考えてたところなんだ」
「でも」
「気にしないよ。ほとんど死んじゃったりいなくなったりしてることはわかってる。受け入れたくない現実に直面することもあるかもしれないけど……もしかしたら、生きてる知り合いがいるかもしれない」
 会いたいんだ、とクロロスは付け加えた。
「まったく……クロロスが行くなら私も行くしかないわね」
「ボクはちょっと……自分で泳いでいくわけでも飛べるわけでもないのに」
「そんなの私の背中に乗ればいいだけでしょう。私が疲れたらイオの背中に乗ってもらうわ」
 いつの間にやら、全員で島を離れる話になっていた。いずれまた島に戻ってくるつもりだったので、決して大袈裟な話ではないのだが、僕は困惑を隠せない。
「泳いで海を渡るの、三日はかかるんだよ? 大丈夫なの?」
「そんなこと、イオに言われなくてもみんなわかってるさ。まあ、空路より海路のほうがずっと遅いけど、イオなら俺たちに合わせてくれるよね?」
「いやだよ、面倒くさい。僕一匹なら一日で着けるのに」
 本心ではない。クロロスの前では、素直にならないことにしている。もっとも、僕がそんな態度をとってもこの三匹は気にしない。
「長旅になるなら、食料を準備しないとね。私の棲み処にあるのを全部持っていきましょう」
「全部フロールさんの背中に乗せちゃうんですか? ボクの乗る場所がなくなっちゃいますよぅ」
「ならやっぱりイオに乗ってくのがいいわね」
「誰かを乗せて飛んだことないから、振り落としちゃうかも」
「ええ!? 勘弁してくださいよ……」
 からからとした四匹の笑い声が、潮騒に紛れていく。
 物言わぬ両腕の双眸は、どこまでも群青色に染まる水平線の向こうを、静かに見つめていた。







 fin.







Dear me.png





というわけで第九回仮面小説大会非官能部門、6票獲得で準優勝でした!
以下に投票コメントを返信します。

タイトルを最初「しもべ」と読まされました。狙い通り?
ポケダンでは「命の声」のサザンドラですが合唱までもっていく発想が新しいですね。 (2017/06/29(木) 21:58)

 しもべ<その発想はなかったですけどしっくりきますね。頭が三つもあるので単体で合唱できるなーって思って書いてました。

あ (2017/07/01(土) 20:25)

 りがとうございます。

劇中の台詞を借りるまでもなく、読み出した瞬間に呑まれました。ここまでやるかと思わせるほどに言葉を溢れさせながら、決して見づらいことなく情景が頭に入ってきます。
モノズ系の意識の推移を扱った物語もお見事。仲が悪いと言われるほど明確な意志を持つジヘッドの双頭と、脳味噌を持たないサザンドラの両腕との設定を、物悲しくも美しい物語に仕上げてしまうとは。圧倒的でした。脱帽です! (2017/07/02(日) 23:44)

 俯瞰するとスケール的は決して大きくはない舞台の中で、主人公を含めた登場キャラクタがどんな世界の見方をしているかを描きだすには、これくらい書かなければいけないのかなと思います。普段は滅多にやらないのですが。
 あとがきにも記しますが、ジヘッドからサザンドラに進化してメインの頭の数が減るというのは、本人たちはどう思ってるのかと半年以上ずっと考えてたことなので、形にできてよかったです。

続きが気になる… (2017/07/03(月) 16:11)

 続きは読んでくださったみなさんの心の中で描かれ続けると思います(・ω・)

読む者を魅了する圧倒的美しさですよ。音のしらべを脳内に響かせるような抒情的な描写は粋な日本語との相性がとてもよく、作者様の持ち味が存分に発揮されている作品です。五感に訴える鮮やかな描写は、まるで自分もオーケストラの聴衆になっている錯覚を起こすほど。戦争を前面に出さず背景に置いて効果的に音楽を引き立たせる狙いも上手く利いています。 (2017/07/04(火) 02:04)

 音楽を文字で表現するのは九年以上書いていて初めての試みだったのですが、そう言っていただけて非常に嬉しいです。やっぱり音楽を絡める描写に一番苦戦してたので。これを書き始める少し前に詩集を読んでいたのもあって、若干影響を受けているふしはあります。
 ところで絵を描くとき、一見すべてが緻密に描かれているように見えて、実は視点の集まるところは情報量をふんだんに与え、それ以外のところは情報量を落とす、というやりかたがあるそうです。この物語の場合も同様で、主人公含めた登場キャラが何を失って何を思うのかにクローズアップしてるので、そこが浮かび上がるように戦争の詳しい描写は省きました。僕の狙いを完全に理解していただけてうれしいです。握手しましょう!

彼らの声が心を震わし揺さぶってきました。
いなくなった皆にもその響きが届いていると信じて。 (2017/07/04(火) 23:56)

声が読み手に伝わったなら、きっと旅立った者たちへも届いているのだと思います。


投票して感想をくださった六名の方々、そして読んでくださった方々、本当にありがとうございました!




感想等ありましたらどうぞ↓

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • やはりサザンドラの魅力はひとつの物語だけでは語りきれませんね(n回目)。
    イオの歌声の旋律の描写がとても美しくまるで頭の中にそのまま音色が流れ込んでくるかのようでした。
    双頭からひとつの頭、そして両腕に別れるサザンドラの進化を記憶喪失の設定でうまく物語に取り入れていたのにとても感服いたしました。
    彼らのコンサートを是非生で聴いてみたいです。

    まとまらない感想となってしまいましたが準優勝おめでとうございました! -- カゲフミ
  • サザンドラは本当にどんな性格でもどんな物語にしてもおいしくいただけるんですね(食レポ風
    まだまだ足りないところはあると思いますが、音楽の描写はすごく神経使いました。音楽の知識はまるで持ってないので、どこまで表現できたかはわからないですが。
    ずっとジヘッド→サザンドラの頭部の変化について疑問に思っていたことを形にできてよかったです。
    僕もカゲフミさんと一緒に彼らのコンサートを聴きに行きたいですね(・ω・)
    コメントありがとうございました! -- 朱烏
  • イオたちのコンサートならとても行ってみたいです、 -- へんねこ ?
  • >へんねこさん
    僕も彼らのコンサートには一度でいいのでお邪魔してみたいですね。コメントありがとうございます。 -- 朱烏
お名前:

あとがき(白抜き反転)

登場キャラクタの名前の由来。

イオ、Io:16族元素の硫黄(イオウ)より、また、17族元素のヨウ素(Iodine)より。
セレノ、Seleno:16族元素のセレン(Selenium)より。セレンはギリシャ神話の月の女神Seleneを由来とする。周期表では硫黄の一個下に位置する。
テルロ、Telluro:16族元素のテルル(Tellurium)より。テルルはローマ神話の大地の女神Tellusを由来とする。周期表では硫黄の二個下に位置する。
クロロス、Chloros:17族元素の塩素(Chlorine)の由来、ギリシャ語で黄緑色を意味するChlorosより。
フロール、Fluor:17族元素のフッ素(Fluorine)より。
アスター、Asta:17族元素のアスタチン(Astatine)より。

レフ、Lev:化学用語の左旋性(Levorotatory)より。Levoはラテン語で左。
デクス、Dex:化学用語の右旋性(Dextrorotatory)より。Dexterはラテン語で右。

ユズリは特になし。語感が気に入ったので。

 さて。
 このお話を作ったきっかけは、サザンドラに歌を歌わせたいという謎の願望(いつから抱いていたか不明。本当に謎すぎる)と、そしてサザンドラに対するいたって単純な疑問からでした。
 ポケモンという作品にはには数多くの多頭のポケモンが登場します。レアコイル、ダグトリオ、ドードリオ、バイバニラなどなど……前者二匹は進化前のポケモンが寄り集まっただけとも言えますが、とりあえず多頭と定義しましょう。
 サザンドラもその多頭ポケモンの一匹ですが、他の多頭ポケモンにはない異質さがあります。サザンドラは、モノズから進化したジヘッドがさらに進化したポケモンです。モノズは頭が一つしかありませんが、ジヘッドになると文字通り頭が二つに増えます。この頭は対称的・等価的で、第三者から見ればどっちもどっち、区別できません。脳をもった二つの同じ生き物が一つの体に宿っているという見方は極めて妥当性があるように思います。
 しかしサザンドラに進化すると、確かに頭は三つに増えているのですが、メインの頭部と、そして腕の先についている、手の代わりである小さな二つの頭と、それぞれの等価性が崩れます。つまり、ジヘッドのようにそれぞれが意思を持つ二つの(もしくはそれ以上の)頭をたった一つの体に宿しているという奇異な見た目から、頭と体が一つずつ(一応腕にも頭らしきものはあるけど生き物としてカウントはできないよねという)の、生き物としてオーソドックスな形に落ち着いてしまうのです。
 サザンドラの腕の先の頭は脳をもたないといいます。じゃあ進化した時、ジヘッドの二つの頭はそれぞれどうなってしまったのか。進化している以上、少なくとも一方の頭はサザンドラの中央の頭を担っていると考えるほうが自然でしょう(じゃないと脳の置き場所がなくなる)。しかしそれならもう片方の頭は? メインの頭部に統合された? それとも腕に?
 いろいろと疑問は尽きなかったので、それならばと小説という形にしました。そういえばwikiにはチェリンボの小説があったと思いますが、もしかしたら似た話だったかもしれません。
 そして歌うことについて。
 ポケモン・ザ・ムービーXY 光輪の超魔神 フーパで、短編映画としてピカチュウとポケモンおんがくたいが上映されました。ピカチュウをはじめXYでサトシ・セレナ・シトロン・ユリーカと旅をしているポケモンが音楽をやるんですが、それに結構影響を受けた気がします。歌うポケモンって作中に登場させたラプラスなりアシレーヌなり、それからメロエッタとか、一部のポケモンにしか許されていないと思っていたので(実際作中ではそう描写しました)、じゃあサザンドラに歌わせよう、頭も三つあるし一人で合唱できるじゃん、みたいな。
 一応、通常のサザンドラの左右の頭は声は出せないと認識しています(食べ物を食べるくらいはできますが)。作中でセレノとテルロが歌えたのは、諦めて中央の頭を新しく生まれてくる存在に託した後も、無念が消えることがなかったからなのだと思います。それを何もわかっていなかったイオに気づいてもらい、自分たちのための歌を歌ってもらったときにようやく解放されて、脳のないただの四肢に成ることができたのです。
 そしてイオはイオで、仲間たちと一緒に後ろを見ることをやめ、自分なりに前へ進むことにしたという物語が、『親愛なる僕への鎮魂歌』なのです。

 ところで、僕はよく好きな音楽から着想を得て物語を書いたりしますが、これも例に漏れず。いろいろなところから引っ張ってきてこねくり回したので、何がテーマだということはないです。
 ワダツミの木(元ちとせ)、trade(GARNET CROW)、Sky(GARNET CROW)、Amnesia(志方あきこ)、ほかにも色々。
 初めて音楽を題材とした物語を書きましたが、やはり音楽は偉大だと思います。
 そろそろあとがきが長くなったので、これにて失礼します。




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Last-modified: 2017-07-08 (土) 20:14:39
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