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有害な正しさ

/有害な正しさ

 作者:逆行



 小ぶりなスバメが、藍黒の翼をはためかす。今し方まで囀りで、森の壁龕を暫時煽っていた。少し経ってキャタピーが、木枝の上をのそのそ前進するのが見えた。安堵の表情を浮かべていた。また少し経って、青色の蔓で覆われているモンジャラが、散歩の最中にこっちを、名状しがたい眼差しで一瞥してきた。何も述べず、そそくさと通り過ぎていった。一体、何を考えていたのか。
 風が吹いた。指揮者に追従するが如く、青々とした葉を身に付けた木々が一斉にざわめいた。木々の影は絶えず交錯し、嘗て見た巨大な竜の影のように、うねうねと不気味に変化していた。一方で、夏の気勢溢れる太陽の生産物が、木々の隙間を掻い潜り、地上まで行き届いていた。今日は極めて、良好なお天気だ。
 だが、私の心は晴れではない。どころか、徐々に乱層雲が増していくばかり。雲量の増加に比例して、現在進行形で描き進めている絵は、どんどん歪んで見えていく。良からぬ状態になった。自分の絵に対して、絶対的に凄いという自負心。それがないと、私はこなしていくことが、からっきし駄目になってしまう。
 気を取り直す。もう景色は見ない。心を無にする。するとどうにか、前進した。出張していた集中力が、次第に帰宅してきた。この絵を描き始めてから、早三週間。近々で終わりたい。私は、焦燥感に苛まれていた。
 自分は、共通の性質を持ったものしか、絵画できなかった。違う種類は、無理だ。手の感覚が、蘇らない。それは、傍から見て不都合なこと。けれども昔の私は、これを悪いことだと思わなかった。何故なら、この手のものだけが、正しい絵だと信仰していたから。それ以外は、全て偽物だと毛嫌いしていたから。この考え方から生まれた問題行動で、現在色々と応酬を受けていた。
 それなりに順調。今日中に完成するだろうと安堵。だが、その快調なリズムを、容易く崩す事案が発生した。不意に、急に、前触れもなく、私を罵倒する幾多の声が、聞こえてきたのだ。下手くそ。もっと速く進めろ。誹謗中傷は、容赦なく増殖していく。時折、笑い声がセットで飛んでくる。反射的に耳を塞いだ。ところがそれらは、悠々と両手をすり抜ける。鳥肌が立つ。冷や汗が滝のように溢れ出る。 
周りを見回すが、誰もいない。
 もう駄目だ。私は、付近の川に走った。尻尾を水に濡らし、パサパサにならぬよう念入りに洗った。絵も絵立ても、その他諸々の道具も、全部片付けた。
 他のドーブルとは、疎遠な場所。そこで私はひっそりと暮らす。そこは、食べ物が少なく、日差しも当たらない。危険な場所ではない。でも、やはり寂しくは感じる。
 悪魔の囁きは、今もうっすらと耳に入ってくる。さっさと帰宅すべきだ。私は立ち上がった。そのとき、首にぶら下げた白い鈴が、透き通った音を響かせた。
 途端に私は、恐怖を忘れた。さっきまでの、頭が掻き乱される程の恐怖を。当然罵倒は聞こえない。そして、体内に優しい暖かみがじわり。ああ、気持ちが良い。
 赤い汚れが付着しているこの鈴には、不思議な魔力があった。この鈴の音が耳に届くと、著しく癒やされる。理由は分からない。プラシーボかもしれない。
 でも、例え癒されなくとも、私がこの鈴を捨てることはないだろう。あの人から貰った、大切な物なのだから。
 私は、彼が大好きだった。あの人は本当に、良い人だった。だから、あんな悲劇に見舞われなくても、絶対にいい人である筈だった。
 あの人の魂は、まだこの鈴と共にある。なんて、些かありきたりな夢想をしているが、しかし全然、恥ずかしくない。
 

 あの人とは、過去に私のトレーナーだった人だ。私は捕まったその日から、この人はいい人だと実感していた。目の透き通りを確認したから。今は亡きお父さんに、目が透き通っている人間に悪い人はいない、その人になら捕まっても大丈夫だと、子供のときに幾度となく言い聞かせられていて、いつまでもそれを信じきっていたから。数日時が流れて、信用して良かったと私は笑顔になった。
 あるとき主人は、白い鈴をくれた。その鈴の名前を教わった。紐にくくり付けて、首にぶら下げてもらった。すると、どうだろう。心が自然と、透き通っていったのだ。そして、こんな魔法がかかったような、素敵な道具をくれた主人を、更に更に好きになった。この人に、ずっとついていこう。心からそう決意した。
主人は、絵に描いたように優しかった。瀕死状態になったとき、一週間も経たないうちに回復してくれた。バトルで敗北したときは、手をあげて怒ってくれた。火傷を負ったときは、治るまで見守ってくれた。好きになる要素なら、いくらでもあった。
 愛情に包まれれば、恩返しをしたくなる。それは、極々普通のこと。私はバトルでは、そこまでの活躍は見込めない。じゃあどうする。ドーブルだから、絵で恩返しすればいいのだ。
 主人の嗜好を、徹底的に調べた。明るいものが好きなのか。暗いものが好きなのか。シンプルなものが好きなのか。奇を衒ったものが好きなのか。風景が好きなのか。人物が好きなのか。何を善だと思っているのか。何の正義を信じているのか。
 ボールから出ているときはもちろん、ボールの中からも注意深く観察した。それは容易ではない。なんとか推測したり想像で補ったりして、だいたいこうじゃないかという仮説を立て、その仮説が正当であるか地道に確かめた。
 全ては主人を喜ばせるため、必死だった。
 主人の嗜好を、おおよそ把握した。早速、調査した内容を元に、一心不乱に作業する。
 完成して、いよいよ披露。最初は、声をかけても相手にしてくれず、その晩延々涙を零した。それでも、しつこく挑戦を続けた。そして、遂に振り向いてくれた。
 果たして、主人の反応は。結論から言うと、大成功だった。微笑んでくれた。そして、心が癒されると言って、頭を撫でてくれた。
嬉しくなって、無邪気に飛び跳ねたい衝動に駆られた。更に頑張って描いた。主人が嫌いな思想に対する風刺も、理解をしていないながらも、ちょっとずつ取り入れてみた。主人はくすっと笑って、苦笑いを浮かべながら、よくやったと褒めてくれた。
 また主人を絵の中で、「いじる」という行為も試みた。主人は、顔のホクロが大き過ぎることに、コンプレクスを抱いていることを覚えた。そこで、主人の似顔絵を描くときに、あえてホクロを大げさに、指の爪ぐらいに巨大化させたのだ。それを見た主人は、馬鹿やろうと暴力を振るいながら怒ったが、けれども笑っていた。その笑顔は、奏功を表していた。
 暫くして、私の中に変化が訪れた。絵を描くこと事態よりも、主人が喜んでくれることの方が、ずっと楽しいと感じるようになった。もはや、主人が喜ぶ以外のものを制作することに、価値を見いだせなくなっていた。
 楽しい日々は、あっという間に過ぎていった。主人は、構ってくれないこともあったが、それでも機嫌が良いときは、私の絵を、念を入れて眺めてくれた。私は、幸福に包まれていることを悟った。
 だが。
 そんな、満ち足りた日々は、これ以上ない幸せな日々は、豪雨の最中に起こる土砂崩れの如く、一気に崩壊することになる。私達だけの幸せの空間は、容易く埋没されてしまったのだ。
 ある日突然、あの人は交通事故で、この世から去っていった。
 ボールの外から、突如豪い音がした。何事だろうと、私は勝手に飛び出す。眼前には、あまりにも衝撃的な、それこそ絵の中の世界に迷い込んだと思い込みたくなるような、悲劇的な光景が広がっていた。
 悲鳴すら、満足に出なかった。主人が、血だらけで横たわっている様子がすぐ眼の前にあるが、私の喉が惨劇を受け入れ終えなかった。隣にはトラックが止まっていて、周囲には人だかりができており、女の人が私の代わりに金切り声をあげた。主人の血が、コンクリートを伝って私の足を汚した。その真っ赤な液体を、束の間ぼーっと眺めていた。パトカーのサイレンが鳴り響く。それ以後、記憶がない。気がつくとボールの中にいて、首にぶら下げていた鈴が赤く染まっていた。
 その後私は、主人の実家で暮らしていた。そこには、大事な人の影すらなかった。三日経ってもなかった。そこで初めて実感する。主人には、会いたくても会えないのだと。絵を描いても、喜んでくれる人がいないのだと。紛れもないその真実は、胸の中に容赦なくなだれ込み、五臓六腑をしっちゃかめっちゃに掻き乱し、最終的に心底深くへ沈み込んで、暴走するための確かな火種となった。 
様々な物を壊そうとした。花瓶を何個か割った。破片で指から血が出たが構わない次はガラスを……。
 と、そのとき主人の親が、慌てて喰い止めた。ボールの中に入れられた私は、そこでようやく我に帰った。
翌日、黙って家を出た。


 歩いて、丸一日かかった。
 生息地に帰還した私を見て、仲間達は歓喜した。私の心は晴れる筈もなかった。
 野生に帰ってからも、絵は描き続けていた。他にやることがないし、それに絵画することを止めてしまったら、主人との思い出が消え去ってしまう気がしたから。
 私はもう、主人が喜ぶ絵しか、描けなくなってしまった。更に、いつの間にか、私の価値観も変わっていた。この種の絵が、一番いいと考え始めてきた。これが正しい絵の姿だ。何故なら、あの神様のような主人が喜んでくれたから、だから絶対に正しい。そして、それ以外の絵は劣っている。
 もう暴走するようなことはなかったけれど、私の心は平穏ではなかった。時折、あの事故の記憶が思い起こされた。私は激しく悶絶し、頭を抱えて座り込んだ。特に、首にぶら下げていた、血がべっとりついた鈴に目が移ると、色と匂いつきで鮮明に思い出してしまう。この鈴は、捨ててしまった方がいいと悟った。川へと向かった。首から外して手に鈴を握りしめた。が、後寸での所で思いとどまった。号泣しながら私は、愚かな行為をしようとしたことを恥じた。
 だたもう、逃げるように絵をひたすら描いた。描くことに没頭している間は、少しは落ち着くことができた。そんな私を、仲間たちは訝しがった。私は何も答えなかった。されど、彼らは優しかった。差し伸べられた手を払いのけても、誰も怒らなかった。結局、私は彼らの優しさに溺れた。
 仲間たちは、一生懸命励ましてくれた。私の絵を褒めてくれたりもした。自分の絵を褒められると、主人のことを賞賛しているような感じがして、とても嬉しかった。 
 出張していた元気が、次第に帰宅してきた。事故の記憶が蘇っても、悶絶するようなことにはならなくなった。みんなは、私がだんだん笑えてきたことを嬉しく思っていた。嬉しく思っている仲間を見て、私はいっそう嬉しく思った。
 仲間と楽しく暮らすことは、確かな心の安定に繋がっていった。
幸せな日々を過ごしていた。主人といたときと同じくらい、幸福に包まれていた。
 しかし、そんな幸せな日々は、またしても一瞬にして崩れることとなる。


 川で二匹のニョロモが、どっちが早く泳げるか競争していた。水しぶきが飛んできて、鬱陶しかった。キノコポケモンのパラセクトが、走ってどこかへ向かおうとしていた。横を通り過ぎていったとき、私は少しだけ鼻がむずむずした。眠くなったり痺れたりはしなかったけれど。
 風が吹いた。この時期の風は少し寒い。本日の天気はよろしくなかった。どんよりとした鉛色の重い雲が、橙色のカンバスいっぱいに膨張している。
私はこの日、少しイライラしていた。
 冬になれば食べ物があまり取れなくなるので、今のうちの集めておく必要がある。けれども、私はギリギリ足りる程度しか拾うことができず、もう少し残しておけよという不満を抱きながら、けれど仲間から少しずつ貰えばいいかと考えながら家路を歩いていた、そのときのことだった。
 自分より年下の、また顔が少しあどけないオスのドーブルが描いている所を発見した。年下のドーブルは、背後から見られていることに気がつかず、ただ黙々と描画し続けていた。私の存在になど見向きもしない。
 私は彼のことを存知していない。いつも独りでいることだけは知っていた。誰とも仲良くしない。仲間は、よくそんな態度でも嫌ったりしないものだ。
 彼が描いている絵をじっと見た。今まで他人の絵はあまり見なかった。自分の絵に没頭していたし、見られると恥ずかしいっていう者も多かったからだ。
 彼はまだ私の存在に気がつかない。私はその絵を更によく観察した。彼の絵はものすごく巧かった。色のバランスやら背景のバランスやらとても丁寧だった。けれども、私はその絵の、ある一点のみ気になった。その一点のみが胸に引っかかり、自分の中に、今まで経験したことのない感情が渦巻いた。渦巻いた感情は、次第に膨れ上がっていき、やがて猛獣の如く暴れだした。
 その一点は、主人の好きなものとは、正反対だった。そして、その一点が正反対なせいで、絵全体が正反対に思えてきた。この頃の私は、極地に達していた。すなわち、主人が好きな絵が、正しい絵の姿だという認識ががっちり固定されていた。だからその絵に必然的な怒りを感じた。怒りは息つく暇もなくすぐに、極端な思考を生み出した。

 こんなのは絵じゃない。
 
 近づいた。文句を言った。言い放った。こんな絵は、おかしいと。冗談じゃないと。もっと真面目に描けと。こんなものは全然、心に響かないと。時折暴言に近いことも織り交ぜて、私は散々に、ひたすらに、とにかく罵倒して罵倒した。相手の反論を怒鳴り声で遮った。散々に、ひたすらに、とにかく「正しいこと」を伝えた。
 とうとう、相手の堪忍袋の尾が切れた。「逆ギレ」をしてきた。こっちに向かって攻撃してきた。青白い炎を吐いてきた。私はとっさに避ける。炎は地面に衝突し、爆発が起こった。土煙が晴れると、地面が大きく抉られていた。これを見て降参しておかない私は、今思えば相当冷静さを欠いていた。
 呆れ返り、私は「敵」を睨みつけた。少々距離を取り、戦闘態勢に入る。
 相手はオスとはいえ、結構年下。簡単に勝てるだろう。そう思っていた。
 でも、甘かった。相手の力量を推し量らずに、戦いを挑むのは愚かだった。
 自分より遥かに強い技を、相手は多く持っていた。「スケッチ」というドーブル特有の技を用いて、火炎放射やハイドロポンプなどを使えるようになっていた。あっという間に私はHPがゼロになった。少々オーバーキルを喰らわされた。
 朦朧としている意識の中、最後に見えたのは相手が走って去っていく背中だった。


 これで終わりではなかった。みじめな思いをして、オーバーキルを喰らわされて、それでもまだ私の悲劇には続きがあった。 
彼は、仲間に一連を話したのだ。あいつが急に文句を言った。偏見を押し付けてきた。挙句の果てには攻撃してきた。少しだけ嘘も混ぜていた。こっちから攻撃したことにしていた。
 私は徐々に嫌われていった。いつも一緒に遊んでいた友達も、徐々に離れていった。話しかけようとしたら、何も言わずに去っていった。こうも、変わってしまうなんて。
 攻撃してきたのは向こうからだと、私は事実を叫んだ。けれどもそれは「言い訳」としかみなされなかった。何を言っても耳を傾けてくれず、鼻で笑って逃げられた。何故、私を信用しないのか。あんなに楽しく会話していたのに。上辺だけの付き合いだったのか。何故、いつも独りでいた彼の方を信用するのか。
 そしていつしか、見方は誰もいなくなった。 
それだけではなかった。絵を描いていると、皆笑ってくるようになった。私の絵を否定されると、主人のことを否定されているような気がして、それが一番辛かった。
 自分に言い聞かせる。主人は良い人だった。良い人が私の絵を誉めてくれた。ということはその絵は、正しい。間違ってなんかいない。
 
 
 風が吹いた。冬の風は寒い。冷風は肌の上を容赦なく駆けていった。雨がぽつぽつと降り始めた。雨つぶは樹の枝や葉に落下。不愉快な音を鳴らした。
 空が涙をこぼし始めても、それにつられて、私が泣くことなどない。絶対にない。
 ……なんて強がりで鼓舞しても無駄だった。雫は止まらない。
尻尾を水に濡らし、パサパサにならぬよう念入りに洗った。絵も絵立ても、その他諸々の道具も、全部片付けた。
 立ち上がったとき、どこからか唸っているような声で悪口が聞こえてきた。下手くそ。もっと早く進めろ。振り返るが誰もいない。背筋が凍った。帰ろうと思っていた場所には、もう帰らないと決めた。これ以上聞くのが怖い。今日この日、みんなと違う場所に住むことを決意した。
 そして歩き始めた。誰もいない所へと向かった。日の当たらない所へと向かった。じめじめした所へと向かった。
 風が吹いた。首にぶら下げた、安らぎの鈴がちりんと鳴った。
 

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Last-modified: 2015-10-25 (日) 18:31:54
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