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最強を目指すガブリアスの物語【後編】

/最強を目指すガブリアスの物語【後編】

作者:彩風悠璃
ガブリアス(♂)×フライゴン(♂) 健全物です。こちらは後編になります。
※話の都合上、作中でガブ⇔フライゴンが互いにバカにしたり蔑んだりしてますが最後は和解して仲直りします。
※種族値差カプなので3値やらレートの光景などのメタ的な描写が多々あります。
※トレーナーも割と出て来ます(名前や詳細な設定などは一切ありません。利便上書いてるだけな感じです)
※書いてる人は低レート帯なので、高レート帯の環境描写に矛盾や間違いなどが多々あるかと思います。ご容赦ください。



 何故だか居心地が悪くなり、ガブリアスは秘密基地を後にした。
 あのトレーナーは砂漠の影にある秘密基地でこっそり特訓をしたり、バトル環境を熱心に調べていた。
 ガブリアスのトレーナーも環境の研究には真剣に取り組んでいるが、彼女とは纏うオーラが全く異なる。彼女のそれは、弱いトレーナー特有のものだった。
 弱いトレーナーになど付きたくはない。オレ様を扱えるのは真に強いトレーナーだけ。そう思っているはずなのに、何故だか無性にあのフライゴンを羨ましいと感じてしまう。
『……あ……』
 砂丘のど真ん中に浮かぶ小さな影。おぼろげな月光に照らされたそれが、次第に色を帯びていく。
 ――フライゴン?
『何やってんだアイツ……』
 フライゴンに見つからないよう、近くの砂山に姿を隠す。こういう時に特性が砂隠れならばもっと近づいて様子を伺うことができたのにと、柄にもないことを考えてしまった。
 赤みを帯びたチョッキを着込み、何度も何度も砂丘に向かって尻尾を打ち付けている。
 あれは――とつげきチョッキ?
『本当に色んな型を模索してんだな、アイツ』
 命の珠やこだわりスカーフではなく、とつげきチョッキまでも試しているだなんて。
 よしんば特殊攻撃を受けたとしても、あの持ち物とフライゴンの火力では相手を打ち倒すことはできないだろう。
 確かに奴は羽休めを覚える。だが、それではチョッキを使うことはできない。種族値もタイプも、耐久に優れているとは言えないと思うのだが。
『でも、んな事アイツには関係ねえのかもな……』
 種族値やタイプ相性に恵まれていなくとも、特性で差別化ができなくとも。それでも奴は地面ドラゴンポケモンとして生きていく道を必死に模索している――そのことがガブリアスの胸を打った。
 今まで自分では考えたことがない。確かに自分もチョッキを着たことはあったが、考えて着たわけではなくトレーナーの指示だ。
 今の努力値配分だってトレーナーの指定したもので、ガブリアスの意向なんて全くない。だから彼のように自分で新たな型を模索しようとしたことはない。
 自分で考えたところで、結局のところあのトレーナーの意思が優先されるのだから。
 ……ちょびっとだけ、奴を妬ましいと思ってしまった。強者が弱者を妬むだなんて、これまでガブリアスが一度も経験したことのないことだ。
 ――キミが居なければ、ボクはここまで惨めな思いをすることだってなかった。
 ――キミが、ボクをめちゃくちゃにしたんだ。八つ当たりしたいのは、ボクの方だよ。
 ガブリアスの脳裏に、フライゴンの言葉が鮮明に蘇る。
 ……惨めな思いをしてるのは、オレ様のほうだ。
 勝つことが当たり前だと思っていた。強くて当たり前だと思っていたから、弱い奴の気持ちなんて考えたことが無かった。自分が『弱いかも知れない』だなんて、一度も考えたことが無かった。
 オレ様がメガガルやマンムーに勝てないのはオレ様が弱いんじゃなくて、奴らが強いんだと思っていた。単なる強者と強者の戦いで、本気でぶつかれば負ける筈がないと信じ切っていた。
 だが、それと同時に心のどこかでオレ様は奴らに叶わないというのも分かっていたんだ。
 ――フライゴン。あいつは自分の事を『弱い』と言った。オレ様のことを『強い』と妬んだ。
 けれどアイツは自分の弱さを認めて、トレーナーと一緒にこんなにも懸命に努力をしている。
 それに比べてオレ様はどうだ? 今まで努力をしたことがあったか? そのうちメガガルやマンムーに勝てるとばかり思って、勝つ為の努力を自分でしたことがあっただろうか。
 それなのにオレ様はアイツに八つ当たりをして――本当の意味で憐れで惨めで情けないのは、オレ様のほうだ。
『……くそっ。何だよオレ様……めちゃくちゃカッコ悪ィじゃねえかよッ!』
『ガブリアス?』
 自分でも無意識に吠えていた。そのことに気付いたのは、特訓に励んでいた筈のフライゴンがこちらを怪訝そうに見つめてきた為だ。
『……見て、たんだ』
『フライゴン……?』
『ボクのこと、ずっと見てたんだ』
 赤のレンズが遮断する漆黒の双眸が滲み、その細い肩が小刻みに戦慄く。
『おかしい? 弱いボクが特訓しているのが、惨めに特訓しているのが、そんなにおかしいかな?』
『ち、違――』
『来るなッ!』
 伸ばしかけた手が、張り裂けそうな彼の声に遮られる。
『おかしいよね? ガブリアスは最強だもんね。弱いボクがこんな特訓してるなんて惨めだよね』
『…………』
『分からないよね? ボクの気持ちなんて、お前に分かる訳がないよ。メガシンカもあって、種族値にも恵まれていて、特性も悪くないお前になんか……』
『フライゴン、オレ様は――』
『喋るなッ! お前なんて消えて居なくなれって言っただろ!?』
 止め処ない感情を吐き出すように、フライゴンは声音を張り上げた。それはさながら爆音波のようで、最近新たに彼が習得した技を彷彿とさせた。
 ――きっと、悔しいのだろう。
 特訓をしている情けない姿を『消えて欲しいくらいに憎い相手』に見られて、悔しがっているのだ。
 確かにオレ様は、こいつが苦しんでいる姿をずっと見てみぬフリをしてきた。メガシンカできなくてネタにされ、何かとオレ様と比較されてネタにされた挙句、ギリーから貰えるのはオレ様のメガストーン。
 唇を噛み締め、ガブリアスは視線を足元に落とす。
 ……苦しんできたんだ。それなのにオレ様は、自分より弱ェ奴に興味がないからフライゴンなんて気にも留めなかった。気にしたことがなかったから、今までフライゴンの心の叫びを聞いたことがなかった。
 どうでもいい筈なのに。自分より弱ェ奴がどれだけ傷付こうが、どれだけ苦しもうが、オレ様には関係ない筈なのに。
 ……どうしてオレ様の心はこんなにも抉れて、蹂躙されていくのだろう。

 こんなにも努力をしても報われず、こいつの努力を知らねぇ奴からバカにされ続けて。
 それでも表向きは気丈に笑って、辛さや悲しみを笑顔の裏に必死に隠しながらずっとずっと頑張ってきて。
 誰もこいつの悲しみを知らないし、分かろうともしていないんだ。
 それでもアイツは立ち止まることなく、必死に頑張っていて――

 それに対するオレ様は強いのが当たり前で、周りからチヤホヤされて、強い奴らと楽しくバトルができて。努力なんてしなくても常に最強を維持できて、自分の力に慢心して。
 誰もがオレ様の強さに憧れて、誰もがオレ様を認めてる。でもオレ様自身は、努力や頑張ることをしていない。
 今の自分を変えようとしたことなんて一度もなくて、トレーナーの指示通りにすればそれだけで最強になれた。

 本当の意味で『強く』て、本当の意味で『弱い』のは、果たしてどちらなのだろうか。

『……ほらよ』
 その場で胡坐を掻き、ガブリアスは瞼を落とした。
『何のつもりだ、ガブリアス』
『殴れよ、好きなだけ』
『……は?』
『オレ様を好きなだけ、気が済むまで殴れっつってんだよ』
 戸惑うフライゴンに、ガブリアスは何度も呼びかける。
 オレ様は今まで見てみぬふりをしてきた。こいつが苦しんでいるのを知っていたのに、興味が無いからと無視していた。
 ……だから、フライゴンにはオレ様を気が済むまで殴る権利がある。
『いいから早く殴れ』
『……ッ……!』
『オレ様のことが憎いんだろ? ……それも当然だよな。安心しろ、オレ様は抵抗しねぇから』
 フライゴンが大きな羽を動かし、ゆっくりとこちらに近づいてくる。歯を食いしばり、来るべき衝撃に耐える準備をする。
 相手はドラゴンタイプだ。抵抗することなく一方的に殴られれば、恐らく無事では済まないだろう。
 だが、それでも良かった。これでこいつの気が張れるのならば。真の『弱者』であるオレ様がこいつにしてやれる償いは、これくらいしかないから。
 頭はお世辞にも良いとは言えないし、性格も粗暴でがさつ。自分で言うのも何だが口も悪くて、協調性もない。戦闘以外においては、ガブリアスは何の取り柄もなかった。
 友人だっていないし、両親は自分と同じ戦闘狂のガブリアスと廃人のような虚ろな眼差しを湛えたメタモン。
 誰からの愛情も注がれたことがないし、誰を愛したことも、好かれたこともない。バトルだけが生き甲斐で、バトルだけがガブリアスの友だった。
 そんな不器用で一匹狼として生きてきたガブリアスが思いつくフライゴンへの償いは、こんなものしかない。
『ガブリアス……ッ……!』
 奴の尾が空気を切り裂き――ガブリアスの頬に触れる寸前で、それがピタリと止まる。
『…………?』
『ふざけるな! ボクをバカにしているのかッ!』
 フライゴンの声が震えている。瞼を持ち上げると、そこには大きな赤のレンズに透明の雫を大量に浮かべたフライゴンがいた。
『抵抗しないお前を一方的に殴っても、ボクの憎しみは晴れない……。お前が無抵抗でなければ倒せない程にボクをバカにしているのか!?』
『違う』
『違わない! だったらどうして抵抗しない!? ボクをからかっているんだろう!? 弱くて、惨めで、情けないボクを……ッ……!』
 言葉の最後は嗚咽に飲み込まれ、声にすらならなかった。それでもフライゴンは何度も何度も声を啜りながら、懸命にガブリアスに何かを訴えようと口を開く。
 だが、その全てが言葉にならない。それでも彼の訴えはガブリアスの耳にしっかりと届いていた。
 声になっていない彼の嘆きを、訴えを、嗚咽を。彼が呼吸を挟みながら懸命に告げるその言葉を、ガブリアスは一切聞き逃しはしなかった。
『……お前は強いよ』
『っ!? だから、ボクをからかっているのか!?』
『違ェよ』
 激情に震えるフライゴンの言葉を半ば遮り、ガブリアスは静かに呟く。
 ガブリアスに強者と言われても煽られていると感じるのは仕方がない。そう認めざるを得ない程に、ガブリアスは彼の心が抉られていることを感じていた。
『オレ様はな、強い強いと言われ続けてきた。向上心を持ったり、努力したり、今の自分を変えるっつー事を怠ってたんだ』
『……実際にお前は強いんだから、努力しないのは当たり前じゃないか』
『ああ、オレ様もそう思ってたよ。今日のお前を見るまではな』
 視線を持ち上げ、フライゴンの赤いレンズと目線を交錯する。
 あまり間近でフライゴンを見たことが無かったが、こうして見ると愛らしい顔をしていると思う。厳ついガブリアスには絶対に無い穏やかさと暖かさが、そこにはあった。
『……なんだかな、オレ様はただ単に“最強”っていう言葉に溺れてただけなんだ。実際はオレ様が勝てねえ奴だっている』
『メガガルーラや、マンムーのことか?』
『へっ。さすがは同じタイプに似たような種族値なだけはあるぜ。――その通りだよ』
 弱々しく吐き捨て、ガブリアスは自嘲を孕んだ冷笑を零す。
『フライゴン。お前ならそいつら相手にどう立ち向かう?』
『……タスキを巻いても意味がない。だが、ヤチェの実を持ったり、他のポケモンとの連携ができれば或いは……』
『そこだ』
 顔を上げ、視線を遠く彼方へと飛ばす。無数の星がそれぞれ己の存在を示すかのように瞬いている。
『オレ様の考えは何だと思う?』
『……力でねじ伏せる、か?』
『そう。その通りだ。オレ様は対策なんて考えたことがねぇ。考えたところで、オレ様はトレーナーに決められた通りにしか動けねえ。オレ様のトレーナーが出した結論は、メガガルやマンムー相手には退け、だとさ』
 自分自身を嘲るような、凍てついた笑いを浮かべて。ガブリアスは戦慄く身体を両腕で抱き寄せる。
『……勝てねえんだ。オレ様はあいつらに勝てねえ。勝てるように努力するようなこともしねえ』
 それはフライゴンに話すというよりは最早、自分に言い聞かせるように囁くのと同義だった。
『オレ様はがむしゃらにあいつらに立ち向かうことによって誤魔化してきたが、結局オレ様はあいつらに勝てねえ。勝てる努力すらしねえんだ』
『強者は賢いな。勝てない相手の対策を考えるよりも、勝てる相手をどのようにして捻じ伏せるかを考えてるんだろ?』
 愛らしい顔に似合わない嫌味を言葉に含み、フライゴンが唇を吊り上げる。だが、ガブリアスはそれに対しても皮肉げな冷笑で返した。
『それは強者とは言わねぇ。弱ェ奴が自分を誤魔化すためにしてるだけだ』
『……ガブリアス。お前は結局、何が言いたい?』
 こちらの顔を覗き込むフライゴン。憮然に唇を尖らせているものの愛嬌のある、幼さの残滓を伝える顔つきに近づかれて、ガブリアスは思わず視線を露骨に逸らす。
『バトルっつーのはな、気迫なんだ。その点において、努力を怠らないお前はオレ様よりも強者だ』
『…………』
『オレ様はお前が羨ましいよ。一緒に頑張れるトレーナーがいて、共に成長や喜び、苦しみや悲しみを分かち合える存在がいて、どれだけバカにされて、詰られて、罵倒されても、決してくじけない心がある。この地点で、オレ様がお前に勝てる要素なんて何ひとつとしてねえんだ』
 目線は逸らしたままで、ガブリアスは深いため息を零した。
 少女のトレーナーは低レート帯だ。バトルの研究や試行錯誤を欠かさないし、フライゴンたちと共に常に成長しようとしている。
 彼女と共にいたメタグロスも、かつて栄光の座についていた頃のプライドを捨てて、彼女やフライゴンと共に頑張っている。
 そしてフライゴン――絶対的な強さを持つオレ様と比べられても、ホウエン出身ドラゴンで唯一メガシンカを貰えずとも、弱い使えないと言われ続けても、決して強者に屈することなく努力を怠らない。
 ――完敗だ。完全に、オレ様の負けだ。
『だから胸を張れ、フライゴン。お前は強い。もっともっと強くなれるさ』
『ガブリアス……』
『八つ当たりなんかして、悪かったな。どうしてお前がオレ様より楽しそうに笑ってたのか分からなくて、それで癇癪を起こしてよ……最低だよな、オレ様って』
 絞り出すように謝罪の言葉を口にするも、ガブリアスはフライゴンの眼を見ることができなかった。
 弱くて情けない自分を認めることがこんなにも辛いことだなんて。フライゴンはそれを周りから言われつつも、自分でもそれを認めて今までずっと頑張ってきたんだ。
 そう考えれば、フライゴンの眼を見て謝ることすらできない自分が本当の意味で弱いのだと思い知らされる。
 腰を持ち上げてくるりと踵を返す。きっとオレ様の顔は惨めに映ってるのだろう。
『……じゃあな』
 それ以上語ることはない――いや、語ることができない。あまりにも情けない後ろ姿をフライゴンに晒し、ガブリアスはゆっくりと足を踏み出す。
 ――今なら分かるんだ。どうしてオレ様よりお前の方が楽しそうに笑っていたのかが。
 きっとそれはフライゴンが精一杯努力をして、毎日本当に必死で頑張っているから。
『……ガブリアス』
 ガブリアスの背に、フライゴンがぽつりと言葉を零す。
 互いにまだ言い足りない。まだ伝えたい、伝えなくてはならないことがある筈なのに。
 それでも互いにこれ以上語ることはなかった。

 ◆

「ガブ、少しは頭が冷えたか?」
『…………』
 相変わらず“データ”を見るような冷めた視線で、トレーナーはガブリアスに視線を送る。
 ガブリアスは口を噤み、彼から視線を逸らしてしまう。
 彼の様子が気に食わないわけではない。まだ自分の中で納得のいく答えを見いだせていないのだ。
 ――どうしてオレ様がメガガルやマンムーから逃げねえといけないんだ。
 その言葉とは裏腹に、ガブリアスの脳裏に浮かんでいるのはフライゴンの姿だった。
 アイツなら。アイツならこいつらに立ち向かうと言っていた。それなのにオレ様はこいつらに立ち向かうことすら許されていない。
 このままでは……ガブリアスは言葉を堪えて下唇を噛み締める。
「今日から新しいシーズンが始まる。またレート1500からのスタートだ。レート2000に上るまで、負けることは許されないと思え」
『…………なあ、オレ様は――』
「言っておくが、メガガルはともかくマンムーを連れた相手にお前は選出しない。分かったな?」
 ガブリアスの言葉を遮るように、冷たく鋭いトレーナーの命令が降りかかる。いや、ガブリアスの言葉を遮断した訳ではないのだろう。彼とは言葉が通じないのだから。
 もしも、もしもこれがフライゴンのトレーナーだったなら。
 ――え? メガガルやマンムーを倒したい? んもーしょうがないなぁ。だったら一緒に考えよっか! どうすればその二匹をガブリアスが倒せるのか! グロス、どう考える?
 ――ヤチェの実なんてどうでしょうか。ガブリアスさんの高耐久にヤチェの実、そして返しの高火力逆鱗ですぞ! ……って、あれ? ガブリアスさんの逆鱗がマンムーに確定2発ですと……! ワタシの計算が……ぐぬぬ……!
 ――だいじょうぶ! 貴重なタスキ枠も空くし、他のポケモンでも倒せる圏内には持っていけるじゃない! ナイスだよ、ガブリアス!

 そして、フライゴンもきっと――

 ――絶対に諦めない、だろ?

 脳裏に浮かんだフライゴンの虚像が張り切った笑顔を浮かべる。その笑みに対し、ガブリアスはにやりと唇を歪めた。
 オレ様には無理でもお前ならきっと、いつかはあいつらに勝てるかも知れねえな。
「早速対戦相手が見つかった。行くぞ、お前たち」
 トレーナーがガブリアスたちに背を向ける。
 ガブリアスの戦友たちも、最早交わす言葉はない。互いに実力を誇示し、バトルで結果を見せるだけの冷めた関係だ。
 昨日まではそういう関係でも何ら文句はなかった。むしろ強者同士らしくて好きだったと言っても良いだろう。
 だが今となっては、バトルにおいて互いに背を預け合う仲間としてはあまりにも冷たすぎるこの関係に嫌気が差していた。
 ――昨日、あんなにイイモンを見ちまったせいだな……。
 歯を食いしばり、もどかしさを耐え忍ぶ。今からバトルが始まる。
 気を切り替えねば――見つかったという対戦相手の情報を見るべく顔を上げたと同時、ガブリアスは何度も目を瞠った。

サンダース、エーフィ、ブラッキー、バシャーモ、メタグロス、フライゴン

「……何だ、このポケモンたちは。これだから新シーズン初日はつまらん」
 嘲笑にも似た笑みを零すのは、ガブリアスのトレーナーだった。
 戦えばそこそこ強いだろうが、自分たちが相手をするにはあまりに役不足だと言いたいのだろう。だが、ガブリアスが言葉を失った理由はそれではない。
 バシャーモ、メタグロス、そしてフライゴン――昨日のあのトレーナーを彷彿とさせるそのポケモンたちに、ガブリアスは圧倒したのだ。
 いつもは一縷も興味を示さない対戦相手のトレーナーを見遣る。頭に赤いバンダナを巻いた少女が、屈伸運動をしながらメタグロスと共に何か会話を交わしている。
 ……間違いない。昨日のトレーナーだ。
 彼女と当たったのは偶然であって、偶然ではない。今日から新シーズンだ。互いにレート1500なのだから、低レート常連の彼女と当たるのも不思議なことではない。
 ブイズの型は分からないが、あのバシャーモは恐らく――
『おい、相棒。あのバシャーモはスカーフだぜ』
「先発はお前が行け、ガブ。今日のお前にはタスキを持たせてある。相手の先発がダースで眼鏡だったとしても、タスキならば返り討ちにできる」
『いや、だからあのバシャーモ……』
「バシャーモがいるのならば、ガルーラは控えておこう。代わりにメガゲンガーだ。守る読みで鬼火を当ててやれ」
『相棒、オレ様の話を――』
「どの相手もガブで抜けそうだな。不意にガブを落されないようにすることだけを考えて立ち回れば負けることはない」
 このトレーナーにガブリアスの言葉は届いていない。他の戦友たちにはガブリアスの言葉が聞こえている筈なのに、歯牙にもかけず口を噤んでいる。
それどころか戦友たちは、奇異の目線でこちらを見据えている。いつものガブリアスと違う――そう察しているのだろう。
 スカーフのバシャーモなんているはずがない、加速があるのにスカーフだなんて馬鹿げている、あの並びだとメガストーンか、或いは珠だろう――
 無言の視線に孕んだ数々の言葉が、ガブリアスの背中を容赦なく穿つ。
 ――誰も、オレ様の声を聞いてはくれない。
 今までは戦うだけで良かった。強い奴らと戦えればそれで良かった。それなのに、それだけでは足りなくなった。
 戦友と語り合い、勝利を共有しあい、敗北を糧とする――そんな関係に憧れてしまったのだから。
 トレーナーに聞こえないのは当たり前な筈なのに、あの少女やフライゴンを見ていると自分でもトレーナーに言葉を届けられるのではないかと錯覚した羞恥心が頭の中を支配する。
 ――聞こえる訳、ねえもんな。
 結んだままの唇に、自嘲を孕むかすかな笑いを浮かべる。……気分を切り替えよう。これから大好きな筈のバトルが始まるのだから。
「試合開始だ。行け、ガブリアス」
 事務的に告げるトレーナーの声が、ガブリアスの背を押す。やるせない思いとやり場のない悲しみで胸をつっかえたまま、ガブリアスは渋々バトル場へと駆けた。
「行っておいで、フライゴン!」
 少女のトレーナーが笑顔でフライゴンを送り出す。愛嬌のある笑みを振りまき、その場でくるりと一度だけ回って見せる。
 こちらはタスキを持っている。……負けることはない。杞憂のはずなのに、ガブリアスの背筋に嫌な汗が流れ、戦慄が迸る。
 何故だろう。負けるはずのない対面なのに、勝てる気がしないのだ。
 そしてその不安は当然、ガブリアスの背中にいるトレーナーには伝わらない。
「ふん、初手はフライゴンか。ということはダースはいないな。ガブ、逆鱗だ!」
 ――本当に良いのか? 逆鱗を撃てば、オレ様は退くことすらできなくなっちまう。
「何を躊躇しているんだ。早くやれ。俺たちはこんなところで立ち止まっている暇などない」
 ――あのフライゴン相手に逆鱗を撃って、本当に大丈夫なのか?
 嫌な予感が頭を過るが、ガブリアスはトレーナーの指示を無視することができない。
 悲しみも悩みも葛藤も、何もかもを吹き飛ばすかのようにガブリアスは全てを捨てて。
「がるるるるルルゥ!」
 地面を蹴り上げ、音も風も全てを置き去りにして駆ける。
 風鳴り音が耳をつんざき、周囲の光景が一瞬で流れるように過ぎていく。あんなに遠くにいたフライゴンが既に目前にまで迫っている。
 ガブリアスはフライゴンの華奢な身体に向かって、一閃。腕の刃でその身を切り裂いた。
「ふりゃっ……!」
 だが、ガブリアスが切り裂いたのはフライゴンの身体ではなかった。
 フライゴンの身体に添えられた朱色のタスキ。それが無残に散り、布きれと化してフライゴンの足元に落ちていく。
 ――タスキ、か……だったらオレ様も……!
 刹那に天から数多の星が降り注ぐ。隕石と呼ぶに相応しいその星の雨は、容赦なくガブリアスの身体を突きさして。
 ――ぐっ……!
 フライゴン同様、タスキで皮の首一枚繋がった。
 お互いタスキならば素早さで勝っているガブリアスに分がある。このままフライゴンを落として、次のポケモンが何なのか確認することくらいはできるだろう。
 例え先制技が飛んできても、鮫肌のガブリアスとの相打ちになる。ガブリアスの納得がいくバトルではないが、これがこのトレーナーの意思ならば。
「フライゴン、フェイント!」
 逆鱗で暴れている最中のガブリアスの耳にも、少女の声が届く。
 やはりガブリアスの予想通り、フライゴンは先制技で攻めてきた。相手がフェイントで来ると分かっていても、暴れている最中のガブリアスにはどうすることもできない。
 ――同時撃ち、か。
 凶暴な風圧を従えて迫るフライゴンの尾がガブリアスの頬を掠め、今度は無慈悲に叩きつけてきた。
 技の威力は微々たるものの筈なのに、ガブリアスにとっては先ほどの流星群や、いつもの氷技よりも特に痛みを覚えた。
 ――きっとそれは身体的なものだけではなく、心のどこかにできてしまった深い傷なのだろう。
 オレ様はフライゴンに倒された。だが、奴だってオレ様の鮫肌で――

 フライゴンは、倒れなかった。

『なッ――!?』

 薄れゆく意識の中、ガブリアスは確かにフライゴンの顔を見た。
 細い肩で息をしていて、立っているのが不思議なくらいに身体もボロボロで、ガブリアスの刃の剣戟を浴びた箇所を痛々しく抱いて、それでも表情は凛々しくて。
 ――どうして。フェイントは直接攻撃のはず……!
『ガブリアス……。フェイントは、非接触技……だよ……』
 意識が完全に途切れる寸前、ガブリアスはフライゴンの勝ち誇った表情と共に紡がれた言葉を耳にした気がした。
 ――そうか……じゃあ、オレ様の完全敗北、だな……。
 自嘲気味に笑い、ガブリアスは心の中で肩を竦める。未だかつて味わったことのなかった、格下相手への敗北。
 だがそれは、どの強敵に負けたときよりもずっと清々しくて、悔しかった。

 ◆

 バトルの結果は、ガブリアスのトレーナーが辛くも勝利をおさめた形になった。
 メガゲンガーがスカーフバシャーモの奇襲に合い、パーティが崩壊しかけたのだとか。それを立て直せたガブリアスのトレーナーはやはり高レート帯の常連であることを暗に証明してしまっていた。
 結果は勝利の筈なのに、ガブリアスの心は完敗したときの心境に沈んでいた。それなのにどこか心が穏やかで、負けても良いバトルがあるんだなと思えたのだ。
「残念だったね、みんな。でもすごく良いバトルだったよ!」
 少女が自分のポケモンたちを賞賛する。ボロボロのフライゴンも、バシャーモも、バトルに出て居ない筈のポケモンもみんな6匹が揃って眩しいほどの笑顔を浮かべていた。
 対するガブリアスたちは勝利したにも関わらず興味が無いと言わんばかりに次の勝負の準備を整えている。
 相棒は勝利そのものに対する関心がない。そしてそのトレーナーの姿勢は、ガブリアスの戦友たちにも染み込んでいた。
 共に肩を並べて勝利の余韻を分かち合った記憶なんて無い。何度も戦友は入れ替わり、外されては戻されてを繰り返してきた。ガブリアスも何度か外されたり、型を変えさせられたりもしてきた。パーティから外され、ボックス特有の閉塞感に詰め込まれるあの寂しくもどかしい感覚には未だ慣れそうにない。
 ボックスの中に閉じ込められるのが嫌な訳ではない。自分はもうトレーナーに必要とされていない、バトルをする必要が無い。
 それは即ち、自分は存在する意味がない――そう思い知らされているようで、胸が切なく淀むのだ。
 もう二度とあの閉塞感を味わいたくない。そういった想いも自分の中に一縷ながらあるのかも知れない。
 だから自分はこうして毎日駆けるようにバトルに勤しんでいるのだろうか。バトルをしている時だけは、嫌なことも辛いことも悲しいことも、全てを忘れることができるから。
 バトルに勝利し、自分が“最強”であることを誇示し続ければ、自分に存在価値があるということだから。
『くそっ……!』
 バトルに負けたことが悔しいのではない。フライゴンに圧倒されたのが心残りという訳でもない。増してや、このトレーナーに再び見捨てられることを恐れているわけでもない。
 勝敗など些細なことだと言わんばかりに互いに賞賛し合い、笑顔で語り合うフライゴンやメタグロスたち――楽しげな光景がこんなに近くにあるというのに、手を伸ばしても届きそうにない程に遠くにあるのが酷くもどかしいのだ。
 言葉にできない程の歯がゆさを湛え、ガブリアスは静かにトレーナーの背中を見つめていた。
 するとガブリアスの視線を感じとったのか、トレーナーがにわかにこちらを振り向いて。
「本当に無様だ、ガブリアス。あんな雑魚相手に負けるとは」
『っ……!』
 オレ様がフライゴンに負けたのは事実だ。
 狂おしい程のもどかしさがガブリアスの心を支配する。
 オレ様が負けたのはテメェが逆鱗を命じたからだとか、そういう事ではない。悔しいのは敗北の事実をトレーナーに咎められたことよりも、何よりも。
『……フライゴンを雑魚扱いすんじゃねぇよ』
 自分が負けた相手を弱者呼ばわりされるのが気に食わないのではない。それとは関係無くアイツを雑魚だとか弱いだとか、そういう風に馬鹿にする奴が許せなかった。
「フライゴンに負けたガブリアスなんて情けなさすぎる。別のポケモンを使うべきか……いや、今回のは単なるマグレという可能性も……」
『マグレなんかじゃねーよ! あいつはオレ様を倒したんだ! それはマグレでも何でもなく、事実なんだよ!』
「今回は相手が馬鹿すぎた。何故初手にフライゴンなのか……重いガブを処理するためとはいえ、俺の初手が他のポケモンだったときにどうするつもりだったのか。これだから低レートの奴の考えることは理解ができん。スカーフバシャもそうだ。ああいうアホな発想にはほとほと呆れる」
『……ざけんじゃねえっ!』
 慟哭にも似た叫びを上げ、ガブリアスは気が付けばトレーナーの胸倉を掴んでいた。
 ポケモンが自分のトレーナーに手を上げる――本来ならば許されないし、そもそもそういった事態は起きない。
 その光景があまりにも異質だった為か、ガブリアスと共に戦ってきたポケモンだけでなく、少女のトレーナーたちの目線まで集めてしまった。
『オレ様たちはアイツらに負けたんだよ! アイツは……フライゴンはオレ様に勝ったんだ! 相手を馬鹿にすんのもいい加減にしろよな!』
「っ! な、何なんだこのガブリアスは! トレーナーに突っかかるなんて……ゲンガー!」
 刹那、ガブリアスの身体に珠の形を模した漆黒の影が飛び込んでくる。衝撃で吹き飛ばされたガブリアスは地面に伏したまま嗚咽を零した。
 ――何もかもに嫌気が差す。言われねェとトレーナーを助けようともしねえあのゲンガーにも、勝敗の事実にしか目を向けないトレーナーにも。
 そして何より、現状から抜け出す術のない自分自身に。
「全く、ポケモンは所詮データだ。余計な感情なんて持たれても困る」
『…………』
 冷たく研ぎ澄まされた冷淡な言葉の刃。どの氷技よりもガブリアスの身体と心を凍てつかせる。
 どうしてこんなトレーナーなんかと最強を目指していたのだろうか。そもそも、オレ様が目指していた最強とは何のことなのか。最早自分自身のことすら分からず、途方にくれた。
『ガブリアス』
 そんなガブリアスを呼ぶ声が響く。潤む視界を持ち上げると、そこには傷だらけのフライゴンの姿。
『……何だよ? 最強じゃなくなって更に惨めになったオレ様を笑いにきたのか?』
『…………』
『ふん、笑えよ。お前はオレ様に勝ったんだ。今まで笑われて、バカにされてきた分、思う存分オレ様を笑えばいいさ』
 自らを嘲るように目から口へかけて冷たい笑いが動く。もはやここまで来てフライゴンに八つ当たりをするような浅はかな考えも、気力も、ガブリアスからはとっくに抜け落ちていた。
『笑わないさ』
『……は?』
 きりっと眼差しを吊り上げ、フライゴンが絞り出すように言葉を続ける。
『ボクはずっとお前に消えて欲しいと思ってた。お前なんか居なくなればいいって、心からそう思ってたんだ』
『…………』
 フライゴンの言葉がガブリアスの胸を穿つ。
 今まで誰に嫉妬されようと恨まれようと、何とも感じなかった。そういうのは弱い奴が吠えてるだけだと思って、気にも留めて居なかったのに。
 改めて強者だと認めたこいつ――フライゴンに改めてそう言われることが、こんなにも悲しい事だなんて。
『けれど、それは間違いだった』
『え……?』
『お前がいるから、ボクは頑張れた。お前という明確な目標があったから、ボクは諦めずに頑張ることができたんだ。きっとお前がいなければ、ボクはとうの昔に強くなるのを諦めて、バトルも嫌いになってたと思う』
『…………』
『ごめんね、ガブリアス。キミがボクを強くしてくれていたことに、今ようやく気付いたんだ』
 すっと差し出された細い指。それを視線で伝っていくと、大きな赤いレンズを透明の雫で潤ませたフライゴンの愛らしい顔がそこにあった。

『だから――泣いてもいいよ』

『…………っ!?』
『こうすれば誰もキミの顔が見えないから』
 優しい吐息と共に、フライゴンの華奢な腕がガブリアスを包み込む。
 ――ずっと、ずっとすれ違ってきた。
 互いに『消えて欲しい』『目障りだ』と思って、本当の互いを知ることができずオレ様たちはずっとすれ違ってきたんだ。
 本当のお前はこんなに強くて優しくて暖かいのに。バカにされるような部分なんて何一つなくて、こんなにも立派なんだ。
 誰も知らない本当のお前を、オレ様だけが知っているのは悪い気がしない。そして今も、お前はこんな情けないオレ様に手を差し伸べてくれる。そんなお前の優しさに、オレ様は――
『っあ……ああああっ…………!』
 フライゴンの胸に顔を埋め、胸の内に溜まっていた負の感情を余すことなく吐き出した。途切れる言葉に嗚咽が交じり、掠れた声で殆ど息継ぎも忘れて。
 自分の弱さを知った。今までフライゴンを誤解して、勝手に弱者と決めつけてしまっていた。バトルを楽しめない理由が分かった。トレーナーにも見放された。
 そして何よりも。フライゴンの本当の姿を知る事ができた。
『ボクもずっと泣いてきた。だから、キミの涙を否定しない。これからはキミを受け入れる』
『フライゴン……フライゴンっ……!』
『だから、さ――』
 フライゴンがにっこりと微笑み、ちらりと背後に一瞥を飛ばす。
 ゆっくり顔を上げてフライゴンの視線を追うと、その先にいるのは少女のトレーナーとメタグロス、そしてスカーフを巻いたバシャーモ。
 ――オレ様を、受け入れてくれるってのか?
 涙を拭うことも忘れ、少女たちの姿を見据える。家族も友人も居なくて、ずっと独りだった。
 トレーナーや戦友たちに囲まれていて感覚が麻痺していたのかも知れない。
 本当はずっと孤独で、心のどこかにぽっかりと空洞ができていて、それでも見てみぬフリするかのようにバトルに明け暮れて、自分を誤魔化していた。そんな自分を受け居れてくれるというのか……?
 前までのガブリアスならば見下していた場所だが、今はとても暖かくて素敵な場所に思える。ガブリアスは固唾を呑み込み、必死に声を絞り出そうとするが――
「おい何をしているガブ。早くボールに戻れ」
『……っ!』
 トレーナーの冷酷な声が耳を弄する。もはや彼についていっても何も良いことがないのは目に見えていた。
 言葉は通じない。手を出すのもご法度。それでもガブリアスは涙でくしゃくしゃになった顔を持ち上げて、かつてのトレーナーを睨み据える。
「何だその顔は。情けない顔を俺に晒すな」
『うるせぇっ! オレ様はもうアンタにはついてけねぇんだよ!』
 ガブリアスの叫びは、彼にはただの雄叫びにしか聞こえて居ないのだろう。聞く耳など持たずと言わんばかりに、彼の手に握られたモンスターボールが向けられる。
 ――やっぱり、オレ様はフライゴンと違って変われねぇんだ。
 歯を食いしばり、ボールの中に収容されるのをじっと待つ。
 一瞬でも、フライゴンたちと新たなバトルを楽しめると期待した自分が愚かだった。
 現実から背くように目を瞑る。次に目を開けば、そこは再びボールの中だろう。
 ――……あ、あれ?
 来るべき閉塞感が、来るべき孤独が、来るべき無音の世界が、いつまでもこない。
 ガブリアスは重い瞼をおそるおそる持ち上げ、息を呑んだ。

 トレーナーが言葉を失って佇立している足元。ガブリアスが戻るべきボール“だったもの”が無残な姿と化して散らばっていた。

『ガブリアスの本音を聞いたら、身体が勝手に動いちゃった』
 無邪気なほどにあっけらかんと語るフライゴン。彼の尾がぶんぶんと風を切って自己主張をしている。その光景を見ても、一体何が起きたのか理解するのに暫しの時間を要した。
「なッ……! 何をする貴様ァ!?」
 ボールを壊され、我を忘れた元トレーナーがフライゴンに殴りかかろうとする。
 刹那の所業。通常のポケモンであれば助けに入ることは叶わないだろう。だが、ガブリアスは地を蹴る音すら置き去りにしてその場を駆ける。
「ガブリアス……!?」
『オレ様はもう、アンタのポケモンじゃねェからな』
 寸での所でトレーナーの腕を、己のそれで受け止める。息を呑むトレーナーをそのまま吹き飛ばし、地面へと叩きつけた。
 手持ちのポケモンがトレーナーに手を出すのは許されないが、今は野生のポケモンに襲われただけだ。床に伏しているかつてのトレーナーの元に飛び込み――
 腕の刃から生まれた銀閃が、かつてのトレーナーの前髪をはらりと舞わせる。
『……これ以上暴れられたくなけりゃ、とっととオレ様の前から消えな』
「っ! お前たち! ガブリアスを取り押さえろ!」
 トレーナーの指示に忠実に動くゲンガーやギルガルド。
 かつての仲間の暴走だというのに、彼らからの視線に逡巡や葛藤は一切感じられない。ただの戦闘マシーンと化してしまった奴らの、機械的な目線を浴び、ガブリアスは息を潜める。
 ――いくらオレ様でも、全員を相手にするのは……。
「メタグロス、コメットパンチ! バシャーモはオーバーヒート!」
『ふう、やっと動いても良いのですね。ずっとじれったくて仕方がありませんでした』
『……ふん。胸くそが悪い』
 少女の言葉を合図に、彼女の傍に控えていた二体が動きだす
 。目視もできない程のスピードを携えて滑空するバシャーモ、威圧感を醸し出しながら強靭な四肢でじわりと彼らににじり寄るメタグロス。
 それらはまるで少女の命令を待ってましたと言わんばかりに機敏に動きだした。
 ――え? ど、どうして? どうしてオレ様なんかを助け……。
「そこのガブリアスは私たちがゲットするんだから、邪魔はさせないよ! フライゴン、流星群!」
 上空に向かって指を突きあげる少女。それに続くようにきりっと勇ましい眼差しを湛えたフライゴンが羽ばたき、乱戦状態の空間に流星群を放つ。
 ――さっき、あいつ……オレ様をゲットするって……?
「さぁ、ガブリアス。どうする? 私たちと一緒に来てくれる?」
 元気にウインクをし、少女のトレーナーがとびっきりの笑顔でガブリアスを勧誘する。
 ギルガルドを親の仇の如く叩きのめそうとしているメタグロス。スカーフを巻いて疾風のように駆ける異質なバシャーモ。
 そして、こんな自分のためにボールを壊してくれたフライゴン。
 ……こいつらとなら、オレ様ももう一度最強を目指せるかも知れねぇ。
 環境トップという意味での“最強”ではない。大切な仲間と共に高みを目指し、大切な仲間を守り、大切な仲間と共に辛さや悲しみを共有できる強さを持つ最強のポケモン。
 こいつらとなら目指せる。ガブリアスの中には、根拠のないが確固たる想いが芽生えていた。

 ◆

『……本当にこれでいけるのかよ』
『大丈夫です、ガブリアスさん。ワタシの計算に狂いはありません』
『いけるよ、ガブ! 自分を信じて!』
 メタグロスから渡されたものを怪訝に眺め、ガブリアスは腑に落ちない様子で首を傾げる。
 ……ガブリアスのこれの所持率、いくつか知って言ってんのか?
『これなら初手ねこだましをしてくるメガガルに鮫肌でダメージを与えたあと、大体の確率で返しの逆鱗で落とせます』
『“大体の”って何だよ! お前、スパコン並の頭脳はどこいったんだよ!? あ!? そもそもメガガルがオレ様と対面したら鮫肌警戒してねこだましなんて打ってこねえよ! 大体が冷パンぶっぱだよ!』
『何でも試してみないとダメだよ、ガブ。だって今まで一度もそれを使ったことなかったんでしょ?』
 やけに押しが強いフライゴンにも何度も進められている。
 このパーティに入ってからは固定概念を捨て、メインメンバー全員で互いの新たな型を模索してきているのだ。
 トレーナーが勝手に決めて、言われた通りに技を覚えて努力値を積んで――としていた過去が懐かしいとさえ思えてくる。
『確かに使ったことはねェが……』
『そして何より、意表が付けますぞ!』
『またそれかよ! お前、困ったらすぐそうやって意表云々言うのやめろって! 意表でバトルに勝てたら、ヒマナッツでバトル勝てちまうわ!』
『ヒマナッツはがむしゃらがあるから十分強いよ?』
『フライゴン、突っ込みどころはそこじゃねえから!』
 目を爛々と輝かせるフライゴンの言葉を勢いよく遮り、ガブリアスは肩で息をする。
 ここに来てから、やたらと突っ込むことが増えてきた。
“やたら変態型を提案し、それっぽい理論を述べたのに論破されたら最終手段として『そして何より意表が付けますぞ!』と豪語するやたらと変態好きなスパコンのメタグロス”
“そんなグロスの提案を全部凄いものとし、ガブリアスが反論すれば毎回ズレた突っ込みを入れてくる天然のフライゴン”
“そして何よりも文句一つ言わずグロスの提案した変態型を真面目に論議し、試す生真面目すぎるバシャーモ”
 彼らに囲まれていて、疲労しない日は一日としてない。元高レート経験者として、バトルの常識を覆すような理論を言われれば突っ込みも絶えない。
 ――確かに疲れる。だが、あの頃とは比べものにならないくらい充実していて楽しいのも否定はできなかった。
 バトルにはなかなか勝てない。意表だけで勝てるほど、バトルは甘くない。
 実際、ガブリアスたちの勝率は芳しくない。それなのにどうしてこんなに毎日が充実していて楽しいのか、考えるまでもなかった。
 ――考えるよりも前に、こいつらがオレ様を疲れさせてくれるから。
『ほら、早速模擬選やってみよ? グロスが冷凍パンチ搭載の陽気ASメガガルと、HBぶっぱ意地っ張りタスキマンムーを用意してくれてるみたいだから!』
『やっぱり作ろうと思えばまともな型作れるんじゃねえかポンコツ! だったら毎度毎度オレ様たちに変態型を提案すんのやめろって!』
 スカーフバシャーモを提案したのは紛れもなくグロスであることは、今なっては言うまでもない。
 そしてそれに反発することなくとりあえず試してみて納得した為か、奴は今日もスカーフを巻いている。
 バシャーモは無口だ。だが、目線で彼の言いたいことは何となく分かる。
 今だって壁に背を預けてさも絵になるようにカッコつけてはいるが、首に巻かれているのは空色のスカーフだし、考えていることは恐らく『俺は最強の猛火バシャーモになってみせる。お前もそれを使える世界最強のガブリアスを目指せ』だ。
 ガブリアスは彼らの提案を押しのけるようなことは絶対にしない。口では文句を言いながらも、一応全て試してみるのだ。
 ――さすがに雨ごい波乗り型を提案されたときは顔が歪むと思ったが、それも一応試した。結果は言うまでもない。
『……ったく、わぁーったよ。やってみりゃあいいんだろ』
『そうそう。何でも試してみないと。それが最強への近道だよ!』
 フライゴンがちょこんとガブリアスの胸元に飛びついてくる。
 ……そう。オレ様はもう一度最強を目指すって決めたんだ。
 此処にいても目指せる――いや、此処にいないと目指せない“最強”があるから。
 メタグロスやバシャーモ、そしてフライゴン。こいつらと一緒でないと意味がない最強があるから。
『それじゃ、トレーナーさん呼んでくるね!』
「何言ってるのフライゴン。私はもうここに居るよ。準備おっけー!」
『そういえばお前、なんでオレ様たちの言葉が分かるんだ?』
 今までごく自然に会話をしていたが、改めて考えてみると怪訝な現象である。
 前のトレーナーとはバトルにおける必要最低限の意思疎通は図れていたが、それ以上の会話は不可能だった。
 それがこの少女はバトル中はもちろん、こういった日常会話でも殆ど支障なく話ができている。
「え? だって、グロスがいるから」
『はい。ワタシのスパコン並の頭脳を駆使して互いに円滑な“コミニケショーン”を取れるようにしているのです。ワタシ、有能でしょう?』
『……お前の頭脳がスパコンじゃなくてスパコン“並”な理由が更に分かってきた気がするぜ』
 “コミュニケーション”だろ――そういった野暮な突っ込みをする気力は、ガブリアスには残っていなかった。
 ダメージやステータスの計算速度は目を瞠るものがあるし、ポケモンと人間の会話を可能にしてしまうその能力には素直に関心するが、変態型を思いついて困ったら「意表がつける」という言葉に逃げたり、今のように少し抜けたところがあるのはどうにかならないのだろうか。
「だってポケモンと直接会話ができないと、バトルの話し合いとかができないもんね。――さて、行くよガブ!」
『ヘイヘイ、んじゃ行くか』
 少女に連れられ、ガブリアスは秘密基地の奥へと進んでいく。
 後ろではバシャーモが視線だけをこちらに送っていたり、メタグロスをテーブル代わりにしてフライゴンが寛ぎながらこちらを眺めている。
 あいつはコンピュータじゃなくて本格的に家具に転身したほうが役に立つんじゃねえかな――そういった突っ込みを呑み込み、ガブリアスは彼から渡された不可思議な珠を天井高くに掲げて。

「ガブリアス! メガシンカ!」
『よっしゃメガガブリアス! 初めてのメガシンカだ! 思いっ切り暴れさせてもらうぜ!』

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Last-modified: 2016-06-23 (木) 01:49:35
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