炎の石が産出する鉱山を背景にしたこの街は、足音の絶えることが無い活気のある街だ。
その街で、ロコンのリオは今日も花屋の前に立って店番をしている。リオが働いている花屋はこの街で3番目に大きい通りに面している。2、3階の建物が作るレンガの壁が緩やかなカーブを描く美しい通りだ。常に行き交う流れの絶えない、商売には絶好の場所だ。
リオが店番をしていると、大声で騒ぐ二人組がドカドカと音を立てて歩いてくる。バンギラスとモウカザルのふたり組だ。このふたりは年上だがリオの幼馴染でもある。バンギラスはリオの姿を見つけると濁った声で叫んだ。
「お、ほ~らみろ。まだロコンのままだぞ」
バンギラスがそう言うと、モウカザルはしぶしぶといった様子でポーチから小銭を取り出して投げつけるようにしてバンギラスに渡した。下品な笑みを浮かべるバンギラスと苦い顔のモウカザルはそのまま花屋の方へ向かって歩き、通り過ぎずにリオに話しかける。
「お前の意気地なしのせいで大損だぜ」
「他人のことで勝手に賭けしないでよ」
モウカザルは口だけ怒りながら馴れ馴れしく話す。意気地なしというのは、リオが炎の石を貰っているのに未だに進化しないことを揶揄しているのだった。リオは目を合わさずに返事した。こんなやり取りが、断続的とはいえ数週間に渡って続いている。始まったのはリオが両親から炎の石を貰ってからだ。
「石は有っても意思が無いッ」
バンギラスが野太い声で間抜けに歌う。リオは呆れ顔を見せるが、バンギラスはむしろそれを喜んでいるようだった。
「仕事のじゃましないで。さぼってるそっちとは違うの」
リオは陳列されている花をでたらめにいじって忙しいふりをする。何日も不毛なやり取りを繰り返して、ようやく相手にしないことが一番いい対処法だということが分かった。それでも、そんなリオの苦労空しく二人はそのままがやがやと話し続けた。
「二人とも、お客さんの邪魔なんだけど」
リオが少々怒気を混ぜて言う。すると二人は嫌がるリオのことを思ったか、それとも相手にされなくて飽きたのか。
「そうだな、そろそろ帰らないと親方がキレるぜ」
リオの背中に「じゃあな」と言い放つとモウカザルが駆け出して、追うようにしてバンギラスも去っていった。
ドカドカという音がだんだん聞こえなくなって、周囲は普段の様子に戻った。さっきまで背中を向けていたリオは、去る二人の背中を見送って小さく溜め息を吐く。こんな溜め息を吐くのは何度目だかも分からない。だが腐れ縁の彼らが問題なのではなかった。リオの心にのしかかるもの、それは肌身離さず持ち歩いている炎の石の方だった。
この街は火山の近くにある。炎の石が産出することもあって、キュウコンやウインディのようにそれを必要とする種族が多く住んでいる。自然に進化が起きる種族と違って彼らは進化のタイミングを自身で決めなければならない。ここの風習として一定の年齢になったら親族などから炎の石を贈られるというものがある。リオには幼いころに父親を亡くしていたが、父親代わりの叔父から炎の石を受け取った。普通は貰ったらすぐに進化をするのだが、リオは数週間もずっとためらっていた。他のロコンとは違う姿のリオの尾が、彼の心が動くのを阻んでいる。リオの尾は、先から7割程が金色になっている、所謂"色違い"の特徴を一部持っているものだった。子供のころはそのせいでいじめられたりもしたが、最近になってようやく受け入れられてきたところだった。進化したらもう戻ることはできない。今の体を手放すことに少し怖さを感じていた。
期限があるわけでもないがいつまでもこうしているわけにはいかない。ただ虚空を見つめて考えても、頭の中は灰色のままだった。
「もしもし」
ぼーっとしている背中に突然声をかけられ、リオは慌てて振り向いた。
「いらっしゃいませ」
六本の尾がふわりと回転する。すると、リオの目の前にはバンギラスの彼を超えた巨体が迫っていた。四足に針金のような青い毛、それと頭には螺旋を描く一対の角。見たことの無い種族だった。自身を覆い尽くす影にリオは数歩後ずさりした。
「ごめんなさい、買いに来たわけではないの。キュウコンを探しているんだけど」
声の調子は女性らしかった。買いに来たのではないと聞いてがっかりしたが、リオには質問を断る理由も無い。とはいえこの街には数えきれない程のキュウコンが居る。
「ここには居ませんが……。どんなキュウコンです?」
彼女はリオに合わせていた目線を、リオの背の3倍はある彼女の水平に持ち上げた。それから、そうね、と語り始めた。
「彼は絹糸のように美しい尾を持ったキュウコンだったの。ずっと昔に遠くの町で出会ったんだけど、また会った時に、って色々約束したのに結局会えなかったのよね。それで今更だけど、彼が行くって言ってたこの街に来たの。彼も私も、あの頃は旅してたから気が合ったのよ……」
どこか上の空で話している彼女を、リオは興味深そうに見つめていた。リオは絹糸という言葉を知らなかったが、語る彼女の表情はその彼がどんな様子だったのかをリオに伝えた。
「でもこの街っていっぱいキュウコンが居るのね」
「ええ。炎の石が近くで採れるので」
彼女は通りを見渡す。多くの者が仕事に出向いている時間帯ゆえに人通りはそれほど多くないが、それでもキュウコンを見かけない時は無い。リオは彼女を見上げる。体格差でどうしても威圧感を感じてしまうものだが、愁いを持つ横顔の奥深さはリオの心を引き寄せる。
「残念ですけどそのキュウコンを見た覚えはないですね」
彼女はじっとリオの言葉を聴いていた。そして、リオの方を向いて今度は微笑んだ。
「彼の尻尾はね、一度見たら忘れられないと思うわ。見かけたら覚えておいてね」
「そこまで言われると見てみたくなりますね」
すると彼女は、もう一度見てみたいものだわ、と小さく呟いた。そのときの彼女はどこか遠くを見つめているようだった。少しの間沈黙が訪れた。
「お仕事の途中だったのにごめんなさい。一つ買っていくわ」
沈黙を破って彼女は笑顔でそう言うと、近くにあった花を一輪選んだ。彼女が身を屈めてリオに代金を渡すと、袋に包まれた花を鞄に突っ込んで去る。リオは名残惜しさを感じながら、彼女の姿を見送った。
「また来てくださいねー!」
いつの間にかリオはそう叫んでいた。彼女は立ち止まって振り向いて、白い尻尾をわしゃわしゃと振る。しばらくして彼女が見えなくなると、また悩ましい日常が戻ってくる。リオは今度は彼女がその美しいキュウコンをつれて訪ねてこないかな、などと考えるも、一握りのきらきらとした思いは再び流れ出したつまらない時間の底に沈んでいった。
リオが彼女と会ってから数日間が過ぎた。彼女のことが心の隅で気になってはいたものの、自分の進化のことについて悩んだりもして結局何も答えを出せぬまま時間だけが過ぎていっていた。
この日は雨だった。リオはいつも通り花屋で働いている。いつもの時間に店の奥の部屋へ行く。すると部屋には成長途中の花がいくつか置いてある。これらを世話するのがリオの仕事の一つだ。リオは部屋の中央に立つと姿勢を正し、目をつぶる。これから"にほんばれ"を使うのだ。まず精神を集中させる。それから体に流れるエネルギーを捕まえて、熱く燃えたぎる太陽をイメージ。昂る体を抑えながら炎の球体を空中に浮かべる感覚でエネルギーを放出する……。
リオが目を開けると、部屋は灯りに照らされたように明るくなっている。ここにある花を成熟させるのには十分な強さで、これがこのまましばらく続く。毎日当てる光を管理して、よりよい花を咲かせること。すでにロコンの体には収まりきらない程の力を持っているリオにとっては大した仕事ではなかった。
リオが一息ついているとちょうどよく店長がリオを呼んだ。昼の鐘が鳴るまで店番を頼む、と言われてリオは雨粒の滴る軒先へ出る。
しとしとと降る雨は退屈しのぎにもならず、また客を減らして余計に退屈を増やす。店長は裏で作業をしていて話し相手になってくれるわけでもない。リオはぼーっとしながら物思いに耽っていた。リオの背負う鞄に入っている炎の石がずしりと重い。金色の尾が小さく揺れる。この尻尾のせいで損したこともあれば、得したこともある。リオの周りにはこういった毛並みを持つロコンやキュウコンは居なかった。それゆえに誇りでもあり、不安でもあった。それでも十数年間付き合って、毎日見てきたこの尻尾はすでに相棒のようなものになっていた。進化によってどうなるのか……? 些細なことではあるものの、ある意味賭けといえる挑戦になる。リオは戸惑っていた。
コツコツと、蹄の音が雨の向こうから聞こえてきた。リオは何気なしに顔を上げる。そして目を見開いた。リオの花屋に向かってきているのは、紛れも無くあのときの彼女だった。水を滴らせ、雨を避けるようにやや俯いて。花屋の軒先に来るとリオに向かって乾いた笑みを浮かべ、唐突に話しかけた。
「この前言ってた彼のことだけどね、見つかったの」
彼女はリオを驚かせると、淡々と言う。
「それでね、花を買っていこうと思って」
彼女の視線はリオを飛び越えて、並ぶ花々を物色した。リオは色めきだった。
「でしたらこんなのはいかがでしょう?」
そのキュウコンの姿を思い浮かべながら、店先にある明るい花をいくつか示して、花束を提案する。だが彼女の反応は芳しくなかった。表情を変えないままで、他の花に目をやる。
「ごめんなさい、こっちの花をお願い。そのままでいいわ」
彼女が指す花をリオは見た。青紫の儚げな花。ホルレーリと呼ばれるその花を、彼女は求めた。思わずリオの口から驚きが漏れた。彼女は同じ顔のままで鞄から小銭を取り出し、無言でリオに渡した。しかし、うまく受け取れずにリオは小銭を落とす。彼女はごめんなさい、とだけ言うと陳列された花を一本、するりと抜いて踵を返す。リオが貨幣を拾い集めたとき、もうすでに彼女の姿は雨の中だった。だんだん霞む姿を追いながら、リオの頭には雨の音だけが響く。
リオはただ立ち尽くしていた。雨は彼女の痕跡を洗い流すように降り続けていた。リオには分からないことが2つあった。今日の彼女の、以前の彼女とは全くの別人のような態度。そして彼女が買っていったホルレーリの花。ホルレーリが意味するのは死者との再会。まさかそんなはずは無い、と思っても今日の彼女の物憂げな姿が過る。
そのとき、正午の鐘が鳴った。それは一瞬だけ雨の音を掻き消して、リオの元にも届いた。リオの頭に閃光が走り、リオは叫んだ。
「ちょっと休憩してきます!」
道に溜まった雨をパシャパシャと撥ね退けながらリオは走る。彼女の姿はもう見えないが、リオに迷いは無い。予想が間違っているならそれでいいと思っていた。だんだんと緑と土の増える道を駆けていくと、霞んだ先に異質な空間が見えてくる。ぽつぽつと動かない影が立っている。墓地だ。彼女の足跡は間違いなくそっちへ向かっている。進化前の小さな体のせいで、リオの体の至る所に泥が跳ねていた。種族柄湿っているのは好きではないが、激しい拍動がそのことを忘れさせる。
リオは墓地に足を踏み入れた。見渡しても彼女の姿は無い。しかし駆け回るうちに、リオの目に予期しない光景が映った。
さっき彼女に売ったホルレーリの花が手向けられている。その墓の名は、紛れもなくリオの父親の物だった。
リオは雷でも喰らったかのように驚き、鼓動が全身を揺らした。その花は間違いなく彼女によって供えられたものだった。辺りを見渡しても他にホルレーリは見当たらないし、花の状態からしてもそれは否定できない。脈がバクンと鳴る。一体のキュウコンが頭を駆け抜ける。鮮やかで、どこか妖艶な輝きを持つ毛並み。揺れる九尾が振りまく銀色の香り。それは彼女を魅了した、自分自身の父の姿?
リオの尾が、金色の露を滴り落とす。リオはまた駆け出した。
しとしと降る雨を避けようともしないで、彼女は歩いていた。足取りはやや軽く、ピチャピチャと跳ねる泥を少し気にしながら来たのとは違う方向へ向かっていた。リオが水溜りで大きな音を立てながら走ると、彼女は霞の向こうからその音に気づいた。足を止め振り向いた彼女は雹にでも当たったように驚いた。
「あなたは! どうして……? もしかしてお金――」
彼女は慌ててまくし立てた。しかしリオは制止するように無言で首を振る。そして鞄の中から炎の石を取り出した。何をすべきか、リオには分かっていた。炎の石に前足を重ねる。
ゴゴオッという音が鳴る。彼女は何かを言おうとしたが、突然リオから放たれだした音、光に一歩後ずさりした。リオが炎の石を使ったのだ。リオは"にほんばれ"を使うときのように目を閉じて精神を集中する。しかしそのときとは違う感覚がリオを包む。リオが持つエネルギーと石に閉じ込められたエネルギーが混ざり合い、共鳴し合って恐怖を感じさせるほどの強さになる。歯を食いしばって耐えると、そのエネルギーが優しい温かさに変わっていくのを感じる――。リオの意識は光に包まれた。
「ああ……その姿は」
彼女の声でリオは閉じていた目を開けた。ぽかんと口を開ける彼女が居る。その顔が、以前よりも近くなっていた。そして、地面に立つ感覚が今までと違う。リオはゆっくりと自分の体を見た。
温かな太陽のような毛皮が自分を覆っているのが見えた。紛れも無いキュウコンの姿だ。そして、サラサラと流れる銀色の尾。
ふふっ、と彼女が笑う。目線はリオの尻尾に向いていた。
「そうか……。そうだったのか」
彼女は溜め息のようにしみじみと言った。その言葉に込められた意味をリオも理解していた。
「相変わらず美しい色ね。あの頃から何も……。いや、あの頃よりも若々しい」
彼女が小さく笑う。つられてリオも笑った。
ふたりは並んで街に向かう。途中、墓地の横を通り過ぎるとき彼女が呟いた。
「あなたの父親との約束、代わりに果たしてもらってもいいかな」
彼女の言葉は静かな世界にしみ入る。
「約束って?」
「またもし逢えたら、お互い夜を徹して話そうって。あなたは話すこと無いかもしれないけど……。お土産話、聞いてくれるかしら?」
リオは空を仰いだ。
「いいんじゃないですか」
ふたりを待ち構えるように、街の上には青空がちらちらと覗きはじめていた。彼女はリオに歩幅を合わせて歩き、リオも仕事をほっぽりだしていることを忘れて並んで歩く。だんだん弱くなってきた雨が水たまりを打って、その音がどこか心地よく響く。
スバスバと申します。
思い立ってからものすご~く時間がかかってしまいましたが、ようやく処女作を投稿することができました。
まだ未熟な作品だとは思いますが、改善のために良いところも悪いところも率直に教えてくださると嬉しいです。
些細なことでも構いませんので、何かありましたら↓のコメント欄にコメントしていってください。
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