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流星ヒーロー

/流星ヒーロー

※この小説は『ポケモン不思議のダンジョン マグナゲートと∞迷宮』を原作とした二次創作になります。ネタバレを含みますし、本編をプレイしていない方には分かりづらい表現がございます。
※この小説は、両谷 哉さん主催のポケダンシリーズアンソロジー『ShootingStar』へ寄稿したもののWeb公開版となります。





流星ヒーロー

水のミドリ

もくじ



1 


 宿場町からほど近い『石の洞窟』と呼ばれる不思議のダンジョン。この歳になって初めての探索に、私は探検隊バッジを受け取った新米冒険家じみた興奮を覚えていた。狭い通路の角に野生ポケモンが待ち伏せしていないかとびくつき、大部屋で拾った不思議玉に感嘆の声をこぼす。洞窟も入り口からずいぶん進んだはずなのに、ある程度の照度は保障されていた。なるほどこれが不思議のダンジョンたる由縁なんだなあ。
 なんて悠長にふけっていられたのも数分だけで。冒険家を目指す子どもたちの庭となっているらしい平易な迷宮で、私はすっかり息を荒げてしまっていた。暗闇のなか勾配のある坂に足がもつれ、硬い岩肌へしたたかにコアをぶち当てた。

「ッ!! 〜〜〜〜っ!!」

 漏れかけた無様な悲鳴を押し殺す。体の弱い私が無理を言って付いてきた手前、弱音を吐くのははばかられた。成年したからには泣くまいと心に誓ったはずなのに、情けなくコアを点滅させてしまう。へこたれた五本の腕でどうにか体を引き起こす。

「は……はあはあ、ちょっと待、まって……?」

 起き上がった私のコアに見慣れないものが映った。ハート型の穴。この形どこかで見たような……? それがすぐ近くまで忍び寄っていた野生のコロモリの鼻だと気づくのと、私のコアが念力で揺さぶられるのがほぼ同時だった。

「ひぎゃ!」
「ヒトデマン様!」

 へたりこむ私へ風起こしを仕掛けようと迫っていたコロモリが、傍からの水圧に吹き飛んで地に落ちた。強力な水の波動を撃ち出した青い腕を恭しく差し出して、使用人のプルリルが私を助け起こしてくれる。

「お怪我はありませんか、混乱していらっしゃいませんか? 僕が迂闊でした、申し訳ございません」
「はあはあ……はあはあ……、た、助かったよ」
「休憩を挟みましょう。コマタナさん、少し止まってくださーい!」

 私たちを先導するコマタナの兄弟を呼び止めるべく、プルリルは暗がりへ声を張り上げた。乾燥しかけた私の肌を、気を利かせた彼が泡で優しく包む。プルリルは宙を滑るように移動するからか、息ひとつ上がっていない。ずるいなぁ。
 わずかなタイムラグを挟んで愛想のいい金属質の声が返ってきた。「もう目的地ですよぅ」と間延びしたものは弟の方だろう。
 青黒い石質の壁が遠くまで伸びた通路の先、その曲がり角を見やれば、無機質で強い光が横から差しこんでいる。なんだろう。疲労困憊の体が誘われるままに動いた。

「ヒトデマン様、あまり無理をなさらないでください。せめて自己再生がお済みになってから……」
「ふうはあ……っ、大丈夫。それより気になるんだ」

 心配そうに覗きこんでくるプルリルを急かす。死力を尽くして坂を駆け上がり、私のコアに映ったものは。
 洞窟の最奥の壁には、一面びっしりと水晶が析出していた。

「すごい……これが、水の石……!」

 あれほど弾んでいた息も落ち着き、五肢を駆けめぐる体液も鎮まり、見ているだけでたちまち癒されていくようだ。初夏にさしかかりお屋敷の庭園を埋め尽くしたネモフィラのような青白色の光、それが壁面の水晶から放たれて、薄暗い洞窟の壁に私たちの陰を浮かび上がらせていた。
 そばの湧き水に全身を浸しても、コアにわだかまる熱湯はなかなか冷めてくれやしない。二本の腕でそっと包んだ水晶の欠片は、まさに大海原のエネルギーを宿しているようだ。これで進化すれば少しは丈夫になれるはず。スターミーとなった私を迎えたら、とうさまはどんな顔をするのだろう。今から楽しみだ。
 水を跳ねないように陸へ上がって、プルリルの手から受け取った布でコアを拭く。ダンジョンの護衛に雇ったコマタナたちの前で、道中すぐにへこたれていた私がこれ以上みっともない姿を晒すのははばかられて。上ずる声を抑え、私は背後に控えているはずの使用人を振り返った。

「そろそろ戻りましょう。あなぬけの玉を使ってくださ」

 ――どさっ。
 よく磨いた私のコアに映るプルリルが、苦悶に顔を歪めて地に落ちた。彼の背後からぬるりと現れたコマタナの刃になった右手が閃いて、鮮やかな赤を水晶に飛び散らせる。私の腕から欠片が滑り落ちて乾いた音を反響させた。
 身じろぎすらできない私に向かって、にこやかだったコマタナたちが声色を濁らせて迫る。

「騙して悪いなぼうず。あんた、世間知らずの坊ちゃんなんだろ。好奇心でこんなとこまで来るもんじゃなかったな。有り金とポケになるもん、ぜんぶ置いてきな」
「無防備すぎて、ここに誘い出すまで笑いをこらえるのに必死だったぜ。身にしみたろ? 騙し騙されるのが平民の生き方なのさ、カカカカッ」
「は……はあはあ……はあはあ……! 言われた通りにしますから、い、命だけは……!」

 五本の腕で這うように進み、震えの収まらないままプルリルの鞄をまさぐった。旅費にと余剰に持たされたコイン、採れたての大きなリンゴ、骨董品としての価値がありそうな黒い鍵……とにかく価値のありそうな物を、彼らの前に並べていく。
 地面に張り付いて彼らよりも目線の低くなった私のコアへ、リーダーらしき兄のコマタナがぎらついた視線を押し付けてきた。斬りつけられるような恐怖に背筋が竦みあがる。

「ちょっと待てよ……。あんた、ここらじゃ見かけない種族だけどよ、真ん中の大きな宝石……売ったら高くつくんじゃないか?」
「さすが兄者だ、目の付け所が違うぜ! 腕にはめてる見慣れない装飾品も売っぱらってやるから安心しろよ、カカカカッ!」
「ひ……ひいぃっ!」

 鋭い刃が振り下ろされるよりも早く、私は身を翻してプルリルに腕を伸ばしていた。高速スピンの要領で彼の体を巻き取ると、遠心力のまま湧き水の中へ舞い戻る。

「あ、隠れんな!」
「往生際が悪いな、どこへ逃げるってんだ」

 くぐもったコマタナたちの怒鳴り声が水の中にまで響く。突として水中呼吸へ切り替えたせいか、胸がつっかえ息苦しくなった。仰向けに見上げると、丸く縁取られた水面に映りこむ影がふたつ。浮上しようとする体を押さえつけ、無理に反転して深みに潜る、纏わりついていた気泡が上へ逃げていく。青天井を突き破り上澄みをかき混ぜる奴らの尖った腕、それから逃げようと沈むにつれ水圧が一気に強まった。水管が詰まる、水中でも呼吸できる種族なのに、酸素がどんどん薄くなっていく。苦しい、落ち着け、息ができない。五肢をもがけばもがくほど、プルリルの触手が絡まって落ちる。焦れば焦るほど息が乱れる。
 あ、これ、死――

「時間がかかりそうだな……。デンチュラ、ちょっと電気を流してやれ」

 悪魔じみたコマタナの声に応じて、水面に新たな影がひとつ増える。待機していたらしい悪党の仲間の触覚が差しこまれて、瞬間、流れた電撃に意識を弾かれた。体勢が崩れてコアを岩にぶつけ、激烈な痛みに気絶を免れる。まずい、と思ったのを最後に、全身から力が抜けていく。
 ああ、情けないなあ。水タイプのポケモンが溺れて死ぬなんて滑稽にもほどがある。弱いくせにダンジョンへ飛びこんだ私が命を落とすのは自業自得だ、仕方あるまい。惜しむらくはプルリルも道連れにしてしまったこと。彼には夢がある。お屋敷へ奉公に来てポケを貯め、いつかはワイワイタウンに小ぢんまりとしたダンスホールを建てるそうだ。初対面のポケモンにも臆することなく場を盛り上げられる彼は、社交ダンスを教えつつ町のポケモンたちとおしゃべりする。多くのポケモンから話を聞くことが何より楽しいのだと、以前語ってくれた覚えがあった。
 その夢も、こんなところで潰えてしまうのか。再度白んでいく意識の端で、ぬるり、腕を掴まれ下へ引きずりこまれるような錯覚。
 いや、錯覚ではないらしい。湧き水の池は底の方で流れを形成していて、水晶の輝きも届かない暗い水脈へ、私はなすすべもなく吸いこまれた。プルリルを離さないように、身を丸めコアを守りつつ激流に揉まれるがまま、前後左右上下が渾然として、私はただただ幸運を祈ることしかできなかった。
 実際は数十秒と経っていないだろうが、水圧からの解放は唐突だった。石の洞窟は裏手が高い崖になっている。ガラガラの操る太い骨さながら、私は水しぶきを上げつつ岩の隙間から放り出された。ひびの入ったコアが鮮烈な日光にさらされ、熱を孕んだ大気が棘皮をたちまち乾かせにかかる。
 雲ひとつない空に燦然と輝く太陽、視界の端を高速回転する若葉の森、つかの間の虹、――落下。

「ぷはあっ、はあ、はぅああ!? だっ誰か、だれか助けてええぇっ!!」

 恥も外聞もなく叫んでいた。硬い地面へ打ちすえられる衝撃に耐えるべく、満身創痍のコアをぎゅっとつぶる。絶望と裏腹に私の背中を覆ったのは、もふっ、地面とは似つかない柔らかさ。「ぐえっ」なんて間の抜けた悲鳴を漏らした背面のポケモンが、木々の間を滑空して高度を下げていく。着陸地点には羽の生えた蛇型のポケモンも待っていた。
 その柔らかくて小さな体から私たちを腐葉土へ転がすと、近場の岩に飛び乗った彼がビシッと決めポーズ。

「間一髪だったぜ! 弱きを助け悪をくじく、頬袋に貯めた電気は希望の証! 飛膜はためき翔ける迅雷、我らスーパーエモンガーズ、しゅばっと参上!」
「違うでしょ、ボクたちは――」
「へへ、オレとノコッチだけなんだし、いいじゃねえの。言ってみたかったんだ」
「ともかく早く手当てしないと! この子、背中にすごい傷がある!」
「おう、急がねえとな!」

 なんだかやけに格好つけた自己紹介をやってのけたエモンガが私の体からプルリルを解くと、その触手をノコッチの首にまきつけ背中へ固定した。ノコッチは飾りのような背中の翼を懸命に羽ばたかせ、藪を避けながら東へ跳ねていく。
 流星のような慌ただしさに、私はしばし呆然と木の根に身を沿わせていた。

「おいっ、オマエは無事なんだろー? 宿場町まで走るンだよ、真昼の流れ星さん!」
「はあはあ、な、流れ星……? あ、待ってくださいぃ!」

 プルリルの頭をずり落ちないよう支えていたエモンガに急き立てられ、私は動かない足をがむしゃらに奮い立てた。
 かくして私たちは、ふたりの冒険家に命を救われたのだ。




2 


 宿場町の中心街、その一角に構える食堂の二階。安宿の窓際に鎮座する大きな睡蓮鉢の苔を大慌てでこそぎ取り、入れ替えた清水にプルリルを横たえた。女将のスワンナは重体のポケモンにも柔軟に対応してくれて、憔悴しきった私にはベッドが無償で貸し与えられた。プルリルの背中の傷は金塊商のデスカーンが軟膏を塗りつけ、怪しげな呪術で痕を塞いでくれた。凶刃は幸いにも急所を外していて、一命をとりとめたらしい。私は安堵から寝わらに五肢を投げ出していた。安っぽいごわごわ感へ背面が沈みこむ。疲労で縫い付けられてしまったように、動くことなどできなかった。
 報告から戻ってきたエモンガがベッドの縁へ腰を下ろし、よじ登ろうとするノコッチを手伝っていた。鉢の水面に苦しげな顔を浮かべて眠るプルリルを一瞥して、エモンガが哀れみの情を浮かべる。

「お疲れさん。今日は散々だったな」
「あ……はい、おかげさまで。改めましておふたりとも、助けていただいてありがとうございます」
「なに、いいってことよ。これも冒険家の立派な使命だからな。しかしあんなにボロボロになって、石の洞窟でいったい何があったんだ?」

 純粋な疑問をぶつけてくるエモンガに、私は少々口ごもった。どこから話すべきか。

「私、生まれつき呼吸器官が弱いのです。素早く移動したり水に深く潜ったり、酷いときは緊張するだけでもすぐに息が詰まってしまって」
「そうなのか? そりゃ走らせて悪かったよ。だけどよ、オマエってそんな見てくれなのに二本足で走るのな。なかなかのギャグだったぜ」
「失礼だよエモンガ」

 ノコッチに脇腹を小さく頭突かれ、すまん……とエモンガがきくらげのような耳を伏せた。独特な柔らかさの背中を持つ彼は、ひとつ小さく咳払いをして私を慰めてくれる。

「けどよ、そんな体で友だちを守ろうとしたんだろ? すげえことじゃねえの」
「いえ……そもそも私が満足に戦えるようであれば、コマタナたちから一方的に叩きのめされることもありませんでしたから。進化すれば強靭な体が手に入るはずで、そのために必要な水の石があると教えられて、石の洞窟に向かったのです」
「水の石……?」

 エモンガとノコッチが顔を見合わせる。プルリルが予備に回収していたのだろう、彼の鞄にあった水色の水晶を探り当ててもらうと、エモンガがそれをろうそくの灯りに透かして見た。果たせるかなといった調子で、彼はゆるゆるとため息をつく。

「うーん、確かに見てくれは水の石に似ているかもしんねえけど、溶かして固めればガラスになるだけの建材だぜ」
「え……えええっ!?」
「もし本物ならオマエが触れた途端に進化が始まるはずだからな。考えてもみろよ、こんな近場で水の石なんか取れちゃ、今ごろ宿場町はシャワーズやヒヤッキーで溢れかえってるはずだろ」
「初めから騙されていたんですね、私たち……」

 話を聞くとコマタナの兄弟は宿場町では名の知れた犯罪グループで、ノコッチをそそのかしてポケを騙し取ろうとした前科があるらしい。指名手配を逃れるような軽犯罪ばかりを重ねる小賢しい一味は、これまでプルリルを切り捨てるような手荒な真似はしてこなかった。あのときは誘い出されたノコッチを間一髪で救い出したことに安堵していたから、ちゃんと取っちめてヌオーに引き渡しておけばよかったなあ、とエモンガが毒づく。

「最近なにかと物騒なんだ。各地に不思議のダンジョンが広がっているせいで、しょっぴいてもお尋ね者があとを絶たねえ。物盗りなんか毎日のことで、ポケモン同士が信頼できなくなってるんだ。オマエも夜に街を歩くときは用心した方がいいぜ」
「はい……。ご忠告ありがとうございます」

 それは霧の大陸に渡ったときから感じていたことだ。薄もやに覆われている港町ノエでは、悪意ある視線が路地裏から覗いている気がして、ろくにホテルの外へ出られなかった。カジノへ行くのも諦めたくらいだ。
 どうやら大変なところで立ち往生してしまったらしい。水の大陸のお屋敷から飛び出してラプラス便で海を渡ったばかりなのに、もうホームシックになりそうだった。




3 


 プルリルの意識が回復したのは、三日後の朝だった。
 霧の大陸の北西に広がる湿原は水の澄んだ療養地で、私たちの旅の終着点なのだが、そこを水源とする河川沿いに発展した宿場町も充分オアシスたりうるものだった。宿の横を落ちる滝の岩場にへばりついて呆けているところに、安堵した様子のスワンナが窓から声をかけてくれたのだ。
 私が息を切らしながら二階へ駆け上がるなり、謝罪の嵐が矢継ぎ早に飛んできた。大きな鉢に浸かったプルリルは、蓮のつぼみのようにも見える。

「本当に申し訳ありませんでした。僕が不甲斐ないばかりに」
「もういいよ、あれは騙された私が悪かった。スワンナが言うには傷口が開かないように半月は絶対安静だってさ。旅道具も失って療養地にも行けなくなってしまったし、今日からここで泊まることにするよ」
「そっそんな、ヒトデマン様と同部屋だなんて滅相もありません。せめてもっと設備の整ったホテルで……」
「親切にしてくれた宿に対して思慮に欠けるふるまいだ。それに、そこまでの贅沢は言っていられない」

 プルリルが水面に口を潜らせ、襟元でぶくぶくと泡を吐いた。潮だまりに取り残されたヨワシのように心もとなく泡立てる仕草は、彼が気落ちしているときによくする癖だった。
 さまよう彼の視線が私の腕のひとつに止まって、何かを察したのだろう、青い顔をさらに青くさせる。

「……もしやリングルは」
「売ってしまったよ。背に腹は変えられないからね。コマタナたちに盗られなくて助かった」
「うぅ、僕のせいで父上様からの餞別を……。消え入りたい、ぶくぶく……」
「気に病まないでくれよ。使用人と雇い主である前に、私たちは友だちじゃないか」

 いくら私が励まそうとも、彼は目を伏せて恥じ入るばかり。貴族に対して畏怖に近い憧れを抱くプルリルは、私のためなら自己犠牲もいとわないきらいがあった。爵位こそあれ最も地位の低い男爵家の末子ともなれば、ちょっとした商人の生活とそう変わらない。奉公に来た当初よりは大分砕けた態度で接してくれるようになったけれど、そそっかしい私が危ない目に逢うたびに、彼は必要以上に気を揉むのだ。そういった不安を抱かせないくらい、私が自立できていればいいのだけれど。
 心身ともに参っているときくらい頼ってほしかった。だから私はほんの少しばかり、見栄を張った。

「リングルをポケに替えていくらかなら余裕もできた。プルリルは何か欲しいものでもある?」
「いえっそんな……!」

 案の定彼は目を見開いてへりくだるも、私の好意を無下にできないと思案しているのか、投げ出した触手で深鉢の細工をいたずらになぞっている。水面へ浮かべたフリルに隠すように泡を吐いて、おずおずと私感を表してくれた。

「それでは……毎日ここへ町のどなたかを招いていただけませんか。話し相手が欲しいのです」
「そんなことでいいのかい? 遠慮はいらないよ。行商の持ってくるダンジョンの不思議道具でも、霧の大陸名産の食材を使った豪勢な夕食でも。そうだ、君はいつか読み書きができるようになりたいと言っていたっけか。学者を呼びつけてあげよう」
「お金を浪費する必要などありません。私なんぞを気にかけてくださるだけで忍びないですから。それより鉢の中でひとり待っているのは寂しくて。町のいろんなポケモンの話が聞きたいな。ぶくぶく……っ」
「……わかったよ」

 聡いプルリルのことだから、私が金銭面で無理をしていることもお見通しなのかもしれないが。これ以上彼に気を遣わせるわけにもいくまい。
 霧の大陸には棲息しない種族だからか、宿場町では私もプルリルも物珍しげな視線を向けられることが多かった。食堂にたむろしていたクルマユとヨーテリーの子どもにいくばくかのポケを握らせれば、嬉々として二階へ駆け上がっていく。コマタナのような輩がいないとも限らないけれど、そういうポケモンが入ってこないようスワンナの女将が鋭い目を光らせているはずだ。
 さて、プルリルに大見得を切った手前、仕事を探さなければいけない。少なくとも半月の宿代を支払える程度に稼げる、かつ私でもできるような仕事を、だ。
 彼が目覚めるまでの三日間、スワンナに簡単な労働を斡旋してもらっていた。農地の開墾に、民家の外壁洗浄、近場の湖まで出ての食料調達……。陸上を移動できる水タイプのポケモンは重宝されるらしく、それなりに作業をあてがってもらったのだが、どれもうまくいかなかった。すぐに消耗してしまうのだ。朝まだきの漁では魚の集まるポイントまでろくに潜水できず、ヌオーやマリルリの足を引っ張るばかりでまるで役に立てなかった。それもそうだ、お屋敷では身の回りの世話はプルリルに任せきりだったし、自室に引きこもっては読書や弦楽器に興じるばかりで、バトルの指南も受けてこなかった。身ひとつで外に放り出されてしまえば、私はどこまでも無力なのだ。
 そればかりではない。港町ノエで宿泊していたホテルには水棲ポケモン用の水槽が設えられていたのに、とか、宿場町には診療所もないのか……など、おこがましい注文ばかり頭をかすめてしまう私が心底恨めしい。
 ずるずると自己嫌悪を引きずりながら食堂を出ると、見知ったふたり組が広場を横切ってやってくるところだった。

「いたいた、おはようヒトデマンさん!」
「ノコッチさんエモンガさん。先日はお世話になりました」
「お、元気そうじゃん。プルリルの方は?」
「目を覚ましました。おかげさまで、はい」

 暗澹(あんたん)とした心うちを悟られないよう、明るくコアを光らせてみせる。立派な冒険家を目指して日々鍛錬しているノコッチ、それに宿場町で名うての冒険家だと言ってのけるエモンガは、これからダンジョンへ探索に出向くという。

「お尋ね者に騙されて、ほら、お金、もうほとんど持ってないんでしょ?」
「恥ずかしながら、先ほど無一文になりました」
「何に使ったのさ……」

 呆れ顔のノコッチが、ともかく、と紙を咥えて顔を寄せてくる。差し出された藁半紙にコアを滑らせた。これは、依頼書……?
 スーパーエモンガーズとはエモンガが自称しているだけで、実際はとあるツタージャの束ねるチーム『フルット』の一員だ。宿場町の東には街道を挟んでポケモンパラダイス建設予定地とされる広大な荒地があって、そのツタージャ率いる探検隊チームのキャンプも兼ねている。ノコッチの依頼書はそこの掲示板から持ってきたのだろう。
 内容はこうだ。依頼人は宿場町のはずれに邸宅を構える美食家ガマゲロゲ。街道を道なりに北へ一日進んだ山岳地帯にある『ドウコクの谷』というダンジョンまで出向き、その山頂に実るさわやかリンドのみを瓶いっぱいに取ってくること。
 報酬は三千ポケ。私がお屋敷を出るとき旅費にと持たされた額と同じくらいだったが、改めてその価値が身にしみる。報酬の二割も分けてもらえれば、私とプルリルの宿泊費も五日ほど賄えるのだ。同様の依頼をあと数件こなせば、北西の療養地までの路銀も十分手に入るだろう。
 雑用で稼ぐにも私の仕事量ではひと月経ってようやく積み立てられるような大金だ。渡りにラプラスとはこのこと、なのだけれど。
 彼らと共にダンジョンを探索する未来を想像して、私は腕をへにゃりとさせる。

「お誘いは大変ありがたいですが……私が末席を汚したところで、おふたりの足を引っ張るのは目に見えますし」

 おずおずと辞退した私に、ふたりが顔を見合わせた。肩をすくめたエモンガが依頼書を受け取って、私にずいと近づける。

「ほらここ、注意書き」

 尻尾の先でノコッチに示されたところには、足型文字で小さく書き足された文言があった。ええと……。さわやかリンドのみは非常に足が早いため、もいだ途端に腐敗が進みます。持ち帰る際は必ず流水につけながら運ぶように。
 なるほど水タイプの私が抜擢されたわけだ。食材を冷やす氷嚢(ひょうのう)役なら、忙しそうにしているヌオーやマリルリの手を借りる必要もない。護られながらダンジョンを見学するだけなら気が重いが、プロの冒険家に仕事を任されると思うとやぶさかではなかった。
 それでも渋る私の背中を押すように、エモンガがノコッチにくっついて並ぶ。ふん、と鼻を鳴らして、短い腕を精一杯しゅばっと伸ばした決めポーズ。

「それになんたって、スーパーエモンガーズ! が仲間なんだぜ? 失敗するはずがないじゃんか」
「それ、自分で言うかな……?」

 ノコッチは呆れ顔で突っこみを入れつつも、さりげなくビシッと翼を張っていた。暴力的なまでの朗らかさにあてられるようにして、私の口がつい滑る。

「そ、そこまで誘ってくださるのなら、ついていってみようかな……」
「ホント!? じゃあボク、冒険の道具揃えておくから!」

 言うが早いが、背中の翼を元気に羽ばたかせてノコッチがパラダイスへと飛んでいく。遠のく彼の背中は、いつになく張り切っているように見えて。

「ノコッチさん、どうして見ず知らずの私にあそこまで親身になってくれるのでしょうか。とても有難いのですけれど……同時に心苦しくなってしまいます」
「おおかた、ヒトデマンと自分を重ねちゃってンのよ。ノコッチもちょっと前まではビビリで泣き虫で、あん時の自分にそっくりなオマエが気がかりなのさ」
「私はそんなでは……、ありませんから」
「お? ノコッチのこと貶すのか」
「あ、いえ、その、そういう意味ではなくて……」

 険しい表情を作るエモンガに、まごついて返すしかできなかった。だって本当に、私なんかがノコッチと張り合えるポケモンだとは思えなかったから。私がビビリで泣き虫なのは間違いないけれど、ノコッチのように立派な夢を抱えて生きているわけではない。体も弱く世間知らずで、唯一の取り柄はちょっと小金持ちであることくらいなのに、それさえ失ってしまった。
 陰鬱さをぶり返す私に、エモンガが「まぁ生きてりゃいいことあるって」と適当な慰めをくれていた。




4 


 宿の裏手にある高台に上り周囲をぐるりと見渡せば、街道に沿って荒野がどこまでも続いている。風がなくよく晴れた暑い日には、遠く北にそびえる大氷河が蜃気楼として現れるのだそう。大木の陰で何やら話しこんでいたふたり組に、エモンガがスイッと近づいていった。

「よーおふたりさん。昼間っからアツいねえ」
「え、エモンガ、なに言って……」
「議論は白熱していたわ」

 突き合わせていた顔をさっと離して、ブラッキーとエーフィが座りなおす。入れられた茶々を濁すように、遅れて到着した私へブラッキーが声をかけてくれた。
 初めましての挨拶を交わす。不思議のダンジョンを研究しているこのふたりは、三ヶ月前に宿場町へ流れ着き、自ら発明したエンターカードという技術を用いてノコッチたちと大氷河を冒険したそうだ。

「で、オマエらへの頼みごとは他でもない、ドウコクの谷までのマグナゲートを開いてほしいんだ」
「それは……ごめんなさい、あまりしたくないの。しばらくマグナゲートは呼びこまないようにしないかって、ブラッキーと話し合っていたところなのよ」
「えぇっ!? どうしてだよ」

 ブラッキーの説明によるとこうだ。チームフルットの名付け親は元ニンゲンだというミジュマルで、そのパートナー兼パラダイスの管理人を務めるツタージャと共々、エーフィの開いたマグナゲートというものへ見送ってから行方が知れない。私が宿場町へ来る前からのことだった。
 というのもミジュマルの夢に出てきたムンナというポケモンを救出すべく、港町ノエよりもさらに南のゲノウエア山へと向かったのが半月前。徒歩では十日はかかる道程も、マグナゲートを通ればあっという間だ。ゲートの中は不思議のダンジョンになるのだが、腕利きの探検家ほど攻略に時間がかからなくなるから、彼らなら数日とかからず目的地に着いているはずなのだ。
 エーフィが疲れたような微笑みを浮かべる。

「独学で開発したこのエンターカードに細工をし、それを組み合わせることによって地脈を複雑にねじ曲げ、その入り口を呼びこんでいるの。新しい土地と土地を繋げるときはいつも手探りで、初回は同行することにしているのだけれど……事情が事情だから今回は残ることになった。こう長い間音沙汰ないと、ワタシたちの研究が間違っていて、しづくを――ミジュマルをどこか遠くに飛ばしてしまったんじゃないか……って」

 尻尾をしなだれ目を伏せるエーフィ。それまで黙って聞いていたノコッチが、私とエモンガの間を割ってずいと頭を突き出した。小さな翼をぴんと奮い立てる。

「そんなことないよ! エーフィのお陰でボクたちは大氷河に行けたんだ。ボクにはちんぷんかんぷんな道具を駆使して、手品みたいに正確な道を作っちゃうんだもん。ふたりが失敗したところ、ボク一度も見たことないよ。それにしづくたちは優秀な探検家じゃない。万が一知らないダンジョンへ飛ばされても、そのうちお宝たくさん持って帰ってくるよ。信じよう」
「……優しいのね。ブラッキーと違って」
「なっ……!」

 唐突に槍玉へ上げられたブラッキーが赤い目を大きくさせ、しどろもどろに弁明する。

「お、おれだって優しくないか……? エーフィがスランプに陥ったとき、夜通し話を聞いただろう」
「そうね優しいわ。優しすぎていつまでも煮え切らないじゃないの。ワタシはいつでもいいんだけどなあ」

 エーフィは流し目で、う……、と少し仰けぞったブラッキーの首筋へ細く息を吹き付ける。その陰で二又に割れた尻尾を彼の尾先へ絡ませていた。あだっぽい雰囲気に気づいていないのか、状況を飲みこめないノコッチがブラッキーへフォローを入れようとする。

「ブラッキーとエーフィはとおっても仲良しなんだよね! 大氷河でボクと同じチームになったとき、なんだかすっごくいい雰囲気だったよ。鼻と鼻をくっつけて遊んでたし」
「ノコッチ、それ以上言ってやるな。仲良しからもっと仲良しになるために、今ブラッキーは超難解なダンジョンに挑んでるンだよ」
「……?」

 エモンガの含蓄ある言い方に、ノコッチが助けを求めて私を見上げた。ごめんなさい私も性別ないから上手く説明できないの。でも彼も街ですれ違ったビリジオンに挨拶するときタジタジしていたし、そろそろ理解が進む年頃なはずだけれど。
 すっかり赤面して俯いてしまったブラッキーをよそに、エーフィが地面へエンターカードを重ねて置いた。額の宝石を輝かせると、カードを中心に無機質で鮮烈な紅の光がほとばしる。地面に走る三重の同心円、その中心が光で満たされた壺のようにまばゆい。穏やかな初夏の空を裂いて立ち昇る真っ赤な閃光は、冥府の王ギラティナを呼び出す儀式の片鱗のようだ。空間が安定したのか、光の柱を支えるように魔法陣がくるくると穏やかに旋回し始めると、エーフィは額のサイコパワーを切り上げた。

「行くといいわ。世界の果てまで飛ばされても恨まないでね」
「おう、ありがとな!」
「ほらヒトデマンさんも早く」
「え……これに入るんですか? 大丈夫かな……」
「いいから信じろって。エーフィもオレたちチームフルットのメンバーだ」

 縮こまる腕をエモンガにずるずると引っ張られて、私の足が地面へ新たに二本の線を書き加える。視界が光の壁に遮断される直前、寂しげに耳を伏せるエーフィの顔がコアに映った。
「あの子たちを変なところへ飛ばさなきゃいいんだけれど……」
「そんなことないさ。おれたちなら……うまくいく」
 ぎゅっと土を掴むエーフィの前脚へ、寄り添ったブラッキーが手を重ねた。




5 


 鍋の底で煮詰まったポタージュのような分厚い霧が、急峻な山峡にとぐろを巻いていた。狭い尾根に張り付きおそるおそる下を眺めてみるも、奈落の底を計り知ることはできない。縮こまる私の腕に弾かれた石くれがひとつ、乾いた音を立てて転がり落ちていった。山すそから飛び出した岩角と数度衝突すると、霧のゆらぎに食われて見えなくなる。十数秒の間を置いて、ぽどぉぉぉ……ん、と複雑に反響した着水音。怒りを露わにした大型ポケモンの咆哮にも聞こえて、なるほどそれがダンジョンの名前の由来なのだなとひとり納得した。
 ドウコクの谷は常に濃霧で覆われているからか、渓谷を飛んで接近してくる野生ポケモンはいなかった。岩陰から飛び出してきたモグリューにすいみんのタネを投げつけたところへ、ノコッチが頭突きで打ちすえる。たたらを踏んで崖から足を踏み外したモグリューは、慟哭(どうこく)を響かせ白い闇へ消えていった。ダンジョンに現れる野生のポケモンは侵入者に見せる幻影のようなものなのだというが、それでも私が崖下へ突き落としたような錯覚にさいなまれて、コアを谷底からそらしていた。冷や汗を流し呼吸を荒くする私へ、やるじゃん! とエモンガが明るく健闘をたたえてくれる。ぶっきらぼうな気遣いが、ここではかえってありがたかった。
 休憩を取りつつ八合目まで進むと、あたりの景色も険しくなってくる。もやの切れ目に見える峰々はグラエナの牙のように鋭く、酸素が薄まっているのかすぐに息が上がってしまう。もう何度目かの休息を訴えようとした折に、足をなぞる湿った感触。
 谷間に蔓延っていた濃霧が這い上がって、振り返っても私たちの足跡さえ見えなくなっていた。雲の中を歩いていてはいつ踏み外すか分からない。

「あちゃあ参ったな……霧が薄まるまで立ち往生だなこりゃ」

 三匹寄り添って周囲の哨戒(しょうかい)にあたる。飛膜をゆさぶり霧を退けようと試行錯誤していたエモンガが、ふと思いついたように横目で訊ねてきた。

「そうだ、ずっと気になっていたんだけどさ、腕に巻いてた装備品、今日は持ってこなかったんだな」
「リングルは売ってしまいました、スバメの涙ほどにしかなりませんでしたけれど。万一ダンジョンへ潜ることになると心強い、ということでとうさまが持たせてくれたのです。……そういえば石の洞窟でも気になったのですけれど、ラピスを見かけないですね。ダンジョンには必ず落ちていると聞いていたのですが」
「らぴす?」

 きょとんとしたふたりの反応に、私も面食らってしまった。どうにも話が噛み合わない。それもそのはずで、話を聞けばどうやら霧の大陸の迷宮にはラピスが落ちていることはないらしい。水の大陸でもつい最近になって発現したダンジョン現象だから、この地域にはまだ影響が及んでいないのだろう。どうりでリングルを安く買い叩かれたわけだ。
 代わりに霧の大陸ではダンジョンの空間にねじれが生じることがあって、例えば岩山を探索しているはずなのに火山地帯へ迷いこむことがあるという。またタイプごとに調子が上がる見えない風のようなうねり――Vウェーブが存在していて、探検家にとっては天気予報と同じくらい重要なのだとか。
 この日はノーマルタイプのポケモンを強化する波濤(はとう)が押し寄せているとのこと。ノコッチが張り切るのも最もだ。
 霧は一向に晴れる気配がない。背中合わせのまま、私たちは手持ち無沙汰に話を転がした。ノコッチの大氷河での活躍を聞き、そこのお土産のフリズムという音声記録道具をエモンガがおかしげに話し、私の番。

「私の故郷は水の大陸のワイワイタウンという大きな港町なのですが、そこについ最近、調査団という組織が立ち上がったのです」
「調査団?」
「なんでも土地のダンジョン化は世界的に進んでいて、その原因を究明する組織らしくて。水中探査チームに欠員があるらしく、私もそこでお役に立てないかと志願したのですが……」
「すげえじゃん!」
「でも……ダメでした。入団テストで潜水を課せられたのですが、そこで同じく試験に臨んだブイゼルに救助される有様で……。それまで私自身潜れないことにも気づいていなかったんです。プルリルの故郷は草の大陸のダンジョン『きせきの海』の最深部にある、代々マナフィが治めるという海底都市で、いつかはそこを彩る絢爛豪華な宮殿を案内してくれると彼は息巻いていたのですけれど……。海で溺れるばかりかこんな私じゃ、彼に明日の給料を支払うこともままなりません。あんな怪我までさせてしまって、非常に申し訳が立たなくて…………

 語りながら、己の不甲斐なさにどんどん声が小さくなる。あたりを取り巻く霧は薄く引き伸ばされた真綿で、細々と生きながらえる私の呼吸器を徐々に侵し窒息へと陥れるかのようだった。
 そんな私の気を知ってか知らずか――おそらく彼なりの気遣い方なのだろう――エモンガが束縛を焼き切るように快活な声をあげる。

「やっぱりオマエ、ノコッチとそっくりだな。でっけえ夢、ちゃんと持ってるじゃんかよ」
「いえ、そんな、夢というにはあまりに現実味がなくて」

 どこまでもぐずつく私の背中を、ばしん! と強めに叩く小さな手。静電気を流されたのかと錯覚する程度の衝撃に振り返れば、ちょっと怒ったふうに目をキリリとさせたエモンガが、まっすぐ私を見上げていた。

「このご時世、大きな目標ってのはな、持ってるだけですげえんだ。な、ノコッチ?」

「ボクは、立派な冒険家に、なぁるぞぉオオォーーッ!!」

 なるぞおーーっ!
 なるぞー……。
 ノコッチの腹から響いた咆哮が木霊する。大気を揺るがし、山脈を鳴動させ、およそその小さな体からひり出されたとは思えない力強さに、遠くの崖で巣を作っていた野生の鳥ポケモンが数羽、飛び立っていった。
 彼の叫びに呼応するようにして、次第に霧が晴れてゆく。いつの間に登っていたのだろう、山頂はすぐそこまで迫っていた。高地には似つかない鮮やかな緑の草地がうかがえて、依頼書にあったリンドのみはそこに自生しているのだろうか。
 よく轟いたノコッチの宣誓に満足した様子で頷いていたエモンガが、私にも横目で促してくる。

「自分ひとりじゃ到底叶いそうにないことも、みんなで挑めばそう遠い夢語りでもねえのさ。夢を声に出すことは大切だ。絶対に無理だって諦めてる未来も、叫べばぐっと近くなるんだぜ」

 冒険家の物真似にもならなかったが、初めてダンジョンへ足を踏み入れることとなった石の洞窟。最奥部の水晶石を発見したときの胸の高鳴りは、気のせいなんかじゃない。ノコッチの話に聞いた、大氷河の内側に隠された氷でできた彫刻のような神秘の城。それを想像しただけで光るコアの輝度は、勘違いで片付けられるほど淡くない。

「私の夢は……、見たこともない綺麗な風景を、もっと見たいなあ……って」
「声ちっちゃいぞー?」

 正面を見据えたままエモンガが小さく笑う。彼につられて私も山頂を見た。腕に絡みつく霧はもう気配すらなく、体が軽くなっていた。あそこから眺め下ろしたなら、どんな景色が私を待っているのだろう。衝動に突き上げられるまま駆け出していた。足元で崩れる小石の残響に弾みをつけて、叫ぶ。

「私は……、まだ見ぬ美しい景色を見てみたいっ。霧の大陸だけじゃない、はあっ、もっと長く泳げるようになって……ふうはあ、自力で海を渡ってみたいっ。プルリルと一緒ならどこへだって、いつかは彼の故郷の絶景も……はあはあっ、このコアに焼き付けたいッ! 私は、わたしは――

 いっそう傾斜の厳しくなっていた頂のへりに腕をかけ、身をよじるようにしてずり上がった。低気圧のせいか呼吸がいつも以上に制御できない、コアがでたらめに早鐘を打ち、立ちくらみのようにちりちりと視界が断絶する。何時間もかけて登頂した山嶺、私は今どんな絶景の中にいるのだろう。エモンガたちを振り返ろうとしてよろめき、数歩後ずさると。
 かちっ。
 足元から機械的な音が響いた瞬間、エモンガとノコッチの姿が消えた。巻き戻された霧の中、彼らの代わりにコアへ浮かび上がった影は、不意に現れた私へ今にも襲いかかろうと迫るウリムーとココロモリ。
 とても嫌な予感がした。具体的にはそう、ワープの罠を踏んで野生ポケモンたちの巣窟へ放りこまれてしまったような。
 私の隣でさぞ気持ちよさそうに昼寝にいそしんでいたフシデが、ギロリ、安眠を妨げた私に噛みつこうとしてきて。

「たったたた食べないでくださああい!!」

 くださーーーい!
 くださーい……。
 勇気を出して口にした夢をかき消すくらい、私の悲鳴は情けないほどよく木霊した。

「ヒトデマンっ、今そっち行くから動くなよお!」

 私の慟哭で大体の位置を特定したのだろう、すくむ体をエモンガの激励が叩き起こす。吹き付けられたフシデの毒針を間一髪かわし、ほうほうの体で近くの岩場に這い進んだ。苔むした岩の陰へ転がりこもうとした矢先、飛んできた凍える風に棘皮を舐めあげられ、たまらず私は悲鳴をあげる。

「ぴぃ!」
「あっ光った! ヒトデマンさんそこだね、あと少し!」

 反射的にコアから漏れた光が、濃霧の中でもノコッチの糸目に届いたらしい。切羽詰まった彼の声が、先ほどよりも近づいて聞こえた。
 岩にへばりつきホッとしたのもつかの間、ココロモリの巻き上げた風に煽られ、ピギャ! と空気の渦の中でまたぞろコアを光らせる。エモンガたちとの合流を助けてくれた私の発光は、しかし野生ポケモンに対しても等しく位置を知らせていたらしく。もやの奥から高速移動で駆けつけてくれたエモンガの前に、硬い岩盤を掘って躍り出たドリュウズが立ち塞がる。

「我らスーパーエモンガーズ、しゅばっと――って増援……! ちょ、オマエ、もう光らなくていいからな!」
「そ、そう言われましても――ぴぺぇ!」

 転がるフシデが地面に伸びた私の腕を連続で轢いて、ちかちかちかっ、コアが点滅を繰り返す。遠くからそれを視認した野生ポケモンが集まってきていた。敵の合間を縫ってノコッチが近づき護ってくれるも、背後から忍び寄っていたエルフーンにつむじ風の悪戯を仕掛けられ、私は再び敵のビーコンと化す。衝撃を受けたコアが発光するたび、岩陰から、崖下から、霧の狭間から、野生ポケモンたちがわらわらと湧き出てくる。きりのない敵襲にエモンガが放電するも、苦手なタイプに苦戦しているのが見えた。
 自己再生、ダメージ、発光。自己再生、ダメージ、発光……。

「おっおおおおい今すぐ泣くのやめろオオオオ!!」
「だ――脱出しまあす!」

 私を庇いあぐねたノコッチがたまらず胴に巻きつけた探検鞄をまさぐる。咥え出したあなぬけの玉を、勢いよく地面へ投げつけた。




6 [#7gv7XKr] 


 ドウコクの谷近くの村でひと晩泊めてもらったあくる日、宿場町へと戻った私たちは依頼主のガマゲロゲにこっぴどく怒られ、探検活動報告のためパラダイスのゲートをくぐる頃には夜の気配に呑みこまれていた。
 エモンガ、ノコッチ、私の順で一列になって星明かりの石畳みを進む。あたりには既にポケモンたちの影もなく、露店もほとんど(ほろ)が下されていた。会話らしい会話もない。鎮痛な雰囲気が席巻していた。

「あーあ、歩くモンスターハウスさんのせいで、探検失敗しちゃったなあ?」
「うぅっ……」

 頭の後ろに回した手を組んで、エモンガが先頭でつまらなそうにぼやく。『真昼の流れ星』だったあだ名が変化した。おそらく蔑称(べっしょう)の色を強めたのだろう、私の身代わりとなって傷だらけになったノコッチが眉をひそめる。

「ちょっとエモンガ……、ヒトデマンさんだって悪気はなかったんだよ?」
「わざとじゃなかったら冒険失敗してもいいのかよ。オレたちだって食ってかなきゃなんねえんだぜ?」
「出発前に任せろって胸張ってたのエモンガじゃないか!」
「まさかあんな事故が起きるなんて思わねえだろ!」
「あ、あの、おふたりともそう感情的にならずに……」

 エモンガが勢いよく振り返って、ノコッチと鋭い視線を鍔迫(つばぜ)り合わせる。エモンガは尻尾の先端まで毛羽立てて小さな切り歯を露わにしているし、ノコッチは首をすっこめながらも飛びかかりそうなほど翼をピンと立ち上げていた。一触即発な雰囲気に私が割って入ると、彼らも本意ではなかったのだろう、すぐに気を落ち着かせてくれる。
 かく言う私も、焦燥に駆られてふたりにわめき散らしてしまうところだった。依頼は失敗に終わり当然報酬も貰えない。報酬がなければプルリルに給料をを支払えない。給料を支払えなければ、彼は私に愛想を尽かしてしまうかも。
 マリルリが常駐している依頼カウンターはもぬけの殻だった。ヌオーの店の奥に引っこんでいた寝ぼけ眼の彼女を見つけ、たっぷりと慰められてから、ふたりはスワンナの宿まで私を見送ってくれた。ずっと考えていた様子のノコッチが、別れ際に口を開く。

「ねえエモンガ。ヒトデマンさんを振り回したのはボクたちだし、依頼を失敗したのも冒険家のボクたちがちゃんと注意を払っていなかったからだよ。だからさ、今日の依頼で得られるはずだった報酬のいくらかをヒトデマンさんに渡すべきだと思うんだ。冒険資金として積み立ててたお金、もう七千ポケくらい貯まっているでしょ? いいよね、エモンガ」
「……」

 盗人が商品を持ったまま店の絨毯から出ようとしたらカクレオンが飛んできた。エモンガがそんな顔つきを彷彿とさせるように一瞬だけ表情を凍らせた。ぴんと立ち上がった丸い耳をぐしぐしと取り繕い、落ち着き払って訳知り顔で腕を組む。出会ったばかりの私を信用しすぎるノコッチにどう言い聞かせようか思案しているのだろうか。しばらくエモンガは思いつめたように眉間へしわを寄せていたが、観念したように肩の力を抜いた。
 そこで彼の口から飛び出た回答は、私もノコッチも予想だにできないもので。

「ないんだ。オレたちが貯めてきた金は、びた一文もない。正確に言うと、なくなった」
「……え? え? え? どういうこと?」

 取り乱すノコッチの頭へ片手を置いたエモンガが、白黒する彼の瞳をしかつめらしく見据える。迷子のゴニョニョをなだめるように一言一句はっきりと、言った。

「落ち着いて聞いてくれ。貯めてた金がなくなっただけじゃねえ、借金まである。九千ポケくらいな」
「……な、なんだってぇ〜〜〜っ!?」

 ノコッチの悲鳴が寝静まる広場に鳴り渡った。それに続いて、私たちの背後からドンと軋む鈍い音。スワンナハウスのはす向かいに店を構える箱割り屋からだった。寝苦しい夜は店に泊まるという店主のラムパルドは寝相が悪いのだろうか、夜半の騒音を(いさ)めるようなタイミングだ。それに慌てて声を小さく絞ったノコッチが、エモンガへ詰め寄った。

「ど、どうしたってそんな大金……」
「ルーレットでスっちまった」

 あっけらかんと言ってのけて、エモンガは照れた頬を飛膜で隠すように額を掻いた。取り違えて幸せのタネを野生ポケモンに投げつけてしまいました、と事後報告するかのような、軽さ。
 わなわなと震えていたノコッチが、反省の素振りを見せないエモンガに食ってかかる。口を挟む猶予さえ与えてくれない彼の剣幕に、私は身を小さくして事の顛末(てんまつ)を見守るばかり。

「ボクたちが大氷河へ遠征に行っている間、エモンガはノエの港町まで行ってカジノで豪遊してたってこと……?」
「ち、違うそうじゃねえよ。オレだって単に遊んでたワケじゃねえ、ちゃんと話を聞い――」
「あっきれた! エモンガがそこまでお金にだらしなかったなんて知らなかったよ! ……そろそろそういうとこ、直したほうがいいと思うんだけど? 昔っから楽観的でさ、パラダイスのみんなが希望あふれる世の中にしようって頑張ってるのに、フルットのメンバーでキミだけじゃないかちゃんと夢を語ってないの。それからこの際だから言うけど、スーパーエモンガーズってちょっとダサいと思うんだよね? 毎回名乗ってるけどさ、側にいてボク恥ずかしいんだってば!」
「い……、言いやがったなあ!? そういうオマエこそどうなんだよ、たしかに夢はご立派だけどよ、偉大な冒険家になる冒険家になるったって、ろくに実力も伴っちゃいねえ。自信もない実力もないで、夢だけはいっちょまえだ。おおかた大氷河でもビリジオンたちに泣きついてたんじゃねえの? 頭でっかちはツチノコボディだけにしとけよな!」
「……ふんっ!」
「フンっ!」

 眉間にしわを寄せにらみ合っていたふたりが、握手の不得意なレアコイルの手のようにびんっと首を背けた。ラムパルドがいっとう大きな寝返りを打ったらしい、ふたりの大げんかに店の壁を壊しかねないほど強烈な床ドンが響く。意中のチラチーノがなかなか振り向いてくれないせいか、最近寝つきが悪いのだと初対面のときに話してくれたっけか。商売もなかなかお客さんに恵まれず暇しているらしいし、明日にでもプルリルの話し相手になってもらおう。
 手のつけられない状況から現実逃避していた私に気づいたノコッチが、申し訳ないように笑顔を取り繕う。

「ヒトデマンさん、明日の依頼はボクと行こ。エモンガなんかと一緒にいたらお金せびられちゃうよ」
「な……! か、勝手にしろっ! オマエなんてダンジョンでくたばって、ダセえところを他の冒険家に救助されちまえばいいんだ!」

 エモンガは小さく吐き捨て、食堂の前に積まれていた木箱伝いに屋根へ上る。住居街へ飛び去る直前、鋭く睨む彼の目じりには、うっすらと涙のきらめきが見えて。
 取り残された私はいたたまれずコアを鈍く光らせる。

「私が屋敷へ戻ったら、いくらかお金を工面して送りましょうか? おふたりは命の恩人ですし……」
「気を遣わなくていいよ。借金ができたこと自体が問題なんじゃなくて、エモンガに浪費グセを直してほしいんだ。それに、お金がなくなったからって縁を切れるほど、ボクたち浅いつきあいじゃない」
「……そう、ですよね」

 くさくさしたノコッチがつぶやいたささやかな言葉。それに胸をとんと打たれて、私はしばし動けなかった。
 お金がなくなったからって切れるような縁じゃない。そうだ、そうじゃないか。大事なことを忘れて、私は何を恐れてポケの心配ばかりしていたんだ。
 ノコッチの背中が闇に溶けるのを見送ってスワンナハウスの二階を仰げば、口喧嘩に目を覚ましたのだろう、大部屋に淡い光が灯されたところだった。窓から漏れるろうそくの逆光に、彼が胸に手を当ててかしこまっている。一日ぶりに彼の姿を見ただけで、ずきりと心がざわついた。

「お帰りなさいませヒトデマン様。何やら外が騒がしかったですが、悪漢に絡まれてなどいませんでしたか」
「心配いらないよ、大丈夫。それより起こしちゃったね」
「いえいえとんでもない。それで、ダンジョンはいかがでした? ぜひ冒険活劇を僕にお聞かせ願いたいのです」

 私とプルリルはそれぞれ藁のベッドと睡蓮鉢に体を沈めて、ろうそくが溶けきってしまうまで話に花を咲かせた。私が発光したせいで依頼を失敗してしまったとか、ノコッチの叫んだ夢が峰々によく響いたとか、救助に駆けつけるエモンガの決め台詞がカッコいいとか。耳を傾けるプルリルは実に楽しそうで、表情豊かに相槌を打ってくれて。彼の話相手なら私が世界で一番うまくやれる自信があった。手持ちに余裕があるなんて見栄を張っていたことを謝っても、彼なら笑って水に流してくれることは、想像するまでもなく目に浮かぶ。その話を切り出す機会をうかがっているうちに、いつの間にか寝藁へ沈みこむようにして、翌朝。
 迎えに来てくれたノコッチに連れられ、私はパラダイスの掲示板をしげしげと見上げていた。ダンジョンで見つかる不思議道具の捜索からお尋ね者の補導まで、迷宮に関する多種多様な依頼が押しのけ合うように貼り出されている。
 体つきのせいで見渡しにくいのか、ノコッチは受付のマリルリから借りた台によじ登って物色している。私はどれがめぼしい依頼なのか一向に見当がつかなかったが、気になる足型文字の羅列がコアを引き寄せて、せわしなく動く彼の翼をつついた。

「あ……、あれって」
「どれ?」

 おそらく今朝に更新されたばかりなのだろう、私が指したクエストは、依頼の山の中央にでんと掲げられていた。報酬の欄に書かれているものは、私が探していた、水の石。
 ノコッチの細い目が、わずかに見開いた気がした。

「す……すごい、こんな豪華な報酬、ボク初めて見たよ。場所は……シキサイの森って、宿場町からすぐ近くだ。難しくないダンジョンだし、これは狙い目だね!」

 すべきは森の奥地に生えているキノコを摘んでくること。依頼人が書かれていなかったけれど、お尋ね者討伐のものは匿名でも嘆願できるらしいから、そういった仕組みなのかもしれない。

「ノコッチさん、一緒に行ってもらってもいいですか?」
「もちろんだよ! ほら、ノーマルタイプも同行しないといけない条件になってるし、まるでボクたちのために用意された依頼だね!」
「な、なるほど……」

 本当にできすぎた内容だった。あまりに条件がかみ合っていたことに何かが気にかかったが、その正体を掴む前にノコッチはあずかりボックスへ跳ねて行ってしまう。
 いや、私こそ気を引き締めなければ。昨日のような醜態は晒せない。ましてエモンガもいないのだ、足手まといという立場に甘んじれば、ダンジョンで力尽きることはヒトカゲの尻尾を見るよりも明らかだった。




7 


 宿場町から北に二時間ほど歩けば到着してしまうような迷宮、シキサイの森。林冠が開け陽の差しこむ休憩地点をいくつか渡り歩いた最奥地に、目的のキノコが生えているはずだ。ただ、安息地では森の入り口に咲いていた花と同じ種のルートを選ばないと新緑の迷路に入りこんでしまうという。以前宿場町のクルマユが迷子になって、そのとき探しにきていたノコッチにとっては勝手知ったるダンジョンだった。フロア数も多くなく、道中の野生ポケモンも彼が先頭切ってのしていく。

「依頼書にあったキノコって、これ……でしょうか」

 シキサイの森の奥地、茂みに囲まれた広場の木の根元にその群生があった。大きさはエモンガの身長の半分ほど、白い笠でワインソースをこそいだような色をしている。そういえば幼い頃、お屋敷で雇われたビリリダマが寝ているところをボールと勘違いして蹴飛ばしたことがあった。あまりの不意打ちに当然彼は爆発し、コアを粉々に砕いた私はプルリルにひどい心配をかけたのだっけ。
 どうしてだろうか、赤と白のハーフアンドハーフはポケモンを引きつけてやまない色使いだ。浅はかな失敗談に苦笑しつつその石づきに腕を伸ばし、ひと思いに引っぱった。
 抜けなかった。
 不意に笠がぐりっと半回転し、明らかに怒っている円らな目と目があった。

「危ない!」
「ひわ!?」

 広場の反対側を捜索していたノコッチに突き飛ばされ、私は芝地に転がった。モダンな色合いの笠から吹き上がった暗紫色の胞子を浴びて、元々白っぽいノコッチの顔がみるみる色を失っていく。私の失態に騒ぎ始めたキノコもどきをどうにか退けた彼は、翼の先端を力なく震わせていて。

「けほっえほ……、あれはタマゲタケってポケモンだよ……知らなかった?」
「の、ノコッチさん……、毒にかかってるじゃないですか……!」

 毒々を受けたノコッチよりも青ざめて、私は彼の探検鞄をひっくり返した。解毒作用を持つアイテムは……癒しのタネやモモンのみ。幸いなことに芝地へ散らばった不思議玉や強壮ドリンクのほかに、薄桃色の新鮮な果実が出てきてくれた。

「よかった、モモンのみ、一個だけありました。さあ食べてください」
「ありがとう……」

 憔悴するノコッチが大きな口をへにゃりと開けた。よかった、まだ大丈夫。私のせいでまたもや依頼をふいにするところだった。何度も冒険を失敗してしまえば、よくしてくれるノコッチに申し訳が立たない。そればかりか彼の探検家としての名声に傷を残すことになるだろう。そんなことになれば私はとうさまに顔向けができなくなる。
 安堵しきった私の腕の中で、みずみずしいモモンのみが、どろり、色褪せた。

「ひぇ!?」

 反射的に振り払う。瞬時に水分を抜かれてしまったかのように果実が腐り落ちた――そのような幻惑に襲われて私はコアを瞬かせる。放り出したモモンが転がる先、いつの間にか裸地に誰かが佇んでいた。きのみはそのポケモンの足に当たって止まる。
 おずおずとコアを持ち上げた私の背筋を凍らせる、金属質の声。

「差し押さえの技を食らったら、もうあなぬけの玉で逃げ出すこともできねえぜ。よーお、また会ったなヒトデマンのぼうず」

 虚脱して立っていられず芝地へへばりついた私へ、藪を裁断して現れたコマタナの兄弟が薄ら笑いを浮かべていた。色を取り戻した足元のモモンへ腕を突き刺して拾い、果汁をしたたらせながら貪り食う。あからさまなモンスターハウスの中に階段を見つけてしまった探検家のように顔をしかめたノコッチへ、見せつけるように種を吐き出した。
 徐々に回り始めたらしい毒を振り払うように、ノコッチが私の前に進み出る。

「き、キミたち……まだ悪さしてたんだね。ボクたちを騙したんだ……!」

 難易度の割に報酬が豪勢すぎた。掲示板で依頼を見つけたときに覚えた違和感は、私たちを誘い出すための撒き餌だったからだ。野生ポケモンを利用した毒の罠にまんまとはめられた今となっては、歯噛みしたところで取り返しがつくはずもない。
 リーダー然とした兄のコマタナが、べたつくモモンの汁を拭うように腕の刃をすり合わせる。

「荒れ果て谷のときはよくもやってくれたなノコッチのぼうず。いつか痛い目見せてやろうと様子をうかがっていたら、どうも俺たちがカモにしたヒトデマンとつるんでるじゃねえの。試しに水の石を報酬にしたニセ依頼を出してみたら、まんまと引っかかるんだもんなあ!」
「入り口の花を植え替えておいたから、コソコソついて来ていたエモンガの野郎も今頃森で迷子だろうなあ。笑いが堪えられないぜ、カカカカッ!」
「エモンガやっぱり来てくれてたんだ! ……じゃない、ボクだってもう……ふうぅ、あのときのボクとは違うんだ。うぅ……ヒトデマンさんは下がってて、ボクが守るから!」
「おーおう、頼もしくなったねえ。だが多勢に無勢、おまけに毒だ。どうするよ?」

 リーダーが金属音で合図を出すと、鬱蒼とした下生えをかき分けデンチュラとホイーガが現れる。湧き水に電気を流した悪党が、私を見下すように複眼を歪めて笑った。
 時間の問題だった。
 蛇睨みで牽制し、ドリルライナーと転がるで征圧に抗うも、じりじりと広場の端へ追い詰められていた。一対四では圧倒的に不利だ。まして非力な私を庇いながらなのだから、消耗戦を強いられるノコッチの負担は計り知れない。

「く、そう……!」

 隙をついてノコッチが包囲網から転がって脱出を試みるも、それを見切っていたデンチュラがねばねばネットの罠を仕掛けていた。蜘蛛糸の泥濘に頭から突っこんだ彼へ駆け寄って、私も腕のひとつを絡め取られる。
 万事休す。ならず者たちの下卑た笑い声が迫る。にやついた顔、顔、顔、顔。
 ――誰か、だれか助けてッ!!

「そこまでだ!」
「な……!? そ、その声は!」

 お決まりの台詞を吐いて、コマタナたちが狼狽する。もはや耳に馴染んだ快活な声が木々をざわめかせた。ノコッチも気づいたのだろう、私の隣で束縛されながらも、消耗した体力を羽休めで補填しながら目を輝かせていた。

「オマエらの悪事は」「このオレがお見通しだ!」
「どこにいやがる、出てこいっ!」

 唐突にエモンガの声が分裂して、広場の離れたところから響く。コマタナたちは慌てふためき、血眼になって探そうと地を蹴るたび芝が切れて散った。巨大なオーロットが樹木を操り、森の破壊者を幻惑へと(いざな)っているかのよう。

「弱きを助け」  
「悪をくじく」    
 「頬袋に貯めた電気は」
「希望の証!」  
「飛膜はためき」「翔ける迅雷」
「ひと呼んで――」

 背の高い木の天辺から、生い茂った藪の奥から、枯れ木のうろからも、エモンガの声がハウリングしている。……なんとなくカラクリは分かった気がする。先日に聞いたフリズムという不思議道具、あれは声を凍らせて閉じこめておける代物だった。それを林の中に配置し解凍することで、エモンガが分身したと錯覚させているに違いない。
 フリズムから声が抜け切ったところで、正面奥の古木の太枝が大きく振れた。視線の集まる先には、帯電した飛膜を風になびかせ、最高に格好つけたヒーローのカットイン。

「スーパーエモンガ様、しゅばっと参上!」
「え……えもんがぁ……! そ、それ、ださいよぉ」
「るっせ!」

 ぐさっ、なんて音を体現するようにエモンガが胸を押さえつけ、決まりのつかないはにかみを浮かべる。かぶりを振って一変、気合を入れ直しぐるりと滑空して地に降りた。

「ひとり増えようが多勢に無勢は変わりねえ、やっちまえヤローども!」

 啖呵を切った兄の声に合わせ、手下たちが一斉にエモンガへと襲いかかった。




8 


 いつになく険しい目つきに変貌したエモンガは、距離を測るように銀の針を手の中で転がしている。デンチュラが触角の間に粘着性の蜘蛛糸を形成する刹那――キラリ一閃、狙いすました投擲(とうてき)はホイーガの装甲の隙間に突き刺さり、前転しかけた繭ムカデを地面へ縫い止めた。
 身軽になったエモンガは、針に複眼をそらされたデンチュラへ急接近しアクロバット飛行。反応の遅れた相手を昏倒させ、とどめに横っ面を蹴り飛ばす。置き土産にと放たれたクモのすは、ようやく銀の針の牽制から解放されたホイーガを、さらに強い捕縛の罠へと沈めることとなる。
 一瞬の大立ち回りで二匹を戦闘不能に追いこんだスーパーエモンガ様。これは惚れる。私が陸上グループの雌だったら、間違いなく彼にメロメロだっただろう。

「…………ぽっ。」
「わっ!? ヒトデマンさん、発光しちゃダメだからねっ」

 薄ピンクにコアを染める私へノコッチが耳打ちする。緊張感のない私たちが兄のコマタナの気に触れたのか、彼は粘着ネットの海から逃れられない私を、背後から羽交い締めにした。

「こ、これ以上好きにやったら、コイツの命がないと思えよ!!」
「ぴぃ!」

 コマタナの胸の刃が背面に刺さり、つつ……と浅く皮下を侵された感触。淡い痛みにコアが赤く発光したけれど、ただならぬ雰囲気に野生ポケモンは近寄ってこなかった。

「くそっ……」

 ホイーガを横倒しにしたエモンガが歯噛みした。一変した状況に気を良くした刃物ポケモンは勝ち誇った声でうなる。

「よぉし、バッグを置いて電気をショートさせてからこっち来い。おまえに差し押さえをかけたから、道具を使おうったって無駄だけどな」
「……わかった」

 エモンガが飛膜の内側をまさぐり、くくり付けていた探検鞄を取り外す。ゆっくりとした所作で手を離すと、どこで拾ってきたのだろうか、地面に落ちた鞄の口から澄んだ水色の水晶がこぼれ落ちた。
 肩の力を抜いた弟のコマタナがエモンガへにじり寄る。右手の刃で額を拭うと、耳障りな金属音ががなり立つ。

「な……なんだよビビらせやがって。荒れ果て谷でやられた分もまとめて、意趣返しといきますか、カカカカッ」
「や、ヤメテクレー! アイツらはともかく、オレは見逃してクレー!」
「えっ」

 目を点にするコマタナに、エモンガが口の端を吊り上げた。

「ンなわっきゃねーだろ」

 早業だった。
 ダイケンキがアシガタナを抜き身にするように、するり、エモンガが飛膜の下からまばゆい棒を引き出した。流れるような所作で右手を振り抜き指を離す。光で(かたど)られたバトンが、優雅な回転を伴って放物線を描く。動揺する弟のコマタナを超え――私のもとに。

「受け取れヒトデマンっ、バトンタッチだ!」
「えっ、ハイぃっ!?」

 飛来する光の束を二本の腕で受け取ると、瞬時に視界が切り替わる。抱きすくめられていたはずの私の前に、弟のコマタナ、その奥にノコッチ、エモンガ、兄の方。何が起こったのか、今度は瞬時に合点がいった。
 ワープの罠を踏んでおいてよかった。瞬間移動に慣れていなければ、エモンガと立ち位置を入れ替えた一瞬の隙を活かすこともできなかっただろうから。

「なに!? アイツはどこ行きやがった!」
「ここだよ」

 私が捕らわれていた場所――兄のコマタナの股下で伏せていたエモンガが全身の体毛を逆立てる。悪党の親玉が気付いたときにはすでに、頬袋からほとばしる電撃により蜘蛛糸の罠へ倒伏させられていた。

「それッ、拾え!」

 鋭い視線を飛ばしてきたエモンガの叫びに弾かれて、私は足元にコアを向ける。彼の探検鞄から転がり出た、水色の水晶。促されるままに両腕で包みこめば、途端に体が熱くなる。コアのみならず全身から閃光がほとばしる。体の隅々までみなぎる宇宙のエネルギー、眠っていた遺伝子が覚醒する、五肢が千切れ、扁平な体が二重に分裂するような錯覚。

「ヒトデマンさん……進化、してる」

 呆けたようなノコッチの声がして、私はようやく自身に起きた変化を理解した。体が沸き立つ、猛烈に何かを叫びたかった。叫べばぐっと近くなる。そうだ、夢を声に出すことの大切さは彼らに教えてもらったじゃないか。スターミーへと変身して溢れ出るエネルギーに突き動かされるよう、私はしゅばっ! と決めポーズ。

胸に輝くコアは一等星、自慢の水流で敵を討つ! 宇宙の果てから正義のために、天翔ける流星ヒーロー、ヒトデマン改めスターミー、ここに見! 参ッッッ!!

 前日プルリルと交わした冗談で、もし私がエモンガのような救助隊員ならどういった決め台詞を述べるかで盛りあがった。そこで練り上げられた文句が、口をついて飛び出していた。
 エモンガもノコッチも、弟のコマタナでさえ、この場に居合わせたポケモン全員、ぽかんと目を瞬いた。

 ……あ、あれ、なんだか思っていたより恥ずかしいな?

 不意に訪れた静寂を味わうように、ふたりがゆるゆると息をつく。

「か……かっけえ……。オレの口上より堂に入ってるぜ……」
「スターミーさん、エモンガに憧れてたんだねえ」
「そ、そうさ! いつまでも弱いままではいられませんから、とうっ!」

 照れ隠しのちぐはぐな口調に我ながら失笑するも、私は二重になった体を擦りあわせるように回転させ、コアから星型の光弾をばら撒いた。すっかり戦意喪失した弟のコマタナを的確に撃ち抜き、仰向けに倒れた彼を上から覗きこむ。腕二本で彼の肩を抱き上げると、頭がもげそうなほど強く揺さぶった。

「その顔はなんだ!? その眼はなんだ!? その涙はなんだ!?」
「スターミーさん落ち着いて。さ、宿場町に帰ろう」

 感情的になる私をなだめて、ノコッチは懐からあなぬけの玉を取り出した。




9 


 夕暮れのパラダイスにコマタナたちの悲鳴が轟いている。ヌオーが執り行う『ごりごりお仕置き』はぬぼーっとしたその顔に似つかず非常にラジカルで、お尋ね者たちを一発で更生させてきた彼の経歴を物語っていた。酸鼻を極める光景も依頼カウンターにいるマリルリはにこやかに見守っているし、技思い出し屋のズルッグは店の奥に引っこんでぼそぼそと命乞いを漏らしている。過去に何かあったのだろうか。……知らない方がいいこともある。
 進化を遂げたとはいえ、私の持病がすっかり改善されるなどということはなく。生まれ持った脆弱(ぜいじゃく)性とはずっと付き合っていかなければならないらしい。宿場町へ戻るだけで息が上がっていた。パラダイスのゲートの柱にもたれかかる。
 依頼の報告から戻ってきたノコッチが、すまなそうに声を絞り出す。進化してさらに背が高くなってから、視線を合わせづらくなってしまった。

「報酬はもらえないから、しばらくはボクたちも貧乏暮らしなんだ。でもま、スターミーさんを騙した悪い奴らをこらしめられてよかったよ」
「何から何までありがとうございます……はあはあ。この体になってできる仕事も増えたと思いますので、お金の心配はなさらずに」
「あ、そのことなんだけどよ……」

 エモンガに手招きされ、私とノコッチはドテッコツ組の建築資材倉庫の裏手に収まった。あたりに他のポケモンの影がないのを確かめると、エモンガが飛膜の裏にくくりつけられていた探検ポーチを取り外す。ひっくり返された鞄から、ごとり、と硬い音が落ちてきた。
 目を疑った。
 金塊だ。換金すれば一本五百ポケにはなりそうな金の延べ棒が、焚き火の組み木のように重なり合って現れる。ほかに高難易度のダンジョンでしか採掘されないとされる進化石など貴重な道具、袋の底からコインが出てくるわ出てくるわ、火の粉さながら周囲へ飛び散った。
 豪邸が建ちそうな財宝の山と、きまり悪げにはにかむエモンガの顔。何をか言わんや、私とノコッチはそれを交互に見比べて、息を詰まらせていた。
 怯えたように羽をしおれさせたノコッチが、震える声でエモンガに訴える。

「お……、お金ないからって犯罪はダメだよエモンガ……」
「ちげーし! オレもそこまで落ちぶれちゃいねえよ!」

 怪訝そうに目尻を下げるノコッチの眉間にチョップをかまして、エモンガが不審がる視線を振り払う。自身でも未だ飲みこめていないような体験をひとつひとつ思い出すようにして、彼は話を続けた。

「明らかに怪しげな依頼にのこのこ誘い出されたオマエらの後を追ってたら、ダンジョンの歪みに引っかかって、いつの間にか金ピカのフロアに迷いこんでさ。壁はどこも金箔で覆われてんの。ポケとか怖くなるくらい落ちてるし……。んで、ボーマンダとかウルガモスとか、財宝を守るおっかねえ野生ポケモンと戦ってた。雲に乗ったおっさんに追いかけられるしさ……」
「なら、いいんだけどさ。どんな冒険だったかあとで教えてよ。それによかった、これで借金は返済だね」
「……そんな話、にわかには信じられませんけれど」

 一も二もなく鵜呑みにしたノコッチに、私はやんわりと懐疑の念を呈する。エモンガを疑っているわけではないが、湧いて出た金銀財宝を前に浮かぶのは歓喜ではなく困惑だ。
 しかしノコッチは、さもありなんといった調子で私へ向かって胸を張る。

「信じられないことが起こるから、不思議のダンジョンなんだよ。それにエモンガの言うことなんだ、友だちのボクが信じてあげられなくて、どうするのさ」

 ノコッチの細目に宿った、一点のかげりもない力強さ。そこにはエモンガのためなら無償で手を差し伸べられる絶対的な信念が籠っているように見えて。
 唐突にプルリルのことが頭をよぎる。無性に会いたかった。進化したこの姿を誰よりも先に見せたいのは、とうさまよりも鉢で待ってくれている彼だ。今宵は彼が音をあげるまで、今日という日の素晴らしさについて語ってやろう。

「ともかくスターミーさん、はいこれ。今回の報酬」

 ノコッチがろくに勘定もせず、財宝の山を半分ほど押しつけてくる。いくらなんでもひとが良すぎるんじゃないだろうか。私はそこからさらに半分、もう半分して残った硬貨をありがたく懐にしまった。それでも結構な額になる。しばらく寝食には困らないはずだ。

「残りはボクとエモンガで分けるとして……エモンガの分は、これね」
「はあ、これっぽっちかよ!?」
「だって、大金渡したらまたルーレットで破産しちゃうでしょ。貯金しておかないと」

 ノコッチが頭でずずいと出したのは金塊一本のみ。どうやらスーパーエモンガーズの財布の紐は彼が咥えているらしい。
 どうにも納得いかない様子のエモンガが、しかし逡巡するように口ごもって、ためらいがちに指差した。私たちの視線の先には、おびただしい数の風車に囲まれた大仰な縦置き回転ボード。

「ルーレットってのは、アレ。ノコッチが大氷河で健闘できるように、オレは毎日稼いだ金をビクティニにつぎこんでたの!」
「ぼ……、ボクのために、Vルーレットを……?」

 エモンガから聞いた話では、日ごとに流れるVウェーブは、ビクティニというポケモンに袖の下を渡して機嫌を取ればタイプを変更してくれる可能性を高められるという。思い当たる節があるのだろう、ノコッチが記憶を探るようにうつむいた。ドウコクの谷で彼が語ったグレッシャーパレスでの冒険譚、その中でノコッチが活躍できたのも、あのとき隣で嬉しそうに聞いていたエモンガが、大枚をはたいてVウェーブを変えていたから。
 ぶあっと涙を吹きこぼしたノコッチが、情動のままエモンガへ飛びついた。顎の下へ敷いた彼へしきりに頬を擦りつける。
 みぞおちに入ったらしいエモンガは小さく呻いたものの、振り払いはしなかった。びすびすと鼻をすするノコッチの頭を撫でて、きまり悪く言葉をこぼす。

「ノコッチ、その……。ごめん。昨日は勢いに任せていろいろ言っちまった。ごめん」
「ボクの方こそ……うっく、ださいとか言ってごめんね。ひっぐ、え、エモンガは最高にカッコいいボクの、ボクの親友だよ!」
「バッカ、なに改まって言ってンだよ……。当たり前だろ?」

 胸の被毛にたっぷりと汁気を吸わせたエモンガは体を起こし、散らばった金塊やポケを鞄にしまう。立ち上がってお尻の埃をぱっぱと払うと、気持ちよさそうに伸びをして、初夏の夕暮れを胸いっぱいに吸いこんだ。

「おっし、何かうまいもんでも食いにいこうぜえ!」
「お、お金はちゃんと節制してよね。Vルーレットはしばらく禁止します!」
「ええー、あれけっこうハマるんだぜ。当たらないと悔しくてさ、次の日はちょっと課金してもいいかなって思っちまう」
「ほらそういうとこ!」

 涙を振り払いながら冗談めかすノコッチが、掲示板のVウェーブ予報を張り替えていたビクティニを見つけた。これ以上泣いているところを見られるのが恥ずかしかったのか、お金返してくるね! と鞄を咥えて跳ねていく。
 残された私とエモンガは、横倒しになっている角材に並んで座った。腰を折るスターミーの姿がツボにはまったのかエモンガは笑いを噛み殺していて、私はその横顔にふと疑問をぶつけた。

「エモンガさんは、どのような夢を持っているのですか」
「え、お、オレ!? オレは別に……」
「ノコッチさんと話すあなたの顔、とてもキラキラしていましたよ」
「そ……、そうかよぉ」

 照れた顔を飛膜で覆うように額を掻いて、エモンガが口を閉ざす。私も黙って続きを待った。夢を声に出すことの大切さを説いてくれた彼が、いたって真面目なトーンで教えてくれた、夢。

「実はオレ、生まれてからずっと内陸育ちで、オマエが初めて会った外の大陸のポケモンなんだ。調査団とか、リングルの話とか、知らねえことばっかりだった。世界にはまだ発見されてないダンジョンがあるはずだし、そればかりか未踏の大陸だって眠っているかもしれねえんだ。想像しただけでワクワクするよな? いつになるかは分かんねえけど、ノコッチが一人前の冒険家になったら、海を渡ってみたいってのは、あるな」
「ノコッチさんのこと、大好きなんですね」
「ば……ッ、オマエも好きとか恥ずかしげもなく言うなよぉ」

 思いのほか強くどつかれてコアが光る。抗議のつもりで彼に向けて点滅しようとして、気づいた。ビクティニへ頭を下げる友だちを眺めるエモンガの瞳にも、ノコッチと同じ光が宿っていて。
 エモンガが胸のうちを抑えられないように語り出す。

「なにバカなこと言ってるんだって思うかもしんねえけどよ、ノコッチといると奇跡が起きるんだ。ビリジオンもツタージャも気づいちゃいないし、あいつ自身も信じてないんだけど……、ノコッチは主人公なのさ。天の恵みを一身に受けたあいつは、周囲を巻きこんで良い未来に向かわせる力がある。もし世界が滅びるなんてことになっても、ノコッチが諦めない限り絶対に負けやしない。オレは信じてンだ。九千ポケもあった借金だって一瞬で完済しちゃうくらいの奇跡を起こす友だちを、さ。オマエも心当たり、あるだろ?」

 石の洞窟から飛び出して、偶然ノコッチたちに救われた。お尋ね者の仕掛けた依頼が、偶然私のコアに留まった。偶然エモンガが拾った水の石が偶然鞄から転がり落ちて、拾った私が進化した。ノコッチの側で巻き起こった奇跡は、思い当たる節を挙げればきりがない。
 親友を褒めそやす自分自身が気恥ずかしくなったのか、白い被毛の上からでもわかるほど頬を赤らめたエモンガが額を掻いて、わざとらしく話を変えた。

「そういやつい先日、パラダイスで井戸を掘り当てたらしいんだけどよう。けっこう金になりそうな道具が沈んでるんだけど、中が不思議のダンジョンみたいになっててさ。もしかしたら今のオマエにピッタリかもしれないんだ」
「井戸、ですか。でも……」

 私は潜れないですし、と口をついて出そうになった自嘲を飲みこんだ。どういうふうに会話が弾んだのか、視線の先ではノコッチがビクティニからリンゴを分けてもらっている。ナイフで細工の施された果実は、勝利ポケモンの角に似た形に整えられていた。それを口に含んだノコッチは、見ている方がにこやかになるほど美味しそうに頬を綻ばせるのだ。
 ……いや、奇跡に頼りすぎるのはよくないな。潜水くらい、自力でどうにか克服できるはずだ。
 エモンガが星の散り始めた宵の空を仰いて、両腕の飛膜を広げてみせる。

「オレとオマエが始めて会った日、石の洞窟から飛び出してきたとき、虹を見たって言ってたな。宿場町では以前、まん丸の虹がいくつも重なった、とんでもない大きさのアーチが見れたって聞くぜ。なんでも希望の虹って呼ばれているらしいんだけどよ。パラダイスで働いていたら、そんな絶景に出会えるかもしれないぜ? 流星ヒーローさん」
「あ、あの台詞は忘れてください……!」

 スターミーは宇宙の星々と交信することができるらしい。エモンガに倣って天を向いた私がコアを光らせると、きらり。流れ星がひとつ、パラダイスを祝福するように過ぎていった。




10 


 深層からの湧昇流は雪解けのように冷たくて、綿雪よりもゆっくりと落ちていく私の背中をぶるりと震わせた。見上げる水面がずんずん遠くなっていく。水中に浮かぶチョンチーを模した電灯の光を頼りに、地上から覗くミジュマルが出すサインを確かめる。右、左、渦を避けて上に回りこめ。私のすぐ隣を大きな岩が通り過ぎていって、呼吸が詰まりそうになる。慌てるな、落ち着け、信じるんだ。私を押しつぶそうと強まる水圧に抗いながら、岩陰に落ちている資材などの道具をかき集め、サイコキネシスで懐にしまう。窮地に陥った私を颯爽と助け出してくれたエモンガのように、しゅばっ! なんてカッコつけながら。
 地上から見下ろせば、五十メートルも続く井戸は丸い小宇宙のように見えるかもしれない。そこを縦横無尽に傾く真紅のコアは、さながら星間を駆けるヒーローのようだ。エモンガに付けられたあだ名も、あながち間違っていないのかもしれない。
 水面に揺らぐ寡黙なミジュマルの彼は、もうあんなに小さくなっていた。その横に明朗そうなツタージャの顔がひょっこりと現れる。にわかに信じがたいが元人間だというミジュマルと、誰もが夢を見ることのできる環境――ポケモンパラダイスを創設しようとひた走るツタージャの、素敵なコンビ。思い返せば、宿場町には信頼しあえるふたり組が多くいた。ダンジョン研究家のエーフィとブラッキー。数多くの冒険家を支えるヌオーとマリルリ。気高く冷徹な印象を与えるビリジオンも、ここにはいない誰かを信じて待っている様子だった。そして、エモンガとノコッチ。スーパーエモンガーズという名前はイケてないかもしれないが、私にとっては紛れもなくヒーローなのだ。
 ツタージャが私をツタで指し示して、外の誰かを招いている。水面を覗く丸い影が新たにひとつ近づいて、とぷん、そのまま井戸へ落ちてきた。岩をかいくぐり軟体を奔流にはためかせ、馴染みの顔がどんどん大きくなってくる。伸ばされた半透明の触手が私を包む。
 平常だった体液の循環が乱れる、コアが点滅して赤く映る彼の顔が滲む。はあはあ……はあはあ。ようやく二十メートルから先に沈もうとしていたのに、これではろくに息も続かないじゃないか。

「ご心配おかけしました、スターミー様」
「待っていたよ。それから言いそびれていたのだけれど、ごめん。実は――」

 ぶくぶくっ。フリルを揺らして笑う彼の泡がコアをくすぐった。ああもう、明日から練習に付き合ってもらわないとな。ふたりで潜ればすぐに海の底だって到達できるようになる。確かな予感があった。すっかり快復した親友は、私よりはるかに潜水がうまいのだ。





おわり



あとがき
DSの傾き感知機能でスターミーを操り、岩やチョンチー、水流といった障害を避けて井戸の底まで導いてあげる『おたからサルベージ』というミニゲーム。 物語の中盤以降パラダイスに建築できる施設なんですけれど、そこを任されているスターミーが店を開くまでの妄想話です。なんでそこチョイスした? まぁそれはこのミニゲームにハマっていたからなんですけれど、最後まで読んで「あーなんかそんなのあったなあ」くらいに思い出してくれた方がいたら幸いです。素直に主パにすればよかったのに……。
マグナゲートってダンジョンに登場するポケモンの種類が極端に少なく、図鑑でいうところのBW世代をメインに選ばれていて、それ以外の地方からはお馴染みのカクレオンやペリッパー、主人公に選べるピカチュウ、物語に関わるヌオーやマリルリくらいしかいなかったんです(調べればもっといるかも)。物語中盤、発展しかけのパラダイスへ颯爽と現れた、ミニゲームのためだけに選ばれたかのような〝なぞのポケモン〟。彼は一体どうして宿場町に……? しゅばっ! って口癖もなんかカッコつけてるし、しかも水タイプのくせに50メートル潜水するたびにはあはあ言って息切れするし……。本編でぜんぜん活躍しないんですけど、モブ好きな私は一瞬でコアを射止められましたよ。エンディングを迎えてもミニゲームをするためだけに起動することもしょっちゅうでした。
アンソロの話をいただいたとき、このスターミーへの執着を昇華するためには、書き切るしかないと。書きました。書きすぎたくらいです。エモンガとノコッチのコンビも同等に好きだったので、文章が溢れかえっちゃいましたね……。執筆していたときは多分これまでで1番筆が進んでいたかも。ちなみに作中出てきた従者のプルリルは、ポケダン超の特別映像としてYouTubeに公開されたショートムービーに出てくる、司会者ブルンゲルの幼い頃をイメージしています。誰ええええ!?!!?!?!??
wiki本以外へ寄稿するという経験が初めてで、度重なるリテイクだったりそもそも文章量が多かったり(そこらへんの話はTwitterでさんざんナヨナヨしましたが)、ご迷惑をおかけしましたが、それも含めて貴重な経験でした。私は締め切りに間に合わせただけなのですけれど、ジャンルもポケモンのみならず即売会のたびに新刊をお出しになる主催さんのパワフルさに圧倒されておりました。参加者への謝礼としてなんかすごいたくさん頂いちゃって……エコバッグ重宝してます。
改めまして、アンソロにお誘いくださった両谷さん、並びに参加した絵師さん物書きさん、会場や通販で手にしていただいた読者の方、ありがとうございました!


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Last-modified: 2021-11-11 (木) 00:23:57
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