ポケモン小説wiki
粗品

/粗品

思い付きで描かれている、短編小説ほどの分量がない作品たち。
上手く纏まらなかった小説もどきたち。
基本、根暗。面白みは皆無なものたち。
でも、捨ててしまうのも勿体無いから投稿されているものたち。
一部、異様な表現・不快な表現・卑猥な表現、などが含まれている可能性があります
それでもよろしければ、ご笑見くださいませ


道化のための 


 まだ闇の帳は明けない。陽という奇跡はまだ空を駆け昇らない。天気はさほど良くない。かといって悪くもない。晴天なのか、曇天なのかはっきりとしない。そもそも、晴れていようが、いまいが、森の奥深くには光も満足に届かない。陰気臭い木々が空を覆い、足元は湿った枯れ草で満たされている。枯れ草には虫が這いずり回る。そんな中で一匹のミミロップが眠っていた。枯れ草が保護色となって、彼女の存在を上手くかき消している。
 
 ミミロップはゆっくりと目を覚ます。顔の表情は疲れきっていて、覇気がない。薄紅色の瞳には艶がない。身体が湿り気を帯びている。体毛の手入れもされていないのだろう、あちこちに毛玉が出来ていた。まるでボロ雑巾のようだった。
 この時間に目覚めるのが彼女の日課だった。この時間から何か特別なことをする、というとはない。やることはないが、この時間になると自然に目が覚めるのだ。彼女は木々の隙間から見える僅かな空をぼんやりと眺め、鳴り止まない腹の虫の扱いに困っていた。ともかく何か食料を得たいのだが、そんな体力はない。かといって、空腹というのも耐え難い。
 ――食べるものならあるではないか、すぐ側に。
 そう思ったのがつい数日前。その事実に気付いてからは、落ち葉を食べることにしている。たまに這いずる虫も一緒に食べることもある。土を食べたりもする。それで、多少は空腹も癒える。空腹が癒えたからといって、体力が回復するわけではないから、結局その場所から動けないままである。
 食事を食べ終わると、もうなにもすることがない。寒さと、乾いた咳が彼女を襲う。こんな生活をしていたら仕方ない、と彼女も内心諦めている。このまま自分は死んでいくのだろう、と覚悟もしている。
 彼女は、不思議と死ぬのが怖いとは思えなかった。幼い頃に聞いた“天国”という場所が本当にあるのか、確かめてみたかったのだ。天国なんかあるわけないのに。そんな子供じみたことを信じようとしている自分自身が、馬鹿けていると思ったこともあった。でも、信じてみたいとも思っている。
 だから彼女は死ぬことを渇望している。安楽に死ぬことを。

 同時に生きることにも渇望を抱いている。出来るだけ長く生きていたいと。
 相反する二つの気持ちが常に彼女の中でせめぎ合う。それが大きな苦痛となって胸の中を抉った。
 だが、それももうすぐ終わる。彼女の意識は朦朧としていた。身体の彼方此方が激しく痛んでいる。
 幕切れがすぐ側まで迫っていた。


   *   * 

 不気味な音が聞こえた。
 錆付いた蝶番が軋む不愉快な音。けれど、今のミミロップにはそれが待ち遠しかった。久しぶりの感覚に胸は激しく高鳴った。
 ゆっくりと、足音を立てまいと、誰かが歩いているのが解かった。足音を立てないことよりも、蝶番を何とかしたほうが良いのに、と彼女は思った。
 
 自然と頬が緩んでしまう。
 びっくりしてくれるだろうか、褒めてくれるだろうか、そういった類の妄想が僅かな時間の間に浮かんでは消えた。
 無礼な侵入者のために引いてる布団。その隣の布団から彼女はゆっくりと起き上がる。
「おはようございます」
 それが彼女の第一声だった。 
「こんな時間までどうしたの。早く眠らないと」
「いいじゃないですか、たまには。ご主人を待っていたかったんです」
「そっか。ありがとう」
 そういうと、どういう訳だか彼女もその主人も微笑んでしまう。
 主人は朝早くから、夜遅くまでの仕事。そのせいでずっと、すれ違いの生活を過ごしていた。

「待って貰っておいて、言える立場ではないかも知れないけど、とりあえず横になって良いかな?」
 小さくうなずき、主人を布団に誘う。
 いつも、隣で寝ているはずなのに不思議な緊張感に支配されていた。
「実はね、久しぶりにお話がしたくって。隣に行ってもいいですか」
「君がいいなら別に構わないよ」
 それを聞いて、彼女は嬉しそうに主人の布団へ入り込む。

「ところで、お話って、何を話したいの」
「特にないけれど、何でも」
「なんでもって、困るよね」

 主人は笑う。それにつられて彼女も笑った。
 その後は沈黙。
 話したいことが特にないなんて、大嘘だった。実は話したいことはすでに決まっている。けれど、それを露骨に言うと主人を傷つけてしまう。そんな気がしていた。
 あまりにも酷な話、のような気がした。だから、素直に切り出していいのか不安だった。これ以上主人を困らせるつもりは、毛頭ないのだから。
 かといって、このまま黙っているという訳にもいかない。
 やっぱり寝ますという訳にもいかない。
 彼女はこのことについて、主人から答えを貰わなければ成らない。そうしなければ、形質を保てなかった。
 もう限界だった。
 
「私のこと、愛してます?」
「愛してるよ」
「なんで、即答できるんですか?」
「なんでだろう。でも、そういうのが愛だと思うよ」
 
 嘘だと思った。主人は嘘をついていると思った。根拠はない。直感という奴だ。ミミロップの直感があてになることなんてあまりない。彼女自身だって自分の直感をあてにしていない。けれど、なぜかこれだけは自信を持っていた。
 ご主人は自分のことを愛していない、と。
 
 ミミロップは主人の手を確りと握る。
「なら、こういうことをしても、怒ったりしませんか?」
「君は嫌じゃないのか?」
「嫌なことなんて、ないですよ。ご主人はどんなことがあっても、私のご主人のままです」
 反応はなかった。返事もなかった。それが彼女にはつらかった。
 彼女は主人の背中に、そっと自分の身体を重ねる。

「私は、嫌かも知れない。君と一緒に居たくないかも知れない。心のどこかで少しだけそう思ってるかも知れない」
「じゃあ、さっきの愛してるっていうのは、嘘だったんですか?」
「そんなことないさ。愛してるから、一緒に居たくないんだ」
 彼女は言葉を失った。理解できなかった。なぜ愛しているのに一緒に居たくないんだろう、そればかりが頭の中をぐるぐると駆け巡った。愛しているのなら、ずっと一緒に居たいものじゃないか。愛しているのなら、身体を触れ合わせたくなるものではないか。
 主人への不満が渦を巻いて、心の奥から今にも飛び出さんばかりに湧き上がってきた。
 
 主人は急に咳き込む。
 乾いた咳き。
 風邪の引き始めのような、軽い咳。

「私、ご主人には怒られるかも知れないですけれど、何もかも壊してしまいたい気持ちになるんです」
「そんなこと言わないで」
「箸も湯のみも食器も、家も私もご主人も何もかも」
 ミミロップは、それを言ってはいけないと思った。ご主人は病気で苦しんでいるのだから、これ以上心配させるようなことを言ってはいけないと思った。これ以上主人を苦しめてはいけない。そうなんども心の中で唱えた。
 けれども、最後の一言を言ってしまいたい気持ちも抱いていた。

 少し位なら傷つけてもいいじゃないか。
 ずっと私だって我慢してきたんだ。
 相手にされないことも。
 すれ違いも。
 距離を置かれることだって。
 主人のわがままだって、自暴自棄にだって。
 ずっと我慢してきたんだ。
 そうだ、これくらい言わせて貰わないと、私の心が壊れてしまう。
 いや、もうすでに壊れている。壊れているから、言いたいのかも知れない。
 うなずいて貰いたい。別に悪いことじゃない、きっとご主人も解かってくれる。
 いい、と言ってくれる。そうに違いない。
 
 それは、甘い誘惑だった。

「ご主人が、私を愛してくれているのなら、一緒に心中しませんか」

   *   *


 目が覚めると枯れ草で出来たベッドの上に寝転がっていた。雨が降ってきたらしい。ただでさえ湿っている体毛は、水気を含んで重くのしかかっている。その重みが不思議と心地よく感じた。木の葉の上に雨粒が落ちると、まるで楽器のような綺麗な音を響かせていた。
 人は死ぬ時に走馬灯を見るというけれど、ポケモンでも見るんだなぁ。
 朦朧とする意識の中でそんなことを考えた。まさか走馬灯が、こんな思い出なんて。もっと違うことを思い出せばよかったのに。そうすればもっと幸せな気分のままで旅立てたのに。けれど、これはこれでいい思い出なのかも知れない。
 あの時は幼かったな、と振り返る。
 愛しているのなら、絶対に側にいなければいけない、と思ってた。
 愛しているのなら、一緒に死ねると思ってた。
 けれど、実際は違った。
 ご主人が死んだ後、私は後を追うことが出来なかった。
 けれど、ずっとご主人を想い続けることが出来た。忘れずにいられた。
 多分、今ならご主人の言う“愛”の意味が解かる気がする。
 
 激しい睡魔が襲う。
 つよいまどろみが思考を奪い去っていく。
 もう、そろそろ諦めてもいいかな。
 私、頑張ったよ。
 一生懸命、生きたよ。
 約束守ったよ。
 ご主人。

 だから今度はご主人が守る番だから
 あと少しだけ待っててください。
 私もすぐに其方へ向かいますから。
 
 事切れる瞬間、遠くから主人の優しい声が聞こえた気がした。
 end
おそらく説明不足なので、補足。
主人というのは結核に罹っているという設定。乾いた咳っていうのが出てくるのはこの為
結核は同じ空気を吸うことによって感染します。
ストレプトマイシンというお薬が発見されるまで、結核は不治の病として恐れられていました。

牧歌的な 



 新緑の香りが草原に立ち込める。西の空が色付き始めた頃、貴方の墓は山の陰に隠れていく。盛り上がっただけの貴方の墓の上には、若草が芽吹く。貴方が夕日を眺めていたこの場所は、あまりお墓には適していなかったよう。草原は山風に煽られて不穏な音を掻き立てている。

 ゆっくりと時間をかけて堕ちていく陽の動き。それをあざ笑うかのように猛烈な速さで駆け抜ける風と、雲。丈の短い草ばかりが揃う草原では、強い風が表面を滑り、なびく草が不快な音を生み出している。
 
 貴方は、この景色を愛していたのでしょう。

 いつもこの場所で夕日を眺めていた。夜の帳が閉まると貴方は『生きることの意味』について問うた。答えることなんてできない、と貴方は思っていたのですか。それとも、私がハピナスだから、慰めてもらおうと思っていたのでしょうか。今さら分かっても何の意味もないですけどね。
 
 貴方は生きるということに、希望を見出そうとしていたのでしょうか。だから、愛に幻想を抱いていたのでしょうか。それとも自暴自棄になってしまって、生きることに嫌気が差したから愛なんかにすがろうとしたのでしょうか。私を手繰り寄せたのは、愛だったのでしょうか。それとも欲だったのでしょうか。

 少なくとも貴方は、私に問うべきではなかった。私は、貴方にとっては優しいポケモンなんかじゃなかった。私は、貴方の望まない答えばかり持ち合わせていた。愛なんていうものは説けなかった。生きることの素晴らしさなんて、そんな世迷言は口にできなかった。
 
 無というものを説いたから、貴方は死というものを選んだのでしょうか。それとも、無というものを追求する過程で死んでしまったのでしょうか。どちらにしても、貴方はとことん馬鹿ですよ。

 無という概念は有という概念と対を成し、無即ち有、有即ち無となる。
 つまり、自分が感じている事、悩み、悪心などは、意識しないことによって無となり、意識することで有になる。
 目に見えるもの、鼻で感じるもの、耳から聞こえるもの、舌で感じるものなども、すべてはこの理論で成り立っている。
 
 結局、自分たちの感じれる範囲で生きればいいということなのに。
 自分たちの生きたいように生きればいいだけの話なのに。
 迷いの世界に居る者は、迷うことしかできないというのに。
 貴方は、なぜ性急に答えを求めたのでしょうか。
 生きることがつらいのなら、なぜ告白してくれなかったのでしょう。
 悩みがあったのなら、なぜ相談してくれなかったのでしょう。
 ずっと一人で抱え込んで、沈黙を貫き通して、貴方は何を想い、何を考えたのでしょうか。
 なぜ貴方は、私を残して先を急いでしまったのでしょうか。
  
 食べ物を得ることもなく、水も飲まず。それが貴方にとってどれだけの苦痛だったのか、想像に難くはありません。ゴンベは体重と同じだけの食料を得るというのですから。苦しさも一入だったでしょう。
 
 けれど、貴方は残されたものの苦しみを考えましたか?
 きっと考えてなかったのでしょうね。 
   
 冷え切った貴方の吐息は、草原の上をぬるりと滑った。貴方が眺めていた太陽は姿を消し、空を悪魔に変えた。蒼穹は鈍色に犯され、淀んだ翠色を孕みはじめた。混濁された光の帯に照らされた雲は、妖艶の笑みを浮かべている。貴方が好んだ景色がゆっくりと消えていく。
 今日は朔日。月さえも沈黙を貫く日。ただ広いだけのこの土地には小さな星屑が唯一の光源となる。星屑には灯りとしての役割を果たすだけの力はない。今夜、世界は漆黒に包まれた。
 夜の闇が辺りを包み込むと、貴方との境界線が溶けて崩れていく。私と貴方はひとつになる。けれど、私は貴方を追いかけることが出来ない。
 
 私の中で貴方は生きている。
 なにも言わず、身動きもとらず。
 ゆっくりとこの世に生まれる時を待ちわびている。
 だから、私は貴方を育てようと思う。
 もう二度と、貴方が間違った道を進まないように。
 
 そのことを貴方に伝えても、貴方はずっと黙している。

 end

学校にて。
末期癌で余命三ヶ月の宣告を受けた患者Aが、あなたに話しかけてきた
「こんな苦しい思いをして、痛い思いをして、私は生きている意味がありますか。もう、死にたい」
あなたは、Aさんにどのようなコミニュケーションを図りますか、という問いが出されたときに閃いた。
28×1氏の作品と似通った所はありますが、主題が少し異なっているので、うpしてみました。

あんたがほしい 


 部屋を見渡してみる。目に留まったのは散りばめられた彼女の趣味。
 例えば勉強机の上に置かれたポケモンのぬいぐるみ。ツジャータ、ミジュマル、ポカプ……。
 以前暮らしていた場所にはごく当たり前に居たポケモン達。それがこのカントーという場所には一切出てこない。トレーナーとして、彼女は寂しさのようなものを感じていたのだろうか。見慣れぬポケモン達ばかりいる不安を払拭しようとこのぬいぐるみを置いていたのだろうか。そう思うと少しばかり胸が痛んだ。
 壁に画鋲で留められているポスターはまた別の地方で伝説とされている三頭のポケモン。海を連想させるような深い青色をしたポケモン。滾る炎を連想させる紅蓮色をしたポケモン。大きくて力強い龍のような姿をした緑色をしたポケモン。最近彼女のお気に入りはこの三頭のようで、いつもポスターを眺めていた。少なくと、私はイッシュに居るとされる伝説の二頭の方が好みなのだが、その点は彼女と趣味が会わないらしい。
 本棚を見ても参考書など、どこにも見つけることが出来ない。あるのはポケモンの写真集や雑誌ばかり。ポケモン研究で偉業を修めた博士の『ポケモン講座』という本も置いてあった。彼女は、いわゆるポケモン大好き人間なのだ。
 
 彼女は私のことを好いていてくれた。私も彼女のことを好いていた。それはもう恋愛と大差なかったように思う。だから、将来の約束も交わすことが出来たのだと思う。結局それは台無しになってしまうかも知れないのだけれども、約束は変質することはない。
 
 私は大きく息を吸い込み、その後呼吸を止める。彼女が纏っていた空気を吸い込まぬように、冷静さを失わないように。なによりも涙を流してしまわぬように。悲しみは捨てると決めたのだ。
 
 
 ――もういかなければ……。
  
 私は部屋を後にした。今、この家には誰も居ない。私だけがこの家の中に入る。周りに音は一切なく、廊下を歩くたびに古びた床が甲高い悲鳴のような声を上げた。家のなかは暗闇である。窓さえもない廊下は、漆黒に包まれた空間だった。
 とはいえ、毎日のように歩いている場所でもある。光が無くても感覚だけで先へ進むことができた。廊下の先には階段があり、玄関の方へと続いている。玄関の小窓から零れる薄い月明かりが周りの景色を懸命に描写していた。その明かりは頼りなく、階段までは届かなかった。
 私は暗がりの階段を降りた。玄関には大きくて古めかしい時計が置いてあった。それが日付の境を告げる。地響きのように鈍く大きな音が静寂の中で響き渡る。身体がほんの一瞬それに反応する。背中は大きく揺れ動き、心臓の鼓動は一気に激しさを増し、冷静を装っていながらも平常心を忘れている。その証拠に、鏡に映った私は、異形の姿をしている。人間はでない醜い獣の姿。月明かりに照らされて、身体が狼に変身したかのように、全身が黒色系の体毛で覆われている。唇から溢れ出した牙は闇の中で光るナイフのよう。トルコ石のような柔らかい青をした瞳は、その容姿に似つかわしくない。長く伸びた真っ赤な髪は、後ろで縛られている。ほんの僅か一瞬、私は人間でなくなっていた。

 次の瞬間には元の姿に戻っていた。
 鏡の中では白いワンピースを着た、ポニーテールの少女が微笑んでいた。

「いってきまーす」
 私は告げる。
 無意味に。
 大きな古びた時計に。
 日焼けした壁に。
 あるいは彼女の部屋に。

 ドアを開くと海風がどっと流れ込んできた。僅かに熱を篭めている風は妙に湿り気を帯びている。勢いがある。ワンピースがひらひらと靡くと身体中に潮の匂いが付着する。髪の毛はまるで流れる清水のように宙を踊っていた。振り返ると玄関に置かれた鏡の中の少女は、残酷さを湛えて微笑んでいた。


   *   *


 歩いているうちにいつの間にか海辺までやってきた。賑やだった繁華街を抜け出し、街の明かりはだんだんと滲み、周りは静まり返る。目前に広がるクチバの波止場は人の気配すらない。空気の中に潮騒が溢れている。小さな星々は街の明かりに薄められてはいるが、月だけは霞のような雲に覆われながらも細々と輝いていた。海の匂いが強くなる。普段なら荒れ狂うかのような強風が吹き込む場所でもあるのだが今宵は凪である。時折吹く突風は普段の調子と何も変わらないはずなのだが、どこか弱々しさを感じる。靡く髪の毛が私の肩を撫でた。

 あとすこしで、復讐を果たすことが出来る。
 ここで待っていれば、奴は来る。 
 彼女を辱め、その一生を狂わせた男を殺すことが出来る。
 自分が殺した女が、自分を殺しにくる恐怖を味あわせてやる。

 殺した後は、行方をくらませればいい。別の人間の姿に変わればいい。人でなくても構わない。ポケモンでも良い。 
 他のポケモンたちには不可能でも、私ならできる。私は“ばけぎつねポケモン”ゾロアーク。
 これくらいの事は造作もない。



 こんな事は、きっと考えてはいけないのだろう。心や思考の奥底に閉じ込め、二度と触れないようにするべきだろう。全ての出来事を無かった事に、全ての記憶を闇に葬り去り、それを踏みつけて生きていくのが本当なのだろう。しかし、そんなことは出来るはずがない。幾ら努力してみても、彼女の事を忘れることなんて出来なかった。彼女の存在を無かったことには出来なかった。彼女を無碍に扱うことは出来なかった。
 
 私の目には未だに焼きついている。彼女の像が。
 悲痛な顔をしてうな垂れている彼女の姿が。
 顔に付けられた真っ青な痣が。
 振りかけられた白濁液が。
 痛々しい血の色が。
 彼女の涙が。
 全て。
 残像として。
 胸に残る傷として。
 やり場のない怒りとして。
 虚しさを想起させる記憶として。
 自分の存在を揺るがす出来事として。
 絶望と破壊衝動、復讐心と強い殺意として。

 嘘なのだろう。私の存在は偽りの、夢のような存在なのだろう。夢なんて総じて狂っている。誰かを殺そうと考えている時点で狂っている。私は狂っているに違いない。だが、それはどこからが狂いなのか。愛する人を殺されたら、報復したくなるではないか。
 狂っているとして何がいけないのか。彼女を奪ったのは、彼女を犯したその人なのだ。彼女の身体を。精神を。貪り、穢し、破壊したの本人なのだ。確かに人を殺すことは良くないのだろう。では私はどうすればいい。この思いをどこにぶつければいい。愛した人の一生を踏みにじられたのだ。殺されたのだ。彼女の悲しみは、無念は、痛みは、どうして晴らされることが許されないのか。なぜ弱い立場の意思は一方的に切り捨てられ、力をもった者たちは高慢にも彼らを踏みつけていくのか。それは許されることなのか。それは人間らしい行動なのだろうか。
 仮にそれが人間らしいというのなら。

 今宵、私は人間に成れるだろう。

   *   *

 クチバの港は朱色に染まる。私の身体も同じような色に染まった。海風が吹き付けると全身が冷えた。粘り気を孕んだ液体は、私の体温を温存はしてくれない。黒髪はもう風と共に踊らない。踊るだけの軽やかさを失ってしまった。口の中には粘液質の唾液が満ちている。胃液も混じっているのか、僅かに酸味を感じた。それを吐き出すだけの気力がない。想いを成し遂げたというのに、達成感のような感情は一切、湧いてこなかった。
 地べたには座る場所がなかった。座ることは容易だったが、座る気にはなれなかった。辺りには真っ赤な水溜りがあった。
 
 その中心にあるのは、男の死体である。男の死体と言っても、それはおおよそ人の形を成していない。あまりにも歪な形をしている。
 腹部が異様に膨らんでいた。首には大きな切り傷がある。
 足の指は全て切り落とされ、男の目の前に置かれている。手の指は、全て不自然な方向を向いている。手指だけではない。腕や足の関節は、動かないであろう向きに折れ曲がっている。 
 耳や鼻は削ぎ落とされて、口に詰め込まれている。眼球には亀裂が入り、機能を失っている。

 男の死体を見ると、脱力感に襲われた。
 これからどうしようと考え、私は服を脱ぐ。

 これを捨てて、逃げよう。
 まったく別の人間に成りすまして、逃げよう。
 知らない人ばかりの土地に逃げよう。何も持たずに、身体ひとつで逃げよう。そこで、何事もなかったかのように生きよう。
 私は血に染まった服を握り締めると、海へと投げようと振り被る。
 
 ――いや、駄目だ!
  
 これは、ご主人の形見だ。
 私は、朱に染まった服を、強く抱きしめた。

 end


最後がグダグダなのは治らない。

 



 夜は奇跡を起こさない。夜はそこにあるだけで、何もしてはくれない。救いをもたらすことはない。ドーブルも知っていることだ。
 ドーブルはベッドに横たわる。天井に取り付けられた鏡が、彼女の痴情をありありと映している。湿った身体。乱れた体毛。腰の曲線。荒い呼吸。紅潮した顔。愛液で濡れた膣。口の周りについた体液。それらは男の劣情をかき乱す。部屋は雌雄の匂いに満ちて、淡い桃色の明かりに照らされる。その桃色の明かりだけでも淫靡な雰囲気だというのに、隣から聞こえてくる嬌声が、妖しい雰囲気をも醸し出していた。しかし、その淫らな時間は儚い夢。金銭によって形作られる泡沫のもの。
 だからこそ、ドーブルは献身的に奉仕しなければならない。限られた時間の中で性欲を満たさなければならない。さもなくば、ドーブルはその日の飯にもあり付けない。
 ドーブルの上に乗っかった男は無言である。男はドーブルよりも大柄である。ドーブルが人間ならば、小学2年生程度の身長である。まさに、大人と子供。父と娘。人間ならば物理的に性交渉は、無理だろう。けれど、ポケモンとなれば話は違う。ポケモンは人間よりも丈夫だ。人間よりも、成長も早い。仮に行為中にポケモンが死んでしまっても、罰せられることはない。仮に怪我をさせても訴えられることなどない。意思を無視して犯すことだって出来る。ポケモンは、慰め者として最高だった。慰め者には言葉を掛ける必要はない。生生しい肉欲を突き付けるだけで良い。
 男はドーブルを愛撫することはない。そもそも、ドーブルの膣は、潤滑油によって濡れている。愛撫する必要はないのだ。男はいきり立った欲望を、ドーブルの中に押し付けた。まだ締まりの良い膣は、無理やり引き裂かれるように陰茎を受け入れる。男が腰を振り、陰茎がドーブルの中を出入りすると、潤滑油は卑猥な水音を立てた。ドーブルの身体は激しく揺れる。股を開き、陰核を嬲られ、膣に進入され、子宮口を突かれる。
 本来。生殖器というのは、刺激を受けると気持ちよくなるように作られているはずなのだが、ドーブルは快楽を覚えることも、愛を覚えることもなかった。
 
 男性というのは視覚・聴覚的なものに興奮する、ということをドーブルは知っている。ゆえにドーブルはささやかな演技をする、と決めている。限られた時間の中で男性を満足させるには、官能的な表情をするよりも、表情を隠したほうが効率的だった。喘ぎ声を漏らした方が効率的だった。息を荒げたほうが能率的だった。
 早く行為を終えてしまうほうが、ドーブルにとっては楽だった。
 ドーブルは人間の男に抱かれたいとは思ってない。人間が大嫌いだ。その嫌いな人間に自分の身体を征服されていると思うと、不快な気分が湧き出てくる。男が気持ち悪いというのもある。醜い豚のように息を荒げ、汚れた棒を突き刺している男という生き物に、吐き気すら覚えた。ドーブルは、自分の思いを誰かに伝えることが出来なかった。伝える相手すら居なかった。だから、余計に男に対する嫌悪は募っていく一方だった。
 
 男の抽出運動が一段と早くなる。絶頂が近いのか、それともドーブルをもっとよがらせようとしてるのか。どちらにしても、ドーブルにとっては不快だった。時間が経つと潤滑油が乾いてきて、痛むのだ。そもそも、潤滑油で濡れているとはいっても、解れていない膣に陰茎が浸入してくるのは痛いものだ。未だ愛液を零さない子宮は、突かれるたびに悲鳴をあげている。 
 ドーブルが苦痛の声を溢すと、男は更に乱暴に腰を振った。きっと、快楽に溺れているのだ、と勘違いしているに違いない。打ち付ける勢いが増すものだから、ドーブルの生殖器は余計に痛みを覚えた。
 
 男の息が荒々しさを増していく。ベッドは、大きく乱暴な軋みを立てた。水音はもう消えうせた。その変わりに肉と肉が激しく衝突する音が、部屋いっぱいに広がっていた。
 ドーブルは顔を隠すのも忘れて、肩で呼吸をする。苦痛で声が裏返る。覆っていた手を男の首に回すと、紅潮した顔が晒された。ぶらぶらと揺られるだけだった足と尻尾を男の腰に回す。ドーブルは夢のような、現実から切り抜かれたような違和感、自分が自分でない別の何かのような感じを覚えた。

 次の瞬間にはそれも開放された。男は小さな悲鳴を上げると、ドーブルの中に精液を放った。
 ドーブルは手足に入れていた力を解放する。だらしなく、両手両足をベッドへ投げ出し、激しい息を落ち着かせようとすることなく、顔を横にそらし、男の顔を見ないようにした。心臓は未だに激しく動いていた。
 
 ――終わった。
 ドーブルの心の中に安堵が広がる。
 陰茎が抜かれると、仔を成すことの出来ない精液は、子宮口を汚し、膣壁を汚し、陰唇を汚した。もちろん、男の陰茎にも精液は付着している。
 
 男は陰茎に付着した精液をドーブルの身体で拭う。
 汚れていない部位の体毛を使い、泡だった精液と潤滑油の混ざった液体を拭うと、大きなため息をついて、ドーブルの顔を覗く。しかし、男もドーブルも会話を交わすことはない。
 ドーブルにとっては自分を汚しに来る相手。
 男にとってはただ性欲を処理するだけの道具。
 ドーブルは知っている、会話なんて必要はいのだと。
  
 その後、両者は触れ合うこともなかった。
 ドーブルはベッドの上で微動だにしない。
 男はシャワー室で汗や体液の汚れを流すと、数分後には部屋を出て行った。

 男が出て行った後、ドーブルもシャワーを浴びようと起き上がったとき、部屋のドアが急に開いた。ドアを開けたのは一匹のオオタチ。雄である。雄と関係を持ちたいという客、雌雄の絡みを見たいという客の要望に答えるために、この売春施設には雌だけではなく、雄も居るのだ。
「お疲れ、今日はもうおしまいだから、シャワー浴びたら俺の部屋に来い。今日も楽しませてくれよ。無表情のお前が快楽に狂ってる姿、思い出すだけで興奮するんだ」
 オオタチはいやらしい笑みを浮かべると、部屋のドアを閉めた。 
 後には静寂だけが残る。
 ドーブルは無言のまま、シャワーを浴びた。 
 
 雄は雌を愛することなく抱けるという。それはドーブルだって同じ事。愛がなくても、抱かれることは出来る。抱くという行為は、生き物の基本的な本能のようなものだ。そこに愛なんて必要はない。必要なものは、雄と雌だけである。だから、ドーブルは平気だ。自分が弄ばれても、辱めを受けても、嬲られても、それは雌としての運命なのだ。自分だけが汚らわしいというわけではない。
 ドーブルは内頬をかみ締めた。
 口の中に血の味が広がる。
 血の味は、自分がここに生きているという実感をくれた。
 自分が道具ではないということを証明してくれた。
 
 ドーブルは、心地よい温度のシャワーを浴びながら、嗚咽を交えて泣き崩れた。

 end


最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • 某氏を彷彿させるような綺麗な地の文の表現がとても素敵でした。

    十人十色の愛の形は、その場ではわかりあえないものなんでしょうね。
    これからも頑張ってください。
    ―― 2011-05-12 (木) 08:08:38
  • どこぞの文芸作品みたいな
    ドキドキが感じられました(>_<)素晴らしい
    ―― 2011-05-13 (金) 23:18:03
  • >>12日の名無しさん
    元々、文字で表現することは苦手なので、そうやって言っていただけると嬉しいです。

    >>13日の名無しさん
    こんなのを文芸なんて言ったら駄目ですよ。本職の人に怒られてしまいます。
    でも、ドキドキしてもらえれたのなら、幸いです。

    コメントありがとうございました。
    ――柘榴石 2011-05-19 (木) 09:07:30
  • 一つ一つの作品に、何とも形容しがたい不安感が感じられました。
    あなたの作品大好きです。
    ―― 2012-03-17 (土) 18:15:12
お名前:

トップページ   編集 凍結 差分 バックアップ ファイル添付 複製 名前変更 再読み込み   新規作成 ページ一覧 ページ検索 最近更新されたページ   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2011-06-11 (土) 00:00:00
This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.