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自由研究

/自由研究

Lem


この作品には是と言って注意すべき項目は特にございません。
が、お子様は見ちゃダメよ。お兄さんとの約束だ。


自由研究 


 これは僕の叔父さんから聞いた話なのだが、何でもそれは僕達にとってとても有意義な情報で大人にとっては不利益な情報なのだそうだ。
 現在小学五年生の僕達に課せられる夏休みの壁といえばそれは宿題に他ならぬ訳で、その中でも厄介なのが自由研究だ。
 自由という響きがあたかも無限大の選択権を提示してくるのに対し、夢幻から何を拾うべきなのかで悩まされる優秀不断な側面を持つ人等にとっては、自由という言葉ほど厄介極まる物は無い。
 そんな僕等学生へ叔父さんは朗報を持ってきた。ただそれが100%信じるに値するかは甚だ疑わしい部分も残るのだが。
 曰く、自由研究は成績に響かないからサボっても実際何の問題も無い、という。尤も叔父さんが学生時代の頃はそうだったというだけで、現代の僕等には今でもそうなのかは微妙たるものだ。
 特に情報が即金となるこの社会において、何時までも過去の風習を残したまま教育を施しているのかも怪しいところである。
 それでもそういう教育が成されていたという事実は真実なので、叔父さんの言葉を鵜呑みにはせずとも信じるならば、これはサボってもいいのではなかろうか。
 別に時間がなくて宿題が終わらないとかそういう危機的状況に瀕しているわけではない。
 これでも僕は優等生で常に学年トップをキープしているし、優秀不断な側面があるから自由研究ができないという事でもない。
 何度も言うが、優等生としての顔を持つが故にこそ、僕は敢えて自由研究をやらないという選択肢を選んだのである。
 その理由はこうだ。
 叔父さんの言葉が現代でもまだ有効であると仮定するなら、教師は何故そんな無駄な課題を僕達にやらせるのか。
 決して無駄だという訳ではあるまい。成績には響かないという件もそれは文字媒体で記しただけの、いわば表面上の情報でしかない。
 そして多くの社会がその表面しか目を通さないという事も僕は知っている。
 だから面接などそういった内面の試験が存在する訳で、言わば自由研究はそういった内面の観察日記であると言い切っても過言ではなかろう。
 成績には響かない。だが教師内の評価には響く。
 恐らくはそういうシステムなのだろう。

 話を戻そう。
 僕がこの自由研究を敢えてやらないという理由だ。
 優等生というのは所詮周りがそう評価しているというだけで、自分がそんな風に呼ばれる事を望んでいなければレッテルを貼られるのと何ら変わりない。
 別に僕はその優等生というポジションを嫌悪してる訳でもないが、勝手な期待を僕に寄せ、自分の意思を無視して僕と同じ線路へ乗っかろうとする、言わばお零れにあやかる様な腐った人間が大嫌いなのだ。
 そんなプライドのない金魚の糞が、ただ優れているからというそれだけの理由で無意味に量産されていく。
 僕は面倒臭い事が大嫌いだ。
 だからこの自由研究も本来なら意味がないのであれば、面倒臭いからサボるというシンプルな理由で片を付けたっていいのだ。
 だがそれ以上に面倒臭いことになるであろう結末が僕の目には映っていた。
 最大の面倒を避ける為ならば、多少の面倒は止むを得ない。そういうことだ。
 そして僕は現在、小学五年生。
 猶予は後一年。
 次の夏休みの課題で、僕は決着をつけなければいけない。
 或いは決別とも言うのかもしれない。
 何れにせよ、事を起こすなら今がその時であり、必然であるといえよう。


 夏休みが終わり、登校日が訪れる。
 気だるい授業が始まり、教師が課題の提出を促してくる。続いて自由研究をクラスの前で一人ひとり発表する。
 僕の名前が呼ばれた。
 僕は一枚のA1ポスター紙を黒板に貼り、意気揚々とした面立ちでクラスと教師の前で踏ん反り返る。
「先生! 僕の自由研究は今年はありません!」
 当然の事ながらどよめきがクラス中に響き渡った。



 これが一年前の主だった動機である。
 そして今年が小学生として最後の夏休み。そして課題の自由研究。
 全てはこの課題の為に計画してきた。
 1,2ヶ月程度では僕の望む将来を掴むには不十分であり、インパクトを与える為には周囲に僕がやりそうに無い事をやる事だ。
 つまりは周囲が持つ勝手な幻想を破綻させればいい。
 掴みは去年の一年計画という報告で上々。恐らく生徒も教師も今年は何をやらかす気でいるのかと、心の片隅に引っ掛かっているはずだろう。
 この一年という計画を通して集めてきた素材……否、素体というべきだろうか。
 僕のベッドの上で眠る二対の生き物。
 どちらも同じ種族と名を有するが、同じでありながら全く異なる形を持つ生き物。
 大きく違う点は尾びれと後爪先のひれ、四つの爪先に首から腹下を抜けて尾の先まで抜ける乳白の肌の色、それ以外は同じだ。
 正直見た目から判断するとなると、水生動物なのか陸生動物なのか分からない。
 明らかに水生らしき特徴を多く持つ故、水生でしか生息しない生き物なのだと思っていたが、別にそんなことはないようで、今もこうして僕のベッドをのうのうと独占しては二匹仲良く夢見心地の真っ只中である。
 全くいい気分なものだ。まな板の上に乗せられたイルカの様にも見える。そういえば海と続いて豚と書くのだったか。
 嗚呼、そういえば大事な一点を忘れていた。
 否、忘れていたというのは大げさというか嘘臭い。この場合は計画通りではあるが一部変更が生じたと言うべきか。
 それは片方の一柱が通常種でないという事だ。亜種とも言えるが、現代においては目撃する事すら難しい程に減少したとされる姿形を持つ彼女においてはむしろこう呼ぶべきだろう。
 希少種、と。
 彼女が持つ桜色のそれは希少の更に希少であり、そう呼ばずして何と呼ぶのか。
 もう片方の彼女は残念ながら通常種だが、そもそも計画の一部として組み込まれている素体なので、どちらかといえば桜色の彼女自体がイレギュラーなのである。
 素材素体と呼び続けるのも紛らわしいので、便宜上僕は彼女等をそれぞれ、「サクラ」、「コハク」と呼んでいる。
 実に安直なネーミングだが、父からすれば「モルモットに名前をつけるなんてナンセンス」らしい。
 確かに彼女等は被験体としてここに連れてこられたが、僕はこの自由研究の満了次第、彼女等を自由にするつもりでいたので、父の様に冷酷な仮面を被り続けて一生を操作する気は更々無い。
 何れ父の跡を継ぐには継ぐが、正直それすらも乗り気ではない。僕としてはもっと別の事に道を見出したい。
 しかしこの計画を立てる為には、残念ながら僕個人の力だけでは限界があり、スポンサーとして父の助力を借りなければならず、その際に結んだ契約内容が父親の跡を継ぐというものである。
 当初は父の言葉もその道程への異論も何一つとして疑問を持たず、軽はずみな気持ちで契約を結んでしまった。
 一年前の僕に声が届くのならば、僕は僕にこう言うだろう。
「お前は優秀不断でも優等生でも何でもなくて、あらかじめ敷かれていたレールを進んでいるだけに過ぎないんだ」と。
 こんな風に迷いを生む様になったのも、彼女等と母の影響かもしれない。主にサクラに関しては。
 そうした契約を一年前に結び、父と供に異国まで足を運び、そして目的の素体を見つける。見つけたまではよかった。
 計画に狂いが生じたのはそこからだ。
 僕の計画上では、課題に必要な素体の数は25体だ。
 どれも同じ種族だが、それぞれ性格が違うという条件を課した上で、性別も一定した条件でそれに順ずる素体をピックアップするつもりだった。
 それらを束ねる為に父の力が、財力が必要だった。何せ一年間の食費に雑費、加えてはこの研究に欠かせぬ必須アイテムの費用だが、それは先までの一匹分の費用を足しても届かず、全部を足しても届くかどうか怪しい程に高額であった。
 子供はおろか、並の大人や庶民でも先ず手が出せるような金額ではない。
 例え裕福層であっても超がつかない限りは、そんな道楽に手を伸ばす人は居ないだろう。
 それを可能としたのは財力もそうだが、父親のコネクションが最大の武器であった。
 問い質した事はないので詳しくは知らないが、父は裏の顔にも顔が利くらしく、そういうルートを辿れば僕が必要としているそれは安価に入手できるらしい。
 その裏の世界のバイヤーの存在を僕は恐ろしくも思うが、それ以上に恐ろしかったのは父が持つ複数の顔であったのかもしれない。
 僕がこの計画を持ち出し、又それに掛かる費用を解説しても父は眉一つすら動かさず、宛ら能面そのものの表情であったのを僕は今でも覚えている。というより能面以外の表情を僕は思えば見た事が無かった。厳格といえばそうなのかもしれないが、何処か違う気もした。
 そんな異質な父とは対照的に母は優しかったが、過保護過ぎて甘すぎる側面があり、時にそれを僕はうざったくも感じていたので、僕はどちらかといえば父親の全てが正しいと信じて疑わなかった。
 だから母が僕に向けた言葉も、今ならそれが忠告であったと分かる。
 そろそろ僕の家庭環境の説明はいいだろう。
 本題だ。
 サクラと出会ったのは僕と父が訪れたファームの離れに面した湖の傍で、たまたま湖畔を逍遥していた時に目に映った奇怪な場面での事だった。
 光の反射にしても藻の色にしても不自然なそれは、文字にするなら妖しいの一言が似合っていた。
 湖面が桜色に淡く輝き、ゆらゆらと、ぷかぷかと、風に流されながら光の尾を曳いて水面を漂っている。
――水死体だ。
 と思った。不謹慎だが誰がどう見てもあれは水死体だ。だが水死体ではなかった。水死体になりかけているものだった。
 よく見れば尾を曳くそれは彼女から流れ出た血で、光の反射具合で正確な色合いが判断できなかっただけだった。
 本来なら僕としてはあまり好ましくない状況で、何かしらの屍骸に触れる等も御免被りたいものなのだが、たまたまそれが求めている検体に一致していたのと、まだ生きていることに助け舟を出さずには居られなかった。
 その辺は母の優しさを受け継いでいて良かったとさえ思える。多分当たり前の感情の一つなのかもしれないけれど。父親があんな風なので僕も何れそうなるのではと、心の何処かで危惧していた分ほっとする。
 適切な処置というものもよく分からなかった上に、手持ちには純白のハンカチしかなかった。
 とりあえずは傷口を止血しようと思い手を伸ばすが、妙な事に血の流れている部分は僕等の身体で言うと股座に当たる部位だった。
 数秒間程思考が固まった末、硬直が解けた後に辿り着いた解は授業で習った保険体育の内容で、性に関する知識であった。
 何れは自分の目で生の身体を目撃するんだろうとは思っていたが、まさか初体験が人外とは……。
 何とも居た堪れない気持ちになるばかりか、意識すればする程自分の心が羞恥心で満たされていく。結局止血の為に患部を圧迫したが。
 百合が刺繍された純白のハンカチがみるみる朱に染まるが、出血自体はもう止まっているのか然程色の侵食は起きなかった。
 それよりもハンカチに付いた染みから漂う酷い臭いが僕の鼻を刺激する。恐らく彼女を襲った奴の残り香だろう。
 ここまで手当てが進んでも彼女は一向に目を覚まさないので、仕方なく僕は彼女の頬を軽く叩きつつ、声を掛けた。
 覚醒するや否や彼女は口許の直ぐ傍にあった僕の腕へおもむろに牙を突き立てた。一瞬何が起きたのか僕も分からなかったが、それより先に痛みが脳を刺激し、攻撃されたという現実と事実が心に深く突き刺さった。
 普通なら本能により反抗を彼女へ翻すはずだが、情けない事に僕は何も出来なかった。
 面倒事は嫌いだが、非暴力主義だという訳でもない。やられればやり返すし、立ち向かう気迫だって薄い訳じゃない。
 僕が手を出せなかったのは、彼女が牝だったからというだけの理由だ。
 僕は女の子には絶対に手を出さない主義なのだ――
 嗚呼、意識が遠のいてきた。



 回想から意識を戻した目に入ったのは涎を垂らしながら口を開け、野生の威厳は何処へ失われたのか、大胆なポーズを僕に晒していた。
 一方のコハクは上品に猫のように丸まってベッドに包まっている。
 呆れて物も言えず溜息を吐くと、サクラの口から覗く八重歯に意識が傾く。続いて自分の右腕を見た。
 そっと腕をサクラの口許へ寄せると、やはり牙の位置は一致している事が目測で見ても分かる。
 試しに名前を呼んでみるが起きる気配は無い。意地悪く腕を口許へ突っ込んでみるが、独特の肉感を感じるだけで結果は一緒だった。
 一度寝たら起きない辺り、どうして今まで野生の世界で生きてこられたのか理解に苦しむ。否、襲われてはいたけども。
 もしくはここに定住した事で安心してそんな様で居られるようになったのかもしれないが。
 指を咥内に突っ込んで舌を弄繰り回してもやはり起きない辺り、後者は無いな。うん。
 指を引き抜くと銀糸が首元の襟に垂れた。そのまま襟から首元、胸、胸先、頭頂部へと指を這わせてみるがやはり起きない。全くの無反応という訳でもないけれども。
 まだ粘つく指先の蜜をやや深みのある桜色のそれに塗布するように捏ね繰り回し、強弱をつけつつ摘んでみる。それでも起きない。
 案外こいつは寝込みを襲われたか、もしくは考えたくも無いが襲われた事に気付かないまま湖へと放り出され、僕の下へと流れ着いてきたんじゃないのだろうか……。ありえるというか一度そうだと思ったらNoといえないのが恐ろしい。
 こんなに乳首を強く摘まれるだけでなく捻らされているというのに、変な声を漏らすだけだ。痛みに鈍感ってレヴェルを通り越している。
 自分も呆れるどころか段々と何処まで起きないのかと意地悪さが表情に張り付き、傍らのコハクがその様を目撃していたなら、恐らくキモイ表情をしているだろう様がありありと目に映る。
 ただ、コハクも母親に似たのか起きないのだけれども。流石にサクラほど鈍感ではないと信じたいが。
 摘んだ乳房をゆっくりと降ろし、指先を更に下降させる。ちょうど臍の窪みが指先を飲み込んだ。
 そこで本来の目的を思い出し、ようやく我に返った。
 僕が目指す最終的な研究結果は、今指先が触れている部分のあるモノを回収する事であった。
 それを25体分――だったはずなのだが、目前の2体しか素体を回収していない。
 まだ夏季休暇の途中だからその時ではないのだが、一年を通しての計画である故情報の整理は必要だ。今自分は発表の場に居るとシミュレートして、仮想的に発表をする自分を想像する。


「先ず私が着目したのは人体のある部分から生まれるモノです。
 僕達はそこを臍と呼び、そこに付着にしているものをゴマと呼んでいます。
 ゴマといえばゴマ団子とかゴマ油とか、一種の種の方を連想される人が居ると思います。
 僕もそうです。僕がそれに意識を持ったのはお風呂で入浴中の時でした。
 たまたま臍の方に目がいき、黒いつぶつぶが無性に気になったので爪で引っ掛けたりして取り出してみました。
 当然種のゴマじゃあありませんでした。それは垢がたまったもので、何故そう呼ぶ様になったのかまでは分かりませんでしたが、便宜上としてゴマと呼んでいます。
 何でゴマなんでしょう。
 見た目がそれっぽいから、というのが恐らく尤もな諸説だと思います。
 でももしかしたら本当にゴマの味がするのかもしれない。昔の人は食べた事があってそう呼び始めたのかもしれない。
 考え出したら幾らでもあり、キリがありませんし、幾らなんでもゴマの味がする訳ないだろうと思います。
 僕の自由研究はこれです!
 
――性格の違いでゴマの味は変化するのか?――

 僕は25種類の性格を持ったこの子等を集めました。皆牝です。
 どうして牡が居ないのかって?
 気分です。僕はそっちの気はないので気分的に同姓は避けたかった、というそれだけの理由です――」


――否、違う違う。25体も居ない。
 そうだった、計画は変更になったのだった。
 臍のゴマを集めるという目的は変わらないが、被験体が2体しか集まらなかったのだ。
 どうしてそうなったのか。それは父の横暴を止める為に仕方の無い一つの結果だったからだ。
 又回想へと戻ってしまうが解説の為には必要な犠牲だ。必要であれば時間の浪費は止むを得ないだろう。
 あれは腕を噛まれ、そのまま失神してからの事だ。
 聞いた事の無い父の罵声が耳に入り、慌てて飛び起きたのが始まりだった。



 思えばそれが父が始めて僕に見せた能面以外の表情だったのかもしれない。
 それは憤慨している様でもあり、歓喜に咽ぶ様だった。
 父親としての感情と、研究者としての感情が綯い交ぜになったその表情は、正しく苦悶に歪んでいて。
 僕はそこに愛情を感じ取るよりも恐怖を抱き、初めて父を恐ろしいと思ったのだ。
 これまでにない得体の知れない何かを、父の態度から感じ取り、同時に僕は父の様にはなりたくない等という反骨心が生まれた。
 そうさせたのは父の目前で大量のチューブに巻きつけられるサクラの姿を視認してからのことだ。
 一瞬で父はその子を実験台の一つとして加えるつもりだと解った。
 父親は恐ろしく、そして最大に面倒臭い相手でもある。
 そんな僕が、気が付いた時には父と対峙している。相変わらず表情は崩れていて言い表す事が難しい。
 今でも覚えている。父の心無い一言を。
 その一言が僕と父に修復しようの無い境目を、溝を、壁を、臍を作ったともいえる。
「契約違反だ。この子は僕が見つけた。僕が先に見つけたんだ。父さんの実験材料として扱われる前に、僕が成すべき仕事がこの子にはあるはずだ!」
 咄嗟の言い訳として思いついた言葉は、傍から見ればこの親にしてこの子ありと称されるものであったかもしれない。
 だがそう言わざるを得なかった。ああでもしなければ父は止まらなかっただろうし、彼女を救う事もできなかっただろう。
 そして彼女が身罷っている事も父の言動から察し、その子を救う事も思慮に入れた上で、僕は契約違反のペナルティを父に提案した。
 後にその内容は母が僕に窘めた言葉が後になって利いてきたのだろうと思った。
 彼女とその実子の保護、そして水の石は不要だという旨だ。
 これはどちらかといえば僕だけが損をする件であったが、父は恐らくそれ以上だったに違いない。
 父は彼女の、サクラの希少価値を解った上で、研究者としての性に駆られたのだ。
 それを充たす為ならば幾らでも金を注ぎ込む事を惜しまないだろう。
 だからこれはお互いが互いに譲渡し合う為の交渉だった。
 納得を互いに了承し合わない限り、この停滞はずっと続くだろう。
 悪いのは父親であり、契約内容を変更する事無く彼女を保護する事も可能だったかもしれない。
 そうしなかったのはこれ以上荒事を起こしたくないが故の、自分なりの面倒を避けるベストな選択肢だったからだ。
 父は無言のまま交差する視線を外す事無く、僕の双眸を突き通していた。
 もしかしたら眼中になく、その先にある彼女をどうしようか画策していたのかもしれないが。
 結局は父が折れ、僕は彼女とその腹にいる赤子を父の目に触れさせる事の無い様、本館からは離れた別館にて保護することにした。
 この別館は母親の希望で建てられたものらしく、曰く本館は落ち着かないからとこっちで過ごしているのだという。
 母に事情を話すと何の躊躇いも無く受け入れてくれた。どちらかといえば母はこうなる事を望んでいた節があった。
 父は研究者としては優秀だが、人間味があまりにも欠けていた。
 けれどそんな父にも他人を気にする最低限の感情はあるらしく、そうでなければ僕が生まれてくる理由も無い。全ては母ありきの世界だ。
 ああ見えて愛妻者の側面もあるというから正直想像できない。
「お父さん不器用だからねぇ。大丈夫、ちょっと興奮しすぎちゃっただけよ。貴方が思ってる程、あの人鉄面皮じゃないわよ」
 そんな風に父を母はカバーするが、僕はもう少し要領よくやっていこうと父親が見ている世界を思いながら心に深く記憶した。
 父の事が嫌いになった訳じゃあない。ただ距離を置こうと思っただけだ。他人を盲信し過ぎない様にしようと反省しただけだ。
 知らず知らずの内に僕は父の背中を見つめ、そして父が歩んできた道程を誇らしく、格好良いものと思い込んでいた。
 その気持ちに偽りはないし、今でも誇らしいとさえ思う。だがそれは僕とは関係がない。重ねちゃあいけない。
 そして父はそういう他人からの賞賛に対して全く興味が無い人間だ。だから研究に一途になれる。それ以外は二の次だ。
 あの時の態度はそういう事なのだろう。どちらを優先するのかを、父は最期まで決めあぐねていたからこその表情だったに違いない。
「分かってるよ。父さんは変人だけど、母さんの前だけは恋人だからね」
 我ながららしくない場の濁し方だと、自分で言ってて恥ずかしくなったので母に気取られる前にその場を退散した。
 サクラとの出会いは、そんな僕の偏った価値観を反転させる忘れられない一つの切欠で。
 通常ならあるはずのない、一つの分岐路だった。
 誰かがそれを見ていたならこう呼ぶかもしれない。
 僕が前にしているその道は獣道でできている、と。



 ここで僕は告白をするが。
 正直の処、自由研究に必要なそれの回収はどうでもよかった。
 否、語弊があるのでもう少し補足すると、課題はこなすが一年前に僕が目標としていた将来の未来像に関してどうでもよくなっていたのである。
「こうなったのも、お前のせいなんだぞ。本当は起きてるんだろ? サクラ」
 そう呼びかけつつ臍の緒を軽く指圧すると、何時からばれていたのだろうと罰の悪そうな声と腹部から押し出される空気の悲鳴とが入り混じった吐息を漏らした。
「お前との付き合いもなんだかんだで一年だもんな。この一年間、ずーっとお前を観察していたんだぜ? お前がどんなタイミングで嘘をつくのかも、演技をするのかも、ごまかしたりするのかも、気付いた処は全部、全部記録してるんだぜ?」
 よく動物は嘘をつかない、なんて格言染みた言葉を見たり聞いたりするが、ありゃ嘘だ。
 むしろ彼等の方が狡猾で、人間の方が奴隷か家畜化されている。断言したっていい。奴等は嘘をつく。
 ちらり、と傍らのコハクを見る。こっちは本当に寝ているのか丸っきり起きる気配がない。
「全く何なんだろうねお前は。その色といい、姿形といい、肢体といい、声といい……父さんがおかしくなったのも、案外お前のそういう魔性の部分かもしれねーな」
 勿論彼女のせいではない。彼女のせいというのも少なからずはあるが、父がおかしいのは元からのことで、おかしくなったのは僕の方だ。
 父は彼女の希少価値に酔い、その遺伝のメカニズムを知りたがっていただけで。
 一方の僕は彼女の希少価値よりも彼女の存在自体に酔わされていた。
 普通では、尋常ではない愛情が彼女に対して芽生えているのを、僕は不本意ながらも認めざるを得なかった。
 軽く爪を臍の内側に引っ掛けると、敏感な部分を刺激された時の嬌声が耳に入る。
 なるべくベッドを揺らさないよう、静かに彼女ごと身体を沈ませ、ひれのような耳を軽く食む。
 舌先が耳の内側をなぞり、耳の奥へと徐々に伸びていく。
 最奥まで達しかけた処で舌先を止め、軽く吐息を彼女にしか聞えない様に囁いた。
 快感に咽び泣く彼女は震える口吻を僕の首筋に当て、僕がした様に食み返した。
 彼女が僕に伝える、了承のサインであった。
 僕はそっと、緩やかに軋むベッドから彼女ごと身を起こし、彼女をベッドから降ろして自分も同じ様にベッドから離れる。
 コハクは未だに夢を見ている。試しに小さく名を呼んでみた。
 何の反応も示さない辺り、本当に寝ているという事が伺えた。
 勿論コハクの癖も僕はしっかり観察している。コハクは呼ばれると耳をぴくりと動かす。動かさない時は何かに熱中しているか眠っているかだ。
「いい夢見ろよコハク。お母さん借りてくよ」
 そして足音も蝶番の音もあらゆる音を立てないよう、僕等はその場を後にし別室へと移る。
 もう音を立てる必要はないのだが、自分が今やっている事がとても芳しくないと自覚しているからか、あらゆる行動が慎重的だった。
 ドアを開けるや彼女はするりと隙間を潜り、すぐさまにベッドの上へと飛び乗った。
 廊下に誰も居ない事を確認しながら後ろ手でそっとドアを閉め、自分もベッドへと向かうが、閉めきられた部屋は思いの他暗く、目が慣れるまで何も視認できなかった。
 明かりを点ければいいだけの話なのだが、それはできない相談事だ。
 壁伝いに歩こうにも、小物に引っ掛かって何かあっては堪らない。ここは彼女の力を借りるのが一番利口な選択といえるだろうと、小さく彼女の名を呼んだ。
 数瞬の間を置いて、彼女が僕の膝元に触れた。
「頼むよ」
 Goと命令に沿って彼女が僕をベッドまでゆっくりと誘導する。
 覚束ない足取りながらも無事にベッドまで辿り着くと、既に彼女はその身をベッドの上へと翻していた。スプリングの音が耳を掻き立て、平気だと分かっていても無性に焦りを感じた。
 ゆらゆらと揺れるベッドの波を抑えるように、自分もゆっくりと腰を落とし、一息を入れようと呼気を吐く。
 落ち着きを取り戻したと同時に閉じていた瞼を開けると、暗闇に慣れた眼がおぼろげに彼女の輪郭を捉えた。
 彼女がこちらを見ながら座しているのが分かる。
 そっと指先を彼女の頬に乗せ、撫で擦り、耳の根元に指先が触れる。
 相当敏感な部分であるのだろう、触れてない方の耳までが呼応してぺたりと伏せた。空いた方の手を彼女の腰に回しつつ、自分ごと転回を加えて彼女の身ごとベッドへと沈んだ。
 神経の繋ぎ目の様に隆起した部分を爪先で詰ると、こそばゆいのか気持ち好いのかどちらともつかない吐息を漏らす。
 先程やっていたのと同じく、彼女の耳元へと自らの口を近づけ、存分に溜めた呼気を薄く、長く、意地悪く吐き出した。
 続きをしようかというメッセージの込められた熱気へ、彼女は切れ切れに漏れるか細い吐息で返事する。
 神経が集まる三つ又の根元は軟骨の役割をも具えているのか、直接口付けた部分から伝わる吐息は骨振動となって彼女の脳髄を揺さぶっていく。
 耳を食まれればどんな荒くれ者の動物も従順になるが、彼女においては快楽欲求を加速化させ、脳内麻薬を止め処なく溢れさす入口でしかない。
 呼吸の際に離れる隙間から覗く彼女の、開きっぱなしの口吻から垂れる蜜がそれを具現化させていた。
 下腹部より先の入口でもあり出口である河口はそれ以上に流れているのかもしれないし、雪崩れているのかもしれなかった。
 ここまで進んでおきながら、僕は未だに彼女との口付けを交わした事はない。
 口付けが進んでないということはそれ以上も進んでおらず、要するに僕はぎりぎりの、一歩を踏み出すだけの小さな断崖絶壁の手前で立ち尽くしている。
 それは躊躇っているのではなく、まだその時ではないと自分自身に問い質し、科している枷の一つである。
 本音を晒すならば今直ぐにでも飛び越えてしまいたいが、まだダメだ。
 自分がやるべき事が残っているからであり、また父に対して、母に対して、申し訳のない気持ちが自分の中にあったからだ。
 最終的には同じ事になるかもしれないが、それでも遅いか早いかの違いだけで片のつく問題ではない。
 約束を守るというけじめを僕は周囲に見せなければならないのだから。
 それを成し遂げるまでは。やり遂げるまでは。
 僕は彼女を悦ばす事だけを第一に優先しなければならない。
 自分の理屈が彼女を縛り付けてはいるが、彼女もそれを理解した上で僕に身を委ねている。
 踏み越えてはならない道に片足を突っ込んでいる僕は、そこから先へ進んではいけないと自分を窘めてはいるが。
 そこから後ろへと戻る気は完全に、選択肢の一つすらも、道すらも、見えてはいなかった。
 今日も僕は彼女の耳元へ、そっと懺悔する様に。
 小さく、されど長く口付けながら。
 幾つもの丘を踏み越え、彼女の中枢へと指先をなぞる。
 涎と涙と汗とが交じり合った雫をも絡ませ、濡らす事の無い小さな窪みを湿らせる。

 次第に。着実に。
 穢れていく。
 
 身体も。心も。
 昏い色へと。



「おお、××先生。どうしましたかね。そんなどうすることもできない、完全に詰んだという表情をなさって」
「……ああ、教頭先生。いえね……実は例の子の事で悩んでおりまして」

「例の子というと……ああ、あの優等生クン?」
「はい、その優等生です」

「報告によれば自由研究を提出するのを放棄したと聞きましたが」
「ええ、それです。その理由がですね、頭の痛いことに成績に響かないという事を何処からか情報を入手したものでしてね。全く何処の不届きな同業者が漏らしたのやら」

「まぁそれは仕方の無い事ですな。それでその優等生クンは今年もまた?」
「いえ、提出しました」

「おや。それでは別に何の問題も無いのでは?」
「はい。提出した事に関しては何でも無いのです。ただその内容がですね……正直、我々教師もどう修正させたものかと考えあぐねておりまして……更に頭の痛い問題はここからなんです」

「ほほう?」
「彼、旅に出ました」

「それはまた急ですな?」
「私はてっきり父親の跡を継ぐのかと思っていたんですがね。この一年で何を得たのかは分かりません。ポケモントレーナーとして必要な資格も持っていますから、止める事もできませんでした」

「ふむ……まぁ彼は優等生ですからな。残る半年の勉学の内容ですら彼にとっては復習にしかならんでしょう。それよりは旅に出させて人生の経験を積ませるのが良しとご家族も判断なさったのではないかね」
「そうなんですかねぇ……? 私はあの子の母親は兎も角、父親がとても許可を出すような人には見えないんですがねぇ……」

「よいではないですか。我々教師もかわいい子には旅をさせたいものですよ」
「そういうことに、しておきますかね」



 不意に鼻がむずつき、生理現象による流れでくしゃみが出た。
 一回、二回……三回。
 落ち着いた処で、誰かが僕の噂をしているのだろうかと心当たりのある人物を頭に並べる。
 然し心当たりがありすぎて解を出す事が無意味に感じたので三人目を連想した折で止めた。
 無理もない。何しろ唐突過ぎるといえば唐突過ぎるサプライズニュースでもあるだろうし。
 年齢が十を越していれば誰でもトレーナーになれるのに、僕は2年の間を置いてからのスタートだ。
 学園の誰もがあいつは中学、高校、大学へと進むだろうと信じて疑わなかったに違いない。
 僕の突然の旅立ちに関しては誰も口を出す人は居なかった。
 一年越しの自由研究の発表後、クラスの皆と担任の教師はその報告にどういう顔をしていいのか分からないという、面食らった表情を誰もが呈していた。
 それに加えて、僕は突きつけるように。
「突然ですが僕は旅に出ます! 次に会うのは卒業式だと思いますが、覚えてたら帰ってくるかもしれません! それじゃ皆! さようなら!」
 殆ど飛び出す様に学校を後にしたのだから、今頃学園中がどよめきの嵐になっているかもしれない。なっていないかもしれない。
 それならそれで、僕としては余計な邪魔が入らなくていいというものだ。
 父と母には当の昔から報告済みで、そうでなければこんな急に旅立って無事で居られるわけもない。
 母はまぁ予想通りに僕の好きな様にやりなさいという感じであったが、父の方が僕としては意外だった。
 旅に出たいという切欠は彼女の存在だが、背中を後押ししたのは父なのだ。
 それはコハクが誕生してからの翌日の事で、唐突に僕宛に小包が届いた。
 中には一通の手紙と、図鑑で何度も見た小さな石が丁寧に包装されていた。
 手紙の内容はかなり短く、一文を口に出しただけで直ぐに終わってしまうものだった。
 ただそれだけの内容だが、僕は父を大いに誤解していたのかもしれないと深く反省し、せめて父と交わした約束を違えないようにと残る課題だけはしっかりやり遂げようと決意した。
 その過程は自分が想像していたものよりも度し難く、また理想と大きく懸け離れてしまう程の価値観を見出してしまったが、もともとそういう資質が自分にはあっただけだろうと深く考えないことにした。

 木漏れ日が揺蕩う木陰の下で、僕は背を大木に預けながら前方の湖を細目で見る。
 その膝元で桜色の彼女は頭を乗せて寝そべっていた。
 もう片方は母の頼みで家へ置いてきたきりだ。一人きりじゃ寂しいからとコハクを提示する条件で息子を旅に出させた母だが、本音はもう少し傍に居て欲しかったのかもしれない。
 それを我慢して文句も出さずに僕を笑顔で送り出すのだから、やはり母は強いのだなぁとしみじみ痛感させられる。
 僕は途中からとはいえそれでも不純な動機が含まれている事は事実なので、それを思うと物凄く申し訳ない気持ちで一杯になる。
 半ば家出のノリにも近い感じでの冒険譚の始まりだったが、それは誰にも告げる事無く伏せておこう。
 多少は脚色した方が後の土産話に相応しい。

「サクラ。もうお前は自由になったんだから、僕に縛られる事無く何処かへ行ってもいいんだぞ?」
 眼下に生える小さな桜は僕の問いに、よく分からない双眸で僕を見る。心なしか眠そうに瞼が落ちているがそうではない。
 彼女は訴えているのだ。僕が彼女に呟かなければならない、枷の鍵を。
 僕はただ一言。
 それを彼女の耳元で呟くだけでいい。

 そっと囁くだけで、いい。



 後書

 サランラップ!マキマキ!ヘーンシーン!
 どうも私です。前回に続いて今回も無投票を維持できたので実に悦びも一入。イェイッ!
 変態選手権といえば第一回の作品は「違う、変態だけどコレジャナイ」を狙ってたのに思惑が外れて無性に悔しかったのを思い出しました。
 あの時と比べればいい進歩(退化?)かもしれません。相変わらず作品自体は最終日に書くという夏休みの宿題状態ですが。
 この緊迫感を乗り切る力も回数を重ねる内に短縮化や根拠の無い余裕が増長しているのは果たして喜ぶべきかどうかは兎も角、逆に計画通りに事を進められないという悪癖も増長している有様なので、このまま短距離ランナーで在り続けるか、訓練を重ねて長距離に対応するかで私の作風も又変わってくるかもしれませんね。
 今回は珍しく短めに後書を語り終わったので以降は恒例の解説コーナー。


・少年
 天才でもあり変人でもある研究者の父親を持つ。
 良くも悪くも期待の眼差しを向けられて育った為か子供らしかぬ考え方をしている。だからこその秀才ともいえる。
 しかし本心では普通で在りたかったり、周りと同じ事をしたかったり等というコンプレックスも持ち合わせていたが、サクラとの出会いでこれまであった固着観念を打ち破る事に成功する。
 動機は不純だが男の子だもの。思春期って便利な言葉。イェイッ!

・サクラ(シャワーズ♀(旧デザイン)、色違い)
 天然記念物に指定される程に個体数の少ない種族。現代のシャワーズを亜種とすればこちらは原種であるとされている。
 自分に置かれている境遇を知ってか知らずか、意外と抜け目の無い性格で警戒心が強い。
 見た目の違いが如実に表れているからか、ポケモンにも人間にも目の敵にされる薄幸属性。
 そんな中で咄嗟に身を挺して庇ってくれた少年には並ならぬ感情を抱いている。
 作中では深く述べていないが強姦された経験を持ち、コハクはその経緯でできた子供である。

・コハク(シャワーズ♀(現デザイン))
 サクラの実子。父親は不明(サクラも何匹に襲われたか把握していない為)。にも拘らず親子としての関係は良好。
 母親譲りなのかサクラ以上にゆるい。恐らく野生には解き放てないだろうと危惧される程に鈍感。
 少年曰く「コハクは置いてきた。この闘いにはついてこれそうにないからな……」※言ってません


 それでは最後になりましたが、参加者の皆様方、読者の皆様方、主催と管理人様方、お疲れ様でした。
 次の遊び場で又お会いしましょう。


最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • 執筆お疲れ様でした。
    個人的には前振りが長かった割には盛り上がりにかけた気がしました。
    それと自分の想像力が乏しいため作品からサクラとコハクの全体像が読み取れませんでした。
    作品自体は着眼点などは好きだったので寧ろエロではなく一般向けに書いたら良くなるかもとか言ってみます。
    ――COM 2012-09-26 (水) 11:28:10
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Last-modified: 2012-09-25 (火) 00:00:00
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