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蒼玄を照らす白輪

/蒼玄を照らす白輪

Writer:&fervor


遙か頭上に見える、薄水色の天井の下を、漆黒の身体が駆け巡る。
天井の下に浮かぶ白い掠れの上には、紅い翼が大きく広げられている。
燃え上がる日輪をさらに燃やそうとする、僅かばかりの尾の炎と共に。
大地に大きな闇を象りながら、彼はゆったりと宙の風に乗り、空を断ちながら飛んでいた。

やがて、彼の眼下に広がるのは醜い灰色。その少し奥に見えるのが彼の目的地である、町外れの森。
彼の仲間はなぜ其処で死んだのか。それを突き止めるために、彼は其の場所を目指していた。

程なくして眼に飛び込んでくるのは緑の一角。人間の開発によって、以前よりもさらに小さくなってしまっているのだが、それでもまだ、森は生きている。
彼は着地しやすい場所を探す。そして目にとまったのは小高い丘。大きな木もなく、少し(ひら)けていて、彼の巨体も悠々と着地できるであろう。
体勢を変え、彼は翼を(せわ)しなくはためかせる。だんだんと近づいてくる地面。と、其の脇に見えた黒い影。次第にそれはハッキリと姿形を顕してくる。
……その黒と黄色の身体、紅い眼をしたポケモンは、ゆっくりと彼の着地地点へと近づいてきていた。


俺が着地を無事に終えると、其奴は直ぐに駆け寄ってきた。俺は翼を畳んで、改めて其奴の身体を眺める。
紅い瞳、漆黒の身体に黄色い輪のような模様。このポケモンは、確か……。
「やぁ、見慣れない顔だね。どうしたの? この森の美しさにでも見蕩れたの?」
……そうだ、"ブラッキー"と言ったか。よく考えてみれば、あの事件からもうずいぶんと時間が経ってるんだな。思い出すのに、こんなに時間が掛かるなんて。
「ねぇってば。君、大丈夫?」
少し物思いに耽ってしまった。どこを見るともなく向いていた目を、改めて其奴に向ける。
まだ少し幼さを感じる声色、顔立ち。しかしその一方、何か得体の知れない威圧感が垣間見えるのは何故だろうか。
「……あ、あぁ。悪いな。この森も大分小さくなったな、少し前にも眺めたことはあるんだが」
「そっか、昔のことも知ってるんだ……。そう、この森も随分小さくなっちゃったよ。全部、あいつらの所為でね」
悔しそうにしながら、其奴は丘の先端近くまで歩いていく。其処に座って、ただじっと遠くを見つめている。
俺も其奴の隣まで歩き、一度辺りを眺める。尻尾の炎にだけ気をつけてから、俺は其奴の隣に座った。と、其奴は目で俺に合図する。
其奴が目配せをした先に広がっているのは、人間の街。他でもない、この森が切り開かれることになった原因だ。
俺がまだヒトカゲだった頃は、この森も随分と大きく広がっていた。それこそ、野生ポケモンの住処もたくさんあったし、人間達もまだそれほど住処を求めては居なかった。
あの頃は俺と彼奴とでよく遊びに来た物だ。森の中を駆け回って、他のポケモンとも戯れて。そうだ、今よりもずっと多くのポケモン達が棲んでいた。
それなのに今は寂しい。あの頃はいつもポケモン達の鳴き声が絶えることはなかったのに。森は走っても走っても出られないのでは、と思うほど広かったのに。
今はほとんど影を潜めてしまった。かつての広大な敷地、かつての多くのポケモン達は、ほとんど消え去ってしまった。
それは確かに彼らの所為だ。皆の物だった森はいつしか彼らの物になり、勝手に姿を変えられてしまったのだから。そして今もまだ、虎視眈々と住処を奪おうと画策しているのだ。
許せないことではある。彼らは確かに強い。だが、それを良いことに全てを奪ってしまったら、やがては世界の均衡は崩れてしまう。
その(ひず)みのほんの一握りが、今此処に顕れているのだろう。しかもその歪みは、だんだんと大きく、酷くなっている。このままではきっとそのうち……。
「……居なくなればいいのに」
呟かれた言葉。表情は暗いまま、と言うよりも、闇に囚われた様な、憎しみに満ちた顔で、人間の街を見下ろしながら、彼は言った。
人間が居なければ、森は大きなままだった。そして、今もしも彼奴らが居なくなれば、森はこれ以上侵されないだろう。
……ただ。ただ、それでほんとに、ポケモンが幸せに暮らせる様になるのだろうか?
「居なくなれば、か。だけど、それはそれで、困ることになるんじゃないのか?」
身体は依然として街の方に向けたまま、顔だけを向けて其奴に問いかける。
「どうして? あんな奴ら、君は嫌いじゃないの?」
其奴もまた同じように、顔だけをこちらに向けてくる。興奮しているのか、声が少し荒い気がする。
「嫌い、か。どうだろうな、俺自身よく分からないんだ」
目線をいったん外して、今度は自分で考えて見る。……そうだ。嫌いなら今頃、彼奴と一緒には居ないはずだ。だけど、今の彼奴は……少なくとも、好きじゃない。
そして、人間達も、とても好きにはなれない。だが、嫌いというわけでもない……。
「……ねぇ、君。まさか……ニンゲンのポケモン?」
唐突な質問に、俺はまた其奴を見る。静かではあったが、確実に其奴は怒っていた。人間が嫌いなら、そのポケモンも嫌い、ってことか?
「ん? あぁ……言ってなかったか。だけど、別に人間が好きな訳じゃない」
自身へのフォロー……というわけではないのだが。こう言っておかないと、このままだと、殺されてしまうのではないか、そんな気がした。
「……どういうこと?」
「人間は確かに、俺みたいな、捕まえたポケモンの為にいろんな事をしてくれる。『快適』……そう言えばそうかもしれない。
 でもそれは、『まがい物』でしかないと思うんだ。何て言えばいいのか分からないが、『自然』の方がよっぽどいいものだと思うんだ。
 それに、人間のしていることは、俺も許せない。幾ら何でも、やり過ぎだ。森は彼奴らだけの物じゃないからな……」
許せないし、好きじゃない。……それでも俺はまだ、人間を信じている。少なくとも、彼奴のことだけは、まだ。
「……じゃあ、どうして君はニンゲンと一緒に居るの?」
幾分か怒りが解けた声。純粋な疑問だろう。其奴は俺を不思議そうに見つめている。
「彼奴……俺のパートナーは、他の人間と違ったんだ。捕まった時は嫌いだったが……彼奴のことを知る内に、好きになった。ずっと好きだったよ、俺も。昔の彼奴を、な」
昔の彼奴を思い出して、俺は今の彼奴がますます好きになれなくなる。それでも、いつかまた元の彼奴に戻ってくれるのではないか。
……だからだろうな、俺が彼奴から離れない訳は。離れられない訳は。
「昔……?」
「ああ、昔。もう5年くらい前か。ちょっと、色々あってな……」
ふうん……、とだけ言って、彼は一匹、考え事を始めた。俺も俺で、少しあの事件を思い出す。
そう、今の其奴と同じくらいのブラッキーだったな。……あの事件の、ブラッキーも。


5年ほど前、俺がまだリザードだった時だ。今よりも森は広くて、まだこんなに街が発展していない頃。
その当時、ハンターたちの間で噂になっていたのは、町外れの森に見慣れないイーブイ種、ブラッキーが棲んでいるという話。
彼奴は森が荒らされるのがとにかく嫌いだったから、それを聞いた俺と彼奴とで、一緒に森の様子を見に行った。
朝日が白くなり始めた頃、森の中にはポケモン達の騒がしい鳴き声が響き渡る。だが、明らかにそれは五月蠅すぎた。何かおかしいと感じ始めた頃に、一発の発砲音が。
それを皮切りにして、何度も放たれる鉄砲の弾。森の入り口に差し掛かっていた俺達は、急いで森の中へと走り込む。木の幹の茶色が、草花の葉の緑色が、流れるように後ろへ飛んでいく。
ちらちらと光が差し込む森。だんだんと深く、暗くなっていく道無き道を、俺達は止まることなく走り続ける。その間にも不吉な音が届く。悲鳴ともとれるポケモン達の鳴き声が聞こえる。
通れそうなルートを選んで、ひたすら音の鳴る方へ。どれだけ走ったかも分からないほど走った。今まで来たことが無いほどの森の奥。
人間が入ったことなど皆無であろう、そんなことが一目見て分かるくらい、その場所は美しかった。少し開けた広い場所には、わき出す川の源流と、その辺り一帯に影を映す、悠々たる巨木が。
まるでその木を避けるかのように他の木々は生えていて、巨木の周りには一切見あたらない。それ故にその周りには燦々と太陽の輝きがもたらされる。
辺りの地面は落ち葉も少なく、まだ短い草が一帯を覆っている。緑が生い茂る、まさに自然の美しさを凝縮したようなその場所。
いつの間にか銃声は止んでいた。と、彼奴が巨木の幹に駆け寄っていく。よく見れば、そこには一匹のポケモンが。――それが、ブラッキーだった。

其奴を見つけたとたん、彼奴は俺をボールにしまった。恐らくは其奴を必要以上に怯えさせないためだろう。しかし其奴はもう十分怯えている。
そんな其奴をよそに、彼奴は近づいて様子を見る。どうやら脚を撃たれて怪我をしているらしい。ベルトにボールごと固定された俺にも、ボール越しにその姿が見える。
ついにすぐ隣、彼奴はしゃがみ込んで其奴の目の前に。其奴は殺されると思ったのか、目を閉じて震えている。
そんな様子を見て、彼奴はそっと声を掛ける。其奴の頬を撫でて、ゆっくりと諭すように、優しく話しかける。
「怖がるなって。大丈夫だからさ」
手が触れた瞬間、其奴は体を強張らせてビクッと震える。しかし、いっこうに何もされる気配が無く、ただ撫でられているだけだと気づいたのか、そっと目を開けたようだ。
まだあどけなさの残る、円らな、紅い瞳がじっと彼奴を見つめている。驚きと不安の入り交じった目で、彼奴の優しげな目を。
少しの間見つめ合った後、今度は彼奴がバッグの中から"きずぐすり"を取り出して、手早く脚の傷口に塗りつける。
刹那、其奴はその痛みに驚いたのか、身をよじらせて抵抗してきた。一度たりとも塗られたことのない薬には、やはり抵抗を覚えるのだろう。
「確かにちょっと滲みるだろうけど……我慢してくれよ?」
ぎゅっと押さえていると、其奴はおとなしく待っていてくれた。未だに怖がっている様子ではあるが、幾分かは気を緩めてくれたようだ。
「全く、ひどい奴らだよな。此処のポケモンは、ただでさえ数が減ってきてるっていうのにさ。お前、此処らへんを守ってくれてるんだろ? この森を。……ありがとな」
其奴は怪訝そうに彼奴を見ている。何か処理しきれない、何か合点がいかない、複雑な心境が俺にも見て取れる。が、其奴も何となく感謝はしているようだ。
『あ、ありが……とう…………』
ポケモンである以上、言葉を伝えることは出来ない。もちろん、ブラッキーの"シンクロ"を使えば不可能ではないのかもしれないが……其奴にはまだ使いこなせないのだろう。
彼奴にその言葉は伝わらないが、気持ちは十分に伝わったようだ。彼奴もそれに対して微笑んで、くしゃくしゃと其奴の頭を撫でながら返す。
「ははっ、なんだ、感謝の言葉、なのか? この森を守ってくれてる、お前への恩返しだよ。気にするなって」
其奴も何だか嬉しそうに笑っている。だいぶ彼奴とも打ち解けたようだ。たぶん、しこりが残っていないわけではないだろう。でも、彼奴にはどこか惹かれるものがある。
きっと其奴も、その何かに惹かれて、彼奴を信用しようという気になったのではないか。
「俺、フェリブっていうんだ。また何かあったら、いつでもここに来いよ。……もしお前が危なくなったら、絶対守ってやるからさ!」
最後の仕上げに、彼奴は薄い白地の布を其奴の脚に巻き付け、少し固めに結ぶ。軽く引っ張ってほどけないか確認してから、ようやく彼奴は腰を上げる。
街の方へと振り向いて、早足にかけていく彼奴。ちらりと後ろを振り向いて、ひらひらと手を振ると、其奴は照れながら前足を軽くあげてくれたようだ。
そんな様子に満足したのか、彼奴はさらに快調なリズムで、街を目指して小走りで森を駆けていった。


少し顔を上げて其奴を見ると、悲しそうな顔で空を見つめている。時折見える苛立った顔と合わせてみると、其奴も過去に何かあったのだろうか。
「――、どうして……どうして来てくれなかったの?」
よく聞こえなかったが、聞き間違いでないとしたら。もしそうだとしたら、とんでもないことになる。
其奴の瞳から零れた一筋の涙が、細かな黒い毛に吸い取られて消えていく。怒りとも悲しみともとれない表情。だが、俺の注意はそんなところに向いているのではない。
本当に聞こえた声が、その名前が本当にそうだとしたなら……俺は、一体どうするべきなんだろうか。決めかねていた。はずだったが。
「俺の話、聞いてくれないか。お前に聞いて欲しいんだ。……きっとお前は、勘違いしてるはずだ。だから……本当のことを知って欲しいんだ。彼奴のことを」
涙を振り払い、其奴は俺の方を向いて首を傾げる。
「……どういうこと?」
一呼吸置き、自分自身を一度落ち着かせてから、ゆっくりと俺は話し出した。
「お前が待っていた人間。……お前が撃たれた時、其奴がどうしてたか、俺は知ってるんだ」


彼方で聞こえた弾ける音。まだ、日輪が天井の黒塗りの壁紙を橙に焦がし始めたばかりの刻に、その震えは僅かに彼奴の耳に届いた。
彼奴は俺と一緒に森へと走った。その間にも何度か聞こえた軽い音。鳥ポケモンの飛び去る影が見える。森の中を逃げ惑う野生ポケモン達の鳴き声が響く。
森はあっという間に近づいてきた。ガサガサと騒がしいのは、森の草木がこすれあう音。合間をすり抜け、走るポケモン達の姿こそ見あたらないが……間違いない、ハンターがこの中にいる。
彼奴はその気配を感じ取って、一目散に駆けだした。途中に見えた亡骸に、本当なら彼奴は祈りを捧げたいのだろうが、そういうわけにも行かない。
今心配なのは、昨日出会ったあのブラッキーのことだ。確実にハンター達の狙いも其奴だろう。しかも、彼奴はまだ脚を怪我しているはず。このまま彼奴が逃げ切れるとも思えない。
彼奴もきっと同じことを考えて、今こうして急いでハンターの元へ向かっているのだろう。そしてきっと、力尽くにでも止めるはずだ。
いつしか森に入る日差しは増えてきた。隙間に見える蒼玄*1が暗い緑とは対照的に、いっそう明るく見える。
そんな森の中を駆ける人間を、俺達はついに視界に捉えた。手に持った細長い猟銃は、紛れもないハンターの証。
その奥にちらりと見えた黒い影――いや、黒い躯。それが見える距離と言うことは、いつ其奴の生命が失われてもおかしくはないと言うことだ。
もう、なりふり構っては居られなかった。彼奴は俺の入ったボールを全力で投げつける。言葉を発さずとも、俺にはもう次の指示が分かっていた。
閃光と共に、俺はボールの外へと吐き出される。その音でようやくハンターは背後の俺達の存在に気づいたようだ。
その一瞬の隙を突いて、俺はハンターの周りに"ほのおのうず"を作り出す。ブラッキーはそれに気づくことなく走り去る。
其奴の姿が見えなくなったのを確認してから、俺達はハンターの前に立ちふさがる。
「あのブラッキーを殺すつもりなんだろ?! そんなこと、させるもんか!」
ハンターは即座にモンスターボールを宙に放り投げた。中から現れたのは、鋼の鎧を着けたような躯、頭部には二本の角。俺の二倍はありそうな、大きな躯が突如現れた。
「ガキが……邪魔をするんじゃねぇ! たたきのめせ、ボスゴドラ!」
その巨体に似合わない速度で繰り出される"とっしん"。だが、俺も相当訓練は積んできたつもりだ。真正面からの攻撃に当たる気は無い。
右足で地面を横に蹴り、左に大きく飛び出す。相手の背中を捉えたところで、鋼を溶かす炎の技、"かえんほうしゃ"を繰り出す。
その鎧には大きなダメージ――のはずだったが。さほど気にもとめない様子だ。ゆっくりと向き直ってきて、再び繰り出される"とっしん"。
またもや左に避け、今度は"ほのおのうず"で相手の動きを封じ、じわじわと体力を削ることにした。
油断は出来ない。だが、この炎から逃げ切れるはずもない。後はこのまま耐久戦に持ち込めば――。
――瞬間、炎の中から飛んできた泥。目に入り、一瞬前が見えなくなる。その泥を振り払うと、既にボスゴドラは消えていた。
「下だっっ!」
声が聞こえた。同時だったか、もしくは少し声の方が早かったか――地面からの攻撃で、俺は空中に吹き飛ばされていた。
背中に二本の角が軽く刺さり、その部分が激しく痛む。おそらくかなりの傷を負ったのだろう。
空中に浮いた今、体勢を変えることは出来ない。おそらく、俺の背中を狙ったのは、反撃をも許さないように、だろう。
炎を吐こうにも相手は下。見えないところに炎は吐けない。着地したら即座に間合いをとらないと……やられる。
でも、そこまでだった。見えていた光が何かの影に遮られる。その影がボスゴドラの鋼鉄化した尻尾だと分かる頃には、"アイアンテール"が俺の腹に決まっていた。
地面に叩き付けられ、俺の意識がほとんど白一色に染まる。半ば放心状態で、ただ痛みだけが鈍く、遠く残っている。
「ふん、威勢の良い割にはその程度か。……どけっ!」
重量のある物がこれまた何かを吹き飛ばす音。隣を見れば、うずくまっている彼奴の輪郭がそこに居た。
「そんな……」
暫くは無言で痛みに耐えていた。ただただ願うのは、あのブラッキーが無事に逃げたことだけ。彼奴は目を閉じて、痛みをこらえながら「ブラッキー」と壊れたようにつぶやいている。
だが、その願いが届くことは、もう無かった。聞こえた音。それは紛れもなく、其奴と出会った場所の方向。それはつまり――。
「くそっ……くっそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」


「それからだよ。彼奴が狂ったように力を求めたのも。俺だって今までないくらい鍛えられたし、せっかく捕まえても、使えないポケモンは片っ端から逃がしていった。
 見てられなかったさ、俺だって。でも、彼奴も元は優しいやつだった。それは何より、お前が一番知ってるはずだろ?
 お前は人間を憎んでるんだろ? そしてそれは全部きっと、フェリブに裏切られたから、そのせいで殺されたから……違うのか?」
全部を聞いていた其奴は、終始無言だった。怒るでもなく、泣くでもなく、ただ、静かに俺の話を聞いていた。
「……それじゃあ僕が今まで憎んできたのは……なんだったの? フェリブは僕を、本当に助けようとしてた。それを知って僕は……どうすればいいの?」
其奴が打ち明けてきたのもまた、怒りでも、悲しみでもなく、疑問だった。
「僕はニンゲンが許せない。まだ、許そうとは思ってないけど……でも、本当に良いニンゲンはいたんだよね?」
既に日は傾いてきていた。この崖の上、先ほどまでは天高く浮かんでいた白輪は、今や橙赤色となって遙か西に姿を隠そうとしている。
「ああ。……彼奴もまた、お前のせいで歪んでしまった。お前も、彼奴のせいで歪んでしまった。でも……今ならお互い、戻れるはずだろ?
 人間とポケモンは、『共生』出来るって、俺は信じてる。現に今だって、人間のあの街が無いと生きられないポケモンだって、たくさんいる。
 其奴らは一緒に生きているんだ。もちろん、この一方的な破壊は許せない。でもきっと、どこかに道はあるはずだ。……分かって、くれないか?」
紅い眼は下を向いた。神妙な面持ちで、必死に自分の気持ちに整理を付けているようだ。俺には到底計り知れないほどの葛藤があるのだろう。
だが、それもきっと終わるはず。此奴は帰るべきなんだ。――もう、此奴は一度死んでしまったんだから。
「……ごめん、今日は帰ってくれないかな? 明日、ここに来るから。返事をしに」
そう言って其奴は、身を翻して森の中へと入っていった。草むらをガサリと揺らして、其奴は姿を消した。
「……フェリブも一緒に来て欲しい。それじゃ」
其奴の声、再び草が擦れる音。それっきり、其奴の気配は消えて無くなってしまった。後に残るのは、薄暗くなった森の緑と茶色だけ。
俺は街の方へ向き直り、紅い翼を大きく広げ、崖から飛び降り――赤から黒へと切り替わる空の下へと滑り、彼奴の元へと帰って行った。


白く光る空の丸が、水色の天を霞ませる。遙か下方の人間の街、とある家の直ぐ外で、ゆらゆらと尻尾を揺らしてみたり、翼を軽くばたつかせてみたりしながら、俺は彼奴を待っていた。
昨日、あの後彼奴の家に帰った俺は、食事を終えると直ぐにボールに入れられてしまった。結局彼奴にあのことを伝えることは出来なかったのだが、なんとしても今日、無理矢理にでも連れて行かないといけない。
あの森で、あの場所で、彼奴を待っているポケモンが居る。会って欲しい、感じて欲しい。願わくば、過去の、昔のままに戻って欲しい。……どちらが悪いわけでもないのに、どちらもが歪んでしまったのだ。
これが最初で最後のチャンス。彼奴が元の彼奴に戻れるかもしれない、たった一度きりの機会。あのブラッキーが真にあるべき場所へと還ることが出来るかもしれない、たった一度きりの機会。
だけれど、もし、彼奴の出した結論が、俺にとって、そして彼奴にとって、最もなって欲しくないことだったならば……その時は。
――俺が犠牲になってでも、あのブラッキーを殺してでも、彼奴を守る。

玄関のドアがゆっくりと開く。出てきたのはかつての面影は感じられない、目つきの鋭い一人の青年。外で先に待っていた俺を一睨みしてから、振り向いてドアに鍵をかける。
カチリという乾いた金属音。ドアに背を向けて彼奴は俺の直ぐ側まで来た。俺と目が合う。何も言わずに、少しの間俺を睨み続ける。
「……どうした、お前が自分から先に出てくることは最近無かったはずだが」
どうせ言葉は伝わらないのだ、言葉にはしない。だが、俺は無言で背中を差し出し、自らの翼で、自らの手で、軽く合図を送る。
「乗れ、ということか? ……ふん、そこまで言うなら乗ってやろう。だが、たいした用事でなかったら、覚悟しておけ」
イライラしつつ、彼奴は俺の背中に跨った。彼奴の手がしっかりと身体を掴んだのを確認して、俺は紅と黒の翼をはためかせ、宙へと舞い昇って行く。
いつも以上に神経を使い、尻尾や手足でなるべく安定した状態を保ちながら、俺は彼奴が落ちないように気をつけて。
そうしてある程度の高さまで上昇すれば、もう森まではほんの数分だ。暫く空を滑るように飛び回る。翼をばたつかせるのではなく、単に風を受け浮き上がるように、滑らかに風を切る。
上空からの眺めと涼やかな風を楽しんでいられるのもつかの間、あっという間に昨日の崖が見えてくる。尻尾の炎が邪魔で、森の他の場所に止まるのは難しいのだが……あそこなら大丈夫だ。
着地するための下準備として、彼奴を振り落とさないように注意しつつ、徐々に翼の振りを大きくしていく。日差しが熱いくらいの陽気、この涼しい風が少し名残惜しいのだが。
そうして翼で風を押して、ゆっくりと高度を落としていく。風が身体の回りをかなりの勢いで走り抜けるせいで、耳を劈くような高い音が絶えず聞こえていたはずなのだが、彼奴は何も言わなかった。

飛び始めてからほんの3分ほどだっただろうか、もう目的地の崖は真下だ。先ほどまで地面に水平だった身体を完全に起こして、より大きく翼を振って静かに高度を落としていく。
地面を少し揺らしながらも、柔らかな着地。我ながらうまくいったと思う。着地と同時に彼奴も俺の背中から手を離し、軽い音を立てて地面に降りた。
しかし、彼奴がいない。此処に居ないと言うことは、ひょっとしたらあの場所で待っているのだろうか。あのブラッキーは俺達を、彼奴を試しているんだ。あの場所を覚えているのかどうか。
彼奴が降りて俺の隣までやってきた。顔で方向を指し示してから、俺は何も言わずに歩き出す。彼奴はここのことを覚えているだろうか。ちらりと見た表情だけでは判断が出来かねる。
だが、少なからず何かは感じているはずだ。彼奴は今もこの森が好きなはず。そうだと信じたいし、そうでなければ、今日連れてきた意味がないのだ。
尻尾の炎に細心の注意を払いつつ、俺は森の隙間を歩く。ふと気づけば、いつの間にか俺よりも先に彼奴は歩いていた。かつてとはまた姿を変えた森でも、彼奴は自然と何かを感じ取ったのだろう。
木々の幹が徐々に減っていく。一段と明るい光が見えてくる。そしてその先、視界が一気に広がった先には、あのまま、何も変わっていない広場があった。
大きな木によって覆われた、聖地のような場所。地に生える草の一つ一つでさえもみずみずしい。流れる川は光が無くとも輝きそうなほど澄んでいる。
あの時と同じだ。幹の根元、木の陰に混じって浮いている黒と黄色。――彼奴が今、過去と出会った。其奴が今、過去と出会った――。


時の流れが一気に遅くなったような錯覚を覚えるほどの長閑さ。だがそれ以上に、彼奴は別の物に目を奪われていた。
それもそのはず。あの場所、あのポケモン。きっと未だに彼奴が後悔しているであろうことを、否が応にも思い起こさせるこの組み合わせ。
一方の其奴は、ずっと反対側を向いたまま。こちらの気配に気づいてはいるのだろうが、其奴も恐らく動く決心がつかないのだろう。
一分が過ぎようとしていただろうか――いや、ひょっとしたらもっとかも知れない――、その時ようやく彼奴はゆっくりと一歩を踏み出した。
一歩が出てしまえば早い物で、二歩、三歩と足が独りでに歩いている。彼奴は果たして気づいているのだろうか、其奴が例のブラッキーだと言うことに。
徐々に距離が縮まる。少し呆けていた俺もふと我に返り、彼奴の側まで駆け寄る。彼奴を守るという使命が、まだ俺には残っている。
そう、俺はまだ其奴の答えを聞いていない。俺はそうならないと信じているが、もし、もしもそうなったら――。
いや、それを考えてはいけない。其奴は純粋なやつだ。それは俺が話していて確信したことだ。だからきっと、分かってくれているはず。
そして彼奴も、昔の彼奴に戻れるはずだ。どんなに弱いポケモンであっても、彼奴は野に捨てようとはしなかった。
全部、他のトレーナーを必死で探して、世話を頼んだ。……最も、それで失敗したこともあったのだが。
あの時の彼奴の怒りよう、あの時俺は初めて彼奴の本当の気持ちを知ったんだ。彼奴はまだ、森を、ポケモンを好きで居るんだ。
それならきっと、彼奴も元に戻れるはずなんだ。強さなんてどうでも良かった、ただポケモンと仲良く、森と共に生きていく、それを楽しめる少年に。
きっと――
「…………ごめんな……」
一瞬の出来事だった気がする。彼奴は其奴の側まで来たかと思うと、其奴の隣に座って、背中を優しく撫ぜていた。
「お前は、ずっと待っててくれたんだよな。俺が弱いせいで、俺が駄目だったせいで、お前の心まで傷つけちゃったんだよな。
 俺のこと、嫌いになったんだろ? 俺だけじゃない、人間のことが、嫌いになったんだろ? でも、それは違うんだ。
 俺のことは嫌いになってくれても良い。でも……人間にも、良い奴はいる。お前達にとって、欠かせない人間だっているんだ。
 森を守ろうとしてくれている奴だっている。森を綺麗にしてくれている奴だっている。お前達のために餌をこっそりと置いている奴だっている。
 人間はお前達ポケモンと、一生懸命『共生』しようとしているんだ。もちろん、そうじゃない奴だっている。でも――そんな奴ばっかりじゃないことは、分かって欲しいんだ」
全てを見透かしたような発言。言いたかったことも、知って欲しかったことも、全部彼奴は分かっていたんだろうか……。
彼奴は泣いていた。それは其奴のことを思ってなのか、それとも彼奴の過ちを振り返ってなのか、あるいは――。
――ありがとう、フェリブをわざわざ連れてきてくれたんだね。
ふと聞こえた其奴の声。だけど、聞こえたというよりは、直接なだれ込んできた声、といった様子だ。この感じは一体――?
――フェリブも聞こえるでしょ? 僕は森に助けてもらった。本当ならとっくに還っているはずの魂を、繋ぎ止めてもらってる。
――その時、森は僕にいろんな力を授けてくれた。その一つがこの、強力な"シンクロ"なんだ。思っていることを共有できるし、心で直接言葉を交わすことだって出来る。
――まあ、今はもう、そんなことどうでも良いんだ。ただ、君たちに言いたいことがあったから、こうやって話してるだけ。
次々に伝わってくる言葉。まるで異空間にでもいるかのような不思議な感覚に包まれながら、俺と彼奴は其奴の話に耳を傾けていた。
――僕はずっと、ニンゲンのことが信じられなかったし、信じようともしなかった。だけど、フェリブのおかげでそれが変わろうとしてたんだ。
――なのに、そんな最中にあんなことが起こって、僕は二度とニンゲンなんか信じるものか、って……そう思ってた。
――でも、君が僕に教えてくれた。君が僕の心を動かしてくれた。君のおかげで、僕は今、こうしてフェリブの前にいる。
――君のおかげで、すっきりしたよ。心のもやもやが晴れた、っていうのかな。これでやっと、本当に還れる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。……還るってことは、つまり……」
還る。それはつまり、とどまった物を天に返すと言うこと……なのか。
――そう言うことだよ。僕は本当は、もう此処に居ちゃいけない存在だから。還らなくちゃ。生命の転生の、輪廻の輪に。
そう言うと、其奴はフェリブの側から数歩離れて、俺とフェリブの方に向き直った。まだ幼げな顔は、幸せそうに笑っていた。眼に涙の粒を浮かべながら。
――フェリブ……ずっと言えなかった言葉、今伝えておくよ。それと、間違った道を進んでいた僕を助けてくれた、君にも。
蛍の光のような、小さな輝きの飛礫が其奴の回りを包む。そのふうわりとした煌めきは、依然燦々と地を照らす白輪に導かれるように、天へと次々に昇っていく。
それと同時に、其奴の身体がうっすらと消えかかっていく。きらきらの粒が空へと駆け上がるほどに、どんどん其奴の形は崩れていく。
そうして、最後の一粒が昇って行く。ゆっくりと、ゆっくりと、空気に溶けるように小さくなっていく光を見つめる。そして、それが(ほど)けて空気に溶けようとしたその瞬間に。
――ありがとう。
声が、聞こえた。


あれから幾日か経ったある日。太陽は俄然力を増して照りつけてくる。いくら炎タイプとはいえ、身体が黒だと熱をよく吸収してしまう。
そこで俺とフェリブは涼しさを求めて森の中へと歩を進める。ただ、今回は単に涼しさだけが目的ではない。涼みたいなら家で良かったのだが――。
フェリブの腕に抱えられたタマゴ。一緒につれて歩くと良い、と言う話は有名だ。だから俺達もそれを試すことにした。
誰の、何のタマゴかさえ分からない。ただ、気づいた時には玄関先に転がっていた、不思議なタマゴ。
ただ――もしかすると。フェリブも俺も、それを思って今日はここまで歩いてきた。景色が変わる、あの神秘の空間へ。
――ほら、思い通りだ。
タマゴの動きが活発になる。今にも割れそうなほど、激しく動くタマゴ。それを落とさないようにしながら、フェリブと俺は大木の幹の下まで移動する。
木漏れ日に混じって降ってくる煌めきの粉。暑さも忘れて、ただ感じるのは生命の温かさ。そして、"其奴"の温もり――。
「やっぱりお前、だったんだな。……お前の名前はもう決めてあるんだ。お前と同じ姿をした、この森の守り神。俺が勝手に付けてた名前だけど、その守り神の名前をとって――」
半分砕けて、下部だけが残ったタマゴ。通常よりも遙かに小柄なその黒いポケモン。本来ならば、タマゴで生まれるはずのない"其奴"の名前は。
「――よろしくな、フィリック」



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  • どことなく物静かな雰囲気が漂うお話ですね。ひっそりと進んで行きそうな気がします。
    リザードンの言う彼奴と、ブラッキーとの関係が気になるところですね。
    五年前の彼奴の行動を見る限りは、悪い人という感じはしませんが……。その五年間の間に何かあったのでしょうか。 -- カゲフミ 2009-05-29 (金) 19:19:01
  • >>カゲフミさん
    二匹だけの空間の中で、ゆっくりと時間が過ぎていっております。
    二匹共が憧れた「彼奴」は、今一体どうしているのでしょうか。どうして歪んでしまったのでしょうか。
    リザードンのお話に、ゆっくりと耳を傾けてあげてください。コメント、ありがとうございました。 -- &fervor 2009-05-31 (日) 22:42:09
  • 駄目だ目からリアルに海水が溢れてくる。フィリックが卵から出てくる所でもう顔面グチャグチャでした。(ノンフィクション)
    人間は欲に忠実過ぎるのです。自分のやりたいように自然を変えていく。挙げ句の果てに自分達が困るのをまるで分かってない。いわば地球にとって今の人間はガンと同じなのかもしれませんね。人間は支配ではなく[共生]しなければこれから確実に滅びます。オバマにもこの小説を読ませてやりたいです。フェリブくんのような人が増えるように願うばかりです。 -- 座布団 2009-06-19 (金) 00:17:20
  • ペンキを塗って山を緑化させる某民族のような人たちがいる限りは無理でしょうね。 -- 2009-06-19 (金) 02:10:12
  • 一部の身勝手な人間のせいですれ違っていた一人と一匹。最後はリザードンが危惧していた最悪の結末になるのではないかとひやひやしていましたが。
    お互いの誤解も解け、丸くおさまったようでなによりです。ブラッキーが森に留まっていたのは、フェリブに対する未練があったからなんでしょうかねえ……。
    人間と自然という難しいテーマだけに色々と考えさせられることもありました。執筆お疲れ様です。 -- カゲフミ 2009-06-20 (土) 00:09:54
  • >>座布団さん
    そこまでしていただけるとは、書いた側としてはとっても嬉しいです。
    そうですね、タチの悪い癌そのものかもしれません。ですが、それは治そうとすれば治せる物。
    私たちに出来ること、それを今一度考えて、行動に移したい物です。

    >>↑↑の名無しさん
    そうですね……身勝手ですね、果てしなく。ですが、そうでない人たちが、早く気づかないといけないんですよね。
    そして、見ているだけではなく、何か行動を……口で言うのは簡単ですが、とっても難しいことです。
    出来るようになりたいですね。自分も……。

    >>カゲフミさん
    「其奴」も、元はとっても優しい仔ですから、きっとフェリブの優しさを知って、改めて分かってくれたんでしょうね。
    全てを知って、全てを清算して、「其奴」は還っていったのですから……きっと、幸せだったと思います。
    言いたいことは書けたのですが、まだお話としては書き切れていないこともあるので、その補完もいつかかしたいです。

    それでは皆様、コメントありがとうございました。 -- &fervor 2009-06-20 (土) 23:01:49
  • めちゃくちゃ感動しました(ToT)
    現実的な話しでありこれからの人間の課題ですね
    確かに命を脅かすのも居るけど逆に守ろうとする存在もあるって事を言いたいのかなと思いました -- リュウト ? 2009-06-29 (月) 20:32:51
  • >>リュウトさん
    感動していただけましたか? それは嬉しい限りです。
    まさにその通り、これからの課題だと思います。何か感じ取っていただけたなら、それだけで書いた甲斐がありました。
    全ての人間が悪いわけでもないですからね。フィリック君がそれに気づいてくれたようで良かったです。
    コメントどうもありがとうございました。 -- &fervor 2009-06-30 (火) 00:15:03
  • なんでだろう?目から出る汗がどうやってもとまらない。本当にこんなにも感動できる作品をありがとう。
    ―― 2010-02-20 (土) 17:45:23
  • >>↑の名無しさん
    そういって下さると嬉しいです。何しろそれを目指した作品だったので、それが一番の誉め言葉だったり。コメントありがとうございました。
    ――&fervor 2010-02-21 (日) 04:00:16
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*1 青い空のこと。蒼天の同義語。

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Last-modified: 2009-12-01 (火) 00:00:00
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