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草跳ね風舞い地に伏す

/草跳ね風舞い地に伏す

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捕食描写あり。



 木の幹に顔を寄せ、その表面に口を当てる。隙間に歯を入れ込み、樹皮を噛んで、引き剥がす。その一片を口に含み、そのまま、ゆっくりと噛んでいく。
「美味しいの?」
 唾液と絡ませ、柔らかくしてから飲み込んでから、隣を向いて、顔を持ち上げる。
 そこにあるのは、頭の上から伸びた角と、その所々に小さな花を咲かせている、大きな姿。四本の細い足で立つ――お母さんの姿。
「んー、あんまり」
 私のことを見て、まるで不思議そうに思っているかのように、質問を向けてくる。
「美味しそうに見えた?」
 美味しそう、と思ったのは、確かだった。その割には、あんまり美味しくないのも、確かだった。――歯応えがあって、噛むのは楽しいけれど、だけれど、思ってたのとはちょっと違った。
「うん……ほら、お母さんが、食べてたじゃん、ちょっと前に、よく……」
 季節一つ前、木々の葉っぱが落ちて、そこかしこで寒気が舞っていた頃、確かに、お母さんが食べていた、はずだった。
「……お母さんは、これ、好きじゃないの?」
 だから、てっきり、美味しいものだと思ってたんだけれど。
「んー、分かんないや……あんまり好きとは思ってないけれど、食べたくなる時があるんだ」
「へぇー……」
 お母さんも、別に、好きって訳ではないみたいだった。
「食べたかったなら、いいの。成長した証かもね」
 お母さんがその顔を寄せて、軽く、私の頬を舐めてくれた。

 緩やかな風が流れ、頬を掠めて小さく渦を巻く。木々の隙間を抜けた先には、日中の、明るい空が見て取れる。
 遠く、草原からの甘い匂いを嗅ぎながら、お母さんとふたりきりで、いつもの道を進んでいく。
 生まれた時と同じ、穏やかな空気。身に沁みるような安心感。季節一周前のことはもう殆ど思い出せないけれど、きっと、身体は覚えてるんだろう。
 だから、きっと。
 ――私、いい季節に生まれたんだな、って。



 森を抜けた先には、正面には広い草原が広がってる。日が傾き、空も草原も赤く染まり始めているその只中へと、私は、地を蹴って、飛び出した。
 小さな花が咲き乱れる中を、跳ね回る。身を投げて、横向きに倒れて、草の地面に頬を押し当てる。植物のいい匂いが漂い、流れて、鼻先に、身に、纏い付く。

 お母さんが、ゆっくり、私へと歩み寄って来た。そのまま私の隣に座るのを感じながら、そっちには視線を向けず、ただ、空を見上げた。
 青く、赤い空の遠くに、一つの黒い姿が、目に映る。
 羽ばたきながら、宙を漂う姿。黄色く大きな嘴を持ち、頭には、余分に毛を被ったかのように、広がり、突き出した被毛がある姿。友達の姿。
 彼は、私へと、真っ直ぐ、向かって来た。遠く、点のように小さかった姿が、あっという間に私の側に来て、私より一回り小さな姿として、草の地面に降り立った。

「や、元気そうで」
 その姿は、私を見て、お母さんを見て、私を見直す。
「うん、それなり」
 私は言葉を返し、少し遅れてから、寝転がらせていた身体を、一旦、跳ね起こす。その正面に立って、それから、四肢を畳んで、腹這いになる。姿勢を正し、目線の高さを合わせ、彼を、見た。
 彼は、森や草原を(せわ)しなく飛び回っていて、日が落ちる頃合いになると、よく、この辺りに来てくれる。いつも、二言(ふたこと)三言(みこと)くらいの短い話をして、すぐに飛んでいくけれど、それでも、私やお母さんの知らない、色んなことを、話してくれる。
 それが、ただ、好きだった。

「――最近噂になってる捕食者が居てさ。黒い被毛の上に、怪しい黄色の光を纏ってる奴で、夕暮れ時から夜にかけて動いてて、群れてるのかどうかは分からないけど、狩りは、ひとりでやってるらしい。――おっかないこととしては、さ、その身に纏っている光を見てしまうと、気が狂って、物事の判断が付かなくなる、とか、その目で見られたら最後、逃げ切ることは叶わない、だとか、そんな化け物じみた噂もあるんだよ」
 彼はそう言いながら、片翼を広げ、嘴の尖端をそこに刺し、細かく、羽繕いを始める。
「気を付けろよ。……見たことは、ないよな?」
「うん、ない」
 そんな彼の様子を、じっくりと、見つめる。怖い話、って思うよりは、好奇心のほうが、ちょっとだけ、勝る。
「……見られたら逃げ切れないのに、なんで、噂になってるの?」
「さあ? 目撃情報はあるだろうし、偶然逃げ切った奴が、その体験でも喋って、広まってるのかも」
 その捕食者さんは、見ただけでも、恐ろしい雰囲気があったりとか、捕食者さんだってすぐに分かるような生き物だったり、する、のかな。
「それ、ね、群れが襲われても、獲物になるのは少数だから、そういうのから逃れた生き物が、捕食者の姿を見てたりするんじゃないかな。お母さん、そういう経験あるから」
 お母さんも口を開いて、私たちへと言葉を向けてくる。
「この時期、新しく命を授かる子が多いから。そんな子供を守るために、変わった捕食者の情報は、噂として広まりやすいのかもね?」
「へぇー……じゃあ、お母さんも、私が生まれた時とかに、そういう噂話、気にしたりとか、してたの?」
 隣へと視線を向け、その横顔を見上げると、お母さんは、くすっと、笑ってた。
「ちょっとは、ね」
 まるで、昔の気苦労を思い出したみたいだった。

「じゃ、またな」
 友達は、そこまで言い終えたところで、嘴を翼から離し、その翼を閉じ、ぶるっと、顔を振るった。――いつの間に片翼の羽繕いを終えていたのか、閉じたのは、さっき開いてた翼とは逆だった。
「またね」
 その姿は、両翼を合わせて開き、風を切って、すぐさま飛び上がる。あっという間に、遠く離れて、赤みの増す空に消えていく。
 ――ほんと、いつも、いつも、忙しない。
 一つ息を吸って、吐いて、目を瞑る。
 別に悪い気はしない。また次に会う時が、楽しみ。明日は会えるかな?

 暫くの間、お母さんと一緒に夕日を浴びて、それから、甘く美味しい花々を食んで。
 赤い日の光が消える前に、森へと戻った。

「お母さん、さ――私が生まれた頃って、やっぱり、大変だった?」
「うん、あの頃は大変だった。好奇心旺盛な子だったから、目も離せなくて」
「今も、でしょ?」
「そうかもね」



 川の中に、明るい光が差し込んで、その流れに沿うように、白い煌めきを浮かべてる。そんな中へと、私とお母さんは、頭を降ろし、顔を寄せて、舌で掬う。少しだけ水を飲んで、それから川から離れる。日中の森の中を、ゆっくり、ゆっくり、散歩していく。
 木々の疎らな広場に出て、日の光を浴びる。目を瞑り、頭を上げて、意識を沈める。
 流れる風が甘い香りを運んでくる中、温かい日の光を浴び、心地のいい陽気。

 ――友達とは、今日もまた、会える、かな?
 夕暮れ時までをのんびりと過ごす中、気の早いことを考え始める。
 昨夕の、捕食者さんの話なんか、もっと聞いてみたかったかもしれない。
 ――その黄色い光を見て、気が狂うと、どうなるのか、とか、その捕食者さんは、どうやって獲物を仕留めるのか、とか。
 彼は、一つの話題にずっと拘ったりなんかは、しないけど、ちょっと、気になる。
 後で、お母さんと、話そう、かな。お母さんなら、知ってるかもしれない、し……。



 ――そんなことを考えてたら、いつの間にか、眠ってた、みたい。
 目を覚ますと、空はもう、遠くに赤みが出ていて、夕に焼け始めていた。
 風が私の身体周りに渦巻いてて、何か、違和感があった。気配が、足りなかった。隣に視線を向けて、分かった。お母さんが、居なかった。
 ――どこ行ったんだろう?

 正面やや奥、木々の立ち並ぶ斜面の上側に、一つの姿が見て取れる。お母さんじゃない、見たことのない姿だった。それは赤い目で、私を見つめてきていた。
「ねぇ、私のお母さん、知らない?」
 黒い被毛を纏っていて、耳に、額に、足に、尻尾に、黄色い模様を光らせている生き物。お母さんよりずっと小さいけど、それでも私より二回り以上は大きな身体を持つ生き物。
 私は、その姿へと、一つ、声を掛けてみた。私のお母さん、って言って、伝わるかは、分からないけれど、

 ――え?

「あー、君から離れてったよ。結構強めに錯乱してくれたみたい」
 そう答える中でも、私へと真っ直ぐ、その視線を向け続け、私を捉えていた。
 昨夕聞いたばかりの話を思い返しながら、その特徴を、その姿に当てはめる。冷たい空気が、一瞬、吹き抜け、身体を撫でて後ろへと流れていく。
「……捕食者さん?」
「そうそう。丁度ね、君を獲物にしようと思ってる、捕食者だよ」
 何の敵意もない――そんな雰囲気の、落ち着いた生き物だった。
 その模様からぼんやりと広がる黄色い光は、見ていると、何だか心地よくて、このまま話してても平気なんじゃないか、って、思って。
 ――逃げなきゃ。――どこに?
 何を言うこともなく、身を翻し、腐葉土の地面を蹴って、その姿から離れるように、駆け出した。
 たぶん、私ひとりで追い返せる相手じゃ、ない。

 ――お母さん、どこ……?

 当てもなく、木々の隙間を抜けて、ただ、距離を離すために、森の中を飛び跳ねた。
 後ろを振り返って、来た道を見直すと、黒い被毛を持ったその生き物が、捕食者さんが、ゆっくり、私へと歩いてくるのが、見て取れる。
 その赤い目で、私を捉え続けてる。
 どのくらい走ればいいのか分からなかった。
 捕食者さんの歩みより、ずっと早く、逃げてるはずなのに、そのつもりなのに――まるで距離を離せない。
 足が痛くなってきて、それでも、もっと――。



 ――前には草原が広がってて、空は、赤くて、黒くて。どんどんと、日が沈んでいく。
 夕暮れ時の草原に、来たい、はず、だった。――来たく、なかった。
 駆ける力は、もう、ない。四本の足全部が、痛い。足が震えていて、ただ、休みたい。
 こんな、どこからでも見える場所で休んでるわけには、いかない、はず、だった。

 顔だけを後ろに向けると、さっきまで歩いてきた森がある。その木々の間から、変わらず、私へと歩いてくる姿が、ゆっくり、現れる。
 逃げなきゃいけない――まだ、ずっと、ずっと。――もう、逃げる場所はないけれど。どんなに駆けても、まるで意味がなくて、でも、まだ、もっと――。

 その姿が、私から少し距離を置いたところで、足を止めた。じっと、私を見つめてきた。
 私の身体は動かなかった。
 私に。
 その身体が飛び上がって、後ろからぶつかってきて。
 ただ草の地面に横倒しにされて、覆い被さられた。



 すぐ目の前に、その顔があった。――間近で見るその顔は、柔らかい雰囲気に満ちていた。鼻に刺すような匂いを纏っていて、だけれど、嫌な気分にはならなかった。
 その模様の光が、強まったり、弱まったりしているのが見える。鼓動が静かに打っているかのようで、ぼんやり見続けていると、ただ、ただ、落ち着く。
「――よしよし……いい子」
 その生き物が、声を投げかけてきた。私の顔に顔を寄せて、ゆっくり、頬を舐めてくれた。優しく、丁寧に。
「――ありがとう」
 その言葉と感覚は、意外と、嬉しい感じがした。温かくて、このまま身を委ねても、何も起こらないような気もした。
 ――捕食者からすれば、抵抗しない獲物は、きっと、とってもいい子なんだろうな。――ろくでもない子だよね。
 ひどく落ち着いてる私が、あって、きっと――混乱している私が居て――それで、よかった。

「――ねぇ、捕食者さんは、ひとり?」
 他愛ない話が、したかった。
「――ん?」
 自分への慰めがしたいのか、その姿に興味が湧いたのかは、分からない。
 ただ、他愛ない話が、したかった。
 そう、他愛ない話が。
「俺がどこの群れにも属してないのかって話なら――そうだよ、その通り」
 その姿は、声は、何だか、魅力的で、もっと、もっと、見て、聞いて、感じたかった。
「じゃあ、私、食べ残されちゃう?」
「まぁ、食べ残すよ。俺ひとりで食い切れる量じゃ、ない」
 そう言いながら、私の頬や耳周りを、軽く、その前足で撫でてくれる。
「……冥利に尽きるね」
 この、独り身の捕食者さんを満腹にさせられるのだ、と、思うと、不思議と、嬉しかった。
 ――この捕食者さんは、独り身なのだ。

「……番になりたいかた、とか、そういうのは、居るの?」
 大きな鼓動が、一つ、跳ねた。何かが、気になって、気になって――その正体に近いものを、言葉として向けた。
「ああ、居るよ、一応」
 直後に返される言葉は、欲しかった答えではない気がした。なんとなく、私が、ひどく、寂しくなるような感じがした。
「そっか……どんなかた?」
「……仲良くなれりゃよかった、ってだけの奴なんだけどな。結構めんどくさい奴で、あいつと群れるのは、まだ難しそう」
 それでも、悪い気はしなかった。捕食者さんに、何かを、伝えたかった。――応援?
「……早く、くっ付こうよ? いつ会えなくなるとも知れない、でしょ?」
 この捕食者さんにだって、多分、より上位の捕食者さんは、居る。この捕食者さんや、その想いのかただって、獲物となったり、そうでなくとも怪我をしたりして、生きられなくなることが、あるかもしれない。
 ――今の私のように。
「そうだな」
 死んじゃったら、森や草原の中で、一緒に過ごすことはできても、何かを伝えたりすることは、できなくなるんだから。
 だから、少しでも思うことがあるのなら、どんどん――。

 ――そう、死んじゃったら、何かを伝えたりすることは、できなくなるんだから。

「――ねぇ」
 すごく、どきどきして、心地よくて、心地が、よくて。
 そう、きっと。
「――あなたのこと、好き」
 一言、呟いてから、あまり力の入らない顔を、その顔へと寄せる。その鼻や頬を、舐める。酷く甘い味がする。

 欲しい。
 もっと、欲しい。
「――いい?」
 言葉で許しを求めてから、その口元に、軽く、舌を押し当てる。返事はなく、ただ、その口が、開いてくれる。受け入れてくれる。
 ――ありがとう。

 目を瞑り、口を押し当て、舌をその口へと押し込む。牙の尖端をなぞり、その舌へと、軽く、押し当てる。あまり美味しいとは思えない、癖の強い味が、ある。
 ――私とは、食性、違うもんね。
 頭を上げ続ける力があまり入らず、首が震える。離れまいとしていると、捕食者さんの、その顔が、私の顔を押し返してくる。
 向こうから、求めてくれるかのように。
 頭後ろが、草の地面に落ちて、それでも、くっ付けた口同士は離れず。
 温かいものが、口の中に入ってくる。
 苦くて、口の中が痺れる、液体。ただの唾液じゃなくて、多分、私を弱らせるためのもの。
 ――私のための、もの。
 その顔が離れ、触れていた口の感覚が、なくなる。
 口を噤んで、零さないようにして、注がれた液体を、飲み込む。
 温かい感覚。
 落ち着いた意識の中で、鼓動だけが、どんどん早くなっていく。
 普段とは少し違う、強い眠気が降りてきて、意識をゆっくり、沈めていく。
 もう、くたくたに疲れてる、もん、ね。

 ――ここで、眠ったら、もう、生きていられないんだろうな。

 ああ、やだな、死にたくない。
 捕食者さんが、私をどうするのか、もっと、知りたい。どこまで食べてくれるのか、とか、知りたい。捕食者さんの恋路が――気にしてるかたとの、その恋路が、あるのなら、それがどうなるのかも、知りたい。
 まだ、もうちょっと、この身体があるうちに、我侭なこと、もっと、たくさん、やりたかった、飽きるくらい、楽しんでおきたかった。

 思考は、後ろ暗いものばかりが浮かぶものの、不思議と、幸せな感覚に溢れていた。
 動く気は、もう、なかった。抵抗せず、それを、受け入れる気になっていた。
 重たく覆い被さられ続けているのも、心地がよかった。

 目を薄く開けて、捕食者さんの顔を、見た。
 赤い目が私を見捉え続けていて、少し、恥ずかしかった。
 赤くて、黒くて、青い空が、その後ろに見えた。

 目を瞑って、ゆっくり、ゆっくり、意識を沈めていった。

 生まれた季節に還るのなら、きっと、素敵なこと。
 緩やかな風の音、葉っぱ同士がぶつかる小さな音。
 甘い匂いが流れていく中で、もっと甘い匂いが、身体じゅうに突き刺さって、入り込んでくる――、

 ――捕食者さんも、友達も、お母さんも……みんな、生きて、くれる、かな?













 動きを感じられなくなったところで、俺は、それの上から、身を退かす。
 四本足を畳み、仰向けのまま目を瞑っていた姿が、そこにあり――俺が離れて支えを失ったそれは、足を緩く伸ばしながら、草の地面に、ゆっくり、横向きに倒れていく。
 俺より、二回りか、それよりももう少し小さい姿。桃色の被毛を纏い、頭に花のようなものが付いている姿。季節ごとに大自然と感応して毛の色が変わっていく生き物の姿。――獲物の姿。
 俺は、その腹部へと顔を寄せ、強く噛む。片前足をその身体に乗せ、押さえ付けながら、顎を引く。表皮を破って、その核を見捉える。弱々しくもまだ鼓動を打つそれに、口をあてがい、噛んで、引く。
 破れた核から、二度、三度、鼓動のままに血が溢れる。その鼓動が止まると、溢れる血の流れが、小さな川のように、静かなものになっていく。
 草の地面にゆっくりと広がっていく赤みを見ながら、食い破った肉片を、数度噛み、飲み下す。癖の少なく美味しい感覚に軽く浸りながら、空を見上げ、一つ、息を吐いて、吸った。

 錯乱して、捕食者であるはずの俺を求めてくる獲物は、たまに、居る。特にこの時期だと、異性と認識して興奮を示す奴が、それなりに、居る。
 獲物を数瞬で仕留めたりするのは得意ではなく、少しずつ弱らせる狩りを主とする中では、そのほうがやり易くはあるのだけれど、少しばかり、悪いことをした、という感じにもなる。
 獲物を態々弄ぶのは、あまり、趣味ではなかった。

 夕焼けの赤い空が、真上のほうでは既に青く黒く染まり始めていた。自由に飛び交う風が、でたらめに周囲を冷やし、夜の寒気を作り始めていた。興奮がまだ冷め切らず、熱の残る身体には、心地のいいものだった。
 ――今夜は、ゆっくりしたい。
 もう一つ、息を吐いて、吸い直しながら、周囲の感覚に意識を向けると、空から、小さな音が聞こえてくる。羽音。
 視線を向けると、黒い、小さな生き物が、二枚の翼をはためかせながら、こちらへと向かってくるのが見て取れた。
 細い二本足と、黄色く大きな嘴を持つ生き物。頭部の毛は、その生き物自身と同じ色と質感を持ちつつも、まるで、自身以外の毛を被ったかのように、不自然に広がっている、そんな生き物。
 その生き物は、俺から四歩、五歩ほど離れた場所に降り立ち、その身を(なな)めに構えながら、俺と獲物を、横目に見つめてくる。

「……肉漁りなら、後にして欲しいな」
 それは、何かあればすぐに後ろへと飛び退けるような、強い警戒を表しつつも、視線を向けたところで、離れようとはしなかった。執着があるかのようだった。
「友達を食う趣味はないよ」
 その言葉を受け取るに、ただ、この獲物に縁がある生き物らしい。実際、獲物を横取りしよう、というような雰囲気はない。
 何かしら攻撃してくるような様子もなく、ある程度は、受け入れているのだろうけれど――未練でもあるんだろうか。
「そうか」
 食事の邪魔さえされなければ、別に、追い払ったりする理由もない。
 適当に言葉を返しつつ、その姿から視線を外し、再び獲物へと向き直る。腹部に顔を寄せて、骨のない部分を食い破り、口に含む。

「『またな』って、約束、したんだけどな」
 獲物の肉を千切って、噛んで、飲み込んで、を何度か繰り返していたところで、そんな声が、少し距離を置いた隣から聞こえてくる。
「そのうち、またどこかで会えるよ」
 口に含んでいた肉を飲み込んでから、適当に声を掛けておく。
 慰めるわけでもない、他愛ない話。
「そう、だね」
 分かってない訳でもない様子だし、それ以上何かを話すことも、なさそう、だった。

 ――俺も、こいつらも、根本はただ、一つ。今は森の一部であり、草原の一部であり、それでも、地に伏せば、また、一つ。
 切り離された者同士の、生への執着が、淀むことなく廻って、大自然の命を繋ぐ。

 程々に腹が膨れたところで、獲物から離れ、自身の顔を、前足で何度か拭う。
 血の匂いが少しだけ薄れたところで、黒いその生き物へと視線を向ける。
 ずっと立ち尽くしていたのだろう、同じ場所に居るそれは、言葉なく、俺を見続けている。変わらず、警戒の色を浮かべている。
 ――俺が居ては、安心して寄り添うこともできない、だろうか。

 何かを語ることもなく、俺は視線を獲物へと戻し、顔を見る。纏まった可食部が少なく、一片も食い破っていないそれは、穏やかな表情を綺麗に残している。
 死肉を漁りに来た捕食者らに食われ、あっという間に崩れていくであろう、その表情を、友達が見納められるのは、幸運なことなのかもしれない。

「――またな」

 再開を認識することは、無いだろう。そもそも、その頃となれば、互いの姿形も、関係も違うだろうし、意思すら無い頃だろう。
 それでも、いつか、再開する時が来る。
 ――分解された一片として、この森を廻って、草原を廻って、そんな中で、敵対することも、協力することも、あるだろう。

 一つ、息を吸って、吐いた。俺は、身を翻し、暗い森の中へと歩みを進めた。
 行く当てがあるわけではなく、ただ、離れたかった。
 面倒事に巻き込まれないように。――それ以上に、妨げないように。
 他の捕食者らが死肉を漁ったり、獲物の友達が未練を拭い、それを死肉として認識したり、その命が廻ったりするのを、妨げないように。



 そもそも――俺たちを生んだ大自然は、俺ひとりの我侭で命の廻りを絶ってしまうほど、弱くはない、けど、ね。





・あとがき
6票頂きなんと同率優勝頂きました。ありがとうございます。
タイトルの「伏す」はリズム的に「ふくす」と読むことを想定しておりますが、私自身、この字面ではどうしても「ふす」と読んでしまいます。
どこかでルビを打てればよかったのですけれど、と思いつつ、チャット内でお聞きしたところ、他のかたがたも多く「ふす」と読まれておりましたので、こちらにて言及致します。
以下、あまり語るのは得意ではありませんが、投票コメントへのお返事とします。


個々がもがいたところで抗いようがない大きな自然の摂理。あまり感情を交えず淡々と進んでいく登場ポケモン達の生死に薄ら寒さを感じました。 (2018/05/27(日) 14:59)

社会に守られている私たちの感覚からすれば、野生とは、きっともっと冷淡なものだと思います。とても魅力的です。
少しでもそういったものを共感して頂けましたなら幸いです。

詩のような美しい文章が、大自ぜんというテーマにピッタリで惚れ惚れしました。自然の摂理をみんなが理解しつつ、必死に生きている。そんな姿が伝わってきて、どのポケモンにも愛着が湧きました。印象に残っているのが、黒の友達と捕食者さんのシーン。自然の摂理だと受け入れつつも、危険を冒してまで友達の目の前にきて語る姿。そして、捕食者さんもそれに応えて配慮してあげる姿がまた哀しく、そして美しいものだと思えました。 (2018/05/27(日) 19:08)

雰囲気で大自然を感じて頂けましたなら幸いです。容赦はありませんが、皆さん生きることに執着がないわけではないのです。そんな中でのやり取りで、ちょっと我が出る辺りが、生き物のとても素敵な部分だと思っております。
美しいと思って頂けますとは光栄の限りです。

言葉の通じる相手でさえ、生きるために食べるという彼らのしたたかさ。倒錯した被食者の最期の思いに付き添ってあげるのは、優しいブラッキーが行き着いた狩りのスタイルなのだと思います。ヤミカラスも折り合いをつけ、つい昨日まで言葉を交わしていた友達を食べるのでしょう。ポケモンたちの特殊な関係性を見事に描ききっています。あと錯乱の表現すごすぎ。 (2018/05/27(日) 21:43)

ヤミカラスさんも、この後、友達だったものを食べることでしょう。悲しむのは程々に、それを糧とし、友達の分まで生き永らえて下さることでしょう。
錯乱している様子ほど愛おしいものはありません。ありがとうございます。
ブラッキーさんの狩りのスタイルについては、後々ネタにすることがある……かもしれませんので、ここでは、語らずに置きます。

 食殺という凄惨なリアルの中、恨みも嘆きもなく自然のままに巡っていく命。テーマの扱いとしては最も重厚に感じました。 (2018/05/27(日) 22:11)

自然の巡りの中では、皆、一つなのです。食べられるのは、また別の自分へとその身を委ねるようなものなのです。きっと。
それはとても素敵なことだと思います。

こうゆうの好きなんです!! とってもすきなんです! 捕食者側がブラッキーなのは驚きました! こんな感じの小説また楽しみにしてます!!!! (2018/05/27(日) 23:22)

私もこういうの大好きです!!!! こんな感じのものもっと書いていきたいです!!!!! ありがとうございます!!!!!!

非常に叙情的と言いますか、心に染み渡るような描写でとても好みでした。シンプルイズベストなお話で余計な物が一切なく「捕食」というテーマに真剣に取り組んだ作品であると感じます。個人的にですが文字色の変更はいらなかったと思います。 (2018/05/27(日) 23:33)

伝わるものが多くありましたなら冥利に尽きます。大自然のご飯事情というのは魅力的なものですよね、ほんと。
文字色の変更はだいぶだいぶ悩んで決行したのですが、やはり引っかかりを感じますか。次回色変えしたくなった際などに、また再考しようと思います。


お読みくださった皆様、誠にありがとうございました。少しでも楽しんで頂けましたならこれ幸いです。


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Last-modified: 2018-05-30 (水) 00:54:29
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