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Writer:Lem


この作品には流血表現が含まれます。
そういった類を苦手とする方は無理をせずに引き返しましょう。
怖いもの見たさなんて大概いい結果になりませんよ。

(さとり) 


序ノ章


 獣の(まなこ)を見るべからず。
  獣の(こえ)を聴くべからず。

 見入るが最後 戻れない。
  魅入りし最果 還れない。

一ノ章


 けたたましい発砲音が周囲の空気を乱した。遅れて野鳥が梢から羽ばたく。更に耳を澄ませば動物がその場から逃げ去る物音もする。
 聞き慣れた日常の音は普段ならば緊張を解き始める報せだったが、今の彼においては焦燥感を煽る以外の何物でもなかった。
 銃声の方向へ彼は矢継早に木々の隙間を潜り抜け、自分以外の狩人を探す。聞き漏らしが無ければ先ので三発目。
 山麓の集落に住まう狩人は彼を入れて四人。各々に手入れされた猟銃は異なる音色を発する為、誰が仕留めたかが直ぐに判る。
 そう、いつもならば。普段の日常の、彼等の行いならば、だ。
 既に三発目が流れた今、彼が確かめるは三人目の安否だ。他の二人がどうなったかは捨て置こう。
 三人目の生死が確認できれば次は彼の番。
 彼で、終いだ。

 止め処無く湧き上がる焦燥は彼の胸中と呼吸を乱し続け、鬱蒼とした林の迷路と通りざまにぶつかる梢は意思を持つかのように蠢き、彼の進入を阻んでいく。
 未だに他の姿は見えない。
 山に呑まれたか――それとも呑まれたのは彼か。
 ふと上空を見やれば翳りが落ちようとしている。数刻程度でこの周辺も闇に呑まれるだろう。そうなる前に引き返す事は彼等狩人で非ずとも明白な判断を強いられる。幼子であれ大人であれ、人里へと帰らねばならぬと帰巣本能が呼び掛ける。
 無理に捜索を続けずとも生きていれば里で合見えよう。五体満足で在れば、だが。

 帰る為には何が必要か。
 頭か。心か。眼か。耳か。
 何れかが欠けた処であれ、まだ戻れる。その時点では。
 帰るべき処へ還る、手段を奪われない限りは。
 無くしてしまわない、限りは。

 傾斜を駆け下る折で不意に何かが彼の視界を過ぎった。
 もしも彼が無我夢中であったならば。冷静を欠いていたらば。
 きっとそんなものは見えなかっただろうし、何も見なかった、のだろう。
 そのまま降りに下って、人里からは少し離れた通りに出て、遠回りな帰路を往くだけだった。

 彼の両足は完全に停止している。
 切れ切れの呼吸が肩を戦慄(わなな)かせ、傾斜も相まってまともに立つ事も難しく、手近の大木に背を預ける形で状況を整理した。
 戯言(うそ)でも気の所為だと(うそぶ)いて、振り返らなければ、事態はまだ違ったのかもしれない。
 視界に踏み入る大量の葦とも蔓とも区別の付かぬそれらの色は極めて暴力的であるばかりか、陽光が醸し出す茜色の陰影に生物染みた呼吸を幻視()る。
 非常に不気味だと言う外に無い表現を下すも、所詮は恐怖が生み出す幻覚だとにべも無く切捨てた折で、背後の違和感に気を向ける。彼からすればそちらの方が余程の恐怖であったのだろう。
 手に構えた猟銃を握り締め、振り返ると同時に構える。

――何も無い。

 一瞬だけならそう思っていただろう。
 違和感は払拭されない所か、何処か。
 何処かが不自然だった。

 この周辺の木々は葦やら蔓やらが異様に群生している。
 そういう風に育ち易い環境か何かなのだろう。

――ならば“足が生えていてもおかしくはない”のだろう。

 ……否。否否否。
 馬鹿な事を言ってはいけない。どう考えても足が生える訳がなかろう。ましてや人間の――足が。
 だがその光景は文字通りに、言葉通りに、そう託ける外に無い。
 身体は何処に行ったのか。生い茂る枝葉に呑まれているだけなのか。それとも既に無いのか。


 後に見つけた猟銃からして、それが三人目であったのかは分らないが、(おびただ)しい血痕の具合から推するに安否は絶望的だと判する。
 朱色のそれは空の模様と同じく、次第に黒へと変じていた。

 夜が――来る。
 否、繰る。
 くる、来る、くる、繰る、と。
 回って巡って廻り、くる。

 四の五の言わず捜索を打ち切り、このまま下山すれば日没までには集落へ戻れるだろう。
 そう見計らうものの彼はその場から動こうとはしない。
 未だ切れ切れの呼吸で、ぶつぶつと独り言を呟きながら何かを思案しているが、語りは梢のざわめきに掻き消されて聞き取れない。
 やがて、意を決したか彼は足を動かす、が。
 何を血迷ったか。下山の方向から踵を返し、あろうことかそのまま登山を続行しようとする彼は、一体全体何処へ向かおうとしているのか。何処へ逝こうというのか。
 仇を取るまでは帰れない等と自棄になった――風には見えない。迷いの見られない彼の足取りは何かを探しているというよりは当てのある場へ赴くかの様にも見て取れた。
 しかし軽やかな足取りとは裏腹に背後からは次第に闇が押し寄せ、彼もその事に気づいていない訳ではない。
 完全に暮れなずむまでに到着せねばならぬと先を急くも、足音も無く迫り寄る夜の帳は彼との距離を縮めるだけでなく、不安をより濃く翳らせていく。
 先とは異なる焦燥感を彼は只管に無視した。無視しきれない部分が体中に纏わりつくも、遮二無二に目的地を目指す。
 次第に普遍的な木々の道が疎らになるにつれて視界が開き始め、小さな建造物を確認して漸く歩調を緩めた。

 何を祀っているのか解らない草木に囲まれた小さな社。
 否、正直見た目だけで語ればそれは社かどうかも形容し難き具合だった。
 草木に呑まれた旧き時代の忘れ形見――それはそういう物だった。
 然し人々に忘れ去られはしても、ここには何かが居る。
 人の手入れが為されてないこの環境において明らかに不自然な、雑草の葦一本すら生えぬ境内の前まで差し当たれば、如何な信心浅き者でも神々の存在を匂わずにはいられないだろう。
 何かが御座すであろうその地に、彼は無遠慮に踏み入るばかりかどかりと腰掛けた。
 その態度からも察する通り明らかに参拝の気では無い。

 彼は待っていた。
 当然その地の神で無し。

 双眸(ひとみ)を閉じ、猟銃を胸に、彼は只管それを待っている。
 それが何で在るか。

 数瞬かも数刻かも判らぬ時刻が流れた頃に。
 それはひたりと“やってきた”

 ゆっくりと、足音も無く。
 深淵とともに、彼の背後を見つめながら。

二ノ章


 夜の帳が下り、下弦の月が昇り、星宿が地上を照らす。
 幾度と無く繰り返されてきた陰の世界だが、今宵の空はそれにも増して昏い夜想曲を奏でていた。
 一筋の光明を断絶するかの様な上空の霞みは心までをも覆い隠し、山麓から覗く入り口はまるで巨大な物ノ怪の口を連想させ、吹き抜ける風の音は唸り声の如く、底抜けの闇は呑み込まれれば二度と戻って来られない等、謂れの無い魔を纏わせている。
 そして内に入る四人の狩人は未だに行方が知れず、帰りを待ち侘びる村人と灯火とが不穏や疑心に揺れていた。
 みだりな混乱を広げぬ様にとあちこちで閑話が飛び交うも、周囲から漂う動揺は隠し切れず、たまりにかねた村人の一人が最前線に立つ戴白(たいはく)*1の男に耳打ちする。
「――長、彼奴等が山へ踏み入りてもう八ツになんべ。三の報せからもあれっきり何の動きも無ぇ……よもややられ――」
「それ以上口にするでない。言ノ葉が魂を帯びて言霊と化すぞ」
 へぇ、と生返事を零す壮年の男へ。
「……どうした。他に申す事は無いのか」
「いんや、別に何も……ただ、家内や女子供が心配じゃけぇ、様子ん見に一旦帰ぇりてぇだ……それに、雨の臭いもすんべよ」
 若干誇張気味な言い訳だと取れなくも無い進言だが、男の言葉に嘘偽りは無い。
 現に空気は湿り気を帯び、遠くからは鳴神*2が迫っているのであろう地鳴りを足裏から感じる。
 それでも不動を貫く長を、男衆はどう捉えたか。多くは不満の声を挙げたが、長と同じく一同の罵声を背に受ける男はそうではなかった。

 男は見ていた。
 聴いたのではなく、見たのだ。
 誰に聴かせるでもない、独り呟く長の口を。
 反射的に訊くものの長は無言を通す。その態度は不遜でもあれば白を切るそれにも見える。
 見間違いだったのだろう、と男はそれ以上追求はしなかった。

 然し。
 それが見間違いでなかったなら。
 確信を持っては言えぬが、男はそれをこう捉えた。
 だが同時にそれを認めたくもないからこそ、男は見間違いで在れと願う。

――天罰が下ったか――

 その言葉が何を意味するか、多くの言葉は必要としなかった。
 誰の耳であろうとも、一つの終着点へと辿り着く。一つの終へと還り着く。

 故に、男は困惑していた。
 動揺し、狼狽し、困窮し、困憊するのを、一同から背ける様に視線を隠す。
 長と同じく垣間見る世界は相も変わらず真っ黒けの入り口が、ぽたりと垂らした墨汁が滲んでいる。
 その先へと逃げた一匹の獅子を、狩人等が追い立てて数刻。

 だが今は如何か。
 前門から虎が来るなら――狼は誰だ。
 後門に何が居るのか。

「――相分った。皆、各々の居へ戻るがいい」
 あまりに低い流暢な切り出しに一同は疎か男までもが面食らう。先まであった物が急遽消失する現象を整理する間も無く、交替は不要だの見張りは儂が受け持つだのと事態の転換が目まぐるしい。
 やがて後続の一人を皮切りにそれぞれが散り散りに散会した処で、男は自分と長だけがその場に残されたのを確認してから問うた。
 だが返ってくる答は無く、その黙秘は「何も訊くな」と騙っている様に見えた。


 山々に囲まれたこの集落は東西南北から押し寄せる獣から身を守る為に、それぞれの方位に四人の狩人が居を立てていた。
 先祖代々から続くこの仕来りは村を守護するだけでなく、一つの村おこしとして認識されており、その中において尤も優秀な狩人が次の長を受け継ぐという世襲制を担っている。
 その為危険と隣合せであるその地位は必然的に我欲の強い者が多く、盛んに山々では声を掛け合う様に銃声が飛び交っていた。

 つい先日の事である。
 長が地位を譲るとともに一人娘の婿を四人の狩人から選出しようとしたのが始まりだったか。
 村人の誰もが優秀な狩人が抜き出されて長になると思い込んでいただけに、長の決定は波乱を呼び込む一石を投じた。
 それは狩人と呼ぶにはあまりにも頼りなく、又猟銃を持ちながらにしてそれを用いないばかりか、その狩人は常に一匹の獅子と行動を供にする異端的な存在だった。
 狩られる獣が村の中に居るという事実が不穏を纏いはするものの、年内に襲撃に遭う回数が少ないのは彼の居だった。
 つまり、長は優秀さではなく安全さを、一つの村よりも一人の娘を優先して、彼を選んだのだという。
 その決定は村人は疎か、他の狩人の反感を買うだろう。だが決定は覆らず、数日後に村中で婚礼の儀式が開かれた。
 処が何時になっても新婦は現れず、不審に思った人々が捜索を開始する。

 直ぐに花嫁は見つかった。
 白無垢に赤い花を添えて。

 それが獣の仕業であり、花婿の獅子であると言い出したのは他ならぬ三人の狩人だった。
 是を口実に獅子を討伐せしめた者に、長の地位を譲る等という強引な取決めが行われ、今に至る。


 そして彼等は未だに帰って来ず、夜の闇に呑まれて消えた。
 長はこの事態をどう思うのか。
 天罰とは一体、誰へと手向けた言葉なのか。

 何も分らない侭。
 ぐる、来る、ぐる、繰る、と。
 巡りに廻る堂々回り。

(うぬ)も戻るがいい」
 そんな男の心情を汲み取ったか或いは如何でもいいのか。

「時期に雨が来るじゃろう」
 男は未だに疑問を胸に抱くが。

「戻るが――いい」
 言い分は許されず、自ずと男は思案を放棄する。

 是から起こる事も。
 是から終る事も。

 全てを放棄し、男は一同と同じく自らの居へ帰り着く。
 一人の人間を見捨てて逃げたと――その遺恨を胸に抱きながら。

三ノ章


 決して振り返ってはならない。
 そこには獣の眼が在るから。

 決して耳を澄ましてはならない。
 獣の詩は直ぐ傍に居るのだから。


 雨雲に遮られ、月の光も射さぬ山の道を、彼はゆらり、ゆらぁりと歩いている。
 緩慢なその動きは闇によって視界を閉ざされた動き故にだろうが、それでもその動きは何処と無く、間接的に言葉を付与するなら生気が感じられないそれの動きにも見える。
 生きているのか。死しているのか。
 その区別すらも付けれない程、深い闇の中を彼は彷徨っていた。
 又、奇妙な事に彼は木々の合間を潜る際に必要な動作というものが欠けていた。
 人の眼は闇に順応こそすれ対応する程の突出的な能力は持たない。視界が狭まる程度であろうとも自由自在に動く等といった動きは不可能である。
 そうした状況に置かれた人間は別の眼を駆使して闇を進む。即ち、手だ。
 手探りで周囲の状況を掴み、把握していくその動作は古代からの名残であり、道具を用いる知恵を得た人間独特の動きである。
 それが、彼には無かった。
 単に見えているのかも知れない。
 だがそんな事が在り得るのだろうか。
 狩人の眼というものはその様な、常人離れした能力を有するものなのだろうか。
 何れにせよ、獣から見れば実に無駄の多い動きであるそれを、彼は行使する事も無く、山を下っている。
 山が平地ではなく傾斜で在る以上、下っていけば何時かは何処かに辿り着くとしても。目測が無くても帰り着けるとしても。
 無駄らしい無駄を一切有しない彼の動作は、実に幽鬼じみている故に生死の区別が図れない。

 更に奇妙なのは彼は猟銃を胸に構えこそすれ、火の一つも所有していない事と。
 そんな彼を山々の獣達がみすみす見逃すはずが無いと言う事だ。

 多くの獣は火を恐れる。それは人間にとって護身の道具であり、武器と言い換えても過言では無い。
 それ等を持たぬ人間を、獣達の眼からすればどう写るかは実に容易かろう。
 夜の山は彼等の世界。そこに踏み入る人間は餌以外の何物でも無い。
 だのに彼は、彼にはそういった危機的状況が訪れる気配が全く見られないのだ。
 奇妙もここまで通り越せば異変であり、怪異である。

 それとも彼自身が。
 怪異に魅入られたか。

 嗚呼、見よ。
 怪異を匂わす人魂が彼の目前にぼうっと写る。
 赤く、青く、小さな灯火が、ゆらゆらと、ばちばちと、次第に彼に迫ってくるではないか。
 ゆっくりと、ふらふらと、そうして彼の視界を埋め尽くす距離にまで差し迫って――

「――蓮、汝か?」
 人魂が彼の名を呼んだ。
 否、人魂では無く、それは松明を手に登山してきた長の呼び掛けだった。
「汝も戻らぬ故、皆魂魄尽きたかと思うたが……無事で何よりじゃ。最悪には儂自ら赴いて相打つつもりじゃった」
 相打つ覚悟、と言うには些か行動が短絡的過ぎる長の理念であったが、長が選択した結果を思えば無理からぬ事かもしれない。
 どの村人も、既に長を味方する意義と意味を失っている。かろうじて残る味方といえば長が選んだ彼だけだった。
「さて……訊くまでも無いと思うが他の者は如何なった。汝の――あれも、まだ居るのか」
 彼は双眸を閉じた侭、動かない。
 無言を肯定と捉えたか、長はそれ以上を問わなかった。
蓮華(れんげ)や、一旦村へ戻ろう。汝も長い事動いて疲弊しておろう。今宵は儂の居で休め。後の事はそれからでもよかろう」
 それにも無言だったが、返答を待たずに長が踵を返して山を下ろうとするや、初めて彼が一声を掛けた。が。
 それは呼び止める為の静止というよりは、忠告を促す言葉にも聞こえた。

――決して振り返ってはなりませぬ。決して耳を(そばだ)ててもなりませぬ。その侭でどうぞ御聞き下さい。
「……よかろう」

――この度、私目を御選びになった彼方様の意思を御聞かせ願いたく候。
「……汝が儂の愛娘を守るに足る狩人であったからじゃ」

――彼方様はそうで御座いましょう。ですが、娘様は。果たして娘様はそれを納得為された上での合意でしょうか。
「……何が言いたい?」

――隠さないで戴きたい。彼方様も、一度は御考えになったはずです。獣を従者とする得体の知れぬ輩に娘様を預けられようか等と。
「……汝の語る通り、確かに儂も疑心を抱いてはおった。汝も知りておろう我々狩人は我欲と気性の荒い者が多い。無論そうでなければ務め上がらぬ。だが汝は違う。獣といえど変らぬ愛を持つ汝ならば、如何なる困難にも屈せぬと見極めた」

――彼方様が犯してきた罪の逃避の為にですか。
「罪じゃと?」

――彼方様はそうした我欲に支配され、その結果として彼方様の御夫人は自刃為された。その責は彼方様に過度の遺恨を残し、彼方様を大きく変える切欠と成った。
「何故、汝が其れを知りておる」

――もっと早くに彼方様の御意思を見計らえていたならば……私目もこの様な過ちを起さずには居られたものを。
「蓮、汝は儂の何を知りて――」

――振り向いてはなりませぬと、あれ程申しましたのに。
「……蓮……その双眸は……」

――長。彼方様の御意思は承りました。ですが彼方様は視てしまった。私目の詩を聴いてしまった。
――御心配なさらずとも彼方様の村に手出しはしません。私目はただ、帰りたいだけ。あの方と供に過ごす幸福な日常へと戻りたいだけ。

――彼方様の命を奪いはしませんが、彼方様はもう、村に戻れない。此の侭、どうぞ。
――山々を廻って、巡って、回り果てて。
――彼方様の望む、村へ。

――御還り下さいます様。

四ノ章


 篠突く雨が地上を打つ。
 山々にとってそれは恵みを与え、不浄を洗い流す。
 穢された地も、人も、全てが水に流れて消えて往く。

 大木然り。草花然り。
 そして独り道往く人然り。

 未だに昏い世界の下に、一人の男が猟銃を胸に抱き抱えて山から下りてきた。
 その男を知る者が見れば、忽ちに村中へ彼の無事を報せに走り回ったであろう。
 然し、誰も彼を迎える所か、彼を見る者も聞く者も居ない。
 雨によって閉ざされた集落は人々の生活や声すらをも掻き消し、何者も住まぬ風情を形作る。
 彼は其れを気にする事無く、相も変わらず幽鬼の様な歩調を以って前へ前へと歩んでいく。

 雨脚が更に強くなる。最早、滝だ。
 地を打つ雨の水飛沫ですら土を抉り、全ての景色を幻にしていく。
 それは彼も例外でなく。幸か不幸か。
 隙間より外の様子を伺う人々の目から彼を隠していく。
 神隠しに遭ったかの様に。
 誰もが彼に気付かない。
 彼もそれらに気付かない。

 がらり、と木戸が開く音。
 けれど雨音に隠れて気付かない。
 ぴしゃり、と木戸が閉まる音。
 けれど雨音に呑まれて分らない。

 誰も居ない広々とした空間。
 そこには彼と彼の愛した獅子が住む空間があった。
 誰も、居ない。
 彼のみが、独り。

 草履も脱がず、泥も拭わず。
 彼はその侭居間に上がる。
 囲炉裏を前に佇んで。
 火を付けるでも無く、猟銃を置くでも無く。
 抱き抱えた侭に腰を下ろし。
 それっきりに何も語らない。

 閉じた侭の彼の双眸が開く。
 真っ暗な世界に月二つ。
 ぎらり、ぎらり、と輝く金色の淵は。
 赤く、紅く、塗れていた。

 彼はずっと抗っている。
 あの社から、ここに帰り来るまで。
 一度も、振り返らずに。
 一度も、聴かずに。

 そして今も。
 彼は抗っている。
 背後から呼び掛ける、獣の詩を。
 内に潜む、獣の詩を。

 獣の詩が彼に囁く。
 彼に秘めた想いの丈を。
 心の詩が彼を惑わす。
 己も又同じ思いを。

 回り。巡って。廻られて。
 何時とも知れぬ逢瀬の果てを夢見。

 抱き抱えた猟銃を咥内に咥え。
 ぐり、来り、ぐり、繰り、と。
 滑る指で引金を。
 引金を。


 決して鳴る事の無い四つ目の銃声が村中に響き渡る。
 然し誰も気付かない。

 
 誰も、詩に、気付かない。

大詰め

 昨晩豪雨が降り注いだとは思えぬ、快晴だった。
 雨雲ばかりか雲一つも無い深い藍色。
 まるで悲哀の色を想起させる。
 そう、悲哀だ。

 あの晩から村中では長が消え、四人の狩人が消息不明となり、大きな損失を被った事で話題が広まっている。
 否、その四人の内、一人だけは帰ってきたのだが。
 正直、その凄惨さをどう語り尽くせばいいのだろうか。

 長を最後に見捨てた壮年の男は、花婿の彼を好く知る昔からの友人であった。
 故に男は起床後、彼の居を第一に訪ねていた。
 もしかしたらとも一縷の望みを捨て切れず、結果として男は半分を叶えられ、半分をそれに裏切られた。


 花嫁とは違う意味で紅い華を咲かせたその景色と、場から漂う空気から男は嘔吐(えず)かずにはいられなかった。
 その様子に気付いた他の村人が男を心配して近寄るのを阻止し、一頻り嘔吐いた後で、改めて彼等を見る。

 自殺、としか思えぬ状況だった。
 目立った外傷は頭以外、何も無いのだから。
 その点についてはいい。男なりに解釈できる。

 判らないのは彼の、身体に覆い被さる亡骸。
 そう、花嫁の命を奪ったあの、獅子だ。
 その獅子も又、頭を射抜かれて死んでいる。

 だがどうやって?
 仮に彼が獅子を討伐したとして、その後に自殺したとしても。
 彼ならやりかねない理念だとしても。
 その獅子が彼の身体に覆い被さる様にして自決できるものなのか。

 不可能だ。
 不可解だ。

 ともなれば彼が自決した後で、獅子を別の誰かが討伐した、というのが尤も自然な推測なのだが。
 其れも又、おかしい話になるのである。

 獣を狩る為には道具が必要だ。
 男も、村人も、誰も“それを聴いていない”ではないか。

 判らない事だらけだった。
 危機は去ったはずなのに、何かがすっきりしない。
 彼を失った事による悲しみが、腑の落ちなさに邪魔されてうまく伝わらない。
 そう、これではまるで。
 彼を見捨てたからこその、放棄を選択した者が抱く気持ちではないか。

 嗚呼。
 ぐら、来ら、ぐら、繰ら、と。
 視界が目まぐるしく揺れ動く。

 茫然自失するにつれて、男は考えるのを止めた。
 代わりに亡き彼が握る猟銃を手に取り、居の外に出る。


 空は快晴だった。
 男の心情をそっくりそのまま彩るかの様な、深い藍色だった。
 男は手に持つ猟銃を空に構え、ゆっくりと引金を引く。
 嘗て友が話してくれた、猟銃の音色。
 
 
 それは鳴けない獅子の。
 “恋華(れんか)”の声を模した獣の詩だった。

覚  完   

 後書

 敢えて何も言うまい……。
 投票して下さった方、見て下さった方、大会管理人様方、有難う御座います。御疲れ様でした。
 どうも私です。まぁ筆者が誰だか直ぐに解る癖の強い文なので自己紹介は不要でしょう。

 それでは皆々様御待ちかねの解説コーナーです。
 先ずは登場人物からどうぞ。


 蓮華(彼) 人間 男

 無口、無愛想、沈着。
 狩人の父を持つが死別。周囲の目もあり已む無く父の跡を継ぐものの、争いを好まない本人には苦痛の連続だった。
 そんな折に人知れぬ社にて一匹の幼獣と出遭い、初陣の彼はそれを仕留めようとして躊躇った。
 己の迷いや獲物が赤子等もあるが、彼を動かしたのはそれらではなく、赤子の身体的障害を見抜いての事である。

 周囲から浮く己と野生にも見捨てられた存在に奇妙な縁を感じ取り、以後の彼は一匹の獅子の為に一生を費やす。
 又、獅子に己の名を写し、猟銃も同属のそれを参考に調整するものの、最後まで彼がそれを日常に用いる事はなかった。
 恋華が成長してからはツーマンセルで獲物を恋華が追い込み、蓮華が予め仕込んでおいた罠に掛けさせるという猟法を用いている。
 この猟法は恋華ならではの種族的特長と、蓮華が自らの手を穢す事を頑なに拒んだ最大限の妥協と最良策でもある。


 恋華(獅子) レントラー 牝

 蓮華と同じく無口だが、恋華は生れついての発声障害によるもの。
 その為野生で生きていけぬと同属から見放された処を彼に救われた。
 彼女の種族は周囲の情景を見通す千里眼の様な能力を持ち、その能力を最大限に活かした猟法は彼女ならではの成立し得ない技術の結晶といえよう。
 然しながらそれだけに留まらず、彼女には更なる異能として他者の思考が読み取れた。
 それは一重に主人へ寄せる想い故の異能だったのかもしれない。
 それだけに周囲が主人に抱く不信を快く思わず、村中に惨劇を引き起こす運命を辿る事になる。

 主人に仇なす者全てを滅ぼそうと躍起になるも三人目の狩人を罠に追い込んだ処で相討ちになり、潰える命を燃して主人との縁を結び付けた社へと向かい、最後は先着していた主人の胸に抱かれながら息を引き取った。


 長(戴白の男) 人間 男

 その昔名うての狩人であったものの、自らの過信を驕った結果一人の人間を不幸にした。
――驕れる者久しからず――
 以後は猛省から村の掟に反しての決断を強いるが、それも又人間のエゴイストによる救いの無い道である。


 花嫁 人間 女

 長の一人娘。
 蓮華の妻となる手筈だったが本人は獣と共生する彼を快く思っておらず、恋華にその心を見透かされ殺害された。 


 男(二ノ章、大詰め) 人間

 蓮華の数少ない友人にして唯一の理解者。
 蓮華と恋華の奇妙な死に様を偽装する為、亡き友の手向けの為、空へと空砲を放つ。


 さて本作の肝を話す前に一つ小話をば。
 物ノ怪と妖は一見すると同じ存在に見えますが、明確な違いとしてその二つを区分しますと下記の通りになります。

 妖とは概念そのもので我々がそれをどう捉えるかは千差万別となり、一人が別人にそれを伝えた処で別人が別人にそれを伝えても同じ概念が伝わる事は決してありません。
 “噂話には尾鰭が付き物”という言葉も元は“憑き物”として語られています。
 この様に概念を説明する事は容易くなく、故に妖は我々にとって理解できないモノでありました。

 次に物ノ怪ですが本作を紐解く肝がこちらになります。
 物ノ怪は人の情念や怨念に妖が取り憑く事で生まれると云われ、又その形は人の因果と縁が大きく結び付く姿を取ります。
 人に近寄りすぎた彼女が人以上の情念に囚われ、物ノ怪と成るにはあまりにも絶好の要素が揃ってしまい、更には主人に彼女が取り憑くという実に救いの無いスパイラルを招きました。

 三ノ章と四ノ章とで印象が僅かに異なるのもそういった怪異の表れでそれぞれ恋華と蓮華の視点の違い、四ノ章は死ノ章とも掛けており、主人が初めて自らの手を穢す覚悟の表れをも指しています。
 それ故に本来なら物語は四ノ章で終っている為、テーマに徹底的に従えば大詰めは蛇足のエピソードだったり。
 大詰めを蛇足と捉えるか否かは皆々様方の見解次第。

 一番怖いのは妖でもなく物ノ怪でもなく、人間そのものであるというのが私の見解です。
(その為にポケモン臭が薄くなってしまうのも、まぁ私らしいといえばらしいのでしょうが)

 更にどうでもいい小話を一つ。
 筆者がポケモンを知ったのはDPPtでキャラクターもゲームもそれが初でありました。
 興味を抱いたのはコリンクの可愛さに惹かれ、この子以外は連れていかぬ! この子だけを愛するのだ! とか何か訳の解らぬテンションだったのを覚えています。
 後に秘伝要因が居ると知ってからは已む無くメンバーを増やしましたが、バトルに出すのはあくまで嫁だけ。嫁だけでゲームクリアを目指すのに半年位掛けたと思います。
 そういう個人の思い入れからも、一度は嫁を出したいと思ってはいたのですが嫁を愛しすぎるあまりに如何わしい行為に踏み込めないジレンマがあり、今日になってようやく御披露目が適いました。まぁ非官能ですけども。
 お蔭様で話自体を考えるのに時間は然程掛かりませんでした。
 ありがとう嫁。今後どんなに可愛い子が生まれたとしても私のヒロインは永遠に彼女だけでしょう。
 いわばこの作品は彼女の為に捧ぐ記念すべき一作品と相成ります。


追白
 「投票コメントに返信はしないの?」と訊かれたので遅くなりましたが返信です。

・某氏を彷彿とさせる地の文に惹かれて。

 何故だか毎回よく言われます。何ででしょうね?

・私にはこの物語の細部までは理解することはできなかったのですが、単純に「怖い」というものではないものにどこかひかれて投票しました。
 
 元々細部を端折って後書での解説に回してる手法なので、一度読んだ程度ではなかなかに理解し難いかもしれません。まぁそこが狙いなんですが。
 今回はテーマがホラーでもありましたので、一連の流れをあえて区切る事で生じる疑問を訳の解らない恐怖として誘発、錯覚させる等の小細工が仕込んであります。
 所謂、読者の想像力に働きかけると言う奴です。

・山が、夜が、全てが不気味に押し寄せてくる描写に得体の知れない恐ろしさを感じました(省略)

 さぁ、解説を読んで再び恐怖の世界へ彷徨うがいい。
 否、正直この作品が怖いかどうかは疑問なのですがね。本人もあんまり怖くないかもと思っちゃってる位ですし。


 一週間ありがとうございました。Lem先生の次回作にご期待下さい。
 うん、ごめん言いたかっただけ。ありがちな打ち切りフレーズが大好きです。


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Last-modified: 2011-07-26 (火) 00:00:00
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