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砂の夢

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 初めは自分が焼かれているのだと思った。そして次の瞬間には、恐怖するでもなく、絶望するでもなく、ただぼんやりと在るがままに現状を受け入れている私がいた。
 思考が虚となった抜け殻のような状態が暫く続き――空白の意識では、時間を推し計る事すらできなかったので、暫くとしか言い様がない――、私は先の判断が間違いだったのだと理解する。本当に焼かれていたのならば、耐え難い痛みに泣き叫ぶだろう、窒息してもがき苦しむだろう。しかしそういった死に瀕する者の感覚は一切襲っては来なかったのだ。私の意識が戻ってから、暫くだとしても時間は経過している。とっくに命が燃え尽きているはずだ。私は死んでいなければおかしい。しかし実際問題、私はこうして思考している、消えてなどいない。では、何故焼かれていると思い込んだのだろう。
 錯覚の原因は色にあった。見るもの全てが、火の色を宿していた。赤、橙、茜、煤の黒、炎を連想させる色合いの陰影がうねる。しかし本物の火が湛えているだろう揺らめきを、それらは一切持ち合わせていなかった。
 正体を見極めようと、私は目を凝らす。
 彼方まで裾を広げた砂の群れが、斜陽にじりじりと焦がされていた。焼かれていたのは私ではなく世界の方だった。ざらついた火色の砂丘は透明な静寂の中に横たわり、燃える天蓋に(くる)まれてただ時が過ぎ去るのを待つ。充満した熱気もまた、火によく似ていた。誤解を招いたもう一つの要因がこれだ。
 ようやっと、私は私の置かれた状況を正確に把握した。夕暮れの砂漠に、私はたった独り呼吸している。これまでの事も、これからの事も、白痴の如く知らぬままに。ぶつ切りにされた意識の中に、突如放り出されて呆然と佇む私は――。
 ――私は、誰だ? その問いに答える言葉は空に融けた。
 ああ何という事だろう、滑稽を通り越して憐憫の情すら抱く体たらくだった。私は自分が何者なのか、何故ここにいるのか、私が『私』として在る為に必要なものを何一つ所持していなかったのだ。決して失くしてはならないものばかりが欠落して、がらんどうの私はここにいる。空虚な中身を不安や寂寞や孤独が満たしてくれなければ、私はここに存在しているかどうかすら危ぶんでしまうだろう。
 途方に暮れて、私は黄昏に凪いだ砂漠を見つめていた。積み重ねた記憶がなければ先に進めない。自分の立ち位置がわからなければ、進むべき道を見出せないからだ。未来を手にする為には過去が無ければ話にならない。でもどうすれば、記憶を取り戻せるのだろう。
 ああもしかしたら。私の中に淡い光が閃いた。
 この茫漠とした火色の世界に、私が置き去りにしてしまった『私』の欠片が埋もれているのではないか。ここで意識が覚醒したのには、必ず理由がある筈だ。一縷の望みに縋りつき、私は捜索を決意した。幾万、幾億、いや、限り無く無限に近い砂粒の中から、在るかもわからない『私』を拾い集めるなど、愚かで莫迦げた行為だと蔑まれるだろう。しかしそれでも私はやるしかない。過去も未来も今さえも、曖昧な陽炎の向こうに隠されてしまった私には、それ以外の選択肢すらも示されていないのだから。



 砂漠には、崩れ朽ち果て、砂に呑まれて眠る運命(さだめ)にある建物の残骸が、墓標のようにぽつりぽつりと散らばっていた。絵画のように現実感が希薄で、けれども色褪せた絵本にも似た郷愁を抱かせる光景。そこかしこで幾度も、ぼやけてざらついた映像が脳裏を通り過ぎる幻影を視た。やはりこの砂漠には、『私』の手掛かりが隠されているらしい。
 暖色から寒色に移ろい始めた砂漠が、緩やかに背後に流れていく。砂丘を登り、降り。崩れた塔の礎を周り。私は形も存在も定かではない、『私』の残滓を捜し続けた。
 沈黙を護り続けた無機物の世界で、不意に声を聞く。若しくは聞いた気がした。停止する。
「こっちだよ」
 風が吹けば掻き消えてしまいそうな、(おぼろ)気な声だったと思う。延々と変わらぬ世界を彷徨い続けた私の、疲弊した脳が生んだ幻聴だろうか。自分の聴覚に確信が持てずに、私は再び進もうとして、
「こっちだよ。さあ、来て」
 今度は間違いなく声を聞いた。それも明らかに私に向けられているもの。声は砂の海の只中にぽっかりと開いた薄闇から漂っているらしかった。まだ在りし日の面影を残す遺跡の中から、愁いを帯びた声が呼ぶ。
 誘われるように、私は砂と人工物の境目を潜り抜けた。ひやりとした温度が纏わりつく。私の侵入によって乱れた空気に、脆い石壁が乾いた音を立てて削れた。ほんの僅かに、遺跡が忘却に近づく。
「どこに行っていたの? 探したんだよ」
 薄闇の中に、奇妙な生き物が浮いていた。炭を塗りたくったようなくすんだ黒の身体に、細い人の手を生やした生き物。腰から下は足の代わりに尻尾に似た器官を垂らし、その先に――虚ろな人の顔。悲鳴を飲み込み、よくよく見ると、それは人の顔を模した仮面であった。本物の顔は本来の位置に。泣き腫らした目にも似た縁取りの中に、黒く潤んだ本当の目があった。目はじっと私を見つめている。
 私は暫しその生き物を眺めた。妙な感覚が私の中を駆け巡っていた。泣いてしまいたい程に優しく、懐かしい温もりが身体の芯にじわりと満ちていく。永久を交わした恋人の腕の中を彷彿とさせる、緩やかな歓喜だった。ああずっと、逢いたかった。
 この生き物は砂漠と同じく『私』を取り戻す欠片の一部に違いなかった。ここまで感情を揺り動かされたのに、決定的な事実を掴めないのがもどかしい。唇を噛み締めた。
「もしかして、失くしちゃったの? 何も覚えていないの?」
 生き物は寂しげに語り掛ける。聞き覚えのある声が霧を押し退け、私の奥に差し込んだ。
 そうだ、少しだけだが思い出した。彼はポケモンという生き物の一種で、種族は確かデスマスといった。――彼?
 何故私は『私』すら知らないのに、デスマスを『彼』だと認識した? 声は高くも低くもなく、中性的で性別の判断は出来ないというのに。やはり、私はこのデスマスを知っている。砂に埋もれた遺跡を掘り起こすように、霞の彼方から記憶を拾い出せ。
 彼は、真っ赤に濡れた目の縁を際立たせ、私が思い出すのを願っているかに見えた。しかし一向に私の喉が言葉を紡がないのを目の当たりにすると、死に逝く星のような儚い笑みを零した。その微笑みすら見覚えがあるのに、答えに辿り着けない。
「きみは、ぼくの大切な人だったんだよ? 何もわからないの? ……そうか、じゃあ、ぼくも探してあげる。見つけたら、また一緒に――」
 ほろりと言の葉を残し、デスマスは飛び去っていった。暫し、闇に消えた後ろ姿を見送る。それは或いは、暗がりの中に『私』の欠片が描かれるのを期待していたのかもしれない。生者の途絶えた空間に静謐が蘇る。
 相も変わらず核心に迫る記憶は戻ってくれないが、私はデスマスの言葉からある一つの可能性を推測した。
 私は旅人だった。パートナーはあのデスマス。旅の途中に立ち寄った遺跡を二人で巡っていた。
 ところが観光の最中、私達はあろう事か砂嵐に呑まれ、離れ離れになってしまった。そして砂嵐に巻き込まれた衝撃と熱気により、私は一時的に記憶を失くしてしまったのだ。この筋書なら何もかも辻褄が合う。デスマスは、彼自身の棲家となるモンスターボールを一緒に探してくれると言ったのだろう。私と彼を結びつける絆の象徴を見れば、私はきっと『私』を取り戻す。その暁に、また一緒に旅をしようと言ってくれた。なんて健気で清廉なのだろう、こんな頼りない私の為に彼は心を砕いてくれる。彼は昔から優しかった。そう、昔、から。
 昔。
 漸く掴めた『私』の名残を必死に手繰り寄せた。
 少しずつ湧き上がる記憶の中に彼はいた。明るい陽射しの元、朗らかな喧騒に包まれた街を私と彼は歩いた。色鮮やかな花畑で歌い、飛沫を上げる噴水の傍で戯れた。喜びが随所に芽吹いた光の世界。遠い眩しい記憶の中に、私と彼は確かに居た。身に余るほどの幸せに、軋む胸の痺れさえ見透かせる。だのに肝心の『私』そのものに関する断片だけが、綺麗に削り取られ隠されている。答えは何処に。いやきっと、間も無くの筈だ。
 ……いつまでも立ち呆けているわけにもいかない。彼に頼り切りだった自分を変える為に、私はここに来たのだから。
 私の知らない『私』の決意がそう囁いた。


 
 閉ざされた遺跡の中に、幽かな風が巻き起こる。常ならば身構えるはずの不可解な現象にしかし、私は狼狽えるでもなく風の主を待った。私はそれを知っているのを知っていた(・・・・・)。抜け落ちた記憶に、物悲しい笛の調べに似た声が重なる。
 極彩色の翼を翻し、鳥を模した異形がゆらりと宙を滑る。古より息づく守り神の姿が石回廊の奥から現れた。種族はそう、シンボラー。
 表情の読めない一つ目が瞬き、勿忘草が私を写し取る。シンボラーは音も無く私の前で静止すると、また哀愁を込めて鳴いた。
「お、待ちして、おりまし、た」
 何処か遠い異世界から届いたように、輪郭を持たない声だった。静けさを引き立てる不思議な声が、私を招く。
「案、内し、ます」
 主語を欠いた言葉に疑問を抱かないのは、この空間が余りに浮世離れしている為か、私が『私』に近づいている為か。どちらにせよシンボラーは、『私』を捜す最後の道しるべとなるだろう。私は無垢な雛鳥のようにシンボラーの轍をなぞった。曲がりくねった回廊を、こうして何度駆けただろう。目を閉じれば、死んでしまった両親の懐かしい笑みすら聞こえてきそうで。
「さあ、こ、こに、あなたの求、めるもの、があ、ります」
 やがてシンボラーが翼を止めたのは、遺跡の一室。天井が崩壊し、蒼い月光が粛々と降り積もる。シンボラーがゆるりと羽ばたく度に、白い砂粒が舞い遊ぶ様はまるで夢。厳かな夜が満ちる中、部屋の中央。見覚えのある欠片が転がっていた。どくりと鼓動が跳ね上がる。欠片から目を逸らす事も叶わずに、私は遂に答えに辿り着いたと悟った。
 行くな。行け。見るな。確かめろ。
 ざわつく心が叫ぶ。私は遅緩な動きで、欠片を目指し距離を縮める。心臓が大きく脈打つのを、耳ではなく体感で聞く。
 相反する命令を同時に下す心は、どんな真実をその奥に抱くのか。未だ私はその真意を紐解けていない。しかし、砂と静寂に塗れた放浪の旅は着々と終焉を迎えつつあった。私は今ここに、私の求める『私』を見出したのだから。
 何処からかデスマスの、愛しい彼の声がした。私を呼んでいる。あの日と同じ想いを込めて、輪廻の果てに巡り会えた奇跡を讃えて。ふらりゆらりと、導かれるまま私は欠片の前に手をついた。落とした視線の先に、それは静かに在る。語り掛ける。それを目が写し、網膜に像を結び、脳が反芻する。
 すうっと染み入るように霧が晴れた。
「ああ、そうか。そうだったのか。わたしは――」
 私と同じ顔で眠る仮面を前に、『私』は全てを思い出した。


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Last-modified: 2015-05-12 (火) 06:45:36
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