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芸に遊ぶ

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 そこには何もないはずなのに、青年の手にはしっかりと重い荷物の入った透明なトランクが握られ、透明な壁にぶつかり、中身がばらまかれてしまう。
 皆様もどこかでこんな芸を見たことがあるでしょう。パントマイムと呼ばれるものでございます。
 ここは大きな娯楽の町。劇場、運動場、映画館、ショッピングエリアに飲食店街とあれもこれもそろっている。
 そんな町にはもちろんそれらを楽しむためにやってくる人間は多いのだが、今回注目するのは彼奴らではない。
 路上ライブ。素人芸。演舞。自作落語や自作漫才。果ては殴りあいの喧嘩から未就学児のソロバン対決まで、ありとあらゆるエンターテイメントの卵と呼べるものが、この町には蠢いている。
「さて皆さまありがとうございました。どうかお気持ちばかりで結構です。わたくしの芸事に評価をくださいな」
 青年が背筋を伸ばして足を張り、恭しく頭を下げる。
 ゾロアークがシルクハットを裏返して、ギャラリーの中を縫って行った。この間、パントマイムを披露した青年は頭を下げたまま一歩も動いてはいけない。
 ゾロアークの仕事が終わるまで直立不動を貫かなくてはならないのだ。
 聴衆が思い思いに財布から少額の紙幣や硬貨を取り出し、ハットに入れる。

 そう、ここは大きな娯楽の町。芸事を極めようとする人間(・・)が一般大衆にもまれて生き残りを図る町。

  ◇

「あのう…これだけあるんですけど、部屋空いてます?」
 フロントの机にバラまかれた小銭たち。ゾロアークが即座に顔をしかめる。
 しかしフロントの受付嬢はちょっと小銭を眺めると、何もおかしなことはないとばかりに言い返した。
「これだけありますと一番安いお部屋に素泊まりで二泊といったところでしょうか。この町にはよく、あなたみたいな体一つで身を立てようとなさる方が多くいらっしゃるんですよ」
 清ました笑顔で端の部屋の鍵を取る受付嬢。ゾロアークの顔から緊張が消え、安堵の表情に変わる。
「ようこそいらっしゃいました。修行者様」
 カウンターの脇からホテルマンが出てきて、縒れた旅行鞄に触れようとすると、ゾロアークが取り上げた。
「ああ、これは大事な小道具が入っているんで…自分で運びます」
 ゾロアークに敵意を見せられ怯むホテルマン、なだめる青年。ひょいと鞄を奪い取る。
 部屋は一階のふちで、非常階段の出口の目の前の、人気の少ない忘れられたような場所だった。

 といっても部屋は曲がりなりにもきちんと経営しているホテルによってしっかり管理されたもの。
 ただでさえ安いホテルを聞きまわって選んだのだから狭くて貧相なのは当然だが、利用に堪えないほどではない。
「ちゃんと風呂に入れよ。臭いはちゃんと落とさないと」
「使い方わかんないから一緒に入ってよ」
「……しょうがないな」
 部屋の中では芸人然とした態度はもう取らない、完全にプライベートな空間である。
 ネタを考えたり、ネタの練習をしたり、とにかく他人に見られたくないものはいくらでもあるので、部屋に入ったら鍵を締めて清掃もベッドメイクも、すべて断った。
 安宿だからむしろ喜ばれたくらいだ。
「さてルドヴィーク。シナリオのレパートリーを増やしたいと思う。社会を知るのにもちょうどいいだろう」
「というと?」
「これを見てくれ」
 ベッドの上に広げられる絵本の数々。そしてそれより数は少ないが、文学と呼ばれる小冊子が数冊。
 シナリオの原案を文学に求め、場面のイメージを絵本に求めようということなのだろう。
「よし、ルドヴィーク。この場面を使おう。ワタシは脱獄する冤罪の殺人犯で、君は刑務所を作ってくれ」
「おいおい、背景をイリュージョンで作り出すのはいいが、お前さんにはすでに別のイリュージョンがかかってるから見えないぞ?」
「だから今のうちに完璧に打ち合わせておくのさ。さあ、出した出した。動きに合わせて背景も変えてくれよ?」
「まあ待て、まずはどんなシナリオを描いているかを共有しよう」
 上の階から何かがぶっ倒れた音がして、ふたりは上も同業者なんだろうなと笑いあった。
 打ち合わせと練習で夜の自由時間のほとんどは消えてしまうが、彼に不満は何一つない。楽しんでやっているのだから。日付が変わるころに、丹念に身を清めて就寝する。
 明日から、短い間だろうが、この町で暮らしていくのだ。


「このサンドイッチはどうやって食べるんだ…?」
「がう」
 ゾロアークが器用に包装を破ると、見習うように青年が続いた。
 この町に滞在して数日になった。今日の公演予定はちょっと広い場所で午後から、ジャグラーのタマタマとモヒカンのレアコイルを説得して、間に捻じ込ませてもらったものだ。その後ろに控えていたマグカルゴと金属細工師は高齢だったので、今日はやめておくとのこと。
「お、昼飯を食っている場合ではないぞ。タマタマが捌けてからしばらく誰も何もせずに見守っていたが、ついに無聊が違和感になる時間帯が来たらしい」
 この青年の煽り文句を皮切りに、ゾロアークが飛び上がって空中で三回転を決める。
 これで聴衆の耳目を奪った鉄板コンビ、燕尾にシルクハットの青年がゾロアークの脇から出てくる。
 今日は川辺の大橋の横にあるちょっと広くなっているところで、地下鉄に乗る観衆と町へ買い物に繰り出す観衆を相手にパントマイムを行う予定。
 演目は手持ちの炎ポケモンと一緒に大海原に投げ出された漁師が、紆余曲折をへて陸まで戻るという話。
「ladies and gentlemen !!」
 前の演者だったタマタマとジャグラーとエスパーの仲間たちが目もくれられずに消えていったあと、一人と一匹でずっと橋桁の後ろでサンドイッチを齧りつつあーでもないこーでもないと争った成果を見せるとき。
 まずは天才ゾロアークが他者の追随を許さない、例の映画の一場面を抜き取った精密な背景を用意する。この時点で観客は舞台の中。
 そこに現れたのはみすぼらしい格好の青年。どうも行動を見ていると船の上で漂っていて、相方は熱い熱い炎ポケモンのようだった。
「ん……?」
 ところが演技が本当に面白かったのはここまで。
 ここから漁師の行動がブレていき、相棒のポケモンが消える。背景こそ立派なイリュージョンを保っているが、肝心の演者がおかしい。
「なんかキレがないな」
「ヘッタクソだなこいつ」
 ゾロアークがご法度とされる、演者の方を見る。見たところでどうにもならないというのはその通りだが、ふたり揃って倒れるのは防ぐべきだ。
「おい!こんな芸にはカネ払わねえぞ!」
「いくら素人だからって、観客をバカにするな!」
 その意見はある種ごもっともで、しかし青年はそれを意に介さない。
 観客は時にシビアだ。いつも黙って銭を投げてくれるかと言ったら、そんなことは決してない。
 加点要素には寛容だが、減点要素には非常に敏感で厳しい。
 何故なら、青年はそんな観客はまったく意に介さず、ただ一点を、それも観客の重なった層のさらにむこうを見据えていた。
「もうしわけありません、皆さま……お代はいりません。今日はここまで」
「……は?」
 観客席が冷える。そりゃそうだ。演技放棄なんて聞いたことがない。 
 この後に出てくるモヒカン・レアコイルコンビの悲鳴が聞こえてきそうな空気だ。あちこちでブーイングが始まり、中には石を投げるものも。
 青年は投げつけられるものに大げさに頭を引っ込めるしぐさや痛がるそぶりを見せつつも、ステッキやカーペットのような小道具をてきぱきと鞄に詰め、ぎくしゃくした足どりで観衆の向こうに消える。
「がうがう!」
 そんな青年を追って、ゾロアークがハットを捨て、青年を庇うようにしながら退散する。
 もっとも観客の方もへたくそな芸を見せられその上中断までされた憤りこそあったが、その辺はしょせん娯楽。手持ちの空き缶の一つでも投げつければ溜飲を下げて消えていった。ただ一組、レアコイルたちはふざけんな、責任取れくらいは叫んだだろうが。

 ◇

 こん、こん、こん。
 ぺたぺたぺたぺた。
 少年が杖をついて周りを窺い、三歩進むごとに、追う青年と、さらにそれを追うゾロアークは四歩進む。
 青年が回り込んで、パントマイムで光の壁を作る。止まれの合図だ。
 しかし少年は意に介さず突っ込んできて――青年にぶつかる寸前で、ゾロアークによって止められた。そもそも青年の存在に気付いていないようだった。
 ゾロアークと人間の青年が年齢のいかない子供を引き留めたのを不審に思う歩行者も何人かいたが、その場で話し始めたので誰も深入りする様子はなかった。
「少年、ワタシたちの何が不満だった?構成か?演技か?それ以前の問題か?」
「だって僕目が見えないもん。無言の芸なんて分かるわけないじゃん」
 まさに盲点。青天の霹靂。目の見えない生物と言えばモノズやヌメイルがいるらしいが、あいにくどちらにも会った経験がなかった。
「なるほど……」
「パントマイムだっけ?だから君の時間はつまらないんだよ。やっぱりバンドや漫才だよね」
 ゾロアークが腕を組んであくびをする。それ見ろ、こんなことだと目が訴えていた。
 しかしこの青年、なかなかの意識の持ち主で。すぐに呆れていたゾロアークの表情が崩れることになった。
 いろいろな意味で。
「三日後だ。三日後、待ち合わせをしよう。それまでに、ワタシは君を喜ばせることができるだけの芸を引っ提げてくる。聞いてくれるかい?」
 少年は驚いたような騙されたような顔をしていたが、結局約束を結ぶこととなった。
 ゾロアークの崩れた表情はすぐに他の方向に呆れたのは言うまでもない。

  ◇
 
 結局、何も思い浮かばないまま二日が過ぎてしまった。ゾロアークは不安そうにしていたが、窘められた。いわく、演技中によそ事を考えてイリュージョンの質を落としてもらっては困ると。
 演技をつまらなそうに見る少年、それが気になってボロボロになった反省を生かしているらしい。
 今日も繁華街への人が行き交う橋の側で披露する。あちこち試してみたがここが一番客集めにも小銭集めにも都合がよい。
「朝から何をやっとるんだ」
「やあルドヴィークおはよう。少年に通用する方法を考えていたんだけどね、どうにもならなかった。外出するわけにもいかないし、気分転換に掃除をね」
 なるほど、ほうきや塵取りのようなちゃんとした掃除道具はないが、ベッドの上の糸くずや抜けた毛、カーペットに散乱したもろもろの屑を集めている。
「名案は浮かんだのかい?」
 ゾロアークが鏡の前で乱暴に寝癖を直している。芸人たるもの身だしなみも大事だ。目脂をぬぐい、歯を磨く。安宿でアメニティがないから、使い捨てではないブラシを街で買って使っている。
「いいやさっぱりだね。ま、なるようになるよ」
 毛づやが良くなるクリームを塗りこんで、さらにブラッシングしていく。これは一匹ではできないので、共同作業だ。
 最後に、どうしても出る獣臭さを消すためのデオドランドをふたりで浴びたら、一通りは完成。
「行こうか。いつものように頼むよ」
「へいへい」
 ゾロアークがまず荷物を持って外に出る。周りをよく確認して、がうとひと鳴き。
 それから青年が出てくる。プライベートな空間から出たらもうプロとしてのふるまいだ。
 忘れずにノブに清掃不要のマークを下げると、今日も一日が始まる。

 ◇

 ゾロアークはこの日、集中こそしていたものの、常に警戒を解かなかった。明らかに、自分たちに対して悪意を持った客が来ていたからだ。
 演目を終えて投げ銭をもらう。回収はゾロアークの役目だ。それを無視して、頭を下げたままの青年に近寄ってくる若くて体格の良い男が五人。
「うが!!」
 ゾロアークが気付いて、青年の手を引いて逃げようとするがもう遅い。
「ちょっと来てもらおうか」
 数の優位に囲まれた一人と一匹。
「はぁ……わたくしが、何かいたしましたでしょうか」
「おいおい、ここは俺たちblack FRIDAYの縄張りだぜ?」
「なあニイチャン、俺たちのライヴができなくなったわけだが、落とし前はどうやってつけてくれるんだ?」
 いつも演技をしていたあの絶好の場所は、他人の縄張りだったのだ。いや、この曜日のこの時間は○○が使うというような暗黙の了解があったのかもしれない。
 あるいは、彼らが完全な公共の場を支配していると錯覚しているだけで何も正当性はないのかもしれない。
「俺たちはなあ、君をいじめようというわけじゃあないんだ。ただ、身の程は知っていた方がいいよね」
「お前がここを使っていた数時間、俺たちの数時間が否定されていたわけだ」
「それに、最近行儀の悪いパントマイマーが知り合いに迷惑をかけまくっているとも聞いたなあ」
 とはいえどれが真実であろうと、目の前にあるのは屈強な男たちに囲まれて逃げ道を奪われたという事実のみ。翼があれば飛んで逃げていけるのに…とは、どこかの作詞家の談。
 ゾロアークが技の準備をするが、5対1では分が悪すぎる。奴らが持っているポケモンも分からない。
「橋の下、行こうか」
 行こうか、ではない。行くから付いてこいである。人通りの多いところだから、当然何人もこの状況には気付いた。中には指を指してひそひそする人間たちもいた。
 が、結局誰も何もすることはなかった。ゾロアークが。落としたハットは誰かに踏みつぶされて板になっていた。もうかぶれない。
 薄いコンクリートの膜で隔てられただけだというのに、橋の上と下では大違い。上は煌びやかで人が溢れ、希望と欲望で満ち溢れていたが、下は何もない真っ暗だ。むしろこんな空間があったという事実に驚く。
 大昔に整備されたであろうそこは河原に敷かれたコンクリートはひびが入って砕け、草はぼうぼう、流れ着いた小石が物憂げにたゆとっていた。
「うん、まあ、教育だよね」
「がう!!!」
 ヤバイ!
 ゾロアークの悲鳴は届かない! スキンヘッドの大男の腹パンが、青年をとらえる。
 確かな感触と、相応の破裂音。拳をふりぬかれた青年は宙を舞い。

 魔法が、解けた。

🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊

 バリヤードは、人間の世界にあこがれていた。
「うーん……こうかな? なんか違うかな……誰かに見てもらわないと分かんないや」 
 人里に下りた時に見た、パントマイムという芸。
 それで身を立てる芸人という職業。
 それに組み合わせた様々なパフォーマンス。
 すべてがバリヤードにとって魅力的で、誘因性を持っていた。
「人間の町で拾ったこの雑誌、すっごいためになるわ」
 人里に下りて人間にちょっかいをかけるのはまれにあること。そういう時に土産として何か面白そうなものを持って帰ってくる。
「いつかこの芸が本場で認められるようになりたいなあ」
 そんなこんなでしばらく悶々としていた。それは素人仕込みのパントマイムが、ポケモン社会で大いに受けたことでどんどん大きくなっていった。
 そんな折、比較的最近のことだが、昔人間に師事していたというゾロアークが集落の仲間になった。
 人間の心理や社会をよく知っていて、人里に下りた時も適切な指示で仲間の危機を回避させた有能な雄だった。
「頼むよルドヴィークさん、それに、あなたなら人間社会に詳しいじゃないか。この通り」
「頭を冷やせバリヤード。ポケモンが人間の社会に溶け込めるわけないだろう」
 一緒に人間の社会で旅をしてくれという願いだった。バリヤードはゾロアークにコンビを組んでもらうことを願い出たのである。
 当然、返事は色悪いもの、いや、それどころかにべもなく門前払いと言ったほうがよいものであった。
 ゾロアークは、人間の良いところも知っていれば、悪いところもよくよく知っている。
「私がイリュージョンで君を人間にしたとしよう。人間らしい振る舞いは? 未知の機械や習慣は? いや、何よりずっとパントマイムで押し通せるなんてことがありえない。人間の言葉はどうするつもりだ?」
「それはルドヴィークさんに助けてもらったり人間の社会に入ってからおいおい学ぶものとして…」
「分からないかな。それじゃ無理だって言ってるんだ」 
 にべもなく断ると、前脚をひらひらさせて消えようとする天才ゾロアーク。こいつのイリュージョンは本当に特別製で、野生のポケモンは当然、人間の営みさえも再現して完全に観客を見入らせることで有名だった。
 しかし本人に断られたからと引き下がれるバリヤードではない。彼かて、ここに来るまで想像を絶するような才能をつぎ込んで、血がにじんで骨格が変わるような努力を積んできたのだ。
 息を一つ吸い、自分の覚悟を見せられる一番の芸の準備をする。聞き手はゾロアーク、帰る途中で、不意打ちの名人芸をぶつけて翻意させるにはちょうどいいタイミング。
「ルドヴィーク、バークアウト!」
 ゾロアークが振り返る。
 満面の驚愕を浮かべ、目にはむしろ絶望すら指していた。阿呆のように大きな口をあけっぴろげ、バークアウトの指令には体が全く反応しない。
 間違いなく、人間が、自分に対してバトルの指示を与えた。
 とこるが振り返っても人間の姿はどこにもない。あるのはただ人間に混じりたいとアホなことをぬかすバリヤードが一匹のみ。
 それの意味するところはただ一つ。
「お前、まさか……!」
「ルドヴィークさん。どうかこの努力に免じて、協力してほしい」 

🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊

「ハハハ、流しのイリュージョニストがバリヤードだったとは滑稽だぜ」
「人の言葉をしゃべるなよ、ただでさえ下手なんだから笑える」
 どれだけの時間がたっただろうか。
「バリヤードらしくバリバリィ~って助けを呼んでみな!ははは」
 殴る、蹴るだけの暴行なら、ただただHPが減るだけで、これほどまでに苦しいことはない。
 彼らは人間で、ポケモンよりもこころとの付き合いが長いから、良くも悪くもこころの攻め方をよく分かっている。自覚しているかどうかは別としても。
 今回の場合、どうしても人間に認めてもらいたかったバリヤードに対し、人間に伍することを拒否された罵倒は――まるで乗り気でなかったルドヴィークを駆り立てた。
「なんだゾロアーク? やるんか?」
 が、そんなに胸のすく話はない。バリヤードを踏みつけて面白がっているバンドメンバーたち、彼らとてポケモンに対して全くの素人というわけではないのだ。
「人間に対して1対5ならまだ分からなかったけど、ポケモン同士で1対5はノーチャンだろう?」
 ちくちく赤毛が手持ちを投げると、残りの四人もそれに続いた。こいつらは人間どもとの付き合いが長いから、彼らと心情はよく似ている。
 それはもう手も足も出ずにボコボコにされた。
 橋の下の、故意に忘れられた空間での出来事だ。正義のヒーローが割って入って止めてくれるなんて都合のいい展開はない。
 ゾロアークもわずかに抵抗を試みたものの、所詮はイリュージョン要員。ネタがバレれば怖いものは何もない。引っぱたかれて、殴られた。
 亀のように丸くなってひたすら耐えるバリヤードを心の端で気にしながら、川へと突き落とされる。
 そこからはもう悲惨なリンチだ。心を空っぽにしてひたすら耐えるだけの、この世で一番無駄な時間を過ごすのみ。
 まさか命までは取られまい。

「畜生め、せめて投げ銭だけは守ったぞ。奴らが持ってったのは幻影で石ころが銭に見える囮の財布だ」
 しばらくして。
 終電もなくなって、橋の周りには人事不省になった連中や一晩中遊ぶ連中がまばらにいるのみになった。
 中には自分たちのように繁華街で喧嘩をして敗北した者もいる。 
 どのみち、誰もかれもが冷静な判断力を欠いている状態だったので、この場に傷まみれのバリヤードとゾロアークがいるという事態も、ただの背景の一部としか見做されなかった。
「ルドヴィークさん、ちょっと黙っててくれ…」
 人間に殴られて顔を腫らしたバリヤード。
 彼らが飽きて消えていくころには自力では立てないほど困憊していたバリヤードで、今は互いに肩を支えて宿に戻っている。小道具は草むらに散乱したのを暗い中で必死で集めて、ご丁寧に鞄に詰め込んで引きずっている。
 ゾロアークの恐れていた事態はこれだ。人間にはいいやつも多いが、悪いやつも多い。煮ても焼いても食えない連中に絡まれたら、バリヤードとゾロアークの単純な戦闘力ではどうにもならない。せめて、一対一ならまだしも。
「バリヤードらしくバリバリィ~……?」
 さて、彼が抱いたのは怒りか、幻滅か。幻滅して故郷に帰ると言い出す分には問題ない。怒りなら少しまずい。無謀な復讐だと言い出すような頭足らずだと。
「バリヤード、君がどう感じているかは知らないが……」
 バリヤードは俯いて何かをブツブツ呟いていた。自分の声が届いていないと感じたゾロアークはそれ以上何も言わず、黙って肩を貸し続けた。どのような怨嗟の言葉が出てきても、君の望んだことだと突き放すつもりだった。
 人間に放置された深夜でも健気に灯り続けるネオンが二匹を迎え、宿の並ぶ静かな場所まで帰ってきた時だった。
「ひらめいたぞルドヴィークさん!これならあの子も喜んでくれる!付き合ってくれ!」
 唇が切れて目の上が腫れ、出す声出す声がくぐもって半分聞き取れないバリヤードが叫んだのは衝撃的な内容だった。
 怪我をしているというのにそこからは飛び跳ねてくバリヤード。
 セリフと行動の、あまりの予想とかけ離れた現状に困惑し、ゾロアークが何とか理解に追いついたのは、バリヤードがイリュージョンにかからずにホテルに入ろうとした瞬間のことだった。 

 ◇

 翌日。
 例の川辺の広場で少年を探す、一人と一匹……否、一匹と一匹。
 目が不自由な青年は悪い意味でよく目立つ。白い杖をカンカンならしながら、人ごみをかき分け広場に向かってくる。
 その足取りは盲人のそれではなく、これまで幾度となくその場所を訪れてきたことを示していた。
「やあ少年。僕はパントマイムだけじゃなくてポケモンの鳴き真似も得意でね。」
 ゾロアークが周囲を警戒する。人間に扮したバリヤードの、ポケモンの鳴き真似なのだ。恐らくこれまで気にも留めなかった他のポケモンたちも違和感を覚えるだろう。
 だからといってまさか主人にあの青年はバリヤードだと通報するものはいないだろうし、そこまでのコミュニケーションを取れるペアもいないだろうが、念には念を入れて。
 何かあっても、この芸だけは最後までまっとうさせるつもりだった。
「まずは自分に扮した偽物の小型でんきポケモンたちに囲まれた時のピカチュウの困惑した鳴き声」
「あはは、何それ……あ、でも似てる!すごい分かる!」
「次はゴローニャに潰されるおデブなピッピ」
 バリヤードが周囲をどれだけ気にしているかは知らないが、自然な演技だった。力を入れ過ぎておらず、かと言って気が抜けすぎてもいない。
 ゾロアークは担当するイリュージョンこそないが、周辺警備という大役がある。特に頼まれたわけではないが、一緒にいてくれとだけ頼まれた。
 だからゾロアークはそれを、バリヤードに最後までやらせてやることだと解釈した。
 一方のバリヤードは、恐らく目の前の少年をいかに楽しませるかしか考えていないのだろう。人間に対する恨み節はびっくりするこど一つも出てこず、傷も放置して発声練習に取り掛かっていた。
 ビデオやテープがないから、二匹の記憶からポケモンたちの鳴き声を復元する作業を一晩中していた。
 微妙にズレた場面でのポケモンたちの鳴き声を、次々こなしていくバリヤード。
 そのたびに人間やポケモンから視線をもらうが、盲目の少年と芸人の少年、そして睨むゾロアークという取り合わせを見てすぐに興味を失っていった。
 ここまでは平和なものだ。少年も手を叩いたり大笑いして喜んでくれている。
「よし、じゃあ最後にワタシの一番得意な鳴き真似をしよう」
 んんっ、と声を作る青年、ことバリヤード。ゾロアークは周りを警戒する。
 あたり一面をイリュージョンで包むときのように、一円にぴんと根を張った集中力。範囲内にいるポケモンと人間を全て網羅する。

 何故なら、これからやるのは一番得意な鳴き真似ではない。バリヤードの鳴き声そのものを披露するのだ。

 もうバリヤードにこれ以上の恥はかかせられないし、ゾロアークもかくつもりはない。だからバリヤードの案を聞いた時にこれだけは絶対にやると決めていた。
 バリヤードの鳴き真似を、絶対に、誰にとっても鳴き真似として認識させること。
 今日一番の集中。それはバリヤードもゾロアークも同じ。それでもたった一人の観客には、それを悟られぬよう、できる限り自然に。
 気付いた時には、少年が杖を手放して惜しみない拍手を送っていた。
 終わったのだ。この町での最後の演目が。
「すげえ!本物のバリヤードみたいだ!いや、本物と比べてもわかんないよ!もう一度やってくれよ!」
「ははは、一流の芸人ってのは、同じネタは二度繰り返さないんだ」
 バリヤードが笑う。やり遂げた。
 ゾロアークはどっと疲れが出て、その場にへたり込んだ。客は盲目の少年が一人。それも演目はすべて終わった。少しくらい気を抜いても罰は当たらないだろう。
「じゃあ、はい。今度のは良かったから、ちゃんとおカネを払う」
 差し出された白銅貨。しかしバリヤードは受け取らない。
「受け取れないな。そもそもこれはただの鳴き真似さ。芸というにはほど遠い」
 少年はそうかなと首をかしげる。
 彼にとっては満足のいくものでも、こちらの満足のいくものとは限らない。
 それでも少年は、初めて会ったあのときのつまらなそうに砂を噛んでいるような表情からすれば、向日葵が太陽に照らされて輝いているような、それだけの差があった。
「少年、いつかきっとワタシが一流の芸人になって、君に届く自信のある芸を引っ提げてきたら、必ず聞いてくれると約束してくれるかい?」
 ぱぁ、と顔が明るくなる。
「ああ、約束してやるよ、流しのいりゅーじょにすとさん!毎日芸人の番組を見るよ。毎日広場も覗く。あんたの声は独特だから、有名になってもすぐ分かるよ」
「……約束だ」
 バリヤードは、握手をしようと手を差し出したが――ふと思いなおして、すぐに引っ込めた。
「また会おう、少年!!」

🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊


「で、人間界には懲りたかね?」
「とんでもない。我々の芸の一番の欠点を指摘してくれた素晴らしいファンの第一号が見つかったじゃないか」
 海の向こうの、別の芸事の盛んな街への船が出ているという港町。前の娯楽の町を売って、例の大道芸で小銭を稼ぎながらやってきた。
 潮が濃く香るこの町は芸事そのものは盛んではなく、地方間を行き来する人間と、時々、しかし多種多様なポケモンが、大小の船に乗って現れる。
「あ、でもルドヴィークは一方的に巻き込まれたんだったな…」
 前の町、最後の最後で受けた暴行について思い出すバリヤード、今はゾロアークの力で見た目は普通の旅人に変身してはいるものの、その下では目の上の瘤や指のギブス、細かい擦り傷などが残っている。
 といっても、どのみちもうこの地方では正体がバレてしまったのでろくな活動はできないが。この港町にも噂は広まりつつある。
 一方ゾロアークだって無傷ではない。
 この傷はバリヤードに付き従ってできたものだったと回想する。そうなってはゾロアークも離脱の意思も沸くだろう。
 船乗りが彼の持つチケットの船が間もなく出航することを告げる。
 周りの人間やポケモンたちが、見送りに別れを告げてタラップを踏んでいく。
「じゃあ、ルドヴィークはどうする?ワタシについてきてくれるかい?」
 船のチケットを差し出すバリヤード。ご丁寧に、自分は人間用の青いチケットで、差し出したのはポケモン用のオレンジ色のチケットだ。
「お前はまだ人間を知らなすぎるんだよ」
 差し出されたオレンジ色のチケットをひったくるようにして受け取る。
「もうちっとだけ付き合ってやる。次嫌な思いをしたら…コンビ解散だ」



平成が終わる前に何としても一つ上げたかっただけです。内容には平成のへの字も令和のれの字もありませんが気にするな。
皆さまよい10連休を  by pt

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  • ゾロアークが言葉を喋るのとポケモン的な鳴き声を書き分ける仕組みはそういうことかーーー、と🕊の過去パートでイリュージョンに気づかされました。それまで読んでいて「ゾロアークが人間に化けてバリヤードがポケモンとしてパントマイムやればいいじゃん」って思っていたのですが、そうじゃない、そうじゃないんですね。バリヤードさんの才能を遺憾無く魅せるための配役だったのですね。いやぁ見事に悪狐につままれました。途中ほとんど理不尽にボコされましたがラストも爽やかで胸糞悪くない。少年が盲目であることを逆手にとって、地声でバリヤードの「姿を想像させる」なんてどこまでいっても彼はパントマイミスト。顔がイラつくなど言われがちなバリヤード、私とっても好きな種族なので活躍させてくださってありがとうございます……平成最後にとてもよいものを読めました。 -- 水のミドリ
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Last-modified: 2019-04-25 (木) 03:47:24
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