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珈琲と毛玉

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珈琲と毛玉 

byアルデンテ



 

 また、いつものとおりである。
部屋にはかちり、かちり、という時計の音だけが響いている。
彼はほとんど何もせずに、ただ私を膝の上に乗せて、椅子の上に座っている。
時折私の頭を撫でたり、ブースター特有の赤毛をいじったり、その程度のことしかしようとは思わないのだ。
私も頭に多少のくすぐったさを感じながら、彼の膝の上で丸くなるばかりである。
ときたま彼が珈琲をすすらなければ、彼が人間だとは認識できないかもしれない。
私が生まれたときに見た光景も、おおよそこのようなものであった、と記憶している。
彼を除く大半の人間のようにくるくる回る三本の針に追われているわけではないから、あれからどれほどの時が過ぎたのかは分からない。
あのときから、少しだけ彼は変わった。
彼は大抵の人間から先生、先生、と呼ばれていた。
今もこの家にくる人間からは先生と呼ばれることもあるが、そもそもこの家に来る人間などほとんどいない。
先生、などといっても教師をしているわけではい。
教師という職業をしているにしては家にいる時間が長すぎるのだ。
彼が外を出るのは月に数回の散歩くらいなもので、それ以外の時間のほとんどをこの部屋で過ごしている。
その点では、彼は私が生まれた時から殆ど変わっていない。
窓の外を見ても、ただ太陽に照らされて道が白く輝いているのみである。
変わったのは、この部屋からペンを走らせる音が無くなった、ということだ。
――彼は、かつて小説家であった。



 彼が私を撫でるのをやめた。玄関で物音がしたのと、同時の出来事である。
物音の主だろう――足音がこちらへ近づいてくる。
彼は様子を確認しにいくのでもなく、私の首元の毛を弄りはじめた。
足音が止まり、部屋の扉が開く音を聞いた。
彼は私の毛をくるくると指に絡めている。
首元にくすぐったさを感じながら扉の方を見ると、遊糸(ゆうし)君と、それに抱きかかえられているマグマラシの陽炎(かげろう)君である。
「毎度のことだが、何も言わずに他人の家に入るのは関心しないな」
彼は扉の方を見ずに言った。首元の毛を弄るのには飽きたようで、今度は頭を静かになで始めた。
「君に害はないだろう」と、遊糸君は笑う。
もとより笑うこと以外、生きる方法をしらない男である。
この男にかかれば、床に散乱している私の赤毛でさえ笑いの対象になるというのだから、遊糸君には感心する。
陽炎君を床へと下ろすと、彼はポケットからくしゃくしゃに丸められた一枚の紙を取り出した。
「面白いものを持ってきた」
遊糸君はそう言うと、その紙を彼へと渡した。
どうにかその皺をのばそうとしながら、彼はその紙を読み始めた。
私からわかるのはその紙が新聞の切り抜きである、ということだけである。
遊糸君が彼になにを見せたかったのかはここからはわからない。
多少気になるところだが、それを彼や遊糸君に聞く術は持っていないのだ。。
普通のトレーナーというのは一匹はペンを扱えるエスパータイプか、単純に手先が器用なポケモンを持っているものだが、彼のポケモンは私一匹のみである。
『君はあれに書かれてる内容を知っているのかい』
陽炎君なら知っているかもしれない、という期待のもとでの発言である。
『いや、聞いてないね』
陽炎くんは興味なさげに答える。そんなことより外で日光を浴びていた方がいい、と言わんばかりである。
『遊糸のことだから、どうせくだらないものだろう』
その意見は、おそらくは間違っていないのだろうが、陽炎君はもう少し夢を見たほうがいいのではないか。
以前私がマグマラシとして生まれたかった、と彼に話した時も、こうやって否定された覚えがある。
ブースターとして生きていくにあたって、この毛がじゃまになることがある。
首周りと尻尾、それに頭に鬱陶しいほどに生えたオレンジ色の毛はブースターのものであり、私のものだ。
けっして彼に撫でられるために生えてきたのではないと思うのだが、さして他に用途が思い浮かばない。
妙なところに引っかかったりして下手に狭いところを通れないばかりか、
そのような状況で無理に動こうとすると毛が抜けて、恐ろしいほどに痛むのである。
「恐ろしさで全身の毛が抜け落ちる」という話を聞いたことがあるが、残念なことにそこまで恐ろしいことには遭遇する機会はこれまでのなかで一度も無かった。
それに比べてマグマラシという種族はスラリとしていて、体の構造で悩むことなどなさそうである。
そんなことならブースターに進化しなければよかった、とは思うが、今からどうこう出来るものではない。
そもそも私からブースターになりたがったわけでもないのに、どうしてこうも私が苦労しなければならないのだろうか。
毛の件はいいにしても、結局紙の内容はわからないままである。
机の上に飛び乗れば見れるかもしれないが、そんなことをしては机の上の珈琲がこぼれてしまう。
それが尻尾にでもついたら面倒なことになるし、これはやめておくとしよう。
決して動くのが面倒である、という理由ではない。決して、そうではない。
しばらくすると、彼はその紙を机の上へと置く。
そうしてもう冷め切っているはずの珈琲をぐい、と飲み干して顔をしかめた後、遊糸君のほうへと顔を向けた。
「これがどうしたというのだ」
服の袖で口元を拭いながら彼が言う。
「先生、僕は君のことを考えてだね」
「君が何かを考える姿なんて、見たことないな」
空になったカップをスプーンでくるくるかき混ぜながら、彼が言う。
それに対して遊糸君はただ、からからと笑うのみである。本当に、何も考えてないのかもしれない。



翌日のことである。彼はいつものように珈琲をすすりながら、私の頭を撫でている。この黒く苦い液体のどこがよいのか、私にはまったく分からない。
「君は、どう思うかな」
彼が私を撫でる手を止め、唐突に聞いてくる。先生、それは説明不足というものだ。何を聞きたいのか、まったく分からない。自分の頭の中身を他のものがすべて理解していると思っているのなら、それは大間違いである。
彼のことは他の誰よりも理解しているつもりではあるが、頭の中を直接見れるわけではない。味の好みにしても、理解できないほどなのだ。自分と他とを分け隔てている皮膚は、彼が考えているよりもずっと厚いはずだ。
「これのことだよ」
私の考えを察したのか、彼は一枚の紙を私の目の前へと差し出した。さきほど、遊糸君が持ってきた新聞の切り抜きである。
どうやら彼は私の頭のなかが見れるようだな、などと思いながら、それを読み進める。彼はその間、私の頭を撫でているだけであった。
小説コンクール。そこにはそう書かれてあった。
――遊糸君もたまには面白いものを持ってくる。
数ヶ月前まで出入りしていたタントウ、とかいう男がまったく顔を見せなくなった。この部屋から一つの音が消えた、それと同時のことである。
捨てられたのさ、と彼はいう。
もう一度、やってみればいい。そう伝えるように、軽く喉を鳴らした。
窓の外を見ても、ただ太陽に照らされて道が白く輝いているのみである。





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Last-modified: 2014-04-10 (木) 00:08:00
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