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紅色チュー毒

/紅色チュー毒


紅色チュー毒 

注意:この小説には官能的なシーン、また流血表現を含みます。



水のミドリ




 クロバットのクロミ。初めに聞いたときは偽名かと思った。いくらなんでも安直すぎる。それは人間で例えるならば、生まれた赤ん坊に「オトナ」と名付けるようなものだ。と、まったく場違いなことを考えていた。すべてを誘い込んでしまうような、クロミの小さく怪しげな唇を見つめながら。

 家の裏手から漏れるばさばさという怪しげな物音を聞き、俺は懐中電灯をつかんで玄関を飛び出した。近ごろこのあたりに泥棒が出るらしい。倉庫にしまってある大切な商品を傷つけられたり、ましてや奪われたりするわけにはいかなかった。奴は気配を察したのか、俺が倉庫の前で立ち止まった時にはすでに静まっていて、すぐそこの防波堤に心地よく打ち寄せる波と、夏夜の潮風に下草がさらり、とそよぐ音しか聞こえない。いや、まだ近くにいるはずだ。ざらついた熱気が包み込んできて、手にしたライトをぎゅっと握りなおす。俺が立ち去るのを、息を殺して待っているのだろう。襲われないよう細心の注意を払いながら、慎重に辺りを照らす。
 自分の周囲をぐるりと調べても、犯人の名残さえ見つからない。逃げられたか。きっと、音を荒立てるような手際の悪い奴だから、あの短時間で盗られたということはないだろう。ほっと胸をなでおろす。
 不意に、淡い光によって倉庫全体が照らされた。灯台の光がタイミングよく横切ったのだ。
「きゃっ!?」
 小さな悲鳴が響いたのが、ちょうどその時だった。一瞬だけ照らされた倉庫の壁面に小さな影が映し出された。後ろ足を器用に軒下に引っかけ*1、前羽で胴体を包むように隠しながら、眩しさから逃れようと小さい体を丸めこんでいだ。
 スイッチを切りかけていた懐中電灯を慌てて持ち直す。円形に縁どられた強烈な光の中に、犯人はいた。どう声をかけようか悩んだが、放っておくわけにもいかない。固まって動かないままの犯人の様子をうかがう。
「おい」
「……っ!!」
 声をかけただけで、奴はびくり、と体を震わせた。まるで捕って食われるのではと思っているような、恐怖に浸食された両目が、俺を控えめにとらえていた。
 おびえたその姿は、かえって俺を安心させた。泥棒ではなかったようだ。腕の筋肉がゆるみ、ライトを落としそうになる。そのまま地面に置き、淡い光にほのかに照らされる彼女に向き直った。
「きみ、名前は?」
「……クロミ」
「は……?」
 俺は眉をしかめた。どうやら正直に話してくれる様子ではない。
「名前は…… まあいいよ。で、こんなところで何をしているんだ?」
「……」
「黙ってちゃわからないんだけどなぁ」
 気まずい沈黙。ややあって、クロミは堰を切ったように喋りだした。
「あの、ごめんなさい。もうアレはやってないから、施設はイヤ……」
「?」
「警察のひと、すぐに怒鳴るから……」
「いや、何かを勘違いしているようだけど、俺は警察じゃないぞ」
 クロミの鋭く大きな目がぱちくりと動く。数秒沈黙した後、ずっと水の中に潜っていたかのように、長い息を吐き出した。
「ああ……よかった。もうあんなところこりごりだもの」
「なにしてたんだ」
「いいえ、なんでもないわ。今日はただ、いいお酒のにおいがしたからちょっと貰おうと思っただけ」
「やっぱり泥棒じゃないか、警察行くぞ」
「警察はイヤよ!」
 先ほどまでの警戒した目つきは丸くなって、思春期の女の子特有の、全てを吸い込んでしまう宝石のような瞳に戻っていた。
 安心したのか、それとも元々そういう性質なのか、たまっていたものがあふれ出てくるようにクロミはよく喋った。彼女の唇は、息を吸うたびにまるで何かをねだっているように細かく震え、言葉を吐き出すと怪しく動いた。キスがうまそうだなと思った。
「もうこんな時間だ、すぐにお家に帰りなさい。家族が心配しているだろう」
「こんな時間って、日が沈んだばっかりよ。私は夜行性だもの、今が一番元気になるのよ。家には帰らないわ。それに……」
「それに?」
「お母さん、私のこと好きじゃないから」
「それで、家を飛び出してきたってわけか」
「まあ、そうね」
 後ろめたい気持ちがあるのだろう、目を伏せ小さい口から重たい息を吐いた。吐いた息は影が尾を引いていて、言葉にはならないなにかを物語っていた。きっと、この歳にして俺が触れてはいけないような過去がクロミにはあるのだ。
 かわいそうだが、俺の手に負えそうもない。明日は近所の酒屋の組合に参加しなければならないことになっている。今夜中に必要なデータをまとめておかなければならないのだ。
 だが、考えとは裏腹に、口は勝手に動いていた。
「……泊まるか?」
「いいの?」
 ぱっとクロミの瞳が輝いた。その言葉を待っていたかのように身を翻し、次の瞬間、彼女は薄闇にまぎれて見えなくなっていた。呆気にとられていると、ずしり、と左肩に重みを感じる。振り向けば小悪魔のような口が、そこにはあった。羽音は全くしなかった。まるで消えて現れたかのように、彼女はそこにいた。
「びっくりした? 特技なの」
 あどけなく笑う。その少女らしさの裏に、底知れない深みが透かし見えたが、それより思いのほか顔との距離が近く、反射的に顎を引いた。
 薄い唇の奥に鋭い八重歯が覗いて見えた。それはちょうど灯台の灯を反射して怪しい光を放ち、俺はなぜだかどきり、とした。
「意外と重いな*2
「女の子にそれはないんじゃない?」
「いいから、降りてくれ」
 鉤爪の背で俺の肩を蹴ると、クロミは羽をせわしなく動かして空中にとどまった。本当に物音一つしない。そのまま消え去ってしまいそうな、もしくは実体がないのではないかと思うほど、不思議だった。
「久しぶりにあったかい布団で寝られるわ」
「まず風呂に入ってもらうからな」
 体の構造上全身をくまなく洗うことのできないクロミを手伝うよう、俺はスポンジにボディソープをなじませた。
 何日も洗っていないのか、クロミの体は汚れに汚れていた。短い体毛がすべてあべこべな方向を向いていて、撫でるとごわついた皮膚が後味の悪い感触を残す。全身から土の中で暮らす小動物のような臭いを放っていた。スポンジでいくらこすってやっても茶色い泡が出てくる。湯船に突き入れてやれば、紫が溶け出していっているのではないかというほど、あっという間にお湯が泥水に変わっていった。剥がれていく垢が目に見えるようだった。尖った耳の中にはダニが住み着いていて、引きはがすのに苦労した。
 濡れ鼠もとい濡れコウモリになった彼女は、小汚い悪魔のようにみすぼらしく見えた。
 4枚の飛膜の裏、鋭利な親指の爪、くびれの乏しい体、全身くまなく洗ってやる。羽の付け根が敏感なのか、丁寧に揉んでやると、
「んんっ……」
 クロミは小さく声を漏らした。その喘ぎが歳の割にあまりに艶かしく、俺は思わず顔をしかめた。
 知ってか知らずか、閉じていた片目を開けて、クロミが言う。
「ふふ、女の体を触り慣れているのね。……いいわよ?」
「よくねぇよ、子供に手を出したら本当に警察のお世話になる。だいたいクロミはいくつなんだ」
「16*3になったばかりよ、あなたは? そういえば名前もまだ聞いてなかったわね」
恵一(けいいち)だ。歳は24。おれは明日も朝が早いし、何もしないぞ。だいたい子供には興味がない」
「あら、私の体を見てもそんなことが言えるかしら」
 ドライヤーをかけると、彼女は本来あるべき美しさを取り戻した。ちょっときつめだが大きな瞳にはびっしりと長いまつげが生えそろっていて、伏し目にすると淡い影が落ちる。光の届かない深い海のような紅紫の肌が、バスルームの光を浴びて艶めいている。そこに推し進められたヨットのような白く鋭い八重歯。肌が人間のように白ければ、血管が浮き出そうなほどか細い前羽と後羽。それらはすらりと長くしなやかで、全身を綺麗にまとまって見せた。神様が美しくこしらえた人形のようだった。
 汚れを洗い落とした姿は、若干16歳とは思えないほどに成熟していた。もう一度誘惑されていれば、どうなっていたかはわからない。
「何が飲みたい」
「ワインがいいわ」
 即答した。さっき未成年だと言ったばかりなのに、まるで何がいけないの、というふうに俺を覗きこんでくる。
「……仕方ないな、いいやつがある。ワインはちょうど昨日仕入れたんだ。ほら、そこの棚に置いてある」
「やった」
 俺が栓抜きを探していると、すぽん、と小気味いい音が響いた。振り向くと、クロミがすでにワインのコルクを開けている。鋭利な鉤爪をコルクにつき刺し、引き抜いたようだった。
「おいおい、俺にもくれよ」
「ええもちろん。ワインは好きだし、それを出してくれるあなたも好きだから」
 グラスを取り出す俺の動きが一瞬だけ止まった。その「好き」はまるで「おはよう」のようにごく自然と彼女の口から発せられて、俺の意識を甘く覚醒させたようだった。
 不思議なものだが、クロミとはつい昨日も一緒に挨拶を交わし、食事し、歯を磨いていたような気さえする。それこそ長年付き合っている恋人のように、だ。心地よい馴れ馴れしさが、彼女にはあった。
「部屋はあっちのを自由に使ってくれ。なんなら一晩だけでなく、好きな時に泊まりに来ていいぞ」
「ほんと!? 何だか、あなたとはうまくやっていけそうな気がするわ。大好き」
「ああ、俺もだよ」
 それは、自然と口から零れ落ちた。クロミもそれが毎晩の挨拶であるといったふうに、羽を俺の肩に回して、軽い口づけをする。優しく判を捺されたかのような柔らかい衝突。唇を離すときに弾力ある振動が増幅され、俺の頬を揺らしていった。名残を惜しむようにほのかにボディソープの香りが漂う。
 数秒間、息が止まっていたかのように思う。その唇から意識が吸い取られたのではと思うような心地だった。軽くあてがっただけでこれだ。口と口とを合わせたら、いったいどうなってしまうのだろう。
「それじゃ、おやすみなさい、恵一さん」
「あ、ああ。俺は寝るよ。昼は隣の酒屋で店番しているから、何かあったらすぐに飛んで来てくれ」
「ええ」
「……寝込みを襲ったりするなよ?」
「もちろんよ、あなたには捕まってほしくないもの、それとも期待してた?」
「何でもない、おやすみ」
「あと1年もすれば、私も成人するわ。そのときに……ね」
 それもそうだな、と思った。なにも罪を犯してまで体を重ねる必要はない、クロミの魅力はその唇にある。あの柔らかさを頬に受けられるなら、それで満足だった。
 残滓を探すように、手は無意識にさっきキスされた部分をさする。
「代わりに、毎日寝る前にキスをしてくれ。今みたいなのでいい。それなら問題ないだろう」
「ええ、もちろん」
 小さな口の両端がふんわりと上がった。
 こうして俺とクロミは出会った日に同棲を始めた。

「朝飯、いやクロミにとっては晩飯か……? まあいい、せっかく作ったのに食べなかったのか」
 次の日、俺が店から戻ったところで、ようやくクロミはベッドから這い出してきた。差し出した濡れタオルでぐしぐしと顔を拭うと、まだろれつの回っていない口調で言った。
「うん、何だか食欲が出なかったのよ」
「なら今は腹が減っているはずだな、食べに行こう。何がいい」
「フランス料理がいいわ」
「よしきた」
 手の付けられていない皿を流しに片付けながら、俺は行きつけのレストランに予約を入れた。幸い席は確保でき、それは店の一番奥の、2人だけの雰囲気を楽しめる場所。輝くように白いテーブルクロスの前に小洒落た格調の椅子と、ぶら下がれるよう高めに据えられた止まり木が並べられる。ゆったりと流れるクラシックに、からりと響くグラスの音。落ち着いた間接照明が、まったりとした雰囲気を醸し出している。
「こんなところで食事ができるなんて、信じられない……」
「いいよ、遠慮しないで食べてくれ。どんどん料理が出てくるから」
 ストローでワインを飲む*4クロミの眼は、昨日より一層輝いて見えた。麗しい紅紫の肌は、ブティックに並べられるシルクを織り込んだ高級なコートのようだ。昨日まで薄汚れた姿で暗く寒い街をさまよっていたなんて、誰が見ても想像がつかないだろう。耳に結び付けてやった派手すぎないリボンのアクセントが効いている。
「どうした、まだ食欲がないのか?」
 俺がスープの最後のひとすくいを片付けたとき、クロミはまだオードブルさえに手を付けていなかった。そのわりに酒をよく飲む。もうワインを3杯も飲み干してしまっていた。
「私はワインでできているのよ。ほら、こんなに葡萄色じゃない。私の色にあっていないものは食べられないの。だってくすんじゃうから」
「ふむ、そうなのか。じゃあそれは俺が食おう。そのかわり、メインディッシュは食べてくれよ。ここのサーロインは最高なんだ。ひと口食べれば、そんなことは言ってられなくなるぞ?」
「あら、それは楽しみね。あ、替えのお酒、貰えるかしら」
 それからクロミは何も食べずに、二人前のオードブルとサラダ、スープ、魚料理は俺1人で片付けることになった。満腹になった俺の目の前に、こってりとした肉の塊が並べられる。クロミはというと、似たような赤ワインを、銘柄を変えて7杯も空にしていた。
「お願いだ、これだけは食べてくれ。はち切れそうだ」
「肉料理こそあなたが食べなければならないのよ。女の子はそんなもの口にしないんだから」
「今ほどこの店の肉を恨めしく思ったことはないよ」
 食べやすく切り分けられた肉の塊のひとつに、深々とフォークを突き立てた。クスクスと口を隠して笑うクロミが、やけに子供らしく見えた。
 結局、俺が一人で二人分のフルコースを平らげることになった。後にも先にも、これほど腹を膨らませて家に帰ることはないだろう。
 その小さな体のどこに注がれたんだというほど、クロミはワインを飲んだ。本当に皮膚が染色されてしまっているのではないかと思うくらい、彼女の赤紫の肌は闇に輝いて見える。その割にまったく酔っていないようだった。起きた時と変わらない調子で、4枚の羽を音もなく動かしている。
「あんなに高級な料理、生まれて初めて」
「高級なワイン、だろう」
「そうね」
「俺はもう寝るが、あまり夜遊びをするんじゃないぞ。」
「わかってるわ。でも、クロバットは速く、静かに、そして長い距離を飛ぶことが生きがいなのよ。それをやめろって言われても、無理な話だわ」
「それならいいんだ。ただ、ほかの男に惚れるなんてことは、やめてくれよ」
「……それくらいわきまえているわよ」
 一瞬だけクロミの眼に影が落ちた。が、それが何を意味するか考える前に、襲いくる眠気に飲み込まれて、飛び立つ彼女の後姿を見送りながら、俺は夢に落ちていた。



 不思議なことに、それからもクロミは一切食べ物を摂らなかった。どれだけ高級なレストランに連れて行っても、出される料理にはまったく手を付けない。ワインか、それがなければ炭酸の入っていないお酒を気まぐれに飲むだけだ。それも、2人分の料理に脂汗を流しながら格闘する俺を見世物にしながら、だ。
「いったい何なら食べてくれるんだい?」
「本当に私は食べなくても大丈夫なのよ。それより、もっとおいしいお酒が飲みたいのだけれど」
「そうだな、倉庫に20年物のやつがある。クロミが生まれる前だぞ」
「すごいわね」
 その次の日から、俺はいつもの4倍の量の酒を発注するようになった。酒蔵に貯蔵してあったものは、クロミに明け渡したあと3日でおよそ半分になっていたのだ。
 夜になると音もなくどこかへ飛び去ることも、食べ物をいっさい口にしないことも、代わりに大量のワインを飲むことも、魅力的な唇の奥に八重歯が怪しく輝くことも、何もかもが不思議に思える。霧のように実態がつかめない。けれどその分クロミは魅力的に見えた。
 特に口許だ。彼女が笑うたび、まだ薄く張りがあるが肉厚の唇が震える。言葉を紡げば、まるで金魚が下腹をひらめかせながら深い池を泳いでいるようだ。甘く吐く息には神経を痺れさせる毒が含まれているのではないだろうか。
 なかでも口づけは格別だった。直接触れるから、というのもあるが、なにしろ刺激的すぎる。寝る前にしてはあまりにも興奮を催すのだ。だが、手を出してはいけない。手を出してしまえば、クロミとの幸せな生活は瞬時に崩壊してしまうだろう。
 日に日に、彼女の唇が俺の唇に近いところへと当てられるようになった。それは明らかな誘惑で、クロミの我慢の限界でもあった。微かに震える息を間近で聞くとき、俺の心臓は早鐘を打つ。
「……っ」
 一度、クロミは掠れた喘ぎ声とともに舌を這わせてきたことがあった。それは唇とは全く異なる質感で、まるで真紅の厚ぼったいナメクジが表面をなぞるような、そんな感覚。触れていたのは、ほんの一瞬のことだったと思う。が、俺の肌にはその軟体動物の這いずり回った感触がありありと残っていて、溶かされたかのように熱い。
「……おい、どうしたんだ今日は」
「……わかるでしょ?」
「……お休み」
 一線を超えてしまうことだけは無いように、平静を装ってベッドに潜りこむ。きっ、と口を結んだクロミは、やはり闇に溶け込むように窓から飛び立っていった。

 変化は突然訪れた。彼女を拾った次の週の週末の、午前3時を回ったころだった。
 物音でふと目が覚めると、なにやらクロミの部屋が騒がしい。どたん、ばたんとベッドが軋む音、もしくはネズミを追い回しているような床に体を打ち付ける音。それらを挟むようにして聞こえてくる、くぐもったうめき声。尋常でないことは確かめる前から明らかだった。
「どうした、クロミ? 開けるぞ……?」
「恵一ッ!!」
 ドアを開くとほぼ同時に、クロミが俺の腕の中に飛び込んできた。本調子ならブレイブバードほどの勢いは出ていたと思う。そのまま押し倒されるところを、何とか踏みとどまった。
 クロミの様子がおかしい。4枚の羽をがむしゃらに動かし、必死の思いでどうにか飛んでいた。左の後羽は力が入らないようで、だらりと垂れさがったまま細かく痙攣している。普段の彼女からは想像もつかないような、取り乱した姿。俺の胸に紅く上気した顔をうずめ、何かを求めるように視線を絡みつかせる。両目は泣き腫らしたかのように赤くはれ上がり。焦点があっていない。激しい運動をした後のように呼吸は乱れ、口の端からは一筋の涎が垂れていたが、本人は気づいていないようだった。
「どうしたクロミ、酔っているのか、珍しいな」
「ううん、違うの。酔ってるんじゃないの。ただ……」
「どうしたん――」
 長い前羽を俺の頭に回し、力をこめたかと思うと突然のキス。下唇をなぞるように、彼女の温かい舌が滑る。甘くしびれるような刺激。ほのかな果実酒の香りと、嗅いだことのない強烈なお香の残り香。
 若さを感じさせない、大人びた誘い方だった。
「やっぱり酔っているんじゃ――」
「あのね、恵一、私もう、我慢できないの。我慢しているんだけど、あなたのことを想うと体が疼いて、どうしても抑えられないの。だから……」
「……」
「だから、私を抱いて、抱いてください……!! あなたがいいの、あなたのが飲みたいの!!」
「本気だな?」
「うんッ!!」
 右手でクロミを抱えたまま、彼女の部屋の扉を後ろ手に閉めた。光が遮られ、部屋の中はすでに真っ暗だ。閉まる直前、リビングから漏れる光で部屋のありさまが垣間見えた。案の定ひどく荒れていた。ワインのボトルが数本転がっていて、中身が飛び出ているものもある。サイドテーブルには飲みかけのグラス。窓は開け放たれていて、レースのカーテンがひらり、と風に舞っていた。月は出ていない。
 クロミはキスがうまかった。4枚の羽をすべて俺の体に巻き付けて、赤ん坊のように唇を(ねぶ)っていた。鋭い切り歯や八重歯を丁寧によけて、薄い唇で思い切り吸い付ける。俺の舌はあっけなく捕らえられ、クロミの小さな口の中に(いざな)われた。洗い出すかのように彼女のざらついた舌がまとわりつき、巻き取られる。唾液を飲み干され、胃の消化液まで、いや、魂まで吸い上げられているかのようだった。やはりこういう経験は1度や2度ではないのだろう。しかし、その割に目をぐっと(つむ)っているその必死さが、クロミの少女らしさを再確認させて、俺はふと冷静に押し戻された。
「おい、やっぱり酔っているだけなんじゃ――」
「いいから、恵一も飲みましょうよ、ね?」
 飲みかけのグラスを押し付けてくる。仕方なく他のグラスに新しく注ぎ、彼女が右の羽で包むように持ったグラスにぶつけた。カチン、と乾いた音が響く。
「乾杯」
「待って」
「どうした?」
「グラスを交換しましょうよ。その方がいいわ」
「なんでだ」
「いいから」
 せかすように羽をせわしなく煽ぐ。クロミの意図がわからずに困惑していると、その隙に彼女はさっとグラスをすり替えていた。
「ごめんなさい、続き、しましょ?」
「ああ、わかった」
 けれど、そんな些細なことはどうでもよかった。グミのように紅く張りつめたクロミの唇が、ワイングラスに押しあてられ、ふっくらとその形を変える。流し込まれた液体は、その一部が逆流して口の端から飛沫をあげ、産毛のような体毛のあいだを縫って落ちる。
 その口の奥がどうしようもなく愛おしく、なにか切なげに揺動しているのを、俺は見逃さなかった。
 くすぶっていた炎に油が垂らされたかのようだった。体の内側からもどかしさが溢れ返る。もっと近く。肌と肌でクロミを感じていたい。ぽっかりと空いたその口を俺の想いで満たしてやりたい。
 一気に飲み干したグラスを乱雑に置き、クロミを腹の下に敷いてベッドに倒れ込む。
「あっ」
 まだ中身の残っていたグラスにクロミの牙が当たり、かちり、と固い音が響いた。グラスはそのまま鉤爪から離れ、宙を舞ってシーツの上に落ち、枕元に葡萄色の染みをまき散らした。
 グラスはフローリングに落ち、高い音を響かせて割れた。
「おい、何入れた?」
「え?」
「グラスの中に、何を入れたんだ?」
「……」
 後味にざらついた舌触りが残る。クロミがワインに何かを溶かし込んでいたことは明らかだった。体の熱が一気に引く。こめかみから変な汗が噴き出してくる。
 しまった、と思った。
 ベッドに押し付けられ、恐怖に少し歪んだクロミの顔がそこにはあった。覗きこむと、さっと目をそらす。少女らしさがさらに引き立てられ、より一層焦燥した。
「黙ってちゃわからないんだけど……うっ」
「……どう?」
 瞬間、視界がひっくり返った。目の端がいびつに歪んで、魚眼レンズを覗きこんでいるかのようだ。込み上げてくる酩酊感、嘔吐感、波に揺られているような感覚。遅れてやってくる遠い音楽のようなまったりとした心地よさ。
「クロミ、おいッ……!!」
 先ほどまでのしゅんとしていた表情はどこかに消え去り、悪戯っぽく笑うクロミの顔がそこにはあった。可愛らしい八重歯が覗く。やはり少女らしかった。
 後羽で器用に寝巻の上から俺の内股をさする。その曖昧な刺激でさえ、俺の理性を押しやってしまいそうなほど強烈に感じられる。
「体はどこかおかしくなっていない?」
「いい加減にしろッ!!」
 身を縛っていたズボンを脱ぎ捨てる。クロミに対するつかみどころのない違和感と苛立ち。無理やりに押し寄せてくるじわじわとした快感。もうほとんど頭は働いていない。解き放たれた下半身がごちゃごちゃした感情をすべて代弁するかのように、紅紫に鬱血した切っ先を荒々しく突きつけていた。

 混乱状態とはまさに今のことを指すのだろう、とおぼろげな意識の中で考えていた。
 オーガズムに似た全身を突き抜ける快感の震え。思わず身をよじってしまいたくなるような心地よさ。息をするだけで肺の中をくすぐられているような愉悦。
 両腕で前羽を押さえつけ、肉棒でクロミの丸みを帯びた下半身をなぞる。その(やわ)い刺激だけで、新品のペンキを嗅いでしまった時のような陶然とした痺れが、体の隅々まで行き渡る。
 刺激が足りない。もっと欲しい、荒れ狂うような刺激が。
「クロミ、おい……」
「ふふ、もうこんなにしてるのね。あのクスリ、初めてでもうまく効いたみたいね。よかったわ。……大きくて美味しそう。まるで熟れた葡萄みたい」
 このまま無理やり捻じ込んでしまおうか。ちょっとくらいなら乱暴をしても、間違いなくクロミは男を知っている、痛くもないだろう。と、先端に湿っぽい刺激を覚える。クロミが腹を折り曲げ、肉棒を口で愛撫していた。
「粘液がもう出て来たわ。相当我慢していたのね、ごめんなさい。私に飲ませてくれる?」
 クロミは、やはりキスがうまかった。男の悦ぶポイントを熟知していた。前歯を亀頭の先端に浅く沈み込ませ固定する。小さな三角形の口からはみ出した艶めかしい軟体動物が、肉棒の筋繊維に沿って体を引きずり、先端の洞からあふれ出る樹液を舐めとっている。なにかの消化酵素を分泌しているのか、這ったところは溶かされたようにひりひりする。唾液にしては驚くほどに粘っこかった。酸っぱいクロミをえずかせるように、天を突く俺の肉棒。反射的に筋肉が悦び、激しく肥大する。舌の這わせられない範囲は、翼の皮膜でなぞる。張り付くようなそれは肉棒を引っ張り、ぬめるような舌触りの中に新しい感覚が沸き起こる。
 やはり思ったとおりだった。キスがあれだけ気持ちよかったのだ、肉棒がその責め苦にあえば、それとは比べものにはならないほどの刺激が襲ってくるのは当然だった。一瞬で射精感が高まる。
「はぁ、はぁっ……!! クロミ、飲み込んでくれッ……!!」
「もう出そうなの? いいわよ、思いっきり出して」
 炭火で焼かれたウィンナーのように、表面に血管の亀裂が走る。海綿組織に血液がくまなく充填され紅紫に膨れ上がった亀頭は、針を刺せば血の噴水を吹き出しそうなほどだ。
 その小さな口からこぼれないよう、俺はクロミの唇を指で押し広げ、その奥底に肉棒を突き込んだ。マグマのような粘っこ熱い刺激。舌の根本が鈴口をなぞり、きゅ、と全身が快感に震えた。出る。待ち望んでいた最上級の快楽が来る。全力で迎え入れるように、目をぎゅっと瞑る。
「おぅっ……!!」
「んっ……」
 突然、肉棒が冷気にさらされた。クロミが羽でそれを弾いたのだ。温室から外された肉棒は、手から離れたホースのように、一息に精液をまき散らした。
 今まで受けたどのフェラとも比べるのがおこがましい。天にも昇る気持ち、とはまさにこのことだろう。大量に吐精したにもかかわらず、それ相応の脱力感がない。快感の波が底をつくことなく、ずっと高いままだ。台風のようだ。
 全身に精液を被ったクロミ。楕円型の体だけでは収まらず、羽の内側や股のあいだを濡らす。紫と白のコントラストが、薄光の中で一段と強調されて見えた。
「ああ、はぁ。どうして飲んでくれなかったんだ」
「体に掛かった方が、恵一が興奮してくれるかなって」
「……可愛いな、クロミは」
「次はこっちの口で全部飲んであげるから……ね?」
 もうすでにクロミが俺に何かを盛ったことなんて忘れてしまっていた。視線を落とせば、ぬらぬらと怪しく光る下の口が、クロミの両羽の先端で広げられていた。先ほど噴出したばかりの精液が粘つきながら流れ、こってりと脂の乗った厚ぼったい陰唇の中に吸い込まれていった。代わりにその内側からは、魔法の壺のように延々と蜜が流れ出している。
「ほら、私のここ、恵一のが欲しくてこんなになってるの。だからさ、早くッ!」
 それは少女のものなんかじゃない、多くの男を銜え込んできた女の証だった。
 さらに肥大した肉棒を、今度は狙いを外さないように銃口を膣に押し付ける。両羽のつけ根をしっかりとつかんだまま、俺は一思いに突き込んだ。
「んがっ……!!」
「んあああぁっ……!!」
 上の口よりさらに熱く、粘っこく、窮屈な口が、俺の欲望をすっぽりと迎え入れた。内側から内臓と肉が押し上げられて下腹がうっすらと盛り上がる。快感なんてそんな言葉では収まらない、まるであるべきものが元に戻ったような、そんな完璧な充足感。
 それは初めてクロミとつながったとは思えないほど、体と体が馴染みあっていた。まるで粘膜の見えない細毛どうしがお互いにじゃれあっているような愉悦。本能で吸い付いてくるそこは、引き離そうとしてもがっちりかみ合ったように離れない。無尽蔵の快感が俺に襲いかかる。
「気持ちいいよッ……!! やっぱり恵一のはぴったりなのねッ……!!」
「クロミ……!? 強くやってるが痛くないか?」
「ううん、もっと、もっとしてぇ……!!」
 だが、それ以上にクロミの体は底が知れなかった。どれほど強く抱きしめても、闇を相手にしているように実感がつかめない。強く突き込んでも、俺に合わせるようにぐにぐにと形を変える。吸い付ける紅い唇は、肉厚の触手を絡めて俺を飲み込んでしまうように蠢いていた。
「恵一ッ!! もっと来て、もっと突いてッ!! バカになっちゃうくらいにッ!!」
「出すぞ、俺のを飲みたいんだろ、今度はちゃんと飲めよッ!!」
「――ッ!!」
「うぐっ……!!」
 あらんかぎりの力で、子宮を突き潰す。腹の上からでもその形がありありとわかるほど、肉棒が膨れ上がっている。
「あ、出てる、ああっ、熱い……!! 恵一ぃ……だ、大好きだよ……」
 それは弾けるような最後だった。限界にまで張りつめた肉棒が、一気に爆発する。クロミの小さな穴の中を満たしきり、行き場を失った精液は、肉棒を引き抜くと同時にあふれ返った。羽を下敷きにしないように、そのままクロミの横に倒れ込む。
 いつもの数十倍は気持ちいい。病みつきになってしまいそうだ。
 そのあとにやってきた倦怠感に飲み込まれ、俺は深い眠りに襲われた。それは、たとえるならば「死」というものが一番近いような、底の知れない眠りだった。
 ただ、眠っていたのは、それでもごく短い間だけだったようだ。
 首筋に冷たい刃物をあてがわれているような感覚に目が覚めた。薄目を開けると、視界は一面の紅紫に覆われていて、一瞬のあとにそれはクロミだとわかった。
「……クロミ、何やってんだ?」
「あら、もう起きたの」
 クロミが体を起こした。乱れていた時の狂ったような色はその顔に見られなかった。きょとんとしたクロミが、少女のような顔で覗いている。
 ただ、いつもとはひとつだけ違うところがあった。
 その口許が、体色よりもずっと鮮やかな紅で汚れていた。優しく笑う牙が、さらさらとした紅の液体にデコレーションされて艶々と輝いて見える。
 血だ。クロミが俺の血を吸っているのだ。
 文字通り、さっと血の気が引くのがわかった。体温が急激に低下する感覚。首筋から流れ出る血液の感覚がありありと感じられて、咄嗟に手でさすった。見たこともない量の血液が掌に張り付いて、俺は思わず声を上げていた。
「うわあッ!!」
「大丈夫、落ち着いて。死ぬことはないわ」
「これが落ち着いてられるか!! クロミ、何するんだ!?」
「動かないで、すぐに止めるから」
 傷にクロミの唇があてがわれたかと思うと、思い切り吸われた。それはキスやセックスをした時のように強烈で、全てを吸い取られてしまうような心地がした。甘い刺激に全身が身震いする。まったく新しい感覚だった。これを覚えてしまえば、普通の情交などでは満足しなくなってしまうような。
「はい、もう大丈夫」
「……説明してくれるんだろうな」
「……もう、全部話すしかないわね。でも、ちょっと疲れちゃったから、明日でいい?」
「ああ、お休み」
「ごちそうさま」
 方羽で唾液と血液を拭うクロミを横目に、俺はもう一度目を閉じた。



「ごめんなさい。本当に、もうしませんから……」
 死んだように眠って、太陽が真上に来る頃になってようやく目を覚ました。店が定休日なのが幸いだった。いや、そこを狙ってクロミはしでかしたのかもしれない。
「変な薬なんて、いつからやってたんだ」
「もう、1年と半年くらい……」
「家出してからすぐってことか? 親はそれを知らないんだな?」
「お母さんには秘密にして、お願い! ……そうなの、やめよう、やめようと思っているんだけど、やめられなくて。持っている分が無くなると知り合いから貰ってて……」
「そいつと毎回寝ていたんだな」
「……ごめんなさい。ただでは貰えないのよ」
「……」
「でも、それだけじゃないの!」
「なんだ」
「ほら、昨日、覚えているでしょう?」
「俺の血を吸ったことか」
「そう」
 クロミは視線を落とした。肩を落としてすっかりしょげてしまった彼女の肌は、窓から入ってくる太陽に照らされて、その表面を覆う体毛の細微なむらまで見て取れるようだった。
 そういえば、と思う。明るいところでクロミの姿を見るのはこれが初めてな気がした。
「あれには驚いた。何だったんだ。ああいうことが好きなのか」
「好きとかじゃないの。血を吸わないと、私は生きていけないのよ」
「どういうことだ」
「私、生まれた時から体が弱くて。固形物は一切食べられないのよ。吐いちゃうの。少しでも胃の中に入ると、気持ち悪くなっちゃって体が拒絶反応を起こすの。スープとか……精液もダメ。食べるために牙を使ったことは一度もないわ。でも、栄養がないと生きていけない。それで、生き物の生き血を啜っているの。血液には生きるために必要な栄養がすべて詰まっているのよ? ズバットの種族には、ごくたまにそういうものが生まれてきてしまうんですって」
「にわかに信じられないな」
「信じるも何も、私がそうなのだから仕方ないでしょう」
「じゃあ、いつもワインを飲んでいたのは――」
「ワインは血と似ているから落ち着くのよ」
 横に転がっていたボトルに直接口をつけて、クロミは中身を一気に飲み干した。ふう、と一息ついて話の続きを切り出す。
「でも、昨日は違ったわ。夜あなたが寝たのを確認してあいつのところに行った。……血を分けてもらうためにね。あいつの血液を吸っていて、ふと思ったの。なんで私はこんな好きでもない男とセックスして、大好きな恵一とはまだ一度もしていないんだろうって。だっておかしいじゃない? そう思ったら気持ち悪くなっちゃって、終わったらすぐに逃げて来たわ。それで、あなたに抱かれるしかないって」
「そうか、じゃあもうその男のところには行かないんだな?」
「ええ、もちろんよ」
「薬の止めるんだな?」
「それはできないの。あのクスリには栄養の吸収を促す効果もあるのよ。他のものではダメ。血から養分を吸収するには、そのクスリでないといけないんですって。副作用が強いからあまり飲みたくはないんだけれど…… あなたも体験してわかったでしょう? 体がすごく敏感になるのよ」
「でも、なくても栄養は得られるんだろう?」
「できるけれど、足りないのよ、血が」
「昨日吸った分じゃ満足していないのか?」
「あれじゃ全然足りないのよ。クスリがあるのとないのとでは全然違うの。10分の1もないと思うわ。貧血でふらふらしちゃう。一日の半分も飛び続けることができないわ。それは、私たちクロバットにとって死んでいるも同じことよ」
「だから、毎晩男と寝て血を貰っていたってわけか」
「そうなの」
「そんなことはもうやめにしてくれ。クロミが俺の知らない男に抱かれていると思うと、それこそ貧血で倒れそうだ」
「でも、あなた一人から貰うことなんてできないわ。死んじゃうもの」
「構わないさ」
「……」
「クロミがほかの誰かに盗られるくらいなら、死んだ方がましだ」
「貧血で死ぬときって、実はとっても苦しいらしいわ。体を血液といっしょに激痛が駆け巡って、穴から血を垂れ流して、喉をかきむしって――」
「それよりも、お前を失いたくはない」
「……わかった。そんなことが起こらないよう、がんばってみる」
「そうしてくれ」
「愛してるわ、恵一」
「俺もだよ」

 次の日から、俺は大量に肉を食うようになった。造血作用のあるレバーを中心に、赤く血の滴っているものをできるだけ生で食した。希少金属を補うためほうれん草も多く摂る。
 ワインは決して飲まないようにした。鉄分の吸収を妨げる効果があるからだ。代わりに牛乳を大量に摂取する。赤血球を溶かすニンニクには、アレルギーがあるのかと思われるほど敏感になっていた。
 すべてはクロミのため、クロミに栄養を分け与えるためだった。
 一日に二度、つまり俺が寝る前とクロミが寝る前、俺とクロミは愛を確かめるようにセックスした。あの夜彼女につけられた傷を見せると、嬉しいような、申し訳ないような表情でクロミが飛びついてくる。クロミとのセックスはいつもキスから始まり、キスで終わる。特に最後のキスは、脳髄を蕩かされているかのように気持ちいい。最高だった。俺の血が、体の一部が、そのままクロミの養分になる。まるで胎盤で子供を育てる母親のようだと思った。
 やはり血液が濃いとその分美味しくなるようで、クロミは喜んでいた。一方、毎日大量のタンパク質を摂取しているにもかかわらず、むしろ俺の体はみるみるみすぼらしくなっていった。
 クロミも遠慮しているようで、回数を重ねるうちに吸い取られる量は明らかに減ってきていた。初めて食らった時の蕩けるような刺激がないのだ。肉体的にも、精神的にも物足りない。
 そんな日が半月ほど続いた。そして、一番恐れていたことが起こった。



 開いている窓から忍び込んだそこはキッチンだった。ダイニングテーブルの上は嵐が通った後のように荒れていた。散乱するナイフとフォーク。噛みちぎられたソーセージが、薄い光に照らされて生々しく転がっている。どっさりと盛られた海藻のサラダボウルの横では、厚く切られたハムに血が滴っている。
 嗅ぎ慣れているはずの血の匂いに、俺は思わず口を押えた。吐き気が込み上げてくる。他人のそれだと認識するだけで、とてつもない嫌悪感に(さいな)まれた。光が漏れてくる奥の部屋には間違いなくクロミがいる。しかしそこを開いてしまえば、何もかもを失ってしまいそうで、ほんのすこし躊躇(ためら)われた。
 が、それよりも。それよりもクロミが俺に向いていないという事実が、俺を焦燥させた。
 ノブに手をかける。闇夜のように冷たく重いそれを、勢いよく開ける。
 蛍光灯が、不衛生な部屋をさめざめと照らし出した。
 ベッドの上に全身が乱れているクロミが横たわっていた。そのすぐ隣には何も身に着けていない若い男。どちらも目の玉が零れ落ちるのではないかと思うほど見開き、こちらを向いて硬直している。数秒後、男は思い出したかのようにシーツを手繰り寄せ、体を隠した。
「おい」
「……」
「どういうことだ」
「違うの」
「なにが違うっていうんだ」
「彼とは、古くからの友達で…… 薬を分けてくれるの」
「それはやめろと言ったはずだ。他の男から血を貰うのも許していない。まさか同じベッドで寝ていて、何もなかった、なんて言わせないからな」
 いやに白っぽい男の、裸になっている首元に深い切り傷があるのを、俺は見逃さなかった。
「だって……」
「本当に俺のことを想っているなら、こんなことはしないはずだろう。約束したじゃないか、俺は本気だぞ」
「……」
「あの……」
 薄汚れたシーツを胸まで引き上げた男が口を開いた。四肢はやせ細り力を加えれば簡単に折れそうで、茶色に染めた棘々しい短髪は灰を被ったように煤けている。色を失った顔はまるで上質な紙のようにつるり、と白かった。震える体を小動物のように小さくしている。初めにクロミと会った時も彼女はこんな感じだったな、と思った。
 年齢は俺よりも若いようだが、やつれて見えた。どうしてクロミはこんな男のところに通い続けているのか。頭では理解はしていたつもりだが、現実を突きつけられると胸を締め付けられるようだった。浅い呼吸が何度も繰り返される。全身を多量の血液が駆け回り、かえって頭だけが冷静に働いているようだ。
「水を貰っていいかな。あ、牛乳がいいか……」



 乱暴に玄関を押し開く。かかとを踏んで靴を脱ぎ捨てると、戸惑った表情で後から扉をすり抜けてきたクロミの前羽を掴む。そのままぎゅっ、と引っ張る。後ろでドアが閉まり、小さなつむじ風が起きて、消えた。荒々しい呼吸だけが暗い廊下にまで反響する。
「ちょっと、痛い……」
 4枚の羽をばたつかせるクロミを無視して、寝室のドアを蹴飛ばす。掛け布団を払いのけ、染みのないシーツにクロミを押し倒す。彼女に覆いかぶさったまま、片手でズボンのベルトを外す。クロミは何も身に着けていないのに、がさばる布を纏っている俺自身がもどかしい。
 がちゃがちゃと荒立つ音。一層困惑した表情を浮かべて、クロミが遠慮がちに言う。さっきまで暴れていたのが嘘のように、ベッドに4枚の羽を投げ出している。
「待って、まだ準備が……」
「嘘をいうな。さっきまであんなに乱れていたじゃないか」
「違う、あなたのよ……」
 パンツにかけていた手の動きが止まる。ああ、クロミは全部わかっているのか。そのうえで、最後の確認。もとから他人をよく見ている女だと思ったが、気遣いも上手だ。俺はどこか安心した。
 こぼれた肉棒が、ぴんと彼女に銃口を向けた。
「大丈夫だ、最後まで行くぞ」
「……」
 確かめるように鋭い視線でじっと俺の目を見つめる。そう思ったのも一瞬だけで、頷くようにクロミはそっと目を伏せた。大きく丸い瞳の上目遣いが俺をとらえる。誘っているのは明らかだった。
 熟れた葡萄のように艶めく紫一色の肌に、さらに熟れきった秘裂が鮮やかに映る。俺だけじゃない。過去に数十、いや数百の男を受け入れて来たであろうそこは、すぐに訪れる快楽を待ち受けるように、涎を垂らしてひとりでに喘いでいた。いや、ここは、クロミは俺のものだ。俺だけが最高のうるおいを与えることができる。
「いいわ、来て。思いっきり」
 先端をあてがうと、そのまま一気に押し込んだ。
「んあうっ……!!」
「……っ」
 幾度となく男を受け入れてきたクロミの秘所は、苦しいそぶりを一切見せることなく俺の肉棒を飲み込んだ。すっかり馴染んだそこは、毎夜ひとつになっていることを示すように、しっかりペニスと一体になっていた。乱暴に腰をふるう。クロミを俺で染めるように。ほかの男の精を掻き出すように。
「ああっ、ちょっと、恵一、激しッ……!!」
「クロミ、クロミぃ……!!」
 クロミの一番奥を責め立てる。数分と立たないうちに限界が来たらしい。俺は迷うことなく、彼女を押し潰して果てた。
「うお、お、お、クロミ、た、頼む……」
「……っ、うん……」
 腹を引き彼女と口づけをかわす。最後から2番目のキス。俺の唾液でクロミの八重歯が生々しく光る。腹に射精されながら、彼女は前羽を俺の肩に回し、張りつめて血管が浮き彫りになった首筋に唇を這わせた。
 しっとりとしたクロミの息遣い。瞬間、俺の喉を鋭い糸切り歯が深く引き裂いた。癒着しかけの皮膚と皮膚との切れ目を鮮やかに一閃した。
 一瞬だけ鮮血が跳んだ。あとはクロミの口に押さえられる。張りつめた風船に穴があけられたように、俺から液体が流れ出して行く。上からも下からも。上気した鼻息が俺の背中に掛かる。
「んっ……!! 美味しい、本当に……!!」
「うっ、ふぅーッ!! ふぅーッ!! ふぅーッ!!」
 急速に減少する体内酸素。長時間熱い風呂に浸かっていた時のように視界がじれついてくる。意識が焼き切れて、しかし最後にクロミに俺のすべてを刻み込もうと全身に力がこもる。腰と肩に回した腕で強く抱きしめる。しぼみ始めた肉棒が、あらんかぎりの力で再度慟哭(どうこく)する。自然と口許がにやけた。クロミを抱いた男どもがいくら射精しようとも、その口から「美味しい」と言わしめたことがあっただろうか。苦しい。呼吸器が無茶苦茶に作動し、全身を血液が駆け巡る。
「……ごちそうさま」
 クロミの八重歯から透明な液体が一滴、俺の頸動脈に流れ込んできた。






思いのたけをどうぞ。

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*1 ポケットモンスターサファイアの図鑑説明では『うしろあしの ハネで えだに つかまり やすむ』とある。胴体の下についている1対のトゲトゲしい突起ではない。
*2 クロバットの図鑑での重さは75.0kgある。クロミは女の子でまだ若いからそこまで重くはない。
*3 成人年齢を18としたときの相対年齢。クロバットは平均寿命が人間のそれよりも短いため1年に数度歳を取る。
*4 逆さに吊られているのでそのままだと飲みにくい。これはマナーに反していないとされる。

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Last-modified: 2015-01-02 (金) 23:59:50
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