注意※この作品は非エロですが、主人公が殴る蹴るの暴行を受けたりおしっこを体にかけられたり、血をたくさん流したりする内容が含まれます。また、性行為を連想させる言葉も多少出てくる可能性があります。
そのような描写が苦手な方は、この作品を読むのを控えて下さい。
尚、要素として多少の同性愛(BL)・ヤンデレ等も含みますが、えっちい展開には持ち込まないのでご容赦下さい。嫌いな方はバック推奨。
春夏秋冬の詩(うた)
直射日光の当たらない冷たい床の感触を踏みしめながら、僕は職員室の前に佇んでいた。内履き越しに感じる、前にいた学校とは違う質感のそれに、ああ、僕は転校してきたんだなー……なんて、しみじみ思う。電気の点いていない廊下は仄暗く、職員室や階上の教室から聞こえる声も微小。そんな状況も相まってか、まるで異世界にでも来たかのような錯覚に陥る僕。今まで通っていた学校を一つの世界だと仮定するなら、或いはその錯覚は真実になるんだろうけど。
そんな日常と非日常が交錯する瞬間に酔いつつ廊下の窓に目をやると、その外の景色は若葉の繁った桜と澄んだ青空に占領されていた。
「……『青々と 煌めく色に 包まれて 非凡の中に 酔いを見出す』……」
ぽつり。心の中に浮かんだ言葉を呟き、ちょっとした愉悦を感じる。自分の見た情景やもやもやとした感情を言葉に出来た時に得られる満足感。それが、今の僕の中には沸き起こっていた。
けれど、カラカラと音をたてて職員室の戸が開いたことで、僕の気持ちは一度リセットされる。
「待たせてすまなかったな。教室は三階なんだ、ついて来てくれ」
中からでてきたのはガタイのいいゴーリキー。恐らく担任になるだろうこの
無言で進む先生の背中を、とてとてと小走りになりながらおいかける。そうするうちに、だんだんと大きくなる子供の声に高鳴る胸。
そして、廊下にそって並んだ教室の中で一番騒がしい教室の前に来た時に岡田先生は立ち止まった。
「この、五年三組が今日から君のクラスになるわけなんだが……ちょっと五月蠅いな。俺が呼ぶまで少し外で待っててくれ」
そう言うが早いか、岡田先生は教室の戸を勢いよく開けると若干深めに息を吸った。
「お前ら、静かにしろ! 先生が来ないからって騒いでたら、他のクラスに迷惑だろうが!」
よく通る低い声がクラスに響き渡り、一瞬にしてわいわいとしたお喋り声が静まった――
「今日は転校生が来てるから、出席はその後から取るぞ」
――と思ったら、先生のその一言によって再びクラスは騒がしくなった。当然先生は静かにするように促すけど、今度は全く教室が静かにならない。
一体どんな転校生なんだろ。男の子だといいなぁ。私は女の子がいい! どっちでもいいけど、みんな騒ぎすぎだろ、静かにしろよ。仲良く出来るといいなぁ。
壁越しに聞こえる様々な反応に、僕の胸の高鳴りは最高潮になった。
だけど、僕を見た瞬間のみんなの反応は大体予想がついちゃうんだよなぁ。
「それじゃあ、早速入って自己紹介をしてくれ」
「はい」
カラリ。味気ない音がやけに耳に響き、開いた戸の向こうに見える子供達の姿。そのまま僕が教室に脚を踏み入れた途端、空間を支配していた喧騒は、一気に驚愕に息をのむ音へと変わった。あれほど五月蠅かった教室が、今や隣の教室の音が聞こえてしまうくらい静かで、しかも生徒の視線は全てが僕に集まっている。でも、それは仕方がない。だって、
「初めまして、朝倉亮介っていいます。……えと、体毛は金色ですが、種族はれっきとしたコリンクです。みなさんよろしくお願いします」
僕は、アルビノ*2なのだから。
「『日を浴びて 輝くはなは 愛でられて 虫が付かぬか 不安を感じる』……うん。こんな感じかな」
ため息を一つだけ吐いて、机から顔を離しつつ考える。
「もう、二ヶ月になるのか」
転校してから今日まで。随分と月日が経つのを速く感じながら、だけどその一日一日は濃密でいて有意義なものだった。アルビノだという珍しさのおかげで最初の一週間は僕の周りに人がいない事はなく、質問責めに会ったり物珍しげな視線を浴びたりするうちにクラスメートとは仲良くなる事が出来た。……いや、訂正しよう。休み時間には違うクラスの生徒までもが僕の周りにきてたので、そのうちの何人かとも親しくなれた。
自分でいうのは変かもしれないけど、僕は前の学校でも友達が多い方だったと思う。僕は他人に嫌われるのが嫌いで、それ以上に人を嫌いになる事が苦手だった。だから色々な人と仲良くなろうと努力したし、実際僕は嫌われる事が少なかった。今回も早くにクラスへ溶け込めたのはそのおかげだろう。
でも……順調過ぎると、不安になる。
あまりにも周りとの関係が上手くいき過ぎていて、クラスの中心人物のような立ち位置にまでなってしまって。こんなに都合のいい事ばかりが起こるはずはない、って考えが頭の中を渦巻いて消えない。
幸せを感じた分だけの不幸が何時か訪れる事を……僕の体は、知っているから。
「……っ」
チクリ。
針を刺されたような痛みを不意に感じ、服の下で全身の毛が総立った。……なんで、今更。あれは、二ヶ月も前に終わった事なのに。
開かれたノートの上に浮かぶ文字列。まだ数ページしか使われていないそれは紛れもない僕の物で、そこに書かれた幾つもの詩も僕のものだ。
文語定型詩から口語自由詩まで、様々な風景や心情を切り取って形にしたものが散りばめられた世界。それを創ろうと考えたのはいつだったか忘れたけど、実行に移したのは一年くらい前だったか。転校を機に新しいノートに代えて、だけど毎日詩を書いている訳ではないからまだまだページが残っている。
パラパラと捲りながら感傷に浸った後、力*3を
「リオ君!」
「ふぇ?」
不意に廊下から幼げで柔和な印象を持たせる声が響いて、その方向に目を向けたら視界に金色の塊が飛び込んできた。
「あ、カイ君じゃん。まだ学校に残ってたの?」
「今日は児童会があったから。終了予定の時間を30分も過ぎてやっと終わったとこ」
神山快斗。隣の五年四組にいるポチエナで、僕が今この学校で一番仲のいい子だ。唯一自分から話し掛けて仲良くなった子でもある。
そして、カイ君も僕と同じ、アルビノだ。
「はは。そういえばカイ君は児童会に入ってたんだったね」
「笑い事じゃないよー。時間通りに迎え来てってアサトに言っちゃったから、外で待ちくたびれてるかもなんだよね」
ふにゃりとした笑顔になったり困り顔になったり。表情を目まぐるしく変えたカイ君はトテトテと窓際に近寄ると、窓の縁に前脚をかけて外を覗き込んだ。
「……げ、やっぱり。車の脇に立ったままそわそわしてる」
「今日もアサトさんの車で帰るんだ? いいなー、僕のうちにもアサトさんみたいな人がいたらいいのに」
僕も同じようにして外を覗くと、昇降口の前に止まった黒塗りの高そうな車とその横に立つルカリオの姿が見えた。真っ黒な服を着てるその人はアサトさんで間違い無いだろう。
「じゃあ、今日は僕のうちに遊び来ない? リオ君のうちは僕のうちに近いし、なんだったら帰りも乗せていったっていいし」
「本当に!? ……って、僕の事を『リオ』って呼ぶのは止めてってば。母さん以外にそう呼ばれるとなんかくすぐったいんだって」
「えー、別にいいじゃん。可愛いし」
「可愛く無いってば!」
カイ君の方が可愛い容姿はしてるクセに、なんて事を呟きながら帰り仕度を済ませて廊下に出る。
二人で昇降口に向かう頃には、先ほど感じた不安はどこかに消えてしまっていた。
『ねえねえ、君が快斗君?』
僕は夢を見ていた。
『え? ……あ! 君、朝倉亮介君!?』
『ふぇ? そ、そうだけど、なんで僕の名前『やっぱり! 僕は神山快斗。君の事、昨日見かけた時から気になってたんだよー!』
僕が、カイ君に話し掛けた時の記憶。それを反芻している夢。
『え、それ本当!?』
『うん! 綺麗で可愛い子だなって思ってさ』
ふにゃりと笑ったその顔が、想像してた以上に可愛くて。内心、ずっとバクバクしてたのを覚えている。
恋とか愛とかはまだ分からないけど、純粋にその可愛さに胸を打たれて、だから一層「友達になりたい」って気持ちが強まったんだ。
『き、綺麗で可愛いって……僕、男の子なんだけど』
『えー、男の子に可愛いって使っちゃいけないの?』
僕とカイ君は同性だし友達だけど、いわゆる一目惚れって感情に近いと思う。
それに、カイ君と僕はとても似ていて、全く似ていないから。
『いや、いけない訳じゃないけどさぁ。それに、快斗君の方がずっと可愛いと思うよ?』
『あはは。よく言われるよ』
だから、カイ君と一緒にいる時間は、とても心地よくて――
「…………んぅ……?」
目が覚めると、僕はふかふかのベッドの上に横になっていた。目の前ではカイ君が同じように寝っ転がり、こちらを向いてすやすやと寝息をたてている。ああ、そういえばカイ君の家に遊びに来てたんだっけか。遊んでるうちにいつの間にか寝ちゃったみたいだ。
「にしても、本当にお金持ちだよなぁ……」
体を起こして、かなり広い部屋と豪奢な調度品を見ながら溜め息を吐く。カイ君の話によると、お父さんは医者でお母さんは会社の社長なんだとか。二人とも仕事が忙しくてなかなか家に帰って来ないから、世話係のアサトさんを雇っているらしい。
「それに……アルビノだもんね。特別扱いされるのは当たり前か」
アルビノは遺伝子の異常による突然変異でしか産まれないはずなのに、カイ君のお父さんの家系は代々アルビノの男の子が産まれるらしい。だから、カイ君は綺麗な金色のポチエナなんだって、アサトさんが言ってた。
性格が良くて容姿が可愛くてお金持ちで、更にアルビノだときたら必然的に周りからは特別視されてしまう。
『にしても、快斗坊ちゃんが友達を呼ぶとは……珍しい事もあるものですね』
車に乗り込んで少し経った頃、アサトさんがミラー越しにこちらを見ながら発したその言葉。僕はそれに疑問を抱いて、何も考えずに問いかけたのだけど。
『え。カイ君って家に友達呼んだりしないの? 友達沢山いるじゃん』
『んー、確かに友達はいるけど……なんか、家に呼んで遊べるような人がいないんだよね。みんなが僕を見る目は“友達”を見る目じゃないから』
ほら、僕はこんな見た目だし。なんて言いながら乾いた笑い声をあげるカイ君は、とても悲しい目をしていた。
カイ君の気持ちは、何故かよく分かる気がする。
二ヶ月間を通して実感した事だけど、カイ君は学校のアイドルといってもいいくらいに人気があるのだ。でもそれは、カイ君がいくら普通に“友達”として見てほしくても、みんなはそうはいかないって事でもある。
実際、僕も前の学校では似たような境遇に合いかけた事があった。僕の場合は自分から積極的に関わりを持とうとしたから難を逃れたけれど、カイ君の場合は違うだろう。僕みたいにアルビノってだけで特別扱いされる人もいるのに、カイ君は加えて整った容姿と家柄がついて回るのだから。
「……でも、独占できるっていうのは、悪くないかな」
僕は転校して来たばかりで何も知らなかったし、自分と同じアルビノという親近感があったから“友達”として仲良くなれた。それはつまり、他の人を後目にカイ君と仲良くできるって事だ。
まだすやすやと寝ているカイ君に、正面からそっと抱きついてみる。頬に感じる体毛の感触。手入れのされたその金色の毛並みはふわりとしていて、そこから香る仄かに甘い匂い。香水なのかシャンプーなのか分からないけど、その感触と薫りはとても落ち着く。こんな事、僕以外の子には出来ないだろうな。なんて思うと、どこかくすぐったくなるような優越感がやってきた。
前の学校では、僕には親友と呼べる友達はいなかった。だから、カイ君とは、親友になりたい。
「……ふぁ……ぁ」
いけない。また眠たくなってきちゃった。……でも、カイ君もまだ寝てるし、寝ちゃっても、いい……よね…………。
ひとしきりカイ君と遊んだ後、帰路についたのは結局七時近くだった。アサトさんは僕を家まで送る事を提案してくれたけど、カイ君のうちと僕のうちは歩いても五分かからない距離だから車で送ってもらう必要は無い。そういう訳で、今僕は満天の夜空の下を歩いている。
それにしても綺麗だ。闇を纏った天蓋も、その中を泳ぐ無数の煌めきも。手の届きそうな程近くにあるようにさえ見えてしまうのに、実際には遥か彼方に存在しているという矛盾も。「夜空」を形成する要素の一つ一つがとても魅力的で……それが故に、悲しくなってくる。
「『黒を見て 星を眺めて 我想う 儚い光に 願いをかけて』」
自分は、傷だらけだから。
輝く事も、出来ないから。
「……やめよう」
上に向けていた首を下げ、溜息を一つ吐く。丁度よく家に着いた事だし、早くご飯を食べてお風呂に入って寝るとしよう。あ、でも今日は確か算数のプリントを渡されたから、寝る前にそっちを片付けなきゃ。
「ただいまー……って、もうお母さんは表のお店に行っちゃってるか」
色々な事を考えながら家の玄関を開けると、案の定電気は点いていなかった。仕方ないから暗い家の中を自分の光*5をあてにしながら歩いて、二階の自分の部屋に到着。荷物を下ろして再び下に降りて、リビングの電気を点けて……。
「あれ?」
何気なくテーブルの上に目をスライドさせたら、見覚えのある丸文字が書かれたメモ用紙があった。
『リオへ。お母さんは仕事に行っちゃうから、ご飯は温めて食べてね。冷蔵庫のいつもの場所にあります。……それと、新しい塗り薬を買ってみたの。リオにはあの人の事、早く忘れてもらいたいから……少しでも、傷が治ってくれればいいなって。よかったら使ってみてね。それじゃ、行ってきます。お母さんより』
「……塗り薬?」
メモを
「せっかくだし、使ってみようかな」
でも、薬を塗るんだったらその前に体をきれいにしなきゃいけないか。
そう考えてご飯より先にお風呂に入る事にした僕は、リビングの電気を消してお風呂場に向かった。
ちゃぷん。湯船にとっぷりと浸かりながら、僕は少し昔の事を思い返す。
「……あの人、か」
引っ越して来る前。僕は、お父さんから虐待を受けていた。いつ頃から虐待が始まったかは覚えてないけど、その時の様子は今でも忘れる事が出来ない。
殴られたり蹴られたりは日常茶飯事。父さんはゾロアークだったから、幻覚による虐めを受ける事も多かった。酷いときには爪で皮膚を切り裂かれたし、犯されてしまった事もある。そしてお母さんは、それ以上に辛い仕打ちをされていた。
お父さんは無職で、いつもパチンコや競馬ばかりしていた。お母さんが水商売をして稼いだお金をどんどんつぎ込み、負けた時には僕やお母さんに怒りをぶつける。そんな日常が、延々と繰り返されていた。
でも、唐突に終わりがやってきた。
お母さんは警察に何度か相談していたみたいで、ようやくお父さんが捕まったのが四月の終わり頃。当然お母さんは離婚して、知らないうちに建てていた家とお店があるこの街に引っ越して来たのが五月の始め。自分のお店を出すんだといって笑う母さんの姿を見て、思わず涙が溢れたのを覚えている。
不意に、放課後に傷痕が痛んだのを思い出した。残っている傷は、右前脚首、左耳の後ろ、尻尾の付け根、それから背中とお腹に四個。普段は服に隠れてるしよく見なければ分からないけど、そこは少しだけ毛並みが薄くなっていて、その下には赤い虐待の痕がある。そこは、最近は痛みを感じなくなっていたのに……。
「本当に……何も、無いといいんだけどね」
両脚で顔を挟むように叩いて、僕は無意識にため息を吐いていた。
翌日の学校。昼休みの時間に、僕はカイ君と図書室に来ていた。というか、僕らが昼休みを図書室で過ごすのはいつもの事なんだけど。
「……あ。昨日、途中まで読んでた『たいけつトロリ』*6の八巻が無くなってる」
「やっぱりね。だから僕はリオ君に『人気シリーズの本は借りて読んだ方がいいよ』って言ったのに」
読もうとしてた本が無い事ですっかり意気消沈し、全く読む気のない適当な本を手にして椅子に座った。当然、正面にはカイ君が座っている。
「亮介。ちょっといいか?」
「え? 誰?」
と、不意に後ろから声をかけられ振り返ると、そこには同じクラスのザングース……柿崎
「他の人に聞かれたく無い話があるんだけど……ついてきてくれねえか?」
「? いいけど……」
僕の返事を訊くなり厚志君は踵を返し、スタスタと図書室を出て行ってしまう。
「え、あ。ちょっと待って!?」
カイ君にゴメンと謝って、僕はすぐに厚志君を追いかけた。
厚志君に連れてこられたのは、人が普段寄り付かない校舎裏だった。いつもは暗い影が落ちているこの場所も昼間は日差しが射すようで、真上から降り注ぐ日光と蝉の声が鬱陶しく体にへばりつく。
「それで、話って?」
早くこの空間を抜け出して涼しい図書室に戻りたい。そう思って問いかけたのに、厚志君は僕に背中を向けたまま歩みを止めようとしない。――と思った矢先、その動作がピタリと止まった。
「……バケツ?」
厚志君が足を止めたその足元に、青いプラスチックのバケツが一つ存在していた。そして、厚志君はそれをがっしりと掴むと、
勢いよくこちらを振り向いて、僕に目掛けて投げつけてきた。
「ぶぇっ、あ!?」
思わず目を閉じて顔を背けたすぐ後、体に多量の水と固いバケツが当たる感触を感じる。
「な、何するんだよ!」
当然、僕は抗議をする為に声をあらげて目を開けて。次の瞬間、体が停止した。
「…………」
厚志君が沈黙を保ちながら僕を見る目が、まるでゴミを見下すかのような冷たさに満ちていて。それを見た途端、全身が勝手に固まった。
その視線が、お父さんが僕を虐待する時のものと全く一緒だったから、動けなくなった。
チクリ。
「――っっ!?」
チクリ。チクチク、チクチクチクチクズキズキズキズキズキンズキンズキン。
体が何故か悲鳴をあげて、水に濡れた傷痕がまるでたった今付けられたかのように痛み出す。そしてそれと同時に、思い出したくない記憶がフラッシュバックする。
『――お前、俺に口答えすんのか?』
あんまりお酒を飲むと体に悪いよ、とビクビクしながら呟いた時だった。お父さんが持っていたグラスが僕に投げつけられて、中に入っていたお酒が体を濡らして。
「あ……あ、ぁ……」
厚志君が一歩ずつこちらに近づいてくる中、僕は口を開閉することしかできなかった。電気を放ってこの場から逃げ出せばいいのに、それを体が拒否してしまう。
体に植え付けられた恐怖心のせいで、動けない。
「お前、最近調子にのってるよな。アルビノだからってみんなにちやほやされて、有頂天になってやがんだろ」
目の前まできた厚志君が、尖った爪を僕の首筋に突き立てる。肉を突き破らない程度の、だけど確実に痛みを与える強さで。僕の顔が上を向くように顎をを突き上げながら。
『お父さんに刃向かうような悪い子には、お仕置きが必要だよなぁ』
むんずと左耳を掴んで逃げられなくされて、右側の首には爪がめり込んだ。一昨日付けられたばかりの左耳の後ろにある切り傷が引っ張られ、お酒も染み込んで激痛をもたらす。赤々とした爪は僕の皮膚から滲む血のせいで更にその濃さを増す。
赤と黒が、逆転していた。厚志君の爪と腕の配色が交換され、背丈が大きくなっていた。
いや、違う。それは錯覚だ。
記憶の中のお父さんと今の厚志君とが、恐ろしいくらいに重なってしまっているが故の、錯覚だった。
僕はもう唇一つさえ動かせない。代わりに、勝手に体が痙攣に似た動きを始める。ぶるぶる、がくがく。過去と現実とが綯い交ぜになって、両方の恐怖に全身が震える。
そして。
「生意気なんだよ」
『生意気なんだよ』
二つの言葉が重なった瞬間、僕の左脇腹に厚志君の右足がめり込んだ。
「っ、ぁ……」
強烈な痛みと吐き気に膝が折れ、地面にうずくまるような形になる。
そのようすを一瞥すると、厚志君は何事もなかったかのようにこの場を立ち去ってしまった。
どうしてこんなめに遭わなければならないのか。それが全く分からないまま、僕の体は只々震える。
その状態のまま、昼休み終了の鐘がなるまで僕は動けなかった。
――蝉時雨
降り注ぐ雨はしみ渡り
日差しの中で震え止まらぬ――
(蝉の鳴き声と体にかけられた水とが体に染み込み、心はどんどん寒くなる。いくら日差しが照りつけていても恐怖に凍えた体は震えてしまい、凍ったようにその場を動けなくなってしまった。)
とちほ。
感想とかくれると嬉しいです……
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