※官能表現があります。無理ってかたはバックバック。
くちゅり……ちゅぷ……ちゅく……。
こんな音を私は何度聞いたんだろう。
昨日の夜も、一昨日の夜も。ううん。もうずっと何日も前から。
飢えた雄の荒い息が顔に掛かる。
口の中をケアしていないのか、嫌な臭いが鼻を刺激した。
その臭いに顔をしかめても、目の前で一生懸命腰を振って快楽を得ようとするヘルガーは意にも介さない。
「んあっ……あっ……はぁむっ……!」
それどころか、喘ぐ私の口にするりとざらついた舌を滑り込ませて唇を奪ってきた。
私の口内を余すことなくヘルガーの長く湿った舌が踊る。
口の中で必死に自分の舌を逃がしても、執拗に絡められてくる舌、舌、舌……。
唾液がこちらに流し込められる感覚にすっかりと慣れた私の喉は、こくりと小さな音を立てて、飽和した唾液を飲み込んでいく。
やがて満足したようにとろけた笑みを浮かべて、ヘルガーは私の口をやっと開放した。
でもそれで終わりなんかじゃない。
「あああっ……んぅっ……ふぁあっ……!」
今まで口弄りに分散していた意識が、再び下半身に戻ってくるとヘルガーは腰を振る速さをだんだんと上げていく。
じゅくっ……じゅくっ……ぐちゅっ。
速まる度に大きく、気味が悪くなっていく水音。ふっ、ふっ、とヘルガーの荒い息づかいに合わせるように、私の喘ぎ声が重なる。
私が一番嫌いなコンチェルトだった。頭の中に響く不協和音。全身を揺さぶるような甘すぎる刺激。それら全てが混ざり合わさると行為は終わりへと近付いていく。
「んうっ……ああああああっ!」
刺激に耐え切れなくなったら、後はより一層大きな声を上げて、お腹の中に白濁としたものをを流し込まれる感覚と共に、頭が真っ白になるのを待つだけ。
後始末は支配人がやる。そして私はまた小奇麗な箱の中で目を覚ます。
これが……私に課せられた仕事だった……。
―― 私の大切でかけがえのないもの ――
目の前に広がるのは茶色い床。ところどころについてる泥の足跡。モップを前足で動かしながらも、時折休んではため息をつく。
すると厨房の中からこちらを伺っていた母さんから怒号が飛んでくるのは、慣れたことだった。
いつものようにふさふさの毛並みを震わせて怒鳴る一人のウインディ。それが僕の母さんだ。
「ヴァル! ほら仕事サボんじゃないよ!」
「分かってるってば!」
相変わらず母さんの声は大きい。お陰で店内にいる人にじろじろ見られることになった。
試しに睨み返してはみるものの、母さんは厨房の仕事に向かうためにそそくさと奥へと入っていってしまう。
僕は何をしているかって? 見てのとおり床掃除。しかもお客さんが沢山いる中で、だよ。
いくら今日寝坊をして朝の店内掃除が出来なかったからって。何もこんな時にやらせなくたって。
悪態をついていても床は綺麗にはなってくれないし、ちゃっちゃとこの床掃除を終わらせて外で昼寝と洒落込みたい……。
「坊主は相変わらず大変そうだなぁ、ははは」
前足で必死にモップを動かしているところに、体格の良いポケモンがそう話しかけてくる。両手に出来上がった料理を抱えながら、そのゴーリキーは笑っていた。
「そう思うんだったら手伝ってよ、デイロン」
「ははは。悪いな坊主、見てのとおり俺は接客で手一杯だ」
デイロンはわざとらしく肩をすくめると、やがて客の下へと料理を運んでいってしまう。
もちろん僕だってデイロンが今手伝える状況じゃないことくらい分かってた。でもお客さんがいるなかで床を這いずり回るなんて何だか嫌だ。
それもこれも僕が寝坊したからっていうのは分かってる。その仕打ちがお客さんがピークの時の床掃除だなんて。
ため息をついても終わらないものは終わらない。こちらを見てヒソヒソと笑っているお客たちを尻目に、床をモップで綺麗にしていく他なかった。
不意に、目の前が橙色に染め上げられる。
太陽の微かな温もりに目をゆっくりと開けると、そこは見慣れた箱の中だった。
何の変哲も無い、普通の部屋。でも目を凝らせば見えてくる普通とは違うもの。
陽射しが満遍なく部屋を照らすことの出来る大きな窓には、頑丈な鉄格子が掛けられていて。
この部屋の唯一のドアは、こちら側からは開けることが出来ないようにノブがない。しかも引き戸。どうやってもグレイシアの私には開けることが出来ない。
「ん……」
悲鳴を上げている腰をゆっくりと持ち上げると、ベッドから滑るようにして落ちた。
……今は何時だろう。
「12時……」
壁に掛けてある時計を見て、誰にも言うでもなくそう呟いてみた。
どうやら長く寝てたみたい。昨日は私と体格差のあるヘルガーが相手だったから、疲れたのかもしれない。
四肢を床に張って伸びをすると、窓のほうに向かう。窓から見えるのは、何の変哲も無い森の姿。その上にある太陽が登ってから沈んでいくのを、私はいつもずっと見ているしかない。他にやることなんてないのだから。
朝から夕方にかけてが、私に許された唯一の自由時間。食事は行為の前、つまり夕食しか出されない。最初はお腹がすいて仕方なかったけど、今はもう慣れた。慣れてしまった自分が恨めしくもあるけど。
まあ、ずっと森を眺めているだけではないけれど。たまに部屋の中をうろついたり、ベッドにまた伏せって夜を待つこともある。
だからこそ、この時だけは部屋の中に違和感を覚えた。
「……」
目を凝らしてドアの方を見る。何だかいつもと違う気がした。
微かな希望を持ってそこまで進んでみると、大きな確信に変わった。
(ドアが……開いてる……!)
私はすぐに飛び出したくなる衝動を抑えて、少しだけ空いた隙間に前足を滑り込ませて手前に持っていってみる。開く……本当に開いてる。
心臓の鼓動が早まっていく。ここから逃げられる。歓喜した感情から手足は震えて、冷や汗が出てくる。
深呼吸をして息を整えて……うん、大丈夫。
私は目の前の扉をゆっくりと開けた。
そこは街の路地裏……なんてことはなくて、目の前に広がっていたのは薄暗い廊下。
左右どちらも長く続いていて、どっちが出口に近いかなんて私には分かりっこない。
(とりあえず……左に)
建物の中で迷ったら左へ……そんなことを小さいころにどこかで聞いたような気がした。
それを頼りにひたすら分かれ道を左に進む。それにしても、ここまで誰もいないのは何故だろう。単に無防備なだけ……? それとも……。
次の分かれ道を左に、と思ったところで、右から赤いポケモンが歩いてくる。この建物の入り口で見張りをやっているバシャーモだった。
「おい。そこで何をしてる」
「……!」
見つかった!
「おい待て!」
私は気付いたらそいつとは反対側に駆け出していた。もう悠長に道を左ばかりに進んでいる場合じゃなかった。バシャーモが後ろで大声を出しているのを聞きながら右の方へと曲がると、二つ扉が見えた。小窓がついていて、そこからは外の日の光が差し込んでいた。
あれが出口かもしれない……!
私は出せる力を振り絞ってそのドアへと思い切り体当たりをした。
久しぶりに、本当の意味で全身に太陽の日を浴びることが出来た気がした。
もう完全に太陽は傾き始めてしまったけど、何とか床の掃除は終わった。その頃にはもうお客さんの入りも大分落ち着いてきた頃だった。少しだけ輝きを取り戻した床を見て我ながらに満足すると、モップを水の入ったバケツの中に放り込む。
「さてと、外で散歩でもしてこよっと」
「お、やっと終わったか」
デイロンが今度は食事の終わったお客さんの空き皿を手に抱えながらそう話しかけてくる。バケツに放り出したままのモップを見て、苦笑いをしながら彼は続けた。
「それ、姉御に見つかったらどやされるぞ」
姉御とは僕の母さんのこと。なんでそう呼ばれてるのかはよく分からないけど。
「いいの。シュディさんにでも後頼んでおいてよ。もう注文は無いんでしょ?」
「残念だが、今は俺の休憩時間だ……」
デイロンとは違う、少し不機嫌そうな声が後ろから聞こえた。厨房の方から出てきたマニューラは、前掛けを外しながらこちらを睨む。彼がシュディ。この店の調理を担当してるポケモンだ。
彼は前掛けを器用に畳み込みながら階段を上がっていった。
「ははは……。だってよ坊主」
デイロンは笑う。加えて散歩に出る時間は無いかもナ、なんて言ってもくる。
何だか無性にいらっとして、僕はそのまま振り返って店の出口へと向かった。
「散歩行ってくるっ」
「姉御には言わなくていいのか?」
「言わなくていいから! むしろ言わないで!」
「はいはい」
デイロンは笑いながらこちらに手を振って何だかんだで見送ってくれる。シュディも不機嫌そうな顔はしていたけど、彼はいつもあんな表情をしていてなかなか感情を表には出さない。けれどシュディも時折僕のことを気遣ってくれたりはするから悪い人ではないと思う。
僕もデイロンに向かって大きく手を振ると、店の外へと走り出した。
デイロンは小さなガーディが店の出口からいきおいよく飛び出していったのを見送ったあと、厨房の入り口に向かって口を開いた。
「丸聞こえだったのにすぐに出てきて叱らないとは、さすが姉御」
その言葉を受けて出てきたのは先ほどガーディに向かって叱り飛ばしていたウインディ。つまるところ彼の母親だった。濁った水とモップの入ったバケツを軽く見やると、次にデイロンの方に向いて目を細める。
「何が“さすが”なんだかよく分からないけど、とりあえず褒め言葉としてとっておくよ」
バケツの中に前足を突っ込んでいそいそと洗い始めながらウインディはそう言った。デイロンは軽く笑うと、皿を持ちながら厨房の中にそれを運んでいく。
「あたしだって疲れてるときに叱りたくないからね。帰ってきてから言うつもりだよ」
「またまた。何だかんだで一応は遊ばせておく時間でも入れないとって思ったんっすよね?
さすが姉御」
ウインディはバケツの中の水をだばー、と流した後、ふぅ、と息をつきながらバケツから前足を外すと、厨房の方にバケツを咥えて持って行ってデイロンに近付いていく。そしてバケツを咥えたまま首をブンっと振るった。
「いったい!」
「下らないこと言ってると殴るよ」
「もう殴っ“た”じゃないっすか!」
そんな会話を聞いて、常連たちはいつものように笑うのだった。
散歩、と言っても、いつもと変わらないこの街を歩くだけ。赤い煉瓦作りの家が立ち並んでいて、その所々に木造の家や建物が軒を連ねてる。日常に必要な雑貨を生産する、いわば“工業街”って言われてる街。僕にとってはもう見慣れた光景だけど、こういう風に建物がブロックごとに綺麗に立ち並んでるのは結構珍しいらしい。
つまらないことに、ここら辺には僕と同い年くらいのポケモンがいない。少しここから遠くの街にでも繰り出せば見つかるんだろうけど……。母さんに『街から出るな』って釘刺されてるから普段はいかないことにしてる。行くとしたら隣街に調理用の食材を買いに、母さんと一緒に行くくらい。
……でも、何だか今日はその街に一人で出かけたくなった。もう日は落ち始めてるけど、前も少し暗くなったときに帰ってきても何も言われなかったから、多分今回も同じように遅くなってもあれこれ問われる事はない。と思う。
いつもは特別行きたいとは思わないのに、何故か今日だけは行きたくなった。僕にも良くは分からないんだけど、今は隣街にでも行って色々と散策したい。そんな気分だった。
「少しぐらいなら、いいよね」
そんな軽い気持ちでその街に行くことを決めた。
でもそれが、彼女と出会うきっかけになるなんて、この時は思いもしなかった。
「はあ……はあ……はぁ……」
何とか追っ手を振り切って建物の隙間に逃げ込んだのはいいんだけど、ここからどうすればいいか私には見当もつかなかった。身寄りもいないし、頼れる人もいない。
そもそもそんな人がいたら私はこんな目にはあってないけど。
「はあ…………はあ…………」
息は大分落ち着いてきたけど、依然としてどうしたらいいか分からない。お金も持ってないし、食べ物なんてあるわけない。どこのウマの骨か分からない私を匿ってくれたり、居候させてくれる場所なんて、この街にはあるわけないし。
でもだからといって、あの場所になんか戻りたくない。生かさず殺さず、一生あのまま性奴隷として働かせられるくらいなら、飢えて死んだっていい。そのくらい私はあの“箱”の中で追い詰められていた。戻る気なんて、さらさらない。
「……!」
奥の細い路地裏から足音が聞こえた。まさか追っ手……?
いや、こんなに軽い足音ではなかったはず。それに追っ手にしてはやけに落ち着いてる足取り。
ただの通行人かもしれない。でも、ほとんどは大通りを通っているって言うのに、なんでこんな細い道なんか。
疑問はいろいろあった。けれどももしかしたら追っ手かもしれないと思って、いつでも逃げられるように、私はそっと身構えた。
隣町って言っても少し距離が離れたくらいの場所にあるから、街につくまであまり時間は掛からなかった。それなのになんで母さんはあんなにしつこく忠告してくるんだろう。街並みも他の街と比べて違うなんてことはないし、治安が悪いとも聞いたことが無い。
思ったよりも人通りも多くて賑やかそうな街に、歩く足が軽いものになっていく。特に何か目的があるって訳じゃないけど、見知らぬ街に来たっていう期待感がただ足を進めていた。
「ん……」
さっきから街を見ていてうっすらと思っていたことだけど、この街は僕のいる街に比べてやたらと建物と建物の隙間が大きかったり、通れそうな細い道が沢山ある。僕の街はたいていこの「隙間」を目で覗くのがやっとなくらい切り詰められて建物があるから、何となく気になった。それにこのくらいの細道なら、僕の体の大きさでするすると抜けられる。
「よし、入ってみよ」
この奥に何があるのか、期待を持ちつつゆっくりと進んでく。右に曲がったり左に曲がったり。もう戻れるか戻れないかなんか気にせずに、僕はとにかく進んでいった。周りには誰もいないし、しんと静まり返ったここはまるで自分専用の通路みたいだった。
「ん?」
ふと、水色の動く何かが左目に少しだけ映る。気になって道を引き返して見ると、そこには一人のグレイシアがこちらを見ながら何故か身構えてた。歳は僕と変わりないくらいで、大きさも僕とはそこまで変わらない。
「そこで何してるの?」
本当はグレイシアの方から出るべき言葉なんだろうけど、こんな細道で他のポケモンと出会うなんて思ってなかったから、何だか興味を持ったんだ。でも問いかけはしたけど、僕が逆に聞かれる立場だったらきっと答えにくいかもしれない。
「な、何も……」
グレイシアはそう言葉につまったように答えた。声の高さからこの子は雌なんだってことが何となく分かった。でも何だがやせ細っていて、体が震えてる。
何となく大人たちが話しているのを聞いたことがある。
隣町は貧困の差が激しくて、中には親を早くに亡くして家なしの孤児となったポケモンが大勢いると。もしかしたら彼女がそうなのかもしれない。
でもだからといっても何を言えばいいんだろう。今まで同年代のポケモンと合ってこなかっただけにどうしたらいいか分からない。それも女の仔となんて……。
グゥ~。
そんな音がした。彼女の方から。
「……?」
「き、気にしないでっ///」
僕が首を傾げると、彼女は顔を真っ赤にしながら首を必死に横に振る。そんなにお腹の音が恥ずかしかったんだろうか。
「お腹空いてるの?」
「…………」
僕のその問いかけに彼女は戸惑いながらもゆっくりと頷いた。そういえば今の時間はそこまでうちの店にお客さん来てないから、もしかしたら何か食べさせて上げられるかもしれない。
「ねえ。僕ん家に来ない? 隣町のお店なんだけど、今ならきっと母さんが何か作ってくれると思うよ」
彼女は少しだけ何かを考えるように俯くと、やがて顔を上げて頷いた。
「じゃあ決まりだねっ! 僕はヴァル、君は?」
「私は……レイラ」
「よ、よろしくね! レイラ!」
今まで同い年の仔と自己紹介し合うなんてしたことなかったから、やけに緊張してしまった。なんか不自然だったかもしれないと思い出すと、何だか空気が気まずくなる。
「と、とりあえず。行こうかっ」
「え、あ、ちょっと……」
気まずさから、僕が急いで大通りの方に出ようとしたのを見て、彼女は困惑した表情をしてた。
「出来れば……こっちの人通りが少ないほうがいいんだけど……」
「え? う、うん。分かったよ」
何でだろう。大通りの方からそのまままっすぐ行った方が、僕の家に早く着けるのに。
疑問に思いながら、隣を歩く彼女の姿を見て何となく分かったような気がした。
痩せ細っている姿、あまり見せて歩きたくないんだって思って、僕はそのまま気にせずに来た道を彼女の歩幅に合わせながら歩いた。
私……一体何してるんだろ。
お腹空いてたからついつい彼の言葉に頷いたけど、もしかたらそれはヴァルを、その家族を危険に晒すことになるかもしれないのに。
隣街にでもやつらは追ってくるかもしれない。でも、もしかしたら私の代わりなんていくらでもいるんじゃないかっていう甘い考えも持ちながら。そんな複雑な気持ちで彼の後を歩いてる。
ふと上を見上げると、完全に日は落ちてた。こんな時間に出歩いて彼は怒られたりしないのかな。そのことを質問してみても「だいじょーぶだいじょーぶ」と言って笑っているのだから多分平気なのかも。
「ついたよ。ここが僕の家……というより店なんだけどね」
しばらく歩いていると、いつの間にか私は彼の住んでいる街についていた。隣街っていうからてっきり森や山でも一旦越えるのかとも思ったけど。気軽に私を誘ったのはそれもあったんだ。
でもこれって隣街というよりも貴族街と商業街の違いなんじゃ……。
私はそう思ったけど、口には出さないでおいた。貴族街に関して今は彼に深く話さない方がいいと思って。もちろん、私があの“箱”での出来事を思い出したくないのもあるけれど。
彼の店はどうやら飲食店と喫茶店の中間のようなお店。ティータイムもお食事も楽しめるみたいなことが看板に書かれてるから、多分そうなんだと思う。
「さ、入ろ」
彼に半ば押されるようにして中に入ると、そこには外の外見からは予想もつかないほどに整頓されている店内があった。
木のテーブル自体はあまり高級品じゃないけど、その上に白い布を敷くことで上品に見える。なおかつ様々なポケモンが利用できるように配慮された、それぞれ高さの違うテーブルやイスがある。ぱっと見てそれは大きさが不揃いであまり見栄えは良くないものの、食事をしやすい環境の方が客は呼べるらしく、まだ夕食の時間でもないのにすでに数人のポケモンたちが食事をしながら会話を弾ませているのが目に入る。
「母さ~ん」
私を入り口に残したまま、ヴァルは店の奥へ行ってそう叫ぶように言う。一部の客がそちらの方に目を向かせるけれど、慣れてるようにまた食事をし始めた。私はここでどうしてたらいいんだろ。ただ突っ立ってるのもなんだから、彼の元に行こうか……。
「ほら、こっちこっち」
行こうかどうしようか迷っている私に助け舟を出すかのように、彼は前足でこちらを手招きしてくれた。おかげですんなりと店の中にそのまま足を踏み入れることが出来た。他の客と視線を合わせないようになるべく小走りで彼の元に駆け寄る。すぐ左には厨房が見えた。
「こういうところ初めて?」
私の反応を見てそう思ったのか、彼はそう聞いてくる。
「初めて、じゃないけど……あまり外食はしないの」
何度か外食はしたことある。でも、こんな賑やかじゃなくて、もっと空気が硬い感じの、ここよりも良い内装の店だった。家族で色々注文して食べたけど、もっと上品に食べろとか色々うるさく言われて楽しくなかった。
……止めよう。思い出しても意味がないものばかりだから。
「何が母さ~ん、だよ。自分に任された仕事しないで放っとい……ん?」
奥からそう悪態をこぼしながら出てきたのはウインディ。彼女がヴァルの母親のみたい。
途中でこちらに気付いて言葉を詰まらせたと思うと、私を上から下までじ~っと見てきた。何だか嫌な感じ。
「彼女はレイラって言って……ああ、細かいことは後で話すから」
「ふ~ん……」
相変わらずこちらを凝視してくる目の前のウインディ。体格差も彼女の方が明らかに大きいから、妙に威圧感を感じる。それを見てか話を何故か必死に逸らそうとしてるヴァル。何でだろ。
「とにかく、彼女お腹空いてるみたいだから、何か作れない?」
ヴァルのその言葉を聞いてきっと何か聞かれるとは思ったけれど、意外にも彼の母親は視線を彼の方に向けられて。
「……じゃあ蟹パスタでも作っておくよ」
「ありがと!」
「でも、サボった罰として皿洗いしてな」
「えー」
「えーじゃないよ! ほらさっさと行く。シュディアスが待ってるよ」
「はいはい……」
意外にも私に質問は飛んでこなかった。家に帰らないのかとか、お金はあるのかとか色々聞かれると思ってたんだけど……。目の前で何の変哲も無い親子の会話を聞かされただけ。
ヴァルは母親にどつかれてそのまま厨房の奥の方へといってしまった。残された私と彼の母親。こういう時何を話せばいいんだろう。
「さてと、あたしは厨房戻るかな。レイラ、だっけ?」
「は、はい……」
「どこか空いてる席に座っておいで。後で料理持ってってあげるから」
それだけ言うと、彼女はそのままヴァルの後に続いて厨房の奥に向かって行った。
空いてる席……というより私が座れる高さの席は、空いてた。厨房にかなり近い席。ここなら周りのポケモンにもじろじろ見られなさそうだし、なにより厨房からすぐに料理を受け取れるから丁度いいかもしれない。
椅子……というには二足のポケモンのものと比べると座る位置が高すぎるけれど、四足のポケモンがその上で座ってもテーブルの高さが丁度良くなるようになってる。おまけにそこに上がるための足掛けがいくつかついてる。オーダーメイドのものなのかもしれない。
そんな親切な設計の椅子に座り込んで、料理の到着を待つ。厨房のほうからは常に何かの料理の匂いが漂ってきて、余計にお腹が空いた。でも、お金とか要らないんだろうか。会計とか言われても私はお金を持っていないし……。
彼が作ってと言ったから、大丈夫だと思いたい。でも彼の母親、あのウインディの視線がどうにも嫌な感じがした。何か考えてるというか、何か企んでるというか。
そんなことを今更考えたってもう遅いのかもしれないけれど。あのウインディはもう料理を作り始めてしまっているだろうし、ヴァルはヴァルで皿洗いに行かされてしまったのだし。
私はここで待つしかなかった。料理が運ばれてくるのを。
カチャカチャと食器同士がぶつかり合う音を聞きながら、一枚一個手洗いで丁寧に洗っていく。
最後のモップを洗うことをしないだけでこんな重労働を任されるとは思ってなかった。シュディさんも今は一緒に洗ってくれてるけど、その数は一向に減らない。たっぷりと水の溜まったシンクの中を、幾重も重なるお皿がところ狭しと並んでる。
その上から一枚取って洗って、上から一枚取って洗って。そんなことを連続で続けるもんだからだんだんと飽きてくる。でも食べ終わったお皿は次から次に来るし、これからまた夕食を食べにくるお客さんで溢れてくる。
「あ~あ。一瞬で消えないかなこのお皿」
「何下らないことを言ってるんだ。さっさと終わらせないともっと地獄を見るぞ」
悪態をついた僕の言葉にそう突っ込みを入れたのは隣で同じように皿を洗うシュディ。その手つきは四足の僕よりも何故か遅い。長い爪で皿を傷つけないようにしてる分、洗い難いんだとは分かるけど。
「シュディアス。サラダの方に回って」
「了解」
シュディアスは今隣で皿を洗ってたマニューラのこと。名前が長いもんだからシュディって略してるけど。本人は呼び名なんてどうでもいいらしく、鉤爪猫とさえ言わなければ普通に呼びかけに答えてくれる。
そっけない性格で尚且つ容姿が容姿だから初対面の時は凄く悪そうな人に見えたけど、接して見ると意外と普通。むしろ優しいほうの部類に入るかもしれない。
って考え込んでいるうちにシュディが向こうに行った分、早く洗わないと……。
ごとり。そんな音がして、目の前に少しだけ湯気のたったパスタが置かれる。蟹をあえたソースの香りが鼻を通って、食欲をそそる。
「お待ちどおさま」
ウインディはそういうと、一礼をして奥のほうへとそそくさと向かって行ってしまう。そういえば私が料理を待っている間にだんだんとまわりにはポケモンたちが椅子に座って料理を今か今かと待っている。もう夕食時になったから忙しいんだと思う。
「…………」
目の前にある料理を見て思わず唾を飲む。冷めないうちに食べよう。
テーブルの真ん中に置かれているフォークを手にとって、輪っかの部分に右の前足を通す。四足歩行用のフォークが置いてあるのは、テーブル同様にいい配慮だと思う。
くるくるとフォークでパスタを巻き取って、零れ落ちないようにしてからゆっくりと口元に運んでいく。口の中に入れた途端、なんともいえない幸福感で満たされる。こんなに美味しい料理、久しぶりに食べた気がする。
後はもう食べるのに夢中だった。今まで全然食べていなかったのもあるのだけど、いつもとは違う、本当の食事にありつけた喜びで一杯だった。気付けば、皿に盛られていたパスタは全てもう無くなっていて、その空っぽの皿がよほど自分が食べていなかったのかを改めて分からせた気がする。
「お、もう食べ終わったのかい」
「ごちそうさまでした」
こちらに近付きながらそうウィンディは笑顔で言う。作った人は空の皿を見ると嬉しくなるのだというけれど、こういうことなんだろうか。とにかくそのときにはもう彼女への警戒心なんか薄れていて、口から意外にもすらすらとその言葉が出た。
今までこの言葉なんか形式的にしか言わなかったのに、何故か今だけは自然に口から出てきたのは、料理がすごく上手かったからなんだと思う。
「さてと、お代金10ポケいただくよ」
「え……」
さらりと彼女の口から出た言葉に、私は唖然とした。てっきりヴァルが食べさせてあげると言っていたから、お金は払わなくてもいいなんて考えを持っていたのが甘かった。ココは店なんだ。そんなことなんて滅多にあるはずがない。
口をぱくぱくさせながら言い篭もるのをみかねて、彼女は表情を変えた。
「まさか……お金持ってないと?」
「え……あの……」
もう、頷くしかなかった。お金なんて持ってない。持っていたらあんな“箱”の中でなんか働かされていたわけ無いのだから。私は黙って、ゆっくりと頷いた。
「うちの店で無銭飲食か……。いくらヴァルがつれてきたっていっても、払うものを払ってくれなきゃこっちも困るしね。デイロン!」
「はい、なんでしょうっ」
ウィンディがデイロンと呼んだのはゴーリキー。ウェイターの服装をしてお盆を手に乗せていた。
「このグレイシア。無銭飲食者だから連れていきな」
「……了解しやした」
連れて行く……? どこに? まさか保安所に?
あれこれと考えているうちに、ゴーリキーにひょいと持ち上げられてしまう。
「ちょ、ちょと……」
「さてと、食べた分。きっちり体で払ってもらうぞ」
その瞬間。私の体が凍りついたように固まった。
今ゴーリキーは『体で払う』と……?
い、いや。もう戻りたくない。場所が変わっても同じ“箱”になるんじゃ意味が無い!
せっかく開放されるかと思ったのに!
暴れようにも、がっちりと逃げられないように抱えられた私の体は、震えるばかりで抵抗なんてとても出来そうに無かった。
私はまた、あの“箱”に戻されるんろうか……。
僕は格闘していた。目の前のお皿地獄に。洗っているうちにどうやら夕食を食べに来るお客さんが多くなってきたらしく、皿の量が一向に減らない。シュディに助けを求めようにも彼は今調理のために忙しなく動いてる。助けなんて到底求められない。今助けを求めようものなら、シュディの怒号が飛んでくるに違いないと思う。
「お、丁度よく猫の手も借りたい状態の奴がいたな」
「デイロンさん! 今そんな悠長なこと言ってる……ときじゃ……あれ?」
気楽なことを言って笑っているデイロンの方に振り返って睨みつけると、何故かそこには彼に抱えられたレイラの姿。なんで厨房に来ているのだろう。ご飯食べてたんじゃなかったっけ。
「よっと……」
デイロンがそう呟きながらレイラを床に下ろすと、彼女はこちらに急いで駆け寄ってくる。え、ちょっとこのままだとまさか……!
「ちょ……! あわぁぁあ!」
どたり。と、床に背中を強かに打ちつけた。
まさかレイラがいきなり僕のほうに飛び掛ってくるなんて思ってなかったから、仰向けで抱きかかえる形になってしまった。彼女の冷たくてつるつるした肌が全身から伝わってくる。重さもあわせて、だけど。
異性を仰向けで抱きかかえる……。そのときの僕はきっと凄く顔を真っ赤にさせていたんだと思う。
「ちょと、いきなり何を……レイラ……?」
急いで引き離そうとしたけど、何故か彼女の体は酷くひくついていて。もしかして泣いてる……?
「あらら。やっぱりこうなってたか」
厨房の方に顔を出しながら母さんはこちらに近付いてくる。何というか苦笑いをしていて、泣いているレイラの方に目を向ける。デイロンがレイラと母さんの方を交互に見た後、首をかしげて疑問符を頭の上に浮かべた。
「姉御? 俺にはよく意味が分からないんですが」
「そして本人は自覚無し、か」
首をかしげたデイロンに母さんはそう言うもんだから、余計に彼は首をかしげはじめる。僕にも今の状況が良く分からないんだけど、シュディも何事だとばかりにこちらに顔を出してきたので話されるとは思うけど。
「別にあたしは奥につれてけって言っただけなのに、デイロンがそれに無駄な尾を付けるもんだから。『体で払え』って普通女の仔に言うもんじゃないよ」
その言葉を聞いて、僕はよく分からなかった。
体で払うってことは仕事をして体を使うってことだよね?
それなら別に間違ってはいないんだとは思うけど。何で無駄な尾になるんだろう。
一方デイロンの方は理解したようでなにやら気まずそうな表情を浮かべていた。
「レイラ。あのさ……そろそろ退いてほしい……んだけど」
「ん……」
未だに肩を震わせながらもレイラはやっと僕の上から体を退けてくれる。彼女は冷たい体だったはずなのに、僕の体は何故だが火照っていて。それがなかなか冷めてくれなかった。
レイラはさきほどの話を聞いてはいたのか、しばらくすると大分ひくつきもなくなってきて、落ち着きを取り戻してくる。母さんも彼女が落ち着くのを待っていたようで、お客さんに料理を運ぶのを中断してずっと近くに立っていた。
「落ち着いたかい?」
「……はい」
母さんの問いかけに彼女はゆっくりと頷きながら小さな声でそう答える。僕には何が起こったのかよく分からないから、こういうときは母さんに任せておいたほうがいいかもしれない。
「何となくあたしだってレイラがなんらかの事情を抱えていたのは分かっていたし、お金持ってないことも分かった上で食事をさせた。でもね、それじゃ世の中成り立たなくなるんだよ」
レイラは黙って聞いていた。頷くことも相槌を打つこともしないけれど、耳だけは母さんのほうにしっかりと向けられていて。母さんは言葉を続けた。
「だからこそ、食べた分を厨房で働いてもらおうと考えてたんだけど……ね。この馬鹿が余計なことをいうもんだから……勘違いするのも無理ないね」
馬鹿。この言葉の矛先は間違いなくデイロンだろう。
……ごめん訂正する。言葉の矛先じゃなくて、拳の矛先だね。
「いっつ!」
「あんたにはデリカシーが無さ過ぎるんだよっ」
「んなこと俺に言われてもっ……」
結構今のは痛かったと思う。腹に正面から爪立てて殴るんだもん。そりゃあ痛いよ。でもそれでその後腹を抱えながらも普通に喋れてるのはデイロンの体の丈夫さを物語ってるとは思うけど。
私はどうやら大きな勘違いをしていたようで。体で払うっていうのは普通に食べた分だけ働けってこいうことで、他意はなかったらしい。
とりあえず今はそんなこんなで、皿洗いを手伝っているのだけれど……。
「……」
隣で一緒に皿を洗っているヴァルとはさっきから顔を合わせられない。本当に気まずい。
だって会って間もないのに、私は彼にみずから飛び込んで行ってあんなふうに一緒に倒れこんだんだから、その後の空気が気まずくなるのは仕方ないとは思うけど……。
彼もそれは同じらしく、こちらに話しかけてもこない。ただ運ばれてくる皿を機械的に洗っているだけ。それでも時折彼の手が止まるのは、何か考えているからなんだろうか。
なんにしても私はこのお皿の山々が無くなるまでコレを洗い続けなきゃならない。箱の中での仕事に比べれば大分ハードな労働でもあるけれど、無理矢理犯される痛みを味わうよりかはまだこっちの方がいい。あんな生活になんか二度と戻りたくも無い。
でもふと思い出す。私はもしかしたら奴らに追われてるかもしれない。下手したらこの街にまで探しに来る可能性だってある。そう考えるとあまりここに長居してはいけない気がする。食べた分働き終わったら、ここから去った方がいい。恩を仇で返すなんてことしたくはない。これが終わったらすぐに出て行こう……。
「あの、さ……」
「ん……?」
何か喉に詰まったような、そんな感じの声で私は現実に戻された。ヴァルは皿をかちゃかちゃと洗いながらも、続けて言った。
「さっきは……なんかごめんね」
「なんで謝るの?」
「あ、いや……ほらっ、デイロンがさあ、言ったこと」
「ああ~……うん。もう気にしてないよ。それに、本来謝るのはヴァルじゃないでしょ?」
「……そうだけど」
何となく会話に困ってるのは分かった。きっと気まずい空気をどうにかしたくて、私に話すきっかけを探ろうとしてたんだと思う。でも、別にこの空気をどうにかするのにさっきの話を持ち込まれても余計に話しにくくなる。だってさっき私はヴァルに……。あ~駄目駄目。思い出すとまた気まずくなるから止めよ。
「むしろ謝らないといけないのは私の方だと思う」
何話し続けてるんだろう私。こんなこと言ったら明らかに話に上がるのはさっきのこと。
「さっき……えと……ヴァルに飛び込んで行ったこと。ごめんね。何でああしたのかは私にも分からないんだけどね……」
「あ、うん……」
やっぱりこの話を出すべきじゃなかったと思う。だってヴァルはまた赤面して黙り込んじゃったし、私も私で次何言えばいいのか分からなくなっちゃったし。
私があんなところで彼に泣きつかなければよかったことではあるんだけどね。でもあの時はどうしようもなく恐かったから……。
そういえばなんでヴァルに泣き付いたのかよく覚えてない。
同い年くらいだったから? それとも彼がここの人たちの中で一番最初に会ったから?
いくら考えてもさっぱり分からない。むしろ考えるほうが間違っているのかもしれない。
「でも、さ。何で泣いてたの?」
ヴァルがそう問いかけてくる。その理由ははっきりしてるんだけどね。答えにくいというか……。彼に話すべきことでもないし。
「何か……何されるのか分からなくて恐かったから……それで、さ」
どうも今の私はおかしい。何で彼に対してこうもすらすらと話してしまうのだろう。
彼が質問をするときこちらをじっと見てくるから? それはなにか違う気がする。
彼と居ると妙な安心感がある。歳が近いからっていうのもあるとは思うけど、もしかしたら私は……彼を……?
その後の無言の空気の中。私は首を軽く横に振ってその考えを振り払った。
どうせここには長居するつもりはないから。彼には尚更に迷惑かけたくはないし。
色々なことを考えないように、さっきよりも皿洗いに没頭することにした。
お皿の山は徐々に徐々に少なくなっていった。意外と今日はお客さんたちが切り上げるのが早いみたいで、いつもより早めにお皿の片づけが済みそうだ。でも大きな問題は別にあるような気がする。
凄くおなかが空いてそうだったから、思わずレイラをここまで連れてきてしまったけれど、その後のことまではまったく考えてはいなかった。
夕食食べて、お皿洗って。じゃあまた明日で済むような問題じゃないことは僕にもわかる。だってレイラがあんな路地裏で、しかも痩せ細った体でたたずんでいたのを見れば、大体はなんとなくだけど予想はつくんだ。
彼女はきっと行く当てもない。お金もないし食料もないと思う。
でも、正直僕はどうしたらいいかわからない。
母さんが了承してくれるかもわからないし、それに空いていた部屋はデイロンとシュディさんがもうすでに使ってる。となると残りは母さんの部屋で共に過ごす事しかないのだ。母さんがそれを快く了承してくれるかも分からない。
うちの母さんは厳しい。でも、ある程度の助け舟はいつも出してくれる。デイロンとシュディさんの時もそうだった。今回もきっと、とは思うけれど……。
母さんに相談してみるまではまったく予想もつかないし、部屋の問題もあるし。
「なに?」
「い、いやっ……何でもない……」
いつの間にか僕はずっと彼女のほうに向いていて。気がつけば彼女にそう問いかけられてしまう。あわてて返答はしたけれど、きっと彼女にはとても不自然に見えたに違いない。
わけの分からない顔のほてりを感じながらも、残りのお皿を片付けるために、止めていた手をせっせと動かすことに再び専念し始めることにした。
「おつかれさん。これで食べた分はチャラだね」
ヴァルの母親の声が厨房内に響き渡る。
何時間くらい皿をずっと洗っていたんだろう。それこそ気の遠くなるような長い時間洗っていたような気がする。一日がこんなに長く感じたのは久しぶりかもしれない。
「みんなも今日はおつかれさん。あとは全部私が整理しておくから、あんたらは部屋に戻っていいよ」
ウインディがそう言うと、厨房に集まっていたゴーリキーもマニューラも去っていく。そう、やっと終わったんだ。でも不思議な感じがする。気の遠くなるようなことをやって疲れたのに、何故か分からないけどすっきりしたような気分になれるのは。
あの箱の中の仕事とは全く違う。確かに疲れる仕事なのは間違いないはずなのに。
「さて、と……」
軽く厨房の中を見回した後、そんな風に呟いた。そして私の方をじっと見据えると、やがて口を開いた。
「レイラ。これから私は重要なことを言う。よく聞くんだよ。二度とは言わないからね」
「はい」
彼女の言葉に自然と背筋が張った。
彼女はちらりとヴァルの方に目を向けると、やがて私の方を向いて言った。
「ここでしばらく暮らしてもらうことにするよ。多分その様子じゃ身寄りもいないんだろうしね」
私が一番望んでいたことが彼女の口から出てくるとは思わなかった。私に対して何かと疑うような目つきをしていた彼女がそんなことを言うとは。
でも、今は一番望んではいないことでもあった。ここでそれに対して首を縦に振ってしまえば、ヴァルの家族に危険が及ぶかもしれない。それだけは絶対に避けたいこと。
「あの……」
「ちょっと待ってよ。部屋はどうするの?」
私が話を切り出そうとしたところで、ヴァルが私の言葉を遮った。でも彼が部屋を心配しているのならある意味では断るのに好都合かもしれない。部屋が足りないなら、無理を言って住まうのは気が引けると言えば、きっとここから普通に去れるはず。
しかし、ウインディから出てきた言葉は私の予想をはるかに上回るものだった。
「え? ヴァルの部屋でいいでしょ」
「……!?」
その言葉には私も反論の意を示さずにいられなかった。
「ちょっと待ってください。ヴァルと同じ部屋なんて……」
「いやなのかい?」
「あ、いやそれは……」
反対しようとして言葉がつっかえた。私がヴァルに対して酷いことを言っているのに気がついたからだった。
だって仮にも街中で途方にくれていた私を助けてくれた恩人にも等しい彼に、『ヴァルと同じ部屋“なんて”』というのはあまりにも失礼な気がするから。
それよりもここに長居しないとした決心が早くも崩れようとしてるのは何故なんだろう。
この人たちを見ていると本当に明るいと思うし、何よりも人情があって見慣れない私にすらこうやって優しく接してくれる。貴族街の家々ならば普通はこんなことなどありえない。召使でもいいから住まわせてくださいと言っても、門前払いをされるのが貴族街の人情……。
それをずっと目にしてきた私だからこそ、ここの人たちは本当に優しさに溢れていると思う。だからこそ、ここを離れたくないんだろうと思う。でも……それは迷惑になるかもしれないと思うと、やはり後ろめたい。
――こういうときって、どうするべきなんだろう。
僕は母さんの部屋の前で、入るか入るまいか悩んでいた。
簡単に言えばノブに前足をかけて押し開ければ済むことなんだろうけど、足に
「そこで何をしてるんだ?」
「わっ!」
いきなり右から聞こえてきた声に心臓がどうにかなりそうだった。声をかけてきたのはシュディ。さきほどのマニューラだった。
「大きな声出すな。耳が痛い」
「だってシュディさんがいきなり話かけてくるから」
「その程度で驚くとは思わなかったからだ」
シュディは長い鉤爪で耳の上あたりを軽く掻くと、腕を組んで母さんの部屋のドアを見た。
「で、お前はなにをしてるんだ」
「ちょっと母さんに言いたいことがあって」
「なら入ればいいだけだろう」
「そうだけど……」
レイラと同じ部屋になった。だからそれについて抗議しに行く。なんて言えない。無理。特に“レイラと”って部分が特に無理。
口ごもった僕を見て疑問に思ったのかは分からないけど、シュディは首をかしげた。
「詳しい事は知らんが、とりあえず姉御に話があるなら入らなきゃ何にもならんぞ」
「それはそうだけどさー……というかそういうシュディさんは何をしてるの」
話題を無理やり変えたことに少しだけ疑問を覚えたのか、一瞬だけ眉をひそめた彼だったが、すぐにいつもの無表情な彼に戻る。
「俺も姉御に話があったんだが。お前が先らしいからな」
「べ、別に僕が先じゃなくてもいいよ」
「いや……。お前が先に行け。特に俺の方は大事な話ではないからな」
そういうとシュディは僕の背中に手を置いてドアの方に突き出す。そのままドアに勢いよく顔をぶつけた音が、廊下に響き渡った。それはつまり母さんの部屋にも響いたわけで。
段々と部屋の中の足音がこちらに近づいてきているのが、嫌でも分かった頃、シュディはそそくさを階段を下りていってしまう。
(この卑怯者ー……!)
声が今のところ出せないから階段のほうに向かっていってしまった彼に向かって顔で怒る。シュディは口元をにやりとさせると、そのまま階段を静かに駆け下りていってしまう。こういうところだけやけに“あくタイプ”だから困る。
がちゃりという音を立てて、やがて目の前のドアがゆっくりと開かれる。幸いまだ部屋の中で起きてはいたようで、眠そうな顔ではなかったのが救いだった。母さんは寝起きが悪いから、寝ているときに起こすとなおさらに機嫌が悪いから。
「何? こんな時間に」
「ちょっと話があって……」
とりあえず僕は恐る恐る言ってみる。普通の話ならともかく、これは先ほど母さんが決めたことに反論するってことだから。いっつも母さんに言われても反論できなかった僕だからこそ、今は凄く緊張してる。冷や汗も出てるかもしれない。今は心臓の早まった鼓動を抑えるので必死だった。
母さんはこっちの顔をじっと見ると、やがて重要な話と判断したのか、ドアを広く開けて無言で入るように促した。
「何だかやけに真面目な顔するじゃないか。何か話でも?」
パタンと部屋のドアを閉めると、母さんはそう言ってこちらの顔を見ながら目の前にゆっくりと座り込む。
「うん……」
どうやって話そうか。というかどうやっていえばいいんだろう。話ししなきゃ何も始まらないのは分かってるんだけど、こうやって面と向かって話し合うのは久しぶりだからやっぱり緊張する。
「黙り込むところ、多分部屋のことだね」
多分はじめから僕が何を話に来ているのか分かっていたのかもしれない。でもこれで話しやすくなった感じもする。
「……なんでレイラと一緒の部屋にしたの?」
「あんたが連れてきた仔なんだろう? だったらヴァルの部屋になるのが普通だよ」
「だってレイラは女の仔だし……」
「関係ないよ」
ばっさりと言う母さん。反対の意は許さないと言わんばかりに瞳はこちらにずっと向けられたまま。でもさすがにこればかりはどうやっても無理なんだ。
「……言っておくけどね。別に何も一緒のベッドで寝ろとは言ってないよ」
「……!」
なんでわざわざそういうことを言うんだろう。僕だってそういうことは考えてなかったのに。いや、全く考えてなかったって言ったら嘘にはなるけど……。
「とにかく、あたしの部屋は色々と大事なものがおいてあるから駄目だよ」
そこまで読まれてたとは思いもしなかった。考えてみれば確かに分かることなんだけど。シュディはシャイだから必ず断るだろうし、デイロンの部屋にレイラ入れたら何されるか分からないし。そう考えると母さんの部屋しかないわけで。
でも、母さんの部屋も駄目ってことは、どうしても僕の部屋しかないみたいだった。
どうしよう。言われるがままに彼の部屋に入れられた今の状態で、私がここを去ったらどうなるんだろう。出たいのなら無言で去ればいい話なのだけれど、ここの人には食事の面でお世話になったわけだし。そんな恩を仇で返すようなことなんて私に出来る度量は無い。
「はあ……」
どうしようもなくただその場でため息をつく。
それしか私に出来ることは今この場にはなく、とりあえず彼の部屋を眺めるくらいしか出来なかった。
部屋を軽く眺めて見えるのはベッドに本棚に小さな窓……。
こざっぱりした部屋を見て、これが男の仔の部屋だとは思えなかった。
私が今までに見た男の仔の部屋といえば、幼馴染の仔の部屋だけれども……。
散らかしたらそのままで、片付けもしない。挙句の果てには使いのポケモンに全てを任せる始末。
その上あまりにも我侭なものだから、それ以来縁を切ってる。
今頃どうしてるかな、などと気にかける余裕なんて今の私にはないけれど。
「……?」
がちゃりと、部屋のドアが開いたと思うと、廊下から残念そうな表情をしたヴァルが入ってくる。
何があったのだろう……。
「ごめんね。別の部屋にしてもらおうと思って母さんに相談してみたんだけど、ここしか駄目だって」
「あ、うん……。でも、私はここに居させてもらってる身だから、別にどこでもいいの。だから気にしないで……?」
わざわざ気にかけなくてもいいことなのに、何故彼はこんなにも私を心配してくれているのだろう。
私が家無しだから? その同情に……?
いや、こんなこと考えないで置いた方がいいかもしれない。
「いや、でも……」
「いいの。私はここで住まわせてもらえるだけで十分だから」
そして私は何を言ってるんだろう。ここから出なきゃいけないと思うのに、なんで。
……やっぱり私は、ここから離れたくはないと、心の中で思っているんだと確信した。
う~ん。どうしよう。
正直困るのは彼女の方ではなくて僕の方であって……。
僕も一応雄の仔ではあるんだ。どうしても緊張してしまう。
あ~。落ち着け~……落ち着け~……。
そう、ただ同じ部屋に“いるだけ”だから。そう、“いるだけ”。
って意識してどうするんだろう……。
「どうしたの?」
「え? 何? なんでもないよ?」
「それにしてはさっきから、すごく汗かいているけど……」
「ん? あはは……何だか暑いな~って」
しまった。その言葉は普通に墓穴を掘ってるようなもの。
「え……? 私は暑くないけど……ヴァルはどう見ても炎タイプでしょ?」
炎タイプの僕は普通暑さに強い。対して氷タイプのレイラは暑さには弱い。
だから僕が暑いというときは大抵氷タイプのポケモンは暑さでぐったりしてしまう。
「……」
「……」
二人ともそれからずっと黙り込んでしまって。
なんだかさっきみたいにとっても気まずい空気になって。
「とりあえず、今日はもう遅いし……寝ようか」
そう提案するほかなかった。別段他に何かをするわけでもないし。
それなら明日に備えて寝るだけだった。今度こそ寝坊なんてしたらまた床掃除をすることになるだろうから。
「でも、ベッド一つしかないよね」
「レイラがベッドで寝ていいよ。僕は床でも寝れるから」
元々この部屋にレイラを住まわせることになったときからこれは心の中で決めていたことだった。
一緒に寝るなんてこと僕には出来ないし、何より彼女が嫌がるだろうから。
合って間もない雄の仔と一緒に寝るなんてこと、まず出来ないと思うし。
「え。でも……」
「いいの。別の部屋を使えなかった代わりに、さ」
「うん……///」
彼女は呟くようにありがとう、というとベッドに飛び上がってその上で丸まった。ふかふかのベッドだからゆっくり寝られると思う。
さて、僕もそろそろ寝ないと……。
こんこん、と。ドアが二回たたかれる。
ヴァルがリフェラの部屋を去った後、シュディアスは彼女の部屋に訪れていた。
「ん。今度はなんだい……って、シュディか」
シュディアスは無言で一礼をすると、口を開いた。
「レイラってやつのことなんだが……」
「なにやら普通の話じゃないみたいだね。入ってくれ」
彼の話の切り出しで何を話すのかおおよその見当がついたのか、彼女は彼を部屋の中へと招く。
さきほどのヴァルの話よりも重要そうな話ではあるが。
「で。あの仔がどうかしたのかい?」
「単刀直入に言うが、彼女はおそらく元貴族だ」
「分かってるよ。品格の良さからしてあれは上流階級のポケモンが
その言葉を聞いて彼は眉をひそめた。
「ならその先も分かるだろう。貴族である彼女がなぜあそこまで汚くなっているか……」
「シュディ。汚いってのは感心しないね」
「あ……すまない」
すぐに自分の失言を指摘されてうつ向き気味に謝るシュディアス。彼女はそれを見て話の腰を折ったと思ったのか、すぐに切り替えをした。
「……まあ大体予想はついてるよ。彼女がきっと借金を背負ってそれで売淫をして返済……っていうところだろうね。最近そういう噂が絶えないし」
「やはりそうなのか……」
「本人に聞いてみないとどうにも分からないけどね」
そういうとリフェラはため息をついて、その場に座り込む。こうすると自然とシュディアスと目線が合う。
「大方そこから逃げ出してきたのはあたしにも分かってる。それを承知したうえであの仔をここに住まわせることにしたんだよ」
「……」
「それに……ヴァルにも近い年の顔見知りがいないと寂しいだろうからね」
「やっぱりリフェラは凄いな……他人が出来ないようなことを軽くやってのける……」
「あ……あたしはただあたしのやりたいようにやってるだけさ」
そう言ったリフェラの顔は少しだけ赤くなっていて。シュディアスも自然と顔が赤くなってしまっていた。顔をそらした場所に視線を向けたまま、シュディアスは言った。
「しかし……前よりも貴族同士の水面下での立場の殺し合いが激化してるんだな」
「そうみたいだね……」
「リフェラも……確か」
「そうだよ……でも、それはずっと昔の話のこと。今は飲食店のオーナー。ただ、それだけさ」
そう言ったリフェラは表情を暗くしながらも、気丈に振舞うのだった。
寝付けない。眠れない。目を閉じても耳鳴りが虚しく響くだけで眠ることができない。
せっかくヴァルにこんなにも心地のいいベッドを使わせてもらっているのに……。
「……」
ふとヴァルの方を見る。顔はこちらには向いていないけれど、どうやら彼も眠りにはついていないらしい。彼もきっとなれない環境で寝ようとしても寝れないのかも。それなら、このベッドは彼に使ってもらった方がいいかもしれない。
「ヴァル……? 起きてる?」
「うん……」
寝ぼけていない声に妙な安堵感を感じると、私は起き上がってベッドから飛び降りた。
降りた音を聞いてか、彼は視線をこちらに向けて目を瞬かせている。
「やっぱり……ベッドはヴァルが使って。私は床でもいい」
「え……でも。さすがに女の仔を床に寝かせるわけにもいかないし……」
どっちもどっちで譲っているようで譲ってなかった。
私は床でもいいって言っているのに、彼は頑なに自分が床で寝ると言う。
これじゃあ何のために彼にベッドを明け渡したのかわからなくなってきた。
「なんでヴァルはそんなに私をベッドで寝かせたがるの? 何かあるの?」
「い、いや。だから、女の仔を床で寝かせるなんて……」
「だから私はいいって言ってるでしょ?」
「でも……」
はっきりしないヴァルの態度に、なぜか私の方が苛々してくる。
彼は決して悪気があって私をベッドに、って言うのは分かってるはずだった。
でも、ひとえに“女の仔”だからっていうのが癪に障ったのかもしれない。
私はその場の流れでとんでもないことを口にしてしまった。
「何もないって言うなら……一緒にベッドで寝ましょ」
「ええっ!?」
私は何故か別にその時はいいと思った。
彼と寝ても何かするわけではないし、どちらか一方が嫌な思いをしなくても済む。
その時は私も得策だと思っていた。
でも、その時かすかに彼と一緒に寝ることを期待していたのかもしれないと、何となく今は思う。
どうしてこんなことになってるんだろう。
いつも丸まって寝ているベッド。
いつものようにふかふかで心地いいのには変わりはないんだけど。
「……」
「……」
隣には少しだけひんやりとした毛並みが僕の毛並みに触れていて。
元々このベッド。あまり大きくはない。僕一人が上に乗って丸まるだけで半分以上は埋まってしまう。
そんなベッドの上に二人が丸まって寝たらどうなるか。
明らかにどこかでくっ付いてしまうわけだから、気が気じゃないのは察してほしい。
緊張してるのは僕だけじゃないらしく、レイラも緊張してるのか、何だか寝れない様子だった。
当たり前といってしまえば当たり前なのかもしれないけれど。
「あのさ……」
「うん……?」
お互いに背を向けて丸まっているけれど、彼女も僕が起きているのが分かってたみたいで。
彼女は唐突に話しかけてきた。
「何であの時、見ず知らずの私に、食事を奢ってくれようとしたの?」
何だか答えにくい質問だった。
僕は彼女のお腹が鳴ったときに、お腹が空いていると分かったからそうしようと思っただけで、特に他に何か考えてるわけじゃなかった。
むしろそれが僕は普通だと思っていたわけだから、特に考えることでもなかったんだけど、こうやって説明してって言われるとなかなかどういえばいいのか分からなくなる。
「う~ん……。なんていえばいいのかな。……僕にも、よく分からないや」
僕の答え方が悪かったんだろうか。
何だかお互いに沈黙してしまって。
内心僕は彼女に嫌われないかそわそわしながらも、そのまま眠りにつく事を考えてた。
「ヴァル……ちょっと、こっち向いて……」
「え? う、うん……」
いきなり言われたことに疑問を持ちながらも、ゆっくりと彼女の方に視線を向けた。
「……っ!」
彼女の顔が近づいてきたかと思った瞬間。僕の唇に柔らかい彼女の唇が当たる。
しばらく触れた状態でそのまま二人とも固まって。
そして息が苦しくなってきてやっと唇が離れた。
「ぷはっ……なんで……いきなり……」
「何ていうか……私にはこれくらいしかお礼、出来ないから」
顔を赤らめてそう言うレイラ。
あまりの大胆な行動に僕はどうすることも出来ずに、ただ顔を真っ赤にして俯くだけしか出来なかった。
お互いに顔を向き合わせて、荒くなった息を整えて。
ヴァルの顔が赤くなっているのを見て、私も顔が火照っていくのが分かった。
「ヴァル……あのさ」
「……うん」
会ったばかりではあるんだけど、私は確かに彼に対してある感情を抱き始めてた。
自分ではっきりと分かるくらいに。
それだけ、彼に惹かれたのかもしれない。
「私、ヴァルのことが……好きになっちゃったみたい」
「え……」
「嫌……?」
「そうじゃないんだ……えと、その……僕でいいのかなって……」
彼は嬉しそうな、困ったような表情で私にそう言った。
まだ知り合って間もないから、彼の全てを知ってるわけじゃないけど……。
それでも彼の優しさはこの一日だけでも十分に分かった気がする。
もしかすると、私がここを去るのに戸惑っていたのは、彼の存在が大きいのかも。
私は首を横に振って、彼にこう言った。
「ヴァルだからこそ。だから、そんな困った顔しないで」
私たちはもう一度、口付けをした。
今度はさっきよりも長く深い口付けだった。
舌を重ねて、絡めて。更には貪るようにして彼の口の中を嘗め回したり。
彼の口の中は、今まで私があの箱の中で口付けをしたどんな相手よりも甘くて、優しかった。
そんな長くも短くも感じた深い口付けは、お互いにそっと口を離したことで終わった。
私と彼との口の間にできた、銀色に光った線がゆっくりとベッドの上に落ちていく。
「ねえ……この先も、してみない?」
目がとろけそうになっている彼にそう問いかけると、彼はゆっくりと頷いた。
箱の中では嫌っていた行為も、彼となら、喜んで出来る気がした。
あの空白の穴埋めに……そんなつもりはないのだけれど、彼となら。
そんな箱の記憶を忘れられそう、そんな気がしたから。
僕はぼんやりとした視界の中、レイラを見据えていた。
なんというか、今のこの現状がまるで夢みたいで。
初めて会ったばかりの女の仔に、しかも会った日の夜に告白されるなんて。
嬉しいけれど、何だか複雑な感じだった。
本当に僕なんかでいいのか。もっと他にいい人がいるんじゃないかって。
けれども彼女は首を横に振ってくれた。
ただそのことが嬉しかった。
でもなんでそこから交尾に発展するのかが僕には分からなかったけれど。
彼女と舌を絡めたキスをしたとき、何だか顔が火照っぱなしで。
この不思議な気持ちよさが続くのなら、それもいいかな、と頷いてしまった。
果たしてそれが本当にいいことだったのかは。
それを断っていたらどうなっていたかなんて。
今の僕にはよく分からなかった。
「もうこんなになってる……」
そう呟いた彼女が見つめているのは、僕の雄の象徴ともいえるものだった。
というよりもいつのまにか彼女は横になっている僕の足元にまで移動していて。
「うっ……レイラ、何を……」
そして戸惑いもせずに僕のそれを前足で弄り始める。
思わず声を漏らしながらも、彼女にそう問いかけたけど、彼女はそのまま弄り続けた。
「あっ……ちょっと……」
ピンク色を覗かせて、上に向き始めている僕の雄を、彼女は丁寧に前足で上下に撫でる。
動くたびにくるぴりぴりとした、気持ちの良い感触に思わず声が漏れる。
そして彼女は僕の雄に顔を近づけたと思うと、口を半開きにして舌をそれに伸ばす。
「え、ちょっと……レイラっ。汚いって……うあっ」
舌を雄に触れさせた時に彼女にそう言おうとしたけれど、途中で来た快感にすぐに声が漏れてしまう。
彼女は恍惚とした表情で僕の雄を下からなぞるようにして舐めながら、上目遣いでこちらを見ていた。
「汚くなんてないよ……だってヴァルのだもん……」
彼女はそういうけれど、舐められている僕は気が気じゃなくて。
ただでさえもおしっこを出す場所なのに、そこを舐めるなんて、僕には到底考えられないことだった。
「う……あ……なんかっ……出る……」
おしっこをするときと同じような感覚がだんだんと来ているのを感じて、僕は彼女に警告する意味で言ったつもりだった。
だけれどもそれを聞いて彼女は止めるどころか、それを待ちわびていたかのように僕の雄を一瞬でくわえ込んだ。
「あっ……だから……口離してって……う、ああっ!!」
ビュル、と。小さなそんな音がして、僕の雄を甘噛みしていた彼女の口の中に何かを出してしまった。
どうしよう。彼女の口の中に……。
と思った矢先に、彼女が喉を鳴らしてそれを飲み始めたのを見て、僕は絶句していた。
「ちょ、ちょっとっ……なんで飲んでるのっ!?」
「だって、もったいないから……ヴァルの精液、不味くなんてないよ?」
「せ、精液……?」
僕は聞いたことのない言葉を耳にして、ただそれを聞きなおした。
彼女はそれを聞いてくすりと笑うと、笑みを見せながらこういった。
「そっか……ヴァルはまだ知らなくて当然だもんね。この年で知ってる私の方が異端なのかもね……」
呟くように言った彼女は少しだけ悲しそうで……。
何だか質問をした僕が悪いみたいで、僕は必死にどうしようか考えていた。
「と、とりあえず次はどうすればいいの……?」
なんでここで続きを聞くのか僕自身にも分からなかった。多分相当テンパってたんだと思う。
「次……? 次はね……」
彼女はそれを意にも介さずに次の行動を聞かれてそれを実行しようとしてる。
何をするのかとしばらく彼女を見ていると、彼女はこっちの方に自分のお尻を向けてきて。
「私のここ、舐めて……」
「え……?」
「言っとくけど、お尻の穴の下にある方だからね」
彼女にそう言われてよくよく見てみてると、確かにお尻の穴の他に縦のピンク色の筋があった。
これって男の仔でいう……。ってことはまさか?
「ここ、女の仔の……?」
「そう、おしっこが出るところ」
思わず驚きで叫びそうになったけど、彼女に失礼だと思ってなんとか抑えた。
でも、ポケモンに雄と雌の違いがあるから何かかしら違いはあると思ってたけど、まさかここのあるないの違いだとは思ってもなかった。
あまりにも僕はこういうことを知らなさすぎたのかもしれない。
でもそうなると、ちょっと疑問がわいた。
なんで彼女は僕が知ってもないこんなことを知ってるんだろう。
普通雌の人はここなんて淫らに見せるものじゃないのは当たり前だし、見る機会があるほうが不思議なくらい……。
「ねえ……なんでレイラはこういうことに詳しいの……?」
「え……」
彼女ははっとしたような声をあげると、お尻を向けるのを止めてこちらのほうに向いた。
そのときの彼女の表情は、とても悲しそうで。
それ以上なぜか言葉が出なかった。
そんなことを聞かれるとは思ってなくて、私は思わず続けることに戸惑って。
ヴァルは私よりも純粋だけど……だからこそ疑問も多いのかもしれない。
でもこのことを彼に話しても、彼は私を軽蔑しないだろうか。
もしかしたら汚い雌とでも見られてしまうかもしれない。
彼に話して嫌われてしまわないか。
その心配ばかりが、私の頭の中を埋め尽くしていた。
「ごめん……何かまずいこと聞いちゃった……かな」
私の返事がないからなのか、彼がおどおどしながらそう問いかけてくる。
答えにくい質問だったけれど、それは彼に話していない私に非があるわけで。
彼に話すしか……ないのか。
「あのね……これ聞いても、嫌わないでいてくれる?」
「う……うん」
何て身勝手なお願いなんだろう。好き嫌いは彼の勝手なはずなのに。
それでも彼は戸惑いつつもゆっくりと頷いてくれた。
やっぱり彼になら、何でも話せそうな気がした。
嫌われたなら、それはそれで私がそれまでだったってこと。
言わないで隠していた方が、何となく彼にとって申し訳ない気がしたから。
「私……体を売って仕事してたの」
「え……?」
予想通りの反応ではあった。けれども。
「体を売る……? レイラの体は今ここにあるけど……」
……うん。もう少し知らない彼について配慮をするべきだったかもしれない。
私は彼にこれまでのことを話した。
両親が借金を背負ったまま私を置いてどこかへ消えてしまったこと。
その借金の返済のために、私は性欲処理のための道具として、“箱”の中で働いたということ。
そしてその性欲処理のために、私はどんなことをしてきたかということ。
何より、私はもう……。
「だからね……私は汚い雌でしかないの」
「……」
私の話を聞いていたときもそうだったけど、彼は終始言葉を失っていた。
それもそうだと思う。だって彼は今まで純粋な世界だけを見て暮らしていたから。
その裏にあるこんな暗い現実なんて母親はきっと話したくないだろうし、話すときもこない方が幸せに暮らせる。
だからこそ、この話は彼の世界に対するイメージを壊してしまったかもしれない。
それでも、私をただの家無しだと勘違いしてほしくはなかったから。
「汚くなんてないと思うよ……」
「えっ……?」
私の耳に聞こえた言葉。それはまるで信じられないような言葉で。
それでも、私が望んでいた言葉そのままで。
彼はうつむかせていた顔を上げて、続けた。
「だって、そんなに可愛いのに……汚いなんて……」
彼はそう言って。言った直後に恥ずかしいことを言ったと思ったのか、また顔をうつむかせて。
その頬はほんのりと赤色になっていた。
彼からの素直な気持ちを聞いて。
私は静かに彼に近づいていって。
もう一度、彼と口付けを交わした。
レイラが汚いなんて、僕は思ったこともなかった。
彼女は本当に綺麗だと思うし、今は毛並みとかは少しだけぼさぼさしてるけど、しっかりと洗って毛づくろいをすればもっと綺麗になると思う。
彼女がそういうことをしていたのには正直驚いたけど、それはレイラが悪いんじゃないし、今はそこから開放されてるらしいから……彼女を嫌う理由にはならなかった。
もしかしたら僕が完全にその世界の裏側を理解してないって言うのもあるのかもしれないけど、そこはいずれ理解をしたとしても、彼女を嫌いになったりしないと思う。
だって。初めて会ったときから何となく。
彼女を好きになってたから。
「んっ……ちゅ……」
気付いたら彼女はまた僕の唇を奪ってて。よく見たら彼女は涙を流してた。
軽く口付けをしながら彼女の頬を伝ってく涙をすくい上げるように舐めとる。
これが僕が出来ることだと思ったから。
「あ、ありがと……///」
頬を舐めたときはちょっとだけ驚いた彼女だったけど、すぐに笑顔を見せてくれた。
彼女はやっぱり笑顔が可愛いと思った。……って思ってるだけなのに何だか凄く恥ずかしくなった。
「じゃあ……さ。続き、しようか」
「う、うん……」
やっぱりそういうことはするんだね、と思いつつ。
でも、僕も微かに雄が期待しているのが情けなく感じてる。
雄の仔だから仕方ないってのもあるんだろうけど……。
そう思ってるうちに、彼女の割れ目がこっちに向けられた。
赤くぷっくりとしたそこは、微かに濡れていた。
「ここ……舐めてくれる?」
「……やってみる」
生唾を飲んでから、僕はゆっくりと彼女のそこへと舌を伸ばした。
「んっ……」
軽く舌先が触れただけで、彼女は声を漏らした。
これでいいかな。
口では言わなかったけど、彼女の顔を見て僕はそう無言で問いかける。
彼女は恍惚とした表情を浮かべてそのまま頷いた。
これでいいらしい。
何せ僕にとってはこれが何なのかよく分からないから、どうしたらいいのかも、どうすればいいのかも分からないから。
でも彼女が満足してくれてるのなら、これでいいのかもしれない。
「ああっ……ふあ……」
試しに舌先をそのまま割れ目の中に入れてみる。
舌先に何ともいえない味が広がってきたけれど、それも荒い息の中でだんだんと慣れてくる。
彼女が僕の雄を舐めていたように、僕も彼女の割れ目の中を同じように舌をうねらせてみる。
「あっ……いいよっ……凄く……あっ!」
彼女は体をふるふると震わせながらも、甲高い声を上げる。何だか彼女のそんな声を聞いてるだけでもだんだんと体が熱くなってくる。
舌を入れたところから少しずつ液体があふれ出してきて、やがてベッドの上に垂れたのを横目で見る。正直ベッドが汚れることなんて今の僕にはどうでもよくなってた。
「いいっ……いいよっ……ヴァルぅぅっ……!」
彼女はより一層大きな声を上げると、目の前の割れ目から何かの液体が飛び出してくる。
それが僕の顔に思い切りかかって。思わず前足で拭ってしまう。ほんのりと甘いにおいがした。
「あ……はあ……はあ……ごめん、ヴァル」
「ううん……大丈夫。ちょっと驚いただけだから」
この少しだけドロドロとした液体は、僕の雄から出てきた白い液体と一緒なんだろうか。
でもレイラから出てきたのは透明だしなぁ……。
ここで聞くのもちょっと野暮かもしれないし。
「これは愛液って言って……雌のここから出る液体のこと」
「う……うん///」
丁寧にそう説明してくれるレイラ。でも、ただただ真顔でそういうことを喋る彼女に、思わずまた顔が火照ってきてしまう。多分、目に見えるほどに顔が赤くなってるんだろうなあ。
「ごめんね……もう、我慢できない」
「え……?」
彼女は息を整えてそう言ったと思った瞬間。
僕の視界はひっくり返っていた。
気がつけば私は息を荒くしながら彼の上に覆いかぶさるように乗っかっていた。
顔を真っ赤にしながら私の説明を聞いていた彼の姿があまりにも可愛いく感じて気付けば彼の上。
私はこのとき凄く快楽に飢えていたんだと思う。あまり彼を押し倒したときのことは覚えていないから。
「ねえ……ヴァル……私が最初に奪ってもいい?」
「え……? 何を?」
やっぱりこれも知らないんだ。まあ知ってたら私も驚くけど。
「ヴァルの……初めての交尾の相手が……私でいいの? ってこと」
だいぶストレートに言っちゃったけど、私はこれでいいと思った。
何も分からないままに彼と体を重ねるのは間違っていると思うし、することが何かを分かった上でした方がいいと思ったから。
ヴァルは少しだけ固まると、しばらくしてゆっくりと……首を横に振った。
「え……どうして?」
私は思いがけないことに心臓の鼓動が早くなっていくのが分かった。
息が荒い状態だったのに、更に荒くなってきて。
私があわてそうになっているのに、ヴァルは顔色一つ変えずに、口を開いた。
「レイラだからこそ……。だと思うよ」
ヴァルが言ったこと。それは、私への……告白の言葉として受け取ってもいいんだろうか。
私だからこそ……私だからこそ……私だからこそ……。
やばい。なんか顔が火照ってきてる。それこそ燃えそうなくらいに……。
「じゃあ……い、いくよ?」
「……うん」
私は彼のいきり立った雄を前足で手繰り寄せて位置をきちんとしてから、ゆっくりと自分の腰を下ろして、自分の秘部に宛がう。そしてそのまま後はおろすだけ。
「んっ……ああっ……」
彼の雄は今まで相手をしてきた誰よりも小さいのに、何故か入ってくる感触が凄く心地よくて。
そのままゆっくりと、私は彼の雄を秘孔に収めた。
「はあ……はあ……」
まだ入れただけだっていうのに、彼はもう息を荒くしてた。少しここで待ってから動いた方がいいかもしれない。私は経験を何度もしたから快楽に慣れてはいるけど、彼はこれが初めて。私が手加減しないと多分彼は失神してしまうかもしれないから。
「いくよ?」
「……いいよ」
ある程度して、彼は息を整えて。そういった。
私は彼の言葉を聞くと、まず手始めにそっと腰を浮かしていった。
「うっ……あ」
彼が声を漏らさないようにしていても、やっぱり初めてだからかこれでも声が漏れて恍惚とした表情を浮かべていて。何だかこのままもっと淫らな顔を見たいと思ってしまうほどに可愛くて。
「なんだか……変になりそう……あっ」
「もっと我慢してないで……はあはあ……声だしていいんだよ……」
「隣……ああっ……聞こえちゃうよ」
くちゅ、ちゅぷ……と音が段々と大きくなるにつれて、お互いの息の荒さも、声の大きさもそれと同じように大きくなっていく。
「ふあっ……んっ……あっ……ああっ」
「ふふふ……あっ……ヴァル凄く可愛い……///」
彼の雄が私の中に入るたび、彼は足をぴくぴくと痙攣させながらも快楽を受け止めてる。
案外彼はタフなのかもしれない。
……なら、もうちょっと早めても構わないかもしれない。
「ああっ……!」
じゅっ……じゅぷ……ぐちゅ……。
淫らな水音が部屋の中に響き渡る。もちろんここまで聞こえているのなら隣にも聞こえていても不思議じゃない。でもこちらに一向に来ないってことは寝ているのか、もしかしたら容認しているのかもしれない。でもそんなこと、行為が始まってしまってからには止めようがないけど。
「なんか……んあっ……出るぅううっ!」
じゅっ……びゅく……びゅる……。
私の中で彼の雄が脈動して、精を目一杯に吐き出していくのが分かった。ある程度出しても、まだ私の中でびくびくしているところを見るに。まだ続けられる。
それに、まだ私は満足してなかった。
彼だけが気持ちよくなるなんて許さない……。
「んあっ! ちょとレイラ少し休ませ……ああっ!」
「ヴァルだけ気持ちよくなっても仕方ないでしょ……今度はヴァルが攻めてきてよ……」
そう、まだ夜は始まったばかりなんだから……。
仰向けになって、秘部をさらして。そして何かを待っているかのような視線を僕の方に向けてくる。
大体さっきので僕が何をすればいいのかは何となく分かったけれど。
彼女みたいに僕は上手く出来るのか、ちょっと心配だった。
「じゃ、じゃあいくよ……」
「うん。きて……ヴァル」
僕は彼女の返事を受け取ると、深呼吸をしてから彼女にそのまま覆い被さる。
彼女の少しひんやりした体が、僕のお腹に当たって。火照った体を気持ちよく冷やしてくれる。
気持ちが少し落ち着いたところで、そろそろ始めないと。彼女からの視線がだんだんと強くなってきている気がするから。
まずは自分の雄を彼女の割れ目に当てて。
それからそのまま自身の腰を前に突き出した。
「ああっ!」
「んあっ!」
途端に前進に走った強烈な刺激。彼女が僕の雄を割れ目の中に入れたときもそうだったけれど、二度目だからか今度はやけに強烈なものに感じた。
「あっあっ……んっ……いいっ……いいよっ」
「はっ……はっ……レイラっ……」
彼女がそうしたように……と考えることもなく、僕は一心不乱に腰を前後に突き出したり戻したりしていた。
雄のあたりからくる言い知れない快感に任せるように、僕はただ口を半開きにして彼女の秘孔を突いた。
彼女の甲高い声が頭の中に木霊することも凄く心地よかった。何も考えられないほどに頭の中を真っ白なもやが通って、体が宙に浮くような感じがして。
色んな感覚が混ざり合った不思議な状態で、僕はただただ腰を振るだけだった。
「ヴァルぅっ……そろそろ私……イッちゃいそう」
「ぼ、僕もそろそろ……限界だよ……うっ」
「じゃあ……一緒に……あっ」
僕らはそのままお互いに腰を振り合った。そして口を合わせて、唾液を交換するくらいの深い口付けを交わして。
そして、だんだんと加速していくその行為は、やがて雄から何かが飛び出る感覚で、終わりを迎えた。
「あ、あああああっ!」
「レ、レイラぁぁあああ!」
限界を超えて、僕らは奇声をはりあげた。
僕は彼女の中に、あの白濁とした液をただひたすらに吐き出して。
彼女は息を荒くしながらもそれをこわばった体で受け止めて。
全身が部屋の空気に触れてぴりぴりとした感覚に陥りながらも、僕は彼女の体を抱いた。すると、彼女もそっと抱き返してきた。
「大好きだよ……ヴァル」
そう聞こえて。僕は意識を手放した。
静寂の中。シュディアスはただ顔を真っ赤にしながら俯いていた。
原因は言わずもがな、隣の部屋で行われた行為は薄い壁では全くの丸聞こえで。
だが一方のリフェラはその様子を楽しんでみているだけ。まるでこれが予測できたかのように。
「ははは。顔真っ赤にしちゃって、いつもの冷静なあんたはどうしたんだい?」
「まさかリフェラ。分かっててあの二人を同じ部屋にしたのか?」
「なることは覚悟してたよ。ただ実際にそうなるかどうかは半信半疑ではあったけどね」
リフェラのくすくすと笑うさまを見ながら、シュディアスはため息をつく。
元々彼女は二人を結び付けるつもりだったんだろう。それでわざわざ同じ部屋にして、一人結末に耽りながらニヤニヤしていたのだろう。
彼女の計略の大胆さに驚きながらも、元々そういうところに勤めていた頃の名残が出ていてるのかもしれない、と。半ば心の中で彼はため息をつくしかなかった。
「……どうやらお隣さんは寝静まったみたいだね」
「の、ようだな」
リフェラがヴァルとレイラのいる部屋の方の壁を見ながら言った。シュディアスは何故か安堵すると、自分もそろそろ明日に備えて寝ようと踵を返そうとした、が。
「じゃあ……あたし達も……ね」
「ちょと待て……! なんでそうな……うあっ……!」
いきなり飛び掛ってきたリフェラになすすべも無く、押し倒されてしまうシュディアス。
ウインディとマニューラでは明らかに体格が違う過ぎる上に重さも違う。
彼女に手足を四肢で押さえつけられた状態からは、到底抜け出せるすべはなかった。
「姉御には……夫がいるはずだろう。ヴァルという子供がいるんだからな」
シュディアスはこんな状態でも落ち着き払った表情で言った。
リフェラは首を俯かせて、目を細めてため息をついた。
「正確には、いた、ね。それにあたしに子供だけ孕ませておいてトンズラした夫なんて知ったこっちゃ無いよ」
「……」
シュディアスは返す言葉が無かった。元々彼は彼女の夫は亡くなったか、出稼ぎに出てしまっていると思ってばかりいたが、まさかヴァルは逃げた夫との間に成した仔……だったとは知る由もなかった。そうと思っていただけに、その言葉は酷く彼の心に響いた。
「だから……さ。表面上はお互い雇った身、雇われた身でいるとして……。このときだけは」
「くぁ……」
シュディアスの体が跳ねる。リフェラの後ろ足が彼の雄をなぞったからだった。
「少しだけでもいい……。夫として体を重ねてくれないかい?」
少しだけ赤面してはいるものの、彼女の表情はいたって真剣そのものだった。
シュディアスは少しだけ黙り込むと、やがて彼女に顔を向けて、赤面してうなずいた。
「お前を満足させられるかどうかは分からないが……」
「ありがとう……」
リフェラはゆっくりと彼に顔を近づけると、深い口付けを交わした。
ここでもまた、甲高い声が響き渡ることになるのだった。
――けたたましい音。耳をつんざくような音。その元凶を僕は叩いてとめると、それに書かれた時間を見てみる。
おきぬけでちょっとぼんやりしてるけど、それはやがてはっきりと見えてくる。
時間を見て、僕はがばっと起きた。
「ああっ! 寝坊したぁあああ!」
慌てて辺りを見回して、ふと何かが違うことに気付く。
「あれ……? レイラ?」
レイラがいない。もう起きて下で働いているんだろうか。
朝は意外とお客さんもくるから、早めに準備しておかないといけないのに、昨日に引き続いてまたもや寝坊という失態をしてしまった。
「とりあえず下に行かないとっ」
僕はベッドから飛び降りると、ドアを押し開けてそのまま階段を駆け下りていく。
ドタドタと降りていくと、そこはがらりとした店の中。
「あれ……?」
そういえば、今日は水曜日……だったけ。
うちの店は毎朝基本的には営業してるけど、水曜日だけは例外に朝はお休みすることになってる。
開店は今日の昼頃から。
ってことはレイラは今どこに……?
ふとあるテーブルになにやら紙が置かれていて。
本来はやっちゃいけないんだけど、テーブルの上に飛び乗ってそれを見た。
「レイラ……なんで……!」
その内容を見て、僕はすぐさま店から飛び出した。
彼女を……追いかけないと。
ヴァルへ
私はこれ以上あなたの家でお世話になるなんてことは出来ない。
逃げてきたの。私の体を売って商売をするところから。
これ以上あなたの家に居たら今度はあなたの家の人たちが危ない目に遭うかもしれない。
何も恩返しなんか出来なかったけれど、ごめんね。
絶対に私を探さないでください。
レイラより。
そんな内容の手紙を残して。私は貴族街の入り口に来てた。ここから先はもう後戻りは出来ない。
彼の家以外は私が受け入れられるところは無い。他には私の体を求めてる場所のみ……。
あそこなら誰にも迷惑はかけないし、彼らにも被害は及ばない。
それに、親のツケを払うのはこの役目だから……。
でも、彼に何も言わないであそこから出てきたのには、ちょっとだけ心残りがあった。
彼ともう一度キスをして、大好きだよって言いたかった。でも、もう戻れない。
私は商業街から貴族街の入り口の方に踵を返すと、そのまま歩き出そうとした。
「レイラ!」
後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
来てくれたんだ……。嬉しいけど、なんか複雑な気分。
慌てて走ってきたって事は、彼は私の手紙をちゃんと読んでくれたんだよね。
「ヴァル……ごめんね。私にはそれしか言えない」
……何を言ってるんだろう。私。
それ以外にも言うことあるはずなのに……。
夜の時には行為の後すぐに寝ちゃって全く持って覚えていない私の告白を、もう一度ここで言おうと思っていたのに。口から出てくるのは謝罪の言葉だけ。
何やってるんだろう。ホントに……。
「レイラ。どうして? どうして君が居ると僕の家が危なくならなきゃいけないの?」
やっぱり手紙の意味を理解してなかったのかもしれない。
彼はそのまま続ける。
「分かんないよ! いきなり僕のこと好きだって言ったくせに! なんで!」
彼は泣いていた。目から零れた涙はそのままタイルに小さな染みをつくった。
私は確かに彼を守るためにここを去ろうとしてるのに。
なんで逆に彼を傷つけてしまってるんだろう。
私はゆっくり彼の近くまで歩いて行って、彼の首に前足を回して抱きついた。
「ごめんね……でも私は追われてる身だから」
「それでも僕は構わないから……だから……」
そう言った彼の体はかすかに震えていた。
確かに彼に辛い思いをさせることになるのは分かってる。
それでもやっぱり危険に晒すことになるから。
「別にあたしはそれを覚悟の上で、あんたを家に置くことを決めたんだけどね」
「え?」
ヴァルの後ろから聞こえた声。それは紛れもなく彼の母親の姿だった。
彼女はやれやれといったようにため息をつくと、私に近づいてきて言った。
「それに、あんたが食べた分、まだ働き終わってないからね。戻ってきてもらうよ」
「え? えっ?」
私はそのまま彼女に首根っこを咥えられて。そのまま軽々と持ち上げられてしまう。
ヴァルはその様子を唖然としてみていた。
「じゃあ帰るよ。あたし達の我が家にね」
なんだかいままで必死に頭の中で考えてたことが一気に崩された気がした瞬間だった。
もちろん。彼女の判断には今でも感謝してる。だって……なぜなら。
「お~いレイラ~! こっち~!」
丘の上からそう叫んでいるのはヴァル。丘の上には一本の大きな樹があって。
彼が言うのにはそこがお気に入りのスポットだそうで。
最後の坂を登り終えると、一息ついてから彼の元へと向かう。
木陰に入ると、火照った体を涼しい風がゆっくりと冷やしてくれる。
確かにここならくつろげるかもしれないし、何だか不思議と疲れも忘れてしまう。
さっき洗ってきたお皿のタワーの疲れも、ここで癒せそうな気がした。
「ねえ……ヴァル……」
「うん?」
木陰で二人とも伏せりながら、街を見下ろしてた。
ここからだと、何もかもがちっぽけに見えた。
それでも、私たちは今あそこで生きてるんだなと思うと、少しだけ複雑な気持ちがした。
「こっち向いて」
少しだけそれで不安になっても、私の隣にはヴァルがいてくれる。
そう、彼が居てくれるから。
「ん……」
彼と口付けを交わす。これで一体何度目になるのか分からないくらいに交わした誓い。
「ぷはっ……レイラあの夜の後から結構積極的だよね」
「ふふふっ。じゃあこの続きもする?」
「……敵わないなあ、ホント」
彼が困ったように笑う。
私はゆっくりと彼の上に覆いかぶさると、笑みを彼に返して。
「大好きだよ……ヴァル」
「僕もレイラのこと、大好きだよ」
自分を理解してくれようとする人。理解してくれるかけがえのない人。
大切な彼が隣に居てくれるだけでも、私は幸せだと思った。
Fin......
あとがき
長いようで短い執筆期間でした。
これにて『名無しさん@Wiki作家の一人』の名は見納めとなります。
避難所の謝罪として書いたこの作品。
惜しいですけれど永久的に作者の名は明かしません。
作品だけを純粋に楽しんでいただけたらな、と思います。
それではまた……会わないように願いたいですw はいw