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環境音

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非官能部門につき、官能シーンはありませんが、人×ポケモンのカップリングです。
苦手な方は注意。


WRITER:砂金



「わ、すごい雨」
 カイリューと病院の中にいる間に、雨はますます強くなる一方だった。
 自動ドアが開くと、雨粒がアスファルトの地面を怒り狂ったように打つ音が、耳に飛び込んでくる。
風が並木の枝を暴力的に揺らしている。
空は黒々とした厚い雲に覆われ、まだ昼前なのに夜のような暗さだ。雷鳴さえ遠くから響いてくる。
「夕方にピークだって言ってたから午前中に来たのに」
 私は風に抗ってなんとか安物の傘を開く。
雨は水平に近い角度で襲いかかってくるため、下半身は全くと言って良いほど防御できない。
それでも、形式として私は意固地に傘を差すことにする。
一方カイリューは早々に諦め、濡れるがままに歩いている。
目に入ってこようとする雨粒に対しても、目を細めることで対応しているようだが、私としてはやっぱり、顔を守るためだけでも傘を差せば良いのにと思ってしまう。
「今からこんな様子じゃ、夕方は相当ひどくなりそうね。それとも予報が外れて今がピークなのかな?」
「うん…」
 問いかけに限りなく近い私の言葉にさえ、カイリューは曖昧な返事しかしない。
傷付きまではしないが、少しの寂しさを覚える。
 でもカイリューをこんな状態にしたのは、他でもない私なのだ。


 初めは自分でも気が付かなかった。
飽くまでも、自分の感情はトレーナーとしてポケモンに与えるべき一般的な愛情の範疇に収まるものと、信じて疑わなかった。
カイリューが嬉しければ私も嬉しいし、カイリューが悲しければ私も悲しい。
それは当然のことであって、私の中ではリンゴが木から落ちるのと同じくらい真理だった。
 でも、ある日テレビ番組で、絆の次元を超えて互いに愛し合うに至ったポケモンと人間が紹介されているのを観て、私は突然悟った。
私のこれは単なる愛情じゃなんかない。私もテレビの中の彼女と同じ。
私は異性としてカイリューのことが「好き」なんだ。
瞳に優しい光を宿し、穏やかでマイペースで、でもちょっと優柔不断なカイリューが。
 そう考えることで納得がいくこともいくつかあった。
カイリューが、仲良しの雌のフライゴンのことを楽しそうに話すときに感じる、胸の奥の焦げ付き。
当時付き合っていた男の人に対して抱いた、なにか不明な後ろめたさ。
カイリューの体に触れたときの、かすかな鼓動の高鳴り。
私がカイリューを「好き」だとすれば、全てつじつまが合ってしまう。
 そのようにして、私は長年の自らの思いにようやく正しい名称を与えることができたのだった。
 最初は衝撃だった。そんなことになるなんて露ほども思っていなかった。
しばらくは学問に携わりながら楽しく暮らして、大学院を出たら就職して、数年後に(できれば当時の彼氏と)結婚して、並一通りの家庭を築いて、名も無き群衆の一人として平凡に死んでいく。
 ――そんな人生になると決めてかかっていた。
 でも事実は違った。
私はこうしてカイリューのことを好きになってしまったし、そうなった以上は彼氏に別れ話を持ち出すほかなかった。
私の想いは日増しに膨れ上がり、とても封殺できるような代物ではなくなっていったのだ。
 そこからは苦悩の日々だった。
 カイリューの一挙手一投足が愛しく思えて、暇さえあれば目で追っていた。
スキンシップも積極的に取るようになった。
でも、私の気持ちが報われることなんか絶対に有り得ないと分かっていた。だから尚更辛かった。
立ちはだかる種族の壁は途方もなく巨大だった。
 いつも近くにいるのに、カイリューは私の本当の気持ちに気づいてもくれやしない。
そんな風に勝手に見当外れな恨めしさを覚えることさえあった。
近くにいるのに、じゃなくて、近くにいるからこそなんだと分かっていたくせに。
 しかし、やはりというかなんというか、膨れ上がりすぎた想いはついに破裂した。三日前のことだ。
それ以上押さえ込むことはもう不可能で、気付いたら「好き」とカイリューに向かって言っていた。
「もちろん僕だってナオのことは好きだよ」とカイリューはきょとんとして答えた。
「そうじゃないの」と私は言った。
「そういう意味じゃなくて、私はね、あなたのことが好きなの」
「え…それって…?」
 いくらカイリューが鈍いとはいえ、流石に私の真意に気付いたようだった。あまりの驚きで二の句が継げないでいた。
「突然こんな事言い出してごめん。わがままな感情だってことは自覚してる。…でも、私にはもう無理だったの。自分の気持ちを隠して暮らしていくなんて」
 ぽつりぽつりと体の奥から無理矢理絞り出してきたような私の言葉を、カイリューは驚きに目を見開きながらじっと聞いていた。
「…どんなに時間がかかってもいい。だから、カイリューの答えが欲しいの。そうじゃないと私、自分の気持ちに踏ん切りがつけられないの」
「………」
「待ってるから。…こんな駄目なトレーナーで、ごめんなさい」
 そこまで言い終えると、私は逃げるように、というよりむしろ逃げるために、浴室へ向かった。
 シャワーを流しながら、私は泣いた。
いくら涙を止めようとしても徒労に終わった。涙はどこからか次々と流れ出た。
私はとうとう告げてしまったのだ。もうこれまでの関係には戻れないかもしれない。
全部、私のせいなのだ。
そう考えると、心は後悔と自己嫌悪に蝕まれ、涙はますます止まらなくなり、嗚咽が浴室の外に漏れないようにするので精一杯だった。
 シャワーが私のこの愚かしい感情を綺麗さっぱり流し去ってくれれば良いのに、と私は涙かシャワーの水かもはや分からない液体で頬を濡らしながら思った。
 その告白以後、やはりと言うべきか、カイリューの言動はあからさまにぎこちないものとなり、私と目を合わせてくれなくなった。
カイリューの方から話しかけてくることもめっきり少なくなり、私から話題を振っても会話は長続きしなかった。
始終物思いに耽っているらしかった。
 それでも私はなるべく以前と同じように意識してふるまうことにした。
どうせカイリューから肯定的な答えをもらえるなんて期待はしていなかったのだ。
何事も無かったかのようにふるまって、難しいかもしれないがまた仲の良いトレーナーとポケモンの関係に戻れるよう努力することが、私にできる全てだった。
 

 そして今日、告白から一週間となる日を迎える。
相変わらずカイリューは常時悩ましい表情を見せている。雨に濡れるのも厭わず、私の半歩後ろをびったりくっついて歩いている。
 オレンジとベージュを足して二で割ったような色のその体に、勢い良く雨粒が降り注ぐ。家に着いたら体を拭いてあげないと。
 突如として辺りにいっそ神々しい重低音が響きわたる。雷だ。さっきまで遠かったのに、いつの間に近付いてきたのだろう。
万が一雷に打たれでもしたらただでは済まない。自然と足取りが早くなる。
しかし歩調を早めると、一定のペースを保ったままのカイリューと距離が開いてしまったので、私は慌てて元の歩行速度に戻す。
 そういう風にして、私たちは黙々と歩みを進める。
幾度か話題を振ってみても、会話はすぐに途切れてしまう。その度に私は自らの不甲斐なさを身に沁みて思い知る。
しかもよりによってこの雨と風だ。ジーンズの裾は当然のようにびしょ濡れになり、そこから感じる冷たさがますます私を痛めつける。
 苦しい。自分で自分を傷付けるだけならまだ良い。しかし私はカイリューのことさえ傷付けている。
最悪なトレーナーでごめんなさい。私は心の中で謝る。ごめんなさい。許して、こんな馬鹿な私を。

 歩行者信号が赤を灯し、私たちは立ち止まる。ここの信号はいつもやけに長い。
この横断歩道をわたって10分ほど歩けば、我が家に着く。
 そう言えばお昼ご飯は何にしよう。全く考えていなかった。体も冷えてしまったことだし、何か温かいものにしようか。
…と、そこまで思いついたのは良いものの、具体的に何を作ろうという案が浮かばない。
昨日買い物に行ったばかりだから一通りのものはあるはずだけど…。
「カイリュー、」
「ナオ、」
 奇しくも私とカイリューの声が重なり、私は咄嗟に口を噤む。
少し驚いた様子のカイリューと、久し振りに目が合う。
するとカイリューは途端に頬を紅潮させて、すぐに顔を反対に向けてしまう。いつもならなんてことないことなのに。
「カイリューから先にどうぞ?」と私は努めて明るく言う。
 しばし沈黙。騒がしい雨と風と車の音だけが辺り一帯を満たす。
たっぷり5秒経ってから、やっと返答が来る。
「いや…僕のが後で良いから。…ナオが先に言って」
 心なしか、若干声が震えているように聞こえる。どうしたんだろう?
「うん、えーとね、今日のお昼ご飯、なにか食べたいものある?できれば温かいものが良いかな、と思うんだけど」
「…なんでもいいの?」
 何だか深刻なことを話しているようなカイリューの声の調子におかしさを感じて、ちょっとだけ頬が緩む。
「うん、まぁとりあえず言ってみて」
「…じゃあ、ドリアが食べたい、かな」
 カイリューは少し思案したのち、遠慮がちにそう答える。
ドリアか。確かグラタンの素の買い置きがあったはず。お米もこんなこともあろうかとサ○ウのごはんを常備している。
鶏肉も買ったばかりのものがあるし、他の諸々もたぶんあるだろう。大丈夫そうだ。
「オッケー。じゃあお昼はドリアね。で、カイリューは何の話?」
「えっと…それは…」
 カイリューは何やらもごもごと口ごもるばかりで、なかなか言い出そうとしない。そのまま顔を真っ赤に染めて俯いてしまった。
私が黙って続きを待っていると、まもなく信号が青になった。
それを良いことに、ほら渡ろう、なんて言ってごまかすように早足でさっさと行ってしまう。
 そんなカイリューの様子を見れば、彼が私の告白に対する返事をしようとしていることを悟るのは実にたやすいことだ。
いくらなんでも分かり易すぎ。自覚はないのだろうか。
「そんなに急がなくたって大丈夫でしょ」と笑い混じりに言いつつも、私は内心穏やかでない。
むしろ、私の心はまさに今のこの嵐に負けず劣らず吹き荒れている。
心拍数が急上昇し始め、雨に濡れて冷え切ったはずの体が熱を帯び始める。
 とうとうこの時が来たんだ、と私は歩きながら思う。
否定的な答えが返ってくることは分かっている。問題はその後のことだ。
…私はカイリューへの想いを断ち切ることができるのだろうか?
いや、違う。できるできないの話ではない。断ち切るのだ。必ず。
世界で一番大好きなカイリューのために。
 気付くと、カイリューがこちらに視線を送っている。
私はいつの間にか伏せていた目を上げ、視線を合わせる。
今度はカイリューは目を反らさない。彼の緊張と鼓動がひしひしと伝わってくる。
「この間の、ことなんだけど」とカイリューは言う。
「この間のことって、何?」と私は言う。
ちょっと意地悪な質問かもしれない。でもこれは訊くべきことなのだ。
「ナオが、僕のことを、その…好きだっていう話」
 カイリューは既に赤い顔をますます赤くしながら言う。林檎みたいだ、と私は場にそぐわないことを思う。
「うん。それで?」
「ナオは返事が欲しいって言ったから。だから、その返事をしようと思って…」
「ありがとう。真剣に考えてくれたんだね」
「当たり前だよ!」
 カイリューは突然声を張り上げて、それから「しまった」というような表情を浮かべる。
「ごめん…」とカイリューはしゅんとしながら言う。
「だって、他ならぬナオのことだもん。真剣に考えないわけ、ないよ」
 私はその言葉を聞いただけで、涙がこみ上げてきそうになる。
私はこんな自分勝手なトレーナーなのに、カイリューはこんなにも優しく接してくれる。
私がカイリューを好きになったのは、この優しさゆえなのかもしれない。
 やがてカイリューは語り出す。
「ナオが僕のことが好きだって言ったときは、本当にびっくりした。
その時も言ったけど、僕は、ナオのことが…好きだった。一緒に暮らしていてすごく楽しいし、リラックスできる。
毎日が幸せだった。ナオのポケモンになれて良かったって、心から思ってた。」
 カイリューはそこまで言うと、一旦言葉を区切った。依然豪雨と強風は続き、辺りはそれらが立てる音で満ち満ちていた。
「でもね、正直言って、混乱しちゃったんだ」
 カイリューは声のトーンを少し落とす。
「僕はナオのことがトレーナーとして、友達として好きで、当然ナオもそうだと思ってた。
…でも、違ってた。ナオは僕のことを…恋愛対象として見てた。…少なからずショックを受けたし、裏切られたような気持ちにもなった」
 カイリューの一言一言が、鋭い針となり槍となって私の心に突き刺さる。
…やっぱりそうだったんだ。そうだよね、当たり前だよね…。
「だから、ナオが僕のことが好きだって言ってから3日くらいは、何も考えられなかった。というより、考えたくなかったんだと思う。
考えるのを先送りにして先送りにして、告白がなかったことになってしまえば良いのに、って。たぶんそんな風に思ってたんだ。
…そんなのただの現実逃避なのに」
 そう思ってしまうのも無理はない、と私は思う。誰だって不都合なことからは逃げたくなる。
でも、私はその不都合なことをわざわざカイリューに与えてしまったのだ。その罪は、軽くない。
「でもね、僕、夢を見たんだ」
「夢?」
「うん。…ナオが、ある日突然いなくなっちゃう夢」
 そう言うカイリューの声音には苦痛の色が濃く滲み出ている。
「すごく鮮明な夢だった。朝起きてリビングに行くと、ナオがいないんだ。
あれ、今日は珍しく起きるのが遅いなって思って、ナオの部屋のドアをノックすると、反応がなくて。それで、思い切ってドアを開けてみたら、ナオはいない。
トイレかなと思ってトイレをノックしてみても、いない。お風呂にもいない。家中どこにも、ナオはいない。
…それで、突然分かるんだ。ナオはもう二度と戻ってこないし、二度と会うこともない。ナオはどこかへ消えちゃったんだって。
どうして分かるかは分からないけど、ただ分かるんだ」
 カイリューは今にも泣きそうな様子で、それでもつかえることなく喋り続ける。
「…それで、僕はどうすることもできないで、泣いて泣いて泣き腫らして、気付いたら目を覚ましてた」
「そんな夢を…。わたし、全然知らなかった…」
「…ナオに気付かれたくなかったから、赤くなった目を見られないように、目が覚めてからもしばらく布団の中にいたんだ。…本当に、酷い夢だった」
 ああ、これも私のせいなんだ、と思う。私がカイリューの心をいたずらに揺さぶってしまったから。不用意に傷付けてしまったから。
「けど、その夢のお陰で、ちゃんとナオのことを考えようって決心できたんだ。僕にとってナオは一体何なんだろうって」
 とうとう本題だ。私は心構えをする。恋が実らなくたって、というかまず実らないだろうけど、私は動じない。
それを受け入れてこの恋を忘れてしまうことが、私のせめてもの罪滅ぼしなのだから。
「…僕は、ナオのことが好きだよ。トレーナーとして、友達として。だから、これからもずっとずっと、一緒に暮らしていければ良いな。
…僕は、ナオがいなくなっちゃうなんて、ナオと別々になっちゃうなんて、嫌だよ」
 私はそれを聞いた途端、もうこらえきれなくなる。堰を切ったように、両目からぼろぼろと涙がこぼれる。
あなたはなんでこんなに優しいの?私はあなたのことを散々困らせて、混乱させて、動揺させて、傷付けたのに。
「トレーナーとして、友達として」という言葉に、私は私の愚かしい恋の終わりを知る。でももうそんなことはどうでもいい。
またあの日々に戻れるのなら、私はきっと想いを断ち切れる。
「ありがとう…わたし…」
「でもね…それだけじゃ、ないんだ」
「え?」
 私は涙声で問う。
「それだけじゃないって、どういうこと?」
 するとカイリューは、いつも通りに戻っていた顔を再び紅潮させ始める。
そんなカイリューに雨は相変わらず容赦なく打ちつけるが、いまやそんなことは問題ではない。
「僕さ、たぶん自分に嘘をついてたんだよ」
「自分に、嘘を…?」
 私のもうほとんど独り言のような反復には言葉を返さず、カイリューは最も適当な言葉を見つけ出そうとするかのように、やや間を置き、それから口を開く。
「ナオの感情が間違ってて、僕の感情が正しいって思ったんだ。だって一般的にはそうじゃん?
僕はナオのことが好き。自分のトレーナーとして、友達として。それはよくあること
。でもナオは僕のことが異性として好き。でもそれは普通じゃないこと。なぜならポケモンと人間だから。
だから、ナオがなにか一時的な要因で自分の気持ちを誤解してるだけなんだって思った」
 私は口を半開きにしてカイリューの話を一言一句漏らすまいと必死になって聞く。でも何故か文脈が掴めない。
いったいカイリューは何を言おうとしているの?
「けど、考えてみるとそれって馬鹿な話だよ。
自分自身の気持ちと向き合うこともしないで、世間一般で普通なことを自分にとっての真実だって思いこんでるだけ。
自分の本当の気持ちを認めたくなくて、認めるのが怖くて、安心安全なレッテルを貼り付けてごまかしてただけだった」
 私は話を聞くので精一杯で、傘を風に合わせて傾けるのも忘れる。あっと言う間に上半身までびしょ濡れになるが、そんなことには気が回らない。
「僕はナオのそばにいると楽しくなるし、ナオが笑ってるのを見ると僕も嬉しくなるし、ナオが辛いときは辛い。
ナオが大学院の研究につきっきりのときはすごく寂しい。たまに喧嘩もするけど、それでも死ぬまでずっと一緒にいたいって思える。
昨日気付いたんだ。…つまりさ、これって…」
「え…」
 胸が早鐘を打つ。体の中で血をまき散らしながら心臓が破れてしまいそうなほどに。これほど水に溢れた空間なのに、口の中が異様に乾く。
「僕もナオのことを―――」
 カイリューはただでさえ小さめの声で喋っていたのに、更に声を小さくするものだから、雨風の轟音に完全に掻き消されて何も聞こえない。
しかし私の目はカイリューのわずかな口の動きを捕らえる。

『愛してる』

 私の周りの世界が音と色を失う。真っ白で無音の世界に私は佇んでいる。いや、違う。失われているのは私の感覚だ。
 信じられない。カイリューは私に「愛してる」と言った。嘘のようだけれど、これは正真正銘の現実だ。
私は確かにこの両の眼で見たのだ。彼がその言葉を発するところを。
でも、やっぱり。
 急に世界が元に戻る。空からは際限なく水滴が零れ、得体の知れない空気の流れが木々を揺らす世界。そんな世界の中で私は思う。
駄目だ、私はカイリューの声でその事実を確認しなければならない。カイリューの声は、雨にも風にも負けず、空気を震わせなければならない。
そうした時初めて私は――
 しかし、カイリューは伝えるべきことを伝えきったと思っているようで、下を向いてしまっている。やはり真っ赤な顔のままで。そして何も言ってこない。
駄目よ、そんなの。私はあなたの声を聞きたいの。
「…ねえ」と私は痺れを切らして言う。
「な…なに…?」
 私にそんなつもりはないのだが、私の声の中に不穏なものを感じたらしく、不安げな双眸が私の顔を捕らえる。
「なんて言ったのか聞こえなかったんだけど…」
「え゙っ」
「もう一度、言ってもらえる?」
 そう告げると、カイリューの顔にはいっそ悲壮的と言っていい表情が浮かぶ。一方で私の心臓は徐々に落ち着きを取り戻し始める。
「だ…だからさ」
「うん」
「その…ぼ、僕も――」
 その刹那、天空の不意の発光と共に、この世の終わりのような凄まじい音が響きわたる。そしてあたりでちらほら見えていた家の明かりが、示し合わせたかのようにふっと消える。
 私は思わず竦んでしまうが、なんとか悲鳴を漏らさないことに成功する。
ややあって、ああ今のは雷かと合点がいく。あまりにも激しくて、まるで爆撃機の襲来を受けたみたいだ。
だいぶ近くに落ちたらしい。停電以外に被害は出ていないだろうか。
「ああ、びっくりした。こんな近くに雷が落ちたのって初めて」
「う、うん…すごいね…」
 通りの家では、窓から外の様子を窺っている人の姿が確認できる。
 これはちんたら歩いてる場合じゃないかもしれない。雷に打たれてでもしたらただじゃ済まない。というか、まず間違いなく死ぬ。
でも、その前に。
「ごめん、雷のせいでまた聞こえなかった。なんて言ったの?」
「う…」
 いい加減覚悟を決めて。あなたが何を言おうとしているのかは私は知っている。
でも、あなたが私に直接伝えない限り、私はそれを受け止めることはできない。
「…分かったよ」
「分かったって、何が?」
 カイリューは私の質問に答えを寄越さず、深呼吸をし、それからしゃきっと姿勢を正す。
「ナオ」とカイリューはいつもよりも堅く引き締まった声で言う。
「うん?」
「ぼ、僕は、ナオのことを――」

 一瞬の空白ののち、

「――愛してる」

 聞こえた。今度は、ちゃんと。忌々しい雨や風や雷の音に紛れることなく。
オスにしてはやや高めのカイリューの、でもいつもより少し低い、穏やかな声。
カイリューは、私の気持ちに答えてくれたんだ。それも私の予想を裏切る形で。
 感極まって泣き出しそうになるけれど、私はぐっとこらえる。涙ならさっき流した。泣いてばっかりなんて、そんなの。
それよりも、今は。
「もう一回」と私は静かに告げる。
「え…また、聞こえなかった?」
「もう一回」
 カイリューはいよいよ困惑した様子を見せるが、特に反論するつもりはないようだ。
「…ナオのことを、愛してる」と語気を強めて繰り返す。
 カイリューの声が全身に染み渡る感覚がある。
「もう一回」
「へ?もう、聞こえたでしょ…?」
 私のぶっきらぼうな通告にカイリューは面食らう。ごめんね、カイリュー。でも。
「全然、聞こえない。もう一回」
「…っ。…ナオのこと、愛してる」
 まだだ。まだ足りない。
「もう一回」
「ナオのこと愛してる!」
 もうカイリューは半ばやけくそみたいに声を張り上げる。でも、まだ足りない。
「もう一回!」
「だから!…ってナオ、何で泣いてるの?!」
 あぁ、やっぱり駄目だった。いつの間にか私の両目からはさっき十分流したように思われた涙が溢れ出す。
いつだってこうだ。泣きたくないときに限って、涙は制御できなくなる。いつだって…。 
 私は心配そうに顔を覗き込んでいるカイリューに、傘を投げ捨てて思い切り飛びつく。
わっ、どうしたの、なんて言ってカイリューがあからさまに焦り出すが、そんなことは関係ない。
 私は全力でカイリューの体にしがみつく。ドラゴンタイプの高い体温は雨に濡れてもなお保たれていて*1、びしょびしょになった衣服越しにカイリューの温もりを感じる。
「どうしたの?」と優しさに満ちた声が私の頭上から聞こえる。
「だって…カイリューも私のことが好きだなんて…言ってくれると思わなくて…」
 ひどい声だ、と自分で思う。ああ、みっともない。どうして私ってすぐ泣いてしまうんだろう。
結局私はカイリューに甘えているんだ。私が機嫌を損ねているときも、今みたいに幼い子供みたいにわがままを言うときも、カイリューはいつだって受け入れてくれていた。
「…ごめん、僕がもっと早く気付いてれば」
「そんなことは、いいの」
「…うん」
「だから、もうしばらくこのままで――」
「それはだめ」
 問答無用、といった風にばっさりとカイリューが答える。
「…なんで?」
「このままじゃ、ナオが風邪ひいちゃうから」
 私はそのあまりに真面目な回答に思わずおかしくなって吹き出してしまう。カイリューらしい。
でもお陰で涙が止まったかもしれない。どっちにしろ雨とごちゃまぜになって分からなくなっていたけど。
「な、なんで笑うの?何か変なこと言った?」
「ううん、なんでもない」と私は言う。
「確かにカイリューの言う通りね。早く帰ろ」
 そう言いつつ、私は片手をカイリューに差し出す。
「……?この手は?」
 カイリューは何か不可解なものを見つめるかのような目で、差し出された手と私の顔を交互に見る。
「鈍い!手を繋ごうってこと!だって恋人同士なんだから。
…あれ、でもカイリューはポケモンだから恋人じゃないかな…?恋ポケ?
いや、そんなことはこの際どうだって良い!だから、ほら!」
「無茶苦茶だよ…ナオ」
 カイリュー苦笑いをこぼしつつも、ちゃんと私に手を差し出してくれる。
形状上、指を絡ませるなんてことはできないけれど。カイリューの体の一部に触れているという事実だけで、無窮の幸せを感じられる。
カイリューの体温が、この世の何よりも温かく感じられる。
 大好きと囁くと、ひどく照れながらも僕もだよと返してくれる存在が隣にいる幸せ。
 お互いに好き合っていれば、ポケモンと人間の組み合わせだって、たとえ世間に認められがたいものだって、そんなことは関係ないんだ。
 私は大体そんなことを考えたり、これからの暮らしを想像したりしながら、帰途についた。


 投げ捨てた傘をそのままにしてきてしまったことにカイリューが気付き、カイリューが慌てて探しに行くことになるのは、また別の話。



◇あとがき

 最後まで読んでくださった方も投票してくださった方も、本当に有難うございました。
お陰様で4票も頂くことが出来ました。ただただ驚くばかりです。
私としては「1票も獲得できなくても仕方ない」くらいの心積もりでしたので。

 色々と改善点はあります。特に気に入っていないのは終わり方です。
この物語にはもっと適切な着地点があるはずなのですが、どうしてもそれを見つけることが叶わず、仕方なく妥協してしまいました。
最適な着地点を見出す(あるいは見出したはずだと納得できる)ことを個人的課題とすることにします。
おそらくそう簡単に達成できる課題ではないと思うので、執筆を重ねていく中で少しずつでも進歩していけたらと。



◇諸量(ノベルチェッカー簡易版を利用させて頂いております)

【原稿用紙(20×20行)】 33.4(枚)
【総文字数】 10172(字)
【台詞:地の文】 28:71(%)|2861:7311(字)



 以下、頂いたコメントへの返信となります。

 感動したので、1票です。
  自分の書いた文章で感動してくれる方がいるということに私が感動しました。有難うございます。

 純粋で、綺麗な恋愛小説になっていました。
 主人公からの視点で書かれているにも関わらず、カイリューの心境や周囲の状況が把握しやすく、読みやすかったところが良かったです。
 カイリュー独特の、ふんわりとした優しさを感じさせる描写も、可愛らしかったですね。
 この二人のこれからの幸せも願い、一票を入れさせていただきますね。
  正直、「買い被りすぎでは?」と言いたくなるほど私には勿体無いお言葉です。
  ですが、ここは素直に喜んでおきます。有難うございます。
  カイリューのあの何ともいえないまったりとした雰囲気を感じて頂けたなら幸いです。
  「カイリューの心境や周囲の状況」に関しては、私が最も気を使った部分の一つです。
  ちなみに最初はもうちょっと地の文が長かったのですが、回りくどくなってテンポが損なわれる恐れがあったため執筆途中で大幅に削除しました。

 ナオとカイリュー、末永くばk(ryお幸せに!
  彼らならきっと幸せに過ごせることでしょう。私も彼らの幸せを祈っております。

 カイリューの可愛さが十分伝わる作品でした!
  私はあまり観ていないのですが最近はアニメの方でツンデレカイリューが活躍中とのことなので、あえてその流れに逆らう形で素直に可愛いカイリューを目指しました。そのように言って頂けて嬉しいです。有難うございます。


何かありましたらこちらへ。

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  • おせっかいながらコメントページが無かったので一応作っておきました。迷惑でしたら削除してください。

    新しい作者さんですね。処女作ながら大変よくできた物語でした。次の作品にも期待が持てますね。頑張ってください。
    …それに引き替え私はロクな文章力を持たないがために駄作ばかりを(ry
    ――その辺にいる駄文作家 ? 2013-04-15 (月) 15:48:21
  • すっかり忘れていました。ありがとうございます。

    お褒めの言葉に与り光栄です。次の投稿がいつになるか定かではありませんが、作者ページを作ったからには頑張りたいと思います。

    あまり自分を卑下し過ぎないでくださいね。
    (私も投稿して数時間経ってから読み返したら終わり方の酷さに落ち込みましたが)
    ――砂金 2013-04-15 (月) 16:20:45
お名前:

*1 爬虫類は確か大体変温動物ですがそこは気にしたら負けです

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Last-modified: 2013-04-15 (月) 00:00:00
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