作者:DIRI
「真っ白テレサ、オバケのテレサ、恥ずかしいなら帰ってろ!」
いつもこれ。嫌になる。白かったらなんなんだろう、白いのが悪いこと? 私の名前はテレサ、テスって呼んで欲しいけど誰も呼んでくれたことがない。って言うのも、さっきの侮蔑の言葉でお分かりの通り、私が白くて恥ずかしがり屋だから有名な
親からこの白い毛のことが理由で捨てられて、私を拾ってくれた親切なガルーラのおばさんは流行病で亡くなった。名前を覚えることが出来ないぐらい小さな頃だったから、そのおばさんのこともよく知らない、名前すら。自分の名前は自分で付けた。道ばたに落ちていた雑誌に載っていた歌手の名前。その歌手がどんな歌を歌うかとか、そう言うことは一切知らないし、知ろうとも思わない。生きていくだけで精一杯なんだから……。
12歳、私は12歳。保護者はいない、頼れるのは自分だけ。表に出ても恥ずかしくて友達を作ることなんて出来ない。白い毛が恥ずかしいんじゃなくて、ある種対人恐怖症みたいなものかも知れない。誰とも親しくないから、私はからかわれて、更にみんなから遠ざかっていく。食糧の確保をしてても、せっかく採った木の実は盗まれるし、邪魔されるし、みんな私を困らせて喜んでる。泣きそうになる時もあったけど、負けるのは嫌だ、それじゃみんなに負けたことになる。私は負けない、いつかみんなを打ち負かして、見返してみせる。
「真っ白テレサ、オバケのテレサ、恥ずかしいなら帰ってろ!」
「……やだ……」
小さな声でこう言うことしかできない。そんな自分に腹が立つし、悔しい。でも恥ずかしくて、怖くて、このくらいしかできることがない。こんな自分を変えたい、もっと強くなりたい……。それでも、私に怪我をさせたりとか、そう言うことだけはみんなしないから、割と恵まれてるのかも知れない。ある意味正当化だからそう考えた瞬間悔しいと思った。
それが変わるのは私が思っていた以上に長い時間を掛けることはなかった。
ある日、食料を蓄えるために私は森にいた。森は公共の場、誰が何をしようと咎めることは出来ない。私が木の実を採ったってそう、誰も私の邪魔をする権利なんて無いはず。でも邪魔が入るというのが日常、もう慣れたという感じもあったが、やっぱり悔しい。しかし、仕返しをする程の勇気があるはずもなく、私は歯を噛みしめて堪えている。今日もそうだった。私は良いカモだ、私にちょっかいを出すついでに食料に苦労なくありつける。これが共利共生だったならばどれだけ良いだろうか。しかし残念ながら一方的に特をしているのは彼等だ。
一匹や二匹ならまだ許せたが、十匹で来るのだから私は食料を自分の分確保するだけで疲れ果てて半日終了する。さすがに家まで荒らす極悪非道な人が居ないのが唯一の救いだろうか。しかし帰り道で絡まれると言うことはよくある。今日もご多分にもれずそうだ。
「テレサ、そっぽを向いて欲しいなら木の実一つくれよ」
リーダー格のポチエナがそう言うと、みんながそれに続いていく。
「私モモンの実が良い」
「僕セシナ!」
「ロメ」
「タポル」
「オボンで妥協だ」
「ネコブくれ」
「ザロク」
「イア」
「ノメルの実」
「バッカヤロー、ゴスが大人の味だぜ」
要求が選り好みしないのであれば対処のしようもあるけれど、明確にそれを言われてしまっては難しい。無いものは無いのだから。
しかし、それを言おうものなら罵詈雑言を浴びせかけられるのだ。
「そんなにたくさん持ってないよ……それに、ロメなんてここ数ヶ月見てないし……」
「はぁ?」
ここからは何だか空から自分自身を見ている気分になる。何かみんなが言っている、なじられているんだろうな……。私は俯いてるだけか、何か言ってやればいいのに……。
次の瞬間、おそらく一種の現実逃避から現実に引き戻された。と言うのは、私の身体が無視出来ない状態に陥っていたからだ。ポチエナから押し倒された……。
「お前さぁ、色々噂立ってんだぜ? 夜中誰かを住処に入れたりしてるらしいじゃん? そいつとヤってんじゃねぇの~?」
「ヤリマン~」
言い忘れていたが、このポチエナ達は大体15、6歳だ。明らかに自分より弱い相手に集団でしか挑めない程肝っ玉の小さな連中。だからこの連中の中の一匹として名前も知らないし、知りたいと思ったことすらない。知った分だけ容量の無駄だ。
「……なんのこと……?」
夜中誰かを住処に入れた、ポチエナはそう言ったが、そんな記憶はない。そんな記憶がないのだからその後のことも無論あり得ない訳だ。おそらく、夜中に私の住処の近くを通った誰かが私の住処に入ってきたように見えて勘違いしたのだろう。でなければ怖すぎる、私は床につくのは人一倍早いから私が寝ている間に住処に誰かが上がり込んでいるかと思うとゾッとする。
だが彼等が言いたい事というのはそれではなく、ポチエナが後半に言った方だ。
「ヤリマンならよぉ、俺ともヤってくれるよなぁ?」
「え……?」
次の瞬間、強引に唇を奪われる。恥ずかしがり屋の私が、ただでさえ数人に取り囲まれていて気まずかったに関わらずそんなことをされれば頭の中はパニック状態だった。もうファーストキスの相手がこのポチエナであるとか、そう言うことを考えるよりも前に私はただその状態から逃れようと必死に藻掻いていた。だがしかし、押し倒されている状態ではそれは無意味に近い。体格もポチエナの方が上だ。
「……ちっ、暴れんなよ、ちょっと遊んでやるだけだからよ」
「ぅぅ……」
周りにいる連中も、私が襲われているのを見て楽しそうな笑みをこぼしている。雌もいるのにまったく止める気配すらない。私はこのまま、強姦されてしまうのか……。
唐突にポチエナの腰巾着の一匹が小さな悲鳴を上げる。それに反応した者は全員視線を追いかけてから表情を一気に凍り付かせた。私もそれに含まれている。視線の先にいたのは一匹のルカリオ。ただのルカリオでないと見た瞬間分かったのは、ルカリオの“真っ黒な瞳”にかいま見える紋章があったからだ。赤いラインで黒い瞳の中に引き立つそれは、円の中に魔のシンボルがあった。世界規模で恐れられている“スコトス”と呼ばれる集団は必ず瞳にその紋章を刻んでいる。出会ったが最後、殺されたっておかしくはない連中なのだ。
ポチエナの腰巾着一匹が悲鳴を上げて逃げた瞬間、私を襲っていたポチエナを含めた全員が蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。私も逃げようとした。殺されるぐらいなら強姦された方がマシだ。しかし、体勢的に起きあがるまで時間がかかった私は逃げる間もなくルカリオから襟首を掴まれていた。
「顔を……いや、眼だな。眼を見ただけで逃げられてしまうなんて心が痛むね。その点キミは残っていた。お礼と言っては難だが、私の住処へ招待しよう」
抵抗も出来ないし、その申し出を断れる程私は肝は据わっていない。そこに連れ込まれたが最後、殺されてしまうのか。短くて、不幸な人生だった……。
ルカリオに猫掴みの状態のまま連れて行かれた先は街の中だった。かなり遠いはずだが、いつの間にか街に着いていた。その間ルカリオが走ったり何かに乗ったりと言うことは全くなく、悠長に歩いているだけだったが、体感時間で言えばものの十分程の時間で私の足なら一日かかると言われた場所までたどり着いていたのだ。
“ど”が着く程の田舎で育った私は街に来るのは――物心着く前のことは知らないのでおそらく――初めてだった。辺りの建物は、今まで住んでいた自分の家が太古の昔の遺物であると思わせる程に洗練されたデザインだった。格差社会とはよく言うが、田舎と都会でここまで差があると“別次元”と言った方が良さそうだとも思える。穴蔵としか形容しようがない場所に今まで住んでいたが、ここにはそんなものはなく、鉄やコンクリートで作られた家ばかりだ。カルチャーショックを受けるが、ルカリオは私が物珍しそうに辺りを見ているのを一瞥もせずにどんどんと路地裏に入っていった。
路地裏もまた、私にとっては初めてで興味深いものばかり、饐えたにおいやゴミの一つ一つにいたるまで珍しくてたまらない。現在の状況すら忘れてしまいそうな程だ。だが、金属の扉を叩く鈍い音で私は現実に引き戻された。それと同時に不安が込み上げてきて、吐いてしまいそうだった。仮に吐いたら間違いなくこの場で殺されると思い、必死に喉元まで上がってきた胃液を飲み下した。猫掴みにされているため、そろそろ首の皮が痛くなってきた。元から獣型のポケモンは首の部分の皮が多少余分にあって伸びるが、長時間自分の体重をその皮だけで支えているのは無理がある。
「……あの……」
恐怖と話しかける勇気を入れ替え、なんとかわずかに声を絞り出す。ごく小さな私の言葉は何度か繰り返さなければルカリオの耳へは届かなかった。ルカリオはぶっきらぼうな訳でも煩わしそうにする訳でもなく、至極丁寧に返事を返してきた。
「別に降ろしても良いが、そうすると逃げ出しそうだからね。私としては“お礼”がしたい訳だ。この建物に入れば降ろすさ。……しかし対応が遅いな、いつになく」
再度ルカリオはドアをノックした。彼の言葉に私は曖昧に頷くことしかできない。降ろして貰えるならすぐさま逃げ出すというのは彼の読み通りだ。みすみす抵抗せずに殺されるよりは少しぐらいあがいてから死にたい。しかし結局降ろして貰えないのだからその考えは捨てざるを得ない。ここで暴れようものなら暴行を加えられても何ら不思議ではないからだ、暴行が瀕死まで陥れられると想像するだけで寒気がする。
乱暴にドアが開けられる。その途端に、私は開いたドアの中へ投げ込まれた。空中で体を捻って上手く着地はしたものの、床を滑ったために肉球が少し痛い。建物の中は外から見て想像した通りのコンクリート張りで、あるのはカビが生えたようなソファーに背の低いテーブルが一つだ。他の部屋へ通じるドアがあるが、あいにくそれを確認する前に何者かに飛びかかられてもみくちゃにされた。
「良いねぇ良いねぇ、雌がちょうど欲しかった所だ。分かってんじゃん姉御」
私を捕まえているのはレントラーだった。彼も瞳にストコスの紋章が刻まれている。
「今は姉御じゃない、口を閉じておけ」
ルカリオが呆れたと言わんばかりの目線をレントラーに送る。しかしそんなものは全く意にも介さず、レントラーは私を舌なめずりでもしそうな顔で眺め回していた。
「つってもよ? 雌が雄になりきるなんざ面倒じゃねぇのかい?」
「確かに雄でいるのは窮屈だがこうでもしていないと周りがうるさいからな」
ルカリオは一度あくびをしてからレントラーを手で適当に追い払った。ようやく私は自由に動けるようになった訳だ。
「彼女は客人だ、私を見ても“しばらくは”逃げなかった」
「ちぇっ、つまんねぇ……。で、しばらくって何秒よ?」
「ん~、五秒ぐらいか?」
「ハッ! たいしたもんだね」
バカにされているようにしか聞こえないが、それをとやかく言える立場ではないし、何より初対面の人物が二匹いる時点で心臓の動きが勝手に早くなってきていた。
レントラーは私に手が出せないと言うことで若干不快そうだったものの、すぐに表情を緩めてソファーに飛び込んだ。埃が舞い上がるが気にする様子は微塵もない。
「で、“旦那”? なんでそんな白いの連れてきた訳よ?」
「言っただろう、“しばらく”逃げなかったお礼だ」
その言葉をせせら笑うようにレントラーは返す。
「柄にもねぇや、あんたの場合は目の前の奴は皆殺しってのが筋だろうよ?」
心臓がドキリと跳ね上がった。そんなとんでもない輩に連れられてこんな所まで来てしまった。後はもう悪い最期しか思い浮かばない。私は殺される、多分これは決定事項だろう。問題はどう殺されるかだ。拷問されるならいっそこの場で舌を噛み切りたい。
「まあ、この姿だからな。いつもの姿なら間違いなくやっていただろうが、あいにくこの格好ではあの得物は使えない。それに、だ。雄になりきっているから雌に非情になりきれないんだよ」
「あーあー、わかるぜぇ、その気持ちよぉ。俺はおふくろの腹の中にいる時から雄だしな。助けた雌はあとでしっかりごちそうになるってのが俺のやり方だが、あいにく最近はありつけてねぇんだよ……」
レントラーが舌打ちに近い感じで表情を歪める。そのあとにこちらを見たのはあからさまにそう言った類の意味合いが込められているのが分かった。
「さて、ここにいるのにいつまでも窮屈なままでいる必要もあるまい……」
ルカリオは沈黙を破るためだけの言葉としてだけ言い、誰の反応も待たずに行動を始めた。目を閉じ、まぶたに触れるとストコスの紋章が輝き始めた。と言っても、わずかに視認しやすくなる程度のものだ。だが紋章が光り始めた途端に、ルカリオの身体に異変が起こり始めた。体毛がどんどんと黒ずんでいく。元から黒い所も更に影が落ちたかのように黒くなっていき、最終的に灰色と黒の色合いで出来たルカリオになる。そして、体格にも変化があった。華奢ながらがっちりとした体付きだったが、全体的に柔らかい、特に胸のラインが強調されている体型。まさに大人の雌という風貌である。
「あぁ、あれどこ行ったかな……」
声も雌に変わっている。ルカリオは“なりきっている”と言ったが、なりきっているどころか雄に“なっている”と言った方が確実に正しいだろう。ルカリオは腰に赤っ茶けた色のベルトを着けるとそれに銃を下げた。銃というもの自体初めて見るのだが、どんなものであるかというのは把握している。彼女の下げている拳銃がなんという種類なのかというのは分からないが。
「やっぱりこれが落ち着くわ。雄になりきってる時胸がなんか窮屈でね……」
「ヒュウ、相変わらずセクシーだね姉御ぉ。今度抱かせてくれよ」
「お世辞どうも。気が向いたら抱かせてあげる」
体毛の色のお陰で身体のラインが一層引き立っている彼女は、雌の私から見ても“妖艶”と言う言葉が真っ先に出てくる。彼女は私の方に向き直ると、身をかがめて私に視線を合わせる。
「名前を教えてあげる。私は
視線を合わされた時点で恥ずかしくてもぞもぞと動いていたが、ここで返事を返さなければ気分を害して……と言うことが予想された。私は声を出す前に、こくりと頷いて肯定の意を表した。
ネメシスは気を良くした風でもなく、ただ艶めかしい笑みをたたえたまま私をじっと見つめている。顔から火がでそうだ。
「お礼、だったわねぇ……。あの時は適当に言っちゃったけど、今思いついたわ」
「あの……そんなに無理してお礼なんて……」
「無理なんてとんでもないわね、あなたがどうするかによっては十秒で片付くわ」
私のその言葉に気分を害したと言わんばかりに顔をしかめ、咎めるような視線を送ってくる。元から吐きそうな程に居心地が悪かったが、そんなことをされれば白い毛に覆われた地肌まで真っ青になる。死を覚悟するようなことだ。無論覚悟出来るはずもないが。
「簡単な話よ、あなた、ストコスに入りたくない?」
「……えっ……?」
この言葉にはレントラーすらも驚いた様子で、私はただ呆けているしかできなかった。その間にもネメシスは捲し立てるように言葉を重ねていく。
「世界最強の、最悪の集団ストコス。自分の思うがままの世界を作り上げるために行動する集団。単純明快でしょ? ストコスに入れば今まで恐れていたものは全て逆に“あなたを恐れる”事になる。欲望の赴くまま、全てを変えることが出来る……。守るべき概念は“ボスに逆らわない”、“全て自己責任”、この二つだけよ。こっち側に来れば、力も与えてあげる。とても強い“闇の力”よ。さっきあなたに絡んでたあのガキも、一撃で殺せるくらいね……」
この言葉に惹かれないかと言えば嘘になる。確実に、あの連中をぶちのめしてやりたいと思っている気持ちはあるのだから当然だ。しかし殺したいとまでは思っていない。そこまでしてしまえば悪人だ。悪人にはなりたくない。かといって、このチャンスをみすみす逃してしまうと言うのも惜しい気がする。しばらく思案していると、レントラーが痺れを切らしたかネメシスに食ってかかった。
「姉御! わかってんだろ、姉御がこいつを引き入れちまったが最後、こいつの面倒は姉御が見る羽目になるんだぜ? 俺だってその口だが、俺は姉御に迷惑掛けた覚えもねぇし、媚びた気も一切ねぇ。だがこのガキはどうだよ、ちまっこい雌で対した力もねぇホントにただのガキだ。変わってる所と言やぁ白い毛だけだ。姉御になんのメリットもありゃしねぇ!」
先程までの軽い感じとはうって変わって、レントラーは真剣な眼差しをネメシスに送っている。確かに引き入れた者が面倒を見るというのが筋だろうし、私がただのイーブイだと言うことぐらい分かっているはずだ。レントラーの言い分は気にくわない部分もあるが正しい。
「なるほど、メリット。メリットか、言うようになったわねエルドア。だけどね、私がどうしてここにいるのかあなたはわかってる? 知ってるわよね」
「…………」
エルドアと呼ばれたレントラーは一瞬だけ視線をネメシスから逸らし、また彼女を見据えた。それを肯定の意と取ったネメシスは私に説明するように続けた。
「私はただ、“衝動に駆られて行動する”。いつも皆殺しにするのも、この娘を連れてきたのもみんな“衝動”よ。衝動が失敗に終わること程虚しいことはないわ、なら私はどうやってもその衝動を成功へ導き通す。私の
「……ったく……姉御には敵わねぇよ。だが言っとくぜ、たまには衝動じゃなく論理的なことも考えた方が良い。あんたが死んじまったら俺もお先真っ暗だ」
釈然としない様子で、それでもエルドアはネメシスに従った。やはり彼等も最強と名を打つ割に、死への恐怖というものはいくらかあるらしい。
ネメシスは満足げにエルドアにウィンクを飛ばすと、私に問いかけた。
「結局、どうするの? 入るの? それとも出ていく?」
どうするかと問われると、またもや葛藤が始まる。強くなるのは捨てがたいし、望んでもいた事だ。だがそれと引き替えに普通の生活には戻れなくなる。それも代償としては大きなものだ。またしばらく悩んでいると、今度はネメシスが痺れを切らしたようだった。彼女は腰に下げた銃を抜くと、遊底を動かして一発の弾丸を取りだした。それを私に投げ渡すと、握ってみろという。私は言われた通り、その弾丸を握った。イーブイの手には大きすぎて、元々何かを握るのに適していないこともあるため握りにくかったが、両手で包み込むようにしてそれを握った。
「お前の狂気を見せてみろ」
ネメシスの声がエコーのかかったように、あるいは体を震わすように私に届く。その瞬間に、目の前が一瞬暗転した。意識が無くなっていた訳ではないが、何だか妙に気持ちが悪かった。キョロキョロと辺りを見て何が起きたのか探ってみようと思ったが、特に変化があったような所はない。そんな私に対して、ネメシスは握っていた弾を渡せと命令したのでそれに従う。そして彼女は三つあるドアのうち、入ってきたドアの向かいにあるドアを開けて私に手招きした。私は恐る恐るネメシスの後に続き、その後ろからはエルドアが急かすようについてくる。
その部屋は銃の射撃場というのが一番あうような場所だった。コンクリートで出来た分厚い斜めの壁、つり下げてある木の板は的が書いてある。そして不用意に侵入して誤射されないように鉄の柵が部屋を隔てている。ネメシスは私が握っていた弾を銃に込めると、片手で狙いを付けて発砲した。その瞬間、脳が揺れるような爆音が聞こえ、私は思わず耳と目を塞いだ。恐る恐る目を開けて様子を窺ってみると、エルドアは目を見開いてあんぐりと口を開けているし、ネメシスも驚愕の表情を浮かべ、発砲した銃が跳ね上がって手を振り上げた状態で固まっていた。その理由は私にもすぐわかった。“的が消し飛んでいる”。普通の銃なら穴が開く程度だろうが、木で出来た的が一発で消し飛ぶ程の火力を拳銃が持っているなどとは思えなかった。
ネメシスはゆっくりと銃をしまい、排莢された薬莢を拾い上げた。弾丸があった場所が破裂したように割れている。金属が破裂するというのは私には考えにくいことだったが、事実そう表現する他無いような状態だったのだ。
「……マグナム
「人を見かけで判断するなとは言うけどよ……こりゃ、逸材っつぅか、もはや“バケモノ”だぜ……」
私は小首を傾げた。それに気付いたネメシスは簡単に説明をした。
「この銃の弾は火薬の他に闇の力を使って発射されるの。闇の力が強ければ強い程威力も、無論反動も強力になる。込める加減が出来る私なら最大まで込めれば今の十倍の威力は出るでしょうけど、素質だけで今の威力となれば鍛えれば本当にとんでもない怪物になるわ。エルドアなんかすぐに超えられる」
「気持ちのいい話じゃあねぇな、俺としては」
エルドアが不満そうにするが、全くネメシスは取り合おうとしない。いつものことなのだろうか。
ネメシスは私にスコトスに入ることを勧めた。ボスに次ぐ実力者になれること請け合いだそうだ。魅力的ではある、しかしやはり踏ん切りがつかない。今のようなありさまを見れば逆に怖くなってきた。あれが訓練されてさらに強力なものになると思うと怖い。最終的にはやはりそれで決まるのだろうと思いつつも、私は何度か思案を繰り返した。
「……あの……途中で抜けたりとか……」
「それは無理ね、眼の紋章は刻まれたら取れないし、抜けるって言っても結局すぐ場所は割れて連れ戻される。外に出られなくなるわ」
それなら私の意志は一つに固まった。
「……それじゃあ……その……えっと……」
ネメシスの期待するような眼差しが突き刺さる。心苦しいし、不安だった。
「……お断り……させて貰えたら……」
一瞬でネメシスの表情が冷めたものへと変わる。朗らかだった笑みは不機嫌そうな口元で対極のものに変わったと言うことがわかる。期待するような視線は一気に蔑むものに変わり、その視線を受けるだけで私の心臓は爆発しそうな程に早くなる。
「……残念だわ、本当に残念。あなたならなれた、世界を変える者に」
「姉御……どうする? 殺るか?」
私は小さく悲鳴を上げて後ずさった。殺される、そう本能で感じ取った。しかしネメシスは思いもよらない言葉を掛ける。
「あなた歳は12、3歳よね? なら、ちょうど良いんじゃないエルドア? あなたの趣味に合いそう」
「ロリコンとでも言いたいのかい姉御。言っとくがなぁ、別にその気の趣味がある訳じゃねぇ、助けてやる状況に陥るのがガキしかいねぇんだよ。熟女でもガキでもなんでも食えるのが俺だ」
ネメシスはくつくつと笑い、エルドアに言った。
「なら、私が彼女を殺そうとすれば彼女を助ける口実が出来るわね」
「柄にもねぇ、誰が神に告げ口すんだ。なぁ
そうね、とネメシスは一度笑ってから部屋を出て行った。残されたのは震える私と歯を見せてにやついているエルドアだけ。
次の瞬間には、ここに来た時と同様私は捕まえられていた。体格の差が大きすぎるので逃げるなど到底不可能だ。
「ハハッ、最近餓えてんだよ。そりゃもう、姉御のナイスバディ見た時起ちそうになるの堪えるのが大変だったぜ。お前、これから何されるか分かるか?」
考えたくもない。彼の言動からして、考えられることなど一つか二つ程度しかないのだから。
「さっきも言ったがな、俺はガキでもオバンでも食える雄な訳だ。選り好みはしねぇ、ブスだろうがデブだろうが、MだろうがSだろうが俺が満足出来りゃそれで良い。つまりお前が俺からどうやってか逃げ出さない限りお前は俺から犯されちまうって訳だ」
改めて背筋がゾクッとした。まだ大して性的なことに興味はない。それでもこれからエルドアが私に対してどんなことをしようとしているのかと言うことぐらい十分に理解していた。と言うのも、例のポチエナ達が嫌がらせのように私に対してその類の話を持ちかけてくるからである。私が必死に逃げようと藻掻いた瞬間に、全身に鋭い痛みが走り私は悲鳴を上げた。
「もちろん簡単に逃がす訳じゃない。抵抗すれば押さえつけるし場合によっちゃ今みたいに電撃が跳ぶ。それでも逃げだそうとするなら最低お前はあの世行きだ。冗談じゃなく、俺がそう言う奴だって事ぐらい分かるよな? この瞳が証拠だ」
彼の瞳のスコトスの紋章が妖しく光る。それはただの恐怖の対象でしかなかった。逃げなければ犯される、逃げれば殺される……。
私が取る答えは実に簡単であり、確実でもあった。先程も言ったではないか。
「……殺されるくらいなら……強姦される方がマシ……です……」
一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、そして半年が過ぎた。その間のことは私の記憶にこべりついて、二度と忘れることなど出来ないのだろう。あのあと私はエルドアに犯された。最初の方は脳の方が安全策として意識を飛ばすことで対処していた。だが二週間目から、脳は諦めたのか、それとも適応してしまったのか……。私は彼に“奉仕”することしかできなかった。
私は生に対して貪欲だった。親から捨てられても生き延び、育ての親が他界してからも一人で生きてきた。それ故になのか、ただの運なのか。だがもう、そんなことはどうでもよかった。彼に奉仕していれば、私は殺されることなど無いのだから……。ここはある種、スコトスの存在に怯えることもない、避難所のような場所であるとも解釈出来た。
「よぉ」
私が住まわされている檻の扉を開けたのはエルドアだった。それ以前にここに来るのはエルドアしかいない。ここはスコトスの管理する場所ではなく、彼の家だからだ。だから私は顔を上げずに、ただ吐き気を堪えていた。
「俺が来た途端浮かねぇ顔じゃねぇか、ん?」
衛生上良くない場所という訳でもなく、実際私はなに不自由なく暮らしていた。昔よりも生活が裕福であるというのは自分でも良く分かっていた。しかし、彼の顔を見るたびに、私は今までのことを思い出してしまい、汚れてしまった自分の身体を心で責め続けるのだ。
「俺のことそんなに嫌いか。まぁ、当然っちゃ当然だが」
檻の中の、私にとっては十分すぎる大きさのベッドの上に私は押し倒された。転かされたと言った方が表現的には正しいかも知れない。もはや羞恥する理由すらない私は、おそらく曇りきった瞳で彼を見て言った。
「……今日は……勘弁して下さい……。気分が悪いんです……」
エルドアは数秒私を見たあと、小さくため息を吐いた。
「最近ずっとそれな。マジで病気とかじゃねぇだろうな? 移されるのは勘弁だ」
彼は私をすくい上げるようにして起こすと、私の隣に腰掛けた。彼が言うように、私はここ最近気分が優れないために彼の行為の要求を断っていた。彼の欲求がたまっていなかったのが救いだろうか、殺されてはいない。それとも、欲求はたまっているが私にはそろそろ飽きてきたのか……。
「何不思議そうな顔してやがんだ。これでも心配してやってんだぜ? イーブイっつったら希少種だからな、下手に死骸ほっぽり出してもおけねぇし、何より相手がいなくなるのは困る」
「すいません……」
相手はどんな雌でも良いと豪語していた彼だ、飽きると言うことはないのだろう。殺されることはないが、逃げることも出来ないとちょうど50回目の再確認をした。
おもむろに、エルドアは私の頭に手を置いた。軽く叩くようにしながら私の頭を撫でてくるのだ。どうしたのかと不審に思い、私は彼の顔を見上げた。
「……なんだよ。ただの手慰みだ」
それにしては何となく心地良い程度の撫で具合でゾクゾクする。行為のあとでさえこんな撫で方をしてくれたことはなかったというのに。
「そういや……」
彼はそこで何もない鉄格子の先を見る。あるとしても木鉢くらいか。何か言い出しにくいことを言う程度の間を空け、彼は続ける。
「お前進化に興味あるか?」
私の方を見ることはない。気恥ずかしい様子でもないので、ただ本当に何となく聞いているだけなのかも知れない。
「……ありますよ。……イーブイですから……」
他に類を見ない程の多様な種類の進化を可能なイーブイ。故にイーブイは進化することに対して他の種類のポケモン達とは比較にならない程に進化に対して敏感だ。何に進化するか悩み続け、結局進化することなく一生を終えたというイーブイの話すらある。私もご多分にもれず、進化する先のことに対しては物心付いた時から悩んでいた。
「まぁ、だろうな。何になりたいんだ?」
「……まだ……決まってません……」
エルドアは訝しげに私を見る。その目はスコトスの紋章があるためなのかは知らないが、猜疑しているように見える。
「……俺みたいに進化の分岐がねぇ奴は割と気楽だが、イーブイにとっちゃ一世一代の大仕事みてぇなもんだろうしな。何となく分かるが」
一度肩をすくめてから、今度は背中を撫で始める。心地よさで喉を鳴らしそうになるが、寸でで堪えていた。
「……実はな、ここに進化の石が三つある」
エルドアは空いた手で先程まで隠していたらしい袋を私の目の前に押し出した。少し開いた袋の口を覗く限り、炎の石、雷の石、水の石の三つらしい。
「グレイシアとリーフィアは無理かもだが、他のにはしてやれるつもりだ。お前が望むならな」
今度こそ、彼は気恥ずかしそうに頬を掻いた。理由は分からないが、私にとって有益な理由であろうとは察しがついた。
「……どうして私に進化を勧めるんですか……?」
直球に私は質問した。
「どうしてって、そりゃお前、決まってんだろ」
何かを誤魔化そうとしているのか、彼はたてがみをかきむしった。最初からボサボサのそれは更に突飛な形になるが、さして気にしてはいないようだ。
「お前小さいからヤりにくいんだよ。進化すりゃ少なくとも倍以上にはなるだろ? それなら十分じゃねぇの。ガキでも扱いやすくなりそうだしな」
いやらしくにやりと笑う彼に私はゾッとした。今までのものが本調子でないならば進化すればどうなるか……。想像することすら容易くなってしまった自分を悔やんだ。
「考えとけよ、石使っても良いし、エーフィやブラッキーなら俺が要るだろうし、な」
最後に私の頭のてっぺんから尻尾の先までを撫でてから彼は檻を出た。ともかく言えることは、彼は私に進化して欲しい。そして私はエーフィとブラッキーにはならないと言うことだけだった。
それから数日。吐き気は増すばかりで気分は悪い。エルドアもそれを伝えれば様子を見るだけで戻っていくので、そればかりは良しとするしかない。
「仮病なら分かるからな」
そう言うのも毎日のお決まりとなっていた。事実仮病を使う程の度胸はないので、仮に仮病ならたどたどしいのは目に見えて分かるだろう。それは彼も承知している。
私は進化するという事に抵抗を感じていた。彼の言葉が最も大きな原因だった。トラウマになったことを強要されているというのに、それが更にエスカレートするとなれば恐怖以外の何を感じていろと言うのか。ここ最近抜け毛が増えた。元々白いので白髪というのはないが、原色だったなら今の色になっているかも知れない。
進化の石を眺め、ただボーッとしていることで時間が過ぎていく。これに触れれば私の一生が決まるのだ。選択肢は三つに絞られている。そのうち一つでも大きな問題だった。
その時、隣の部屋で大きな音がした。その次には電撃が飛ぶ音。エルドアだろうが、最初の音はなんだったのだろうか。少し不安に思いながら、私は隣の部屋へ続く扉を見つめていた。音は鳴りやまない。激しい音が鳴り続けている。何かが割れ、壊れ、弾け、吹き飛ばされる。次の瞬間、私が見つめていた扉がぶち破られた。
「ここだ! 持ちこたえろ、俺が彼女を助け出す!」
扉を破ったブラッキーは檻の扉についた南京錠を容易く壊すと、私に駆け寄ってきた。
「大丈夫か? 助けに来た、急いで逃げよう」
ブラッキーはそう言うと、私を背中に乗せ、進化の石が入った袋をくわえて檻から飛び出した。おそらく袋を私の所有物だと思ったのだろう。
抵抗などする理由もなければ、する気力もなかった。振り落とされないようにブラッキーの背中にしがみつくだけ。隣の部屋では、エルドアがサーナイトと戦っていた。電撃がサーナイトへ向かうが、それをサーナイトは念力で逸らし、観葉植物が消し炭に変わる。
「てめっ、そのガキどこに連れてく気だ! そいつは俺のもんだぞクソが!!」
エルドアがブラッキーに向かい電撃を放つ。しかしそれは当たる直前でサーナイトの念力に止められ、エルドア本人へと逆送していった。蓄電出来ないエルドアは自身の電撃で感電し、衝撃で壁に吹っ飛んでいく。しかし電気タイプのエルドアに大したダメージはなく、すぐさま起きあがったが、その瞬間サーナイトが戦いで崩れていた家具を次々とエルドアに向かって飛ばし、彼を押し潰した。
家具の隙間からエルドアはなんとか顔を出して抜け出そうと藻掻くが、サーナイトの念力で更に負荷がかけられているらしく抜け出しきれないようだ。
「行くぞ、この家の下敷きにしてやればただでは済まないだろう」
「後始末は任せて、先に行って下さい」
ブラッキーとサーナイトが言葉を交わし、すぐさまブラッキーは走り始める。私はエルドアを見ていた。名残惜しいなどと言うことは全くない。ただ、目を離せなかった。
「くそっ! 待ちやがれってんだろが!! テレサ! テス!!」
崩壊していく彼の家。その中から私の名前を呼ぶ声が聞こえていた。私の名前を彼が覚えていたのは正直意外だった。そして、私のあだ名を最初に使ってくれたのはエルドアだった。彼のことは、色んな意味で忘れることが出来ないようだ。
「……さて、ここなら安全だろう」
「石造りの頑丈な家が裏目に出たようですね、彼は」
街から離れた草原で、私はブラッキーの背中から降ろされた。その途端に私は嘔吐した。元々気分が悪かったが、慣れない戦闘を目の前にして精神的に参っていたのだ。サーナイトが優しく私の背中を撫でてくれたが、気分は一向に良くならない。ようやく落ち着いた時に、ブラッキーが私に話しかけた。
「キミが、テレサか。俺はジョゼフ・マイティ・ダブレット。そっちのサーナイトはマリア・イージス。俺達は“
「スコトスよりはマイナーでしょうか、表だって派手なことをしていませんので」
彼等の言う通り、アストラプテインなどという組織聞いたことはなかった。
「スコトスに対抗している組織だ。連中は殺人、強盗、薬物、人身売買、なんでもやる。見過ごせないという訳だ。みんな義に準じる世界を創るために各地を回り、罪人を誅している」
「……私も……?」
人見知りがたたって声はほとんど出ない。しかしマリアというサーナイトは私が考えていることを読みとったようだ。
「あなたもその内の一つでもありますし、更には発展へ繋がるものだと判断しました。あなたから強い力を感じますから」
強い力。そんなもの私にはありはしないはずだ。しかし身に覚えが無いという訳ではなかった。だがそれは彼等が望んでいるような力ではなくて、“闇の力”であり、“破壊の力”だ。戦闘を重きに置いているような組織ではないと直感的に感じた。
「……おや、せっかちですね」
マリアがふと顔を上げる。その視線の先には一匹のルカリオがいた。そのルカリオを見た瞬間、私は悲鳴を上げそうになった。ネメシス。彼女だ。
「救出出来たと聞いたもので。自ら参じた方が手っ取り早いでしょう」
……ネメシスではない。黒くはない。彼女はその正反対で、白いルカリオだった。一言で表現するならば淑女。修道女のような雰囲気だ。目つきはネメシスのものとは違い優しいものではあるが、その瞳には見たこともない紋章が刻まれている。十字に円を付けたようなものだが、灰色の瞳に青いラインでよく目立つものだ。
「小生、コスモスと申します。そちら方と同じくアストラプテインに属す者」
「俺達の上司のようなものだ」
白くて優しい目つきとは言うものの、その風貌はネメシスとほぼ変わりなかった。色が同じだったならば確実に同一人物と錯覚するだろう。違うものと言えば、ネメシスはベルトに銃を下げていたが、コスモスは十字のロザリオを首にかけていると言うことぐらいか。
「……闇を感じますね。あなたの腹に」
コスモスは唐突に目つきを鋭く変えて言った。怖くてビクリと動いてしまうが、意味が分からなかった。
「腹……というと?」
「あぁ……なんと惨き仕打ちを……」
コスモスがまた優しい目つきに戻り、私の頬にそっと触れた。
「マリア……この者の過去を探りましたか?」
「いえ……閉ざされていたもので、深くは探れませんでした」
「それも当然です。この者は酷く惨たらしい仕打ちを闇の者から受けていたのですから」
マリアとジョゼフは顔を見合わせた。ジョゼフにいたっては念力も何も使えないために話について行けていない。それは私もだったが、彼女の言う惨たらしい仕打ちについては痛い程よく分かっていた。
「この歳で……悲しきことです……。闇の者の子を孕まされている」
「な!? まだ13だぞこの娘は!?」
一番驚いているのは私だった。いたって冷静なのはマリアだけだ。私が妊娠させられているとは夢にも思っていなかった。最近体調が悪かったのはそのせいらしい。そしてお腹にいる子供は間違いなく、エルドアの子供なのだ。ほぼ毎日、彼に行為を強要されていた。だからだろう、私が妊娠してしまったのは。自分すら知らなかったことをコスモスに指摘され、私は混乱していた。
「……本当に……私……」
「間違いなく、子を孕んでいますよ。手を当ててみなさい」
言われるがまま、そっと腹に手をやる。そして自分でも驚いたことに、わずかながらに胎動が感じられたのだ。大分成長しているらしかった。
「触って分かる程になっているなら、もはや下ろすことも出来まい。……どうするコスモス? 闇を引き入れる訳にも……」
「実に簡単に済むことです」
コスモスは首にかけたロザリオを外し、それを胸の前でもって目を瞑った。その時、アストラプテインの紋章をもしているロザリオが輝き始める。目を開けたコスモスの瞳にある紋章も輝いていた。
「正しき希望となる
コスモスが呟いた瞬間に、ロザリオがまるで進化でもするかのように光る。その形は変化していき、巨大な十字架となり、ギリシャ十字*2はラテン十字*3へと変化し、それは一本の槍へと変わった。私が目を丸くして驚いていると、コスモスは私に微笑みかけた。
「痛くはありません」
次の瞬間、私はその槍で腹を貫かれていた。
彼女の言った通り、痛くはなかった。ただ私は驚きで断末魔の表情に似た顔をしていた。力が抜けていくと言うこともない、刺された所から血が出ている訳でもない。だが私の口からは血が垂れた。
「すぐ終わります」
私が終始笑顔のコスモスを化け物でも見るような顔で見ているというのに、彼女は全く気付いていないらしい。唐突に力が抜け、吐き気を催した。だがくすぶるばかりのそれは私を楽にしてくれない。
「……終わりましたよ」
コスモスが槍を私の身体から引き抜いた。その瞬間に私は吐血する。だが身体は軽くなり、吐き気も全くなくなっていた。更に腹に触れると、傷は全くなかったのだ。だが、それと同時に気付いたこともあった。
「……お腹の子供は……?」
「滅しました。闇は悪、存在してはいけない」
私は目を見開いた。そして次の瞬間、私はきびすを返して駆けだしていた。
気が狂ってしまいそうだった。あの時から世界が狂ってしまった。それに冒された私はもはや限界だ。人を簡単に殺す。みんなそうだ。スコトスもそうだしアストラプテインもそうだった。みんな命を何とも思っていない。そんな輩と一緒にいるだけでおかしくなりそうだ。私は、私はもっと普通に生きたい。誰にも関わりたくない、一匹で生きたい……。
「待ちなさい! どうして逃げるのですか!」
私よりも彼等の方が圧倒的に足が速い。捕まる。彼等に加担させられる。怖い。嫌だ。助けて……。
「待て」
私の前に一匹のブースターが立ちふさがる。彼等の仲間か。挟み打ちされた……。
と、次の瞬間には私はブースターの腕の中にいた。羽交い締めにされている訳ではなく、そっと抱きしめられるように。私には状況が全く飲み込めず、ただ目を瞑り私を追いかけてきた三人の方を向くブースターの顔を見上げていた。
「あなたは……」
「私のことを知らないとは思っていない。思い上がってもいないつもりだがな」
このブースターの若干低めの声は何となくだが落ち着く。
「義を重んじ、義に忠を尽くすアストラプテイン。ご苦労なことだ。少女一匹を追いかけ回して。言い訳を聞く気はない。先程のお前達のやりとり聞かせてもらっていた。立ち聞きではない、聞こえてきたんだ。私は思うんだ、利己は義か?」
彼等は言葉に詰った。話の内容からして彼等は私をアストラプテインに入れさせようとしていたのだから当然だろう。
「私は思うんだ、当人の意見を聞かずして事を進めるのは義か?」
私の意見など彼等は聞こうともしなかった。
「私は思うんだ、肯定してすらいない事柄を無理矢理強要させられるために逃げたがそれを複数人で止める、それは義か?」
コスモスは参ったと言わんばかりに肩をすくめ、頭を振った。
「……今回は我々に非がありましたね」
ブースターは目を瞑りつつも視線を鋭くした。咎めでもしているのだろうか。
「だが、スコトスもその娘を狙っている。その娘の力は強大だ。俺達が保護すれば安全なことに間違いはない」
「確かにそうだな
ジョゼフの言葉を否定でも肯定でもないと言いたげにブースターは言葉を紡いだ。それにコスモスは人が変わったかのように食いついてくる。
「粛正のために、力は必要なのですよ。恐怖など一時のことだ! 小生は保証します、彼女は
「その器を収める場所は器の足の形を見なければな。闇には合わなかった。しかし光に合うとも限らない、もちろん炎にも。この娘自身、まだ足を作る最中だろう。一つ提案する」
ブースターの声音が若干変わる。楽しんでいるように。
「この娘は、私が責任を持って面倒を見る。それでどうだ」
しばらく沈黙が続いた。変わったのは、ブースターが楽しそうな表情に変わったぐらいだろうか。その間も私は彼の腕に抱かれ、動かなかった。肌触りの言い毛並みから伝わる彼の体温が心地よかった。
「炎が、力を欲しているのでは?」
沈黙を破ったのはコスモスだった。なんの話やらサッパリなので私は口出し出来なかった。それでも話しはあれよあれよと続いていく。
「そちら二つと違い、私達は来る者拒まず、去る者追わずだ。保護しようと言うだけの話だ。猜疑は義か?」
「保険ですよ。我々に三対の耳、そして当事者の耳。小生共は義を重んじる、故に口裏を合わせ虚偽の発言などしない。そちらの言葉を聞こうとしただけです」
用心深い連中だ、とブースターが小声で嘲笑する。
「しかし、その力を使い何か行動を起こすつもりならば、我々も黙ってはいませんよ。その場合は……」
「コスモス、もうやめなさい。自分の顔に泥を塗りつけるのがそんなに楽しいですか?」
コスモスの話をマリアが遮った。いたって感情を見せない瞳をコスモスに向け、彼女は言葉を続けた。
「義を重んじる我らが義を忘れ、更には姑息な駆け引きで醜態をさらし、果てには“力で押さえつける”ですか? それに、彼が話しているのは“力”のことではなく、“少女”のことです。
マリアが言葉を紡ぐたび、コスモスは萎縮していっているような気がした。恥で真っ赤になり、コスモスは謝罪する。
「異論はないですよ。そちらで少女の管理はお願いします。危険にさらさないようにだけ注意しておいて下さい」
「無論のことだ。私に任せていればいい」
彼等は去った。私は恐怖から逃れたらしい。
「……私は思うんだ、子供は嫌いだと。泣き虫だからな」
ブースターのその言葉で、今私は泣いているのだと気が付いた。誰かに胸を貸してもらいたくなると言うのは何となく分かった。私もブースターの胸で泣いていたのだから。
「……離れてくれ、私は誰かに胸を貸していられる程の度量はない」
「……ごめんなさい……」
まだぐずつきながらも私は彼の胸から離れた。少し湿気ってしまった毛を払いつつ、彼は名乗った。
「私はガブリエルだ。キミの名は知っている。テレサ。実を言うとだな、キミは嫌がるかも知れないが、私もある組織の一員なんだ。その組織は“ピュール・エレウテリアー”。スコトスやアストラプテインと同じく、裏では名が知れた組織だがキミは知らないだろう。最近色々とごたごたが起きているんだ。スコトスが表に出たりな。まぁ、詳しい話はキミがどうするか決めてからにしよう」
色々なことがありすぎて私は混乱しているし、彼の言葉もサッパリ理解が出来なかった。なんというか、彼の言葉には現実味がない。
「……混乱、してるな。……近くに休める場所がある、そこまで行って少し落ち着くとしようか。自分で歩けるな?」
「あ、はい……」
彼の後ろを恐る恐るとついていく。私もバカ正直だなと思いつつも、抵抗する気にはなれない自分がいたりする。何となく、直感と言うべきか、それで疑う必要はないと思ったのだ。
「……ん……この辺りだったような……」
ガブリエルはモゴモゴと呟き、周囲に手を伸ばした。何かに触れようとしているようだが、あいにく背の低い草しかない。のそのそと進みつつ、彼は何かを探し続けていた。彼は目を瞑ったまま開けようとしないのだ。そんな状況の彼を見て思いつくことなど一つしかない。見かねた私は、何を言われるか少し案じながらも、そっと彼の手を取った。私の方を向くことこそしないが、意識だけは私に向けているようだった。
「あの……何を探しているんですか……?」
立ち止まってしまった彼に私は問いかけた。しばらく間を空けたあとに返ってきた言葉は、どことなく不機嫌そうに聞こえた。
「大きなこぶがある木を探している。そこでなら落ち着けるはずだからな」
「それなら……もうすぐそこにありますけど……。案内した方が……」
「結構だ。私は一匹で良いから、黙ってついてくればいい」
私を振り払うようにしてガブリエルは歩き出し、案の定木の根につまずいていた。
転けることはなかったものの、あからさまに不機嫌だと言うことが分かるような足取りになるガブリエルに対し、私は少し怯えていた。だがついていかなければまた“いかれた組織の連中”に追いかけ回されるのだ。彼は私を助けてくれたようだし、絶対の信用をおける訳でなくとも今までの誰よりも頼りにはなるはずだ。
直径1メートル程の木の割と低い位置にあるこぶをガブリエルは叩いた。どうやら目的の場所に来てしまえばあとは手慣れているらしい。ガブリエルが叩いた木のこぶから、こすれるような音が聞こえたかと思うと、こぶの一部分が扉のように木内側に開いた。私が驚いていることに気付いていないのか、不機嫌だから無視しているのかは分からないが、ガブリエルはさっさと中に入ってしまった。まごまごしている訳にもいかず、挙動不審に様子を窺いながら、私はこぶの扉へと入っていった。
中は想像していた以上に広かった。こぶの中はほぼ空洞で、幹をくり抜いて地下へ螺旋状の階段を作っているらしい。扉を開けたのは誰かよく分からない。振り返ると同時に扉が閉められて真っ暗になってしまったからだ。不安になり私は急いで階段を駆け下りたのだが、ガブリエル自身恐る恐る階段を下っていたらしく、ぶつかって彼と絡まり合いながら転がり落ちてしまった。止まったのは周囲の材質が粘土を焼き固めたようなものに変わった踊り場でだ。その後私はその事を根に持たれることになる。
あとがき
さて、思いつき小説第二弾ですが…、これまた凄まじい内容になりそうな…(汗
さんざん酷評をもらっている武器を何とかしたいなー、とか思いつつ書いたんですが、結局出るんですね。私のアイデアパターンの少なさに絶望した!
官能スルーでいきましたが、後々色々やらかしたりやらかさなかったりの予定なので今はまだ官能を表に出さない感じでいきます
最近は純粋にエロいもの書いてないなぁ~、とか思ってたりします。でもエロばっかじゃつまらないと思う自分。こんな葛藤無駄ですね、全く(苦笑
続きを期待せずにお待ち下さい…
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