SOSIA.Ⅱ
◇キャラ紹介◇
○シオン:エーフィ
主人公。可憐な容姿で
○ローレル:ブラッキー
シオンの弟。
○ルード:ルカリオ
奇抜なファッションセンスの
○キアラ:フローゼル
ローレルの恋人。
etc.
「これで二八連続任務成功だぜ! 最強だなオレたちはよ!」
「安っぽく最強だの天才だの口にする奴は大した実力などないのが常だ。俺達まで巻き込むな。そもそも貴様の貢献度など一パーセントにも満たん」
「うるせーなァ。
「俺は飲まないと言っている」
鼻だの顎だのにピアス穴を空けまくったリザードのセキイとチャーレムのロスティリー。
「ロスティリー、おまえも口ばっかりでそんなに活躍してないでしょ? ほとんどローレルとルードの兄貴のお陰じゃん」
「何だとメント。無駄にでかい口しか能のないアリゲイツである貴様がチャーレムの俺に口だけと言うか。見ろ。俺の体の大部分は脚部だ。小さい上半身の中の小さい頭の中のさらに小さい口だぞ
」
天然ボケのくせにつっこむアリゲイツのメントと博識ぶった口調のくせにボケるチャーレムのロスティリー。
「小さい頭だから頭悪いんだね」
まさに仔供のそれと言うべきメントの挑発に乗り、頭から湯気を出すチャーレムのロスティリー。
誤解を招かぬよう説明しておくが、ロスティリーは別段この中で大事な存在ではなく、いやむしろ足引っ張り役という役職が適任なボケで、故に影が薄いから三回言ってやっただけだ。
「何をォォオ!! やるか貴様!」
つーかやっぱりどっちもボケだ。大ボケ野郎だ。
「へっ、今日こそ決ぶごへっ」
立ち上がりざま、メントのでかい顎を裏拳で打ち上げてやった。
「決着をつけてやる、なんてベタな台詞吐くんじゃねェよ。どうせ決着つかねェって決まってんだからよ」
続いてロスティリーに歩み寄る。
「あ、いや、ルードの兄貴、ちょ待っ――ひごぎっ」
「お前もくだらねェ屁理屈こいてる暇があったら口より体鍛えとけ」
ロスティリーはとりあえずテキトーに蹴っ飛ばしておいた。毎度のことではあるが、俗に腐れ縁というやつらしく、ロスティリーとメントは学生時代から喧嘩ばかりしていたらしい。
あれだ。俺の嫌いな『喧嘩するほど仲がいい』系の喧嘩だ。命を賭けた喧嘩は好きだが、そうでない馴れ合いの喧嘩など無意味だ。
「んでセキイ、お前もちょっとぐらい成長しろ。見た目の戦闘力なんざどうでもいいから中身鍛えろお前は」
「へい。でも兄貴とローレルが強すぎでるんでさァ。オレこれでも貧民街で幅ァ利かせてたんだぜ」
「貧乏人共に勝ったからって何だってんだ。どうせロクに飯も食ってねェガリが相手だろうが。まあオレ達もあんまり金ねェけどな」
ハンターズ"グラティス・アレンザ"のアジト兼溜まり場兼リーダーの住居でこうやって、依頼を終えた後の一杯を
ランナベール西の住宅街にあるこの家はなんでも一年前、兵士養成学校を退学処分にされたリーダーが六年前に捨てた家に戻って住める状態にしたらしい。石造りで頑丈だが他に取り得がなく、買い手が付かなかったのでそのまま放っぽり出して学生寮に入ったのだそうだが、六年間もの間よく無事で済んだものだ。施錠はしていたから、錆ついた鍵を開けるのに苦労したとか、何とか。誰も入らなかったのはそれが原因かも知れない。まあオレほどの実力になると鍵なんぞ波導弾でぶっ壊せるが、リーダーには悪いがそこまでしてこんなボロい家を手に入れようとするやつもいまい。お国柄か、通りに面した壁には窓が一つもないのもその一因だろう。そんなこんなで、たまにこうしてこの家に六匹が集まる。
もっとも、リーダーを含む後の二匹は奥の部屋でなにやらいちゃついてるみたいだが。
「そーいやァローレルとキアラは何やってんだ? ちょっと見てきてやっかヘッヘッヘッ」
セキイが立ち上がって、扉のない奥の部屋を覗き込もうとした――
「邪魔すんじゃねェよボケ」
――ところで、尻尾を引っつかんで止めた。お前も大ボケ野郎に加えてやろうか。
「つまんねーなァ。ルードの兄貴が言うならしゃあねぇけどよォ」
セキイは齢十七にして中年オヤジ的思考の持ち主で、ハタチのオレより確実にオッサンだ。
「ルードの兄貴は何かにつけて戦闘戦闘でいけねぇや。もっとオンナに興味持とうぜ」
「うるさい。その点は正常な
セキイは何故か肩をすくめて、持っていたグラスを煽った。
「オンナも戦闘力基準かよ……兄貴の波導弾に勝てるオンナなんかいんのかよ?」
「オレより強い
「オレァぜってー見た目が先だぜ」
「ふん。だからお前は低俗だってんだ。オレ達ルカリオはな、強い波導を感じるのが一番好きなんだよ」
「それ全国のルカリオ巻き込んでねえ? 種族のせいじゃねえと思うけどなあ」
「兄貴といいセキイといい……お前ら、何故性格の話をしない? ポケモンは中身だぞ。戦闘力や、まして顔などではない」
ロスティリーが起き上がって話に割り込んできた。
「ぎゃはは。おまえの顔じゃ説得力ないってばー」
メントも起き上がって話に――
「何だとメント。貴様、顎だけ星人の分際で俺の顔を侮辱するか」
「へっ、どうひいき目に見てもおれのほうがまだ見れる顔だもんね。リュートでは彼女もいたもん」
「ふん。三日で破局したあれか。しかもあのキノココ、
「うるさいよ! てゆーか自分を超えてたなんて、今自分の顔がまずいの認めただろ」
――加わってねェ。結局
「お前ら。もう一回ぶっ飛ばされたいか――」
ガチャガチャと、玄関口から音がした。誰かが鍵を回す音だ。
「何だ?」
だが、何度もガタガタ鳴らしているだけで一向に入ってくるどころかきちんと鍵が回っている様子もない。隣のヤツが酔っ払って家間違えてんじゃねェだろうな。
「オレたちの家にちょっかいかけてくるたァいーィ度胸じゃねぇか。オレが話つけてやるぜ」
血の気の多いセキイが飛び出すように玄関口へ向かった。
止めようと思った時にはセキイは内側から鍵を回し、扉を開けて来訪者にいちゃもんをつけはじめていた。
セキイの背に隠れてよく見えないが、やけに毛並みのきれいなエーフィだ――
◇
鍵が合わない。六年も経てば流石に錆びついてしまってもうダメなのかもしれないが、そもそもこれは自分で勝手に作った合鍵だったりする。弟の荷物から抜き出し、リュートの実験施設を勝手に使って型を取って、そこに溶かした金属を流し込んだだけの物だ。風紀委員長の権限を濫用――もとい有効活用したわけだが、真面目な性格の弟に知れるとまず止められるので弟には黙って鍵を戻しておいた。
顔を近づけて確認する。
鍵穴の方は見た感じ全然錆びついたりはしていないようだ。うん。鍵の方が悪い可能性大だ。なんか鍵穴と全然違う気がする。途中までしか差し込めない、回らない、無理に突っ込んだら抜けないときた。
もともと使いものにならないレベルだったってことか。自信あったのにな。
――と、突然鍵が開けられた。
シオンの
「オイてめぇ。オレの家に何やって――」
若いリザードだった。少なくともシオンより下だろう。が、鼻や口にピアスのついたいかにも柄の悪そうな男だった。
「――なんだ女かよ。ヘヘッ。何の用事だ? あァん?」
「や……ここ……元僕の家……っていうか僕の家なんだけど。捨てたわけじゃないし」
やっぱり六年間もの間無事であるはずはなかった。空き家だったのをこれ幸いと住み着いたのだろう。鍵穴の方が妙に新しかったのは、壊して侵入した後につけ替えたからだったのだ。タダで家が一件
家の主が戻ってくるなんてアンラッキーだけどね。ま、因果応報か。
「ハァ? あんまりワケわかんねぇこと言ってっと痛い目見ンぜ姉ちゃんよォ。ここは昔っからオレ達のリーダーの家だ。隣かなんかと間違ってんじゃねぇのか」
「昔ってのがどれくらい前なのか知らないけどさ。とにかく、返してもらうよ」
リザードは何がおかしいのか、シオンの言葉を聞いてケタケタと笑い出した。
「ヘッ、おもしれえや。つかてめえすンげー上玉だなァオイ? このことは許してやっからオレ達とちょっと遊ぼうぜ?」
そうきたか。やっぱりこのリザード、見た目通りのチンピラらしい。とりあえずいい女を見かけたら春めいたことしか頭に浮かばない最低の
「いいよ。遊んであげようか? きみ頭悪そうだしこっちの方がわかりやすそうだ」
「ンだとォ……! ざけんじゃねぇぞこのアマ! 力ずくでてめえの大事なモン奪ってやる!」
リザードが伸ばしてきた前足を、体ごと引くステップで空振らせる。すぐさま反転、前に若干つんのめったリザードの後ろ足に尾を掛けると、「うおッ――」見事に転倒した。その背に向けて、サイケ光線を一発。「ひギャッ」一般人レベルの相手なら長い溜めを作らなくても十分だ。リザードの背中で小爆発が起こり、渦巻くマーブル色の爆風が生命力を奪う。
と、どうやらあっけなく気絶してしまったらしい。
それより、だ。
リーダーがなんとかかんとか。だとすると今のは下っ端ということになる。リーダーの
「わっ……!」
開け放したままの扉から何かが飛び出してきた。飛び出しただけじゃない。仰け反ったシオンの鼻先を、蒼い波導を纏った足がかすめていった。
「オレの神速の蹴りを
周囲を白い家に囲まれて対峙することになったのは、首の毛を黒く染め、金色のメッシュを入れたルカリオだった。謎のファッションセンスだ。
「リーダーの昔の女かなんかか? こんなところまで押しかけてきやがって」
さっきのリザードといいこのルカリオといい、リーダーとやらをえらく心酔しているようだ。空き家をこっそり掠め取るようなせこい奴なのに。
「べつに僕としてはリーダーさんに用はないんだけど。僕の家だから」
「ああ? 頭涌いてんじゃねェのか? ここは正真正銘オレ達のリーダーの家だ。十歳にもならねェうちから住んでたってよ」
「や。それはこっちの科白だし……大法螺吹いてるでしょそのリーダー」
この会話は相手の注意を逸らすための時間稼ぎ――心はすでに技の
「ほう。そいつは奇遇だな――!」
考えていることはルカリオも同じだった。その右掌に纏う波導に乗せているのは、悪の
そのまま放たないところを見ると素人ではない。ルカリオは大きく右手を引き、左手で小さな波導弾を撃ちながら突進してきた。
波導弾はダミーで、本命はあの悪の波導だということはわかっていたが、シオンは敢えて波導弾を全て
そこからのルカリオの行動は、まあ正しい選択だったといえる。
シオンの
「とんでもねェ……!」
一瞬の攻防でシオンが只者でないことを悟ったルカリオの戦闘センスは、ファッションのそれと反比例するかのように鋭かった。仮にも後方支援部隊を率いる騎士だ。遠距離戦なら誰にも引けはとらない。
「ねえ。僕も待ってばかりじゃないから、いつでもこっちから近づけるということも忘れないでよ」
すでに
「殺せ。オレの負けだ」
チンピラのなりをしている割には
「だがその前に名前を教えてくれねェか。オレの不意打ちに始まった
何かの罠かとも思ったが、不穏な波導は感じられない。シオンも
「僕はシオン・ラヴェリア。あ、でも苗字は婿養子だった父さんの旧姓で……いろいろあって僕も自分の本名は知らないからこれで勘弁して」
「ラヴェリア……だと? まさか……」
シオンの姓に心当たりでもあるのか、ルカリオは目を丸くして聞き返した。
と、その時家の中から二匹のポケモンが飛び出してきた。
「兄貴ーっ! ビガクだかなんだか知らないけどこんなとこで死なれたらやだよ!」
「そういうことだ。タイマンなぞに拘っている場合ではない」
アリゲイツとチャーレム――
「へ?」
こんどはシオンが目を丸くする番だった。満月並みに丸くなった。
「きみたち……」
「ん? ええええええっ!!?」
「何だと……」
シオンの記憶の中の
「シオンさんがどうしてここに……」
「いや、十分に有り得る……六年間家を空けていた奴がふらりと帰ってきた、それだけの話だろう」
「だってボロボロの空き家だったんだよ? ほとんど捨てたのとおんなじじゃん。ローレルだってそう思って……」
そしてこのポケモンたちは一体何度シオンの目をマルマインにすれば気がすむのか。
「久しぶりだね。全寮制のリュートにいるはずのきみたちがこんなところで何をやってるのかは訊かないけど、今ローレルって」
「あーうーいやそのう……」
「ほんとロスティリーってばとぼけるのヘッタクソだなー」
下手な演技をさらに台無しにしたメントの顎に、ロスティリーのアッパーカートがガツンと入った。
「貴様が俺の迫真の演技を無い物にしてどうする! フォローし強化することによって騙す確率を上げるのが仲間の役目というものだろう!」
「へん、どーせもともとゼロだったのがマイナスになっただけじゃん」
成長したと思っていたが、シオンの錯覚だったらしい。
「……あのさ。僕の存在そっちのけで喧嘩するのやめてくれないかな? 一応これ大事なことだからね?」
今にもメントに殴りかかりそうだったロスティリーは拳を止め、水鉄砲を放とうと大口を開けたメントは口を開いたままの間抜けた顔で停止した。
「てめえら、いい加減にしろ!」
と、そこへ横から神速のパンチが飛んできて、メント、ロスティリー
「お前の言う通り、中にはローレルがいるぜ。約束どおり俺を殺して通れ」
「や。僕べつに殺人愛好癖とかないしさ……負けを認めたんなら通してくれない?」
「情けをかけるってのか? オレは
この距離ならアイアンテールも打てるというのに、ルカリオは自分の負けが確定したから殺せという。頑固というか、卑怯な手は嫌いなのか。
こういうとき、例え一人称が"僕"でも女にしか見えないであろう自分の容姿に感謝する。
「殺すのはやだって言ってるの。それに勿体ないよ、きみみたいな強い男のひとを殺しちゃうなんて、ね?」
できるだけ色っぽくなるように、憂いを湛えたような表情を作りながら、ルカリオにウインクしてやった。
「う……わかったよ。そこまでして強要しねェ……」
みるみるうちに頬が赤らんで、胸の鼓動が高鳴っているのがシオンの目にも明らかだった。
ルカリオは家の中へとシオンを案内すべく、扉の横に移動して道を空けた。
「兄貴、違う! そいつは――ぐぼべっ」
余計なことを吹き込もうとしたロスティリーを
「懐かし……くはないなあ。なんか違う」
部屋の形こそシオンが住んでいた時と同じだったが、内装はガラリと変わっていた。もっとも、家を出る前に家具の類は全て売り払ったから、新しく他の誰かが住んでいるのならば当然のことではある。
だが、雰囲気までこうもガラリと変わってしまうものだろうか。光の鉱石を使った灯りと破れたソファのほかに家具はなく、閑散としていた。そして夜だからとかそういうのでは決してなく、暗い。とにかく、空気が
「ローレル。客だ。従妹だか妹だか知らねェがお前と同じ姓を名乗る女が来てるぜ」
このルカリオと弟がいったいどういう関係なのかも気になるところだ。
ルカリオが声をかけると、奥の部屋から
「俺と同じ姓の……嘘だろ……?」
「誰かしら? ローレルの身内ってお兄さんが
奥の部屋から姿を見せたブラッキーとフローゼル。ブラッキーの目はシオンのものと同じ琥珀色。中性的な顔立ちの中にも牡らしさのある顔立ち、ぴんと立った長めの耳。間違いなく弟だ。ローレルがそこに立っていた。
「わっ……に、兄ちゃん」
「卒業式のとき以来かな。ローレル、きみと会うのは」
シオンの姿を見て驚愕に目を見開くローレルの横でフローゼルが、シオンの横でルカリオが息を呑むのが聞こえた。
「男の子なんだ……あらあ、お兄さんもかわいいわね」
「あ、兄だと!? ふざけんなこのアマ……じゃねェ、この野郎。さっきオレに色仕掛けしやがったじゃねェか!」
「"も"って何ですか? 僕の弟の何を知っているんですかあなたは」
「全てを知っているわ……と言いたい所だけど、お兄さんがいるなんて知らなかったからそれは嘘になるわね」
全て、だって? もしかして行くところまで行ってしまっているというのか。そりゃローレルにはローレルの
紆余曲折あって、シオンにはわかるのだ。水商売のポケモンの匂いというやつが。表面こそ上品に取り繕っているが、謎ファッションのルカリオやリザードと同じ系統の
「キアラ、勘違いされるようなこと言わないで。俺とキアラはまだそんな関係じゃないでしょ」
「お兄さんを驚かせてみたかっただけよ」
と、シオンの心配を見透かしたようにフローゼルは笑った。キアラという名らしい。
「――けふん。それでローレル、どうしてきみがここにいるのさ? このポケモンたちは誰なの? メントとロスティリー以外は知らない顔だよ」
シオンの質問に、ローレルは俯いて答えようとしない。何かを隠しているというよりも、察してくれとシオンに迫っているかのようだった。
嫌な沈黙が流れる。ルカリオは腕を組んで壁にもたれかかっていて、キアラは思いつめた顔でローレルを見つめ、ようやく外から入ってきたロスティリーとメントは何も言わずシオンに視線を向けていた。
沈黙を破ったのはそのメントとロスティリーだった。
「シオンさん……ローレルは……シオンさんの……」
「黙れメント。ローレルとシオンの問題だろう。貴様が首を突っ込む話ではない」
会話としては無為に終わったが、ローレルが口を開くきっかけにはなったらしい。
「あのさ、俺……半年前にリュートを自主退学したんだ。といっても退学処分と変わんないけどさ。退学処分にされる前に自分でやめたって感じかな」
どうやら今日はシオンの目とマルマインの相性が良すぎるみたいだ。もうこの先何を見ても何を聞いても驚かないと言えるくらいに。
リュートを退学することは、ローレルは自分で生きていかなければならないということだ。半年間、自分に
「……何をやらかしたわけ? 退学にされるようなコトなんて……」
「違うわ。ローレルは何も悪くないの」
「キアラは黙ってて。兄ちゃんも悪いわけじゃないんだから。俺のためにしたことだって言ったでしょ。とにかく兄ちゃん。理由は訊かないでほしいんだ」
「話せないってこと? 僕が悪くないって何だよ? それはつまり僕に原因があるってことでしょ? ねえ!」
ローレルは顔を上げて、シオンをまっすぐに見た。
「俺にとっても兄ちゃんにとっても、聞かないほうがいい」
これほど思いつめた、真剣な顔つきのローレルを見たのは初めてだった。言いようもない迫力に押され、シオンは頷いた。
「わかった。そこはもういい。じゃあ、半年間なにやってたの? 僕に連絡もよこさないで……リュートを退学したって、僕の家に来ればよかったじゃない。きみ
「これ以上兄ちゃんに迷惑は掛けられないと思ってさ。それだけだよ。俺は今ちゃんと自分の足で立ってる。このポケモンたちはさ……そりゃいろいろと助けてはもらってるけど、べつにこのポケモン達に拠りかかって立ってるわけじゃないんだ。対等な立場の仲間だから。心配しないで」
まるで旅立つ仔を心配する親をなだめるような言い方だった。両親を亡くしてから、いつの間にか僕は、兄でありながら母であり父である、
心配しないで、なんて。親は仔を心配するものだ。兄が弟を心配するのだって当たり前だ。
「仲間だって? あのリザードもこのルカリオもそのフローゼルも?」
「……何が言いたいんだよ?」
「堅気には見えないって言いたいわけ。飾らないで言うとね、きみがこんなポケモンの仲間だなんて僕は認めたくない」
「あら。嫌われちゃったみたいね私達」
キアラは嫌な顔一つせず、意味深な笑みを浮かべていた。ルカリオはもともとシオンの色仕掛けに引っかかってしまったことを腹に据えかねているらしく、苦虫を噛み潰した顔が苦虫を飲み込んだ顔になっただけだった。
怒りに顔を引きつらせて詰め寄って来たのは
「認めたくない? 兄ちゃんにキアラやルードやセキイの何がわかるってんだよ。兄ちゃんは結局明るい世界で幸せを手に入れたから、分からないんだろ? 暗い方の世界なんて穢れてるって思ってるんでしょ? 運良く這い上がったからって何だよ!」
「やめなさいローレル!」
今にも噛み付きそうな目でシオンを睨みつけていたローレルを、後からキアラが押さえた。
「俺がこの半年で手に入れた一番大事な物を馬鹿にすることは許さないよ。たとえ兄ちゃんでも……」
声音こそ静かだったが、その言葉には強い思いが込められていた。
シオンは気圧されっ放しだった。芯の部分は変わっちゃいない。しかし今のローレルには昔はなかった威圧感、迫力がある。そういえば身体ももうシオンより大きい。
キアラに制されて落ち着いたらしいローレルは一つ息をつくと、もとの表情に戻ってシオンに尋ねてきた。
「俺からも一つ訊かせてくれる? 何しにここに戻ってきたの?」
それは屋敷の門限に間に合わなくて、誘拐されたりとかいろいろあったんだけど、ともかく思いつきで。今思えば、お金は持ってるんだから、わざわざここに来なくともどこかのホテルにでも行けばいい話だった。要は一度この家がどうなっているか見たかったのだ。遠い距離ではないとはいえ、機会がなければまず来ることがなかっただろうから。
「べつに家を追い出されたわけじゃないんだけど、今日は訳あって帰れなくてさ。気まぐれで実家に戻ってみようと思っただけ」
「そう。良かった。捨てられたわけじゃなかったんだね」
フィオーナが僕を捨てるなんてことあるものか。こっちから逃げようと思っても、地の果てまでも追いかけてくるような女性なのに。
「当たり前でしょ。じゃ、僕はこれで……あ、無駄になった学費とか返さなくていいからね?」
半期分の納入で三十五万。そういえば、今日知らなくとも四月になったら次の半期分の学費を納入するときに退学を知ることになっていたわけだ。
「一度
それだけ言い残してシオンはその場を去った。
ローレルの退学の事実を知っても、不思議とショックは大きくなかった。
変わっていなかったからだ。
どんなポケモンと付き合っていようとも、ローレルの本質の部分は変わっていなかった。
◇
カルミャプラム――栄光と夢をその名に冠したバーは、歓楽街の地下にある。名こそその筋では有名だが、看板の一つも出さず、カウンター奥の階段か、裏路地の隠し階段を通らなければ店に入ることすらできない。ハンターズギルドとしてはごく一般的な形態だ。表向き酒場やホストクラブを経営しながら、裏では金さえ払えば何でもやる『ハンター』たちの登録所として依頼人から仕事を請け負っている。ローレル達はギルドから仕事の斡旋を受ける代わりに、依頼報酬の何割かをギルドに納めているというわけだ。
「あれがローレルの兄貴かよ。まじ
昨日背中にサイケ光線を撃ちこまれたセキイはピンピンしている。兄ちゃんが加減したんだろうけど、すこしぐらい反省してほしいものだ。
「遂に頭がおかしくなったか。そもそも貴様のような輩がいるからあいつは……」
「やめなよロスティリー。シオンさんはローレルのためにそうするしかなかったんでしょ?」
「ふん。それが結局ローレルの首を絞めたのでは元も子もない。しかも自分だけのうのうと卒業して金持ちの女を捕まえて悠々自適に生活しているなどと……」
「悪いのは金に汚い理事長だって話でしょ。シオンさんはぜんぜん悪くない! それにロスティリーだってシオンさんに世話になったクチじゃん!」
「
ルードはおもむろに
「シオンだかリオンだか知らねェけど要はただのオカマ野郎だろうが。なあローレル?」
「あれナチュラルだよ……いろいろあって母さんの影響であんな風になっちゃったんだけどね」
仲間は皆ローレルの退学の
セキイはもともと親のないストリートチルドレンで、貧民街をのし上がってきたチンピラだ。その手の組織にスカウトされたこともあるらしいが、自由を失うのが嫌で断ったという。
「母親の影響? そんなモンで見た目が変わるわけねェだろ?」
「それがさ、母さんが死んだとき、兄ちゃんの中に
「おー、それフタナリになりかけたってことかァ? 残念だぜ。オレそういうのもいけンだけどなァ」
と、横からセキイが酒臭い息を吐きかけてきた。
「や。下は変わんなかったから。ただ乳房が膨らみかけたりとかさ。なんか普通の男の子でもよくあることだから気にしないでってことだったんだけど。べつに穴がもう一つ増えたりとかしてないからね?」
「下が変わらなかったってお前、子供サイズのまま成長しなかったのか?」
「そうそう、ちょっと気にしてたみたい――って何の話してんだよ!」
だいたいセキイと話していると会話が下ネタ方向に進んでしまう。ノリで調子を合わせていたら大変なことになる。キアラは店員の仕事で席にはおらず、今は男だけで席を囲んでいるのがせめてもの救いだ。
「とはいえ未だに声変わりもほとんどしてないし普通じゃないことは確かだね」
「とにかく今度会うまでに戦闘力上げとかねェと」
「とにかく一回
三匹同時だった。なんと統一感のないことかと、リーダーながら呆れるしかない。グラティス・アレンザは古代ベール語で『自由の集い』を意味する。団則の一つもない、文字通り自由なハンターだ。自由のもと、思考の向かう方角が見事に全員ばらばらである。
「お待たせー。ほらほら、馬鹿な話してないで。男ってどうしてこうなのかしらね」
と、キアラが酒を運んできた。キアラはグラティス・アレンザに入る前からカルミャプラムで店員として働いている。かと言ってグラティスアレンザが依頼や報酬の面で優遇されたりはしないが。
「ローレル、明日の朝はお兄さんと会う約束なんでしょ?」
ともあれ、メンバー内で唯一の常識人である彼女の存在がなければグラティス・アレンザは成り立たないと言っても過言ではない。
「うん……それなんだけどさ」
しかも、話の舵取りの腕は一級品ときた。今日ローレルが皆に話したかったのはまさにそれなんだ。
「俺、もう兄ちゃんとは会わない。あの家にも戻らない」
「何?」
「マジか?」
「え?」
「ローレル……」
「ほう」
ルード、セキイ、キアラ、メント、ロスティリーと、五者五用の反応を見せた。
あの家を捨てることと、兄弟関係を断ち切ること。後者に関してはメントとロスティリー以外のメンバーには感心のない問題かもしれない。
「明日会って
「ハンター辞めるのか? ギルドの情報持ったまま逃げおおせた奴はいねェぞ」
「だな。確実に消される」
ルードとロスティリーがしたり顔でいちゃもんをつけた。
しかしあのヴァンジェスティ家だ。ギルド一つ潰すことくらいわけないだろう。シオンが本気でローレルを逃がそうと思えば、カルミャプラムも手を引くしかない。
でも、ローレルの心はもう決まっている。
「だからもう会わないって言ってるでしょ。それに俺がそんな、みんなを裏切るような真似すると思う? 俺はさ、きみ達との出会いも無駄にしたくないんだ。そりゃ嫌な仕事が回ってくることもあるけど、最近はこのハンターって職業も考えようによっては悪くないって感じてる。金をもらってそれに見合った仕事をする。仕事内容は不問……すごくシンプルじゃない。そこに善も悪もないんじゃないか、ってさ」
兄ちゃんにはきっとわからない。あの家系では俺が異端なんだ。俺はきっと父さんの血を色濃く受け継いだんだ。父さんもハンターだった。何度もやばい仕事をやって、そのうち目をつけられて他のハンターに殺された。母さんは父さんを守ろうとして死んだ。死の間際、並み居るハンターを全て消し飛ばしたあの光景は今でもローレルの目に焼きついている。身に余る力の行使が、決して強いわけではなかった、いたって普通の、一般人なみの戦闘力しかもたない母さんに破滅をもたらした。悪を滅するための力が善をも滅ぼしてしまった。
「当たり前だ。少なくともオレは賛同するぜ。戦闘ってのは善も悪もねェ。力のある奴、運の強い奴が勝って、弱い奴が負けるだけのギャンブルみたいなもんじゃねェか。ただ賭けるもんがディルじゃなくててめえの命だって話だろ」
「ハンターの仕事は戦闘ばかりじゃないわよ」
「全くだ。だが、俺もローレルと兄貴に賛同する。俺達は所詮
「金が入れば何だっておんなじだろーがよォ。つーわけでオレも賛成だぜ」
「おれは……やっぱり、いくら自分たちの意思じゃなくても悪いことはしたくないな……でもさ、食わなけりゃ食われるのがこの国の流儀だもんね。難しいことはわかんないけど、ローレルがそう言うならそうなんだろうな」
運悪く事実を知ってしまって、巻き添えで退学処分になったメントとロスティリーには悪いと思っている。だからこそ、俺だけ兄ちゃんに守られて生きるわけにはいかないんだ。
兄ちゃんにはこれ以上、俺のことで迷惑はかけられない。俺のために傷ついてほしくない。俺みたいなダメ弟のことは忘れて生きた方がいいに決まってる。
「ほらほら湿っぽい話してないで。まあ兄弟だからね、そのうち気が変わることもあるわよ。同じ国に住んでるんだし、お兄さんの居場所は知れてるんだからローレルの方から会いに行こうと思えばいつでも会いにいけるわけじゃない。それより、仕事が二件入ってるわ」
気が変わる、か。兄ちゃんに一人前のポケモンとして顔向けできるようになるまでに、どれくらいかかるだろうか。
ハンターから足を洗うってことは、ジルベールに亡命するかギルドごと潰すしかない。ギルドの内部事情の一切は所属するハンター以外に漏らしてはならない。即ち、カルミャプラムの場所もここに所属するハンターしか知らないとうことだ。ここのハンターになるまでに、経歴や
「二件ね。どんな仕事?」
「暗殺よ。二つとも。期限の早い方から片づけましょう」
◇
ターゲットは売上を持ち逃げしたヤクの売人。ターゲットを殺害し、出来得る限りの金を回収すること。こういったマフィア関係の依頼は、ハンター業ではオーソドックスな仕事だ。今回は相手の素性が知れているぶん、ターゲットの行動を把握するのは容易だった。
もっとも、破格で情報を提供してくれる上に腕もいい情報屋をキアラが知っているからでもあるのだが。
「彼は三日後の晩に東門から出てジルベールに向かう可能性が高いわ。護衛を雇っているでしょうから、最低でも三人は欲しいところね」
ランナベール国内には保安隊があるが、一歩城壁の外ヘ出れば隣国の国境までは完全な無政府地帯だ。旅人を専門に狙う盗賊団もあるという噂で、護衛を雇わないと国境は越えられない。そして、その護衛に雇われるのもハンターだったりする。
「港町から船で逃げる可能性は?」
「その線はないわ。港には取引やら何やらでただでさえマフィアがうようよしてるんだから」
「門だってマークされてるんじゃねェのか」
「三日後の晩は大きな会合があって人員を割けないみたいよ」
手薄になる時を狙って、雇った護衛で強引に突破するつもりか。
「じゃあ、襲撃ポイントは門を出た後、ある程度離れてからかな」
門を護る兵士の目の届くところで騒ぎを起こすのは利口ではないが、離れてしまえば保安隊に気を配る必要もないので、仕事は非常にやりやすい。
「念のため夕方辺りから
「というと?」
「監視役は俺とルードでやるよ。万一だけど、二匹だけで戦わなきゃいけなくなるかもしれないんだから」
ターゲットが護衛を何人雇うのかは知れないが、ランナベールで荒稼ぎした金を抱えてジルベールヘ逃げ込むのに、護衛に多額の金を使ったのでは話にならないし、多すぎると目立つ。恐らく精鋭三匹ほどと見ておけばいい。
「オレ一匹でも十分だぜ。ローレルの出番はねェかもな」
あのう。二匹で戦うコトを前提にしてないかな。
――この戦闘マニアを飛び出させないように抑えるのが今回の仕事の山場となるだろう。
◇
奴らに続いて東門を出て、怪しまれぬよう談笑しながら歩く
敵はウツボット、レントラー、ヌオー、マグカルゴの四匹のハンター。ターゲットのヤミラミの戦力は不明だが、護衛を四匹も雇うあたり、取るに足りない実力とみて問題はない。
「しっかり護ってくれよ。ここまできて盗賊団なんかに殺られたんじゃ水の泡だからな」
「盗賊などに遅れはとらん」
ハンター達のリーダーらしい四十代前半くらいのレントラーが、風格ある渋味の効いた声でヤミラミに答えた。
「寧ろ気を配らねばならんのは追っ手の方だ」
「街を出る時間は誰にも話してねえ。だいたい、街を出てここまできて追っ手が来ねえってことは大丈夫だろ」
「"アカシャの鉤爪"などという化物じみた情報屋もいるという噂もある。それにな、お前が俺達を雇ったように、組織の方でもハンターを雇ってることも考えられるだろう」
「アカシャの鉤爪って……ただの噂だろ?」
「長くこういう仕事をしているとな。信じざるを得なくなる。漏れるはずのない情報が相手に流れていたりする。特に」
レントラーが立ち止まった。
「こういった護衛任務ではな」
振り向いたレントラーの尾が雷光を放ち、天に向かって放たれた。
「離れろ!」
ルードに促されるまでもなく、ローレルは右側へ、ルードは左側へと横っ跳びしてその場を離れた。
コンマ一秒遅れて、落雷がそれまでローレルたちのいた地面を打ち砕いた。自然発生する雷とは違い、ポケモンの技によるエネルギー層への干渉で作り出す電撃は、その道筋をコントロールできる。また、電流を通す対象物質を限定的に定めることにより、命中点の近くにいても地面を通して感電することはない。敵味方入り乱れる戦場でも、確実に敵だけを狙うことができる。が、それは同時に、雷撃を回避することを容易にしているわけだ。
「オッサン、いきなり何しやがる!」
離れて道の向こう側に着地したルードは、抗議もそこそこに波導弾をぶっ放した。レントラーを狙った巨大な弾はしかし、不十分な体勢からの射撃だったためか躱されてしまい、波導弾は闇の向こうへと消えた。
風を裂く音が迫る。ローレルの着地隙を狙って伸びてきたのは、ウツボットの
ローレルの正面にウツボット、左手にマグカルゴとヤミラミがその場を動かないまま立っていて、いつの間にやらレントラーは右手に回り、ローレルの背後、ルードの正面にヌオーが位置する状況となった。
「チッ、誘導されたか……」
「囲まれたね……」
同じ四対二でも、配置によって情勢は随分違ってくる。まさか相手がこちらをハンターだと見破り、先に仕掛けてくるとは想定外だった。
「あんな大金持った奴をマフィアが黙って逃がすはずがないだろう。必ずハンターを雇うと踏んでいたからな」
レントラーがニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「だが、貴様らのような若造
個人の戦力では劣ってはいないだろうけど、相手も手練みたいだし、数と配置の上での不利は否めない。まともに戦えば苦戦を強いられるだろう。
◇
「
「しっ! もし今来たらどうするの!」
セキイの気持ちもわからないでもない。しんと静まり返った冬の夜、ミサイル針の如く肌を刺すような寒さの中、かれこれ一時間も岩影に身を潜めているのだ。炎タイプのリザードにはさぞ厳しい環境に違いない。しかも、光が漏れないように尻尾の炎の火力を極力弱めているのだ。
私はセキイのおかげで暖かいんだけどね。
それにしても遅い。予定の時刻からすでに三十分が過ぎている。一時間過ぎても現れなければ、ランナベール方面へ戻る
キアラは岩影から顔を出して、暗闇の向こうに目を凝らした。城壁に掲げられた松明の光がちろちろと揺れ動く以外には何も見えない。
顔を引っ込めて時計を確認する。あと二十七分はここで待機か。
道を挟んで向かいの大木の下にはメントとロスティリーが同じように身を低くしている。
「クソ、早く来やがれってんだ。このセキイ様をこんな目に遭わせやがっ……」
端から覗いていたセキイの口が止まった。
「……ンだアレ? 何か青い光がこっちに――ってやべえ! キアラ、離れろ!」
セキイがあまりに切羽詰まった声を出すので、キアラは言われるがままに岩影から飛び出した。
「波導弾!?」
って、冗談じゃないわよ! 真っすぐ私たちを狙って飛んできてるじゃない!
「危ねえ!」
セキイがキアラの
爆風でキアラたちは幅十ニ、三メートルはあろうかという道を越えて反対側まで吹き飛ばされた。
キアラは咄嗟に前転受け身をとって立ち上がったが、宙で手が離れたセキイはというと――
「ぐきッ」
顔面から地面に突っ込み、エビ反りになって一回転し、盛大にぶっ倒れていた。
「セキイ、キアラ! 大丈夫!?」
メントが慌てて駆け寄ってくる。
「私は何ともないけど……あっちは変な音がしたわよ」
キアラは身体の毛に付いた土を払い、セキイに一瞥を向けた。セキイの側で屈んでいたロスティリーは、立ち上がると肩を竦めて首を横に振った。
「首が折れたらしい」
「え……」
「痛ッッッてーーーー!!」
その背後で、セキイが首の後を押さえて跳び上がった。
「オラてめえ、勝手にオレを殺すんじゃねえ!」
まったく……大丈夫だとは思ってたけど、びっくりしたじゃないの。
「それより、さっきの波導弾……」
「それよりってなンだよキアラ! お前助けてやった男の首が折れる寸前だったんだぞ!」
「うるさいぞチンピラ。俺が思うに、あの弾速と破壊力は兄貴のものだ」
「何かを知らせるため? それにしては荒っぽいけど」
「考えなしの兄貴のことだ。大方流れ弾か何かではないか」
「あー、今の言葉兄貴に言っちゃうよー」
「貴様は勘違いしているなメント。考えなしというのは、梨を食うにもいろいろと考えるという、思慮深い
「へえっ、そうだったんだ」
「あなた達。バカな話をしてないで、急いで戻るわよ」
どうやら想定外の事態が発生したことは確からしい。
◇
「俺が囮になる。一撃で決めて」
小声で伝え、ローレルは高く垂直に跳び上がった。身体を丸めて。
「目を閉じろ!」
レントラーの叫びに重なるように、ローレルの四肢、尾、額、耳、胴のそれぞれの円輪が鮮烈な光を発した。
レントラーだけは先読みで間に合ったようだが、他の連中は目を押さえて転げ回った。
フラッシュは多くのポケモンが使える技だが、ブラッキーやバルビート等の体に発光器官を持つ種族のフラッシュは通常の技とは異なっている。戦闘において重要なのはその発動時間の早さだ。
ローレルは着地と同時に飛び出し、レントラーとの距離を一気に詰めた。レントラーはフラッシュの直前に目を閉じていたが、それでも瞼の裏側に赤く焼き付くような光を感じたはずだ。影響が全くないはずはない。
レントラーの正面で急停止し、垂直跳びに見せ掛けて姿勢を低め、懐から頭を突き上げた。
「がはっ――」
こちらの動きを捉えきれなかったレントラーは胸にクリーンヒットを受け、強制的に竿立ちの状態となった。その硬直を逃さず、すぐさま反転して前肢で身体を支え、後ろ蹴りでその顎を突き上げた。レントラーの身体が地面を離れ、高く宙に浮いたところへ追撃すべく、再度反転して体勢を戻すと同時に、今度は下ろした後肢で地面を蹴って跳躍、両前肢での飛び込みダブルパンチから縦回転して尾撃――そう繋げようとした刹那、身体に電気ショックを受けたような痺れを感じ、ローレルの身体は痙攣して地面に落下した。
「うぁっ……」
レントラーは空中で重心を調節し、ローレルから離れて着地した。
フラッシュのダメージからようやく回復したウツボットとヌオーが向かってくる。
「近寄るな! ブラッキーの特性でうつされるぞ」
ちっ――あと少しだったのに。
ウツボットとヌオーはシンクロの射程範囲外ギリギリで慌てて停止し、ローレルを三人で取り囲む形になった。ブラッキーは通常の発汗とは別に、毒素を含む汗を随意で周囲に飛ばすことができる。また、自分の生理状態によって毒素の成分は変質する。今、運動神経を麻痺させる神経毒の調合が完了したところだ。
「目くらましで怯んだ隙に大将首を狙う、か……若造にしちゃ思い切りのいい決断だ。間違っちゃいないが、相手が悪かったな」
確かにレントラーがフラッシュに反応できたことや、電磁波で身体を痺れさせられたのは想定外だった。しかし、作戦に支障はない。
「熟練にしては……甘い……ね」
「何……? ――ッ!」
ローレルの背後、マグカルゴを挟んで相対するルードとヤミラミ。
「リーダー!」
「てめェは寝てろ」
ルードはマグカルゴに火を吹く間も与えず、スライディングキックからマグカルゴの
「ヒッ……」
「金と命とどっちが大事か考えてから行動しねェと後悔するぜ」
ルードは左手でヤミラミの首を引っ掴んで持ち上げ、その顔面に右の掌を翳した。
「ま、もう後悔もできねェけどな」
「ちぃッ! ガルス、何やってる!」
レントラー以下、三匹がルードへ一斉攻撃を仕掛けるべく飛び出したときには、碧い波導がヤミラミのちっぽけな野望を撃ち砕いていた。
ローレルが地面に倒れたままルードにウインクを送ると、ルードはGJサインでそれに答えた。
「護衛対象が死んじまったぞ。てめェらの負けだ」
「くそがっ……」
レントラーは悔しそうに歯噛みして、ローレルを睨みつけた。その表情からは、自分を狙ったのが頭を潰すと見せ掛けた陽動だったと気づかなかった自らの腑甲斐なさに切歯扼腕している様子がありありと感じとれた。
「ハンターとしては俺達の完敗だ。だが」
クラン・リジュディティの面々がレントラーを中心に集まった。
「非戦闘員を
ヤミラミはたんまりとディルを抱えていた。このままいけば、ローレルたちが回収して組織に返還することになる。だが奴らにとっては、ローレルたちを殺してそれを奪えば少なくとも金銭の上での損失はなくなるどころか、本来受け取っていたはずの報酬額の何倍もの金が手に入るのだ。まあその大半はギルドにピンハネられるだろうが、どちらにしても黙って見過ごすはずはない。
「やめとけオッサン。オレ
ルードは後ろを振り返った。
「もう終わっちゃったみたいね。私たちの出番はなし、か……」
暗闇の向こうから駆けてきたフローゼルの女性が顔面の消失したヤミラミを見て肩をすくめた。続いて、アリゲイツ、チャーレム、リザードが現れ、それぞれルードの後ろについた。
「――六対四だ。てめェらには
レントラーの顔には一転、焦りの色が浮かんだが、そこからの行動はとんでもなく早かった。
「
叫ぶが早いか、レントラーは瞬時に踵を返した。他のメンバーもなかなかのもので、一瞬遅れはしたもののすぐさまその後に続いて、瞬く間にランナベールの方へと撤退してしまった。
「根性のねェ奴らだな」
ルードはそう悪態をついたが彼らの判断は正しかったと思う。自分たちの力を過信するわけではないけれども、数の上での不利を跳ね返すのは、圧倒的な実力差があるか、練りに練った作戦でもなければほぼ不可能だ。実際、
「すげえ! こいついったいいくら持ってやがる!」
セキイが早速、ヤミラミの持っていた鞄を開けて金貨を数え始めた。
「一万ディル白金貨ばっかりだぜ! 何枚あるんだ!?」
「すっごいお金……でも、回収して返すんだよね……」
セキイの後ろから興味深げに覗き込んでいたメントはそう呟くと残業そうに肩を落とした。
「だから貴様は阿呆だと言うのだ。こいつがいくら使い込んでるかなんて依頼主に分かるはずがないだろう。半分ほど頂いておけ」
「でも、グラティス・アレンザの株を上げようと思えばなるべく多く返すべきよ」
「ああ。オレは金なんてどうでもいいしな」
ロスティリー、キアラ、ルードもバッグの周りに集まって何やら金をどうするか話し合いはじめた。
「それでセキイ……いくらあるの?」
「三百九十……二、四、六……四百! 四百万ちょっとってとこだぜ!」
「百はもらっておいてもいいだろう」
「百ディル?」
「ほう。メントは百ディルでいいのだな」
「ええーっ!?」
「ロスティリー、意地悪しないの。百
「なんだぁ、百万ディルかぁ……って百万っ!!? ステーキ何枚分?」
「知るか。どこの馬鹿が百万ディルでステーキなんか買うというのだ。投資に決まっているだろう。金は使い方を誤るとすぐに底をつく。資金を如何に運用するかを考えねばならん」
あのさ。きみたち、リーダーよりお金の方が大事なわけ? 俺、さっきからずっと
からだがしびれてうごけない
んだけど。
ローレルはぱたぱたと尻尾で地面を叩いて自分の存在をアピールしてみた。
「あ……そういえばローレルはどうしたのかしら?」
キアラ、白々しすぎ。
「回復力ねェな。まだあそこで倒れてやがる」
や、ブラッキーに自然回復の特性を求められても困るんだけど。ていうかそういう問題?
「誰か街まで運んでくれる優しい
「……仕方ないわね」
キアラは呟き、肩を竦めた。
「痺れが取れたら下ろすから、言ってちょうだいね」
近づいてきたかと思うと、ローレルを軽々と担ぎ上げた。実はもうなんとか立って歩ける程度には回復してたりするんだけど。
「うん」
戦いで疲れたことだし、ここはキアラに甘えて家まで送ってもらうコトにしようかな。
「何? なんか嬉しそうね」
「任務成功、しかも副収入まで入ったわけだし」
「ふーん……」
キアラはやや訝しげにしながらもそれ以上は何も言わなかった。もしかするとローレルの魂胆は見透かされていたのかもしれないけど。
◇
「ルード、絶対に飛び出さないでよ?」
「わかってるッての。戦闘は俺の専門分野だからなァ」
首に掛けた小型の懐中時計に目を落とす。時刻は二十三時を少し過ぎた辺り。今夜は月の出ない朔の日。時計を確認するのも一苦労だが、暗殺にはお
「戦闘じゃなくて暗殺。暗殺ってのは普通、後から近づいてそーっと……」
「バカかテメェは。そんな卑怯な真似しても面白くも何ともねェじゃねェか」
「誰が面白くてこんなことするんだよ。生活のために決まってるでしょ。確実に決めないとダメなんだから」
ランナベール北東の端。入り組んだ迷路のような廃墟の街はひっそりと静まり返っていて、向かいの建物の屋根の上にいるルードとこうして小声で話が出来るくらいだ。
「そろそろお喋りはやめて、真剣にいくよ。くれぐれも、飛び降りるのはターゲットの後ろだからね」
「しゃーねェなァ。わァったよ……」
あとは身を屈めて姿勢をを低くし、息を潜めて
それなのに、一抹の不安が拭い去れない。この胸騒ぎは何なんだろう。
まさかこの任務がルードと俺、キアラの三匹になるとは思っていなかったからか。
本来ならローレルはロスティリーを指名するつもりだった。ところが一昨日、家を捨てたローレルを気前よく家に泊めてくれたルードが俺に行かせろ俺に行かせろと言って聞かないもんだから、仕方なくこのメンバーになったわけだ。
ちなみにグラティスアレンザでは、請け負った依頼はメンバーがそれぞれの得意分野を担当し報酬は全員で等分することになっている。今回出たのはローレルとルード、キアラの三匹だけだが報酬はきちんと全員に行き渡る。各自の遂行頻度はまちまちだけれども、文句を言う者は誰もいない。それどころか、ルードやセキイなどは任務に出しゃばって困るぐらいだ。
二十三時三十分になろうかというとき、左手から小さな黄色い影が現れた。
一回り身体の大きなフローゼルの女性に引き連れられて。
「嘘だろ? あんなガキかよ?」
「キアラが間違うはずないと思うんだけど……」
しかし
ローレルの心に、暗殺任務にあってはならない迷いが生じ始めた。
あのピカチュウの女の子はきっと何も知らずにキアラについてきているんだろう。ここでその短い生涯を終えることになるなんて露ほども思っていないに違いない。
一体、依頼人はどうしてあんな
「お姉ちゃん、ホントにパパの居場所知ってるの?」
「ええ……もうすぐお父さんに会えるわ」
でも、あの
俺はあの仔をこれから手に掛けるってのか。
――何を。この道に飛び込んだ時から覚悟は決めていたはずだ。
見ろ、キアラだって平気なわけじゃないだろう。
もうやるしかない。
キアラとピカチュウの女の子がローレル達の真下に来た時。
ローレルとルードは同時に屋根から飛び降りた。
回転しつつ
少女の命はもはや風前の灯――――
◇
ばらばらに砕け散るコンクリートの破片。ルードが打ち砕いたのは
ルードはその光景に我が目を疑った。
お前何やってんだよ。
ルードとキアラが戸惑っていると、立ち上がったローレルは何か希望の光を得たような目でルードたちを見据えた。
「……思ったんだけどさ。依頼は確かにこの仔の暗殺だよ。どんな理由か知らないけど、依頼人はこの仔に消えて欲しいんだよね。それなら俺達がこの仔をかくまって、依頼人には殺したと伝えればいいんじゃないかな」
なるほど。そういうことか。
何だかんだ言ってまだこっちの世界には入りきれないってのか。
「お前だってわかってんだろ、ローレル。あの日自分で言っていたこと忘れたのかよ? ハンターの仕事に善も悪もねェって。こんなことはこれから何度もあるぜ。その度にそうやって情けをかけていてこの稼業が務まると思うか?」
ルードが右の掌に波動を集め始めるも、ローレルは
「ルード……この任務が失敗したって次は……」
「仕事の内容は選べないのがハンターだろ。それとも何か? お前も含めてオレ達が今までに消してきた命は軽いけどこいつの命は重いってのかよ。ま、ハンター稼業の日の浅いお前の気持ちはわからねェでもねェけどな。頭で分かっててもできねェんだろ? これを機に乗り越えろ。ここはオレが殺るからしっかり見とけ」
ルードの説得にもローレルは頑なに首を横に振る。
くそ、早くしねェと保安隊が来るかもしれないってのに……
「ローレル……ルードの言う通りよ。私たちはそういう世界にいるんだから」
「キアラ……そうは言うけど、君だってこんなことしたいわけじゃないだろ?」
こんなとこでグズグズしてる暇はねェ。
ルードはその恐怖に怯えた瞳を一睨みしてやった。
「うわぁぁぁん!」
殺される事を本能が悟ったのか、
「待て、逃げるなっ! 戻ってくるんだ!」
ローレルの声ももはや届かないらしい。
ルードの波動弾は背を向けて走る
神なんて信じちゃいねェが、まさに神のみぞ知るってやつだろうな。
◇
「ルード、きみ……それでも
ローレルは今にも殴りかかってきそうな勢いで、怒りと悲しみの色が複雑に入り交じった瞳でルードを睨みつけた。
「……任務完了だぜ。今回はあまり気持ちのいい仕事じゃなかったけど――」
刹那、ルードはローレルの頭突きをまともに顎に食らって吹き飛ばされた。空中で体制を整えて着地するも、脳を揺らされたダメージは大きく溜まらず膝をつく。
「何が任務完了だ! あんな小さな仔を殺しておいて、よくもぬけぬけとそんなことが言えるね? きみには自責の念すらもないっての?」
「ローレル、やめて!」
ルードに追撃を加えようとしたローレルをキアラが後ろから押さえる。
「キアラだってなんで黙って見てたんだよ? 君もルードを止めることぐらいできたはずだろ!」
「無理だ。キアラの
「な、に――?」
ローレルはキアラの制止を振り切って突進してきた。ルードは両腕をクロスさせてガードするのが精一杯で、ローレルの攻撃で受けた衝撃を吸収しきれるはずもなく後転を繰り返すようにゴロゴロと地面を転がった。
「見損なったよルード! 君はもっと騎士道精神に溢れた奴だと思ってた! まさか本性がこんな――」
バチン、という鈍い音が響き、ローレルは最後まで言葉をつむぐ事が出来なかった。横へゴロゴロと転がっていくローレルはそのまま建物の壁に激突する。
「バカ! どうしてわからないの? ルードはあなたのことを想って汚れ役を引き受けたのよ?」
「バカはお前だキアラ! それを言ったら元も子もねェだろうが……」
「汚れ役……?」
きょとんとするローレル。キアラの"はたく"で口内が切れたらしく、口からは血が流れている。
つーか叱責のビンタにしちゃ威力ありすぎだろ。アレか。オレがキアラの戦闘力を過小評価したことへの抗議か。
「ルード……」
「あー、もういい。さっさと帰るぞ! 保安隊に見つかったらどうすんだよ!」
ルードはローレルとキアラを残して駆け出した。
「ルード! 待って――」
ローレルの声にも振り向かず、大きく跳躍して近くの建物の屋根に登る。そうして屋根から屋根へと跳びすぐに廃墟を抜けた。
静まり返った廃墟を背に、飾られた
――バカ野郎。
こんな穢れた手で、詫びや感謝の気持ちなんて受け取れるわけねェだろうが。
◇
「カルミャプラムからの報酬よ」
二件の依頼で店から受け取った報酬は約六万ディル。六等分して一万ディルずつ。店には三割入るから、依頼人の払った額は合計して八万六千ディルくらい。売人暗殺で得た副収入は、チームの共同資産として会計担当のキアラが管理することになった。
ちなみにランナベールでの一月の生活費は、
「俺は要らない。代わりにルードに渡してくれ」
ローレルはまだあの夜のことを引きずっているらしい。もしかしたらあれからずっとルードの家に泊まりこんでいるということもあるのかもしれない。
「……そういうわけにはいかねェだろ。リーダーがグラティス・アレンザ唯一のルールを守らねェでどうすんだ?」
「そうだぜローレル! 相手が小せー仔供だからって俺達のやる事は変わ」
ボグッ、と拳のめり込む音。例によって例の如くセキイの隣に座っていたルードが裏拳を放ったのだ。
「バカ野郎、要らねェことを……」
「いや……セキイの言っていることは事実だよ。俺どうかしてた。あんな気持ちのままこの稼業やってたらいつかダメになってた。俺をリーダーに推薦してくれたきみたちの期待を裏切ることになってたかもしれない」
ローレルは一語一語噛みしめるように言った。まるで自分に言い聞かせるように。ローレルはローレルなりに気持ちを整理したのだろう。
「じゃあ受け取れよ。報酬」
「……ああ、わかったよ」
ローレルの意思を確認し、キアラは彼に千ディル銀貨十枚を手渡した。そのあと失神しているセキイの鞄に入れ、他の三匹に配って山分け完了。
「で、ルードに一万ディルあげる」
「ばっ……お前、マジでわかってねェのか?」
「違うよ。君の家に住んでるんだからさ。生活費は君に全部預けるってこと」
「……なんだ、そうか。んじゃ貰っとくぜ」
「でも管理まできみとは言ってないからね。ちゃんと節約して貯金もしないと。しばらく依頼が入ってこなくなったりして収入が無くなったら終わりでしょ? 考えなしのきみに任せてたんじゃ俺まで苦しくなるだろ」
「あら? そのときは私がいるじゃない」
「キアラを頼るわけにもいかないよ。この店の仕事でいくらなんでも六人を救済できるほどの収入は無いでしょ」
「あなた
「なっ……オイ、オレは?」
「おれたちは一心同体でしょ?」
「全くだ」
目を丸くするルードに続いてメントとロスティリーも口を尖らせた。そしてもう一人、ついさっきまで寝ていた仔。
「そうだぜキアラ! 恋人だけ救済ってのはあんま」
ボグッ、と拳のめり込む音。まだセキイの隣に座っていたルードが裏拳を放ったのだ。
セキイは目を覚ました瞬間にまたしても失神することとなった。
――パンチドランカーにならなきゃいいけど。
ていうかみんな何笑ってるのよ。笑い事じゃないでしょう――
「あははっ――ルード、もうちょっと加減してやりなさいよぉ」
「キアラ、笑い事じゃないってば」
キアラはつい吹き出してしまい、ローレルに釘を刺されてしまった。
……私としたことが。
まぁ、何があってもこうして楽しく過ごしていけるなら。
こんな稼業でもずっとやっていけるかもしれない。
◇
ひっそり静まり返った廃墟には誰もいない。
一月前と同じ朔の日の夜、そこには花束だけが風に吹かれていた。
ルードだろうか。
――まさかな。ルードには花なんて似合わない。きっとキアラだろう。
ローレルはそう思って同じ場所に花束を捧げた。
こんなことをして罪が消えるとは思わないけれど。あのままあの子のことを忘れ去るなんて、俺には到底できそうもなかったから。
ローレルが目を閉じて冥福を祈っているときだった。
「ローレル……あなたもここにきたのね」
背後から聞きなれた女性の声が掛かる。
そこに立っていたのはローレルのものより一際大きな花束を抱えたキアラだった。
「キアラ? じゃあ最初の花は……」
「……みんな平気ってわけじゃないのよ」
キアラは持っていた花束を他の二つの横に供え、目を閉じて真っ黒な虚空へと祈りを捧げた。
そこに輝く月はない。
せめて、月さえも眠るこの夜くらい――
――俺たちの残酷な刃に掠め取られた希望も、命も。安らかに眠っていてほしい。
それが自分勝手な願いだとわかっていても、祈らずにはいられなかった。
~Fin~
感想いただけると嬉しいです。その他、ご指摘など何かあれば遠慮なくどうぞ。
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