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災いの名を負い旅立つ空に

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災いの名を負い旅立つ

作者:オレ



「これは……!」
 白い体毛が飛び散り、その中心は大量の血で染まっている。体毛の主はもう生きていないことは、その残り香が伝えている。その場には二匹の白い毛皮の四足……同族アブソルがいる。片方は茫然自失、もう片方は周囲の様子を警戒している風だ。
「ああ、やられたのはお前の親父だ。相方の方は逃げ延びたみたいだから、人間に災厄を伝えられる可能性はまだあるが……」
「なんでだ……」
 一目で子供とわかる小柄なアブソルは、父を亡くした悲痛を押して口を開く。
「アブソル狩りってやつだな。人間に災厄を伝えるために人里に近づいたはいいが、人間の方は『災厄を呼ぶ』って誤解しちまってて……」
「でも父さんたち、反撃もしなかったみたいじゃないか! それにその『アブソル狩り』をするのだって人間だから、ならなんで人間を助ける必要があるんだ!」
 少年はありったけの声を張り上げる。前肢で指差す周囲には、アブソルがつけられる傷は見当たらない。木や岩もだが、草や土くれに至るまでもだ。年上の方は、まずは少年の見る目の方に少し感心する。
「お前、そこまで見れるのか。確かにお前の親父さんたちは反撃しなかったはずだ。人間のためにしていることだから、人間を傷つけることは許されないからだ」
 それはまだ少年は教わっていなかったらしい。少年は目を剥き、年上に食って掛かる。
「なんでだよ! どうして人間のために、仲間の命まで捨てるんだよ!」
「……それはな」
 年上は説明しようと口を開き、しかし開いたままの口からは次が出ない。少年は今か今かと、次の動きを待つばかり。
「まあ、いずれわかる。説明しようにも子供には難しいしな」
「聞くだけ聞くよ! 今は『いずれわかる』なんて言って、本当は説明できないんじゃないの?」
 その瞬間、今度は年上の方が目を剥く。一気に少年を、その鋭い爪のある手で押さえつける。図星だったのだろうか?
「大人を馬鹿にするな! 大体何のために知ろうっていうんだ!」
少年はうめき声一つ。厚い毛皮があるおかげで詰めはそこまで深くは食い込まない。年上も逆上はしたが、その辺の力加減は分別を失わない。少年の体が受けた痛みはそこまでではなかった。

――だが、無力は少年の心を深くえぐっていた。



「どうやら僕は、随分長い時間を無駄にしたようだな!」

 怒りの咆哮を上げるアブソルの目には、わずかだが涙が浮かんでいる。その周りの岩や倒木の上では、他のアブソルたちが少したじろぐ。正面にいる者以外は。

「災害を予知する力があるからには、不器用であっても貫かねばならぬものがある。一時の私情でそれを忘れるか、ジャスティル!」

 怒鳴り返すもう一匹のアブソルは、ジャスティルよりもずっと大柄である。体を覆う毛先には若干の乱れが伺えるが、それにも気品を感じられる。今日までの年数を生き残れる強さは、当然先の怒号にも籠もっている。ジャスティルにもすくみ上っていた周りには、岩からずり落ちるほどまで驚いた者もいる。

「守るべき仲間を死に晒して、何が貫かなければならない不器用さだ! 現実逃避も……大概にしやがれ、この馬鹿どもが!」

 猛る相手の声に、ジャスティルは次の言葉を一瞬だが出し渋った。それに対して今まで動じずにいたもう一匹も、少しずつ身を震わせはじめる。ともに相手への恐怖など微塵もない。ジャスティルの放った決別宣言だけが共有されていた。

「骨のあるやつだと思っていたが、信義の欠片もない裏切り者になろうとはな! かかれ!」
「ほざけ! 筋が通ってないのはお前らだ! 筋を通さないやつらの語る理論は、確実に崩壊するものだ!」

 その決別宣言は、すなわち宣戦布告でもあった。両者のやり取りに周りの者たちはすくみ上ってはいたが、それでも我に返った一匹がジャスティルに飛びかかる。先程言い合っていた相手よりもずっと小柄ではあるが、ジャスティルと比べると一回り大きい。そんなかつての仲間の動きに気付き。

「確実に崩壊するものだ! 別の大事なものまで巻き添えにして……ね」

 ジャスティルの脇をかすめていった白い影は、数秒後に少し先で赤いしぶきを上げる。一度軽く息を吸い込むことで、咆哮となっていた怒りも一緒に飲み込む。声は打って変わって静かな重みだけを抱き、行き場の無くなった怒りは一滴の血も残らない鋭利な爪となる。自分の理念だけを見つめる冷徹な目は、同時に頬も濡らし続ける。周りの者たちは飛びかかるどころか目を背けたくなるような、そんな形相であった。

「小僧、そこまでするか!」
「一族の長であればまずはついて来る者たちのことを考えるべきだ。僕に斬られるのは許さない大事な仲間のはずなのに、人間たちのためにはいくらでも見殺しにする」

 ジャスティルが族長の方に目線を戻したのに合わせて、族長は飛びかかるべく身をかがませる。卑怯者とは違う正面からの堂々たる戦いを見せつけようと言わんばかり。それは一見すると身を躱せば反撃の大きな隙が生じるようで、その実小手先の技など全てを呑み込める巨大さを持っている。対してジャスティルの方がずっと小柄ではあるが、その力を知っていたからこそ真っ向から受け止めた。

「お前などには、族長の資格は無い」
「ぐあっ!」

 どんな躱し方に対しても気構えていたがために、逆に堂々と正面から受け止められることへの力は分散される。意に反して真っ向から受け止めたジャスティルの角に弾かれ、族長は無防備に宙を舞う。こちらが卑怯者ではないと相手に見せつけるための正面突撃だというのに、相手に見せつけられるという皮肉な結果。さらに追撃とばかりに、ジャスティルは地面に打ち付けられる瞬間の族長に飛びかかる。

「最後の義理で命までは取らない。この『族長の証』で許してあげよう」

 ジャスティルの左の前足には、黒白入り混じった縞模様の小石が握られている。今の今まで族長が喉元のたてがみに絡めて抱えていたらしく、周りでは白い毛が宙を舞っている。次から次へと繰り広げられる状況に愕然と動けずにいた周りの者たちをひと睨みしつつ、ジャスティルは自分の喉元のたてがみの毛を『族長の証』に絡みつけて埋め込む。

「僕が作り上げる一族では、下らない現実逃避の不器用さなど許さない。そんな僕を族長と認める者だけついて来てくれれば、それで十分だ」

 それは今までのやり方を徹底的に否定するものであった。弱肉強食だの下剋上だのの世界では、族長に打ち勝ったジャスティルが普通であれば即時新たな族長となる。しかし今までの生き方を真っ向から否定されては、理論的には受け入れられるものも簡単にはいかなくなる。しばらく歩き続けたジャスティルは、ついて来た者たちの気持ちをはっきり把握していた。

「認められないのについて来るってことは、僕の命が目当てなのかな?」
「あのような言いぐさ、許せるか!」

 その声が終わるのを待たず、ジャスティルはその場から駆け出していた。さっきの族長との勝負は、相手の考えを先に読み取れたからこその勝利だった。もちろんジャスティルも少し前までは族長に認められた力の持ち主であり、自信はあった。それでも手のうちを一度見られた上では、多勢に無勢である。

「逃がすか!」
「ちょっと腕が立つだけで……小さいくせにいい気になりやがって!」

 かつての仲間は暴言と共に、様々な物を飛ばしてくる。血肉を切り裂く風の刃だったり、手足を縛る黒い視線の鎖だったり。無数に飛んでくる攻撃だが、ジャスティルはそれらをひとつ残らず感じ取る。全てを躱しきれたわけではなかったにしても、ジャスティルの足を止めるような攻撃は一つとして当たらない。何とか追いかけながら攻撃を当てようとする追っ手たちに対して、ジャスティルは完全に逃げ切ることに徹している。両者の距離が開いていくのは時間の問題であった。

「くっそ……逃げ足も速いな!」
「む? ちょっと待て、この音は?」

 それでも木々の向こうの視界に、ジャスティルの姿は見え隠れしている。優れた力を持つジャスティルでも逃げ間違いがある以上、まだ諦めるべき距離ではない。しかしきな臭い音やにおいと共にこちらに向かってくる影に気付けば、もうそれどころではない。

「うわっ! 樹がっ!」
「あの野郎ー!」

 アブソルたちの身の丈の何十倍もあろう巨木が、ゆっくりとアブソルたちの頭上に向かって倒れてきた。こだまする悲鳴の中で、追っ手たちは辛うじて直撃だけは避けた。しかし飛び散った石や破片に打ちのめされ、砂煙で視界も遮断され。辛うじて見えていたジャスティルの姿はもう見えなかった。

「あいつ、最初からこのつもりだったか……!」

 一匹のアブソルが歯噛みした声でつぶやく。いくらジャスティルでも、こんな巨木を逃げながら一撃で倒すことなど不可能。事前に逃げるルートを選んだ上で、可能性のありそうな場所に細工をしていたのだろう。つまり最初から逃げ出す前提があったのだ。

「いつもいつも文句を垂れてばっかりだったが、最悪な奴だったな」

 これ以上の追跡を断念した一行は、ただ苦々しくジャスティルの逃げ去った方を睨み付けるだけであった。






 かつての同族の追跡を振り切れば、あとは独り無法の世界。助けてくれる存在は無くなるが、最初から自分だけを狙ってターゲットを絞って襲う輩もいない。アブソル狩りをするハンターたちとて、不特定多数のアブソルからターゲットを決める。

「ふうっ! こいつは美味かったな!」

 ジャスティルは満足げに呟きながら、ゆっくりと体を伸ばす。その脇には今しがた平らげたばかりの、木の実の種が転がっている。逃げ出してから数日、食事は肉が主体であった。肉食の種族のターゲットにされたり、縄張りを侵された者に襲われたり。そういった相手を返り討ちにして、必要な時は肉として食してきた。

 ……やっぱり食べるなら木の実だな。

 ジャスティルは心の中で呟く。彼は菜食主義とかそういう物は別段無かったが、好き嫌いで言えば一番は果物に傾く。雑食のアブソルゆえに好みは各個に分かれるのだが、ジャスティルの一族は木の実を好む者が多い。一族の中では非常に浮いた存在であったのだが、それでもやはり同じ部分もあるらしい。

 ……それにしても、嫌な感覚だ。

 ジャスティルの体は、今なおその災害の予知でどこか疼く。この予知能力を役に立てて欲しいというのはアブソルたちの共有する願いで、同族のみならず多くのアブソルたちが災厄の場に駆けていった。しかし性格はどこか不器用さが目立ち、折角の予知をうまく伝えられない場面が多かった。それゆえに特に人間たちには『アブソルは災いを招く存在』という誤解が広まってしまっている。

 ……本当は人間たちにももう少し考えて欲しいけど、あの生活をしたことが無い僕たちじゃ限界があるからね。

 広まった誤解はアブソルたちに襲い掛かる。災厄を起こさせないために『アブソル狩り』をするのは人間たちだけである。様々な財を所有して利便性や備蓄を確保するがゆえに、天災による被害はどの種族よりも人間が大きい。アブソルに災厄を呼ぶ力が無いのは、ハンターに襲われた時に身を守る手段にしないことでわかるはずである。しかし被害による悲しみが自分たちには想像できないものである以上、気持ちのやり場が必要だということで理解できる。

 ……だからこそ、普通なら好んで狩られる状況をなんとかしたいって話になるんだけど。

 身近な者をアブソル狩りで亡くしたという話は、ジャスティルにとっては幼い頃からあまり珍しい話ではなかった。災害等で家族を亡くした人間たちも同じ気持ちなのだろうかと、思いを馳せたこともあった。それゆえに人間に憎しみを抱くことは、今なお全くない。

 ……逃げるなまでは言わなかったにしても、反撃するなとか行かないことは許されないとか、自分たちの一族よりも人間の方が大事なのかって話だ。

 むしろ疑問符は、人間たちではなくアブソル一族の考え方に向いている。むやみに人里に近づかなければ、避けられた犠牲も相当に多い。だが天災の被害を最も強く受けるのが人間で、そこに近づくこととの間にジレンマが発生している。それ以上の選択は個々にゆだねられる領域になるのだろうが、アブソル一族は人間を優先することに徹底した。人里へ向かうことを拒んだ者は、これでもかとばかりに糾弾された。

 ……僕は「行くな」って言ったのに、何が「貫かねばならないものを捨てるのですか?」だ!

 それでも話をする相手がいなかったわけではない。ハンター以外からの襲撃であれば反撃も致し方ないと、ジャスティルが腕を振るう機会は少なくなかった。当然腕を持つジャスティルには活躍の機会が多く、周りから一目置かれていた。他の者が人里へ向かうことを拒めばただでは済まないが、ジャスティルは拒んだり止めたり批判してもある程度は大目に見られていた。そればかりではなく、声を掛けてくるものも少なくはなかった。

 ……本当に捨てられたのは僕の方だって、そうは思わないのか!

 だが結局、ジャスティルの語る理論を本気で受け入れようとする者はいなかった。あるいはいたのかもしれないが、すぐに他の者とのやり取りの中で霧散させられてしまった。ジャスティルは「彼女」も止めたが、別れ際の口づけだけを残して去っていった。それは「他の異性」か「一族の妄信」かの違いだけで、ジャスティルの姿は捨てられた牡で間違いなかった。ジャスティルに対して「彼女」は身は捧げても、心は最期まで開かなかったのだ。

 ……思い出しても、仕方ないんだけどね。

 腹の奥から湧き上がる感覚に、ジャスティルは震え上がる。アブソル特有の災厄の予知ではなく、全ての牡が等しく持つ感覚である。思い出してしまった「彼女」との別れ際の口づけは、舌まで深く絡める濃厚なものであった。その前の晩の交わりでも「彼女」の選択を変えることはできず。ジャスティルの元に「彼女」が狩られたという知らせ以降、相手を得られないままの体は完全に異性を求めていた。

 ……まったく、こんなところで欲情したって仕方がないのに。

 周りには異性の存在は感じられないし、感じたところで互いに警戒して発散には至らないだろう。一族の中であっても自ら異性を求めての行動は不得手だったジャスティルには、ましてや野生の中で異性を求める能力など皆無だ。交わりに発展できたのは「彼女」がジャスティルの強い体を求めていたからで、ジャスティルが求めた結果ではなかった。悶々とした感覚だけが絡みつき、牡として生まれた体が恨めしい。ジャスティルはそのまましばらく苦しみ続けるしかなかった。






 木々の間にこだまする雄叫びが、ジャスティルの耳に届く。アブソルと人間の両方の声で、アブソル狩りが行われていることがわかる。人間という種族は所有する財を駆使することで、種族そのものの身体能力の低さを大きく補う。時には他の種族の者たちを使役することもある……あくまでもジャスティルは聞いただけであるが。

「まったく……聞いた範囲じゃわからない、か」

 ジャスティルはアブソル狩りのハンターに襲われたことは、まだない。予知された災厄の場に向かうように言われたことは何度かあったが、全て突っぱねてきた。普通ならその後の糾弾に気勢をそがれて、心神耗弱の体で否応なく予知に連れられる。

「実際、聞くほどなのかは気になるからね」

 しかしジャスティルだけは、糾弾しに来た仲間たちにも逆に行かないように勧めてきた。その上に「自分に命令が下る可能性を避けるために押し付けるのか?」と嫌味まで重ねて。そうやってジャスティルは人里に向かうことを跳ね除けてきた分、ハンターとの交戦も経験が無かったのだ。

「見る必要はあるね。気を付けないとだけど……」

 相応に危険は予想してはいたが、これからはうっかり人里に近づいてしまわないとも限らない。その時のためにある程度人間のことは知っておく必要はあると、ジャスティルは結論付けた。それよりも先に体は動きだしてはいたが、理由は案外ついて来てくれた。

「さて、まだ少し距離があるけど……」

 その瞬間、ジャスティルは全身の毛並みで空気の震えのようなものを感じ取った。それは災いの予知ではなく、とある種族の者たちが放つ波紋のようなものである。向こうはそれを駆使してあらゆる周囲の状況を探るのだが、逆にこちらにもそうしていることを感じ取られる危険もある。熟達した者なら簡単には感じとられなくなっていくが、相手も未熟な部分があるらしい。

 ……リオルか。割と戦ってきた種族だから、勝手は知っている。

 この地域には割と生息しており、同族たちの中でも今の放浪の身でも戦ってきた相手である。波紋の出所はハンターたちがいる方向と同じであるから、向こうが探知及び戦力として使役しているのかもしれない。とはいえ向かう先は有象無象が入り乱れる戦々恐々の場であるため、波紋での詳細な探知には相当な熟達が必要である。気持ちから一切の乱れを排除すれば、察知されることなく近づくのは容易だ。

 ……よし、ここまで近づけば十分。

 こちらに背を向けているリオル一匹と、ハンターと思われる人間二人。他の種族も数匹いるが、やはりハンターはリオルを使役しているらしい。アブソルにとってリオルの属性は完全に不利だが、ジャスティルにとっては手の内を知った相手である。それでもこのリオルは特に未熟なのだが、ハンターたちにとっては十分なのだろう。反撃するような他の種族に近づかないために連れてるリオルだから、アブソルであるジャスティルが波紋を感じ取られても問題はない。

 ……この距離だ! 人間たちに知らせようものなら、それなら八つ裂きだ!

 わずかな乱れも無い境地から一転、ジャスティルは一気に殺意をほとばしらせる。その強烈な気配に、リオルは一瞬で恐怖に束縛される。人間との和解と共存を理想としている他のアブソルたちは反撃すらしなかったのだろうが、こんな未熟なリオルを過信したものだと失笑を禁じ得ない。直後、もう一つジャスティルの失笑を誘う存在に気が付く。

 ……族長、ついにあなたが狩られたか。

 ハンターたちの足元で横たわる中に、見慣れた大柄なアブソルの姿もある。まだ意識は残っているようだが、逃げるだけの力は残っていないらしい。妄信の結果がこれかと、見る様も無い。

「ほおお、今回は大物もいるな!」

 ハンターの片方が、狩られた族長の姿に満足げな声を上げる。その野卑な声にもジャスティルは呆れる。こんな相手との共存を探っていたのだから、狩られる事態は避けられないものだったのだろう。

「やれやれ……ここで災害の一つも起こせば助かるってのに。できるわけねえけどな?」
「ん? どういう意味ですか?」

 もう片方の兄貴分と思われるハンターの一言に、弟分の方は首をかしげる。この一言には、ジャスティルも目を丸めざるを得ない。この人間はアブソルが災害を呼ぶ力が無いのを知っているのか? 知っていて意味も無くアブソル狩りをするのか?

「ああ、お前はまだ知らなかったか? こいつらには災害を呼ぶ力なんてねえんだよ。そうでなきゃ、こうして転がっているはずがねえ」
「そうなんですか? まあ俺らはいい報酬がもらえるからいいですけど、なんで災害を呼ぶわけでない奴を狩ることに報酬を出すんですか?」

 兄貴風のハンターが平然と断言したことに、ジャスティルは心の最奥を凍てつかせられる。人間に伝える手段があるのなら、ジャスティルが一番に言うであろう根拠だ。一瞬遅れてジャスティルの頭にも疑問符が出る。弟分風のハンターが言ったこともそうだが……他にも気付く者がいなかったのか、狩る以外の手段を考えようとした者はいなかったのか等。

「俺らの仲間には体があんまし強くねえやつもいるんだ。そいつらにボロボロななりをさせて、各地で『故郷がアブソルにやられた、狩るしかねえ』って煽って廻らせてる」
「へえ……体が強くないとあんまり仕事も無いですからね、そいつらも必死に煽ってくれるってやつですね?」

 人間が備蓄をすることで他の種族との身体能力の差を補うという話はあったが、それでも人間の中での体の弱い者が楽というわけではないらしい。そもそも他の条件を除いて「体が強いか弱いか」だけの一点で見れば、当然強い方が有利なのは自明であろう。

「そういうことだ。アブソルどもが被災地で見られることが多いのは、多分偶然じゃねえとは思うがな。理由は知らねえが、そのお間抜けのおかげで楽に食っていける」
「なんか性格的にも不器用なのかもしれませんがね。俺らには嬉しい限りみたいで」

 馬鹿にしたように笑う二人のハンターに対し、ジャスティルの心は既に凍てついていた。貫かなければならないと思っていた不器用さは、逆に人間たちとの溝を深めることに利用されるだけだったのだ。その皮肉に、族長は無念の息をこぼす。

「ま、さっさと獲物集めて引き上げ……ん?」
「くぅ……くうん!」

 その時になってようやく、ハンターの兄貴分がリオルの怯えように気付く。その声に我に返り、リオルはジャスティルが隠れている茂みの方を向いて吠えようとする。ジャスティルの方も一気に現実に戻った。

「馬鹿野郎っ!」
「ぎゃっ!」

 それはハンターたちでもリオルに対してでも、誰に対して向けたものでもない。ジャスティルはリオルよりも早く罵声一つ、角と爪を振るいハンターたちの間に飛び込む。ジャスティルが真上から振り下ろした角は、リオルの頭頂から股下までを真っ二つに斬り込む。その動きに体のばねを加えて宙に跳ね上がり、右前足と左後ろ足の爪でハンターたちの腕を一撃する。

「なっ!」
「いつ……」

 その瞬間が切り取られたかのごとく。ジャスティルがあまりにも速かったからだ。それ以上に、目の前の予想外が過ぎていた。リオルの体が赤によって左右に分断され、遅れてそれぞれの腕が主を残して飛んでいく。倒れ込んだ目の前では、今まで反撃すらしてこなかったアブソルが他の家畜たちも掃討していた。

「なぜ……!」
「ひ……ひぃっ!」

 数匹斬ったところで他の家畜たちが逃げ出したのを確認し、冷たい怒りの目線が最後にハンターたちへと向く。今まで自分たちが重ねてきたこともそうだし、何よりも今の会話を聞かれていたかもしれないということが頭をよぎる。即座に殺されるかもしれないし、苦しませるため嬲られ続けるかもしれない。だというのに目線と共にのしかかってくる恐怖で、身じろぎ一つできない。

「まあいいや」

 ジャスティルは一言吐き捨てると、倒れている族長の方に顔を向ける。それで解放されたように、二人のハンターたちは悲鳴を上げて逃げ出す。その声が離れていくのを聞きながら、ジャスティルは冷笑でもって族長の意識を呼び戻す。

「無様なものだね」
「ジャスティル……」

 族長は目を閉じる。ハンターたちの本性が晒されたその瞬間、族長にとってジャスティルは最も会いたくない相手になっていた。決別時には紛うことなき敗北を喫し、その上でこの極め付け。此奴はどこまでも自分を否定せんとばかりに。

「これが『貫かなければならない不器用さ』の末路と」
「……殺せ」

 あるいは今から手当てをすれば、万に一つくらいは助かるかもしれない。だがそれを求めるのであれば、向こうは自分たちが信じてきたものを捨てるように言うだろう。せめてこのまま知らなかったことにして死んでいきたい、今生だけはジャスティルに屈せずに終えたい。最後の虚栄心からこぼれたひと言。

「言ったね? 命までは取らないって。僕の予想を越えてはいたけど」
「助けるというのか?」

 決別の時の戦いの中で、族長の証を奪い。その瞬間、ジャスティルは確かにそんなことを言った。絶望とも期待とも知れない感覚に、族長は閉じていた眼を開く。開いた目の前にいたジャスティルは、どこまでも冷たく族長を見下していた。例えるなら死神であろうかという顔だが、命を取らないと語るそれは何と呼ぶべきか。

「いや。僕はあなたをアブソルと認めない。それだけだ」

 ジャスティルは角と爪を振るう。鈍く乾いた音とともに、族長の角は宙を舞う。まるで墓標のごとく、角は族長の隣に突き立つ。だがそれでもジャスティルは飽き足らず、頭や首筋の厚い毛並みを薙ぎ払う。族長の肉体に傷はつけていないが、アブソル一族の象徴的な部分を無慈悲なまでに剥ぎ取っていた。

「そのアブソルかどうかも分からなくなりそうな姿、似合っている」

 嗚呼、死神。いや、死神でもここまでのことはするだろうか。悠々と踵を返すジャスティルの姿は、再び目を閉じた族長には見えなかった。先程妙な期待はしてしまったが、恐らくもう命も助からないだろう。その妙な期待をしてしまった現実は、ジャスティルに屈したくないという虚栄心さえも奪い去り。最期までのわずかな時間のみで、族長はこれで全てを失ってしまった。

「さて、こいつはこの辺にして……」

 ジャスティルはハンターたちが逃げ出した方に目を向ける。真っ二つになった未熟なリオルの亡骸の周りには、ハンターたちが腕から吹き出した赤が飛び散っている。その先で点々と続く血の足取り。ほぼ確実に彼らの拠点に向かっているだろう。彼らが途中で力尽きなければだが。

「別にもう、何があるわけじゃないしな」

 ジャスティルは一言ぼやくと、その後を追い始めた。腕を斬り落とされた彼らの状態を思い出し、彼らの拠点への道案内させられるとは思った。だが問題は、ジャスティルにそうする意味があるのだろうかということ。先程ここを見に来るときは一応理由はついて来てくれたが、今度は完全に理由など無い。人里に間違って近寄ることはあっても、拠点が見えるような場所まではさすがにないだろう。今そこに近づくリスクを冒して、得られるものなど何もないはずだ。

 ジャスティル自身も、もう何もかもを失ってしまっていた。だから得られるものが無かったところで、最悪があっても差し引きゼロだからである。






 しばらく走り続けてようやく、ジャスティルは自棄になっている自身に気が付く。ハンターたちの拠点に近づくことで何を得られるわけでもない。だが同時に、ジャスティル自身も失うものなど何もなかったのだ。人間のように財をため込んでいたわけでもないし、家族も仲間もとっくに失っていた。自分の考えは望まない形で証明され、そしてどうするかというものも残らなかった。

 ……別な大事なものまで巻き添えに、か。

 ジャスティルは自身の言葉を反芻する。思えば族長も、幼い頃から妄信の中に生きてきた。それを辿っていくと最初に人間との「共存」とやらを言い出した祖先に行き着く。その者にすれば一族のために云々はあったのかもしれないが、後に残ったやり方が外れていた。結果、一族は壊滅状態となった。妄信する「共存」の理念とともに。

 ……それでも、あいつは許せないけどね。

 今の一族壊滅は祖先の因果応報であるが、族長も族長でそこから抜け出そうとしなかった。結果、今回のことが無くても多くのアブソルたちを散らせた。ジャスティルからの反対の声を何度も聞いていて、その都度思い直す機会があったにもかかわらず。

 ……本当に、あいつにはお似合いの姿だ。

 アブソルという一族の長でありながら、アブソル以上に人間を優先する。ジャスティルからすれば、だったらアブソルなんてやめてしまえと言ってやりたくなる。生まれ持った種族である以上やめるとかを簡単には言えないが、だからこそ族長たちをアブソルとは認めたくなかった。族長をアブソルとはわからなくなる姿にしたのは、その意味がある。

 ……最初から、守れない相手だったんだな。

 アブソルであれば、アブソルとしての筋を通した考えで守ることができた。しかし生まれ持った姿すらも否定しなければならない相手では、アブソルのための考えで守ることなどできない。ジャスティルは最後は見捨てて、群れを後にした。だが仮にジャスティルが終生を一族の中で過ごしても、今回のアブソル狩りを逃れることができたとしても、この結末は時間の問題だったのだろう。






「うっ!」

 ずっと木立の中を駆けていたジャスティルにとって、森から出た瞬間の日差しは目に刺さる。それは全てを失い闇に消えるべき存在を、日に照らされた世界が拒むかのごとく。
 なんでもいい。このまま世界が自分を拒絶するのなら、そのまま打ち砕いてくれてもいいみたいなことをジャスティルは思う。

「まったく、やれやれだね……」

 なおも続く血の道程は、目の前で左右に広がる断崖に沿って続いている。ふと足元を見ると、断崖沿いの道に曲がったのとは明らかに違う跡がある。強かに打ち付けられて掠れた血の跡。その隣に立って崖下を覗くと、先程のハンターの片割れが谷底に転がっているのが見えた。恐らく先程のジャスティル同様に、目が慣れていない間に転がり落ちたのだろう。

「もう片方は?」

 ジャスティルはその者を特に気に留めるでもなく、血が続いている方に目を向ける。少し先に頑丈な縄で掛けた吊り橋があり、そのもう少し先で歩いているハンターの姿が見えた。既に動きは鈍りきっており、あの様子だと結局どうしようと助からないだろうと見て取れる。

「そしてあれは……人間の住処か」

 まっすぐに切り崩した岩石を組み上げて……ジャスティルは「塀」という言葉を知らない。だが初めて見る人間の作り上げた利器には若干の興味が湧いてくる。先程のハンターは塀の向こうに入っていったのもあり、ジャスティルは誘われるように吊り橋の上に足を踏み出していた。吊り橋すらも初めてであるジャスティルは、その上を歩く間に徐々に気持ちが高ぶっていた。板の感触に縄のきしみ具合に、このような物を作る人間は確かに便利な生活ができると思ったのだ。






 片腕を切断されて息も絶え絶え戻ってきた者に、仲間たちは絶句する。門を入って数歩のところで跪き、ゆっくりと倒れる。

「アブソルが……反撃してきて……!」
「そんな!」

 アブソル狩りをするハンターたちの拠点とあって、今までの「アブソルは人間には反撃しない」という「常識」はみんなよく知っていたらしい。血色を失い蒼白となった顔色とは逆に、なおも止まることなく血をこぼす片腕。そんな状態なのに歩いて帰ってきたことから、一緒に行った相方ももう戻ってはこないと誰もが察した。

「最初にリオルをやって……その後に俺らの腕を……そして残った家畜どもも追い払って……!」
「まさか! しかも一匹だったんですか?」

 うつ伏せに倒れていた男に駆け寄った一人が、自らの膝の上で仰向けになるように抱える。別の男は何は無くてもとばかりに、傷口に包帯を巻きつける。息が荒くてなかなか次の言葉が出なかったが、それでもそのアブソルが一匹であることはなんとか頷いて伝えた。

「奴が俺らに興味を無くしたから……逃げれたけど……あいつは……そこの崖で……」
「くっ! わかった、よく伝えてくれた!」

 包帯を巻いていた男のねぎらいの言葉が終わった時には、既に何も聞けない体となっていた。抱きかかえていた男もゆっくりと亡骸を地面に寝せる。巻き終わることなく地面に落ちた包帯に、まだわずかながら血が落ちる。恐らくこの拠点のリーダーといった風貌の男は、頭の中で今の話をまとめる。

「そのアブソル、つけて来てないか?」
「へ? まさか!」

 もう一人の男は慌てて門から飛び出し、塀の周りを軽く見やる。もしそこにアブソルがいたらやられるだろうと、リーダーはその軽はずみな行動に頭を掻く。その手の五指全てに大粒の宝石をつけた指輪をはめ、こちらの方は居丈高だ。

「つけて来ている感じではないですが、血の跡は続いています」
「わかった。落としておかないとな」

 それでも仲間に対する気持ちはあるのか、声のトーンははっきり重い。血の跡をたどればここまで来ることができると、リーダーは警戒せずにはいられない。今まで人間たちにはろくに反撃しなかったアブソルが、犠牲が出るまでのことをしてきた衝撃。話では一匹だけと聞いていたが、むしろその方が理解できるし不気味である。恐らく浮いた存在であったが故に群れから離れたとも考えられるから、何をしてくるかわからない。

「用心に越したことはないな。とりあえず銃を用意して……急いでここに残っている連中に知らせてこい!」

 今は目先の危険に対する備えをしなければならないので、もう一人の仲間にも指示を出す。リーダーは駆け足で長屋に入ると、指輪を全部外して縦長の箱を開く。真新しい金属製の筒は、宝石とはまた異質だが負けずとも劣らない光を放っている。

「他に出ている連中にどうやって報せるか……こんなこと無かったからまずい状況だな」

 塀の内側には幾棟もの長屋が並んでおり、しかしその割にはこの場を守れそうな男手はいない。災害を起こさせないためにアブソル狩りをするという名目がある以上、ここに徒党を組んで攻め込むような人間はいない。野生の領域には近いが谷を隔てているため、向こうから襲ってくる野生がいる可能性もほとんど無い。一番ありえそうなアブソルからの反撃が無い前提であったため、業務拡大のために人材家畜をどんどん外に出していたのだ。これでは広くなってしまった拠点全体での情報共有もままならない。

「おい、いつまでそこに座って……?」

 長屋から出て仲間に声を掛けた瞬間、リーダーははっとして銃を構えた。ずっと亡骸を抱えたまま動かない仲間の様子は、いくら気落ちしていたとしてもおかしい。銃を用意するために脇の長屋に出入りしていた少しの間に、つけて来ていたアブソルが現れて……。こちらの様子が分かってないうちは手を出さなかったのかもしれないが、物陰から様子を見ていたのだとしたら。そして今この間に襲われたのだとしたら、こちらの手薄さも気付いているに違いない。

「やっぱりか! おのれ!」

 新たに作られた亡骸がゆっくり倒れると、その陰から見慣れた白い毛並みと黒い角が現れる。どこかまだ体が小さい気がするが、こちらをまっすぐに見据える赤い瞳がその力を示す。即座に銃口を向け、引き金を引く。

「死ねっ!」

 銃口が向いた瞬間、アブソルは直感的に何かを感じ取ったらしい。一度倒れた亡骸をもう一度打ち上げることで、防弾の盾とした。同時に、破裂音。命中した場所から一筋の紅が飛ぶ。リーダーは反撃を見越して脇に飛び退きつつ、弾倉を開けて薬莢を詰めなおす。

「なんだっ?」

 その間アブソルからの反撃は無かった。流石に反撃されても簡単に喰らうほどではないだろうが、だからといって銃と亡骸の銃創を見比べるなんてあるのだろうか。アブソルが一瞬息をついたのが聞こえたが、それはまるで何かに興味惹かれる子供のよう。戦いに臨む目は実力を持つ者で間違いないのだが、憎悪は全くと言っていいほどに感じない。

「なんだ? なんなんだ……お前は?」

 先程何をしてくるかわからないとは予想していたが、これはその予想を上回る不気味さだった。なおもこちらを見据えてじりじりと距離を詰めてくるその顔から、相手の強さ以上の恐怖が圧し掛かってきた。

「かっ!」

 咳き込むような声と共に、リーダーは全身をけいれんさせる。予想外の恐怖に震えたその一瞬を、アブソルは見逃さなかった。右の脇腹から左の胸にかけてまっすぐに角で斬り込まれる。今この場所を守れる者は少ないし、状況がまだ周囲にもろくに伝わっていない。だから斃れるわけにはいかないのに、その意志に反する体。意志は消滅するその瞬間も立とうともがき続けたのは、リーダーとしての最後の誇りだったのだろう。






 ……弱いと聞いていたけど、意外にいい動きだったな。

 ジャスティルは地に伏したリーダーの屍を、検めるように前足で触れる。一発目の銃撃の直後、反撃をかわしつつ回り込む足さばきは悪くなかった。なるほど脇に転がる二体の屍と比べると、筋肉の付き方が明らかに違う。目線の運びも森の中で戦った二人とは雲泥の差だ。とはいえ族長等今まで見てきた他の「強者」と言えるクラスと比べると、種族の壁は確かに大きい。それを補える理由の一つが、今目の前にある。

 ……それにしても、なんかいきなり動きが鈍ったような?

 二発目の攻撃にどの程度の準備が必要なのかはわからない。ジャスティルの勘だと恐らくもう次を撃てる状態だったはずで、ここまで手早く次を出せるとは思っていなかった。最初の一撃に作られた傷に驚いて目を奪われてしまったが、その間に次を撃たれていたら躱せたかどうかわからない。相手が何故たじろいでいたのかその理由は、ジャスティルには全く思い至らないものらしい。

 ……これ、奴らは「銃」って言ってたかな? まだ次が出ないのかな? 確かこの辺を……。

 リーダーが指の一本を掛けていた場所には、細い鋼の棒が飛び出している。棒が出てきている溝の形から、恐らくこの方向に引っ張るのかななどとジャスティルは弄り回してみる。一度、二度……四足アブソルで指が短いジャスティルの爪では引きづらく、何度か悪戦苦闘しているうち……ぱんっ!

「痛っ!」

 しっかり押さえられていなかった銃は、発砲の反動で大きく跳ね上がる。それがジャスティルの前足を弾き飛ばし、砲身でこめかみを一撃する。かなりの痛みだったらしく、ジャスティルの目じりからは涙がこぼれている。

「これ、すごいな」

 今の砲身による一撃で、毛並みの白い部分がじわりと赤く染まっている。弾かれた前足も痛い。それでも流れ弾で砕けた植木の幹を見比べて、これは完全に玩具の前の子供の姿だ。その脇に三つもの屍を転がした殺戮者の姿とは、誰も思えないだろう。

「僕がアブソルじゃなかったら……人間と話せるなら、こういうので話して楽しめたんだけどな。残念だな」

 ハンターたちの悪意を知ってなお、ジャスティルは人間への敵意を抱いたわけではない。彼が強く抱いていた怒りは一族の妄信に対するものであったが故に、人間たちに対しては「あの生活を知らない」と理解にすら向かおうとするほどだった。とはいえこの期に及んで「人間と話せるなら」と思えるジャスティルの感性は流石に普通とは言えないが。






 一部始終を少女は見ていた。父であるリーダーが箱と指輪を置いた机の陰に隠れて、身を震わせながらも気付かれないようにと自身に言い聞かせて。手には父がしていた指輪の一つが握られていた。これも大粒の宝石がはめられていたが、他にももっときらびやかな指輪はある。この指輪は父が母の実家からもらったものであると聞いており、母が亡き今も父が大切にしていたのを知っている。

「お父さん……」

 平和に父と語らっていた日常は、腕を失い血にまみれた仲間によって一変した。直後にアブソルが入り込んできた時、父に腕の一振りで隠れているように伝えられた。アブソルは父を斬り殺し、地面に落ちた銃をいじって遊んでいた。

「なんで……」

 アブソルは銃をまた適当に地面に転がして、悠々とその場を後にした。一通り遊び終えて満足したのだろうか。周囲を見回して警戒はしていたようだが、少女を見つけ出して襲い掛かる様子は無かった。少女は怯えて覚束ない足取りながら、それでも父の亡骸へと歩み寄る。

「お父さん……お母さん……」

 母の形見の指輪を父の手に握らせるが、父はすぐに力なく地面に落とす。それをもう一度拾うと、少女の目元から出る時を無くしたものが吹き出した。母の形見である指輪と、父の形見となった銃。正反対である二つのものを握り、少女は立ち上がる。

「あいつ!」

 追えばまだ間に合うかもしれない、父の仇を討つ。手練れである父を易々と斃したアブソルが相手では万に一つも勝ち目がないはずだというのに、それさえも思いつかないほどに激昂していた。捨てられていった銃を拾うと、そのままアブソルが出て行った門から飛び出す。見回してもすぐにアブソルの姿は見えなかったが、それでも足元に続く血の道筋はわかる。少女は躊躇うことなくその道筋の上を駆け出す。

「出てこいアブソル!」
「僕のことかな?」

 少女の狂わんばかりの絶叫に誘われ、ジャスティルは道端の茂みからゆっくり現れて声を掛ける。悠々と背後に出てきたジャスティルに対し、少女はそちらを向くことはできない。自分が太刀打ちできる相手ではないという現実に、その瞬間になってようやく気付いたのだ。

「よくも、よく、よく……」
「話すのならもう少し落ち着いて」

 銃を握る手は今すぐにでも落としそうに、地を踏む脚は今にも倒れそうに。少女はジャスティルの方を向きなおすのもやっとやっとで、構えた銃口も震えたままジャスティルを捉えられない。

「お父さんの仇!」
「……討ってみてよ?」

 なんとか引き金に指を掛けるが、やはり照準は震えたままジャスティルで固まることはない。ただでさえ少女にとっては重い銃なのだが、怒りと恐怖に振り回されていてはどうにもならない。それに対してジャスティルはさらなる煽り文句を重ねる。少女が自分を撃ち抜けることはないというのは、確信できる要素が多すぎた。

「ええいっ!」

 それでも破れかぶれに少女は引き金を引く。即、金属が打ち鳴らされた音が一つ。破裂した音でもないし弾も出ない。何が起こったのかが理解できず、少女はうろたえるばかり。

「その銃ってやつはね、一発撃ったら次を撃てるようにする準備がいるんだ」
「え? ええっ?」

 先ほどジャスティルが撃った後、銃弾の装填がなされてなかったのだ。相手が子供であればそれすらも知らないかもしれないと足元を見ていたし、仮に撃たれていたとしても全く問題はなかった。

「そもそも銃の方向が僕をかすりもしなかったからね、撃てても当たるはずがないんだよね」
「あっ……ああ……」

 目の前から姿を消したと思うや、次は顔のすぐ脇で悠々と説明し始めるジャスティル。少女の父親であるリーダーが使っていたのを見て、その仕組みは多少はわかっていた。銃口とか砲身とかいう言葉は知らないが、その向きで自分に当たるかどうかは把握できる。流石にリーダー相手なら把握は簡単にはいかないだろうが、その辺りは様々な種族と戦った経験のあるジャスティルだ。まして目の前の子供相手なら簡単である。

「さ、て? あんまり長居して君のお父さんの仲間が来ても困るからね」

 言うが早いか、ジャスティルは少女の服の襟首をくわえる。このまま連れ去ろうとしているのは少女も理解できたが、抵抗するどころか身じろぎ一つできない。ただ銃と指輪を握りしめるだけで、いつの間にかジャスティルとともに宙に浮かび上がっていた。






 ジャスティルは今度こそ完全に無意味だと思った。自暴自棄になってハンターたちの拠点にまで入り込んだのは、好奇心でもって荒んだ気持ちを癒せたことで納得できた。だが今度という今度は、ぶら下げられたまま動けない少女には納得できそうにない。

 ……まったく、なんでわざわざ連れてきたんだ?

 銃に弾を入れることも知らない少女では、逃げ去るジャスティルの後ろを撃ち抜くのは不可能。暴れたりされていないだけ楽ではあるが、それでも持ち運びは多少骨になる重さである。

 ……今ここで殺す気にもなれないし。

 人質にしようにもハンターたちが少女を見捨てれば、今度はただのお荷物にしかならない。そもそも人質が必要なのは追いかけてきた場合の話で、むしろ少女を連れていることでハンターたちが追いかける理由を増やしてしまっている。

「その、何て言うか……」

 そんな少し考えればする必要のないことで、少女に絶望の涙をさせてしまったのは流石に後ろめたい。地面に下ろされて尻餅をついたまま涙を流す少女の顔を、ジャスティルは恐る恐るのぞき込む。

「今更なに?」

 ジャスティルがどういうことを言わんとしているのかはわからないが、今の申し訳なさそうな表情は理解できる。少女にしてみれば日頃から災いを呼んで人々を苦しめ、今度は目の前で父を殺しただけでは飽き足らず、自分もここまで誘拐してくるという所業。そこまでしておいて今更少女に謝ろうなど、そんな良心があるならもっと早く出せという話である。

「君のお父さんや仲間に、僕の一族もたくさん殺されたけど……別に君が殺したわけじゃないからね」
「なに? 殺されたのもあなたたちが災いを呼んで、あなたたちの方こそたくさんの人を殺してきたからじゃない!」

 生まれる場所は選べない……妄信の一族の中に生まれたジャスティルは、いつの間にかそういう思いを強く持つようになっていた。まだ年端もいかないこの少女には、アブソル狩りをする父についてどうこう考えるのは難しいはず。妄信の結果の一族壊滅は自業自得だと思っているが、少女の言う自業自得にも理解はできる。理解はできるのだが……。

「と? 君は僕の言っていることがわかるのかい?」
「えっ? あれ?」

 ジャスティルにとっては周りから聞いた話でしかないが、人間は本来アブソルやほかの種族の言葉は理解できないはずである。それは災いの予見を伝えられなかったことでも納得できる。最初はしぐさや表情を見て自分の言わんとしていることを理解しているのだと思ったが、今の答えは聞き取れないと出せないはずである。

「それなら話が違うね。本当のことを君に話しておかないといけない」
「本当のこと?」

 とはいえ、どこから話せばいいかには少し迷いが生まれる。人間に伝えるすべがないと思っていたから、全く準備がないのだ。伝えたところで少女が信じてくれるか、受け入れてくれるかの問題もある。この機会は千載一遇、上手く伝えたい。

「……僕たちアブソル一族は、災いを予見することができるんだ。僕の仲間はそれを伝えるために人里に降りて行ったんだけどね」
「予見? 呼ぶんじゃないの?」

 まずは自分たちアブソル一族の特性を語ることにした。ジャスティルが迷っている時間は少女にとっては非常に長かったらしく、答える声もどこか上ずっている。

「いや、呼べない。呼べるんなら君のお父さんや仲間に襲われたときに、その力で逃げられるはずだ」
「嘘? ……嘘だ! なんでハンターに襲われたときに反撃しなかったの?」

 やはり本当のことまではわかっていないらしい。子供の前では立派な存在に見られたいのは、種族を問わず親という立場の者には共通するらしい。ジャスティル自身は親という立場になったことはないが、それでもどうも人間に親近感を持ってしまう。

「それは一族の妄信……人間たちの役に立とうって教えばっかりを優先して、同じアブソルの命は平気で捨てていた。僕はそれがおかしいって言い続けてきたけど、誰も聞いてくれなかったよ」
「でも、でも……伝える方法がないんじゃ、災いを呼ぶからってお父さんたちに狩られるのも仕方ないんじゃ……!」

 少女にとってはやはりすべての価値観をひっくり返される話だったらしい。必死に否定しながらも、声ばかりか全身を震わせている。目元にうっすらと涙を浮かべられると、忘れていた罪悪感も再びこみあげてくる。

「君のお父さんたちも呼べないってことまでは気づいていたよ。でもアブソルの災いにやられたって嘘を宣伝して廻って、アブソル狩りに報酬が出るようにしていたって喋ってた」
「そんな……そんな!」

 極め付け。先刻ハンターたちが倒れていた族長を前に駄弁っていたことである。こみあげてくる罪悪感には、今は立ち向かうつもりだ。ここで折れてしまっては一族の「貫かなければならない不器用さ」の妄信に捕まってしまうようで、そちらへの恐怖がより大きいというのもあるかもしれないと思った。

「別に人間たちを恨む気は、今もないよ。住処やいろんなものを失うのは、僕だってつらい。人間たちが災いで失うものが多いって、仲間から聞いた範囲だけどね」

 あくまでも人間を恨む気がないだけで、これを「ハンターたち」に限定すれば話は変わる。それに関してもジャスティルが嫌っていた「一族の妄信」との差し引きがあるが、ハンターたちもハンターたちでどうにも腹立たしい。

「本当はもう少し冷静に、アブソルは災いを呼べないことにみんなで気付いて欲しかったけどね」

 その冷静さもハンターの仲間によって奪われていたのだから、ある程度は仕方がないと思っている。さんざん仲間を殺されておいてそれでもなおこうして人間に肩入れする自身には、ジャスティルはどうにも疑問は禁じ得なかったが。

「伝える方法がないのに愚直に人間たちの世界に降りていく仲間には呆れていたけど、まさか伝える方法が出てくるなんて思わなかったよ」

 もちろん今までの流れを思うと、人里に降りたら少女が待っていて伝わりましたで終わるなど考えられない。しかし伝えられると思うだけでジャスティルの胸の奥には高揚が灯る。

「アブソルの……あなたは?」
「ジャスティル」
「ジャスティルは仲間の中にいたはずなのに、ずっと独りだったんだね?」

 名乗りを済ますなり少女に突かれた図星にも、ジャスティルはただ笑って頷くだけだった。

「伝える方法がないから、やめろって言ってきた。でもこうして伝わる方法が出てくると、今度は伝えたくなるんだよね」

 高揚感の正体はわかる。群れと決別する前から感じ続けていた災いの予見を伝えられると思うだけで嬉しいからだ。それは今は後回しにしているが、間に合わせるためにもなるべく早く伝えたいところである。

「僕も群れのみんなとそう変わらなかったのかもしれないな。なんでだろうね?」

 ジャスティルは若干自虐を含ませた口調で語る。これだけ蔑んできた群れの仲間たちとの一致を、決別して壊滅の憂き目を見てようやく気付けたのは何故だろう? そもそも群れのみんなが伝えたくなっていたのは何故だろう? 目先の少女には自分の言葉が伝わるものも含めて「何故」は尽きない。

「お母さん?」

 不意に少女がつぶやく。少女の母が今は亡きものだと知らないジャスティルは、ハンターの仲間が来たものだと思って慌てて振り向く。ジャスティルの視界の端に入ってきたのは、ハンターと思わしき人間ではなかった。

「なんだ、これ? 『族長の証』が……こんな?」

 少女の手に握られた指輪の宝石と、ジャスティルが族長から奪い取った「証」。二つが反応しあうように光を放っているのに、ジャスティルも少女も目を奪われた。

「……なに、これ?」
「これのおかげなのかな?」

 反応しあう双(ふた)つの宝石と、それを所持する双り。本来なら通じないはずの声も、この力があるから通じたのかもしれない。光の方はすぐに消えたが、二人はしばらく相手の宝石を呆然と見つめていた。






 少女の宝石を握る手が、わなわなと地面に下ろされる。いろいろとショックがあってずっと気付かずにいたが、ジャスティルに連れ去られたときだろうか失禁していたらしい。

「どうしたの? 顔が赤いけど」

 今は膝を下して隠れているが、尻餅をついていた間はおそらくジャスティルに完全に見られていただろう。ジャスティルは人間ではないため何も思わないかもしれない。少女自身性の知識も満足とは言えない。それでもこれが羞恥に駆られるものなのは間違いない。

「なんでもない! 何でもないから……ちょっとむこうう向いてて!」
「う、うん」

 慌てて呂律が回らなくなった少女の口から「むこうう」などと元をどう言おうとして間違えたのかわからない言葉が発生する。突然のよくわからない剣幕にジャスティルは一瞬だが呆然としたが、よくはわからないので言われるがままに後ろに向きを変える。

 ……ジャスティルはわからないかもしれないけど、これは恥ずかしいよ。

 ひとまずは濡れた下着を脱ぐことにした。おあつらえ向きにすぐ脇を川が流れていたので、軽く洗って干すことにした。もちろんジャスティルの見えない場所に。

 ……いいか、いいか。

 これもこれで少女の羞恥をあおるが、少女は仕方ないと自分に言い聞かせてスカートを持ち上げる。流石に中が露出しないように注意はしているが、自らスカートの下から手を突っ込むのは恥ずかしい。ずるずると引き下ろしながら体をかがめて、足を下着から抜き取った瞬間。

「きゃっ!」
「どうした?」

 バランスを崩して地面に転ぶ。川べりで柔らかい砂の地面だったので痛くはなかったが、思わず上がってしまった声にジャスティルは振り返る。

「ちょ……ちょっと!」
「あれ? それ……?」

 ジャスティルを背に尻餅をついているので中のもっと恥ずかしいものは見られてはいないが、手に握られた濡れた下着はしっかりと見られてしまう。人間が作り上げた利器の一つとして、ジャスティルは純粋な興味で下着に顔を近づける。

「その『皮』外せるんだ。ズルッグみたいだね」
「変態!」

 ジャスティルの無知さゆえの純粋を知らなかったため、少女にはジャスティルは変態にしか見えない。羞恥と怒りに思考をショートさせられ、次の瞬間にはジャスティルの顔面に下着を叩きつけていた。

「わっ!」

 鼻先に叩きつけられた、柔らかさと濡れた感触とにおいを放つ「皮」。なぜ自分がこんな凶行を受けなければならないのか。下着を振り払うと、少女の回収ついでの追撃の手は軽くかわす。

「あのさ……」

 何故こんな凶行を連続して受けなければならないのかを訊こうとした瞬間、ジャスティルの鼻先に残ったにおいで全身がうずく。少女の尿のにおいとジャスティルのたまり切った性欲が、一気に臨界点まで突き進む。その時になってようやく少女が顔を赤らめている理由はわかったが、体の方は後の祭り。

「ごめん……」

 まさか人間に、しかも子供に発情するなんて。自分とて「子供」に該当することなど忘れ、全身をめぐる苦痛に歯噛みするジャスティル。今は少女は体に毒だと思い、思いっきり飛びのいて体を横に向ける。発情は時間とともに収まってくれると願いたい。






「怪我……してるの?」

 まだ発情収まらないうちに、少女の方からジャスティルに声を掛けてきた。今日だけで二度、ハンターたちと交戦した。しかしその間に怪我をするような攻撃は受けた記憶は一切ない。一応銃で遊んでいるときの怪我はあるが。

「おなかの中の、出てる……」
「えっと?」

 ジャスティルは自らの腹部を両前脚の間からのぞき込む。赤黒い雄の象徴以外はいつも通りで、腸(はらわた)が出ている感じはないのだが……。

「そうか、これを……」
「それ、何なの?」

 言われてみればその雄の象徴は、赤黒くてグロテスク。怪我をして飛び出した腸に見えなくもない。だがそれは怪我どころか、健康体の証のはずである。ジャスティルの左右の頬は、先の少女のもののように紅潮していくのが自覚できる。

「いや、ちょっと溜まっていて」
「悪いもの?」

 どうにも会話が噛み合わない気がしたが、そこで相手が子供であることを思い出す。もしかすると雄の性器のことを知らないのではないか? ジャスティルの頭に良からぬ考えが浮かびだす。

「優しく咥えて、吸い出してもらってもいいかな?」
「うん、わかった」

 やはり何も知らないらしく、少女は徐(おもむろ)にジャスティルの脇腹に寄る。騙すことで申し訳ない気持ちと、溜まりに溜まった欲望を抜き去ることができる悦びと。ジャスティルは下腹部を横に倒し、雄の先端を少女に向ける。

「優しく、優しく……」

 ジャスティルの言う「優しく」という言葉を反芻し、その意味を考え込みつつ。とりあえず歯を当ててはいけないだろうと、唇をすぼめて柔らかい肉を当てる。軽い口づけをするように、先端の穴の周りに当て。

「あっ!」
「えっ?」

 震え出さんばかりのジャスティルの声に、少女は思わず唇を離す。びくりびくりと震え出す全身を見て、まずいことだったのではないかと少女は心配する。

「今の感じ……もっと深く咥えこんで」
「うん、うん……」

 ジャスティルが無理をしているのではないかと、少女の顔は心配げである。しかしそれでも「咥えこんで」というのだから、その通りにする他無い。

「はぁっ! いいっ!」

 少女の耳にはあまりに苦しそうな声に聞こえてくるのだが、それが「いい」という言葉なのだから理解できない。いつの間にか腹を上に向けて情けない姿勢になるジャスティル。ひとまず唇を赤いものと歯の間に挟み込み、舌で絡みつかせるように撫で込み。

「あああっ! 気持ち……いいよ!」

 ずっと溜まらせに溜まらせていたため、先端からはだくだくと先走りが漏れている。そんなことはわからない少女は、自分の唾が垂れているのだと思い込み。

「ふえ? なんで?」

 唇で雄を擦るようにしながら、汁が垂れないように飲み込まないように啜りながら。ゆっくりとジャスティルの雄を口から抜き、横を向き汁を吐き出す。思わぬ寸止めに、ジャスティルは涙目で力ない声を上げる。

「ちょっとよだれが出ちゃって。んうっ!」

 次の瞬間には少女の口が再びジャスティルの雄を包み込んでいた。寸止めで少し戻ってしまった欲望は、反動でより強い力をもって膨れ上がり。

「ああああああっ!」
「うっ! うっ!」

 苛烈なまでの勢いで破裂した。反射的に腰を押し上げてしまい、雄の先端は少女の喉を突き上げる。思わぬ乱暴な一撃に、少女は咽んで精液を吹き出してしまう。

「ご、ごめっ!」

 溜まっている悪いものと聞いたので、それでおなかの毛並みを汚してしまったことを謝る。毛並み同様に白い、しかし粘り気のある液体。それが何であるのか知らない少女は、まじまじと見つめてしまう。

「すご……良かった……」

 激しく息を荒げるジャスティル。その雄は満足げに、ゆっくりとしぼんで内に収まっていく。喉の奥に一撃を見舞ってしまったことを詫びる意味も含めて、ジャスティルは少女の頭をそっとなでる。爪が鋭いので頭を傷つけないように注意しながら。

「今の、おちんちん?」

 それが収まっていった場所を見て、ようやく少女は物の正体を理解する。父親を含め周りの男たちの膨れ上がったものを見たことがないため、ジャスティルのものが同じであるとはつながらなかったらしい。

「おちんちんなの?」

 少女は顔を赤らめながら、ジャスティルに追及する。嘘でも首を振るべきか悩んだが、もはや少女の中で答えは出ているだろう。観念して、ジャスティルは首を縦に振る。

「あ……うあああ……!」

 少女の顔はみるみる赤くなっていく。先ほどの失禁よりも赤い。快感に全ての思考を拘束されきっているジャスティルは、驚愕に震える声もろくに聞こえなかった。

「えっち! 変態!」

 それは刹那に羞恥から怒りに変わり、ジャスティルの無防備な腹に平手を振り下ろさせる。毛皮や肉体で防ぎきれるので、少女の力ではジャスティルには痛みすら与えられない。しかし少女はそんなことに気付けるはずもなく、ただ無意味に平手を振り下ろし続ける。






 朦朧としたジャスティルを、左右の頬を揺さぶる手が目覚めさせる。鼻腔へのかすかな刺激もあり、ジャスティルはゆっくり目を開く。

「仕返しだからね、ジャスティル!」

 ジャスティルの目の前では、少女がスカートをたくし上げていた。のど元をまたいだ膝立ちで、秘所を鼻先に突き付けて。仕返しというのは紛うことなく、そこをなめろということだ。

「あんな酷いところをなめさせて、許さないんだから!」

 少女の言う「酷いところ」というのは、単に「排泄物の出口」という意味でしかない。間違いではないにしても肝心な点を押さえていないので、少女がジャスティルにさせようとしていることとの違いなど思いつかない。

「あのねばねばな変なの……最低なんだから!」

 自分の口内に射出されたものを見ていなければ、通常の小用だと思っていたことだろう。ことの前に悪いものがたまっているかのように言っていたから、あるいは尿のほうがましだったのかもしれない。

「ほら、早く!」

 ジャスティルの首筋に片手を回し込みながら、責任の履行とばかりに促す。本当はもっと悦楽に浸っていたいのだが、これは騙した罰なのだろう。行為の意味を知っていたのであればこんな風にはせがまないだろうと思いながら、ジャスティルは口先を突き出す。

「ぁっ……!」

 ジャスティルの舌先がわずかに触れただけで、少女は全身で反応する。まだ穢れどころか他者との接触すらろくに知らない少女には、その刺激はとても語り切れない。

「やめ……?」

 少女の声だけですべてが分かったのか、ジャスティルは懇願するかのように終了を訊く。快楽の余波がいまだに止まないジャスティルの体は、無駄な力など使わずに再びゆっくり沈むことを求めているのだ。

「もっと」

 少女は即座に首を振る。一瞬の接触で腰が砕けそうになってしまったというのに意固地なものである。行為の意味は知らなくとも、感覚的なものに悦ぶこともあるのだろうか。ジャスティルの頭が落ち着いた状態であれば「そっちこそ変態」などと揶揄えていたのかもしれないが、どうしようもない今は口先を秘所に伸ばすだけだ。

「ぃんっ!」

 一度二度。舌先を這わせるのに合わせて、少女の腰が下がっていく。少女の尻がのど元を圧迫し始めたので、ジャスティルは前足で少女の体を押し上げて脇に寝転がらせる。その間もジャスティルに行為をやめさせまいと頭を押さえつけるその手に、込められている気持ちは強要から懇願へと早くも変わっていた。

「ちょ、こんな!」

 少女とジャスティルで上下の位置関係は逆転。ジャスティルは顔をぐいぐいと少女の股間に押し込み、舌を丸めては伸ばしては少女の割れ目を押し広げ。仕返しをさせているはずなのに、それどころか自分が思う以上の勢いで攻め入られる驚愕。滴り落ちる汁はスカートの内側に垂れ、染みを作る。

「入れても、いい?」

 舌を離して上目遣いで、ジャスティルは少女に問う。先ほど強烈な勢いで出したはずなのに、少女への奉仕で次が強烈に膨れ上がっていた。痛い。ジャスティルは「何を」とは言わなかったし、再び勢いづいたそれは少女には見えない。だが何のことなのかはわかる。

「悪いもの、さっき出したよね?」
「いや、あれは悪いものじゃなくて」

 いいから続きをと、少女はジャスティルの頭を軽く引き寄せる。その時になってスカートを腰の下に敷いていたのに気付き、染みを作った今更ながら腰を上げてまくり上げる。

「じゃあ何?」
「精液って……」

 ここまで言いかけてジャスティルは我に返る。相手の性の知識の不十分さをいいことにやりたい放題のことをしてしまった今、行為の実際の意味を教えて少女はどう思うだろうか? しかし「精液」という具体的な単語まで出してしまった今、逃げ場がなくなっていることを悟る。現に少女はジャスティルを見つめ、その意味を最後まで説明することを要求している。

「せいえきって……なんなのかな、それ?」
「……うん。子供の種なんだ」

 逃げ場はない。災いを予見する力があるならこういうのを予見したいというのに。少女はジャスティルの口から出た説明に驚きはしたが、口の中でいくつかぶつぶつ呟くとやがて納得した様子で首を縦に振り始める。

「じゃあおちんちんを入れると中でせいえきが出るから、そうやって赤ちゃん作るの?」
「うん」
「お父さんとお母さんもそんなえっちなことをしたから、だから私が生まれたの?」
「うん」

 ジャスティルの答えを聞いて、少女は再び数度頷く。お互い気まずく黙り込む、この数秒が異様に長かった。刹那少女は左右の膝でジャスティルの首を挟むと、頭の真上から力いっぱい平手を一度叩き込む。少し痛い。

「ジャスティルって、知りたくないことばっかり言うよね」
「うん、ごめん」

 一応、少女の方が興味を持たなければ説明する必要はなかった。だが言われてみれば、一族の中にいた時から相手が知りたくないようなことばかり言い続けてきた事実がある。謝ったのには、ジャスティルに少女の今の一言は少女が持たせた以上の重みがあるのを感じたからである。

「いいよ、入れても」
「え?」

 言いながら少女は再び力を抜いて仰向けになる。スカートをしっかりまくり、準備万端だ。しかしジャスティルの方はというと、行為から脇道にそれてしまっていたためすぐには欲望が再燃しない。

「ほら、早く」
「う、うん」

 少女は腰を揺らして再開を促す。この急転換にはジャスティルも戸惑わずにはいられないが、求められては仕方ない。中断があったというのにそれでもなお萎まなかったのか、萎んだものがまたすぐに開いたのか。いずれにせよ盛んな子供だと呆れずにはいられなかった。

「んっ!」

 ジャスティルが顔を秘所に突っ込むと、少女は待ってましたとばかりに声を上げる。破瓜もまだだというのにこれだけ悦ぼうとは、ジャスティルの舌技だから成しえたのだろうか? 確かにジャスティルは「彼女」との交わりで舌を使っていたが。

 ……待てよ? 入れて大丈夫かな?

 少女の声につられてものが力を持ち始めたとき、ジャスティルの脳裏に「彼女」との交わりの中で言われたことが浮かんだ。ジャスティルのものは族長のよりも大きいらしい。ジャスティルが力を持ち始めるまでは絶対的な存在であったため、当然「彼女」が族長と交わっていてもおかしくはない。

 ……徹底的にほぐさないと厳しいよね?

 ジャスティル自身は族長のものと比べるようなことはしなかったが、両方と交わった「彼女」にとっては相当良かったらしい。その後の一族の雌たちの目線から、喜々として語ったのが伺える。今この瞬間前にしている少女の割れ目は、記憶の中の「彼女」の割れ目よりも狭いように思えて。

 ……いや、もう忘れよう。あいつは僕を捨てたんだ。

 体を受け入れたのは少女も「彼女」も同じだが、少女はジャスティルの言葉をも受け入れてくれた。所詮体だけしか受け入れなかった「彼女」では比べる価値もない。心を受け入れてくれた少女には報いたい、体の方は楽に受け入れてもらいたい。ジャスティルの中で何かが目覚めていた。

「ひぃんっ! ジャスティルっ!」

 その瞬間にはジャスティルは前のめりの姿勢になっており、両手を割れ目の左右に添えてゆっくり開くように。大きな爪が少女を傷つけないように向きを気を付けつつ、舌先で左右だけでなく上下にも開くように揉み込んで。入口の方だけでなく、より深いところまで少しずつ。

「ちょ、激しいっ!」

 内股はおろか両肩つま先、頭の天辺に至るまで。少女は目覚めたジャスティルに震え上がらされる。いきなり激しさを増したジャスティルには恐怖に近い驚きがあったが、それ以上に快楽しか無いらしく少女は善がるばかり。ジャスティルの舌がどんどん深いところまではいってきているのはわかる。

「じゃあ、いくよ!」
「うん、きて!」

 ジャスティルは舌を抜き、代わりに雄の先端をあてがう。厚い毛並みと薄手の服を挟んで、両者の胸が重なる。少女はジャスティルの腰に両手を回し、早く入れてくれとせがむ。わずかに先端は飲み込まれたが、ジャスティルはそこから動きをゆっくりにする。愛撫には時間をかけたつもりだったが、それでなお押し広げる感触が重苦しい。この状態でいきなりねじ込むと少女を壊してしまいそうな気がして。

「早くぅ」
「慌てちゃ駄目」

 ただでさえも少女は早く深くと押し込もうとしている上に、ジャスティルの両脚も今にも力が砕けそうな状態。しかしそれでも必死に踏ん張り、上下左右への動きはゆっくりのままで。ジャスティル自身も処女を破るのは初めてであり、少女に至っては満足な知識もない行為。下手に押し込んで壊すことがあってはならない。

「ねっ!」

 痺れを切らした少女は、両腕をジャスティルの背中に回り込ませる。ここにきて今更ながらに気後れするジャスティルを促しながら、毛並みの柔らかさをより深く堪能する。

「早く!」

 少女は両脚を上げ、ジャスティルの尻の後ろで交差させる。腕だけでは飽き足りない、もっと全身を密着させようと。思わぬ動きにジャスティルが硬直してしまったのをいいことに、少女はぐいぐいと腰を持ち上げ。

「うわああああああっ!」

 ジャスティルの両足から全ての力が抜け落ち、全身を少女の上に落とす。勢い少女の秘所へと全てを叩き込み、達した。

「あっ、あっ……!」

 ジャスティルがひとしきり出し終えると両手からも力が抜けていき、全身を少女の上に投げ出す格好となる。全身で覆いかぶさられると流石に苦しかったらしく、少女はジャスティルを脇へと押す。それに合わせて自らの体をずらしていく間に、ジャスティルの意識は果てていた。






 夕暮れの陽ざしと風がジャスティルを揺り起こす。暑い季節ではあるが、ジャスティルが感じるあつさはそれだけが原因ではない。喉が渇いた。

「あれ?」

 目を開けたジャスティルの前に、少女の姿はなかった。飛び散らされた残り香が交わりが夢ではないことを教えてくれるが、それでも少女は気配の欠片もない。

「どこに行ったんだ?」

 意識が無い間に何者かに連れ去られたのであれば、自分とてこうして無事のはずがない。意識を失っていたのがどれだけの時間かはわからないが、不用心なものである。ひとまず起き上がって川の水面へと向かう。

「いいや」

 水を飲みたい、体を冷まして覚ましたい、こびりついたものを落としたい。ジャスティルは一瞬ためらったものの、豪快に川面に飛び込む。長い毛にしぶきをすすらせて舌にしみこませ、熱と汚れは流れに溶かす。交わりとは正反対に進むことでの心地よさ。

「ふうっ!」

 毛足の奥まで飲み込んだ水を雫と払い、満足に声を上げる。結構な時間を楽しめたと思う。が、その間一度も少女の姿は見えなかった。

「どこに行ったんだ?」

 連れ去られたのではないにしても、なら自らの足でどこに行くか。ハンターたちの居住からは木の上から茂みの中から、人間にとっては道ではない道を通ってきた。ある程度の方角だけで帰れるだろうか。

「仕方ないな」

 ジャスティルは少女の残り香が続く方角に足を進める。一応方角的には居住に向かっている。いつもの予見とは違うが、ジャスティルの頭には何となく嫌な予感があった。






「お嬢ちゃん!」

 少女が門から居住に戻ったのは、もういい加減日が暮れていた頃であった。ジャスティルの襲撃で命を落とした者たちの亡骸は、目の前で普段使いの布団の上に寝せられている。

「アブソルに連れていかれたんじゃないかってみんなも心配していたよ? 逃げて来たのかい?」
「そんなボロボロな格好で……お着換えお持ちします!」

 少女を迎えたのは父の部下たちと、たまたま来たところだったのだろう馴染みの行商隊の男である。目の前の父が横になったまま声をかけないでいる現実は、やはり辛い。

「お嬢様、アブソルはどの辺にいます? みんなで仇を討ってきますよ!」
「うたないで」

 女性の一人が着替えを取りに走り、ハンターの一人は少女を慰めようと声をかける。それに対して帰ってきた少女の即答は、ハンターにとってはとても信じられないものだった。

「お嬢ちゃん……?」
「お嬢様、どうしたんですか? アブソルは災いを呼んで沢山の人を苦しめているんですから、どっち道討たなきゃならないやつですぜ?」

 今までであれば他意のない言葉に思っただろうが、今はもう思えない。ジャスティルが言っていた嘘の宣伝が、これ見よがしに出てきたのだ。

「ジャスティルが……私を連れて行ったアブソルが教えてくれたの。アブソルは災いがあるのを予想できるだけで、自分で呼べる力はないって」
「そんな馬鹿な」

 ハンターの顔が強張り、行商の男も目を剥く。何一つ変わらない表情の父に対し、少女は心の中で全力で「ごめんなさい」を叫ぶ。

「ジャスティルはお父さんとここで戦ったけど、災いを呼べるんならここまで来なくてもいいはずだよね?」

 ハンターの男は握った拳を震わせる。仮に事実を知っていたとしても、自分の父親が行なってきたことを否定するというのか。瞳はまっすぐに前を向き、それでも足は震えている。覚悟があるらしい。

「でも、それを知ってどうなるんです? 現に親分たちを殺すようなやつですよ?」
「お父さんたちも呼べないってことはわかっていたみたい。でもみんなに嘘を広めてお金を出るようにして。それに……」

 男には、まっすぐにこちらを見つめる少女の瞳が怖かった。自分だけが隔離され、少女の皮を被った審判者に見つめられている気分だった。この空間から逃げ出すためには一つしか方法は浮かばないが、最後のためらいがあった。

「それに?」
「アブソルたちが教えてくれていたのがちゃんと伝わっていたら、助けられていた人は沢山いたはずだよ! なのにお父さん、助けられた人たちを見殺しにして……!」

 最後のためらいが消えた瞬間。父のしてきたことを悪行として受け入れた今この瞬間、少女は男にとって守るべき存在ではなくなった。少女の頬に拳を叩きつけ、次の瞬間にはナイフが少女ののど元に向かっていた。

「黙れ!」
「やっ!」

 背中を何かの柔らかいものに受け止められ、思ったよりも痛くなかったことに気付く。目を開く間もなくそっと地面に転がされ、同時に鈍い音が響く。気が付いた次の瞬間目の前にいたのは、ナイフを落とした手を押さえてうずくまる男と……。

「ジャスティル!」
「馬鹿野郎! 嘘だってわかっていて広めるようなやつらに、話が通じるとでも思うのか!」

 起き上がって駆け寄り、抱きつこうとした。その瞬間、ジャスティルの強烈な一喝に弾き飛ばされる。生半可な実力の者では弾き飛ばされるようなジャスティルの一喝は、少女にとってはとても痛い。だが少女も言われてようやく、自分が無茶なことをしたと分かった。

「ごめん、ごめんなさい!」
「まったく、どうして僕も敵のど真ん中に飛び込むんだか。それこそ見殺しにすればいいのに」

 いつの間にかジャスティルは、ハンターたちの家畜の3匹に囲まれていた。ドータクン二匹を従えるのは、アブソルが非常に苦手とするズルズキン。絶体絶命。



 ズルズキンの拳より先に、左右のドータクンの放つ念波がジャスティルの位置で交差する。まともに受けたら昏睡状態となる念波を下がってかわすと、そこを呼んだようにズルズキンの拳が入り込んでくる。

「くっ!」

 ズルズキンの攻撃は脇に飛びのいてかわせたが、次のドータクンが放った催眠術で反撃の隙を阻まれる。ズルズキンは動きこそ隙が多いが、その隙はドータクンたちの援護で埋められる。

「こいつら!」

 ジリ貧だった。各個の実力も先刻真っ二つにしたリオルとは比べ物にならなず、この連携にもかなり慣れている様子だ。壁際か崖に追い込まれるのは時間の問題である。

「ジャスティル……」

 少女でもジャスティルの苦境はわかるが、何もできない。ジャスティルがやられれば、次は自分への制裁だというのも子供ながらわかっている。だが今無理をして飛び掛かったところで、僅かな時間稼ぎをする力すら出せない。

「ジャスティル!」

 いつの間にか、母の形見であるはずの指輪を握りしめていた。今はもう母の形見ではない。ジャスティルが持つ宝石を通じての、ジャスティルとのつながりのものだ。一瞬は母のことが浮かんだ。だが母に願いたいことがあるとするなら、ジャスティルを助けてということだ。

 ……ジャスティルを、助けて!

 二つの宝石を通じてつながったジャスティルは、自分の父を殺した相手だ。アブソル狩りを生業にしてきた父を否定してアブソルを助けろなど、母に願うことなどできるだろうか? 願う相手は父でも母でも誰でもなく、少女は宝石を握りしめた。

「お嬢ちゃん?」

 行商の男から驚愕の声が漏れてきた。少女が握りしめた宝石が光を帯びはじめ、共鳴するようにジャスティルの喉元からも光が漏れ始める。

「この力は……!」
「こいつ、まさかメガシンカ?」

 ジャスティルは首筋から、全身に帯びていく力のようなものを感じた。いつの間にか毛並みが膨れ上がり、角も巨大なものとなり。どこでこんな力が眠っていたのだろうか、ジャスティルの体のつくりすらも変えていた。

「このために人間を!」

 違うとは思えなかった。ジャスティルの一族は、自分たちを見殺しにしてもいいような勢いで人間たちを支えようとしていた。この「族長の証」に眠る力を引き出せるのは人間だったのだ。それを知った誰かが力を引き出せる人間を求め、守るために。年月の中で妄信へと歪んでしまったが、人間が必要だからこそ人間を守る必要があった。違うなどとは思えなかった。

「む、無駄だ!」
「どうかな?」

 押し返されるものかと拳を突き出したズルズキンは、先ほどよりも動きが軽くなったジャスティルに飛び越えられる。着地と同時に向きを振り返るジャスティルの左右から、ドータクンの催眠術の念波が迫る。ジャスティルは今度はそれを全くかわそうとせず。

「食らえ!」

 翼のごとく伸びた毛並みのマントに念波は吸い込まれ、吸収され。横薙ぎに振るった翼から、ドータクンたちに撃ち返されていた。狙いとは逆に自分たちの意識が飲まれたドータクンたちは、地面に落ちる頃にはジャスティルの辻斬りのごとき爪でそれぞれに真っ二つにされていた。

「おのれ!」

 それはズルズキンが構えをし直す一瞬の間のことだった。ズルズキンに勝ち目の有無を見る暇もなく、肉薄するジャスティルをにらみつけるまでだった。ジャスティルは両手に薄桃色の光をまとわせ、さながら妖精の「じゃれつく」がごとく。ジャスティルの放った無数の打撃は、ズルズキンの皮を、肉を、骨さえも。打ち付け、引き裂き、砕き散らせた。

「まだやるか?」
「くっ! 次はまだか!」

 ジャスティルの一瞥にハンターたちは少女も行商隊も放ってその場から逃げ出す。増援を呼ぼうという口ぶりでもあったため、ここに長居はできない。すぐに自分たちも逃げ出そうと少女の方を振り返ったジャスティル。

「ボウズ! お嬢ちゃんもこっちだ!」

 行商の男は荷車引きのケンタロスたちの手綱を右手に、ジャスティルに向けて左手を差し出す。思いもしなかった声にジャスティルはたじろいだが、いつの間にか馬車に乗り込んでいた少女もこちらを向いて頷いていた。どちらにしろ迷う暇はない。ジャスティルも荷車に飛び込んでいた。

「お父さん、お母さん、さよなら」

 すぐに動き出した荷車の荒々しい軋み音の中、少女が一言呟いたのが聞こえた。自らの意志で一族との決別を選んだ少女の姿に、ジャスティルには自分と同じものを感じずにはいられなかった。






「おじさん、ありがとうございます」

 ケンタロスたちの休憩のために荷車が止まると、少女は行商の男にお礼を言う。それに気付くと、ジャスティルも少女に並んで丁寧に両手をつく。いつの間にか姿は元に戻っていた。日暮れから夜半過ぎまで駆け続け、揺られていただけのジャスティルや少女も疲れた様子だ。

「さすがにあんな話聞いちゃ、ハンターさんたちとはもう商売はできねえよ。それより、だ」

 行商の男の目はジャスティルに、というよりはジャスティルの喉元に向く。ジャスティルの姿が変化した一部始終を見ていた以上、興味が沸くのは当然だろう。

「さっきお嬢ちゃんとボウズとでやったやつって、あれって伝承の『メガシンカ』じゃないかね?」
「えっと、めがしんか?」
「ああ。人間側とポケモン側でそれぞれに持っている石を共鳴させて、一時的に別な姿と力を得るって伝承があってな」

 全身に今までにない力をまとわせ、飛べない翼はジャスティルを守る盾となった。ジャスティルに「ポケモン」という単語の方は耳慣れないが、恐らくは人間が使役する他の種族の総称だろうくらいに仮説付けた。

「それよりもその『ボウズ』ってなんですか?」
「いや、どう見てもお前はボウズだろ! ま、ボウズのくせに強いみたいだけどな!」

 いきなりの「ボウズ」扱いに不満げな顔のジャスティルに言いながら、行商の男はその頭を鷲掴みにするような手つきで撫でる。ただでさえも戦闘と荷車に揺られて毛並みが乱れているというのに、とても気分が悪い。

「そんな強いボウズを雇いたいんだ。護衛ってのももちろんだけどな、災害の予見ができるんならいい商売になる」
「商売、ですか……」

 商売と言われて、少女はどうにもやりきれない感が生まれる。ジャスティルが商売道具にされるようなことも気分が悪いし、災害に襲われた人々を相手取るなど弱みに付け込むようで気分が悪いのだろうか。

「勘違いするなよお嬢ちゃん? 金ってもんは支えあいをわかりやすい形にしたもんだ。金が欲しいのはそりゃ当然だけどな、どういう風に相手を支えるかを考えないやつに、金を望む資格なんてねえ」

 少女自身も「金」というものについて不勉強だったというのもあり、言われたことが胸の奥に響くような感覚があった。その隣で「金」や「商売」といった単語に縁のなかったジャスティルだが、何となくどういうことを言いたいのかはわかった。

「お父さんにも気付いて欲しかったです。お金を出させるために嘘を広めて、それじゃあ災害に遭った人たちもアブソルたちも不幸にするだけだって……」
「死んだ人間はもう仕方ねえ。生きている人間がどう生きていくかってのが、死んだ連中への手向けになるんだと思うぜ?」

 今まで通してきた稼ぎ方を根っこから変えるのは、簡単にはいかないのは勿論のこと。だがもし早い段階で変えていたら、少女は父があんな死に方をせずに済んでいたのではないかと思えてならない。ジャスティルと父が少女の前で仲良くできる未来があったのだとしたらと、そう思えてならない。

「それは……仮に死んだ者をどれだけ否定する結果になってもですか?」
「と、人間に限らずアブソルも同じ……ボウズはそういうことが訊きたいのか?」

 ジャスティルの上げた声に対して返ってきた答えは外れていた。先ほど理解したように感じさせた瞬間はあったが、あくまでもしぐさだけで理解したと見えて、男の方はやはりジャスティルの言葉はわからないらしい。少女はおもむろに宝石を差し出し、男の手で触れさせる。

「死んだ者たちを否定するような結果になったとしても、生きている者がどう生きていくかが手向けになるんですか?」
「多分な。どっちにしても否定しなけりゃならない相手との関係ってのは、最後はろくでもない形にしかならないだろうな」

 ただの鳴き声にしか聞こえなかったものが、今度はジャスティルの言葉として入ってくる。この変化には男も驚きの表情を見せたが、同時に少女とのこれまでの会話の流れに納得する。一方のジャスティルもジャスティルで、こちらも納得とばかりに頷いた。一族との別れ際に叫んだ言葉がこの男の口からも出てきた。これからの時間を共有できる、信頼できそうな相手だ。

「で、ボウズよ。次の災いの予感みたいなやつ、なんかあるか?」

 直後の再びのボウズ呼ばわりには、押され気味の不満感が頭をもたげたが。この豪快な性格は苦手だと思いながらも、すぐに例の感覚がジャスティルの中に復活する。アブソルたちを等しく引き寄せ続けるこの感覚に、ジャスティルの中で阻むものはもう無い。

「西の方角から……メガシンカしたらもっと色々とわかるかな?」

 ジャスティルは少女の顔を見やる。少女もうなずいて宝石をジャスティルにかざす。ジャスティルの体の中でほとばしる力は飛べない翼が象徴的だ。例え飛べないものであろうと、翼を広げて風を越えて。ジャスティル独りではどうにもならないまでに深く災いの名を負い、しかし旅立つ空には別れだけでなく出会いもあった。
 災厄の予見を伝えることで人間を支えたい。そんな夢を手にして、会えたなら。族長や一族の者たちとは今生ではもう別れたが、彼らがつないできた「族長の証」は新たな出会いを紡ぎだしてくれた。

 アブソルについた「災いを呼ぶ」という欺瞞が解けていくのは、まだまだ先の話である。だがそのためにジャスティルと少女がしたことは、決して小さなものではなかった。ジャスティルは「族長」ではなく、行商隊の「守り手」として共に旅することになる。ジャスティルの持つ「族長の証」は「アブソルナイト」と呼ばれていたのをのちに知ることになるが、そこに「石」と「守り手」を掛け合わた意味を見出されるのはもっと先のことである。






あとがき

 この作品は何年も前から投稿しよう、投稿しようと思って書き続けながら、結局今年になってしまった作品です。自分の遅筆・難産ぶりに頭が痛いです。
 着想は「赤ずきんちゃんの原作」に母胎を持ちます。さらに何年か前にツイッターに赤ずきんちゃんの原作の「赤ずきんちゃんはオオカミに騙されておばあさんの血肉を食した挙句、散々にレイプされた末に食いちぎられる」という説明が流れてきたのを見て、後に「もしオオカミが赤ずきんちゃんをレイプしていくうちに両者に情が芽生えたら?」と思ったのがきっかけです。変態め。
 とはいえ何一つバックグラウンドがなければ、おばあちゃんを殺したオオカミに赤ずきんちゃんが情を寄せるなどありえません。ありえないのですが……その辺自分は創作では親との死別・敵対が当然なくらいなので割とすんなり受け入れられました。なんということでしょう。
 こうしてオオカミが「アブソルのジャスティル」になり、赤ずきんちゃんは「少女」という形に落ち着きました。今回の登場キャラは「族長」「『彼女』」「リーダー」「(行商の)男」と、ジャスティル以外名前が決まりませんでした。仕方ないですね。
 そういう意味では自分も場当たり的ですが、ジャスティル君がここまで行き当たりばったりな行動を繰り返してくれるとは自分でもびっくりです。まあ逆にジャスティルの子供っぽさを演出できたとも言えますが。
 それとは別に随所で某氏の影響も出ていたりします。リオルを真っ二つに処刑したり、少女が失禁した股間を晒したり。やりたい放題ですね。
 そういう意味では自分のお気に入りの歌である「ツバサ」の歌詞をラストに絡めたのもやりたい放題ですね。アブソルがメガシンカして飛ぶためではない翼を広げた姿を見て、この曲とのリンクがいつの間にか出来上がっていたんです。♪ツバサ広げて 秋風越えて 夢を手にして 会えたなら共に笑おう♪
 今回は少女の父との決別を描きましたが、前述の通り自分は創作では親との死別・敵対に抵抗がありません。自分と両親との関係は現在は良好とはいえ、自分は自分で考えた善悪を通さなければならないと覚悟を持っていたりもします。ジャスティルの「筋の通らない相手との関係は確実に崩壊する」は自分の気持ちを代弁してもらっています。外国が魔の手を伸ばしているというのに、そちらの現実は一切考えずにその外国のことを含めた平和だ国際関係だと騒ぎ立てる姿の愚かさ。だいぶネトウヨ的な思考だと思いますし、勉強不足の時は勉強不足としての改訂は必要なわけですが、自分の見る筋の通した善悪を歪めてはいけないと思います。

 結果としては一票だけでしたが、票を入れてくださった方にも読んでくださった方にも感謝。
>ジャスティルの心を受け入れる少女の心のあり方に、感動した。 (2016/06/15(水) 00:35)
 おばあちゃんを殺したオオカミを受け入れる赤ずきんちゃんにも、やはり赤ずきんちゃんなりの理由が欲しかったんですよね。そこがおかしくならないかには気を使いましたが、いかがでしたかね?



オマケ
 FEifにはまってしまい、テーマの「if~ひとり思う~」を気に入ってしまい。勢いで主人公をジャスティルで歌詞にした「Justeare~ひとり思う~」を作ってしまった次第。

ユラリユルレリ 泡沫思いめぐる秤
伝う涙血 その手が歩む明日は

飛べない羽拡げ
襲う偽りを見据え
その名を 全てを 受け止めて

求める答え 旅立つ空に己(おの)が道で
謂れ断ち切り 未来をひとり思う

 自分以外にもFEifをプレイした方は、ご自身のキャラで「~ひとり思う~」を作ってみてはいかがでしょう? あるいは自分のキャラで替え歌作ったりBGMに歌詞をつけたりしてはいかがでしょう?
 ……そこまでこじらせているとか言わない。

そういえば追記
 作中で少女がジャスティルの♂を「内臓が飛び出している」と勘違いしたくだりがありますが、あれは実話を基にしています。弟が小学生当時から飼っている犬がいるのですが、ある朝脱走して外をしばらくうろついて帰ってきました。そんな戻ってきた犬の姿を見て、弟は「内臓が飛び出してる!」って驚愕していた逸話があるのです。自分はすぐに確認に向かいつつも、弟には「ほら学校の時間だ」と図らずも追い出しました。そして犬の腹を見ると、確かにそれらしいものがぶら下がっているではありませんか。しかも犬は息を荒げており、一瞬自分も「これはまずいんじゃ?」と思いました。結局、数秒ほど眺めてようやく物の正体に至り「ああ」ってなりました。どこの雌犬とやってきたのかはわかりませんが、とりあえず納得はしたので自分も遅ればせ学校に行った、そんな話です。

 てかコメントページがちゃんとできなかったのをさっき気づきましたよ。やれやれ、プレビューはしっかりしないといけませんね、このアンポンタンは。

お名前:
  • 静かに進行していく雰囲気がとても癖になる素敵な作品でした!
    ジャスティルさんったらやだイケメン --

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Last-modified: 2016-06-30 (木) 23:59:31
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