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波間を跳ぶ

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 バッシャーーーン!!

 激しい水柱を立てて、私めがけて飛んできた大岩が少し手前で落水した。まずはひとつ。
 そのまま水中から水鉄砲を連続で放つ。私の動きを封じようと目論まれた岩石は、2個、3個とあっけなく撃ち落とされ、大量のあぶくを吐きながら沈んでいった。
 鈍色(にびいろ)の闘気で創られた岩は惰性でゆっくりと回転しながら沈下し、海底のリップル*1を乱し砂を舞い上がらせて、弾けるように消えた。砂埃が左側に押し流されると、恐る恐る様子を窺うブイゼルの顔が現れる。
「セピア、どう? わたしの技は」
 ブイゼル――クエナの口が気泡を吐き出してもごもごと動く。暖かい珊瑚礁の海に吸収されてしまいそうな、おどおどした声。
 どう? って聞かれてもなぁ。
「うーん……全然ダメ」
「うぅっ……」
 橙色の体毛を真っ赤にして唇を結ぶクエナの眼が、控えめに私を睨みつける。技をひとつ破られたくらいで恥ずかしがてちゃ、強くなんてなれないのに。
「まさかこれで終わりじゃないよねぇ」
「……っ!!」
 奥歯を噛みしめると、右手に冷気を纏わせながらクエナは正面から突っ込んできた。それじゃ、狙い撃ちしてくださいと言っているようなものだ。
 腕を振り上げて露わになったクリーム色のお腹にロックオン。3,2,1……
「発射ッ!!」
 これで終わりじゃつまらない。ちょっと手加減して、相手の体をすこし押し戻す――つもりだったけれど。
「うぶっ!?」
 水鉄砲がみぞおちに食い込んだのか、勢いの衰えない水流に支えられながら、クエナは水面を突き破って飛んでいった。

 海面から顔を覗かせると、クエナは砂浜で仰向けに延びていた。ヤシの木陰が彼女の顔を優しくくすぐって、足元にはひたひたと波が打ち寄せる。クラブが磯の陰から吐き出した泡が、昇り切っていない太陽に透けて輝いていた。
「お昼寝タイムにはまだ早いんじゃない?」
 穏やかな呼吸を繰り返すクエナにすっかり呆れていると、遠くから足音が聞こえてきた。それはポケモンのものではなく、明らかに――
「クエナ、人間が来たよ、早く隠れないと!」
 水鉄砲をぶっかけてクエナを叩き起こすと、沖の岩陰に隠れて様子を窺う。人間は岩場に展開した折り畳みの椅子に腰かけると、気だるい手つきで釣竿を投げ、ひとつ大きな欠伸をした。
 島の西の入り江には、こうしていつも同じ人間がやってくる。ただ釣り糸を垂らしているだけで私たちに危害を及ぼさないからいいんだけれど、最近珊瑚礁で行方不明になっているポケモンが何匹かいて、人間には近づかないように、と私の群れの長であるマンタインのイカノボリから言いつけられている。けどせっかくの遊び場がとられるのに納得できず、いつも群れを抜け出して島の内地に住むクエナとバトルしているのだ。
 ちら、と人間と目が合った。
「……なんだ、テッポウオか」
 ……なんだとは何ですか。
 私はそんじょそこらのテッポウオとは違う。自分で言うのもなんだけど、美しさには自信があった。それをチラッと見ただけであの人間はため息交じりに「なんだ」なんて言ってくれて!
 ぷっつんと来た。腹の底から熱湯を噴出したみたいに顔が熱くなる。
「言ってくれるじゃないの人間の癖に! もーあったまきた、その冴えない顔面に水鉄砲ぶち込んでやる!」
「ダメだよぅ! 人間を怒らせちゃいけないって言われてるでしょ!?」
 クエナに口を押さえつけられ、私はなんとか思いとどまった。ふん、と鼻を鳴らして、見せつけるように華麗なターンを描き尾(ひれ)をしならせる。
「ちょ、どこ行くの?」
「あーもームシャクシャする! 人間なんて目が腐っているから、私の美しさがわかんないんだ! マヌケな顔して、薄汚い褐色の肌で、戦う力もなくてポケモンに頼りっぱなしで!」
「言い過ぎだよぅ……」
「クエナもクエナだよ、みすぼらしい赤茶けた毛なんて生やして! 海に住むポケモンなら青く美しくなりなさい! さもないと、あの人間みたいに落ちぶれちゃうよ!!」
「……」
 怒りで周りが見えなくなっていたんだろう、ずんずん進めていた鰭が、急に冷たさを感じ取った。気づいたときにはもう遅い、私は島の北側の、潮流の渦巻くサメハダーでも近づかないような海域に鰭を推し進めてしまっていて。
「やばっ――ホゲエぇ!!」
 鰭元をすくわれて、私は暗い海溝に真っ逆さまに落ちていった。



 波間を跳ぶ


水のミドリ




 世界はあおでできている。

 南からの暖流で温和な遠浅の、どこまでも透き通った海の(あお)。ゆるゆるとした波間に鎮座する、海藻の絡まった珊瑚礁の(あお)。水面から顔を覗かせれば見える、ヤシなどのあいまに広がる果てしない空の蒼。水鉄砲で撃ち落とした、まだ完全には熟れきっていないナナの実の青。
 どれも美しかった。私の知る限り、青は完璧な色だった。昔クエナと冒険した島の東の汽水域で、まるでサファイアのような鱗を纏ったミロカロスの雌性(じょせい)をひと目見てから、私もあんな風になれればいいな、なんて思っていた。
 けれど群れの中で進化しているテッポウオはひとりもいなかったから、私はすっかり諦めて、珊瑚礁で青く美しいものを探すことがもっぱらの日課になっていた。
 だから、目を開けたとき飛び込んできた青の深さに、鰭も動かさずにしばらくぼうっとしてしまったのだ。
「こんなところが、あったなんて……」
 珊瑚の森の海よりもずっと暗い水の中は、スコールの通り過ぎた夜空に浮かんでいるようだった。拡散するマリンスノーは煌めく星々のようで、尾鰭に感じる水温も寂しくなるくらい冷たい。海底から突き出した荒々しい岩棚が、あっという間に視界の奥に押し流されてゆく。
「あ、起きたね」
「ぶええぇ!? 誰!?」
 すぐ右隣りから響いてきた声に口から大量の水をむせ返してしまった。恥ずかしい。
 顔をそちらにやれば、ちょっとびっくりした表情の声の主が私にぴったり並んで泳いでいる。
「落ち着いて、捕って食べるつもりはないから」
 まったりとした喋り方は、その顔つきにしっくり来ていた。小ぶりの口に覗く可愛らしい牙、ぴょんと出た触角と胸鰭の内側には波模様。
 種族自体は見慣れているが、彼は群れにはいない、初めて見るマンタインだ。
「背中の吸盤*2、借りているよ。でないと君、はぐれちゃうから。僕はカイン。名前は?」
「セピアって言います。ごめんなさい私、助けてもらったうえに迷惑かけちゃって」
「いいのいいの、全然気にならないから。僕らマンタインはむしろ君たちがいないとどうもしっくりこなくてね。君がいてくれるだけで大助かりなんだ」
 群れではほかのマンタインにくっつくことはほとんどなかった。友達はみんなそうして楽をしていたんだけれど、何だかそれは美しくない気がしていた。
 けれど、彼の胸は不思議と着き心地がいい。いつまでもくっついていたくなるような……。
 カインもそう言っているし、ちょっとだけなら。
「いいん……ですか?」
「うん。それに君、急流は泳ぎ慣れていないだろう?」
 たしかに、潮の流れも分からない海洋のど真ん中で降ろされても、もとの珊瑚礁に戻れるわけがない。私は今どこを泳いでいるんだろう。きっとクエナは心配して――
「クエナ!?」
「わ、びっくりした。どうしたの急に」
「あの、私のほかにもうひとり流されてませんでした!? ブイゼルの雌の子なんですけど」
 カインは思い出すように眉間に皺を寄せて、深刻そうにうーん、と唸った。
「見なかったなあ。海底に突き刺さっていたの、君だけだったよ」
 なに、私突き刺さってたの。いや今は私の体裁よりクエナの安否だ。
「一緒に潮に飲まれたかもなんです。彼女、息が長く続かないからなおさら心配で……」
「優しいんだね。でも、この流れの中じゃどうなったかはわからない。僕には祈ることしかできないよ。結構泳いだっていうのに誰とも会わないだろう? 気を抜くと岩にぶつかったりして、ここは住みにくい所なんだ」
 ぺしゃんこになった自分を想像して、思わず身がすくむ。海底に突き刺さったのは、そういう意味では奇跡的だった。カインに命まで拾われたんだ。私を包む潮流がさらに冷たく感じられて、私はカインに体をすり寄せた。クエナもどうか無事でいてくれ。
「なんでカインさんはこんな所にいるんですか? 珊瑚礁はいいですよ。温かいし、ポケモンもたくさんいるし、何より色んな青があって綺麗なんです。私もいつか青く美しくなりたいなぁ」
 束の間逡巡した後、少しためらうようにカインは言った。
「……そうだね、僕もやることができたし、そろそろ戻ろうかな」
「やった!」
 珊瑚礁を悠々と泳ぐカインは美しいだろうな。なぜだかそんな確信があった。想像するだけでドキドキする。私は高鳴る鼓動を押さえるので精いっぱいだった。



 島を囲む右回りの還流に乗れば、まだ日の出ているうちに珊瑚礁に戻れるらしい。
 彼の胸鰭の下は収まりがよく、会話なんてほとんどなくてもあっという間だった。見慣れた珊瑚の大地が現れたと思ったら、群れはすぐに見つかった。
「おーい、みんなぁ!」 
「セピア! どこにもいないからみんな心配したんだぞ!?」
「ごめんなさい、ついうっかり……」
 なんて会話を、想像していた。しかし彼らが私を、私を従えたカインを見た途端、血相を変えて飛んできたのだ。
「カインだな。どうして戻ってきたんだ!」
 え? 群れの長のマンタインであるイカノボリが、語気を強めて罵る。
「ごめんなさいイカノさん。けど、僕進化しましたよ、ほら」
「進化してもならんものはならん。お前が群れにいると、他のものまで危険な目に合うんだぞ!」
「そう……ですね」
 力なくうつむくカイン。群れの大人たちは顔を顰め、友達のテッポウオもひそひそと話し合い怯えた眼で彼を見つめている。
「ちょっと待ってよ!」
 私はたまらず鰭元から飛び出して、イカノボリに食ってかかった。いくらなんでもそれはないんじゃないか。昔彼が何をしたか知らないけれど、群れにいるだけで危険なんてことはないだろうに。
「カインさんも、なんか言ってくださいよ。そんな弱気な態度じゃ――」
 振り返って、私はすべてを理解した。
 なんで気づかなかったのだろう、彼の体色は、群れのものに比べて深海みたいな群青に透き通っていたのだ。
 色違い。聞いたことはある。まれに通常の体色とは異なる色彩で生まれてくる子供がいると。そしてそれは人間に狙われるということも。
 彼らは高値で取引されていて、人間は手に入れるためならどんな手段を用いるかわからない。もしかすると、罠にかけて群れごと一網打尽、なんてことをしても不思議ではなかった。
 だからカインは爪弾きにされていたんだ。群れに入れてもらえず、タマンタの頃からずっとひとり寂しく青海原を彷徨っていた。親切に私を拾って送り届けても、待っていたのはこの塩対応だ。……そんなひどい!
 冷酷な仕打ちをする群れの皆にも、言い返さないカインにも腹が立った。
「なによ、なんなのよみんな黙って!」
「いいんだセピア。分かってたことだから」
「でも!!」
 取り乱す私をなだめて、カインは長に向き直った。
「今更群れに戻る気はありません。彼女のおかげでようやく進化できた*3ので、人間に捕まった姉を取り戻そうと思うのです」
「やめておけ、自ら捕まりに行くようなものじゃないか。それにお前の姉がどこにいるかわからないだろう」
「西の入り江にいる男に僕が捕まりそうになったとき、目の前で庇った姉がさらわれました」
 まさかあの非力な人間がやったなんて! しかし彼はいたって真剣な眼差しだった。
「待って、私も行く!」
 口走った途端、決意を固めたはずの彼がぎょっとして私を見つめ返してきた。
「だめだよ、だってきみ、弱いだろう!?」
「そんなことない!」
「進化もしていないで、それじゃ簡単に捕まってしまうよ!」
 進化。毎日のようにクエナと切磋琢磨して、努力を怠ってきたわけではない。したいけどできないんだ。タマンタと違って、テッポウオは一生この姿で暮らすしかないんだ。

 けど、彼と離れ離れになりたくない。一緒にいたい、進化したい。

「あっ……!?」
 瞬間、私の体が強烈な光に包まれた。
 知っている、群れのタマンタが進化するとき、突き抜けた青空みたいな光を発するんだ。ちょうどまさに今私から漏れ出ているような。
 数秒で光が収束すると、体がひと回り大きくなったような気がする。私を取り囲むみんなのはっとした息遣いが聞こえてくるようだった。
「進化、できた……!! どうカイン、これで私を連れてってくれるよね!?」
「……逞しく、なったね」
 ずっと憧れていたこの時。私もミロカロスのように美しくなれたに違いない。
 見せびらかすように優雅にその場で一回転。するとどこで絡まったのだろう、視界の端には毒々しく赤い昆布が引っ掛かっている。振りほどこうと胸鰭を動かすと、力の向きに合わせてその昆布が揺らめいた。
「えっ……」
 嫌な予感がした。ぞぞぞ、と体の奥から吐き気が込み上げてきた。
 昆布のつけ根は、私の下半身に繋がっていた。それだけじゃない、私の全身は青とは程遠く、気色悪く腐敗していた。
「いや、いや、嫌あぁぁッ!!」
 一瞬、カインと目があった。その眼はひどく悲しいいろを映していて。
 気づけば私は8本足をがむしゃらに動かして逃げていた。



 私の心はあお一色だった。哀しみの青だ。珊瑚礁の窪みに身を滑り込ませた私は、私自身が憎くてたまらなかった。
 青いラインの入った雫型の宝石は、進化して醜怪な8本足の悪魔に姿を変えていた。美しく水を切る絹織りのような鰭はすべて抜け落ち、代わりにいびつな吸盤が全身にびっしりと張り付いている。口は淫乱な雌みたいにだらしなく突き出た漏斗になって、目は老衰したように垂れ下がった。ため息には黒いヘドロのようなものが混じり、あたりの水を汚して消えていった。
 そして何より、熱水にさらされたように真っ赤になった皮膚。進化してより青く美しくなんてなれやしない、この世界に不釣り合いな目を背けたくなる色。張り付く吸盤で表面をなぞると、薄い皮がぺりぺりとめくれて思わず悲鳴を漏らした。
「もう嫌、こんなのもう嫌だよぅ……」 
 無意識に後ろの触手をほかの1本で締め上げていた。痛みなんてほとんど感じない。そのままねじるとあっけなく千切れた。切り離された触手はびちびちと悶え苦しんだ後、気の抜けたように動かなくなって波に揺られていた。皮肉なもので、切れたところから霧散する血はおぞましいほどに青かった。
「セピアいるよね? あの色違いのマンタイン、人間に挑みに行くって。大事な恋ポケなんだよね、わたし先に行っているから!」
 久しぶりに聞いたクエナの声が低く響く。無事でよかった、とか、恋ポケだなんて茶化さないでよ、なんて言い返す気力もなかった。
 カインの前に姿を現す勇気なんてない。彼と私とでは不釣り合い過ぎて、頭に思い描いただけで眩暈がした。
 もう外に出たくない。私は暗い岩壺の中がお似合いだ。

 ふと、昔ミロカロスの雌性と話したことを思い出していた。彼女も昔は、信じられないくらい惨めな姿をしていたらしい。
「またまた、冗談ですよね?」
「本当よ。進化する前は自分が嫌で嫌でしょうがなくて、生きるのを諦めようとしたこともあるの。けど醜い私を一生懸命支えてくれる弟のために自信を持たなきゃ、って思ったら、進化して美しくなれたのよ」
「そうなんですか!」
「本当の美しさっていうのは見た目じゃないの。自分が自分を受け入れているか、愛するひとに受け入れてもらえているかなのよ。あなたも大切なひとができたら、一番にそのひとを想いなさい?」
「はい!」
 愛しているひとに受け入れてもらう、か。そうだ、カインはこう言っていたじゃないか。
『――君がいてくれるだけで大助かりなんだ』
 私は狭い蛸壺を飛び出し、全速力で西の入り江を目指していた。



 この体になって唯一感謝したのは、陸地でも息が続くようになったことだ。波間から人間の網に捕らえられたカインを見た瞬間、私に流れる青い血が逆噴射したみたいに駆け巡り、反動で夕凪の砂浜に体を弾き出していた。どす、と頭から落ち2,3転して、体じゅうに砂粒をまぶしてようやく止まった。
 目があったカインが「あ」と声を漏らした。申し訳ないような、恥ずかしいような表情で視線をそらす。
「カインを返せえぇぇ!!」
 叫ぶと同時に漏斗から水の奔流を噴射する。
「うおっと!?」
 すんでのところで避けられて、人間は私に聞こえるように舌打ちした。
「……ちっ、後を付けられるなって言っただろーが! さっさと撒いてこい、クエナ」
 ……クエナ?
 言葉とともに忌々しく投げつけたボールが弾け、凝縮した光の中から現れたのは、よく見慣れている橙色の体毛。けれどそれは最後に見た姿よりも一回り大きくなっていて。
「なんで……」
「セピア。今朝の決着、つけよう?」
「なんでアンタが、人間に捕まってるのよ……?」
 普段のびくついた笑顔の裏に暗い影を宿して、進化した親友のフローゼルは立ちはだかっていた。
「違うよ。わたしは元々師匠(せんせい)のポケモンなの」
 いつも聞いているはずのクエナの声が、私の心を突き刺してかき混ぜる。遅れて理解し始めた頭が、それを拒むようにずきずきと痛んだ。
「ずっと騙してたの……?」
「そうだよ、ずっと、友達のフリしてた。青いものをきれいきれいって言ってるセピアを、内心ずっとバカにしてた」
「……知ってたのね。私が進化したらこうなるって、知っててバカにしてたんでしょ!」
「もちろんだよッ!!」
 クエナが叫んだ。牙を剥き出し見たこともない形相になっていた。
「わたしのことバカにするなら耐えられたけど、師匠をけなすのは許さない! 今日限りで友達ごっこは辞めさせてもらうね。でも、セピアにしては上出来だよ。あの時ミロカロスに逃がされたタマンタを連れ戻してくれるなんて!」
「カインっ!! 彼をどうするつもりなの、彼を返して!!」
「嫌だね! 師匠の教えてくれたこの技でセピアの動きを封じて、愛しの彼が連れ去られるところを見せてあげる!!」
 叫ぶと同時に、クエナは腕を地面に突き立てた。私めがけて無数の瓦礫が崩落する。進化して威力が増したとはいえ今朝撃ち落としたのと同じ技、こんなもの。
 前方から飛来物6つ、ロックオン――
 ――できない。
 震える口から噴き出した水砲は、どれも命中することなく的外れな位置に着弾した。
「きゃあっ!!」
 砂を吹き上げ、咄嗟に身をかがめた私を巨岩が取り囲んだ。もがく彼を押さえつける人間が向こうに見えなくなる。
「そうやって岩の中に身を潜めている方がお似合いだよ!!」
 そうだ、醜い私なんて出てくるべきじゃない。散々クエナをバカにしてきた私は、ひどく狭量で矮小な存在だ。いっそ消えてしまいたい。
 それでも。腕に冷気を纏ったクエナが跳んで、岩の隙間から人間の持つモンスターボールに彼が吸収されるのを見たとき、頭がからりと晴れた。
 心は大シケで荒れ狂い身体は熱を帯びているのに、照準だけはぴたりと合った。
 これを外したら、もうカインは戻ってこない。
「当たれえぇぇッ!!」
 渾身のハイドロポンプは、人間めがけて一直線に飛んでいく。はっ? と間抜けな声を漏らして奴は吹き飛んでいった。
 あ……当たった。
「師匠ぇ!?」
 ヤシの木の根元にぐったりと項垂れた人間に駆け寄り、クエナはしきりに声をかける。
「――ッ何やってんだ、さっさと捕まえろッ!!」
 落ちたボールが弾けカインが輪郭を取り戻した。大きく飛び跳ねて私を包む岩に鰭を叩きつけると、割れるように消えたそれらの奥から私を拾い上げ、勢いの衰えぬまま砂浜を数回バウンドして、浅瀬に身を滑り込ませた。
「セピア、ぼーっとしてないで逃げるよ!」
「え……あ、クエナごめんね、今までごめんなさい!!」
 許してもらえないと分かっていても、私はそう叫んで海に跳び込んだ。



 進化しても大した素早さは出ず、泳ぐクエナの影が後ろにずんずん迫ってくる。
「だめ、このままじゃ、追いつかれちゃう!」
「振り払うよ、しっかり捕まって!」
 言われるがまま彼の体に触手を絡みつかせると、あろうことか彼は急ブレーキをかけた。え、と言葉を漏らしつい後ろを振り向くと、すぐそこまで追いついたクエナが岩を打ち込んでくるところだった。
「逃がさない、ふたりまとめて仕留めてやる!」
「カインどうしたのねぇ、ねえってば!!」
 降り注ぐ粗岩が彼の尾鰭をかすった瞬間。彼の幅広な体がしなり、爆発的な加速を生んだ。

 跳んだ。

 ざばっ、と水面を突き破ると、彼は胸鰭をヨットの帆みたいに大きく横に張って、風を切った。
「な……」
 空を泳いでいた。
 海面ギリギリを、まるで天を舞うレックウザみたいに。全速力で。
 彼の広い背中に何とかしがみついている私の顔に、潮風が吹きつける。吸盤がなかったらひとたまりもないほどの暴風に、私は天に祈るばかりだった。
 どうか振り落とされませんように。
 どうかクエナから逃げきれますように。
 どうか、この時間が永遠に続きますように。
「目、開けてみて」
「えぇっ!? 聞こえないよ!」
「目を開けて、前を見て!」
「無理だって、すぐ乾いて痛くなる!」
「いいから!!」
 彼が珍しく語気を強めるから、私はおそるおそるまぶたを持ち上げた。そこには。
「……うわぁ」
 真っ赤な太陽が、海を照らしていた。
 夕陽を見たのは、もちろんこれが初めてじゃない。けど、海の上から眺めたそれは、どこまでも美しかった。
 紅と黄金に輝く大真珠から海面に伸びる光の柱は、私たちの航路に絨毯を敷いたみたいだ。幻想的な雲の切れ間から薄い光の帯が漏れ出して、ずっと後ろへと続いている。それはあのミロカロスがすっと伸びた眼の上の飾り毛を揺らして微笑んでいるようで。そのまま振り返れば、西陽を受けたビーチの砂粒がまばゆく反射して、クラブたちの吐き出した泡が茜色に輝いていた。
「……」
 言葉を失くした私に、彼はそっと囁いてくれる。
「赤色も、悪くないだろう?」
「……うん、ほんとに」
 どぼん。揚力を失った彼の体が、白波を立てて海に潜った。乾いた7本足の体に、だんだんと冷たくなってきた青が染みる。もうクエナは追ってこなかった。それでも彼は翼を広げ空を跳んだ。
 再度現れた景色に、私はただ目を細めることしかできない。
「……はは、あははは。海、綺麗ね。空も綺麗。波も雲も島も、こんなに綺麗なものだったなんて」
「君も綺麗だよ」
「……え。」
 告白、だよね、今の。やった、でも、なんで。
 どぼん。ざばっ。今度の跳躍は、さっきよりもいっそう力強かった。
「ほんとはね、僕が進化したら、珊瑚礁に寄らずにすぐあの人間に挑むつもりだったんだ。でも、できなかった。心のどこかで君のこと、危険な目に合わせられないと思ってたんだ。それで、君が進化するまで待とうとした。……ずるいよね、そうすれば君は自然と僕から離れてくれるって知ってて。でも、それくらい、君の存在は大きくなっていた」
 彼が口をつぐむと、夕暮れの海は静かだった。あんなにうるさかった潮騒も止んで、ぴったりとくっついている彼の鼓動が聞こえてくる。とくん、とくん、温かい。規則的なリズムが、私を落ち着かせてくれる。夕陽は眼が眩むほど鮮やかで、きっと私も同じくらい赤くなっているんだろうな、なんて思っていた。
「助けられて、自分がふがいないなと思ったけど、それ以上に苦しんでいる君を何とかしてあげたくて。今の君がいなきゃ、僕は戻ってこられなかっただろう。これでよかったんだと思う。姉さんならきっと、大切なひとを一番に想いなさい、って言ってくれる気がするんだ。好きだよセピア、大好きだ」
 激しい潮風はかえって好都合でいてくれた。海水よりもしょっぱい雫が目から溢れて、どんどん吹き飛ばされてゆく。
「私も、私を好きでいてくれるあなたが、好きよ」
 どぼん。ざばっ。どぼん。ざばっ。繰り返す跳躍は、青い海と赤い空をひとつに縫い合わせ、天女の羽衣を織っているようだ。遠くに連なる波の(あや)には、ふたつの色を混ぜ合わせたような淡い紫紺が滲み出ている。
 青だけじゃない、どんな色だって美しい。それを受け入れてくれるひとがそばにいるなら。
 私が愛する彼も、彼が愛してくれる私も、師匠と呼ぶあの人間に愛されたクエナだって、みんな美しいんだ。
「君は、自分で思うよりもずっと、美しくなった」
 私はもういちど、彼の体をぎゅっと抱いた。このままずっと、世界の海と空を縫い合わせるまでずっと跳んでいける。そう思った。





 



あとがき

 当初はマンタイン♂の官能作品の予定でした。
 と言ったら感動が薄れてしまうでしょうか。でもいいや、書きます。
 エイやサメ類が交接器を持つことは有名ですが、臓器の進化を扱った新書で「マンタは雌に体を巻き付け、抱きつきながら交尾する」と書いてあるのを読んでから、こいつはいつか使える! と思っていました。
 結果、官能が苦手なゆえに書くことはなくなってしまいましたが、ラブラブなのはイイですよね。エイは愛咬癖もあるみたいなので、ちょっとエロい人、そこらへんよろしくお願いします。
 ……え? 言い出しっぺの法則? いやいやいや、思い入れのあるセピアとカインにそんなことさせられませんよ!
 とまあ、紆余曲折あって主人公はオクタンになったわけですが、原作でオクタンをパルレしてみたことはありますか? 思いのほかに可愛いですよ。セピアの想いに感動してくださった方はぜひやってみてくださいね。

 普段私は短編ばかり書いているので、1万字は十分すぎるくらいの分量だ! ……と思っていたのですが。書き始める前に決めていたプロットが全く思った通りに行きませんでした。
 物語の軸になるのはやはり「テッポウオ→オクタンへの進化」と「テッポウオとマンタインの恋ポケ関係」ですが、それを盛り上げるためにいろいろ詰め込みすぎました。6000字を超えたあたりから収まらないと気づき、慌てて削った要素もいくつかありました。
 今でもクエナの裏切りとかカインの色違い設定とか、不必要だったんじゃないかと思っています。削る力が必要ですね。けっきょく文字数きっちきちの作品になってしまい、投稿締切日前日に連絡板にて文字数カウントの確認を取ったり、見苦しいところをお見せしてしまいました。
 正直投稿した後も「またわかりにくい文章を書いてしまった……」と猛反省していたのですが、どうにか評価していただけたようです。ありがとうございます。
 結果、3票獲得で同率3位。大会に作品を出してきて4度目にして初めての上位入賞でした。いままでは自分の「書きたい作品」ばかり投稿してきましたが、これからはちょっとずつ皆さんの「読みたい作品」を書けるようになればいいなと、思っています。



以下、大会時に頂いたコメントに対する返信です。

・ 進化したマンタインの彼の鰭に抱かれて、共に空を飛ぶテッポウオの彼女、というラブストーリーは僕も以前から思い描いていました。オクタンへの進化に夕陽の色を添えて、非常に美しいラストカットだったと思います。
(2015/09/20(日) 12:00)

 ……私が先に書いてしまいましたね。もともとマイナーですから彼らがフューチャーされた作品はWiki内を探しても見つかりませんでした。ぜひ私が挫折した官能をお願いしたいものです。
 テーマを「跳」としたときに真っ先に浮かんだのがマンタインとテッポウオの跳ぶ姿でした。よしこれだと思いストーリーを練ってみたのですが、いかんせん面白くならない。
 なんというか、ラストカットには普通過ぎたのですよね。マンタインがテッポウオを抱えて跳んでもそれは簡単に想像でき、読者様が思い描く最後の絵としてはあまりに弱すぎる。
 そこでテッポウオに焦点を当ててみることに。進化させてみると、波間を跳ぶシーンが鮮やかになりました。そこまでにどういう物語があるか練っていたら、プロットは右往左往することなくこうなりました。長すぎてカットしたのですが。


・美しいと思ってたはずか、そうでない姿に変わってしまう。その姿を褒めてくれる存在というのは、いいものですね。オクタンの、夕日のような美しさにあてられて告白するというのも素晴らしいです。これからも、マンタインにとっての太陽でありますように。 (2015/09/21(月) 10:10)

 カインの姉奪還作戦は失敗に終わりましたが、それよりも大事な存在に気付くことができた、という展開が、じつは一番不安な要素だったりします。
 というのも字数の関係上カインと姉のミロカロスの描写を入れる隙間がなく、ラストシーンに関わる重要なファクターを読者様に丸投げするといういつもの不親切な悪い癖が出てしまったので、ミロカロスを諦めたことに納得できないひとも多くいると思います。
 けれど、どうにか伝わったみたいですね。カインもセピアも大きな壁を乗り越えて結ばれるという私にしては珍しいハッピーエンドな作品でした。これからも変わらぬ彼らの幸せを願っていてください。ありがとうございます。


・夕日の描写や海の描写がとても美しかったです。描写や設定がテーマにちゃんと沿っていてよくできたお話だと思いました。しかしなんでオクタンって茹で上がった後の色をしてるんでしょうねw (2015/09/21(月) 19:11)

 しつこいくらいの風景描写が気に入ってきただけで何よりです。私にはそれくらいの武器しかないので、力を入れて描きました。
 たぶんオクタンを初めて見るひとは茹で上がったタコがまさか鉄砲魚から進化するとは信じられないでしょうし、それがこの作品のモチーフでもあります。それにマンタインとの公式カップル設定をどううまくつなげられるかがキーでした。
 テーマを知らずに最後まで読んだら「青」とか「進化」とかになるかな、って読み返して思いましたが、まあ、初めは「跳」で作っていたので、許してほしいです。オクタンの「跳」躍した姿の変化がテーマですね(今考えた)。


 コメントして投票してくださったお三方、読んでくださった読者様、ありがとうございました。これからもお付き合いください。



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*1 漣痕とも。規則的な水流が海底に作る砂の波模様のこと。
*2 モデル生物であるコバンザメの頭部背面には小判型の吸盤があり、これで大型のサメやクジラ、エイに吸い付き、えさのおこぼれや寄生虫を食べて暮らす。
*3 進化条件は「手持ちに一緒にいる状態でレベルアップ」である。

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Last-modified: 2015-09-24 (木) 00:56:32
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