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火を見るよりも明らかな

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火を見るよりも明らかな


さかなさかな
 
 
 
 煤煙に覆われた空の下、都市の雑踏に紛れてとぼとぼと歩く男が一人おりました。すでに日が沈んで長く、道に沿って点々と伸びるガス灯の明かりがなければ辺りは真っ暗になってしまうでしょう。
 掲示板の前で立ち止まると、男はそこに貼られた記事に目を通していきます。忙しい彼には購読した新聞を読むほどの時間はないので、こういう公共の場でニュースを仕入れているのでした。
 ──ハナダ東の炭鉱にて、炭鉱夫のスギナさんが採掘中に「げんきのかけら」を発見。パートナーのゴーリキーの具合が悪くなったときに使いたいと話す。
 なんて運のいいやつだ。男は鼻を鳴らします。格好つけてないで、とっとと金持ちにでも売って仕舞えばいいのに。そうすれば、数ヶ月は遊んでも困らないほどの財産になる。
 男の人生には、かように珍しいことや運のいいことは一度もありませんでした。志を抱いて上京してきた彼ですが、激務と町の荒波に揉まれ、ニュースになるような非日常を不意に求めてしまうくらいには弱っていました。
 掲示板の前を立ち去り、しばらく歩いた男は安アパートの前でふらり方向を変えると、慣れた動きで階段を上り、ある部屋の前で鍵をひねります。どうやらここが男の住まいのようです。ドアをギィと開けると、部屋の中から暖かい光が漏れてきます。
「おかえり。さあ、ご飯にしよう。あたしゃおなかがペコペコだよ」
 さらに、ポケモンの明るい声が響いてきました。狐のような頭をした獣人型のポケモンで、真っ赤な耳毛がチャーミングです。男の同居人でしょうか。
「……どなたですか」
 違いました。ただの不法侵入だったようです。
「ルイーズって呼んでちょうだい」
「いえ、そう言う意味ではなく……」
 男は一日中働きづめでくたくたなのです。正直言って他人の家で勝手にくつろいでるようなやべえ奴相手にしたくはありませんでした。
「にしても、なんだいこりゃあ。洗濯物とゴミで足の踏み場もないじゃないか。人間なんだから、すみかはもう少し小綺麗にしときなよ」
 しかし相手はポケモン。種族までは男には分かりませんでしたが、手にした杖の先端に灯りをともし自由自在に操っています。さらに、あまりに自然に聞こえたので男は失念していましたが、聞こえてくる声からしてテレパシーすら使えるようです。家に侵入するのも、これだけ強力なエスパーを操れるなら造作もないことだったに違いありません。
 この狐を怒らせたら男の命はないでしょう。警察やらポケモンレンジャーに知らせるにも、こんな遅くでは対応してくれなさそうです。そういうわけで、男は下手に出て相手の反応を伺うほかありませんでした。
「その、僕にどういったご用件ですか」
「だからご飯ほしいって言ってるじゃないか。あと、しばらくここに住ませてもらうからよろしくね」
「ええ……」
「あ、灯りはつけなくていいよ。あたしが照らしたげるからね」
 彼女がそう言うと、ぽぽぽ、と、天井近くにいくつも火の玉が灯ります。ガス灯に照らされた外よりもむしろ明るいくらいになりました。普段は灯りに使う燃料すらけちって窓際で過ごす男ですが、今日はそうする必要はなさそうです。
「それよりいい匂いがするじゃないか。半分分けとくれよ」
 幸いにして、男は今日の晩と明日の朝の二回に分けて食べようと思って大きめのパイを買ってきていました。二足歩行とはいえ、狐面をしているだけあって匂いには敏感なようです。
 男はパイを半分に切り分け、ちゃぶ台の向かいに座る狐の前に置きます。ものを持てる種族のようだったのでナイフとフォークも置いてやったのですが、どちらも使わずにあぐあぐと犬食いしていました。次からは床に置いてやろうかと思いました。
 皿や口の端に残った食べかすもペロリと舐めて、食事を終えた彼女は満足そうに目を細めています。
「……ふぅ、食べた食べた。ごちそうさま」
「それでその、ルイーズ、さん? 一体どうして僕のところに住もうなんて……」
「こら。あんたもごちそうさまちゃんと言いなさい」
「……ごちそうさま」
「全く、最近の子は礼儀がなってないんだから」
 男は顔をしかめました。テーブルマナーも知らない狐に言われたくありません。
「それで、あんたのところに来た理由だけど。あたしももう年だからね。これまで野生で気高く生きてきたけど、最近目が悪くなってきちまって。余生を人間と暮らしてみるのも悪くないと思ったのさ」
「はぁ」
 確かに、明るい中でよく見てみると、ルイーズの瞳はうっすらと白く濁っています。
「じゃあ、もう長くないってことですか」
「失礼な。あと何年かは生きてみせるよ」
 ちっ、と男は心の中で舌打ちしました。
 確かに非日常を求めはしましたが、これは予想外です。自分のことでさえ一杯一杯なのに、ポケモンを養う余裕なんて男にはありませんでした。
「なあに、飯と宿の分ぐらいの働きはしてみせるとも。家の掃除くらいならしてあげるし、照明と暖房には困らせない。それにあたしゃエスパーの達人だからね」
「鍵開けできるくらいですもんね」
「鍵開け? ああ、この部屋なら、大家さんにあんたのポケモンですって言ったら入れてくれたよ」
(……こんなバケモンが一介のサラリーマンの手持ちの訳がねえだろうが……)
 エスパーは関係ありませんでした。男は明日大家さんに文句を言おうと心に誓いました。
 狐はやれやれと言いたげに手を振ります。
「そんなみみっちいことしないよ。あたしができるのは未来予知さ」
「未来、予知?」
「そうさぁ。これでもあたしは若い頃、よく当たることで名の知れた占い師だったんだよ?」
 と言われても、男はルイーズなんて名前聞いたこともありません。おおかた野生ポケモンの間で有名とかそういうオチでしょう。
 男は非科学的なことは信じないたちでした。うさんくさい、と疑いのまなざしを向ける彼を無視して、ルイーズは杖の先に新たに火を灯しました。しばらく集中してそれを見つめると、厳かに口を開きます。
「……そなたに予言を授けよう。明日の夕方はにわか雨が降る。傘を持っていくがよろしい」
 顎の下から照らされる彼女のおどろおどろしい姿には、たしかにそれっぽい雰囲気があります。少なくとも、占いにありがちな曖昧な言い回しをしないところには好感が持てました。もしこれで雨が降らなかったら文句の一つや二つ言ってやれるでしょう。
 そう思っていると、なんだか焦げ臭い匂いがしてきます。匂いの元を探ろうと首を振ったらあら大変、天井の一部からうっすらと煙が漂っていました。
「ちょ、ルイーズさん! 天井がやばい!」
「おおっと!」
 集中して制御が甘くなっていたのか、火の玉の一つが天井に近くなりすぎていたようです。彼女が杖を振ってかき消しました。光源が杖の先の炎だけになって大分暗くなりましたが、それでも天井にくろぐろと残った焦げ跡ははっきりと分かります。退去するときに天井の張り替え料をたっぷり取られるに違いありません。
「未来見えるんじゃなかったんですか」
「……見えたからって回避できるとは限らないのさ」
 少しばつが悪そうにしながらも、彼女はいけしゃあしゃあと言ってのけました。
「明日警察呼んで叩き出してもらおう」
「おお怖い怖い」
 そう言いつつも彼女は全然怖がってなどいません。むしろニヤニヤ笑っています。
「生憎だけど、あたしが今日からここに世話になる未来は見えてるんだ。つまり、そうはならないということさね」
 

 
 秋の寒空の下、男は安アパートの前でふらり方向を変えると、慣れた動きで階段を上り、部屋の前で鍵をひねります。ドアをギィと開けると、部屋の中から暖かい光が漏れてきました。
「おかえり。遅かったじゃないか。さ、ご飯にしよう」
 今日も夜遅くまで男は働いていました。北風に吹かれて帰ってきた男を、リビングで狐が出迎えます。
「ただいま」
 カントーに就職してからというもの、男は毎日仕事場とベッドを往復するだけの孤独な生活を送っておりました。誰かが家で待ってくれているというただそれだけで、荒んだ心がすこし穏やかになるのでした。
「たく、たまにはただいまくらい先に言わせてくれよ」
「順番なんてどうでもいいだろう。それより、有田屋の芋餅。昨日から楽しみにしてたのさ」
「この食いしん坊め。前より腹が出てきたんじゃないか」
 男はそれをとうに自覚してしまっているのですが、口にするのはなんだか悔しくてつっけんどんな態度を取ってしまうのです。
「淑女に対してひどい言い草だねえ」
「この前まで食器もまともに使えなかったやつが淑女なものか」
 二人分の什器を並べるのにも慣れたものです。最初は野蛮人のような食べ方をしていたルイーズですが、すぐに食器類を使いこなすようになりました。男に笑われたくなくて、見てないところで特訓したのでしょう。
「いつも皿洗ってくれてありがとな。助かるよ」
 ルイーズに家事を覚えてもらったおかげで、男の生活はすこし楽になりました。料理の方はさすがに一朝一夕では身につかないので、ご飯はまだしばらく出前が続くみたいです。大都会のカントーには外食や出店がたくさんあるのでバラエティには困りません。今日も、男は立ち並ぶ店店に目移りしながら、しばらく悩んで、これだ、と有田屋に決めたのであります。
 というのも、前日の予言は「晩ご飯をなににするかよく考えること」だったのです。回避すべき重大な出来事がない日には、こんな適当な予言がなされるのです。ですが、それでも聞いてやろうと思ってしまう程度には男は彼女に絆されていました。それに、彼女はここの芋餅を前日から待ちわびていたそうなのですから、悩んでやった甲斐もあろうというものです。
 ここで聡明な読者の方々は不思議に思われたかもしれません。事前になにが選ばれるか彼女が知っているのなら、彼が悩んだことに意味などあったのかと。素直に「有田屋の芋餅を買ってこい」と予言してやればいいではないかと。
 男もそう思って、以前に同じようなことを尋ねたことがありました。彼女の返事は「それはできないねえ」でした。何度理由を尋ねても「今はまだ教えられない」の一点張り。
 男は折れました。大きな力を持つポケモンの考えは人間には理解できないことが往々にしてあることを、昔話だとかで知っていたからです。
 そして彼女は──芋餅をおなかパンパンになるまで詰め込んで幸せそうにぐでんとしている姿からは想像しづらいですが──そんな人知を超えた力を持つポケモンの一匹でした。初めてやってきた日、にわか雨をピタリと言い当てたことを皮切りに、彼女の予言が外れたことは一度たりともありません。たしかに時々冗談みたいにくだらない予言をされることもありますが、彼女が家に来てから男は大小いくつもの危険から守られているのです。二階から植木鉢が降ってきたあの日なんて、「頭の上に鞄を乗せて歩け」と言われていなければ大けがをしていたでしょう。
 
「うう、寒い寒い」
「今日もかよ、狭いだろ」
「いいじゃないか、私がいた方が暖かいよ」
 秋も深いこの季節、寒さがだんだんと厳しくなっています。毛皮を持つ彼女も夜の底冷えが辛いようで、男の布団の中で眠ることが多くなりました。
 男はモゾモゾと暴れてみますが、その抵抗も気恥ずかしさから来る形だけのものです。炎タイプの身体は確かにとても暖かかったのです。彼女の獣くさい匂いに包まれて眠るのも、慣れればむしろ本能的な安心感を覚えさせてくれるものでした。いちおう断っておくと、男は携帯獣性愛者(ポケフィリア)ではないのでそういう関係は結んでいません。
「そういえば、この布団一人で寝るには少し大きいね」
「……前、彼女がいたんだよ。上手くやったつもりだったけど、起きたらいなくなってた」
「そうかい」
「なあ、俺はどうしたらよかったと思う?」
「さあてねぇ、あたしゃ未来は見れても過去は見れないんだよ」
 男の未練がましい台詞を、ルイーズはばっさり切って捨てます。が、さすがに可哀想に思ったのか、フォローを入れてやることにしました。
「ただ、あんたは何事にかけても焦りすぎるきらいがあるからねぇ。人生は長いし、相手をなつかせるには時間が必要なんだ」
「なつかせるって。んなポケモンじゃあるまいし……」
「いいや同じさね。一日や二日じゃ、相手の本当のことはわからない。最初は遠くに座ることから始めて、次の日は少しだけ近づいて、毎日同じ時間を重ねる……相手の体と心に触れていいのはずっとあとさ。相手のために失った時間だけ、相手のことが本当の意味で好きになれるんだ」
「……」
 失った分だけ、損をさせられた分だけ好きになる? なにを馬鹿なことを。男はそう反論しようとしましたが、できませんでした。自分がその何よりの証拠であることに気づいてしまったからです。
 確かに家事で助けられてはいますが、テーブルマナーや人間の暮らしの常識を教えるのにかかった手間はその比ではありません。にもかかわらず、今の彼は、もはや彼女を警察に突き出すことなんて考えもしていませんでした。
 ルイーズは、ぐしぐしと髪を梳かすように頭を撫でています。目を細めていた男が、おもむろに口を開きました。
「……なあ、どうして俺がこんなに身を粉にして働いてるのか、お前知ってるか?」
「ああ、知ってるとも」
 この話題を出したのは初めてのはずです。にもかかわらず、彼女は知っていました。
 実際、彼女は全てを知っていました。男が帰ってくる時間や買ってくる食べ物に至るまで何もかも。将来彼女に知られる事実はすべて今の彼女にも知られているのです。ですから、今の会話はただの枕でした。
「俺は、この街で会社を興したいと思ってる。今はそのための資金を貯めてる段階だ」
 生まれてこの方運に恵まれなかった男。彼が本当に聞きたかった予言、それは。
「俺は、成功できるのか?」
 ぽん、と彼の頭に手を置いて、彼女は優しく告げました。
「あいにくだけど、それは分からないんだ」
「……言えない、って訳じゃないんだな」
「ああ。分からない。あたしだって未来永劫見えるわけじゃないからね」
「……どういう意味だ」
「炎を見つめて見える未来は、あたしが死ぬその日まで。あんたがあたしの予言を聞いてれば、成功のための端緒を掴めることは保証する。けど、それ以降は見えないのさ」
「……あ」
 ずうん、と胃が重くなります。
 男は、忘れていました。いや、このささやかな日常に甘えて、見て見ぬふりをしていただけかもしれません。彼女は人間でいうともう老人に当たる年だと言うことを。
「心配しなさんな。あんたはきっと大成するよ」
 押し黙った男の髪を、再び彼女がゆっくりと撫でつけます。男が黙ってしまった理由はそれではないのですが、わざわざ訂正する元気はありませんでした。
「さあ、今日の予言だ。──あんた最近働きすぎだよ。明日お月見山に行きたいから、仕事休んで一緒にきてちょうだい」
「んな……」
「だいじょうぶさ、明日はあんたがいないと回らないような仕事は起きない。職場の人には明後日謝ればいいから」
 これまたとんでもない予言が飛び出してきました。まじめだけが取り柄で、職場で不動の皆勤賞を誇っていた男の記録が打ち止めになってしまうではありませんか。
 ですが、彼女曰く、男は予言に従っていれば「成功のための端緒を掴む」ことはできるのです。逆に言うと、無視すればその保証はなくなってしまうと言うことです。であれば、従わない手はありませんでした。
 そう、予言だから仕方ない、と男は自分を納得させました。決して、ルイーズとのピクニックを仕事より優先したとか、そういうことではないのです。決して。
 


 
「ほらほら、見えてきたよ。若いんだからもう一踏ん張りおし」
「ま……待て……ぜぇ、はぁあ、こちとら、インドア派なんだよ……」
「ほら、引っ張ったげるから」
「ぐうう……」
 男も若い頃は野山を駆けまわってポケモンと過ごしたものでした。しかしながら、近頃は運動と言えば毎日の通勤くらいの彼は、ルイーズに手を引かれてようやく最後の坂を上り終えました。
 ニビシティを出発し歩くこと一時間と少し。街の近郊にある景勝地、お月見山の中腹に到着しました。そこそこ人気のピクニックスポットではあるのですが、平日の真昼間だからか二人以外に人気はありません。
 昼下がりの空は雲一つない抜けるような青。彼らが立つ小高い草原の眼下には、見事なまでの黄金色に染まったススキの野原が広がっています。
「着いたー!」
 丘の頂上に一本生えていた木の下に荷物を下ろすと、男はゴロリと草原に身を預けました。キラキラと光の粒のような木漏れ日が眩しく、男は目を細めました。
 秋も深まっているとはいえ、太陽はまだまだ元気いっぱいです。木陰の涼しさのおかげで、男の額に球のように浮いていた汗が少しずつ引いていきます。隣に腰掛けたルイーズが、手に提げたバスケットから水筒と布巾を手渡してくれました。
「よしよし、よく頑張ったね」
「んぐ、んぐ、んぐ、ぷはぁ。……ルイーズ、余裕そうだな」
「あたしゃエスパーだけじゃなくて炎タイプも持ってるからね。これくらい暑いうちには入らないよ」
「ああ。水は俺の分だけでいいって言ってたの、そういうことか」
 感嘆する男にルイーズはニヤリと笑って見せます。
 と、そこで、彼女のお腹がぐうと鳴りました。
「……ご飯は私の分もちょうだいね」
「締まらないなぁ」
 笑い返した男は、背中からおろした荷物から買っておいたサンドイッチやら焼きおにぎりやらを取り出すと、地面に敷いた手ぬぐいの上に並べていきます。ピクニックのお弁当は手で食べられるものじゃないといけないというルイーズの謎のこだわりでした。
 ゆっくりゆっくり、太陽の場所が変わっていくのを感じながら、ふたりはお昼を楽しみました。そよ風に混じって、彼らの楽しそうな笑い声が丘に響きます。
「……こんなに時間かけて昼食べたの、いつぶりだろう」
 ルイーズの膝の上に頭を乗せて、男はしみじみと呟きます。毛繕いするように髪を梳かされて、深く息を吐きました。
「明日からまた仕事頑張らないとな……」
「全く、こんないい女に膝枕してもらっておきながら罰当たりな男だね。そんなに仕事頑張って、体を壊したら元も子もないんだよ」
「言っただろ、俺は会社を」
「会社を起こして何になる」
「偉くなるんだ。金稼いで、たくさん遊んで、楽しく暮らす」
「……それさ、今だってそうだろう」
 はぁ、と息をついてルイーズは言い放ちました。
「何?」
「今だって、十分金はある。貯金してる分を除いても、家もご飯も満足できてるし、こうして時々遊びにだっていける。何が不満だってんだい?」
「それは……」
「あんたは偉いよ。毎日ひとりで頑張って、夢を追いかけて。だけど、追いかけた夢の先に何があるか、いつかちゃんと考えるんだよ」
 男は言い返せません。寂れた田舎町で育った男は、幼いころ親に連れられて訪れた都会の煌びやかな姿に魅了されてしまったのでした。その日からずっと、この摩天楼の森でのしあがることを夢見てきました。
 男にもわかっているのです。自分の夢が幼稚で空虚なものであることは。でも、長い間抱いてきた目標はそう簡単に捨てられません。
 言いくるめられて悔しかった彼は、意趣返しに話を変えてみました。
「それは、あんたの前のパートナーと関係あるのか」
 彼女が息を呑む雰囲気。毛繕いしていた手が止まります。
「ずっと野生で生きてきたわけじゃないんだろ。ナイフとフォークの使い方、俺よりうまくなるのは不自然だ」
「……ああ。昔取った杵柄を思い出したんだよ」
「そいつとの話、聞かせてくれないか」
 ルイーズはしばらくの間逡巡していましたが、大きく息をつくと、意を決したように言いました。
「……長い話になるんだ」
 いつかは知らなければと思っていたことでした。男はこくりと頷き、体を起こして彼女に耳を傾けました。
 
 
 
 ルイーズは、人間たちにカロスと呼ばれている地方に、一匹の火狐として生を受けました。才能こそありましたが少々おてんばに過ぎた彼女は、ポケモンファームのブリーダーたちも手を焼くほどの問題児でした。
 そのポケモンファームでは、初めてのパートナーを探している少年少女に託すため愛情を込めて仔ポケモンたちを育てていました。しかし、彼女は手を差し伸べてきた子供たちに片端から噛みついてしまうので、何年ものあいだ引き取り手がいなかったのです。
 そんなある年。十歳になり、冒険の旅に出る相手を探していたとある少年がいました。今年も誰にも引き取ってもらえず余り物となっていたルイーズは、とうとう寝坊してきた彼に押しつけられる形で預けられました。
「ウルゥ……」
 戸惑った目を向ける少年に、彼女は歯をむき出しにして威嚇しました。
 どうせこいつも、馴れ馴れしく撫で回してきたり、おもちゃで気を引こうとしてくるに違いない。そして、それがうまくいかないと知るとかんしゃくを起こして当たり散らし、最後には勝手に去って行くのだ。
 そう思っていた彼女は拍子抜けしました。彼は身体三つ分ほど離れた隣に座って、穏やかにルイーズの方を見るだけだったからです。
 先に旅を始めた同い年の友達がジムを攻略したという知らせがいくつも入ってきても、彼は慌てませんでした。少しずつ彼女と仲良くなっていくことに時間を惜しみませんでした。
 毎日毎日、同じ時間にやってくる彼を見ているうちに、彼女の中にも少しずつ感情の変化が生まれてきました。最初はいやいや付き合ってやっていたはずでした。ですが、彼との時間がいつの間にか苦でなくなり、ついには待ち遠しくなっていったのです。
 そうしてある日、隣に座った彼から、恐る恐る耳を撫でられたとき。その温かな心に触れて、彼女はついに待ち望んでいたパートナーを見つけられたのでした。
 そこからでした。彼女の世界が輝き始めたのは。
 
「さあ行こう、ルイーズ」
「クゥン!」
 彼はルイーズに触れることを許されてからも焦りませんでした。少しずつ少しずつ距離を近づけて、彼女が絆を築いてくれるのを辛抱強く待っていました。一緒に過ごす時間を少しずつ延ばし、本当にパートナーと言えるようになってから、ついに旅に出たのです。
「そこからは早かったね。あの子のことをねぼすけとか言って馬鹿にしてた同期をすいすい追い越して。ま、このあたしが付いてるんだから当然だけど」
 マフォクシーを携えた彼は破竹の勢いで旅を進め、天才だ、時代の英雄だと褒めそやされるようになります。当時カロスに蔓延っていた悪の組織と度々衝突し、市民を助けていたのも大きかったのでしょう。
「あたしは、そのころから未来が見えるようになっていた」
 マフォクシーたちは、未来視の力を生存に役立ててきました。炎を見つめることで差し迫った危険を察知し、それが起きないように手を打つのです。
 未来を変えることができるということは、彼らの未来予知は外れうるということです。普通のマフォクシーの見るものは、あくまでなにもしなかったらやってくるであろう(・・・・)未来なのです。
 しかし、才能があるどころか稀代の天才だったルイーズの未来予知は違いました。彼女の予測は精緻を極め、絶対に外れることがなかったのです。彼女がバトルでマジカルフレイムを一度でも使えば、炎の中に相手のトレーナーを完封するまでの道筋が彼女にはっきりと見えて、事実その通りになりました。
 一方で、明らかな格上との闘いでは、負ける未来が見えてしまうこともありました。そうなったら最後、どんなに策を練っても、見えた致命打を回避しようとしても、やはりその未来が訪れてしまうのです。
 それでもなお、彼女が普通のポケモンよりもずっと強いと言うことには変わりありません。彼女の才能がさらに花開いていくにつれ、そんじょそこらの相手には苦戦することすら無くなっていきました。他のエスパータイプが介入しようとも必ず当たる彼女の占いも行く先々で評判で、路銀の足しになりました。
 ルイーズのパートナー自身も少しずつ自信をつけ、バトルの時には人が変わったように天衣無縫、無鉄砲とすらいえる戦い方を見せるようになっていきました。しかし、無茶な指示をすることだけは決してなく、彼女への愛情もずっと変わりませんでした。
 ですから、悪の組織の最終兵器を止めるための闘いでも、彼女は全力のマジカルフレイムで戦いました。そのとき、部屋中にあふれる最終兵器の動力、伝説といわれたポケモンの生命エネルギーと奇妙な相乗効果でも起こしたのか。いつものように炎を目にした瞬間、彼女の頭にその光の奔流が流れ込んできたのです。
 
 ──ずっと将来、自分が息を引き取るその瞬間までの、全ての未来が。
 


 
「じゃあ、あんたは自分がどうやって死ぬのか、知ってるって言うのか」
「ああ、知っているとも。教えてやらないけどね」
「……見たのはずっと昔のことなんだ、外れる可能性だってあるだろう」
「今ならまだしも、最盛期のあたしが見た未来だ。絶対に外れっこないし、今までだって外れたことはない」
「いや、でも、それは……変じゃないか。事前に知ってれば、避けられる失敗だってあったんじゃないのか」
「こればっかりはあれを見たことないやつには理解できないだろうけどね」
 ルイーズは少し考えてから続けました。
「初日に、あんたの家でボヤやっちまっただろう。あたしはそれを分かってたって言えば理解してもらえるかい?」
 あんぐり。男は呆気にとられ、ものも言えません。
あんたに会う前から(・・・・・・・・・)何度も申し訳ないと思ってたし、火の扱いには気をつけようとも思ったさ。だけどあの時、内心緊張しててねえ……」
「……全部知ってるのにか」
「あたしの最期を看取ってくれる、ずっと昔から知ってた相手との初対面だよ? そりゃあ緊張もするさ」
 
 ルイーズは語ります。未来の記憶を持っているというのは、人間が好んで行う「演劇」のようなものなのだと。
 与えられた台本(スクリプト)に沿って芝居をすることは、役者がロボットのように情動を持たないということを意味しません。その役を降りることはできないという点において、彼女も普通の人と何ら変わらないのですから。定められた終わりに向かって一歩ずつ歩むその途上で、役者は常人と同じようにあらゆる感情を体験するのです。
「最初は私も怖くてたまらなかった。なにより、あの子との別れを知ってしまったからね……」
 カロスを救った後もルイーズたちは連戦連勝。彼らはとうとう、一度も土をつけられることなくカロス地方のチャンピオンに輝きます。
 ですが、ルイーズは知っていました。彼が将来、死亡率の高いパイロットという職業を目指すようになるということを。ポケモンバトルを通じて命がけの闘いのスリルと快感に目覚めてしまうことが、その遠因であることを。
 それでもなお、彼女は全力で戦うことをやめられませんでした。彼に愛されていたかったからです。
「今なら分かる。あの子は、あたしの強さなんて見ちゃいなかった。なつかせて、絆を結んで、時間を費やした、世界にただ一人のあたしのことを愛してくれていた。闘い続ける必要なんてなかったんだ──いま心の底から後悔してるってことを、あの時にはもう知ってたはずなんだけどねえ」
 ルイーズは、着々と最終兵器の地下室で垣間見た未来と同じ道筋を辿っていました。ある日、それの意味することに気づいた彼女は狼狽し、彼を拒絶しました。これから待つ悲劇を思い出して、その現実に直面することに耐えられなくなったからです。
 彼から離れるというその行動すらも(・・・)予知した未来に一致してしまっていたのですが、そのことに気づく余裕なんて彼女にはありませんでした。
 
 半生の相棒を失ったルイーズのパートナーは、飛行士の職にさらに熱をあげるようになりました。そしてある日、危険な偵察飛行の任務に出た彼の機体は、とうとう帰ってくることがありませんでした。

 彼女はあてもなく旅に出ました。しかし、カロスのどこに行っても彼と一緒に旅した場所ばかり。辛いのには変わりなく、どこにも腰を下ろすことなどできません。そのことは事前に知っていましたが、無駄な道のりではないことも分かっていました。二度と訪れることのない思い出の場所と出会ってきたポケモンたちに、さよならを告げる大切な時間となったからです。
 別れを済ませた彼女は、ひとりカロスを後にしました。海を渡る船に忍び込み、別の大陸、ホウエンと呼ばれる地域に降り立ちました。ある貧しい田舎町に面する雑木林にひっそりと居を構え、野生ポケモンたちに交じって暮らし始めました。
「それって……」
「ああ、あんたの育ったところさ。子供の頃のあんたも、何度か見かけたことがあるよ」
 そこからは、彼も知っているとおりでした。目が悪くなった彼女は森を旅立ちカントーに向かったのです。見ず知らずの自分を世話してくれる、お人好しな男のもとへと。
 家の前に着いたのは平日の昼間。とうぜん男は留守でしたが、心配はいりませんでした。ポケモン好きの大家さんに目を潤ませて頼めば、鍵を開けてもらえると知っていましたから。
 
 
 
 長い話が終わったとき、日はかなり傾いていました。空はまばゆいばかりの茜色に染まっています。
「……どうして、今日は話してくれたんだ」
「そうすることになってたから、としか言えないんだけどね。理由をつけるなら、今のあんたならあたしの気持ちを理解できるはずだから、かなあ」
「どういう意味だ」
「仕事をさぼってピクニックに来てくれたじゃないか」
「……行くことになるって決まってたんだろ」
「でも、あんたは明日怒られることを天秤にかけた上で来る決断をした。それもまた事実だ」
 ルイーズは大きく息を吐いて、眼下に広がるススキの原野を見下ろしました。秋の風に吹かれて、海のようにゆったりとうねっています。ときどき不自然に揺れたかと思うと、ぴょこりとオタチの耳が見え隠れします。
「台本と言ったって、自分の決断であることには変わりない。結局、未来が決められてると思うか自分で決められると思うかは、気の持ちようなのさ。台本から逃げようと足掻くのは、自分を見失うのと同じ。受け入れて向き合わなくちゃいけなかった」
 彼女の瞳は、夕焼けに照らされて赤く濡れていました。
「あの子はそれがわかってたんだね。まだ不慣れだったテレパシーで〝行くな〟って何度も言ったけど、聞いちゃくれなかった。きっと、私の予知を疑ってたんじゃなくて、残される私のために不安な素振りを見せないようにしてたんだ」
 男はルイーズの後ろに座り直し、その身体を抱き寄せました。彼女の高い体温が、いつの間にか冷えていた身体に沁みました。
「そいつと出会ったことを、後悔したことはないのか」
 気がつくと、男自身思いもよらなかった不躾な質問が口をついていました。慌てて謝ろうとしましたが、なぜか口が詰まります。
「……あの子はこがね色の髪をしていてね。ちょうど、夕日に照らされたこの稲穂の色そっくりなんだ」
 ルイーズは答えませんでした。代わりに、男に背中を預け、回された手に手を重ねて、涙をすすりながら話し続けます。
「それまで、あたしの世界にはあたししかいなかった。腹の足しにもならない稲穂に、心を動かされることなんてなかった。だけど、あの子と出会って、世界が広がったんだ。
 ……死ぬまでの記憶を何度も思い返し(・・・・)たけど、あの子の行方は結局知れないままらしい。でも、だったら、どこかでひょっこり生きてたって不思議じゃないだろう?
 だからあたしは、こんな景色を見るたび、あの子がこの金色のどこかに隠れているのかもしれないと想像するんだ。悪くなったこの目じゃあ見えないだけじゃないかってね。それだけで、ただの原っぱがこんなにも切なく愛しく思えてくるんだから、不思議なものさ」
 蕩々と語る彼女に、男はもうなにも言えませんでした。彼女の想いの大きさに、ただただ圧倒されていました。
 想い人と二度と会えないことが分かっている。それは間違いなく絶望であるはずなのに、その中に希望を見いだした彼女の姿に、これまでになく強く惹きつけられていたのでした。
 ルイーズは、そこで少しだけ言葉を切ります。そして、お腹に乗せられた男の手を両手で握って告げました。
「こんなあたしだからさ。あんたに優しくしたら、もう会えないあの子への罪滅ぼしになるんじゃないかって、そう考えてしまうんだよ」
「……ひどい(ひと)だ」
「許しとくれ。悪いのはあたしさ。顔も声も背丈も、何もかも違うのに、どうにもあの子のことを思い出しちまうんだ」
 彼は携帯獣性愛者(ポケフィリア)ではありません。ですが、かつて感じたことのない矛盾の炎が、彼の胸の内に今やはっきりと燃えさかっていました。身勝手にもどこかの誰かに自分を重ねていた彼女に憤慨しているのに、一方でどうしても離れがたく思ってしまうのです。
「あたしの目が見えるのは、今日が最後なんだ。だから、この景色を見ておきたかった」
 ルイーズの白く濁った目は、初めから男を見ていませんでした。未来しか見えないその瞳で、一途に過去を見つめていたのでした。
 太陽は山陰に沈みかけていました。ススキが鈍色に染まってゆくのを、彼らは寄り添ったまま、いつまでもいつまでも見下ろしていました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

謝辞 

 
 このお話は、以下の二作品のオマージュ・二次創作です。
 


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Last-modified: 2022-03-08 (火) 00:38:36
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