眠気に襲われる時、人は眠気に抗うか抗いきれずに意識を手放すかの二択がある。
単語だけで見ればひとつの意味しか持たない言葉だが、その内面はとても複雑なもので形成されている。
泡沫の夢を見せる浅い眠り。
夢を見ている自覚もなく泥のようにへばりつく眠り。
望めば夢の中から抜けることなく、永遠の眠りにつくこともできるのだろう。
だが悲しきかな、意識とは思うようにはままならぬものである。
どれだけ眠りに入ろうが生き物は必ず覚醒するし、人も例外ではない。
覚醒に至る時は決まって毛布越しに忍び寄る冷気の手であり、今日もまた冬の一日が私を現実へと引き戻す。
わずかに残る温もりをかき集めるように毛布を抱き寄せつつ、枕元にあるスマートフォンを手探るも手がかりはない。
可動域を広げてみるも効果はなく、仕方なしと腕を支えに上半身を起こす。
ずり落ちた部分をすかさず冬が抱擁し、気乗りのしない挨拶を交わしながら目当ての物を探す。
先程までの苦労は何だったのかと呆気なくそれを手掴み、画面上に指を走らせる。
起動音の後にロック画面、時刻はいつもの起床時間。
どれだけ早寝や遅寝をしようが必ず決まった時刻に目が覚めるのは数少ない僕の特徴とも言えようか。
目覚まし要らずなのはいいが、平日休日問わず繰り返される為に妙なところで融通が利かない。
ここまでくると体質というよりは呪いと言っても過言ではなかろう。
夏ならば窓辺から薄暗く差す日時計が見えただろうが、冬となれば未だ夜が続く曖昧な時間帯で、こうして時刻を確認しなければならないのが酷く億劫であった。
目から入る電子の光が脳を強制的に覚醒に切り替えていくこの感覚もあまり好きになれない。
週末の始まりである曜日を確認し、今日は休日モードになってもいいと自分の脳に語りかけるのだが、冬の抱擁と電子で焼き付いた目が完全にその気を失くしていた。
やるせない気持ちに嘆息しつつベッドから降りようとした所で軋みとは異なる物音が響く。
サイドランプを点け、傍らに視線を移すとドアの隙間から雪が此方の様子を伺っている。
空から降り積もる雪は好きではないが、文字としての雪は好きだ。
色もさることながら組み合わせの多様さがとても美しく、目前の兎もその例にあたる。
雪兎。
たったこの二文字だけでそれがどういうものなのかが分かる。
「おはようエースバーン。そんなところで何してるんだい?」
中へ入っておいでと手招くと輝く笑顔が張り付き、冬の日時計が差してきた。
そのまま僕の下へ伸びてくるかと思えば、途中で思い出したかの様にドアを閉め、日時計ではなく雪兎が膝上に飛び乗った。
頭を撫で擦りながら暫く無言のコミュニケーションを堪能する。
頭頂部、耳の根本、頬、鼻筋、瞼、模様に隠れて分かり辛い髭と毛の強弱、口筋、顎下。
ずっとそうして続けていたいが、僕が兎を抱擁するように冬もまた僕を抱擁し続けている為、時折身震いが走る。
そろそろ居間へ移動しようかと身動ぐと何故かそれを兎に阻まれた。
もっと撫でてほしいのかなと頭に手を置いて擦るが、またも同じ繰り言になる辺りでどうやらそうではないらしい。
「どうした?」
何がしたいのかを訊こうとすると、兎は僕の体を押し倒してベッドに寝かせ、剥がれた毛布を不器用に引きずりながらも掛けてくれる。
勢いで足側の部分が捲れてしまっているのだが、あえて触れずに見守っていると自信満々に嘯いた。
何故かは分からないが、僕はもう少し寝ているべきなのだろう。
ベッドに顎を乗せてこちらを見守る兎と視線を交わしながら頬から伸びる毛束を弄ぶ。
暫しの時を揺蕩っていると兎の瞼が徐々に降りていく。
何となく撫で続けているのが快感なのだろう。気持ち良いと眠くなるのはどの生き物も共通事項である。
「一緒に寝る?」
毛布を軽く上げ、一匹分が潜り込めるスペースを作ると兎は先程までの眠気は何処に行ったのか、見ている方が眩しい笑顔を振り撒いて僕の胸元に潜り込む。
二重に軋む音を響かせながら一人と一匹の手頃な収まりを模索する。
静寂が戻り、胸元に顔を埋める兎の呼気が寝間着越しにも伝わる程に密着される。
そんなに密着が好きならもう少し寄せてやろうと腕を兎の腰に回して抱き寄せる。
弾みで触れた兎の尾は忙しなく揺れ、ふと悪戯心が湧いて指の合間に尾を通し込むと、不意打ちにわななく兎と視線が合った。
構わず掌の中で踊る感触を楽しんでいると視線を恥じたのか、顔を胸元に埋め直していく。
次第に落ち着く尾へ指間はそのままに指先を器用に使って表面をなぞりたてていく。
尾の裏側や軟骨の感触等あらゆる感触を堪能していると突如胸に痛みが走り、反射的に胸を引くとこちらを睨む兎の鋭い眼差しが刺さる。
流石にやり過ぎたと反省。
「ごめんごめん、分かった、ちゃんと寝るよ」
改めて兎を抱き寄せ、ランプを消して瞼を閉ざす。
二つの鼓動。
二つの寝息。
二つの体温。
二つの命。
冬が呆れて抱擁を止めた頃には、それらは一つの形に溶けて混ざりあい、夢の旅路の冒険へと繰り出していた。
時刻は一時間前に遡る。
兎が眠りから目覚め、全身のバネを伸ばしながら廊下を徘徊していた時である。
ダイニングキッチンから聞こえる話し声から自分よりも早起きしている姉妹の存在を確認する。
顔だけを覗かせるとやはり思った通りの姿がそこに見えた。
「インテレオン、ゴリランダー、もう起きてたのか?」
早起きだなと挨拶とともに嘯く兎に姉妹も同じ言葉を返した。
「こんな朝早くから何してるんだ?」
「おはようエースバーン、ちょっと料理をね」
「ほえー、珍しいことしてんなー」
「今日は特別な日だからね」
「特別な日?」
何かあっただろうかと首を傾げる兎へ大猿が手招き、側へ寄るとカレンダーの日付を指差す。次いで小物入れから取り出したカードケースを見せる。
中には主人のトレーナーカードが入っていた。
「んー? どういうこと?」
「日付」
「日付……あっ」
頭を上下に動かして何度も見比べる兎に姉妹はそっと頷く。
「今日マスターの誕生日じゃん!」
「そういうこと。だから料理に勤しんでるんだけどね……」
「これが思ったより難しい……」
蜥蜴の横から覗く大量の失敗作に姉妹の苦労が伺える。
「大変だな……オレも手伝うぜ」
「「えっ」」
「えっ?」
蜥蜴と大猿が瞬時に視線を見合わせ、何かを悟ったかの様にアイコンタクトを送り始める。
「何だよ、人手は多い方がいいだろ?」
「エースバーン、お前に重大な任務を任せる」
「任務?」
「私達姉妹が三匹揃っても多分この料理を完成させるには時間が足りない」
「そこで君にマスターの足止めをして欲しいのさ。僕とゴリランダーが料理を完成させる時間稼ぎをね」
「なるほどなー。良いぜ! どれくらい稼げばいいんだ?」
「そうだね……こちらもなるべく急ぐけれど、猶予は多ければ多いほど余裕が生まれる」
「可能な限りでいいから引き留めておいてくれ。何だったら一緒に寝てていい」
「ええっ、オレも作りたい」
「これは重大な任務だと言ったぞ。これを遂行できるのはお前しかいない」
大猿が兎の両肩を掴み、真摯な眼差しを向ける。
蜥蜴にも視線を向けると「頼んだよ」と頷いたきりでキッチンへ戻ってしまう。
「しゃーねーなー。フリフリしたエプロンつけてる所もうちょっと見ていたかったんだけどな」
「すまないね、これ二人分しかないんだ」
「ちぇっ。じゃあ行ってくるからよ。とびっきり旨いの作ってくれよ!」
「うむ、任された」
「じゃあ行ってきまーす!」
言うが早しか軽快なステップを踏みながら兎が二階へと続く主人の部屋へ向かうのを確認すると、安堵からか姉妹が重い溜め息を吐く。
「危ないところだった……ナイスだよゴリランダー」
「エースバーンには悪いが、適材適所というものがある」
「あの娘とんでもなく手先が不器用だからね……」
無言の頷きが重なるのを当の本人はいざ知らず。
兎が主人の部屋前に辿り着くもその扉を開けるのに四苦八苦しているのであった。
数分間の格闘により、どうにか兎が扉を抉じ開けることに成功すると、暗闇の中から此方を見つめる眼差しが見えた。
主人は目が弱いのかあまり夜目が利かなく、暗い所では光を灯して周囲を確認する癖がある。
「おはようエースバーン」
たった今目覚めたばかりらしく、ベッドから降り立とうとしている様が確認できた。
どうしようか手をこまねいていると主人の方から部屋に入っていいと合図を出してくれる。
チャンスだと理解したのか急ぎ足で駆け寄る所で冷静にこれからすべきことを整理する。
自分がやるべきことは主人の足止めであり、一階の姉妹達の動向を悟られてはいけない。
そうなれば扉を開け放しておくのはまずい。物音や異臭などを嗅ぎ付けて主人が部屋から出てしまうかもしれない。
危ない危ない。
主人の誘惑に負けて本来の目的を疎かにするところだった。
深く反省し、扉を閉めようとあの手この手を繰り出してやっと成功する。
できれば鍵も掛けたかったけれど兎の手では無理があった。
大人しく諦めて次の成すべきことに取り掛かる。
主人の下へ詰め寄り、さぁここから主人を動かさないぞ!と意気込んでいると唐突に頭を撫でられた。
主人は何かとあればすぐこうやってオレを撫でにくる。何でだろう。
別にそれは嫌いじゃないし、気持ちいいからもっとして欲しいのでなされるがままに身を任せた。
それにしても今日は何だか長いなぁ。
あんまりこうしていると眠くなってしまうので、任務の遂行に支障が出る。
そればかりは避けないといけない。
そんな風に油断していると当の本人が立ち上がろうとしている素振りが見えた。
だめーーーー!
ここは通さないと必至に妨害しているとまた頭を撫でてくれた。
気持ちいい。
主人が立ち上がろうとする。
だめーーーー!
訳も分からず妨害に勤しむ兎へ主人が何なのか訊ねるが、それを説明したら意味がないのでどうすべきか考えあぐねていると、姉妹の言葉を思い出した。
そうだ、一緒に寝てしまえば主人も下手には動けないはず!
思い立ったが吉日、主人をベッドの上へ戻して横に並べ、毛布を引き戻そうとここでも悪戦奮闘の結果が伺えた。
なんとか主人をその場に留めることに成功し、安堵の溜め息を吐く。
後は見張っているだけの仕事である。楽勝だね!
なんだけど、主人は横にはなれど一向に目を閉ざさない。
そればかりかずっとオレの頬を弄ってくる。
もしや此方の思惑を感づかれているのだろうか。
どちらが先に寝るかの勝負になっている。負けない。ここで負けたらオレは立ち直れない。
「一緒に寝る?」
必至に眠気に抗っていると主人からの思わぬ誘いに迷うことなく肯定する。
チャンスがあれば即掴む。それが罠であってもだ。
迷えば破れる。突っ込むのがオレの信条である。
主人が作ってくれた空間に遠慮なく潜り込み、全身を密着させて主人の動きを余すことなく把握できるポジションにつく。
しっかりと寝間着を掴んでこっそり離れないように対策を実施したのでこれでうっかり寝落ちしても心配はいらないはずだ。多分。
やや迷うところがあれども自分の判断を信じようと決意を重ねたところで唐突に主人に抱き寄せられ、密着度が強くなる。
同時に尻尾に主人の掌を被せられ、これまでに体感したことのない不思議な感覚に心がざわついた。
主人を見ると視線が重なる。目で掌を退けてくれるよう威圧するが、一向に改善が見られない。
どうにも主人は私達姉妹に対して鈍感な一面が強すぎる。
諦めて波が過ぎ去るのを堪えようと胸元に頭を深く埋める一方、主人の手練手管な技法が尻尾をあれよこれよと弄んでいく。
快感が快楽に染まり、ピークに達する手前で津波に堪えるべく手近の物に噛みついた。
それが奏を成したか主人の反応と反省の言葉からひとまず安堵する。
然しながら消化不良に終わってしまった昂りはそのまま燻り続け、主人が寝息を立て始めるも兎は暫くもやもやとした感情に踊らされた。
主人は器用で優しいが手癖が非常に悪いのが時に困り者であった。
完全に夢の中に旅立った主人の胸に強く頬を押し付け、心の中で悪態を吐く。
──マスターのばか。
後書
実は本日は私の誕生日であり、同時にポケモン小説wikiにデビューした日でもあるんですよ。
普段は今日は誕生日であることを仄めかしたりしないのですが、気紛れで呟いてみたら思いの外多くの方々に祝われましてですね。
年甲斐もなく嬉しくなっちゃったので感謝の言葉の代わりに新作を即日執筆しちゃいました。
祝ってくれてありがとね。できればコメントも頂けるとモチベもあがって新作投稿率があがります。
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