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美味しい関係

/美味しい関係

author:macaroni


1

また俺たちにとって辛い季節がやってきた。
巣穴から顔を出してみると、案の定外は雪が降り続いている。いや、降るという表現では生優しい。
横殴りの風とそれに紛れた雪が顔面を叩きつけながら通り過ぎていく。
俺は巣穴から顔を出すという行為がいかに愚かだったかを思い知り、すぐに巣穴へと顔を引っ込めた。
炎タイプのウインディである俺ですらこんな調子なのだから、他のポケモンはさぞかし大変だろうななどと柄にも無い事を考えたが
思いやりなど微塵も持ち合わせていない俺は数秒後にはやはり他の連中の事などどうでもよくなっていた。

今月に入ってから天気はずっとこの調子だ。
もっとも冬のエイセツは毎年こんなもので、一日中雪が降り続ける事も珍しくない。
この地域に生息するポケモンたちは大抵、冬を迎える前に食糧を十分に確保して備えるものだ。
かくいう俺も御他聞に漏れず、今年の冬は木の実をたんまりと備蓄してある。
俺は食糧庫から形の違う木の実を適当に3個取り出し、むしゃむしゃと頬張った。
本当はこんな木の実ではなくちゃんとした肉を食べたいが、この時期に外を出歩いているポケモンなど皆無だ。
仮に巣を探し出して襲うにしても、巣を見つけるまでに寒さで体力は減るし、
逆に返り討ちにされて気がつけば自分が餌になっていたなんて憂き目に遭いたくはない。
だからこうやってなるべく腹を減らさないように巣の中で一日中寝ては起きてを繰り返し、
味気のない木の実をもそもそとかじる生活が一番いいのだ。
眠っている間は空腹を忘れられるし、無駄な体力も消費しない。
今日1日分の木の実を腹の中に納めると、俺はすぐにいびきをかいて眠りについた。


異音がして目を覚ましたのは、それから数時間後の事だ。
ガサガサと物が擦れ合う様な音が食糧庫のあたりから聞こえている。
コラッタでも入り込んだのか?
俺は眠りっぱなしの生活で硬くなった体をストレッチで解し、あくびをひとつした後重い足取りで寝床を離れた。
食糧庫の中を覗いてみると、やはり昨日に比べて明らかに備蓄してあった木の実の数が減っている。
俺はこう見えて几帳面な性格だから、木の実の数は計算して毎日食べる量を決めている。
寝ぼけて多く食べたということは無いだろう。
だとすると、考えられる理由はひとつしかない。
他のポケモンが盗み食いしたのだ。
大胆な事をする奴がいたものだ。

とりあえず、巣の中を見て回ることにしよう。
とはいえ、俺一匹が生活するだけの広さしかない巣だ。見回る場所など限られている。
案の定というべきか、俺の食糧を盗んだ犯人はすぐに見つかった。
そいつはあろうことか俺の巣の中ですーすーと寝息をたてて気持ちよさそうに眠っていた。
口元には木の実の食べカスがくっついている。
そのポケモンはニンフィアと呼ばれる種族で、身体は小さく俺の半分程度しかない。
俺は前足でそいつを軽く蹴ったが、うわ言のようにう〜んと唸るだけで目を覚まそうとしない。
仕方なくそいつのピンク色の尻尾を踏みつけると、ふぎゃっという奇声をあげてようやく目を覚ました。

「よう、お目覚めかよ」
ニンフィアは前足で両目をごしごしとこすりながら巣の中をキョロキョロと見回した後、俺の姿を捉え、硬直した。
「あ、こんにち…は…」
ようやく自分のしでかした事に気がついたのか、そいつの声はだんだんと小さくなってゆく。
「どういうつもりだ?俺の大事な食糧を勝手に食い散らかしてよぉ」
俺は腹の底から捻り出すように、あえてドスを効かせた声で威嚇した。
ニンフィアはひっ、と声にならない声をあげ体を震わせた。明らかに怯えている。

実のところ木の実の事などすでにどうでもよくなっていた。
それどころか、俺はムクムクと湧き上がる期待感に胸をときめかせてすらいた。
「ご、ごめんなさいっ!私、お腹が空いて死にそうだったので、つい…」
「この時期は食糧の確保が大変なんだぞ。お腹を空かせているのはお前だけじゃねぇ」
そういいながら、俺はそのポケモンをじっくりと観察する。
見た所メスなのだろう。腰から尻にかけての肉付きがいい。
艶とハリのある尻の肉は、俺の牙が抵抗なく食い込んで、少し間をおいてから肉汁がジュワッと溢れてきそうだ。
お腹を空かせていると言っていただけはあって、確かにお腹周りの肉は少し物足りなさはあるものの、この時期に得られる貴重な肉だ。
俺は無尽蔵に生産される唾液で口内を充満させていた。
「実は私、この辺りには来たばかりでまだ自分の巣が無いんです。
なんとか巣を作って寒さを凌ごうと思ったんですけどお腹が空いて動けなくなってしまって…。
そこに美味しそうな木の実の匂いがしたものですから…」
その女はつらつらと言い訳を並べていたが、ほとんど俺の耳には入ってきていなかった。
俺の頭の中はどうやってこいつを食べるかという一点の欲望のみで埋め尽くされていた。
本音は今すぐその柔らかそうな肉に食いつきたかったところだが、俺はその衝動をぐっとこらえた。
まあ、待て。
せっかく訪れた二度とないご馳走だ。
今食べてしまってもいいが、どうせならこいつがお腹を一杯にして、
丸々と太ったとき…脂の乗った一番美味しいタイミングで食べたいじゃないか。
そうやって理性で野生を押さえつけると、俺は作り笑顔を浮かべた。
「そいつは大変だったなァ。幸いここには食糧が沢山あるし、良かったら気の済むまでここにいてくれりゃいい」
突然態度が変わった俺に不信感を抱くこともなく、ニンフィアはパッと顔を輝かせた。
「ほ、本当ですか⁉︎ありがとうございます!」

…まんまと引っかかりやがった。
俺は心の中を悟られぬよう、下を向いて歯を見せた。
ヨダレがぽたり、と床に落ちた。
「でも、お気持ちだけ頂いておきます。あなたも食べ物がなくて大変でしょうし、これ以上お世話になるわけにはいきませんから」
そいつはニッコリと笑うと(俺の作り笑いとは違う、本物の笑みだった)、巣の出口に向かって歩き出した。
「ま、待ってくれ!」
予想外の返答に俺は焦って呼び止めた。
ご馳走に逃げられちまう!!
「こんな吹雪の中外を出るのは危険だぜ。せっかく命拾いしたのにまた捨てに行くようなもんだ」
ニンフィアはつぶらな瞳でこちらを見返してくる。
透き通った水色の目玉は、ゼリーのように噛みごたえがありそうだ。
よし、絶対に逃がすものか。
「それに実は昨日からお腹を壊しちまっていて、木の実がほとんど食べられねぇんだ。
このまま腐らせちまうのも勿体ねぇし、それならお前に食べてもらったほうがよっぽどいいだろ?」
俺の必死の説得に、そいつは目を伏せて何かを思案するような素振りを見せた。
「でも、あなたは何を食べるのですか?」
その問いは全く想定していなかったもので、俺は不意打ちを食らった。
自分の企みを悟られたのかと思い相手の顔色を伺ったが、ニンフィアに疑う様子はなく、どうやら純粋に疑問に思っただけらしい。
「俺はほら、あんたと違って図体がでかいから、一週間くらい何も食わなくても大丈夫なんだ」
我ながら苦しい嘘だと思わずにはいられなかったが、四の五の言っていられる場合ではない。
これ以上喋るとボロが出そうだったので、俺は黙って相手の返答を待った。
しばらく悩むような表情を見せた後、何かを決したのかそいつは軽くうなづき、屈託のない笑顔になった。
「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」


…やった!
これで数週間ぶりのご馳走にありつける。
俺はその場で小躍りのひとつでも踊りたくなったが、もちろんそんな事はしない。
小躍りする代わりに俺はそいつの為の寝床を作ってやった。
寝床と言っても乾燥した草を敷いただけの簡素なものだったが、ニンフィアはまるでふかふかのベッドを用意してもらったかのように喜んだ。
ニンフィアはすっかり俺のことを信用して、頭を地面に擦り付ける勢いで何度も礼を述べた。
その度にうまそうな匂いが鼻腔を刺激し、頭がどうにかなりそうだったが何とかこらえ、俺は自分の寝床へと戻っていった。
そいつを食べる瞬間を夢見て。


2

不意に頭の中で呼ぶ声がして、俺は眠りから呼び起こされた。
「ウインディさん、ウインディさん」
自分の胸のあたりからおいしそうな匂いがする…
目をさますと、餌が…いや、ニンフィアが小さな前足を俺の腰のあたりに乗せて懸命に揺さぶっっている。
「どうした?」
「お腹の具合はどうですか?少しは良くなりましたか?」

…お腹の具合?
言われてその意味をすぐに理解できなかったが、俺は昨日自分が言った言葉を思い出し、あぁ、と他人事のような声を出した。
「いや、まだ治らんなぁ。イテテ…」
俺は仰向けに寝転がり、大袈裟に痛がって見せた。
するとニンフィアは悲しそうな表情になった。
「そうですか…そういえば、頂いた木の実の中にラムの実がありましたよ。ラムの実は病気や怪我を治す効果があると聞いたことがあります。お試しにはなられましたか?」
そう言いながら、ニンフィアは実際にラムの実、と呼ばれた木の実を持ってきていた。
とことんバカなやつだ。
「いやぁ、そいつは知らなかった。俺はどうも木の実が好きじゃなくて、みんな同じに見えちまうんだよなァ」
これは、本音である。
木の実に種類がありそれぞれに味も効果も違うことくらいは流石に知っているが、冬季以外は木の実など食べないのでそんなことをいちいち気にしない。
ニンフィアは前脚を口元に当て、クスクスと美味しそうに、いや可愛らしく笑った。

「それにしても、エイセツって本当に寒いですね」
そういえば、こいつは別の土地から来たと言っていたな。
俺はエイセツ以外の土地のことはよく知らないが、まぁここより寒い地域というのはそう多くはないだろう。
巣の中にいるとはいえ、炎タイプでないこいつが寒く感じるのは当たり前だ。

餌を寒い環境に置いておくと、身が引き締まって美味しくなったりするのだろうか?

そんな妄想をしてニヤけていると、不意に俺の胸元に体重が加えられた。
何事かと視線をやると、ニンフィアが俺の寝床に入り込み、丸くなっている。
さっきよりも濃い匂いが鼻をつき、途端に頭がクラクラする。
「あ、ウインディさんのそば、あったかい」

なにをする、やめろ。
そんな近くに来られると、勢いで食べてしまいたくなる…!
「おい、俺に近づくな!」
迫り上がってくる欲望に必死で抵抗するあまり、俺は後脚で乱暴にニンフィアを払いのけた。
身体の小さいニンフィアはキャッと小さく悲鳴をあげて、寝床から転がり落ちていった。

「ご、ごめんなさい…馴れ馴れしい真似をしてしまって」
ニンフィアは額から血を流していた。
「あ、いや、俺のそばにいると腹痛が移っちまうと思ってな」
しどろもどろになりながら、俺はそんな事を口走っていた。
…せっかくのご馳走に傷をつけてしまった。
同時に、自分がなぜか動揺してしていることに驚いていた。
ニンフィアは俺が怒っていると勘違いしたのか、いつものように頭を下げて謝ってきた。
「本当に失礼なことをしました。ずっと寒い外で過ごしていたので、ウインディさんの優しさに、つい甘えてしまいました」
「待て、俺が悪かった。もう殴ったりしないから、ちょっとこっちへ来い」
俺は前脚をくいくいと動かし、ニンフィアを寝床へと呼び寄せた。
乱暴に扱われたことで警戒されたかと思ったか、意外にもニンフィアは迷いなく俺の元にトコトコ戻ってきた。
またあの芳醇な香りが漂う。
俺は少しためらったが、ニンフィアの顔の傷を舐めてやった。

その瞬間、俺の全身に衝撃が走った。
傷口を舐めた舌の上に今まで味わったことがない素晴らしい風味が広がる。
これは甘味なのか…?いや、ほのかにしょっぱさも混じっている。
それでいて、生物特有の臭みは感じさせない。
間違いない…こいつは極上の餌だ…!!
俺は夢中になってニンフィアの顔を舐めまわした。
これだ、この味だ!!今まで食ってきたどんな餌よりも美味い。
もっと、もっと味わいたい…
何時間でもしゃぶり続けていたい。
いや、舐めるだけでは満足できん。
せめて一口だけでも…

「あ、あの、ウインディさん?くすぐったい、です…」
思考の外側から声がして、俺は我に返った。
ニンフィアの顔は俺の涎でぐっしょり濡れている。
しかもあろうことか、俺はニンフィアの耳に牙をかけていた。
「あ、あぁ、すまん…」
俺は慌ててニンフィアの顔から口を遠ざけた。

危ないところだった…
ニンフィアは顔を左右に軽く振ると、少し恥ずかしそうにはにかみ、寝床からピョンと飛び降りた。
「傷はたいしたことないですし、ウインディさんに舐めてもらったお陰で、血も止まりました」
「いや、俺の方こそ乱暴にして悪かった。ラムの実、ありがたくもらっておこう」
ニンフィアはようやくいつもの笑顔になり、自分の寝床へと戻っていった。

俺はまだ自分の興奮が収まっていないことを感じていた。
口の中にあった味は既に消え失せ、そこには虚無感だけが残っている。
今ではどんな味だったかさえもうまく思い出せない。
その途端、さっき以上の空腹が俺を襲った。
そういえば昨日あいつが来てからまだ何も口にしていない。
俺は仕方なく足元に転がっていたラムの実を齧った。

…不味い。
ただ硬いだけの食感と、雑草の様な青臭さ…
木の実ってこんな味だったか…?
とても食えた味ではない。
俺は口の中の木の実をすぐに吐き出すと、巣の奥にある水場で口をゆすいだ。
今までも木の実を美味いと思ったことはないが、少なくとも昨日までは普通に食えたはずだ。
しかし、あの味を知ってしまった今では、もう木の実なんて食べることができない。
俺は寝床に戻ると身体を丸めてうずくまり、ひたすら空腹を耐えるしか無かった。


3

翌日、目を覚ますと外がやけに静かなことに気がついた。
巣穴から顔を出してみると、昨日までの吹雪は止み、雲の切れ間から太陽が覗いていた。
夏に比べると頼りない日差しが、一面の積雪をキラキラと光らせている。
冬の合間の貴重な晴天だ。
「わぁ、いいお天気ですね」
いつの間にか俺のすぐ隣からニンフィアも顔を出していた。
また例の香ばしい匂いに、朝から幸せな空腹感がこみ上げてくる。
空腹には違いないが、昨日みたいに本能が思考を支配することは無い。
俺自身も、匂いを嗅いだだけで頭がおかしくならない程度には理性をコントロールできるようになったのだろう。
「まだ充分あると思うが、念のため今日は木の実を補充しに行こうと思う」

…そう、お前を丸々と太らせるための木の実をな…。

「それじゃあ私もお手伝いします。お世話になりっぱなしでは申し訳ないので…」
余計な事をするな、と言いたいところだったが、確かにこいつを一匹だけにして逃げられてしまうわけにはいかない。
それならば目の届くところへ置いておく方が安全だろう。
「そうか、悪いな」
「私、木の実を見つけるのは得意なんですよ」
そいつは自信満々に鼻息を荒くした。
俺は違う意味で鼻息を荒くしていた訳だが、まぁそれはどうでもいいことだ。

さすがに俺たちの他に外に出ているポケモンはいなかった。
朝早い時間だということもあるし、普通は充分に余るほど食糧は備蓄してあるものなので、追加分を探す奴などそういないだろう。
俺は適当にブラブラしながら木の実を探していた。
しかし大事な餌は見失わないように、視界の端に常にそいつの姿を確認する事は怠らない。
俺の視線など気にもせず、ニンフィアはトコトコと小高い山の方へ歩いていく。
確かにそっちの方には実がなる木が多く生えている。
しかし、確かその手前は崖になっていたはずだ。
おかまいなしにニンフィアは崖へと直進していく。
「おい、そっちの方は…」
俺の呼びかけは間に合わず、悲鳴と共にニンフィアは姿を消した。
雪が積もっていたため、小さな崖がわかりづらくなっていたのだ。
そこに足を踏み込んだニンフィアは、あっという間に崖の下へ転がり落ちてしまった。
俺は頭で考えるよりも前に'神速'を使い、慌ててその後を追いかけた。

冗談じゃない!!
こんなところでご馳走を手放してたまるか!!

ニンフィアは何度も身体を崖に打ちつけながら落下していく。
…あぁ、餌が傷物になってしまう…!

何とか大事になる前に追いつき、ニンフィアの胴体を掴むと、崖の上へ放り投げた。
どさっという音が聞こえ、問題なく地上に着地したことを確認する。
俺自身も肩で息をしながら、一段ずつ崖を登っていく。
強い疲労感と空腹感に襲われ、脚元はふらついていた。

「ありがとうございます。また、助けてもらっちゃいましたね…」
崖の上では、ニンフィアが心配そうな顔で俺を待っていた。
「ウインディさんは大丈夫ですか?」
質問には答えず、ニンフィアの周りをぐるりと一周し、餌の様子を確認する。
幸い、大きな傷はなさそうで俺はホッと胸を撫で下ろした。
しかしあれだけ派手に落下したのだ。無傷なはずがない。
案の定、ニンフィアは脚を引きずっていた。
「前脚を怪我したのか?」
「ちょっと挫いただけです」
「見せてみろ」
ニンフィアは顔をしかめながら、右の前脚を伸ばした。
確かに、少し赤く腫れている。
歩けない程ではなさそうだか、歩くのには邪魔になるだろう。

…ケガをした前脚なら、食べても怒らないんじゃないか?
そんな事を俺は鈍った思考で考え始めていた。
こいつなら笑って「使えない脚はいらないので食べちゃってください」とか言いそうだ。
この脚は歯ごたえが良さそうだなぁ。
肉は少ないだろうが、骨の周りについた肉をしゃぶるのが俺は一番好きだ。
そんな妄想に耽っていると、自分の脚になにか冷たい物が触れるのを感じた。
視線を落とすと、ニンフィアが小さな舌を使って俺の脚をペロペロと舐めていた。
「何をしている?」
「ウインディさんもケガをしてます。バイ菌が入ると大変なので、消毒しないと」
などと言いながら、なおも一生懸命舐め続けている。
その様子を見て、俺は今までとは別種の感情を抱いていた。
それは未だかつて経験した事のない得体の知れないものであり、俺は自分自身に驚愕した。
きっと空腹が行き過ぎて混乱してしまっているのだろう。
俺はまだ傷口を丁寧に舐めているそいつの首元に噛みついた。
柔らかい肉感が歯を伝っても容易に想像できる。
顎の力を少し加えるだけで、こいつは死ぬ。
なんでこんな弱い生き物の為に俺はなけなしの体力をすり減らし、体に傷までつくっているんだ?

「ウインディさん…痛い…です」
自分の首筋をずっと噛まれたままだったので、流石にニンフィアも苦情を訴えている。
俺は顎の力を緩め、ニンフィアから離れた。
首から出血は無かったが、うっすらと歯型が残っている。
「痛いのは、嫌いか?」
言ってから、俺はそんな事を聞いてどうする、と逆に自分に問いかけた。
どうせ食べてしまえば、痛みなどすぐに感じなくなるというのに。
「そうですね、痛いのはあまり好きじゃないです…」
それはごく当たり前の返答だったが、彼女が言うとそれはとても重大なことのように思えて不思議だった。
俺は「そうか」と一言だけ呟いた後再び彼女の首を咥え、自分の背中に乗せた。

「暗くなる前に帰るぞ」
先ほどの妙な感情は既にどこかへ消えてしまっていた。

…なにも、外で食べることないよな。
代わりに、どこか言い訳めいたフレーズが頭の中でぐるぐると渦巻いていた。


4

巣に戻ると、俺は重い身体を引きずって水場まで這って行った。
どうにかして空腹を満たすために、水をガブガブと飲み続ける。
しかし、なんの味もしない水を腹に入れたところで欲望は満たされず、逆に身体はあいつの肉を、骨を、皮を渇望している。

…もうだめだ。
どうやらあいつを助けるために想像以上に力を使いすぎたらしい。
加えて、もう丸二日も何も口にしていなかったので空腹はピークに達していた。

もう、いいだろう。
ニンフィアは出会った頃よりすっかり元気になったし、肉付きも餌としては申し分ないくらいに回復した。
これを食べ頃と言わずして、いつが食べ頃だというのだ。
ぐう、という音が巣の中に響く。
腹の虫も俺の意見に賛同するかのように悲鳴をあげている。
食べよう。
次にあいつが姿を表したら。
まず最初は一番美味しそうな尻の肉から食べよう。
鋭い牙は何の抵抗もなく食い込むだろう。
コリコリと歯ごたえの良さそうな足はしゃぶり続けても飽きないだろう。
顔は…可愛いから食べるのに躊躇するだろうな。
可愛い…?
餌が、可愛いだって?

「ウインディさん」
不意に呼びかけられ、俺は視線だけを声のする方に向けた。
声の主はいつもと変わらず美味しそうにそこに立っていた。
「やっぱりお腹、空いているんじゃありませんか?」
当たり前だろう。
自分の食糧はすべてお前を太らせるためだけに使い、美味しそうな匂いを振りまくお前を側において置くなど狂気の沙汰だ。
「あぁ、腹ペコだ」
俺は誰に言うでもなく、独り言のようにこぼした。

「本当は私のこと、ずっと食べたかったんでしょう?」
その言葉に俺は思わず身体を起こした。
冗談を言っているのかと思ったが、ニンフィアは今まで見たこともないような真剣な表情だった。
「私、あなたになら食べられてもいいですよ」
俺は全身の疲労を忘れ、ニンフィアの目の前まで飛び出していた。
鼻息がかかるほど近く、口からは止まらないヨダレを垂れ流している俺を前にして、ニンフィアは全く動じる気配がない。
「いったい、何を企んでいる?」
俺の食欲は既に理性というパイロットを離れ、勝手に暴走を始めている。
心臓がドクンドクンと脈動している。
こいつを食べろと全神経が命令している。
「幸せでした。知らない土地で誰にも相手にされなかった私を…ここに置いてくれて、優しく接してくれたあなたと一緒に過ごすことができて」
身体中の渇きを満たすものはすぐ目の前にある。
それでも俺の脳は必死にもがいている。
自分が食べられる事を悟って、どうにか嘘をついて俺を騙そうとしているのか?

いや。
一緒に過ごしてきたからわかる。
こいつは嘘をつけるような奴じゃない。

…でも、もう遅い。
俺は前脚でニンフィアをそっと押し倒し、大きく口を開けて首元に噛み付いた。
あの時の味が口の中に広がる。
しかし、今度は以前のような甘みは無く、塩気が強い。

ニンフィアの顔を見ると、頬を涙が伝わっていた。
「泣くな。涙でメシがしょっぱくなるだろう」
ニンフィアは首を小さく横に振った。
「泣いているのは、あなたですよ。あなたの涙が私の頬を伝っているんです」
その言葉に俺ははっとして水面に映った自分の顔を覗き込んだ。
なんだこれは。
なぜ俺は泣いている?
食べられる側ではなく、食べる側の俺が。
「私は悲しくなんかありません。あなたの体の、血の、肉の一部になれるんですから」
ニンフィアは仰向けに倒れたまま抵抗もせず、とても安らいだ顔をしている。
「私のお肉、美味しいといいなぁ」
「もうそれ以上しゃべるな。情が移ると食べられなくなる」
俺は何を言っているんだ?
情が移るだと?
俺にとって餌は餌でしかなく、相手がどんな性格で、どんな家族がいて、どんな顔で笑うかなんていちいち考えたりしない。
だが、俺は今考えてしまっている。
こいつは心根の優しい奴で、俺がついた嘘を信じ、心配してくれるような奴だ。
優しい微笑みで、俺の心の隙間に入り込んでくる奴だ。

あのとき、彼女が俺の巣にやってきた瞬間に食べておけば良かった。
初めて彼女の味を知った時に、そのままひと思いに食べてしまえば良かった。
…いっそ、彼女と出会わなければよかった。

俺は再び彼女の首に牙をかけた。
首筋に血が滲む。
彼女が初めてビクンと身体を仰け反らせた。
小さな胸を上下させ、苦しそうに呼吸している。
その仕草ひとつひとつが愛おしい。
食べるのが勿体ないくらいに。

「私、あなたが大好きです」
ニンフィアの頬を再び涙が流れる。
今度は正真正銘、彼女の涙だ。
この世のどんなものより美しいと思った。
「俺も君が好きだ。ニンフィア」
俺は目を瞑り、ありったけの力を込めて口を閉じた。





































































あれだけ降り積もった雪も今ではすっかり溶け、若い緑が芽を出し始めている。
気温はまだやや肌寒いが、日差しが強いので寒さは感じない。
巣に篭っていたポケモン達も続々と外にでてきて、春の訪れを喜んでいるようだ。
俺はなぜこんなところにいるのかというと、俺でも食べられる木の実があるのではないかと探しに来ているからだ。

「ウインディさん、こっちにありましたよ!」
丘の向こうから小さなニンフィアが木の実を持って走ってくる。
「これはまだ、試してないやつですよね」
「うむ」
俺は彼女からいびつな形をした木の実を受け取った。
いかにも不味そうな緑色をしているその実を、俺は目を瞑って口の中に放り込んだ。
噛んだ瞬間まなんとも言えない苦味が広がり、続けて土のような匂いが鼻を抜ける。
俺はむせるようにしてその実を吐き出した。
「ぐぅ…これも、ひどい味だ」
「大丈夫ですか?とりあえず水を飲みましょう」
俺たちは水辺まで歩いて行き、そこでしばらく休憩をした。
楽しそうに水浴びをしているニンフィアを見ていると、あの日のことを思い出す。

あのとき、俺はニンフィアの首に噛み付いていた。
空腹は既に限界を迎えており、思考は鈍り、食欲だけで脳内は支配されていた。
でも、俺はニンフィアを食べることができなかった。
俺は彼女の首から口を離し、慌てて食物庫へと駆けて行った。
とにかく空腹を満たせればなんでもよかった。
俺は不味い木の実をひたすら腹の中に流し込み、食欲という魔物を払いのけた。
あそこで彼女を食べていたら、俺はどうなっていただろう?
この先も決して味わえないだろうご馳走に腹は満たされただろう。
でも、心は…?

俺が黙っているので、何を考えているのかわかったのだろう。
水浴びを終えた彼女は俺の方へ駆け寄ってきた。
「もしかして、あのとき私を食べておけばよかったって後悔してます?」
ニンフィアが俺の足に抱きついて、意地悪な目で見つめてくる。
美味しそうな香りが俺の神経を刺激する。
「まさか。お前を食べるくらいなら、ラムの実100個食ったほうがマシさ」
俺は彼女の頬に顔を近づけて、味見を…いや、キスをした。




お久しぶりですmacaroniです。生きています。

面白い小説を読んでモチベーションが上がったので、久々に筆を取りました。
小説を書く事自体久しぶりなので、相変わらず語彙が乏しくてすみません。
本当は食べられてしまって終わりっていう結末だったのですが、あんまり悲しくなってしまったので最後の文章を追加しました。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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Last-modified: 2015-01-08 (木) 20:28:06
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